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怒涛の1月が終わります。 この一カ月、半分は飲み会だったような気がする。 さきほど全てのパッキング、掃除を終えビールをグイッ! うまい。 先週の土日は富士山の麓で最高の友人たちと初めての冬花火を味わいドーンという音と共に脳天が破裂。 湖面に映る大玉の花火は夏とは違い、いなせなアネゴのようだ。 「寒いなんて言ってんじゃねぇー。アタシをご覧よ。綺麗だろっ! なんかイイナヨ!向こうに富士もうっすら見えてんだろっ!どれ、もう一発ドドーーン!!」 参りました。ビューティフォーでしたよ。姉さん。 翌日、その友人の家から見た富士山。 もやがかかっていたので富士に向かって立ちションしても、向こうからも見えにくいようで「お前は小さいのぉー」とは言われなかった。 良かった。13日は近藤等則氏のスタジオ下にある居酒屋で壮行会を。 (写真が中々手に入らなくてやっと友人のGさんが一昨日、忙しい中提供してくれました。ありがとう) 途中で近藤氏が「昨日最終チェックしたばかりの音があるんだ、聞いてくれ」とスタジオへ戻りCDRとラジカセを持ってきてくれた。あまりの贅沢感に「君たちーぃ、僕が沖縄に帰る事に感謝しなさい。僕が沖縄に帰るっちゅうことでここでホヤホヤの音が聞けるんだぞー」と叫ぶ。「イエーィ!!」の喝采が起こるが、ちと悔しい。独り占めしたかった。 Gさんのある日記に「近藤組の若頭であり、いろんな修羅場を一緒にくぐった男くさい、味わいのある会だった」のコメントは良いけど「知念さんキャラのせい?か、女性メンバーがたったの一人、というのが泣けるけど(笑) 」というのはいかがなものか・・・ Gさん、気になる女性達とはすでに一対一で会ってたのよ、と言っても信じてくれんだろうなぁ。 かえすがえすも残念なのは近藤氏が映画、Men in Black のことを「あれは実話らしいぞ」と言ったのに酔ってダウンしてしまいその根拠を聞けなかった事。今度アムスから戻ってきたら聞こう。 7日は学生の頃の中間達が新年会を兼ねて集まってくれた。 はるばる長野、福島、静岡から。感謝、感謝。 こういう素晴らしいメンバーに出会えた奇跡がス・ゴ・イ!! こちらは全員の集合写真がないので残念ながら割愛。友人Sよ、折角送ってくれたのにスマン。ありがとう。 26日は不思議な繋がりの女性3人組に追い出し会をやっていただいた。ホントに不思議なグループでした。こちらも写真はありません。最後に皆さんに一言!! 僕は金星やM78星雲に移住するわけじゃないのよ! チョイ先の沖縄なのよ! 飛行機で、ピュッ!なのよ。 たいした事ないのよ! 特にこのブログを作ってくれたY君。 「これで最後になるかも知れませんねぇ」って 笑いをこらえきれんじゃないか! 笑ったけど。 ということで皆さん。 沖縄で会いましょうーーー!!! 東京でもね。 今日は、向かいの村田ファミリーと隣人として最後の晩餐をしてきました。 変わらない笑顔が嬉しいなあ。夏には沖縄へ行くからね。必ず行くからねと真剣な表情。次回の日記には初めて二人の姉妹の写真をUPするかも、です。 UPは沖縄に帰ってからになりますが。インターネット環境の整う6日以降になります。それでは横浜より最後のブログ、でした。
2007.01.31
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引越しの整理に追われ新聞を読んではいても、頭に入っているような抜けているような感じですが、今日の朝日新聞の夕刊「震度7からの伝言」を読んで気づきました。あれから12年。 あの阪神淡路の地震の十日ほど前に僕は伊丹から東京に戻ってきていました。 伊丹駅前の旅館に3週間近く泊まり、アイススケートリンクを宝塚遊園地に作り終えて。 朝、目覚まし代わりのラジオの異変に気づいてテレビを付けると、電話が。リンクの責任者でした。 「知念さん!阪神高速がロンしてもうた!」 麻雀をしない僕でもすぐに意味が分かりました。 氷が割れてピョンピョン飛び跳ねている、営業は無理だから家に帰ると。 テレビでは僕が寝泊りしていた旅館に大きくひびが入り傾げ、美味しい飲み屋を教えてくれた伊丹駅前の交番は完全につぶれていました。 その旅館では毎日不思議なことが起こりました。 大きな下駄箱があり引き戸を引いて靴を納めると、昔の名残りでしょうかその上に下足番がブラ下がっています。 小さなプラスチックの板に番号が書かれているのですが渡す人もいないので誰も使いません。下がったままです。 なのに毎朝靴を履こうとすると僕の靴の中に7番の札が入っていました。 90番のところに靴を置いてもどこにおいても7番の札が入っていました。 仲間に「誰かいたずらしてないか?」と聞いても「風呂入って酒飲んで寝てる、知ってるだろ!」 そのうち「ラッキー7だから取っといたら?」の言葉に納得して財布にしまいました。 そして近藤等則はCD「神戸 17.01.95」を作りました。 分かりやすく言うには表現が難しいのですが、聞き捨てならない音です。 聞いて捨てられない音。耳から抜けていかない音。体内に残ってしまう音。 何かをしながらでは絶対に聞けない音。全ての体の動きが止まってしまう音。 死者の魂を立ち上げる音、です。安らかに、ではないのです。今一度、死者と対面させる音です。 音楽とは、かくも高き領域に達するものかと青ざめ、かつて音楽は、神と死者と共にあったことを教えます。 嘉手苅林昌さんとの久高島でのコンサート前、僕はこのCDを十数枚購入し協力してほしい方々に差し上げました。ある作家が、この人の音は「死者の魂を立ち上げる音」と言い、そしてコンサート終了後久高島のあるお婆さんが同じ事を言いました。 死者の魂の領域に入り込んでいる音。 ハードです。 体調が万全でないと聞けない音。 体熱が上がるのです。 ある友人は「知念さん、あれはヤバイわぁ~。人に薦めたらいかんわぁ~、怖すぎるもの」と。 気持ちは分かる。 だって、山にキャンプに行きこのCDを流すと森がざわつく。確かにざわつく。 都市で消費される音楽と別次元の魂の音。 テレビ、新聞ではあの日の記憶が蘇りますが、この音はリアルにあの日の神戸に戻ります。 亡くなった方を側に感じます。
2007.01.20
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お正月は恒例になっている向かいのファミリーと迎えた。 皆で飲み食べ終えた頃、子供達が「何かで遊ぼう」とはしゃぐので「よーし。じゃあお年玉ゲームするかぁ。お年玉を作ってきたぞぉ」と言うと、えっ!お年玉を作った???と頭にいくつもの???マークが出ている。 「お年玉が欲しいかぁー!!」 「おぉーっ!!」 「お年玉ゲームがしたいかぁー!!」 「おぉーっ!!」 「今年のお年玉にはハズレがあるけどチャレンジしたいかぁー!!」 「おぉーっ!!」 「ハズレがある」という事に、不思議そうな顔をしながらも大声で応える。 そして二人に茶袋のお年玉を上げる。 「でかっ!」と笑いながら袋を開けると中から桃缶、コアラのマーチ、ベビーラーメン、わさび海苔、子供ビビンバが出てくる。 「チネンチャン、これ何?」 「この中のどれかに当たりが入っている。あとは全部ハズレだぁ」 「ウッソー!!」と明るい悲鳴が沸く。 一つだけ?当たりは一つだけなの?と聞きながらお菓子の袋をごそごそさわり、透かして見ている。 そしてこれと決めた袋を開ける。当然二人ともハズレだ。 「イヤダー!もう一回、もう一回だけ。お願い」と手足をばたつかせて叫ぶ。 「よし、お正月だからチャンスをもう一回上げよう」 「ヤッター!!」と飛び跳ねるが結局これを4回繰り返す。 そして全てハズレの結果を見て、両親も含めて「マジ?まさかチネンチャンこの缶の中に入れたの?でもどこにも缶を開けたあとないよ!」と桃缶を交代でまさぐる。 妹が缶きりを持ってきて開けようとするので「今日はお腹いっぱいで食べられないだろ?ラベルを良~く見て」とヒントを出す。 親子四人でラベルをさすり、そしてはがす。ラベルの下に当たりが巻いてありその下にお年玉を挟んでおいた。 情熱的な叫びが起こるかと期待していたのに 「ほーっ!」と感心されてしまった。 「なんだ、なんだ。もっと、嬉しい~とかないのかよ?ヤッター・・・は?」 「ほほーっ!」 姉のさくらが「ミサンガを編んであげる」と一時間かけて作り腕に巻いてくれた。 「これが切れたときに何を願うの?」と聞くので「じゃあ、皆が沖縄に来れるように願おう」と答えると「すぐに切ってね。沖縄に着いたらすぐ切って!」 「自分で切っても願いが叶うのか?」 「うーんんん・・・」 「みんなー。毎年、夏休みは沖縄で過ごそうぜー!」 「おぉー!!」とやっと村田ファミリーらしい声が出た。 父親だけ「大変だぁ」という顔をしていたが。 今年も素晴らしいお正月だったよ。ありがとう。
2007.01.09
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