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早1月も経過の日を迎えました知恩院の除夜の鐘で有名です円山公園の北隣りに面しています 法然上人が説かれた、 【浄土宗総本山】 です。 弟子の親鸞上人も同じく【浄土真宗】として、 本願寺があります。全国から法要のため多くの信者さんたちが、お参りにこられます。 鐘楼【知恩院の除夜の鐘】大晦日と言いますと、テレビでも表題のシーンが放映される事が多いですね。108つの煩悩を振り払う僧侶十数人掛かりで、撞かれます。【重さ70トン】 御影堂(みえいどう)大瓦の頂上の真ん中に瓦が三枚ほどくくられてあります 何故?建物は未完成のままで永久に人も控えめにとの僧侶のお話しでした。 【知恩院】 (ちおいん)は、浄土宗の総本山とされ、法然上人が開祖で一般大衆でも難しいお経を唱えなくっても、ただ 【南無阿弥陀仏】 と唱えるだけで阿弥陀さまの世界【西国極楽浄土】 に召されるということで、日本全国信者さんが大勢信仰を持って居られます。 御影堂(みえいどう)は法然上人が祀られ、大きい建物です。何でも、 【左甚五郎】 の作と言われています。過日疑問にずっと感じていましたが、信仰の対象と成るはずの【阿弥陀堂】が西側に小さくって、聖人とはいえ【御影堂】がとても大きいことに和尚さんの説明では阿弥陀堂は【礼拝堂】であり御影堂は、【説法堂】として広く多くの人達が法話を聞くお堂と。やっと納得できました。 長い竹の棒で位置を説明します。 有名な 【忘れ傘】 が正面向かって右側の軒下に見上げるとひなびて居ますが、見られます。実は忘れたのでなく、木製の建物として最も恐ろしいのは【火災】です。それに対応して、水に関係する【傘】を置いたのでしょうね。 屋根の頂上の中央に【瓦三枚】が縛られて置かれています。和尚さんのお話では、作者は半永久的に残したい意味で「この建物はまだ未完成ですよ」の意図と考えられます。人間も慢心しないで未だまだ足らない事が多々あります謙虚さを説かれていました。寺社では、隠れた為になる教訓が気付かない所に有るようですね。 西側に阿弥陀如来の祀る阿弥陀堂があります。 更に奥に行きますと、廊下が【鴬張り】になっています。そして更に進みますと大柄杓(ひしゃく)が手の届かない、梁(はり)に掛けられ、【シャクに触るな】につながります。又柄杓は、多くの人を救いとるの意。あまり上手に画けて【抜け雀】【三方正面真向の猫】観る者が位置を変えても、親子の猫の目がこちらを見ている。 日本一大きい三門一度は観られると良い豪華な【三門】は日本一大きいとされています。その上層部には、建築の責任者寺社奉行【五味金右衛門夫婦】の【白木の棺】と像が置かれています。予算超過でその責めを採り自刃。三門は、徳川二代将軍秀忠公によって建てられ、楼上には、お釈迦さんが、祀られて居ます。お釈迦さんは両手の指を伸ばしておられます。(仏像の観方)三門から御影堂まで、急な石段【男坂】となだらかな【女坂】があります。七不思議のひとつ【瓜生石】 二条城に通ずるミステリ地下道の出入り口される【瓜生石】この石の上に祇園の牛頭(ごず)天皇が降り大石から瓜が実った 以上を【知恩院の七不思議】とされています。知恩院は、徳川のお城でも有ったようです。 御殿の東北には、東照宮があり、家康・秀忠を祀って居ます庭薗も観られます。 知恩院境内の最も聖なる地法然上人御廟所石段を登りつめた場所御影堂の東に急な石段を登り詰めますと、【勢至堂】(せいし)即ち法然上人のご幼名でありそして、【御廟】が有ります。その勢至堂の裏側即ち北側に、NHK大河ドラマ天地人で話題となった、徳川家康の孫、豊臣秀頼に嫁がされた【千姫の墓】 京都の市街が、美しく見渡せます。千姫の墓千姫も。父秀忠公と静かに京都を見守ってくれていましょう。 東照宮への庭園 御影堂の東側から勢至堂・御廟への石段登り口次回は天台宗門跡寺青蓮院に参ります
2019.01.31
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忠盛の燈籠立札八坂神社の境内を出ますと、【祇園】の街です。舞妓さんの踊る、祇園歌舞練場に隣接して、雰囲気は、一転して清楚に掃除の行き届いた、禅寺 臨済宗【建仁寺】に至ります。京都観光寺院として、堂内は全て、写真撮影禁止とされていますが、【建仁寺】は全て写真撮影可ということでした。皆様にご紹介出来て嬉しいです。 足利義満の決めた 京都五山の第三位 に格付けされています。国宝・風神・雷神と天井の双龍が有名で、そして庭園が美しいです。風神・雷神は観音さんに仕える二十八部衆の両側に位置して祀られることが多いです 高台寺の本山でもあります風神・雷神図 国宝の模写 【建仁寺】 【東山区】臨済宗建仁寺派大本山 開山 明庵栄西 開基 源頼家 山号 東山 京都最古の禅寺で、鎌倉時代建仁2年(1202) 二代将軍源頼家(よりいえ)の庇護のもとに建立年号を採って【建仁寺】とされました。朝廷政治から、武家政治に変わったころでもあります。 栄西(ようさい)禅師は、中国より、お茶の種を持ち帰り、高山寺で初めて栽培、喫茶の茶祖です。【建仁寺の学問面】(がくもんづら)秀でた禅僧排出されたことから。 禅問答の掛け軸○ △ □ の字は 江戸中期に書かれたそうです。 唐子の襖絵中国では安産を願って描いたとされます。兎の襖絵 風神・雷神の襖絵 【方丈】「大雄苑」の名の枯山水庭園が広がります。花頭窓(かとうまど)からの方丈庭園 本尊は、十一面観音菩薩 【徳川秀忠・江】の娘 和子姫(まさこ) 後水尾天皇の中宮。【東福門院】寄贈三尊石の庭園【潮音庭】四方正面の三尊石 四季折々に苔も美しい。 【茶席・東洋坊】茶室の西側有名な「建仁寺垣」が観られます法堂天井に双龍が描かれ云います高台寺は建仁寺派今回双龍を採り入れました。 天井・双龍絵ほかの寺院では めったと写せない天井龍です。【法堂】(はつとう) 釈迦如来と脇侍に迦葉(かしょう)・阿難(あなん)尊者が祀られ、天井に平成14年画かれた【双龍】小泉淳作筆が観られます。(あうん)の口をした2匹の龍が描かれ、阿形の手には玉を掴んでいます。禅寺では、龍を飾っていますが、龍は仏法守護として、また水の神として、雲を呼び、仏法の教えの慈法雨を降らせるとしています。【風神・雷神図】【国宝】(俵屋宗達絵)は、江戸時代。見事で有名です。現物は、京都博物館に保存。 十六羅漢像【陶製一六羅漢像】明治から大正にかけて作成 龍の襖絵【雲龍図】海北友松(かいほうゆうしょう)襖絵春日局の父君の友人 橋本関雪の襖絵 昭和15年大修理で60面描かれました。 祇園花見小路歌舞練場の側に、建仁寺が広い伽藍で、静寂の境内に臨みます。この時季のみ、特別公開される、半夏生 【建仁寺】臨済宗建仁寺派の塔頭【両足院】半夏生(はんげしょう)庭園一杯に白く葉っぱに化粧しているように見える姿は皆様を楽しませました。 半夏生季節語で言えば 夏至(6月21日)から数えて11日目の7月2日~7月7日まで5日間を半夏生といわれています。「チュウ(夏至)は、はずせ、ハンゲは待つな」ということわざの通り、田植えは、半夏生の前にやることが好ましいとされています。 両足院の玄関 例によって、龍の蛇腹型の石畳半夏生の庭 庭園を取り巻く建物 庭園一杯に半夏生 建物の向かいの丘から 茶室 茶室でお茶のお手前 正に幽玄の境地に酔って居ます。 次回は青蓮院に参ります
2019.01.30
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東山歴史街道の円山公園のそばに八坂神社があります本殿の側に【平家物語】平清盛の母御の悲話の基となる【忠盛の燈籠】が立って居ます 八坂神社 【東山区】 祇園にある八坂神社は、祇園祭で有名です。祭神は素戔鳴男尊 (スサノオノミコト)祇園の中心にある八坂神社疫神社 祭神 蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)門を潜った位置にあります。祇園祭の際、撒かれる「粽(ちまき)」に蘇民将来の護符が付いています。 【立札の説明】むかし、祖神(おやがみ)が諸国を巡って、日の暮れに宿を請うたところ巨旦将来(こたんしょうらい)は、富み栄えていたのに貸さず、蘇民将来は貧しかったけれど、粟穀で座をしいて、粟の粥で手厚くもてなしたので「われはハヤスサノヲの神なり」といい、後年疫病が流行しても茅の輪をつけて 「蘇民将来の子孫なり」 とえば災厄から免れると約束され、巨旦将来の子孫は皆堪えてしまいましたが蘇民将来の子孫は今に栄えています。 本殿 【平清盛のお母さんの悲劇が可哀そう】 【平清盛の出生秘話】 平家物語 【祇園女御の巻】NHK大河ドラマ【平清盛】その主人公の出生秘話が、此処京都八坂神社の境内にありますが、殆どの人がその存在と縁起を知らないままに燈籠が建っています平忠盛は、一介の北面武士でしたが、冷静に思慮の深さで社僧の命を落とさずに救った手柄が、歴史を変えました。 平忠盛燈篭 位置が判り易い様に本殿の側燈篭の裏側から写して見ました。殆どの人は、関心なく、素通りされています。 【忠盛燈籠】 (ただもりとうろう) 八坂神社境内に、面白い伝説がありますので、ご紹介してみます。本殿の東の方に、「円山公園」から八坂神社の境内に入った場所に建っています。【白河法皇】が【平忠盛】を伴って【祇園女御】(ぎおんにょうご)を尋ねて、祇園社に来られたときに、雨の中怪しげな光を伴う妖怪を目の当たりにされました。「白河法皇」は「忠盛」に命じて、「射止めよ」と次の忠盛の仕草が、歴史を作りました。生け捕りにして、正体を確かめたのです。やはり正体は、祇園の社僧が、燈籠に火を灯すために、蓑笠からもローソクの火で光っていました。沈着冷静な、忠盛により、尊い命は救われました。よってこの地に、忠盛を讃えて、八坂神社の境内に飾られています。お話に続きが有ります。白河法皇は、即命令に応じず、叱るべきところ、社僧を誤ってあやめる事がなくってすみ、その功を讃え、褒美をとらせようとして、既に、法皇により、腹ぐんだ祇園女御の子が男子であれば授けようと結果男の子でした。それが何と 【平清盛】 として、平家棟梁に成りました。祇園女御の妹の子との説もあります。今回のドラマでは、清盛の生母は、「もののけ」がついて呪われているとして、白河法皇と忠盛の面前で、お付きの者数人で槍に突かれて亡くなる悲惨な場面から始まり、心痛めます。権力者は、強がりのようで、妖怪変化、もののけには、弱かったようですね。清盛は、優しい生母には恵まれて居なかったようです。そして血を分けた父は忠盛では無かったようです。「祇園精舎の鐘の音 奢れる平家久しからず」何か因果がありそうです。【白河法皇】 は権力者で、この世で適わないものは、ひとつとして無い。その有名な言葉が京に残っています。白河法皇でも、思うようにならなかったもの。鴨川の水双六の賽の目比叡の山法師でした。それほど恐れられた権威者のようでした。そして権力者ほど、物の怪などに恐れをなし終始臆病で懐疑心が高まり、心の休まることが無かったのでしょう。白河天皇御陵は、京都南インターを降りて、城南宮の南当時、鳥羽離宮を建てられていた跡地に鳥羽天皇と隣接して眠って居られます。何時の世も権力者の横暴は、目に余るものを覚えます。余話平清盛の母は? 舞子 祇園女御 池の禅尼 舞子の姉 清盛の養母白河上皇は 孫の鳥羽天皇の中宮として待賢門院璋子を養女に迎えその病が重病で 陰陽師の祈祷により 舞子に物の怪が付いているとして白河上皇の面前で捉えられ家来たちの槍で殺害されました平清盛の異常の出世は 権勢を誇る白河上皇の子としての後ろ盾に基づくとも考えられています そして清盛の気性も同じく激しさがありました参考 大河ドラマ そして平家物語 次回は【建仁寺】に参ります。
2019.01.29
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本日は、清水寺から三年坂維新の道ねねの道そして円山公園までの散策についてご紹介してみます。京都らしい風情の味わえる散策道でもあります。戦国時代から維新の世まで 歴史を偲びつつ 法観寺【八坂の塔】五重塔 三年坂写真の手前を左に曲がったところから二年坂・一年坂 【台所坂】の長い石段を降りますと「ねねの道」に至ります。降りたところに、 【霊山観音像】 「高台寺」の南隣接して、大きい観音像がコンクリートで戦後造られました。 霊山観音 維新の道 維新の道「ねねの道」の南端から、東に掛けて「維新の道」が急な坂道として登りますと、 京都霊山護国神社北側に【京都霊山護国神社】があります。戦争で戦士された英霊が祀られて居ます。観音像は、更に目だって大きく航空機でも存在が判るほどです幕末の頃に「招魂社」として建てられ、維新の頃の亡くなった550柱の墓があり、 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓特に「坂本龍馬・中岡慎太郎そして、木戸孝允」の墓は、有名です。 龍馬たちは京都の都を見守っているようです。ねねさんも やっと落ち着かれました【円徳院】が有ります。襖絵は、長谷川等伯作とも云われています、小さな庭園が楽しめます。院内に「三面大黒天」という珍しい像が祀られて居ます。ねねさんも時折寝泊まりされたとか。円徳院庭園 高台から京都の街が見おろせます。霊山は「りょうぜん」と読んでいます。 ねねの道素人・舞妓姿に変身して楽しむ方も多いです。 石塀小路元京都市電の敷石で構成 大雲院・祇園閣 大雲院は、浄土宗で、本能寺の変でなくなった織田信長・長男信忠の天皇勅命による菩提寺で、墓地には碑が立っています。そして盗賊「石川五右衛門」の墓があり、墓石があちこちあやかりたいとして欠けているそうです。因みに戒名は「融仙院良岳寿感禅定門」 贈り名に 10字と多いこと 寺格の院を配するなど、従来高位の人、社会に著しく貢献した人に贈られるもので、正に当時の義賊と賞賛されたことが伺えます。非公開寺院ですが、予め申し込まれると拝観可能のようです。円山公園、音楽堂の前に佇んでいます。 円山公園円山公園の再び坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像明日は、八坂神社から建仁寺へ参ります。
2019.01.28
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非条理の秀吉に変わって明るい場所をご紹介します 此処高台寺では、ねねさんに人気か゛あって尋ねる人が絶えません。 我が儘な夫を最後まで、ねねさんは支えてきました。徳川家康の庇護のもと建てられたねねさんの菩提寺です 高台寺庫裏の入口 【高台寺】 【東山区】臨済宗建仁寺派 開基 弓箴(きゅうしん) 山号 鷲峰山 豊臣秀吉の夫人「北の政所ねね」が秀吉没後9年後に建てたお寺で、後陽成天皇より下賜された「高台院」にちなんで名付けられました。秀吉並びに生母・養父母そして木下家の菩提を弔うべく建てられたようです。徳川家康もねねさんには敬意を表し、普請に要する費用も援助したとか。伏見城に有った【薬医門】【傘亭】【時雨亭】なども移築されて残っています 三門薬医門の「蟇又」には、「見返り狐」と「うさぎ」が飾られています。庫裏横の受付より庭園に入っていきますと三門【薬医門】蟇股の中に兎裏には狐 【臥龍池】(がりゅういけ)「蓬莱形式庭園」として広がります鶴島・亀島はおおきいです。 鶴島・亀島の庭園池を巡りながら【楼船廊】(ろうせんろう)の最中に屋根を一段高く「四方唐波風」で【観月台】が目立ちます。東山からの出る月の眺めは、侘びを感じます。 観月台【開山堂】北の政所の兄「木下家定夫妻」も祀られて居ます。格天井がみものです。 開山堂【臥龍廊】 「開山堂」から「霊屋」への渡り廊下です。龍の様に曲げられています。 臥龍廊同じ身内でも昨日の【瑞泉寺】と比べると別世界で天と地下の違いです【霊屋】 (たまや)の政所は、寛永元年(1624年)9月6日77歳で逝去。此処に眠っておられます。「おたまや」と愛称されるほどに、【蒔絵】(まきえ)が豪華で、「五七の桐」紋を交え、特に夫、秀吉が好んだ「朝露」を、「秋のすすきの葉に露の玉」を採り入れた「ねねさん」の気持ちが痛々しく伝わるようでした。 「花筏」「浄土の様楽器」の蒔絵には、ねねさんの思い遣り、希望の念じ方が伝わるようでした。霊屋の内陣に、秀吉・ねね夫人の坐像が飾られていました。 ねねさんの御廟【霊屋】 「大阪城の落城」で燃え盛る火炎を、どのような悲しみで、眺められた事でしょうか。更に高台に【傘定】と【時雨亭】が昔のままに残されています中には自由に入れます。 傘亭時雨亭【方丈】は、最近立派に建てられ、【書院】では「おうす茶」も楽しめます方丈庭園観月台から南東の山を眺めますと、【阿弥陀が峰】が見上げるように見えます。ねねさんはひとりどうにもわがままを通した秀吉の菩提を弔っていたのでしょう。 遺言通り同じ東山連山にあって旦那が京都の都を見下ろせるところに葬れ ねねさんは地中深くと謙虚に霊屋で眠って居られます高台寺の石段を降りますと、市民から誰が名付けたか「ねねの道」があります。見下ろすと 【八坂の五重塔】 が見えます。 法観寺の八坂の塔 大雲院の祇園閣石川五右衛門の墓同じ東山山麓に秀吉とねねは眠っています秀吉の辞世の句に なにわのこともゆめのまたゆめと水戸の黄門さんの「知足」足るを知る を知れば 幸せだったかもしれません天下取りもまだものたりなかったようです 強欲には果てしがないようです明日は清水寺の三年坂から東山散策街道をめぐってみましょう
2019.01.27
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昨日は北野天満宮の初天神 梅のほころぶ境内は150万人の参詣者が訪れられたそうです菅原道真の誕生日が6月25日と命日が2月25日に因み毎月25日縁日が立ちます大相撲初場所数々の記録を残した横綱白鵬休場が増え心配して居ましたが終盤まさかの三連敗玉鷲・貴景勝・の優勝争い新機交代の雰囲気になりましたテニス女子日本人初の決勝戦進出大坂なおみ選手今夕17時30分試合が行われるようですね昨日気象庁で日本全国インフルエンザ警報が発令したようです京都にも大雪の予報此処暫く冷え込みも厳しいですお身体大切に為さって下さい聚楽第の落書き事件で秀吉の本心が剥き出しになりました大河ドラマ真田丸放送秀吉刀狩り令を出し方広寺建設に不満を抱いた庶民がたまたまちゃちゃが不自然にも男子出産で風刺した内容で激怒犯人が解らず警備員の番衆17人を耳鼻を剥いで磔処刑 本願寺に匿われて病死した尾藤道林の首を三成が差し出してこれ以上の人を殺めることを言上するも治まらず妻子近所の家の焼き払い60名京都六条河原で磔ねねさんが諌めても治まりませんでした 寧々さん曰く「あのひとは織田信長よりも怖かった」とその後の事件は 本日述べる事態にもなりました 豊臣家の短命と徳川家の長期維持は、身内子孫を邪魔だから排除したか、多く育んだかの形で歴史は変遷して行ったと思います。京都の佳いところばかりでなく、時には歴史上の弱者の悲哀を偲ぶことも、知っておくことが大切とも考えました。 【瑞泉寺】 (ずいせんじ) 【中京区】山号 慈舟山 浄土宗禅林寺派前関白豊臣秀次公御一族四十九宝塔菩提寺山形戦国大名 最上義光の二女 駒姫の悲話 坂本龍馬の京都木屋町の寓居跡 坂本龍馬寓居の址【酢屋】(すや)と高瀬川を境にほんのそば三條通木屋町下がった位置に、人知れず菩提寺が有りました。太閤秀吉の姉「とも」の子、従弟にあたる 【秀次】 当初近江八幡43石の大名でしたが、秀吉の嫡男鶴松の幼くして死去に実子が恵まれず秀次を養子に受け入れ後継者として、聚楽第まで建てて、関白の位まで授かってもらった処淀君との間にやや 【秀頼】 が産まれるや否や、難癖をつけて関白職を奪うばかりでなく、高野山に追放の上自刃に追い込まれました。側臣に仕えた石田三成の入れ知恵ともいわれています聚楽第も焼失(僅か8年存続)させるほどに、それだけでは気が済まず、何の罪も無い秀次に仕えた側室・侍女及びその若君4名・姫君1名も三條河原で斬首。その場に、切腹した秀次の首まで晒したという醜業は目にあるものを覚えます。天下人の用心は、肉親をも信頼出来ないで、世にも恐ろしい地獄絵を見せ付けました。後に高瀬川を開削した【角倉了以】 が、刑場の址地とされる此処に菩提寺を建てたとあります。 記この堂の中央に安置された地蔵菩薩は秀次公一族の処刑の際刑場の一隅にその木像を運び込み、次々と打たれる子女達に引導を授けたと伝わる尊像です。 極楽浄土へ死者を導く 【引導地蔵尊】 として京洛の人々に今日なお崇敬されています。 寺伝では「定朝作」大河ドラマ花燃ゆの毛利のお殿様のように 戦の無い民百姓のことを思い遣る天下人であってほしかったです秀次公四十九の供養等四十九の供養等秀次の墓と四十九の供養塔 墓標 鐘の棒の漣のような響きは、悲しみを訴えているようでした。安らかに憩われるようにお祈りしました。 首塚の前に「南無阿弥陀仏」と記された鐘棒五個が鳴らすと、共鳴してカランコロンといとも悲しい音色が境内を奏でていました。堪らなく悲しみを覚えました 殉職した四十九柱絵図 秀次の首塚三條河原の刑場で四十九柱の遺体を地中に埋め,その上に高野山からの秀次の首を西向きに晒し、三條大橋を渡る人々に晒したという、寺伝が残されています。昨日の侵略による野蛮的「耳塚」と共に、一番に訴えたかった京の街の繁華街に近い,「酢屋」と【瑞泉寺】へ写真を撮りにいきました。殆ど人は、存在をご存知有りません。でも歴史で悲しい出来事は、太閤の栄華の蔭で歴然と残されていました。秀次の無念さを考え、四十九の御霊の菩提を祈ってまいりました。難を逃れた武将たちは、のちに関ヶ原の戦には、徳川方に就いたとも言われています。 山形の駒姫の悲劇 於伊満の方 御駒山から名を山形大名 最上義光(よしあき)の二女 伊達政宗と従妹関係秀次が山形に出向した時に見初めた東北随一の美女とされる駒姫が15歳に成れば側室に迎えると約束その時期になり亰に向かいますが 秀次は秀吉の命で切腹秀次にも生きて会えなかった駒姫秀吉の悪さは 亰に着くや身内として49名の犠牲者に命令されました 流石に ちゃちやも徳川家康も思い止まるよう説得しましたが聞き入れられませんでした1595年8月2日秀次の家族侍女らと三条河原で打ち首享年15歳辞世の句「罪なき身も 世の曇りにさへられて 共に冥途に赴けば五常のつみも ほろひなんと思いて」 伊満 十五歳 「罪のない身でありながら、世間から疑いをかけられてみんなとともに冥土に行きます。そのことによって、人が行うべき五つの道に背いた罪も、消えるだろうと思って歌を詠みます。」駒姫の墓は故郷に帰り山形の専称寺(せんしょうじ)に静かに眠って居ます 大河ドラマ真田丸で可成り秀吉の所業も理解できたと思いますが東北では 駒姫の幼くして何の罪もなくして辞世されたこと悲話として伝えられているようです 布団着て寝たる姿や東山 服部 嵐雪七条大橋からの東山右がわ一段と高い山が阿弥陀が峰【頭の形】真ん中清水山【お腹を突き出したような形】左側の低い山は高台山【足元】明日はねねさんの高台寺へ、旦那が高いところなら私は地中深く低いところで、旦那をそっと見守りたいと太閤贔屓の方も多く居られましょうが 多くの犠牲者を悼みたいです
2019.01.26
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昔から法住寺 という広大なお寺が有りました元は天台宗のお寺の境内が、後白河上皇の院政に移り鎌倉幕府で武家政治と変わり、その後時代は変わり豊臣・徳川の支配下になりました。 秀吉が三十三間堂にも関わっていたことは、「通し矢の禁止令」の古文書で明らかで、方広寺には、権威誇張のため、奈良の大仏さんより大きいものを建てましたが地震で壊れました。再建しても火災にも会って今は存在しません。 京の童歌 「京の、京の大仏つぁんは天火で焼けてなあ。三十三間堂は焼け残った。ありゃどんどんどん、こりゃどんどんどん。うしろの正面にどなた。お猿きゃっ、きゃっ、きゃっ。」 そして秀吉の死後近くの阿弥陀が峰の高き場所に遺言で葬られました。あの天下人でありながら、辛うじて、墓はあっても秀吉独自の菩提寺がないことに、気付きます。徳川家康によって、秀吉の所縁のものは、ねねさんの願いで太閤塀と南大門だけが、現代遺されています。南大門と築地塀 瓦に五七の桐紋 三十三間堂から「東山三十六峰」を眺めやりますと、頭を南に大きいお腹をつきだして、脚を伸ばす姿が、正に人が寝ている姿にも見えます。 「布団着て寝たる姿や東山」 服部嵐雪布団着て寝たる姿や東山右方が頭で左が伸ばした足にみえます 豊国廟の500段石段下正面 【東山区】この阿弥陀が峰頂上に豊臣秀吉が眠っているはず 頭が豊国廟のある太閤秀吉の墓で、「吾が屍を都の見下せる場所に葬れ」と言うことで「阿弥陀が峰」の頂上に置かれています。石段500余段有り、脚がわらってしまうほどです。一度だけ訪問しました石垣に包まれた五輪塔の石碑があるのみでした。 ねね夫人は、脚元の「高台寺峰」に、「旦那が高い所ならば、わたしは地中深く掘り下げたところに」と謙虚に高台寺に眠っています。お腹は、「清水峰」で、東山区では、代表的な【清水寺】が有ります。 豊国廟 京都市立札豊国廟豊臣秀吉のの廟所である。 慶長三年(1598)八月十八日秀吉は齢六十三歳を以って伏見城にて葬じた。遺体は遺命により阿弥陀ヶ峰中腹に葬れ、墳上には詞廟、山麓には社殿が建立された翌年四月十八日遷宮が行われ、後陽成天皇から 正一位豊国大明神の 神階と神号を賜り以後毎年盛大な祭礼(奉告祭)がとりおこなわれた。しかし、元和元年(1615)豊臣氏の滅亡と共に、廟は破壊され、墳墓に弔する人もなく、空しく風雨にさらされいた。明治三十年(1897)秀吉三百年忌に際し、廟宇が再建され、墳上には 巨大な五輪塔が建てられた。なお、社殿は 明治十三年(1880)旧方広寺大仏殿の地に豊国神社として再建されている。 京都市 京都市の公認の立札です 秀吉の逝去後 徳川家康は豊臣の領地内の全ての建物を方広寺を残して壊してしまいましたそのため 秀吉の墓も金銀宝物ありと 野党にあらされ破壊されたとあります百姓あがりと侮るであろうと次々に力になる側近を殺めてしまいました天下人と称する秀吉の墓は山上に建てても 無きに等しくなりました明治になって 出世頭として 神にまでなり現在豊国神社が祀られています 大河ドラマ軍師黒田官兵衛にも描かれる奢れる天下人の末路豊臣秀吉の 百姓あがりと愚弄するであろうの 常に妬みは生涯天下人となっても更にエスカレートしていきます まともな家来は はなれるばかりてす千利休そして黒田官兵衛にまで疑心を抱くようになりました此処三十三間堂の界隈は歴史の足跡が偲ばれます 豊国神社(とよくにじんじゃ)伏見城から移築国宝唐門 豊国神社前豊臣秀吉 豊国大明神徳川家康 権現 【豊国神社】 (とよくにじんじゃ) 明治になつて太閤秀吉を祭神として祀られて居ます。徳川家康により焼き払われましたが、明治時代に再建され、拝殿は伏見城の遺構を持ってきています。徳川家康は秀吉なきあと支配し、豊臣秀頼に命じて財産を使わすため青銅の大仏さんを建てさせさせました。この大仏さんも寛永の大地震で倒壊「寛永通宝」に化しました落慶法要のときに、釣鐘の銘に家康は因縁を付けました。 方広寺の釣鐘白塗りの部分に「国家安康・君臣豊楽」の銘が書かれています。東福寺臨済宗の僧 文英清韓の作と言われています 【方広寺】 釣鐘に有名な「国家安康・君臣豊楽」 の銘があり、徳川家康の曲解で「大阪城冬・夏の陣」と豊臣家は滅びてしまいました。 家康の名を安の字で分断・豊臣が栄えるの意。 方広寺の岩だけ当時のまま残っています。 耳塚供養塔 【耳塚】 「豊国神社」の前の道の側にあり、秀吉が韓国に野望を広げて攻め入り、韓国の罪無きひとびとの耳や鼻を船で日本に持ち帰り、その数で論功功賞を図った惨い仕打ちに、目を覆いたくなるのですが、その被害の霊に対して「供養塔」が建てられています。「瑞泉寺」での、豊臣秀次一党身内でも痕跡無くなるまでの自己防衛の仕打ちと重ね、歴史上真意や如何に一方神にまで奉じられている現実、太閤贔屓の方ね多いでしょうが、その蔭も京都には遺されて居ます。人間の神格化。野望に残忍な犠牲そして、釣鐘によっての大阪城の滅び。因果報応が、この一画に集められた異様な場所でもあります。文責もあり 京都市の立札を追記しました。明日は、その悲劇【瑞泉寺】 (ずいせんじ)をご紹介します「耳や鼻を剥ぐ」命令はこの前の大河ドラマで聚楽第の落書きに秀吉が激怒 犯人は勿論家族近辺の民百姓までの耳を剥げの様子が出て居ました 秀吉の悪い面ばかりがドラマでも扱われています
2019.01.25
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三十三間堂は、仏像の設置の常識が解る、仏像鑑賞に役立つお寺でした。右 本尊 左(上位)雷神・帝釈天(太陽)・吽形仁王 風神・梵天(宇宙)・阿形仁王 NHK大河ドラマ平清盛がありましたが、後白河上皇の壮大な離宮【法住寺殿】の一角に上皇は勅命により清盛に三十三間堂を1164年創建したと伝えられています。柳と三十三間堂法住寺殿跡地三十三間堂外の向いに位置し、そのお隣に75代後白河天皇の御陵そして、養源院が並んでありました。恐らくどなとも知られずひっそりとしていました。 後白河天皇陵豊臣秀吉は、一旦、その広大な法住寺の跡地を我がものとしましたが後に徳川家康によって採り上げられてしまいました。栄枯盛衰の歴史が感じられます。養源院門 【養源院】 浅井長政と徳川の菩提寺当初、淀君が秀吉に頼んで、父の菩提のため建てられました。秀吉亡きあと、豊臣に関係ある建物は太閤屏の一部を残して壊されましたが、妹【江】(ごう)の願いで、長政の菩提寺は残され、徳川の菩提寺ともなりました。伏見城の【血天井】としても忠臣鳥居氏たちの供養もされています。参道徳川の三つ葉葵参道の現在の紅葉三十三間堂外側からこの向かいに養源院があります。修学旅行生がタクシーでそして外人の方も多く見かけます。殆どの方は、日本一細長いお堂の中を1001体の観音像に驚きそのまま退散される方が多いですが、往時火災で持ち出されたのは、観音さんの前に並んだ鎌倉時代の国宝二十八部衆と風神・雷神に観賞されるゆとりも無いようです。タクシー利用の修学旅行生時代は代わり、桃山時代には豊臣秀吉がこの周辺を広く確保し方広寺では高さ19mの木造大仏(奈良の大仏14.9m)を建てたとされています。秀吉死後、墓地を背後の阿弥陀が峰に葬り徳川家康によって、秀吉の所縁のものは、ねねさんの願いで太閤塀と南大門だけが、現代遺されています。南大門と築地塀 瓦に五七の桐紋歴史の流れを推し量りながら、明日から順次寺社の説明にはいりたいです。後白河上皇も、平清盛も、権力を持たれて三っつの事ができないと言われた(加茂川の水・賽の目・比叡の僧兵)72代白河天皇に縁があり、後白河天皇は、鳥羽天皇と待賢門院さんとの子で、平清盛は、父平忠盛だが、祇園八坂神社境内にある忠盛灯篭のゆわれで、白河天皇のご褒美として、白河院の女房祇園女御(妹の説?)与えられた母とも言われています。そしてその清盛の母は呪われているとして白河院の目の前で家来の槍で突かれて惨殺されましたあれだけ歴史上の有名人物でも仔細が判然としていません。いずれにしても両者後白河天皇も平清盛も気性は激しかったようです。 平忠盛は、一介の北面武士でしたが、冷静に思慮の深さで社僧の命を落とさずに救った手柄が、歴史を変えました。 平忠盛燈篭 八坂神社の社殿の側(詳細は後日八坂神社で)明日は歴史上名高い方広寺に参ります
2019.01.24
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仏像の種類の応用です昨年千手千眼観音菩薩1001体の立像も国宝に指定されました何故三十三間堂と言うの西国三十三ヶ所観音霊場札所と言いますね観音菩薩は他の仏さんに三十三変身されると言われています三十三の間は扉で仕切られ 日本一長いお堂になりました 観音菩薩 風神 二十八部衆 雷神 修学旅行には、欠かせない観光地のようです。でも時間を急ぐのか小走りに廊下を駆け巡るだけでどれだけの印象に残るものか惜しまれます。中央に 本尊十一面千手千眼(せんげん)観音坐像 そして四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)四天王の覚え方 中学生に教わりました じ・ぞぅ・こう・たそしておっちゃんの好きな麻雀で とん・なん・しゃ・ぺ と夫々本尊の四方の守護を担当するそうです観音立像千一体の多さに驚きますがその前列の国宝の二十八部衆像に 風神・雷神目を留めてほしいです。1体とは始まりを意味します。二十八部衆は鎌倉時代の作で手に楽器を持つ像があります悪霊を妙なる音で追い出す意味で見つけてみて下さいそれにしても、仏様一体でもご利益は届くと思いますが、後白河上皇は、数の多さで臨まれたようです。世界文化遺産並みお堂と考えられます。 【蓮華王院】 【三十三間堂】 天台宗 (東山区) 開基 後白河上皇 山号 なし外人観光客・修学旅行には、人気の高い寺院です明治の煉瓦風の建物「京都博物館」の南向いに有ります。受付を入りますと、長方形に三十三の間の扉で仕切られた、日本一長い建物に驚きます。観音さまは、人の願いに応じて、三十三身に変化される数に合わせているようです。更に堂内に入りますと、これまた観音さんの立ち姿の多いことに感歎の声を発せられます。 何せ、真ん中に十一面千手千眼観音菩薩坐像【国宝】(仏師法印湛慶作)が蓮華坐に安置され其の両脇に五百体づつそして、その裏手に一体の十一面千手千眼観音菩薩立像が所狭しと整然と並んでいます。 そして観音菩薩の護身役として前列に二十八部衆と風神雷神【何れも国宝】が並んでいます。左右対称の場合は、本尊より左手が上位です。(私達より向かって右側)例えば。「雷神・風神」「仁王の阿・吽形像」「梵天(宇宙)・帝釈天(太陽)」この形式は「清水寺」も観られましたし外でも良く観られますので参考にされるには最も身近に大きいお姿で拝観出来ます。頭痛のお守り 何でも「後白河上皇」頭痛持ちだったそうで、物事思い通り成らず今でいうストレスが激しかったのでしょうか。夢のお告げにより、紀州「熊野権現」の附近で、自分の頭蓋骨にすすきが生え、その穂が揺れる度に、ずきん・ずきん痛むと。そのことにより34回に及ぶ「熊野行幸」され参詣されると共に、「平清盛」に命じて、数の量の多い仏を祀り頭痛納めに努められたと言う伝説も有ります。お守りの中にも「頭痛封じ」が有るのは珍しいです。通し矢の場所 廊下を巡ると「通し矢」の歴代の名人の額が掛っています。現代でも伝統として、正月成人の日に女性による「通し矢」の行事が行なわれています。何故?男性も参加できるのですが何時しか女性の晴れ着姿に定着しました【お柳と棟木の由来】 「昔紀州の殿様が鷹狩りをしていました、すると大事な鷹が、柳の枝に絡みつき離れず、短気の殿様が家来に命じて、木を切ってしまえと其の時弓の名人横曽根平太郎が名乗り出て枝を払うことで無事、鷹が救われ、柳の精が喜んだ」後に弓の名人の許に「お柳」(おりゅう)と言う別世の美人が訪れ、お嫁にと二人の間に「緑丸」が産まれました。平和な家庭でしたがある時、お柳が悲しくも「私は実は貴方に助けられた精です。京の都に狩り出されることに成りました」と実は此処三十三間堂の棟木」に供出されることになったのです。でも誰の手でもびくとも動かなかった柳の木に、「緑丸」が優しくお母様と泣く泣く言って手で優しく摩ると、動き出したと言います。廊下の壁に「三十三間堂と柳の棟木」と題して、掲示されています皆様、急がれるため殆ど見ておられません。 仏師「西村公朝和尚」さんの二十八部衆の面白い観方を一部披露します。 【神母天王像】は【鬼子母神】 (きしもじん)関東では信仰が厚いそうです。シンバルを両手で鳴らし、その音を目を真中に細め、静かに聴こうとしている彫刻。 我が子が500人も有りながら、他人の赤ちゃんを見ると全て食べてしまう鬼女でした。お釈迦さんが堪らず、彼女の子1人を隠されましたところ、彼女は気が狂ったように泣き叫び探したそうです。其処でお釈迦さんは「500人の内一人でも亡くした母親の悲しさ喰われた他人の母親の嘆きや如何ばかりか」と諭されました心を180度改め,幼児を護る安産の福の神に成りました。【阿修羅王像】 (あしゅら)喧嘩・闘争を好み、梵天・帝釈天とも闘いました。これも、お釈迦さんに諭され仏の味方と成りました。眉間にも目がある三つの顔を持ち合わせています。 奈良・興福寺の【阿修羅像】は、東京でも大人気となりました。私個人としても、仏像で最も愛好しています。【迦楼羅王像】 (かるら)コブラ(蛇)を常食の巨鳥。鳥頭人身の形を採り、横笛を吹き、右足先で リズム・調子を採るユーモアな像に観られます。インドの神さまです。【帝釈天王像】 (たいしゃくてん)右手に太陽をあしらった鏡を持っています。【摩喉羅王像】 (まごら)眼が眉間も合わせ5個もありますよ。 こうして観ていきますと「仏像」にも興味が沸いて来るのではないでしょうか。二十八部衆は皆国宝でゆっくり観察してみたいです。【十一面千手千眼観音菩薩】 (じゅういちめん・せんじゅ・せんげん・かんのんぼさつ)形として両方に20の手しか有りませんが一つの手に25の法力を持たれ40×25で1000とされ、実際千の手に近いのは、奈良・唐招提寺の観音菩薩。大阪葛井寺(ふじいでら)そして京都府京田辺の宝壽寺です。正面 次回は、三十三間堂の周辺のご案内をしてみます。
2019.01.23
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1月は25日、京都では初天神さんの日として縁日が立ちます。延喜3年(903)2月25日、道真公はその清らかなご生涯を閉じられました。弘法大師は承知2年(835)3月21日に亡くなられました菅原道真公は学問の神様として受験者の方々は熱心に祈願に訪れられます。京都の昔からの慣わしに、「弘法さん」と「天神さん」とはとても仲が悪くって、東寺の弘法さんの21日が雨だと、25日天神さんは晴れると云っています。 【北野天満宮】祭神 菅原道真 中将殿(道真の長男) 吉祥女(道真の夫人) 学問の神様として【菅原道真公】が祀られて居ます。修学旅行では、日程に欠かさない貴重な参拝する場所でもあります。車中生徒さんに「祭神は?」と聞きますと返答に困る子が居ました。折角進学祈願するのに、お願いする相手の名ぐらいはと。 【菅原道真公が雷神にも】菅原道真公は平安時代の公家であり「右大臣」まで成られました。11歳で詩を詠まれるほどの文才がありました。醍醐天皇の時代、左大臣「藤原時平」の讒言により、右大臣「菅原道真」は、朝敵として、京の都から、福岡の大宰府に左遷されました。「道真公」の無念は、推し量ることが出来ないほどでしょう。北野天満宮には、臥牛の像が多く置かれています。その訳は、丑年の説と、今ひとつ流される途次、備前岡山の辺りで、道の真ん中で、牛が臥せて動きませんでした、従って道を変更されました。後で判ったことは、時平配下の刺客が待ち臥せて居たのを、その難を逃れられたと言う伝説も有るようです。都を離れられるときに、菅神社(私邸)の梅の花に向かわれて、東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ都の真の春を忘れないで良き香りを東風に乗せて送ってくれ。とも受け留められる、菅公の歌でした。その後、雷神として、京の都は雷と稲妻が激しく襲いました。時平は、恐れおののいて道真の怨霊が襲ったとして、狂い死にしたそうです。左大臣は、右大臣の上位に位置することで、権限を悪用した時平の疾しい心が、道真の怨霊と思いつめての結果で、地震・雷・火事・・・大自然の怖さが重なったと思われます。北野天満宮では、学問の神様と同時に、雷の神様ともされています一の鳥居の側に【影向松】(ようこうのまつ)が有ります。道真公が、初雪の日に、この松にご来臨あり、歌を詠まれるとして、社紋の梅と同じく社紋の「三蓋松」(さんがいまつ)の由来とされています。良心の呵責により、怨霊と思うのでしょう。歴史には多く現れてくるようです。現代も、学問の神様として、崇敬され親しまれています。また日本三怨霊として祟道上皇・菅原道真・平将門 ともいわれています悔しさも人一倍だったでしょう 初雪に天神さんがこの松に降りて来られる提灯に三葢の松(さんがいのまつ) 北野天満宮の家紋の一つ【本殿】【国宝】8棟の形式は「日光東照宮」にも継承され【権現造】の本源とされています。 【北野天満宮の祭礼25日の由来】845年承和12年6月25日誕生・延喜1年1月25日大宰府に左遷・延喜3年2月25日逝去【菅原道真】と【臥牛】(がぎゅう)本殿の拝殿の大鈴の上の欄間だけ立っています。 1.道真の誕生の年が,丑年。2.道真左遷の途中牛が道の真ん中で坐って動かず、避けた道を経ることで、時平の刺客から免れましたとか。3.道真が亡くなって、棺を引いた牛が墓に行く途中、へたりこんで動かなくなりましたので、 近くの「安楽寺」に葬られました。即ち現代の【大宰府天満宮】でした。【三光門】(中門)太陽・月・三日月の装飾が観られます。星は「大極殿」から拝殿に向かうと 「北斗七星」が見える仕組みと成っていますそうです。梅も家紋三光門【伴氏社】(ともうじしゃ)祭神が道真のお母君「伴氏」祀られて居ます、京の三珍鳥居の一つ 鳥居の足許が、蓮の花に成っています。外に、「蚕の社」・「京都御所」道真は親孝行でしたから、母上の「伴社」(大伴家持の子孫)に先お参りすれば、合格出来るかもといいますと、小さい社に真剣手を合わせていました。 【御土居跡】本殿の西側に豊臣秀吉が洛中を囲んだ御土居跡の公園が見られます。【梅園】道真が都を去るときに詠まれました。「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」豊臣秀吉が、北野天満宮で「大茶会」を催しました。その道中、現場の近くに至った時、喉がかわき、とある小さき寺に「おい、茶をくれ」と言ったのでしょう、尼僧は体よく断ったそうです。そこで、秀吉は怒ることもなく、「湯たくさん 茶くれん寺」と名付け現代に至って居ます。北野天満宮の境内の表側に、「北野天満宮・大茶会の跡」の石碑と「太閤井戸」が示して有りました。次回は三十三間堂に参ります
2019.01.22
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21日は 初弘法で賑わいます25日初天神で 弘法さんと天神さんは仲が悪いとは土地の人は言い伝えます 観智院は、東寺の塔頭ですがが、東寺の別格本山でもある。通常は、非公開の寺院ですが、春と秋の一時期特別公開されており、国宝の客殿を含め、センスの良い庭や仏像、絵画、花等を鑑賞できます。表門正面には小さな大師堂もありますが、綺麗に掃除され、打ち水されたお庭は、ここに入った瞬間に爽やかな印象を与えてくれます。玄関先の蹲客殿前客殿には、宮本武蔵の書いた力強い鷲の図、竹林の図がありました。宮本武蔵は、吉岡一門との戦い(吉岡清十郎、伝七郎を倒した)後、一門が敵討ちしようと探していたので、ここ観智院に3年間蟄居し、長谷川等伯の指導を受け、絵画にも目覚めたといわれている。 この間に、文学も勉強したので、後日五輪書も書き上げたのだろう。 左に客殿と右に仏殿、間に、「四方正面の庭」 確かに、どちらから見ても、絵になる庭です。仏殿の裏側の小さな庭 手水鉢に石を詰めて、お地蔵様を飾るとは・・・立派!客殿と仏殿の前の庭が、「五大の庭」右側の築山が中国、左の築山が日本、中の石組みが竜神・神亀・鯱等を表す。 中国を表す築山 石組みの中に・・・こんな小さな釈迦誕生像これが、竜神左奥が神亀、右手前が渡海船水鳥独鈷杵(どっこしょ)五大の庭の5つの大きな石は、本尊の五大虚空蔵菩薩に喩えられているという色々な庭が綺麗です茶室・楓泉観(ふうせんかん)から見た庭獅子脅しもあります風鈴?小さな坪庭もセンスある!本尊の五大虚空蔵菩薩像(中国、唐時代) パンフレットより知恵の五大虚空蔵菩薩像 北野天満宮並に受験者が参詣します次回は天神さんに関係する仁和寺です
2019.01.21
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仏像については、お寺さんで、殆どが撮影禁止で、許可なして撮れません。従って皆様方には、Google画像で検索していただくと観られますので、参考にして下さい。多くの国宝の仏像が配置された東寺の講堂 曼荼羅の仏像配置 【仏像の種類】 京都・奈良の観光も、景勝地・史跡を訪ねることも多くありますが、寺院が多く、従って【仏像の豆知識】は知って置かれると、観光の興味が倍加することでしょう。この知識は嵯峨野にある愛宕寺(おたぎじ)元住職仏師故西村公朝和尚の【祈りの造形】をずっと参照し教えて戴きましたとても優しく判りやすく説かれています仏像は、経典により考え出されたもので、釈尊入滅後200~300年後造りだされました。種類分けも、悟りの高い仏様から順次表現されています。判り易い様に、会社組織で表してみました。曼荼羅図 (まんだらず)が目で観て判り易く描かれています 大日如来を中心にその周りの仏が悟りによって広がる図です【如来】 (会長) 大日如来(真言密教の根本仏) 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)奈良東大寺の大仏唐招提寺の本尊 【如来】 (社長) 薬師・釈迦・阿弥陀・弥勒(唐招提寺)阿しゅく(あしゅく)・宝生(ほうしょう)不空成就(ふくうじょうじゅ)(東寺密教) 【菩薩】 (専務・常務)日光・月光(がっこう) 文殊普賢・観音・勢至 弥勒・虚空蔵・地蔵・金剛宝・金剛薩睡(こんごうさった)・金剛業・金剛宝(東寺密教)【六観音】 聖(しょう)観音・十一面・千手・准提(じゅんてい)・馬頭(ばとう)如意輪(にょいりん) 天台宗以外 不空羂索(ふくうけんじゃく) 【明王】 (部長) 不動・愛染・孔雀・降三世(ごうさんぜ)・軍荼利(ぐんだり)大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごうやしゃ) 【天部】 (課長) 梵天(ぼんてん)(宇宙)・帝釈天(たいしゃくてん)(太陽)金剛力士(仁王)・風神・雷神四天王(持国・増長・広目・多門)・十二神将・二十八部衆(観音を護る)吉祥天(毘沙門天と夫婦)・弁才天(梵天と夫婦)・聖天・鬼母神(きしもじん)技芸天(奈良秋篠寺)大黒天・韋駄天・毘沙門天・執金剛神(三月堂) 此処までは祈れば功徳を与えて下さる仏さま 【羅漢】 (らかん)(係長)釈迦の十大弟子・十六羅漢・五百羅漢・維摩居士(ゆいまこじ)・無着・世親空也・聖徳太子・弘法大師・伝教大師・法然上人・親鸞上人・日蓮上人達磨大師・祖師・高僧 この上は祈りを取り次ぐ人【一般の人間】 (平社員)【仏像のセット】 ゼスチアーで、【仏】を無言で表現するには、「右手」を上にかざし、「左手」は膝前に、手の平を開けた姿で、直ぐ解かりますね。奈良の大仏さんを想像して見て下さい。 【施無畏・与願】 (せむい・よがん)の形と称し、「右手」をかざして居られるのは、「不安・悩み等の畏れを取り除く、恵みを施しましょうの仏の意向と考えられ、一方「左手」は、お願いすれば、与えましょうの意向の姿と考えられます。 人間自由意志があり、「求めよさらば開かれん」とも言われ、寺社への参拝は、その現れにあるようです。ご家庭の仏壇の仏さんを見ていただくと殆どがそのようです 建仁寺寺院の三尊石 奈良の法隆寺の金堂に【三世三仏】の思想が有ります。南正面に本尊の釈迦如来三尊 遣送の如来(けんそう) 【現在】釈迦尼仏東に薬師如来三尊 遣送の如来(けんそう) 【過去】薬師瑠璃光仏西に阿弥陀如来三尊 来迎の如来(らいごう) 【未来】阿弥陀仏人は、太陽の出る東方浄瑠璃世界から送り出され、現在釈迦の教えに基づき、太陽の沈む、西方極楽浄土に迎えられる三世の思想の表現とされているようです。 ここでお釈迦さん・阿弥陀さんそしてお薬師さんの主だった仏像の見分けたが、興味あります。 皆様、両手の指を開いてみてください。その形がお釈迦さんです。そして親指と小指を交えて下さい。それが阿弥陀さんです。次に左手薬指だけ曲げて下さい、それがお薬師さんのかたちで右手に薬壷を持っておられることが多いです。 但し、阿弥陀さんの場合は、親指と小指以外に他の指と交えた仏像がたまにあります。仏像の観方として 阿弥陀さんの像の手のひらと両手の位置を違えて印相を変えておられることに気付かれると面白いです 【阿弥陀さんの九印相】 阿弥陀如来は、西国極楽浄土を支配されてると言う事で鳳凰堂の壁画も、 【御来迎の図】 が画かれ、九壁画に分かれているそうです。 極楽浄土も九段階平等院の阿弥陀如来像は、 【上品上生印相】 (じょうぼんじょうしょうのいんそう)で最高位。阿弥陀さんの手の指が、「親指」と「人指し指」 【上品】「親指」と「中指」 【中品】「薬指」と「親指」 【下品】円く交わる事で、夫々、「上品」「中品」「下品」と称し、阿弥陀さんの両手の位置か゛「膝の前で結ぶ」 【上生】「両手を開いてお説教するように、上に揚げる」 【中生】「右手を揚げて、左手は手の平を開けて膝の上に」 【下生】 (施無畏・与顔)(施無畏・与顔) (せむい・よがん) Google画像出て来ます奈良の大仏さんの形右手は不安畏れを無くす施し。 主の平安(キリスト教)左手願いを適う与えましょう。 求めよ開かれん(キリスト教)「上生」「中生」「下生」(げしょう)と称します。この組み合わせで、九印相の阿弥陀像が表されます。極楽浄土への位置付けでしょうか。「上品上生」「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」太秦の広隆寺には、「中品中生」の阿弥陀像が見掛けられますが、殆どは、「上品」クラスのようです。 御家庭での仏壇では、「上品下生」(じょうぼんげしょう)の即ち、施無畏・与願の型で指は親指と人差し指を交えた形の阿弥陀さんが多いです。一度試してみてください。 次に仏像単独だけでなく、セットの法則のようなものを見受けます。薬師如来月光菩薩 日光菩薩知恵冷静な月 太陽の慈悲十二神将 釈迦如来普賢菩薩 文殊菩薩十大弟子 阿弥陀如来勢至菩薩 観音菩薩28部衆【脇侍の教え】 (きょうじのおしえ)釈迦三尊の場合【慈悲智恵の文殊】(左)【知恵の普賢】(右) 禅寺では 【阿南尊者】(左) 【迦葉尊者】(右)(かしょう)阿弥陀三尊 【慈悲の観音】(左)【智恵と意志の勢至】(右)薬師三尊 【暖かい光の日光】(左)【冷たい冷静な智恵の月光】【釈迦如来の眷属】文殊菩薩・普賢菩薩 十大弟子 【涅槃図】(ねはんず)【阿弥陀如来の眷属】観音菩薩・勢至菩薩 二十五菩薩 【御来迎の図】(ごらいごうのず)【薬師如来の眷属】日光菩薩・月光菩薩(がっこう) 十二神将【観音菩薩の眷属】二十八部衆 東京博物館で一大人気になった【阿修羅像】(奈良・興福寺所蔵)も含まれます。既に、ご招介しました【清水寺】そして何れ記します、【三十三間堂】で観られます。次回は東寺の境内にある観智院知恵の仏として北野天満宮並に受験者のお参りが多いです
2019.01.20
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1月21日は初弘法で参拝の御客さんで賑わうことでしょう1633年徳川家光が清水寺本堂と此処東寺の五重の塔を再建共に国宝となっています春に撮った写真です秋の写真 もみじが美しいです 【東寺】 【教王護国寺】【南区】真言宗東寺派 開基空海(弘法大師) 世界文化遺産登録 その土地で、1個の【国宝】が有れば、有名になり、誇りを持ちます。此処東寺だけで、建物・仏像・曼荼羅(まんだら)の絵画・書等50点余有り、何だか麻痺しそうで、有り難味が薄れる感じです。京都には恵まれ過ぎかも知れません。 高さ57mは「日本一高い塔」といわれています。三代将軍徳川家光が再建しました。お坊さんに教えてもらったので、解かったのですが、塔の下層の軒四方に、 「邪鬼」 が軒を支えるように、踏ん張っていました。よく仏像で、 「邪鬼」 を踏みつけているように見られますが、実は仏を支えていると風にも採れる事が教えられました。訪問されたら是非よく見てやってください。 邪気が軒を踏ん張ってささえています。 修学旅行生が、「おじさん、ジャッキーの役目しているのですね。」とジョウクを飛ばしていました。 「平安京」が誕生した頃は、東寺の西に【羅城門】(らじょうもん)があり、都の中心【大内裏】(だいたいり)から「朱雀大路」の南端にありました、そして更に、「羅城門」を挟んで、西に「西寺」がありました。今は広い公園に、「西寺跡地」として石碑が建っていますだから京都の中心は京都駅前の「烏丸通り」(からすまとおり)延長に京都御苑がありますではなく東に移動しているようです 薬師如来の祀られる金堂 【金堂】建物が【国宝】です。豊臣秀頼により落慶しました堂内に入りますとわが国最大の薬師如来のセットが祀られて居ます。真ん中に【薬師如来像】そして仏側から見て「左」に【日光菩薩】(にっこう)「右」に【月光菩薩】(がっこう)そして薬師如来の周りに【十二神将】が観られます。「左の日光菩薩が上位」 多くの国宝の仏像が配置された講堂 【講堂】建物は(重要文化財) 学僧の学問所で立体曼荼羅(密教浄土の世界)を学ばれる場所でもあります。 仏像が21体の内国宝が15体有り、実に壮観です。中央に【大日如来】を中心に【如来群】がそして仏から見て「左」に【菩薩群】そして「右」に【明王群】が祀られて居ます。「菩薩が上位は確たるものです。【四天王】四隅に夫々、「邪鬼」が踏ん張っています。【明王】は、大日如来の化身と言われ、怖い形相は、世の中で幾ら仏法を説いても頑固で聞き分けの無い衆生も居るので、そういう者を強化するためとも言われています。【梵天】(ぼんてん)(宇宙を司る)ガルダ鳥に跨り【帝釈天】(たいしゃくてん)(太陽を司る)象に乗っています 講堂内部 周りは天部 明王群 大日如来 菩薩群如来群 弘法さんの縁日毎月21日で親しまれる【大師堂】 弘法大師が祭られた大師堂【大師堂】 (だいしどう)建物【国宝】弘法大師の宿坊。「不動明王秘仏」が祀られ弘法大師の命日に当たる21日に毎月「弘法さん」として庶民に親しまれ、市が立ち縁日として大勢の人で賑わっています。 宝物館宝物館内に、ミニ五重塔が飾られています。京都に併せて五箇所にあることになります。仁和寺・八坂・醍醐・東寺に二つ。池にう映った五重の塔 かささぎ おしどり夫婦 金堂・講堂が池面に写る明日は仏像の構図をご紹介してみます 奈良・京都観光には便利です仏像の種類について「東寺」その意味で貴重な文化を知る機会と存じます。
2019.01.19
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清水寺の四季の一齣で映像で心休めて見て戴ければと実はこの写真のネガを誤って消去してしまいました老体に鞭打って訪れただけに心残りでしたが 我が子が何とかして復元してくれて貴重な写真となりました 一昨年12月1日清水寺一周の紅葉鑑賞です表正面仁王門団体さんの正道を避け静かな自動車路から写真左手前が「清水寺本坊」突き当りが成就院この本坊に故西村公朝和尚の「仏足石」があり建物の中が吹き抜けと成り三階建ての地下部分にお釈迦さんの足跡が有り上から散華を播きます妙なるバックミュージックで荘厳さを味わいます上手く吹き抜けの3階から散華を播いて御釈迦さんの足に乗っかると皆さんおおと賛美の声が湧きます事前予約制です本坊直接か旅行業者に頼んてもらうのもいいかも知りません是非試してみて下さい故大西良慶和尚の住まれた成就院の池特別拝観も写真が禁止で訪問しませんでした。右へ向かいますと拝観受付へ忠僕重助の塚 (のちに忠僕茶屋へ)どうだんつつじも紅葉してますぬれ手観音が、奥の院大改築で移転してまつられていました本堂は国宝1633年徳川家光によって再建舞台より 音羽の瀧への石段殆どの人は此処を降りずに奥の院へ清水寺の絶好の写真の位置京都タワーも見えます 子安の塔 美しく工事完成しました此処に来られる方はまばらです 知られないから変則四差路 北向き右から降りてきてUターン手前が子安の塔へ清水寺縁起石仏群四差路の角に立っていますが、殆どの方は、無視ブログで推奨した坂道は閉鎖されていました変形四差路を北から見た石仏群舞台を下からの眺め音羽の瀧の手前を左に坂道【音羽路】を初めて登り路 頂上に忠僕茶屋杖を付きながらやっと登りつめました側の立札に、老人、足の悪い人は坂が厳しいので避けて下さいと三重塔 右忠僕茶屋忠僕茶屋できつねうどん 600円 拝観料300円忠僕茶屋からの眺め観光バスは駐車場満杯一作年の京都の紅葉は、早めの見ごろで鮮明で美しく感じました。この感動を皆さんに見せられずに、消去してしまい心が痛んでいましたもう一度はとても無理で、ここでご紹介出来て良かったと思います次回は世界文化遺産東寺に参ります
2019.01.18
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18. 【地主神社】 (じしゅじんじゃ)若い人に人気が有ります。大国主命を祭神としています。 恋占いの石神前の広場に、恋占ないの石が両サイドに設置され、一方の石に触った後、両目を瞑り、もう一方の石に辿り付き、振れることが、出来れば、その人の 想いを寄せる恋が実る、と言うことで、皆真剣にアタックしているようです。若し誘導を受けて、達成すれば、その人の援助も必要とのこと。修学旅行生は、大はしゃぎです。拝殿天井に龍の絵が画かれています。狩野元信筆です。地主桜も歌に読まれ、有名です。19. 【西国三十三所観音霊場第16番札所・納経所】地主神社の石段を降りた、直ぐ左側(東側) 西国観音霊場三十三箇所霊場の納経所善男・善女が掛け軸とか納経帳に真剣辿り着いた歓びで受けておられます。【此処で清水寺縁起のチラシを頂きました】20.【釈迦堂】釈迦三尊が祀られて居ます。 20.~23 現在平成大修理 で観られません。釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩21.【百体地蔵尊】愛児を亡くした人がここに詣でると、亡き児によく似ている地蔵尊があるといわれ、その冥福を祈られます。22】. 【阿弥陀堂】 法然上人が、最初の常行念仏を始められた場所。23. 【奥の院】 阿弥陀堂の直ぐ南隣にあります。国宝の本堂と同年代に建立されました本堂の仏像のミニ形式で観音菩薩及び二十八部衆及び風神・雷神が祀られて居ます。 工事中の横から写真撮影の場所がキープされています。此処奥の院の舞台から、本堂の茅葺(かやぶき)の屋根を含め、写真の絶好のシャツターチャンスです。 此処からの写真が素晴らしいです 紅葉狩りの舞台何時みても人だかりが判ります外陣の絵馬を良く観られますと、過日、記しました、 行叡居士が延鎮さんに霊木を授けている図が描かれています。24.【濡れて観音】 奥の院の裏側に居られ。常に観音さんが、濡れて立って居られます。医者から見離された病も癒されると言う信仰があり、折鶴などお礼の印が廻りに掛けられています 不思議とこの観音さんは乾くことなく常に濡れて居られます。皆様が水を絶やさず掛けられることもありますが、 現在工事中のため拝観受付の場所に移転濡れて観音25奥の院より、南へ約5分ほど歩かれた所に23..絵馬の実際有った.【変形四交差た場所。石像群が有ります日記、(清水寺縁起でご紹介)】 延鎮和尚と行叡居士の会われた場所にお地蔵さんが祀られ由来の立札が立っていますが、皆様殆どにも留めずに通過。変形四差路右側奥の院から降りて来られて左の路へUターンされます 音羽の瀧へ写真手前の道を登りますと子安の塔の側に行けますが殆どご存じありません 惜しまれます 変形四差路ら子安の塔への坂道閉鎖されています矢印左の道を辿りますと子安の塔の側と泰産寺につけます知らないからか子安の塔の絶景を見逃す方が殆どでした。26. 【子安の塔】 三重の搭が建っています。ここからの清水寺全景のパノラマは、最高の絶景です。清水寺全景ここがとても素晴らしい眺望です。27.【泰産寺】 (たいさんじ)お産が安らかにの意。「今年の漢字」で有名な【森清範管長】の住持のお寺でもあります。昨年は【災】でしたね 子安の塔の側に位置します。子安の塔 改造中立派に完成しました。本日で、清水寺シリーズ 終わりますが、 一般の皆様が是非 観て欲しい、予約の貴重な場所が二箇所セットで許可を得られれば観られます、大講堂の仏足石と成就院の月の庭です。駄目と思っても、寺務所に予め日時をご予約してみて下さい。成就院は、故大西良慶和尚が109歳まで長生きされた、静かな雰囲気の庭園が観られます。 音羽の瀧日本一の十大名水の筆頭とされ【清水寺】と名付けられました。 ここも。人気があり、水を救って呑まれる人の列は、堪えません。27. 【音羽の瀧】 数千年来、音羽の山中から湧き出る清水です。【日本十大名水の筆頭】と称せられ、【清水寺】の名が付けられました。バスガイドサン達は、観光客に興味を持たせる為三本の瀧を分けて説明されていますが、お寺では、水の出所が1箇所で、水垢離の行をされる為に三箇所に分けています。と迷惑そうでした敢えて、聞く所では、向かって左から、若い人には、1.ロマン2.智恵3.健康年長者には、1.家内安全2.商売繁盛3.不老・長寿で、真剣に取り組んで居られる姿をよく見掛けます。28.【舞台下から見上げる】奥の院も含み、139本の柱が、崖に架かっています。過去幾人かの人が、実際に飛び降りたことはあるそうです。生死の程は判りません。江戸時代345件あり生存率85%ともいわれています。舌切茶屋29. 【舌切り茶屋】 (近藤)後述しますが、西郷隆盛の居場所を突き詰められ、(近藤正慎)が舌を噛み切って自害。その忠臣の子孫のために現代にも遺されています。忠僕茶屋30. 【忠僕茶屋】 同じく、(忠僕・重助)が、近藤氏に仕えていました。その功により、子孫に清水寺の境内で、茶屋として営むことが適いました。 蝦夷(えぞ)の英雄の碑31. 【アテルイ・モレの顕彰碑】 坂上田村麻呂の蝦夷征伐の際連れてこられました。平安遷都1200年を記念に清水寺に建てられました。田村麻呂は、庇ったのですが、時の為政者のために命を落としました。32.【念彼観音力の石碑】故大西良慶和尚の筆観世音を念ずればね観音の妙智力によって、世間の苦を救い給うと、和尚さんは、説かれていました。33.【岸駒の虎の石碑】(がんく)32.と同じ広場に在ります。虎の目は三方から見ても正面に向ってきます(七不思議の一つ)岸駒の虎絵最後に、特別公開ですが、 【成就院の庭園】 故大西良慶和尚さんが、109才まて゜、音羽の水で、長寿を全うされた住寺です。勤皇の獅子 西郷隆盛と月照・信海和尚と倒幕につき密談したという場所一名【月の庭】とも称せられ、とても静かで趣の深い庭園です。 成就院清水寺の賑やかさとは別世界のように静まっています。看板は時には特別公開されています。清水寺の大講堂此の建物の高さをお釈迦さんの背丈としてその下に仏足石があります。是非あらかじめ入館出来ることを予約されて妙なるご経験を持って欲しいです。成就院の庭園とセツトで見せて貰えると思います。【大講堂の仏足石】 最も感動的なのは、清水寺北法相宗の寺務所【大講堂】です。講堂の屋内では、高い場所から、底に大きい【仏足石】が画かれています。(西村公朝和尚画)妙なる音律と共に「散華」を撒くと別世界に、誘われます。この体験は、私の場合エムケイ会社の外商から、依頼しました。皆様も、予約で、寺務所に問い合わされて見られてはと、存じます。この世でなく別世界に存在する感じでした勤皇の獅子たちの歌碑左に枠外に忠僕重助の碑舌切茶屋・忠僕茶屋の由来がわかります。成就院から、清水寺の拝観受付に向かう途中に先に記しました勤皇の師【月照・信海和尚】に使えた【近藤正慎】と【忠僕重助】の石碑が建っています。西郷隆盛と成就院で蜜会されていたと伝えられています。 「清水寺」何回参詣しても、尽きぬ想い出を残してくれます。明日は清水寺の紅葉風景に参ります
2019.01.17
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観光シーズンに成りますと、清水寺に先ず訪れられますが、スケジュール の関係で、皆さん駆け足の様に人の流れに沿って一巡される方が多いです。見どころが一杯見損じておられるのが残念です。 【清水寺1.】 【東山区】 清水寺の参詣は、 観光バスの大広場の駐車場の、登り詰めた辻に、【七味屋】 さんがあります。その角から、 三年坂 (産寧坂)(さんねいざか)始まります、石段だけでも、一服の絵に成ります。 「お産が安らかに済ませるようにの願いをこめて」 三年坂または「産寧坂」とも、お産がやすらかに「この坂で転ぶと良からぬことになる」と身重の方には特に石段に気をつけるようにと戒められています。 そして坂の途中に、瓢箪がを売る店があり万が一転べばその店で瓢箪を買うと難を逃れると言われています。 参詣道を多くのみやげ物屋さんを突き当たると、広い石段に出くわします。 仁王門狛犬が出迎え 正面に 【仁王門】 があり、その前には、珍しく二体両方とも、口を空けた狛犬が皆様を「ようこそ」と歓迎しているようです。多くの人は記念写真を撮って居られます。 問題は、石段を登らないで、下の広場から、向かって左方を見て下さい、小さい祠が有り、如意輪観音像が見かけられ、その横には、地蔵菩薩が手には赤ちゃんをだっこして居られます 善光寺の如意輪観音さんと左は、赤ちゃんを抱っこしたお地蔵さんこうして安産・子育てに随所に意図が見られます。 首振り地蔵修学旅行生も歓んで試みていました。 1. 【首振り地蔵】 が安置されています。舞妓さんが、ご贔屓(ひいき)の人の方角に首を回しお願い事をされたと言う事で、どなたでも地蔵さんの首を方角に回す事が出来ます。2.【馬留め】石段の左側に有ります。今で言う駐車場馬を繋ぐ柱の1本の金具が、違った角度になって居る。(七不思議) 穴は掘ったのでなく、音を柱の向こうで耳を澄ますひとに聞こえるように、トントンとたたいて380年の結果なのです。3. 【仁王門】 一名【赤門】とも呼ばれています。両サイドの桟の端を拳骨で叩くと、奥の桟の端で、もう一人の人が耳を添えると「こつこつ」と音が聞こえると言う、(七不思議) 鐘楼鐘楼の横に【鹿間塚】の灯篭があり。坂上田村麻呂が射止めた雌鹿の供養の為に建てられています。清水寺縁起のお話を知るとたとえ、動物でも誤った考えで犠牲に成った供養をしていました。4.【鐘楼】の北側に、坂上田村麻呂が射止めた、雌鹿の供養として、【鹿間塚】 の燈篭があります。爪で彫ったと言われる観音さんを治めた灯篭 5. 【爪手観音の燈籠】 【隋求堂】(ずいくどう)の前に存在します。平家の家臣悪兵衛影清(あくひょうえかげきよ)が爪で観音像を彫って燈籠内に納めたと言われます。 隋求堂6. 【隋求堂】 (ずいくどう)【隋求観音菩薩】が祀られています。その人の望まれる求めに随って、何でも適えて下さる観音さんです。 三重の塔7. 【三重の搭】 家光の再興。わが国最大の三重の搭。大日如来を祀っています。子安の塔から眺めると、一段と極めて存在します。田村堂舞台受付の前にあります。長期非公開。8. 【田村堂】(開山堂) 秘仏として一般公開していません坂上田村麻呂夫妻・延鎮上人・行叡居士像が安置。清水寺縁起の登場人物が祀られています 参拝受付からご紹介しましょう。清水寺は、何回参詣しても、新発見があります 清水寺は西国三十三箇所観音霊場の第十六番札所です。 清水の舞台の南西角の擬宝珠には寛永拾年建之とあり年号では、1633年 即ち16番札所 西国三十三箇所と三代将軍徳川家光が再建して380年と言うことが覚えられます。 現在は、【五条大橋】は五条通りに有り橋の西側緑地帯に、【牛若丸と弁慶】の石像が飾られていますが「京の五条の橋の上、牛若丸と弁慶が・・・」の橋は、鴨川の一つ北に架かった【松原橋】が、当時の橋とされ、松原通りを、東へ行くと、「清水道」となります。以下昨日の続きです。9.【参拝券受付】京都市内で最も安いです。300円 バンフレット無し 轟門の前の龍の手水鉢10.【轟門】本堂への入り口の門です。門前に手水鉢が有り 龍があしらって有ります。 国宝 本堂入り口11.【仏足石】(ぶっそくせき)廊下伝いに北の庭に外れた所に、見掛けられます。お釈迦さんの歩かれた、足跡で、盛んに手に触って、お願い事している方を見掛けます。扁平足にご注意。お釈迦さんは、全てに平等に慈悲を与えられる意。12.【弁慶の杖と下駄】 傷では有りません。お百度参りの籤棒の380年の軌跡です。13. 【弁慶の爪跡】 本堂の周りに、深くえぐられた筋が残されています。実は、信者の 【お百度詣で】 で、籤を堂の周りに沿って、筋が380年もすると、深く刻まれて出来たものだそうです赤門の拳骨の跡と同じ年数の驚異です。(七不思議) 是非お堂の周りをご覧下さい。14.【大黒天】15. 【清水の舞台】 皆様の一番観光の楽しまれる景色が一望出来る場所です。139本の柱に支えられ、釘は使われていません。京都市街が美しく広大に眺望されます思わず飛び降りたくなる心境も、何事も一大決心する時、「清水の舞台から飛び降りるつもりで」と表現されます。 京の商人は、「ええい清水の舞台から飛び降りる気持ちで、まけときまひょう」と掛け声するようです。舞台では、舞楽も有ったようで、両側に楽器を鳴らす人の坐る場所も兼ね備えています。京都市街の景観もさるものながら紅葉の景色も素晴しいです。向かい正面に 「子安の塔」 が構えています。子安の塔の背後に 豊臣秀吉が眠る【阿弥陀が峰】が羨ましそうに多くの観光客を見守っています。その背後に、東山三十六峰の一つ【阿弥陀ケ峰】が見られます【豊国廟太閤坦】(ほうこくびょう・たいこうだいら)山の頂に豊臣秀吉が遺言により「京の都が見下ろせる位置に葬れ」と言うことで、眠っています。本堂から奥の院のお堂を眺めます見下ろしますと、音羽の瀧の姿が見えました。16. 国宝【本堂】 内陣 に入ってんで下さい。清水の舞台に在る。本堂です。内陣を覗いて、参拝される方が、殆どです。内陣の入り口に 【土足禁止】 の立て札が置かれています入場禁止と、勘違いするのでしょう。靴等土足を脱げば、内陣に入れるのです。但し靴は各自持って入って下さいね。そして内陣の奥には、本尊は秘仏ですが、【お前立ち像】として、両手を頭の上まで、挙げられた。【清水型観音菩薩】が奉じられ、何とその周りに、観音さんの眷属である【二十八部衆】及び【風神・雷神】が観られるのです。外からは、その存在すら、判らずに9割の観光客は、通り過ぎられます。そしてお客様が一番歓ばれた事が、観音さんに願い事されるときに、【大きい鐘と大きい叩く棒】で、座して、一礼した後、ご自分で鐘を叩かれます。鐘の音の余韻を聞きつつ手を暫し、合わせて、此処有名な、清水寺で静かに礼拝の体験された事。とても感動したと。とても大きい鐘の余音は、生涯良い想い出になりました。と、礼状をよく戴きます。今年の年賀状にも、山形の方が20年ほど前のこと懐かしいと 添え書きありました。 大きい鐘を撞くと清水寺に詣でた感動を覚えます 本堂の内陣に素足なら入れます陸前高田 流木松 で作られた 大日如来常に東日本の復興を切に祈願しています。最近祀られるようになりました。 本堂には、太い檜柱が何本か有ります。その太さは、原木の1/4で、建築では真ん中の芯部は弱いので避けています。だから原木の太さが4倍と想像できます。現在日本には、無く台湾あたりから輸入されています。 清水寺に観音さんを 拝もうとすれば、内陣に入って そのお前立の仏像(本尊さんは秘仏のため)を見つめることで、実感を深くすることが出来ます。 殆どの人は 外の見えないところから手を合わせて過ごされます。ご本尊の観音さんは三十三年に一度しか御開帳が有りません。 2009年秘仏の本尊清水型観音菩薩 (6本の手のうち2本を頭の上にかざす)ご開帳がありその後33年後に御開帳が有ります。G00gle画像でみられます。平常は、お堂内陣に入られ正面に【お前立の観音像】額縁で想像できます。そして暗さから目がなれてきますと奥に観音さんの守護神、 風神雷神そして二十八部衆を観ることができます。勿論大きい鐘をごお~んと鳴らして手を合わせ祈りながらその余韻を聴いていますと 有名な清水寺で 格別の感動を得ます。どのお客様も 皆さん感動されます そして京都に来た佳き想い出として感謝されていました 付け加えて、観音菩薩の両側に、厨子が二つ有ります。一つは【地蔵菩薩】一つは【毘沙門天】が祀られて居ます。坂上田村麻呂が蝦夷征討(えみしせいとう)の際に、苦戦したため、延鎮上人が戦勝祈願をされたことで未だに祀られているそうです。 地主神社・奥の院そして音羽の瀧にっていては次回に記します
2019.01.16
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京都は2年連続世界一観光都市に選ばれました益々観光客が増えて来ました 京都観光では、清水寺が離せません。でも、京都の都の出来る前に誕生した清水寺の由緒を知っておかれると至る所で、意義があることに興味が持たれます。京都観光と言えば、清水寺が群を抜いて人気が有ります。清水の舞台がその注目となるからでしょうか。そこで本日の清水寺の縁起を理解しているともつとその見所の意義が生きてくると思います。清水寺を一口でいえば、【東山区】 【安産の祈祷寺】【三年坂】 (産寧坂ともいいます)・ 【子安の塔】 の配置から頷けます 清水寺 延鎮と行叡居士と出遭った場所 (奥の院)【清水寺の縁起】794年平安遷都される前のこと。昔々、奈良は高市郡の【小島寺】にとても足の速い、小僧さんが仏に仕えていました。名を【延鎮】 (えんちん)と称しました。或る日 【夢のお告げ】 があり、無性に足はある方向に向かってとまりませんでした。何と、未だ京の都も制定されていない、少し前に、東山の山麓で、足が止まりました。不思議や、延鎮の前に、杖を突いた白髪の仙人が現れました。【行叡居士】 (ぎょうえこじ)と言う方で、庵を設けて、修行されていました。【行叡居士】は【延鎮小僧】さんに 「この霊木で観音さんを彫り、祀って護りなさい」 と伝えて、姿を消されました。8年がかりで、彫った観音さんを山中で、祠を建てて護りました或る日、鹿狩りで、「雌鹿を射止めた」 【坂上田村麻呂】(さかのうえたむらまろ)と、ばったり出くわしました。 延鎮は、「何故そんな殺生するのか?」と問いただすと「妻が腹ぐみ、雌鹿の生き血を飲むと安産する」との迷信に延鎮は、戒め「私の彫ったこの観音さんに祈る事によりきっとお恵みが有ると」と説得。事の理をわきまえた田村麻呂は、雌鹿を鄭重にこの地に葬り、妻と一緒に観音さんを日参されました。 鐘楼の横に鹿間塚として女鹿の供養塔日も満ちて、 【玉のような男の子】 が誕生しました。大喜びで、貧しい、祠を素晴しい大きい御堂を田村麻呂は寄進しました。この噂は、村中に広がり、われもわれもと参詣する人が増え、御堂前は、混雑しました。そこで、岩間に懸崖を造り、出来上がったのが、現在の 【清水の舞台】 と成りました。 【清水寺は安産の祈祷寺】 が本来の姿で衆派も奈良時代の 【北法相宗】 (きたほつそうしゅう) とされています。 京都一観光客が多いにも拘らず、写真の場所に歩を止める方は、皆無に等しいことが残念で成りません。立札にも説明が載せてありますが、忙しくって、目にも触れられません。清水の舞台の入口には 【開山堂・田村堂】 がありますが、非公開もあって、目にとまりません。坂上田村麻呂夫妻・延鎮和尚・行叡居士の像が祀られています 最近に復活完成した【子安の塔】次回には、清水寺順路に従って見どころをご紹介します。 大河ドラマ西郷隆盛が終わりました子安の塔の南側にあり清水寺の成就院共に隆盛に関係します 【清閑寺】 (せいかんじ)真言宗智山派高倉天皇陵の隣接した位置で、少し坂を登った所に有ります。「源平盛衰記(巻25)」「平家物語」の小督局は宮中を追われてこの寺の尼にさせられたと寺伝にあり、高倉天皇は「私が死んだら。局の居る清閑寺に葬ってくれ」とも記されていました。21歳にして崩御清閑寺で葬儀が為されたとのこと。境内に【要石】があり今でこそ新幹線で京都に来られますが、昔は、江戸からも歩いて,近江から山科を経て、東山の峠を越すこの位置で思わず「おお、都の灯が見えた」と感歎の声を挙げられた事でしょう。左側に「阿弥陀が峰」(豊臣秀吉御廟)右に「清水山」を配し、要石の位置が丁度、扇を開いた要ともなり、眺望が息を飲み込む思いをされた事でしょう。現代は、昨日紹介しました、国道1号線トンネルを出た位置の山中に有ります。右側の山道を辿りますと、清水寺の子安の塔の裏門に辿り着けます。扇塚清閑寺の本堂。菅原道真公が彫られた本尊十一面観音菩薩を祀られています西郷隆盛と勤皇派の月照和尚とが蜜会された場所。梵鐘も有ります。
2019.01.15
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広隆寺】 (こうりゅうじ)真言宗御室派 開基 聖徳太子 京都には、国宝が多いです。そこで「クイズですが、国宝指定が存在する日本では何処の都道府県が一番多いでしょうか?」聞くところによれば最も多いのが、東京都265件国立博物館が殆ど管理しています。次いで京都226件そして奈良県198件の順に成っています。 広隆寺は、地元では。「太秦(うずまさ)の太子さん」と親しまれています。 その【国宝指定第1号の仏像】が、此処広隆寺・霊宝殿に納められている 【弥勒菩薩半跏思惟像】 (みろくぼさつはんかしいぞう)です。半跏とは、韓国流で半分あぐらをかかれたお姿を指します。思惟とは、片手を頬にあてがって、人類をどのようにして救おうかと、想いに耽っておられるお姿指します。何ともいえない微笑を浮かべられたお顔を見上げているだけでも心打たれる仏様です室内の放送に寄れば弥勒菩薩さまとは、人の救いを考えられつつ、56億7千万年後に、この世に如来として現れられる仏さんと言われ、地球学の学会でも、この数とほぼ一致していると聞いた事があります。(567と覚えます) 前述しましたが、「弥勒如来像」は奈良の「唐招提寺」で観られます。 韓国にも、全く類似した「弥勒菩薩半跏思惟像」が現存しているようです。 【飛鳥の三弥勒】広隆寺にもう一体「泣き弥勒」【国宝】が隣接して納められています。べそを描いておられ、仏像には、金箔の一部が残っています。もう一体は、奈良法隆寺の東側に隣接した【中宮寺の弥勒菩薩】を飛鳥時代の三弥勒と称されています。 霊宝館霊宝館前の苔【霊宝殿】四隅には、「四天王」「じ・ぞう・こう・た」即ち「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天」が少し大きめに立っています。西側に薬師如来・日光菩薩・月光菩薩そして前列に十二神将【国宝】正面に弥勒菩薩二体と天平時代の作の弥勒菩薩一体他に大日如来・聖徳太子そして使えた「秦の河勝夫妻(藤原時代)が並び、東側には、毘沙門天・吉祥天(夫婦)(尚多聞天は毘沙門天は一諸)愛染明王。不動明王が、そして南側に観音菩薩像が三体内二体は【国宝】となっています。修学旅行生も勉強の為多く案内しました。寧ろ「じぞうこうた東南西北」は中学生から教えてもらいました。 本堂【本堂】【国宝】聖徳太子の立像が祀られて居ます。 【講堂】阿弥陀如来【国宝】 「下品中生」の珍しい印相をされています。【阿弥陀如来9つの印相】については、【平等院】をご参照願います。両脇に地蔵菩薩・虚空蔵菩薩(重要文化財) 阿吽の仁王さん【南大門】仁王像 阿・吽(あ・うん)皆さんに国宝の数々の仏像が 目白押しにまつられていますが全て撮影禁止のため ご紹介できません。Google画像で検索して確かめてみてください。次回は世界文化遺産清水寺です
2019.01.14
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【真言宗】 弘法さんの大きい寺院をご紹介します。 弘法大師さんが開かれた宗派です。【大子堂】が建てられています。【仁和寺】 右京区真言宗御室派総本山 開基 宇多法皇 世界文化遺産に登録 当初訪問しました、「龍安寺」の隣接した場所に有ります。従って宇多法皇が「夏でも雪景色を見たい」 「衣笠山」 も近くに望めます。正門には「仁王さん」が逞しく 「阿吽」 (あうん)の形相で睨んでおられます。仁王門から【国宝・金堂】その背景大内山を望む 阿形の仁王さん口を開けている 吽 形の仁王さん口を閉じています阿吽(あうん)の仁王さま 仁王門から、正面に大内山を背景に国宝【金堂】が佇み、京都御所から移された、「紫宸殿」で「現存する最古の建物」とされています。 仁和寺は888年(仁和4年)年号と同じは比叡山の「延暦寺」も同様です。この辺りでは、タイムカプセルのように、いにしえの御所の雰囲気で満ちています。本尊は阿弥陀如来そして、「脇侍」(きょうじ)には観音菩薩・勢至菩薩が祀られて居ます同じ阿弥陀三尊も、「霊宝館」には、国宝の仏像が有り、常時拝観出来るようです。国宝・金堂 手前には、 「五重の搭」 があり、春の遅咲きで有名な、御室の桜園が有ります。御室の桜は、京都でも遅咲きの桜として知られています。その数200本で 江戸初期に観桜の名所となりました。丈が低く根本から枝を張ることが特徴です。最近八重が1割と変化したと地元紙が報じていました。京都最後の桜です。 仁王門より大内山を望む 本日は御殿をバスしました国宝金堂へ 浩宮さまお手植えの八重桜 今年から天皇陛下お手植えになりますね五重の塔を背景に歴史が遺してくれた貴重な文化財を大切に護れる日本の姿でありたいものです 世界に目を遣れば世界文化遺産をも壊す民族もあり心が痛みます 見所は、仁王門を入って左手に【仁和寺御殿】 があり、二条城二の丸御殿と同じく、ボタンを各部屋で押すと、説明が聴けます。1.【本坊表玄関】玄関前の庭には、大きい這い松がみごとです 仁和寺御殿入口の這い松 中に入ると「御室流の生け花」が見事です。側に孔雀明王の掛け軸が掛けられ、香のかおりが落ち着きを覚えます。 白書院の前庭白砂正面・勅使門 右手に仁王門2.【白書院】四季の襖絵が画かれ、廊下から白砂の向かいに「勅使門」「仁王門」を眺めると雄大さを感じとられます。 宸殿3.【宸殿】前には「左近の桜」「右近の橘」が備わっています 五重塔を取り入れた庭園4.【宸殿の北側】に廻りますと五重の搭が借景で心和む庭園の池にめぐり合えます。 池を取り入れた庭園庭園要素「天龍寺の曹源池」と同じく、瀧は水が流れ、「鶴島」「亀島」そして石橋が整っていました。 庭園の共通した形式です。人生観を表現のようです。部屋の襖絵は、大和絵・春の桜・夏の加茂の祭り・秋の嵐山の「三船祭りの絵」冬の交野(かたの)(大阪)鷹狩り 宇多法皇の居室5.【上段の間】宇多法皇の居室で、最も要と成るお部屋です。此処からの庭園の眺めは最高です。天井は貴賓の方が居られる「格天井」で、螺鈿(らでん)細工の床。違い棚付書院が有ります。 霊明殿への廊下6.【霊明殿】近衛文麿公の額・秘仏薬師如来が祀られ此処からの高台からの眺めも素晴しいです。7.【黒書院】堂本印象の襖絵。「リス」等動物の存在が可愛いです。次回は、国宝第一号の弥勒菩薩広隆寺へ参ります
2019.01.13
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全国的に冷え込みが厳しくブロ友さんの風邪ひきの便りが多く成りましたインフルエンザの流行も全国的に猛威を振るっています皆さんくれぐれも御身ご大切に願います妙心寺の側に、NHK大河ドラマ「平清盛」で当初よく演出された「鳥羽天皇」の中宮(皇后)でありながら、権威を持った「白河上皇」に寵愛され、女性としての生き方に不本意のままに過ごされ 待賢門院夫たる鳥羽天皇には、美福門院に片寄られ、白河上皇崩御後は何の権威も持てず、出家されて建てられた、法金剛院とされています。一つの哀話とも考えられます。偲びつつ誰も訪れないひっそりした御陵を訪問しました。鳥羽天皇との間で、 【後白河天皇】 の母君でもあり、平清盛との葛藤が平家物語で登場します。 【法金剛院】 【右京区】奈良の宗派「律宗」 開基 待賢門院 (たいけんもんいん) 山号 五位山 JR「花園駅」駅前に有ります。昨日の「妙心寺」の観光の際には、近くですから是非ともご訪問をお勧めします。過日お知らせしました「特別名勝指定」国宝級の庭園 の一つです。極めて小規模ですが、いにしえを偲ぶに相応しい、落ち着いて鑑賞が出来ます入口の門 庭園入口阿弥陀如来坐像 当寺では、礼堂の西側裏に「仏殿」が有り、平等院の阿弥陀さんを彫った、 「定朝様式」 (じょうちょうようしき)の【阿弥陀如来坐像】 が私たちの礼拝する、目の間近前に拝する事が出来ます。 阿弥陀さんは、「東向」で極楽浄土をイメージして造られた、【待賢門院】の蓮池と共に現代も活き活きした状況を感じ取りました。横には着飾った 平安時代前期、右大臣 藤原夏野の別荘から「双丘寺」(ならびがおかじ)として建てられましたが、その後奈良の唐招提寺の僧によって再建され、「律宗」となっています。寺の荒廃により、「待賢門院」が出家され再建されました。 京都の北方に目立つ、「ラクダのこぶが二つ並んだ丘」を「双ヶ丘」 (ならびがおか)と言いますが徒然草で有名です。その南麓に「五位山」 がありそこに法金剛院が建っています 庭園 阿弥陀如来坐像の仏堂が見えます。 背景が【五位山】五位山の右手裏手に御陵があり待賢門院さんが静かに眠っておられます。 【待賢門院】 お父上藤原公実とは、若くして死別 【藤原璋子】(ふじわらのしょうしたまこ)として、74代鳥羽天皇の中宮(皇后)・75代崇徳天皇・76代後白河天皇の母君後に「女院号」【待賢門院】と呼ぶようになりました。大変美貌でお父上無き後.白河院の加護を受けて居られる内は、良かったようですが、保護者の崩御後、旦那の鳥羽天皇が「得子」後の「美福門院」に心を寄せられ、待賢門院は、信仰も厚く、出家して「法金剛院」で、生涯を送られましたとか。五位山の北麓に、【花園西陵】として御陵が有りました。とても静かな場所に眠って居られました。【妙心寺】のほんの側でした。近所の人も関心を持たないほどでした。御陵の前の豆腐屋さんに聞いても「さぁ~」と関心のないことに驚きです。やっと手探りで見つけました。感動でした 参道花園西陵 待賢門院さんの皇后陵 【青女の滝】 (せいじょのたき)石組みは平安時代で、日本最古の人造滝石組みと言われています。 【歌碑】 待賢門院の侍女 【待賢門院堀河】 の百人一首。尚 【西行法師】 も訪れたということです。法師は、源氏の武士で詩歌の精通で恋慕するも、出家して地方を行脚したと云います。美しい待賢門院さんに武士のころから慕っていたようです。 「長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝は物をこそ思へ」 待賢門院堀河 歌碑次回は双ヶ岡の北端にある仁和寺に参ります
2019.01.12
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【妙心寺その2.】塔頭【大心院】 足利に仕えた 細川政元 が建てたと言われます 特別拝観 阿吽庭 阿吽庭白砂と苔と5色の岩を配し昇竜を表現した枯山水の庭園中根金作氏作庭 方丈庭園石組み異なった敷石群 方丈庭園 達磨大師掛け軸 【桂春院】 此処も初訪問しました 江戸時代の作庭 特別拝観花頭窓 花頭窓からの坪庭 清浄の庭紀州の瀧石そして白砂の渓流は 心身の塵垢を洗い浄める 方丈南庭 真如の庭つつじの大刈り紅葉のころも見ごたえがあるでしょうね飛び石は七五三に置かれ十五夜満月を表現 襖絵 金碧松 三日月 狩野山雪画 侘びの庭茶室への誘い内路地 侘びの庭茶室に通じる 外路地庭【梅軒門】により 外路地と内路地に分かれる小堀遠州の高弟 玉淵坊作庭妙心寺と大徳寺は共に臨済宗ですが 派が相違して妙心寺派は 禅修行を最もとして 茶道香道等は修行の妨げとなるとして茶室は 隠れて造られていました【退蔵院】 (たいぞういん)唯一常時観光出来る塔頭です。 内塔頭・退蔵院入口の門 寺宝 如拙(にょせつ)筆 【国宝】【瓢鮎図】(ひょうねんず)室町時代の水墨画です。「瓢鮎図」瓢箪(ひょうたん)と鯰(なまず)の絵が書かれていて、禅問答の答えが幾つか書かれています。人を信仰へと導くにも鯰のようにのらりくらりと一筋縄にはつかめません。理屈っぽい人間を指します。そこで禅問答となり、如何にして、鯰を瓢箪に入れられるかの解答のようです。方丈の襖絵 画家狩野元信の庭 元信の庭【方丈庭園】(本堂)室町時代の「狩野元信」作の庭園で築山の滝から蓬莱島を経て石橋に流れると言う趣向で、絵描きが作庭するのは、極めて珍しさが感じられます。 陽の庭 陰の庭 【余香苑】(よこうえん)近代の庭園で「中根金作」の設計で造園されました。入り口に「陰・陽」の庭そして奥へ滝から大量の水が流れその水音が静けさを象徴するようで、とても親しみやすく、そして広々と自然の姿で鑑賞出来ます。【水琴窟】 (すいきんくつ)土中に「かめ」が埋められ。手水鉢から柄杓で、水を静かに流すと「かめ」水音が反響して、妙なる音が聞える仕組みに成っています。是非お試しになってください。 一番奥からの景観 水琴窟 次回は妙心寺のそばにある奈良の宗派の【法金剛院】に参ります
2019.01.11
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京都観光が賑わいます本日現在Google 【楽天ブログ京都観光】として検索されると冒頭に紹介され 7,090,000件の方が一応調べられたようで必要性を痛感しました 少しでもお役に立てれば光栄です龍安寺の広い境内は京都観光で基礎的内容の濃い大きなお寺ですが妙心寺をその本山とする臨済宗の外塔頭でした 妙心寺境内・七堂伽藍突き当りが龍の見られる本坊受付【妙心寺その1.】 (みょうしんじ)(右京区)臨済宗妙心寺派総本山 開基 関山慧玄(かんざんえげん)一昨年6月22日には、天皇両陛下が花園天皇のご先祖様としてご訪問に成られました。妙心寺」の境内に【七堂伽藍】(がらん)と47院の内塔頭(うちたつちゅう)が存在する、大規模のお寺です。 殆どが拝観謝絶で開放されていません。 三門 法堂このお堂の中に、壮大な狩野探幽の龍が天井に描かれ説明が入ります。 お客様に感動を与えたのが、【本坊前】の【法堂】(はっとう)天井に描かれた。 【龍の絵】【狩野探幽法眼】(かのたんゆうほうげん)二条城二の丸の豪華松を画いた画家です、絵師として「法眼」の位を貰ったほどの素晴しい画家だったのですね。見る位置により【昇り竜】になったり【降り龍】にも観られる豪華さは、他に比類無きものと思われます。是非一度訪問してみて下さい。堂内では親切にお寺さんより説明が有ります。禅宗では、龍を絵描く寺院が多いです。龍は雲を呼び雨を齎すと言います。東林院 塔頭【沙羅を愛でる会】 非公開寺院の妙心寺塔頭 東林院で6月15日より30日まで 恒例のように 沙羅双樹の樹と苔の丘に散った花丘に落ちた花は重みで同じ上向きに落ち着きます夏椿とも言われ 椿の花もそのようです和尚さんの法話に恵まれました沙羅双樹は、お釈迦さんが 亡くなるときに一度に花が開きその死を悲しんだと言われ 涅槃図にも沙羅の樹がえがかれています【一日花】とも謂れ 朝咲くと夕べには散るという はかなさを人の世の常ならないことを 表現しています「平家物語」にも 「奢れる平家久しからず 沙羅双樹の花のごとし」とも比喩しています人間の生命にはいつかは 限りが来ます今日一日のことは 大切に 悔いの残らないようにしておきたいです 観光バスの団体さんも次から次へ 鑑賞しつつおうすを頂く玄関の可愛いお地蔵さん見つけました明日は退蔵院へ参ります
2019.01.10
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お世話になっている老人保健施設リハビリテーションのスタフの方がひとりで龍安寺の観光に行かれ石庭の縁側に座っても複雑に並べられた石と砂で意味も解らず 思い出してスマホで私のブログを読みながら確かめると石と石の空間をなぞらえて 心と言う字が画けたと順次説明に従って見どころが理解出来たと知らせが有りました私のブログの左蘭にカレンダーありますがその上部に検索欄があり 「真ん中のこのブログをクリックその上に「龍安寺」で検索されると出て来ます 2年連続京都観光が世界一と言われその中でも此処龍安寺の石庭は外人さんにも人気があります方丈表の石庭の深い意味が 廊下の裏側でも観られました 【龍安寺2.】 本堂の方丈の前庭と後庭で、同じ意義深い教えを学ぶ事が出来ます。知足の感謝 謙虚さ 人としての生き方の教え【知足の蹲】ちそくのつくばい が回廊の東北角に、有りました、手水鉢で、這い蹲って、手を洗う所から、つくばいというのでしょうね。【蹲踞】(そんきよ)(つくばい)大相撲でのお相撲さんが土俵上で、仕切るときに、おこなつていますね。真ん中四角の水を入れた区画の、上部に【吾】(われ)右側に【唯】(ただ)下部に【足】(たるを)左に【知】(知る)水戸の黄門さんが発案されたつくばいで、「吾、唯、足るを知る」と読めます。立て札には、茶道の精神と称されていました【知足の蹲踞】 そしてその横に、 「知足の者は、賎しくと雖も、富めり」 ちそくのものは、いやしといえども、とめり 「不知足の者は、富めりと雖も賎しい」 ふちそくのものは、とめりといえどもいやしい これで充分です。足ること知った人は、外見貧しそうに見えても、心は満足で豊かな人といえましょう。 足らんたらんと、まだあれも欲しい是もほしいと、愚痴を言っている人は、外見、金持ちの様で、実は、不平だらけの心の貧しい人といえますね。 人目、貧しそうなおばあさん、笑顔で、お陰さまで元気に生かしてもらって、ありがいことや、此れで充分と幸せそうです。 金縁のメガネ掛けた、一見貴婦人のお金持ち、隣は外車を買ったわ、あの人はダイアモンドの指輪何カラットかしら、あれも欲しい、これも欲しいは心満たされず、却って貧しい人といえましょう。 表の石庭の様に、13~14見えてて、腹八分目で健康をたもてそうです。 黄門さんが、【大日本史】編纂に当たり、資料を龍安寺から提供を受けたお礼に置かれたものだそうです。 実は、ここに飾られた物は、イミテーションで、本物は、東向かいに見える【蔵六の茶室】の前に本物が据え付けて有ります燈籠の下部に見え隠れしています。 【蔵六の茶室】前庭に本物の【知足の蹲踞】があります。興味ある方は、売店のおばさんにそっと頼んでみてください。別途志納金で見せてもらったことがあります。 懸魚・蟇股 (げぎょ・かえるまた) 此処龍安寺を拝観するだけで、寺社の見所の、基本と申しましょうか、他でも、共通した形式の現し方が、伺えそうです。全国どこのお寺や神社ら見かけられる建築様式です。時には動物も中に飾りとしています。 懸魚 龍安寺の売店の東側、陳列棚に、建て替えた昔の物品を並べ【名札】に上記の名前が、紹介されていました。その位置は何処に実は庫裏を出た所で、建物の上部を見上げましたら、屋根の交差の軒に【懸魚】がありました。正に魚の頭が下がってぶら下がっているようでした。そしてその下部に【蟇股】が見かけられました。蝦蟇(がまがえる)が構えているように見えます。そこでお客様にクイズを出してみました「双方の共通点は何でしょうか?」とお聞きすると「水」と答えられました。「ピンポン」正解です建物で最も恐ろしいのは「火災」です。従って魔除けの意味に於いても、守護の意味に於いても、装飾の意味に於いてもと、採用されて居るようです。知恩院の左甚五郎の忘れ傘然りでした。 そして屋根の先に丸い円の中に三つ巴があしらって居ます。三つ巴は、雲を表現していますね。更に民家でも屋根の形は波を表現「甍(いらか)の波と・・」 更に庫裏から西へ少し歩を運べば、本玄関(国宝)があり、其処の蟇股の中には、尻尾の多い、浦島太郎が乗った様をながめましょう【亀】が他にも【龍】が刻まれていました。日光東照宮の有名な【眠り猫】も蟇股の中に存在していますよね。各地で試してみてください。 帰り道は別の違った道を 辿りましょう本堂 方丈庭園として枯山水の石庭を縁に腰かけて 暫し瞑想そして 廊下を歩むほどに 寛永通宝に似た 水戸黄門さんの発案された 知足の蹲を観て 帰りは 鏡容池の景勝を龍安寺の石庭を見て、大抵の方は、元、来た同じ景色の道をオーム返しに、いそいそと帰途に付かれる方がほとんどですが、池を巡りて帰りは違った道をたどりますと、趣も変化有り新緑または紅葉のトンネル伝いにそして素晴らしい、池面に写った美しい衣笠の山等の光景を観る事が出来ます。 鏡容池に写された衣笠山逆さ富士【千円札デザイン】 表玄関から、石段を降りて来られた道を戻らず、更に西へと夏には新緑・秋には、紅葉のトンネルを、春には桜の園を観る事が出来ます。時間が無くって戻る人が多いですが素晴しい風景を、見損じて勿体無いです。 新緑・もみじの帰り道疲れも癒されそうです。 【藤棚】の手前に、湯豆腐の食事処が有ります。店内の入り口から、少し入った所に、 【猪脅し】 (ししおどし)が見られます。本家は比叡山の麓に位置する【詩仙堂】の庭園内で見られます しし脅ししし脅しを庭園とする湯豆腐の食事処 本題に入りまして、その藤棚周辺から、大きな池に目を遣って見て下さい。何となく眺めるだけでも、心の洗われる感動を覚えられる事でしょう。弁天島を望む鏡容池 池の名称は、 【鏡容池】 (きょうようち)そして背後に 【衣笠山】(きぬがさやま)が、そして池の水面に、くっきりと衣笠山を映し出しています。この鑑賞方法は、外人の方も良く心得て、シャツターを切っておられます。心して観ないと、見損なう風景です。 金閣寺も同じで、池に写し出された金閣を見損なう方が多いです金閣は鏡湖池そして銀閣は錦鏡池と鏡の字がそれぞれ入ります。折角此の道を歩まれながら、あら美しいとだけで、気付かず通り過ぎる方が殆どで、その点外人さんは佳く鑑賞してシャツターを切っておられます。 日本の漢字は良く出来ていまして、見えると観る 聞えると聴くを分けて表現しています。やはり観光は、後者の心構えで、訪れられると数倍楽しくなるようです。観光は見るを観るにしています。人生、漠然と過ごすより、美しいものを佳く観るようにして、そして素晴らしい音楽を聴きそして人の良い話を耳を傾けて聴けば同じ一生でも充実したものになりそうです。 私なりに、私のお客様に説明していますと周りから少しでも聴こうとして、お客さま以外の方から質問までされる有様には共感を得て、嬉しいものです。 そして、 【衣笠山】 の名称の由来は、仁和寺から眺められた、【宇多上皇】が 仁和寺で夏の暑い季節に「朕はあの山の雪景色を観たい」と、所望され、山上の樹木に白衣(しろきぬ)を一面に被せて、雪景色を再現されたそうで、扇子を扇ぎながら、「まろは、満足じゃ」と冷気を味わわれたそうで、その後、何時しか衣笠山と呼ばれるようになったそうです。 しばし、池を巡り、 【水分石】 (みくまりいし)の立て札が立っていました。庭園の要素の一つで、池全体を眺めますと、鶴島(弁天島)そして亀島もありました。 次回は本山ってどんなとこ。妙心寺をご紹介します
2019.01.09
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新緑の頃ここ龍安寺(りょうあんじ)は頃合いの解りやすい禅寺で人生訓にもなりお客様として一番多くご案内した観光地でした金閣寺から始まって足利に関連した寺院をリンクして見ました 此処も室町時代の応仁の乱東陣の将細川勝元が創建した寺院で(西陣の将は山名宗全) 地名が有名になりました。非公開ですが、【細川勝元廟】があり像が祀られています。 応仁の乱で寺院はその時焼失しました。 【龍安寺1.】 (りょうあんじ) 【右京区】臨済宗妙心寺派 妙心寺の外塔頭の一寺。 【世界文化遺産】 金閣寺・銀閣寺・西芳寺そして等持院と同じ 臨済宗(禅宗)ですが、本山が違います。有名な石庭 早速、世界文化遺産の龍安寺(りょうあんじ)にご一緒しましょう。 お客様から、良く聞かれるのは「京都に余り滞在時間がない のですが、運転手さんの、ここ一番のお寺を紹介して」その時「往時、英国のエリザベス女王が西本願寺へはその祖父さんが訪れられ、僧侶とテニスをされたから、御意志で来られました。 京都に来られ、せめて一個寺でも、ご紹介しょうと京都観光局が推挙したのが。【龍安寺】でいわゆる「ロックガーデン【石庭】」でした。外国でも話題に成り旅行案内にも紹介されているのでしょう、外人の観光客が多く見かけられます。」「それならその龍安寺を案内して下さい」此処1個寺だけでも意義深いです。 参道入口洗心の道ともいえましょう心を整えて拝観の意修学旅行生も多いです。石庭に向かう道すがら、広大な池を左手に、そして離れ島に橋が架かり、渡ると【弁天さん】の祠が有ります。弁才天は、水を司る神様で、他にも金閣寺でも見かけます。鏡容池(池の名に鏡)弁天さんの祠 左手に手水鉢があります。牛若丸弁慶の旧五条大橋の橋桁です。横になって手水鉢になっている旧五条大橋 そしてさらに、進むと両側に菱形に竹で編んだ 【龍安寺垣根】 と風情がとても落ち着いて、歓迎してくれています。シャツターチャスですね。庫裏(くり)に入る前にこの龍安寺垣根に囲まれた石段は絵になります。美しい菱形の龍安寺垣 庫裏に入りますと正面に 【韋駄天】 (いだてん)が祀られて居ます。今年の大河ドラマ韋駄天禅宗では、多いです庫裏の守護神で。足が速く、お釈迦さんの骨が盗まれたとき一途に捉えたというエピソードがあります。 玄関口に韋駄天さんを祀る龍安寺は石庭だけを目的に観光されますが 水戸黄門の寄贈された知足の蹲 そして帰路を変えますと衣笠山の池面に映す鏡容池見どころをのがして足早くここを後にする方が殆どでもったいないと思いますいよいよ【石庭】です。 石庭は、禅宗の本堂とも言われる、 【方丈】 (ほうじょう)の前に廊下を越して拡がる、方丈庭園として存在します。 方丈とは、仏壇を前にして、一丈四方の位置に坐られる最高位の僧侶のことを【方丈さん】と称されています。ここ龍安寺本堂の前額に【方丈】と書かれた額が飾られています。本尊に対して一礼したいです。 方丈庭園を前にして、僧侶は廊下で座禅を組み、瞑想に耽られるそうです。 従って、石庭の真の意義を解明出来ませんが、皆さんが「なるほど」と思わせる解釈が、種々為されます。私なりに過去何回かお客様と訪れるごとに、お寺さんの昔のスピーカーによる説明とか、バスガイドさんの説明を横で聴かせてもらって、会得した幾つかの内容をご参考に、披露したいと思います。「なるほど」と皆様もご一緒に瞑想してみて下さい。何も知らないよりご興味が沸くと思いますし教訓にも成ります。座禅を組んで、方丈庭園が観想の対象になるのでしょうか。枯山水の庭園が、方丈(本堂)の前にひろがります。 お客様をご案内しながらも、何回も訪問しますと、お客様からも学びそして疑問にも答えていきますと、人生としての、偉大な教訓が秘められていることが、判りました。観光の深さを感じる龍安寺です。 左 仏の世界【三尊石】 5石右奥 鯨 2石 作庭者の名が刻まれています。小太郎・清二郎と あまり有名でありませんエリザベス女王にまで、ご紹介したと言う【石庭】世界的にも写真に映し出され、謎解きが深まります。 一言で、言えば現実には、15個の石が設置されていることは事実です。でも廊下の見る位置によって、15個が数えられないミステリーです。修学旅行生など、予備知識で得て居るので、真剣に数を数えて走り回っている風景をよく見掛けます。微笑ましいです 長方形の横長の正面及び西側廊下から右側は、【油土塀】で、前庭を引き立てるような、落ち着いた感じを受けます。石の配置として庭前方左側2石は【鯨】右方向に塩を吹いて前進しています。この石の裏側に作庭者思われる、阿波の徳島【小太郎】【清?二郎】の名が刻まれています。右奥2石が亀右方向へ手前 水鳥3石 羽2石の右側の小さい石が見え隠れします左 虎の子渡し3石 子の1石が見え隠れします。 前方右隅の二石は【亀】 廊下沿いの手前右側三石は【水鳥】この三石の右端の石が左側の廊下では隠れています。 そして中国伝来の【虎の子渡し】の三石これも虎の子の一石が隠れます。 そして仏の世界の五個の石の内の真ん中 【三尊石】 の左側の石が、右側廊下から見えません石組は其れぞれ変形で一見無造作に置かれているようですが、石をなぞらえて空間を一字を描くと 【心】 の字が描けます。 心の目で見て下さいと言う意味でしょうか。 隠れた心で鑑賞して下さいと。夫々動物たちが、大海を泳ぎ、大きく右回りに仏の世界へと、進む姿が描かれているようです。 鯨2石 亀2石 水鳥3石 虎の親子3石 仏の世界5石 計15石1石見る位置で欠けます。石庭全景石組の配置が不規則に一見並べられて居るようですが石組を夫々なぞらえていきますと 【心字】が描かれるように隠れて工夫されています。驚きです。心の目で観て下さいと。 そして、 【15】 と言う数字は、中国では、満ちた数、完成した数、真理の数といわれているそうです。だから【十五夜満月】 と言うでしょう。とバスガイドさんが説明されると、一同"どぅ"と感歎の声が、沸き起こりました。因みに 15歳・元服。七五三の祝い三三九度の杯【婚礼】何れも合計すると15になります。お祝い事の完成です。 足利・徳川も奇しくも15代で幕を閉じています。何故か自民党宮沢政権も15代で中断。不思議な数です。 意義としては、真実は15の石が有りますが、人間の目では、欠けた13~14しか見えない、知恩院の置き瓦と同じように、謙虚さ を問うて居るのかもしれません。白砂は白川砂で、枯山水の庭園として、水がなくっても、水・池・海を表現 石は山や島を表そうとしています。石に苔が備わり風情を増しています 白砂を海と考えれば、石群は、島の様に、 白砂を雲として 見れば、石群は、山の峯とも見られます。 禅僧は、更に瞑想しもっと深い意義を感じられているやに思われます さて皆様はどの様に観賞されることでしょうか。 土塀に囲まれた小さい秘境土塀は石庭の引き立て役のようにも思われます。 ブロ友からは、宇宙観を覚えるとの感想も戴きました。感謝。 今回もプロ友さんから、「仏さんに背を向けて 関心が庭園に」とありました。寺院は、拝むことも大切なこと、反省です。石庭の方丈内に本尊の仏さんが祀られ、襖絵では登り龍そして降り龍の襖絵が観られます。内陣には入れず撮影禁止でご紹介はできませんが、皆さん見向きもしないで立ち去られる方が多いです。 廊下を右に回りますと、苔庭で樹木の根が龍がうごめいて見えるところから、【雲龍の庭】と称され、特別拝観の時は、その奥に龍安寺の創設者、応仁の乱の東軍の将、 【細川勝元】の御廟の建物があります。(非公開) 更に裏側に、これまた表の思想そのままの徳川光圀公の【知足の蹲】 があります。次回にご一緒に味わってみたいです
2019.01.08
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京都観光に欠かせない足利家の菩提寺です金閣寺・ 銀閣寺・ 天龍寺そして西芳寺 夢想疎石の作庭として此処に掲げます 朝廷が南北朝に分かれた真意は、判りませんが、朝廷に何がしかで足利尊氏がお諌めしても聞き入れられなかった。止むを得ず戦に成り後醍醐天皇は吉野で崩御。然しその御霊の菩提を天皇の幼少お育ちになった嵐山に立派な天龍寺を夢想国師に命じて造りました。 【等持院】 (とうじいん)【北区】臨済宗天龍寺派 開基 夢窓疎石 歴史上に登場する人物で、時代に応じて、イメージで印象の悪いと考えられていた者が、理由が有って善良な人物とも取れる事がよく。出てきます 【足利尊氏】 がそのひとりです。戦前歴史で朝廷に背いた国賊と教えられました。事実その通りだと思い込んでいました。然し現代に残されている遺跡寺院からは、そうとも思えない足跡が観光によって感じられました。2020年大河ドラマ明智光秀もどの様に演じられるのでしょうか楽しみです 玄関口門前に大きく「等持院」と書かれた門標がありました。足利尊氏の戒名「等持院仁山妙義」から付けられたとされます。寺院の格式から「寺・院・坊・庵・軒」とされています。戒名は残った人がその人の遺徳を偲んで贈名とするとすれば、「等持」の漢字に寺が二字含まれて居ます。慕われ尊敬された方と思えます。そして寧ろ何か原因があったのでしょう。敵であった、「後醍醐天皇」の菩提の為に、建設費を「天龍寺船」での貿易で立派な「天龍寺」を建て、その立役者の足利家は等持院で、一歩下がって礼を尽くしているように思えて成りません。庫裏の入口蟇股に「二引きの家紋」【順路】•1. 表門に等持院の額が掛っています。•2. 玄関口の瓦及び蟇股(かえるまた)には二引きの足利の紋が見られます。 達磨の絵•3. 廊下の突き当たりにダルマの絵が目立ちます。天龍寺の管長さんが描かれたそうです。座禅を続けていますと足が立たず、それがダルマさんの姿に成られた、「ダルマ禅師」の絵です。•4. 方丈前の廊下は、「うぐいす張り」できゅっ・きゅっと歩くと音がします。二条城二の丸御殿でも経験します 方丈庭園•5. 方丈(本堂)には、釈迦三尊が祀られて居ます。 霊光殿•6. 【霊光殿】正面に尊氏の母堂が大切に振興つき「地蔵菩薩」を尊氏のの仏の庇護のため賜った尊氏の念持仏両脇に禅宗の祖師「達磨大師」と「夢窓疎石」が、足利将軍15代の像(5・10は除く)何故か徳川家康の像有り。 足利尊氏の墓頭の部分が欠けています 7..【足利尊氏の墓】上部の宝塔が欠けています。何でも三條大橋東詰で御所に向かって、平伏している像、「高山彦九郎」が朝敵として刀で切り付けたと言う伝説が有ります。江戸時代の右翼。バック立命館キャンパス手前に茶室【清蓮亭茶室】8.【池泉回遊式庭園】夢窓疎石作庭「芙蓉の池」と称し、蓮の形した「亀島」書院正面の這い松の「鶴島」「石橋」「滝の石組み」天龍寺の庭園形式になぞらえています。9.【清蓮亭茶室】八代足利義政が建てた武家床の貴人席があります。等持院型灯篭と自然石で出来た司馬温公型手水鉢が有り、茶席からの庭園の眺めもやや高台からとなり素晴しいです。 借景に、衣笠山が近年まで、眺められたのですが、時代の波に逆らえず、「立命館キャンバス」の校舎で、遮られて致し方がないとは言え残念です。石組みの池泉回遊式庭園 奥の池奥の池 天龍寺・金閣・銀閣と足利将軍の関係する「菩提寺」としてひっそり佇んでいます。次回は龍安寺世界文化遺産に参ります
2019.01.07
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足利尊氏が後醍醐天皇の菩提寺として天龍寺船まで仕立てて資金調達し僧 夢想礎石に命じて 庭園の規範となる国宝第一号の作庭が出来上がりました 次いで苔寺そして次回等持院の作庭も夢想礎石の作品となます 西芳寺 苔寺(西京区) 臨済宗 世界文化遺産千三百年前 聖徳太子の御創業で行基が開山六百五十年前 夢想疎石が 中興しました天龍寺の庭園と同じく特別名勝史跡 (国宝)に指定されています足利義政は 銀閣寺の庭園を 西芳寺に 模して作庭しています 上段は 枯山水下段は 池泉回遊式庭園 午後1時受付を待つ人予約制 会費3000円 西求堂 本堂 銀閣寺は 東求堂此処で僧侶3名と般若心経と写経新緑に包まれた本堂前受付へ堂内写真禁止廊下に椅子席があり心地よい風を受けながら写経 本堂の後方に三重塔禅宗では珍しく恐らく聖徳太子に関連してでしょうか観音堂前の新緑 百二十種類の苔 苔と木立 少庵堂 茶室 千利休の次男 湘南亭 茶室 夢想疎石が建てた後少庵が再興した茶室西芳寺の苔は豊かで心和みます 黄金池 心字の池 朝日ヶ島 土橋 潭北亭○ □ の窓池に映る新緑 夕日ヶ島 鎮守堂 夢想疎石を祀ったお堂 指東庵(しとうあん) 指東庵の横に有名な枯山水の瀧の岩組銀閣寺にもすえつけられました 指東庵の前方に設けられて須弥岩組総門ブログ始めて 写真を漸く取材して来ました世界文化遺産の西芳寺の模様でした次回は同じく夢想礎石の作庭等持院へ参ります
2019.01.06
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思えば京都に足利将軍が建てた遺構に世界文化遺産が4カ所も有ったのですね 金閣・銀閣・天龍寺そして西芳寺です 庭園部門で特別名勝で、お寺さんの立札によれば国宝第1号とされています。 庭園の基礎的要素を初めて夢想国師によって天龍寺に造園されました。瀧 蓬莱山 石橋 鶴島 亀島 舟石国宝第一号(特別名勝)の曽源池【天龍寺】 【右京区】臨済宗天龍寺派本山 世界文化遺産に登録 開基 夢窓疎石 五山第1位庭園 特別名勝(国宝第1号の庭園)世界文化遺産の御紹介も清水寺・金閣寺・銀閣寺・龍安寺そして天龍寺まだまだ観尽くせませんね。嵐山渡月橋から「美空ひばり館」の前を経て、天龍寺に着きます。 【足利尊氏】が南北朝の戦で、吉野で崩御された【後醍醐天皇】の菩提を弔うために、開山【夢窓疎石】を迎えて建立されました。この地は、元々後醍醐天皇のご幼少の頃の学問所で御霊の安らぎを考えての尊氏の配慮と想いが有ったものと考えられます。建設資金捻出のために、途絶えていました中国「元」との貿易を再開し【天龍寺船】を往来して経済や文化の輸入にも貢献しました私たちの高齢の歴史観 では、天皇に背いた逆賊の謀反者と教わり、神戸湊川神社では、「ああ・忠臣楠氏の墓」と「楠正成」を謳歌して参りました。でも京都でのお寺の遺される事で、過日に述べさせていただきました【等持院】は、尊氏一族「足利」の菩提寺で、「寺」と「院」では寺格が違い、尊氏の思い遣り、一歩引く謙虚さが、見えるように思えるのです。順路として「山門」から静かな敷地を歩み、心を静めます。1.【法堂】(はつとう)は選仏堂(座禅堂)ともいわれ、正面から覗きますと【釈迦・文殊・普賢三尊】と天井に【雲龍図】「加山又造画」が描かれています。 法堂 天井に龍の絵2.受付でパンフレットを見ますと表紙の庫裏の写真で、庫裏の実物を見上げながら、龍安寺でご説明させてもらった「懸魚」「蟇股」が大きく見られます。そして「三尊石」も在ります。 庫裏。三尊石3.【方丈】白砂と苔の境界線で、「心字」が画かれています。屋根瓦の端には「天龍寺」の文字が設けられています。 方丈足利尊氏は夢想疎石を開山として後醍醐天皇の菩提寺として天龍寺を建てました 疎石は庭園師としても優れ京都に数多く名園を遺しています4.【曹源池】 日本で最初の庭園形式に基づいて、夢窓疎石が作庭した素晴しい庭園で、嵐山・愛宕山を借景して、更にスケールが大きく感じます。正面に枯山水「瀧」をそして「三尊石」日本最古の「石橋」周りに「鶴島」「亀島」そして「船石」と庭園の要素を採りいれています。嵐山を借景 愛宕山を借景寺のバンフレットの写真の写された情景 国宝第1号の曹源池5.「亀島」から道なりに進むと池にそそぐ「遣り水」(やりみず)が【曲水の宴】形式になっています。 亀島6.【多宝塔】 後醍醐天皇の尊像を安置、紫宸殿形式で、左近の紅梅・右近の白梅が備わり、 多宝塔紫宸殿造りで左近の紅梅そして右近の白梅が配されています。その前庭の苔に包まれた小高い位置に後醍醐天皇の菩提塚が古びて立っています。 後醍醐天皇の菩提塚春には枝垂れ桜が美しく飾ります。 足利尊氏の並の天下人としては為し得ない思い遣りが史跡として未だに遺されています。女性に人気があります。明日の苔寺も、世界文化遺産で夢想疎石の作庭です
2019.01.05
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朝から銀閣寺を再度掲載し申し訳ありません改めて訂正します【相国寺】 (しょうこくじ) 上京区臨済宗相国寺派大本山 開基 夢窓疎石京都御所の北側に位置し、あの有名な【金閣寺】と【銀閣寺】の【本山】で有る事は、意外と知られていません。同志社キャンパスの北側に拡がる、広大な敷地内にあります。 足利義満が、室町幕府として、 【花の御所】とも称した、北西にあります。 法堂 「鳴き龍」 外人さんも関心有名なのは【法堂】(はっとう)で、天井には「狩野光信筆」の【龍の絵】が画かれ、「下から手を叩くと」共鳴音が、響く所から「鳴き龍」と言われています。【承天閣美術館】(しょうてんかく)禅の総合美術館で、寺宝が展示されます。近代的な豪華なホテル並みの美術館です。【開山塔】 今回特別公開で観られました。開山 夢窓国師を安置する。前庭枯山水の庭園 開山塔の「龍淵水の庭」 【大光明寺】 (塔頭)(たっちゅう)普賢菩薩の霊場、現在相国寺の管長有馬和尚の住寺。 足利義尚の墓があるそうで、 大光明寺 【塔頭】寧ろ、西南の墓地には、父の【足利義政】と「群鶏図」で有名な、【伊藤若冲】(いとうじゃくちゅう)の墓が並んで、眠っているのが、印象に深く、残ります。そしてここには義満の墓が見つからないそうです。考古学者が掘り起こして調査は続けています。 左から【藤原定家】 南中【足利義政】 右【伊藤若冲】 の墓何れも相国寺に寄与された文化人として眠って居られます 「宗旦きつね」の祠」千宗旦がお茶席を留守にしている間に、狐が宗丹に、身を化けてお茶を立てた。という微笑ましいエピソードを祠に残しています。宗旦稲荷相国寺の西隣が花の御所として義満が建てたその跡土地に同志社大学のキャンパスが広々と建っています 八重の桜で有名です薩摩藩邸跡 大河ドラマ西郷隆盛同志社大学正門新島襄が薩摩藩邸を譲られ大学を建てました。同志社大学正門校内風景教会聖堂と緑地帯聖堂たまたまオルガンの練習中で中に入れませんでした残念。ステンドグラスで飾られ、新島襄の絵も掲げられているはずでした。八重の開いた女子同志社高校正門校舎正面玄関 次回は同じ臨済宗 初代足利尊氏の建てた世界文化遺産【天龍寺】に参ります
2019.01.04
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新年あけましておめでとうございます本年もよろしくお願い致します皆様のご多幸を祈ります 京都物語も、1月から又再度初めて見ます。京都に17の世界文化遺産の社寺があります再度とはいえ、また観るときの気持ちで意義深さを感じます。4か月のサイクルで更新していきます。今後ともよろしくお願いいたします。 17カ所の世界文化遺産の映像並べてみます。 1.清水寺 北法相宗 東山区 2.金閣寺 臨済宗相国寺派 北区 3. 銀閣寺 臨済宗相国寺派 左京区 4. 天龍寺 臨済宗天龍寺派本山 右京区 5. 二条城 中京区 6. 東寺 真言宗東寺派本山 南区 7. 上賀茂神社 北区 8. 下鴨神社 左京区 9. 仁和寺 真言宗仁和寺派本山 右京区 10. 醍醐寺 真言宗醍醐寺派本山 伏見区 せられました 11. 西本願寺 浄土真宗本願寺派本山 下京区 12. 宇治 平等院 単立 宇治市 13. 宇治上神社 宇治市 14. 比叡山 延暦寺 根本中堂 天台宗総本山 左京区 15. 高山寺 真言宗 単立 右京区 16. 龍安寺 臨済宗妙心寺派 右京区 17. 西芳寺 苔寺 臨済宗天龍寺派 西京区明日から順次ご紹介してまいります。一年に1月・5月そして9月と三度更新していますが一日のアクセスは増えるばかりで世界に人気の京都観光の大切さを感じて居ます皆様方の応援のお陰と心より感謝していますこれからもよろしくお願い致します
2019.01.01
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