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酔いつぶれました。そして、隣の見知らぬお兄さん(30代前半)に励まされました。そうですよね、男は最後はハートが重要ですよね。そして、引いて、押すんですよね。自分に、自信を持たなければいけないんですね。勉強になります。とりあえず、フルートについて詳しくなろうと思います。
2005/10/30
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ということで、宣言どおりHP開設に至りました。明日、富山の実家に帰るんです。なのに、今日はコンパでオールです。フラフラで帰る予定です。というより、帰れるか不安です。今日はギターを買いました。以前に書いたかどうか忘れましたが、僕は映画研究会のほかに古典ギター愛好会に所属しています。そこで教えてもらっている先輩に付き添ってもらって6万弱のギターを購入しました。中古なのでボディーは傷だらけなのですが、音がめちゃくちゃいいという掘り出し物です。ただ、素性は不明のギターらしいです。そんなことより、その先輩を新大久保の駅で待っている時のことですよ。あるおっさんが歩いてきたんですね。なんかバーコードにも出来ないような髪型のおっさん。そのおっさんがお金を落としたんですよ。チャリーンて。チャラーンじゃないよ、チャリーンだよ。でもそのおっさん、落としたのに気付いていないんですよ。まあ、拾ってあげようと思うじゃないですか。そこは心清い、純粋、純情、純潔を地で行く僕のことですから当然のように拾ってあげようと思うじゃないですか。でも拾わなかった。僕自身も驚いた。おっさんのために小銭一つも拾ってやらなかった。なぜって、その小銭が1円玉だったから。考えてもみてくださいよ。いくら不幸そうなおっさんが落としたからとはいえ、その1円が無かったせいでおっさんが究極的に窮地に立たされるわけじゃない。よしんば拾ってあげたとしても、そのおっさんは僕のことを「たった1円ごときでせこい奴だな。」とか思うかもしれないじゃないですか。そりゃね、「1円を笑うものは1円に泣く」って言いますよ。でもね、それでもやっぱり1円なんですよ。昔は知らないけど、今じゃ何も買えない。あんまりありすぎると、逆に小銭入れの中の邪魔者になる。そんな存在です。だから僕は今でも、おっさんに1円玉を拾ってやらなかったことは後悔していません。それが正解だったとは言いませんが、明らかな間違いでもなかったはずです。そして僕は、その1円玉をポケットにねじ込んだ。
2005/08/01
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今日は東急ハンズに行ってきました。実家へのお土産を買いにです。正確に言うと、実家にいる犬たちへのお土産を買いにです。あと、自分へのお土産と。ハンズの2階に「空飛ぶドラえもん」が売っていました。新発売のラジコンでドラえもんを飛ばせる奴です。知らない人はこちらへ。すごいんですよ、これ。本当に飛ぶんです。「そ~らを自由に飛~びた~いな」「はい、タケコプター」で、飛んでるのは自分ですから。彼が重力という思い束縛から解放され、自由という名の天空に飛び立った姿は、今も僕の瞼の裏に焼きついています。その姿は、あの伝説の幸せの青い鳥を連想させるようでした。僕らが遠い昔に、夕方の電車を乗り継いできたうちに置き忘れてきたものを思い出させます。夢、憧憬、毎朝のラジオ体操、学校のプール、消えた野球のボール、砂場に落ちたビー玉、少年時代は、誰もが共有し、誰もが独占できるものです。彼はその頃の象徴としての役割を見事に具現化していた。僕はずっと、売り子の女の子を見てたけどな。「空飛ぶドラえもんですよ~」とか、萌え。
2005/07/31
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あんだけ人間が集まると、おかしな人も必然的に出てくるんでしょうね。渋谷の話です。以前にもこんな話はしましたけど、まだまだ話したり無いぐらい。もう変人の宝庫なんですよ。今日は職業編を書いてみようと思います。恐らく一番有名なのが、某薬局の客引き。テンションが底抜け。高すぎて宇宙遊泳してる。店の柱を力いっぱい叩きながら、3・割・引!!店にダメージ与えながらの必死の客引き。あんたそれ、愛社精神旺盛なのか皆無なのかわかりません。ちなみに、駅から遠い店舗のほうがその電波度は高い。客引きといえば、道でいろんなもの配っている人たちもすごい。大抵のバイトは無気力。でも、たまにステップが華麗な人もいる。渋谷の情報間の前でティッシュを配っている人たちだけはやけにフレンドリー。もらわないと、「だめかぁ。」と笑顔で行ってくれる。萌え。あと、ナンパ師が多いです。彼らの努力は涙ぐましいものがあります。必死で声をかけに言ったり、いきなり肩をちょいちょいと叩いたり。女性の無視に仕方も感心させられる。普通肩叩かれたら、少しは反応しますよね?完全にスルーですから。たまに騙されてるのを見ることが出来るらしい。っていうか、一仕事しにいくのを見られるらしい。僕は見たことないけど。今日、ドンキの前に看護婦がいた。ピンクの看護婦だった。何かを配っていた。何を配っているのかなあと思ったら、「韓国料理です、よろしくお願いしま~す。」だって。韓国に偏見を持ちそうになったよ。
2005/07/30
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えーと、いじめに関する文章を少し読んでたんですけどね、なんだか掲示板で自分のいじめられた体験とか、その逆とかを言ってくやつ。そういうのって、ちょっと鬱になったりしますよね。発狂しそうになる。そういう僕は、いじめとかには関わってなかったと思ってるんですけど、気付かないうちに誰かを傷つけているかもしれない。軽い気持ちが相手には重くのしかかっていたかもしれない。個人的に嫌いな奴には無視してたけど。でもそれは、集団的なものではないからいじめにはなってないはず。って、その境界線がどこにあるかなんて知らないけれど。元々、影でこそこそとか嫌いなので。悪口は言うけど、陰口は言いません。本人の前でいえないことは裏では言いません。ん?直接言うのもいじめなのか?とにかく、僕はこれまでいじめはしてないし、されてないと思ってます。ただ中学生の時、友人に「お前って小学生の時いじめられてたんだって?」と聞いたときは自分が一番びっくりした。いや、されてないですよ?たぶん。クラス全員仲良かったですし。たぶん。交換日記とかしましたもん。休日とか遠くまでみんなで遊びに行ったりしたし。え?いじめられてないよね?不安になってる自分がいる。
2005/07/29
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再挑戦です。でも、後から書き直すか、書き足すと思います。まだ全てを書ききったわけではないし、全てを消化したわけでもないからです。監督/脚本:ウディ・アレン 主演:ショーン・ペンウディ・アレンは始め、主役のエメットを自分が演ずることを念頭に脚本を書いたらしい。しかし、それを断念した。コメディとしてならばこの役を十分に演じきれるが、それではエメットにはならないと判断したからだ。それをショーン・ペンは見事に演じきった。この作品では、どの役者の演技も素晴らしい。それはエキストラにまでも及ぶ。その素晴らしさをシーンごとに挙げていくことは、冗長になるのでやめておく。しかし、これだけの演技をしておきながらサマンサ・モートンが助演女優賞を取れなかったことが不思議で仕方ない。よほど「十七歳のカルテ」のジュリア・ロバーツがうまかったのだろうか。今度見てみようと思う。話がずれた、元に戻そう。さて、この作品のテーマとはなんだったのだろうか。それは「感情」なのだろう。エメットはハッティ以外の交際していた全ての(といっても二人だが)女性に感情を表に出さないことを指摘されていた。感情を発露できるようになれば、演奏に更なる磨きがかかるようになると。しかし、それをエメットは出来なかった。天才であることの自覚とそれに伴うコンプレックスが、彼にそうさせなかったのだろう。しかし最終的に、彼の感情を開放したのは、皮肉にも彼への忠告を与えなかった(与えられなかったとも言えるかもしれないが)ハッティであった。感情の発露とは何だろうか。感情を表に出すとは、具体的にどのようなことを指し示すのだろうか。表情、振る舞い、涙、それには多々あるが、直接的かつ明確に僕たちが判断することが出来るのが言葉だ。人は言葉という道具を用いて、容易に感情を表現することが出来る。(感情論という学問は言葉で表した感情を厳密には感情としないというが、そのことは今は考えないことにする。)しかし、ハッティは言葉が使えない。その代わり表情や行動として表れるわけであるが、やはりそこには感情の抑圧の具現化が混在しているはずだ。一方エメットは言葉は使えるものの、素直に感情を表現できない。表情や行動にも感情の発露はみられない。その抑圧の具現化は、彼のギターの音色に出る。ハッティはそれを敏感に感じ取った。だからこそ、初めての夜に彼女はその音色に動きを止めざるを得ないのだし、エメットを愛するようにもなるのである。彼らは似たもの同士だったのだ。そのことを二人が、特にエメットが気付くはずも無い。無意識のうちに感づいていたとしても、逃げ出しただろう。天才とは束縛されてはいけないというのが彼の持論だったのだから。そして、実際逃げ出した。突然の結婚もまた、その逃走の一環だったのだろう。自らを結婚という枠に縛ることによって、ハッティから逃げ、自分が本当の意味で束縛されてしまうことを避けたのだ。そう考えると、忌み嫌っていた結婚という行為を彼が積極的に行ったということも納得がいく。しかし、結婚した時にはもう遅かった。彼は知らないうちにハッティへの愛を胸に抱え込んでしまっていた。それゆえ、結婚生活がうまく行くはずもなく、ハッティの元へ舞い戻ることになる。これは感情の開放の兆しと考えることも出来る。彼は自らの愛に従ったのだ。ところが、その愛は実らない。彼女には、もうすでに夫がいる。ここでは、彼女の顔は映らない。つまり、僕たちは何の感情も彼女から感じ取れないのだ。そこには感情がほころび始めた男と、感情が見られない女との対比が見られる。ヒビが入ったダムを崩すのは簡単だ。ハッティへの愛の執着は、それをなすには十分すぎるほどだった。ギターを弾いている時、彼の感情は爆発的に表象化する。そして、ギターという抑圧を破壊するのだ。そこで彼が本当の天才となるための補完がなされたのである。感情を表に出せることが出来るようになった彼の演奏は円熟味を増す。彼に関する最後の挿話だ。コンプレックスを持ち続けた相手、ジャンゴ・ラインハルトの高みへ、彼はギターを壊すことで、ギターの本当の高みへと登りつめることが出来たのだ。
2005/07/28
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渋谷のセンター街にあるカレー屋があります。インドの本場仕込みのカレーで、味がいい。でてくるナンもいつも焼き立てで、アツアツです。その店の従業員に、あるインド人の方がいます。彼は客引きのため、いつも店の前で1人立っています。便宜上、彼を容姿から判断して「ムトゥ」と呼ぶことにしましょう。ムトゥはいつもその場所に立っています。遠い異国に出稼ぎに来たのでしょうか。日本文化に魅入られたのでしょうか。それはわかりません。ですが、日本にいるところから考えると、日本嫌いなんてことは無いでしょう。しかし、世間の風はムトゥに冷たく吹きます。センター街という、絶好の立地条件にある店にもかかわらず客足はなかなか伸びないようです。狭い店内でありながら、夕食時でも空席が目立つほどです。そして、ムトゥが客寄せに店の前に出てきます。それでも客はなかなか来ません。必然的に、ムトゥの顔も険しくなってきます。「ニホンジンは外国人につめたいネ。」ムトゥは腕を組んで虚空をにらみます。祖国のことを思い出しているのかもしれません。ムトゥの眉間のしわは深まるばかりです。昔はこうじゃなかった。彼には希望があった。夢があった。祖国の味を日本で食べてもらおう、みんなに喜んでもらおう。そう思って、遠き異国までやってきたわけです。小さい頃、母に言われた言葉を思い出します。「もし私たちが離れ離れになったとしても、空を見上げれば星が見えるでしょう? 遠く離れても、同じ星を見つめることが出来るのよ。」ムトゥは空を見上げます。ですがこの東京の空には、星なんて見えやしません。星に祈りを捧げることも出来ず、彼は俯きます。ムトゥ、君はがんばっている。君の努力は察するよ。でもね、ムトゥ。店に客が来ないのは、あなたが入り口にいるせいで誰も店に入れないからです。ええ、もうお察しのこととは思いますが、以前書いた店のことです。というわけで、今日も行ってきたわけですよ。だってうまいんだもの。でも、今日はこの前と違った。僕が入店した時にすでに5人の日本人が!カップル一組と、だいたひかるみたいなお姉さんと、おっさんがカレーを食べていたんです。僕は胸を撫で下ろして席に着きました。しばらくすると、カップルが席を立ち、だいたひかるも出て行きました。嫌な予感が頭をよぎります。先程も書いたように、この店にはめったに客が入ってきません。今この店には、客は僕とおっさんのただ二人。やられた。嫌な予感は、現実へと変貌していきます。待ってくれ、おっさん。このほうれん草とマッシュルームのカレーを食べ終わるまで、もう少しでいい待っていてくれ。しかし、焦れば焦るほどカレーの熱さが僕の舌を焼きます。これでは、この前と同じ展開になってしまうじゃあないか。「ごちそうさま。」僕の思いも虚しく、おっさんは無情にも店を出て行きました。そして、残された僕。周りには店の従業員たち。そうか、そうだったのか!僕は、まんまと騙されたわけだ。初めに日本人を配置しておくことで僕に安心感を与えておいて、後からまた僕のことをインドへと引きずり込むつもりだったんだな。僕の頭上を異国の言葉が飛び交う。吸った空気までもがインドのもののように感ぜられる。ここは、インドだ。どうしても認めざるを得ない、ここはインドなんだ。このためだったのか。このために店の前にいたんだな、ナトゥ。君までが僕のことを裏切ったんだな。今日は僕の負けだ。大人しく、カレーを食べて帰ることにしよう。でも、次こそは!そう胸に誓い、店を後にするのでした。参考「国旗はためく元に」「でも、味はいい。」
2005/07/28
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今日は「第三の男」を観たんです。そうです、あの名作と誉れ高い映画です。たしかに、名作だなと思いました。でもね、素直に楽しめなかった。いつものようにTUTAYAで借りてきたDVDで観たんですね。でも、古い映画なのでDVDなんてあるはずが無い。となるはずなんですが、さる日本の映画界の重鎮みたいな人が選んだ名作百選みたいなのでDVD化されてたんですよ。とてもありがたい。そのさる重鎮とは、淀川長治さん。僕は誰だか知らないのですが、有名な人らしいです。というわけで、この人に軽く感謝なぞしつつ、観はじめたんですね。再生すると、まず淀川長治さんが登場。この映画の解説を始めました。なんだかすごい人らしいから、聞いておくかなと思いまして、素直に聞いていたんですよ。はっきり言って、何言ってるのか聞き取れなかったんですけどね。でもどうやら、この映画のあらすじを話しているらしい。以下、話していたことを要約。「主人公は友人に会いにウィーンに行きます。」「ですが、その友人は死んでいた。」へ~、そうなんですか。そういう話なんですね。「その友人の葬式にも参列します。」「ところが、実はその友人は生きていた。」生きてたんだ~。っていうか、そんな驚愕の新事実をここでばらしちゃっていいんですか?「でも、最終的には本当に死んでしまうんですね。」この人ラストまで言っちゃったよ。何ですか、これは?どうして見る直前にネタバラシされてるんですか?しかも、再生したら本編の前にこの解説があるって、強制的に見なきゃいけないじゃないですか。これは、新手のいじめなんですか?淀川長治さんへの感謝の念も吹き飛んだ、そんな晴れた午後。
2005/07/27
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テレビがないので気付かなかったのですが、台風だったそうですね。新聞は読みますが、天気欄は読み飛ばすことが多いので。今日もTUTAYAへ返却するため渋谷に行ったのですが、下駄がとにかくすべる。下駄と地面は大丈夫なのですが、下駄と足が滑る。まず、雨の日に下駄を履くという判断がおかしいということに気付こうと思います。もうすぐテスト期間も終了し、富山へ一時里帰りということになります。予定では、8/2の早朝に出発です。予定としたのは、8/1にオールの飲み会が予定されているからです。でも、8/3からは富山での塾講師のバイトが入ってます。大学生なのに、このハードスケデュール。いや、大学生だからだな。更にこの夏には、自動車免許も取ってしまいたい。もちろんマニュアル。先輩方を見ていると、この夏に取らないと後々大変らしい。だから無理にでも取ろうと思います。え~と、久しぶりにすごく普通な日記を書いている気がします。今日はこのまま普通な一日を終われそうです。明日のドイツ語のテストが無勉だということを忘れさえすれば。誰か僕をチェコあたりに連れて行ってください。
2005/07/26
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今日は映画について書こうと思ったのですが、途中まで書いて納得がいかなかったので、消去してしまいました。難しいです。というわけで、HPを作成しておりました。概観は出来上がったので、あとはlogを移して、文章を少し書くだけです。完成間近!お披露目の日も近いです。その時は、どうぞよろしくお願いします。以前言ったように、この機会にHNも変えます。現在、考え中です。そして、サイト名も考え中です。区切りのいい日に開設したいので、8/1を目標にがんばっています。中身も充実できるよう、精進していくつもりです。自分で書いていて楽しい、人が見ても楽しめる、そんなHPがやっぱりいいですよね。さてと、明日は休みなので、映画を見つつ、ドイ語も勉強しようと思います。
2005/07/25
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今日は映画について。もちろんネタバレしています。監督:マーティン・スコセッシ 脚本:ポール・シュレイダー「Taxi Driver」が好きなので、見ました。知らない人のために言いますと、監督と脚本が同じ人なのです。映研の先輩がこの作品について、こう評していました。「邦題のつけ方が最悪だ。」かくしてこの作品を見た後、その言葉に賛同することになりました。確かに、この映画は救命士の話です。だからと言って、この邦題はあまりに短絡過ぎる。そのせいなのかどうなのかは知りませんが、どうやら多くの人がこの作品に対して酷評をしています。見るのがつらい、重い、ニコラス・ケイジが期待はずれ、脚本が最悪。「Taxi Driver」の出来の良さゆえの期待を裏切られた人もいるようです。ですが、果たして本当にそうでしょうか。結論から言うと、僕はこの作品を高く評価します。やはり、「Taxi Driver」の続編とまで言われるだけに、通ずるところは多々あります。舞台は大都会、日々の生活は主人公を蝕み、周囲の環境は絶望の影にただ深みを持たせるのみ。そして、独善的な正義が彼の精神を支配していく。幻想的でありながら、どこまでも現実的な光の渦の中にその過程が描き出されます。ただ、違うところが一つ。独善性が自己の枠を超え、爆発した後に何が残るのか。「Taxi Driver」では、その答えが僕には納得できませんでした。そもそもの独善の個人性が、公的に認められる形になってしまったからです。それはリアリティーを欠き、ベトナム戦争帰還兵である主人公にとって、自らの傷を深める結果であるはずなのです。もちろんそれが彼の空想の中の話で、スコセッシがベトナム戦争におけるアメリカの言動を暗に批判していた可能性もあります。ですが、どちらにしろ彼の正義の結末としてはあまりに都合が良すぎる。一方、「Bring Out the Dead」(あえて原題を使わせてもらうわけですが)ではどうなのか。彼の正義は、救えない命のため、少しずつゆがんでいきます。そしてそれは焦りになり、目の前のメアリーを救おうとし、夜のニューヨークをアルコールを片手に駆け巡り、救えなかったローズの幻影に苦しむ。彼は自らの正義のありかを模索し、苦しむうちにやつれていく。以前は正義は彼とともにありました。命を救う度に、彼は自らを特別な存在であると認識できたのです。それが、今はできない。同僚の救命士を見るにつけても、正しいこととは何なのか、見失っていきます。彼が最後に辿り着いた結論が、苦しむものの命を絶つということでした。それはあまりに独善的な行為です。しかし、そうすることによって、彼はローズから許しを得ることが出来ました。それが彼が作り出した幻影だとしても。それは同時にメアリーからの許しでもあり、正義は再び彼の元に戻ったのです。全てが彼の個人的な結末です。自己完結に過ぎません。ですが、どの独善的な正義も最後はそこに行き着くのではないでしょうか。それが誰にも罰せられない限り、です。「Taxi Driver」で得られなかった結論が、この作品では得ることが出来た。その点で僕は、「Bring Out the Dead」を評価したい。辛い、重い、それは当たり前のことです。人間はどこかに必ず独善性を持っているのであり、それが無くて日々の生活を精神が耐えることは出来ません。それは無意識の心のうちに隠れているのであり、暴かれるのを拒みます。スコセッシはそれこそを描きたかった、そんな気が僕にはするのです。そしてニコラス・ケイジはそれを見事に演じきった。ただそれだけの話です。もしくは、エンタテイメントとは何かという議論になるのかもしれません。ニコラス・ケイジがコメディによく出るからといって、彼に常にコメディを求めるのは酷な話です。彼の柔軟な演技力は、多彩な役を作り上げられるのですから。命を救えない救命士の疲れは、顔に表れ、見ているものを悲痛にさせます。しかし、「Bring Out the Dead」死をもたらした者には、許しを得て、安らかな寝顔が見られるようになるのです。
2005/07/24
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引き続き、Jazzについて。今日はビリーホリデイです。彼女の歌声は、いつも僕を不思議な気持ちにさせる。当時、Jazzに携わる者の人生の多くは、決して幸福といえるものではなかった。麻薬に溺れ、酒に溺れ、黒人であればいわれの無い差別を受けることもあった。そういった人生の影は、大体において昇華され演奏に反映される。そして最後には、ミュージシャンとしても、人間としても、生命を縮めることになる。ビリーホリデイは、そんなJazz界においても最も過酷な運命を背負った人間の1人だった。10歳にして強姦され、14歳で売春の罪で逮捕されたというのは有名な話だ。彼女は他にも、貧困や人種差別、まともな教育も受けることはできなかった。彼女の人生については、自伝「奇妙な果実」に詳しい。残念ながら、僕はまだこの本を読めていないのだが。とにかく、現在の日本でのうのうと暮らしている僕にとって、彼女の少女時代の苦悩は計り知れない。しかし、彼女が僕に与える印象は悲痛なものではない。その上質な歌声は、安らぎさえも与えるのだ。ビリーホリデイを紹介する文章でよく用いられる表現がある。「彼女がスイングすれば、世界がスイングする。」全くもって、その通りだと思う。実際、彼女の歌を聴くたびに、世界が僕を乗せてスイングしていることをはっきりと感じることができる。その瞬間はとても心地いい。彼女の歌声は僕を包み込む。そして、世界を包み込む。それはさながら、大きなゆりかごのように。僕、或いは世界を安らかな眠りへと誘う。これは彼女が、自らの背負う宿命を歌に昇華したというだけでは説明しきれないものがあると思う。もちろん、そこに辿り着くまでには、彼女の中で様々な葛藤や想いが蠢いただろう。彼女はその先に、何を見つけ出したのか。何故、彼女は僕らの心に平安をもたらすのか。僕が想像するに、彼女は全てを許すことができるようになったのではないだろうか。運命を許し、世界を許し、自分自身を許すにいたったのだろう。彼女はそういう意味で、マグダラのマリアであると同時に、イエスにもなれたのだ。全ての罪や穢れは、彼女の前に意味を無くす。そして、彼女の歌声は今日も僕を不思議な気持ちにさせる。彼女の慈しみの前に、僕はあらゆる意味で自然にさせられる。僕を取り巻く世界もまた、自然になる。彼女を何かに例えるとしたら、僕は真っ先に"月"を挙げる。その光は、柔らかく、優しい。でも、月はいつか欠けてしまう。彼女の苦悩が、命を奪っていったように。
2005/07/23
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ちょっと、今日から数日、趣味の世界に走ってみようと思います。というのも、大学の情報処理の講義の課題として、HPを作らなければならないのです。そこに載せる文章として、あくまで自己満足のみを追及した文章をいくつか書き上げてみようと思うのです。ジャンルとしてはJazzと映画です。これを機会に、大学入学前から考えていたHP開設まで一気に行ってしまおうと考えています。ちなみに、HP開設と同時にHNも新しいのに変えてみようかなんて企んでいます。では、今日はJazzについて、とりわけ僕が一番好きなジャズマン、セロニアスモンクについて書こうと思います。書く前に断っておきたいのですが、この文章はあくまで主観的に、客観性をなるべく排することに努めながら記すものです。つまりは、書きたいように書くってことです。ですから、異論反論をもたれるかもしれませんが、馬鹿な奴もいるもんだなとあたたかな眼差しで軽蔑していてください。初めて見たとき、それはジャケットの写真だったのだけれど、彼の姿は僕に「高僧」という言葉を思い浮かばせた。もちろんそれは、彼の名前に起因するところもあったのかもしれない。けれども、彼の顔に刻まれた陰影は、視線の先にある自分自身とその内面に潜む闇そのものを象徴していた。今から思えば、それは彼の孤独だったのかもしれない。何者をも寄せ付けない彼が纏う静寂は、彼を蝕むとともに支えてもいたのだろう。かくして、その印象は間違っていなかった。彼のつむぎだす音楽は、内なる宇宙を引き出し、頭上にある空を狭めさせる。正直に言おう。僕は初め、彼が創り出す音を理解することができなかった。Jazzの入り口を彼としてしまった僕にとって、彼の音楽は無秩序な音の羅列に聞こえた。一つ一つの音の必然性を見出せなかったのだ。だが、そのときでさえ、彼は僕の中に何かを残していった。時とともに確信へと変わっていくものを。彼はいつも僕に、出口の無い迷宮を思わせる。高くそびえ立つ壁に挟まれた通路は、どこにも僕を運ばない。それは一見閉鎖された空間である。だが、それと同時に限りない広がりを持った、宇宙として現在しているのだ。迷宮は幻想であり、それゆえ崩しようが無い。迷宮の呪縛にあがき、宇宙の広さに恐怖する。それはつまり、人間の内面なのだ。セロニアスモンクは、彼独特の不協和音とリズムを用いることで、自らの内なる空間を、知覚可能なものとして再構築する。それはもちろん、彼が類稀なる天才であるからこそできることである。そこに起因する孤独もまた、彼が創り出す世界の重要なパーツ、或いは世界を包含するものとして現れてくるのだ。それを理解しかけてくると(もしかするとまだ全く理解はしていないのかもしれないけれど)、彼が世に送り出す一つ一つの音のアイデンティティーが、すんなりと僕の中に入ってきた。それらはそこにあるべきものであって、そこに無ければならないものだった。一つでも欠ければ、途端に世界は崩れていただろう。そこには完結と同時に、脆さがあった。彼のそんな世界についていくのは、例え名プレイヤーと呼ばれた者であっても、至難の技だったのではないだろうか。それでも、彼を中心としたコンボによってなされた名演は数多く残されている。中でも、僕はミルト・ジャクソンとの競演を秀逸と思う。ミルト・ジャクソン自体は、特別に高い評価を受けているところを見たことは無い。だが、彼のビブラフォンは、モンクの世界にしっかり寄り添っているように感じられる。しかし、やはりと言うべきなのだろうが、モンクのソロ演奏には、何者にも到達し得ない孤高の輝きがある。音は流れ、そして塞き止められ、決壊する。それは記憶と同じで、不確かであるが、残る。そして僕らは、記憶を自らの拠所とするのと丁度同じように、彼の音をつかもうとする。それはもちろん適わずに、僕らの手は空を切る。そうしているうちに、いつの間にか僕らは、彼の音楽が作る世界に包み込まれているのだ。
2005/07/22
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戦争に赴く軍隊に、人間は要らない。正確に相手を倒すための、戦力のみが必要なのだ。そのためには、兵隊は人間としてではなく、機械として存在しなければならない。感情やそれに類するものは、戦場では邪魔になるだけだ。この観点から「烏の北斗七星」を読むと、烏が巡洋艦や砲艦といった、無機質な戦艦に例えているところからもそのことが察せられる。兵隊であるということは、同時に兵器であることを求められるのだ。 ここで補足を加える。この物語では、烏が砲艦に例えられたり、大尉と呼ばれたりする。ここで我々は違和感を覚える。砲艦は戦艦を表すのに対し、大尉はその役職につく人間を指し示すはずだ。その違いはあまりにも大きいように思われる。しかし、宮沢賢治にとってその差は全くといっていいほど無かったのではないだろうか。つまり、大尉や艦隊長といった役職は、軍隊という組織の中で一つの機関として働くのであり、それゆえ人間として捉えられるのではない。つまりは機械と同じなのだ。 烏たちは、このような観点から、つまり呼称からのみ判断すれば、およそ人間味の無い、戦争の道具として描かれる。 しかし、これはあくまで呼称に限った話だ。宮沢賢治による広告文にもあるように、この物語は「戦ふものの内的感情」が書かれたものである。戦争の道具としての「戦ふもの」がもつ「内的感情」を表現するために、烏の呼称にわざと固有名詞を用いなかったのではないだろうか。動物がこの物語のように擬人的に表現される時、それぞれの動物は固有名詞を持ったとしても、なんら不思議はないはずである。烏に与えられた呼称は、「戦ふもの」であることを強調している。 宮沢賢治がこのような趣旨からこの物語を書いたことからもわかるように、いくら兵隊が機械たることを求められても、彼らが本質的に人間(この物語では烏であるが)であることは紛うことの無い事実であるので、そこには感情がある。感情があり、人間関係が構築され、軍の運営に支障をきたす。これが「烏の軍隊の不規律なところ」が生じてくる由縁だ。例えば「おしまひの二隻」が「いっしょに出発」したのは、その二隻が交友関係にあったからということも考えられる。そして「内的感情」を持つものの代表として宮沢賢治が選んだのが、婚約関係にある二羽の烏である。まず、二人は逢引のために点呼の時間を遅刻している。これは重大な軍規違反であり、一人の兵士が点呼の時間に遅れたため盧溝橋事件が発生したことからもわかるように(このことを宮沢賢治が知る由も無いが)大きく戦局を変える可能性を持つ行為である。もし烏の軍隊が機械に徹していたとすれば、このような事態は起こるはずも無い。その後、夜になり、二人にはそれぞれの感情が見られるようになる。戦地へ赴く者と、それを見送る者。どちらも戦死に対する不安を抱えているように見られる。これもまた、戦闘への支障に他ならない。戦時中の日本は、戦死こそを美徳とする教育がなされた。それゆえ、その不安を口にすることは禁じられていたし、何より当事者たちが戦死さえも望んで(望むフリをして)進んで戦地へ赴いたのである。それは犯すべからず暗黙の規律として、厳然と存在していた。これは明らかに当時の国策のなせる業であり、円滑な戦力の徴収を得るためのものであった。また更に言えば、この大尉は正義のありかを星に問うている。これも戦中の兵士にあってはならないことであり、士気にかかわる重要な問題である。戦時中の日本に関わらず、戦中にある国や部族は常に正義を自称するのだ。大監督が敵の烏の死骸を厚く葬ることを許していることからも、この烏の軍隊が正義を要している自覚が無いことは明確である。つまり、具体全体としての士気は、そう高くないと思われる。これは感情が妄信的な愛国を邪魔しているからに他ならない。 前述したように、敵への情が見られる節もある。戦闘において情が与える影響が、戦局に有利になることがありえようか。それは戦争という本質上、あり得ないことである。 さて、宮沢賢治は「烏の北斗七星」から何を伝えたかったのか。私はこう結論付けようと思う。彼は逆説的に、人間という生物は戦争という行為に決して適してはいないと示したかったのではないだろうか。人間が人間であるほど、そこには感情が生まれるのであり、兵器としての適正から遠ざかるのである。宮沢賢治にとって、自らの「内的感情」は、「戦ふもの」であることを拒絶したのではないだろうか。大学の日本文化論のテストで書いてきたことを再現してみました。そのテストは問題前バラシで、持ち込み可なので、当然のように答えを昨日のうちに考えてプリントアウトして試験会場に持ち込みました。なので、細部を除いて大体復元できているはずです。どうせ書いたからってことで、アップしてみました。読んでもおもしろくともなんとも無いですね、すいません。
2005/07/22
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ネタバレしまくりです。(念の為)まあ、ネタバレしていても関係の無い類の映画だとは思うのですが。監督:パトリック・ブシテー 製作:リュックベッソン僕の持論として、映画に色は必要ありません。この映画もまた、その持論を助長するものでした。ちなみにその際たるものが、「ペーパームーン」だと思っています。(そして、1番好きな映画も「ペーパームーン」だったりする。)どうしようもないろくでなし、デデ。妹夫婦の家に寄生し、職にも着かず、酒に溺れ、盗みを繰り返し、ジミヘンに狂いながらも楽団としての練習は一切せず、いい女を見つけては付回す。いつでも下品な笑いを顔に浮かべています。その行動は予測不可能。人の女に、男の目の前で後ろからキスマークをつけるために襲い掛かります。一見、主人公はこのデデだと見えるのですが、僕には本当の主役はシモンではなかったのだろうかと思います。職にも就き、定期的に叔母さんのところへ通っては神父へのお使いをしたりもします。とても真っ当な人間です。何故デデと付き合っているのか、理解に苦しむぐらいです。実際、劇中でもデデと喧嘩をして決別するシーンもあります。現実にあれば、誰もがこう忠告するでしょう。「もうデデに関わるな。あんたにとって、何の特にもなりゃしない。」(しかし劇中には、幸か不幸かそんな忠告をされることは無かったのですが。)しかし、それでも彼はデデとの関係を回復するため、わざわざお土産まで用意して、或いは盗みまで働こうとして彼の元へ赴きます。シモンはデデとの関係をどうしても断ち切れずにいるのです。そこには何があるのか。僕が思うに、そこには一種の憧憬が潜んでいるのではないでしょうか。何のしがらみもなしに生きるデデに対し、シモンは自分に無いものを見ているのです。そして、人魚です。彼女の存在は彼にとってなんだったのか。デデにとってはそれはただの肉の塊であり、また途中からは快楽の道具でしかありませんでした。だからこそ、シモンはデデがその言葉を口にするたびに逆上し、憤ったのではないでしょうか。シモンにとっての人魚、つまり死とは。彼は彼女を愛しているとはっきりと言っています。そして、娼婦とさえ形容していました。別に娼婦という職業を美化するつもりはありませんが(また蔑むつもりもありませんが)、彼にとっての娼婦とは、彼を特別な地点に追いやる存在だったのだろうと思います。それは海であり、月だったのです。だからこそシモンは、月夜の海でのデデの呼びかけに応じなかった。そして彼は人魚を海へと還した。それは必然的な行為でした。自らと交わった人魚を海へと還すことで、自分を縛るものを一瞬でもほぐしたのではないでしょうか。それは彼の中での神聖なる儀式だったのです。この人魚は、時間軸的には過去の話になりますが、物語の最後に位置づけられている。だから、シモンにとっての最終的な結論だと考えるほうが僕には自然に思われるのです。
2005/07/21
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普段、僕らが暮らしているのは、慣れ親しんだ日常だ。目に見えるものは全て見知ったものだし、習慣的な生活は僕らに安心感を与えてくれる。でも、ちょっと周りを見渡してみてほしい。僕らの知らない異世界は、案外身近に潜んでいるかもしれない。それは、僕が渋谷に新しくできたカレー屋に入った時のことだ。何気なく足を踏み入れた瞬間、僕は強い違和感を覚えた。店内を見回してみる。日本人が、いない。客も、ウェイターも、コックも、みんなインド人だった。僕は思った。「しまった。ここはきっと、インド人専門の店なんだ。 日本人は入ってはいけなかったんだ。 いや、むしろここは日本じゃなくて、インドなのかもしれない。 渋谷に突然インドが出現したんだ。」一瞬、逃げ出そうと振り返る。しかし、入り口はすでに店員に押さえられている。僕はここから逃げることすら許されないんだ。仕方なく、おとなしく座る。店員たちが何事かを話しながら僕の事を見ている。僕はチキンカレーをうつむきながら食べている。ここから早く逃げ出したい。焦れば焦るほど、カレーの熱さが僕の舌を焼く。静寂の中、スプーンの音だけが時を刻む。僕の周りを、インドからの視線が包む。そのとき、店の扉が開いた。新たなグループが店に入ってきた。「日本人だ!」僕は心の中で喜んだ。やっと仲間ができた。これで日本も領土が広がるはずだ。インドよ、日本を甘く見たな。我々が本気を出せば、チキンカレーなんてぺろりなのだよ。そう、思った。韓国人だった。
2005/07/20
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って、こんな時間にこんなこと(下のやつね)書いてる場合じゃなかった。「スポーツ身体運動」のレポート、明日までっていうか、もう今日までだった。現在時刻3:42何考えてんだ?まだ一文字も書いてないよ。なんだよ、「体作り」って。何書けっていうんだよ?(長い沈黙の後)やばい、全然思い浮かばないぞ?恐ろしく思いつかないぞ?こういう無駄なことをつらつらと書くのは得意なはずだったのに・・・。まあ、分野的に最も苦手とする分野ではあるのだけれど。ああ、これ単位落としたらまずいんじゃないか?来年、1年生に混じってバレーとか嫌だぞ?そんなことするぐらいなら、ひきこもるぞ?うわ、びっくりした。なんかこの日記、大学生っぽい。
2005/07/19
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今日も今日とて、渋谷の裏道を歩いていたんですよね。試験期間だというのに。しかも、1人で。下駄はいて。あ、ちなみに渋谷を下駄で闊歩している田舎者がいたら、それは僕です。で、僕の前を一組の母娘連れが歩いていたんですよ。見た目まだ若いお母さん。娘さんのほうは小学校2年生ぐらいでしょうか。「あのね、今日学校でね。」渋谷のこんな日もささないような裏道にも、日常というものは静かにたたずんでいるんだな。そんな風にほほえましく思ったものです。でも、そんな見方は僕の自分勝手なものだったし、日常なんて崩すためにあるのかもしれない。ルーティンワークは人を少しずつダメにしていくか、ゆっくりと味わいを持たせるかのどちらかだ。それはちょうど、腐敗と発酵が紙一重であるように。そしてその過程に耐えられなかった人がダメになっていくのだし、そこから逃げ出そうと誤った方向へ進んでいく。そのときには自らと現実社会の間にひずみを残していく。ちょっとかっこよく書いてみたけど(かっこよく書けてないけど)、つまりはその母娘の行動に僕は遙か銀河系の彼方を見たわけです。土屋アンナなんかより、よっぽど衝撃的だった。いや、彼女たちは極自然に、普通に歩いていたんです。確かに場所的には、母娘の愛を深めるのにそぐわしい場所だとは、言いがたかったでしょう。それでも、彼女たちは理想的な母娘に見えた。少なくとも、僕の目には。わからない。どうしても、わからない。何故手をつないで、恋人同士が愛を深める場所に入っていったのか。つまり具体的に言うと、精神と肉体が時を刻む場所に。平たく言うと、ラブホテルに。抽象的に言ってお茶を濁そうと思ったら、よけいに生々しくなってびっくりした。初めからそのままで言えばよかった。僕がいろいろな妄想を止められなかったのを、誰が攻められるだろうか。
2005/07/19
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ミッキーマウスと、ミニーマウスと、土屋アンナを見てきました。ごめんなさい、本当は映画の試写会に行ってきたんです。いや、でもあえて土屋アンナを見に行ったと言ってしまいたい。それぐらいの権利を僕にくれたっていいと思う。はっきり言って、映画のほうには何の期待もしていなかった。だって、あきらかにでずにーっぽい映画だったから。しかも吹き替え。もし懸賞に当選しなかったら、絶対に見なかったと思う。っていうか、当選したけど行く気もなかったから、誰かに譲ろうとした。そして運良く、先輩が引き取り手になってくれた。ところが先輩が裏工作に失敗して、つまりは女の子を誘ったのに失敗して、結局僕と行くことになった。でずにー映画に男二人で突入。周り、家族連れとカップルで固められ、女二人連れ少々。恐らく、男二人連れオンリーは僕らだけだったんじゃないかと思う。いや、そんな目で見つめないでください。違うんです。僕たちはホモじゃない。決して、ホモセクシャルではないんです。そ、そう・・・。そうだ、僕たちは土屋アンナを見に来たんですよ。吹き替え版の主人公の声をやってる、土屋アンナを見るために来たんですよ。僕たちは土屋アンナのファンなんです。だから、ホモなんかじゃないんです。そんなことを言いたくなるってもんです。で、舞台挨拶に土屋アンナが出てきた。誰かが裏で脚本書いてんだろうなぁってことを喋って、帰っていった。そのあと、でずにー映画なのでミッキーマウスとミニーマウスがでてきた。土屋アンナのときより、歓声が大きかった気がする。親子連れが多そうだから仕方ないか。でも、相手は土屋アンナだぞ?あなた方、少し間違ってはいやがりませんかと問いただしたい気持ちが溢れていた。愛が溢れて頬をつたった。うん、最後のは関係ない。ちなみに、ミニーマウスのほうが土屋アンナよりも足が細かった。並んで立っている時に凝視してやったから間違いない。ミニーマウスはめちゃくちゃ足が細かった。ところで、土屋アンナって誰ですか?
2005/07/18
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「トンネルを抜けると、そこは不思議な街でした。」ご存知の通り、ジブリの千と千尋の神隠しの広告文ですね。千尋一家が引越しの途中、森の中の道に迷い込み、そこで見つけたトンネルを抜けると、不思議な街、神々がすむ世界に入り込んでしまいました。そこで豚にされてしまう両親。途方に暮れる千尋。両親をもとの姿に戻すため、千尋の冒険が始まります。まずは王様に挨拶をします。城に行くまではスライムなんかのザコ敵しか出ないので、死ぬことは無いでしょう。そして王様に通行手形をもらい、本格的な冒険が始まります。次々と襲い掛かるモンスター。新しい仲間との出会い。ライバルとの宿命の対決。ついには天馬の馬車に乗り込み、決戦の地へ。迫りくる時。想像を絶する闇。そして、愛。まあ、そんな映画なわけです。何故こんな話題を引っ張り出してきたかというと、僕の周りでも似たような状況が起こっているからなんです。「住んでみると、そこは不思議な街でした。」うん、ありえない。本当にありえない。実にありえない。まともな生活をさせてほしい。まず、僕が今住んでいる町には、忍者がいます。彼は首からメダルを提げ、今日も橋の下で町の安全を見守っています。この前コンビニに行こうと思って歩いていると、どこからか芳ばしい匂いがしてきます。その発生源を確かめに行くと、ある家の前にたどり着きました。何故か送り火をたいていました。茄子で作った馬も置いてありました。今って、まだ7月ですよね?それ、どんな宗教なんですか?そしてお隣さん。多くを語ると本当にやばそうなので、一つだけ。日中、部屋に誰もいないようなのに(夜もいない。いつ帰ってきてるんだ?)室外機が回りっぱなし。つまり、クーラーつけっぱなし。何故?もしかして、生き物でも飼っているのか?クーラーをつけ続けなければいけない生き物・・・。ペンギンか?ペンギンなのか?ペンギンを飼っているというのか?僕の隣の部屋では今まさに、ペンギンがヨチヨチと歩き回っているのか?海を夢見ているのか?それとももしかして、暖房なのか?ということは、ラクダか?ラクダがいるのか?僕の隣の部屋では今まさに、ラクダがのそのそと歩き回っているのか?砂漠を夢見ているのか?一体なんなんだこの街は。何でマックが午後8時に閉まるんだ?何でコンビニが24時間営業じゃないんだ?猫たちのこの無防備さは何だ?どうして道端で仰向けに寝ているんだ?それとこの前、でかい蛙が道の真ん中にいた。ちょっとかわいかった。萌え。
2005/07/17
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一昨日も昨日も更新しようかと思ったんですがね。まあ、諸事情により更新できなかったわけです。その諸事情についてでも書きます。まず、一昨日。とりあえず、撮影があったんですね。なんのって、映画の。なんでって、映研だから。はい、大分前にも書きましたが、僕は映画研究会に所属しているんです。なんでって、ノリで。ノリで部活動を決めるのは僕の癖みたいです。中学校の時の卓球部もそうでしたし、そういえば、コーラス部なんてのにもノリで入ってみました。どうせノリですから、すぐに行かなくなるんですよね。実際、どちらも長続きしませんでした。高校のときは、ESSと山岳部でした。ESSはノリじゃありませんでしたけどね。でも、部員が女子ばかりで、結局あまり行かなかった。山岳部もノリで入ったわけですが、インターハイでちょっくら長崎に行くなんて事もありました。今でも消し去りたい、いい思い出です。で、撮影の話に戻ります。その映画なんですが、僕が監督なんてしちゃってるんですよ、1年生のくせに。まあ、僕が監督なんてしちゃってるものですから、一辺の曇りも無い青春純愛映画が出来上がるわけです。もうそのピュアさ加減といったら、雨の日に段ボール箱の中で鼻を鳴らす子犬にも匹敵する。この感動は、クララが立った時にも匹敵する。なんてったって、納豆を頭に乗せた男が「渋谷の夜をウハウハしようぜ」なんてのたまうのだから。水鉄砲に味噌汁詰めて、人に向かって撃ちまくるのだから。何の話だっけ?そうか、更新できなかった理由か。その撮影が長引きまして、大学の近くの店が全部閉まっちゃったんですね。でも、みんなまだ夕食が済んでいない。じゃあ、仕方が無い、弁当買って家に来ませんかって話になったんです。撮影に協力していただいたわけですし、それぐらいのことはしなけりゃです。というわけで、コンビニに弁当を買いに行きました。弁当を買いに行ったんです。なのに、何故か先輩の手にはチューハイが。いや、いいんですよ。最近先輩(×2)はつらいことがいっぱいあったらしくて、アルコールとニコチンが体内に無いと、自分の重みにつぶれてしまいそうな勢いなんですから。それにこの冷蔵庫に眠る酒類を処理してくださるなら、こんな嬉しい話はありません。でもね、いや接続詞がおかしいな。そのはずなのにね、何故か冷蔵庫の中のアルコールが増えてる気がするんですが?とにかくそんなわけで、その日はそのままオール。次の日の昼頃、先輩たちと一緒に大学に向かったわけです。本当は1限から講義があったけど。そして、日記は更新されませんでした。昨日。簡単に言うと、映画を見に行ってました。レイトショーってやつです。映画館童貞約4年分を捨ててまいりました。最後の相手は千尋でございました。なんか生々しく聴こえるから嫌ですね。童貞を破った相手は、トニー滝谷でした。ホモっぽく聴こえるから嫌ですね。以前に「トニー滝谷」を見たいけど見られないって話を書きました。やっと念願が叶ったわけです。批評は、非常に面倒くさいのでしません。音楽と映像と服は良かったです。後はノーコメントで。それで、疲れたため、そのまま睡眠、更新せず。今日に至るわけです。この前の日記、読み返しましたが、そんなに長く無かったですね。つまらないものは長く感じるってことで、長く感じるってだけです。うん、なんか今思い出した。僕ってば、アレルギー持ちな、病弱で可憐な少年なんですね。サナトリウムなんかで、窓から枯葉を見つめながら黄昏ちゃうような美少年といっても過言ではない。たぶん明日あたりには、カゴにいっぱいの花を詰めて、目がくりくりした少女がお見舞いに来るに違いない。シャイな僕はついつい追い返しちゃうかもしれない。でも、彼女は毎日お見舞いに来る。そのうち僕も心を開く。二人でこっそり療養所を抜け出して、緑の草原を散歩したり。でもある日、僕の様態が急変する。病室にも入れてもらえない彼女。医者が出てきて一言、「今晩が峠ですね。」彼女は一晩中、彼の手を握り続ける。不安、恐怖、そして希望。祈りが、頬をつたって流れ落ちる。翌朝、まどろみの中にいた彼女は、一つの呼びかけに目を覚ます。「おはよう。」それは、聞きなれた彼の声だった。それぐらいにアレルギーな僕は、あまりの鼻水の出っぷりに鼻紙が手放せないわけです。いつでもポケットにティシューを。ただ中学生のあの日、僕は鼻紙を持ってくるのを忘れてしまった。都会だったら駅前に行けばいくらでももらえますけど、田舎だと全く配られていないことが多々あるんですね。それで仕方なく、コンビニに買いに行ったんです。出先ですから、ポケットティッシュなるものを余は所望しました。ボックスティッシュなんて持ち歩くほどの勇気はシャイな僕にはありませんから。で、さがすわけです。でも、なかなか無い。やっとそれらしきものを発見してレジへと持って行きました。よく見ると、「多い日も安心」って書いてありました。そうか、今日は確かに鼻水が多くでてるぞ。こんな僕にはピッタリじゃないか。世の中は便利になったもんだと思いました。よく見ると、「横漏れガード」って書いてありました。そうか、最近は、大量の鼻水でも横から漏れて手についちゃうなんて不快なことはないんだな。世の中は便利になったものだなと思いました。よく見ると、「夜まで安心」って書いてありました。そうか、夜まで安心して使えるんだな。世の中は便利になったものだなと思いました。そして、レジの直前でUターンして、何事も無かったように商品を棚に戻しました。
2005/06/25
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うん、やばい。どれぐらいやばいって、血痰吐くぐらいやばい。うん、やばい。どれぐらいやばいって、部屋に衆議院議員から色紙が3枚届くぐらいやばい。うん、やばい。どれぐらいやばいって、先週飲み会が5件入ってたのに、スケジュール帳では4日しか埋まってないことになってるぐらいやばい。(つまり、1日に2回の日があった)うん、やばい。どれぐらいやばいって、そのうち3回がオールだったってぐらいやばい。うん、やばい。どれぐらいやばいって、そのオールが、火曜、水曜、土曜にあったってぐらいやばい。うん、やばい。どれぐらいやばいって、1人暮らしのくせに今冷蔵庫に、ビール2缶、チューハイ6缶、焼酎1ビン、ウイスキー1ビン入ってるぐらいにやばい。うん、やばい。どれぐらいやばいって、TUTAYAに週2で通ってるぐらいやばい。うん、やばい。どれぐらいやばいって、ある事情から仕方なかったとはいえ、意に反していたとはいえ、ネットで「女心」をググってたぐらいにやばい。うん、やばい。どれぐらいやばいって、先輩の頭に納豆を取り付けて、喜んでたぐらいにやばい。うん、やばい。どれぐらいやばいって、「どうだい?今度俺っちと、真夜中の海岸線をラ~ンデヴーしないかい?二人の未来について、大いに語り合おうじゃないか。」って言ってたぐらいにやばい。うん、やばい。どれぐらいやばいって、上記のセリフを先輩に無理やり言わせて、恨みを買っちゃったってぐらいやばい。うん、やばい。どれぐらいやばいって、これらが全てまぎれも無い事実だってことが一番やばい。とまあ、普段ならここで終わるところですが、今日はそうはいきません。この「日記」という単語の意味をなめてるんじゃないかってほどの更新頻度の低さをカバーするかのように、今日は書いて書いて、牡蠣鍋が食いたい。いや、嘘だ、あんまり食べたくない。どちらかというと、讃岐うどんが食いたい。しかも本場の。うどんはいい、心を和やかにしてくれる。ラーメンだとこうはいかない。もちろん僕もかろうじて日本人ですから、ラーメン大好きです。初対面の人でも、もしその人がラーメン好きなら、ラーメンだけで10分は持たせる自信がある。10分てとこが、リアルで、いかに僕が正直で好青年かが現れているところ。こんな純朴で瞳の美しい青年が嘘をつくはずが無い。僕の純粋さは、渋谷駅の前で待ち続けた忠犬ハチ公にも匹敵するかもしれない。そんなうどんだが、東京でだって食える。しかも、他のものより安く食える。こんな物価が馬鹿高い、花の都大東京。薄っぺらいボストンバックも持たずに、東にある渋谷へ向かった。するとそこには、「はなまるうどん」をはじめとして、うどんディスカウント店がそこら中に。でもね、正直おすすめしない。東京来たなら「そば」ですよ、そば。安いし、うまい。えと、こんなダラダラ出続けてしまってもいいのでしょうか。いいんだよ、ベイベー。君はそんな心配しなくてもいいのさ、うぉんちゅー。君の望むとおりにすればいいのさ、にーぢゅー。書きたいように書けってことさ、ぎゅーにゅー。時間ならいくらでもあります。たぶん。試験というものを心頭滅却火もまた涼しと忘れれば。そして、実際書くまで忘れていた。ああ、それが大学生。そういえば、母校の高校のホームページに、この前あった同窓会の写真がアップされていたのですが、それに僕の姿が映っているのは気のせいですよね?っていうか、気のせいじゃありませんね。冗談抜きで肖像権の侵害で訴えようか考え中です。親から電話が来たんですよ?ふざけんなです。あのですね、君、そこ座りなさい。ほら、そこの座布団使っていいから。いや、そっちのふかふかのじゃなくて、薄っぺらいやつ。いいですか?1人暮らしっていうのはね、一言で言えば、「自由と自己責任に縛られつつ、夜にいきなり友達から電話があっても、親に気兼ねせずにパーッと行って、飲んで、そのままオールして、次の日大学で寝つぶれてることができる生活でもあり、ノーパン健康法をほんの一握りの勇気さえ持ち合わせれば、実践できちゃったりするんだよ」ってもんなんだよ。それを君、そんな親にも見られるかもしれないところに現在の僕の状況が克明に描かれている写真なんてものを置いちゃったら、どうなるかわからんのかね。それは君、かわいい女の子に、目の前で潤んだ目で見つめられながら、声にならない声、どこにも行かないため息をつかれた様なもんだよ。つかれてみたいさ、ああ。なに、足がしびれてきた。そうか。じゃあ、僕がつついてあげよう。ほ~れ、つんつん。今日気付いたけど、僕の女性のタイプは、「背筋が伸びてる女の子」です。そういう女の子を、年中無休、24時間いつでも受け付けています。こういうのは何フェチって言うんだろ?背筋フェチ?背骨フェチ?でも、フェチってほどでもないしなぁ。背筋見ても、興奮して鼻血ブーじゃないし。理科室の骨骨ロックを見ても、背骨に目は行かないし。どちらかというと、肩甲骨に目を奪われる。そうそう、TUTAYAに、「ホネツギマン」っていうDVDがあった。僕が今まで見たヒーローの中で、今まで「キカイダー」がダントツで気持ち悪かったけど、それを遙かに凌駕していた。パッケージ見ただけで引いた。ひるんで借りられなかった。しかも新品のコーナーにあった。いつの間に劇場公開したんだろうか。客は入ったんだろうか。必殺技はなんなのだろうか。きっと、体の調子が良くなる、悪者にも地球にも優しい技に違いない。で、これはまだ続けるのかい?僕がやらなければ誰がやるんだ?それは確かに、このまま白鳥山の山頂で、白い雲と残雪を眺めながら、下界を見おろして暮らすのも悪くはないかも知れないさ。うららかな午後には、静かな風が吹くだろう。でもな、それじゃあいけないんだ。僕のこの目は、耳は、口は、手は、足は、まだ死んじゃあいない。十分に動くし、僕のものであり続けている。だから、やらなければいけない。これは決別なんだ。何かの区切り無しでは、前にも、後ろにも進めないさ。そうだろう?とまあ、なんとなくかっこいいことを言ってみたかっただけなんだな。だから特に意味は無いんだな。むしろ、今日の日記(?)に意味を求めるだけ、ただの徒労に終わるんだな。裸の大賞なんだな。変換ミスしたんだな。裸の大賞ってなんかエロいな。できれば審査員やりたいな。もちろん女子部門の。冒頭でも書いたけどさ、血痰が出るんだよ。結核かもしれない。嘘だ。原因は咽喉だ。咽喉がすごく痛い。だから話したくない。そうなると、いろいろ不便だ。せっかくラジオの中で、ピストンさんがボケてくれてるのに、咽喉が痛くてつっこめない。ふみかに先を越されちまう。ああ、そうさ。僕はJ-waveリスナー。テレビ?そんな軟弱なもんは、セピア色の過去と一緒に、日本海に沈めてきたよ。霧のような雨の降る日にな、ふっ。あれは、独善的な青空が、頭上でさわやかな笑顔を振りまいている日だった。正確な時間まではちょっとわからないけれど、とにかく太陽が高いところでその光を地上に突き刺していた。僕は、カーテンの奥からそれを覗き込み、ベットの上で、気だるい体を投げ出していた。頭上をとんびが飛んでいる。ベビーカーの車輪がガラガラと鳴る。窓の向こうで歩く人の、一体どれだけが夜にともされる街灯の明かりを覚えているのだろうか。月影に踊る瞼の裏の暗闇は、今では店先のコーヒーの匂いに吸い込まれてしまった。ああ、隣の家から流れてくるのは、スティービーワンダーか。僕の水族館はどこに行ったんだろう。もしかしたら、これは徒然草を超えたかもしれない。心に浮かんだよしなしごとを、ただそこはかと書きなぐってるぞ?人が考えることの大半は、全くの無意味ということだ。靖国がどうした?映画俳優がけがしたからどうだ?ガードレールに何が刺さってたって?明日は曇る?雨?晴れ?雪が降ったっていいじゃないか?僕の今の一番の関心ごとは、台所で眠っているピーマンのことであって、新しく発見された大陸のことではない。戦争で何人死んだかも正確に記憶できないようなやつが、一時の感情でただ同情の目を注ぐな!汚く食い散らかして、平気で食い物を捨てて、テレビで流れる飢餓の映像を見て反省をするな!牛や豚や鳥や魚は食べるけど、鹿を撃つ映像を見るたびにかわいそうなんていうんじゃない!食われるために計算されて産み落とされた命と、自由に生きていたら急に食われるために殺された命のどちらがかわいそうなんて、そんな簡単に決め付けるな!とにかく、かわいそうという単語を使えばすむと思うな!かわいそうって言葉は、本当に使っていいときにしか使っちゃいけない言葉だ。かわいそうと言うなら、何かをしろ!動け!叫べ!この前「ショーシャンクの空に」を見たけど、そんなにおもしろくなかった。見た人は大抵、いい作品だって言ってるけど、そこまででもないと思う。同じキングの作品なら、「スタンド・バイ・ミー」のほうが、よっぽどおもしろかったと思う。あと、ゴダールはいいね。タランティーノも、意外に良かった。キルビルのイメージが強すぎたんだな。でも、やはり小津作品はすごいと思う。誰にも真似のできるもんじゃない。近くのラーメン屋に初めて食べに行ったら、アメリカまでスターウォーズ見に行ってやがった。しかも張り紙に、「今日はスターウォーズを見に行っているため、休みにします。明日からがんばります。」と書いてあった。スターウォーズにかける情熱が伝わってきたので、許してやることにした。この前店を覗いてみた。店主の顔が見えた。顔の割にはお茶目なおっさんだと思った。
2005/06/22
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夢を何かの形にするということは非常に難しい。今僕が話題にしているのは、寝ている間に見る夢のことだ。夢は他の誰でもない、自分が作り出したものだ。そこには誰の干渉も無い、自らの創造によってのみ補完された、完璧な世界だ。しかし完全な世界は、完成されているがゆえに崩れ去ることを前提としなければいけない。楼閣が元の砂粒に帰すのに、そう時間はかからない。夢は僕の中で、陽炎のように揺れ、青い空に立ち上っていく。それを引き止め、現実の世界に残すのは至難の技だ。でも、僕はそれをあえて試みようと思う。ただ忘れ去られるだけの世界なんて、あまりに寂しすぎる。ただ消え去るだけの世界なんて、あまりに綺麗過ぎる。僕は必死だった。とにかく、それをなさなければならなかった。それが僕の使命だった。周囲の人は僕に期待を惜しみなくぶつけてきた。僕はある部屋の中にいた。窓も無い、扉も無い、不思議な部屋だった。僕は気配を感じていた。人々が部屋を取り囲み、待っている気配を。僕が成し遂げるのを待っている気配を。僕は急がなければならない。もう少しなんだ、もう少しでできるんだ。でも・・・、これが・・・・、意外に・・・・・、あれ?ちょっと待ってよ。はみ出してる、はみ出してる。やっぱ剃んなきゃダメなのか?それはヤダなぁ。でもここに貼ってある張り紙に、剃ってる人の写真が載ってるしなぁ。・・・。・・・・・。まあ、いいか。このはみ出し具合もファッションの一部だろ。よし、みんなお待たせ!やっとふんどしがはけたよ!あっ、しまった!これドラえもん柄だった。夢判断 できるものなら やってみな
2005/06/01
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5月も終盤に差し掛かり、日々太陽がその光を強めつつある今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。僕はといえば、日記をサボって何をしていたかというと、6時に起こされて、1日中バナナを切らされたり、恐竜博に行って、その後先輩の家に行き、その後「駄菓子バー」で徹夜で駄菓子と酒で一晩を明かし、朝日に目を焼かれたり、渋谷のハチ公前で日本の宝くじ協会について熱く語るおっさんを横目に見ながら、大声を出してみたり、夜の公園で1人ビールを片手に月を眺め、散歩中の犬と交流を深めたり、渋谷で一番大きな本屋の絵本コーナーで、「はちこう」の絵本を立ち読みして涙ぐんでみたり、そんな日々を過ごしておりました。東京に来て一番行く街っていうのが、近いこともありやはり渋谷なんですね。渋谷に行けば大抵のものがありますし。渋谷ともなると、人が多い。富山の年に1度の一番大きな祭りよりも人口密度が高い気がする。人が多いと、必然的に変な人も目に付くようになります。例えば、「ヤマンバ」。そうです、いまだ生き残っていたんです。しかも週に1回ぐらい目撃します。いや、いいんですよ。いくら彼女たちが、街の景観を汚そうと、せっせと肌を荒らしていようと、周りに聴こえるようにダルがっていようと僕には何の関係もありません。勝手に世界文化遺産入りでも狙ってればいいじゃないですか。でもですね、これだけは耐えられない。奴らの匂いには。彼女たちの一角だけ獣の匂いが漂っているんです。公害です。もちろん、他にも変な人はいっぱいいます。インドの王様ライクな人、忍者、子なし子連れ狼ルック、交差点自己紹介男、僕はこんな人たちを横目で見ながら、世の中は素敵な出会いがあるもんだな思っていたわけです。ちなみに、そのときの僕はトイレのぼんてんを持って歩いていました。
2005/05/24
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復活2日目から、既に寝落ちして講義中に更新するはめになった裏部長です。ダメ人間に磨きがかかりっぱなしです。この日は映画を見ました。しかも、2本。以前にも書いたと思いますが、僕は映画に何の興味もありませんでした。実際、映画館にはここ3年ほど足を運んでいませんし、ビデオやで映画を借りてくるなんてこともありませんでした。ではなぜ、休日に映画を見ていたのか。それは、映画研究会に入ったからです。なんか響きがオタクっぽいですが、それはきっぱり否定しておきます。先輩はかっこいい人、美人な人ばかりです。というわけで、映画を撮ることになったんです。これまで映画なんてほとんど見てきませんでしたから、これからどんどん見ていこうという訳です。どうして映画に興味がないやつが映研なんて入っちゃってるんでしょうか///?時々、自分でも予想外のことをしでかすなぁ。新入生は5/28までに、3人一組で映画を一つ撮らなければならないらしいです。本当にできるのか?
2005/05/08
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さてと、久しぶりの日記です。なぜこれほどまでに無記入時期があったか。最後に書いた日記から、とっくに見えていたはずの自分の文才の底を思い知らされ、自己嫌悪の波に揺られていたのではないかと思われるかもしれません。全く違います。或いは、大学生活が始まり、講義の予習や復習に追われ、日記の更新もままならないほどに現実生活で充実した日々を送っていたと思われるかもしれません。全く違います。或いは、新しい環境に身をおき、新しい人々に出会い、つながる人間関係。そんな中、そっと咲いた一つの花、小さな恋の花。全く違います。(書いてて恥ずかしい。)或いは、5月が近づくにつれ、新しい環境の理不尽さに耐えられなくなり、新入生なら誰もがなってもおかしくない5月秒に精神を蝕まれていた。全く違います。結局、どうして記入がなかったかというと、毎日、飲んだくれて眠っちゃってたからです。しかも部屋で1人で・・・。なんてイタイんだろう。そして今日、ネットで知り合った方と、お嬢気質の変態さんと会い、最近日記書いていないねという話になったので、今日久しぶりに書いているわけです。実は今日もビール飲んで、一回寝ちゃってから無理やり起きて更新しているわけですが。ダメ人間でごめんなさい。今日は本当に楽しかったです。変態さんはともかく、美人のお姉さまにも会えましたし、ありえない時間に大学周辺の有名ラーメン店にもいけました。そうそう、今日言われたんですが、この日記読んでたら大学名、簡単にわかっちゃうらしいですね。恐るべし、東京人。もうばれてもいいや、面倒くさい。実生活でもなるべくさらさないようにしてるのに・・・。とにかく、今日からまた毎日更新を目指して行きたいと思います。
2005/05/07
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なんていうか、スランプ。日記にスランプも何もあったものじゃないと思うけど、書けない。何を書いていいのかわからない。何か書こうとしても、書いているうちに薄っぺらになってしまう。今までだってそうだったのかも知れないけれど、そのことに気付いてしまっただけなのかもしれないけど、ただ単に生活が少しずつ崩れてきているからなのかもしれない。とにかく寝れば、なんとかなっているだろう。
2005/04/24
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今日は、サークルが実際に活動しているところにほぼ飛び入りで見学に行ってきました。クラシックギターサークルなのですが、新歓コンサートでのあまりのかっこよさに圧倒されてしまいました。しかも演奏者のほとんどが、大学から始めたらしいのです。もちろん、それなりの練習量をこなしてこられたのでしょうが、とにかくいかっこいい。古典ギターなんて、「禁じられた遊び」ぐらいしか知りませんでしたし、楽器なんてリコーダーぐらいしか触ったことは無いのですが、かなり入る気になってきています。というわけで、今日は少しひかさせてもらいました。うん、全然できない。左手がつりそう・・・。頭悪いから運指が覚えられない・・・。でも、「グリーンスリーブス」だとか、「禁じられた遊び」だとかが自分で音を出せると、すごくうれしい。本当にちょっとだけで、しかもつっかかりまくりながらではありますが。さて、明日も飲み会です。そんなに酔ってなかったら、たぶん更新します。恐らくそんな自体はありえなさそうなので、たぶん更新しません。あさっては、二日酔いで馬と触れ合ってきます。
2005/04/21
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つまりは、昨日も酔ってたわけです。そして今日は、二日酔いだったわけです。ビールだけ飲んでりゃ二日酔いにならないんですが、焼酎飲むとダメみたいですね。なんだか最近、この大学に来て本当に良かったと思える講義が続いてます。もちろんその分、つまらない講義も聴かされるわけですが。確かにその分野にかけてはものすごくできる人なんだろうけど、人に教えることには長けているとはとてもじゃないが言えないような教授もゴロゴロいるわけです。大体が、どうして心理学の教授がスコットランド出身だってだけで学生に英語教えさせられてるんですか?そりゃ教授にやる気出せってのも無理な話ですよ。でも、彼の授業はそんなに悪くはなかったりもする。もっと悲惨なのが大量にあって、そういう講義に限って必須だったりするわけです。とりあえず、そういう講義は単位さえとることができれば、もうどうでもいいかと思ってます。試験対策のプリントに全てを任せよう。でも、おもしろい授業は本当におもしろい。少し話を聞くだけで、尊敬をいつの間にか抱いてしまうような教授も何人かいるわけです。そういう教授の講義を聴いていると、90分もの長い講義の時間も、あっという間に過ぎてしまうんです。・・・・。いや、それは言いすぎだな。やっぱり90分は長いよ。人間の集中力なんて、もって50分じゃないですか?こんだけ教授たちがいるんだから、一人ぐらいわかってくれる人がいてもよさそうなものなのだけれど。
2005/04/20
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はぁ・・・。もう、寝ます。
2005/04/18
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何故更新が滞っていたかというと、理由はただ一つです。連日酔っていた。実は未成年です。ごめんなさい。この前、生まれて初めて童顔だって言われました。ごめんなさい。更新されなかったら、酔いつぶれていると思ってもらってかまいません。昨日も、渋谷で飲みつぶれていたら、高校時代の友人と偶然会って、彼が家に泊まりに来てたりしてました。言い訳にもなっていませんね、ごめんなさい。え~と、ですね。本来なら先日の続きを書かなきゃいけないわけなんですが、書こうと思っていた人が、実は本当にやばい人なんじゃないかと思ってきて、書くのが怖くなってきました。というわけで、もうしばらく様子を見てから続きを書こうと思います。とりあえず、ものすごいところに住んでるらしいということがわかってきました。大学入ったら暇がいっぱいできると思っていたら、何かと忙しくて、本を読む暇もありません。あったとしても、講義関係で読みたい本が大量にあるので、受験期からとりおいていた本が全く読み進められません。でも将来に直接関わることだったりするので、そこは譲れなかったりします。なんにせよ、充実した大学生活が送れています。楽しいです。がんばれよ、浪人生。
2005/04/17
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ところで、僕が住んでいるところの話をしましょう。現在アパートで1人暮らしをしているわけですが、大学構内から歩いて30秒という、非常に恵まれた環境に住まわせてもらっています。近くにスーパーがないものの、大学に行けば生協があり、肉屋、八百屋も近くにあり、不自由することはありません。歩いていけば10分ほどで渋谷にもいけます。あれ?もしかしてこれで大学ばれちゃうのか?いや、大丈夫だと信じることにします。この辺りは大学多いし。ばれたらここを閉鎖して、どこかに高飛びしよう。アパートの前には桜の木があります。つい最近まで綺麗な花を、重たそうに咲かせていました。それは本当に見事な桜でした。そして、彼に出会ったのも、そんな桜が満開ではらはらと舞い落ちているときでした。と、ここまで振って明日につなげてみる。だって眠いんですもの。
2005/04/13
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すいません、また酔ってます。思い返してみると、室は今日はビールしか飲んでいません。ビールのおいしさに気付いてしまいました。うん、末期症状。ソフトドリンクさえ飲んでいないことに気付く。酔っ払いでごめんなさい。店を出て、道路の白線の上を歩こうとしたら、3歩と歩けませんでした。自分でも信じられないぐらいに真っ直ぐ歩けない。っていうか、キーボードもまともにうてない。もう勘弁してください。もう寝かせてください。
2005/04/12
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今日の情報処理の時間に、クラスで一番かわいい女の子が隣に座りました。しかもその座席は指定なので、これからもずっと変わりません。期待はいくらちゃんが正しい日本語を使い出すのを待つ以上に無駄だとはわかっていますが、やはりうれしい。目の保養。向こうから話しかけてきてくれました。でも、すいません、乗馬部には入るつもりはないんです。ああ、でもあの娘が馬に乗るのか・・・。乗ってる姿を見たら、本格的に惚れてしまいそうだ。やっぱり、入部はやめておこう。代わりと言っちゃなんですが、(以下自主規制
2005/04/11
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梅酒2杯でダウンしていた男が、1杯の量は少ないものの、焼酎10杯、ビール5杯+αを飲んで、1時間だけ寝て、その日の午後にまた花見とか言って、また飲んでたらしいよ。全く、馬鹿としか言いようがないね。そんな奴は、ごーとぅーへぶんだよ。すいません、僕のことです。
2005/04/10
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僕が何か特定のものを批判したり、蔑んだりしようとなんて思っていないことはわかってほしい。ただ、僕はそれをなすべきでなかった。そんなことをしても何の意味もなければ、何も生み出しはしない。どうしてそのことに気付かなかったのか。僕は文芸サークルに興味があった。あったんだから仕方ない。だから、説明も積極的に聞きに行った。だけれども・・・。そう、だけれどもなんだ。どうして僕は文芸サークルになんて入りたいと思ったんだろう。そのサークルに入って、僕はどうしようと思っていたのか。文章を書く。それを一つの冊子として、多くの人に見てもらう。文芸のことについて話し合い、互いに高めあう。そんな中に僕を見つける?いや、そうじゃない。僕はそんなことは求めていない。確かに、正直に言えば、人に認めてもらいたいという願望を強く持つ時期もあった。僕の中のいくつもの気泡。その一つ一つの世界は、いきいきとし、その姿を幾度も変えた。それを表現しさえすれば、何かを成し遂げられるような気がしていたし、なにものかにはなると妄信していた。でももちろん、そんな泡ははじけ飛び、跡も残さなかった。中には灰色に硬化して、湖の底に沈んでいくものもあった。僕だけが体育座りをして、水面を眺めている。正直になろう。今でもそんな真珠を引き上げさえすれば、何かを作り出せると思っている節はある。でも、今はそんなことはどうでもいい。本当にどうでもいいと言い切れる。僕は人に賞賛されたり、認められたいがために文章を書いてるんじゃない。書きたいという小さな炎が灯っているだけだ。文章を書いているといっても、何か形になるものを書いているわけではないけれど。だから、そんなサークルに入っても意味がないんだ。それならば全くの白紙の状態から、テナーサックスでも吹き始めたほうがよっぽどいい。わかっている。そのサークルが、人に認めてもらうことを第一に考えているわけではないことは。でも、僕は一人でいたい。一人でなければ、何も書けない。これから何か形になるものを創るかどうかとは別に、僕はそういたいんだ。孤独に原稿用紙に向かいたいと思う。
2005/04/07
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サークル勧誘とかされるです。アメフトとか、すごい勧誘をするです。空手部とか、犯罪としか思えない勧誘をするです。ダブルタッチとか、ジャグリングとか、心が痛むほどかっこいいです。ストリートダンスの休憩中のお姉さんが、クールすぎるです。危ないサークルもいっぱいあるです。危うく洗脳されそうになったです。ビルゲイツが何だというです。新歓期は奢ってもらえたりするです。明日からいっぱいおごってもらうつもりです。人がいっぱいいるです。演劇には興味ないって言ってるじゃないですかです。ヨットには興味ないって言ってるじゃないですかです。ところで、何故僕は一人で荷車を引く羽目になったですか?この人ごみの中を、こんな大きなもの持たされてどうしろというですか?ほら、野球部の人たちが迷惑そうな顔してるです。乗馬部のかんばんに傷つけちゃったです。アカペラはいいです。合唱も興味ないです。楽器なんて弾けないです。弁論なんてマニアックなもんは入らないです。数学だの、物理だの、何で授業以外に勉強せねばいかんです。ボランティアの救いの手は、僕に差し伸べてくださいです。そんなビラより、愛をくださいです。やっぱ東京はかわいい人多いです。デシシ。
2005/04/06
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辺りを散策してみました。二つの大きな公園が近くにあり、今は桜がその重たそうな白く縁取りされた枝を天にかかげています。その下にはというと、料理を詰め込んだ黒塗りの大きな弁当箱。アンズもまた、小さな白い花びらを敷き詰めます。花という花が、新しい季節に向かってその身を開きます。青空の中に舞うその姿を見ると、気付かぬうちに涙がにじむようでした。満開の花。そして、僕の全開の鼻。涙もどうやら、花粉症のせいだったみたいです。こんなオチですいません・・・。
2005/04/05
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談笑。唐揚げ越しの対話とでも呼ぼうか。他愛の無い笑い、どこかにほのかに残る遠慮。ふと、自分の中に残る孤独を見つける。笑みとともに受け答えはしているものの、僕の中では意味を成さない。孤独。孤独でなければできないこともある。ある特定の種類のことについて、熟考すること。井戸の中に沈みこみ、足元に広がる宇宙に身を投げ出すこと。そんなようなことの多くは、無用なものだ。人が生きていくうえで、多かれ少なかれ頼らざるを得ない社会という制度の中で、孤独ができることなんて何一つ無い。むしろ、自ら作り上げた小さな牢獄の中に閉じこもるような若き青年は、反社会者として指弾され、或いは同情の目を向けられる。孤独を恐れる。至極当然のことだ。誰もそれを攻めることはできやしない。そして意識してか、無意識のうちにか、救いを求め合う。不安に瞳を震わせながら。僕だけなのかもしれない。孤独を薄れさせるために目の前の相手の目を掘り下げているときに、自らの内なる新しい孤独に気付くのは。ウーロンハイの苦味が、喉を通り過ぎる。グラスの中の氷が、音を立てる。
2005/04/02
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まだかろうじて生きてます、裏部長です。はいそこ、舌打ちしない!!予想以上に忙しくて、PC開いてる暇もありませんでした。携帯で更新するのもめんどくさいので、放置していました。恐らく新居での電話開通に時間がかかる気がするので、また何日か放置しそうです。もし暇だったら、漫画喫茶からでも行進します。明日はついに引越しの日です。東京での新生活が始まります。そして6:45頃の電車に乗るため、5:30起きです。そして実は、まだ準備が終わってなかったりします。本当に大丈夫なのか!?
2005/03/24
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合格体験記を書く→塾の講師と雑談→写真館で写真の手配→買出し→料理→食す<料理>今日は豪華です。ちなみに、今日は姉不在のため、監視者もいませんでした。メニュー・白身魚のトウチ蒸し・豚肉とゆでレタスのゴマ風味・中華風卵スープ・白身魚のトウチ蒸しこれが実にうまい。ご飯にすごく合う。しかも簡単で、見栄えもいい。来客のときなんか、出してみるのもいいかもしれません。1.長ネギを3~4cmの長さに切り、縦4等分に切る。しょうがをせん切りにする。しょうがは洗ったあと、黒い部分だけを包丁で取り除くだけでいいらしいです。皮を全部むこうとしているところに、母親のストップがかかりました。2.耐熱容器に長ネギ、白身魚を順に並べ入れる。今回はタラを使いました。塩、コショウをしてしょうがを散らし、酒を振る。混ぜ合わせたトウチと醤油をかける。さて、ここで出てきましたトウチ。何のことだかわからなかった人、多いと思います。実際、僕も知りませんでした。どうやら中国の調味料の一つらしいです。トウチは売っていなくても、トウチジャンは売っていると思います。僕もそれを使いました。結構味が濃いので、使いすぎにはご注意を。他の料理にも使えます。野菜炒めに入れてもおいしそうですね。ふんわりラップをかけて、電子レンジで3分加熱する。ラップを外し、ごま油、醤油を混ぜ合わせたものをふりかけ、あれば香菜を散らす。香菜は今回、使いませんでした。でも使ったほうがおいしいような気がします。これで完成です。簡単です。そして、おいしいです。オススメです。・豚肉とレタスのゴマ風味これもいいです。レタスがしゃきしゃきします。1.レタスは手で大きめにちぎり、沸騰した湯にさっとくぐらせる程度に茹で、ザルにあげる。本当に湯がく程度でいいです。余熱で結構火が通ります。2.レタスを器に盛り、コショウを軽く振り、醤油とごま油をかける。はい、完成。これまた簡単。でも、うまい。・中華風卵スープ唯一、失敗作かも。というより、この料理自体が、あまりいいものじゃないんじゃないかと・・・。でも一応、紹介。1.器に溶き卵を入れておく。2.小なべに水、顆粒中華風だし、塩、コショウを入れて煮立たせる。3.器に注ぎ、アサツキを散らす。オススメしません。昨日より少し進歩したかな?でも、スープはあまりよくなかったから、★★★☆☆とします。
2005/03/16
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散髪→後輩に合格体験談を語る→スーツを作る→買出し→料理→食す→引越しの準備など<散髪>確かに、言いましたよ。スーツに似合う髪形にしてくださいと。でもね、何も坊ちゃん刈りにすることないじゃないですか。これじゃあ、小学生だよ。<合格体験談>一つの部屋に、合格者二人対後輩大勢という形でした。僕が行った部屋のもう1人の合格者が、僕が最も嫌いな奴だったので、全くやる気が出ませんでした。なので、後輩たちには、「受験に行ったら、ホテルで有料放送見るといいよ。」とか、「受験会場では、かわいい女の子を捜すのが先決だよ。」とか言ってきてやりました。<料理>というわけで、記念すべき第1回目の自炊。そして何故か初めてだというのに、グリーンカレー。姉に勝手にメニューを決められました。今はスーパーで何でも売っているので、思ったよりは楽です。では、作り方。ちなみに、分量とかは一切図っていません。全て目分量です。1.鶏もも肉、筍を一口大に切る。鶏って、すごく切りにくいということを知りました。姉のご教授によると、しっかりと押さえて、押し切るようにするといいみたいです。ナスはヘタをとり、縞目に皮をむいて、一口大に切り、水に浸しておく。味が良くしみこむようになるらしいです。2.鍋にサラダ油を熱し、中火で鶏もも肉を炒める。この時、鍋が十分に温まってから炒め始めたほうが、おいしくできるらしいです。肉の色が変わったら、筍と水を切ったナスを加えて炒め合わせる。僕はこの時、唐辛子などの香りがつくものも一緒に炒めました。これだけで大分違うみたいです。グリーンカレーペーストを加えてさらに炒め合わせる。今はスーパーでグリーンカレーペーストが市販されています。人数分の2倍ぐらいの分量のカレーペーストを使ったほうが、コクが出ていいみたいです。3.水、顆粒洋風ダシを加えて強火にする。煮立ってきたら灰汁を取り、弱火で5分ほど似る。火加減とか時間はそんなに神経質にならなくてもよさそうです。そうそう、香り付けに入れたものは、取り除いたほうがいいです。そのままにしていたら、不評でした。ココナッツミルクを加え、煮立ったら、ナンプラー、塩、コショウで味を調える。3,4分煮る。ナンプラーって、魚醤のことなんですって。知ってました?器に盛り、ご飯にかけて食べる。思ったより、簡単です。そして、おいしいです。これがご飯に合うんですよ。試す価値、ありです。今日は初めてだったにしては、おいしく、また手際よくできたので、甘めにつけて★★★★★とします。
2005/03/15
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引越しやらなんやらで、これからいきなり忙しくなりそうです。日記はがんばって更新しますが、コメントとかは返せないかもしれないです。富山から机とか持ってくより、新しく買ったほうが安くなりそう。目指すは、「生活観のある部屋」。今日、料理本を買ってきました。どれもおいしそうです。とりあえず、明日は姉に言われて「グリーンカレー」を作ることに。さあ、恐怖の自炊日記が始まろうとしています。一体どうなるやら。明日は学校の合格体験談を後輩にしに行かなければならないらしいです。僕のほかにも、第一志望の大学に合格した生徒が何人か呼ばれているはずです。どんな勉強をしたか、とかですね。でも、実は僕、あまり勉強してなかったような気がしてきたんですよね。いや、それなりにはしましたよ。でも、もっと勉強してた人もいっぱいいるわけで。そんな人が落ちちゃってたりもするわけで。そういうことを考えると、やはり精神的なところで大きく左右されたのかなと今になって思うのです。落ちるかもと思いながら勉強するよりは、「これをやれば受かる」と思うほうが身につくのでしょう、たぶん。そんなことを明日は話そうかなと。でも、勉強も大事だよと。矛盾してるけど、知らないよと。卒業旅行も密かに計画中。混浴がいいなぁ。忙しいなあ。でも、楽しいいそがしさだから、いいや。落ちた友人たちへの配慮は、敢えてしない方針の裏部長でした。僕への恨みを、来年の原動力にでもしてください。あっ、まだ国立の後期の発表があるのか。
2005/03/14
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今回の旅行で購入したもの。CD:5枚カウントベイシー×2セロニアス・モンクチャーリー・パーカークインシー・ジョーンズ文庫本:1冊「地下街の人びと」ジャック・ケルアック長ネギの味噌汁スープ春雨さきいか小銭入れ大学新聞夢と希望
2005/03/13
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部屋、決まりました。大学まで歩いて30秒(!)、新築。言うことなしの最高の物件。親に感謝。ガスなので、自炊向き。料理本買ってきて、料理の練習を始めよう。御茶ノ水、いいです。歩いていて楽しい。楽器店街はごちゃごちゃしていて、目移りするし、古書店街は一転して、落ち着いた雰囲気。まだ読んでない本があるのに、買っちゃったよ・・・。いままで、僕は焼肉の本当のおいしさを知らなかった。この日、僕の焼肉に対する既成概念というものを根元から崩された。牛肉とは、こんなにも甘いものだったのか。食事がこんなにも幸福をもたらすとは、思いもよらなかった。その味を表現しようと思っても、言葉が見つからない。いや、探すことさえ億劫になる。ただ味わっていたい、いつまでも。
2005/03/12
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部屋さがしのため、東京入。 できれば、自転車で通えるところを。 多くは望まない。 大学の生協が住まいの相談会を開いてくれているらしい。 またキャンパス間違えて、行けなかったのは内緒。 ほんと、何で受かったんだろ?
2005/03/11
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流石に、昨夜の眠りは浅かった。絶望の中に目を覚まし、絶望のまどろみの中、意識を失った。まだ人間ができていないのだから、仕方が無い。現実的な不安が、甘い期待を凌駕する。朝日が昇る前に目が覚めたのは久しぶりです。気分を落ち着かせるため、コルトレーンを聞きながら、窓から植え込みを見下ろします。新聞配達のバイクが、音を響かせながらゆらゆらと街を走ります。いつもと変わらぬ一日が始まったことを、否が応にも納得させられます。徘徊。そのリフレイン。逃げることも叶わず、見えない牢獄の中、その外に見える空の美しさを、現実とも幻想とも判別し難く。いっそのこと、雷鳴の轟き。それも叶わず。携帯電話からの言葉に、驚きは隠せません。予想よりも遙かに遅れた配達により、僕が結果をはじめて知ったのは、人づてによってでした。結局、どんな形にせよ、いずれは決着がつくということです。一転。長きの間、塞き止められ続けた水の流れの様。走るは忘却のためか、未来の栄光のためか。------------------------------------------------------------------もう少し長く書きたいところなのですが、明日も早いので、これぐらいにしておきます。今日はメールのやり取りがやけに多かったです。忙しい中、僕の相手をして、メールを受け取り、返してくれた人たちに感謝します。拝 明日はどんな天気だろうかと、東京行きの切符を眺めながら。
2005/03/10
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明日、僕は東京行きの切符を手にしているのか。それとも、大阪行きの切符を手にしているのか。*解説受かっていれば、入学手続きと部屋探しのため、東京へ。落ちていたら、後期試験のため、大阪へ。よく考えたら、どっちも都会だよ。はぁ、田舎モノには都会の水は合わないんだよ。どうしてこんなトコ志望したんだろ。それだけ魅力のある大学ではあるのだけれど。はっきり言って、受かっていてほしい。今更何を言ったって仕方がないけど、切実な思い。祈れと言うなら、ひたすらに祈ろう。誰に祈ればいいのか見当もつかなくて、胸の前の手をあげることもおろすこともできない。こんなことで人生が決まってしまうなんて、思っているわけじゃないけれど、そんなことじゃなくて、あの大学で勉強してみたい。いろんなことを知ってみたい。それができる大学だからこそ、そこを志望した。何でもいいから、早くとどめを刺してほしい。
2005/03/09
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僕がどんな言葉を尽くしたところで、例えば世界のどこかで絶望、或いは虚無の中に消えいく小さな命の儚さを表現できるわけじゃない。ましてや、その命を救うことなんて、そんなものはただの夢物語だ。小さな命に、小さな救いさえ与えることはできない。僕がどんな言葉を尽くしたところで、例えば小さな暗い部屋で、自分を責め続けている少女の涙を止めてやることはできるわけじゃない。ましてや、彼女の痛みを理解してやることなんて、そんなものはただの夢物語だ。つたう涙に、何も伝えることはできない。別に僕の無力さを嘆いているわけじゃない。そんなものを嘆いても仕方が無い。僕は小説家じゃなければ、詩人でもない。誰かに救いとなることを求められてもいない。僕の歌もまた、誰の救いにもならない。ふと口ずさむ歌。カラオケでがなりたてる歌。そのどちらも、誰かのための歌じゃない。でも、文章も、歌も、形になった(なってしまった)瞬間に世界に晒されてしまう。僕の意思とは関係無しに、誰かの目に触れる。それが(僕を含めた)その人に、どんな影響を与えるのか。そんなことは僕には想像もつかない。無責任なように聴こえるかもしれないけれど、実際そうなのだから仕方ない。どうして僕は文章を書いているのだろうか。誰の目にも留まらないかもしれない文章を。この文章だって、誰の記憶にも残ることなく、広大な砂漠の砂の一粒のように月下に埋もれていくだけだ。自己表現のため?誰かに、自分の姿を見せ付けたいがために書いているのか?そうだとすれば、こんなに滑稽なことは無い。僕自身、目の前にある文章が真の自分を表しているかわかっていない。どこかで勝手に働いている自己防衛が、ペンキを持ってきて僕の顔に塗りつけているかもしれない。そんな自分を見せたって、何の意味があるだろう。結局のところ、僕にはわからない。毎日文章を書き続けるというのは、傍から見るよりは簡単な仕事じゃない。それなりに神経を削るときもある。意味もわからないまま、こんな作業をしていても無駄なのかもしれない。でも、少しの間続けてみようかと思う。せめてその意味がつかめるまでは。続けていくかどうかなんて、その時に考えればいい話だ。
2005/03/08
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寝ちゃいました。テヘ。かわい子ぶってみてもダメなわけで。日記記入率100%は保っておきたいわけで。友人から訃報がどんどん舞い込んできます。直接会った奴は受かってたからいいんですけど。メールで聞きにくい。やっとのことで送っても、なかなか返ってこなかったりする。聞きなおすのも、落ち込んでるから送り返せないかもしれなくて、できないし。でも、やっぱり級友の結果ぐらいは知りたいんです。だから今日も僕は、メールをばら撒きます。「受かったよね♪」
2005/03/07
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