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<昨日のエントリーから続く>パパの作りばなし [ 関周 ]関周/パパの作りばなし 【CD】マスターの彼は、ピアノやアコーディオンも弾くが、プロデューサー的な仕事もする。店には彼に伴奏してもらって歌を歌うのを目当てに来る人もいるが、彼がプロデュースしたライブを聴きに来る人も多い。「クイーンエメラルダス」は、彼の店で定期的にライブしている。松本伊代のお姉さんが、実は歌唱力抜群だということを私が知ったのも彼の店だ。だから、てっきり発売されたCDも、「歌手デビュー」といいつつも、彼自身のプロデュース色の強いものだろうと想像していた。だが、まったく違った。3曲通すと、クラシックの室内楽を聴いているような心地よさに浸っている自分に気づく。演奏メンバーは明らかに正統派の手練れだ。電子的に「足した」音は一切しない。1曲目は、ピアノに加えて、バイオリン、ビオラ、チェロ。弦の音の厚みが、ごくごく一般的な、けれどももしかしたら得難く幸せな、親と子の情景を語る歌詞にかぶってくる。これ、作った人たち、タダ者じゃないでしょ。マスター個人の技量だけで勝負してる、知る人「だけ」が知る街角の小さなライブハウスに入ったつもりが、迎えてくれたのは、さっきまで、それぞれ別々の専門のフィールドで演奏してたその道のプロたちだった――という驚きだ。2曲目では、弦に加えて、スキルフルなソプラノサックスの音。3曲目では、一転してピアノとフルートのみ。フルートが人の吐息に聴こえる。それは昔、バッハのフルートソナタを聴いて感じた心地よさに通じる体験だった。音合わせを何度も重ねてスキのないものをつくる…というのが、CD制作をする人たち、ましてや生演奏だけで音を入れる人たちが一様に目指す方向だという先入観が私にはあったのだが、見事に、心地よく、ひっくり返された。つまり、ある種の即興の良さ、のようなもの――が感じ取れるのだ。その「一期一会」感が、なんともイイ。音にのってくる彼のちょっと素人っぽい歌声が、また不思議に新鮮だ。これが、声楽をみっちり学びました…なんていう声だったら、「へーー、うまいねー、ほーー、すごいねー」とひれ伏して、それで終わりかもしれない。これなら自分にも、歌えるかもしれない、歌ってみようかな――そんな、付け入るスキのある歌唱。それでいて、彼が送ってきた人生だとか、音楽が作り出す世界に対する考え方だとか、そして、自分はこの歌を聴いてほしいのだという情熱も、さりげなく伝わってくる。自己満足レベルからプロはだしのレベルまで、彼の店ではいろいろな人が歌を歌うが、そうした幾千の歌を聴くうちに培ってきた「何か」が彼の表現にはあるように思う。作詞は伸我。初めて聞く名前だったが、まるで自分の心の中を覗かれたように、どきりとするフレーズを書く人だ。興味を持ったので、他の作品を探してみたら、「メタセコイアの枯れ葉」に、やはりどきりとさせられた。♪あなたを失ったことより 現在(いま)を変える勇気が少しも残っていない それが悲しいここにも不思議な符号。私の実家のすぐそばには、壮麗なメタセコイアの並木を持つ公園があるのだ。そして、また、あの3曲に戻る。繰り返し聴くうちに、彼の死をきっかけに、私の思考を暗く孤独な終焉へと引きずりこんでいたOld Balck Joeが、過去の歴史的名曲というあるべきポジションに帰っていってくれた。そもそも、彼も、彼も、私も、Old Balck Joeではない。私たちは誰も綿花畑で苛酷な労働など強いられることはなかった。Old Balck Joe――あるいはBalckという言葉を好まずOld Old Joeと歌う人もいるが――の人生は、その哀しみと寂しさは、立場を超えて多くの人の共感を呼ぶとはいえ、それは私の人生ではない。彼も、彼も、私も、音楽にまつわる楽しみを知っている。それはある程度、私たちの親たちが授けてくれたものだ。そして、それは幸運なことだ。彼も、彼も、私も、同じ場所にいたのは高校卒業までだ。そのあとは、それぞれ違う場所で、違う生き方をしてきた。彼にも、彼にも、私にも、それぞれが知らない人と交わることで築き上げた世界がある。生きることでしか描けない円がある。彼と、彼と、私の描く円は、時に近づき、時に交わる。彼が歌手として参加したこのCD。その制作に携わった人たち、彼の「円」の中にいる人たちを、その才能を、私は今回初めて知ることができた。これからも、彼と、彼と、私と、それからまた別の彼や彼女たちの描いた円は、近づいたり、遠ざかったりするだろう。ひとりの彼は、すでにこの世から去ってしまったが、彼の描いた円は、やはり確かにこの世にある。タイムリミットが迫る直前に、彼が彼に会いに行き、実際に会えた瞬間に、彼と彼の円が交わり、そこで他人にはうかがい知れない何かが受け渡されたかもしれない。これが彼と、彼と、私の物語だ。ロンド(輪舞)と呼ぶほど劇的でも特別でもない。だが、この機に語らずにおけるほど、私にとって小さくもない。これからも、あなたと、あなたと、あなたの円が近づき、思いがけず交わったとき、あなたは、あなたとは別の円の中にいる人たちの美しさ、素晴らしさを知るのかもしれない。そのときに、円は縁になる。https://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%91%E3%81%AE%E4%BD%9C%E3%82%8A%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%81%97-%E9%96%A2-%E5%91%A8/dp/B07N1CHJ1T/ref=zg_bs_2129354051_26?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=XWZQ7GN08G6F2218W737
2019.02.03
<昨日のエントリーから続く>同級生の死というのは、実際にそれが来てしまうと、想像していた以上の寂寥感をもたらす。ご家族やさらに近しい人々の心情を想えば、「私も悲しんでいます」などとはおこがましくて言えないが、中学という若い時代、人生を四季にたとえるなら、春のただなか、あるいは夏へ向かう、みずみずしく元気な時代のイメージしか、ほぼない人の、それも病死となるとなおさらだ。病魔は、いくら人間が気をつけていてもふいに襲ってくるものだ。それがたまたま「彼」であっただけの話で、「彼」は「私」だったかもしれない。「彼」に訪れた終焉は、思うより早く「私」のそばに来ているのだろう。得体の知れない影のようにひたひたと迫ってくる孤独感は、「もうあの人に会うことも、話すこともできないのだ」という信じがたく、受け入れがたい事実の悲しさ以上に、自らにも迫ってきた死への恐怖なのかもしれない。このところ、私はしばしば山口の実家へ帰る。実家に転がっている古いモノたちは、ふいに忘れた過去の記憶をよみがえらせる。たとえば、古い楽譜。中学の英語の授業の中で、ある歌を歌ったことをふいに思い出した。Gone are the days when my heart was young and gay,Gone are my friends from the cotton fields away,Gone from the earth to a better land I know,I hear their gentle voices calling Old Black Joe.歌詞の書かれた楽譜を机の上に立てながら、皆で歌ったとき、私の隣りの席に座っていたのは、おそらく亡くなった彼だった。I'm coming, I'm coming, for my head is bending low,I hear their gentle voices calling Old Black Joe.彼を含めて、先に逝ってしまった友人たちの顔を思い浮かべながら、この歌を口ずさむ、Joeのように年老いた自分の姿が、ひどく現実味を帯びて目に浮かんだ。この歌を習った頃には、まさか自分がOld Balck Joeになるなんて、思ってもいなかったのに。実家では、亡父の遺した持ち物を、少しずつ整理している。もう父が亡くなって10年以上。いい加減に片付けなければ。「片付ける」とは、すなわち「捨てる」もしくは、「売る」ということだが。父が買った初期のシンセサイザーがあった。中学の頃だ。またも、忘れていた思い出が蘇る。シンセサイザーが家にあると級友に話したら、誰より強い反応を示したのが、亡くなった彼だったのだ。「シンセサイザー、くれよー」などと言ってきた。冗談にしては声が本気すぎた。そもそもシンセサイザーなるものの存在さえ知らない人がほとんどだった時代に、なぜそこまで彼が関心を持つのか、その時は理解できなかった。彼が音楽好きで、自分でシンセサイザーを買って曲まで作っていたのを知ったのは、彼が闘病ブログを書き出してからだ。彼所有のエレキギターの数々にも驚かされた。機能まではブログの写真では分からないが、色やフォルムからして、「コレクション」と呼ぶにふさわしい、美しき現代の撥弦楽器。そこでまた奇妙が符合が起こる。亡父は抱えて演奏するタイプの民族弦楽器を集めていた。インドのシタール、中国琵琶、沖縄の三線、ベトナムのダン・タム、ロシアのバラライカ… すべて現地で購入してきた。父の生前は、壁にかけて飾っていたこともあるこれらの美しい弦楽器は、半ば壊れてしまったものも含めて、今も実家にある。亡くなった彼は、「ギターもね、なんであんなに集めちゃったんだろうと思う」と、私へのメールに書いてきたことがある。病気が悪くなってきた頃で、「かみさんは興味ないから、自分で処分しないと」と、気にしていた。もしがんと共存できたら、古民家を買って改築して住みたいというのが彼の希望だったから、古民家にあの美しいエレキギターが飾られたらさぞやステキじゃないか、と実家に遺った民族弦楽器――撥弦楽器も擦弦楽器もあるが、私から見れば形からしてギターの仲間――のコレクションを思い浮かべながら思ったが、何も言えなかった。私だって自分で買うほどの興味はないが、「遺された」弦楽器は捨てずにいる――そんな話の流れになってしまいそうだったから。彼が亡くなったのは、2018年12月8日。彼がCDデビューしたのが、2019年1月23日。それから、四十九日。その3日後、1月29日は父の命日だ。山口の実家で朝メールを見ると、デビューした彼からメールが入っていた。ダウンロード配信が始まったというお知らせだった。そして、アマゾンのデジタルミュージック、アルバム、キッズ・ファミリー部門で1位を獲得したという。さっそくサイトにアクセスし、聴いてみる。マスターの彼には、なにげに驚かされることが多いが、今回も、だった。<続く>
2019.02.02
彼とは中学時代に山口県でクラスメートだった。彼のお母さんが私の父のお弟子さんだったという、ちょっとした縁もあった。高校も同じだったが、科が違ったのでクラスはずっと別だった。大学は私も彼も東京。私は上野に通い、彼は本郷だったから、地理的には近くで学んでいたはずだが、特段の交流はなかった。卒業後、私が山口の実家でくすぶっていた頃、彼は一流企業に勤め、スイスで活躍していた。彼のお母さんが私の実家にクッキーを届けてくれたときに聞いた話だ。その後のことはほとんど知らずにきた。私は再び東京に戻り、仕事が忙しくなった。新しい仕事上の交友関係も広がり、過去を振り返ることもなくなった…というより避けていた。そんな時代がひと段落した頃から、中学・高校の仲間がときどき集う店ができた。大都会の片隅、グランドピアノが置いてあるこじんまりとした店。マスターの彼も、私と同じ中学、同じ高校の出身。だが、私はマスターの彼とは面識はなかった。マスターの彼の店で開かれる同窓会では、クラスメートだった彼と会うこともあった。マスターの彼は、時折ピアノを弾く。最初に店に行ったときは、ベートーベンの月光の一節を少しだけ。「子どものころ、ちょっとやってたからね」――ちょっとやってただけで月光が弾けるとは到底思えない。背筋を伸ばした姿勢の良さ。そして打鍵の強さ。本格的な基礎訓練を受けた人のものだった。驚いたのは十年ちょっとのち。店に行くと、またほんの少しだけマスターの彼がピアノを弾いてくれたのだが、音が格段に「まろやか」になっていた。熟成された音といってもいい。ピアノを替えたのかと思うぐらい。十年弾いてりゃうまくなるでしょ、などと言うのは簡単だが、それはある程度の年齢を超えてからでは、容易なことではない。音楽に関しては、その現実はさらにシビアだ。楽器を弾くというのは、スポーツに似ていて、技術的なピークはかなり若い頃に来る。その時期をはるかに逸したあとになって、技術を向上させるなど、並大抵のことではない。そして、相変わらずの姿勢の良さ。どうやって腹筋・背筋を鍛えているのだろう――と思ったら、高校時代に打ち込んでいたバスケットの、シュート練習を今もほぼ週一回、公園で一人続けているらしい。そして――クラスメートだった彼が、病気になった。胃がん。手術、抗がん剤。それぞれの治療の先には、常に良いシナリオと悪いシナリオがあるが、彼の場合は、ことごとく悪いほうに流れていった。闘病が続く中、東京にいた彼は、九州に居を移した。その狭間の短い間、偶然、彼は私の家の近くに住んでいて、田舎の親類にもらった里芋が多すぎて、おすそ分けに持って行ったことがある。里芋を玄関先で渡し、階段をおり、停めておいた自転車にまたがって帰り道をこぎ始めた私に、彼がふいに、「また、ゆっくり」と声をかけてくれた。私は振り返って、彼に軽く手をあげて応えた。彼がそんなに律儀に、こちらの帰路を見守ってくれてるとは思っていなかったから、驚いた。「また」はあるだろうか? 正直に言ってしまうと、「ないかもしれない」と思った。彼が九州に引っ越すことは決まっていた。戸口に立つ彼は元気そうだったが、がんというのは、いよいよの末期となるまで、案外元気でいられるものだ。彼はブログで自らの病状について詳しく綴っていて、「転移」「腹膜播種」の文字は、父をがんで失った経験のある私には……彼が九州に行ったあとも、私はマスターの店に行った。東京在住の同窓生たちに会うために。頻繁にではない。だからこそ、行くたびに思うのは、駅からの道、あまりに多くの店がなくなり、新しい店ができていること。一瞬、道を間違えてしまったかと思うほど。それでもしばらく行けば、見慣れた彼の店がある。「ここは何年? 長いよね」――ひとつの店、ひとつの仕事。それをやり続ける困難さを知る人だけが、彼のことを褒める。九州に行った彼の病状がいよいよ差し迫ってきた頃、マスターの彼が、どうやらCDデビューをするらしいという話を知った。マスターの彼はピアノも弾くが、自分で作詞・作曲もする。てっきり、シンガーソングライターとしてデビューするのかと思っていたら、そうではなかった。彼はとっくに、適材適所の才能を自分の周囲に見つけ、関係を築いていたのだ。マスターの彼もブログを書いている。CDデビューに向けて、また日々の仕事でエネルギッシュに動き回っている。病気の彼もブログを書き続けている。東洋的な諦念と、そうしたものに抗うべきとする西洋的な意志の向こうに、どうにもならない終焉が迫ってくる。冬のある日、マスターの彼は、多忙を縫って、そして迷った末、九州の彼を見舞ったという。彼が亡くなったと知らせがきたのは、それから1か月もたたないうちだった。<続く>
2019.02.01
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