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12月12日は1969年にプラスティック・オノ・バンドの「LIVE PEACE IN TRONT ’69」が発表されたそうです。その年の9月、トロントでのコンサートをライヴ録音した。
2007年12月12日
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「ゴーーーン」ジョン・レノンの「マザー」の出だしだったと思う。あのピンク・レディーのミーも好きな歌だと言っていたような記憶がある。 たしか高校生のころだ。学校から帰ってきて初めてそのジョン・レノンのLP(きょうの毎日新聞にみのもんたさんと論説委員の与良さんの対談が載っていて「オール・ジャパン・ポップス20」の話が出て与良さんがLPと言っていたので大分安心した。)をFMラジオで聴いたときは衝撃的だった。ビートルズが解散した年の12月11日に出たそのLPはまさしく日本名「ジョンの魂」だ。ジョン・レノンを語る上でこのLPは絶対にはずせない作品です。ジャケットの写真も内容とぴったりで、ジョン・レノンの魂がLP全作品に力強くこめられていると思います。
2007年12月11日
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12月9日午後、ヨーコが声明を発表しましたが、カーター米大統領もジョンの死を悼んで特別の声明を出しました。「ジョン・レノンは、わが時代のムードと音楽を創造した。ビートルズの精神は大胆さ、真剣さ、批判と理想を同時に併せ持っていた。60年代にジョン・レノンとビートルズは世界の心を捉えた。彼らは米国を征服し、最大の成功を収めた。レノンが近年、居を定めたのは米国だった。米国にある自由の価値を彼が認めたからだ。芸術家、音楽家としての彼の仕事はまだまだ終わっていなかったが、彼はマッカートニーらとともに、人類に永遠の遺産を残した。彼の無残な死を悼むわたしの悲しみは、何百万の米国民と同じである。妻ロザリンとわたしは、ヨーコ婦人と息子さんに心からの深いお悔やみをおくる。」
2007年12月09日
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1970年の12月8日にジョンは「ローリング・ストーン」誌の編集長ヤン・ウエナーと会見、ヨーコを交えて語り合う。翌1971年1月21日付の同誌に『WORKING CLASS HERO』というタイトルで掲載された。ジョン「僕は僕。ポールも、ビートルズではない。ブライアン・エプスタインもビートルズではなかったし、ディック・ジェームズも違う。ビートルズが、ビートルズなんです。一人一人になってしまえば、それぞれ、その人、その人だからね。」
2007年12月08日
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44年前のきょうビートルズはBBCテレビの「JUKE BOX JURY」に出演したそうです。
2007年12月07日
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ジョンが死んだ後に聴いたステレオのラジオでインタビューに答えているジョンがとても早口だったのが印象的だった。27年前の12月6日ジョンとヨーコはアンディ・ピープルズのインタビューに4時間にわたって答えたそうです。
2007年12月06日
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今から42年前のきょうビートルズのLPとシングルが発売されたそうです。 彼らはクリスマス・シーズンに合わせて新しいLPを発売しなければならないため時間的制約のもとで4週間で1ダースものオリジナル曲を作り上げ、録音しなければならなかった。録音はその年の10月12日から11月11日までアビー・ロードのスタジオで行われ1曲足りなかったためLP[HELP!]のセッションから「WAIT」を復活させて、LP[RUBBER SOUL]は完成したそうです。ジョ-ジ・マーティン「RUBBER SOULは、新生ビートルズを世間に示した最初のLPだと思う。それまではLPといってもシングルの寄せ集めのようなものだった。でもあのときからはじめて、ビートルズ自身のひとつのアート、自分たちの実体そのものとしてLPを考えるようになったんだ。RUBBER SOULはこうしたLPとして誕生した最初の作品だったのさ」シングルは大部分をジョンが作りポールが作詞を手伝い10月16日に録音された「DAY TRIPPER」とポールとジョンが作り10月20日に録音した「WE CAN WORK IT OUT」。
2007年12月03日
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ビートルズ、1963年の12月2日にボーラムウッドのATVスタジオで発売されたばかりの「抱きしめたい」と「ジス・ボーイ」そしてジョンが生まれた年に公開されたらしい「ティン・パン・アレイ」という映画の挿入歌「ムーンライト・ベイ」を歌ったようです。
2007年12月02日
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