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本日で1月も早過ぎ去ります少し寒さも柔らいだようです八坂神社の境内を出ますと、【祇園】の街です。舞妓さんの踊る、祇園歌舞練場に隣接して、雰囲気は、一転して清楚に掃除の行き届いた、禅寺 臨済宗【建仁寺】に至ります。京都観光寺院として、堂内は全て、写真撮影禁止とされていますが、【建仁寺】は全て写真撮影可ということでした。皆様にご紹介出来て嬉しいです。 足利義満の決めた 京都五山の第三位 に格付けされています。国宝・風神・雷神と天井の双龍が有名で、そして庭園が美しいです。風神・雷神は観音さんに仕える二十八部衆の両側に位置して祀られることが多いです。 高台寺の本山でもあります風神・雷神図 国宝の模写 【建仁寺】 臨済宗建仁寺派大本山 開山 明庵栄西 開基 源頼家 山号 東山 京都最古の禅寺で、鎌倉時代建仁2年(1202) 二代将軍源頼家(よりいえ)の庇護のもとに建立。年号を採って【建仁寺】とされました。朝廷政治から、武家政治に変わったころでもあります。 栄西(ようさい)禅師は、中国より、お茶の種を持ち帰り、高山寺で初めて栽培、喫茶の茶祖です。【建仁寺の学問面】(がくもんづら)秀でた禅僧排出されたことから。 禅問答の掛け軸○ △ □ の字は 江戸中期に書かれたそうです。 唐子の襖絵中国では安産を願って描いたとされます。兎の襖絵 風神・雷神の襖絵 【方丈】「大雄苑」の名の枯山水庭園が広がります。花頭窓(かとうまど)からの方丈庭園 本尊は、十一面観音菩薩 【徳川秀忠・江】の娘 和子姫(まさこ) 後水尾天皇の中宮。【東福門院】寄贈三尊石の庭園【潮音庭】四方正面の三尊石 四季折々に苔も美しい。 【茶席・東洋坊】茶室の西側に有名な「建仁寺垣」が観られます。法堂天井に双龍が描かれ云います高台寺は建仁寺派今回双龍を採り入れました。 天井・双龍絵ほかの寺院では めったと写せない天井龍です。【法堂】(はつとう) 釈迦如来と脇侍に迦葉(かしょう)・阿難(あなん)尊者が祀られ、天井に平成14年画かれた【双龍】小泉淳作筆が観られます。(あうん)の口をした2匹の龍が描かれ、阿形の手には玉を掴んでいます。禅寺では、龍を飾っていますが、龍は仏法守護として、また水の神として、雲を呼び、仏法の教えの慈法雨を降らせるとしています。【風神・雷神図】【国宝】(俵屋宗達絵)は、江戸時代。見事で有名です。現物は、京都博物館に保存。 十六羅漢像【陶製一六羅漢像】明治から大正にかけて作成 龍の襖絵【雲龍図】海北友松(かいほうゆうしょう)襖絵春日局の父君の友人 橋本関雪の襖絵 昭和15年大修理で60面描かれました。 祇園花見小路歌舞練場の側に、建仁寺が広い伽藍で、静寂の境内に臨みます。【両足院】【半夏生】塔頭のひとつで(りょうそくいん はげしょう)6月特別公開されます・建仁寺・塔頭【両足院】半夏生次回は 知恩院はご紹介しましたのでそのお隣の青蓮院に参ります
2016.01.31
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東山歴史街道の円山公園のそばに八坂神社があります京都は一日降り続いた雨も明かり曇り空です 八坂神社 祇園にある八坂神社は、祇園祭で有名です。祭神は素戔鳴男尊 (スサノオノミコト)祇園の中心にある八坂神社疫神社 祭神 蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)門を潜った位置にあります。祇園祭の際、撒かれる「粽(ちまき)」に蘇民将来の護符が付いています。 【立札の説明】むかし、祖神(おやがみ)が諸国を巡って、日の暮れに宿を請うたところ巨旦将来(こたんしょうらい)は、富み栄えていたのに貸さず、蘇民将来は貧しかったけれど、粟穀で座をしいて、粟の粥で手厚くもてなしたので「われはハヤスサノヲの神なり」といい、後年疫病が流行しても茅の輪をつけて 「蘇民将来の子孫なり」 とえば災厄から免れると約束され、巨旦将来の子孫は皆堪えてしまいましたが蘇民将来の子孫は、今に栄えています。 本殿 【平清盛の出生秘話】 平家物語 【祇園女御の巻】NHK大河ドラマ【平清盛】その主人公の出生秘話が、此処京都八坂神社の境内にありますが、殆どの人がその存在と縁起を知らないままに燈籠が建っています。平忠盛は、一介の北面武士でしたが、冷静に思慮の深さで社僧の命を落とさずに救った手柄が、歴史を変えました。 平忠盛燈篭 位置が判り易い様に本殿の側燈篭の裏側から写して見ました。殆どの人は、関心なく、素通りされています。 【忠盛燈籠】 (ただもりとうろう) 八坂神社境内に、面白い伝説がありますので、ご紹介してみます。本殿の東の方に、「円山公園」から八坂神社の境内に入った場所に建っています。【白河法皇】が【平忠盛】を伴って【祇園女御】 (ぎおんにょうご)を尋ねて、祇園社に来られたときに、雨の中怪しげな光を伴う妖怪を目の当たりにされました。「白河法皇」は「忠盛」に命じて、「射止めよ」と次の忠盛の仕草が、歴史を作りました。生け捕りにして、正体を確かめたのです。やはり正体は、祇園の社僧が、燈籠に火を灯すために、蓑笠からもローソクの火で光っていました。沈着冷静な、忠盛により、尊い命は救われました。よってこの地に、忠盛を讃えて、八坂神社の境内に飾られています。お話に続きが有ります。白河法皇は、即命令に応じず、叱るべきところ、社僧を誤ってあやめる事がなくってすみ、その功を讃え、褒美をとらせようとして、既に、法皇により、腹ぐんだ祇園女御の子が男子であれば授けようと結果男の子でした。それが何と 【平清盛】 として、平家棟梁に成りました。祇園女御の妹の子との説もあります。今回のドラマでは、清盛の生母は、「もののけ」がついて呪われているとして、白河法皇と忠盛の面前で、お付きの者数人で槍に突かれて亡くなる悲惨な場面から始まり、心痛めます。権力者は、強がりのようで、妖怪変化、もののけには、弱かったようですね。清盛は、優しい生母には恵まれて居なかったようです。そして血を分けた父は忠盛では無かったようです。「祇園精舎の鐘の音 奢れる平家久しからず」何か因果がありそうです。【白河法皇】 は権力者で、この世で適わないものは、ひとつとして無い。その有名な言葉が京に残っています。白河法皇でも、思うようにならなかったもの。鴨川の水双六の賽の目比叡の山法師でした。それほど恐れられた権威者のようでした。そして権力者ほど、物の怪などに恐れをなし終始臆病で懐疑心が高まり、心の休まることが無かったのでしょう。白河天皇御陵は、京都南インターを降りて、城南宮の南当時、鳥羽離宮を建てられていた跡地に鳥羽天皇と隣接して眠って居られます。何時の世も権力者の横暴は、目に余るものを覚えます。余話平清盛の母は? 舞子 祇園女御 池の禅尼 舞子の姉 清盛の養母白河上皇は 孫の鳥羽天皇の中宮として待賢門院璋子を養女に迎えその病が重病で 陰陽師の祈祷により 舞子に物の怪が付いているとして白河上皇の面前で捉えられ家来たちの槍で殺害されました平清盛の異常の出世は 権勢を誇る白河上皇の子としての後ろ盾に基づくとも考えられています そして清盛の気性も同じく激しさがありました参考 大河ドラマ そして平家物語次回は【建仁寺】に参ります。
2016.01.30
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京都は朝からしとしとと雨降りになっています空気の乾燥も和らぎそうです本日は、清水寺から三年坂維新の道ねねの道そして円山公園までの散策についてご紹介してみます。京都らしい風情の味わえる散策道でもあります。戦国時代から維新の世まで 歴史を偲びつつ 法観寺【八坂の塔】五重塔 三年坂写真の手前を左に曲がったところから二年坂・一年坂 【台所坂】の長い石段を降りますと、 「ねねの道」に至ります。降りたところに、 【霊山観音像】 「高台寺」の南隣接して、大きい観音像がコンクリートで戦後造られました。 霊山観音 維新の道 維新の道「ねねの道」の南端から、東に掛けて「維新の道」が急な坂道として登りますと、 京都霊山護国神社北側に【京都霊山護国神社】があります。戦争で戦士された英霊が祀られて居ます。観音像は、更に目だって大きく、航空機でも存在が判るほどです。幕末の頃に「招魂社」として建てられ、維新の頃の亡くなった550柱の墓があり、 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓特に「坂本龍馬・中岡慎太郎そして、木戸孝允」の墓は、有名です。 龍馬たちは京都の都を見守っているようです。ねねさんも やっと落ち着かれました【円徳院】が有ります。襖絵は、長谷川等伯作とも云われています、小さな庭園が楽しめます。院内に「三面大黒天」という珍しい像が祀られて居ます。ねねさんも時折寝泊まりされたとか。円徳院庭園 高台から京都の街が見おろせます。霊山は「りょうぜん」と読んでいます。 ねねの道素人・舞妓姿に変身して楽しむ方も多いです。 石塀小路元京都市電の敷石で構成 大雲院・祇園閣 大雲院は、浄土宗で、本能寺の変でなくなった織田信長・長男信忠の天皇勅命による菩提寺で、墓地には、碑が立っています。そして盗賊「石川五右衛門」の墓があり、墓石があちこちあやかりたいとして欠けているそうです。因みに戒名は「融仙院良岳寿感禅定門」 贈り名に 10字と多いこと 寺格の院を配するなど、従来高位の人、社会に著しく貢献した人に、贈られるもので、正に当時の義賊と賞賛されたことが伺えます。非公開寺院ですが、予め申し込まれると拝観可能のようです。円山公園、音楽堂の前に佇んでいます。 円山公園円山公園の再び坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像明日は、八坂神社から建仁寺へ参ります。
2016.01.29
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此処高台寺では、ねねさんに人気か゜あって尋ねる人が絶えません。 我が儘な夫を最後まで、ねねさんは支えてきました。徳川家康の庇護のもと建てられたねねさんの菩提寺です 高台寺庫裏の入口 【高台寺】 臨済宗建仁寺派 開基 弓箴(きゅうしん) 山号 鷲峰山 豊臣秀吉の夫人「北の政所ねね」が秀吉没後9年後に建てたお寺で、後陽成天皇より下賜された「高台院」にちなんで名付けられました。秀吉並びに生母・養父母そして木下家の菩提を弔うべく建てられたようです。徳川家康もねねさんには敬意を表し、普請に要する費用も援助したとか。伏見城に有った【薬医門】【傘亭】【時雨亭】なども移築されて残っています 三門薬医門の「蟇又」には、「見返り狐」と「うさぎ」が飾られています。庫裏横の受付より庭園に入っていきますと三門【薬医門】蟇股の中に兎裏には狐 【臥龍池】(がりゅういけ)が「蓬莱形式庭園」として広がります。鶴島・亀島はおおきいです。 鶴島・亀島の庭園池を巡りながら【楼船廊】(ろうせんろう)の最中に屋根を一段高く「四方唐波風」で【観月台】が目立ちます。東山からの出る月の眺めは、侘びを感じます。 観月台【開山堂】北の政所の兄「木下家定夫妻」も祀られて居ます。格天井がみものです。 開山堂【臥龍廊】 「開山堂」から「霊屋」への渡り廊下です。龍の様に曲げられています。 臥龍廊同じ身内でも昨日の【瑞泉寺】と比べると別世界で天と地下の違いです【霊屋】 (たまや)の政所は、寛永元年(1624年)9月6日77歳で逝去。此処に眠っておられます。「おたまや」と愛称されるほどに、【蒔絵】(まきえ)が豪華で、「五七の桐」紋を交え、特に夫、秀吉が好んだ「朝露」を、「秋のすすきの葉に露の玉」を採り入れた「ねねさん」の気持ちが痛々しく伝わるようでした。 「花筏」「浄土の様楽器」の蒔絵には、ねねさんの思い遣り、希望の念じ方が伝わるようでした。霊屋の内陣に、秀吉・ねね夫人の坐像が飾られていました。 ねねさんの御廟【霊屋】 「大阪城の落城」で燃え盛る火炎を、どのような悲しみで、眺められた事でしょうか。更に高台に、【傘定】と【時雨亭】が昔のままに残されています。中には自由に入れます。 傘亭時雨亭【方丈】は、最近立派に建てられ、【書院】では「おうす茶」も楽しめます方丈庭園観月台から南東の山を眺めますと、【阿弥陀が峰】が見上げるように見えます。ねねさんはひとりどうにもわがままを通した秀吉の菩提を弔っていたのでしょう。 遺言通り同じ東山連山にあって旦那が京都の都を見下ろせるところに葬れ ねねさんは地中深くと謙虚に霊屋で眠って居られます高台寺の石段を降りますと、市民から誰が名付けたか「ねねの道」があります。見下ろすと 【八坂の五重塔】 が見えます。 法観寺の八坂の塔 大雲院の祇園閣石川五右衛門の墓同じ東山山麓に秀吉とねねは眠っています秀吉の辞世の句に なにわのこともゆめのまたゆめと水戸の黄門さんの「知足」足るを知る を知れば 幸せだったかもしれません天下取りもまだものたりなかったようです 強欲には果てしがないようです明日は清水寺の三年坂から東山散策街道をめぐってみましょう
2016.01.28
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-4度の寒波も緩みつつありホッとしています3月の暖かさになる予報ですが 日頃の生活に気を緩ませると風邪をひくということで皆さん方もご用心のほどを豊臣家の短命と徳川家の長期維持は、身内子孫を邪魔だから排除したか、多く育んだかの形で歴史は変遷して行ったと思います。京都の佳いところばかりでなく、時には歴史上の弱者の悲哀を偲ぶことも、知っておくことが大切とも考えました。 【瑞泉寺】 (ずいせんじ) 山号 慈舟山 浄土宗禅林寺派 前関白豊臣秀次公御一族四十九宝塔菩提寺坂本龍馬の京都木屋町の寓居跡 坂本龍馬寓居の址【酢屋】(すや)と高瀬川を境にほんのそば三條通木屋町下がった位置に、人知れず菩提寺が有りました。太閤秀吉の姉「とも」の子、従弟にあたる 【秀次】 当初近江八幡43石の大名でしたが、秀吉の嫡男鶴松の幼くして死去に実子が恵まれず、秀次を養子に受け入れ後継者として、聚楽第まで建てて、関白の位まで授かってもらった処淀君との間にやや 【秀頼】 が産まれるや否や、難癖をつけて関白職を奪うばかりでなく、高野山に追放の上自刃に追い込まれました。側臣に仕えた石田三成の入れ知恵ともいわれています聚楽第も焼失させるほどに、それだけでは気が済まず、何の罪も無い秀次に仕えた側室・侍女及びその若君4名・姫君1名も三條河原で斬首。その場に、切腹した秀次の首まで晒したという醜業は目にあるものを覚えます。天下人の用心は、肉親をも信頼出来ないで、世にも恐ろしい地獄絵を見せ付けました。後に高瀬川を開削した 【角倉了以】 が、刑場の址地とされる此処に菩提寺を建てたとあります。 記この堂の中央に安置された地蔵菩薩は、秀次公一族の処刑の際、刑場の一隅にその木像を運び込み、次々と打たれる子女達に引導を授けたと伝わる尊像です。 極楽浄土へ死者を導く 【引導地蔵尊】 として京洛の人々に今日なお崇敬されています。 寺伝では「定朝作」大河ドラマ花燃ゆの毛利のお殿様のように 戦の無い民百姓のことを思い遣る天下人であってほしかったです秀次公四十九の供養等四十九の供養等秀次の墓と四十九の供養塔 墓標 鐘の棒の漣のような響きは、悲しみを訴えているようでした。安らかに憩われるようにお祈りしました。 首塚の前に「南無阿弥陀仏」と記された鐘棒五個が鳴らすと、共鳴してカランコロンといとも悲しい音色が境内を奏でていました。堪らなく悲しみを覚えました 殉職した四十九柱絵図 秀次の首塚三條河原の刑場で四十九柱の遺体を地中に埋め,その上に高野山からの秀次の首を西向きに晒し、三條大橋を渡る人々に晒したという、寺伝が残されています。昨日の侵略による野蛮的「耳塚」と共に、一番に訴えたかった京の街の繁華街に近い,「酢屋」と【瑞泉寺】へ写真を撮りにいきました。殆ど人は、存在をご存知有りません。でも歴史で悲しい出来事は、太閤の栄華の蔭で歴然と残されていました。秀次の無念さを考え、四十九の御霊の菩提を祈ってまいりました。難を逃れた武将たちは、のちに関ヶ原の戦には、徳川方に就いたとも言われています。 布団着て寝たる姿や東山 服部 嵐雪七条大橋からの東山右がわ一段と高い山が阿弥陀が峰【頭の形】真ん中清水山【お腹を突き出したような形】左側の低い山は高台山【足元】明日はねねさんの高台寺へ、旦那が高いところなら私は地中深く低いところで、旦那をそっと見守りたいと
2016.01.27
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昔から法住寺という広大なお寺が有りました元は天台宗のお寺の境内が、後白河上皇の院政に移り鎌倉幕府で武家政治と変わり、その後時代は変わり豊臣・徳川の支配下になりました。 秀吉が三十三間堂にも関わっていたことは、「通し矢の禁止令」の古文書で明らかで、方広寺には、権威誇張のため、奈良の大仏さんより大きいものを建てましたが地震で壊れました。再建しても火災にも会って今は存在しません。 京の童歌 「京の、京の大仏つぁんは天火で焼けてなあ。三十三間堂は焼け残った。ありゃどんどんどん、こりゃどんどんどん。うしろの正面にどなた。お猿きゃっ、きゃっ、きゃっ。」 そして秀吉の死後近くの阿弥陀が峰の高き場所に遺言で葬られました。 あの天下人でありながら、辛うじて、墓はあっても、秀吉独自の菩提寺がないことに、気付きます。徳川家康によって、秀吉の所縁のものは、ねねさんの願いで太閤塀と南大門だけが、現代遺されています。南大門と築地塀 瓦に五七の桐紋 三十三間堂から「東山三十六峰」を眺めやりますと、頭を南に大きいお腹をつきだして、脚を伸ばす姿が、正に人が寝ている姿にも見えます。 「布団着て寝たる姿や東山」 服部嵐雪布団着て寝たる姿や東山右方が頭で左が伸ばした足にみえます 豊国廟の500段石段下正面この阿弥陀が峰頂上に豊臣秀吉が眠っているはず 頭が豊国廟のある太閤秀吉の墓で、「吾が屍を都の見下せる場所に葬れ」と言うことで「阿弥陀が峰」の頂上に置かれています。石段500余段有り、脚がわらってしまうほどです。一度だけ訪問しました石垣に包まれた五輪塔の石碑があるのみでした。 ねね夫人は、脚元の「高台寺峰」に、「旦那が高い所ならば、わたしは地中深く掘り下げたところに」と謙虚に高台寺に眠っています。お腹は、「清水峰」で、東山区では、代表的な【清水寺】が有ります。 豊国廟 京都市立札豊国廟豊臣秀吉のの廟所である。 慶長三年(1598)八月十八日秀吉は齢六十三歳を以って伏見城にて葬じた。遺体は遺命により阿弥陀ヶ峰中腹に葬れ、墳上には詞廟、山麓には社殿が建立された。翌年四月十八日遷宮が行われ、後陽成天皇から 正一位豊国大明神の 神階と神号を賜り以後毎年盛大な祭礼(奉告祭)がとりおこなわれた。しかし、元和元年(1615)豊臣氏の滅亡と共に、廟は破壊され、墳墓に弔する人もなく、空しく風雨にさらされいた。明治三十年(1897)秀吉三百年忌に際し、廟宇が再建され、墳上には 巨大な五輪塔が建てられた。なお、社殿は 明治十三年(1880)旧方広寺大仏殿の地に豊国神社として再建されている。 京都市 京都市の公認の立札です 秀吉の逝去後 徳川家康は豊臣の領地内の全ての建物を方広寺を残して壊してしまいましたそのため 秀吉の墓も金銀宝物ありと 野党にあらされ破壊されたとあります百姓あがりと侮るであろうと次々に力になる側近を殺めてしまいました天下人と称する秀吉の墓は山上に建てても 無きに等しくなりました明治になって 出世頭として 神にまでなり現在豊国神社が祀られています 大河ドラマ軍師黒田官兵衛にも描かれる奢れる天下人の末路豊臣秀吉の 百姓あがりと愚弄するであろうの 常に妬みは生涯天下人となっても更にエスカレートしていきます まともな家来は はなれるばかりてす千利休そして黒田官兵衛にまで疑心を抱くようになりました此処三十三間堂の界隈は歴史の足跡が偲ばれます 豊国神社(とよくにじんじゃ)伏見城から移築国宝唐門 豊国神社前 【豊国神社】 (とよくにじんじゃ) 明治になつて太閤秀吉を祭神として祀られて居ます。徳川家康により焼き払われましたが、明治時代に再建され、拝殿は伏見城の遺構を持ってきています。徳川家康は秀吉なきあと支配し、豊臣秀頼に命じて財産を使わすため青銅の大仏さんを建てさせさせました。この大仏さんも寛永の大地震で倒壊、「寛永通宝」に化しました。落慶法要のときに、釣鐘の銘に家康は因縁を付けました。 方広寺の釣鐘白塗りの部分に「国家安康・君臣豊楽」の銘が書かれています。 【方広寺】 釣鐘に有名な「国家安康・君臣豊楽」 の銘があり、徳川家康の曲解で「大阪城冬・夏の陣」と豊臣家は滅びてしまいました。 家康の名を安の字で分断・豊臣が栄えるの意。 方広寺の岩だけ当時のまま残っています。 耳塚供養塔 【耳塚】 「豊国神社」の前の道の側にあり、秀吉が韓国に野望を広げて攻め入り、韓国の罪無きひとびとの耳や鼻を船で日本に持ち帰り、その数で論功功賞を図った惨い仕打ちに、目を覆いたくなるのですが、その被害の霊に対して「供養塔」が建てられています。「瑞泉寺」での、豊臣秀次一党身内でも痕跡無くなるまでの自己防衛の仕打ちと重ね、歴史上真意や如何に。一方神にまで奉じられている現実、太閤贔屓の方ね多いでしょうが、その蔭も京都には遺されて居ます。人間の神格化。野望に残忍な犠牲そして、釣鐘によっての大阪城の滅び。因果報応が、この一画に集められた異様な場所でもあります。文責もあり 京都市の立札を追記しました。明日は、その悲劇【瑞泉寺】(ずいせんじ)をご紹介します
2016.01.26
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今年最低の気温京都市の今朝の温度氷点下4度でした九州長さ鹿児島は135年ぶりの積雪とか皆さんご無事で凌いでほしいです三十三間堂は、仏像の設置の常識が解る、仏像鑑賞に役立つお寺でした。右 本尊 左(上位)雷神・帝釈天(太陽)・吽形仁王 風神・梵天(宇宙)・阿形仁王 NHK大河ドラマ平清盛がありましたが、後白河上皇の壮大な離宮【法住寺殿】の一角に上皇は勅命により清盛に三十三間堂を1164年創建したと伝えられています。柳と三十三間堂法住寺殿跡地三十三間堂外の向いに位置し、そのお隣に75代後白河天皇の御陵そして、養源院が並んでありました。恐らくどなとも知られずひっそりとしていました。 後白河天皇陵豊臣秀吉は、一旦、その広大な法住寺の跡地を我がものとしましたが後に徳川家康によって採り上げられてしまいました。栄枯盛衰の歴史が感じられます。養源院門 【養源院】 浅井長政と徳川の菩提寺当初、淀君が秀吉に頼んで、父の菩提のため建てられました。秀吉亡きあと、豊臣に関係ある建物は太閤屏の一部を残して壊されましたが、妹【江】(ごう)の願いで、長政の菩提寺は残され、徳川の菩提寺ともなりました。伏見城の【血天井】としても忠臣鳥居氏たちの供養もされています。参道徳川の三つ葉葵参道の現在の紅葉三十三間堂外側からこの向かいに養源院があります。修学旅行生がタクシーでそして外人の方も多く見かけます。殆どの方は、日本一細長いお堂の中を1001体の観音像に驚きそのまま退散される方が多いですが、往時火災で持ち出されたのは、観音さんの前に並んだ鎌倉時代の国宝二十八部衆と風神・雷神に観賞されるゆとりも無いようです。タクシー利用の修学旅行生時代は代わり、桃山時代には豊臣秀吉がこの周辺を広く確保し方広寺では高さ19mの木造大仏(奈良の大仏14.9m)を建てたとされています。秀吉死後、墓地を背後の阿弥陀が峰に葬り徳川家康によって、秀吉の所縁のものは、ねねさんの願いで太閤塀と南大門だけが、現代遺されています。南大門と築地塀 瓦に五七の桐紋歴史の流れを推し量りながら、明日から順次寺社の説明にはいりたいです。後白河上皇も、平清盛も、権力を持たれて三っつの事ができないと言われた(加茂川の水・賽の目・比叡の僧兵)72代白河天皇に縁があり、後白河天皇は、鳥羽天皇と待賢門院さんとの子で、平清盛は、父平忠盛だが、祇園八坂神社境内にある忠盛灯篭のゆわれで、白河天皇のご褒美として、白河院の女房祇園女御(妹の説?)与えられた母とも言われています。あれだけ歴史上の有名人物でも仔細が判然としていません。いずれにしても両者気性は激しかったようです。 平忠盛は、一介の北面武士でしたが、冷静に思慮の深さで社僧の命を落とさずに救った手柄が、歴史を変えました。 平忠盛燈篭 八坂神社の社殿の側明日は歴史上名高い方広寺に参ります。
2016.01.25
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修学旅行には、欠かせない観光地のようです。でも時間を急ぐのか小走りに廊下を駆け巡るだけでどれだけの印象に残るものか惜しまれます。中央に本尊観音坐像 そして四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)四天王の覚え方 中学生に教わりました じ・ぞぅ・こう・たそしておっちゃんの好きな麻雀で とん・なん・しゃ・ぺ と夫々本尊の四方の守護を担当するそうです観音立像千一体の多さに驚きますがその前列の国宝の二十八部衆像に 風神・雷神目を留めてほしいです。1体とは始まりを意味します。それにしても、仏様一体でもご利益は届くと思いますが、後白河上皇は、数の多さで臨まれたようです。世界文化遺産並みお堂と考えられます。 【蓮華王院】 【三十三間堂】 天台宗 開基 後白河上皇 山号 なし外人観光客・修学旅行には、人気の高い寺院です。明治の煉瓦風の建物「京都博物館」の南向いに有ります。受付を入りますと、長方形に三十三の間の扉で仕切られた、日本一長い建物に驚きます。観音さまは、人の願いに応じて、三十三身に変化される数に合わせているようです。更に堂内に入りますと、これまた観音さんの立ち姿の多いことに、感歎の声を発せられます。 何せ、真ん中に十一面千手千眼観音菩薩坐像【国宝】(仏師法印湛慶作)が蓮華坐に安置され其の両脇に五百体づつそして、その裏手に一体の十一面千手千眼観音菩薩立像が所狭しと整然と並んでいます。 そして観音菩薩の護身役として前列に二十八部衆と風神雷神【何れも国宝】が並んでいます。左右対称の場合は、本尊より左手が上位です。(私達より向かって右側)例えば。「雷神・風神」「仁王の阿・吽形像」「梵天(宇宙)・帝釈天(太陽)」この形式は、「清水寺」も観られましたし、外でも良く観られますので、参考にされるには、最も身近に大きいお姿で拝観出来ます。頭痛のお守り 何でも「後白河上皇」頭痛持ちだったそうで、今でいうストレスが激しかったのでしょうか。夢のお告げにより、紀州「熊野権現」の附近で、自分の頭蓋骨にすすきが生え、その穂が揺れる度に、ずきん・ずきん痛むと。そのことにより34回に及ぶ「熊野行幸」され参詣されると共に、「平清盛」に命じて、数の量の多い仏を祀り頭痛納めに努められたと言う伝説も有ります。お守りの中にも「頭痛封じ」が有るのは珍しいです。通し矢の場所 廊下を巡ると「通し矢」の歴代の名人の額が掛っています。現代でも伝統として、正月成人の日に、女性による「通し矢」の行事が行なわれています。何故?男性も参加できるのですが何時しか女性の晴れ着姿に定着しました【お柳と棟木の由来】 「昔紀州の殿様が鷹狩りをしていました、すると大事な鷹が、柳の枝に絡みつき離れず、短気の殿様が家来に命じて、木を切ってしまえと、其の時弓の名人横曽根平太郎が名乗り出て、枝を払うことで無事、鷹が救われ、柳の精が喜んだ」後に弓の名人の許に「お柳」(おりゅう)と言う別世の美人が訪れ、お嫁にと二人の間に「緑丸」が産まれました。平和な家庭でしたが、ある時、お柳が悲しくも「私は実は貴方に助けられた柳の精です。京の都に狩り出されることに成りました」と実は此処三十三間堂の「棟木」に供出されることになったのです。でも誰の手でもびくとも動かなかった柳の木に、「緑丸」が優しくお母様と泣く泣く言って、手で優しく摩ると、動き出したと言います。廊下の壁に「三十三間堂と柳の棟木」と題して、掲示されています。皆様、急がれるため殆ど見ておられません。 仏師「西村公朝和尚」さんの二十八部衆の面白い観方を一部披露します。 【神母天王像】は【鬼子母神】 (きしもじん)関東では信仰が厚いそうです。シンバルを両手で鳴らし、その音を目を真中に細め、静かに聴こうとしている彫刻。 我が子が500人も有りながら、他人の赤ちゃんを見ると全て食べてしまう鬼女でした。お釈迦さんが堪らず、彼女の子1人を隠されましたところ、彼女は気が狂ったように泣き叫び探したそうです。其処でお釈迦さんは「500人の内一人でも亡くした母親の悲しさ、喰われた他人の母親の嘆きや如何ばかりか」と諭されました。心を180度改め,幼児を護る安産の福の神に成りました。【阿修羅王像】 (あしゅら)喧嘩・闘争を好み、梵天・帝釈天とも闘いました。これも、お釈迦さんに諭され仏の味方と成りました。眉間にも目がある三つの顔を持ち合わせています。奈良・興福寺の【阿修羅像】は、東京でも大人気となりました。私個人としても、仏像で最も愛好しています。【迦楼羅王像】 (かるら)コブラ(蛇)を常食の巨鳥。鳥頭人身の形を採り、横笛を吹き、右足先で リズム・調子を採るユーモアな像に観られます。インドの神さまです。【帝釈天王像】 (たいしゃくてん)右手に太陽をあしらった鏡を持っています。【摩喉羅王像】 (まごら)眼が眉間も合わせ5個もありますよ。 こうして観ていきますと「仏像」にも興味が沸いて来るのではないでしょうか。二十八部衆は皆国宝でゆっくり観察してみたいです。【十一面千手千眼観音菩薩】 (じゅういちめん・せんじゅ・せんげん・かんのんぼさつ)形として両方に20の手しか有りませんが、一つの手に25の法力を持たれ40×25で1000とされ、実際千の手に近いのは、奈良・唐招提寺の観音菩薩。大阪葛井寺(ふじいでら)そして京都府京田辺の宝壽寺です。正面 次回は、三十三間堂の周辺のご案内をしてみます。
2016.01.24
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仏像については、お寺さんで、殆どが撮影禁止で、許可なくしては撮れません。従って皆様方には、Google画像で検索していただくと観られますので、参考にして下さい。 【仏像の種類】 京都・奈良の観光も、景勝地・史跡を訪ねることも多くありますが、寺院が多く、従って【仏像の豆知識】は知って置かれると、観光の興味が倍加することでしょう。この知識は嵯峨野にある愛宕寺(おたぎじ)元住職仏師故西村公朝和尚の【祈りの造形】をずっと参照し教えて戴きましたとても優しく判りやすく説かれています仏像は、経典により考え出されたもので、釈尊入滅後200~300年後造りだされました。種類分けも、悟りの高い仏様から順次表現されています。判り易い様に、会社組織で表してみました。曼荼羅図 (まんだらず)が目で観てわかり易く描かれています。大日如来を中心にその周りの仏が悟りによって広がる図です。【如来】 (会長) 大日如来(真言密教の根本仏) 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)奈良東大寺の大仏、唐招提寺の本尊 【如来】 (社長) 薬師・釈迦・阿弥陀・弥勒(唐招提寺)阿しゅく(あしゅく)・宝生(ほうしょう)不空成就(ふくうじょうじゅ)(東寺密教) 【菩薩】 (専務・常務)日光・月光(がっこう) 文殊・普賢・観音・勢至 弥勒・虚空蔵・地蔵 金剛宝・金剛薩睡(こんごうさった)・金剛業・金剛宝(東寺密教)【六観音】 聖(しょう)観音・十一面・千手・准提(じゅんてい)・馬頭(ばとう) 如意輪(にょいりん) 天台宗以外 不空羂索(ふくうけんじゃく) 【明王】 (部長) 不動・愛染・孔雀・降三世(ごうさんぜ)・軍荼利(ぐんだり)大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごうやしゃ) 【天部】 (課長) 梵天(ぼんてん)(宇宙)・帝釈天(たいしゃくてん)(太陽)金剛力士(仁王)・風神・雷神四天王(持国・増長・広目・多門)・十二神将・二十八部衆(観音を護る)吉祥天(毘沙門天と夫婦)・弁才天(梵天と夫婦)・聖天・鬼母神(きしもじん)技芸天(奈良秋篠寺)大黒天・韋駄天・毘沙門天・執金剛神(三月堂) 此処までは祈れば功徳を与えて下さる仏さま 【羅漢】 (らかん)(係長)釈迦の十大弟子・十六羅漢・五百羅漢・維摩居士(ゆいまこじ)・無着・世親空也・聖徳太子・弘法大師・伝教大師・法然上人・親鸞上人・日蓮上人達磨大師・祖師・高僧 この上は祈りを取り次ぐ人【一般の人間】 (平社員)【仏像のセット】 ゼスチアーで、【仏】を無言で表現するには、「右手」を上にかざし、「左手」は膝前に、手の平を開けた姿で、直ぐ解かりますね。奈良の大仏さんを想像して見て下さい。 【施無畏・与願】 (せむい・よがん)の形と称し、「右手」をかざして居られるのは、「不安・悩み等の畏れを取り除く、恵みを施しましょうの仏の意向と考えられ、一方「左手」は、お願いすれば、与えましょうの意向の姿と考えられます。 人間自由意志があり、「求めよさらば開かれん」とも言われ、寺社への参拝は、その現れにあるようです。ご家庭の仏壇の仏さんを見ていただくと殆どがその形のようです。 建仁寺寺院の三尊石 奈良の法隆寺の金堂に【三世三仏】の思想が有ります。南正面に本尊の釈迦如来三尊 遣送の如来(けんそう) 【現在】釈迦尼仏東に薬師如来三尊 遣送の如来(けんそう) 【過去】薬師瑠璃光仏西に阿弥陀如来三尊 来迎の如来(らいごう) 【未来】阿弥陀仏人は、太陽の出る東方浄瑠璃世界から送り出され、現在釈迦の教えに基づき、太陽の沈む、西方極楽浄土に迎えられる三世の思想の表現とされているようです。 ここでお釈迦さん・阿弥陀さんそしてお薬師さんの主だった仏像の見分けたが、興味あります。 皆様、両手の指を開いてみてください。その形がお釈迦さんです。そして親指と小指を交えて下さい。それが阿弥陀さんです。 次に左手薬指だけ曲げて下さい、それがお薬師さんのかたちで右手に薬壷を持っておられることが多いです。 但し、阿弥陀さんの場合は、親指と小指以外に他の指と交えた仏像がたまにあります。仏像の観方として 阿弥陀さんの像の手のひらと両手の位置を違えて印相を変えておられることに気付かれると面白いです【阿弥陀さんの九印相】 阿弥陀如来は、西国極楽浄土を支配されてると言う事で、鳳凰堂の壁画も、 【御来迎の図】 が画かれ、九壁画に分かれているそうです。 極楽浄土も九段階平等院の阿弥陀如来像は、 【上品上生印相】 (じょうぼんじょうしょうのいんそう)で最高位。阿弥陀さんの手の指が、「親指」と「人指し指」 【上品】「親指」と「中指」 【中品】「薬指」と「親指」 【下品】円く交わる事で、夫々、「上品」「中品」「下品」と称し、阿弥陀さんの両手の位置か゛「膝の前で結ぶ」 【上生】「両手を開いてお説教するように、上に揚げる」 【中生】「右手を揚げて、左手は手の平を開けて膝の上に」 【下生】 (施無畏・与顔)(施無畏・与顔) (せむい・よがん) Google画像で出て来ます奈良の大仏さんの形右手は不安畏れを無くす施し。 主の平安(キリスト教)左手願いを適う与えましょう。 求めよ開かれん(キリスト教)「上生」「中生」「下生」(げしょう)と称します。この組み合わせで、九印相の阿弥陀像が表されます。極楽浄土への位置付けでしょうか。「上品上生」「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」太秦の広隆寺には、「中品中生」の阿弥陀像が見掛けられますが、殆どは、「上品」クラスのようです。 御家庭での仏壇では、「上品下生」(じょうぼんげしょう)の即ち、施無畏・与願の型で指は親指と人差し指を交えた形の阿弥陀さんが多いです。一度試してみてください。 次に仏像単独だけでなく、セットの法則のようなものを見受けます。【脇侍の教え】 (きょうじのおしえ)釈迦三尊の場合【慈悲智恵の文殊】(左)【知恵の普賢】(右) 禅寺では 【阿南尊者】(左) 【迦葉尊者】(右)(かしょう)阿弥陀三尊 【慈悲の観音】(左)【智恵と意志の勢至】(右)薬師三尊 【暖かい光の日光】(左)【冷たい冷静な智恵の月光】【釈迦如来の眷属】文殊菩薩・普賢菩薩 十大弟子 【涅槃図】(ねはんず)【阿弥陀如来の眷属】観音菩薩・勢至菩薩 二十五菩薩 【御来迎の図】(ごらいごうのず)【薬師如来の眷属】日光菩薩・月光菩薩(がっこう) 十二神将【観音菩薩の眷属】二十八部衆 東京博物館で一大人気になった【阿修羅像】(奈良・興福寺所蔵)も含まれます。既に、ご招介しました【清水寺】そして何れ記します、【三十三間堂】で観られます。次回三十三間堂の仏さんを紹介します。
2016.01.23
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昨日は【初弘法】弘法さんの命日21日の年初めの市がたち賑わいました1633年徳川家光が清水寺本堂と此処東寺の五重の塔を再建共に国宝となっています春に撮った写真です秋の写真 もみじが美しいです 【東寺】 【教王護国寺】真言宗東寺派 開基空海(弘法大師) 世界文化遺産登録 その土地で、1個の【国宝】が有れば、有名になり、誇りを持ちます。此処東寺だけで、建物・仏像・曼荼羅(まんだら)の絵画・書等50点余有り、何だか麻痺しそうで、有り難味が薄れる感じです。京都には、恵まれ過ぎかも知れません。 高さ57mは「日本一高い塔」といわれています。三代将軍徳川家光が再建しました。お坊さんに教えてもらったので、解かったのですが、塔の下層の軒四方に、 「邪鬼」 が軒を支えるように、踏ん張っていました。よく仏像で、 「邪鬼」 を踏みつけているように見られますが、実は仏を支えていると風にも採れる事が教えられました。訪問されたら是非よく見てやってください。 邪気が軒を踏ん張ってささえています。 修学旅行生が、「おじさん、ジャッキーの役目しているのですね。」とジョウクを飛ばしていました。 「平安京」が誕生した頃は、東寺の西に【羅城門】(らじょうもん)があり、都の中心【大内裏】(だいたいり)から「朱雀大路」の南端にありました、そして更に、「羅城門」を挟んで、西に「西寺」がありました。今は広い公園に、「西寺跡地」として石碑が建っています。だから京都の中心は、京都駅前の「烏丸通り」(からすまとおり)延長に京都御苑があります。ではなく東に移動しているようです。 薬師如来の祀られる金堂 【金堂】建物が【国宝】です。豊臣秀頼により落慶しました。堂内に入りますとわが国最大の薬師如来のセットが祀られて居ます。真ん中に【薬師如来像】そして仏側から見て「左」に【日光菩薩】(にっこう)「右」に【月光菩薩】(がっこう)そして薬師如来の周りに【十二神将】が観られます。「左の日光菩薩が上位」 多くの国宝の仏像が配置された講堂 【講堂】 建物は(重要文化財) 学僧の学問所で立体曼荼羅(密教浄土の世界)を学ばれる場所でもあります。 仏像が21体の内国宝が15体有り、実に壮観です。中央に【大日如来】を中心に【如来群】がそして、仏から見て「左」に【菩薩群】そして「右」に【明王群】が祀られて居ます。「菩薩が上位は確たるものです。【四天王】四隅に夫々、「邪鬼」が踏ん張っています。【明王】は、大日如来の化身と言われ、怖い形相は、世の中で、幾ら仏法を説いても頑固で聞き分けの無い衆生も居るので、そういう者を強化するためとも言われています。【梵天】(ぼんてん)(宇宙を司る)ガルダ鳥に跨り【帝釈天】(たいしゃくてん)(太陽を司る)象に乗っています 弘法さんの縁日毎月21日で親しまれる【大師堂】 弘法大師が祭られた大師堂【大師堂】 (だいしどう)建物【国宝】弘法大師の宿坊。「不動明王秘仏」が祀られ、弘法大師の命日に当たる21日に毎月「弘法さん」として庶民に親しまれ、市が立ち縁日として大勢の人で賑わっています。 宝物館宝物館内に、ミニ五重塔が飾られています。京都に併せて五箇所にあることになります。仁和寺・八坂・醍醐・東寺に二つ。池にう映った五重の塔 かささぎ おしどり夫婦 金堂・講堂が池面に写る明日は仏像の構図をご紹介してみます 奈良・京都観光には便利です仏像の種類について「東寺」その意味で貴重な文化を知る機会と存じます。
2016.01.22
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昨日の夕刊に金閣の雪景色が報道されていました豪雪吹雪の日本列島の最中ですが 清水寺の四季の一齣で映像で心休めて見て戴ければと実はこの写真のネガを誤って消去してしまいました老体に鞭打って訪れただけに心残りでしたが 我が子が何とかして復元してくれて貴重な写真となりました一昨年12月1日清水寺一周の紅葉鑑賞です表正面仁王門団体さんの正道を避け静かな自動車路から故大西良慶和尚の住まれた成就院の池特別拝観も写真が禁止で訪問しませんでした。右へ向かいますと拝観受付へ忠僕重助の塚 (のちに忠僕茶屋へ)どうだんつつじも紅葉してますぬれ手観音が、奥の院大改築で移転してまつられていました本堂は国宝1633年徳川家光によって再建舞台より 音羽の瀧への石段殆どの人は此処を降りずに奥の院へ清水寺の絶好の写真の位置京都タワーも見えます子安の塔 美しく工事完成しました此処に来られる方はまばらです 知られないから変則四差路 北向き右から降りてきてUターン手前が子安の塔へ清水寺縁起石仏群四差路の角に立っていますが、殆どの方は、無視ブログで推奨した坂道は閉鎖されていました変形四差路を北から見た石仏群舞台を下からの眺め音羽の瀧の手前を左に坂道【音羽路】を初めて登り路 頂上に忠僕茶屋杖を付きながらやっと登りつめました側の立札に、老人、足の悪い人は坂が厳しいので避けて下さいと三重塔 右忠僕茶屋忠僕茶屋できつねうどん 600円 拝観料300円忠僕茶屋からの眺め観光バスは駐車場満杯一作年の京都の紅葉は、早めの見ごろで鮮明で美しく感じました。この感動を皆さんに見せられずに、消去してしまい心が痛んでいましたもう一度はとても無理で、ここでご紹介出来て良かったと思います次回は世界文化遺産東寺に参ります
2016.01.21
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昨日京都市で初雪が観測されました 平年12月15日ごろが1か月遅れの暖冬だったのですね 各地猛吹雪のテレビの映像が流れて居ました皆さん気を付けてご無事に過ごされますように祈っています【清水寺4.】本日で、清水寺シリーズ 終わりますが、 一般の皆様が是非 観て欲しい、予約の貴重な場所が二箇所セットで許可を得られれば観られます、大講堂の仏足石と成就院の月の庭です。駄目と思っても、寺務所に予め日時をご予約してみて下さい。成就院は、故大西良慶和尚が109歳まで長生きされた、静かな雰囲気の庭園が観られます。 音羽の瀧日本一の十大名水の筆頭とされ【清水寺】と名付けられました。 ここも。人気があり、水を救って呑まれる人の列は、堪えません。27. 【音羽の瀧】 数千年来、音羽の山中から湧き出る清水です。【日本十大名水の筆頭】と称せられ、【清水寺】の名が付けられました。バスガイドサン達は、観光客に興味を持たせる為三本の瀧を分けて説明されていますが、お寺では、水の出所が1箇所で、水垢離の行をされる為に三箇所に分けています。と迷惑そうでした敢えて、聞く所では、向かって左から、若い人には、1.ロマン2.智恵3.健康年長者には、1.家内安全2.商売繁盛3.不老・長寿で、真剣に取り組んで居られる姿をよく見掛けます。28.【舞台下から見上げる】奥の院も含み、139本の柱が、崖に架かっています。過去幾人かの人が、実際に飛び降りたことはあるそうです。生死の程は判りません。江戸時代345件あり生存率85%ともいわれています。舌切茶屋29. 【舌切り茶屋】 (近藤)後述しますが、西郷隆盛の居場所を突き詰められ、(近藤正慎)が舌を噛み切って自害。その忠臣の子孫のために現代にも遺されています。忠僕茶屋30. 【忠僕茶屋】 同じく、(忠僕・重助)が、近藤氏に仕えていました。その功により、子孫に清水寺の境内で、茶屋として営むことが適いました。 蝦夷(えぞ)の英雄の碑31. 【アテルイ・モレの顕彰碑】 坂上田村麻呂の蝦夷征伐の際連れてこられました。平安遷都1200年を記念に清水寺に建てられました。田村麻呂は、庇ったのですが、時の為政者のために命を落としました。32.【念彼観音力の石碑】故大西良慶和尚の筆観世音を念ずればね観音の妙智力によって、世間の苦を救い給うと、和尚さんは、説かれていました。33.【岸駒の虎の石碑】(がんく)32.と同じ広場に在ります。虎の目は三方から見ても、正面に向ってきます。(七不思議の一つ)岸駒の虎絵最後に、特別公開ですが、 【成就院の庭園】 故大西良慶和尚さんが、109才まて゜、音羽の水で、長寿を全うされた住寺です。勤皇の獅子 西郷隆盛と月照・信海和尚と倒幕につき密談したという場所一名【月の庭】とも称せられ、とても静かで趣の深い庭園です。 成就院清水寺の賑やかさとは別世界のように静まっています。看板は時には特別公開されています。清水寺の大講堂此の建物の高さをお釈迦さんの背丈としてその下に仏足石があります。是非あらかじめ入館出来ることを予約されて妙なるご経験を持って欲しいです。成就院の庭園とセツトで見せて貰えると思います。【大講堂の仏足石】 最も感動的なのは、清水寺北法相宗の寺務所【大講堂】です。講堂の屋内では、高い場所から、底に大きい【仏足石】が画かれています。(西村公朝和尚画)妙なる音律と共に、「散華」を撒くと、別世界に、誘われます。この体験は、私の場合エムケイ会社の外商から、依頼しました。皆様も、予約で、寺務所に問い合わされて見られてはと、存じます。この世でなく別世界に存在する感じでした勤皇の獅子たちの歌碑左に枠外に忠僕重助の碑舌切茶屋・忠僕茶屋の由来がわかります。成就院から、清水寺の拝観受付に向かう途中に、先に記しました、勤皇の師【月照・信海和尚】に使えた、【近藤正慎】と【忠僕重助】の石碑が建っています。西郷隆盛と成就院で蜜会されていたと伝えられています。 「清水寺」何回参詣しても、尽きぬ想い出を残してくれます。明日は昨年の紅葉の清水寺載せます
2016.01.20
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国民的でなく世界的にも人気の有った SMAPの解散も昨夜ファンの前て謝罪放送が有り 解散せずに存続が決まり良かったですね【清水寺3.】明治時代になって、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で多くの価値ある仏像が、消されましたが、その後、神仏一体の形式が採られ、此処清水寺でも、お寺の境内に、神社・祠が存在します。鎮守の神様と一体に存在します。 地主神社 恋占いではしゃぐ若い人に人気18. 【地主神社】 (じしゅじんじゃ)若い人に人気が有ります。大国主命を祭神としています。 恋占いの石神前の広場に、恋占ないの石が両サイドに設置され、一方の石に触った後、両目を瞑り、もう一方の石に辿り付き、振れることが、出来れば、その人の 想いを寄せる恋が実る、と言うことで、皆真剣にアタックしているようです。若し誘導を受けて、達成すれば、その人の援助も必要とのこと。修学旅行生は、大はしゃぎです。拝殿天井に龍の絵が画かれています。狩野元信筆です。地主桜も歌に読まれ、有名です。19. 【西国三十三所観音霊場第16番札所・納経所】地主神社の石段を降りた、直ぐ左側(東側) 西国観音霊場三十三箇所霊場の納経所 善男・善女が掛け軸とか納経帳に真剣辿り着いた歓びで受けておられます。此処で清水寺縁起のチラシを頂きました20.【釈迦堂】釈迦三尊が祀られて居ます。 20.~23 現在平成大修理 で観られません。釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩21.【百体地蔵尊】愛児を亡くした人がここに詣でると、亡き児によく似ている地蔵尊があるといわれ、その冥福を祈られます。22】. 【阿弥陀堂】 法然上人が、最初の常行念仏を始められた場所。23. 【奥の院】 阿弥陀堂の直ぐ南隣にあります。国宝の本堂と同年代に建立されました。本堂の仏像のミニ形式で、観音菩薩及び二十八部衆及び風神・雷神が祀られて居ます。 工事中の横から写真撮影の場所がキープされています。此処奥の院の舞台から、本堂の茅葺(かやぶき)の屋根を含め、写真の絶好のシャツターチャンスです。 此処からの写真が素晴らしいです 紅葉狩りの舞台何時みても人だかりが判ります外陣の絵馬を良く観られますと、過日、記しました、 行叡居士が延鎮さんに霊木を授けている図が描かれています。24.【濡れて観音】 奥の院の裏側に居られ。常に観音さんが、濡れて立って居られます。医者から見離された病も癒されると言う、信仰があり、折鶴などお礼の印が廻りに掛けられています。 不思議とこの観音さんは乾くことなく常に濡れて居られます。皆様が水を絶やさず掛けられることもありますが、 現在工事中のため拝観受付の場所に移転濡れて観音25奥の院より、南へ約5分ほど歩かれた所に23..絵馬の実際有った.【変形四交差た場所。石像群が有ります日記、(清水寺縁起でご紹介)】 延鎮和尚と行叡居士の会われた場所にお地蔵さんが祀られ由来の立札が立っていますが、皆様殆どにも留めずに通過。変形四差路右側奥の院から降りて来られて左の路へUターンされます 音羽の瀧へ写真手前の道を登りますと子安の塔の側に行けますが殆どご存じありません 惜しまれます 変形四差路ら子安の塔への坂道閉鎖されています矢印左の道を辿りますと子安の塔の側と泰産寺につけます知らないからか子安の塔の絶景を見逃す方が殆どでした。26. 【子安の塔】 三重の搭が建っています。ここからの清水寺全景のパノラマは、最高の絶景です。清水寺全景ここがとても素晴らしい眺望です。27.【泰産寺】 (たいさんじ)お産が安らかにの意。「今年の漢字」で有名な【森清範管長】の住持のお寺でもあります。 子安の塔の側に位置します。子安の塔 改造中立派に完成しました。 次回は、【音羽の瀧】から、清水寺最終回をご案内したいと思います。
2016.01.19
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清水寺は西国三十三箇所観音霊場の第十六番札所です。 清水の舞台の南西角の擬宝珠には寛永拾年建之とあり年号では、1633年 即ち16番札所 西国三十三箇所と三代将軍徳川家光が再建して380年と言うことが覚えられます。 【清水寺2.】 現在は、【五条大橋】は五条通りに有り、橋の西側緑地帯に、【牛若丸と弁慶】の石像が飾られていますが、「京の五条の橋の上、牛若丸と弁慶が・・・」の橋は、鴨川の一つ北に架かった【松原橋】が、当時の橋とされ、松原通りを、東へ行くと、「清水道」となります。以下昨日の続きです。9.【参拝券受付】京都市内で最も安いです。300円 バンフレット無し 轟門の前の龍の手水鉢10.【轟門】本堂への入り口の門です。門前に手水鉢が有り 、龍があしらって有ります。 国宝 本堂入り口11.【仏足石】(ぶっそくせき)廊下伝いに、北の庭に外れた所に、見掛けられます。お釈迦さんの歩かれた、足跡で、盛んに手に触って、お願い事している方を見掛けます。扁平足にご注意。お釈迦さんは、全てに平等に慈悲を与えられる意。12.【弁慶の杖と下駄】 傷では有りません。お百度参りの籤棒の380年の軌跡です。13. 【弁慶の爪跡】 本堂の周りに、深くえぐられた筋が残されています。実は、信者の 【お百度詣で】 で、籤を堂の周りに沿って、筋が380年もすると、深く刻まれて出来たものだそうです。赤門の拳骨の跡と同じ年数の驚異です。(七不思議) 是非お堂の周りをご覧下さい。14.【大黒天】15. 【清水の舞台】 皆様の一番観光の楽しまれる景色が一望出来る場所です。139本の柱に支えられ、釘は使われていません。京都市街が美しく広大に眺望されます。思わず飛び降りたくなる心境も、何事も一大決心する時、「清水の舞台から飛び降りるつもりで」と表現されます。 京の商人は、「ええい、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、まけときまひょう」と掛け声するようです。舞台では、舞楽も有ったようで、両側に楽器を鳴らす人の坐る場所も兼ね備えています。京都市街の景観もさるものながら、紅葉の景色も素晴しいです。向かい正面に 「子安の塔」 が構えています。子安の塔の背後に 豊臣秀吉が眠る【阿弥陀が峰】が羨ましそうに多くの観光客を見守っています。その背後に、東山三十六峰の一つ【阿弥陀ケ峰】が見られます。【豊国廟太閤坦】(ほうこくびょう・たいこうだいら)山の頂に、豊臣秀吉が遺言により、「京の都が見下ろせる位置に葬れ」と言うことで、眠っています。本堂から奥の院のお堂を眺めます見下ろしますと、音羽の瀧の姿が見えました。16. 国宝【本堂】 内陣 に入ってんで下さい。清水の舞台に在る。本堂です。内陣を覗いて、参拝される方が、殆どです。内陣の入り口に 【土足禁止】 の立て札が置かれています。入場禁止と、勘違いするのでしょう。靴等土足を脱げば、内陣に入れるのです。但し靴は各自持って入って下さいね。そして内陣の奥には、本尊は秘仏ですが、【お前立ち像】として、両手を頭の上まで、挙げられた。【清水型観音菩薩】が奉じられ、何とその周りに、観音さんの眷属である【二十八部衆】及び【風神・雷神】が観られるのです。外からは、その存在すら、判らずに9割の観光客は、通り過ぎられます。そしてお客様が一番歓ばれた事が、観音さんに願い事されるときに、【大きい鐘と大きい叩く棒】で、座して、一礼した後、ご自分で鐘を叩かれます。鐘の音の余韻を聞きつつ手を暫し、合わせて、此処有名な、清水寺で、静かに礼拝の体験された事。とても感動したと。とても大きい鐘の余音は、生涯良い想い出になりました。と、礼状をよく戴きます。今年の年賀状にも、山形の方が20年ほど前のこと懐かしいと 添え書きありました。 大きい鐘を撞くと清水寺に詣でた感動を覚えます 本堂の内陣に素足なら入れます陸前高田 流木松 で作られた 大日如来常に東日本の復興を切に祈願しています。最近祀られるようになりました。 本堂には、太い檜柱が何本か有ります。その太さは、原木の1/4で、建築では真ん中の芯部は弱いので、避けています。だから原木の太さが4倍と想像できます。現在日本には、無く台湾あたりから輸入されています。 清水寺に観音さんを 拝もうとすれば、内陣に入って そのお前立の仏像(本尊さんは秘仏のため)を見つめることで、実感を深くすることが出来ます。 殆どの人は 外の見えないところから手を合わせて過ごされます。ご本尊の観音さんは三十三年に一度しか御開帳が有りません。2009年秘仏の本尊清水型観音菩薩 (6本の手のうち2本を頭の上にかざす)ご開帳がありその後33年後に御開帳が有ります。G00gle画像でみられます。平常は、お堂内陣に入られ正面に【お前立の観音像】額縁で想像できます。そして暗さから目がなれてきますと奥に観音さんの守護神、 風神雷神そして二十八部衆を観ることができます。勿論大きい鐘をごお~んと鳴らして手を合わせ祈りながらその余韻を聴いていますと 有名な清水寺で 格別の感動を得ます。どのお客様も 皆さん感動されます そして京都に来た佳き想い出として感謝されていました付け加えて、観音菩薩の両側に、厨子が二つ有ります。一つは【地蔵菩薩】一つは【毘沙門天】が祀られて居ます。坂上田村麻呂が蝦夷征討(えみしせいとう)の際に、苦戦したため、延鎮上人が、戦勝祈願をされたことで、未だに祀られているそうです。 地主神社・奥の院そして音羽の瀧にっていては,次回に記します。
2016.01.18
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画像容量と最大投稿文字数を増やす変更を行いました 楽天ブログ1月5日より従来の10倍が記載できそうです 観光シーズンに成りますと、清水寺に先ず訪れられますが、スケジュール の関係で、皆さん駆け足の様に人の流れに沿って一巡される方が多いです。見どころが一杯見損じておられるのが残念です。 【清水寺その1.】 清水寺の参詣は、 観光バスの大広場の駐車場の、登り詰めた辻に、【七味屋】 さんがあります。その角から、 三年坂 (産寧坂)(さんねいざか)始まります、石段だけでも、一服の絵に成ります。 「お産が安らかに済ませるようにの願いをこめて」 三年坂または「産寧坂」とも、お産がやすらかに「この坂で転ぶと良からぬことになる」と身重の方には特に石段に気をつけるようにと戒められています。 そして坂の途中に、瓢箪がを売る店があり、万が一転べばその店で瓢箪を買うと難を逃れると言われています。 参詣道を多くのみやげ物屋さんを突き当たると、広い石段に出くわします。 仁王門狛犬が出迎え 正面に 【仁王門】 があり、その前には、珍しく二体両方とも、口を空けた狛犬が皆様を「ようこそ」と歓迎しているようです。多くの人は記念写真を撮って居られます。 問題は、石段を登らないで、下の広場から、向かって左方を見て下さい、小さい祠が有り、如意輪観音像が見かけられ、その横には、地蔵菩薩が、手には赤ちゃんをだっこして居られます。 善光寺の如意輪観音さんと左は、赤ちゃんを抱っこしたお地蔵さんこうして安産・子育てに随所に意図が見られます。 首振り地蔵修学旅行生も歓んで試みていました。 1. 【首振り地蔵】 が安置されています。舞妓さんが、ご贔屓(ひいき)の人の方角に首を回し、お願い事をされたと言う事で、どなたでも地蔵さんの首を方角に回す事が出来ます。2.【馬留め】石段の左側に有ります。今で言う駐車場。馬を繋ぐ柱の1本の金具が、違った角度になって居る。(七不思議) 穴は掘ったのでなく、音を柱の向こうで耳を澄ますひとに聞こえるように、トントンとたたいて380年の結果なのです。3. 【仁王門】 一名【赤門】とも呼ばれています。両サイドの桟の端を拳骨で叩くと、奥の桟の端で、もう一人の人が耳を添えると「こつこつ」と音が聞こえると言う、(七不思議)鐘楼鐘楼の横に【鹿間塚】の灯篭があり。坂上田村麻呂が射止めた雌鹿の供養のために建てられています。清水寺縁起のお話を知るとたとえ、動物でも誤った考えで犠牲に成った供養をしていました。4.【鐘楼】の北側に、坂上田村麻呂が射止めた、雌鹿の供養として、【鹿間塚】 の燈篭があります。爪で彫ったと言われる観音さんを治めた灯篭 5. 【爪手観音の燈籠】 【隋求堂】(ずいくどう)の前に存在します。平家の家臣、悪兵衛影清(あくひょうえかげきよ)が爪で観音像を彫って燈籠内に納めたと言われます。 隋求堂6. 【隋求堂】 (ずいくどう)【隋求観音菩薩】が祀られています。その人の望まれる求めに随って、何でも適えて下さる観音さんです。 三重の塔7. 【三重の搭】 家光の再興。わが国最大の三重の搭。大日如来を祀っています。子安の塔から眺めると、一段と極めて存在します。田村堂舞台受付の前にあります。長期非公開。8. 【田村堂】 (開山堂) 坂上田村麻呂夫妻・延鎮上人・行叡居士像が安置。清水寺縁起の登場人物が祀られています一週間前欣ちゃんゲストで清水寺ミステリーで貴重な放映がありました 参拝受付から次回でご紹介しましょう。清水寺は、何回参詣しても、新発見があります次回本堂清水の舞台に続きます
2016.01.17
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京都観光では、清水寺が離せません。でも、京都の都の出来る前に誕生した清水寺の由緒を知っておかれると至る所で、意義があることに興味が持たれます。京都観光と言えば、清水寺が群を抜いて人気が有ります。清水の舞台がその注目となるからでしょうか。そこで本日の清水寺の縁起を理解しているともつとその見所の意義が生きてくると思います。清水寺を一口でいえば、 【安産の祈祷寺】【三年坂】 (産寧坂ともいいます)・ 【子安の塔】 の配置からも頷けます。 清水寺 延鎮と行叡居士と出遭った場所 (奥の院)【清水寺の縁起】794年平安遷都される前のこと。昔々、奈良は高市郡の【小島寺】にとても足の速い、小僧さんが仏に仕えていました。名を 【延鎮】 (えんちん)と称しました。或る日 【夢のお告げ】 があり、無性に足はある方向に向かってとまりませんでした。何と、未だ京の都も制定されていない、少し前に、東山の山麓で、足が止まりました。不思議や、延鎮の前に、杖を突いた白髪の仙人が現れました。【行叡居士】 (ぎょうえこじ)と言う方で、庵を設けて、修行されていました。【行叡居士】は、【延鎮小僧】さんに 「この霊木で観音さんを彫り、祀って護りなさい」 と伝えて、姿を消されました。8年がかりで、彫った観音さんを、山中で、祠を建てて護りました。或る日、鹿狩りで、「雌鹿を射止めた」 【坂上田村麻呂】(さかのうえたむらまろ)と、ばったり出くわしました。 延鎮は、「何故そんな殺生するのか?」と問いただすと「妻が腹ぐみ、雌鹿の生き血を飲むと安産する」との迷信に、延鎮は、戒め「私の彫ったこの観音さんに祈る事によりきっとお恵みが有ると」と説得。事の理をわきまえた田村麻呂は、雌鹿を鄭重にこの地に葬り、妻と一緒に観音さんを日参されました。 鐘楼の横に鹿間塚として女鹿の供養塔日も満ちて、 【玉のような男の子】 が誕生しました。大喜びで、貧しい、祠を素晴しい大きい御堂を田村麻呂は寄進しました。この噂は、村中に広がり、われもわれもと参詣する人が増え、御堂前は、混雑しました。そこで、岩間に懸崖を造り、出来上がったのが、現在の 【清水の舞台】 と成りました。 【清水寺は安産の祈祷寺】 が本来の姿で衆派も奈良時代の 【北法相宗】 (きたほつそうしゅう) とされています。 京都一観光客が多いにも拘らず、写真の場所に歩を止める方は、皆無に等しいことが残念で成りません。立札にも説明が載せてありますが、忙しくって、目にも触れられません。清水の舞台の入口には、 【開山堂・田村堂】 がありますが、非公開もあって、目にとまりません。坂上田村麻呂夫妻・延鎮和尚・行叡居士の像が祀られています。 最近に復活完成した【子安の塔】次回には、清水寺順路に従って見どころをご紹介します。
2016.01.16
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15日小正月を迎えました時はどんどん経っていくのを感じます妙心寺の側に、NHK大河ドラマ「平清盛」で当初よく演出された「鳥羽天皇」の中宮(皇后)でありながら、権威を持った「白河上皇」に寵愛され、女性としての生き方に不本意のままに過ごされ 待賢門院夫たる鳥羽天皇には、美福門院に片寄られ、白河上皇崩御後は何の権威も持てず、出家されて建てられた、法金剛院とされています。一つの哀話とも考えられます。偲びつつ誰も訪れないひっそりした御陵を訪問しました。鳥羽天皇との間で、 【後白河天皇】 の母君でもあり、平清盛との葛藤が平家物語で登場します。 【法金剛院】 奈良の宗派「律宗」 開基 待賢門院 (たいけんもんいん) 山号 五位山 JR「花園駅」駅前に有ります。昨日の「妙心寺」の観光の際には、近くですから是非ともご訪問をお勧めします。過日お知らせしました「特別名勝指定」国宝級の庭園 の一つです。極めて小規模ですが、いにしえを偲ぶに相応しい、落ち着いて鑑賞が出来ます。入口の門 庭園入口阿弥陀如来坐像 当寺では、礼堂の西側裏に「仏殿」が有り、平等院の阿弥陀さんを彫った、 「定朝様式」 (じょうちょうようしき)の【阿弥陀如来坐像】 が私たちの礼拝する、目の間近前に拝する事が出来ます。 阿弥陀さんは、「東向」で極楽浄土をイメージして造られた、【待賢門院】の蓮池と共に現代も活き活きした状況を感じ取りました。横には着飾った 平安時代前期、右大臣 藤原夏野の別荘から「双丘寺」(ならびがおかじ)として建てられましたが、その後奈良の唐招提寺の僧によって再建され、「律宗」となっています。寺の荒廃により、「待賢門院」が出家され再建されました。 京都の北方に目立つ、「ラクダのこぶが二つ並んだ丘」を「双ヶ丘」 (ならびがおか)と言いますが徒然草で有名です。その南麓に 「五位山」 がありそこに法金剛院が建っています。 庭園 阿弥陀如来坐像の仏堂が見えます。 背景が【五位山】五位山の右手裏手に御陵があり待賢門院さんが静かに眠っておられます。 【待賢門院】 お父上藤原公実とは、若くして死別 【藤原璋子】(ふじわらのしょうしたまこ)として、74代鳥羽天皇の中宮(皇后)・75代崇徳天皇・76代後白河天皇の母君後に「女院号」【待賢門院】と呼ぶようになりました。大変美貌でお父上無き後.白河院の加護を受けて居られる内は、良かったようですが、保護者の崩御後、旦那の鳥羽天皇が「得子」後の「美福門院」に心を寄せられ、待賢門院は、信仰も厚く、出家して「法金剛院」で、生涯を送られましたとか。五位山の北麓に、【花園西陵】として御陵が有りました。とても静かな場所に眠って居られました。【妙心寺】のほんの側でした。近所の人も関心を持たないほどでした。御陵の前の豆腐屋さんに聞いても「さぁ~」と関心のないことに驚きです。やっと手探りで見つけました。感動でした。 参道花園西陵 待賢門院さんの皇后陵 【青女の滝】 (せいじょのたき)石組みは平安時代で、日本最古の人造滝石組みと言われています。 【歌碑】 待賢門院の侍女 【待賢門院堀河】 の百人一首。尚 【西行法師】 も訪れたということです。法師は、源氏の武士で詩歌の精通で恋慕するも、出家して地方を行脚したと云います。美しい待賢門院さんに武士のころから慕っていたようです。 「長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝は物をこそ思へ」 待賢門院堀河 歌碑次回は京都観光の最も人出の多い清水寺に参ります
2016.01.15
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しっかり冬型の気候京都の朝は0度然し記録更新で【初雪】が1月7日以降も降りません もう15日の小正月も明日に向かえました【妙心寺その2.】【退蔵院】 (たいぞういん)唯一常時観光出来る塔頭です。 内塔頭・退蔵院入口の門 寺宝 如拙(にょせつ)筆 【国宝】【瓢鮎図】(ひょうねんず)室町時代の水墨画です。「瓢鮎図」瓢箪(ひょうたん)と鯰(なまず)の絵が書かれていて、禅問答の答えが幾つか書かれています。人を信仰へと導くにも鯰のようにのらりくらりと一筋縄にはつかめません。理屈っぽい人間を指します。そこで禅問答となり、如何にして、鯰を瓢箪に入れられるかの解答のようです。方丈の襖絵 画家狩野元信の庭 元信の庭【方丈庭園】(本堂)室町時代の「狩野元信」作の庭園で築山の滝から蓬莱島を経て石橋に流れると言う趣向で、絵描きが作庭するのは、極めて珍しさが感じられます。 陽の庭 陰の庭 【余香苑】(よこうえん)近代の庭園で「中根金作」の設計で造園されました。入り口に「陰・陽」の庭そして奥へ滝から大量の水が流れその水音が静けさを象徴するようで、とても親しみやすく、そして広々と自然の姿で鑑賞出来ます。【水琴窟】 (すいきんくつ)土中に「かめ」が埋められ。手水鉢から柄杓で、水を静かに流すと「かめ」水音が反響して、妙なる音が聞える仕組みに成っています。是非お試しになってください。 一番奥からの景観 水琴窟 次回は妙心寺のそばにある奈良の宗派の【法金剛院】に参ります
2016.01.14
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龍安寺は如何でしたか。 龍安寺の広い境内は京都観光で基礎的内容の濃い大きなお寺ですが妙心寺をその本山とする臨済宗の外塔頭でした 妙心寺境内・七堂伽藍突き当りが龍の見られる本坊受付【妙心寺その1.】 (みょうしんじ)臨済宗妙心寺派総本山 開基 関山慧玄(かんざんえげん)一昨年6月22日には、天皇両陛下が花園天皇のご先祖様としてご訪問に成られました。妙心寺」の境内に【七堂伽藍】(がらん)と47院の内塔頭(うちたつちゅう)が存在する、大規模のお寺です。 殆どが拝観謝絶で開放されていません。 三門 法堂このお堂の中に、壮大な狩野探幽の龍が天井に描かれ説明が入ります。 お客様に感動を与えたのが、【本坊前】の【法堂】(はっとう)天井に描かれた。 【龍の絵】【狩野探幽法眼】(かのたんゆうほうげん)二条城二の丸の豪華松を画いた画家です、絵師として「法眼」の位を貰ったほどの素晴しい画家だったのですね。見る位置により【昇り竜】になったり【降り龍】にも観られる豪華さは、他に比類無きものと思われます。是非一度訪問してみて下さい。堂内では親切にお寺さんより説明が有ります。禅宗では、龍を絵描く寺院が多いです。龍は雲を呼び雨を齎すと言います。東林院 塔頭【沙羅を愛でる会】 非公開寺院の妙心寺塔頭 東林院で6月15日より30日まで 恒例のように沙羅双樹の樹と苔の丘に散った花丘に落ちた花は重みで同じ上向きに落ち着きます夏椿とも言われ 椿の花もそのようです和尚さんの法話に恵まれました沙羅双樹は、お釈迦さんが 亡くなるときに一度に花が開きその死を悲しんだと言われ 涅槃図にも沙羅の樹がえがかれています【一日花】とも謂れ 朝咲くと夕べには散るという はかなさを人の世の常ならないことを 表現しています「平家物語」にも 「奢れる平家久しからず 沙羅双樹の花のごとし」とも比喩しています人間の生命にはいつかは 限りが来ます今日一日のことは 大切に 悔いの残らないようにしておきたいです 観光バスの団体さんも次から次へ 鑑賞しつつおうすを頂く玄関の可愛いお地蔵さん見つけました明日は退蔵院へ参ります
2016.01.13
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龍安寺の見どころ本堂 方丈庭園として 枯山水の石庭を 縁に腰かけて 暫し瞑想油土塀が石組みを引き立て役になっていますそして 廊下を歩むほどに 寛永通宝に似た 水戸黄門さんの発案された 知足の蹲を観て 帰りは 鏡容池の景勝を 石庭を見て、大抵の方は、元、来た同じ景色の道をオーム返しに、いそいそと帰途に付かれる方がほとんどですが、池を巡りて帰りは違った道をたどりますと、趣も変化有り新緑または紅葉のトンネル伝いにそして素晴らしい、池面に写った美しい衣笠の山等の光景を観る事が出来ます。 鏡容池に写された衣笠山逆さ富士【千円札デザイン】 【龍安寺4..】 表玄関から、石段を降りて、来られた道を戻らず、更に西へと夏には新緑・秋には、紅葉のトンネルを、春には桜の園を観る事が出来ます。時間が無くって戻る人が多いですが、素晴しい風景を、見損じて勿体無いです。 新緑・もみじの帰り道疲れも癒されそうです。 【藤棚】の手前に、湯豆腐の食事処が有ります。店内の入り口から、少し入った所に、 【猪脅し】 (ししおどし)が見られます。本家は比叡山の麓に位置する、【詩仙堂】の庭園内で見られます。 しし脅ししし脅しを庭園とする湯豆腐の食事処 本題に入りまして、その藤棚周辺から、大きな池に目を遣って見て下さい。何となく眺めるだけでも、心の洗われる感動を覚えられる事でしょう。弁天島を望む鏡容池 池の名称は、 【鏡容池】 (きょうようち)そして背後に 【衣笠山】(きぬがさやま)が、そして池の水面に、くっきりと衣笠山を映し出しています。この鑑賞方法は、外人の方も良く心得て、シャツターを切っておられます。心して観ないと、見損なう風景です。 金閣寺も同じで、池に写し出された金閣を見損なう方が多いです。金閣は鏡湖池そして銀閣は錦鏡池と鏡の字がそれぞれ入ります。折角此の道を歩まれながら、あら美しいとだけで、気付かず通り過ぎる方が殆どで、その点外人さんは佳く鑑賞してシャツターを切っておられます。 日本の漢字は良く出来ていまして、見えると観る 聞えると聴くを分けて表現しています。やはり観光は、後者の心構えで、訪れられると、数倍楽しくなるようです。観光は見るを観るにしています。人生、漠然と過ごすより、美しいものを佳く観るようにして、そして素晴らしい音楽を聴きそして人の良い話を耳を傾けて聴けば同じ一生でも充実したものになりそうです。 私なりに、私のお客様に説明していますと、周りから少しでも聴こうとして、お客さま以外の方から質問までされる有様には共感を得て、嬉しいものです。 そして、 【衣笠山】 の名称の由来は、仁和寺から眺められた、【宇多上皇】が 仁和寺で夏の暑い季節に「朕はあの山の雪景色を観たい」と、所望され、山上の樹木に白衣(しろきぬ)を一面に被せて、雪景色を再現されたそうで、扇子を扇ぎながら、「まろは、満足じゃ」と冷気を味わわれたそうで、その後、何時しか衣笠山と呼ばれるようになったそうです。 しばし、池を巡り、 【水分石】 (みくまりいし)の立て札が立っていました。庭園の要素の一つで、池全体を眺めますと、鶴島(弁天島)そして亀島もありました。 次回は本山ってどんなとこ。妙心寺をご紹介します
2016.01.12
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【蔵六の茶室】前庭に本物の【知足の蹲踞】があります。興味ある方は、売店のおばさんにそっと頼んでみてください。別途志納金で見せてもらったことがあります。【龍安寺3.】 本堂の方丈の前庭と後庭で、同じ意義深い教えを学ぶ事が出来ます。【知足の蹲】ちそくのつくばい が回廊の東北角に、有りました、手水鉢で、這い蹲って、手を洗う所から、つくばいというのでしょうね。【蹲踞】(そんきよ)(つくばい)大相撲でのお相撲さんが土俵上で、仕切るときに、おこなつていますね。真ん中四角の水を入れた区画の、上部に【吾】(われ)右側に【唯】(ただ)下部に【足】(たるを)左に【知】(知る)水戸の黄門さんが発案されたつくばいで、「吾、唯、足るを知る」と読めます。立て札には、茶道の精神と称されていました【知足の蹲踞】 そしてその横に、 「知足の者は、賎しくと雖も、富めり」 ちそくのものは、いやしといえども、とめり 「不知足の者は、富めりと雖も賎しい」 ふちそくのものは、とめりといえどもいやしい これで充分です。足ること知った人は、外見貧しそうに見えても、心は満足で豊かな人といえましょう。 足らんたらんと、まだあれも欲しいむ是もほしいと、愚痴を言っている人は、外見、金持ちの様で、実は、不平だらけの心の貧しい人といえますね。 人目、貧しそうなおばあさん、笑顔で、お陰さまで元気に生かしてもらって、ありがいことや、此れで充分と幸せそうです。 金縁のメガネ掛けた、一見貴婦人のお金持ち、隣は外車を買ったわ、あの人はダイアモンドの指輪何カラットかしら、あれも欲しい、これも欲しいは心満たされず、却って貧しい人といえましょう。 表の石庭の様に、13~14見えてて、腹八分目で健康をたもてそうです。 黄門さんが、【大日本史】編纂に当たり、資料を龍安寺から提供を受けたお礼に置かれたものだそうです。 実は、ここに飾られた物は、イミテーションで、本物は、東向かいに見える【蔵六の茶室】の前に、本物が据え付けて有ります。燈籠の下部に見え隠れしています。足らんたらんと、まだあれも欲しいむ是もほしいと、愚痴を言っている人は、外見、金持ちの様で、実は、不平だらけの心の貧しい人といえますね。火の災害から免れたい魔よけのために全国どこのお寺や神社ら見かけられる建築様式です。時には動物も中に飾りとしています。 懸魚 此処龍安寺を拝観するだけで、寺社の見所の、基本と申しましょうか、他でも、共通した形式の現し方が、伺えそうです。龍安寺の売店の東側、陳列棚に、建て替えた昔の物品を並べ【名札】に上記の名前が、紹介されていました。その位置は何処に、実は庫裏を出た所で、建物の上部を見上げましたら、屋根の交差の軒に、 【懸魚】 がありました。正に魚の頭が下がってぶら下がっているようでした。そしてその下部に 【蟇股】 が見かけられました。蝦蟇(がまがえる)が構えているように見えます。そこでお客様にクイズを出してみました「双方の共通点は何でしょうか?」とお聞きすると「水」と答えられました。「ピンポン」正解です。建物で最も恐ろしいのは、「火災」です。従って魔除けの意味に於いても、守護の意味に於いても、装飾の意味に於いてもと、採用されて居るようです。知恩院の左甚五郎の忘れ傘然りでした。 そして屋根の先に丸い円の中に三つ巴があしらって居ます。三つ巴は、雲を表現していますね。更に民家でも屋根の形は波を表現「甍(いらか)の波と・・」 更に庫裏から西へ少し歩を運べば、本玄関(国宝)があり、其処の蟇股の中には、尻尾の多い、浦島太郎が乗った様な【亀】が他にも【龍】が刻まれていました。日光東照宮の有名な【眠り猫】も蟇股の中に存在していますよね。各地で試してみてください。次回は帰り道を変えて池を巡って帰りましょう
2016.01.11
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いよいよ石庭鑑賞です座禅を組んで、方丈庭園が観想の対象になるのでしょうか。枯山水の庭園が、方丈(本堂)の前にひろがりますお客様をご案内しながらも、何回も訪問しますと、お客様からも学びそして疑問にも答えていきますと、人生としての、偉大な教訓が秘められていることが、判りました。観光の深さを感じる龍安寺です。【龍安寺2.】世界文化遺産 【石庭】 臨済宗 (禅宗) 左 仏の世界【三尊石】 5石右奥 鯨 2石 作庭者の名が刻まれています。小太郎・清二郎と あまり有名でありませんエリザベス女王にまで、ご紹介したと言う【石庭】世界的にも写真に映し出され、謎解きが深まります。 一言で、言えば現実には、15個の石が設置されていることは事実です。でも廊下の見る位置によって、15個が数えられないミステリーです。 修学旅行生など、予備知識で得て居るので、真剣に数を数えて走り回っている風景をよく見掛けます。 長方形の横長の正面及び西側廊下から右側は、【油土塀】で、前庭を引き立てるような、落ち着いた感じを受けます。石の配置として庭前方左側2石は【鯨】右方向に塩を吹いて前進しています。この石の裏側に作庭者思われる、阿波の徳島【小太郎】【清?二郎】の名が刻まれています。右奥2石が亀右方向へ手前 水鳥3石 羽2石の右側の小さい石が見え隠れします左 虎の子渡し3石 子の1石が見え隠れします。 前方右隅の二石は【亀】 廊下沿いの手前右側三石は【水鳥】この三石の右端の石が左側の廊下では隠れています。 そして中国伝来の【虎の子渡し】の三石これも虎の子の一石が隠れます。 そして仏の世界の五石の内の真ん中 【三尊石】 の左側の石が、右側廊下から見えません。石組は其れぞれ変形で一見無造作に置かれているようですが、石をなぞらえて空間を一字を描くと 【心】 の字が描けます。 心の目で見て下さいと言う意味でしょうか。 隠れた心で鑑賞して下さいと。夫々動物たちが、大海を泳ぎ、大きく右回りに、仏の世界へと、進む姿が描かれているようです。 鯨2石 亀2石 水鳥3石 虎の親子3石 仏の世界5石 計15石1石見る位置で欠けます。石庭全景石組の配置が不規則に一見並べられて居るようですが石組を夫々なぞらえていきますと 【心字】が描かれるように隠れて工夫されています。驚きです。心の目で観て下さいと。 そして、 【15】 と言う数字は、中国では、満ちた数、完成した数、真理の数といわれているそうです。だから【十五夜満月】 と言うでしょう。とバスガイドさんが説明されると、一同"どぅ"と感歎の声が、沸き起こりました。因みに 15歳・元服。七五三の祝い三三九度の杯【婚礼】何れも合計すると15になります。お祝い事の完成です。 足利・徳川も奇しくも15代で幕を閉じています。何故か自民党宮沢政権も15代で中断。不思議な数です。 意義としては、真実は15の石が有りますが、人間の目では、欠けた13~14しか見えない、知恩院の置き瓦と同じように、謙虚さ を問うて居るのかもしれません。白砂は白川砂で、枯山水の庭園として、水がなくっても、水・池・海を表現 石は山や島を表そうとしています。石に苔が備わり風情を増しています。 白砂を海と考えれば、石群は、島の様に、 白砂を雲として見れば、石群は、山の峯とも見られます。 禅僧は、更に瞑想によりもっと深い意義を感じられているやに思われます。さて皆様はどの様に観賞されることでしょうか。 土塀に囲まれた小さい秘境土塀は石庭の引き立て役のようにも思われます。 ブロ友からは、宇宙観を覚えるとの感想も戴きました。感謝。 今回もプロ友さんから、「仏さんに背を向けて 関心が庭園に」とありました。寺院は、拝むことも大切なこと、反省です。石庭の方丈内に本尊の仏さんが祀られ、襖絵では登り龍そして降り龍の襖絵が観られます。内陣には入れず撮影禁止でご紹介はできませんが、皆さん見向きもしないで立ち去られる方が多いです。 廊下を右に回りますと、苔庭で樹木の根が龍がうごめいて見えるところから、【雲龍の庭】と称され、特別拝観の時は、その奥に龍安寺の創設者、応仁の乱の東軍の将、 【細川勝元】の御廟の建物があります。(非公開) 更に裏側に、これまた表の思想そのままの徳川光圀公の【知足の蹲】 があります。次回にご一緒に味わって見たいです
2016.01.10
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此処も室町時代の応仁の乱東陣の将、細川勝元が創建した寺院で(西陣の将は山名宗全) 地名が有名になりました。非公開ですが、【細川勝元廟】があり像が祀られています。足利時代に関係するお寺でもあります。応仁の乱で寺院はその時焼失しました。 【龍安寺1.】 (りょうあんじ)臨済宗妙心寺派 妙心寺の外塔頭の一寺。 【世界文化遺産】 金閣寺・銀閣寺と同じ 臨済宗(禅宗)ですが、本山が違います。有名な石庭 早速、世界文化遺産の龍安寺(りょうあんじ)にご一緒しましょう。 お客様から、良く聞かれるのは、 「京都に余り滞在時間がない のですが、運転手さんの、ここ一番のお寺を紹介して」その時「往時、英国のエリザベス女王が西本願寺へはその祖父さんが訪れられ、僧侶とテニスをされたから、御意志で来られました。 京都に来られ、せめて一個寺でも、ご紹介しょうと京都観光局が推挙したのが。【龍安寺】でした。いわゆる「ロックガーデン【石庭】」でした。外国でも話題に成り、旅行案内にも紹介されているのでしょう、外人の観光客が多く見かけられます。」「それならその龍安寺を案内して下さい」此処1個寺だけでも意義深いです。 参道入口洗心の道ともいえましょう修学旅行生も多いです。石庭に向かう道すがら、広大な池を左手に、そして離れ島に橋が架かり、渡ると【弁天さん】の祠が有ります。弁才天は、水を司る神様で、他にも金閣寺でも見かけます。鏡容池弁天さんの祠 左手に手水鉢があります。牛若丸・弁慶の旧五条大橋の橋桁です。横になって手水鉢になっている旧五条大橋 そしてさらに、進むと両側に菱形に竹で編んだ 【龍安寺垣根】 と風情がとても落ち着いて、歓迎してくれています。シャツターチャスですね。庫裏(くり)に入る前にこの龍安寺垣根に囲まれた石段は絵になります。美しい菱形の龍安寺垣 庫裏に入りますと正面に 【韋駄天】 (いだてん)が祀られて居ます。禅宗では、多いです庫裏の守護神で。足が速く、お釈迦さんの骨が盗まれたとき、一途に捉えたというエピソードがあります。 玄関口に韋駄天さんを祀る 石庭は、禅宗の本堂とも言われる、 【方丈】 (ほうじょう)の前に廊下を越して拡がる、方丈庭園として存在します。 方丈とは、仏壇を前にして、一丈四方の位置に坐られる最高位の僧侶のことを【方丈さん】と称されています。ここ龍安寺本堂の前額に【方丈】と書かれた額が飾られています。本尊に対して一礼したいです。 そして内部を見渡すと、襖に昇り龍と降り龍の絵が描かれています。龍は雲を呼び雨をもたらす意義もあるそうで、禅宗は各地で、存在します。
2016.01.09
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仕事始めが行われました 依然と寒波はここしばらくは続くようですみなさまお体大切に為さって下さい 【相国寺】 (しょうこくじ)臨済宗相国寺派大本山 開基 夢窓疎石京都御所の北側に位置し、あの有名な【金閣寺】と【銀閣寺】の【本山】で有る事は、意外と知られていません。同志社キャンパスの北側に拡がる、広大な敷地内にあります。足利義満が、室町幕府として、 【花の御所】とも称した、北西にあります。 法堂 「鳴き龍」 外人さんも関心有名なのは【法堂】(はっとう)で、天井には「狩野光信筆」の【龍の絵】が画かれ、「下から手を叩くと」共鳴音が、響く所から「鳴き龍」と言われています。【承天閣美術館】(しょうてんかく)禅の総合美術館で、寺宝が展示されます。近代的な豪華なホテル並みの美術館です。【開山塔】 今回特別公開で観られました。開山 夢窓国師を安置する。前庭枯山水の庭園 開山塔の「龍淵水の庭」 【大光明寺】 (塔頭)(たっちゅう)普賢菩薩の霊場、現在相国寺の管長有馬和尚の住寺。 足利義尚の墓があるそうで、 大光明寺 【塔頭】寧ろ、西南の墓地には、父の【足利義政】と「群鶏図」で有名な、【伊藤若冲】(いとうじゃくちゅう)の墓が並んで、眠っているのが、印象に深く、残ります。そしてここには義満の墓が見つからないそうです。考古学者が掘り起こして調査は続けています。 左から【藤原定家】 南中【足利義政】 右【伊藤若冲】 の墓「宗旦きつね」の祠」千宗旦がお茶席を留守にしている間に、狐が宗丹に、身を化けてお茶を立てた。という微笑ましいエピソードを祠に残しています。宗旦稲荷 次回は同じ臨済宗の龍安寺に参ります
2016.01.08
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もう7日正月になりましたどんどん月日は待ったなしで進むようです正月気分を一新して元気に日常生活に戻りたいです八代足利将軍義政は、政治を 忌とみ 詩歌に興ずるため将軍職 を譲ることで、京都の不幸な出来事応仁の乱がおこりました。その戦が終わった頃に、財政苦しい中、銀閣寺が建てられました従って銀箔は張れなかったとも銀閣寺の全景が眺められます。手前が「吉田山」遥か奥が「愛宕山」真ん中が「双ケ丘」仁和寺【銀閣寺3.】【洗月泉】 の瀧の側から、山道が始まります。その坂を見て、登るのを諦めて平坦な帰路に向かわれる人が、多いです。思い切って登ってみましょう。苦労した甲斐が、待っています 苔の庭 坂を登り詰めた所に、石組みの崖が、眼前に広がります。ある人は、「何だ瓦礫の山崩れの様だ」とガッカリする人も有りますが、枯れ山水の瀧石組み瀧石の麓 実は、 「枯山水の瀧」を敢えて作成されたもので、 「西芳寺の庭園」にも、存在している貴重な石組みとして、観察して欲しいのです。側には義政が茶の水を汲んだとされる、「お茶の井」が存在しています。 近年、開発された順路として、更に平坦な山道を辿りますと、先ほど観た、銀閣寺庭園を眼下に全景を観る事が出来ます。その他前方に、「三高校歌」で有名な、「くれないもゆる・・・」の吉田山が眼下に眺められ、京都市街の一部の景観も眺められます。吉田山の向こうが、京都大學が広がります。苔の庭 大文字は、この位置の真上となり、如意が嶽と称し、同様の眺望とも考えられます。 道なりに、下山、真正面に、「錦鏡池」に映し出された「銀閣」が見所で、千円札の逆さ富士のデザインに登用してます。【銀閣】(観音殿)国宝屋根には「宝形造・杮葺(こけらぶき)」金銅製の【鳳凰】(ほうおう)が輝き、上層を「潮音閣」観音坐像が祀られ、下層「心空殿」千躰の地蔵尊が祀られて居ます。 此処も、禅宗のお寺の雰囲気として、掃き清められ、訪れる人への癒しともなるでしょう。【応仁の乱】 1467~1477 京の都で、最も悲劇は、一女性から発端。11年間の戦火で殆どの文化財と言える物が、焼失してしまいました。数少ない、社寺に対して、「応仁の乱を免れた」と添え書きしています。足利家の奥方は、代々「日野家」(伏見区醍醐の南部日野)から選ばれています。義政の正室「日野富子」に男子が死産。義政は政治を嫌い、文化的方面に興味を持ち、将軍職を実弟「義視」 (よしみ)に譲ると約束した、矢先に、男子 「義尚」 誕生。富子は、黙っておられずわが子を次期将軍にと、 実弟「義視」は「細川勝元」そして、「富子の押す義尚」 「山名宗全」との戦が、11年間続きました。勝敗の尽きぬままに、双方の将が、夫々病死。幕は閉じました。跡目相続問題で、一人の女性のエゴが罪なき多くの庶民を犠牲にしました、そして街と社寺は焦土化してしまいました。結果義政は、義尚(よしひさ)に九代目将軍職をゆずりました。義政【観音殿】起工式 1489年 母の留めるのも振り切って、義尚25歳戦死(近江の国で先陣として)その霊を弔う為に、大文字を設置(詳細不明・一説に拠れば)・義尚の初盆1490年不思議と同じ年の7月 父義政55歳逝去。歴史は悲しいことも、物語っています。次回は、金閣寺・銀閣寺の本山【相国寺】を訪れます
2016.01.07
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朝の続きです 本堂前から銀閣は、シャツターチャンスです。本堂【東求堂】 (とうぐどう)【国宝】義政の持仏堂。西芳寺には、「西求堂」義政の木像を安置しています。時折特別公開時お部屋の仲間で観られます東求堂しばらく歩を進めますと、二つの池が有り、手前の池には、鶴島を現し、道から【三尊石】が見られ、その側に、立て札で、「大内石」 としるされていました。何の関心もなく、殆どの人は見向きもせず、通り過ぎますが、これには、「いじめ」の深い意味が潜んでいました。義満が各首領に、その地の名石を命じた時に、和泉・紀伊を治めていた大内石「大内義弘」は、「将軍に捧げるは、武力であって、優雅な、庭園如き贈り物は如何なものか?」と拒否した所、義満より冷遇を受けたそうです。従って、此処、義政には、一番に贈ったとされる「名石」です。 もう一方の池には、銀閣を水面に写す「錦鏡池」には、亀島が構えています。洗月泉【洗月泉】 (せんげつせん)・【月待山】瀧があり、月待山からの月を写して、月を洗うの意味です。 "我が庵(いお)は 月待山の麓にて かたふく空の 影惜しぞ思う" 義政の詠んだ詩です。次回は、丘に登った素敵な景色を引き続きご紹介します。昨日 足利義満の墓が見当たらないことで関心を持たれました説によれば 義満は 等持院で荼毘に付し 相国寺境内の 「鹿苑院」に菩提寺として存在しましたが 「応仁の乱」で焼失 再興するも明治維新の廃仏毀釈で 廃寺となり 現代も 地質調査中で建物の柱跡は今回発掘されましたが 義満の墓と断定は見つかっておりません 義政の墓は相国寺に有ります後日お知らせします
2016.01.06
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金閣寺も銀閣寺も臨済宗【禅宗】の寺です。本山は相国寺でその 塔頭的存在に なります。室町時代の足利家が建てた京都の名所で訪れる人が多いです。銀閣寺に大文字があり、 銀閣やはり錦鏡池に写された姿も美しいです。金閣寺が観光スポットとすれば、銀閣寺も世界文化遺産として、関係は、足利三代将軍義満と孫の八代将軍義政との間柄になります。【銀閣】は国宝で、煌きはありませんが、歴史は感じます。金閣が太陽とすれば、銀閣は月を愛でるという、優雅さを感じます。銀閣寺の裏山が如意嶽で、 【大文字】の送り火が、有名です。軒先に、送り火の燃え残りの薪を飾って息災を祈っています。 【銀閣寺1.】 (慈照寺)臨済宗相国寺派 世界文化遺産に登録【慈照】(じしょう)は、八代将軍足利義政の戒名から名付けられています。開祖が【夢窓疎石】(むそうそせき)で造園にも、著名な僧でもありました。嵐山の「天龍寺」・西芳寺(苔寺)そして南禅院 等、此処銀閣寺は、義政が「西芳寺(苔寺)」 に模して、作庭しているのが、特徴です。 みやげ物の賑やかな、参道を経て、慈照寺の門を潜りますと、背の高い潅木に包まれた、 【洗心の道】 を歩みます。娑婆から禅の世界へ招かれた落ち着きを取り戻します、 洗心の道受付を終えて、 受付二番目の門を潜りますと、こじんまりした、「五葉の松」と白砂で築かれた庭園が観られ、本坊の五葉の松 正面の 「花頭窓」 (かとうまど)越しに、本庭園の姿が、垣間見られます。 いよいよ庭園入り口に差し掛かったときに、発する言葉が「何だ、これは」とがっかりの表情が有り、金閣寺からの期待感からか、感歎の声は、余り聞かれませんでした。銀箔が張られたものでなく、古い二層の「銀閣」が佇んでいました。修学旅行生では、その印象が多かったようです。然し、関東の生徒さんが、 「銀閣は、歴史を感じる」と評価してくれました。嬉しかったです。その通り、銀閣は、【国宝】に指定されています。本堂の前からの【銀砂灘】 ぎんしゃだん)は、白河砂で、向月台となっています。銀砂灘中国の西湖(さいこ)に模して造られました。夜に月の光で白砂が煌く姿が浮かびます。 中国に良い印象を壊して欲しくはありません。向月台字数の制限で直ぐ次に続きます
2016.01.06
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字数制限のため朝に続きます夕佳亭茶室の軒下の工夫 風流に造られています雨だれの軒下に、炭が一面に敷き詰められています。雨だれの音が侘しく聞かれる工夫です。茶室の雨だれの下に敷き詰めた「木炭」は、雨だれのしぶきが飛ばないで工夫と、静かな音の楽しめるように設けて有りました。岩不動堂【石不動堂】(いわふどうどう)弘法大師作といわれます。足利義満の墓が600年経っても見つかりません 足利義満は、天下人として、その栄華を極めますが、37歳で4代義持に、将軍職を譲り、享年51歳 戒名「鹿苑院太上法皇」として、何故か墓は未だ見つからず、長男義持は、金閣のみを残し父に関係する建物を全て焼き尽くしたともいわれています。家族崩壊は恐ろしいです。 戒名の位牌が、嵐山の「臨川寺」にあるだけで、足利氏菩提寺は、「等持院」にあります。親子の仲関係が(子供達兄弟の弟への偏愛)もたらしたとのことです。表街道から【左大文字】が直ぐ側にあります。金閣寺の近所のおばあさんに「美しい金閣みられましたかと問うと「お金出して見んでも、何時かは見られるやろるやろ」と。次回は、「銀閣寺」をご一緒しましょう
2016.01.05
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【時には振り返って観ての景色が美しい】タクシーに乗務の頃、遠距離で他府県にお客さまをお送りするときには、帰り道を覚える為に、時にはポイントとして、後ろ向きの景色又は目標物を覚えて京都へ帰ったものです。 前ばかりに自然目は行過ぎますが、時には振り返ってみる景色の素晴らしさも、人生を見落としがちと悔いが残ります。金閣寺垣根 【金閣寺2.】 美しい金閣を中心に、池泉回遊式庭園として、本来は池の周りを巡れるように造られていますが、半周は入れません。 庭園は 【特別名勝・特別史跡】 (国宝級)に指定されていますが、金閣は、昭和25年7月25日未明に、学僧の放火により焼失しました。"三島由紀夫著作"の「金閣炎上」が有名です。従って国宝ではありません。龍門の瀧 池を後にして、道なりに進みますと、 【龍門瀑】 (りゅうもんばく)の瀧が見られます。鯉魚石(りぎょせき)が、瀧に今や登らんとして、斜めに構えています。鯉が瀧を登ると、龍と化す。中国の故事で有名です。安民沢の池 更に坂を登り詰めますと、【安民沢】(あんみんたく)が在り、池の中央に「白蛇塚」が島に立っています。白蛇は、弁天さんの化身で、水神ともいわれています。この池の手前に背の低い竹垣で、これを【金閣寺垣】となづけられています。夕佳亭茶室南天の床柱が有名難を転じて福をもたらす。 【夕佳亭茶室】 (せっかてい)金閣も此処からの眺めも佳しとされています。床の間に「南天の床柱」 (難を転じて福となす) が、「萩の違い棚」が有名です。 茶室より3個目の大石は、大切にされています。【見回り石】この石の上にお客さまに立ってもらって右回りに360度廻ってもらいます。色々見逃す貴いものを発見します。 茶室前の飛び石に、丸い大き目の石が有り、「見回り石」と称します。その場所に立って、一周すると、銀閣寺を建てたね八代将軍「義政」が寄贈したと言われる、「富士型の手水鉢」 があり、更に見返ると、金閣が美しく、そして更に廻ると、安民沢が、眺められます。 人間、前ばかりの景色に捉われず、たまに後ろを振り返ってみると、素晴しい、ものが見られるもので、「反省」の心構えも、時には必要では、と私のお客様に説明していましたら、横から、紳士風の方が、「その話貰った」と声掛けられ、添えて云われるには、「明日の会社の訓示に、使わして貰う」ということでした。とても恐縮しました。でも、関心持って聞き耳をされる紳士にも感じてもらってとても嬉しかったです。字数制限のため次に続きます
2016.01.05
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お正月三が日みなさん楽しく有意義に過ごされたことでしょう足利義満は、現世で極楽浄土の再現の夢を実現しょうとしました。日本の仏教は、京都では、弘法大師さんの真言宗そして 伝教大師さんの天台宗から始まり、真言宗は真言宗○○派と別れ天台宗からは比叡山延暦寺で修行僧がそれぞれの経典の玄義で独立した宗派を開きました。此処金閣寺はそのひとつで【臨済宗相国寺派】でいわゆる【禅宗】といわれています。私のブログも今後臨済宗の枯山水庭園など多くをご紹介してまいります。池に映る金閣【金閣寺1.】 (鹿苑寺)(ろくおんじ)臨済宗相国寺派・世界文化遺産鹿苑は、三代将軍・足利義満の戒名から、名付けられました。 "好き・好き・好き・好き・愛してる。一休さん"頓智問答で有名な相手の将軍足利義満が建てた、禅寺です。何故将軍と対等に話せたのでしょうか、実は、一休さんのお父上は、第100代・後小松天皇で側室とは言え、皇子さまでした。寺社奉行でも、「一休殿」と敬称で漫画でも、一休さんと呼んでますねちなみに、一休さんの墓所は、京田辺市「一休寺【酬恩庵】(しゅうおんあん)境内」に宮内庁の御陵があります。入口の門京都観光では、清水寺に次いで、観光のお客様が多いです。禅寺で共通に感ぜられることは、修行僧のご苦労か、塵一つ無く清浄で有る事に感心させられます。従って訪問する者も、心洗われます。拝観券飼う本堂と庫裏 雑音の街から、境内に入ると、洗心の道を辿り、拝観券を買って入り口の門をくぐり、暫し、建仁寺垣根のたたずむ通路を曲がった途端に、燦然とした金閣が目の前に現れます。殆どの人が、思わず歓声を口にされます。そして池の側に立ち寄り、記念写真を金閣をバツクに撮影されています。池に映る金閣 そこで、見所は、金閣そのものも、さることながら、池に映し出された、素晴しい光景を見逃さないで、下さい。作者も【鏡湖池】(きょうこち)と称しています。鏡に映す姿も是非観て下さい。日本人好みの鑑賞方法で、 千円札にも「逆さ富士」をあしらっています。義満が盆栽で植えたと言う【陸舟の松】西向きに向いています。 暫し、歩を進めますと、右手に、本堂が垣根越しに見られ、(非公開)そして更に進みますと、皆様左手の金閣だけに、見とれられ、見損じられるのが、右手に、「五葉の松」であしらった、【陸州の松】が【帆を揚げた宝船】の様に見えます。 義満が盆栽から育った物といわれています。船は、西向きで、極楽浄土を、この金閣寺庭園に、なぞらえているようです。「池泉回遊式庭園」で、池に浮かぶ、島・名石そして松は、各地諸大名から寄贈させたものです。金閣の正面には、鶴島・亀島そして葦原島(日本列島を表現)の中央に【三尊石】が構えています。鶴島の左方に醜い石がありますが、豊臣秀吉の名石狩から、逃れた、中国から採り入れた「九山八海石」 (くせんはっかいせき)の名石が、観られ、葦原島の先に船頭が船を漕ぐよう、「細川石」が見られます。金閣には、一般に入れませんが、此処からも衣笠山が、池に映し出されるそうです。 金閣の初層は、 「寝殿造り」公家 二層は、武家風造り、そして三層は、 「仏殿造り」金箔は、仏殿造りと、武家風造りに施され寝殿は、真下で構えて、金箔は貼られていませんね。義満の意図が計られます。(仏と武士の下に公家) 調和としては、芸術的にも美しいです。他に、「畠山石」「赤松石」が見られます。 金閣の裏側から見た鏡湖池次回は、金閣寺の奥を道順にご紹介します
2016.01.04
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皆様方、ご健勝で良いお正月を迎えられたことを慶賀します。 「花燃ゆ」「あさか゜来た」で明治維新の女性の活躍が報じられています近くにある伏見桃山御陵です恵まれた環境に感謝しています明治天皇は日本の国を維新により、海外に広く 文明開化に目覚めさせて下さった天皇でした。東京奠都も実現されましたが、ご希望により御陵は、伏見桃山と決めておられました。過っては、豊臣秀吉が 伏見城を桃山に築城、醍醐の花見のあと ここで まだ夢を果たしきれずに亡くなりました。その城の遺跡は、御陵内に存在し、宮内庁の管轄下で一般には見られませんが、参道の側に 石垣の遺石群がみかけられました。 明治天皇御陵 参道伏見城石垣の遺石参道が続きます御陵に近づきました御陵正面の眺望と石段の高さに驚きますもう一度 石段上から 振り返ってみました昭憲皇太后さんへの 下り坂です 険しい石段は避けました御陵近くに降りて来ました明治天皇より一歩下がられて 共に安らかに眠っておられますそして、日本の国の行く末を優しく見守って下さっているようです真下に 緩やかな道をおりてきましたがこの坂を若い人たちは 登り降りておられます東京明治神宮神宮の初詣で参詣者は日本一伏見大社は3か日で270万人の予想です。でも此処は3箇所は至って静かな正月風景のようです。次回世界文化遺産金閣寺に参ります
2016.01.03
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昨今のアメリカの人気投票で世界一が京都市でしたが中でも伏見大社が筆頭とか 驚きましたカラフルな鳥居が珍しいのでしょうか 伏見の代表は【伏見稲荷大社】に尽きます。 全国初詣でも10の指に加わるほどで、商売の神様として、参拝する自家用車の殆どが大阪ナンバーでひしめいています。元日の初詣でも押すな押すなの大勢の参拝客でした参道入口参道背景が稲荷山楼門 就学旅行生記念写真お使いの狐五穀豊穣稲作でネズミを駆除してくれるので狐楼門の裏手本殿前の建物本殿奥の院への千本鳥居鳥居のトンネル鳥居を奉納する数の多さに圧倒されます奥の院のおもかる石外人さんにも人気 両手で持ち上げておられるおもかる石灯篭の前で願い事を祈念して石灯篭の空輪(頭)を持ち上げそのときに感じる重さが自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い重ければ叶わないとする試し石で一般には「おもかる石」で親しまれています。次回は伏見桃山御陵 明治天皇の御陵です
2016.01.02
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2回に分けています10. 醍醐寺 真言宗醍醐寺派本山 伏見区11. 西本願寺 浄土真宗本願寺派本山 下京区 12. 宇治 平等院 単立 宇治市 13. 宇治上神社 宇治市 14. 比叡山 延暦寺 根本中堂 天台宗総本山 左京区 15. 高山寺 真言宗 単立 右京区 16. 龍安寺 臨済宗妙心寺派 右京区 17. 西芳寺 苔寺 臨済宗天龍寺派 西京区明日から順次ご紹介してまいります。
2016.01.01
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新年明けましておめでとうございます本年も相変わらずよろしくお願い申し上げます本日より繰り返しますが京都観光の見どころ4か月にわたりご紹介してみます京都には17カ所の世界文化遺産がありその映像並べてみます。文字制限のため2回同時に更新します 1.清水寺 北法相宗 東山区 2.金閣寺 臨済宗相国寺派 北区 3. 銀閣寺 臨済宗相国寺派 左京区 4. 天龍寺 臨済宗天龍寺派本山 右京区 5. 二条城 中京区 6. 東寺 真言宗東寺派本山 南区 7. 上賀茂神社 北区 8. 下鴨神社 左京区 9. 仁和寺 真言宗仁和寺派本山 右京区その2に続く
2016.01.01
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