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不幸な野良猫を救おう地域猫活動に携わると、「穏健」「やさしい」「他者への敬意にあふれている」といった日本人の表向きのイメージとは違う、弱い存在に対する冷酷さ、残忍な無関心に出会うことも多い。別に特別な人ではない。普通の市民として暮らしている、普通の住民だ。だから、「川に落ちた猫をウーバーイーツの配達人が救出」なんていうニュースを見ると、うれしくなってしまう。炎上し、沈没していく漁船から猫を救出するために、海軍兵が泳いで行き、見事背中に乗せて助け出した、なんていうニュースは、なおさら琴線に触れる。いいニュースだ。ニュースソースはこちら。漁船の乗組員が救助されたあと、船に取り残された猫たち。不安そうにこちらを見ている。泳いで救出に向かった海軍兵の背中にしがみつく猫。
2021.03.05
Mizumizuは猫好き。どのくらい好きかというと、『班猫』を見に美術館へ行ったり、マンハッタナーズというブランドのバッグや財布を揃えたり、猫がデザインされた衣服やアクセサリーを好んで身に着けたり、毎朝ジャン・コクトーの猫のマグカップもしくはダヌーンのサバトラのマグカップでコーヒーを飲んだり、羽生結弦選手が慰問先で猫をナデナデする姿、その手つきを見ただけで、「ウム、彼はデキる(本物の猫好きだな)」と見抜けたりするくらい。実家には元野良猫が四匹。全員「ワケあり」。エイズキャリアの子、生まれたばかりの子猫時代にひどい猫風邪でしかもお隣のクルマにひかれかけた子とそのヤングマザー、出産を繰り返して将来が危ぶまれる肝っ玉母さん猫――それぞれがそれぞれの理由で手がかかるが、全員が愛しい家族だ。だから、地域猫の面倒を見ている方々の苦労はひじょーによく分かる。ほっておけばすぐ増えてしまう(そして人知れず悲惨な末路をたどる)野良猫を増やさずに、しかも殺処分をせずに地域猫として見守るための活動に、「TNR」というものがある。もちろんすべての猫を保護して、里親をさがしてあげるのが理想だが、数からいって、それは無理な相談なのだ。Mizumizuも実家のある山口市で小規模ながら地域猫の会を立ち上げ、行政の認可を得てTNR活動を始めたのだが、これがメチャ大変。まず、野良猫を捕まえるのが大変。そして獣医師のところで去勢(避妊)手術をしてもらうのだが、その調整と費用がまた大変。行政からの支援もあるが、補助金をいただくための手続きと野良猫確保のタイミングを合わせるのがなかなか難しい。補助金が出ても、手術代がそもそも高いので(特別に安くしてくださる獣医師もいるが)、持ち出しがバカにならない。Mizumizuの立ち上げた会はメンバー3人の小規模なものだが、大きめの組織もあり、ここで捕獲器を借り受けたり、アドバイスをいただいたりしている。それが「かぎしっぽの会」。この会に入って、長年にわたって活動を続けている方から、「やっと独立したホームページができました」というご連絡をいただいた。TNR活動について説明したページもあり(こちら)、そこからページ下部の「かぎしっぽを応援する」をポチると、支援ページに飛べる。それがこちらだが、ここからアマゾン、ヤフー、楽天、Qoo10で買い物をすると、「かぎしっぽの会」に支援金が届けられるという仕組み。もちろん、買い手は何も負担する必要はない。通常のアフィリと同じだ。猫好きのあなた、野良猫問題には心を痛めているが何もできないでいるあなた――どうぞあなたの気持ちを、買い物のときにひと手間踏むことで、自分の時間と費用を使ってボランティアで活動している方々に届けてください。
2021.02.24
5月後半に収穫量が落ちてきたイチゴ。6月に入って、量は少ないが大きめで形のよいものが採れ始めた。1日3~4個程度だが、不思議なことにたくさん採れていたときより味がよいよう。3個に1つぐらいは相当甘くてジューシーなイチゴに当たる。そう言えば、去年苗を買ったとき、2種類(5月収穫と6月収穫)のものを買ったような気がする。品種名は「あまおう」だったか「とちおとめ」だったか。あるいは「紅ほっぺ」だったか――。よく聞く名前だったが、家族の誰もはっきり憶えていなかった。採れる量が減ってしまったので、イチゴアイスには足りない。今イチゴは、スーパーでは安いものならひとパック300円ぐらいで売っている。それで、スーパーのパック売りのイチゴに自家製を数個混ぜて砂糖漬けにしてアイスにしてみた。結果は…100%自家製イチゴアイスに「やや」軍配。あまり違わないと言えば違わないのだが、スーパーのは、そもそも生で食べても味があまりなかったので(味も自家製イチゴの「3個に1つ」に軍配)、アイスにしても果実的な酸っぱさが足りなかった。色味も自家製のほうがきれいなピンクになり、スーパーものはやや白っぽかった。このごろ市販のイチゴって全般的に味が落ちた気がするのはMizumizuだけだろうか? 見た目は整っていて表面はきれいな赤色だが、甘みも強くなく、大味なものが多いような。自家製イチゴは、そういう意味では、植えて正解だった。美味しいアイスが何度も楽しめたし、今回はアイスばかりだったが、プリザーブにしてイチゴジャムとして食べてもいいだろうし、イチゴソースも作れたと思う。ランナーも伸びてきて、また来年も(ほったらかしても)収穫できるかな…と都合のいいことを考えていたら…炭疽病が出てる葉っぱがある!と書くと、もともとイチゴの病気について詳しいみたいだが、葉っぱに変な斑点があるのに気づいてネットで調べて分かったのだ。慌てて炭疽病(か、もしかしたら輪斑病)の出ている葉だけ切ってみたが、よくよく見ると、それほどひどくなくても、ポツポツとかなり広がっている。あらら…季節も梅雨っぽくなってきていたし、ほったらかしで茂りすぎていたのが原因のよう。イチゴの実が地面につかないよう、紐でひっぱって茎にくくったのもよくなかったようで、くくった茎の葉に多く斑点が出ていた。行き当たりばったりの素人栽培の当然の帰結のような感じ。ランナーから伸びた新株もよく見ると、斑点の出ている葉がある。こりゃダメだ…今のところ枯れてる株はない。ただ、ランナーから健康な株が育つかどうか分からない。しばらく様子見だ。イチゴは育てやすいが、美味しいイチゴは育てにくい、というのはよく言われることだが、やはり病害にも注意が必要なんだな、当たり前のことだが。2年目の株が病気にならずに、うまく収穫まできたのはラッキーだったが、2匹目のドジョウ…ならぬ3年目のイチゴは、さすがにほったらかしではダメそう。つくづく、農家は偉大だ。←結局、結論はコレ。ストロベリーガーデン 100g 【ロンネフェルト】 かわいいイチゴの甘酸っぱさが香ります
2020.06.06
バイオレット 1kg 小麦粉 薄力粉 お菓子用 クッキー ケーキ タルト シュー生地 スコーン パウンドケーキ スポンジケーキ 紫 業務用 皆さんは馴染みのスーパーですんなりバターが買えてますか? あるいは、生クリームや小麦粉は? Mizumizuはすんなり買え「ない」ことがほとんど。バターはずいぶん前から国産品に品薄感があったが、最近はそれに拍車がかかっている感じ。 だが、実のところバターに関しては、「ない」わけではない。あくまで北海道の大手ブランドのお手頃バターがないだけで、業務用スーパーに行けば大型サイズのバターはかなり豊富にあるし、ちょっと高めのバターやフランスのエシレバターなんかは、品薄のわりにはあまり売れてる気配がなく、山積み…はオーバーだが、かなり残っていたりする。 生クリームは、ないところはいつ行ってもない。あるところにはたいていあるが、やはり一番の売れ筋であろう乳脂肪分35%前後の200mlのものはなくなってることが多い。 これって全国的な状況かな? と思ってツイッターや個人ブログをキーワード検索で辿ってみたら、やはり欲しいと思ったときになくて困っている人が多いようだ。 意外なのは、ホットケーキミックスや小麦粉も品薄らしい。新型コロナ流行を抑えるためのStay home政策で、家でお菓子作りを始める人が増えたのが原因だとか。 牛乳は余っているとかで、「もっと牛乳飲んでください」と行政がさかんに訴えている。そのくせバターや生クリームが足りないって、ずいぶん小回りのきかない国だ。 個人的にはバターは何とかすべきかな、と思う。ずっと品薄が続いてるから。牛乳はたいてい余り気味。牛乳が余ってきたらバターに回して、余剰分は行政が買い上げて冷凍保存。品薄になってきたところで放出。そういう仕組みを作るべきかと。 一方で、「生クリームありません!」と不満をぶちまけている消費者の声は…それほど真面目に聞かなくていいのでは。どうせ一過性のマイブームでお菓子作ってるだけだし、いつも行く店に自分が買いたいと思ったときになくてネットに八つ当たりしてるだけ。 今回たまたま買う人が増えたからといって増産したら、お菓子作りに皆が飽きたころに余ってしまい、生クリームは足がはやい分、廃棄処分が増えそうだ。 確かに「欲しいな」と思ったときに、生クリームの陳列棚がからっぽだとがっくりくるが、どこかには売ってるし、何日も何軒もスーパー回ってない、というほど品薄でもない。バターはかなり必須の生活必需品に近いが、生クリームなんて贅沢品だから、基本はなくてもいい。 ホットケーキミックスも同様。子供が家にいるから作ろうか…というような動機が多いだろうから、学校が始まったり、あるいは子供が飽きてきたら、もうパッタリ作らなくなる…というパターンが多そうだ。 小麦粉の品薄はかなり予想外だった。だが、これは案外、「品薄だからもう一袋余計に買ってストックしておこ」という買いだめ派が多いのではないだろうか。 スーパーで数回手に入らないとツイッターやブログでヒステリー起こす人も多いが、いつでもなんでも手軽に手に入るということは、余分に出回っているということで、廃棄になってる食品が多いということ。 ホットケーキミックスなんて、なんとなく煽られて買いだめしたあげく、使わずにほったらかし→いたんで捨ててしまう、なんて人も多いのでは。 生活必需品がいつまでも手に入らない状況なら憂うべきだが、そうでないものについては、ちょっと品薄かな、ぐらい騒ぐことでもないと思う。買いだめも、もちろんもってのほか。そういう「自分さえよければ」の行動が品薄を招き、あげく「転売ヤー」を増やすことになる。
2020.05.21
「白ワインのゲビュルツトラミネールが好き」というエントリーを上げたのは2008年。もう12年前だ(そのときの記事はこちら)。当時はアルザスのゲビュルツトラミネールで、「これは」というものは日本ではほとんどお目にかかれなかった。Mizumizuはフランスやイタリア、それにドイツにも頻繁に行っていたが、アルザスは行ったことがなかった。だが、日本人の情熱的なバイヤーのおかげで、アルザスからあまり外部に出なかったゲビュルツトラミネールも日本で入手可能になった。知ってみれば、やはりアルザスのゲヴュルツトラミネールは素晴らしかった。花と果実を想わせる香りも、1つ1つ違うといっていいほどの幅があるし、味も、かなり濃厚で個性的なものから、すっきりと爽やかなものまで、驚くほど裾野が広い。深みのある芳醇な味わいのゲビュルツは、値段もそれなり。ゲヴュルツトラミネールなんてマイナーな種だ。それでも、いつの間にか、これだけ色々なゲヴュルツトラミネールを購入できるようになった。本当に、日本人の「美味しいもの」を求める貪欲さは凄い。コロナ禍でバイヤーの活動が急激に制限されてしまっただろうけれど、落ち着いたらまた、世界中のローカルな、でも高い水準の美味しいものを探し出してきてほしいもの。このエチケットを見て、Mizumizuがゲビュルツを好む理由が「解明」できた。エスニックに合うワイン。カレーとも相性バッチリ。そう、Mizumizuはカレー大好きのカレー星人なのだ。こちらは1000円ちょっとで買えるお手頃ゲビュルツだが、バターチキンカレーと合わせたら最高だった。2019 Japan Women's Wine Awardsで「Gold」を獲得したらしい。このアワードでGold獲得したワインはめちゃくちゃたくさんありすきて、有難いのかそうでもないのか、よく分からない賞だけど(苦笑)。確かに女性好みの甘やかな香り。ただ口当たりは甘ったるくなく、すっきり飲める。自家製バターチキンカレーでさらに美味しくなるアルザスのゲヴュルツトラミネール。同時にカレーの味も一段と引き立つ。まさに幸福なマリアージュ。残念ながらナンは自家製ではなく既製品。ドメーヌ ジンク ゲヴュルツトラミネール GC アイヒベルグ 2013 白 750ml/12本DOMAINE ZINCK GEWURZTRAMINER GC EICHBERG2264e完熟したゲヴュルツトラミネルから造られるジンク自慢の逸品。硬質なミネラル感を伴ったリッチで贅沢な口当たり。レオン ベイエ ゲヴュルツトラミネール ヴァンダンジュ タルディヴ 1983 700ml ※ラベル不良 フランス 白ワイン アルザス2008年 ゲヴュルツトラミネール ヴァンダンジュ・タルディヴ / トリンバック フランス アルザス 750ml 甘口白*●アンリ・オットマン ゲヴュルツトラミネール アルザス 2015 白 750ml【5月〜9月はクール便配送となります】コノスル ゲヴュルツトラミネール レゼルバ エスペシャル 750ml [SMI/チリ]
2020.05.19
ホットサンドは好きですか? Mizumizuはかな~り、好き。朝食は味噌汁とごはんより、ホットサンドとコーヒーのほうが好み。 料理器具はあまり増やすと置き場がなくなってくるのだが、楽天で安くてコンパクトなホットサンドメーカーがあったので、買ってみた。 【5月20日限定★エントリーでポイント最大27倍】【数量限定品】新津興器 そのままホットサンドシングル SSH60 値段が安すぎてやや不安だったが、1つだったら問題なくできる。2つ目になると、機械の温度が上がりすぎるのか、結構長い間電源ランプがつかなくなり、手早く焼くことができなくなる。 ただ、そんなにたくさん一度に作ることはないので重宝している。コンパクトなので、使い終わったら立てて棚の中に収めておけるので場所も取らない。 シンプルにチーズ+ハム。パンには少しだけバターをのせておく。朝食には十分。 バターをのせて、ハム+薄切りのきゅうり+同じく薄く切ったトマト+マヨネーズというパターンもなかなか。 これでますますカフェから足が遠ざかりそうだ。
2020.05.16
<昨日のエントリーから続く>Fragole con pannaに欠かせない生クリーム。山口ではもっぱら白バラ大山純生クリーム/48%【200ml×1本】 クール便/鳥取/ケーキ/国産/チーズケーキ/生クリーム/お菓子/パン材料 ホイップクリーム生クリーム生クリーム 業務用↑こちらを使っている。なんでもある東京だが、鳥取や岡山のメーカーの乳製品は少ない。関東・東北圏のメーカーや北海道の大手ブランドで飽和状態なのか、西日本のメーカーはあまり入り込む余地がないようだ。特に東京のスーパーの生クリーム事情は、案外お寒い。上記の大山純生クリーム48%と同レベルの商品はほとんど手に入らない。これは10代後半に東京に出て感じたことでもある。イチゴのショートケーキ作りが得意だった母の影響で、Mizumizuも同じレシピで手作りしていたが、東京の生クリームは最高レベルのお値段のものを買っても、山口で愛用していた(当時は岡山のメーカーが出していた)最高級生クリームに比べるとちょいアブラっぽかった。東京では知られていないが、西日本の乳製品のレベルは非常に高いのだ。山口の乳製品ブランドで最近気に入っているのは、「きらら牛乳」。【山口県】【下関市菊川町】【やまぐち県酪】山口県産生乳100% やまぐち きらら牛乳200mlX10本さっぱりしていて、ほのかな甘みも感じる高品質牛乳。最初は、「あっさりしてるな」ぐらいで、それほどと思わなかったのだが、だんだんにハマってきた。なんというか、あっさりはしてるが水っぽくないのだ。コクはさほど感じないが、その分しつこくない。中国自動車道の美東サービスエリア上り線には、このきらら牛乳を(多分)使った、「きららソフト」が売られているが、ハッキリ言って、東京の某有名チェーン店があちこちで出している、やたら甘くて水あめみたいにねっとりしたソフトクリームなんかよりよっぽど美味しい。同じサービスエリアにはクレミアのソフトもあるが、最近はどこにでもあるクレミアより、ここに来たら「きららソフト」が絶対におすすめ。今日の収穫。今日のFragole con panna。さすがにそろそろ飽きてきた。今度はイチゴアイスでも作ろう。
2020.05.10
2020.5.9新型コロナ、中国からの第一波を瀬戸際でどうやら乗り切りながらも、欧米からの第二波は防げなかった日本。「他人との接触8割減」を目標に全国的な自粛生活に入ったものの、そう簡単に目標は達成できず、緊急事態制限は延長。が、ここにきて自粛の効果が出てきたのか、感染者数が減ってきた。この傾向が続いてくれるとよいのだが。さて、Mizumizuはといえば相変わらず、半隠遁生活を続けている。「8割減」は個人的には達成できていると思う。2月末からずっと日常品の買い物と散歩以外は外出していない。3月あたりはどこかに遊びに行きたくてウズウズしていたのが、この生活が長くなるにつれ、なんだか、「どこかへ行きたい」気持ちもしぼんでしまった。リモートワークなんてもう15年もやってるから、いまさら。コロナで仕事は減ったが、なくなるというほどでもなく、ボチボチ。田舎暮らしの楽しみと苦痛は、庭仕事。「楽しみ」は、次々に咲く花(今はスズランがきれいだ)をめでることと、ハーブやイチゴを摘んだりすること。「苦痛」はなんといっても雑草取り。寒い冬の間はあまり雑草取りもする気にならなかったので、夏が来る前になるたけ取っておきたい。あまり真剣にやると、また腱鞘炎が復活することは間違いないので、これもボチボチと。イチゴは去年、苗を4本ぐらい買って植えてみた。が、どうやら肥料をやりすぎたようで、葉ばかりのびてほとんど収穫できなかった。2年目の今年は、元株のランナーから派生して育った株がたくさんできて、イチゴもかなり実っている。冬の終わりに、気の早い実が小さいながらも赤くなって、食べてみたら甘みと酸味がぎゅっと濃縮されたようなおいしさがあった。5月になってたくさん採れ始め、売り物のようなきれいな形のイチゴもできるようになったのだが、味はバラバラ。甘いものもあるし、酸っぱいのもあるし、あまり味のないものも。形のよいものは、たいていあまりおいしくない。甘さが少なく大味な感じ。おそらく、毒々しいぐらい赤みが強くなってから食べればいいのだろうけれど、大きくなると、頭を垂れてしまって土につきそうになり、少し引っ張ってやらないといけないのが面倒だし、なによりナメクジという大敵がやってくる。忌避剤は、石の裏などの吹きかけるようにとのことなのだが、イチゴ畑になっている家庭菜園には土しかないし、忌避剤の成分をみるとりんご酸とあるので、土の上にそのまままく気にもならない。仕方ないので、キッチンペーパーを細く切って忌避剤をしみこませ、夜出没するナメクジを撃退すべく、夕方に実ってきたイチゴの株の根本のあたりに適当に置くという、自己流のやり方を考案した。…あまり効果的とも思えないやり方で、誰にもおすすめしないが、まぁ、ナメクジ出没率は減っている、ように思う(夜中にパトロールしているのだ)。追記:後日、液体の忌避剤はやめて、土壌にやさしいという粒状の忌避剤に変えた。粒状のほうが効果的だった。う~ん、「楽しみ」だろうか、コレ? 特に家庭菜園好きというほどでもないMizumizu。たいして世話しているわけでもなく行き当たりばったりなのだが、それでも結構面倒だ。しかし、実ったイチゴをチョキチョキ切って食べるのは、それなりに楽しい。こんな感じのものが、ここ数日は毎日10個以上採れる。最初のうちは、そのまま食して、「これはすごくおいしい、これはそうでもない」などと家族で品評会をしていたのだが、「すごくおいしい」イチゴはそうはできないと気づいて、方向転換。Fragole con pannaで食べることにした。このイタリア語で画像検索していただければ、いくらでも写真が出てくると思うが、要はFragole(イチゴの複数形)をpanna(生クリーム)と一緒に(con)食べるというだけのデザート。初夏のイタリアでは、ちょっとしたカフェにいくらでも置いてあった。たいていイチゴは小さくて硬く、酸っぱいが、生クリームが上質で軽く、甘く味付けされていたので、MizumizuもMizumizu母も大いに気に入ってよく食べていた。自家製イチゴでFragole con panna。こういうことが気楽にできるのも、田舎暮らしのベネフィット。そういえば、カミュの『ペスト』が累計発行部数100万部を超えたとか。
2020.05.09
ペスト(新潮文庫)【電子書籍】[ カミュ ] 戦争が勃発すると、人々はいう――「こいつは長く続かないだろう、あまりにも馬鹿げたことだから。」 そしていかにも、戦争というものは確かにあまりにも馬鹿げたことであるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。 愚行は常に頑強なものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかりを考えていなければ、そのことに気づくはずである。 わが市民諸君は、この点、世間一般と同様であり、みんな自分のことばかりを考えていたわけで、別の言い方をすれば彼らはヒューマニストであった。 つまり、天災などというものを信じなかったのである。 天災というものは人間の尺度とは一致しない、したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。 ところが天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間の方が過ぎ去っていくことになり、それもヒューマニストたちがまず第一にということになるのは、彼らは自分で用心というものをしなかったからである。 わが市民達も人並み以上に不心得だったわけではなく、謙譲な気持ちになるということを忘れていただけのことであって、自分たちにとって全てはまだ可能であると考えていたわけであるが、それはつまり天災は起こりえないとみなすことであった。 彼等は取引を行うことを続け、旅行の準備をしたり、意見を抱いたりしていた。ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなど、どうして考えられたであろうか。 彼等は自ら自由であると信じていたし、しかも、天災というものがある限り、何びとも決して自由ではありえないのである。アルベール・カミュ『ペスト』宮崎 嶺雄訳より *改行はMizumizu
2020.04.12
<昨日のエントリーから続く>今日の愚行民のニュースは神戸の警察。警察署長の歓迎会で感染拡大 約120人が自宅待機神戸市の1つの警察署で新型コロナウイルスに感染した警察官などが合わせて7人になり、このうち3人は先月末に異動してきた署長らの歓迎会に出席していたことが分かりました。(ソースはこちら)。今度は歓迎会ですか。ヤレヤレ。どっかの大学生が卒業前にヨーロッパに旅行し、発熱したのに卒業式に出たとか、東京は不安だからと地方の実家に脱出して、あげく家族が感染とか、毎日のように出る愚行民のニュースにうんざりだが、これが「今日は500人亡くなりました」なんていうニュースに取ってかわられていないだけ、まだ救いがあるのかもしれない。感染確認者数の異様な伸びを見れば、つまり、統計の「数字」だけを追えば、東京がニューヨークの二の舞になるのは時間の問題としか思えない。だが、日本人の多くはまだ「そうならないかもしれない」という可能性をどこかで信じていると思う。なぜなら、東アジアの多くの国では(というか、中国以外ではほとんど)、欧米のような死者累々の国がまだ出ていないからだ。地理的な近さや人の結びつきという面で見れば、イタリアのロンバルディアやニューヨークより先に、日本の東京や大阪がオーバーシュートに見舞われていなければおかしい。ところはそうはならなかった。地理的に近いのに、一方の国では死者累々、もう一方ではそれほどでもないという現象はヨーロッパでも起こっている。それがスペインとポルトガルだ。スペインはヨーロッパの武漢となってしまったイタリアとまったく同じ道をたどってしまった。4/10時点でのスペインの死者は1万5843人。ポルトガルは435人だ。4/1時点でポルトガルの死者は160人だったから、10日で275人の増加に留まっている(1日だと20人~60人の増加)。ヨーロッパで最も統制の取れた国の1つであり、医療水準も世界最高レベルを誇り、かつ新型コロナの検査にも積極的なドイツでさえ、4/1から4/2の1日の死者数増加は143人だったのが、4/9から4/10の1日の死者増加数は258人に増え、このままではイタリア、スペイン、フランスの後追いになってしまいそうな勢いだ。アメリカに至っては、4/1時点で4081人だった死者が4/10で1万6686。この数字に近いのがフランスで、4/1の死者数3532人→4/10で1万2228。国によって人口がかなり違うのだから、死者数だけ並べても死亡率は分からないが、それにしたってポルトガルの死者数の少なさは群を抜いている。しかも、今に至るまでその増加曲線は極めて緩やかだ。各国の死亡者数(国により国際データに反映されるまでのタイムラグが違うので実際より少ないこともある) 4/1→→4/2→→4/3→→→4/4→→→4/5→→4/6→→→→4/9→→4/10イタリア12428→13155→13915→14681→15362→15887→→→17669→18279ドイツ 788→→931→→1111→→1275 →→1444→1584→→→→2349→2607日本 57→→→57→→63→→→→69→→→77→→→85→→→→→94→→99アメリカ4081→→5116→5949→→7159→→7574→→9653→→→14817→16686フランス3532→→4043→→5398→→6520→→8496→→8093→→10887→→12228ポルトガル160→→187→209→→→246→→→266→→295→→→→380→→409この差の背景にあるのはBCGワクチンを接種しているか否かにある、というのがここに来て有力視されている説だ。BCGワクチンが、なんらかの作用で新型コロナウィルスの感染、もしくは重症化を抑制しているのだとすれば、欧米であれほど死者が爆発的に増えているのに、東アジアでは同じ現象がまだほとんど起きていないことの説明としては非常に筋が通っている。東京は感染者の数字だけを見れば、2~3週間後にはニューヨークのような惨状が繰り広げられていてもおかしくない。というか、そうならないほうがおかしい。だが、BCGワクチンが防護壁の役割を果たしていてくれるなら、そうならない可能性もある。これまで日本人は清潔好きだとか、挨拶にキスやハグをしないお辞儀文化だとか、土足で家に上がらないのがいいだとか、いろいろな生活習慣の違いが言われてきたが、どうももうひとつ説得力に欠けていた。BCGワクチンと言われたほうが、よほど納得できる。それから、もう1つの希望は、アビガンのような薬。催奇性があるとはいえ、死亡率の高い高齢者の重症化を防いでくれるなら、これはもう日本発の奇跡ということになる。欧米がとんでもないことになっているのに、我関せずとばかり愚行を繰り返してきた愚行民だらけの日本。それでも医療崩壊が起きずに、緩やかな死者数の増加で食い止めていけたとしたら、もうそれはほとんど、神風のおかげだ。
2020.04.11
恐れていたことが、ますます現実に近づいているような気がします。世界中の人々が新型コロナ感染症で苦しんでいます。日本でも多くの人が苦しんでいて、これまでみんなで自粛しながら頑張ってきました。でもなかなか患者さんの数が減ってきません。多分それは日本という国が自由で、それぞれの判断に任されているからだと思います。そして、いよいよ歯止めが効かなくなって感染爆発(オーバーシュート)の可能性が出てきました。自由は日本のいいところだと思っていますが、このままでは自粛どころではなく、都市閉鎖(ロックダウン)やら、本当に窮屈になってしまうこともないとは言えません。今から6週間、皆さんが誰からもうつされないように頑張れば、東京は大きく変わります。もちろん、みんなで頑張ってみても、すでに起きているクラスターからは患者さんが出現するでしょうし、外国からだけではなく、東京に持ち込まれてくる可能性はあります。でもそれに対応する方法はあります。だから東京都内で、近くの人や人混みで移されないようにしさえすれば、東京は大きく変わり、窮屈な自粛から解放されることになります。たった6週間です。誰からもうつされないように頑張りましょう。これは東京都医師会尾崎会長のこちらのメッセージから一部抜粋したものだ。迫りくる医療崩壊に対する危機感、なんとしてもそれを防ぎたいという強い責任感が伝わってくる。ところが、この時期にあっての一部の日本の医師・研修医のふるまいには驚きや呆れを通り越して、もはやボーゼンとするばかりだ。それでは、日本発:三大バカ医師・研修医軍団による、信じがたい「愚行」を見てみよう。京大病院 医師や研修医116人の自由すぎるオフタイム2020年4月8日 京都大学医学部附属病院の医師や研修医など合わせて116人が、新型コロナウイルスの感染対策として病院が自粛を求めている会食や国内旅行を行っていたなどとして、これまでに自宅待機を命じられていたことがわかりました。(ソースはこちら)116人も自宅待機ですと? この時期に会食や旅行ですと?? Mizumizuは感染者が非常に少ない県にいるが、それでも専門家会議による「瀬戸際」発言からずっと、外食も控え、国内旅行どころか県内の観光客が集まる施設も避けている。ほとんど引きこもりだ。あ~、せめて県内旅行、日帰りでいいからしたいよ、まったく。だが、こんなことで驚くのはまだ早かったのだ。慶応病院の研修医たちによる、小ズルすぎる懇親会での羽目外し慶応病院(慶應義塾大学病院)の研修医による懇親会での新型コロナウイルス集団感染。この懇親会の場で、研修医たちがキスなどの濃厚接触を繰り返したり、会の開催について口止めしていたことがわかった。研修医40人が参加した「お疲れ様会」なる懇親会が、都内のダイニングバーで開かれたのは、3月26日。前日には、小池百合子都知事が緊急会見し、外出自粛を呼びかけ、当日には、慶応病院でも入院中の患者4名の陽性が確認されていた。この日、予定されていた初期臨床研修医の修了式は中止となっていたが、研修医たちは懇親会の開催に踏み切ったという。ただ、幹事は、会の真っただ中の21時54分に、こんなLINEを送り、“口止め”していた。〈今回ですが、慶應でコロナインシデントがあったため・SNSへのアップをしない・医療従事者であることを言わない・手指衛生をするでお願いいたします〉(ソースはこちら。)コロナインシデントだって…(苦笑)。西欧では1日に何百人と亡くなっているというのに、そしてその数字に限りなく近づいていっているというのに、自分たちにはカンケーないと思っているのだろうか? どういう選民思想なのか、はたまた想像力の欠如か、もはや理解不能だ。「医療従事者であることを言わない」って口止めをしてるってことは、ヤバイことをしている自覚はあったということだ。バレなきゃイイでしょって、その小ズルさが気色悪い。これらはまあ、研修医だから、まだ若さゆえのバカさだと言えばそうかもしれない。しかし、行く場所が多少お高くなるだけで、バカはやっぱり少し大人になってもバカらしい。金沢の精神科医が、岐阜まで行ってナイトクラブ利用で感染石川県や岡部病院によると、30歳代の男性医師は3月26日に勉強会で岐阜市を訪れ、同日夜にナイトクラブを利用。県内に戻った後、3月27日と30日~4月3日に病院で勤務した。4日に岐阜市から連絡を受けて同席者の感染を知り、7日に検査したところ、陽性と判明した。男性医師は気管支炎で軽症だが、ほかの医師2人は38度台の発熱があり、入院患者の女性は肺炎と診断されて中等症だという。女性は治療のため、8日に別の医療機関に搬送された。感染の判明を受け、同病院は8日から、全ての外来診療とデイケア、訪問看護を中止。また、感染した医師らと食事などをともにした50歳代の女性医師と、60歳代の男性医師の2人を自宅待機とした。同病院では、医師9人を含む計約250人の職員と約280人の入院患者について、発症した医師との接触歴などの調査を進めているが、現時点で病院再開のめどは立っていないという。(ソースはこちら)クラブに行って感染し、最も起こしてはいけない院内感染を引き起こすって… 言葉もない。これら三大バカに加えて、今夜富山から飛び込んできたニュースこの時期に16人も集まって送迎会の愚県が会見で感染を発表したのは、県立中央病院麻酔科の医師で富山市に住む60代の男性です。男性医師は、今月5日の勤務後に発熱したため、それ以降は自宅待機していました。そして9日、熱が下がらないため県立中央病院に入院し、検査の結果、陽性と分かりました。男性医師は先月27日、所属する麻酔科の医師15人と看護師1人の合わせて16人で送別会を行いました。濃厚接触者はこの16人を含む25人で、送別会出席の医師1人が9日夕方から発熱し、自宅待機しています。県立中央病院は、一般の外来は10日から1週間取りやめます。(ソースはこちら)この時期に送別会? 16人も集まって?? なぜ「やめておかないか」と言う人が一人もいなかったのだろう。これが日本人の「同調圧力」ってやつですか?富山では市民病院でも看護師に感染者が出て、外来診療を10日休止になってしまった。ある意味、これはすでに医療崩壊だ。<次のエントリーに続く>
2020.04.10
<昨日からのエントリーに続く>千葉の福祉施設で58人の集団感染発生。嫌なシナリオが現実になってきている。さて。昨夜はNHKに山中伸弥氏が出演し、新型コロナもワクチンや治療薬が開発され、数年以内に「季節性インフルエンザと同様に、お年寄りが掛かったら危ない病気がひとつ増えた」程度までもっていけるのではないかと、割に明るい表情で述べていた。ところが、同じような未来予想でも、岩田健太郎氏は悲観的な表現をしている。https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202003/0013222026.shtml一番悲観的な見方としては、終息しないで、ウイルスとともに生きていくしかないという最悪のシナリオも準備しておかないと。ワクチンや治療薬が開発されても、流行そのものを遮断する保証はない。新型インフルも一緒に生きていく覚悟を決めた。同じようになる可能性がある。このウィルスが、おそらくは撲滅できないというのは、素人でも感じていることだと思う。突然高熱が出て他人に移す前に本人がぶっ倒れるような感染症とは違って、自覚のないまま感染してウィルスを運ぶ人も多い。ほとんどの人は軽症で済むが、突然重篤化するというやっかいな特徴もある。だが、考えてみれば、インフルエンザだって突然重症化することはあるだろう。そもそも季節性インフルエンザだって、年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されている(https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html)。これだけの人が1年に亡くなっているのに、季節性インフルエンザで医療崩壊したというニュースは聞かないし、ロックダウンなんてありえないし、国同士で入国禁止措置なんて取らない。新型コロナは、「まだ」全世界で亡くなった人は3万人に届かない。それでこの騒ぎだ。欧米の主要都市がカラになり、入国拒否が世界的に広がり、イベントは次々中止となり、巷の飲食店は壊滅状態だ。日本も1万人亡くなるインフルエンザはニュースにもならないのに、新型コロナは連日何人感染した、何人亡くなったとテレビが伝える。「まだ」49人しか亡くなっていないのに、オーバーシュートが迫っていると日本中に緊張感が走っている。こうした、数字で考える世界と実際に目で見る現実の世界とのあまりの落差に、時々「これはおかしいんじゃないか。ここまで経済を犠牲にするほどの病気なのか。世界中が狂ってしまったのではないか」と思うこともある。だが、イタリアや、イタリアを後追いしているスペインの惨状を見れば、ロックダウンも渡航制限も入国拒否も当然の措置に思える。それでもおそらく、完全な意味での「封じ込め」はできず(せいぜいできたとして、クラスターの封じ込め)、だから撲滅は不可能で、終息に向かったとしても、いずれどこかでまた発生するだろう、それは「当然のシナリオ」に思える。岩田健太郎氏がなぜそれを「最悪のシナリオ」と言ったのか、その真意まではこのインタビューからは分からないが、このウィルスが今後も多くの死者を出し続ける(例えワクチンや治療薬ができたとしても)ということを想定しているからかもしれない。これもみんな薄々気づいていることではないかと思う。新型コロナはまるで長生きに対する罰のように高齢者を狙い撃ちしてくる。10代の少女が亡くなったとニュースになったが、それはただの風邪でだって、季節性インフルエンザだって起こりうること。基本、このウィルスが黄泉の国へ連れていくのは、何か病気を抱えた、免疫力の弱った人間だ。今、政府が国民に外出を控えるように言い、人と接触しないことで感染を防ごうとしているのは、近い将来に治療薬が見つかり、数年経てばワクチンもできるだろうという希望があるからだ。そこまでの時間稼ぎをしている。だが、ワクチンも薬もあるインフルエンザで毎年大量の人が亡くなることを思えば、新型コロナも毎年少しずつ変異して流行し、季節性インフルエンザと同等以上の死者を出すのが常態化するかもしれない。ピークの山をずらしたところで、多くの人が亡くなるだろうという未来は見えてしまっている。どのくらいの数になるのかは、今は誰も「当てる」ことはできないように思う。誰が2020年3月にイタリアで連日500人以上の人が同じ感染症で亡くなっていくと想像できただろう?新型コロナで起こる一番の問題は、大量の重症患者が一度に多く発生することによる医療崩壊だ。だから、重症化をある程度防げる薬(あるいは薬の組み合わせ)が見つかれば、それでこのやっかいなウィルスは季節性インフルエンザの扱いに近づけることになる。季節性インフルエンザ扱いに近づければ、経済を犠牲にしなくても済むようになるはずだ。経済を回し始めれば感染者はまた増加してしまうだろうけれども、世界中の人々が次々破産するよりはましだから、どの国も、感染者が出て、重症者もある程度出る、すなわち死者も出ることを承知しながら経済を止めることは極力避けるようになるだろう。ものすごくシンプルな言い方になったが、結局のところ世界はそういう道筋を目指すしかない。山中伸弥氏の言い方は今の状況よりはるかに、段違いにいい状況になるという意味で希望を語る言い方になったのかもしれない。岩田健太郎氏は、撲滅もできず終息もしない、常にどこかでコロナ死が、それも毎年大量にある世界になるという面をとらえて「最悪」と言ったのかもしれない。だが、本当はもっと最悪の未来予想があると思う。新型コロナよりずっと毒性が強く、感染力も強いまったく未知の新型インフルエンザの登場だ。そうなればカミュではなく小松左京の『復活の日』の世界。だが、カタストロフィはそれこそ、来年起こるかもしれないのだ。
2020.03.29
<昨日のエントリーから続く>ほんの1か月前までは、「(コロナで)東京オリンピックができないなら、ロンドンで」などと一部の不謹慎な政治家が口走っていたイギリス。あのころの余裕ぶっこいた「他人事」態度はどこへやら。今やコロナ死423人で、日本の43人をはるかに抜いてしまった。医療崩壊を恐れたイギリス政府はこれまでの方針を大きく転換、外出禁止令を発令。といっても、通勤電車はいつもと同じかそれ以上に混んでいるよう。https://www.bbc.com/japanese/52018068イギリスで、新型コロナウイルス対策による外出禁止が始まった。ボリス・ジョンソン首相は23日夜、必需品の買い物や治療、絶対的に不可欠な仕事への通勤などごく一部の理由によるものを除く外出が禁止されており、警察は違反者を取り締まることができる。しかし24日朝、ロンドン地下鉄は通勤者で混雑していた。利用客の中には、運行制限のせいでいつもより混んでいると訴える人もいた。ジョンソン首相の声明は、ストレートに心に響くものだった。加えて、このウィルスの「何が」脅威なのかも明確に国民に伝えていた。基本的に、イギリスがやろうとしていることは日本の戦略と同じだ。感染拡大のスピードをなるたけ抑え、医療体制がパンクしないようにピークの山をずらしていく。もし、ここで人々が自由に外出し、感染が広がって急激に重症者が増えれば、イタリアのようにあっという間に医療崩壊が起こる。日本でも、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の脇田座長がNHKで同様の説明をしていた。オーバーシュートが起こってしまえば、「誰も何もできない」という脇田座長の「警告」。イタリアがどうして短期間にああなってしまったのかがよく理解できた。医療キャパを超えた重症者が一度に出てしまったときのインパクトは想像以上だ。検査、検査と毎日毎日煽っていたメディアは万死に値する。あの、ほとんど反政府プロパガンダのおかげで、人々がこのウィルスの「一番の問題点」が何かを理解するのに、ずいぶんと遠回りをしてしまった。感染のスピードを遅らせ、ピークをできるだけ後ろにずらして山の高さを低くする。日本の戦略は最初から正しかった。この疾病は8割の人にとっては、ただの軽い風邪と変わらない。ところが、特定の条件を持った人には致命的になる。おまけに症状は急変することが多い。人口の割合から言えば高リスクの人は少ないが、彼らが次々と罹患してしまった場合、感染する病気だけに、その防疫も含めて受け入れる医療側の負担は想像を絶するものになる。そもそも医療関係者が対処しなければならない「死に至る病」はコロナだけではない。日々、生と死がせめぎあう医療現場に、キャパ以上の重篤患者が担ぎ込まれれば、他の助かる命まで助からなくなってしまう。ヨーロッパの惨状を見るにつけ高齢者の割合が世界一の日本が、ここまで持ちこたえているのは驚異的だ。だが、それも非常に危うい状態にある。専門家会議から出された指針を一般人も厳格に守るべき。熱が出てもすぐに医療機関へ行ってはいけない。これが厳格に守られているのだろうか? 今はそれが心配だ。「検査してもらえなかった」とか「たらい回しにされた」とか言ってる人の行動をよく見ると、熱が出るやいなや駆け込んでいる(あるいは駆け込もうとしている)人が案外多い。専門家会議からの「瀬戸際」発言があったころは、人々は外出を控えていたが、このところの山口市の状況はと言えば、道は普段のように渋滞だ。Mizumizuは外出を控えていて、今のところ買い物ぐらいにしか行かない。スーパーには消毒薬が置かれ、トイレのジェットタオルを休止させて紙タオルを置いているところもある。なかなか対策頑張っている。逆に疑問に思うのが、処方箋を扱う薬局の対応。窓があるのに、閉めっぱなしで、空調をきかせ、密閉性バッチリ。病気の人が来るのだから、もっと換気に気を遣うべきではないだろうか。窓をあけて、寒いようなら人間が厚着をしたらいい。街中のスーパーの気の遣いぶりに比べて、処方箋薬局の密閉空間ぶりは際立っている。おかしい。首都圏では、さいたまスーパーアリーナで6,500人も集めたK-1イベントが強行されてしまった。そして早速、観戦者から発熱症状が。怖いのは、観客の中に高齢者施設や医療機関に勤務する人がいて、そこから高リスクの人へと感染が広がってしまうケース。専門家が今の段階で一番怖いとしていた「メガクラスター」への直線コースだ。法的拘束力のない自粛要請はもう限界にきている。強制的にやめさせなければ、またこういう愚行に走る輩が出てくる。倒産するとか生活費が稼げないとか言って、政府からの要請を拒否して興行を強制した者が儲けるような世の中はおかしい。その愚行を、集まった者たちの「感動」で取り繕おうとするのは、もっと悪い。愚の骨頂だ。例えば、誰も大声を出すわけでもなく、それほどの数の観客が集まるわけでもないクラシックコンサート。これを軒並み自粛したせいで、楽器演奏者の生活がおびやかされている。みな自分の生活を犠牲にして協力している。倒産しそう、生活費が稼げない――同じ条件の人はいくらもいる。人の命がかかっているから、我慢しているのだ。強制措置を急がなければ、3/28日には後楽園ホールでまた「強行開催」するつもりらしい。https://twitter.com/k1wgp_pr/status/1242642820071972864/photo/1早く政治決断を!!Mizumizuの意見に賛同される方は、こちらから東京都にメッセージをお願いします。追記:3/28のイベントは都との話し合いにより、ようやく本日の夕刻に、無観客試合で行うことが決まったとのこと。
2020.03.25
<昨日のエントリーから続く>昨日の政府専門家会議の会見は、非常に分かりやすかった。尾身茂副座長の説明は網羅的だったし、重要ポイントを何度か繰り返して読み上げてくれたのがよかった。Mizumizuが知りたかったのは、現状を専門家会議がどうとらえているかということと、これからジワジワと感染が広がっていった場合、軽症ながら1)基礎疾患を抱えていて重症化リスクの高い患者・2)高リスクの同居家族がいる患者を、どう「隔離」していったらいいのか、その指針だった。前者については、イタリアで感染爆発が起こる前は、尾身氏は日本は「踏みとどまっている」としながらも、かなり抑え込みに手ごたえを感じている様子が見えたので、今回はもっと肯定的な見解を示すのかと思ったのだが、特に都市部でリンクの追えない感染者が増えていることなどを挙げて、「オーバーシュート」の可能性に言及。イタリアの信じられないような状況を見ているというのもあるのだろう、予想以上に厳しい表情が印象的だった。後者に関しては、自宅以上・病院以下のような施設を行政側が用意すべきとの提言。これは大いに頷くとともに、「オーバーシュート」を防ぐうえでも是非ともやってほしい施策だ。折しも観光客が減っている。ホテルを借り上げるといった方法があるだろうし、協力が得られればと、こちらは願うばかりだが。さて、まさしくオーバーシュートの渦中にあるイタリアだが、WHOのライアン氏が、その原因について「イタリアの高齢者率の高さ」と「多くの人が病院に押し掛けて対応できなくなった」こと、つまり、すでにMizumizuが書いたことをテレビで言っているのを聞いた。素人でも分かることを今更言ってるのも、「なんだかな~」だが、とにかくこのウィルスは高齢者を狙い撃ちするのだから、イタリアを超える世界一の高齢者割合の国、日本https://www.stat.go.jp/data/topics/topi1135.htmlもイタリアのようなオーバーシュートに見舞われ、高齢者がバタバタと亡くなっていく(イタリアの死者は94%が60歳以上)可能性があるということだ。一方で、日本では検査対象を絞り込み、初期の段階から医療崩壊が起こらないように国主導で備えたことも幸いし、今までのところは「多くの人が病院に押し掛ける」現象は起こっていない。さらにイタリア化を防ぐ上での、心強い条件も見つけた。こちらの記事https://news.yahoo.co.jp/byline/takerodoi/20200317-00168187/によると、人口千人当たりの医師数でみると、イタリアのほうが日本より多いのだ(イタリア:4.0人、日本2.4人)。ところが、その医師の平均年齢が問題。医師のうち55歳以上の人が占める割合がイタリア:55%、日本:37%。これには少し驚いた。イタリアの医師が半分以上が55歳とは。さらに、人口千人当たりの看護師の数イタリア:5.8人、日本:11.3人。看護師という仕事は激務で知られていて、日本でも決して数が足りているとは言い難い。その日本の半分ぐらいしか、イタリアでは看護師がいないということ。これは医療崩壊の大きな引き金になりそうだ。千人当たりのベッド数もイタリア:3.2床、日本:13.1床。この差も凄い。ちなみに、アメリカは2.8床、イギリスとカナダは2.5床、スウェーデンは2.2床。医療体制の整ったイメージのある北欧のスウェーデンの2.2床には驚いたが、アメリカもずいぶんと少ない。こうしてみると、日本がいかに恵まれているか分かる。同時に、これが財政を圧迫しないわけはなく、将来的にこの恵まれた医療体制が維持できるのかと考えると、諸外国の状況を見ても、とても無理だろうと思わざるをえない。幸いなことに、私たちは今、未来ではなく現在に住んでいる。感染者が増えていっても、イタリアより日本のほうが受け入れ態勢に余裕があるということは言える。専門家会議の戦略どおり、感染拡大のスピードを抑え、ピークの山を低く抑えることができれば、イタリア化は免れる。さて、2週間の外出制限など、厳しい措置の取られているフランスだが、日本との奇妙な一致がある。フランスは日本と同様(そして、イタリアと違って)、感染拡大の初期から検査数を抑える方針を取っている。発熱があっても自宅療養を推奨し、なるたけ医療機関には来ないように通達を出し、コロナが疑われる場合は、専門家が対処する。今のところイタリアのような医療崩壊は起こっていないようだが、死者数は急激に増え、371人。感染者数が10891人。ここから計算した致死率は3.4%。日本は3/20付けで、1016人感染、35人死亡。ここから計算した致死率はフランスと同じ3.4%だ。数日前も、フランスと日本の計算上の致死率が近いことを指摘したが、今日はぴったり一致した。だが、6699万人しかいない国で371人亡くなるのと、1億2000万人以上いる国で35人が亡くなるのでは、医療体制に与えるインパクトは段違いだろう。この371人という数字、少し前のイタリアもそうだった。それがあれよあれという間に、1000人を超え、2000人を超え、3000人さえ超えて世界一になってしまった(ただし、中国の出している死者数が本当であれば、だが)。フランスがイタリア化せずに踏みとどまってくれるかどうか。ヨーロッパでも進んだ医療体制を誇る国だけに、フランスまでがイタリア化してしまったら、それこそ世界中の先進国も危うい。それと、ドイツ。ドイツは感染拡大も比較的遅かったが、日本以上に踏みとどまっている国だ。感染者数は16290人と非常に多いが、これは検査を広範囲にやっているということだろう。それに対して死者数がわずか44人。致死率はわずか0.27%。これはアメリカの専門家が少し前に予測した「実際の致死率(0.2%程度になるだろうという予想)」に非常に近い。ドイツも高齢者の多い国だ。人口に占める高齢者の割合は日本、イタリア、ポルトガルに次いで第四位。その高齢者大国でもあるドイツで、死者数がこのまま増えずに踏みとどまってくれるなら、まだ感染拡大に見舞われていない国々はおそらく「ドイツ式」をお手本として感染防止に取り組めるだろう。
2020.03.20
この週末(2020年3月14-15日)の山口は、1週間前より人が外に出ていた。1週間前は道を走る車も少なかったのだが、この週末はもういい加減みんな我慢できなくなったのか、市内は渋滞になっていたし、スーパーは普通通りでモノがあふれており、トイレットペーパーも豊富にあった。マスクをしている人も返って減った。マスク不足もあるのだろう。マスクは全然手に入らない。こんなことになるのなら、買い占めを早めに規制してほしかった。次の新型コロナ、もしくは新型インフルエンザの流行に向けての課題だろう。中国人観光客が店のマスク全部買い占めていく、というニュースは1月ぐらいから聞いていたが、あのころはまだ日本人もこんなことになるとは予想もしていなくて、余裕があった。まさかその後、中国人が転売して荒稼ぎするなんて想像もしてなかったのだ。本当にお人好しというのか、間抜けというのか。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200207-00000016-pseven-soci2/7(金) 16:00配信中国人旅行客の「マスク爆買い」、段ボール数箱分買い占めも「マスクはずっと品切れ。朝の開店時には入荷していることが多いが、中国の方がすぐに全部買ってしまう」(銀座のドラッグストア店員) 購入個数の制限をかける店がほとんどだが、なかには珍客も。「マスクの箱を大量に抱えてレジにきた中国人の方に『1個までです』と断わると、何度もレジに並び、段ボール数箱分も買った。『タクシーを呼んでくれ』と言われたが、一体どうやって持って帰ったのか……」(浅草のホームセンター店員)山口県は下関で3人家族の感染が発表されて以来、感染者の数は増えていない。まさか3人しか感染していないなんてことはないだろうが、スーパーに行ってもせき込んでいる人はいないし(むしろコロナが騒がれる前のほうがくしゃみやら咳やらしている人が、ふつーにいた)、いたって平穏。毎日毎日、どこどこで「感染が確認されました」とニュースでやっているが、あれ、そろそろもうやめませんかね。どのみち実態を反映していないし、世界中に広がった今となっては、感染者を何人確認したかより、重症者の治療をスムーズに進め、死者を抑えるほうが大事。ニュースでわざわざサンプル抽出みたいな感染者数を、逐一報道する意味はないと思う。山口は高齢者の多い県なので、高齢者向けの施設で集団感染が出ると思っていたが、今のところ問題になるようなクラスターは発生していないよう。これってなにげに凄い。中国人の観光客が大挙して押し寄せた博多等の九州の有名観光地にも近く、韓国人も多く住んでいるから半島との往来も多い。下関と釜山はフェリーで簡単に行き来できる。中国からはるかに離れたヨーロッパ――今のところはイタリア、フランス、スペインだが――で、死者がうなぎのぼり状態だというのに、一人の死者も出ていない。万が一、検査拒否された高齢者が突然重症化したりしたら、そしてその数が多かったら、救急車が走り回りそうなものだが、全然見ないし、音もまったく聞かない。これにはちょっとびっくり。というのは、コロナのない頃、東京の杉並では結構頻繁に…というのは大げさかもしれないが、しばしば救急車が走っていくのを見ていたからだ。近所に来たことも何回もある。人口が圧倒的に違うから、そういうものかもしれないが、一部ネット民が騒いでいるような「検査拒否され自宅で重症化→コロナ突然死→隠蔽」は、やはり現実にはありそうもないなというのがMizumizuの肌感覚。山口のあまりに平穏な日常を見た目で、テレビに映し出されるパリやミラノの様子を見ると本当に驚く。ついこないだまでは、コロナ=アジア人で、差別がどうとか言ってたのに、今ではパンデミックの中心地だ。パリでは15日からいきなりレストランやカフェ、映画館など「生活に必要不可欠でない集客施設」が営業停止になったよう。突然のことに、シャンゼリゼで右往左往する観光客を見て、かわいそうになった。シャンゼリゼのPaulに行列ができていた。あそこのパンだけでお食事じゃ悲しすぎる。バゲットやクロワッサン類、それに甘いパンはあったが、日本人に見慣れた惣菜パンの類はほとんどなかった。Mizumizuも軽くパンで食事をすませようと入ってみたことがあるが、おかずなしでお米だけ食べるようなものだという気がして、買うのをやめた思い出がある。日本のPaulのほうが(少なくとも日本人には)、ずっとまし。メトロで少し移動すれば、もっとちゃんとしたパン屋があるが、パリはメトロ移動だとえらく疲れる街だ。ドゥモの前に観光客がいないミラノ、ガラガラのローマのスペイン階段…ほとんど信じられない。と言うか、パリ、ミラノ、ローマといった西ヨーロッパの主要都市は、あまりに観光客が増えすぎた。白黒時代のフランス映画やイタリア映画で見た街並みに戻ったようで、これが本来の「街」の姿なのかもしれない。日本がフランスやイタリアのような強制的な営業停止にまで至っていないのは本当にありがたい。しかし、日本の小規模店舗や飲食店、イベント関連業者など、多岐にわたる分野の経営者やフリーランスの受けている痛みは、おそらく「強制停止」と同等か、もしかしたらそれ以上だ。追記:なんとフランス全土で2週間外出禁止になった模様。https://www.asahi.com/articles/ASN3K2FX2N3KUHBI002.html17日から少なくとも2週間、仏全土で外出を禁止する方針を明らかにした。例外は買い物や診療などに限られる。仏政府は14日に飲食店の営業や人々の集まりを禁止したが、感染拡大を抑えられていない上、「決まりが守られていない」(マクロン氏)として、より強い措置に踏み切った。10万人の警察官や憲兵を動員し、違反者には罰則も科す。しかし、なんで日本は感染拡大を抑えられてるんだろう? 良いことではあるのだが、逆にますます分からなくなってきた。
2020.03.17
【中古】 デカメロン(5) 岩波文庫/ジョヴァンニ・ボッカッチョ(その他) 【中古】afb<昨日のエントリーから続く>前回のエントリーはきっこ氏のデマに焦点を当てていたので、英語ができない読者は、「デマは分かったけど、日本が封じ込めに成功」は、やはりおかしいのでは? と思った人がいたかもしれない。だが、この日のWHOの会見の、特に質疑応答部分を聞けば、あの時点でのWHOの評価にさほど違和感はない。「封じ込め」という日本語の語感の問題だけだ。この日の質疑応答は、パンデミックがおそらくは避けられない状況になってきた段階のもので、それでもこの感染症は「コントロールが可能だ」という希望があるという話をしている。ライアン氏の問題になった発言部分では、at various points(さまざまな節目で)という言葉を差し込んでいて、つまり、「中国、シンガポール、韓国、日本が、それぞれの節目で危機を克服している(=封じ込めている)状態であることが大きな希望」と言っているのだ。続いて女性が、それぞれの国が自国の社会、コミュニティ、医療のキャパシティに応じた包括的な対応をとっていくことが大事だということを話している。「後手後手」「検査拒否」といった批判の多い日本の対策だが、死者数を見ると、後から流行が始まった欧米主要国があっという間に日本を追い抜いていってしまったことからも、日本のやり方が、ベストではなかったかもしれないが、ほとんどの国よりベターだったことが分かる。「いきなりYou Tube」で大騒ぎになった感染症の専門家・岩田健太郎氏も、3/12付のインタビューで概ねそのことを言っている。https://toyokeizai.net/articles/-/335971?page=7からいくつか関連する発言を拾ってみる。日本のやっている対策は、ほかの国の現状を考えるとおおむねうまくいっている。これだけ押さえ込むのが難しいウイルスをかなり上手に押さえ込んでいるというべきだ。和歌山県などは1回起きたアウトブレイクを完全に収束させた。受け入れ体制を考えると、今の日本政府がやっていることがいちばん正しい。要は、「軽症者は家で寝ていてくれ」ということ。症状がない人や軽症の人を指定医療機関で入院させるのは、医療リソースの無駄使いだ。このように、批判はあれどベターなやり方で死者数を抑えてきた日本だが、ここにきて愛知県(それも名古屋市)が危ない。今夜の一番新しい発表で、感染者は121人、死者は11人。分母が実態を反映していないので意味がないと知りつつ単純計算した致死率がなんと9%。先日計算した、ダイヤモンドプリンスで「症状の出た感染者数」を分母、「死者+現在も重症の方が亡くなってしまったと仮定した数」を分子として単純計算した致死率の8.4%を超える異常な数字だ。日本全体はどうかというと、感染者721人、死者21人で2.9%。奇妙なことに、現在のフランス――フランスは検査を増やすのではなく、重症者の治療に力点を置くという日本と似たアプローチを取っている――が3672人、79人で2.1%。日本と近い数字が出ている。ちなみに、3/11時点でのイタリアが感染者数9172人、死者数631人。単純に計算して致死率6.8%。3/14時点で感染者21157、死者1441人で、致死率はやはり6.8%と変わっていないのが不気味だ。もう一度思い出そう。イタリアは検査をしすぎたことで、多くの重症者が手厚い治療を受けられないという事態を招いた。なのに、大村知事は検査を拡大すると言っている。https://hicbc.com/news/article/?ref=tw&id=0004D3D8「愛知県と名古屋市の衛生研究所で検査しているがフル回転。民間にも声をかけて協力いただけるよう話をしている。お願いして広げていく」(大村秀章・愛知県知事)そもそも検査は、精度が低いことが知られている。偽陰性もあるし、偽陽性もある。だが、感染しても8割は自然治癒。そこへもってきて、確立した治療法はない。そして、愛知県は「まだ」クラスターはつかめている状態だ。亡くなる方が急に増えているのは、高齢者利用の多い施設でクラスターが発生したため。こういう状況で、どこに力点を置くべきなのか。感染症の専門家の意見を聞きながら、それこそ「着実」に対策を進めてほしい。検査数を増やせば分母が大きくなるから、数字上の致死率は下がる。だが、そうやって9%が例えば6%台に下がったとしても、それがイタリア化の始まりでは意味がない。民衆のほうは、買いだめに走ったり、パニックになって誰かを責め立てたりするのではなく、なるたけ外出を控えて自宅でじっとしていることだ。毎日毎日、おんなじようなメンツを呼んで、感情的な総理批判を繰り返してるワイドショーなんかを見るより、イタリアの「デカメロン」や「婚約者(いいなづけ)」でも読むほうがよっぽどいい。もちろん、カミュでもジャレド・ダイアモンドでも。政府の専門家会議のメンバーは、「検査」「検査」の左翼メディアからの攻撃に耐えて、ここまで死者数を抑えてきた。その実績と諸外国の状況を見て、民衆も理解し始めている。ここで民衆の不安に答えようと道を誤ると、せっかくここまでコントロールできてきた国が、あっという間にイタリア化してしまうかもしれない。
2020.03.15
文庫 銃・病原菌・鉄 下 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎 (草思社文庫) [ ジャレド・ダイアモンド ]WHOがパンデミックを宣言する直前(3/10)に日経新聞に出た記事に、「WHOは日本やシンガポールなどは封じ込めに成功しているとし、『勇気づけられている』と対策の成果を評価した」というのがあり、個人的にちょっと驚いた、というか気になった。発言者はライアン氏だと書いてあるが、「封じ込めに成功している」と彼が言ったとしたら、疾病あるいはウィルスの「封じ込め」を英語でどう表現したのだろうか、という点と、「封じ込め成功」はちょっと評価しすぎではないだろうか? という個人的な印象だ。で、つらつらツイッターを見ていたら、センセーショナルな「告発」を見つけた。左派系の政治ブロガーで本も出している「きっこ」というハンドルネームの人のツイートだ。きっこ氏が自身で検証したものではなく、リツイートという形だが、元のCAN氏のツイートにはラインマーカーを引いた英文があり、「これは酷い虚偽で、正確には」云々とある。が、一目でコレ、「ちょっと待て!」と思った。引用元をしっかり示す意図で、発言者の肩書を示す部分をきちんと載せているのは立派なのだが、記事にあるマイク・ライアン氏のコメントじゃない。おもいっきり、Director-Generalとあるから、(テドロス)事務局長のオープニングでの発言だ。この日のWHOのDaily News Briefingは最初に書面をテドロス事務局長が読み上げ、それから質疑応答に入っている。その時にライアン氏が頻繁に答えていて、それは原稿を用意した発言ではない。これだけで「酷い虚偽」と書いてる方が酷い虚偽だと分かる。では、記事にあたるライアン氏の発言はどこだろうか?https://www.youtube.com/watch?v=aJqb44WD7h4この動画を聞いていくと、1:48:35あたりに、記事のもとになったと思われる発言がある。そのことに気づいた人もいて、きっこ氏がリツイートしたCAN氏の元ツイートに指摘が入っている。T.Katsumiという人が "to be quite frank…”からがこの記事のもとになったと指摘しているのだが、「捏造報道であることは論を待たない」と、ものすごくアタマよさそうな言い方で断定している。が、またもや一目でコレ、「ちょっと待て!」と言いたくなった。この2人は、ライアン氏が明確に言っている”turning a corner"のaをないことにして、「折り返し地点」→「転換点」だと内輪で結論づけ、日経記事は「やっぱり捏造だよね、捏造」という、自分たちが「そうしたい」結果に持っていっている。ちょっと待て!なんでturning a corner が「転換点」よ? (marking) a turning pointなら転換点だけど。turning a cornerはただのイデオムだ。辞書でcornerを引けば、turn the cornerのほうが、より明確なイデオム(病気などの峠を越す)であることが分かると思うが、turn a cornerでも、病気の話をしているなら、やはり「峠を越す」とか「危機を脱する」の意味になる。それを「折り返し地点」と思いっきり誤訳したうえ、さらに飛躍した誤訳の「転換点」のが、より適した訳語だと決めつけて、結果、ライアン氏の発言とはかけ離れた内容に「編集」してしまっている。これじゃ誤訳の三段跳びだ。ヤレヤレ… どっちが捏造ですか、まったく。さらにこの2人は、日経の記事が「ここだけ」を抜き出して書いたものだと思い込んでいるようだが、ライアン氏の発言には続きがあり、いろいろ話したあとに女性にバトンタッチする直前の発言を聞くと、(ウィルスを多くの国に拡散させない)というチャンスの窓は閉じられつつあり、パンデミックという妖怪がたちのぼってきているが、同時に別のチャンスの窓が開きつつある(かもしれない)。で、その開きつつあるという窓が何かというと、「アジアのいくつかの国のデータと経験」で「それらの国では、明らかな(数値の)きざしがある」。どんなきざしかというと「できうる限りの要素やあらゆる戦術を使った、社会全体にわたるシステマティックな政府主導の施策を駆使することで、この病気を好転させることができると思われる(seems to be able to turn this disease around)」というきざしだ。Mizumizuが上に書いた日本語は、英語の構文に沿った直訳だが、これでは意味は分かっても日本語の新聞記事にはそのままは使えない。そこでもっと日本語らしく、端的に記者がまとめたということだ。「勇気づけられている」は「私に大いなる希望を与えてくれる」の部分の意訳だろう。後者のように書けば正確な翻訳だが、これじゃ直訳すぎて日本語としては変。「これには勇気づけられた」と言う人はいても、「これは私に大いなる希望を与えてくれました」なんて言う人はそうはいない。だが、言わんとすることに、この2つはそうは差がない。「シンガポールや日本など」としたのも、「など」が入っているので別に間違いではない。限られた新聞記事の中では、あまり例示の羅列はしないほうが文字数を抑えられる。ライアン氏の発言は原稿を読んでいるものではなく、質問に答えているものなので、つらつら長く、文字にそのまま起こすと分かりにくいが、聞いてる分には、まあまあ素直に頭に入ってくる。「対策の成果」もto turn this disease aroundまでの流れで聞くと、確かに評価している。そう直接的な言い方をしていないだけだ。しかも、専門性が高い慎重な言い方をしてるので、普通の人には分かりにくいかもしれない。そのつらつらした専門性の高い発言を、翻訳調ではなく、自然な日本語で端的にまとめているという点で、この日経の記事を書いた人は「手練れ」だな、というのがMizumizuの感想だ。最近はトランスクリプションはある程度自動でやってくれるが、この会見があってから日経の記事が出るまでの時間は短く、その短い時間の中でこれだけきれいな日本語にできるというのは、「技」だと思う。あとは「封じ込めに成功」という言葉の「印象」の問題。あくまで個人的には、だが、少し書きすぎているかな、というのはMizumizuも思うが、それは印象論の域を出ない。「危機を脱している」と言っているのだから、それを「封じ込めに成功」と書いても、少し筆が走りすぎの感は印象としてはあるが、飛躍した誤訳ではない。明らかな誤訳をしてるのは、イデオム知らない(あるいは似たようなイデオムをごっちゃにしてる)告発者のほうだ。そもそも、ライアン氏の発言なのに、テドロス氏の原稿を持ってきて、マーカーまで引っ張り、「酷い虚偽」だと決めつけてツイート。さらに、それをリツイートして、「日本経済新聞が安倍政権にゴマスリするために捏造記事を報じました。皆さん、日経新聞のデマに騙されないように」とまで煽り、さらにそれが何百もリツイートされて拡散していくって何なんだろうね。「安倍政権にゴマするために」とまで書いてしまうのが、匿名の個人の発言の自由が、日本では相当の程度まで守られていることに胡坐をかいた悪行だろう。そして、口汚く罵れば罵るほど、キャッチーで人目をひき、メッセージは単純で分かりやすくなり、人々の負の感情と結びついて、それを増幅させていく。権力の中枢である安倍政権は「まったき悪」で、それに立ち向かう名もない、しかし勇気ある個人、という、ネットならではの安上がりなヒロイズムが醸成され、その界隈に特定の人ばかりが集まってくる。そういう人から見れば、自分たちがこんなに分かってることに盲目な多くの人々(それはつまり安倍政権を長期政権にした多数の日本人だ)は、騙されている可哀そうな人たちで、自分たちが彼らを啓蒙しなければ、と躍起になる。新聞記者も間違いはあるし、それがデマのもとになってしまうことも多々。だが、この日経の記事を検証してみると、書き手のレベルは高い。ネット時代になり、素人の書き手もプロの新聞記者もフラットな世界に投げ出されたことからくる、いわれなき中傷だ。もちろん素人がプロの間違いに気づくことも多々あるが、この件に関しては、日経の記者に同情する。で、蛇足だが、ライアン氏の発言、"window of opportunity"(チャンスの窓)というのが好きだ。この比喩の中にある知性と少しのロマンチシズムがこちらの琴線に触れてくる。Mizumizuならこれは敢えて日本語では「希望の窓」と訳したい。少し情緒的にはなるが、「希望の窓は閉ざされつつあり、パンデミックという亡霊が立ち上ってきてはいますが、同時に別の希望の窓も開きつつあります(その希望の窓が開いた先にあるのは、中国、シンガポール、韓国、日本といったアジアの国々の経験とデータ)」というふうに。そしたら、Mizumizuに日ごろ反感を持っていて、何かというと揚げ足取りたい人が、「opportunityは希望じゃない、とんでもない捏造だ!」などと言い出すというわけだ。
2020.03.13
<昨日のエントリーから続く>イタリアで一体何が起こっているのか。ここ数日、100人単位で死者数が増加している。他国と比べても異様としかいいようがない。イタリアが「ヨーロッパの武漢」になってしまった理由については、概ね以下のようなことが言われている。1)中国とのビジネス交流がさかん。2)中国からの直行便を止めたことによる油断。3)ハグやチークキスなどの習慣。4)高齢者が多い(65歳以上の高齢者の割合は日本に次いで2位)。1)と2)については、ウィルスが入ってきてしまい、知らない間に広がってしまったということの説明にはなる。しかし、この数日の他国に比べても異様に急激な死者数増加は、これだけでは説明できない。3)の習慣なら、フランスやスペインだって負けていない。4)の社会構造の問題なら、「割合」でいえば日本のが高いし、高齢者の「数」でいえばドイツのが多い。特に気になるのは4)の社会構造。日本とイタリアは似たところがあり、高齢者が家族と暮らしている割合が高い国だ。3)の習慣は日本にはないが、1)については日本だって中国への経済依存は深く、経済のことを考えて中国からの入国を初期段階でストップできなかった。2)のイタリアの取った措置には抜け穴があったにせよ、日本の初期段階の中国に対するザル政策よりは厳しいものだ。この条件だけを見ると、地理的にも近く、中国人の入国も多かった日本がイタリアのようになっても不思議ではなかったはずだ。実際、イタリアでのコロナ流行、あるいは流行の発見は日本より遅く起こった。にもかかわらず、あっという間に死者数が増え、日本どころではないアウトブレイクとなった。一体、なぜ? イタリアで何が起こっている?イタリア人の友人(南に住んでいる)にメールで聞いてみたが、詳しいことは分からないという話だった。中国人のせいだということと、イタリア政府がいい加減だという感想は書いてよこした。今現在、分かっているのは、北部の一部の街の封鎖ではアウトブレイクを止めることができず、短期間のうちに全土で人の移動を抑制する措置が取られるまでに至ってしまったこと。イタリアでの、これまでのところの致死率も明らかに他国と比べて異常だ。感染者数9172人、死者数631人。単純に計算して致死率6.8%にもなる。感染者数というのは、検査をどのくらいやるかによって変わってくるので、今の段階で致死「率」を出しても、意味はあまりないことは重々承知なのだが、「ウィルスの培養船」になってしまったと、さんざん日本が叩かれたダイヤモンドプリンセスの特殊な状況と比べる意味はあるように思う。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html#houshin3月9日18時時点でのダイヤモンドプリンセスでの感染者数696(無症状保有者328)、重症者24、死者7。単純に感染者と死者数で出した致死率が1%。仮に、だが、現在重症者が全員亡くなってしまったとしたら、4.5%ということになる。さらに、無症状の方を検査対象から外して(そうすると感染者は368人)、現在重症者の方が全員亡くなったとしたら(34人)、そこで致死率は8.4%、やっと現在のイタリアを上回るのだ。こうやって考えると現在のイタリアでの人の亡くなり方がいかに異様か分かる。ダイヤモンドプリンセスという特殊な環境、おそらく高齢者も多かった、そして発病から時間も経っている。それでも死者は7人で、24人が現在も踏みとどまっている。ところが、イタリアでは日を追うごとに死者数が増えている。イタリアがダイヤモンドプリンセス以上のホットスポットになってしまった感がある。ここから推察できるのは、イタリアでの医療体制が持ちこたえられなくなり、「命のトリアージ」を始めている可能性だ。実際、そのような報道もちらと目にしたが、ダイヤモンドプリンセスの重症者が現在受けているような治療をイタリアの(おそらく)高齢者が受けることができずに、亡くなっている可能性。もしくは、人類にとって最悪のシナリオだが、ウィルスが強毒性に変異した可能性。だが、それだったら、距離的にロンバルディアに近いスイスやフランス南部、あるいはベネトに近いオーストリアやスロベニアでも、多くの死者が出てきてもよさそうなものだが、そうなってはいない。また、ウィルスの旅路については専門家がモニターしているから、ウィルスが大きく変異したとなれば、報告が上がってくるはずだ(それが一般人に知らさせるかどうかは別として)。そうなるとWHOなりが、もっと危機的なステートメントを出すはずだが、それもない。そして、イタリアの状況を見ると、日本の死者数の少なさが逆に異常ではないか、とも思えてくる。検査数が少ないのは確かで、それは態勢が整っていなかったというのもあるが、薬がない以上は軽症者は検査せずに治癒を待ち、重症者や感染の疑いが濃厚な人に限って検査を行うという方針のためで、それ自体は、この死者数が「本当」ならば、成功していることになる。だが、先日のエントリーで書いたように、コロナ死も通常の肺炎として処理されカウントされていない可能性はどうだろう。日本が嫌い…というより、安倍政権をなんとしても許せない人たちは、さかんにそれを言い出している。本当はコロナで死んだのだが、検査せず、別の死因にしてコロナでの死者数を少なく見せている、と。だが…もし、日本でイタリア並みのコロナ死が起こっており、それを肺炎その他の死因にして隠すとしたら、医療現場がそれをやっていることになる。自分たちが感染するかもしれないのに、だ。もしそういう例が何十件、何百件あったとしたら、なぜもっと院内感染が起こらないのだろう? それも隠蔽しているのだろうか? あまりに非現実的だ。名古屋で死後にコロナ感染が判明した例も、きちんと公表されている。疑わしきは罰せずでコロナ死に入れなかったとしたら<追記:その後のニュースで、死後陽性判定されコロナ死にカウントされた症例はあることが判明>そこでデータ集計上の問題は起こるが、そういう例が何十件、何百件あるとは、どうしても考えられない。ただ、イタリア側が言っている、「合併症で亡くなった人もカウントに入れている」という発言。これがもしかしたら、死者数の異常な増加と関係があるかもしれない。コロナ陽性で合併症で亡くなった場合は、それはコロナ死か、否か。あるいはこういった症例を日本は「否」にしているから、死者数がデータ上少なくなっている可能性はあるのかな、とも思う。そもそも、国によってどういう区分けをしているのか、それがイマイチはっきりしない。西ヨーロッパでもドイツでの死者は非常に少ない。感染者は日本の2倍以上だが(つまり検査数が多いということだろう)、死者数はまだ2人(日本は10人)。いずれにせよ、イタリアの情報がもっとほしい。そして、他の西ヨーロッパ諸国がイタリア化せず、踏みとどまってくれることを祈りたい。3月11日の追記https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56646890Q0A310C2000000/名古屋市は10日、新型コロナウイルス感染者2人の死亡を確認したと発表した。遺族の意向などとして、いずれも年代、性別を明らかにしていない。1人は既に公表済みの感染者で、もう1人は10日に死亡後、遺伝子検査で陽性が判明した。市は10日、このほかに50~90代の男女9人の感染を新たに確認。愛知県も40代の男女3人の感染を確認した。いずれもこれまでに感染確認された人と接触があった。愛知県内の感染確認は計99人(うち3人が死亡)となった。市によると、死亡後の検査で判明した1人は、7日に発熱があり、医療機関に救急搬送され入院。9日に医師から帰国者・接触者相談センターに遺伝子検査について相談があった。
2020.03.11
新型コロナ、Mizumizu連れ合いがネットニュースを見て、「イタリアで1日に死者が3倍になったって」と言った。「え? 嘘」と、思わず声に出すMizumizu。毎日https://gisanddata.maps.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6でデータをチェックし、ここ数日はイタリアを特に注意して見ていたが、日々の死者増加数は100人足らずだったはず。Mizumizu連れ合いが示してくれた情報ソースは、天下のAFPBB Newsだった。https://www.afpbb.com/articles/-/3272269国家市民保護局(DPC)によると、ウイルスによる死者は8日、366人となり、前日の133人から約3倍に急増。これを見て、すぐ嘘だと分かった。前日7日のデータも見ていたが133人でなかったのは覚えている。細かい数字は控えていないが、200人台だったことは確かだ。なんでこんな嘘を書いてるんだ?疑問はNHKニュースを見て解けた。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200309/k10012320431000.htmlイタリアでは北部のロンバルディア州を中心に感染が広がっていて、8日、新たな死者は133人増え、366人となりました。亡くなった人が1日で100人を超えたのは初めてです。つまり、「133人増えた」というのを、「前日(の死者が)133人だった」と取り違え、そこに「約3倍」という独自計算を加えてしまったから、デマになってしまったのだ。イタリア全土で1日に、ある感染症によって133人が死んだ――この数字が多いのか、実はそれほどでもないのかは横に置いておいて、「前日から死者数が(いきなり)3倍になって366人」と書くのと、「前日の死者233人、今日の死者366人」と書くのでは、インパクトが違う。ましてやこれは「はやり病」だ。わーイタリアってどんだけ悲惨な感染爆発が起きてるのよ、という恐怖を読者に呼び起こしかねない。そもそも3倍という計算をする必要があったのだろうか? 1人が3人になっても3倍、10人が30人になっても3倍だ。これは死者が1日で「3倍に急増」というキャッチーなタイトルを作りたくて(そして読者を呼び込みたくて)つけたものだろうが、そんなことに頭を使うより、記事を公表する前に、データと突き合わせて内容の正確性をチェックするほうが大事だろう。個人のブログじゃない、れっきとした正規の報道機関でコレ。いかにネット上のデマが多いか、それによって無駄な恐怖が増幅されているかよくわかる。このAFPBB Newsの記事が意図的なデマとは思わない。小さな間違いに、独自のキャッチーなタイトルをつけてしまったというミスだ。だが、こうやって小さな間違いがデマとなり、デマがあたかも事実のように固定化されていく。AFPBB Newsのキャッチーなタイトルはすぐに人々に記憶されるが、それは真実ではないということを後から証明しようとなるととても大変だ。デマはすぐに潰さないと、人々の感情と結びついて真実以上に重要なものになってしまう。世界的に有名な報道機関の記事ですら、ろくにチェックもせずにどんどんニュースとして流している。やはり、ネット上で飛び交う情報については、そのソースの信頼性の高さだけではなく、たとえ信頼性が高いソースであっても、数字や解釈に間違いがないのか、常に疑ってかかるほうがいい。
2020.03.09
<昨日のエントリーから続く>きのう、新型コロナについて日本の検査数の少なさが「感染者数隠蔽」疑惑につながっているが、さすがに今は「死者数隠蔽」はないだろう…と書いたとたん、こんな記事が。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200308-00010011-abema-soci死亡した名古屋市の80代男性から新型コロナ すでに公表された感染者と濃厚接触名古屋市は8日、7日に死亡した80代の男性がその後の検査で新型コロナウイルスに感染していたことを明らかにした。名古屋市によると、名古屋市内に住む80代の男性は7日に医療機関に救急搬送され死亡。この男性がすでに公表されている感染者との接触があったことから、新型コロナウイルスの検査を行ったところ陽性反応が出たということだ。男性が新型コロナウイルスにより死亡したかどうかは分かっていない。これは大問題だと思うのだ。まず、「すでに公表されている感染者との接触があったので、検査を行った」ということは、感染者との濃厚接触がなければ検査されず、通常の肺炎として処理されていたことが過去あったであろうことを疑わせる点。また、「新型コロナウィルスにより死亡したかどうかは分かっていない」として、コロナ死にカウントされていない点。死因が公表されていないから断言はできないが、これまでの症例を見ればコロナ死かどうかまったく「分からない」なんてことはないのではないか。緊急搬送され死亡、そして検査という流れを見れば、新型コロナでよくある急激な症状悪化としか思えない。疑わしきは罰せずで、コロナ死に入れなければ、それこそ韓国メディアがはやし立てる「隠蔽」になってしまう。韓国紙は大喜びで報道するだろうし、NYタイムズだのBBCだのも、「名古屋でこんな例があったにもかかららず日本は『新型コロナウイルスにより死亡したかどうかは分からない』として死者数に入れなかった」などと、針小棒大に書き立てるかもしれない。新型コロナでは、特に「死者数」を抑えることが最優先の課題だ。致死率は検査数に比例して低くなる傾向があるし、中国で見るように地域差も大きく、はっきりしない。ただどの国で何人亡くなったかというのは、その国の対策がどのくらいうまくいったかの揺るぎない指標になる。ヨーロッパで感染者の多いイタリアは、「我が国は広く検査を行っている(から感染者が多いのだ)」と、そこをさかんに宣伝している。そういう国からすれば、検査をしないことで感染者数を少なく見せかけ、死亡後に陽性反応が出てもコロナ死を認めない国、日本は、情報操作を常に疑われる中国と大差ないことになる。そもそも一般の欧米人は、中国も日本も同じアジアで区別がつかない人が多い。こういうことがあると、例えデータ上の死者数が少なくすんで、「日本は死者数を抑えた」と胸を張っても、「検査しないで死なせ、別の死因にしてコロナ死を隠したんでしょ」と決めつけられたら、それに対して反論するのがまた大変になる。コロナに関しては、自国民の怒りを他国に転嫁させようとしている国が目立つ。明らかに中国武漢が起源、いや起源は中国ではないかもしれない、などとアメリカや中国はすでに情報戦に入っている。感染者が増え、死者数が増えていけば人々の怒りはどこに向かうか分からない。比較的な冷静な日本国民だって、こういうニュースがあれば疑心暗鬼になる。だからこそ、日本は正確な情報を発信すべき。死後に陽性が確認されて関連がはっきりしないというなら、「死後陽性確認」でも「疑わしい症例」でもいい、別項目を設けて公表すべきだろう。3月11日の追記以下のニュースによると、上のニュースの方とは死亡日が違うので別人のようだが、死後に陽性判定されてコロナ死にカウントされた症例はあるということになる。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56646890Q0A310C2000000/名古屋市は10日、新型コロナウイルス感染者2人の死亡を確認したと発表した。遺族の意向などとして、いずれも年代、性別を明らかにしていない。1人は既に公表済みの感染者で、もう1人は10日に死亡後、遺伝子検査で陽性が判明した。市は10日、このほかに50~90代の男女9人の感染を新たに確認。愛知県も40代の男女3人の感染を確認した。いずれもこれまでに感染確認された人と接触があった。愛知県内の感染確認は計99人(うち3人が死亡)となった。市によると、死亡後の検査で判明した1人は、7日に発熱があり、医療機関に救急搬送され入院。9日に医師から帰国者・接触者相談センターに遺伝子検査について相談があった。。
2020.03.08
<昨日のエントリーから続く>日本の新型コロナ検査について以下のような記事が出た。https://www.cnn.co.jp/world/35150399.html<以下一部引用>(CNN) 新型コロナウイルスの感染拡大が続く日本で、政府の対策や検査のやり方に疑問を投げかける専門家が相次ぎ、実際の症例数は発表よりずっと多いのではないかとの不安が広がっている。道内の感染者数は公式統計では80人台とされているが、北海道大学の西浦博教授は、実際にはその10倍に上る可能性があるとの見方を示す。これに対して厚労省は、検知できていない人がいることは認識しているとした上で、日本国内の症例は合計3000例前後だと思われると述べ、西浦氏の推計に反論した。まず、「実際の症例数が発表よりずっと多い」というのは、日本人全員が思ってることだろう。10倍か、3000例前後かは、分からない。証明しようがないと思う。で、「不安が広がっている」かどうかだが、Mizumizu個人で言えば、この数日間https://gisanddata.maps.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6のサイトで、新型コロナの全世界での感染者数と死者数の推移を見ていると、逆に不安が安心に変わりつつある。日本の対策は、案外正しいのではないか?それは、日本の死者数があまり増えないからだ。韓国のメディアは、日本はコロナ感染者数を「隠蔽している」とさかんに書き立てているが、軽症者を検査しないことで、感染者数を仮に「隠蔽」したとして、じゃあ、死者数はどうか、ということになる。新型コロナでの死者数まで日本は「隠蔽」しているのだろうか?まー、もちろん、その可能性はゼロではないだろう。例えば現場からはもっと数字が上がってきているのに、担当者が公表しないという文字どおり分かりやすい「隠蔽」。でもねー、そんなアホなことをしたら、すぐバレるし、それをやったら日本の国際的な評価はガタ落ち。バカバカしすぎる。では、検査せずに、例えばコロナ肺炎で患者を死なせたとして、それを医療現場が「隠蔽」することは? まー、それだって、初期のころは、医療現場が隠蔽するつもりというのではなく、コロナとは思わずに亡くなったという例も、もしかしたらあったかもしれないが、今現在、それはほとんどないだろう。新型コロナは閉鎖空間でうつりやすい。ということは、院内感染が起こりやすいということだ。武漢ではあれだけ防護していたプロの医療従事者にも感染が広がり、亡くなる人も出た。となれば、日本の医療現場の医師は、当然重症の肺炎患者が発生したら新型コロナを疑うはずで、自分たち医療従事者の健康を守るためにも、亡くなるまで重篤な患者のコロナ検査をしない(できない)というのは考えにくいし、仮にコロナと分からずに患者が亡くなったケースがあったとしたら、その後院内感染が広がるだろうし、それも含めて「隠蔽」することなどほとんど無理だろう。そういう無意味なことに日本の医療現場が、意識的にであろうと無意識的にであろうと、加担するとは思えない。だから、今データとしてあがっている、日本の死者(クルーズ船は除いて)6人という数字は、十分信頼できる。検査態勢の拡大は確かに必要だが、検査を求めて軽症者が病院に行くと、そこで感染を広めるかもしれないし、逆にもらうかもしれない。軽症のうちに効く薬ができるか、見つかるかしたら(例えばシクレソニドが初期の段階で効果を発揮するとか)、検査の意味は非常に大きくなるが、今のように薬がないというなら、検査を求めて密閉空間へ行く、そして待たされるより、これまでの指針どおり、発熱したら外出を控え、家で寝ていて熱の具合を観察したほうがいいかもしれない。実際のところ、軽症者があぶり出されたところで、現実の医療体制を考えれば出来ることは限られており、逆に院内感染を広めることになりかねない。さらに、流行が長期にわたり患者数がもっとずっと増えてしまったら、肝心なところで検査キットがなくなる…ということもありえる。発熱がインフルかもしれない場合はどうだろう? インフルも年間1万人が亡くなる病気ではある。1万人死ぬ、と聞くと恐ろしいが、データを見ると季節性インフルの致死率は0.1%。60代ぐらいからリスクがぐっと高まるが、若年層では逆に致死率はとてもとても低い。だったら、どこに新型コロナ感染者がいるのか分からない今は、それこそテレビで専門家が言ってるように、「インフルなら数日で熱が下がるから」と、様子を見るのがベストなのかもしれない。理想論を掲げても仕方がない。理想と現実・現状のベストというのは、違うものだ。そして、その日本のやり方がうまくいっているからこそ、死者数が増えないのではないだろうか?医師が検査を求めたにもかかわらず拒否された例というのは、医師会が調査したところ7つの県と道で30件だったという。それほど「ものすごい数」の検査拒否というわけではない。http://www.news24.jp/articles/2020/03/04/07604340.html理由は、「まだ重症ではない」「地域の検査能力が足りない」。これから医師の判断が優先されるようになれば、医師側が「コロナか否か」で迷うケースは減るだろうけれども、陽性だと結果が出ても、軽症なら自宅待機で、という方向性は同じだろうと思う。ただ、重症化したときに迅速に動けるということで、検査態勢の拡充の意義は大きい。検査数が少ないことで死者数が増えてるなら猛烈に批判すべきだが、実際にはそうなっていない。ということは、重症者に力点を置く、そしてできる限り救命する、救命できる体制をパンクさせないようにする…という当初の日本の方針は間違っていないということになる。まだまだ結論づけるのには早いが、メディアの(ある種の意図を持った)日本批判、政府批判、専門家批判より、実際のデータのほうが信頼できる。データを見ると、今のところ日本の「封じ込め」対策は、実はかなりうまくいっているのではないか。
2020.03.07
<昨日のエントリーから続く>やっと山口のドラッグストアやスーパーの店頭にトイレットペーパーが売り切れずに夕方まで残るようになった。山積みにされたトイレットペーパーを見ると、きのうまでどこに行っても夕方には売り切れていた、カラの棚の風景は幻だったのかと思うほど。さて、新型コロナについて様々な論説が飛び交っているが、「はて?」と首をかしげたくなる記事が、天下のブルームバーグから出た。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-03-06/Q6R7BQT0AFB501日本語でのタイトルは、「新型コロナ、致死率は季節性インフルエンザの10倍」というもの。分かりやすい棒グラフで他の感染症との致死率の比較が出ており、非常に客観的な分析という感じがする。これがその棒グラフ。今のところ新型コロナでの致死率は3.4%、推定で1%というのは、WHOが発表した数字(全体の致死率は3.8%、武漢5.8%、その他の地域では0.7%)と整合性もある。だからのこの棒グラフはとても客観的で(今のところ)正確だと言えるだろう。このデータからルームバーグ・オピニオンのジャスティン・フォックス氏は、次のように警告している。「推計では、実際の致死率は1%。それでも季節性インフルエンザの10倍だ。17-18年の流行時に米国でインフルエンザで死亡した人は6万1099人。これを10倍してみれば、新型ウイルスの封じ込めがいかに重要かが分かってくる」。一見とても論理的な結論のようだが、ちょっとおかしい。直感的にMizumizuはそう思った。特に赤文字にした部分。その「直感」は、これまで新型コロナ(COVID-19)で、どれくらいの死者が出たか、その実数が頭にあったからだ。中国の数字は信頼できないかもしれないが、一応の目安として、新型コロナで亡くなった人がこれまでのところ(3月5日現在)中国で3042人、中国以外で333人。日本は検査態勢の不十分さが指摘されているのでこれまた正確とは言い切れないかもしれないが、それでも3月6日現在でクルーズ船6人、それ以外で6人。案外「数」としては急激に増えているわけではない。ブルームバーグの記事は17-18年の最悪ともいえるインフルエンザ流行時の米国での死者数を挙げているが、そこまで酷い流行ではない年であっても、日本でも毎年インフルエンザ関連で約1万人が亡くなっている。対して、コロナではまだクルーズ船という特殊環境での死者数を足しても12人だ。あるいは隠れたコロナ死者(たとえば死因は「肺炎」とされたが実際にはコロナだった人)がいるとしても、それなら院内感染が起こり、もっと騒ぎになっているはずだ。「まだ」死者12人。なのに、この数字がこれから年間のインフルエンザ関連の死者数1万人を超えるだろうか? 何も対策しなければあり得るかもしれないが、何もしなくても新型コロナはそもそもがインフルよりは感染力が弱い。毎日毎日、どこどこで感染者が確認されました、と報道するから、すごく感染しやすいような印象になっているが、実際には新型コロナはインフルエンザよりは感染しにくい。https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%80%8C%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%81%BB%E3%81%A9%E4%BC%9D%E6%9F%93%E5%8A%9B%E9%AB%98%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D-who%E8%A6%8B%E8%A7%A3/ar-BB10HDy0テドロス氏は、インフルエンザも新型コロナウイルスも、呼吸器系の症状が出て飛沫(ひまつ)感染をする点が共通していると説明。そのうえで重要な違いとして、新型コロナウイルスについて「これまで得たデータからみると、インフルエンザほど効率よく感染はしない」と述べた。また、中国からWHOへ報告があったデータでは、症状のまったく出ない感染者は1%だと指摘した。一方、季節性インフルエンザに比べ、新型コロナウイルスに感染すると「症状が重症化する患者がより多い」とし、新しいウイルスのため免疫を持つ人が少ないと説明した。世界的にみると、死亡率は感染者の3・4%に達するとした。季節性インフルエンザの死亡率は一般的に1%に遠く及ばないとし、新型コロナウイルスの致死率はより高いという。テドロス氏は、こうした状況に加え、新型コロナウイルスの予防接種は開発途上にあるため、隔離などによる封じ込めに全力を注ぐべきだと訴えた。テドロス氏も封じ込めの大切さを訴えている。ブルームバーグのフォックス氏もだ。だが、その理由は違う。フォックス氏の「17-18年の流行時に米国でインフルエンザで死亡した人は6万1099人。これを10倍してみれば」の言い方は、「封じ込めないと60万人死ぬかもしれないから」ということだ。日本なら、1万人インフルエンザで死ぬ→コロナの致死率はインフルの10倍→10万人死ぬぞ!ということになる。「まだ」6人なのに? フォックス氏の結論は、インフルエンザの感染力と新型コロナの感染力が同じなら成り立つが、そもそも感染力が違うのだから、成り立ちようがない。あるデータを出し、その客観性だけで、他のファクターを無視した結論を導き出した悪い例だ。例えば、通称「スペイン風邪(風邪ではなくインフルエンザだが)」の死者数は、新型コロナの比ではない。ウィキによれば1918年から1919年にかけて全世界での死者数は5,000万~1億人。日本では人口5,500万人に対し39万人が死亡。新型コロナは、「まだ」3000人台。最凶のインフルエンザ「スペイン風邪」とは、比較にすらならない。まさに「桁違い」だ。しかも新型コロナの感染力には明らかな地域差があり、武漢のように感染爆発が起こる地域とそうでない地域の差がはっきりしている。いっそのこと、1日にインフルエンザ関連で亡くなっている人が何人、新型コロナで亡くなってる人が何人、と比較して報道されれば、案外新型コロナが一部で言われているほど致命的な流行病でないことが逆にハッキリするかもしれない。
2020.03.06
<昨日のエントリーから続く>北京から入国日本人の隔離措置をくらい、習近平国家主席の訪日が延期になって、ようやく日本政府が中・韓からの入国者全員の隔離措置を決めた。順番が逆だろー、ふつー。遅きに失したとはいえ、やらないよりはやったほうがずっとまし。これで「流入」が止まれば、あとは国内での「流れ」を止め続けることで、これ以上の惨事は避けられるかもしれない。イタリアの感染拡大も酷い。どうしてこんなことになったのか。少し前に、イタリアは中国からの直行便を全面的に拒否したため、そこで大丈夫と安心してしまったことが油断につながり、感染拡大に気づかなかったのだという説をネット上で読んだ。迂回してイタリアに入ってくる中国人もいるわけで、そうした人々全員を隔離すべきだったということだ。だが、迂回して入ってくる中国人をフリーパスにしたことは、イタリアにCOVID-19が入ってしまった理由にはなるかもしれないが、その後の死者数の急激な増加の説明にはならない。そもそもイタリアにウィルスを持ち込んで広めた、その最初の感染源が誰だったのか、分かっていない。感染拡大の引き金になったのが中国人だったのかどうかさえ、はっきりしないのだ。https://news.yahoo.co.jp/byline/puradonatsuki/20200224-00164381/例えば、いま、イタリア北部、Codogno市で38歳の男性Mattia Maestri氏がコロナウィルスに感染し、重体、集中治療を受けている。隣市にあるアメリカの多国籍企業 Unilevernoに勤めていた管理職の男性だ。彼が感染源となり、妊娠8ヶ月の妻、一緒にサッカーをしていた仲間の一人、行きつけのバーの客3人、入院していたCodognoの病院の医師数人、看護婦数人がコロナウィルスに感染した。しかし、Maestri氏は中国への旅行歴はない。1月21日に上海から帰国した友人と会っていたが、検査の結果、その男性は感染していないことがわかった。では、Maesri氏はいったいどのような経路で感染したのであろうか?今のところ謎である。またVenetie市で死亡した78歳の男性の感染経由も不明である。彼は村のバーにサッカーの試合を見に行き感染したと考えられているが、同じバーに通う8人の中国人は感染していない。とにかく、イタリアの感染状態は酷い。今日のニュースでは死者数が100人を超えたという。日本もイタリアから来る人たちの隔離も早く決めなければ、またもザルになってしまう。イランに対してもだ。一部地域からの入国者制限では甘い。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200305/k10012314271000.htmlイタリア政府は4日、北部を中心に感染が広がる新型コロナウイルスについて感染者の数が新たに587人増えて3089人となり3000人を超えたと発表しました。また死者も28人増え、107人になったとしています。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200305/k10012314731000.html韓国政府は、5日午前、新型コロナウイルスの感染者が4日だけで438人増え、5766人になったほか、死者は3人増えて、35人になったと発表しました。検査をやりまくっている韓国が感染者数5766人に対して死者が35人。ということは、イタリアの感染者数は3000人どころではないはずだ。まぁ、イタリアにいる人たちだって、今更こんな状態の日本に来たいとは思わないかもしれないが。
2020.03.05
ふアルベール・カミュ ペスト 生存をおびやかす不条理 (NHKテキスト 100分de名著 2018年6月) [ 中条省平 ]2020年3月4日。山口県で初の感染者を確認。新型コロナが不気味な広がりを見せるにつれ、どうしても読みたくなった小説がある。カミュの「ペスト」。同じように思った人が多いらしく、増版が決まったという。https://www.asahi.com/articles/ASN32643TN32UCVL014.htmlフランスの作家、アルベール・カミュ(1913~60年)が1947年に発表した小説「ペスト」の売れ行きが好調だ。文庫を発行する新潮社は2日、1万部の増刷を決めた。伝染病で封鎖された街を舞台にした物語が、新型コロナウイルスの感染拡大と重ね合わせられているようだ。ノーベル賞作家の代表作の一つである「ペスト」は、アルジェリアの都市で高い致死率のペストがはやり、死者が急増。感染拡大を防ぐために街は封鎖され、孤立状態になる。主人公の医師らが、ペストの猛威や人間性を脅かす不条理と闘う姿を描く。同社によると、新潮文庫版は69年に刊行。ロングセラーとして、毎月平均300冊ほど出荷されていた。ところが、中国の武漢市が封鎖された1月下旬ごろから注文が急増。ツイッターで「武漢はまるで『ペスト』のようだ」などの反応があった。2月中旬に4千部を増刷し、さらに1万部の増刷を決めた。同社の広報担当者は「タイミングからみて、新型コロナウイルスの影響としか思えない。全く予想しておらず、ただ驚いている」という。「ペストの脅威と闘う登場人物の姿と、今のコロナウイルスの感染が広がる状況を重ねているのではないか」と話した。(宮田裕介)これはまさに今、日本人が読むべき本だ。キリスト教文化圏では、中世に襲ったペストの惨禍が様々な芸術作品に影響を与えている。ペストをモチーフにした小説が何世紀にもわたって読み継がれているし、「死の舞踏」「死の勝利」といった絵画や彫刻、それに音楽にインスピレーションを与えたのもペスト禍だというのが定説。シチリアのパレルモまで「死の勝利」を見に行ったMizumizuには、ペストという死に至る感染症がヨーロッパ世界に与えた衝撃の強さは、常に意識の中にあった。これは日本の文化にはあまり見られない傾向だ。8世紀に天然痘が流行し、藤原四兄弟が全員死んでしまい、それが長屋王の祟りだとか、そういう解釈で語られたという話はあるが、善人も悪人も、正統なる者もそうでない者も、根こそぎに滅ぼしてしまう感染症の「不条理」そのものに視線を向けた作品はちょっと思い当たらない。あるいはそれは、ある1つの病気によって国そのものが滅んでしまうような、そこまでの災禍に見舞われたことがないからかもしれないが。日本人にとっては、病気に罹るというのは、何かしらの祟り、報いだという感覚が常にどこかにある。その感覚はそもそも不条理だが、今に至ってもその感覚はぬぐえていないように思う。凄惨な病に襲われるのは、人間の罪に対する神の罰だという考えを代表する登場人物もカミュの「ペスト」には出てくる。そして、その彼の辿る運命は… どこまでも「神の僕(しもべ)」として生きようとした人間の姿に、あなたは何を見るのか。罪を犯すほど長く生きてもいない息子を失った父親の言葉や、その後の行動は… ほんの一言に、比べようのないほど深い哀しみが宿っている。それは時代がいつであれ、変わらない親心というものだ。登場人物たちのほんのちょっとした言葉や振る舞いが、普遍的な人間の本質を鋭く突いてくる。ナレーターの役割を果たしている人物の考察も読む者の心をえぐってくる。読むのに忍耐力を必要とするが、それを我慢して読み続ければ、読者ひとりひとりの脳裏に「オラン」という街が鮮やかに構築され、その街の情景は、おそらく生涯消えることはない。カミュの「ペスト」は、これから何十年、何百年たっても(その時サルトルを読む人はほとんどいないだろうが)、例えばギリシア悲劇のように読み継がれるべき不朽の名作。今回のこの騒動が落ち着き、いったんは図書館の倉庫に押し込められても、また同じことが起こるたび、再びその時代の老若男女が手に取るだろう。読者の中に日本人も入っている――それはこの小説を日本に紹介し、時代の流れの中でも完全に忘れ去られ、消し去られることのない一里塚としてきた先人たちがいたからだ。彼らの慧眼にも、Mizumizuは感謝したい。
2020.03.04
アルベール・カミュ ペスト (NHK 100分de名著 2018年6月)[本/雑誌] / 中条省平/著<昨日のエントリーから続く>新型コロナ、患者数の多い北海道の知事が外出自粛要請を出し、総理が感染拡大防止に向けて国民の理解と協力を求める会見を開いた、その直後の週末。まだ感染者が出ていない(ことになっている)山口県山口市でも、明らかに普段の週末より車の往来が少なかった。そして、ニュースで聞いたマスクとトイレットペーパーの品不足。昨日もドラッグストアに行ってみたらマスクはもちろん、トイレットペーパーも品切れ。今日、別のドラッグストアに行ったのが、同じだった。特にトイレットペーパーとティッシュの棚がずらーっとカラになっているのは、インパクトがあった。マスクはともかくトイレットペーパーの買い占めに走るってなんだろう? アホですか。店員に聞いてみたら、朝入荷はあったものの、全部買われてしまったということだ。おひとり様1つの制限をかけたにもかかわらず。「毎日入荷するんですか」と聞いたところ、基本入荷はあるが、仕入先で欠品になったらなくなるという、分かりきった答えが。仕入先で品物がなくなったら入荷はない。そりゃ当たり前だが、じゃあ、その可能性がどのくらいなのかが分からない。こうなると、「いざという時にトイレットペーパー買えなかったら困るよね。今のうちに買っておこう」ということになり、ますます買い占める人が多くなる。マスクだって、日本人はやたらマスクをつけて歩くが、ウィルスに対して予防効果はさほどでもない(と言うか、限定的で、ほとんどない)ことは専門家が繰り返しテレビ等で発言している。マスクに関しては人からうつされることを防ぐのではなく、人にうつすことを少しでも抑制するためのもの。とは言え、このご時世、マスクしないで咳でもしたら周囲から白い目で見られてしまうだろうから、しょーがなくつけるが、あれで市中感染のリスクが低くなると思ってる人がいたら(いるのか? そんな人)、それは間違いだ。念のため、端的にマスク効果について説明しているサイトは以下。https://www.jichi.ac.jp/center/sinryoka/kansen/taisaku_04.htmlマスクが最も効果を発揮するのは咳やくしゃみのある人がマスクをつけた場合です。風邪やインフルエンザ患者は1回の咳で約10万個、1回のくしゃみで約200万個のウイルスを放出すると言われています。そこで、患者がマスクをつけることでこれらを含んだしぶきによる周囲の汚染を減少させることができるのです。風邪やインフルエンザに罹らないためにマスクをつけてもその効果は限定的とされています。なぜなら、顔とマスクとの間に隙間がありウイルスを含んだ飛沫の吸入を100%防ぐことはできません。また、ウイルス自体の粒子径は0.1~0.2μmですが、咳やくしゃみではウイルスに水分やほこりが付着し粒子径は5μm以上とやや大きくなるためすぐに短い距離に落下し、空間をただようことはないからです。更に、環境や衣類に付着したウイルスが手によって呼吸器に運ばれ感染する場合もありマスクだけで風邪やインフルエンザのウイルスを確実に遮断することはできません。ただし、風邪やインフルエンザ患者の近くで看病するなど咳やくしゃみのしぶきを直接あびる可能性がある場合には予防効果があると考えられます。中国人からの「市中感染を防ぐためのアドバイス」というのがツイッターに上がっていたが、「帰宅したら靴の底を消毒液で消毒し、コート類は外にほし、手を洗い、髪についてる可能性があるから髪を洗い…」などと書いてあった。無理でしょ、そんなん! 手洗い・うがい・マスクじゃ、はっきりいって全然足りないのだ。しかし、それを言っちゃーおしまいよ、だから誰も言わないだけだ。品薄になったマスクを高値で転売するために買い占めている輩も多い。経産省がオークションサイトなどの運営者にストップをかけたので今後はなくなるだろうが、勘弁してほしい。さてさて、信頼できるんだか、できないんだか、よく分からなくなってきたWHOだが、とりあえず新型コロナに関する調査報告書が出てきた。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200229/k10012308111000.html主な数字を拾ってみると…呼吸困難などを伴う重症患者は全体の13.8%。呼吸器の不全や敗血症、多臓器不全など命に関わる重篤な症状の患者は6.1%。5万5924人の感染者のうち死亡したのは2114人で、全体の致死率は3.8%。致死率は高齢になるほど高く、80歳を超えた感染者の致死率は21.9%と5人に1人。特に、合併症の患者は致死率が高く、▽循環器の病気がある人は13.2%、▽糖尿病が9.2%、▽高血圧が8.4%、▽慢性の呼吸器の病気が8.0%、▽がんが7.6%。感染拡大が最も深刻な湖北省武漢は、致死率が5.8%なのに対し、その他の地域では、0.7%と大きな差が出ている。致死率は差がありすぎて、はっきりしないが、検査しぶりまくりの日本では数字が大きく出て、検査しまくりの韓国では低く出る。日本でクルーズ船とチャーター機で帰国した人以外の感染者が29日午後7時で227人。クルーズ船を除いて国内感染で死亡した人が5人。致死率約2.2%。韓国では29日午前の時点で、2931人。死者16人。致死率約0.5%。致死率に関しては韓国の数字がWHOの数字と近いから、日本でも検査数が増えれば、感染者数は増えるかわりに、致死率は下がり、韓国やWHOの出した数字に近づいていくのだろうなということは予想できる。どんだけ日本の検査が不十分か分かる数字だ。もっとも総理の会見によれば、検査態勢の拡充に向けて本腰を入れるようだし、これからは急速に改善されるだろう。最初のうちは、あちこちの顔色をうかがってグダグダしていても、いったん明確な目標が決まり、意識が共有されれば案外迅速に対応するのが日本人のよいところだ。
2020.03.01
【中古】【カード最大12倍!3/1限定、要エントリー】銃・病原菌・鉄 上/ ジャレド・ダイアモン<昨日のエントリーから続く>オリンピックを控えて、感染者数を少なく見せたい思惑があるのかないのか知らないが(おそらくは、あるだろう)、日本の「検査しぶり態勢」は本当にひどい。北海道で感染者数が多いのは、検査をちゃんとやってるからだという憶測まで出て、危機感をもって対処している北海道知事の株が上がっている。コロナを疑う患者が検査してもらいたくて問い合わせても、結局たらい回しにされて根負けし、あきらめたという話も聞くが、それ以上に驚いたのが、この記事の医師の質問。https://mainichi.jp/premier/health/articles/20200227/med/00m/100/001000c「肺炎で、呼吸状態が悪化していて、人工呼吸器をつけるような状態の患者なら、やっぱり(新型コロナ)ウイルスを検査した方がいいでしょうか」。2月15日、横浜市で開かれていた日本環境感染学会で、ある医師がこう問いかけました。こんな状態でもコロナ検査がなされていない場合があるってことに驚いた。でもってそれに対して、このウイルスによる患者を治療してきた、大曲貴夫・国立国際医療研究センター国際感染症センター長が答えました。「そう思います。一つの壁は検査のキャパシティーの問題。行政はなかなか簡単には動いてくださらないだろう。悪気があるのでなく制限をかけなければならないからだが、臨床医として(検査実施を)強烈に推すしかない」臨床医が「強烈に推さない」と検査してもらえないってことだ。いや、強烈に推しても、保健所がしぶり、保健所に言わせると行政がしぶり、責任もたらい回しにしている。そして、この新型肺炎のやっかいさ。早期対応の難しさが、臨床医の証言で明らかに。https://www.fnn.jp/posts/00050500HDK/202002272042_goody_HDK初期はかぜと変わらない。ところが数日しても良くならない。そこでX線撮影をすると…両方の肺に、肺炎と思われる影があった。あまり両側の肺炎というのはなくて、例えばすごく免疫が低下しているとか、重症の肝臓や腎臓の病気があって抵抗力がないような方には、両方の肺炎を起こすこともあります。けれど、その方は67歳ですし、その時点でもふつうにお元気で。呼吸苦とかもないですし、まさか影があるという印象では全くなかったですね。そこでそういう影があったので、ふつうの肺炎、ふつうの病気ではないのかなと感じた。自ら罹患した中国の余昌平医師も同様の証言をしている。一般的な肺炎は片側だけ炎症することが多いのですが、新型肺炎は両側が炎症することがほとんど。片側だけ炎症しても、最終的には両側になります。このようなレベルまでくると、非常にひどい病状で、呼吸をするのすら、つらくなってくることでしょう。余医師によると、通常の肺炎の多くは片側の炎症のため、もう一つの肺で呼吸ができる。しかし新型コロナウイルスの場合、その炎症が急激に両側に及ぶため、呼吸困難に陥りやすいのだという。この急激な変化というやっかいさに加え、検査の不確実性。以下、宮坂昌之氏による説明が非常に分かりやすい。https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200228-00165104/PCR検査の感度が不十分。陰性だと思ったら実は陽性だった、陽性だと思ったら陰性だったということがかなりあった。陽性と出ればほぼ陽性という確率が高いが、陰性と出た時には本当に陽性ではないという証明にはならないという大きな問題がある。それはなぜかというと喉や痰の中にウイルスが見つからないが、他の体のどこかに隠れている場合が常にあるからだ。ただ、不思議なのは感染細胞の主なものは2型上皮細胞であることが分かっているにもかかわらず、人にうつすという感染性がこのウイルスは非常に高い。だから喉のどこかにはウイルスがいるとは思うのだが。ダイヤモンド・プリンセスでの感染拡大についても、You tubeでいきなり自説を拡散した岩田健太郎氏のようにパニックを誘導するような扇情的な物言いではなく、きちんと説明されている。「あとから考えてみたら濃厚感染が起こり得る密閉空間だった。中国から医療関係者の感染が物凄く多いというニュースが入ってきた。なぜゴーグルや防護服、N95のマスクも着用している彼らが高頻度に感染したのかを考えると、飛沫感染以外の接触感染が起こっていたということだ」「防護服を来たままトイレに行く、ご飯を食べる時にマスクを外す、いろいろな所に触る。防護服を着用していても隙間があって中に入ってしまう。手袋をはめていてもカルテを書く時にカルテが汚れる、ペンが汚れる。訓練を受けていた医療関係者でもあれだけの高率で感染したのはそういうことだ」「そのニュースを見たとたん『ダイヤモンド・プリンセス』もまずいぞと思った。でも隔離を始めてしまったのでどうしようもない。決して政府のやり方を擁護するわけではないが、ベストの解決法はなかったと思う」「唯一あったとすればオーストラリアのやっているようにクリスマス島のような孤島に隔離するしかなかった。しかし日本はそのような設備を持っていなかった」検査の不確実性(時間もかかる)に加えて、感染予防の難しさ。さらには、両肺に起こる急激な変化。どこでどの薬を投与したらいいのか、エビデンスもないだろうし、余昌平医師さえ、「薬より自信」が大事だとか、もはや患者自身が頑張るしかなさそうな物言いだ。http://japanese.cri.cn/20200208/e67a6b33-279a-c883-9376-d3ea24e63874.htmlほとんどの人が軽症で済む一方、基礎疾患のある高齢者には致命的。グダグダの日本の対応が、これからの数週間でどう変わるのか、変わったとしてウィルスの抑え込みができるのか、まだまだ見えないが、とりあえずは外出をできる限り控える。その意味では、総理の休校要請は良い判断だと思うのだが(医師会のアドバイスらしい)、やれ突然で対応が大変だとか、子供が友達に会えなくて寂しがってるとか、かしましい。今はなにを置いても感染拡大を防ぐことなのに、とにかく安倍政権の足さえ引っ張れればオッケーだと考える輩が多すぎる。まさに日本は内紛状態はないか。こういう内紛状態のところに病原菌がやってくるのは、最悪のパターンだ。街ごと封鎖したイタリアに比べれば、まだ日本政府の対策は手ぬるいほうだ。あろうことか中国メディアに上から目線で批判されている。日本は内ゲバをやめて、これからの対策に全力を尽くすべき。政治思想・官民の隔てなく。
2020.02.29
【中古】 銃・病原菌・鉄(下) 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎 草思社文庫/ジャレドダイアモンド【著】,倉骨彰【訳】 【中古】afb<昨日のエントリーから続く>2020年2月26日。春節のインバウンド効果に対する皮算用と習近平訪日への忖度で、日本が中国からの入国を全面的に拒否せずに一部地域に限定したザル規制を続けているうちに、日本でも新型コロナが流行し始め、逆に中国が日本人の入国を規制し始めた。https://news.biglobe.ne.jp/international/0226/ym_200226_2480845062.html(ここから引用)【北京=竹内誠一郎】北京市政府は26日の記者会見で、近隣国で新型コロナウイルスの感染状況が深刻な地域からの渡航者や訪問歴のある人に対し、14日間の隔離措置を義務付ける方針を明らかにした。 隔離の対象国には日本や韓国が含まれるとみられ、専用施設か住民については家でも行う。日韓を対象とした水際対策の強化は、山東省威海市も実施を公表している。全国人民代表大会(国会)の延期を決めた習近平政権は、北京の感染封じ込めを厳命している。 一方、湖北省武漢市は26日、新型コロナウイルスに感染し、昨年12月8日に最初に発病した患者が、流行初期に感染者が集中していた市内の海鮮市場への訪問歴を否定していたことを明らかにした。海鮮市場はウイルスの有力な感染源とみられてきた。(ここまで引用)山東省威海市だけならザルだが、北京で入国後に「隔離」されるとなると、旅行ではまず行けないし、ビジネスでの中国行きも相当にハードルが高くなる。隔離先に閉じ込められると、第二のプリンセス・ダイヤモンドのようになってしまう。中国のシビアな対応を見ると、つくづく日本の初期対応のまずさが浮き彫りになる。ここにきて日本中のビッグイベントが次々自粛となり、日本人自身も旅行を控えるようになっている。しかも、いつまで続くか見通せていない。その経済的な損失ははかりしれない。やはり最初の段階で中国からの入国を全面的にストップして時間を稼ぐべきだったのではないか。そう思っている国民は多いはずだ。さらに、「医療崩壊を防ぐため」「重症者に注力する」などと言いながら、検査をしぶる態度は現場医師の怒りを買っている。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200226/k10012302341000.html(ここから引用)新型コロナウイルスをめぐり日本医師会は、医師が保健所にウイルス検査を依頼しても、対応を断られるケースが報告されているとして、全国の実態を調査し、政府と連携して改善に取り組む方針を示しました。(引用ここまで)医師サイドが動いているということは、これからは医師の権限での検査が認められてくるだろう(と思いたい)が、しかし、発熱したら自宅で様子見て…という指針は相変わらずだ。インフルも「死に至る病」だということは無視されているし、仮にコロナで重症化してから搬送されても、これまでの症例を見ている限り手遅れになるように思う。中国側からも報告があったが、この新型コロナは悪化すると恐ろしい勢いで悪化してしまう。「アビガン、カレトラ、レムデシビルについて、一部の医療機関で必要な患者に観察研究として使用を開始」(河野太郎氏のツイッターより)だというが、重症化してからでは間に合わないのではないか。ネット上でウラ取りできなかったが、たしか四柳宏氏もそのような指摘をされていたように思う。自宅まで検査に出向く態勢を整えた国もあるようで、それは素晴らしいのだが、結果が出るまで時間がかかるとなると、その間に重篤化してしまうかもしれない。また、疑わしい発熱者が次々出てくると、この態勢もあっという間に崩壊してしまうかもしれない。となると、検査の裾野を広げると同時に、検査結果の迅速化(迅速にできる機械はできたらしいが)も実現しなければならず…いやはや大変だ。またここにきて心配なニュース。大阪で、いったん陰性になった患者が再度陽性となったという。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56100960W0A220C2AC8000/(ここから引用)大阪府は26日、1月に新型コロナウイルスの感染が判明した府内の40代女性バスガイドが退院後の検査でいったん陰性と確認された後、再び陽性と診断されたと発表した。厚生労働省によると、退院後に再び陽性に転じたのは国内初。(ここまで引用)中国でもこの現象が起きているようで、おそらく再感染ではなく、ぶり返しだろうとのことだが、ぶり返したあとに急に重篤化するなどの例があるのかどうか、注視していく必要がありそうだ。とにかく、このコロナウィルスはおかしい。一番上の記事の最後の段落にあるように、このウィルスの出どころは市場ではない可能性がある。「世界的な範囲でいっそうの誤解と混乱を引き起こす事態を避けるため」として、今は削除されてしまったがインドの研究者たちによる初期的な研究結果が以下。https://toyokeizai.net/articles/-/329766?page=4(ここから引用)1月31日、インドのデリー大学とインド理工学院に所属する研究者たちが、bioRxivで「2019新型コロナウイルスの棘突起タンパク質に含まれる独特な挿入配列とエイズウイルスのHIV-1 dp120、Gagタンパク質との間で見られる奇妙な相似性」という研究論文を発表した。簡単に言えば、彼らは新型コロナウイルスとSARSウイルスの棘突起タンパク質の配列を比較し、SARSウイルスと比べると新型コロナウイルスの棘突起タンパク質には4つの新しい挿入配列があることを発見したのだ。その後、彼らはこの4つの挿入配列をデータベース中の配列と比較した結果、4つの挿入配列がともにエイズウイルスのタンパク質配列の中にあることを見つけた。この研究論文によれば、この種の特異な同一性/相似性が自然界の中で偶然に起こる現象とは考えられず、またこの4つの挿入配列は新型コロナウイルスに独特なもので、そのほかのコロナウイルスには存在しない、とされている。(ここまで引用)もちろん中国は猛反発で、全力で否定しているし、たとえ事実であっても絶対に認めないだろう。だから真相はヤブの中だが、人工物、あるいはそこまででなくとも、研究のために捕獲した動物からウィルスが流出した可能性はゼロではないだろう。覇権国家を目指す中国が、核兵器以上の武器になるかもしれない(おそらくは、なるだろう)生物兵器を開発していないはずはなく、今回の世界的なパニックを見ると、生物兵器が過失によって外部に漏れてしまった、あるいは意図的に流出させた場合のインパクトははかりしれない。やがては自ら作り出した生物兵器によって人類が滅びる、あるいは激減するというSF小説のようなシナリオが足元まで来ているのかもしれない。
2020.02.27
【中古】文庫 ≪趣味・雑学≫ 銃・病原菌・鉄 上 / J.ダイアモンド【中古】afb2020年2月25日。日本政府は、入国申請前の14日以内に大邱市と慶尚北道の一部地域に滞在歴のある外国人の入国拒否を発表した。中国山東省威海市は同日から、日本と韓国からの入国者全員を無料で指定のホテルに宿泊させ、14日間経過観察すると発表した。事実上の強制隔離政策だ。だが、いずれにせよ、どちらもザル。大邱にいたかどうかを客観的に事前に日本が把握しておくことなどできないわけで、自己申告しなければ入国できてしまう。中国だって威海市に入らず別ルートで入ってくればいいだけの話。ロシアのように中国からの入国を全面ストップしなければたいした意味はないし、仮に全面ストップしたにしても、他国をうまく経由して入られたらどうしようもない。そもそも、もう感染はヨーロッパにも広がっている。ここにきて患者が急増しているイタリアに対しても、EUは国境封鎖を行わないと発表した。アメリカCDCも、アメリカでの流行はもはや避けられないと発表。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200226/k10012301611000.html(ここから引用)「これまで中国からの旅行の規制や検疫の強化で感染者を最小限に抑え、時間を稼いできたが、いまや、アメリカで感染が広がるかどうかではなく、いつ広がるかという問題になりつつある」。(ここまで引用)コロナウィルスにはまだまだ分からない点が多くあるとはいえ、80代以上になると死亡率がハネ上がることは数字でも裏付けられている。若い人は(0%ということはあり得ないので例外はあるにせよ)軽微なまま快復することが多い。流行がどれくらい爆発し、どのくらいの人が亡くなるかは見えないが、ピークを迎えたあとは、様々な対策等によって感染症の流行は、少なくともいったんは必ず終息する。それが5月なのか、来年なのかは分からないが。だが、いったんは終息し、あるいは有効な薬が開発されたとしても、またいつかこのウィルスは戻ってくる。他のウィルスと同じように。SARSやMARSの流行に巻き込まれなかった日本人には今回のCOVID-19流行のショックは大きいが、考えてみれば人類史は感染症との闘いの歴史でもある。外出を控えているせいで、このごろ読書が増えてきたMizumizuだが、シャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』は面白かった。特にこの時期に興味深かったのは、病原菌、すなわち感染症がいかに他民族の「征服」に大きな役割を果たしてきたかが詳細に書かれている点だ。例えば、アステカ文明は、数では圧倒的に劣っていたスペインの軍隊によって滅ぼされる。それはスペインが持ち、アステカが持たなかった強力な武器による「文明力」の差だけでは説明できない。スペイン人が入ってきた時に、アステカ王国が内紛状態であったという国内事情に加え、彼らが持ち込んだ天然痘ウィルスが猛威をふるったことが大きい。天然痘ウィルスはネイティブインディアンに対しても壊滅的な被害を与えた。入植してきた白人は、天然痘患者の使った毛布をわざわざプレセントしてネイティブインディアンに病原菌を振りまいた。最終的に武器によって「征服」される前に、この感染症によってネイティブインディアンの人口が激減していたことは、世界史でおそらくは学んだはずだが、これまでの史学(それは征服した者が書いた歴史だ)ではむしろ、感染症のもたらした被害よりも、武器や知識といった文明力の差を誇示する傾向にあったと思う。日本人(和人)がアイヌを征服していく過程でも同じことが起こっている。日本が北海道に本格的に進出したのは、ロシアの南下に危機感を持ったからだが、当時免疫を持たなかったアイヌ人に対し、天然痘、肺結核、梅毒といった病原菌を拡散させ、アイヌの人口を激減させている。今回、武漢で発生した新型コロナウィルスは、実は市場から発生したのではなく、市場からわずか280メートルしか離れていない武漢疾病対策予防管理センターから流出したものだという説がある。https://s.japanese.joins.com/JArticle/262641?sectcode=A00&servcode=A00(引用)中国広東省広州の華南理工大学生物科学と工程学院の肖波涛教授は今月6日にグローバル学術サイト「ResearchGate(リサーチゲート)に論文を発表した。論文は新型コロナがコウモリから中間宿主を経て人に伝染した可能性よりも、湖北省武漢の実験室2カ所から流出した可能性を提起した。肖教授は武漢ウイルス研究所よりも武漢疾病予防管理センターが震源地である可能性が高いとみられると主張した。武漢ウイルス研究所は新型コロナが集中的に検出された華南水産市場から12キロメートル程度離れているのに対し、武漢疾病対策予防管理センターはわずか280メートルの距離にあるためだ。肖教授は実験室からの流出とみている理由について、新型コロナの天然宿主である「キクガシラコウモリ」は武漢から900キロメートル離れた雲南省・浙江省などに棲息していて、食用としては特に使われていない点を挙げた。また、武漢市政府の報告書や武漢市民の証言を総合すると、華南水産市場でこのようなコウモリは扱われていなかったという。反面、武漢疾病予防管理センターは2017年と2019年、実験用に多くのコウモリを捕まえた。2017年には湖北省・浙江省などで約600匹のコウモリを捕まえたが、この中には重症急性呼吸器症候群(SARS)ウイルスを持つキクガシラコウモリも含まれていた。当時、同センターの研究員は、勤務中にコウモリに噛まれたり尿をかけられたりしたと話した。同センターはコウモリの細胞組織を分離させてDNAとRNA配列などの研究を行ったが、ここで出た汚染されたゴミがウイルスの温床になったというのが肖教授の主張だ。(引用ここまで)<続く>
2020.02.26
<前日のエントリーから続く>新型コロナウィルスの流行に備え、政府が政策基本方針を発表。だが、内容を見ると「発熱したら自宅で休んでもらう」というのが柱で、特段目新しいものはない。重症者への対応を強化し、不安にかられた人々が医療機関に殺到して医療崩壊を招かないように国民に対してクギをさした感じだ。けどねえ…相変わらず中国、それに感染が爆発的に広がっている韓国からの入国制限は強化されることはないらしい。イスラエルは、すでに入国してしまっている韓国人1300人をイスラエルが費用出すからチャーター機で持って帰って…もとい、乗って帰ってくれとまで言っているというのに。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200224-00080310-chosun-kr自国内での感染を食い止めようと必死になっている一方で、自国以上に感染が広がっている国の人たちは制限しないというのは、どうにも腑に落ちない。経済的な影響を考慮しているのは分かるが、それにしても「ここ1~2週間が瀬戸際」とまで切羽詰まったことを言ってるわりには、入国がザル。この新型肺炎は、感染力が思った以上に強い(場合がある)し、潜伏期間も当初考えられていたより長い(可能性がある)ようだ。それならば、今更感はあるにせよ、やはり入り口は閉めておくべきだと思うのだ。それこそ1~2週間でもよいではないか。「数字がよく分からない(麻生氏)」中国からの入国だけでも短期的に禁止することで、外からの流入を防ぐ。ところが、それを主張している感染症の専門家もいない。不思議だ。それから腑に落ちない、というより不安なのは、検査態勢の貧弱さ。検査態勢をもっと整えよう(さらに拡大しよう)という気はないようだ。もちろん、韓国並みに強化することに意味があるかどうかはよく分からない。そもそも、この病気は検査で陽性になったからといって薬はない。だから、発熱症状が出たら、やみくもに病院に行くのではなく(行ったところでどうにもならない)、自宅で静養して自然治癒を待つ…というのは合理的な指針ではある。だが、様子見ていて、熱が下がらない、となったときの態勢はどうなのだろう?熊本で発症した20代の女性(現在重篤化)は、病院をたらい回しにされたとか。https://www.nishinippon.co.jp/item/n/586755/内容を読むと、その杜撰さに驚くばかりだ。女性は、(以下引用)せきや高熱が続く中、21日の救急搬送まで50代の父親の車で三つの医療機関と自宅を往復し、結果的に父親も2例目の感染者になった。女性が入院したのは発症から5日目。(中略)18日に発熱。市内の医療機関Aを受診してインフルエンザの検査で陰性と確認されたが、原因は分からず、父親の車で帰宅した。19日には体温が39・6度に達し、市内の別の医療機関Bを受診。だが、前日のインフルエンザ検査で陰性だったにもかかわらず、再び同じ検査を受け、再び陰性を確認。この日も父親の車で帰宅した。女性の症状は20日、さらに悪化。せきや高熱、嘔吐(おうと)、下痢の症状があり、深夜になって医療機関Cを受診した。コンピューター断層撮影(CT)検査で肺炎が確認され、医師が保健所に連絡。検体を採取し、ようやく新型コロナウイルスの検査につながった。だが結果は出ず、この日も医師から自宅待機を指示され、父親の車で帰宅した。しかし、考えれみれば、こういう対応になってしまうのは当然かもしれない。だって、新型コロナの検査は簡単にはできないわけだから。ということは、この女性はインフルエンザかもしれない、あるいはコロナかもしれない状態であっても自宅で静養し、重症化するまで動かないほうがよかったということか(本人の体力消耗を考えても、また周囲へ感染を広げてしまうリスクを考えても)。インフルエンザなら数日我慢すれば熱は下がってくるから、それを待つということだ。インフルで死ぬ人が多いということは、とりあえずは棚上げ。インフルで亡くなっても発表されないし、コロナの死者数のうちに入らなければ世間は騒がないからオッケー!で、仮にこの熊本の20代の女性患者のような人が、重症化するまで自宅で静養し続けたとして、医療機関Cへの受診が最初だった場合、そこで必ずコロナの検査してもらえるかどうか分からないし、検査してもらってもすぐに結果が出ないから(接触者でないかぎり、おそらくはまた)自宅待機になり、その間に周囲の人を感染させてしまうかもしれない(実際、家族は感染した)。若者は重症化しにくいはずの新型コロナだが彼女は20代。基礎疾患があったかどうか分からないが看護師という職業を考えると、そんなに健康状態が悪かったとも思えない。重症化した患者の対応に重点を置くといい、検査はなるたけしない方向(医師が検査したいと保健所に申し出たところ、条件がそろっていないという理由で「風邪ということにしておいてくれ」と言われたと医師自身が証言している)。で、重症化して検査してもらえたとしても、すぐに結果は出ないからその間は自宅待機(そして、家族も感染)。日本人にはこうやって自宅待機しろと言う一方、入国した中国人にはやけに親切で「早めの受診を促す」そうだ。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55873560Q0A220C2EE8000/(引用)新型コロナウイルスの感染拡大を受けた取り組みで、日本への渡航が禁止されていないビジネス客や個人の旅行客が主な対象になる。体調が悪化した場合の早めの受診を促し、日本国内での感染拡大を防ぐ。(引用ここまで)自国民は熱が上がって、それがインフルかコロナか分からない状態でも数日自宅で様子をみろと。でもって、熱が下がらなかったら相談して…その後はたらい回しで、重篤化するか軽快するかは、患者の持ってる運次第って流れ。瀬戸際といいながら、こんな態勢…といって、一部の人たちがヒステリックに叫ぶように、「検査してくれ、検査してくれ」の声に応えて、態勢を整え、もっと早い段階で検査ができるようにしたとしても、検査は100%の精度ではないから、偽陰性で安心してしまったり(そして、その後発症)、あるいは陽性になったとしても、その検査結果が出るまでは接触者でないかぎり隔離されるわけでもない。陽性でも薬はなく、結局はその人の持っている「体の強さ」で重症化するか軽傷のままで終わるかが決まる。つまり、検査しようがしまいが、ぶっちゃけ結果はその人の持ってる体力と免疫力次第ということだ。手洗い・うがい・マスク…個人でできることはあるが、手を洗う前に目をこすったりして、目の粘膜から感染することだってありそうだ。手洗い・うがい・マスクが有効なのはその通りだろうが、それをしていれば大丈夫ということでもない。やっぱり、運次第。日本国内で感染爆発が起こるのか、このままなんとか踏みとどまれるのか。それももはや運次第という感じがしてきた。イタリアでは一部の街が事実上の封鎖にまで踏み切って、そこでは人っ子ひとり通りに出ていない。「瀬戸際」の日本は、勧告はあるものの、基本外出は自由だ。これで感染爆発が起こらなかったら、逆に奇跡だと思う。いや、もしかして、そのほうがよいのか? 閉じ込めよう、閉じ込めようとするのではなく、「鬼は外」と唱えながら風通しでもよくしてウィルスが力を失うのをただ待つほうが…?どちらにせよ、数週間後にはある程度の答えが出ているだろう。それまでは、なるたけ人ごみには出かけず、真面目に手洗い・うがいに励むこととしよう。熱が出たら、専門家のアドバイスどおり、窓をあけて扇風機で空気を外に出し、台所洗剤を薄めて消毒しまくってみるか。寒い季節だからといって閉め切った部屋で暖房をするのは危ないらしいから、極地用のシュラフでも買って…いっそ、ベランダにでも寝ようかな。ナンガ NANGA SSDオリジナル オーロラ 1000SPDX レンガ [寝袋 ダウン 限定 防災]
2020.02.25
新型コロナウィルスの流行が止まらない。現在東京と山口の二カ所生活をしているMizumizuだが、2月に東京に戻るつもりが山口へ足止めされている格好だ。東京へ戻るとなると、公共交通機関を利用しないわけにはいかない。密閉空間であの尋常でない密度の人間…移らないと考えるほうがどうかしている。今回の新型コロナウィルス。中国・武漢が悲惨な状況になり、中国政府が都市封鎖にまで踏み切ったというのに、日本政府の対応は鈍かった。Mizumizu個人としては、中国全土からの日本入国をストップしてほしかった。そうすれば、少なくとも「時間稼ぎ」はできたはずで、時間稼ぎをしているうちに態勢をもっと整えることができるし、春になって暖かくなれば、ウィルスの流行スピードも鈍化して、この騒ぎもなんとなく消えていくかもしれない。だが、日本政府はそうはしなかった。中国と長い国境を分かち合っているロシア、まがりなりにも中国と友好国のロシアが、国境封鎖に踏み切ったというのに、また先日はイスラエルが、中国に次ぐ汚染国となった韓国・日本の入国まで拒否したというのに、日本はいまだに中国からの入国禁止範囲を広げる・広げないで議論している状態だ。この鈍い対応の裏に、4月に控えた習近平国家主席の国賓訪日があるのは明らかだろう。そして、普段は何かというと日本を非難・批判ばかりしている中国が、この日本政府の鈍い対応を絶賛し、「感染は一時、友情は永遠」「日中、ともに手をとりあって病疫と闘いましょう」などと持ち上げているのが気分が悪くて仕方がない。気分が悪すぎて、逆に笑ってしまうほど。そんなことを言いながら、中国は毎日のように尖閣諸島海域に入ってくるし、明確な理由も開示せずにスパイ扱いで逮捕した日本人は解放される気配もない。…なんてことを言ったところで中国の反応は分かっている。「日本と中国がどれほど仲良くなっても、国家主権に関して中国が権利を放棄することはない」「たとえどれほどの友情を結んでも、中国は自国の法律を曲げることはない」とか、まーそんなところだろう。日本が中国人の入国を全面的に阻止せず、中国と同じ状況になりつつあるときに、中国が日本を賞賛すればするほど、日本人の反中国感情は高まるだろう。そんなことも分からないのかね、中国共産党って。政府主導のプロパガンダで人民の感情をコントロールできるなんて、前時代的もはなはだしい妄想だ。いまや日本を抜いて中国に続く第二の最悪汚染国になってしまった韓国も、中国と経済的な結びつきが強く、思い切った措置が取れなかったという意味で日本と似ている。習近平の訪韓を実現したいという思惑が裏にあったのも日本と共通だ。中国に忖度した(ことは明らかな)、日本政府の鈍い対応を、安倍総理を強く支持してきた保守層が厳しく批判している。もともと中国に対する警戒感が非常に高い層なので当然と言えば当然の反応だが、このままこの新型ウィルスが日本中に拡散し(それはもう時間の問題だが)、死者が増え続ければ、これまで様々なスキャンダル――それは主に左派系のメディアや文化人が仕掛けてきたものだが――を乗り越えて、憲政史上最長の在任期間を達成した安倍首相がついに退くことになるかもしれない。新型ウィルスの「政治的な」側面はさておき、Mizumizuの疑問は、中国での流行当初から感染症の専門家たちによる、「すぐに中国からの入国を拒否せよ」的な発言がほぼなかったことだ。逆に、インフルエンザウィルス(あるいはその他の疾病)による年間の死者数を挙げて、新型コロナウィルスに対して冷静な対応を求める専門家が多かった。それはコロナウィルスはもともと感染力がそれほど強くないこと、致死率が同じコロナウィルスのSARSやMERSより低いということが論拠だったように思う。コロナウィルスの感染力の弱さについては、根路銘国昭氏のインタビューに詳しい。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70375要点をまとめると1)コロナウイルスは咳や痰で飛び出しても1メートルを超えれば死滅する。感染者の近くで咳や痰を受ければ、小さな粒子となった飛沫(飛沫核と呼ぶ)を受けて感染するおそれはあるが、インフルエンザのように1回の咳で1万個以上のウイルスが死ぬことなく長時間浮遊し続け10メートル以内のほとんどの人を感染させる「空気感染」は起こらない。2)コロナウイルスは「飛沫核感染」しかしないので、感染者がしっかりとマスクをしていれば感染拡大のおそれはとても小さい。これがコロナウイルスというもの。3)呼吸器感染症では、インフルエンザウイルスは横綱級、コロナウイルスは関脇以下程度。4)強い危機宣言をしないWHOに対して、トップの辞任要求の動きが広がっていて、それに乗じた著名人すら出ているが、WHOの認識は正しい。ただし、これは新型コロナウィルス(のトゲに)粘着力があり、それが従来型に比べて感染力が強い理由であろうという研究結果が出される前のものだ。また、新型コロナが飛沫感染だけでなく、(密閉空間などでは)エアロゾル感染を起こすかもしれないという認識も中国の衛生局から示されている。http://www.news24.jp/articles/2020/02/19/10597600.htmlだが、どちらにせよ、「空気感染」のインフルよりは感染力は弱いというのは、いまだに揺るがない事実だろう。もうひとつ、感染症の専門家が繰り返し指摘するのは、致死率の低さだ。http://www.kansensho.or.jp/uploads/files/topics/2019ncov/2019ncov_ippan_200203.pdf致死率についてはまだ確定はできないにせよ、重症となるのは、高齢者、糖尿病などの基礎疾患のある人にほぼ限られているのは確かだろう。日本は老人大国なので、高齢者施設での集団感染が今後増えていくと予想される。80歳以上であろうと10歳以下であろうと、命は命だが、すでに経済活動から退いたシニア層がバタバタ死んでも日本経済にはダメージ少ないし、なんなら医療費を食う年寄りにはこの際、死んでもらったほうが好都合…なんてことを考えている専門家がいるとは思えないが…というか、いたとしても絶対に口に出して言うことはないだろうが、とにかく致死率が低く、健康な若い人は感染しても症状が(それほどびっくりするくらい)軽微だというのが、この流行病のある種「救い」であることは確かだ。これがペストのように、老いも若きも次々罹り、次々死んでいく疾患だったら、この情報時代の世界的なパニックははかり知れないものがある。病原菌による大量死は、それに見舞われた人にとってはこれ以上ない悲劇だが、人類史を見ると、感染症による大量死は常に起こっている。新型コロナは「新型」であるだけにまだ分からない部分も多いが、致命的な死を広範囲にもたらす感染症でないことは確かだ。2019年末から2020年初頭にかけての中国本土でのコロナウィルスによる死者は、増え続けているとはいえ、まだ2月24日の時点で2500人強(ただし、この数字には疑念もある。検査されずに亡くなった人も多いはずで、実際にはこの数字の倍、3倍、いやもっとかもしれない)。それに対してアメリカで猛威をふるうインフルエンザによる死者は1万6000人を超えている。これについて、コロナウィルスが混ざっているのではないかという疑義が出されているが、感染症の専門家が出したデータを見ると、https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200222-00163925/昨シーズンのインフルエンザによる死者数は34000人、過去10年で最も死者数の多い2017-2018シーズンは(なんと)61000人。今シーズンのインフルエンザによる入院者数の推移のグラフを見ると、2017-18、2014-15よりは低人数で推移しており、今シーズンの流行だけが突出しているわけでもなく、コロナウィルスが混在していなかったとしても説明できる数字であることは確かだ。新型コロナは新型なので、人々の恐怖心は高く、連日どこで感染が確認された、何人亡くなったと報道されればさらに恐怖心は高まるが、実際には「報道されない」感染症で亡くなっている人はもっと数が多いはずなのだ。WHOはここにきて、新型コロナは「世界の3分の2が罹患する可能性」があるとしている。感染症の専門家も、「罹患する人が増え、免疫ができればおさまっていく」と口をそろえている。https://kadobun.jp/feature/interview/9yhcdzonav40.html(引用)今後ですが、ウイルスにかかった人は体内に免疫ができますから、免疫を持った人が増えれば、感染のスピードは弱まると予想されています(引用ここまで)。考えてみれば、そのとおりなのだが、今回は中国との政治的・経済的な結びつき、それに習近平国家主席の訪日・訪韓というイベントがあったため、対策が手ぬるくなったのだろうという疑惑と結びついて、まっとうな専門家の発言まで、「中国に忖度した御用学者の詭弁」にされている。たとえ初期の段階で日本が中国からの入国を全部拒否していたにせよ、韓国ルート、あるいは別のルートから日本にも入ってきたことは間違いない。ただ、その時期は遅らせることができただろう。時期を遅らせることで、死者の発生も遅らせることができ、暖かくなって感染のスピードが落ちれば、死者数も全体的には抑制できたかもしれない。ただ…今のところ日本国内で亡くなったのは数人だ。この騒ぎの中で数人。ひるがえって全然報道されない季節性インフルエンザでは、https://president.jp/articles/-/330532019年の1~9月の集計で、すでに3000人超。毎日毎日「インフルエンザでどこどこの県で何人亡くなりました」なんて報道がされてパニックになったりはしていないのだ。この数字を見れば、やはり「新型コロナで騒ぎすぎ」は事実かなと思う。そして、致死率のこれほど低い伝染病のために、たとえば2020年1月の段階で、中国全土からの入国をストップする、などのドラスティックな対策を取ったとしたら、それに伴う経済的な損失はどうだっただろう? 命か、経済かと問われれば、命を優先させるのは当然だが、経済が回らなければ、もはや現代人は生きてはいけない。鎖国して一切の病原菌を外部から入れない見返りに、狭い日本国の中ですべての経済を回すなんてことはもうできないのだ。<続く>
2020.02.24
<昨日のエントリーから続く>パパの作りばなし [ 関周 ]関周/パパの作りばなし 【CD】マスターの彼は、ピアノやアコーディオンも弾くが、プロデューサー的な仕事もする。店には彼に伴奏してもらって歌を歌うのを目当てに来る人もいるが、彼がプロデュースしたライブを聴きに来る人も多い。「クイーンエメラルダス」は、彼の店で定期的にライブしている。松本伊代のお姉さんが、実は歌唱力抜群だということを私が知ったのも彼の店だ。だから、てっきり発売されたCDも、「歌手デビュー」といいつつも、彼自身のプロデュース色の強いものだろうと想像していた。だが、まったく違った。3曲通すと、クラシックの室内楽を聴いているような心地よさに浸っている自分に気づく。演奏メンバーは明らかに正統派の手練れだ。電子的に「足した」音は一切しない。1曲目は、ピアノに加えて、バイオリン、ビオラ、チェロ。弦の音の厚みが、ごくごく一般的な、けれどももしかしたら得難く幸せな、親と子の情景を語る歌詞にかぶってくる。これ、作った人たち、タダ者じゃないでしょ。マスター個人の技量だけで勝負してる、知る人「だけ」が知る街角の小さなライブハウスに入ったつもりが、迎えてくれたのは、さっきまで、それぞれ別々の専門のフィールドで演奏してたその道のプロたちだった――という驚きだ。2曲目では、弦に加えて、スキルフルなソプラノサックスの音。3曲目では、一転してピアノとフルートのみ。フルートが人の吐息に聴こえる。それは昔、バッハのフルートソナタを聴いて感じた心地よさに通じる体験だった。音合わせを何度も重ねてスキのないものをつくる…というのが、CD制作をする人たち、ましてや生演奏だけで音を入れる人たちが一様に目指す方向だという先入観が私にはあったのだが、見事に、心地よく、ひっくり返された。つまり、ある種の即興の良さ、のようなもの――が感じ取れるのだ。その「一期一会」感が、なんともイイ。音にのってくる彼のちょっと素人っぽい歌声が、また不思議に新鮮だ。これが、声楽をみっちり学びました…なんていう声だったら、「へーー、うまいねー、ほーー、すごいねー」とひれ伏して、それで終わりかもしれない。これなら自分にも、歌えるかもしれない、歌ってみようかな――そんな、付け入るスキのある歌唱。それでいて、彼が送ってきた人生だとか、音楽が作り出す世界に対する考え方だとか、そして、自分はこの歌を聴いてほしいのだという情熱も、さりげなく伝わってくる。自己満足レベルからプロはだしのレベルまで、彼の店ではいろいろな人が歌を歌うが、そうした幾千の歌を聴くうちに培ってきた「何か」が彼の表現にはあるように思う。作詞は伸我。初めて聞く名前だったが、まるで自分の心の中を覗かれたように、どきりとするフレーズを書く人だ。興味を持ったので、他の作品を探してみたら、「メタセコイアの枯れ葉」に、やはりどきりとさせられた。♪あなたを失ったことより 現在(いま)を変える勇気が少しも残っていない それが悲しいここにも不思議な符号。私の実家のすぐそばには、壮麗なメタセコイアの並木を持つ公園があるのだ。そして、また、あの3曲に戻る。繰り返し聴くうちに、彼の死をきっかけに、私の思考を暗く孤独な終焉へと引きずりこんでいたOld Balck Joeが、過去の歴史的名曲というあるべきポジションに帰っていってくれた。そもそも、彼も、彼も、私も、Old Balck Joeではない。私たちは誰も綿花畑で苛酷な労働など強いられることはなかった。Old Balck Joe――あるいはBalckという言葉を好まずOld Old Joeと歌う人もいるが――の人生は、その哀しみと寂しさは、立場を超えて多くの人の共感を呼ぶとはいえ、それは私の人生ではない。彼も、彼も、私も、音楽にまつわる楽しみを知っている。それはある程度、私たちの親たちが授けてくれたものだ。そして、それは幸運なことだ。彼も、彼も、私も、同じ場所にいたのは高校卒業までだ。そのあとは、それぞれ違う場所で、違う生き方をしてきた。彼にも、彼にも、私にも、それぞれが知らない人と交わることで築き上げた世界がある。生きることでしか描けない円がある。彼と、彼と、私の描く円は、時に近づき、時に交わる。彼が歌手として参加したこのCD。その制作に携わった人たち、彼の「円」の中にいる人たちを、その才能を、私は今回初めて知ることができた。これからも、彼と、彼と、私と、それからまた別の彼や彼女たちの描いた円は、近づいたり、遠ざかったりするだろう。ひとりの彼は、すでにこの世から去ってしまったが、彼の描いた円は、やはり確かにこの世にある。タイムリミットが迫る直前に、彼が彼に会いに行き、実際に会えた瞬間に、彼と彼の円が交わり、そこで他人にはうかがい知れない何かが受け渡されたかもしれない。これが彼と、彼と、私の物語だ。ロンド(輪舞)と呼ぶほど劇的でも特別でもない。だが、この機に語らずにおけるほど、私にとって小さくもない。これからも、あなたと、あなたと、あなたの円が近づき、思いがけず交わったとき、あなたは、あなたとは別の円の中にいる人たちの美しさ、素晴らしさを知るのかもしれない。そのときに、円は縁になる。https://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%91%E3%81%AE%E4%BD%9C%E3%82%8A%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%81%97-%E9%96%A2-%E5%91%A8/dp/B07N1CHJ1T/ref=zg_bs_2129354051_26?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=XWZQ7GN08G6F2218W737
2019.02.03
<昨日のエントリーから続く>同級生の死というのは、実際にそれが来てしまうと、想像していた以上の寂寥感をもたらす。ご家族やさらに近しい人々の心情を想えば、「私も悲しんでいます」などとはおこがましくて言えないが、中学という若い時代、人生を四季にたとえるなら、春のただなか、あるいは夏へ向かう、みずみずしく元気な時代のイメージしか、ほぼない人の、それも病死となるとなおさらだ。病魔は、いくら人間が気をつけていてもふいに襲ってくるものだ。それがたまたま「彼」であっただけの話で、「彼」は「私」だったかもしれない。「彼」に訪れた終焉は、思うより早く「私」のそばに来ているのだろう。得体の知れない影のようにひたひたと迫ってくる孤独感は、「もうあの人に会うことも、話すこともできないのだ」という信じがたく、受け入れがたい事実の悲しさ以上に、自らにも迫ってきた死への恐怖なのかもしれない。このところ、私はしばしば山口の実家へ帰る。実家に転がっている古いモノたちは、ふいに忘れた過去の記憶をよみがえらせる。たとえば、古い楽譜。中学の英語の授業の中で、ある歌を歌ったことをふいに思い出した。Gone are the days when my heart was young and gay,Gone are my friends from the cotton fields away,Gone from the earth to a better land I know,I hear their gentle voices calling Old Black Joe.歌詞の書かれた楽譜を机の上に立てながら、皆で歌ったとき、私の隣りの席に座っていたのは、おそらく亡くなった彼だった。I'm coming, I'm coming, for my head is bending low,I hear their gentle voices calling Old Black Joe.彼を含めて、先に逝ってしまった友人たちの顔を思い浮かべながら、この歌を口ずさむ、Joeのように年老いた自分の姿が、ひどく現実味を帯びて目に浮かんだ。この歌を習った頃には、まさか自分がOld Balck Joeになるなんて、思ってもいなかったのに。実家では、亡父の遺した持ち物を、少しずつ整理している。もう父が亡くなって10年以上。いい加減に片付けなければ。「片付ける」とは、すなわち「捨てる」もしくは、「売る」ということだが。父が買った初期のシンセサイザーがあった。中学の頃だ。またも、忘れていた思い出が蘇る。シンセサイザーが家にあると級友に話したら、誰より強い反応を示したのが、亡くなった彼だったのだ。「シンセサイザー、くれよー」などと言ってきた。冗談にしては声が本気すぎた。そもそもシンセサイザーなるものの存在さえ知らない人がほとんどだった時代に、なぜそこまで彼が関心を持つのか、その時は理解できなかった。彼が音楽好きで、自分でシンセサイザーを買って曲まで作っていたのを知ったのは、彼が闘病ブログを書き出してからだ。彼所有のエレキギターの数々にも驚かされた。機能まではブログの写真では分からないが、色やフォルムからして、「コレクション」と呼ぶにふさわしい、美しき現代の撥弦楽器。そこでまた奇妙が符合が起こる。亡父は抱えて演奏するタイプの民族弦楽器を集めていた。インドのシタール、中国琵琶、沖縄の三線、ベトナムのダン・タム、ロシアのバラライカ… すべて現地で購入してきた。父の生前は、壁にかけて飾っていたこともあるこれらの美しい弦楽器は、半ば壊れてしまったものも含めて、今も実家にある。亡くなった彼は、「ギターもね、なんであんなに集めちゃったんだろうと思う」と、私へのメールに書いてきたことがある。病気が悪くなってきた頃で、「かみさんは興味ないから、自分で処分しないと」と、気にしていた。もしがんと共存できたら、古民家を買って改築して住みたいというのが彼の希望だったから、古民家にあの美しいエレキギターが飾られたらさぞやステキじゃないか、と実家に遺った民族弦楽器――撥弦楽器も擦弦楽器もあるが、私から見れば形からしてギターの仲間――のコレクションを思い浮かべながら思ったが、何も言えなかった。私だって自分で買うほどの興味はないが、「遺された」弦楽器は捨てずにいる――そんな話の流れになってしまいそうだったから。彼が亡くなったのは、2018年12月8日。彼がCDデビューしたのが、2019年1月23日。それから、四十九日。その3日後、1月29日は父の命日だ。山口の実家で朝メールを見ると、デビューした彼からメールが入っていた。ダウンロード配信が始まったというお知らせだった。そして、アマゾンのデジタルミュージック、アルバム、キッズ・ファミリー部門で1位を獲得したという。さっそくサイトにアクセスし、聴いてみる。マスターの彼には、なにげに驚かされることが多いが、今回も、だった。<続く>
2019.02.02
彼とは中学時代に山口県でクラスメートだった。彼のお母さんが私の父のお弟子さんだったという、ちょっとした縁もあった。高校も同じだったが、科が違ったのでクラスはずっと別だった。大学は私も彼も東京。私は上野に通い、彼は本郷だったから、地理的には近くで学んでいたはずだが、特段の交流はなかった。卒業後、私が山口の実家でくすぶっていた頃、彼は一流企業に勤め、スイスで活躍していた。彼のお母さんが私の実家にクッキーを届けてくれたときに聞いた話だ。その後のことはほとんど知らずにきた。私は再び東京に戻り、仕事が忙しくなった。新しい仕事上の交友関係も広がり、過去を振り返ることもなくなった…というより避けていた。そんな時代がひと段落した頃から、中学・高校の仲間がときどき集う店ができた。大都会の片隅、グランドピアノが置いてあるこじんまりとした店。マスターの彼も、私と同じ中学、同じ高校の出身。だが、私はマスターの彼とは面識はなかった。マスターの彼の店で開かれる同窓会では、クラスメートだった彼と会うこともあった。マスターの彼は、時折ピアノを弾く。最初に店に行ったときは、ベートーベンの月光の一節を少しだけ。「子どものころ、ちょっとやってたからね」――ちょっとやってただけで月光が弾けるとは到底思えない。背筋を伸ばした姿勢の良さ。そして打鍵の強さ。本格的な基礎訓練を受けた人のものだった。驚いたのは十年ちょっとのち。店に行くと、またほんの少しだけマスターの彼がピアノを弾いてくれたのだが、音が格段に「まろやか」になっていた。熟成された音といってもいい。ピアノを替えたのかと思うぐらい。十年弾いてりゃうまくなるでしょ、などと言うのは簡単だが、それはある程度の年齢を超えてからでは、容易なことではない。音楽に関しては、その現実はさらにシビアだ。楽器を弾くというのは、スポーツに似ていて、技術的なピークはかなり若い頃に来る。その時期をはるかに逸したあとになって、技術を向上させるなど、並大抵のことではない。そして、相変わらずの姿勢の良さ。どうやって腹筋・背筋を鍛えているのだろう――と思ったら、高校時代に打ち込んでいたバスケットの、シュート練習を今もほぼ週一回、公園で一人続けているらしい。そして――クラスメートだった彼が、病気になった。胃がん。手術、抗がん剤。それぞれの治療の先には、常に良いシナリオと悪いシナリオがあるが、彼の場合は、ことごとく悪いほうに流れていった。闘病が続く中、東京にいた彼は、九州に居を移した。その狭間の短い間、偶然、彼は私の家の近くに住んでいて、田舎の親類にもらった里芋が多すぎて、おすそ分けに持って行ったことがある。里芋を玄関先で渡し、階段をおり、停めておいた自転車にまたがって帰り道をこぎ始めた私に、彼がふいに、「また、ゆっくり」と声をかけてくれた。私は振り返って、彼に軽く手をあげて応えた。彼がそんなに律儀に、こちらの帰路を見守ってくれてるとは思っていなかったから、驚いた。「また」はあるだろうか? 正直に言ってしまうと、「ないかもしれない」と思った。彼が九州に引っ越すことは決まっていた。戸口に立つ彼は元気そうだったが、がんというのは、いよいよの末期となるまで、案外元気でいられるものだ。彼はブログで自らの病状について詳しく綴っていて、「転移」「腹膜播種」の文字は、父をがんで失った経験のある私には……彼が九州に行ったあとも、私はマスターの店に行った。東京在住の同窓生たちに会うために。頻繁にではない。だからこそ、行くたびに思うのは、駅からの道、あまりに多くの店がなくなり、新しい店ができていること。一瞬、道を間違えてしまったかと思うほど。それでもしばらく行けば、見慣れた彼の店がある。「ここは何年? 長いよね」――ひとつの店、ひとつの仕事。それをやり続ける困難さを知る人だけが、彼のことを褒める。九州に行った彼の病状がいよいよ差し迫ってきた頃、マスターの彼が、どうやらCDデビューをするらしいという話を知った。マスターの彼はピアノも弾くが、自分で作詞・作曲もする。てっきり、シンガーソングライターとしてデビューするのかと思っていたら、そうではなかった。彼はとっくに、適材適所の才能を自分の周囲に見つけ、関係を築いていたのだ。マスターの彼もブログを書いている。CDデビューに向けて、また日々の仕事でエネルギッシュに動き回っている。病気の彼もブログを書き続けている。東洋的な諦念と、そうしたものに抗うべきとする西洋的な意志の向こうに、どうにもならない終焉が迫ってくる。冬のある日、マスターの彼は、多忙を縫って、そして迷った末、九州の彼を見舞ったという。彼が亡くなったと知らせがきたのは、それから1か月もたたないうちだった。<続く>
2019.02.01
Mizumizuは現在、ペッパーミルはプジョー製、ソルトミルはコール&メイソン製を使っている。ソルトミルのほうはもうずいぶん長く――おそらく15年以上は――同じものを使っている。毎日使うほどではないが、といってほったらかしということもなく、常に食卓の上にあり、切れることなくピンクソルトが入っていて、しばしば使うという感じ。ペッパーミルのほうは、ソルトミルより少し早く、ウサギ形のものを買った(メーカー名は失念)が、数年で壊れてしまい、次におしゃれっぽい小物を売っている店で、1000円ちょっとの安いものを買ったが、それもすぐに胡椒の詰まりがひどくなり使えなくなってしまった。そこで、質に定評のあるプジョー製に替えたら、それ以来ずっとトラブルなく快適に使えている。コール&メイソン製のソルトミルはオーストリアのバートイシュルの岩塩専門店でピンクの岩塩を買ったときに、それ用ということで買ったもの。話が逸れるが、ここで買ったピンク岩塩は、日本でよく売っているヒマラヤのピンク岩塩なんて及びもしないほど美味だった。塩の味の中に不思議な甘みがあり、まろやかな味。記憶の中で美化されている部分もあるとはいえ、その後、あの味を越える塩にはお目にかかれていない。で、ミルに話を戻すと、壊れないのでずっと使い続けていたのだが、先日、ピンク岩塩が切れて、たまたま気まぐれでクリスマス島のクリスタル結晶の塩を買ってみた。何の気なしにソルトミルに入れると…あれ? 削れない。なんだか滑ってしまっているようだ。調べてみると、ソルトミルは厳密には岩塩用と海塩でギア(刃)の作りが違うようだ。それはそうかもしれない。だが、Mizumizu所有のは刃はセラミック。セラミックなら海塩でも大丈夫な気がする。ま、もし海塩が原因で削れないのなら、岩塩にすればいいだけだ。というわけで、いつものピンク岩塩を買って入れてみた。が、結果は同じだった。滑ってしまっているようで、削れない。「ソルトミル 削れない」で検索してみたが、たいした妙案はなかった。塩を全部出して、構造をじっくり見る。バラすことはできないが、中にバネが入っていて、頭部のツマミを閉めるとその圧力で、上下になっている下のほうのギアが移動し、噛み合わされて削るというシンプルなものだ。下のギアの部分を見ると、だいぶ塩がついている。単純に、これで削れなくなっているように見える。だったら、水洗いして、しっかり乾かせばよいだけの話ではないか?バラせないから乾燥させるのがちょい難しいかな、とは思ったが、もし水洗い→乾燥で直らなかったら、それは壊れたということだし、コール&メイソンはギアを交換してくれるという話もあるので、聞いてみてもいい。というワケでお湯を勢いよく流し、そのあと少しお湯につけてセラミックのギア部についた塩を除去してみた。これが洗浄後。こびりついていた塩はきれいに取れた。そして、内部の乾燥には、コレ↓ダイソンのヘアドライヤー! コイツがすんばらしい働きをしてくれた。このドライヤーは、元来のドライヤーとしても、心からおススメできる。あっという間に髪が乾いて、しかもふんわりとボリュームが出る。値段は飛び切りだが、実にGOODなドライヤー。コイツをコール&メイソンのソルトミルの開口部に近づけて、中の水滴を次々と飛ばしていった。ドライヤーだけでほぼ乾いたといえるぐらいになったが、それでも念のため、数日放置して自然乾燥。で、ピンク岩塩を再度入れたら…おー! ちゃんと削れる。新品に戻ったようだ(って、新品時代のことは実はもうよく憶えてないのだが)。これでまた使える。めでたし、めでたし。こんなことなら、もっと早く、というか、もっとマメに水洗いするべきだった。コール&メイソンのセラミック・ギアは、実に秀逸なのだなあ…と改めて感心した。クリスマス島の海塩が削れるかどうかは、実はまだ試していない。大丈夫な気がするが、万が一、せっかく直ったミルなのに、海塩が原因で削れなくなってもイヤなので、海塩用のソルトミルをもっとしっかり調べてから、ピンク岩塩が終わったあとにこのミルに海塩を入れて使うか、あるいは別に海塩用のミルを買って、同時に違う塩を楽しむのもいいかな、とも考えている。もちろん、次に買うのも、定評あるミルメーカーのものにするつもり。
2019.01.26
中指の腱鞘炎、先のエントリーを見たら9月の半ば。そのときは、「順調に回復」と書いていたが、案外その後、良くなったり、戻ったりを繰り返した。通院でのリハビリは週2~3回を10月アタマまで。そのあとも20日ぐらい漢方を続け、あとは様子見。様子見段階に入ると、もう自分でのストレッチは面倒で省略しはじめていた。「喉元過ぎれば…」の典型である。11月に入っても、手をグーパーすると中指が微妙にうまく曲がらない状態が続いたが、それも徐々に気にならなくなってきた。8月23日に「ピキーン」がきて、今日が11月23日。やっと「完治」かな、という状態にまで戻った、と思う。右手首の状態はもう長いことイマイチなままだが、とりあえず中指腱鞘炎は完治かな、と。中指は腱鞘炎としては軽度だと理学療法士からも言われたが、結局違和感なく日常の作業ができるまで3か月もかかったじゃん。ヤレヤレ案外、長かった。というわけで、ほったらかしだったブログを再開します。フィギュアネタを待っている人が多いのは承知なのだが、とりあえずは書くつもりでほったらかしだった、「素晴らしき、くじゅう」から。しかし、今度は左手の中指の第一関節と第二関節の間に痛みを感じるんですが(-_-;)。
2018.11.23
ドケルバンの時にひどい目にあった腱鞘炎。今回の中指はひどくしたくないと早めに評判の良い整形外科に。結果は、「良好」。有名スポーツ選手も通ってくるという、元読売巨人軍のチームドクターだった整形外科医が経営するクリニックなのだが、理学療法士が非常に優秀。1か月のリハビリ計画をたて、週2~3回来てくれというので、まじめに週3回通っている。リハビリルームは、いつも物凄い患者数。理学療法士も多数いて、フル回転。高齢者も多いが、スポーツ選手らしい若者もまた非常に多い。超音波をあてたあと(もしくはあてる前に)理学療法士による施術があり、これが非常にキク。さらに症状に合わせたストレッチ指導があり、これを自宅で実践。氷水を使ったアイシングだけが、ちょい面倒で(20分冷やすというのがね)、ときどきサボるが、ストレッチはきっちり言われたとおりにやっている。そしたら、わずかな期間で手首の可動域も広がり、状態も上向いてきた。今は朝、指の少しのこわばり、もしくは多少のピキッが数回…で、日中はあまり気にならないぐらいになっている。だが、ここが肝心と良くなったからといって通院をやめてしまわないように、とりあえず1か月はしっかり行くつもり。整形外科医に漢方のことを聞いたら、「ぼくは漢方を知らない医者なんです」と、潔い。なので、漢方に詳しいかかりつけ医に相談して。2種漢方薬を処方してもらった。かなり万全の態勢。「ステロイド注射は腱が弱くなるので、注射うつなら手術してしまったほうがいい」というのが、ここのドクターの見解。でもねー、手術もそのあと案外大変だから、このまま予防できればそれにこしたことはない。もう「ほっといて治る」年齢ではないという、経験からくる自覚もある。自分の体のケアにやたらお金がかかる。仕方ないことかな。
2018.09.13
2018年8月23日朝――目覚めたとき、右手中指の「異変」に気づいた。中指だけ、変に折れ曲がったまま硬直している。動かそうとしても、にわかにはできず。意識を集中させたら、ピキーンと指がはねた。ばね指、キターーー前回、手首の腱鞘炎を、自然治癒を目指そうと初期段階で放置して、ひどい目にあったので、今回ははやめに評判がよいという整形外科へ。診断は腱鞘炎。理学療法士にストレッチの方法など教えてもらい、週に1-2回、1か月のリハビリでこれ以上悪くしないうちの治癒を目指すことに。というわけで、ブログはぼちぼち。ペースダウンします。経皮鎮痛消炎剤をまじめに塗り、ストレッチ、アイシングもまめにやるつもり。
2018.08.24
手数料無料を武器にメルカリを追撃する…ハズだったラクマ(旧フリル)だが、2018年6月から手数料が3.5%と有料化することが発表された。メルカリの10%よりは安いが、専用の送料が高い、楽天銀行で売り上げ1万以上でないと振込手数料がMUSTなど、細かい部分で出品者にとってはメルカリより使い勝手が悪いラクマ。アプリのダウンロード数も増えて、メルカリと並び立つ存在になるのかな…と思ったとたんに、コレ。やはり手数料無料では、ビジネスとしてやっていけなかったということだろうか。だが、ラクマを(やや)応援したかった立場から言うと、もうちょっと我慢してユーザーを増やしてからにしてほしかったと思う。これじゃ、ヤフオクに対抗しようとして、結局はひっそり消えていった楽天オークションの二の舞になりそうだ。
2018.05.16
先のエントリーで、「フリル」より「メルカリ」のほうが早く売れたので、フリルを使わなくなった…というエピソードを書いたが、「新ラクマ」になって何がどれほどどう変わったか知りたくて、新ラクマに出品をしてみた。メルカリに出しているのと同じモノで、クリックポストで送ることのできるモノを、販売手数料がない分だけメルカリより値段を下げて出したところ…メルカリでは、「ちょい高め」だったせいで、「いいね!」はつくが全く売れずに何か月も残っていたものが、数日で新ラクマで売れたのだ。値段を下げたといっても、数百円なのだが(苦笑)。ちなみに、この場合の「いいね!」とは、購入検討者がつけるブックマークのような役割を果たす。新ラクマでは「購入申請」という機能があるので、出品者はそれを選択しておけば、買いたいと言ってきた人の評価を事前に見ることができ、また、この機能で実際の決済までワンステップおくことで、その他のフリーマーケットに同じモノを出品していても、万が一の「同時購入・決済」を避けることができる。今回、この「購入申請」を利用したが役立つ機能だと思った。中には札付きのクレーマー(実際には転売目的。難癖をつけて値段を下げさせたいのだ)の購入者もいるから、あまり「悪い」の評価が多い購入希望者で不安を覚えるなら、取引を拒否することもできる。これはメルカリにはない機能だ。新ラクマでの次の問題は、売上金の振込手数料。通常は金額にかかわらず210円の振込手数料がかかるのだが、2017年12月以降、楽天銀行あてに振り込み、かつ1万円以上なら振込手数料がタダということになった。メルカリは1万以上なら、どこに振り込んでも振込手数料はタダなのだが、売上金を「貯めておける期間」がこれまでの1年から3か月に短縮されてしまった。つまり3か月内に売上金が1万に満たない場合は、210円の振込手数料を払って振り込んでもらうか、あるいはメルカリ内での購入に充てられる売上金をポイントに交換して(この手数料はタダ)、何かを買うしかない。このポイントなら使用できる期間は1年。新ラクマの場合は、売上金を「貯めておける期間」が1年とメルカリより長く、断然有利だ。売上金を新ラクマ内の購入に充てる場合でも、ポイントに変換するなどの面倒なワンステップはなく、売上金をそのまま購入に充てることができる。いつの間にか、新ラクマのほうが出品者にとって良くなってるじゃないですか!ただ、最後に残った問題がある。それは、送料。メルカリも新ラクマも、日本郵便とヤマト運輸を使った「メルカリ便」「ラクマパック」という、送料が通常より少し安くなるサービス(これを使えるのはスマホのみ)を設定しているのだが、同じサイズならメルカリ便のが安い。小口の場合…ヤマトの宅急便コンパクトだと、メルカリのほうが、150円安い。60サイズの宅急便なら、200円安い(メルカリ600円、ラクマ800円)。厚みのあるワレモノだとこういったサービスを利用したほうが安心なのだが、たとえばカップ&ソーサー1つとか、小さな物品の売買だと、150円、200円という差は案外大きい。つまり… 1000円ちょっとで売るような厚みのあるワレモノを、ラクマで売ったら、送料だけで800円もかかるから、まったく売る意味はなくなってしまう。といって送料分値段を上げれば、買い手のほうが遠慮する。メルカリだったら、販売手数料10%といっても、1000円なら100円。その分送料が安くなれば、まあ「捨てるのももったいないし、使ってくれる人がいるなら」という考えで売る価値はある…かもしれない。どちらにしろ、数百円の話ではあるが(笑)。もう少し高めに売れるものなら、新ラクマで売ったほうが良さそうだ。しかし、新ラクマで楽天銀行に振り込んでもらっても、楽天銀行の口座に10万以上残高があって、かつ「ハッピープログラム」とかいう、ユーザーにとってはクリックする手間やそのあと送られてくるであろうウザい勧誘メールを考えると、全然ハッピーでもなんでもないプログラムにエントリーしないと、ATMで現金を引き出すときに手数料がかかるのだ。楽天銀行に10万以上おいておいて、ハッピープログラムにエントリーすれば、やっと月に1回だけ出金手数料がタダになる。わずかな残高しか持たない人に対する出金手数料は、216円~270円。https://www.rakuten-bank.co.jp/charge/atm.htmlつまり、新ラクマは販売手数料ゼロとはいっても、そのあとに「楽天銀行振込で、かつ売上金1万円以上でないと」かかってくる振込手数料(210円)があり、1万以上売上金を貯めて楽天銀行に振り込んでもらっても、口座10万以上残高がないと、出金手数料(216円~270円)が待ち受けているということ。わずかなようだが、200円というのは、メルカリでは2000円のものを売った時にかかる販売手数料。現実にはこまごましたものを売る人が多いから、それなら売りやすいメルカリで売って、1万貯めるなり、210円の振込手数料は割り切って現金化するなり、売上金をポイントに変えて別のモノを買うなりしたほうがいいと考える人も多いかもしれない。だが、今回のMizumizuのようにメルカリから引っ越しを始めているユーザーも増えているようだ。新ラクマで、「販売手数料無料」のキラキラ文句の裏で待ち受けている、こまごま手数料をすり抜けるには、楽天銀行に口座をもち、キャッシュカードを作り、楽天銀行に10万いれておく、ということだろうか。楽天市場のユーザーにとってはそれほど面倒ではないと思うが、楽天市場ユーザーでなければ、わざわざ新ラクマのこまごま手数料のすり抜けのために、楽天銀行に口座まで持つのは面倒だろう。新ラクマのアプリダウンロードと登録ならメルカリと同じなので簡単だから、当面は、少し高めに売れそうなものをメルカリだけでなく新ラクマでも出品してみる、というメルカリ&「購入申請」を活用した新ラクマの併用なら、お奨めできるかな、と思う。購入希望者も、欲しいものがあったらメルカリだけでなく、新ラクマで検索してみるといい。まだ品数はメルカリのほうが圧倒的だが、旧フリルの時代よりは出品数は増えている。案外、同じものがメルカリより安く出ているかもしれない。
2018.05.09
購入者としてのメルカリユーザーは、買う前に出品者の「評価」をチェックする。品物を買った人が、受け取った時に「受取評価」をする仕組みで、これで出品者の姿勢がかなり分かる。メルカリは基本、受取評価は「良い」にマークが入っていて、わざわざ「普通」や「悪い」の評価にはしにくいようになっている。「良い」の数を見て多ければ信頼のおける出品者だと思うし、「普通」や「悪い」の評価でも、どこがどう「普通」なのか「悪い」のか、買い手のコメントを読めば、それが妥当な評価なのか、ある種の悪意を持った評価なのかも分かる。「悪い」の評価は、大雑把に言うと2つの原因に大きく分けられる。1つは、梱包のずさんさ。もう1つは品物の(出品側の)過大評価。「目立った傷や汚れなし」と言いながら、受け取ったら案外汚れていたとか、「新品」と言いながら、明らかに古いものだったり。買い手としてのMizumizuは、当然「悪い」の評価が多い出品者は避ける。そのせいか、買い手の立場で、これまでに大きなトラブルはない。強いて言えば、写真ほど現物は良くはなかった、という程度のことだが、これは通販でモノを買う場合は、ありがちなことなので、文句をつけるほどのことではない。逆に、あまりに丁寧に梱包しすぎていて、「ここまでやらんでも…」と思うことのほうが多い。品物も、過大な期待をしていないせいか、値段から考えれば満足いくものがほとんど。みな、律儀だなぁと思う。それはそのまま一般的な日本人の民度の高さを反映しているかもしれない。ただ、いろいろな出品者に対する評価とそのコメントを見ていると、確かにずさんな出品者や詐欺まがいの出品者もいるようでは、ある。「品物が割れていた。もっとしっかり梱包してほしい」とか、「(ブランドの)正規品と言われたが、違った」とか。最近、報道で聞くことが多い、「盗品をメルカリで売りさばいていた」という話も、「あるだろうな」とは思う。不用品を売る場合は、自分が過去に買ったものなら、原価はゼロではない。時間が経てば劣化するからさらに価値は下がる。だから、自分で買ったものを処分するのは、あくまで「処分」であって儲からないが、盗んだものなら、ピカピカの新品だ。安く売っても、原価がタダだから、丸儲け。本来なら事務局がもっと目を光らせるべきなのだろうが、基本的にメルカリは「個人の自由に丸投げ」体質で、こうした反社会的行為に対しても感度が低いようだ。メルカリという自由度の高い巨大マーケットの出現が、万引きを助長する側面は、確かにあるだろうと思う。だが、あくまで普通に使っているユーザーとしての感想を言えば、ちゃんとしてる人が多いな、ということだ。購入すれば律儀にお礼コメント、メッセージを書けば律儀な返信、受け取ってみれば律儀な梱包。「悪い」評価をもらわないように、みなそれなりに気を使っている感じだ。ネットオークションもそうだが、あまり自分が詳しくないモノには手を出さないほうがいい。その原則を守って買っている限りは便利なマーケットだ。「民度が低すぎる」「盗品があふれている」といった過剰にネガティブな決めつけ意見は、利益が絡む――つまり、メルカリの成長で迷惑をこうむる業者が絡む、キャンペーンかもしれない。もちろん、個人の率直な意見かもしれないが、ネット上での他人の意見は、常に話半分で聞いたほうがいい。別にメルカリ利用を勧める気はないが、それほど信用のおけない人ばかりではない、ということだ。そうでなければ7000万人もダウンロードしないだろう。売り手への信頼感が醸成されなければCtoCマーケットは成り立たないし、大きくもならない。むしろメルカリの成長は、一般の日本人の民度の「高さ」に支えられている、というのがMizumizuの意見だ。
2018.05.04
メルカリのテレビCMで印象的な、「売れたものの半数以上は24時間以内に売れている」「言い値で売れる」。舌を巻くほど、実にうまい宣伝文句だ。まず「24時間以内に売れている」のインパクト。聞いてる方は、「出品したら、半数以上は24時間に売れる」と勘違いしやすい。だが、メルカリはあくまで「売れたものの半数以上」と言ってるだけ。実際には多くの品が売れずに残っているのだ。「言い値で売れる」と聞けば、「言い値で売れるから儲かる」というふうに連想しやすい。だが、実際には「言い値で出品できる」というだけで、おのずと相場というものはあり、総じてメルカリの相場は安い。言い値で出品したが、まったく売れずに仕方なく値段を下げて買い手がついたり、あるいは言い値で出品したところ、「お値引きできますか?」とコメントで値下げを求められ、結局売るために値段を下げているという品も多い。実際にメルカリで販売してみた経験から言うと、「売れたものの半数以上は24時間以内に売れている」「言い値で売れる」のキャッチコピーの裏にある実態は、「売れるものはすぐ売れるが、売れないものはまったく売れない」「言い値は、高値ではなく、むしろ自発的な安値でなければダメ」ということだ。もっと端的に結論を言えば、「メルカリでは、メルカリで売れ筋の品を安値で出せば、売れる」。つまり、売れるモノは決まっており、それが安ければ売れるが、高ければ売れない、ということなのだ。安くするとどうなるか? これは単純なビジネスの方程式だ。安く売れば儲からない。薄利なら多売にしなければならないが、いち個人が多売なんて、できない。だから、決して儲からない。メルカリで儲けた、みたいなネット上の記事や手記は真に受けないほうがいい。「売れる」と「儲かる」は違うのだ。メルカリでの売れ筋は、ネットにいろいろ情報があるから、すぐ分かる。代表的なものは、買ってから年数の経ってない電化製品。あとは安く設定した有名ブランド物。逆に売れないものは、おそらくは多くの人が売れたらいいな、と思っている古い服。もとがいくら高くても古い服は、まず売れない。Mizumizuの場合も、中古の電化製品は、過去に同じ品がいくらぐらいで売れているのかメルカリの中で検索し、それより少し安い値段設定にしたら、確かにすぐ売れた。ハッキリは覚えていないが、確かに24時間以内だったかもしれない。買い手のほうは、「検索条件を保存」すれば、その条件に合致したモノが出品されれば連絡が来るようになっている。日頃から「こういうモノが欲しい」と張ってる人は相場感もあるから、値段を見てお手頃だと思えば、すぐに買ってくれる。だが、ちょっと高め(ほんの数百円でも)に値段設定すると、ガタンと売れない。もしくは、「お値引き可能ですか?」のコメントが入る。このお値引きおねだりコメントが「うざい」と言って、メルカリでの取引が面倒になり、辞めてしまう人も多いようだ。あるいは、買う前にあれこれ細かいことを質問してきて、あげく「検討します」と言って、いなくなる人も多い。こうしたやりとりは、売り手にとっては非常に面倒だ。手数料や売り手負担の送料を除けば、手元に残るお金は数百円、なんていう取引だったら、なおさらだろう。しばらくメルカリを続けていると、なんとなく、この手の面倒な質問を避ける方法が分かってきた。どんな質問が来るか、だんだん分かってくるから、最初から説明文に質問されそうなことをすべて書いておくのだ。買い手側の立場に立って、知りたい内容を網羅しておく。お値引きおねだりコメントを避けるのは簡単。「お値引き不可」と書いておけばいいだけだ。つまり、「この値段で売れないなら、もう売らない」と割り切ること。買い手は、発送する側の梱包作業のわずらわしさなんてのは、あくまで他人のやることなので、口先以外では、たいして配慮もしない。欲しいモノを、できれば少しでも安く手に入れたいというのがホンネだ。その希望に沿っていたら、結局、作業に見合わない金額しか入ってこないことになり、それなら、もういっそ捨てるか、近所のリサイクルショップに持って行ったほうが簡単だ、ということになる。実際、ユーザーの声で、「メルカリに儲けさせるために、一所懸命、写真を撮ったり、アピール文を書いたり、梱包したり、発送したり――作業のわりに私の儲けは少なくて、バカバカしくなりました」というのがあった。だいたい、これがメルカリ販売を始めた人間の行きつく結論だと思う。メルカリ側からしたら、辞める人間が多くても、それ以上に始める人間が多ければそれでいいのだ。売り手の儲けが少なくても、メルカリ側には確実に手数料が入るから、それがたとえ少額の取引でも日本中でやってくれれば、その分儲かるから、「アプリのダウンロード数 〇〇!」「1日の出店数 ◆◆◆!」「総販売額 □□円!」と、自分たちにとって都合のよい数字だけを出してくる。例えば、1日当たりの総出品数に対する売上数のパーセンテージなんてのは、出さない。出てくるのは「売れたものの半数以上は24時間以内に売れている」というキラキラ文句だけ。Mizumizuは、基本「自分ではもう使わない(使わなくてもいい)けれども、状態の良いモノ」を出すようにしている。ちょっと質的にイマイチだと思ったら、必ず説明文にそれを書いておく。すると、やはり少し難あり商品には買い手はつかず、ずっと残っている。「売ってもいいけど、手元に置いておいてもいい」と思ったら、少しメルカリ内の相場より高く出す。すると、売れ筋のモノなら、買い手がブックマーク的につける「いいね!」はつくのだが、やはり売れない。みんなよく知っているな、と思う。買い手の立場になれば、誰だって相場を調べたり(ネットなら簡単だ)、状態を吟味したりする。ところが、売り手の側になると、不思議とそれを忘れてしまう人が多い。「売れる」のは、「儲かる」のとは違う。この当たり前のことを、メルカリでモノを売ってみると再確認できる。頂き物なら安めに出しても、原価ゼロだから、確かにリサイクルショップに持っていくよりはいいかもしれない。道義的な後ろめたさを感じないならば、だが。だが、自分で買ったものなら、もとの原価をはるかに下回る値段で手ばなすより、やはり愛着を持って自分で使ったほうがいい。これが、CtoCの売り手の立場で得た、Mizumizuの結論だ。
2018.05.01
楽天ブログを続けていることからもお察しいただけると思うが、Mizumizuは楽天ユーザーだ。だが、このごろめっきり楽天で買い物をする回数が減っている。昔、楽天をよく利用していたころに書いた楽天のメリットは、「ポイントの使い勝手の良さ」だった。そのメリットが時間とともに薄れてきたのが、楽天で買い物をしなくなった最大の理由だ。他社も楽天に負けないくらい「使い勝手の良い」ポイント制度を作ってきている。それと、楽天で買うのがさほど「安くない」ことも大きい。値段だけだったらたいていアマゾンで買う方が安い。店舗販売もさすがに、ネット通販の価格付けを学んできているから、以前のような価格差がなくなってきた。ネット上にモールを作り、ポイントで顧客を囲い込み、成長してきた「BtoCにおける楽天モデル」はここにきて、かなり行き詰っている感がある。そして時代はCtoCという新たな潮流ができている。楽天のCtoC戦略の柱になるアプリが「ラクマ」だろう。「販売手数料無料」を大々的にアピールし、先行するメルカリを追撃する…ハズだったが、現実には、あまりうまくいっているとは思えない。Mizumizuも一年弱前からCtoCに足を踏み入れた。始めようかと思ったきっかけは、買って1年もたたないうちに不要になってしまった電化製品を処分する必要に迫られたからだ。リサイクルショップに持っていっても二束三文だし、「もしかして、そのうちにまた使うかな」といったんはロフトに上げたものの、こういうことをすると、ロフトにおきっぱなしのまま、何年も経ってしまい、結局は捨てるハメになるのが、ほぼ見えている。「いつかは…」と思ってしまいこんだものの、そのいつかが全然訪れずに不用品が溜まっていく一方。だったら、「買って1年もたたない」うちに、少しでも高く売ったほうがいい。そう割り切ってダウンロードしたアプリが「メルカリ」と「フリル(現在はラクマに統合)」だった。フリルは当時から販売手数料なし、メルカリは販売手数料10%。結果は…メルカリのほうが早く売れたのだ。そこでもう1つ出してみた。同じくメルカリとフリルに。結果は…また同じだった。メルカリのほうが早く売れた。昨今テレビCMでさかんに「売れたものの半分以上は24時間以内に売れている」と宣伝しているメルカリだが、そこまで早くは売れなかった。で、少しずつ、Mizumizuにとってはもう不要だが、まだ十分使えるものをヒマヒマに出すようになった。メルカリだけに。なせフリルに出すのをやめたのか? まぁ、単純な話、2か所に同じものを出品するのが面倒だったからだ。出品の手間そのものは同じことをするだけなので、それほど面倒ではないが、一方で売れたらすぐに一方を販売停止にしないといけないし、売れたほうの発送の準備などもある。そういう手間まで考えると面倒だし、メルカリのほうが早く売れると分かってるから、フリルに出さなくなったという単純な話だ。で、メルカリで出品し始めると、メルカリ独自の送料の設定なども分かってくるし、メルカリのほうが出品数が圧倒的なので、CtoC市場でのモノの「相場」も調べやすい。、送料の設定は微妙に違い、フリルもメルカリも大差ないといえば大差ないのだが、安いモノを売った場合はメルカリのほうが若干送料は安く済む(今のラクマの設定している送料は、知らない)。1年弱の時間が流れて、フリルはラクマに統合され、今は売上申請までの期間や1万以下の場合の手数料などを考えても、出品する側にとってはメルカリと比べて、むしろ有利に思えるから、メルカリをやめてラクマに引っ越そうかな、と思わないでもない。思わないでもないのだが、やらない理由は?これまた単純な話、出品数(つまりユーザー)の少なさだ。出品数が少ないから、欲しいと思ったものも、あまりない。たとえばだが、「シーアイランドコットン」の「バスタオル」が欲しいと思って(だいたいタオル類は、いただきものを安く出品している人が多いので、高品質なタオルは、買い手にとってはねらい目商品の1つだ)、検索してみる。メルカリだと何点かヒットしてくる。ラクマだとゼロ。つまり、メルカリは人が多いから、さらに人が集まり、ラクマは人が少ないから、人が集まりにくい、というだけの差。「だけの」だが、この差が案外大きく、なかなか埋まらない。いったんメルカリに慣れたら、「販売手数料10%」の違いだけだと、なかなかラクマに引っ越そうとは思わないのだ。もともと何万もするようなものは、よっぽど、例えば20万のブランド品を2万で出すとか、そのくらい買い手に有利でなければ売れないのだ。ラクマは高額商品を出してもらいたいのだろうが、CtoCをやるようなマメなユーザー(買い手とのやりとり、梱包などは、ハッキリいってかなり面倒だ)は、もともとちょこちょこしたモノでも、売れればいいな、ぐらいの庶民が多いし、使うほうも個人売買であまり高額なものは買いたくないから、数百円とか数千円レベルの取引が多いのだ。ラクマ側は「メルカリより有利にしてやってるぜ」と思っているかもしれない。「販売手数料ゼロ」は思い切った戦略だと思っているかもしれない。だが、売り手にとっては「早く売れるほうがいい」し、買い手にとっては「たくさん選択肢があるほうがいい」。メルカリを本気で「追撃」するつもりなら、もっと思い切ったやり方で人を集めなければダメだ。ラクマの使い方を見ても、結構細かい決まりが多く(たとえば売上金を使っての購入に制限があるなど)、読んでると面倒でやる気がなえてしまう。いったん人が集まって囲い込みができれば、多少システムの、ユーザーにとっての「改悪」があっても、人は逃げない。メルカリを使ってはいるが、メルカリに満足しているかというと、実はMizumizuはそうでもない。ユーザー同士の自由な取引に任せっぱなしで、メルカリ事務局に問い合わせをしても返事がなかなか来ないとか、厚さが5センチ以上あるようなワレモノをメルカリ便で送ろうと思っても、実は1000円以上の値付けでないとダメで、それはこっそりQAの分かりにくいところに書いてあり、知らないまま売ってしまうと、最後の土壇場、発送の段階にならないと気付かないとか、不親切な落とし穴も多い。企業体として見ても、送料にまで買い手任せで手数料10%を取り(送料を買い手持ちにしたら売れ行きがガタンと落ちるので、買い手が売値に含めて出品せざるを得なくなる)、面倒な梱包も、「(買い手からの評価が落ちるので)丁寧に梱包しましょう」などと売り手を「教育」し、自分たちは、やれアメリカ進出だの、上場するのしないのと、大風呂敷を広げている株式会社メルカリよりも、これまでの実績とユーザーとしての経験から楽天株式会社のほうが、まだ信頼できる。ラクマの販売手数料0円は魅力的だし、もっと人が集まればメルカリから引っ越したいな、と思っている潜在的なユーザーは多いはず。思ってはいても、Mizumizuのように、検索してヒットしてくる数に少なさに、「こりゃ引っ越しても売れないな、ダメだ」と様子見しているユーザーも。楽天にはもうちょっと踏ん張って、頑張ってほしいところ。
2018.04.21
しばらく山口県の実家に帰省していた。その折に起こった事件(?)。まずMizumizu母が夜道で転倒して、顔面流血・膝強打の憂き目に遭う。しばらくはケガのケアに気を取られていたのだが、ふと、その時に着ていたトクコ・プルミエヴォルのワンピースをクリーニングに出していないことに気づいた。Mizumizu母によると、「だいぶ血が出た」らしい。衣類についた血は自分でふき取ったとのことで、地色が黒のワンピースは、確かにぱっと見には血がついているようには見えないが、こういうシミは後から目立ってくるものだ。しかも、このトクコ・プルミエヴォルは大胆な花柄モチーフの、カラフルな刺繍がふんだんに施された非常に手の込んだもので、当然お値段もそれなりのものだった。どこにクリーニングに出そう? まずは、Mizumizu母がよく行くスーパーの横にあるチェーン店のクリーニング店に持って行った。シミの話をすると、シミ抜きは範囲によって値段が違うと言われ、黒地なので範囲を特定するのも難しく、いかにも取りつぎだけの事務的な対応に不安を覚えた。そこで、Mizumizu母の友人が「他の安いクリーニング店では取れないシミも取ってくれる良いクリーニング店」と紹介してくれた、家族経営の小さなクリーニング店に持って行った。その店は、桜並木のきれいな川沿いにあり、古い木造家屋。いかにも昔からやってる個人のクリーニング店で、おばあさんが受付してくれた。シミについても、「ここらへんに血がついてしまって」と説明すると、慣れた風情で快く引き受けてくれる。ちょうど別のお客さんが入ってきて、チラと見るとディオールのタグのついた洋服を預けている。やはり、高級な洋服を持ってくる人が多いんだな、と安心してお任せした。のだが…のだが!出来上がり予定日の翌日に取りに行き、自宅でビニール袋を取って気づいた。「変な臭いがする!」なんというか、生乾きの雑巾というか、カビ臭というか、はたまた浮浪者臭というか? とにかく、恐るべきいや~な臭いだ。さっそく電話すると、受付してくれたおばあさんが出て、「はぁ? うち、そんなこと言われたことないんですが!」と、打って変わった不機嫌な口調。そのあからさまに敵対的な口調に、やや怪しいものを感じる。だって、長年商売やってて、まったく、全然、誰からもその手のクレームをつけられたことがない、なんてあり得るだろうか? Mizumizu自身も、1回だけだが、この手の個人クリーニング店にスカートを出して、この手のいやーな臭いがついて戻ってきたことがある。ともかく、「そんなこと言われたことない」と言われても、変な臭いがついてしまったのは事実だ。なので、さっそく店に持っていくことにした。店に着くとおばあさんはいなくて、その娘とおぼしき女性がいた。クレームは承知していたようで、ワンピースに顔をくっつけ、さかんに嗅いで、しれっと言った言葉が、「私には臭わない」。誰が嗅いだって分かる悪臭を、臭わないと主張する根性も、たいがいだ。「うちでは誰が嗅いでも臭いと言いますが」と、こっちも主張。そうすると、変に脇の下のあたりを嗅ぎまわり、「これ… 体臭?」と言い出した。そして、「体臭はドライクリーニングでは落ちませんから」ときた。確かに体臭のようにも感じるが、Mizumizu母は、ただでさえ体臭の少ない体質なのだ。自分たちでくっつけてきたくせに、まるで最初からこちらの体臭がついていた服だと言わんばかり。脇の下をさかんに嗅いでるが、実際に臭いのは服全体。「体臭のような臭いを取るには、いったん水に落として洗わないといけない」などと説明し始める。水に落とすとカラフルな刺繍の色落ちも心配だし、そもそも服のタグに、「ドライクリーニングは水分を極力避け、できるだけ短時間でお願いします」とわざわざ注意書きが書いてあるほど繊細なつくりのワンピースなのだ。「どうしても気になるなら、ファブリーズをかけて、風通しのよいところにおいておくといいですよ」などとも言い出す。いやしくもプロのクリーニング屋がファブリーズを奨めてるところで、「ダメだ、こりゃ」と見切りをつけた。この状態の服にファブリーズなんてかけたら、もっとマズいことになる。「ファブリーズ的な消臭剤を使ってクリーニングする店もあるけど、うちではやってない」と、あくまで対応する気はゼロ。消臭剤を十把一絡げに「ファブリーズ的」とか言っちゃってる時点で、もう、ね。こちらが、「ついてた血はきれいに落としていただいたと思うんですけれども」と言うと、「だいぶついてましたよね」などと、分かったようなことを言う。つまりアナタ、クリーニング作業にかかわったということか? なら、この異臭の原因だって心当たりがあるんじゃないんですか? 乾燥時に失敗したか、イヤな臭いの他の服と一緒にしていたか、何か原因があるはずだ。だが、この上っ面な口調のおねーちゃんが、素直にミスを認めたり、原因を予想したりはしないだろう。対応していたおばあさんも出てこないし、家族経営の小さな店にこれ以上クレームして、代金(1860円、シミ抜き代があるとはいえ、わりと高めだ)を返してもらうのもお互いに気分が悪いだけだし、といって再クリーニングしても、「ドライクリーニングで、臭いは落ちません」と豪語してる店で良い結果にならないのは目に見えている。引き下がると見たとたん、「すいませんねぇ。気分の悪い思いをさせて」などと謝り始めるおねーちゃん。これが日本人だ。許してもらえると見るや、やたら謝り始める。すいませんと言うなら、何か対応すべきでしょうが。逆に、あくまで自分が悪くないと信じているのなら、謝罪する必要はない。家に持って帰って、しばらく吊るして様子を見たが、数日たっても悪臭が抜けていく気配はない。山口の地元で良いクリーニング店はないかと、ネットでさがしたり、Mizumizu母が友人に聞いたりしたが、対応できそうな店は見つからなかった。以前、Mizumizuが個人経営の店で臭くされたスカートは、別のドライクリーニング店にふつーに出したら、ふつーに臭いは取れたのだが、あのスカートと今回のMizumizu母の服は、モノが違う。別のふつーのドライクリーニング店にふつーに出して、悪い結果になったら、さらに面倒だ。なので、遠隔地でもいいから、ネットで最高級クリーニングを謳う店を見つけることにする。福井の「コンシェルジュ・テラマエ」がヒットしてきた。1着1着、それぞれの状態に合わせたクリーニングを行うそうで、クリーニング剤も豊富に揃えているよう。ホームページにもお金をかけており、実績もあるようだ。さっそく、フリーダイヤルにかけて、これこれで…と事情を話すと、「消臭クリーニングも対応可能です」というので、宅急便で送り、洗ってもらうことにした。服が先方についたころに、電話すると、「今現物が手元にありますが」という担当者と話すことができ、「確かにイヤな臭いがしますね」「いったんやってみて、またご連絡します」とのこと。臭いをくっつけてきたクリーニング店で、ファブリーズを奨められたと話したら、さすがに呆れていた(笑)。何日か経過して、「臭いは取れました」という電話連絡が入る。発送の手配をしてもらい、到着したワンピースをチェックした。すっかり臭いは取れている!良かった。もちろん、お値段は山口のクリーニング店なんて、くらべものにならないほど高い。安い服なら買える値段だが、そのぐらい出してもきれいにするべき服というのもある。しかし…あの家族経営の店も長くないだろう。あのミスにあの対応では先が見えている。おそらく「確かな腕前」で地元マダムの支持を受けて長年商売を続けてきたのだろうけれど、二代目…か三代目か分からないが、娘がアレじゃこれまで培ってきた信用も台無しだ。山口では安さを売りにするクリーニングチェーン店ばかりが目についた。職人の店は、職人自身の腕が衰えたら終わり。その時に昔のプライドを振り回したら、ますます凋落は早くなる。地域の職人はいなくなり、「確かな腕前」の店はネットでさがす。そして、段違いに高いプライスを払って、満足を買うことになるのだろう。二極化というのは、こういうところにも現れてきている。
2018.04.02
前回のエントリーで書いたNexus 5X(LG社)再起動ループ。マックラな画面からgoogleが一瞬立ち上がろうとし、すぐに切れて同じ動作を繰り返す現象。Y! Mobileの店舗に持って行って、LG社へ修理の見積もりをお願いした件。その後どうなったか?結論から言うと…やはり事実上のリコールだった模様。なぜなら、メーカー側が基板故障を認めて、無料で新しい基板に交換して戻ってきたからだ。保険には入っていなかったから、2年弱での故障なら当然修理代がかかると思っていた。しかし、「Nexus 5X 再起動ループ」で検索するとこの故障に見舞われた人の体験談がやたらとヒットしてくる。つまり頻発しているのだ。買って2年で基板故障って… ないよなあ。次はLG社のスマホは避けよう、と思っていたところに無料での修理。よっぽどこの故障の事例が多かったんだろう。お気の毒なのは、修理代を払ったユーザーだ。Nexus 5Xを使っていて、同じ目に遭ってしまった方! おそらくこれからも頻発するハズなので、このブログに行きついた人は、無料で修理してもらいましょうね。万が一修理代がかかると言われたら、このブログを見せて、1年11か月で基板故障して、保険に入ってなかったユーザーが無料で修理してもらった事例がありますよ、と粘ろう!戻ってきたスマホは、ちゃんと使えている。ただ、LINEだけが、登録したメールアドレスとパスワードが分からなくなり、「これだろう」と思ったメールアドレスをいくつか入れて、「パスワードを忘れた方」のためのルート。つまりLINEからメールで新しいパスワードを教えてもらい、再設定するルートをたどろうとしたのだが、入れたメールアドレスにはLINEから返事が1つも来なかった。一体どのメールアドレスを使ったのだろう? Mizumizuは法人を所有していて独自のドメインを持っている。それを最近変えて古いドメインは抹消したのだが、もしかしてそのドメインを使ったメールアドレスで登録していたのかもしれない。結局LINEは復活させることができず、消えて(消して)しまった。まぁ、最近LINEも使っていないからいいか。というわけ。「基板のはんだ付けが、甘かったんですかねえ。振ったらなんか音がしてたし」と店舗のおにーちゃん。案外そんなところかもしれない。こうして、「文鎮」化したスマホが復活して、便利と言えば便利だが、スマホに振り回される日々が戻ったといえば、そう。
2018.03.10
MizumizuはスマホをLG社のNexus 5Xを使っている。2年前の3月末に買ったので、1年11か月使ったことになる3月1日の夜。急に画面がマックラになり、googleマークが現れては消える、いわゆる「再起動ループ」が発生した。端末横のボタンで再起動させて普通は直る…かと思いきや、直らない。仕方ないのでネットで情報をさがす。と、いっぱい出てきた、同じ症状で悩んだ人が。Nexus 5Xは高機能をうたった機種だった。そのせいかどうなのか、この手の分野に詳しい人が使っているようで、書いてる説明もとても分かりやすい。リカバリーモードでファクトリーリセットができるかどうかが肝のようで、https://iyhlab.info/?p=176さっそく試すが、リカバリーモードが進んでくれない。そういう状況になって困った人もいるようで、ちゃんと情報があった。https://fuji88udon.com/nexus5x-trouble/↑この人のやったことをそのまま辿り、同じくダメだという結論に達した。https://fuji88udon.com/nexus5x-trouble-battery/↑ここまでやってる…すごい! これはさすがにマネできない(しかも、マネたところで失敗する)。なので、もうこれは修理だと翌日(つまり今日)、契約してるキャリアのY! mobileショップに出かける。この店、いついっても30分以上待つ。なので、今日は開店11時の5分前から並んだ。「並んだ」というのは、つまりすでに先に並んでる人がいたからだ。並んだおかげで5分待ちで店が開いたらすぐスタッフに対応してもらえる。いろいろ話す。「直前にシステムのアップデートしましたか?」「しました」「アップデートすると重くなっちゃうんで、固まることあるんですよね」「でも、それなら何とか復旧できると思うんですけど、今回は全然ダメで」スタッフの男性もネットで調べたり、simを抜いてみたり、「初期化は… あ、できない」など、まぁ、ネットでMizumizuが辿ったのと同じルートをたどり、「重くなったからって話じゃないですね、これは。もしかして、基板がやられたかも」と推測。基板やられたってさー、最近はろくすっぽ外出せずに仕事、仕事、仕事だから、ほとんど持ち歩いてさえいないし、別に落としたとか乱暴に扱った覚えもない。なのに、1年11か月で基板がイっちゃったんですか? 繊細すぎるぞ! 美人薄命ならぬ高機能短命ですか?ショップの隣りの席では、ポケットWifiが3月1日から急に使えなくなったと、おじさんが怒ってる。そっちは通信の問題なのか、ポケットWifi本体の問題なのか知らないが、急にこういうことになると、本当に困るので、気持ちはよく分かった。Mizumizuのほうは、いったん修理の前に見積もりを取ってもらうことになり、代替機ももらった。代替機ではsimはそのまま使えたから、やはり本体の問題。修理見積をもらってから、修理するか機種変更してしまうか考えることにしたが、家に戻ってから、以下の記事を見つけた。http://breakthrough1020.hateblo.jp/entry/2017/03/13/234825まったく同じだ…この人は格安スマホを使っていたから、LG社に診断依頼して、それだけでお金を取られてる。Mizumizuは一応Y! mobileのほうで見積もりまでは無料。でも、修理代が新しい機種代と同じぐらいするのは、どうやら見えてきた。ハーッ! めんどくさい。対応してくれた若いスタッフの男性は、「だいたいスマホは2年ぐらいで機種変するから…」と言うが、内心(あーたの年代の2年は今のアタシには2か月だよ!)と思う。←これは実感を伴う本音ね、ちなみに。馬鹿高い修理代を払った上記の「IT系会社員」の方も、次はLG社は避けようとのこと。これまた同感、同感。1年11か月で基板がイっちゃうなんて、いくら高性能で使いやすくても意味ないよ。あーあ…追記:こういう記事も見つけた。https://sumahoinfo.com/nexus-5x-with-bootloop-issue-get-full-refund-fro-lg-google-nexus-recallどうなることやら? LGの返事待ちだ。
2018.03.02
三宅一生のBAO BAOのバッグに目が留まったのは、東京駅のそばにKITTEがオープンしたころなので、もうかなり前のことになる。光沢のある三角形のピースをつなげたモダンで斬新なデザイン、置くとクシャッとなる、そのフレシキブルなフォルムに惹かれたが、当時でショルダータイプの小ぶりなバッグが3万円台半ば。レザーのバッグが買える値段だった。デザイン性は高いが、ちょっと設定価格が高いのでは? そんなに命長くないかも、このブランド。などと思っていたのだが、現実には真逆の現象が起こった。アジア圏で人気に火が付き、それと共に値段もますます強気に。新宿高島屋ではBAO BAOショップがあるのだが、いついっても外国人(欧米ではなくアジアからの)観光客が、スマホ片手に「このモデルはないのか?」「これはいくら?」などとやっている。一時品薄状態になったときの、売り場の光景はシュールですらあった。ほとんどカラの商品棚の間を店員が仕方なさそうにブラブラと歩いている。話しかけて、「在庫もないんですか?」と聞くと、「そうなんです。朝はもう少しあったのですが…」という答え。朝出たのに、昼にはほぼ完売って、人気の食べ物屋じゃなんだから(笑)。しばらくして、品薄状態は解消され、逆にバンバン新商品が入ってくるようになったが、アジア人観光客の間での人気は相変わらずで、韓国語やら中国語やらタイ語やらで客同士が話しつつ、店員とは英語でやりとりをしている。店員は少し…というか、かなり冷淡だ。日本人に対しても、ネットカタログにある商品の他店からの取り寄せは基本やらない(つまり、基本的に高島屋店にそのときあるものだけを売るシステム)とかで、外国人がスマホで「これは、ある?」と聞いてきても、販売システムの説明などは一切なく、「No」の一言であしらっている。免税の手続きの説明も事務的で、日本人特有のお世辞笑いもあまり出ない。逆に日本人客に対しては、普通に愛想がよく、商品説明も積極的にしてくれる。有名ブランド品を買いに来た外国人観光客への、このそっけない態度。どこかで見た気がする。それはおそらく、昔、昔、まだルイ・ヴィトンがほとんどモノグラムの商品しか出していなかったころ。フランス本国で買えば、値段が日本のほぼ3分の1だった時代。日本人がパリのルイ・ヴィトン店に押しかけ、友人から頼まれた分だとか(本当は並行輸入業者だろうが)言って、買えるだけ買いこんでいた。そのときのフランス人店員の日本人客に対する態度は、いっそ人種差別ではないかと思えるほど冷淡だった。あの光景を――いや、あのときのフランス人ほどひどくはないが――今東京のBAO BAOショップで見ている気がする。別のBAO BAOショップには、狭い店舗に外国人観光客が押し寄せ、店員が対応しきれず入場制限をかけていた。これほどの人気を獲得した日本ブランドのバッグというのは、かつてなかったのではないだろうか?Mizumizu所有のBAO BAOは、白のショルダー。トートタイプではなく、上部にファスナーが付いているのがMizumizuにとっては必須条件。置いたときのクシャッと感は、BAOBAOの最大の魅力のひとつ。横マチタイプのすっきりしたものもあるが、例によってMizumizuは底マチタイプを選ぶ。マチの部分は畳めて、荷物が少ないならペタンとした形で持つこともできる。日本人の間でも、このBAO BAO、非常に人目を惹くようだ。新宿高島屋の入り口では、キモノ姿のおしゃれな年配の女性に話しかけられ、「すいません。そのバッグ、今日見たの5人目なんですよ。灰色と、黒と、黄色も… どこのブランドですか?」と聞かれたことも。そう、都心を歩くと、何人も見かけるのだBAO BAO愛用者。昔だったら、「街を歩けばルイ・ヴィトン」だったように思う。ヨーロッパブランドが呆れるような値上げを続けるから、ついに日本人もヨーロッパブランドのバッグへの「お布施」はやめたようだ。ニューオープンのBAO BAOショップのショーウィンドウを見つけて、「あっ、できたんだ」と隣りにいた家族に言ったら、たまたま横にいたオバサンが、「これいいですよね。私昔買ったんだけど、丈夫でいいんですよ。また買おうかと思って」と話しかけてきたことも。BAO BAOを知らない人でも、ファッション感度の高い人は、「素敵なバッグですね。どちらの?」などと言ってくる。やはり、BAO BAOのインパクトは強烈のようだ。白いバッグを買うと、お揃いの小物が欲しくなるのも人情。こちらはカードケース。こんなふうに両サイドにカードが入るのだが‥‥ はっきり言って使い勝手はかなり悪い。バッグの中に放り込んでおくと、この広がった状態になって、下手したらカードが飛び出してきてしまう。ポーチに入れるか、バッグのサイドの物入れに入れないとダメ。バッグのほうは、中の仕切りも最小限のヨーロッパタイプ(かどうか知らないが、とにかく日本のバッグは中を仕切りすぎ)なので、ポーチ派のMizumizuにはとても使いやすい。同じ白の化粧ポーチも出たようで、バオ バオ イッセイ ミヤケ 三宅一生 BAO BAO ISSEY MIYAKE ポーチ 76AG525 PRISM 50 クリーム アイボリー 小物入れ コスメ メンズ レディース ブランド おしゃれ シンプル 小 ファスナー カジュアル スマホ 化粧品 プレゼント クリスマス多分、いずれ買ってしまうだろうなと思っている(笑)。伝統的な意味での高級感とは一線を画す、シャープでスタイリッシュなデザインは、特に夏のファッションによく合う。パンツスタイルでもスカートでも。合う服の幅が広く、そしてバッグ自体が軽いというのも、BAO BAOが人気を博す理由のひとつだろう。
2017.08.03
日本橋高島屋で珠玉と呼ぶにふさわしいストールを見つけた。カシミール製。マハラジャに献上するターバンを制作していた歴史ある手刺繍工房が、ヨーロッパや日本のデザインを採り入れてモダナイズし、「ターラ・ブランカ」というブランドで世界展開をはかっているとか。夏なので薄手のシルクウールにさまざまな刺繍を施したストールが並んでいたが、一番気に入ったのが、パイナップルをモチーフにしたという、こちら。ブルー系やレモンイエロー系というMizumizuの好きな色彩に赤~ピンクの華やかなカラーも散らしている。デザインは大胆で、南国的。アジアンな雰囲気でありながら、ヨーロッパのデザインの洗練も感じさせる。西洋と東洋が見事に融合している、まさに「作品」と言いたい逸品だった。はおらせてもらうと、シルクウールのしなやかで軽い布がしっかりと身体にまといつき、冷房の効いている館内で肩がほんのり暖かい。このごろは夏でも薄手のストールを巻くのがはやりだが、これだけどこでも冷房が効いていたら女性には、おしゃれというより必需品かもしれない。長くて豪奢なストールなので、普段使いにはtoo goodだが、観劇やディナーへのお出かけには活躍してくれそう。Mizumizuが気に入ったストールは「ターラ・ブランカ」の中でも最上級ラインだったらしく、「買います」と告げると、熱心にブランドの説明をしてくれた店員も大喜び。カード清算をしに奥へ行くときは、小躍りするような歩調だった(笑)。モノがいくらよくても、買ってもらうためには、やはりそれを売り込む店員の力というのも大きい。「ターラ・ブランカ」のサイト(こちら)は、確かに美しいストールが並んでいてlook book(製品カタログ)は見ていて溜息ものだが、それだけではやはり買おうというとこまではいかない。ネット販売が発達しても、最初にお客をつかむには、こういうふうに、触れて、試して、勧めてもらえる、対面販売でないと難しいだろう。Mizumizuの買ったストールは、アリー刺繍というものが施されているとか。アリー刺繍とは、細い鈎針を使い、下から糸をすくって刺繍する技法で、円を描くように色を変えながら一針一針さしていくということだ(いただいたブローシャより)。インド・カシミールの刺繍製品というのは、安いものが日本で多く出回っているが、ここまで技術が高い刺繍製品は、さすがにめったに見ない。問題は洗濯できるかどうかだな、と思い、店員に聞いたのだが、案の定、困ったような顔で、「ドライクリーニングも含めて、基本、洗濯はできないと考えたほうが」と言われた。正直な答えだ。ファブリックというものは、上質になればなるほど、洗えなくなってくる。風合いが変わってしまうし、どうしても傷んでしまうから。「汗などがついたら、霧吹きで水をかけて蒸発させるぐらいで…」とのアドバイス。つまり、汚れたらアウトということだ。気を遣うなあー(笑)。旅先に持っていくときなどのために、薄いポーチをつけてくれる。繊細な生地なので、こうしたものは必須。暑い国にバカンスに行くときに、ホテルのディナーなどで羽織るのにぴったり。このポーチも役立ちそうだ。
2017.08.01
旅先でその土地の素材を活かしたポーチを買うのが好きなMizumizuだが、身近な人に裁縫上手がいて、手作りのポーチも作っていただいている。身近といっても、Mizumizu母とその友人。つまりかなり上の世代だ。同級生や自分の友人には裁縫が上手な人はほとんどいない。いても、ほぼプロなので、「自分の商売の宣伝」はしてくるが、気軽に「作ってくれる?」「作ってあげるよ」とはならない。Mizumizu母の友人世代になると、不思議なほど手先が器用な人が多い。育った時代もあるだろう。自分で縫物ができる人は、今の時代、売られているファブリックグッズの粗雑なつくりにむしろ驚くことも多い。Mizumizu母もその部類だ。こちらはMizumizu母の手作りポーチ。紺のかすりの字模様に鮮烈に赤い花のデザインが秀逸。花びらの外側にぷっくりと量感があるのも気に入っている。カタチも上が半円形で変わっているし、中身も取り出しやすい。手縫いの針目もとても細かい。だいぶ愛用して長いので、ところどころすれてきた(笑)。あまり大きくないので、カバンに入れて持ち歩くのにも便利だし、底マチもしっかり。これで置いたときの安定感も出るし、収納力もアップする。このポーチの魅力はやはり、置いたときのかわいらしさ。安定感があるのも、この底マチのおかげ。こちらはMizumizu母の友人が作ってくださった底マチばっちりのポーチ。かなり大きめなので、普段の持ち歩きにはあまり使わないが、そのかわり、部屋においておいて、薬や化粧品類を入れ、自分が仕事部屋から寝室へ移動するときは、これをひょいっと持っていく。非常に便利。収納力がとても高い。ファスナーもぐるりなので、底マチのないただの長方形のポーチのように「デッドスペース」ができない。だから、中のものが全部見渡せて、取り出すときも端に引っかかるなんてこともない。旅行先でもとても重宝する。いろいろなものをまとめて入れて洗面台の脇やサイドテーブルに置いておけば、「あれはどこだっけ?」とゴソゴソ捜しまわらずにすむ。ベトナムでポーチを見ているとき、店員さんが「このポーチは裏もしっかり(違う布で)ついていて」とかアピールしていたが、ハッキリ言って、日本ではそれは当たり前。十分すぎるほどある底マチ。この思い切った大きさが使い勝手のよさになっている。マチをたっぷり取っても布だから嵩張らない。使わないときは、たたんでしまっておける。ちなみにMizumizuは…裁縫ほど苦手なものはない。編み物もまったくダメ。唯一まあまあ好きで、できたと言える手芸は刺繍だろうか。女性が裁縫できないと困った時代に生まれなくてよかった。
2017.07.11
【3167】 ウイダーインゼリー マルチミネラル グレープ味180g【6個単位でご注文下さい】【36個で1ケース 1ケース送料600円2ケース送料700円】【北海道は別途500円送料加算】このごろ、安いものはやたらと安く手に入る。だが、粗悪品も多い。それは分かってはいるのだが、ちょっとした電化製品やOA機器なら、安くてもそこそこ使えるだろうと、どこかで信じている部分もある。だが、どうやらそれもほとんど根拠のない、時代遅れの信仰になりつつあるのかもしれない。そう思わせる出来事が立て続けに起こった。1つはAnkerという、どこの会社かもよく知らないところから通販で買ったウルトラスリムBluetooth ワイヤレスキーボード。これを買おうと思ったのは、Asus社製のノートパソのキーボードのエンターキーとMキー、それにスペースキーが反応しなくなったためだ。タブレットのようにも使えて、モニタにキーボードを表示させればどのキーも打てるのだが、それだと入力のスピードが落ちてしまってストレスになる。キーボードの3つのキー以外に大きな不具合はないので、買い替えるかわりにワイヤレスキーボードでしのごうという発想からだった。Asus社製のノートパソは、そもそも初期の段階から接続のトラブルが多く、USBポートが反応しない、なんてこともあった。ネットで解決法を調べたらUSBを全部はずして再起動させれば直る、みたいな記述があり、やってみたら本当に直り、しかも、だんだんそのトラブルは少なくなっていった(ように思う)。クレームすれば修理してくれるのだろうが、格安製品を作る会社なので、交換ではなくあくまで修理。時間もかかるし、修理したら直るという保証もない。トラブルが起こるたびにネットで調べて、なんとなく解決できて、そのまま使っていたが、3年ぐらいでとうとうキーボードの3つのキーがいかれてしまい、それは直せなかったというワケだ。で、Ankerから持ち運びの簡単そうな小さいワイヤレスキーボードを2000円弱で買って、Bluetooth 接続でつなげ、使い始めたのだが、どうも数字の上の記号がズレたり入力できなかったりというトラブルがあった。8の上の記号は( のはずなのに、なぜか )になってしまったり、@マークが入力できなかったりというトラブルだ。しばらくそのまま使っていたが、自然治癒する気配もないので、メールでAnkerサポートにクレームした。サポートからは「他のデバイスでも同じ症状が出ますでしょうか」などと聞いてくるので、面倒臭いと思いつつ、他のデバイスにもつなげてみたが、やはり同じだった。で、交換ということになり、新しい製品が送られてきた。だが、結局新しいものでも、同じトラブルが最初から出た。念のためAsusのノートだけでなく、Dellのノートにもつないでみたが、同じだった。どう考えても不良品じゃないの?しかし、もともと非常用だし、Asusのノートがそもそもあとどれくらい持つのかも分からないし、記号は別の方法で入力することもできるので、「もういいです、ちょっと不便ですが、まったく使えないわけでもないので、このまま使います」と言って済ませた。またわざわざ返品して、もう一度代替品を送ってもらうのも、2000円ばかりを返金してもらって別の新しいキーボードを買うのも面倒だったから。もう1つは、SEIKOのアナログ目覚まし時計。旅行用にと買った1000円前後の、これまた安物。しかし、買って1か月もたたないうちに遅れだした。電池のせいかとも思い、電池交換して様子を見ていたが、やはりかなり遅れる。まあ、一晩で大きく遅れることはないから、必要な夜は、寝る前に合わせればいいのだが、さすがに面倒だ。だいたい、こんな単純なクオーツが、なんで最初からこうも調子が悪いのか理解できない。思いっきりMade in Chinaと書いてはあるが、一応SEIKOブランドで売ってるモノだ。同じような目覚まし時計で、古いCASIOのも持っているのだが、こっちはいつ電池を替えたのか、記憶にないぐらいほったらかしで使っているが、ほとんど狂わない。面倒だな~と思いつつも、保証書を引っ張り出して、SEIKOのサポートに電話した。先方は一応電池の古さを疑ったようだったが、別に電池には問題はない。で、交換してもらうことになった。送り返すと、1週間もせずに代替の新品が送られてきた。きのう受け取ったところだが、今のところ順調に動いている。これがまた1か月たってどうなのかは、分からないけれども。というわけで、安物で手軽に間に合わせるつもりが、サポートとのやり取りや送り返す手間などなど、案外面倒なことになった。と、同時に疑問に思ったことがある。こんな安いもの(1000円前後と2000円弱)で、サポートの時間を取ったり、新品を用意したり、回収品や代替品の送料を負担したりして、儲かるんだろうか?もちろん、不良品がごくごく僅かなら問題ないかもしれないが、Mizumizu「だけ」にたまたま、その「ごくごく僅か」の不良品がこうも連続して当たるものだろうか?なんとなーく、だが、けっこう不良品は多いんじゃないんだろうか。買ったほうが保証書をどこかにやってしまい、安いものだからと諦めているパターンも多い気がする。不良品の交換というコストリスクも含めて値段を設定してるとすると、相当に安く作らないとメーカーとしてはワリに合わないはず。安く作って大量に売らないと。かくして、安かろう悪かろうの商品が巷にあふれるということか。1000円や2000円でそこそこのものが買えるのはありがたいと言えばありがたいが、頻繁に不良品をつかまされるのでは、全然ありがたくない。かつての日本はこんなことはなかった。そういえば、パソコンやその周辺機器も安くは買えるようになったが、もたなくなってきた。パソコンもモニタもルータも、最近の寿命は5年ぐらいだろうか? パソコン類で何が面倒って、買い替えたときの設定だ。買い替えの頻度が短くなったおかげか、コンピュータ音痴だったMizumizuもだいぶ慣れてきて、つないだり設定したりがさほど苦ではなくなってきた。手頃な価格でモノが買えて、さらに一度買えば10年は放っておいても使える…なんてことには、もうならないのだろうな。
2017.03.27
【人気商品SALE特価】亜鉛 50mg 90粒 [サプリメント/健康サプリ/サプリ/ミネラル/亜鉛/亜鉛補給サプリ/KAL(カル)/お徳用/大容量/約3ヵ月分/約90日分/栄養補助/栄養補助食品/アメリカ/国外/タブレット/通販/楽天]杉並のこのあたりは、庭に柚子を植えているお宅が多い。荻窪が別荘地だったころの名残かもしれない。とはいえ、今は一坪200万円するような宅地。相続が起こると土地がだんだん細かく切り売りされ、庭そのものが無くなっていく傾向にあるが、それでも、冬になると小ぶりだが鮮やかな黄色の果実をつけた木を見る機会も増えてくる。Mizumizu宅には柚子はないが、ご近所で毎年自宅の庭で採れた柚子を分けてくださる方がいる。こちらもお礼に採れたての柚子で作ったゆずゼリーを持って行ったりする。庭の木から果実を採り、ちょっとしたおやつを作る。昔なら、あるいは今であっても田舎なら、それは「贅沢」なことではないのかもしれない。だが、都会暮らしをしている身には、それがいっそ最高の贅沢に思えるのだ。キッチンに満ちる爽やかな柑橘類の香り。毎年楽しみな冬の風物詩。
2016.12.18
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