全4件 (4件中 1-4件目)
1

3.11から二週間が過ぎた。日々刻々と状況は悪変し、助かった命でさえ、様々な手遅れで失われている。そしてそれは 日本の恥だ・・・という声もあがった。0000000000000000000000000000000000000 さて、今年はケジメの年にしたい。 今はそう望んでいる。どんな形にしろ、5年ねかせた感謝の一書「 アルプスの背中 」を再度見直し、形を整えていきたい。 時は足早に過ぎ、人をとりまく環境も変化していく。 来月以降信州へ行き、既に80を過ぎた叔父叔母、原点である両親の墓、アルプス、天竜川、山の上の学校、豊かな自然に、今の心で触れてみたい。 「放射能」 「戦争の傷跡」 「宿命」 「古きよき時代⇒昭和」重いテーマの中に、いかに戦後の庶民感情や生活感を散りばめていけるか? それを含め、私色にリリカルなタッチで描きあげたい。 長野県伊那盆地 多希子
2011/03/26
コメント(10)

普通にガソリンを入れたくて 普通に普通の食材を買いたくて 出かけても、手に入らない。 いろんな事情もあるだろうけれど、必要以上の買占めはどうだろう? 6時間待ちで入ったガソリン。三人で一台の車を交代で使い、通勤中。 (残り二人は自転車)しかし、今までいかに電気やガソリンに頼っていたか?電気も最小限。 節水、節ガス、節ガソリンなので、お財布にもありがたい。その分をまた義援金として使わせていただける。そして、物を大事にしていた時代の志に戻っている。 福島県に二往復した知り合いのトラック。 雁字搦めの規制も和らぎ、明日三度目の救援物資を届ける。たびたび起きる余震にも慣らされ、毛布や衣類を梱包した。 さて、今、被災地でも、それ以外の地域でも「 パニック障害 」など、心の病で苦しむ人が新たに増えている。 持病悪化もあり待合室で待っていられない、予知発作に脅えた患者さんも例外ではない。 十年前、一番辛いときにお世話になった心療内科を抱える今の職場に自分がいることは偶然ではないと、今回のことを通し更に実感。今後も微量ではあるけれど私ができることで恩返しをしたい。 過去に同じ病で苦しんだので、切実な電話に耳を傾け、気持ちに寄り添う。「傍にいるだけで安心」 というのも症状のひとつ。・・・であれば、すぐにとんで行く。大病院から紹介状を渡され、私がいる病院の心療内科にやってくる方も・・・。今後、増えるであろう心の病。 ご家族、周囲の心構えも大切である。
2011/03/21
コメント(8)

ロスの妹より 「 お姉ちゃん、地震のその後どうですか?地震の時は家にいたの?どんな状況だった?オーママのあたりは夜6時半から毎日停電で、スーパーに行っても食料が規制されていてパン一斤しか買えないと聞きました。まだまだ不便な生活が続いているようですが、頑張ってね。長野の人達も無事?毎日Newsを追い、胸が痛い思いでいっぱい。。。災害の直後は、暴動や略奪が普通の他国に比べ日本では犯罪どころか、理路整然と国の支持に従い、お互いに助け合っている姿が、世界から尊敬され始めています。頑張れ、日本! 」 人の為になる仕事につきたいと思うようになったという中高生 悲惨な状況下で、他人を思いやれる被災地の方々。 支える方々。 絶望を使命に変えて奮闘する方々。 教えられること 大 負けないで! 団結の堤防と 勇気の波で 押し返せ! 希望の灯台は 消えない 恵 香乙
2011/03/18
コメント(8)

金曜日午後2時46分 その時、私は仕事中でした。 患者さんはまだ数人。 治療器は非常停止ボタンがかかり、安全な所にご高齢の方を誘導。土壇場で、自分があんなに度胸がすわるとは予想外でした。普段、早口でセッカチの私が、真逆の行動をとっていました。・・・ が 揺れは強く、しかも長い気づいたら85歳のおじいちゃんと抱き合っていました。 落ち着いた頃、おじいちゃんは「ちょっと得した気分だったよ」と私を更に落ち着かせ、励ますように帰っていきました。戦争を体験されている方は強い。 痛感しました。 今は、隣、裏の方に声をかけながら、計画停電の備えをしています。しかし、電池等は売り切れ。 皆必死です。 家族、病院のスタッフ、地域で心をひとつにしていかないと・・・持病のある方、心を病んでいる方、お一人暮らしの方、、心配です。 日々、メディアを通して目の当たりにする大惨事に心を痛めます。ひとりでも多くの命が救えるよう、強く祈ります。 本当に大きく長い揺れでした。 日に日に多くの惨事を目の当たりに
2011/03/14
コメント(14)
全4件 (4件中 1-4件目)
1


