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2013/10/07
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カテゴリ: 音楽
関東大震災001


「あまちゃん」が終わったら喪失感が日本を覆うとまで囁か
れたが、特に何も起こらないで日々が流れてゆきます。
まあ、一つの賛辞として受け止めましょう。
でもクドカン好きの私としては、やっぱりガックリです。

タイミングがズレましたが、記録として書き留めておくと、
あまちゃんでは震災の状況が意外とさらっと描かれました。
ちょっと肩すかしをくらったような気がしましたが、ドラマ
としては刺激を押さえ、残った人達の元気を描くという意図
だったのでしょう。とは言え、災害地の実態とちょっと離れ

留まりました。

添田知道(さつき)が関東大震災の焼け跡で体験した状況を
伝える文書です。


添田知道+鳥取春陽/ 大震災の歌  土取利行(唄・演奏)




添田さつき・復興節/ 土取利行(唄・演奏)


添田知道は先日取り上げた大正時代の演歌師・唖蝉坊の息子
です(芸名は添田さつき)。彼はあの関東大震災の焼野で、
自ら作った歌を歌ったのですが、その時の群衆の反応に被災地
の人々の心情がよく表されています。

コラム12 「復興節」とこころの復興

要約するとこうです。

「大震災の唄」と「復興節」を作る。

焼け跡の生々しい日暮里の街角。歌など歌ったら何をされる
かわからない状況で、彼はバイオリンを弾きながら恐る恐る
歌い出す。すると人々が出てきて彼を取り囲む。
凄惨な震災状況を唄う歌詞を、みんなは静かに聴いていて、

が陽気な「復興節」を唄うと人々から笑いが起こったという。
悲惨な状況の中にあっても民衆の強さを感じさせる話です。

そののち、これらの唄は演歌師やレコードで全国に普及した
そうです。ラジオはなく新聞しかなかった時代、街角で歌う
演歌師は人々に詳細情報を伝える重要なメディアでした。


被災した人々にとっては、自らが体験した災害状況の再認識、
そして力づけてくれる応援歌が、大きな力になったのでしょう。
歌が持つ力と人々の逞しさを再認識させてくれた資料でした。
東日本大震災でも幾つもの復興支援ソングが生まれてますね。
多くの人々が力づけられたことでしょう。


ちなみにこの資料の名称は下記です。

内閣府/防災情報のページ
~「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」(平成20年3月付け)
~「1923 関東大震災【第3編】」
~​ 「コラム12 「復興節」とこころの復興」

埋もれさすにはもったいないので、 9月20日の日記 に貼り付けた
資料を取り上げました。





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最終更新日  2019/06/25 11:12:09 PM
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