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自分の文才の無さに辟易としております。指が動かない。頭の中に文字が浮かばない。何を書けばいいのかわからない。とりあえず今日中に仕上げたいので、もうすこしねばってみます。というわけで、ボツにした文章を載せて終わりにします。家を出る。朝の光に目を細める。蜘蛛の巣を散らし、道に出る。今日も肩に荷物が食い込む。朝日を背に歩き出す。濡れたコンクリートの匂い。いつもの朝。いつもの登校路毎日、歩いた道。それはこの3年間でその姿を変えることになった。僕は思い出す。裏の田んぼが、アスファルトに固められるところを。(そこにいた蛙たちは、どこに行ったのだろう。)新しくできた街路灯が、夜を通して辺りを照らし始めたときを。(暗がりに飛ぶコウモリは、どこに行ったのだろう。)ずっと空き地だった場所に、こじゃれた家が建っていく過程を。(僕が失くしたあのボールは、どこに行ったのだろう。)でも、何もかもが変わったわけじゃない。今朝だって同じ風景を見た。学生を詰め込んだ電車が僕の隣を追い越していく。線路の脇では、朝の作業が繰り返されている。そして、あの場所に犬がいる。晴れの日も、雨の日も、雪の日も。彼はいつも同じ場所に座っている。それが本能によってなされているかのように。彼の姿は、僕にあの瞳を思い出させる。傷だらけの体。まっすぐにこちらを見る瞳。そして、何もできなかった自分。今更何を考えても、もう遅すぎる。僕にできることは何も無い。彼の瞳もまた、僕を責めているかのように見える。冬になると、雪が降る。それでも彼は、その場所を動かない。冷たいコンクリートの上。彼にも平等に雪は降り積もる。結局、何もできない僕がいる。あの日と何も変わらないまま。僕はただ、俯いたまま歩を進める。足跡はただ、残されるだけだ。次の朝、僕は見つける。あの犬はいつものように座っている。ただ違うところは、彼が防寒のための台に座っていたこと。彼の表情はいつもと変わらないように見えた。そして僕は、走り出したくなる衝動を必死で抑えることになった。「ボツにした理由」・あまりにもセンチメンタリズムに過ぎる。・文章が下手。・何が言いたいのかわからない。・時の流れがバラバラ。ボツなのに、特定の人しか見ない文集じゃなく、世界中の人が見るかもしれないネットのほうに公開する僕もどうかと思うけど。まあ、僕のページに来る人なんて限られてるからいいか。
2004/11/30
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本日、私、脳内麻薬全開ですから。今日は、本屋にカレンダーを買いに行ったんですよ。ええ、カレンダーを買いに行ったんです。カレンダーを買いに行ったんですよ。というわけでしてね、カレンダーを買ったんです。なのに、どうして、先輩は城ヶ埼さんと結婚することになってるんですか?どうして、大幅な修正が加えられているのですか?どうして、会長ではなく蓮子なんですか?ええ、もう引くわけがありませんよ。どっ引きなんてありえないですよ。常に全速前進イケイケですよ。もうね、「おりる」とか言ってもおろさんですよ。もうね、3階から飛び降りてもケガ一つ無いでしょうよ。もうね、クマさんってね.......、ク、クマさん!?ブログにして以来、初めて自分を解放できた気がします。
2004/11/29
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調べてみました。きっかけは、昼食時に何気なく見ていたテレビ。その番組で盲導馬のことを取り上げていました。馬は犬よりも寿命が長いという利点が挙げられていたのですが、その後の出演者のコメントに驚きました。「盲導犬は普通の犬よりも寿命が短いって言いますからね。」まだそんな誤解が残っていたのかと。そんな考えはただの偏見にしか過ぎない、と言うことはいろんな場所で述べられてることです。とは言っても、僕だって実際に盲導犬の寿命を知っているわけではありません。というわけで、実際はどうなのか少しばかりネットで調べてみました。結論から言うと、よくわかりませんでした。公式ホームページやきちんとしたページでは、盲導犬の寿命は普通の犬と同じぐらいで、15年とされています。盲導犬の寿命が短いとする意見は、個人の意見を主張するようなページに多く記されていました。しかし、どちらも数字が出ているわけではありません。もちろん、実際に盲導犬に触れる機会の多い方々が作っておられるページのほうが正しい気はするのですが。実際に平均寿命を比較した数値が見られればよかったのですが。といっても、個人的にはやはり盲導犬の寿命は短くは無いのではないかと思います。盲導犬の寿命を短いとする人の論理として、盲導犬が神経を酷使するから寿命が短いのだとよく言われているようです。しかし、それは根拠の無いものではないでしょうか。考えても見てください。現代の日本人は、明らかに昔と比べて神経を使わなければならない社会に生きています。もちろんそのために体調を崩す人もたくさんいます。ですが、全体的に見て平均寿命は延び続けているではないですか。それも社会問題になるほどに。よしんば、神経の酷使が短命のつながるとしても、盲導犬は神経を酷使していないとはよく言われていることです。更にもう一つ。盲導犬の生活を考えてみましょう。ユーザーとの歩行は適度の運動になるはずです。そして、適度で規則正しい食事が与えられています。一年中空調の下で暮らして免疫力が低下し、移動する時は飼い主に抱かれ運動不足になり、人間が食べても健康に悪そうな油と塩分過多の食事を与えられる。そんな犬たちよりは、盲導犬のほうがよっぽど長生きをする気がするのです。盲導犬の寿命が短いとするページには、必ずと言っていいほどこの言葉が添えられています。「かわいそう。」そう言いながらも、調べることさえしていないということです。ただ哀れむばかりで、何の行動もとらない。それを偽善者と呼ばれても仕方ないのではないでしょうか。というわけで、来週の「噂の東京マガジン」では、不適切な発言として謝罪する出演者が見られることと思います。数値的なものを見ることは可能か協会に問い合わせようと思ったのですが、HPにはメールフォームも掲示板もありませんでした。人手が足りないのはわかりますが、せめて掲示板ぐらいは作ったほうがいいのではないかと思いますが。でも作ったら、心無い人に荒らされそうですね。調べている途中で、ひどい差別心を持っている人のページも見られました。まったく、せっかくよく見える目を持っているのに、何を見ているのだか。
2004/11/28
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ブログを始めてからよく目にするようになった、「アフェリエイト」という言葉。これの意味がよくわかりません。最近は何でも横文字で困ります。日本語の意味を教えて欲しい。それよりまず、「Weblog」って結局はどういう意味なんでしょう。Web上に記録を残すということでいいんでしょうか。話を戻します。「アフェリエイト」ふむ、そうか、これはさては、新しい戦隊モノですね。友情、正義、そして愛。このキーワードの元、子供たちから普遍的な人気を得てきた戦隊モノ。子供たちはレッドの勇気に酔いしれ、ブルーのクールさに憧れ、イエローの仕草に笑い、ピンクを中心とした複雑な恋愛模様に心躍らせる。いまや日本の戦隊モノは、海を越え、中国の子供たちやその親が語り合うほどに質の高いものとして世界に受け入れられるまでになりました。しかし、やはり長く続けているとマンネリ化が否めなくなるものです。どんなにあがいても、どんなに優勢に立っていようと、最後には巨大合体ロボの必殺技により、悪は敗れる。この展開を覆す番組を作ることは不可能です。この大筋を変えてしまえば、戦隊モノのアイデンティティーそのものが失われてしまうことになります。では、勧善懲悪のパターンをそのままにしつつマンネリ化を打破させるためにはどうすればよいのか。目の肥えた戦隊モノマニアを黙らせるにはどうすればよいのか。そう、もうおわかりですね。人数を増やせばいいんです。その理念の基に作られた新しい戦隊モノ、それが「アフェリエイト」です。メンバー紹介をしておきましょう。いつも頼れる素敵なあんちゃん、レッド。今日もクールな一匹狼、ブルー。カレーが大好き、秘密基地のドアにいつも挟まる、イエロー。紅一点、優しいみんなのアイドル、ピンク。ピンクの人気を妬み、ピンクの戦闘服を切り刻んでいるのは、バイオレット。平和主義者で、絶対に戦わない、きれいな目をしたグリーン。居ても居なくても変わらない、いつもみんなに気付かれない、存在感の薄いグレイ。日本の伝統をこよなく愛す、ワビとサビの境地に身を委ねる、巨大ロボの中も和装なえび茶色。さあ、今日も行くのだ「アフェリエイト」!!この世に悪がある限り、たとえこの身が果つるとも、愛する地球を守るため、街の平和を守るため、今日も夕日を背に背負って、まずは8人そろえなきゃ。「えっ、おまえどこいんの?」「早く来いよ、もう怪人でて来てるって。」「ああ、まだ6人しか集まってないよ。」「駅前だぞ、早く来いよ?」必殺技は「アフェリ・ナンバーエイト」。数字をそろえてあてるだけ。書き終わってから気付きました。バイオレットがいたら、ピンクは紅一点じゃ無いじゃないか!!
2004/11/27
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短くしようと決めていたのに、この4日間また文章長くなっちゃいましたね。受験生なのに.....。というわけで、また短くする努力をします。最近文章を書くたびに思うのですが、僕の文章っていうのは、どうやらその時によく聴く音楽に大きく影響を受けているらしいです。最近よく聴いている音楽、つまりはJazzです。勉強していると言語情報を耳に入れたくなくなるので、必然的にJazzやClassicを聴くことになります。そして最近は、専らJazzに傾倒しているわけです。僕が好きなのは、コルトレーンやモンクやソニー・ロリンズです。わかる人には、なんとなく系統がわかっていただけると思います。要は、彼らが紡ぎだす不協和音に僕の書く文章は影響を受けている気がするのです。それも、無意識のうちに。なにか、人間の意識の不思議さに触れたような気がしました。今日は意識して、平坦な文章を書いています。最近、真面目なネタが多いような気がします.....。おそらく、一時的なものかと。
2004/11/26
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先日、ある人からある質問を受けた。よくある質問だ。「もし3億円手に入れたら、どうしますか?」ある人はあまりの金額に、困惑するだろう。ある人は使い道に困り、貯蓄に走るだろう。ある人はどうせ仮定の話だと、好き勝手なことを言うだろう。欲しいものを手に入れる。南の島へ移り住む。宇宙旅行をする。あるいは、寄付をするなんていう人も出てくるかもしれない。僕より先に答えて方たちも、そのような答えを出していた。僕はと言えば、僕はと言えば、僕の口から出た言葉に、正直自分で驚くことになった。僕はこんなことを考えていたのか。実際は答える段になるまで、何も考えてはいなかったわけだけれど。それでもその考えは、僕にとってあまりにも突飛だった。「自分のための図書館を作りたい。」この言葉は最初、異世界の言葉のように僕の耳に響いた。でも、よくよく考えてみるとこれはいかにも素敵な考えに思えてきた。自分の思い通りの場所に、自分の思い通りの図書館を建てる。時には、本たちに音楽を吸収させてやるなんて事もあるかもしれない。自分のための図書館と言っても、他の人にも自由に使ってもらいたい。といっても、来る人は月に一人か二人だ。僕はそこに、静かに座っている。本のページを繰りながら。レコードに針を降ろしながら。
2004/11/25
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今日の現代文の授業中、教師が言った。視覚情報っていうのは、大きな影響力を持っているんだよね。今もいろいろなドラマが放送されているわけだけれども.....。ドラマの中で悪役をやっていた人は、私生活でも悪い奴に思われてしまうかもしれない。その逆もまた、あり得るわけだね。例えば、今では韓国のドラマが人気みたいだけど。ヨン様?ヨン様のことをよくテレビで見かけるわけだけれども、彼も、四六時中爽やかな笑顔でいるってわけじゃないでしょう?僕はこの言葉に感銘を受けた。そう、その通りなんだ。彼だって、いつでも笑顔でいるわけじゃあない。むしろマスコミやファンに囲まれて、影では舌打ちを繰り返しているはずなんだ。そう、その通りなんだ。いくら彼がおしゃれだからといって、一年中マフラーをしているわけじゃあない。彼だって夏になれば、短パンにランニングシャツで扇風機に向かって声を震わせてみたりなんかするんだ。僕はひょんなことから、自分を捕らえていた劇場のイドラを見出すことになったんだ。そうだ、今まで当たり前に思ってきたことは、大きく間違っていたかもしれないんだ。例えば。僕は今までバイキンマンを悪い奴だと思ってきた。でもそれは、違うかもしれないんだ。確かに、彼は鉄火のマキちゃんから鉄火巻きを奪おうとした。でも、それには目的があったのかもしれない。その鉄火巻きを、孤児院の子供たちに食べてもらおうとしたのかもしれない。余命幾ばくも無いおばあちゃんが、冥土の土産に鉄火巻きを所望したのかもしれない。略奪という行為を肯定するわけじゃあないけれど、彼も彼なりに必死に生きているのかもしれないんだ。例えば。みのさんだって、あの時間に耐えられないのかもしれない。みのさんだって、早く正解を言ってしまいたいはずだ。目の前にいる解答者の、不幸が重なる状況を考えると、不正解を知らせるのがためらわれるのかもしれない。例えば。あいつらだって。そう、僕らの身近にいるあいつらだって。ゴキブリだって......。いや、あいつらはどうやっても悪だ。
2004/11/24
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階下から漂う匂いに落ち着きを次第に失っていく者がいた。そう、カレー心だ。僕のカレー欲は、空腹も相まって最高潮に達していた。「やったね、お兄ちゃん。やっとカレーが食べられるよ!」「ああ、そうだな。」僕は平然を装って、そう答えた。僕だって、日本人だ。カレーも、ラーメンも、納豆も大好きなんだ。むしろ愛していると言ってもいいかもしれない。それらについて熱く語れるほどじゃあない。元々が味音痴な僕に、どこそこのアレはおいしいだなんて、言う資格はない。ただ、僕は愛している。カレーも、ラーメンも、納豆も。その気持ちはあなただって同じはずだ。納豆を愛しているっていうのは、あまりに粘っこい気がして公言するのは、ためらわれるわけだけれども。だから、僕もカレー心が嫌いなわけじゃない。それだけは自信を持って言える。ただ、彼らの来訪がいつも突然であるのに嫌気がさすだけだ。僕はカレー心の頭を、そっと撫でてみる。「もうすぐで、カレーが食べられるな。」カレー心は、僕の突然の行動に驚いているようだ。彼はその目を丸くした後、そのまま目尻を下げる。本当にうれしそうな表情だ。僕は少し後悔する。こんな顔を見られるのなら、もっと彼に優しく接すればよかった。そうこうしているうちに、カレーは完成したようだった。僕はカレー皿にご飯を盛り、その上からカレーをかける。スパイスの香りが僕らを包み込む。今日のカレーはビーフカレーだ。白いらっきょうを4個、少し乱雑にご飯に載せる。何もかもが整った。条件は申し分がない。僕らはわかっていた。カレー心は僕のカレー欲を呼び覚ましに来た。だから、僕のカレー欲が満たされてしまえば、彼は去っていかねばならない。僕はカレー心のほうへ振り返る。彼は、本当に幸せそうな笑顔で立っている。僕は言うべき言葉を失った。手を合わせる。いただきます、感謝の言葉を発する。もう僕は振り返らない。一心不乱に食べ続ける。うまい。なんてうまいんだ。統計によれば。カレー欲を満たすには、男なら3杯、女でも2杯は食べなければ満たされないと言われている。今日の僕も例外ではなく、何杯ものカレーを食べた。ただひたすらに食べた。食べている途中で、消えていくカレー心の顔を見た気がする。その顔は、たぶん笑顔だったんじゃないかと思う。
2004/11/23
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午後六時十八分、僕が物理の問題を解いているときのことだ。彼は、突然やってきた。今日の話はそんな出だしから始まる。人間には三大欲が存在する。食欲・睡眠欲・性欲だ。そして、日本人には三大食欲が存在する。ラーメン欲・カレー欲・納豆欲だ。納豆欲に関しては諸説あるものの、今のところはこの三大欲が定説となっているようだ。この三大食欲は、常日頃から我々を蝕むわけではない。それは、忘れた頃にやってくるのだ。そう、まるで2年前に買ったままだった新品の消しゴムのように。「ねぇねぇ、お兄ちゃん。カレー食べたくない?」気が付いたら、彼は僕のすぐそばにいた。彼らはいつだってそうだ、何の前触れも無く僕の生活に自然に入り込んでくるんだ。「ねぇねぇ、お兄ちゃん。カレー食べたくない?」いくら無視しようとしても、執拗に同じセリフを繰り返すカレー心。その誘惑に抗うことは非常に難しい。「ねぇねぇ、お兄ちゃん。カレー食べたくない?」もうこうなってしまっては、彼に従うほかに道はない。僕は頭を抱えた。「あぁ、食べたい。今、無性にカレーが食べたい。」「やっぱり!そうだと思ったんだぁ。そう思ってるだろうと思って、やってきたんだよ。」僕はカレー心に憎しみに似た感情さえ持つ。君が来たから、僕のカレー欲は目覚めてしまったんじゃないか。「カレーが食べたいんなら、我慢せずに食べちゃいなよ。」「そうはいかないよ。僕らはいつでも食べたいものを食べれると言うわけじゃないんだ。今だって1階で母が夕食を作ってるんだよ。それを食べずに、カレーを食べに行くわけにはいかないだろう?」僕の口調は自然ときつくなっていたのかもしれない。「食べてくれないんだね.....。」カレー心はうつむき、遂には目に涙を溜めはじめているようだった。ここで泣かれては困る、僕はとっさにそう思った。カレー欲が呼び起こされたこの状態で、カレー心に泣かれることを想像するだけで、ぞっとした。「わかった、わかった。明日だ。明日、きっとカレーを食べるよ。」「本当?信じていいんだよね.....?」「ああ、きっとだ。約束する。」彼をなだめるには、こうするしかなかった。あわよくば、この言葉に安心した彼は、帰っていってくれるのではないか。そんな淡い期待もあった。でも、彼は帰らなかった。「じゃあ、明日までここにいるね。」彼は今でも、僕の隣にたたずんでいる。
2004/11/22
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