2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
1月
2月
3月
4月
5月
6月
全6件 (6件中 1-6件目)
1
~伝えること~魅力ってなんだろう?いや、変なことを考えてすみません。文章を読んでもらうにはやはり魅力がないといけないと思っています。投稿用に小説を書いているからこそ思うのですが、「面白い」と思えることってどこかに「魅力」があるんだと思ったんです。思っただけです。確証なんてありません。今つらつらと書いています。大体私はwordで100ページくらいをいつも目標にしています。文字でいうと8万文字くらいです。大体書いていていつも思うのが、書いていると壁がやってきます。20ページの壁。50ページの壁。80ページの壁。ここ最近私がぶち当たる壁です。一気にかけていたころって何を考えていたのだろうって思いました。んで、書いている時は「面白い」と信じているからかけるのですが、途中で「これは本当に面白いのだろうか?」とか「どこに魅力があるのだろう?」なんて考えてしまいます。しかも、今回はミステリーではなく日常を書いています。これまた難しいんですよね。私はミステリーって謎があって、それを解決するというプロセスが好きなんです。構図が複雑じゃないですから。んが、日常を切り取ったかのようなものだと悩むことが多いです。だって、日常は劇的でも悲劇的でも喜劇的でもなく日常でないといけないですから。ただ、ちょっと切り口を変えたら変わるかな~なんて思いで書き始めてみたのですが、どこにこう魅力があるのだろうって思ってしまいました。んで、ちょっと思ってみたんです。「あなたの人生に選択肢を一つだけ付け加えたい」いや、これって実はブログを書き始めたときの私の野望だったんです。心の中においていたキャッチコピーみたいなものだと思ってください。私の経験が考え方が少しでも役に立てばと想い、つらつらと書いているブログ。振り返ると色んなことがありましたし、色んな人とも出会いました。もうすでに入り方を忘れたアカウントもあります。けれど、私にとってやはりブログは日常であってほしいのかも。なんてね。まぁ、昔の私のブログは色んなことを考えていて、なぜか悩んだ時に読み返すとすくわれたりするという不思議があったりします。ちなみに、ブログはパソコンで書いている時はword1~2ページで書くと決めています。文字としては1000文字以内。1000文字で伝える面白さって考えるといきなり難しくなるんですよね。見方が変わると、世界がかわる。だから、このブログも見方を変えたら面白くなるのかも。う~ん、まだまだ昔の自分にすら勝てそうにないので精進します。というよくわからい愚痴のようなものでした。まる。
2013年10月28日
コメント(2)
~見えないからこそ~多分リハビリ中なんだろうな~なんて、自分に言い聞かせたりしています。文章って書かなくなると下手になるんですよね~というか発想が貧困になるというか、考えが過去の模倣になったりしたり。なんて、こう思ったのは実は書きかけの小説が結構あるにも関わらずちょっと投稿用に短期決戦で新たに小説を書いてみようと思ったからです。キッカケはちょっとした些細なことなんですけれど、とある小説の賞を知ったからです。締め切りは12月中旬なので実は日がないのですが、自分で自分を追い込んだらかけるのではと思っていました。うん?なんで過去形なんだって思いますよね。それは、前に毎日小説を書いていた時は1日に7ページから10ページくらいを書いていたからです。んが、しかし今なぜか全然進まないのです。そこで、冒頭の言葉、「多分リハビリ中なんだろうな~」になりました。で、で考えてみました。「足を骨折した人に走れと言わないが、心が折れている人に頑張れという不思議」これは過去私がとある人に向けて送った言葉の一部です。この思いは今も昔も変わりません。足を骨折してギブスをしている人に誰も走れとはいいませんよね。だって、安静にしないといけないのが見てわかるからです。でも、心が折れている人に頑張れっていうのは足を骨折した人に走れと言っているのと同じことだと私は思っています。ただ、目に見えないだけで、こうもとらえ方が違うんですよね。心模様って見えないから他人からもそして当人である自分にもわからないこともある。だからこそ心をコントロールするって難しいことなのかも。なんてね。だからこのブログもリハビリの一環なんですよ。久方ぶりなので発想が貧困なのはゆるしてください。ぺこり。
2013年10月23日
コメント(2)
~空気かわる?~新しい風を吹き込むこと。昨日ちょっと思ったことです。実はいくつかチャレンジしています。ブログを書くのは原点回帰と思ってますが、その他にもやろうと思っていることがあります。一つは部屋の模様替えというかいらないもの、使っていないものを片付けて、古くなったものを新しくしようかと思っています。といっても一気に変えられるものでもないので少しずつ変えて行ってみようと思いました。変わらないことは安心できることかもしれません。けれど、私は「生き急ぐ」を座右の銘にしていたんだなって思い出したんです。そう思い出すともっとできることがあるのでは、もっとやりたいことがあるのではと思いました。ブログを始めたときの想いを思い出すために、あの時の情熱とは色も形も違うけれどそこに熱をもう一度入れるために頑張ろうって思いました。そう、思わない限り変わることはできないですものね。って、ふと部屋を見たら散らかっているから思ったことなんですけれど、とりあえず部屋を片付けながら考えてみました。うん、考えるまで長いのはまとまっていない証拠です。とっちらかったブログを書いてます。んで、考えたこと。「人生は螺旋階段」いや、これ過去の自分のブログを見ていてそう書いたんですよ。昔の私って何を考えていたんだろうな。なんて読み返すと思うことがあります。同じような日々を繰り返していても人は前に進んでいる。そう、窓のない螺旋階段を上がっているのと同じように。でも、周りが見えずに足を動かしていると何も変わっていないと思ってしまうけれど、確実に前に進んでいるんですよね。なんて昔の自分が残した軌跡をみながら私ははたして成長しているのだろうかと思ってしまった私。うん、とりあえず今できることは新しい空気をいれるための換気かなって思って窓を開けてみたり。なんてね。あは。
2013年10月22日
コメント(2)
~日常的非日常~日常の中にある非日常を探してみる。いや、別に大きなことをしたいというわけじゃないんです。同じような日々、ループしているかのような日々があったとします。それは日単位なのかもしれませんし、月や年かもしれません。でも、同じような日でも時でも同じではないんですよね。なんて、変な出だしですみません。変わらないでいてくれることに安心を感じることはあります。それは戻ってきたと思える場所なのかもしれません。これって不思議なもので、かわらない毎日を退屈に思い新しいことにチャレンジしたい思いと同じくらい変わらないでいてほしいものもあったりするんですよね~こんなことをうのは私だけなのかしらん。なんて、変な出だしを続けています。ん?数行前に似たような文字を書いたようなデジャブが。うん、気のせいと言うことで突き進んでみる私。そうそう、文章の展開なんて私に多くを望まないでください。月日がたっても構成はかわりませんから。んで、んで、冒頭の「日常的非日常」なんです。同じことの繰り返しのように見えてちょっと見方を変えたり、いつもと違う順序で何かをしてみるだけでもそこには「いつもと違う」何かがあったりすると思うんです。また、逆に非日常、たとえば旅行や経験したことがない、見たことがないような出来事にぶつかったときにどこかに似た景色や知っていること、フレーズなんかが出てきたりすると安心できたりすると思うんです。いや、少なくとも私はそう思います。非日常的日常とでも言ってみようかな。うん、文字にするどっちがどっちかわからないようなならびだわ。なんてことを書いていますが何か違うことでもして新しい風を取り入れようかななんて思っています。それがいいことかどうかなんて私にはわかりません。とりあえず、またブログを書きながら何かをみつけたいと思います。文字を書くことでしか表現することを知りませんから。というわけで月曜日がやってきました。あたらしい1週間はさて何をつれてきてくれるのかな。とりあえずどこかに非日常を探してきてみます。なんてね。
2013年10月21日
コメント(2)
~雨、逃げ出さないけど~雨です。実は古傷だけでなく最近は怪我が増えて雨だと本当にいろんなところが痛いです。健康は何もしなかったら維持できないですものね。なんて、変なタイトルを付けたのでちょっと思った私。ええ、気が付く人もいるかもしれませんが、某アニメのテレビタイトルをもじっています。ちなみにSF小説のタイトルを使った最終話の「世界の中心で愛を叫んだケモノ」が有名ですけれどね。ハーラン・エリスンさんの作品ですね。当時読んだのが懐かしいです。ま、どちらかというとジェイムズ・ティプトリー・ジュニアさんのほうが多く読んだ記憶があります。余談ついでにこのティプトリーさんは女性です。そして結構陰鬱なSF小説を書かれます。そして最後は痴呆が進んだ旦那をショットガンで打ち抜いて、自らも自殺するということですが、これは前々から計画をしていてその通りに行ったそうです。発見されたときは二人は手をつないでいたそうです。余談でしたって、スルーするにはちょこっとスルーしにくい内容なのでさくさくっと考えてみます。「強くなりすぎた英雄の行先は?」いや、このテーマは結構色んな物語でも書かれることが多いと思います。たとえば戦争があるときは誰よりも強く、戦で勝ち続ける人が英雄となると思います。では、平和になって戦うことがなくなった場合、その英雄の行先はどこにあるのだろう。いや、その人が色んなことに秀でた人ならばいいです。けれど、戦うことしかできない人は居場所がなくなると思うんです。そして、他の人といきなり同列になることにプライドがついていかないなんてこともあるかもしれません。また、強すぎるがゆえに平和になったらいきなり敵が出てきてしまうかもしれません。そう、平和を願っていたはずなのに平和になると自分自身が一番の阻害要因になってしまう。そう考えると英雄というのは孤独なのかもしれない。あ、ちなみにティプトリーさんの物語ってこういう背景が多かったりします。私の考えではありませんよ。ただ、こういう考えもあると思っています。で、で、思ったことです。「一番いい思い出のまま終わらせることができたら、それは幸せと言えるのかもしれない」ということです。考えの一つだと思ってください。そんなひとつのことしか思えないほど単純じゃなくてフクザツなんですよ、私。うん、きっそそう。単細胞かもしれないけれど考えると変なことばかり考える私です。話しがそれました。行き過ぎた英雄が平和の目前で平和になったときに自分が一番の阻害要因になるとわかっていて、これからおちぶれるだけなのならば世間からも忘れられて生きるのがいいのかもしれない。キレイなまま思い出を凍結させるというのは一つの選択なのかもしれない。なんてね。ま、私は逃げ出す先を見いだせないので怪我と向き合っていますが。とりあえず雨ですがでかけます。
2013年10月20日
コメント(0)
~サイカイを~お久しぶりです。お久しぶりすぎて覚えている人がどれだけいるのか不明ですし、どれだけこのブログをまた読んでくれる人がいるのかわかりませんが、書いていこうと思います。再開しようと思ったのはとある人が年表をあげていたからです。振り返ると私もいろんなことをこのブログで学び、影響を受けたのを思い出したからです。色んな軌跡があって今の私がありますが、やはり書くことでしか伝えることはできないし、伝えたい人に伝わるかなんてわからないけれど、何もしないより何かをしたほうが世界はやはり変わってくれますものね。何もせず佇んでいて世界が変わるなんて宝くじで3億円当たるより確率が低いのではと思ってしまいますから。勝手に思っているだけです。根拠なんてないですよ~ひょっとしたら何もしないことで世界はかわるのかもしれません。ただ、私の周りの世界は変わってくれなさそうな予感です。うん、そんなカンジです。というわけで「再開」を考えました。どういうわけかなんて突っ込みは聞こえないふりをします。さて、どれだけの人と再会できるのかわかりませんが。という言葉遊びがしたくてカタカナで「サイカイ」と書いたわけなんですけれど。はい、余談でした。でも、再会が出来なくても出会ったことはなかったことにはならないですものね。途切れてしまったとしても、その人との出会いには意味があったのだし、その出会いを忘れていなければ私自身の中で意味があるのかも。そこでちょっと考えました。うん、この展開も懐かしく思います。やっぱり考えたくなりますから。で、考えたこと。「アルバムをいつみる?」昔取ったアルバムや卒業アルバムって毎日見るものじゃないと思うんです。ふと手にした時かもしれませんし、キッカケがあって昔を懐かしむためかもしれません。そして、手に取るとよみがえってくる記憶ってあると思うんです。それは普段つながっていない線だったのかもしれない。けれど思い出すことでつながるものもあると思うんです。人とのつながりってLINEでもいいねでもメールでもなく、思いなんじゃないかな~なんて、思っています。というかっこよさそうなことを書いていますが、私のこと覚えてくれいる人がさて何人いるのだろうと思って書いたというのは内緒です。届いても、届かなくても私はここでまた書いていきますいつかあなたに届けばいいなと思いながら
2013年10月19日
コメント(6)
全6件 (6件中 1-6件目)
1


