24階のミミック

24階のミミック

2010.08.16
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8時半すぎ、病院から電話があった。父の意識が薄いのですぐにきてくれとのこと。


 9時15分到着、病室に入ると、大きな枕によりかかるようにして父が横になっていたが、頭はだらんとたれ、目はとろんとして力なく、薄く白いまくがかかっているようだった。
 「きたよ、おじいちゃん!」と声をかけるが、反応なく、窓のほうをむいたきり目がまったく動かない。

 必死で声をかけ、手をたたき、顔をみせると目がかろうじて少しうごくが、体にまったく動きなし。看護婦さんがきて、話を聞くと早朝すでに意識が薄かったとのこと。一目見て、もう意識が戻ることはないのではないかと思う状態だった。

 母の顔をみると、母も蒼白だった。そのまま病室をいったんでて、電話して兄と義姉、子供たちを呼んだ。それから、兄に頼んで実家の電話帳を探してもらい、東京にいる唯一の弟にも連絡をつけてもらった。

 電話してるうちに病室に先生がきたようだった。母が、私のノートに先生の話したことを書き留めていた。
 「あと数時間です。点滴とモルヒネ少々、痛み止めいれます」と書いてあった。




 昨日のうちに退院の準備をしていたんだな。ぼんやりそう思った。きれいにして、退院しないといけないから。ホスピスの看護婦さんたちは、こういうことになれている。ナースセンターに、父の担当看護婦さんが詰めていた。目が赤かった。泣いてくれてるんだ。

 それから、シャツを着替えて下着を代えるために婦長さんがきたが、手をかけて父の顔をみて、道具をしまってしまった。
 「動かすと呼吸がとまりそうなので、後にします」ということだった。

 呼吸は、とぎれとぎれだったけどまだしっかりとあった。聞くと、バイタルはしっかりしているとのこと。バイタル、つまり血圧と脈拍。血圧はその時点で134-74、脈もきっちり。意識が薄いものの、すぐに心臓がとまるかんじでもないとのことだった。

 じっと窓辺に座っているうち、1時間くらいして兄夫婦と孫たちが到着。大きな声をあげて元気に子供たちが入ってくる。これから旅立ちを迎える人の病室とは思えないほどにぎやかになる。
 おじいちゃん!おじいちゃん!おじーちゃーん!きたよー!
 次々に孫たちが声をかけると、突然とろんとしていた父の目が動いた。窓辺をむいて動かなかった目にかかっていた白いまくが突然おちて、右から左へぐるっと目が動く。孫たちに気がついたようだ。子供たちが手を握ってさすったりしているうちに、父の顔に生気が戻り表情が出た。
 しばらくは動けないようだったが、時間がたつにつれ、身体を起こし始めたので、母と私も「きたよ!きたよ!」と声をかけると、無言でうなずいた。今日は声がぜんぜん出ない。何かいおうとするのだけど、ヒューヒューとかすれた音が喉からするばかりで、声にならないのがわかった。ストローをさしてコップに水をいれ、渡すけれどストローを吸う力もない。そこで、母がティッシュをぬらして父の口にふくませてやると、もっともっとと欲しがった。
 何回かその方法で水を飲ませると、ようやくかすれてよく聞き取れないながらも声らしきものが出てきた。耳をぐっとちかづけ、ようやく聞き取ったのは、
「なんで‥‥こんなに‥‥‥くる‥しいの?」という言葉だった。


 再び、やっとのことで「レスキュー」と言った。痛み止めのモルヒネをいれてくれ、という言葉。看護婦さんがきて、太ももにレスキュー専用の管をつけた。30分ごとにいれますから苦しかったら呼んでください、といって帰った。

 レスキューが入ると、目に光が戻り、手も動くようになる。
 子供たちはたいくつしてDVDをみたり暴れたりするようになってきたので、母がいったん家に戻りなさい、と言った。義姉は帰りがたいようだったけれど、涙をおさえていったん帰った。兄もあきらめたように「一度戻るよ。たのむな」と帰った。兄は、もう父が数時間しかもたないのがわかっていたのに母の状態をみて、あきらめたんだと言っていた。

 兄たちが戻ってしばらくするともう少し父は元気になった。朝きたときは完全にこの世を去りかけていたのに、死のふちからいったん戻って目が見えるようになったらしく、私と話ができた。
 「おまえがきたからよかった、目がみえるようになったよ。今日は船がみえるんだ、チャンスだな」と苦しい息なのに言った。危篤なのに、やっぱりまともな話はできないのかな、と思ったけどすでに話があまりできないのでうん、うん、とうなずいた。


 看護婦さんが「いいですね、毎年行ってるんですか?」というと、母が今まで父がいかにグルメであれこれ食べにいったとか、海外にいったときにこんなことがあって‥というような、食べ物に関する話を始めた。しゃべってるうちに、だんだん愚痴になってきちゃって、当の本人が目の前で死にそうになってるのに「本当にしょうがない人なのよ、食べ物では苦労したんだから」なんて言い出す。父は半分おきて聞いているんだけど、情けないような、でもちょっと笑顔で私を見る。聞こえないけれど「またかーちゃんがとうちゃんの悪口いってるんだよ~」と言ってるのがわかる。

 そのときが、思い出すと最後の幸せな瞬間だった。最後の日にあんな顔がみられてよかった。最後まで、おこられてる父が笑ってるのが嬉しかった。

 再び言葉がなかなかでなくなり、手のひらに指でかいて知らせていた。
 私と母、看護婦さんが父を囲んで3人で談笑している最中に、父が急に、手のひらを見せて何かを伝え始めた。
 「一」その下に「夕」、夕のとなりに「ヒ」と書いた。それから人という字。
 死人? え?

 看護婦さんもびっくりした。死人? 死ぬ人? 母も聞き返す。
 私にはわかった。最近父が書く、手帳をよく読んでいたから。人に見えた字は、カタカナのヌだ。父は昭和一桁うまれだから、カナ文字を時々カタカナで書いていた。せん妄が始まってからは、昔の習慣に戻ることが多く、古いことをよくしゃべっていたけれど文字がカタカナと漢字で書かれていることが多くなってきたのに気づいていた。

 父は、この日自分が死ぬことがわかったのだ。医者だからなのか、死ぬ人はみんなわかるのか、わからないけれどとにかくこの日死ぬということがわかって、私たちに知らせたのだった。
 看護婦さんや母には通じず、何いってんのと混ぜ返されてしまったのでそれ以上言うのをやめてしまったが、父はまだ伝えたいことがあったのかもしれない。

 そのうち、東京から弟が到着した。私には久しぶりにあう叔父さんだ。

字数制限を超えるかも。続きは後で。









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Last updated  2010.09.30 19:30:25


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