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多くの皆様にご心配掛け 誠意の籠った温かいお見舞い戴き感謝の気持ちで一杯です87歳にして種々原因究明していますが お腹が張って便秘が解消されず 食欲もほとんどなく 点滴治療を受けています明日解消されなければ入院も有り得ることに成りました先がやばいので 此処で皆様方の参考のため過去のブログを楽天さんが具に残されていますのでこのブログ存在期間は 適当にご覧になっていただけるのでご参考にして戴ければ 幸甚ですたかが便秘 正月におもちを食べて 外出など酷寒で運動不足は痛いほど今 苦しみ体験しています嵐山楽天に私の過去のブログ の検索方法 2つありますその1は1. ブログの日付の右上 「新着記事一覧」」をクリック2. 真上に「月別記事一覧」 をクリック3. 月別「記事一覧」 2014を選びます⒋.「9月」をクリック5. 2014年9月の記事が表示されます 9月~12月 で 周期となりますその2私のブログの本文の 「左欄」に ばらの花の写真が有りますその上部にキーワードに知りたい社寺名を載せて例えば 清水寺 検索その下に 楽天ブログ内 このブログ内 ウエブ このブログ内クリック を選んで検索されますと過去5年間の私の記事が Google に載せられています宜しければ 試してください京都観光の参考になれば嬉しいです皆さんご健康には留意してください痛みに耐えつつご報告まで
2015.01.19
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昨夜より立つことの出来ない 腹痛で 病院へ痛みが取れず しばらく 更新休みます ご迷惑掛けます
2015.01.16
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朝の続きの見どころ抜粋です京都は朝から雨降りです 昨夕 珍しく震度3の地震が有りました風邪も漸く治まりそうです 皆様の温かいお見舞い有り難うございました 変形四交差路 今一つは、奥の院から5分ほど歩くだけで、変形四交差路 に出ます。殆どの人は、宝物を失って、迂回して、音羽の瀧の方に向かわれます、多分人間の本能がそうさせるのでしょう。此処を 【子安の塔】への道標に従い。山道を登る事で清水舞台全景の眺望の出来る【子安の塔】から 【清水寺の全景】 の眺望の開ける絶景の場所に至るのです。外人さんは素直ですが、その交差点で、日本人の連れに言葉を掛けても、無視されます。素直で有りません。外人さんは、素直で意欲があり、その場の絶景に「オオーワンダフル」そして「ありがと」と。 【子安の塔】は是非ご訪問して見て下さい。清水寺で一番景色の美しい場所でしょう。NHK京都放送の気象通報のバックの景色は、この場所で、日毎に京都の良さを味わっています。明日から参詣順路で周ってみたいです
2015.01.15
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清水寺は、奈良時代に建ったもので歴史が古いです。宗派も奈良の 【北法相宗】 です。 そして特に観損じないで見どころを二・三 採り上げてみましょう。【清水寺1.】 北法相宗(きたほっそうしゅう)大本山(奈良の宗派) 世界文化遺産 西國三十三ヶ所観音霊場第16番札所昨日の清水寺縁起のあらましは納経所でもらったものです。 【音羽山・北観音寺】 京都観光に訪れられる、ベスト1.が此処清水寺です。世界的にも有名で、外人の観光客が多いです。そして修学旅行生の生徒さん達も、必ずと言ってよいほど、訪れられます。何が魅力なのでしょうか?多分 【清水の舞台】 に有ると思います。 本堂 清水の舞台から京都市外眺望地主神社の 【恋占いの石】 も生徒さんは、はしゃいで居られます。 恋占いの石【音羽の瀧】 日本名水の筆頭にあるところから、【清水寺】と称せられるようになったそうです。名称の由来 音羽の瀧 でも、殆どの方が、最も大切な場所を見損じて、ただ廻ってきたと言う、勿体無い箇所が2箇所ありますね。皆様にだけ、ご紹介しましょう。 一つは、清水の舞台に在る。本堂です。内陣を覗いて、参拝される方が、殆どです。内陣の入り口に 【土足禁止】 の立て札が置かれています。入場禁止と、勘違いするのでしょう。靴等土足を脱げば、内陣に入れるのです。但し靴は各自持って入って下さいね。そして内陣の奥には、本尊は秘仏ですが、【お前立ち像】として、両手を頭の上まで、挙げられた。【清水型観音菩薩】が奉じられ、何とその周りに、観音さんの眷属である【二十八部衆】及び【風神・雷神】が観られるのです。外からは、その存在すら、判らずに9割の観光客は、通り過ぎられます。そしてお客様が一番歓ばれた事が、観音さんに願い事されるときに、【大きい鐘と大きい叩く棒】で、座して、一礼した後、ご自分で鐘を叩かれます。鐘の音の余韻を聞きつつ手を暫し、合わせて、此処有名な、清水寺で、静かに礼拝の体験された事。とても感動したと。とても大きい鐘の余音は、生涯良い想い出になりました。と、礼状をよく戴きます。今年の年賀状にも、山形の方が20年ほど前のこと懐かしいと添え書きありました。 大きい鐘を撞くと清水寺に詣でた感動を覚えます 本堂の内陣に素足なら入れます陸前高田 流木松 で作られた 大日如来常に東日本の復興を切に祈願しています。最近祀られるようになりました。 本堂には、太い檜柱が何本か有ります。その太さは、原木の1/4で、建築では真ん中の芯部は弱いので、避けています。だから原木の太さが4倍と想像できます。現在日本には、無く台湾あたりから輸入されています。 清水寺に観音さんを 拝もうとすれば、内陣に入って そのお前立の仏像(本尊さんは秘仏のため)を見つめることで、実感を深くすることが出来ます。 殆どの人は 外の見えないところから手を合わせて過ごされます。ご本尊の観音さんは三十三年に一度しか御開帳が有りません。字数制限直ぐ続きあります
2015.01.15
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京都観光では、清水寺が離せません。でも、京都の都の出来る前に誕生した清水寺の由緒を知っておかれると至る所で、意義があることに興味が持たれます。京都観光と言えば、清水寺が群を抜いて人気が有ります。清水の舞台がその注目となるからでしょうか。そこで本日の清水寺の縁起を理解しているともつとその見所の意義が生きてくると思います。清水寺を一口でいえば、 【安産の祈祷寺】【三年坂】 (産寧坂ともいいます)・ 【子安の塔】 の配置からも頷けます。 清水寺 延鎮と行叡居士と出遭った場所 (奥の院)【清水寺の縁起】794年平安遷都される前のこと。昔々、奈良は高市郡の【小島寺】にとても足の速い、小僧さんが仏に仕えていました。名を 【延鎮】 (えんちん)と称しました。或る日 【夢のお告げ】 があり、無性に足はある方向に向かってとまりませんでした。何と、未だ京の都も制定されていない、少し前に、東山の山麓で、足が止まりました。不思議や、延鎮の前に、杖を突いた白髪の仙人が現れました。【行叡居士】 (ぎょうえこじ)と言う方で、庵を設けて、修行されていました。【行叡居士】は、【延鎮小僧】さんに 「この霊木で観音さんを彫り、祀って護りなさい」 と伝えて、姿を消されました。8年がかりで、彫った観音さんを、山中で、祠を建てて護りました。或る日、鹿狩りで、「雌鹿を射止めた」 【坂上田村麻呂】(さかのうえたむらまろ)と、ばったり出くわしました。 延鎮は、「何故そのような殺生するのか?」と問いただすと「妻が腹ぐみ、雌鹿の生き血を飲むと安産する」との迷信に、延鎮は、戒め「私の彫ったこの観音さんに祈る事によりきっとお恵みが有ると」と説得。事の理をわきまえた田村麻呂は、雌鹿を鄭重にこの地に葬り、妻と一緒に観音さんを日参されました。 鐘楼の横に鹿間塚として女鹿の供養塔日も満ちて、 【玉のような男の子】 が誕生しました。大喜びで、貧しい、祠を素晴しい大きい御堂を田村麻呂は寄進しました。この噂は、村中に広がり、われもわれもと参詣する人が増え、御堂前は、混雑しました。そこで、岩間に懸崖を造り、出来上がったのが、現在の 【清水の舞台】 と成りました。 【清水寺は安産の祈祷寺】 が本来の姿で衆派も奈良時代の 【北法相宗】 (きたほつそうしゅう) とされています。 京都一観光客が多いにも拘らず、写真の場所に歩を止める方は、皆無に等しいことが残念で成りません。立札にも説明が載せてありますが、忙しくって、目にも触れられません。清水の舞台の入口には、 【開山堂・田村堂】 がありますが、非公開もあって、目にとまりません。坂上田村麻呂夫妻・延鎮和尚・行叡居士の像が祀られています。 最近に復活完成した【子安の塔】次回には、清水寺順路に従って見どころをご紹介します
2015.01.14
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朝の続きです字数制限で2回に亘りますそして明日から奈良の宗派 北法相宗の清水寺に参ります 【待賢門院】 お父上藤原公実とは、若くして死別 【藤原璋子】(ふじわらのしょうしたまこ)として、74代鳥羽天皇の中宮(皇后)・75代崇徳天皇・76代後白河天皇の母君後に「女院号」【待賢門院】と呼ぶようになりました。大変美貌でお父上無き後.白河院の加護を受けて居られる内は、良かったようですが、保護者の崩御後、旦那の鳥羽天皇が「得子」後の「美福門院」に心を寄せられ、待賢門院は、信仰も厚く、出家して「法金剛院」で、生涯を送られましたとか。五位山の北麓に、【花園西陵】として御陵が有りました。とても静かな場所に眠って居られました。【妙心寺】のほんの側でした。近所の人も関心を持たないほどでした。御陵の前の豆腐屋さんに聞いても「さぁ~」と関心のないことに驚きです。やっと手探りで見つけました。感動でした。 参道花園西陵 待賢門院さんの皇后陵 【青女の滝】 (せいじょのたき)石組みは平安時代で、日本最古の人造滝石組みと言われています。 【歌碑】 待賢門院に仕えた侍女 【待賢門院堀河】 の百人一首。尚 【西行法師】 も訪れたということです。法師は、源氏の武士で詩歌の精通で恋慕するも、出家して地方を行脚したと云います。美しい待賢門院さんに武士のころから慕っていたようです。 「長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝は物をこそ思へ」 待賢門院堀河 歌碑 百人一首次回は同じく奈良の宗派を持つ 清水寺をご案内します
2015.01.13
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妙心寺の側に、NHK大河ドラマ「平清盛」で当初よく演出された「鳥羽天皇」の中宮(皇后)でありながら、権威を持った「白河上皇」に寵愛され、女性としての生き方に不本意のままに過ごされ 待賢門院夫たる鳥羽天皇には、美福門院に片寄られ、白河上皇崩御後は何の権威も持てず、出家されて建てられた、法金剛院とされています。一つの哀話とも考えられます。偲びつつ誰も訪れないひっそりした御陵を訪問しました。鳥羽天皇との間で、 【後白河天皇】 の母君でもあり、平清盛との葛藤が平家物語で登場します。【法金剛院】 奈良の宗派「律宗」 開基 待賢門院 (たいけんもんいん) 山号 五位山 JR「花園駅」駅前に有ります。昨日の「妙心寺」の観光の際には、近くですから是非ともご訪問をお勧めします。過日お知らせしました「特別名勝指定」国宝級の庭園 の一つです。極めて小規模ですが、いにしえを偲ぶに相応しい、落ち着いて鑑賞が出来ます。入口の門 庭園入口常時では、礼堂の西側裏に「仏殿」が有り、平等院の阿弥陀さんを彫った、 「定朝様式」 (じょうちょうようしき)の【阿弥陀如来坐像】 が私たちの礼拝する、目の間近前に拝する事が出来ます。 阿弥陀さんは、「東向」で極楽浄土をイメージして造られた、【待賢門院】の蓮池が保たれて現代も活き活きした状況を感じ取りました。横には着飾った観音菩薩も祀られています 平安時代前期、右大臣 藤原夏野の別荘から「双丘寺」(ならびがおかじ)として建てられましたが、その後奈良の唐招提寺の僧によって再建され、 「律宗」となっています。寺の荒廃により、「待賢門院」が出家され再建されました。 京都の北方に目立つ、「ラクダのこぶが二つ並んだ丘」を「双ヶ丘」 (ならびがおか)と言いますが徒然草で有名です。その南麓に 「五位山」 がありそこに法金剛院が建っています。 庭園 仏堂が見えます。 背景が【五位山】五位山の右手裏手に御陵があり待賢門院さんが静かに眠っておられます。字数制限のため待賢門院さんの御陵は 即 続きます
2015.01.13
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正月以来寒さ厳しく 運動不足も有ってか体力が衰え遂に咳き込み風邪を患ったようです 皆さんもも十分にご用心願います【妙心寺の塔頭】【退蔵院】 (たいぞういん)唯一常時観光出来る塔頭です。 内塔頭・退蔵院入口の門 寺宝 如拙(にょせつ)筆 【国宝】【瓢鮎図】(ひょうねんず)室町時代の水墨画です。「瓢鮎図」瓢箪(ひょうたん)と鯰(なまず)の絵が書かれていて、禅問答の答えが幾つか書かれています。人を信仰へと導くにも鯰のようにのらりくらりと一筋縄にはつかめません。理屈っぽい人間を指します。そこで禅問答となり、如何にして、鯰を瓢箪に入れられるかの解答のようです。方丈の襖絵 画家狩野元信の庭 元信の庭【方丈庭園】(本堂)室町時代の「狩野元信」作の庭園で築山の滝から蓬莱島を経て石橋に流れると言う趣向で、絵描きが作庭するのは、極めて珍しさが感じられます。 陽の庭 陰の庭 【余香苑】(よこうえん)近代の庭園で「中根金作」の設計で造園されました。入り口に「陰・陽」の庭そして奥へ滝から大量の水が流れその水音が静けさを象徴するようで、とても親しみやすく、そして広々と自然の姿で鑑賞出来ます。【水琴窟】 (すいきんくつ)土中に「かめ」が埋められ。手水鉢から柄杓で、水を静かに流すと「かめ」水音が反響して、妙なる音が聞える仕組みに成っています。是非お試しになってください。 一番奥からの景観 水琴窟明日は平清盛と密接な関係のある 後白河上皇の母君であった 待賢門院の建てた 法金剛院が妙心寺の近くでご紹介します
2015.01.12
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龍安寺は如何でしたか。 龍安寺の広い境内は京都観光で基礎的内容の濃い大きなお寺ですが妙心寺をその本山とする臨済宗の外塔頭でした。 妙心寺境内・七堂伽藍突き当りが龍の見られる本坊受付【妙心寺】 (みょうしんじ)臨済宗妙心寺派総本山 開基 関山慧玄(かんざんえげん)昨年6月22日には、天皇両陛下が花園天皇のご先祖様としてご訪問に成られました。妙心寺」の境内に【七堂伽藍】(がらん)と47院の内塔頭(うちたつちゅう)が存在する、大規模のお寺です。 殆どが拝観謝絶で開放されていません。 三門 法堂このお堂の中に、壮大な狩野探幽の龍が天井に描かれ説明が入ります。 お客様に感動を与えたのが、【本坊前】の【法堂】(はっとう)天井に描かれた。 【龍の絵】【狩野探幽法眼】(かのたんゆうほうげん)二条城二の丸の豪華松を画いた画家です、絵師として「法眼」の位を貰ったほどの素晴しい画家だったのですね。見る位置により【昇り竜】になったり【降り龍】にも観られる豪華さは、他に比類無きものと思われます。是非一度訪問してみて下さい。堂内では親切にお寺さんより説明が有ります。禅宗では、龍を絵描く寺院が多いです。龍は雲を呼び雨を齎すと言います。とs東林院 塔頭【沙羅を愛でる会】 非公開寺院の妙心寺塔頭 東林院で6月15日より30にちまで 恒例のように沙羅双樹の樹と苔の丘に散った花丘に落ちた花は重みで同じ上向きに落ち着きます夏椿とも言われ 椿の花もそのようです和尚さんの法話に恵まれまし沙羅双樹は、お釈迦さんが 亡くなるときにいつせいに花が開きその死を悲しんだと言われ 涅槃図にも沙羅の樹がえがかれています【一日花】とも謂れ 朝咲くと夕べには散るという はかなさを人の世の常ならないことを 表現しています「平家物語」にも 「奢れる平家久しからず 沙羅双樹のごとし」とも比喩しています人間の生命にはいつかは 限りが来ます今日一日のことは 大切に 悔いの残らないようにしておきたいです 観光バスの団体さんも次から次へ 鑑賞しつつおうすを頂く玄関入り口のお地蔵さん明日は塔頭 退耕庵をご紹介します
2015.01.11
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本堂 方丈庭園として 枯山水の石庭を 縁に腰かけて 暫し瞑想油土塀が石組みを引き立て役になっていますそして 廊下を歩むほどに 寛永通宝に似た 水戸黄門さんの発案された 知足の蹲を観て 帰りは 鏡容池の景勝を 龍安寺の石庭を見て、大抵の方は、元、来た同じ景色の道をオーム返しに、いそいそと帰途に付かれる方がほとんどですが、池を巡りて帰りは違った道をたどりますと、趣も変化有り新緑または紅葉のトンネル伝いにそして素晴らしい、池面に写った美しい衣笠の山等の光景を観る事が出来ます。 鏡容池に写された衣笠山逆さ富士【千円札デザイン】 【龍安寺5..】 表玄関から、石段を降りて、来られた道を戻らず、更に西へと夏には新緑・秋には、紅葉のトンネルを、春には桜の園を観る事が出来ます。時間が無くって戻る人が多いですが、素晴しい風景を、見損じて勿体無いです。 新緑・もみじの帰り道疲れも癒されそうです。 【藤棚】の手前に、湯豆腐の食事処が有ります。店内の入り口から、少し入った所に、 【猪脅し】 (ししおどし)が見られます。本家は比叡山の麓に位置する、【詩仙堂】の庭園内で見られます。 しし脅ししし脅しを庭園とする湯豆腐の食事処 本題に入りまして、その藤棚周辺から、大きな池に目を遣って見て下さい。何となく眺めるだけでも、心の洗われる感動を覚えられる事でしょう。弁天島を望む鏡容池 池の名称は、 【鏡容池】 (きょうようち)そして背後に 【衣笠山】(きぬがさやま)が、そして池の水面に、くっきりと衣笠山を映し出しています。この鑑賞方法は、外人の方も良く心得て、シャツターを切っておられます。心して観ないと、見損なう風景です。 金閣寺も同じで、池に写し出された金閣を見損なう方が多いです。銀金閣は鏡湖池そして銀閣は錦鏡池と鏡の字がそれぞれ入ります。折角此の道を歩まれながら、あら美しいとだけで、気付かず通り過ぎる方が殆どで、その点外人さんは佳く鑑賞してシャツターを切っておられます。 日本の漢字は良く出来ていまして、見えると観る 聞えると聴くを分けて表現しています。やはり観光は、後者の心構えで、訪れられると、数倍楽しくなるようです。観光は見るを観るにしています。人生、漠然と過ごすより、美しいものを佳く観るようにして、そして素晴らしい音楽を聴きそして人の良い話を耳を傾けて聴けば同じ一生でも充実したものになりそうです。 私なりに、私のお客様に説明していますと、周りから少しでも聴こうとして、お客さま以外の方から質問までされる有様には共感を得て、嬉しいものです。 そして、 【衣笠山】 の名称の由来は、仁和寺から眺められた、【宇多上皇】が 仁和寺で夏の暑い季節に「朕はあの山の雪景色を観たい」と、所望され、山上の樹木に白衣(しろきぬ)を一面に被せて、雪景色を再現されたそうで、扇子を扇ぎながら、「まろは、満足じゃ」と冷気を味わわれたそうで、その後、何時しか衣笠山と呼ばれるようになったそうです。 しばし、池を巡り、 【水分石】 (みくまりいし)の立て札が立っていました。庭園の要素の一つで、池全体を眺めますと、鶴島(弁天島)そして亀島もありました。 次回は本山ってどんなとこ。妙心寺をご紹介します
2015.01.10
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火の災害から免れたい魔よけのために全国どこのお寺や神社ら見かけられる建築様式です。時には動物も中に飾りとしています。 懸魚 【蔵六の茶室】前庭に本物の【知足の蹲踞】があります。興味ある方は、売店のおばさんにそっと頼んでみてください。別途志納金で見せてもらったことがあります。【龍安寺4.】 本堂の方丈の前庭と後庭で、同じ意義深い教えを学ぶ事が出来ます。【知足の蹲】ちそくのつくばい が回廊の東北角に、有りました、手水鉢で、這い蹲って、手を洗う所から、つくばいというのでしょうね。【蹲踞】(そんきよ)(つくばい)大相撲でのお相撲さんが土俵上で、仕切るときに、おこなつていますね。真ん中四角の水を入れた区画の、上部に【吾】(われ)右側に【唯】(ただ)下部に【足】(たるを)左に【知】(知る)水戸の黄門さんが発案されたつくばいで、「吾、唯、足るを知る」と読めます。立て札には、茶道の精神と称されていました【知足の蹲踞】 そしてその横に、 「知足の者は、賎しくと雖も、富めり」 ちそくのものは、いやしといえども、とめり 「不知足の者は、富めりと雖も賎しい」 ふちそくのものは、とめりといえどもいやしい これで充分です。足ること知った人は、外見貧しそうに見えても、心は満足で豊かな人といえましょう。 足らんたらんと、まだあれも欲しいむ是もほしいと、愚痴を言っている人は、外見、金持ちの様で、実は、不平だらけの心の貧しい人といえますね。 人目、貧しそうなおばあさん、笑顔で、お陰さまで元気に生かしてもらって、ありがいことや、此れで充分と幸せそうです。 金縁のメガネ掛けた、一見貴婦人のお金持ち、隣は外車を買ったわ、あの人はダイアモンドの指輪何カラットかしら、あれも欲しい、これも欲しいは心満たされず、却って貧しい人といえましょう。 表の石庭の様に、13~14見えてて、腹八分目で健康をたもてそうです。 黄門さんが、【大日本史】編纂に当たり、資料を龍安寺から提供を受けたお礼に置かれたものだそうです。 実は、ここに飾られた物は、イミテーションで、本物は、東向かいに見える【蔵六の茶室】の前に、本物が据え付けて有ります。燈籠の下部に見え隠れしています。足らんたらんと、まだあれも欲しいむ是もほしいと、愚痴を言っている人は、外見、金持ちの様で、実は、不平だらけの心の貧しい人といえますね。 此処龍安寺を拝観するだけで、寺社の見所の、基本と申しましょうか、他でも、共通した形式の現し方が、伺えそうです。龍安寺の売店の東側、陳列棚に、建て替えた昔の物品を並べ【名札】に上記の名前が、紹介されていました。その位置は何処に、実は庫裏を出た所で、建物の上部を見上げましたら、屋根の交差の軒に、 【懸魚】 がありました。正に魚の頭が下がってぶら下がっているようでした。そしてその下部に 【蟇股】 が見かけられました。蝦蟇(がまがえる)が構えているように見えます。そこでお客様にクイズを出してみました「双方の共通点は何でしょうか?」とお聞きすると「水」と答えられました。「ピンポン」正解です。建物で最も恐ろしいのは、「火災」です。従って魔除けの意味に於いても、守護の意味に於いても、装飾の意味に於いてもと、採用されて居るようです。知恩院の左甚五郎の忘れ傘然りでした。 そして屋根の先に丸い円の中に三つ巴があしらって居ます。三つ巴は、雲を表現していますね。更に民家でも屋根の形は波を表現「甍(いらか)の波と・・」 更に庫裏から西へ少し歩を運べば、本玄関(国宝)があり、其処の蟇股の中には、尻尾の多い、浦島太郎が乗った様な【亀】が他にも【龍】が刻まれていました。日光東照宮の有名な【眠り猫】も蟇股の中に存在していますよね。各地で試してみてください。次回は帰り道を変えて池を巡って帰りましょう
2015.01.09
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座禅を組んで、方丈庭園が観想の対象になるのでしょうか。枯山水の庭園が、方丈(本堂)の前にひろがります。 お客様をご案内しながらも、何回も訪問しますと、お客様からも学びそして疑問にも答えていきますと、人生としての、偉大な教訓が秘められていることが、判りました。観光の深さを感じる龍安寺です。【龍安寺3.】 世界文化遺産 【石庭】 臨済宗 (禅宗) 左 仏の世界【三尊石】 5石右奥 鯨 2石 作庭者の名が刻まれています。小太郎・清二郎と あまり有名でありませんエリザベス女王にまで、ご紹介したと言う【石庭】世界的にも写真に映し出され、謎解きが深まります。 一言で、言えば現実には、15個の石が設置されていることは事実です。でも廊下の見る位置によって、15個が数えられないミステリーです。 修学旅行生など、予備知識で得て居るので、真剣に数を数えて走り回っている風景をよく見掛けます。 長方形の横長の正面及び西側廊下から右側は、【油土塀】で、前庭を引き立てるような、落ち着いた感じを受けます。石の配置として庭前方左側2石は【鯨】右方向に塩を吹いて前進しています。この石の裏側に作庭者思われる、阿波の徳島【小太郎】【清?二郎】の名が刻まれています。右奥2石が亀右方向へ手前 水鳥3石 羽2石の右側の小さい石が見え隠れします左 虎の子渡し3石 子の1石が見え隠れします。 前方右隅の二石は【亀】 廊下沿いの手前右側三石は【水鳥】この三石の右端の石が左側の廊下では隠れています。 そして中国伝来の【虎の子渡し】の三石これも虎の子の一石が隠れます。 そして仏の世界の五石の内の真ん中 【三尊石】 の左側の石が、右側廊下から見えません。石組は其れぞれ変形で一見無造作に置かれているようですが、石をなぞらえて空間を一字を描くと 【心】 の字が描けます。 心の目で見て下さいと言う意味でしょうか。 隠れた心で鑑賞して下さいと。夫々動物たちが、大海を泳ぎ、大きく右回りに、仏の世界へと、進む姿が描かれているようです。 鯨2石 亀2石 水鳥3石 虎の親子3石 仏の世界5石 計15石1石見る位置で欠けます。石庭全景石組の配置が不規則に一見並べられて居るようですが石組を夫々なぞらえていきますと 【心字】が描かれるように隠れて工夫されています。驚きです。心の目で観て下さいと。 そして、 【15】 と言う数字は、中国では、満ちた数、完成した数、真理の数といわれているそうです。だから【十五夜満月】 と言うでしょう。とバスガイドさんが説明されると、一同"どぅ"と感歎の声が、沸き起こりました。因みに 15歳・元服。七五三の祝い三三九度の杯【婚礼】何れも合計すると15になります。お祝い事の完成です。 足利・徳川も奇しくも15代で幕を閉じています。何故か自民党宮沢政権も15代で中断。不思議な数です。 意義としては、真実は15の石が有りますが、人間の目では、欠けた13~14しか見えない、知恩院の置き瓦と同じように、謙虚さ を問うて居るのかもしれません。白砂は白川砂で、枯山水の庭園として、水がなくっても、水・池・海を表現 石は山や島を表そうとしています。石に苔が備わり風情を増しています。 白砂を海と考えれば、石群は、島の様に、 白砂を雲として見れば、石群は、山の峯とも見られます。 禅僧は、更に瞑想によりもっと深い意義を感じられているやに思われます。さて皆様はどの様に観賞されることでしょうか。 土塀に囲まれた小さい秘境土塀は石庭の引き立て役のようにも思われます。 ブロ友からは、宇宙観を覚えるとの感想も戴きました。感謝。 今回もプロ友さんから、「仏さんに背を向けて 関心が庭園に」とありました。寺院は、拝むことも大切なこと、反省です。石庭の方丈内に本尊の仏さんが祀られ、襖絵では登り龍そして降り龍の襖絵が観られます。内陣には入れず撮影禁止でご紹介はできませんが、皆さん見向きもしないで立ち去られる方が多いです。 廊下を右に回りますと、苔庭で樹木の根が龍がうごめいて見えるところから、【雲龍の庭】と称され、特別拝観の時は、その奥に龍安寺の創設者、応仁の乱の東軍の将、 【細川勝元】の御廟の建物があります。(非公開) 更に裏側に、これまた表の思想そのままの徳川光圀公の【知足の蹲】 があります。次回にご一緒に味わって見たいです
2015.01.08
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ここ一週間の天気予報朝1度最高も一桁台と寒波が続くそうです風邪などに罹らないよう充分にご用心願います龍安寺は石庭だけを目的に観光されますが 水戸黄門の寄贈された知足の蹲 そして帰路を変えますと衣笠山の池面に映す鏡容池とう見どころをのがして足早くここを後にする方が殆どでもったいないと思います朝の洗心の道の続きです字数に制限のため2回に分けました いよい よ【石庭】です。 石庭は、禅宗の本堂とも言われる、 【方丈】 (ほうじょう)の前に廊下を越して拡がる、方丈庭園として存在します。 方丈とは、仏壇を前にして、一丈四方の位置に坐られる最高位の僧侶のことを【方丈さん】と称されています。ここ龍安寺本堂の前額に【方丈】と書かれた額が飾られています。本尊に対して一礼したいです。 そして内部を見渡すと、襖に昇り龍と降り龍の絵が描かれています。龍は雲を呼び雨をもたらす意義もあるそうで、禅宗は各地で、存在します。 方丈庭園を前にして、僧侶は廊下で座禅を組み、瞑想に耽られるそうです。 従って、石庭の真の意義を解明出来ませんが、皆さんが「なるほど」と思わせる解釈が、種々為されます。私なりに過去何回かお客様と訪れるごとに、お寺さんの昔のスピーカーによる説明とか、バスガイドさんの説明を横で聴かせてもらって、会得した幾つかの内容をご参考に、披露したいと思います。「なるほど」と皆様もご一緒に瞑想してみて下さい。何も知らないより、ご興味が沸くと思いますし教訓にも成ります。 次回有名な石庭の解釈についてご案内したいと思います
2015.01.07
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此処も室町時代の応仁の乱東陣の将、細川勝元が創建した寺院で(西陣の将は山名宗全) 地名が有名になりました。非公開ですが、【細川勝元廟】があり像が祀られています。足利時代に関係するお寺でもあります。応仁の乱で寺院はその時焼失しました。 【龍安寺1.】 (りょうあんじ)臨済宗妙心寺派 妙心寺の外塔頭の一寺。 【世界文化遺産】 金閣寺・銀閣寺と同じ 臨済宗(禅宗)ですが、本山が違います。有名な石庭 早速、世界文化遺産の龍安寺(りょうあんじ)にご一緒しましょう。 お客様から、良く聞かれるのは、 「京都に余り滞在時間がない のですが、運転手さんの、ここ一番のお寺を紹介して」その時「往時、英国のエリザベス女王が西本願寺へはその祖父さんが訪れられ、僧侶とテニスをされたから、御意志で来られました。 京都に来られ、せめて一個寺でも、ご紹介しょうと京都観光局が推挙したのが。【龍安寺】でした。いわゆる「ロックガーデン【石庭】」でした。外国でも話題に成り、旅行案内にも紹介されているのでしょう、外人の観光客が多く見かけられます。」「それならその龍安寺を案内して下さい」此処1個寺だけでも意義深いです。 参道入口洗心の道ともいえましょう修学旅行生も多いです。石庭に向かう道すがら、広大な池を左手に、そして離れ島に橋が架かり、渡ると【弁天さん】の祠が有ります。弁才天は、水を司る神様で、他にも金閣寺でも見かけます。鏡容池弁天さんの祠 左手に手水鉢があります。牛若丸・弁慶の旧五条大橋の橋桁です。横になって手水鉢になっている旧五条大橋 そしてさらに、進むと両側に菱形に竹で編んだ 【龍安寺垣根】 と風情がとても落ち着いて、歓迎してくれています。シャツターチャスですね。庫裏(くり)に入る前にこの龍安寺垣根に囲まれた石段は絵になります。美しい菱形の龍安寺垣 庫裏に入りますと正面に 【韋駄天】 (いだてん)が祀られて居ます。禅宗では、多いです庫裏の守護神で。足が速く、お釈迦さんの骨が盗まれたとき、一途に捉えたというエピソードがあります。 玄関口に韋駄天さんを祀る字数制限のため2度に分けます
2015.01.07
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仕事始めが行われました 依然と寒波はここしばらくは続くようですみなさまお体大切に為さって下さい 【相国寺】 (しょうこくじ)臨済宗相国寺派大本山 開基 夢窓疎石京都御所の北側に位置し、あの有名な【金閣寺】と【銀閣寺】の【本山】で有る事は、意外と知られていません。同志社キャンパスの北側に拡がる、広大な敷地内にあります。足利義満が、室町幕府として、 【花の御所】とも称した、北西にあります。 法堂 「鳴き龍」 外人さんも関心有名なのは【法堂】(はっとう)で、天井には「狩野光信筆」の【龍の絵】が画かれ、「下から手を叩くと」共鳴音が、響く所から「鳴き龍」と言われています。【承天閣美術館】(しょうてんかく)禅の総合美術館で、寺宝が展示されます。近代的な豪華なホテル並みの美術館です。【開山塔】 今回特別公開で観られました。開山 夢窓国師を安置する。前庭枯山水の庭園 開山塔の「龍淵水の庭」 【大光明寺】 (塔頭)(たっちゅう)普賢菩薩の霊場、現在相国寺の管長有馬和尚の住寺。 足利義尚の墓があるそうで、 大光明寺 【塔頭】寧ろ、西南の墓地には、父の【足利義政】と「群鶏図」で有名な、【伊藤若冲】(いとうじゃくちゅう)の墓が並んで、眠っているのが、印象に深く、残ります。そしてここには義満の墓が見つからないそうです。考古学者が掘り起こして調査は続けています。 左から【藤原定家】 南中【足利義政】 右【伊藤若冲】 の墓「宗旦きつね」の祠」千宗旦がお茶席を留守にしている間に、狐が宗丹に、身を化けてお茶を立てた。という微笑ましいエピソードを祠に残しています。宗旦稲荷 次回は同じ臨済宗の龍安寺に参ります
2015.01.06
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もう5日になりましたどんどん月日は待ったなしで進むようです正月気分を一新して元気に日常生活に戻りたいです八代足利将軍義政は、政治を 忌とみ 詩歌に興ずるため将軍職 を譲ることで、京都の不幸な出来事応仁の乱がおこりました。その戦が終わった頃に、財政苦しい中、銀閣寺が建てられました従って銀箔は張れなかったとも銀閣寺の全景が眺められます。手前が「吉田山」遥か奥が「愛宕山」真ん中が「双ケ丘」仁和寺【銀閣寺3.】【洗月泉】 の瀧の側から、山道が始まります。その坂を見て、登るのを諦めて平坦な帰路に向かわれる人が、多いです。思い切って登ってみましょう。苦労した甲斐が、待っています 苔の庭 坂を登り詰めた所に、石組みの崖が、眼前に広がります。ある人は、「何だ瓦礫の山崩れの様だ」とガッカリする人も有りますが、枯れ山水の瀧石組み瀧石の麓 実は、 「枯山水の瀧」を敢えて作成されたもので、 「西芳寺の庭園」にも、存在している貴重な石組みとして、観察して欲しいのです。側には義政が茶の水を汲んだとされる、「お茶の井」が存在しています。 近年、開発された順路として、更に平坦な山道を辿りますと、先ほど観た、銀閣寺庭園を眼下に全景を観る事が出来ます。その他前方に、「三高校歌」で有名な、「くれないもゆる・・・」の吉田山が眼下に眺められ、京都市街の一部の景観も眺められます。吉田山の向こうが、京都大學が広がります。苔の庭 大文字は、この位置の真上となり、如意が嶽と称し、同様の眺望とも考えられます。 道なりに、下山、真正面に、「錦鏡池」に映し出された「銀閣」が見所で、千円札の逆さ富士のデザインに登用してます。【銀閣】(観音殿)国宝屋根には「宝形造・杮葺(こけらぶき)」金銅製の【鳳凰】(ほうおう)が輝き、上層を「潮音閣」観音坐像が祀られ、下層「心空殿」千躰の地蔵尊が祀られて居ます。 此処も、禅宗のお寺の雰囲気として、掃き清められ、訪れる人への癒しともなるでしょう。【応仁の乱】 1467~1477 京の都で、最も悲劇は、一女性から発端。11年間の戦火で殆どの文化財と言える物が、焼失してしまいました。数少ない、社寺に対して、「応仁の乱を免れた」と添え書きしています。足利家の奥様は、代々「日野家」(伏見区醍醐の南部日野)から選ばれています。義政の正室「日野富子」に男子が死産。義政は政治を嫌い、文化的方面に興味を持ち、将軍職を実弟「義視」 (よしみ)に譲ると約束した、矢先に、男子 「義尚」 誕生。富子は、黙っておられずわが子を次期将軍にと、 実弟「義視」は「細川勝元」そして、「富子の押す義尚」 「山名宗全」との戦が、11年間続きました。勝敗の尽きぬままに、双方の将が、夫々病死。幕は閉じました。跡目相続問題で、一人の女性のエゴが罪なき多くの庶民を犠牲にしました、そして街と社寺は焦土化してしまいました。結果義政は、義尚(よしひさ)に九代目将軍職をゆずりました。義政【観音殿】起工式 1489年 母の留めるのも振り切って、義尚25歳戦死(近江の国で先陣として)その霊を弔う為に、大文字を設置(詳細不明・一説に拠れば)・義尚の初盆1490年不思議と同じ年の7月 父義政55歳逝去。歴史は悲しいことも、物語っています。次回は、金閣寺・銀閣寺の本山【相国寺】を訪れます
2015.01.05
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朝の続きです 本堂前から銀閣は、シャツターチャンスです。本堂【東求堂】 (とうぐどう)【国宝】義政の持仏堂。西芳寺には、「西求堂」義政の木像を安置しています。時折特別公開時お部屋の仲間で観られます東求堂しばらく歩を進めますと、二つの池が有り、手前の池には、鶴島を現し、道から【三尊石】が見られ、その側に、立て札で、「大内石」 としるされていました。何の関心もなく、殆どの人は見向きもせず、通り過ぎますが、これには、「いじめ」の深い意味が潜んでいました。義満が各首領に、その地の名石を命じた時に、和泉・紀伊を治めていた大内石「大内義弘」は、「将軍に捧げるは、武力であって、優雅な、庭園如き贈り物は如何なものか?」と拒否した所、義満より冷遇を受けたそうです。従って、此処、義政には、一番に贈ったとされる「名石」です。 もう一方の池には、銀閣を水面に写す「錦鏡池」には、亀島が構えています。洗月泉【洗月泉】 (せんげつせん)・【月待山】瀧があり、月待山からの月を写して、月を洗うの意味です。 "我が庵(いお)は 月待山の麓にて かたふく空の 影惜しぞ思う" 義政の詠んだ詩です。次回は、丘に登った素敵な景色を引き続きご紹介します。昨日 足利義満の墓が見当たらないことで関心を持たれました説によれば 義満は 等持院で荼毘に付し 相国寺境内の 「鹿苑院」に菩提寺として存在しましたが 「応仁の乱」で焼失 再興するも明治維新の廃仏毀釈で 廃寺となり 現代も 地質調査中で建物の柱跡は今回発掘されましたが 義満の墓と断定は見つかっておりません 義政の墓は相国寺に有ります後日お知らせします
2015.01.04
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正月に京都市内に22cmの積雪は61年ぶりの観測でした金閣寺も銀閣寺も臨済宗【禅宗】の寺です。本山は相国寺でその 塔頭的存在に なります。室町時代の足利家が建てた京都の名所で訪れる人が多いです。銀閣寺に大文字があり、 銀閣やはり錦鏡池に写された姿も美しいです。金閣寺が観光スポットとすれば、銀閣寺も世界文化遺産として、関係は、足利三代将軍義満と孫の八代将軍義政との間柄になります。【銀閣】は国宝で、煌きはありませんが、歴史は感じます。金閣が太陽とすれば、銀閣は月を愛でるという、優雅さを感じます。銀閣寺の裏山が如意嶽で、 【大文字】の送り火が、有名です。軒先に、送り火の燃え残りの薪を飾って息災を祈っています。 【銀閣寺1.】 (慈照寺)臨済宗相国寺派 世界文化遺産に登録【慈照】(じしょう)は、八代将軍足利義政の戒名から名付けられています。開祖が【夢窓疎石】(むそうそせき)で造園にも、著名な僧でもありました。嵐山の「天龍寺」・西芳寺(苔寺)そして南禅院 等、此処銀閣寺は、義政が「西芳寺(苔寺)」 に模して、作庭しているのが、特徴です。 みやげ物の賑やかな、参道を経て、慈照寺の門を潜りますと、背の高い潅木に包まれた、 【洗心の道】 を歩みます。娑婆から禅の世界へ招かれた落ち着きを取り戻します、 洗心の道受付を終えて、 受付二番目の門を潜りますと、こじんまりした、「五葉の松」と白砂で築かれた庭園が観られ、本坊の五葉の松 正面の 「花頭窓」 (かとうまど)越しに、本庭園の姿が、垣間見られます。 いよいよ庭園入り口に差し掛かったときに、発する言葉が「何だ、これは」とがっかりの表情が有り、金閣寺からの期待感からか、感歎の声は、余り聞かれませんでした。銀箔が張られたものでなく、古い二層の「銀閣」が佇んでいました。修学旅行生では、その印象が多かったようです。然し、関東の生徒さんが、 「銀閣は、歴史を感じる」と評価してくれました。嬉しかったです。その通り、銀閣は、【国宝】に指定されています。本堂の前からの【銀砂灘】 ぎんしゃだん)は、白河砂で、向月台となっています。銀砂灘中国の西湖(さいこ)に模して造られました。夜に月の光で白砂が煌く姿が浮かびます。 中国に良い印象を壊して欲しくはありません。向月台字数の制限で直ぐ次に続きます
2015.01.04
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字数制限のため朝に続きます夕佳亭茶室の軒下の工夫 風流に造られています雨だれの軒下に、炭が一面に敷き詰められています。雨だれの音が侘しく聞かれる工夫です。茶室の雨だれの下に敷き詰めた「木炭」は、雨だれのしぶきが飛ばないで工夫と、静かな音の楽しめるように設けて有りました。岩不動堂【石不動堂】(いわふどうどう)弘法大師作といわれます。足利義満の墓が600年経っても見つかりません 足利義満は、天下人として、その栄華を極めますが、37歳で4代義持に、将軍職を譲り、享年51歳 戒名「鹿苑院太上法皇」として、何故か墓は未だ見つからず、長男義持は、金閣のみを残し父に関係する建物を全て焼き尽くしたともいわれています。家族崩壊は恐ろしいです。 戒名の位牌が、嵐山の「臨川寺」にあるだけで、足利氏菩提寺は、「等持院」にあります。親子の仲関係が(子供達兄弟の弟への偏愛)もたらしたとのことです。表街道から【左大文字】が直ぐ側にあります。金閣寺の近所のおばあさんに「美しい金閣みられましたかと問うと「お金出して見んでも、何時かは見られるやろるやろ」と。次回は、「銀閣寺」をご一緒しましょう本日は字数制限で2回に亘りました朝玄関を開けると更に京都では珍しい銀世界20cm以上の積雪を見ました京都気象台観測の4位の記録的な雪でした世界一観光ランクの伏見稲荷大社元日三日間で270万人初詣でとのことです雪の金閣も人出が多いそうです 大雪なんのその皆さん元気で活力が有りますね我が家の裏手のJR奈良線表の町並みむ
2015.01.03
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【時には振り返って観ての景色が美しい】タクシーに乗務の頃、遠距離で他府県にお客さまをお送りするときには、帰り道を覚える為に、時にはポイントとして、後ろ向きの景色又は目標物を覚えて京都へ帰ったものです。 前ばかりに自然目は行過ぎますが、時には振り返ってみる景色の素晴らしさも、人生を見落としがちと悔いが残ります。金閣寺垣根 【金閣寺2.】 美しい金閣を中心に、池泉回遊式庭園として、本来は池の周りを巡れるように造られていますが、半周は入れません。 庭園は 【特別名勝・特別史跡】 (国宝級)に指定されていますが、金閣は、昭和25年7月25日未明に、学僧の放火により焼失しました。"三島由紀夫著作"の「金閣炎上」が有名です。従って国宝ではありません。龍門の瀧 池を後にして、道なりに進みますと、 【龍門瀑】 (りゅうもんばく)の瀧が見られます。鯉魚石(りぎょせき)が、瀧に今や登らんとして、斜めに構えています。鯉が瀧を登ると、龍と化す。中国の故事で有名です。安民沢の池 更に坂を登り詰めますと、【安民沢】(あんみんたく)が在り、池の中央に「白蛇塚」が島に立っています。白蛇は、弁天さんの化身で、水神ともいわれています。この池の手前に背の低い竹垣で、これを【金閣寺垣】となづけられています。夕佳亭茶室南天の床柱が有名難を転じて福をもたらす。 【夕佳亭茶室】 (せっかてい)金閣も此処からの眺めも佳しとされています。床の間に「南天の床柱」 (難を転じて福となす) が、「萩の違い棚」が有名です。 茶室より3個目の大石は、大切にされています。【見回り石】この石の上にお客さまに立ってもらって右回りに360度廻ってもらいます。色々見逃す貴いものを発見します。 茶室前の飛び石に、丸い大き目の石が有り、「見回り石」と称します。その場所に立って、一周すると、銀閣寺を建てたね八代将軍「義政」が寄贈したと言われる、「富士型の手水鉢」 があり、更に見返ると、金閣が美しく、そして更に廻ると、安民沢が、眺められます。 人間、前ばかりの景色に捉われず、たまに後ろを振り返ってみると、素晴しい、ものが見られるもので、「反省」の心構えも、時には必要では、と私のお客様に説明していましたら、横から、紳士風の方が、「その話貰った」と声掛けられ、添えて云われるには、「明日の会社の訓示に、使わして貰う」ということでした。とても恐縮しました。でも、関心持って聞き耳をされる紳士にも感じてもらってとても嬉しかったです。字数制限のため次に続きます
2015.01.03
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元旦は京都市内でも何十年ぶりかで10cmの積雪を見ました金閣寺の雪景色も報じています 足利義満は、現世で極楽浄土の再現の夢を実現しょうとしました。日本の仏教は、京都では、弘法大師さんの真言宗そして 伝教大師さんの天台宗から始まり、真言宗は真言宗○○派と別れ天台宗からは比叡山延暦寺で修行僧がそれぞれの経典の玄義で独立した宗派を開きました。此処金閣寺はそのひとつで【臨済宗相国寺派】でいわゆる【禅宗】といわれています。私のブログも今後臨済宗の枯山水庭園など多くをご紹介してまいります。池に映る金閣【金閣寺1.】 (鹿苑寺)(ろくおんじ)臨済宗相国寺派・世界文化遺産鹿苑は、三代将軍・足利義満の戒名から、名付けられました。 "好き・好き・好き・好き・愛してる。一休さん"頓智問答で有名な相手の将軍足利義満が建てた、禅寺です。何故将軍と対等に話せたのでしょうか、実は、一休さんのお父上は、第100代・後小松天皇で側室とは言え、皇子さまでした。寺社奉行でも、「一休殿」と敬称で漫画でも、一休さんと呼んでますねちなみに、一休さんの墓所は、京田辺市「一休寺【酬恩庵】(しゅうおんあん)境内」に宮内庁の御陵があります。入口の門京都観光では、清水寺に次いで、観光のお客様が多いです。禅寺で共通に感ぜられることは、修行僧のご苦労か、塵一つ無く清浄で有る事に感心させられます。従って訪問する者も、心洗われます。拝観券飼う本堂と庫裏 雑音の街から、境内に入ると、洗心の道を辿り、拝観券を買って入り口の門をくぐり、暫し、建仁寺垣根のたたずむ通路を曲がった途端に、燦然とした金閣が目の前に現れます。殆どの人が、思わず歓声を口にされます。そして池の側に立ち寄り、記念写真を金閣をバツクに撮影されています。池に映る金閣 そこで、見所は、金閣そのものも、さることながら、池に映し出された、素晴しい光景を見逃さないで、下さい。作者も【鏡湖池】(きょうこち)と称しています。鏡に映す姿も是非観て下さい。日本人好みの鑑賞方法で、 千円札にも「逆さ富士」をあしらっています。義満が盆栽で植えたと言う【陸舟の松】西向きに向いています。 暫し、歩を進めますと、右手に、本堂が垣根越しに見られ、(非公開)そして更に進みますと、皆様左手の金閣だけに、見とれられ、見損じられるのが、右手に、「五葉の松」であしらった、【陸州の松】が【帆を揚げた宝船】の様に見えます。 義満が盆栽から育った物といわれています。船は、西向きで、極楽浄土を、この金閣寺庭園に、なぞらえているようです。「池泉回遊式庭園」で、池に浮かぶ、島・名石そして松は、各地諸大名から寄贈させたものです。金閣の正面には、鶴島・亀島そして葦原島(日本列島を表現)の中央に【三尊石】が構えています。鶴島の左方に醜い石がありますが、豊臣秀吉の名石狩から、逃れた、中国から採り入れた「九山八海石」 (くせんはっかいせき)の名石が、観られ、葦原島の先に船頭が船を漕ぐよう、「細川石」が見られます。金閣には、一般に入れませんが、此処からも衣笠山が、池に映し出されるそうです。 金閣の初層は、 「寝殿造り」公家 二層は、武家風造り、そして三層は、 「仏殿造り」金箔は、仏殿造りと、武家風造りに施され寝殿は、真下で構えて、金箔は貼られていませんね。義満の意図が計られます。(仏と武士の下に公家) 調和としては、芸術的にも美しいです。他に、「畠山石」「赤松石」が見られます。 金閣の裏側から見た鏡湖池次回は、金閣寺の奥を道順にご紹介します
2015.01.02
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朝の続きです 今までの1回で更新出来ましたが字数に制限が加わり2回に分けています 今回は苔寺にも取材で画像が載せられました11. 西本願寺 浄土真宗本願寺派本山 下京区 12. 宇治 平等院 単立 宇治市 13. 宇治上神社 宇治市 14. 比叡山 延暦寺 根本中堂 天台宗総本山 左京区 15. 高山寺 真言宗 単立 右京区 16. 龍安寺 臨済宗妙心寺派 右京区 17. 西芳寺 苔寺 臨済宗天龍寺派 西京区明日から順次ご紹介してまいります。
2015.01.01
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新年明けましておめでとうございます本年もよろしくお願いいたします京都物語も、1月から又再度初めて見ます。京都に17の世界文化遺産の社寺があり、今回は和食も世界文化遺産に登録されました。再度とはいえ、また観るときの気持ちで新なものを感じます。4か月のサイクルで更新していきます。今後ともよろしくお願いいたします。 17カ所の世界文化遺産の映像並べてみます。文字制限のため2回同時に更新します 1.清水寺 北法相宗 東山区 2.金閣寺 臨済宗相国寺派 北区 3. 銀閣寺 臨済宗相国寺派 左京区 4. 天龍寺 臨済宗天龍寺派本山 右京区 5. 二条城 中京区 6. 東寺 真言宗東寺派本山 南区 7. 上賀茂神社 北区 8. 下鴨神社 左京区 9. 仁和寺 真言宗仁和寺は本山 右京区 10. 醍醐寺 真言宗醍醐寺は本山 伏見区 文字制限で続きます
2015.01.01
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