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「追善」という意味がイマイチ分かりませんが、先週の金曜日20日に林昌さんの町コザで(現沖縄市)で10回忌を偲ぶコンサートがありました。 プロデュース・知名定男。 出演者が凄い面子。 今の琉球民謡の重鎮が登場。 幕が開きはじめに林昌さんの次男、林次さんが唄う。 ますます声が似てきた。 そして知名定男さん。 普通の紹介はやめようね。その昔、ネーネーズにボブマーリィーを唄わせた人。 松田弘一さん。 大城美佐子さん。 凄いでしょ? 饒辺愛子さん。 愛子さんは僕の勝手な思い込みで伝説の人として記憶されていた。 まさかあんなに若く声が艶やかな方とは・・・失礼しました。 若手の旗手、よなは徹さん。 そして大親分の登川誠仁こと、誠小(せいぐゎー)。 幾つかなぁ。85歳は超えてるだろうなぁ。 登川誠仁さんは映画「なびぃの恋」で主演されてましたのでご存知の方も多いかもね。 登川さん、素晴らしかったぁ。 歌詞を忘れたら適当に「んふふんふふぅ~」と唄う。 唄っている最中に、あるフレーズが気に入らなかったり、気に入ったりしたらそのワンフレーズだけを何度も繰り返して唄う。 昔の傷がついたレコードみたいにね。 伴奏者のことなど無視。客は大うけ。 三線を爪弾きながらわざとピッキングのようなはじき方をして妙な音を出す。曲とは関係ない。しかも何度も。観客は大うけ。 まるで、唄う事は仕事ではなく「生きる事」。 「生きる事」とは「遊ぶこと」だぜ!と言っているかのような奔放さ。 凄いなぁ~と感じつつ、ふと思ったのは「島唄のこういう楽しさは、林昌さんが道を敷いた一人なのかも知れないなぁ~」と。 だってね、第一人者が気難しかったらこうはならないよね。 会場で友人の村上さんと伊平屋島コンサート以来に会う。 愛媛からきて、琉球民謡を日々修行している彼女。流石、やっぱりこの場に、いたなぁ。 一部が終わり休憩中に立ち話。明日、那覇で津軽三味線の47人演奏があるんですよ!一緒に行かれませんか?と誘っていただく。だが、21、22と早朝から22時まで仕事が入っていたので断念。その津軽三味線の話しからeminemの話になり一方的に「エミネム聞いてみる?」と勝手にCDを聞け!といわんばかりに貸してしまった。「カーテンコール」。車に乗せてあったのでね。村上さん御免なさい。沖縄民謡一筋だもんね、聞かなくても良いですよ。 作家、長部日出雄が監督した津軽三味線の映画「夢の祭り」と、エミネムの映画は「8マイル」。 この映画の共通点を思い出して、オススメしてしまった。「夢の祭り」では三味線奏者の二人が村祭りのステージでお互いがオリジナルの旋律を演奏しあう。試会う、といったほうが正確かもしれない。ワンフレーズを三味線で弾く。次に相手も弾く。何度もやり合う。そのうちにオリジナルの旋律がなくなってきた演奏者はつい誰かの旋律を弾く。すると観客から「その音は前にどこかで聞いたもんだべ!」と突っ込まれる。負けを自ら認めて舞台から引き下がる。確か、戦前を舞台にした映画だったと記憶していますが「音」の文化力が東北の山村にすでにあったんだと驚いた映画でした。そして、時間も場所も全く違うエミネムの映画「8マイルズ」。この自伝的映画の中でエミネムは自身の役を演じます。工場で働きながらDJとしてプロを目指すエミネム。プロになるには大会で勝利しなければいけない、アメリカ。日々、人の心を突き動かす「言葉」を考える。仕事中に“これは”という言葉が見つかるとすぐに書き留める。まさに「詩人」。アメリカのDJ達は詩の世界を行き来しているんだと初めて知りました。そして大会で「言魂」をぶつけあう。誰も聞いたことが無い新しい比喩であったり、新しい表現で。ワンフレーズずつ。そして新しい言葉に詰まるとつい普通の、あるいはどこかで聞いた表現を行ってしまう。即、観客から「それは聞いたことがあるぞ!」という野次が飛ぶ。この映画を見たのは10年以上も前ですが「舐めてた。参った。アメリカのDJは凄い世界に入っている」と唸りました。津軽三味線の話しからこの二つの映画を思い出して一方的に村上さんに貸してしまったエミネムの「カーテンコール」昨日、彼女から「素晴らしかったです。新しい世界でした。ありがとう」とメールが来ました。愛媛の彼女が沖縄民謡を愛してくれているのに、余計な事をしてしまったと後悔していましたが少しだけホッとしました。林昌さんの追善公園を終え彼女にエミネムのCDを渡し、会場を後にして一般道を走り高速に乗り、降り、家に着いて時計を見るとわずか30分。 幾つかの市を超えてもこんな短時間で移動できる。 良いよねぇ~。これが地方都市の素晴らしさだと実感しました。東京や横浜ではこんな風に時間は流れなかったなぁ~。移動だけでえらいこと無駄な時間が掛かったもの。良い、一日でした。
2009.11.23
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県民大会行って来ました。暑かったぁ。 一昨年の「教科書から消された集団自決の記載復活」の趣旨の大会に比べて道路が空いていたので参加者が激減かと思いきやそうじゃなかった。 遠く離れた駐車場に停めてそこから1時間半歩いてきたという60代の方がいた。 「バスは厳しいから歩こうかなと思ってね。健康にも良いしさ」と疲れた足をさすりながら話していた。 僕だけではなくて恐らく皆が感じたと思うけど「会場の選択を間違ったなぁ」と思ったほど狭かった。 実行委員会は、それほど参加者が多くないと思ったんだろうね。 あるいは広い会場でスカスカだとカッコつかないと思ったのかな。 それらを吹っ飛ばすほど次々と参加者が集まって来て、「あーこれは皆、入れないよねぇ」と話す声が聞こえました。2万1千人、との発表でした。 ↓ これは会場の外。 那覇市の翁長市長は「皆さんご存知のように私は保守系の政治家です。しかし沖縄の基地問題はそれらを超えて行動しなければいけません」と発言したが凄い拍手だった。 そして演壇に立つほとんどの方が松沢神奈川県知事の発言を糾弾した。 今、アメリカに行っている神奈川県知事は向うでの記者会見で「辺野古への移設以外にない」と発言し、アメリカ側を喜ばせた。 そしてその隣りに座って「私は松沢知事のお供ですから」と相変わらず当事者意識のない「無能の男・仲井真沖縄県知事」も激しい非難にさらされていた。 彼は沖縄に帰ってきても居場所がないだろうな。 司会者の「沖縄県外から来られた皆様、お立ちいただけますか?」との声に多くの方々が立ちあがったようで、拍手と歓声を浴びていたがその時僕は会場の外を歩いていたのでその数は把握できなかった。 (会場の外にも拡声器を置いて、会場の発言を聞こえるようにしてくれていました) そして最後にガンバロー三唱で締めくくる。終了後は「珊瑚舎スコーレ夜間中学応援チャリティー」の女子プロレスへ。 いやぁ、女子プロレス、舐めていました。 めっちゃくちゃ面白かった。 ショーとして完成されていたんです。 「おいおいどこまで行くね~ん」と突っ込みを入れたくなる場外乱闘。 トップロープの上を歩く。もちろん戦う相手が手を添えてサポートしてね。(笑)そして美しい技、アルゼンチンバックブリーカーを見せてくれた。 アントニオ猪木の引退試合で藤波が猪木にこの技を掛けたとき実況の古館伊知郎氏が「懐かしい技です」と表現したアルゼンチンバックブリーカー。美しかった。 こんな言葉を使うのは恥ずかしいのですがほんとに「愛に満ちたチャリティー興行」でした。 期待通りに、一斗缶を持って悪役で登場するアジャコング。 そしてこのチャリティー興行をやろうと、ジャガー横田に声を掛けた沖縄在住のドレイク森松は、金属バットを持って登場するなりコーナーポストを叩き、相手をバットで突き、チェーンを首に巻きつけロープから吊るすルール無用の最悪のヒール。 試合終了後にマイクを持ち「おいっ!夜間中学のばばあども。おれはリングに立つとこうなるんだ。いつものおれじゃないんだ」と叫び、お婆さん達のもとへ行くと、泣きながら何人ものお婆さんを抱いていた姿は堪らなく、涙が止まらなくて困った。 ↑ この人。ドレイク森松。 すっきりした顔している。 他の選手も良い顔していますねぇ。 11月8日。そんな一日でした。
2009.11.09
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明日11月8日は「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が開催される。こちらの新聞では連日、社会面のトップで関連記事が掲載されていて、市町村レベルでの実行委員会の立ち上げも相次いでいる。4日までに沖縄市、宜野湾市、北谷町、北中城村、与那原町、大宜味村、浦添市、西原町で実行委員会が設立。会場までの無料バスを提供する市町村は今帰仁村、北谷町、与那原町、大宜味村、沖縄市、北中城村。 美しい辺野古の海に泥を流し、セメントを流し埋め立てることもやむなしと考える人が大勢いる現実。突然出てきた嘉手納統合案に嘉手納の住民は大反対している。「今でさえ我慢の限界の騒音なのに、さらに基地を押し付ける気か」と。すでに基地があり時間がかからないという理由なら、自民党の政治家が日本各地に作った飛行場がやまほどあるじゃないか。日本航空が撤退したら使われない飛行場が沢山あるじゃないか。そこ使えば良いじゃない。民主党に期待して投票したんだよね。佐藤学沖縄国際大学教授は「衆院選で沖縄の4選挙区で県外移設を訴える候補者が当選した事で民意がはっきりと示されたにもかかわらず、県民大会が必要とされる不公平な状況を認識しないといけない。なぜ沖縄だけ、民意のハードルを上げられる必要があるのか。」と。(沖縄の選挙区は4つ。つまり全てです。自民党は全選挙区で落選した。)アメリカと対等の政治なんて少しも期待していないが「ベッドの隅でアメリカのご機嫌をチラ見する自民党方式」から「あんまり怒らせると何するかわかんないわよっ!阿部定にだってなっちゃうかもよ民主党は!」との『妄想』をアメリカに抱かせるくらいはしてほしい。ダライ・ラマが5日、那覇で講演した。チケット取れなかったけど新聞によると来場者との質疑応答で、米軍基地を過重負担している沖縄の現状について意見を求められて「武力は撤廃されるべきだ。ただ、アジアの情勢など世界的視野で考えたとき、一時的に受け入れる状況があることも理解する必要がある」と慎重に答えたそうだ。14世が徒歩でインドに亡命してからおよそ60年かな。沖縄も戦後に基地を抱えて60年。歴史そのものを生きるダライ・ラマの言う「一時的」とはスパンが長そうだなぁ。県民大会は明日の14時から。終わり次第16時から始まる「珊瑚舎スコーレ夜間中学応援チャリティー興行」の女子プロレス沖縄大会に行ってきます。後半の参加になるだろうけどね。県民大会で怒りを、女子プロ大会でアジャコングに愛を見てこよう。
2009.11.07
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五月に崩壊した車上緑化計画でしたが、実は復活へ向けて進めていました。後、数週間でほどで完全に復活するところまできていたのです。今回は種からではなくて、自生している芝を一握り抜いて車の真ん中に置いただけでした。暑さに非常に強い種類の芝生の種(アメリカ産)が何故か製造中止になってしまい、国内で手に入るあらゆる種類の芝生の種を試してみました。が、全てダメだったのです。一センチほどまでは伸びるのですが、その後溶けてしまうように消えていきました。横に拡がる種類の芝生は沖縄の暑さでも大丈夫なんですが、上に伸びていく芝と較べて車内への温度をそれほど抑えてくれませんし、なによりも美しさが物足りないのです。そこで、ある海沿いに自生している長さが10センチほどの芝生を車上に「ぽん」と置いてみたのです。すぐに飛んでしまうだろうと思っていましたが、意外にも根付いていきました。そして二ヶ月ほどで全体に根を這わせてくれたのです。完全復活したところで、このブログで報告しようと考えていたのですが三週間前にまたも崩壊してしまったのです。芝床がもたないことが原因でした。それを防ぐアイディアはあります。「あること」をすればもう崩壊することはありません。だけど、今の、何も無い、ノーマルな車がとっても快適なんですよねぇ~。。。誰にも見られない、注目されない、指を指されない、笑われない。これがとっても気持ち良いのです。ドライビングはこうでなくっちゃ!と、日々走りながらつぶやいています。なので、もう車上緑化計画は止めようと思っていましたが、友人達が許してくれません。『もう、ノーマルな車に乗ることは許されない!』『俺たちが許しても世間がゆるさないだろう!』と。それでも、もう僕は充分に楽しんだのでこれで終わりにしようと考えていました。が、が、今日、何気にデジカメでこれまで撮った写真を見ていて、ある植物に目が止まりました。「あっ!これを車上に植えたら美しいかも!」。「これなら遠目には分からないけど芝生に負けない美しさがあるかも」と。あ~、、、なんで思っちゃんただろう。。。もう充分なはずなのに。。。7月22日の近藤氏の日食ライブに日本各地から来てくれた友人達が「見たかったのにぃ。日食ライブだけではなく車も見たかったのにぃ・・・」と、口々に嘆いていたのを時折思い出すのですが「皆、スマヌ。もう辛いのじゃ!許しておくれ!」と心の中で叫んでいたのです。あぁ~~、またやっちゃいそうで自分が分からない。デジカメ見なきゃよかったぁ。
2009.11.03
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先日、母の「拝み」に同行。 お寺など四箇所を廻り、最後に我が家の最寄り駅がある首里駅近くの拝所に来ました。ここの拝所は初めて。 家と家との間に挟まれた場所にあります。 母が拝んでいる間、僕は車で読書。 んんっ!? やゃゃっ!? 夢中で本を読んでいて気付くのが遅かった。 慌てて、ダッシュボードからデジカメを取り出し、電源を入れそのまま運転席からフロントガラス越しにシャッターを押した。 あぁ・・・でも、絶好のシャッタチャンスを逃しました。 下校中の小学生4人組が皆、座って母の後ろで拝んでいたのです。 4人が横一列になって手を合わせて「うーとーとー」と声に出している。 「うーとーとー」とは、仏壇や神棚に「手を合わせなさい」ということを子供言葉で「うーとーとー、しなさい」と言う。 シャッターチャンスがずれたが、拝んでいる様子は分かるよね? 笑ったぁ。。。 一人の子供は母に「僕、大きくなったら神人(かみんちゅ)になる」と言ったそうな。 母も笑って「そうねぇ!?。その前に一杯ご飯食べて、勉強しなさいよ」と答えたそうだ。 「生活の中に祈りがある」沖縄ならではの光景でしょうかね?可愛いなぁ。四人で「うーとーとー」と口ずさみながら去っていきました。 笑わせてくれて、ありがとね!!
2009.11.01
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近藤等則・地球を吹くシリーズの「天の岩戸を吹く・伊平屋島~日食」の報告がこのブログでされていませんでしたね。本番直前にパソコンがクラッシュしバタバタして、修理した後はHPでの報告に集中していた為に、ブログの存在さえ一時は忘れていました。すいません。今更ですが、報告します。本番は日食の日、7月22日でした。この巨大な日輪の写真は前日21日です。そして当日、日食。最大96.7パーセントでした。この写真は最大の時ではありませんね。すいません。そして、太陽に向けて吹く近藤氏。最後に、観客の皆さんです。伊平屋島の北端、「天の岩戸と言われている」クマヤ洞窟前での演奏に多くの方々が集まってくれました。僕らの手作り「日食メガネ」で見てくれています。もっと多くの写真をご覧になりたい方は「地球を吹く・伊平屋~日食」のHPをご覧下さい。地球を吹く・伊平屋島伊平屋島で近藤氏のライフワーク「地球を吹く」を計画した後、当然なのですが伊平屋島の歴史に関わることが集中して耳に入ってきました。その中で最も興味を引いたことは、琉球王国初代王のお祖父さんが伊平屋の人であったという事でした。伊平屋島は、沖縄の最北端に位置します。初代のお祖父さんは伊平屋島を若い日に追い出されて、沖縄本島に移ります。それから力をつけて、孫が初代の王になるのです。「尚」家。です。初代の王は尚巴志(しょうはし)と名乗ります。ただ、残念ながら初代の尚家は3代で終わります。そして4代目の尚家は、薩摩に滅ばされる最後まで続くのですが、その4代目が伊平屋島の隣りにある伊是名島の人物なのでした。この人物も若き日に伊是名島を追い出されて、沖縄本島に移動しわずか一代で、琉球王となるのです。尚円金丸です。そして彼の子孫が琉球国の最後まで続きます。なぜ、沖縄本島で生まれ育った人物が琉球国の王になれず、伊平屋、伊是名、の人物だったのでしょう?「倭寇」の休憩地で大和の言葉を勉強できる環境であったために二ヶ国語(沖縄の言葉と大和言葉)を話せた。多くの知識を倭寇から聞いていた、ということは勿論あるでしょう。それ以外に僕は、大胆な妄想をしました。『尚円金丸』は西洋人とのハーフだったかも?と。異常に女性にモテていながら、地元の男衆との付き合いが少ないのは、その風貌だったのではないかと、妄想しました。日照りの時でも、彼の田んぼだけが水を満たしていた為に、夜中に水を盗んでいるのでは?と疑惑を持たれて、島を出る事になったのですが、沖縄には「ゆいまーる」というお互いを助け合うシステムがありました。彼が田んぼの水を枯らさない方法を知っていたのなら、皆に教えないことが不可解です。そこには言葉の壁があったのか、仲間に入れたり近づくのには他と異なる風貌だったのか?伊平屋島で近藤氏のコンサートを行えたのは、不思議な縁でした。伊平屋島に、多くの友人が出来たことも素晴らしい出来事でした。あれからちょうど三ヶ月が過ぎましたが「行きたいなぁ~」。素晴らしい民宿のかたとも知り合えました。伊平屋に行こうかと計画されている方は、是非メールを下さいね!部屋も食事もまあ、普通ですけど、最高に気持ちの良いオーナーさんをご紹介します。ホントです!!!
2009.10.28
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友人が働く「珊瑚舎スコーレ」は夜間中学などを運営するNPO法人です。 ここの夜間中学は、先の戦中・戦後の混乱の為に学校へ行く事が叶わなかった高齢のお年寄りの学び舎で、生徒の平均年齢は72歳。 ここへ通うまで、字を読めなかったことを隠していたお婆さんもいる。 この珊瑚舎スコーレを支える寄付金が不況で激減したため、授業料を二倍に値上げせざるを得なくなり「自分の名前も書けなかったのに手取り足取り教えてもらって嬉しい。でも、少ない年金で続けられるか心配」と語る生徒もいる。 珊瑚舎の星野代表は「夜間中学に通う人たちは沖縄の発展を支えてきた人たち。学習権を保障するのは人権の問題」と話し、ある生徒は「私達の教育を守るのは遺骨収集や不発弾処理と同じ国や県の戦後処理だ」と話す。 そこへ、沖縄に移住した「ドレイク森松」が「わたしはプロレスしか出来ない、だからプロレスで応援する。」 と。 ジャガー横田に話を持ちかけ、チャリティ興業を開くことになった。 (リングネームにさん、をつけるとかっこわるいのであえて呼び捨て。スマヌ。) ポスターの左上を見ると「アジャコングさん」もいる。 やっぱり迫力が無いので「アジャコング」がいる!! 15年ほど前のアジャのキャッチコピーを覚えている。 神奈川県の相模原だったかな?電柱にポスターが貼ってあった。笑ったよ。 「宇宙怪獣・アジャコング」 と書いてあった。僕の勝手な想像だけど『自分よくわかんないっすけど。ジャガー先輩に声掛けられたんでやるっす!沖縄行くっす!手伝うっす!』っていう光景が見えて可笑しい。 でもね。 「宇宙怪獣」が立ち上がってくれたんだよ! 「地球人類」も何かせんと!! 11月8日(日曜日)那覇市民体育館15時開場 16時開始特別リングサイド 5000円リングサイド 4000円自由席 3000円当日券は500円増しです。チケットぴあパレット久茂地りうぼうプレイガイド沖縄三越プレイガイド栄町のまなばん食堂でも売っています。ミヤギマモルさん他、歌手も参加します。ジャガーさんは先週末、珊瑚舎スコーレの夜間中学を見学に訪れお婆さんたちに「勉強は楽しいですか?」と声を掛け、「昨年亡くなった私の母も義務教育を受けられなかった。学校へ行きたかったと言っていました。」と話されました。この珊瑚舎スコーレの代表、星野さんやボランティア講師の方々など多くが沖縄県外の方なんです。沖縄の人こそやるべきなのに、頭が下がります。当日僕は自由席で見学しま~す。チャリティー興行だけど、アジャコングはジャガー横田に一斗缶をぶつけてくれるかなぁ。ぶつけてほしいなぁ~。
2009.10.26
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「近藤等則・天の岩戸を吹く・伊平屋~日食」無事終了しました。報告が遅くなりました。実は本番4日前に突然パソコンがクラッシュしてしまい、何も出来ない状況です。これはネットカフェから書いています。なので詳細な報告と、写真は数日中にUPします。今日は、取り急ぎの報告を致します。本番前日の21日午後13時頃、スタッフの宿泊となっていた公民館の中庭にいた近藤氏が突然「皆~、来て見ろ~」と叫ぶのでそこにいたほぼ全員が外へ出ると、これまでに見たことのないほどの超巨大な日輪が…全員が翌日の好天を予感しました。そしていよいよ本番の日。機材セッティング中にはポツリと来ていた雨が、近藤氏が登場すると突然止み太陽が顔を出してくれました。会場にいたある方のブログにはそのときの様子を「ウソッ!何、この人?」と書いていました。伊平屋の普段のどピーカンでは「倒れる人が多く出るかも知れない」と救護室も用意していましたが、太陽の周り以外は雲に覆われて、射すような直射日光は全くなく涼しく最高にすごしやすいお天気でした。初めから終わりまでしっかり太陽は欠ける様子を美しく見せてくれて、近藤氏も演奏中に時折日食めがねを取り出して太陽を見ていました。その日食めがねも今回の「近藤等則 ・伊平屋~日食」の為に僕たち実行委員会が作ったオリジナルです。その写真も近日中にUPします。ステージに登壇した近藤氏は開口一番「皆さん、どうですかぁ?このシチュエーションは?」と。観客から「サイコーォー!!」と返ってくると嬉しそうに吹き始めました。近藤氏の音は、氏のこれまでの演奏イメージとは違い、終始穏やかな音色でした。太陽に、天の岩戸に、海に、観客に、溶けていくような音でした。終盤に島の子供たちが参加しての踊りを見ていた僕の母は「あれは良かったねぇ~」と。子供たちのご家族もニコニコして写真を撮ってたい姿が印象的でした。そして最後をなんと近藤氏は1996年に久高島で嘉手刈林昌さんが演奏した「唐船どーい」で締めくくったのです。僕がプロデュースした「沖縄の魂の行方」に録音されている曲です。天国にいる林昌さんに捧げたいと。この「唐船どーい」にあわせてのカチャーシーで終了しました。素晴らしい時間でした。600人の方々と神秘な宇宙と音を共有できた、不思議な、不思議なひと時でした。協力してくれたスタッフ、伊平屋役場の皆様、伊平屋商工会の皆様、島の皆様、そして伊平屋島の神様、ありがとうございました。
2009.07.29
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伊平屋島の天の岩戸の前に、近藤氏のステージを作ってきました。ステージが予想よりも早く出来たので、昨日帰ってきましたが、でもとにかく暑かった。腕と顔が真っ黒になってしまった。帽子かぶっていたのに。 10日の金曜日、役場が材料と車を貸してくれた。当初は岩戸に僕を降ろして夕方に拾いに来る予定だったが「自由に使って」と。 これがホントに助かった。 12時20分伊平屋着のフェリーで港へ上陸。役場へよりクマヤ洞窟前(天の岩戸)について13時半から始めたのだが暑い! 18ミリのベニヤなどを岩の上に上げていると80過ぎくらいのお爺さんが農作業へ行く車から「何をやっているか?」と声を掛けてきた。 ステージの説明をすると「この前もここに作った。そのときはもっと大きい敷き台だった」と言う。最近というのは聞いたことがなかったので「いつですか?」と聞くと「40年前。天の岩戸開きをした」と。 確かに40年前も数週間前も、この前、といえばこの前だ。 「暑いから気をつけなさい。」と。 17時頃にお水を買いに行こうとしているとまたこのお爺さんが来て「水なら私のをあげる」と飲みかけのペットボトルを出してくれたが温い。 「冷たいのが欲しいので」と遠慮。 18時半にインパクトドライバーのバッテリーが切れたので、この日は終わり。 公民館でシャワーを浴び、クーラーを効かせ寝ていると「内間荘」のご主人から電話が。「知念さん。カレー作ってあるから食べに来てください」と。20時前で、まだ居酒屋つり吉に行くには早過ぎたので呼ばれに。 今回は三泊の予定なので節約するために公民館に泊まります、と港でばったり会ったご主人に話していた。 「内間荘」は宿であって、居酒屋でも食堂でもないのに、冷たいビールとおつまみを沢山出してくれた。本来の宿泊客に出すもの以上に豪華。 途中、つり吉の津田さんから電話があり、東京の先生が急に来て商工会で歓迎会をしているのだが自分が調理をしているので遅くなる、と。「じゃあウチでゆっくり飲んでください」と次々とビールが運ばれてくる。しまいにはワインを二本。 「もう眠いので帰ります。お幾らですか?」 「私が呼んだんですから、結構です」と受け取ってくれなかった。 奥さんも「こんなことくらいしか出来ませんから」と。 いっぱい飲んで沢山食べたのに・・・感謝。 翌日、ステージを目立たせないようにペンキを塗る。 梯子も作ってほしい、と近藤さんに頼まれていたがこれはすぐに作れるので今回は無理をせず、ここで終了。まだ、少しフラフラしている体調。 本番まで雨、風にさられて目立たないよう自然に溶け込んでくれたら言う事なし。だけど風で飛ばされないよう上に石を置き、ワイヤーで三箇所固定してきた。 これでも強風で木っ端微塵になっていたら、笑おう。 シャワーの後、「明日は諸見さんと二人できてください」と言われていたので「内間荘」へ。 またも食事を用意してくれていた。 後ほど商工会とミーティングがあるのでと、ビールは軽くジョッキ一杯。 またもお金を受け取らなかったので、ビール代だけでも、と無理やり受け取ってもらった。 夜、21時半から商工会と役場の担当者と会議。 商工会は誤解があったので諸見君が一つ一つ説明して誤解を解いてくれた。 最後には商工会も全面的にバックアップしてくれる事になり、笑顔で会議終了。24時を過ぎていた。 やれやれと、二人でつり吉へ。 キンキンの生ビールのあとに伊平屋のお酒「照島」。 最後に「いつものように前の浜辺で飲んできます」と言うと「私も行きます」と津田さん。 この夜は月明かりが強すぎて星があまり見えなかったけど、海風と波の音が心地よかった。 結局寝たのは4時頃。 前夜祭のグランドの下見をして、米崎キャンプ場をチェック。なんとまあ美し過ぎる海よ。透明度が凄すぎて、怖くなり泣き出す子供も多いという!! クタクタで帰りのフェリーでは爆睡だったけど、良い二泊三日でした。 泣いても笑っても、もう残り後10日。 どんどん、とてつもない「お祭りに」なりそうな気がしてきた。 日食メガネも300人分、用意できたよ。 天の岩戸の前での日食と「地球を吹く」近藤氏を堪能しましょうね!
2009.07.13
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いよいよ皆既日食が近づいてきました。 沖縄の伊平屋島で行われる「近藤等則・天の岩戸を吹く」伊平屋~日食、では最大食94,6パーセントという日食が見られますが、このお祭りの最大の特徴はなんと言っても「天岩戸の前での日食」でしょう。 岩戸の入り口へ上る、近藤氏。 今月6月22日に伊平屋島へ来られました。想像以上の大きさに「ウォー」と。 岩戸の入り口手前で立ち止まる、近藤氏。 7月22日にこの岩戸の下は「お祭り」となるでしょう。近藤氏のエレクトリック・トランペットの「音」に宇宙との一体感を感じる、素晴らしいコンサートを想像します。 この日の夜には村長さんや島の方々と深夜まで飲み交わしました。 このお祭りの詳細はこちらへ。 http://okinawa-tamashii.net/iheya/
2009.06.27
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今日、那覇市のてんぶすほーるで近藤等則氏のコンサートがあります。これは来月の22日に伊平屋島で行われる「近藤等則・天の岩戸を吹く」伊平屋~日食、を広く告知するためのプレイベントです。18時30分開場。19時開演です。あまりにも忙しくて、ここ最近はブログの更新が出来ませんでした。明日は、近藤氏と二人で伊平屋島へ行ってきます。う~んん、ぶつ切りの文章にかなりの疲労を感じますね。ではまた。
2009.06.21
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難航していた那覇でのプレイベントの会場が決まりました。 国際通りのド真ん中にある「てんぶすほーる4階」。 http://www.tenbusu.jp/shisetsu_riyou/hall.html 6月21日。18時30分開場の、19時開演。 前売り2500円。当日3000円。 前回のブログに書いた場所は、次回に実行します。那覇の中心にあり、駐車場もたくさんあり、客席から海までわずか5メートル。しかも雨が降っても屋根があるから問題ない。屋根があるのに壁は一箇所だけという開放感。吹き抜ける風が気持ち良い。誰でも知っていながらもそこではイベントは誰もやってない。っていうか、誰もそこでライブをやろうと発想した事もない場所。 ここでやれば、メディアや一般の方も注目するだろうと考えた。 で、ここは一発、当たってしまえと、コネはないけど「コンコン」とドアを叩いて話しをしました。 無理だろうなと、思っていたら後日「会議をしました。良いですよ」と。 でもさ、断ってしまった。ホンットニ、申し訳ありません、と。 そこをライブスペースに変えるには膨大なエネルギーが必要となる。 もう、時間がない。 でも、そこでは、いつか絶対になにかをやります。 沖縄の若い連中が「あー、あそこでやれるんだぁ」と思うでしょうから。前例を作れる。 あ、そんなことはどうでもいいか。 この本番が、単なるイベントではないことを沖縄の方々になんとか知らせたい。そればっかり、毎日考えています。どうしたら良いのか。 今年の初め、資金が全くないので諦めようと考えていたら、近藤さんが「知念君、これは神事や。神事は出来ないわけがないんや」と。 近藤マジックか、資金はないのに、プレイベントに突入してしまった(笑) DJ NUDOも行動してくれた。嬉しい。感謝。 21日、プレイベントの翌日に近藤さんは伊平屋島に行きます。 もう、そのとき近藤さんが美しい海を見て感動し、天の岩戸と言われている「クマヤ洞窟」の荘厳な様子を見て絶句する顔が、目に見えて、一人で笑っています。 早く、その顔が見たい。 とにかく、プレのチケットを売らねば。 250席。 満員になっても黒字になるのは十万円ほどなんですよ!諸々、高すぎる。 沖縄に友人、知人がおられる皆さんは、是非、このプレイベントへ「行ってみて!」とお伝え下さい。 沖縄におられる方々は是非、お越し下さい。何しろ、本番は無料で行うので、ここで少しでも今後の活動資金を蓄えないと、大変!なのよ。俺たち。たとえ十万円でも貴重な資金さ。 何しろ今さ、ゼロなんだからさ。 さ、さ、って、言葉使いがおかしくなりました。すいません。「近藤等則・天の岩戸を吹く」伊平屋~日食 http://okinawa-tamashii.net/iheya/ ↑ 見て↑見て見て見て↑ 分かりにくいという、動画の場所はここです。↓http://okinawa-tamashii.net/iheya/sb.cgi?page=2&cid=4http://okinawa-tamashii.net/iheya/sb.cgi?page=2&cid=4見て、見て!!!!
2009.05.23
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一日でこんなに違うものなんですね。昨日の写真と較べても随分と緑がカメラを通しても確認できます。今日の沖縄は朝からしとしと降り続いていましたからでしょうか。水道の水よりもやはり、天の水、雨水は生育にはっきりと違いが出る事は、これまでの経験で知っていました。 昨日のブログに書いた「近藤等則・天の岩戸を吹く」のプレイベント会場として使用したいと考えているスペースの管理会社へ、許可をいただきに行ってきました。答えは、・・・・「1~2日待って欲しい。皆さんの意見も聞かないと」。という事でした。そりゃ、そうですよね。すぐに返事を下さい、というのは無理なことです。しかし、たとえOKをいただいてもかなり厳しい問題が出てきました。またまた、胃が痛い日が続きます。 「近藤等則・天の岩戸を吹く」は日食の日、7月22日に沖縄の最北の離島、伊平屋島で行われます。スッゴイ、ところですよ。まずはHPでチェックしてみて下さい。動画の場所が分かりにくいというメールがありましたので、ここです。↓http://okinawa-tamashii.net/iheya/sb.cgi?page=2&cid=4http://okinawa-tamashii.net/iheya/sb.cgi?page=2&cid=4見て、見て!!!!
2009.05.18
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そういうつもりじゃなかったんだけど今日のタイトル、変にイヤラシイ。 肉眼でみると全体的に生えているのが分かるのですが、写真だとちょっと分かりにくいですね。茶色のお米のような粒々が芝生の種です。 昨日も今日も、沖縄は暑くて一日中外を走り回っているあいだも、二時間に一度は車を止めて水をかけていました。ま、一分で終わりますから。でも、心はプレイベントのことばかり考えていて何をやっても胃が痛いのです。落ち着かない。「なんで今日は日曜日なんだ」とイライラ。早く明日になってほしい。プレイベントの会場として使わせてほしい、あの場所の管理会社に行って話しをしたい。 どうなることやら。 「近藤等則・天の岩戸を吹く」伊平屋~日食 http://okinawa-tamashii.net/iheya/動画もあるので、一度見てください。「こんな音楽があるのか?」と驚きます。
2009.05.17
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近藤等則氏を招いての「地球を吹く」IN沖縄のプレイベントの日程は、6月21日です。近藤氏はその日、北海道のライブを前日に終えて、沖縄に直行します。なのに、なのに、まだ、プレイベントの場所が決まってないのです。ヤバイ。やばすぎる。実は、とある場所を候補に考えています。でも、従来の常識ではない場所なので、そこの了解が得られるか、とっても不安なのです。例え、了解が得られてもそこをライブスペースに変えるには大変な労力が必要となります。でも、その場所はとっても気持ちの良い場所なので、捨てきれないのです。月曜日に、そこに体当たりしてきます。コネクションは全くないので、ピンポン~から始めなくてはいけない。結果は、来週の月曜日にこちらで報告します。どうか、良い方向に行きますように・・・「近藤等則・天の岩戸を吹く」伊平屋~日食http://okinawa-tamashii.net/iheya/
2009.05.16
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5月13日、この「地球を吹くin Japan 近藤等則・天の岩戸を吹く 伊平屋~日食」は文化庁・文化力プロジェクト「九州・沖縄から文化力プロジェクト」の参加事業となりました。これは、九州・沖縄・山口の地域における文化活動の充実や、九州・沖縄・山口から文化を発信し、社会を元気にすることを目的としており、九州・沖縄文化力推進会議と文化庁が推進しているものです。沖縄から、伊平屋島から、熱い文化力を発信していけたら良いなぁ~。一夜だけで終わらず、余韻を残す素晴らしいコンサートにできるよう、どうか皆さんのお力を!!「近藤等則・天岩戸を吹く」伊平屋~日食 httptamashii.net://okinawa-/iheya/ 芝生の情報はもう少しお待ち下さい。先日、種を蒔き、今は毎日水遣りの日々です。少しだけ、芽が出てきましたよ。でも、今までとは種の種類が違うのがドキドキ。今までの暑さに強い種子はなぜか、どこの種苗店も販売を止めてしまい沖縄なのに「寒さに強い」種子に変わってしまっていました。何でだーーーーーーーーーー!!!!って、そんなことよりも今の僕はこのコンサートで頭がいっぱいです。
2009.05.14
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えらい事になりました!車上緑化計画が、突然崩壊しました。あまりにも見事な崩壊だったので 笑った。けど、焦った。今日、キャンプに行こうと高速道路の那覇インターに入り、徐々にスピードを出し時速80キロを超えたあたりで「バホンッ」という音が車上から聞こえました。「あっ、ヤバイ」と、近くに見えた高速バスの停留所に止めて外へ出て驚き!この写真は芝生を固定している周りを、カッターで切り落とした後なのです。車から降りた直後は、真ん中部分が破れてしまっている状態でした。実は3週間ほど前に海岸に、ほぼ丸一日止めていた為でしょうか、ほぼ半分が枯れてしまっていたのです。それで数日前に前面と右側を修正していました。修正をしなかった真ん中部分から破れてしまいました。 でも、ちょうど良かったな。全部めくって、驚いたのです。全く、錆びていなかった。ちょっとだけ、気になっていたのです。見て! 錆がどこにも見られません。 キャンプを中止して、早速あらたに芝床を作り直しました。4時間、かかったぁ。でも、初めて取り付けたときは8時間かかったから良しとしましょう。これが完成した「芝床」です。これに種を植えます。高速で、あるいは一般道で、万が一破れたりずれたりしても、絶対に後方へは飛ばない処置をほどこしていたのが功を奏しました。やはり備えあれば憂いなし、ですね。 今回は、さらにあらたな策をほどこしました。 これまでも「あそこを直したい。」と思う事が何度かありましたが、時間がかなりかかってしまうので延び延びになっていたので、ここで一気にやり直す事ができてすっきりした。 写真の上のほうで最近、拾ってきた子犬がこっちを見てます。名前はまだ無い。 他にもたくさんの出来事がありましたが、お腹すいたので続きは明後日!!キャンプから帰ってからにしましょう。
2009.05.03
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昨年から計画していました「近藤等則 ・地球を吹く」沖縄編が決定しました。 沖縄の最高の聖地である久高島でコンサートを許可されたエレクトリック・トランペッター近藤等則が「地球を吹く」としても初めて観客を前にして演奏したのが1996年でした。 あれから13年、一廻りしました。 神の島で演奏した近藤氏にふさわしい次なる地はどこか。 大地のエネルギーに満ちている地は。 それは様々な神話がある伊平屋島・クマヤ洞窟前以外にないと、我々は確信に至りました。 この島で行う意味は、当日の日食と深い関係があります。 江戸時代の学者・藤井貞幹はその著書「衝口発」に『真正の天の岩戸は琉球の恵平屋(伊平屋)にあり』と記し、本居宣長らと論争になったという記録があります。 南海の絶海の孤島にある洞窟を、遥かな距離を越えて当時の彼らが如何にして知りえたのか。 その「天の岩戸」と一説で言われている『クマヤ洞窟』前の海岸にて『近藤等則・天の岩戸を吹く』を伊平屋村との共催で行ないます。 この、時空を越えた伝説は近藤氏にどのように降りるのか、そしてどのようなサプライズを我々に体感させてくれるのでしょうか。 かつて瀬戸内寂聴氏が「あなたの音楽は真言(マントラ)、宇宙に向かって発する言葉なのね」と語ったように、太陽が隠れ地上を闇が支配するなか宇宙に語りかける近藤氏の音により徐々に光が戻り完全に復活したその時、島の子供達約80人がいっせいに近藤氏の音に加わります。 宇宙と、地球と、子供達と、近藤氏の競演は、想像するだけで胸が躍ります。公式サイトUPしました。 ↓ http://okinawa-tamashii.net/iheya/ 「日食」「沖縄・伊平屋」「天の岩戸」「近藤等則」がベクトルに揃いました。 伊平屋島で、古代の伝説が、僕達の前でどのように立ち上がってくるのでしょうか?7月22日。 その日まで、あと、三ヶ月、です!!*このイベントに参加するには前日の21日に伊平屋島へ渡る必要があります。当日22日の始発のフェリーでは日食と同時に始まるコンサートに間に合いません。始発のフェリーは11時発で、伊平屋到着は12時20分です。ちょうど、日食が終わる時間なのです。沖縄でもダントツに美しい海があります。前日に、たっぷり伊平屋の自然を楽しんで、翌日、宇宙の神秘と今、蘇る伝説を一緒に体感しましょう。入場無料でやります。待ってます。
2009.04.22
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報告が遅くなりました。決まりました。 決定しました。『近藤等則 ・ 天の岩戸を吹く』長らくこのブログで発表出来ませんでした、その場所は。伊平屋島です。沖縄の最北部のさらに北方にある離島。なぜ、この島なのか?驚く理由があります。この島の突端に「クマヤ洞窟」と呼ばれる洞窟があります。その洞窟を江戸時代の学者、藤井貞幹はその著書「衝口発」に『真正の天の岩戸は琉球の恵平屋にあり』と書き、江戸で論争になったと記録されているそうです。 今回、伊平屋歴史民族資料館で「衝口発」の複製を見ました。 漢文だけど、そんなに難解ではなかった。 でも、藤井貞幹は電波の無い時代に、南海の絶海の孤島にある伊平屋島のクマヤ洞窟を遥かな距離を越えて、どのようにして知ったのでしょう? 今となっては謎ですが、時空を超えて彼の書は僕らに夢を与えてくれました。そして、日程は今年の7月22日、水曜日。なぜこの日か?それは、皆既日食です。天照大神さんが岩戸の中に閉じこもり、世が真っ暗に。他の神々は何とか岩戸の外に出てもらおうと、岩戸の前で歌舞音曲のフェスティバルを行うと「私が篭っているのに何故外が賑やかなのかしら?」と訝しく思い、岩戸の戸を開くと光がこの世に戻る。 まさしく太陽が光を失い、世が暗黒に支配される中、地球を吹く音により光が復活するこの企画そのものではありませんか! 瀬戸内寂聴氏が「あなたの音楽は真言(マントラ)。宇宙に向かって話す言葉なのね」と語ったように、宇宙に語りかける近藤さんの音、地球、そして島の子供達とのコラボは想像するだけで胸が躍ってくる。 では、そのクマヤ洞窟をご覧下さい。今回は自転車で向かいました。旅館などのある港近辺から35分。見えてきました。近づきます。 あまりの巨大さに圧倒されて息を呑みます。ここはほんとに地球なのか? やや右正面の姿。 上に上がる階段が見えます。 そして入り口。 入り口のUP大きさの説明は止めておきましょう。 是非、当日感動を味わってください。 僕が一番好きなアングル。右側から見た、ほぼ全景。女性のウエストラインのように見えます。 7月22日、伊平屋の日食の最大の食はおよそ93パーセントからもう少し上でしょうか。 100パーセントではありませんが、天の岩戸の前です。また、日食の時間と島へ渡るフェリーの時間の関係で、前日の21日に渡らなければいけません。でも、素晴らしいイベントになることでしょう。平日ですが、皆さん是非お越し下さい。詳細は決まり次第このブログで報告します。
2009.04.09
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このブログで去年から何度か書いてきました沖縄での「近藤等則 ・ 地球を吹く」の許可を得るために明日、ある島へ行ってきます。島の役場へ行き、真摯に話しをしてご理解をいただいてなんとか了解を得たいと考えています。ここまで何度も友人達とミーティングをしてきましたが、全てがここに掛かっています。島にとってもプラスになり、訪れる方々も満足するような内容だとは思いますが、やはり緊張します。これまで僕は、広島の宮島にある厳島神社や、愛媛県の松山城での近藤のイベントを実行してきました。特に、厳島神社では神社関係者に知り合いがいない状況の中でのスタートでしたから、それらに比べれば地元の沖縄ですからゼロからのスタートではなく協力者がいます。 でも、緊張してきました。多くの県外の友人達がすでに「行きます」と言ってくれています。実現すると近藤の、魂をゆさぶるとんでもなく凄い音を聞いた後で多くの仲間達と美味い酒を飲む事が出来、さらに新たな出会いが沢山待っていることでしょう。明日、行って、明後日那覇に戻ってきます。良い結果をここで発表できますように・・・
2009.04.06
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我輩は犬である。名前はまだ無い。この家に貰われてきてからもう一年経つというのに、ずぼらな飼い主が未だに名前を付けてくれない。「オイ」呼ばわりである。「オイ」と呼ばれて「ワン」と答えるムナシサ。 主食はドッグフードであるが時折、紙筒の中に入っているサーター・アンダギーというものをくれるが我輩はこれが大好物だ。飼い主が紙筒のふたをはずすと我輩はうれしくなり、激しく動きまわりついつい吼えてしまうのだが、その時決まって飼い主は「お前はパブロフの犬か!」と突っ込みをくれるが、その通り我輩は「犬」である。「犬」でなかったらなんだと言うのだ。 まったく。 飼い主は我輩の事を「ウチの馬鹿犬」とことあるごとに話しているようだが冗談じゃない。飼い主の方がよっぽど「バカ人間」である。車の上に芝生を植えていい気になっているようだが、バカのやることである。とてもまともな人間の所業ではない。よくもあんな車に乗れるもんだ。バカが乗れる車である。知り合いから『カッコイイー!!でも、世界で一番乗りたくない車だよぉ~』と、メールというものが来たそうだが、まともな人間はそう言うものだ。 これが現在の我輩である。時折散歩に行くが何度も「珍しい!琉球犬ですよね?」と聞かれるがそのたびにバカ人間の飼い主は「違うと思いますよ。ダンボールに捨てられていたのでよく分かりませんが」と答えている。一年前のことなのに 我輩もすっかり忘れていて思い出せない。 我輩はどこで生まれて母親はどういう犬だったのか・・・まあ、いいや。サーターアンダギー、くれ!!
2009.04.05
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2005年11月3日の日記を再度、掲載します。この頃はCD「沖縄の魂の行方」を制作していて七転八倒している頃でした。 *************** 頭の中がCDのことしか考えられない状態が続いているので、脳をリフレッシュするためにも全く違うことを少し。 僕が今、仕事をしているところに一人、物凄い男がいる。廻りから『馬鹿が服着て歩いている』 『天下一馬鹿の会会長』と言われているのだが、全く異論のない凄い男。 中学を卒業してすぐに職人の世界に入り、現在38才だが離婚して子供が一人いる。 この男の凄さは毎日深夜2~3時頃まで酒を飲み、翌日6時半には現場に現れるのだがその酔い方が半端ではない。二日酔いではなく、今現在超へべれけ。ING。ぷんぷん匂う。足はふらふら。ろれつが回らない。打ち合わせが出来ない。周りに聞くと多分15年間くらいこんな感じだという。 よく起きて来られるもんだと感心するが、週に一回は無断欠勤をする。 何度も自ら辞め、他所へ行っては一日でクビになり、1,2ヶ月で戻ってくる。これを何年も繰り返しているらしい。 もう明日から来なくていいっ!と言われるのを察知して翌日から突然来なくなるので本人曰く「俺はよぉ、これでも一回もクビにはなったことがないんだぜぇ」 何度も受け入れる方はとっくにうんざりしているのだが自分たち以外、世界のどこにもこの男を受け入れるところはないからと、大人の対応だ。この辺り、黒澤明の「どですかでん」或いは開高健の「日本三文オペラ」の世界。 当然午前中は全く仕事にならない。 昼食は気持ち悪くて食べられないので、一人壁にもたれて「ピルクル」をチューチューすすっている。 DJを目指している22歳の男が言った。 『なんか弱った虫が木の汁を吸っているみたいで、最高に面白いっすね。死ぬんじゃないすか、そろそろ(笑)』。 それを聞いて生き絶え絶えに『死にてぇよお~』。 まともに食事をとらないので体重も40数kg。ガリガリ。ホントにいつ死んでもおかしくない。 午後からやっとまともに仕事復帰。なかなかやる。 段取りが異常に早く、別人かと思うほどだ。 『俺よぉ、午後からの出勤っつうことにしてくれりゃよぉ、やるヤツだよね。な?』。違うね。だって時折午後3時、4時までろれつが回ってないことがあるもの。 仕事が終わると50CCのバイクでいつものところへ直行。 あるときその途中でお巡りさんに停められ、免許証を拝見となったのだが、差し出された免許を見てそのお巡りさん絶句して言った。 『なんだこりゃあ!』 『あぁ~?? 見りゃあ分かんだろうよ。免許だよ。免許のカラーコピーだよ』 『お前ねえ、こういうの何ていうか知ってるか?公文書偽造って言うんだよ、公文書偽造!』 『何てぇ~??そんなムツカシイ言葉、オレ聞いた時ねえや!だってよぉ、酔っ払って何回も再交付してっからよお、もう本物は持つの止めたんだ。5回も再交付してっからよぉ!』。 腰砕けになったお巡りさんは『俺はなあ、お前のような馬鹿と話しするために警察学校行って警官になったんじゃないんだ。もういい、あっち行け!行け!』 と無罪放免となったらしい。翌日彼が『いやーホント、良い奴だったぜぇ、切符切らなかったんだからよぉ。あいつは良いお巡りだよ。』 よっぽど悲しかったんだろうなあ、お廻りさん。苦学してたのかな? で、無罪放免になった彼が向かった先はいつもの所。 ここがまた凄い所。 飲み屋ではなく、70才過ぎのお婆さん一人暮らしの借家。 通称猫屋敷。 不動産屋は更地にして駐車場にしたいのだがその年で立ち退かせるわけにもいかず、お婆さんが死ぬのを待っているんだと彼は言う。現にその家の周りはぐるりと駐車場。駐車場の真ん中にポッカリ一軒だけある。 一度だけ怖いもの見たさで覗いたが強烈な臭いに目が痛くなった。 そこへなんと連日連夜7~8人が仕事が終わり次第風呂にも入らず、家にも帰らず酒を担いで集まり深夜まで飲み会をしているのだという。 毎日だ。しかも何年も。 どこでそのお婆さんと知り合ったかと聞くと、居酒屋だという。 何年か前にいつも行く居酒屋で、一人で飲んでいるお婆さんに声を掛け友達になり、それからは、猫屋敷が彼らの居酒屋になったのだ。 それにしても70才を過ぎて毎日一人で居酒屋に来るお婆さんの人生も凄まじいものがある。 その猫屋敷の玄関前に車椅子が置いてあるので、足が不自由なのかと聞くと、『あー、あれはオレが買ってやったんだよ。だってよぉ~、松葉杖で飲みに来るからよぉ、これで来いやあ』と買ってあげたんだそうだ。 『良いところがあるじゃないか!馬鹿のくせに』と褒めると『えへへへえー』と喜んでいた。 そのお婆さんの入れ歯がコップに入っていて、それを知らずに焼酎を入れて飲んでしまい、慌てて入れ歯ごと表に吐き出してお婆さんの怒りを買い、暫く出入り禁止になったり、酒瓶で頭を割られ包帯ぐるぐる巻きで現場に現れたりと、まだまだ面白い話は一杯あるが、疲れた。終~わり。 さ、CD、CD。リフレッシュどころか疲れた。「沖縄の魂の行方」HP見てね! *************** この馬鹿が死んだと、今日連絡がありました。 上の日記を書いたのが2005年。 あれからも、病院に担ぎ込まれて入院している最中に逃げ出し、酒を飲みにいきまた倒れるということを数回繰り返していました。 すっかり顔なじみなったドクターに「君ねぇ~。もう来なくて良いよ。酒を止める気はないんだろう?」と言われ、 「えへへぇ~。医者がよぉ、飲みたいだけ飲めってよぉ!医者、公認公認」と笑ってた。 去年末に電話があり「チネンチャンよぉ~。オレ、また戻ったんだぜぇ~。スゲェだろう。でも、今度はちゃんとやるよ。」 「もうさんざん言ったからゴチャゴチャ言わないけど、次こそ死ぬぞ! いきなり酒を断つのは難しいだろうけど、せめて飯食ってから飲め!」 破滅的な生き方しか出来ない人間がいる。 これはもう、業なのだろう。 かつての落語家にも多くいた。 43歳という早死にでご両親には親不孝した。 でも、あの、車椅子を買ってあげたお婆さんにはお前は良いことをしたよ! 助よぉ、助さんよぉ。 お前が生きていた事を今、皆に伝えたよ。 あの世でしこたま飲め!!!
2009.03.30
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先日、沖縄米軍基地内で発行されている月刊誌「Living Okinawa」から僕の車を取材したいと連絡がありました。基地内で二万部発行のフリーペーパーですがしっかりした作り。A4サイズ、紙質も良く、全てのページがカラーの80ページ。 中は、およそ7~8割が広告で埋まってましたが、ハブについての1ページや、ダイビング記事、古い民家の記事などが載っています。 『沖縄に来ている兵隊のファミリー向けの月刊誌で、沖縄を知ってもらおうという目的で作られています。ほとんどの家族が沖縄の文化や町を知らずに来ているので、出来るだけ沖縄を理解してもらおうというものです。』と、仲介してくれたEPA通信社の真栄城カメラマンが話しました。 「そういう事ならOKですよ。小さな島で面白みが無いと思ってるかも知れない家族に、沖縄にもファンキーなヤツがいるぜと、教えましょう!」何しろ僕は96年にエレクトリック・トランペッターの近藤等則(こんどうとしのり)氏に米軍基地の金網の前で演奏してくれと依頼したことがあるのです。演奏するこちら側には沖縄のお客さん、金網の向うには米兵達。 近藤氏の演奏で皆が感動するでしょうけれど、感動させるのは金網のこっち側にあるのだ、ということを示したかったのです。結局、近藤氏に「それも良いけど、せっかく沖縄に呼んでもらえるならもっと気持ちの良いところで演奏したいなあ」という言葉で紆余曲折の結果、神の島である、久高島になったのですが・・・ 北谷町(ちゃたんちょう)にあるマクドナルドで待ち合わせして、キャンプフォスターのゲートでチェックされた後、中に入りました。アメリカ人は県内どこでも自由に行き来できるが、僕達は入れない場所がたくさんある。どこかに金網で囲って日本人しか入れない場所を作り、そこからは「いつも音楽と笑い声が響く」場所を作る、というのは意味ないか。意味無いよな。そういう所こそ彼らに「どうよOKINAWA?こういうことこそ一番お似合いの島なんだぜ!」と言いたいものね。 ライター兼エディターのシンディーが可愛い。アメリカ人にもこんなに華奢な女性がいるのかと驚き!「新里さんどいて!」とは言えなかったので右半身のみ。彼に悪いからもう一枚。カメラマンの彼女は・・・アメリカ人らしい、、、かな。ブログにUPして良いかいと聞くと「ノープロブレム」通訳をしてくれた海兵隊コミュニティサービスの新里さんを交え、取材が始まりました。シンディーが「なぜ、こんなことを?」と聞くので、空を指差し「too hot」「暑いからじゃ」と答えるといきなり爆笑。 「暑いのはあなただけじゃない。皆、暑い。なのになぜあなただけこんなことを?」と、笑いながら聞く。 「他の人のことは知らないよ。僕のインタビューを終えたら街に出て、なぜあなたは車の上に芝生を植えないのか?と聞いてみたら?」笑顔で「アホか!」と表現していた。 製作過程を一通り説明するとカメラマンの彼女が(名前を聞かなかった)芝の種に異常に興味を持ち「種の袋を持って車の前で笑ってくれ」。 「芝の種のCMみたいだよ」 「もっと口元に近づけて!」「ドリンクじゃないんだから」 「もっと口の近くに!」 シンディーが「運転していてこれまでにどんなことがあったか?」と言うので、前から気になっていたことを彼女に逆に質問した。車上芝生をしていなかったら気がつかなかったことだ。沖縄の子供達はこの車を見るとピョンピョン飛び跳ねたり、声を張り上げたりしてその場で驚きと可笑しさを表現する。けれども時折信号待ちで隣り合わせたり、併走したりするアメリカンスクールの子供達は皆、一様にもじもじしたりノーリアクション。陽気なアメリカンのイメージがないのだけどどうして?本国を離れている子供達特有なのか? シンディー。アメリカの子供達が陽気じゃないとは思えない。きっと、そのときは可笑しさを表現したくなかった、何らかの理由があったのだろう。あまりにもつまらない答えが返ってきたので、彼女への質問は止めた。「ヤバイやつと思って目を会わさないようにしたのかな?デンジャラスってか?」と言うと「yes yes」と笑いころげてた。 近藤等則の話をすると知らないようだったが『地球を吹く ~blow the earth~ 』の説明をすると興味深そうに聞いていた。いつかキャンプ内でのフェスティバルに呼びたいと思ったら、ギャラをはずんでくれ!日本政府の思いやり予算だろう?とは言わない。 6月号に掲載します『ありがとう』と日本語で別れの握手をしたので、笑えるように書いてよ。今日の感じで書いてねと言うと『OK、OK』。ホンマか? 6月号、楽しみだ。 このブログで結果報告しますね。
2009.03.29
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「泡盛館」に感動します。泡盛館の宮城館長に感動しています。これから書いてあることは全てホントの話しです。読み進むうちに「うっそぉ~」と思われるかもしれませんが、真実です。このシンジラレナイ話を書きたくて僕は13ヶ月もウズウズしていましたが、ついに解禁です。 ***************首里城から車で3分ほど石畳方面へくねくね降りると、僕が子供の頃遊んでいたすぐ近くに「泡盛館」はあります。その種類の豊富さは沖縄県内でも抜きん出ているのではないでしょうか。遥かな昔の悲しみが詰まった泡盛から、世界を向いた自信に満ちている泡盛。そしてここ泡盛館でしか購入できない名酒まで。僕が宮城館長と始めて言葉を交わしたのは一昨年2007年の2月。僕が制作・プロデュースしたCDを委託で置いてもらえないかと訪ねました。快く承諾していただきながら僕はその後、9ヶ月も泡盛館へ行きませんでした。一度、足が遠くなると益々行きにくくなるものです。「さすがにこれはマズイ」と意を決して再訪すると笑って「いやー、ウチは酒屋だからやっぱり売れないねぇ。あんたも大変だろう。今、何やってるの?」従姉妹のお姉さんが精神障害者の自立を支援するNPOを立ち上げているので、時折手伝っていますと話すと「そうかぁ、大変だろうねぇ。お金は無いけど僕は酒屋だから、そのNPOにお酒を寄付しますよ。27年古酒。ウチでの販売価格が7万円です。これをそちらのNPOに活動資金を寄付された方に差し上げたらどうですか?寄付される方も喜ばれるでしょう。」 「えっ!? えっ!? 7万円の古酒ですか?お姉さん感激しますよ!」「それなら僕も嬉しいよ。これを毎月一本、寄付します」 「えっ!? えっ!?えっ~~!? 毎月一本ですか?」「はい。毎月一本。これを5年間。つまり60本寄付します」 「えっ~~!? えっ~~!? 5年間。毎月、一本???」「ただし条件があります。寄付されたのだからと、自分たちで飲んでしまわないこと。この価値ある古酒を、その障害者の方々の活動に役立ててほしいのです。もう一つこれは出来ればだけど、三年間は我慢して外に出さないで欲しい。あと三年経つと30年古酒になり一本の価格が10万円になります。これは適正価格ですよ。でも、ウチで10万円で販売しているからといってこだわらなくても良いです。3万でも4万円でも寄付された方に差し上げてください。30年古酒です、と」感動しました。次の言葉が中々出て来ませんでした。「なぜですか?僕は宮城館長とお話するのは今日でまだ二回目ですよ?」 「いや~、この価値ある泡盛を売るだけではなくて、それ以外に活用の仕方がないものかと常々考えていたんです。」帰り際に僕は宮城館長に確認しました。 「この話しをブログに書いても良いですか?」「いえ、まだ僕は寄付する、と言っているだけです。せめてそちらに十数本が確実に渡ってからにして下さい」と言われたのです。そして、今、すでに十数本が従姉妹のお姉さんのNPO事務所にあります。やっと、僕はここで皆さんにこのお話を紹介することが出来ました。そして先日、さらに驚くことがあったのです。「知念さん。飲みに行かない?」誘われていきますと那覇市から離れた、宜野湾市のスナック?のようなお店です。そこで30年古酒をしこたまご馳走になりました。なんという美味さなのでしょう・・・「幸せ」というものを液体にするとこうなるのかぁ、と心の中でうっとり。時間はただ過ぎ去るだけではなく、ぎゅっと凝縮されてボトルのタイムマシンに詰まっていました。うっとりしていると宮城館長がお店のオーナーを呼び「あなた、もうこれからはウチで10万円出して買わなくても良いよ。この人の従姉妹のNPOに3万円でも寄付して、代わりに貰ったら?」驚きました。毎月古酒を寄付してくれるだけではなく、泡盛館で購入されているお客さんを減らしてまでもとことん付き合ってくれるなんて。 実はこの後、さらに凄い展開になったのですが、この続きはまたいつかUPします。一度に書いてしまうには、あまりにもったいないので・・・・沖縄へ来られたらシンジラレナイ泡盛館に、一度はお越し下さい。HPで宮城館長の写真を見ると、鶏を頭から丸ごと食べてしまいそうな顔をされています(笑)が、泡盛を愛する心優しい経営者です。レンタカーではなくモノレールで観光される方でも、首里城からお電話されたらお迎えに来てくれると思いますよ。
2009.03.27
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新聞紙を頭からかぶせる恐ろしい美容室、いや床屋の話を昨日書きました。今日は、輪をかけた恐ろしい床屋、京都編です。その前にこんな感じの店構えです。 ↓このお店ではありませんが、ホントに似ています。昨日はこのお店の正面のショットを紹介しましたが、似ています。ふと、気づいたのですが僕が体験した沖縄のお店は数十年前です。京都は20年前でしょうか? なのに、このお店は今、現在、の店構えです。どんな店主がいて、どんな客が来るのでしょう??恐ろしい。。。京都。およそ、20年前。僕は二ヶ月だけ、京都に住んでいたことがありました。ある日、とある商店街を歩いていました。記憶が定かではありませんが「新京極」だったような気がします。なんとなくふらっとメインの通りから路地へ曲がりました。僕の変な癖。外国へいっても、いつのまにか路地へ入ってしまいます。危ないと言われても裏道や路地につい足が向くのです。京都。何気に上の写真のような床屋が目に入りました。「ああ、そういえば髪、伸びたなぁ。切るか。」入りました。もう少し賢い僕ならば、その時に中学のあの恐ろしい床屋と「瓜二つである」ということを思い出して入らなかったはずですが、残念ながら新聞紙を頭からかぶせられたバカは、大人になって、磨きのかかったバカになっていました。中に入るとこれからのことを暗示するように、客が一人もいません。爺さんが新聞を読んでいました。ここまでは、あの沖縄の床屋と一緒です。違うのは爺さんは椅子、ではなく、長いすに仰向けになって新聞を読んでいました。客が混んでいるときに待っている間、座る長椅子です。「はい、いらっしゃい」。日本語です。『ぬぅ」と語尾は上がりません。 わりとにこやかに鏡の前の椅子に座るように僕を促しました。新聞紙ではなく、ポリエステルのカバーをきちんと首からかけてくれました。さっぱりしたいので少しカットして欲しいと伝え、順調にことが進んで行きます。カットが終わり、カバーに付いた髪の毛をブラシで払いながら、爺さんは不思議なことを言いました。「じゃあ、悪いけどちょっと外に出てくれる?」 『へ??? 外?? 外って?? なんで????』一気に不安でなにやら怪しい雰囲気を感じ、ザワザワと胸騒ぎを覚える僕の手を爺さんは掴み、引っ張ります。そして先ほど入ってきたドアを開け、僕の手を掴みながら商店街のメイン通りへ誘います。 『えっ、えっ、なに?なに?ウッソォ~』首から白いカバーをかけられた僕は歩く「てるてるボーズ」そのままです。すれ違う人々がクスクス笑います。そりゃ、そうだ。僕だって、こんなヤツが商店街を爺さんに手を掴まれながら歩いていたら、笑うに決まってます。一つ目の路地を曲がり奥に進むと民家の木戸があり、中に爺さんは入ります。「勝手口はこっちだから」と、そっちに進みます。「ギギギィィィーーーー」と不快な音を出すおんぼろ扉の中に入ると、台所でした。台所?? なんで??? オレ、食堂じゃなくて、床屋に来たはずだよな????またしても僕の頭の上には????マークで一杯になりました。それに、ここはどこの家???「いやーー、悪いね。お店から家に入る扉の立て付けが悪くて、開かなくなってるんだ。扉一枚なのに、こんなに歩かせちゃったな。」そんな爺さんの説明よりも、僕は奇妙な光景に目を奪われていました。僕が入ってきたのに、一度もこちらを振り返らない太った婆さんが、まな板の前で何かを切っているのです。『人肉床屋??』何も知らずに入ってきた客を、さばいてオカズにして食べる『人肉床屋なのか?ここは??』ボーゼンとしている僕を爺さんは流し台の前に立たせました。「店の水道管がおかしくなってな、水、出ないんだよ。すまんな。ここで、頭洗う」僕は、京都の、見知らぬ家の、台所の流しで頭を洗われるために生まれてきた男でした。椅子も無く、中腰で、流しの前で腰をかがめさせられました。頭に何かをかけられました。とっさに『それっ、シャンプーですよね??ママレモンじゃないですよねぇっ???』爺さんは笑って「ママレモンで頭洗うかいな。おかしなこと言わはるなぁ」流しの生臭い匂いに目をしかめて右に向けると僕のすぐ横。10センチか20センチかの横で、婆さんが大根を切っていました。出刃包丁で。『うわぁ~~。。。。。頭洗っているときくらい、やめろぉ~。。。。」声に出していません。こころの叫びです。これがまた切れない包丁のようで大根に当てた包丁を上から押さえつけているのか「ガッコン、ガッコン」と音がしていました。激しく動揺して頭を振るわせる僕の首をギュッと掴んで爺さんは、流しのステンレスにこすり付けんとばかりにグッと押さえ込みました。京都の、見知らぬ家の、流しの穴に落ちている、生ごみを、僕は、超至近距離から見つめていました。残念ながら僕の記憶はここまでです。なぜか、この後の記憶がさっぱりと抜けているのです。あまりの恐怖で、脳が記憶することを拒否したのかも知れません。あの後、僕はどうなったのでしょう?首は切り落とされなかった。今、こうして、生きている。京都。恐ろしい町です。京都。皆さんに忠告します。京都へ行ったら、例えいかなる理由があっても、見知らぬ家のステンレスの流しに、頭を、突っ込んではいけません。それさえ守っておけば、京都は、あなたにとって、良い思い出の場所となることでしょう。
2009.03.17
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恐ろしい美容室の体験が僕には二つ、あります。今からこの話しを読む、あなたの想像を絶する出来事です。「それって! 日本?」と思われるでしょう。でも、この体験は日本、JAPANでのことです。そして真実の話しです。一つは沖縄。もう一つは京都、での事です。ずっかり忘れていましたが、先ほど写真のストックを見ていて思い出しました。この写真 ↓ は、この二題とは関係ありませんが、あまりにも僕が体験した美容室と様子が似ているので去年、思わず撮影したのです。まさしく、こんな感じの美容室でした。このお店の前を通って驚きました。入ってみようかと思いましたが、あの恐怖の体験を思い出し足がすくみました。一話。沖縄です。中学二年の頃ですから、もう随分前のこと。沖縄の国際通りの突き当たり安里という地名の近くにその美容室、いえ、床屋はありました。僕は幼稚園までは髪の毛は黒々としていたのに、小学校にあがるとすぐに真っ白になってしまいました。理由は分かりません。「明日のジョー」に出てくるホセ・メンドーサと同じく、一夜にして真っ白になったのです。さんざんからかわれていましたが色気づいた中二の頃、国際通りを歩いていて急に「そうだ!髪を染めればいいじゃん!!」と思ったのです。でも、やったことが無い。どうしよう?と、思った視線の前に上の写真のような美容室、いえ床屋が見えました。その時、なぜか多少のお金を持っていた僕はその、悪魔の床屋へ入ってしまいました。店内へ入ると、客は誰もいません。あれっ?すると鏡の前の椅子がゆっくりと廻り、新聞を読んでいる店の親父が僕をにらみました。「ぬぅー??」沖縄の方言です。「何だぁ??」と言います。 『いえ、あの、その、あのぉ・・・・」「ぬぅー????」 語尾が上がっていました。 『いえ、あの、その、髪を・・・・』「髪が、ぬぅー??? 『はい、か、髪を、染め、染めて欲しいんです』新聞を拡げたままの爺さんは僕の頭を見て、理解したようです。そして顎で、隣りの空いている椅子に座れと命令しました。客の僕に。顎で。命令をしたのです。座りました。5分。何も言いません。10分。何も起こりません。新聞を読んでいます。さすがに頭にきて帰ろうとしたその時、爺さんが拡げていた新聞を二つに折りました。そして、その新聞の二つ折りに折った折り目の中心を指で、半円形に破り始めたのです。 『な、何をしているんだ?』 心の中のつぶやきです。破り終えると爺さんは新聞をまた拡げました。そして、なんと、拡げて円になった穴に僕の頭を通したのです。 『えっ? えっ??えええーーー鏡に映った僕は新聞をかぶったバカ、でした。そして爺さんは白髪染の液体を用意して、陶器の器でコネコネしはじめました。 『えっ? まさか、このまま??』と、不安に陥る僕の頭にペンキを塗るハケのようなもので塗ろうとしたその瞬間、「あいっ! わしとーたん」(あっ、忘れてた。) 同時中継でお送りしています。ほっとしました。そうだろう。そりゃ、そうだろう。いくらなんでも、そりゃそうだろう。こんな格好のまま、ってことはないだろう。忘れるなよな。爺さんよぉ。髪染液を置いた爺さんは、床に捨てたさっきの半円に破った新聞を拾いました。 『何?何?何すんの?』拾った新聞を今度は5~6センチにまた破り始めました。しかも、またもや半円です。餃子、くらいの大きさでしょうか。それも、またしても、折り目のところを破いていました。餃子を持った爺さんは、店の奥に消えました。これから何が起こるのか?中二の純情な僕はおびえていました。奥でなにやら婆さんに「○○持ってこい」と言う声が聞こえます。戻ってきた爺さんの手には右手に餃子、左手には昔の、ブリキ製の、洗濯バサミが二個ありました。僕の頭の上には「???」マークが何個も付いています。そして爺さんは餃子を、いえ、半円状態に破った新聞紙を拡げて、僕の耳にかぶせたのです。そして、恐ろしい事にその耳にかぶせた新聞紙を固定するために、洗濯バサミで僕の耳を挟んだのです。痛かった。もの凄く痛かった。今、思い出しても痛い。昔のブリキの洗濯バサミの強さったら、そりゃぁもう、大変ですよ、あなた! 『痛~い!!なにするのぉ~。』 絶叫する僕に「やがまさん。耳ぬくるーなてぃん、しむんなぁ?」 (うるさい。耳が黒くなっても良いのか?) 同時中継でお送りしています。その後のことは記憶にありません。バタバタしながらも最後まで染めて帰ったのでしょう。おそらく。そのお店も今はありません。スーパーになっています。そのスーパーに恨みはありませんが、僕はそこで買い物することは無いでしょう。僕の耳が許さないのです。「スーパーへの苦情と掛けて床屋と解く」その心は 「耳が痛い」しょうもないオチですいません。長くなりましたので、京都での出来事は明日以降、次回に書きます。京都の出来事はもっと恐ろしい話しです。何しろ、出刃包丁が登場してきますから。「出刃包丁で髪の毛を切るんだろう?」と思われたあなた、とんでもありません。そんなお洒落なお店ではありませんよ。それなのに「出刃包丁」がゲスト出演します。お楽しみに。
2009.03.16
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昨日、気が付いたのだけど車の助手席に小さな芽が出ていました。普段車庫で止めているとき、左側をブロック塀ギリギリに止めるので助手席の窓をフルオープンにして止めています。これは後部座席に積んでいる僕が制作・プロデュースしたCD 沖縄の魂の行方 を車内の熱から守るためですが、雨の日は勿論閉めています。でも、雨の気配がないのに深夜に雨が降ると大変なことになっていることがたまにあります。先日がそうでした。そしてあれから数日、今日気が付いたらこんな芽が出ていました。中を覗くと。寄ります。水をかけていいものか、悩みます。いきなりお邪魔されても・・・『車上の緑は良くて、車内はなぜいかんのだ!? えっ!?どうなんだい?』と、言っているような気がして・・・
2009.03.15
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去年、何人かの友人達にはこの動画を教えたけど、もうホントに素晴らしいのです。 勝手に僕は「蜂のDJ」と名づけてしまいまいした。 パソコンの無い時代にこれほど凄い映像を作ったなんて。 『アンビリーバボー』とはこういうときの言葉だね。 1942年の作品のようです。 これほどの作品を作りながらなぜドイツがアニメ大国にならなかったのか? 一秒もおろそかに出来ません。 9分34秒。あっという間に過ぎます。 蜂のDJ 僕のブログを訪れてくれたみなさん!!さあ、みんなで。 これを見て幸せの国へ行きましょう。
2009.03.14
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沖縄のとあるお宅にお邪魔した帰りそのお宅の前にある庭で、不思議なパパイヤを見つけました。遠めで見ていたときは「台風で倒れてそのまま後片付けしなかったのかな?」と。で、近づいて見て、驚きました。パパイヤは生きていました。腐ってもいませんでした。しかも大きな実をつけているのです。『あ~、かったりぃ~。寝よ。寝て、一生遊んで暮らそ。あ~楽。』 『女遊びもやりたいだけ、しよ。あのパパイヤ変って言われてもしよ。あ~楽。』と、思ったかどうかは分かりませんが(女性かも知れないし)この横になり様は尋常ではない。斜め、とかではなく、完全に横。ヨコったら横。自分のパパイヤの実を枕にしているようです。あ~、良い、行き方だ。勉強させていただきました。 師匠。
2009.03.11
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昨日の日記に続き、エレクトリック・トランペッター・近藤等則(としのり)氏の「地球を吹く」イスラエル編をご紹介します。昨日は、空中都市・マチュピチュでの演奏でしたが、今日のこの映像は1996年にNHKで放映され、その年のATP賞を受賞しました。ATP賞とは、製作現場にいる方々が投票権を持っている賞で「最も嬉しい賞です」と当時、プロデューサーが話していました。「イスラエル編」のメインはナミブ砂漠での演奏ですが、このyou tube の映像には残念ながら映像が入ってないところで近藤氏は地雷原に石をなげたり、マシンガンに囲まれる中、人っ子一人歩いていない戒厳令の街をポケットに手を突っ込みながら「まるで人のエネルギーが感じられない。」と街角のビルを覗き込みます。では、まずはご覧下さい。地球を吹く・イスラエル こんなとんでもないミュージシャンに僕はこの夏(7月下旬)沖縄のとある島での演奏を依頼しています。神代の歴史上での、ものすごい場所で近藤氏のとてつもない演奏が行われます。はずです。なんとか資金を集めます。明日はがらっと変わって、面白おかしい植物の写真を紹介します。パパイヤですが、なんとも「変」な育ち方をしているのです。
2009.03.10
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昨日の日記や、これまでも僕は「近藤等則 こんどうとしのり」氏の音について書いてきました。ヨーロッパでは『マイルスの次はコンドー』と言われているほど凄いのですが、知らない方の為に今日は映像を皆さんに紹介しましょう。これはイスラエルのナミブ砂漠で演奏した写真です。近藤氏は言います。『25年間、都市の箱の中で演奏してきてもう、飽きてしまった。 それにこれからの新しい音楽のイマジネーションは都市ではなく、自然の中から得るしかないと思う』と。僕は彼の音が好きで96年に、沖縄の聖地・久高島での演奏を依頼しました。そして普段は、沖縄民謡を聞いているお年寄りの方々が、この初めて聞いた音に『この人の音楽は、天から祖先や神様を降ろしてくれている音だね』と言われたのです。瀬戸内寂聴氏はこう言いました。「あなたの音楽は真言(マントラ)です。 宇宙に発する言葉なのね」と。この夏(2009年の7月)に僕は近藤氏に沖縄での演奏を依頼しています。ある島で。未だに資金の問題があるので公表出来ませんが・・・近藤氏が空中都市、マチュピチュで演奏した映像をご覧下さい。人間という観客のいない「大自然が観客」のステージです。楽天の基準だと、動画の解像度が良くないのでyou tube をそのままリンクします。こちらです。→ 地球を吹く明日は、イスラエルの砂漠での演奏をご紹介します。
2009.03.09
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僕が敬愛する写真家、平澤寛さんの写真展が現在、山梨県大月市で開催されています。今月の31日まで。「人物撮影では日本で一番だろう」と多くの方が声を揃えるほど「スゴイ」写真を撮ります。就職情報誌「ガテン」の表紙など数多くの広告、雑誌の仕事に長年携わりながら2002年、突然全ての仕事写真を打ち切り山梨県の上九一色村にある古民家に移り住んでしまいました。数年前、遊びに行くと「まだ水道もガスもきてないんだよねぇ~」と笑いながらカセットボンベでそうめんを作ってくれました。トイレは庭に掘った穴を木枠で囲っただけで、水が入ったペットボトルが置いてありました。「平澤さ~ん、紙、ないよぉ~」と叫ぶと 『えっ?紙、使うのかぁ~。紙って幾らすると思ってんだぁ~』横浜から車でインドに来たわけじゃないぜと僕は貴重な紙を使いましたが、一緒に行ったラチーキン鼻山は水だけで済ませていました。「撮りたいものを撮る」ために環境を変えた平澤さんの写真展に近藤さんが28日、演奏します。平澤さんのメッセージです。『2009年3月の1ヶ月間、大月のレストラン・アダージッシモで写真展を開催させていただくことになりました。以前からエレクトリック・トランペット奏者の近藤等則さんのファンであった私は、今回のアダージッシモでのライブをお願いしました。近藤さんは、快諾してくれて、このライブが今、実現しようとしています。夢ではなく現実です。ご存知の方も多いと思いますが、近藤さんの音は、すべてのいのちのある者の魂に届く音、人間の心の襞に響く音、とでも言いましょうか、濃密な経験と想像を超えるトレーニングに裏づけられて発信する近藤さんの音は、限りなく普遍的で、宇宙です。今回このフライヤーを作るにあたって、近藤さんのバイオグラフィーを見て改めてその大きさに圧倒されつつも、この3.28という一夜に全力で向かうことになりました。ライブ当日、私の制作したフォトスライドショーを同時上映します。近藤さんの音を意識しつつも、私の内から湧き出てくるものを写真として出し切れば幸いです。2009年3月28日の出来事は、私にとって、そして皆様にとっても大きな記憶となることを確信しています。是非、お出かけ下さいますようお願い申し上げます。』写真展 3月1日~3月31日(火) 9:00am~10;30pm 会場 レストラン・アダージッシモ 0554-23-2323 http://www.otsuki.net/adagissimo/index.htmlライブイベント 3月28日(土) 7:30pm~ 3500円 ワンドリンク付 『70席限定です』お問い合わせ レストラン・アダージッシモ 平澤寛 hiroshi-hirasawa@indigo.plala.or.jp70席限定となると、富士山麓周辺には近藤さんのファンが多いので、恐らくあっという間に満席になるでしょう。僕も「チネンチャン、おいで」と誘われていますが沖縄からはあまりにも遠い・・・
2009.03.08
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『車上緑化計画』も落ち着いてきたこの頃、昨日ふと気が付くと不思議な「芽」が生えていました。この中を、良~く見ると。芝の種以外は植えた覚えがないので、風に乗って僕の車上へやってきたのでしょうか。そうであるなら「いらっしゃい!」。あなたを歓迎します。でも、どちら様でしょうかね?母に「スイカっぽくないか?」と聞くと 『じゃあ夏にスイカ食べられるんかいねぇ』相変わらず、冷めた返事でした。もう少し大きくなればどちら様なのか、分かるでしょう。その日までしばし、お待ちを!!!
2009.03.07
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先月の30日に琉球新報に掲載されてから、あちらこちらより反応がありました。その中でも先週の土曜日にEPA通信社のカメラマンが撮影した写真が、その翌日には世界各地に配信されています。 遊びで始めたことがこんな風に世界へ配信されるとなんとも愉快です。恥ずかしからずに正面に出てメディアの取材を受けろ!と友人達に怒られて真面目に受けました。でも、自分の写真はやっぱり恥ずかしい。どこの国かいな? イタリア? ユカタン半島のどこかの国? スペイン? どこ? 韓国 (9日朝、トップページからは消えています)
2008.12.09
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妄想好きの僕でもこれは、思考が進みません。 中年 スキ 16才の父16才の少女が「ワタシ、中年、スキ!!ウフフ」というと「ホホ~、そうかそうか」と今後のきらびやかな展開を想像しますが「父」と来た日にゃもう「?????」です。志田未来さんのドラマにこんなようなタイトルがあったと思うのでそのパロディーとしても、「中年スキ」を一体どんな人物が書くのでしょう?くたびれた中年が自分自身に「オレ、ガンバレ!」と自分に向けて書くか?スキって。仮にこれを女性が書いたとしても「純一郎さんスキ」「太郎さんスキ」と相手の個人名を書かずに総称としての「中年スキ」と書くものか???「ワタシ、中年ならみんなスキなの」という女神のような方がいるのでしょうか?あ、でも、中年という対象はなにも男だけではないか?女性にも「中年」と言ってもおかしくはないですよね?『謎の落書きの容疑者は中肉、中背、中年の女性と見られる』『謎の落書きの容疑者は16才の妻を持ち、彼女とまだ幼い子供の物的欲望を満たすことの出来ない己の未熟さに、早く大人になりたいと中年にあこがれる少年』あれっ、あらためてよ~く見ると「父」ではなく「女」に見えてきた。。。。そうか、やはりこれは中年がスキな16才の少女が書いたのか。。。う~ん、こっちの解釈が僕はスキ朝からバカな妄想してないで、仕事行こう。
2008.11.19
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赤瓦ではないけれど。不思議な味わいのある民家、かと思いました。 が・・・何か貼ってあるので近づいてみると。人は見かけによらぬもの、ですが、建物も見かけで判断してはいけないのですね。だけど、どういうものでしょうかね?「腕時計師」って。「士」ではなく「師」ですしね・・・公認もされているようですが、誰に????
2008.11.16
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今日、右手の親指を骨折しました。痛いです。とても、とても痛いです。15時22分でした。車に荷物を積み込みバックドアを閉めようとした途端に携帯が鳴りました。話をしている僕に、通りがかりのオバサンが何か声を掛けてきます。しかも同時に三人の、オバサンが。「話し、話してますからちょっと待ってください!!」 「え!?なんですって???チネンサン、なんですかぁ~」「いえいえ、あなたじゃないです。おばさん達、今、電話していますのでちょっと待ってください」 「えええ???なんですって???わたしのことをオバサンですって???」「違います。違います。こっちのことでして。とにかくオバサンたちぃ~」オバサン三人は首里城の近くの食堂の場所を聞きたかったようです。こっちが電話を終えるまで待てや!三人同時に話すなよ!!電話の向うのオバサン、イエイエ、女性もなんだか怒っています。うるさ~い、と車のバックドアを閉めた途端に激痛が走りました!!右手の親指も一緒に閉めてしまったのです。道路にうずくまり、うめき声をあげる僕に一人のオバサンが代表して追い討ちを掛けました。「すいませんねぇ。で、どこなん?」関西人、でした。関西のおばちゃんでした。激痛をこらえて、お教えしました。勝てるわけありませんから。で、病院にいきました。「何時にやったんですか?」と医者に聞かれました。 「はい、15時22分」です。「えっ?ずいぶん細かいですね」と言われました。そりゃそうです。だって、電話していた女性が手元の紙に「チネンサン、15時22分。意味不明の絶叫!!」と書いたと、病院に着く前に電話があったのですから。激痛の中、昨日の日記を思い出してしまいました。ドクターに、「先生、僕の親指、ついてますか?」 『何言ってるの?ついてるでしょ?」「あ~、ついてます、って、言ってほしかった~」って、これはさすがに声に出しませんでしたよ。そりゃそうです。僕は立派な社会人ですから。ペンは持てませんが、キーボードは問題ないんですね。それ以外は、チョー、大変ですけど。僕の親指、ふわ~りと触っても、全く感じないほど神経もやられてしまいましたが、『ついてます』最後にドクターが痛み止めの薬を5日分だしましょうねぇ、というので、「先生、それ飲んでもビールはOKですか?」 「ビール?駄目よ。何言ってるの」「では、痛み止めパスっ、でお願いします」 「ハハ、ま、じゃ、そうしましょ」なので、今、とっても、とっても、イタイイタイです。ビールが傷みに拍車をかけているような・・・・あー早く、明日になれーーー
2008.10.31
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何がですか?運、ですか?僕の背中に何か憑いてますか?それらが僕についているのですか?ほんとですか?引きでみても、かつて何のお店だったのか分かりません。ガラガラッ!!「三人だけど~!空いてますか?」 『ハイッ。空いてます!』「んじゃ、とりあえずビール」なんなんですか?気になるじゃないですか?
2008.10.30
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今更ですが、那覇大綱挽きの報告を!12日でしたので、時間が経ちすぎ「あっさり」な日記になりますが。綱を挽こうにも、綱が見えずしょうがなくウロウロしていると、いきなり始まりました。大綱から出ている「枝綱」が見えないほど多くの人が綱を覆っていました。そのほとんどが、観光客やアメリカ人のように思えましたが、僕の前にこの方がいました。沖縄プロレスの主宰「シーサー王」です。なぜか僕に「カメラ目線」。『ありがとう、シーサー王。 だけど、綱、挽けよ!綱を!』5分56秒だったかな?で、東の勝ち。たまたま僕がフラフラしていたところが東。大綱の上に乗り、勝どきを真っ先に上げたのがほとんどアメリカ人。たぶん、ほとんどが兵隊でしょう。良いさ、良いさ。こういうことで兵士のストレスを解消出来るなら。挽きなさ~い♪ 乗りなさ~い♪ 笑いなさ~い♪ さ。だけど、日本人が外国でこういうことをすると、批判されるでしょうねぇ。『地元の祭りを乗っ取る日本人』とかって。でも、ここは、沖縄。アメリカ人は、ちいとも珍しくないのだ。この綱をちぎって家に持ち帰ると縁起が良いとされているので、多くの人が持ち帰ります。僕は持ち帰りませんけどね。このアメリカ人のオッサンは切ってはあげ、切ってはあげていました。この若いアメリカ人も切って、切って、皆にあげていましたけど、「お~い、そのアーミーナイフだか、ダガーナイフだか、いつも持ち歩いてんじゃないだろうなあ・・・」と言いたいけど、普段から持ち歩いてんだろうなぁ。大綱挽きが終わると、その大綱の後片付けが始まりました。これが、中々に勇壮でした。超どでかいクレーン車が7台やってきます。アームを伸ばして!こんなんだった結合部分も!!こんなになっちゃいました。まるで、龍です。ここで、疲れてしまいモノレールの駅へ向かいブラブラ。さすがに、お祭りの後は無性にビールが飲みたくなるもので「切れ痔完治娘」に電話。『○ちゃん。ビール飲もうぜ!!』 『え~、☆.。・/::*#・・・』『なに~。聞こえない。もっと大きな声で!!』 『今、電車の中だから大きい声だせないよ~』『あ、そうか。俺も今モノレールの久茂地駅の近くだぞ。』 『ごめんなさい。今日は無理ぃ。来週、行こうよ~』『今、飲みたいんだよ。祭りの後だからさ』 『無理ぃ~。今、ウチ、名古屋の電車の中~』『アホッ! それを先に言わんかいっ!』 『ごめんよぉ~。来週ねぇ~。あぁ、大声出したから皆、ウチのこと見てるよぉ』いろんなとこを見られてしまえっ!!で、帰ってきたら『また痔が復活したっぽい』って言ってた。『芝生の車に乗せておくれよぉ~』と言うのだが、痔が切れるとヤなので、拒否。以上、です。
2008.10.22
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今から20年ほど前、母は知人と一緒に首里城近くのある御嶽(うたき)に拝んでいました。すると神(?)でしょうか、母にこう言われたそうです。「お前は今日が何日なのか分かっているのか? 今日は10月10日だぞ。 那覇に大空襲があった日だ。 天の神々は泣き、地は火の海となり多くの人が死んでしまった日だ。 今日は拝みを止めて家に帰りなさい」と。驚いた母は、「あぁ~っ。すいません。忘れていました。 こんな日を忘れるなんて、ほんとにすいませんでした」と、隣にいる知人に「今、今日の日の事を言われたよ。帰りましょう」今週の水曜日(10月8日)朝、母に「体がだるい。拝みに連れて行って」と言われ、ある拝所に行きました。そこはこれまで何十箇所と廻ったところではなく、僕にとって母と行くのは始めての場所でした。去年の2月に沖縄へ帰ってきた僕が一人でドライブした際に「あ、こんなところに拝所がある」と何気に頭を下げた所でした。母もそこはかなり久しぶりに行くところだったようで「ここはもう長いこと来ていなかったねぇ」とつぶやいています。母が拝んでいるあいだ僕は車の中で本を読んでいました。暫くすると65歳前後の元気そうなお爺さんが軽トラックを運転してきて僕の車の横に止め、軽い会釈をされたので僕も会釈を返しました。いつもより長い時間、母は拝んでいるようで中々戻ってきません。本から目を離し、母が向かっていった方向に目を向けるとそのお爺さんが戻ってきて車に乗り帰っていきました。その後、ようやく母の姿が見えてきたので車を降り両手に持っている荷物を受け取り車へ二人で歩いていると「さっきお爺さんが来たでしょう。この近くに住んでいるって。家にいたらね『今、お前の家の裏の拝所に神人(かみんちゅ)が来ているから、その人にこのすぐ近くの井戸も拝んでくるように言ってきなさい。その神人はその場所を知らないからそこを教えてくるように』と言われたんだって。「ホントかよ!!」「うん、この下に井戸があるって。場所を教えてくれたさ。」「じゃあ、今から行くの?」さっさと家に帰り、僕自身の作業を進めたいので少しイラついた声を出してしまいました。「ううん。今日はもう、疲れた。 今日はこれで、終わり。また、今度、その井戸に行くさ。 さ、帰ろう、帰ろう」行かない、となると少し不安になる僕です。車を走らせるとその井戸の近くなのでしょう、助手席の母はその方向に向かい手を合わせていました。今日は10月12日。那覇の空襲の日から二日過ぎています。那覇祭りの大綱挽きを一度も見ていないので、これから行ってきます。ギネスにも登録されている世界一の大綱。去年、テレビで生中継を見ましたがあまりの人の多さに綱までたどり着けずに帰ってしまうかも知れませんけどね。
2008.10.12
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こういうの、好きです。とりあえず「絆創膏、かっ!!」と突っ込んでからパシャッ。こんなのもありました。はい、知ってます。車、だと、認識しておりますです。飛行機、には、見えませんしね。車、に一票、です。
2008.10.08
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パソコン、復活しました。いや~、厳しい二週間でした。もう、PCの無い生活は考えられないと、あらためて感じる日々でした。でも、悶え苦しんだ日は初めの二日間のみ。それ以降は「無いんだからしょうがない!」とPCの無いことを楽しもうと。良い体験でしたよ。PCが無いだけでこれほど本が読めるかと驚きましたし、夜が長いこと、長いこと。このことは近いうちにブログに書きたいな、と思いますが、ま、今日は、しばらくご無沙汰になっていた僕の車緑化計画のその後、を報告します。日曜日、友人に会うため糸満市のガソリンスタンドへ。僕の車を見て、アルバイトの方の後方から店長さんらしき方が走ってきて「なんですか?なんですか?芝生ですか?土、入れてるんですか?」と興奮して話してきました。「あの~、ガソリンもなんですが、お水をいただけませんか?渇いているようなので」 「ハイハイ、今、水、持ってきます」嬉しそうに車上に水をかけてくれている店長さん。車のサイドボディーを見るとガソリンを注入するアルバイトの青年。僕の車はガソリンとお水で走っているんだなぁ、と笑ってしまいました。これです。↓正面はこちら。実は一度、全て枯れてしまったのです。芽が出て順調にいきかけた頃、厳しい暑さがぶり返してきて全滅。仕事先の周辺の人たちが自分なりの意見を思うように言うんですよ。「水をかけすぎては駄目だ」「日に当てないと駄目だ」「いや、日に当てては駄目だ」「肥料は○○じゃないと駄目だ」「いや、その肥料じゃ駄目だ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全てを無視して良いんだ、と言うかのように台風13号が思う存分やりたい放題。おかげで、my芝生、復活しました。ようするに、水をぶちまけ、と。思う存分、ぶちまけ、と。とにかく、時間があるだけ水をかけ続けろ、と。そりゃ、そうだ。なにしろ、土に植えてないんだもん。鉄板、だもん。で、今、超元気。どう?この、美しいサイドライン。で、超元気な種!ひと種、ひと種がめっちゃ元気で、走行中に芝生が飛ばないようにしているココナッツシートを押し上げています。嬉しいことが一つあります。子供達が喜んでくれるんです。この間も信号待ちしていたら、小学生の集団が「ゲゲゲッー、車に草が生えてるよ~」と。「草じゃねーよ。芝生だよ。」今日は3歳くらいかな?女の子が手を振ってくれました。お母さんは唖然としてたけど、その子は最高の笑顔で手を振ってくれていました。でも、恥ずかしいですね。こんなはずじゃなかったのにな、という言いようの無い気持ちがあります。ただ、車内を快適にしたかっただけなのにさ…今日、信号待ちをしているときに何気にバックミラーを見ると後ろの車のドライバーが携帯で写真を撮っているのでとても恥ずかしくなって、青になったとたんに逃げ出しました。意外と僕には、自己顕示欲が無いことに気づいて自分自身驚きました。少し、この車で外へ出るのが億劫になりかけています。どうしよう。。。。はぁ・・・・・・・・・
2008.09.20
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ネットカフェから書いています。パソコンが突然、壊れました。新たに購入するしかありませんが、これまでのデータが全て消失!!残念ですが、しょうがない。7日の日曜日、母の拝みで普天間へ。母が拝んでいる間、普天間基地の金網のすぐ隣で車上の芝生にペットボトルで水をかけているとアーミー服を着た米兵のカップルが車で通りかかり「are you Crazy」と笑いながら一声かけてすぐに走り去っていった。「そうだ。でもお前らほどではないぞ!」と言ってやりたかったのに残念。でも日本語で言ってもどうせ分からないか。3センチ近くまで順調に生えていたのに、ここ数日の暑さでほとんど枯れてしまいました。新たな方法を考えていますが、すごく手間がかかりそう。どうしよう…ま、PCが先ですね。
2008.09.10
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これは強烈だ。僕は大丈夫でしょうか!?車に芝生植えている大人は「変な人」ですか?写真撮っているときに「あっ、看板撮ってる。変な人だ」と言われるんじゃいかとドキドキでした。友人を見廻すと変な人ばかりだもんなぁ。僕は大丈夫かなぁ……まっ、いいか、仕事行かなきゃ。塗り薬とかあるのかな。頭につけるものとか。
2008.09.02
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従兄弟が帰ってきた。いや、帰ってきてしまった。出張に行っていたオーストラリアから。「あれ!? 何だ!? もう帰ってきたのか?」 『なんすか、それ? 一ヶ月って言ったじゃないですか?』「そうだっけか?あと二ヶ月くらい行ってくれてりゃ君の車に稲、植えてやったのに!」 『稲?稲??なに??それ。車に、稲?』僕の「車緑化計画」芝生を屋根に植える、を見せた。 『ウハハハハ!!!。なんじゃこれ!? ホントッ、バカですね お兄さん。はい、これ、お土産!!』オーストラリア土産のビールの詰め合わせでした。二ヶ月前、ロス出張の土産にチョコレートを買ってきたとき「なんじゃこりゃ!? オレは女子高生かっ?? 」と置いてきたので反省したというのです。「オーストラリアの発泡酒かな?向こうの第三のビールかな?」とありがたくいただく。ビールは日本が一番美味いと思うけど、とても濃い味で僕好み。最高!!『お兄さんはいつも、早く第四のビールが出ないかなぁ。500mlで50円くらいで、って言ってますけど向こうはビールでも結構安かったですよ』その後、来年の近藤等則氏の「地球を吹く」コンサートを行う予定の「島」出身の、最高に気持ちの良い男と飲みに。『お兄さん、沖縄にビリー・ホリディがいるんですよ、知ってますか?マジ、スッゴイ方ですよ。オレ今回、オーストラリアで日本人のある有名なジャズシンガーが来ていて、そのライブに行って来たんですが、もう全然良くないのでビックリしましたよ。早く沖縄に帰ってあの方の唄を聴きたいって思ったんです。今から行きましょうよ!!』「もしかして、与世山澄子さん??」『さっすがぁ、やっぱり知ってましたか』「いや、DJ・sahib、ヤマちゃんが超リスペクトしている人なんだよ。」以前この日記に書きましたが、その時はお名前は書きませんでした。怖かったのです。お名前をブログに書いてしまうことで、僕自身の「覚悟」が必要となってしまうので。 でも、ここで予想だにせず与世山さんのお名前が出て、意を決めました。「インタリュード」与世山澄子さんのお店です。行ってきました。そしてお会いしました。震えました。21時30分に行くとまだ開店前でなんと与世山さん御本人が、お一人で準備をされていました。美しい笑顔で快く迎えて下さり、ビールを注文。与世山さんがすぐ側におられることに胸が苦しくなり、いっそお声を掛けてしまおうと恐る恐るカウンターに向かいました。DJ・sahibのこと。彼がリスペクトしていること。なんらかの形で一緒にお仕事をしたいと願っている事。去年の映画「恋しくて」のグッズ、与世山さん似顔絵Tシャツをヤマちゃんに送ると彼はそのTシャツを着て国内ツアーを演奏したこと。そして、ヤマちゃんは自身を知ってもらうために「与世山さんだけに」CDを作っていることなどを話しました。『嬉しいわ。楽しみにしています。』と言って下さいました。先ほどヤマちゃんに電話で伝えると「うわぁ~、、、、スゴイ嬉しいです。知念さん、ホントにありがとう。」「ヤマちゃん、俺もう与世山さんに声かけちゃったから、もう中途半端なことは出来んよ! まずは名刺代わりの「音」本気ですごいの作ってくれよ」「もちろんッス。」与世山さんに許可を得て、写真を撮りました。暗くてちゃんと写っていませんがご勘弁を!!もう一枚。許可を得たとはいえ、唄の最中にカメラを向ける勇気が中々出なくて、やっと撮った二枚なので。もったいないですしね。沖縄って、スッゴイですねぇ~。こんなとてつもない方がいらっしゃるんですものねぇ~。あ~~、でも言っちゃったよぉ、、、、。声、掛けちゃったよぉ、、、、、、、、。しっかりしなきゃ。 オレ。車に芝生植えてる場合じゃ、、、、ま、これは良いですよね?
2008.08.31
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以前のブログに書きましたが「車緑化計画」の進行状況を紹介します。車の屋根にいきなり設置する前に実験をしてみようとベランダで色いろ試していました。試行錯誤というほどではありませんが芝生を植えるベースの種類を幾つか試し、種の設置も上部、中間、他と代えてみながら発芽の状態をチェックしました。このブログで友人K氏よりのコメントで「姫高麗を苗で」とアドバイスがありましたが僕が選んだ種類は洋芝で、姫高麗よりも暑さに強いとされている種類です。苗も考えましたが車上に水を蒔くたびに、苗の土がフロントガラスに流れてくるし、種から育てる楽しみもあります。一月以上ベランダで試していて「いつまでもこんな事をやっていてもしょうもない。車でやってまえ!」と意を決めて、今日設置しました。日中はまだまだ暑い沖縄も、夜になると秋らしい風が吹いてきますが「関係アルカぁ!!。今始めないと、気づいたら来年の夏になってしまうわぃ。時期を逸してしまったけど、や~ろう。」と今日、決めました。↓ ちなみにこちらは種から成長したテスト版。 いい感じでしょ?で、今日の10時から仕込みを始めて設置を開始。途中、二時間ほどやむない中断がありましたが六時に全て完了!!やはり取り付けて良かったです。落ちないように考えていた種が、意に反してポロポロ落ちてしまいました。これは次回に生かされる反省点。って、次回があるのかはわかりませんが?何しろ、スッゴク大変だったのです。設置中に「オレ、何やってんだ?」とネガティブな思考が何度も僕を訪ねてきましたしね。両隣のおばさんも「こんにちは~」と言いながら「なにやっとんじゃこいつ!?」という顔をしていましたし。で、で、麦藁帽を被り汗だくになりながらの取り付け完成がこちらです。車よりも廻りの緑がいい味を醸しだしていますね。UPこの全面の緑の「あるもの」は芝が生えてくると見えなくなる予定です。この下には材質の違うものが仕込んである二重構造です。さらにこれは、走行中種が飛ばないためと、水がすぐには乾燥しないため、さらには芝の根が絡んでくれることを想定しています。一石三丁、かな。うまくいけば、ですが。ちとメタボな僕が写っていますがこれは想定外でした。芝が大きくなる頃は、去年沖縄に帰ってきた頃程度には元に戻る予定です。車には一切傷を付けずに屋根にバッチリ固定されています。これは中々スゴイ、と自負。フフフ。かなり強く引っ張っても剥がれません。フフフ。自負。夕方六時に取り付けを全て終え「大きくなれよ~」と声を掛けながら屋根に水を蒔き、ムフフと満足気分で一服しながら「よしこれが上手くいったら従兄弟の車には稲を植えよう。田んぼを作ろう。」とアホな想像をしていると、腰が痛いと寝ていた母が起きてきて「何?これ?ま~たクダランモン作っているのか?」と一喝!!しかしやり遂げた僕はへこたれません。「暑いのヤダろ?」 『もう、すぐ寒くなるっ!!』「すぐって、明日か?明後日か?」 母は何も言わず、玄関に戻っていきました。 勝った!!
2008.08.27
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人間が生命を維持して行くための「食べ物」について、僕はなんだか分からなくなっています。三日前に母から聞いた話です。戦前あまりにも貧しかった母は、幼心に「毎日毎日こんなにひもじい思いをするのなら、いっそ死にたい」と考えていました。家族は母と兄、そして四人の妹達に母親の七人家族でした。兄はどこかへ仕事の手伝いに行き、わずかばかりのお給金をもらいます。母は、お母さんが引く手押し車を後ろから押して、農家から仕入れた野菜を町へ行商に行くのですが道々、裕福な家の台所付近の排水溝に網を仕掛けていくのです。これはお米を研ぐときに流すお米の研ぎ汁と一緒に、数粒のお米が流れてくるのをキャッチするためでした。正確な数は分かりませんが恐らく数十件でしょう。町からの行商の帰りにそれらを回収して廻り、家で薄いおかゆにして皆で食べていたのです。そこまでの赤貧でありながら「バナナ」を食べなかったのです。以前から僕は不思議に思っていることがあり「雪深い北国じゃあるまいし、山にはいくらでも食べられるものがあったのじゃないか?」と聞きました。母は「ホントだねぇ。でも、無かったんだよね。あったかも知れないけど、何も知らなかったんだよね。皆、ジンブン(知識・頭)が無かったのさ。ガジュマルのあんなどうしようもなく不味い小さな実を食べていたんだからね。」「だってね、一度あるお婆さんに『お腹が空いたら山にある、あの実を食べなさいよぉ』と教えてくれたことがあって、すぐにそのお婆さんが指差した実を食べに山の中に入ったことがあるよ。皮をむいたら変な臭いがするでしょ、肉の腐った臭いみたいに感じたよ。口に入れたらグジュゥって、噛み応えもなくつぶれて気持ちの悪い甘い感じが拡がってね、もうすぐにペッと吐き出したよ」と言うのです。それが「バナナ」でした。僕は、考え込んでしまいました。何故、食べる事が出来なかったのだろう?前述したような超貧困でありながら、なぜ?戦争中に山奥に篭もった兵士たちは木の皮やトカゲやありとあらゆるものを食べていたのに。知識の無い少女、だからなのでしょうか?沖縄の山に猿がいたら食べていたのかも知れませんが。たまたま琉球新報にこのような記事がありました。【イナゴ佃煮】 京大大学院教授 伏木 亨 抜粋です。「見た目やにおいは食品を受け入れるに当たって重要な情報となる。人間は食べ物を口に入れる前に、見た目とにおいで安全性やおいしさを判断する。それが最もリスクの小さい方法だからである。『げてもの』はほとんどがこの段階で拒否される。子供の頃に食べた経験のある食材は許せる。私はハチの子が平気で食べられる。しかし、経験の無いイナゴやカイコのさなぎは食べられない。いったん虫を食べる食文化が途絶えたら一世代で復活させることは難しい。親や年長者が子供の前で、見た目やにおいの良くないものを、うまそうに食べる事で継承されるものだから。」母は、バナナをなぜ食べられなかったのでしょう?教えてくれたそのお婆さんも「お腹が空いたら」と、言っているように平時の食材ではなかったのでしょうけれど。そのお婆さんが目の前で食べていたら、むさぼるように食べたのでしょうか。野生のバナナは数少なく、一般的に知られていなかったとしても。沖縄の人々はバナナをいつ、食べ物であると教えられたのでしょう?栄養価の高いバナナを食材として認識していれば、助かる命も多くあったはずなのに。ただし、これは母が暮らしていた狭い集落だけだったのかも知れませんが…
2008.08.23
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先週で旧盆は無事、終わりました。どこの地方もこんなんなのかな?大変でした。お金と時間が掛かる沖縄の旧盆です。親戚の仏壇のある家にお供え物を持っていくのですが、通常はお米5キロ。どこもお米ばっかりなので少しばかり違うものも持って行きますが、値段は大体がお米5キロとつり合う2000円のもの。我が家は20個ほど買いました。その他、お供え物の食材、尋ねてきた方へ出す食材を大量に購入します。しかし兄が出稼ぎでいないためにこの全てを僕一人で親戚を廻り、持って行くのですが、これが結構大変。行く家、行く家で、てんこ盛りの料理を出されます。その都度「勘弁して。食えんよ!」と言うのですが、許してくれんのですよ。まあ日ごろから頻繁に付き合いのある親戚には「何も出すなよ!茶も出すな!水もいらん!」と先に釘を差しますがね。僕が親戚中を廻っている間、家にいる母は尋ねてくる他の親戚をもてなすわけです。これが、皆に聞くと「キッツイ」と。「許してくれん」と。「勘弁してくれん」と。「でも、ぜんざいは美味い」と。沖縄の旧盆ではなぜか各家でぜんざいを振舞うのです。でも、今年は少なかったな。ぜんざいの風習は少しずつ無くなっていくのかも。去年は20軒中、半分は出たけど今年は3軒だったし。旧盆の初日は「うんけー」。お迎え、ですね。最終日の三日目が「うーくい」。見送り、です。「うーくい」は夜の11時に始まりました。親父の仏壇にあるお供えものやお線香や諸々を取り出して、玄関近くに移します。これは↓、取り出しはじめて撮りました。UP ↓。仏壇の上に、白いランニングを着た姿がうっすらと映っていますが、僕です。親父がカメラに「オレ、写っといたから」と言っているのではありませんので、ご安心を。何もありません。これにも僕が写っていますね。親父ではありません。残念!!仏壇の全てをここに移動し終えて、皆で再度お祈りします。「迷わずあの世に帰ってね~」と、言うのが笑える。だって、翌日の朝「お父さん、無事終えましたよ」と、母は仏壇に言うのですから。去年も僕は「帰ってねーのかよ。ここにいるんじゃねーかよ」と、仏壇に拝む母に突っ込みを入れました。疲れますが、良い風習かも知れませんね。普段交流のない親戚に会い、自分のルーツに繋がる人々に頭を下げるというのは大事なもんです。ご先祖に感謝!!猿にまで行き着き、全ての生き物に感謝!! かな。
2008.08.19
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来年計画している近藤等則の、ライブ場所の写真を紹介します。この写真を僕は今、携帯の待ち受けにしています。本物の荘厳な空気感はこの写真からは伝わらないかも知れません。写真の中央にある入り口は横幅が約1m。高さが4~5mでしょうか。この岩の正面での演奏を計画しています。次に、これはこの岩に入り、中から入り口を写したものです。三階建てくらいのビルがすっぽり入る空間がありました。この場所の名前、島名を書けなくてすいません。これは出し惜しみをしているのではなく「資金が集まり100%ライブが出来る」という日まではガマンしなければ、島の方々にご迷惑をかけてしまうからです。ご了承下さい。先日この島へ行った時に紹介された方へ、近藤のマチュピチュやイスラエルの砂漠、アンデス等で演奏したDVDを差し上げましたが先日電話があり「感動して体が震えました。こんな音楽家がいたことを知りませんでしたが、是非実現させて下さい。」と、嬉しい電話がありました。来年の7月後半を計画しているので、1年後です。あっという間に時間は経つので、ボケーっとしないでしっかり気をつけまーす。そうそう今僕は、車の屋根に芝生を植えようと四苦八苦しています。もう、あまりに日差しが暑い沖縄でなんで誰もやらないのか不思議ですが去年から色いろな芝生をネットで調べて、揃えてました。完成したらもうどんなに暑い日でも大丈夫!!何しろ、どこを走ろうが常に木陰にいるようなものですからね!ただこれを屋根に根付かせるのが、大変です。頭の中で「こうやれば良い」と考えていたので割りと簡単に考えていましたが、大変。ヘンタイ。大ヘンタイ。去年の夏に「来年車検が通ったらすぐにやろう」と考えていたんだから、根付もテストしていれば良かったぁぁぁ。いつの日かここで皆さんに屋根が青々と茂った僕の車を紹介出来るかも知れません。でも、今、暑いから、今、生やしたいんだけどなぁ。。。去年から実験しておけば良かった。これが「後悔後にたたず」なんですよね。ボケーとしてしまったんですね。去年の僕は。。。
2008.07.30
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今日、こんな夢を見た。(23日・水曜)* 17時30分に帰りシャワーを浴びたあと昨日の激しい疲労が抜けてなく、一時間ほど昼寝?夕寝をしたときに見たホヤホヤの夢。どこかの男 A (以後、DA)「ですから普通はどんな人でも、1,5リットルのペットボトルに車の汚れたオイルを入れて玄関に置いているじゃないですか?」僕 (以後、B)「普通、1,5リットルのペットボトルに車の汚れたオイルを入れて玄関に置いてなんかいませんよ!」DA「いや、普通の人は入れて置いているんですよ。それを新しい1,5リットルのペットボトルに移して、空の1,5リットルのペットボトルを持ってきて欲しいんですよ。」B「いや、ま、ま、仮に普通の人は車の汚れたオイルをペットボトルに入れていたとしてもですね、なんで移し変えて持ってこなきゃイケナイのよ!新しいペットボトルを持ってくれば良いでしょ!?」DA「あなたも分からない人だなぁ…こんなに話の分からない人は、この890年間で始めてですよ!!まったくぅ・・・」 ?????????????????この直後、目が覚めました。「オレは、こんな意味がゼロの情けない夢を見るようになったのか?と悲しく体を震わせていました。でも、でも、夢にはその夢を見ることになった因果関係があるとユングが言っているので少し、ベッドにいたまま考えました。来週、僕は車を車検に出します。それが最も大きな原因と考えるのが普通ですよね?でもなぁ、なぜか1,5リットルのペットボトル。しかも汚れた車のオイル。さらには玄関に置いてある。それを意味なく移し変えて持ってくる。オイル交換は二ヶ月前に終えていますよ。あとは、ペットボトルと玄関!全く、我が生活に関連無し!!夢判断の答え。「夢は必ずしも現実の問題と因果関係があるわけではない!」ユング君、今日のところは帰って良し。でも、もう一度しつこく考えてみました。と、いうのは「オイル」に似た言葉を最近、連発で聞いたのです。それは「オモロー」。「オ」はあってる。始まりも一緒!「イ」と「モ」は残念ながら全く関係性が取れない。だが、最後の、「ル」と「ロ」には深い関係がありますね?なぜなら「ル」と「ロ」の間には「レ」しか、ありません。先週、久しぶりに沖縄へDJ・sahib (ヤマちゃん)が来ていました。那覇で演奏した翌日の昨日、夕方に合流。浮島通りでコーヒーを飲んだ後、僕の車で彼らを送りました。女性のマネージャーと一緒です。彼らの宿に帰る途中、「食堂おもろ」という看板を見つけると二人が大声で「オモロー」と叫ぶのです。B 、いや僕。「(笑)確かに響きは一緒だな、気づかなかった。俺もナベアツ好き!! モノレールには「おもろ駅」があるぞ。」二人「オモロー! オモロー!」僕「いや、いや、でも、関係ないからな! おもろは沖縄の万葉集だから。 おもろそうし、だから。」二人「あっ、そうなんですか? オモロー! ソウシー!」僕「ウルセー!!」 ***************ま、こんなことがありましたが、やっぱりこれも関係ないか。でも、ヤマちゃんが凄く嬉しい事を言ってくれましたよ!「来年、日本で行われるイベントの中では、知念さんが計画しているイベントがダントツで凄いですよ!!」「どんなに大きくて何十人もミュージシャンが参加するライブより、企画の独自性、そして濃さが圧倒的ですよ!」このヤマちゃんの言葉を聞いていたヤマちゃんの友人が、「えっ?ヤマさん。来年の同じ時期に行われる「例の」イベントには出演しないのですか?」「行かねーよ。絶対こっちだろー。 近藤さんの前座は必要ではないですか?」「出してよ」、と言わないのがまた僕の資金集めの問題を知っているヤマちゃんらしい優しさ。「う~ん… 資金がねぇ… 」出てよ! と言えないのが辛かったなぁ…「幾らあったら大丈夫なんですか?」「うん、300万だな」「オレ、考えますよ。 情報集めて、メールします。 必ず実現させましょうよ!」変な夢から、来年の話になりました。鬼が笑わないように…お後がよろしいようで。
2008.07.23
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