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1966年の6月30日、ビートルズの日本でのコンサートが武道館で開始された。7月2日まで計5回。後でテレビで一回だけ放送したのを見た。彼らが歌っているときにマイクが動いて歌いにくそうだったような記憶があります。
2007年06月30日
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1969年6月29日、ジョンとヨーコはジュリアンとキョーコを連れて、ジョンの親戚を訪問するため、スコットランドに出かける。ジョンはこの頃、法的な問題から年に十日しかジュリアンに会えなかったそうです。それから3年後の6月29日ジョンとヨーコのアメリカ滞在ビザの期限が完全に切れるが、二人はキョーコとその父親を捜すという理由でニューヨークに滞在し続ける。だが、アメリカ政府は二人の滞在延長をはっきりと拒絶したため、当局との戦いが始まることになったそうです。
2007年06月29日
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今から39年前のきょう、ビートルズはアビー・ロードのスタジオでリンゴ・スターがヴォーカルの「GOOD NIGHT」の録音。作曲はジョン。オーヴァー・ダビングが7月2日。その後7月22日に全編リメイクしたそうです。ジョンはジョージ・マーティンに、『ハリウッドみたいにアレンジしてくれ。そう、感傷的にね』と言ったそうです。ミュージシャンは26人編成のオーケストラ、合唱がそれぞれ4人の少年、少女。この曲の初期ヴァージョンには、(おいで、子供たち、ベッドに行く時間だよ・・・・・)とリンゴのしゃべりのイントロが入っていたそうです。
2007年06月28日
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LP[THE BEATLES]は真っ白なカヴァーに包まれていた。初期の版では「THE BEATLES」の文字が浮き彫りにされていたが、後に明るいグレーのタイプ文字のシンプルな印刷になった。1968年の6月27日は前日リハーサルした曲の録音。オリジナルのタイトルは歌詞の最初のフレーズの「COME ON,COME ON」だった。1987年の6月27日には「DEAR PRUDENCE」の歌詞が書き付けられた(14行の詞とメモ、それと周辺にいたずら書きがしてある)紙片がニューヨークのサザビーのオークションで身元不明の投資家が落札した。
2007年06月27日
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ジョンが作曲した「EVERYBODY’S GOTSOMETHING TO HIDE EXPECT ME AND MY MONKEY」が39年前のきょう、アビー・ロードのスタジオでテープを回しながらリハーサルが行われた。ジョンはこの曲について「(タイトルは)単に歌の中のいいと思うところをつけただけだ。僕とヨーコのことだよ。愛に輝いている僕ら二人以外は、みんなパラノイアのように見えていたからね。」ジョンはファツ・ドミノがこの曲のすばらしいヴァージョンをやっているとも言っています。画像はLP「THE BEATLES」のデザインを提案したリチャード・ハミルトンの版画です。
2007年06月26日
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40年前のきょう、全世界に向けて放映された初めての衛星中継TV番組で、推定で24ヵ国、4億人の人々が視聴した”OUR WORLD”に彼らも参加し、イギリス代表で「ALL YOU NEED IS LOVE」を視聴者の前で録音した。作曲はジョン。ジョージのコメント「ジョンは驚くべきリズム感を持っていて、いつもとても変わったリズムを考え出していた。この曲では、あちこちでビートがとんでいるし、テンポも次々に変わる。でも実際どんなことをやっているのかと聞いても、彼は何も答えられない。彼はごく自然にああいうことをやっているんだ・・・・・」
2007年06月25日
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1966年、6月24日から彼らが日本に来る前にミュンヘン、エッセン、ハンブルグとコンサートが行われたそうです。
2007年06月24日
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2007年06月22日
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1966年の4月6日から行われていたビートルズのLP「REVOLVER」の録音も6月21日が最終日となった。この日、アビー・ロードのスタジオでリハーサルに9時間かけオーヴァーダビングを加えて、ジョン作曲の「SHE SAID SHE SAID」が完成した。ジョンは自身でも、この曲とギターがいい。面白い曲で好きだなと言ったそうです。
2007年06月21日
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きのうの続きです。ジョン・レノンの言葉は続きます。「EMIの保管所から持ってきたのをね。僕らはクラシックを切り刻んだりして、サイズの違うループを作っていたんだ。それから僕は、どっかのテスト・エンジニアが『ナンバー・ナイン、ナンバー・ナイン、ナンバー・ナイン』としゃべっているエンジニア用のテープを付け加えた。そういったさまざまなサウンドやらノイズやらをひっくるめて編集したのさ。10台くらいの機械の前で何人かが鉛筆でループに印をつけていって*数インチしかないものもあれば1ヤードの長さのもあったね。僕は全部一緒くたにして、その場でミックスした。気に入ったのができるまでいくつかミックスを作ってみたよ。ヨーコはその間ずっと一緒にいて、どのループを使うかを決めていた。僕は革命の絵をサウンドで描いたつもりだったんだけど、ひとつだけ大きなミスを犯してしまった。そのミスとは、それが反革命的だってことさ」録音の直後にジョンは「これこそ、未来の音楽だよ。僕らが作ったくだらない音楽はみんな忘れていい*これが残るんだ!いずれはみんなこういうやり方で作るようになるさ*曲を作るのに楽器の弾き方を覚える必要すらなくなるんだ!」と言ったそうです。私の考えはジョージ・ハリスンの意見とほぼ同じです。「・・・・・『REVOLUTION9』は特にビートルズらしいナンバーじゃない・・・・・(だけど)これだけいろんな曲があるLPの中では、結構いいアクセントになっている・・・・・僕自身、聞くのはちょっとへヴィだけど*実際のところぜんぜん聞かない」
2007年06月21日
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1968年の6月6、10、11、20、21日にビートルズの他のメンバーとジョージ・マーティンにLPから外されそうになり、とりわけポールが嫌っていた彼らの最長の作品となった「REVOLUTION9」のエフェクトが加えられた。ジョンとヨーコが、テープ・ループのサウンド以外は他のビートルズのメンバーの手を借りずに作ったそうです。「いくらか(ヨーコの)影響を受けていると思うね。1度彼女のやり方を聞いてしまうと*単に金切り声や吠え声じゃなく、言葉のひとつひとつとか話し方とか息の仕方といった奇妙なやり方全部*『なんてこった』と思って、興味をそそられて、それでそいつをやりたくなってしまうんだ。LP用の『REVOLUTION』のスロー・ヴァージョンは延々と続いていて、僕はそこからフェード・アウトの部分を取り出した・・・・・そういうのを全部重ねていって仕上げたんだ。オリジナルの『REVOLUTION』のベーシックなリズムの上に、(テープ)ループを20ループくらい重ねた。」とジョンは言っています。
2007年06月20日
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1964年のきょう、ビートルズの4曲入りのEP盤「LONG TALL SALLY」が発売された。タイトル曲の詞と曲は、エノトリス・ジョンソン、リチャード・ぺ二マン(リトル・リチャード、ロバート・ブラックウェルが作った。この曲はまず[THE THING]と呼ばれ、その後[BALD HEADED SALLY]と呼ばれた。 もともとリトル・リチャードが「THE THING」としてニューオリンズで録音したもので、彼はまた録音をやり直して1956年3月12日「LONG TALL SALLY」と改題してシングル・リリースしたそうです。15歳のポールが、家族と一緒に行ったホリデイ・キャンプの際に、初めて人前で歌った曲のひとつだった。もう1曲はエヴァリー・ブラザーズの「BYE BYE LOVE」で、こちらは弟のマイクと歌ったそうです。この曲は1950年代末から66年まで、一貫してビートルズのライヴのレパートリーに組み込まれており、しばしばショウのフィナーレを飾った。サンフランシスコのキャンドルスティック・パークでの最後の有料コンサートで演奏した最後の曲で、ポールは、1986年のプリンシズ・トラスト・コンサートでも、この曲を数名のスーパースターたちとともに演奏したそうです。他に「SLOW DOWN」「MATCHBOX」を収録。「I CALL YOUR NAME」はジョンが言うには、「あれは僕の曲だ。ビートルズもなければ、他のグループもなかったころ・・・・・もともとはブルースっぽいのを狙って書いた曲だった。そのあと何年かたってアルバムに入れることになったとき、収まりがいいようにミドル・エイトの部分を書き足したんだ・・・・・初めて作曲にトライしてみたときの曲のひとつだ」この曲はもともとビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスに渡されたもので、彼らはシングル「BAD TO ME」のB面としてリリースした。 ジョンは後に、ブリッジの尋常ならざるギター・ソロは、ごく初期の段階でスカを取り入れたもので、この曲は好きだなと語ったそうです。このジャマイカのビートは70年代にレゲエと呼ばれるようになり、広範な人気を得た。リンゴ・スターが1991年のヴィデオ「ジョン・レノン・トリビュート」でトム・ぺティ、ジェフ・リン他をバックにこの曲を演奏したそうです。
2007年06月19日
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1963年ポール・マッカートニーの21歳の誕生パーティーが叔母ジニーの家で開かれた。ジョンが出席し地方局のDJ担当者にひどい侮辱を受けたため殴り合いの喧嘩をやらかした。それが本気でやったジョンの最後の喧嘩だったそうです。それから5年後の6月18日ロンドン、オールドヴィック劇場にて国立劇場制作の「IN HIS OWN WRITE」初演。この劇は、ジョンの最初の著書を芝居にしたものだが、この日ジョンはさまざまな中傷が飛び交うのなど気にもせずヨーコと連れ立って会場に現れたそうです。
2007年06月18日
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たしか福山雅治の歌にも同じ名前の曲があったと思いますが。1965年のきょうはビートルズのジョン作曲でオリジナル・タイトルは「THAT’S A NICE HAT(CAP)」。後にジョージ・マーティンと彼のオーケストラがオリジナル・タイトルでインストゥルメンタル・ヴァージョンを録音したそうです。ジョンは時々自分の曲などを過小評価することがありこの曲も歌詞が最低といったそうですけど私はこの曲の歌詞はそんなに悪いと思いません。
2007年06月15日
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「ALL YOU NEED IS LOVE」の全長10分の伴奏トラックをオリンピック・スタジオで録音。これにアビー・ロードのスタジオのセッションでヴォーカルを加え、6分に短縮。衛星中継番組の「OUR WORLD」ではこの完成した伴奏トラックに合わせ、ビートルズがライヴで歌い演奏したそうです。作曲はジョン。ポール「ジョージ・マーティンはいつも曲と密接な関係があったし、時には他の誰よりも関係が深いこともあった。たとえば、彼はこの曲の最後のところを書いたんだけど、、(IN THE MOOD)に著作権があることがわかって、ひどく困ってたよ。僕らはランダムな感じを出したくて、ありがちなメロディを次々に並び立てていた。あわただしいセッションだったのに、そんなことお構いなしで、『最後の部分は、こういうのを延々と繰り返したい』っていったのさ。そうして彼が書き上げたアレンジは、予想していた以上に支離滅裂だった。で、それをまとめる段になって、僕ら、『そのバッハの上に、(GREENSLEEVES)をもってこれないかな?』とか、『その上に(IN THE MOOD)をもってきたい』とかいってたわけで。まったくジョージは賢者だね。時には僕らに賛成し、時には反対し、けどいつも僕らをうまく導いてくれる。彼の働きはみんなが考えてた以上だと思うよ。彼がすべてのアレンジをやって、僕らはただちょっとそれを変えるだけ、っていうこともあったからね」とポールは言ったそうです。
2007年06月14日
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漫画「漂流教室」などを書いておられたウメズかずおさんではないでしょうか。 この画像のオロナミンはいったい何人分なのでしょうか。
2007年06月13日
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1965年のきょう、エリザベス女王からビートルズへMBE勲章が贈られることが発表された。
2007年06月12日
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今夜11時からNHKの番組にポールが出るみたいです。1968年の6月11日,「THE BEATLES」の「BLACKBIRD」を彼一人で録音。3本のマイクロフォンが使われ、ポールの声(一部でダブル・トラック)、ギター、タップを踏む足元にそれぞれセットされ、鳥のさえずり(ヨーロッパ産の鶫)がオーヴァーダビングされたそうです。ジョンは歌詞を1行提供したそうです。ポールはその年の半ばに起きたアメリカの人種差別に反対する暴動を報じた新聞記事を読んでインスピレーションを受け、黒人公民権闘争のメタファーとしてこの曲を書いたそうです。ポールとウィングスの1976年の全米ツアーで演奏されたビートルズ・ナンバー5曲のうちのひとつ。1991年のMTV”UNPLUGGED”でもポールは演奏したそうです。ポールは、ソングライターとして忘れられない瞬間のひとつは、ある朝目覚めてブラックバードがこの歌のメロディをさえずっているのを聞いたときだ、と語ったそうです。ポールは幸せな気分で窓枠に腰かけてアコースティック・ギターを弾き、彼の家を取り巻くファンのためにこの歌を歌った。それは1968年の夏の終わり、リンダ・イーストマンが彼と暮らすためにニューヨークからやってきた日の夜のことだったそうです。
2007年06月11日
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ビートルズのシングル盤「ペイパーバック・ライター」作曲ポール、歌詞の一部分ジョン.B面はジョン作曲の「レイン」が発売されたそうです。
2007年06月10日
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ビートルズが来日した年の6月8日は「GOOD DAY SUNSHINE」の録音が行われたそうです。翌9日にオーヴァーダビング。この曲を書いたのはポールで、ぼくも歌詞を少し手伝ったかもしれない。とジョンは言ったそうです。ポールの話ではジョンの家にいたときに書いて太陽がまぶしかったらしくラヴィン・スプーンフルの影響もあるらしい。レナード・バーンスタインは翌年のCBSニュースのドキュメンタリーでこの曲、特に全体の構成をほめたそうです。ポールは『ヤア!ブロード・ストリート』のサントラで再演。ジョージ・マーティンがピアノを弾いたそうです。1989年からのワールド・ツアーでも演奏したそうです。
2007年06月08日
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1962年6月6日、ビートルズはパーロフォンのオーディションで「ラヴ・ミー・ドゥー」、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」、「アスク・ミー・ホワイ」、「べサメ・ムーチョ」など演奏したそうです。
2007年06月06日
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ドラマー、リンゴは「ザ・ビートルズ」通称「ホワイト・アルバム」の中の1曲、シングルになったといわれる[DON’T PASS ME BY]をインドで書いた。彼によると「僕の曲は、すでにある曲の歌詞をちょっと変えただけっていう代物ばかりでね。他の3人は喜々として、そのネタ曲を指摘してくれたよ」1968年のきょう、録音。オーヴァーダビングは6月6,12日。ピアノのイントロは7月22日に録音されたそうです。
2007年06月05日
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38年前のきょう、アメリカでもこのビートルズのシングルが発売された。B面はジョージ・ハリスン作曲の(オールド・ブラウン・シュー)。放送禁止になったためかアメリカでは最高8位までにしかならなかった。
2007年06月04日
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ビートルズの名盤については思い出があります。それはまだ彼らのことをよく知らなかった中学生のころです。同級生がその「サージェント・・・バンド」を学校に持ってきていたのです。見るとビートルズが写っているではないですか。それなのにサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドと書いてある。おかしいなと思ったことを覚えています。そのレコードをはじめてステレオで聴いたのはたしか高校1年のころだったと思います。いつも吉田拓郎のレコードを持ってきてくれて一緒に聞いていたK君のやつです。動物の鳴き声とかはいっていてとても臨場感がありました。それから何年かたってCDになったのを買いました。しかしビートルズの曲はCDを小さなプレーヤーで聞くより大きなステレオでレコードで聴くほうが断然いいと思います。そのステレオは残念ながらアンプが壊れてしまい今では部屋の物置と化しています。ジョンはそのレコードのセッションをやっていたときが、それまでで一番幸せだったとデレク・テイラーに語ったそうです。
2007年06月02日
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6月1日は40年前、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の発売日であるけど、日本を代表する歌手たちによるレコード会社の設立の日でもあります。ビートルズの音楽史上に残る名盤のことはオンデンさんのブログに詳しく書かれているようです。興味がある方はそちらもご覧になってはどうですか。1975年、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、小室等の4人です。4人による無記名投票で社長が決まったそうです。小室氏は4票獲得したそうです。そうです。彼は自分に投票したそうです。
2007年06月01日
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