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ビートルズは1969年の7月30、31日にはEMIのスタジオでLP『アビー・ロード』の「ゴールデン・スランバーズ」と「キャリー・ザット・ウェイト」のオーヴァーダビングが行われたそうです。
2007年07月30日
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今から42年前のきょうはロンドンのパビリオンにて「HELP!四人はアイドル」がプレミア公開されたそうです。この映画の撮影は1965年の2月22日から5月12日まで行われた。ビートルズは総じて出来上がったフィルムが気に入らなかった。ポール曰く、「僕たちにはちょっと合ってなかった。僕らはゲスト・スターみたいなものだったよ」ジョンは「くだらないね」とまで言い切り、さらに「監督のリチャード・レスターは、僕たちが何者でどういうことをしているのか、まるでわかっていない。だから映画はうまくいかなかったんだよ。カエルの映画にハマグリが紛れ込んだみたいなもんさ」と語った。映画で使われた曲はLPの前半「ティケット・トゥ・ライド」までを構成しているそうです。
2007年07月29日
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ビートルズが解散した年の7月27日ジョンが出資者の一人となってバック・アップしたミュージカル「オー・カルカッタ!」がロンドンの『チョーク・ファーム・ラウンドハウス』でスタートする。ジョンは単に出資しただけではなく、美術面でも協力、背景にはジョンの書いたスケッチがフィーチャーされていたそうです。
2007年07月27日
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ポール作曲の「ヘイ・ジュード」は1968年の7月26日に自宅でジョンと書き終えたそうです。29日の月曜日にアビー・ロードのスタジオで4人全員でリハーサルをし翌晩、イギリスの音楽に関する特別番組の撮影中に録音。水曜日にはそのヴァージョンを破棄し、トライデント・スタジオで録音し直した。木曜日には40人編成のオーケストラを起用して、ひとつの音を延々と弾かせると同時に、手拍子と”ラララ”のコーラス部分が録音された(ポールはフル・オーケストラを欲しがったが急には不可能だとジョージ・マーティンが言った)。最終リミックスは金曜日の早い時間に行われ、その日の午後にはテスト盤が出来上がった。イギリスでは発売2週目に1位になり3週間その座をキープしアメリカでは9週間連続1位。オランダ、アイルランド、ベルギー、西ドイツ、デンマーク、シンガポール、マレーシア、ニュージーランド、ノルウェイ、スウェーデンでも1位になったそうです。
2007年07月26日
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かわいい、中島あかりちゃん
2007年07月25日
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今から42年前の6月24日はジョンの2冊目の著書「A Spaniard In The Works」が出版されたそうです。ジョンによると「『In His Own Write』の書評のひとつにケンブリッジを出たピーター・クックみたいな人たちのサタイアの流行と僕とを一緒にして理解しようとしているのがあった。僕は、教会とか国家とか、そのようなノーマルなものを風刺しているだけだ、というんだよ。『In His Own Write』では、僕は、まさにそれを行った。教会や国家は、唯一絶対のものだからこそ、風刺するんだよ。『A Spaniard In The Works』でも『In His Own Write』でも、どちらの本でも、僕は教会にかなり重きを置いた風刺をやってみた。そのとき僕が書いていたキリスト教主義というものは、ただ*天国へいけるようになるために苦しみ悩まされなくてはいけない、ということに関しての風刺だったんだ。」それから2年後7月24日付の『ロンドン・タイムズ』紙の5ページ目に掲載された[われわれはマリファナ禁止の法律に反対する]とアピールする広告にカメラマンのデヴィッド・ペイリー、作家のグレアム・グリーン、ジョナサン・ミルズ博士等、イギリスの著名人とともに、ビートルズの4人が名前を連ね、話題を巻き起こす。4人の名前のあとに”MBE”と誇らしげにつけられていたのも保守的な人間たちの怒りを買うことになったそうです。
2007年07月24日
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ジョン作曲の「COME TOGETHER」は彼が自動車事故にあった1969年7月1日の後に書かれ21日にアビー・ロードのスタジオで録音されたそうです。22、23、25、29、30日にオーヴァーダビング。ジョンが’SHOOT!’(撃て)と叫んでいるように聞こえる部分は、実際には’SHOOT ME’(ぼくを撃て)と歌われていた。エンジニアのジェフ・エメリックによると「完成したレコードでは’SHOOT’という言葉しか聞こえない。ベース・ギターが’ME’の部分にかぶさってしまったんだ」ジョンの言葉「ファンキーなレコード*ビートルズの曲の中でも気に入ってるひとつだ」
2007年07月21日
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今から43年前のきょう、ビートルズはアメリカで2枚のシングル盤を発売している。ジョン作曲の「恋におちたら」A面はポールがもともとのアイデアを考え、ジョンが作曲に手を貸した彼らの曲でもっともカヴァーされたナンバー「アンド・アイ・ラヴ・ハー」。もう一枚はともにジョン作曲の「すてきなダンス」と「ぼくが泣く」。最高位は「アンド・アイ・ラヴ・ハー」の12位。画像は同じ年の10月5日に発売されたらしい日本盤だと思います。
2007年07月20日
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今から39年前の7月19日は[THE BEATLES]の「SEXY SADIE」の録音がアビー・ロードのスタジオで行われたそうです。作曲はジョン。24日にリメイクし、8月13日に再度リメイク、オーヴァーダビングは21日。ジョンのもとの詞はもっと直接的にマハリシをさしており、実名すら挙げていたが、ジョンは録音する際にはもう少しぼかした表現にしたらしい。ジョン「あれはマハリシからインスピレーションを得た曲だ。僕らが荷造りして出て行こうとしているときに書いた・・・・・僕は後味の悪い思いでマハリシのもとを去ったんだ」
2007年07月19日
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たしか中学生の頃だと思う。同級生の家でLP「ウィズ・ザ・ビートルズ」をきいた。なんてシャープな音楽だろう。と思ったのを憶えている。1963年の7月18日から10月23日にかけてアビー・ロードのスタジオで録音されたそうです。この2枚目のLPからビートルズはスタジオ・テクノロジーの実験を始めるようになったそうです。初日は「TILL THERE WAS YOU」作曲はメレディス・ウィルソン、「YOU REALLY GOT A HOLD ON ME」作曲はウィリアム(スモーキー)・ロビンソン、「DEVIL IN HER HEART」作曲はリチャード・P・ドラプキン、そしてジャニー・ブラッドフォードとベリー・ゴーディ作詞、作曲の「MONEY」の録音がされたそうです。
2007年07月18日
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1958年の7月15日ジョンが17歳のときにジュリアが交通事故でなくなった。この事件により、ジョンはポールとより親しくなったが、美術学校のほかの学生たちによれば、ジョンはジュリアの死によって、表面的には悪くなり、他人の感情を平気で傷つけたり、前よりも残酷な冗談を口にするようになったという。ジョンの言葉「それは僕には最悪の出来事だった。何年か前から、僕とジュリアは本当に親しくなっていった。ジュリアはすばらしい人だった。だから僕は、畜生、畜生、畜生、と思った。何もかもがこれでだめになっちまったんだ。僕が責任を負うべき相手の人は、もう誰もいないんだ。」
2007年07月15日
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7月13日は1964年ビートルズのシングル{「A HARD DAY’S NIGHT」B面「I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」ともにジョンの作曲。}がアメリカで発売された。 B面の担当楽器はポールがベース。ジョンがアコースティック・ギターとハーモニカ、ダブル・トラックのヴォーカル。ジョージが12弦のリッケンバッカーのリズム・ギター。ドラムスがリンゴ。この曲は同名の映画の劇中、列車のコンパートメントのシーンで演奏された。実際はヴァンの中で撮影され、走っている列車のように見せかけようと、スタッフが車をゆすっていたのだった。アメリカ盤にはジョージ・マーティンによるオーケストラ・ヴァージョンも収録されているそうです。
2007年07月13日
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1964年、長編映画とタイアップしたLPの締め切りに追われることになったビートルズはまずサウンドトラック用に数曲を大急ぎで録音し、映画の撮影終了後、さらにLPを埋めるだけの曲を録音しなければならなかった。この厳しい時間的プレッシャーのもと、なおかつ彼らは暇を見つけて数回のライヴをおこない、BBC-TVやラジオ番組に出演した。ジョンとポールのオリジナルのみをフィーチャーした唯一の作品となったこのLPは、大ヒットを記録した。特に、収録曲の大半を手がけたジョンにとって、これは離れ業的な偉業だった。加えてこの「A HARD DAY’S NIGHT」は、加速度的に複雑なスタジオ・テクニックを駆使するようになる彼らが、初めてその片鱗を表した作品でもあったそうです。その年の7月10日に同名のシングル盤と同時発売された。ジョンの作曲。B面はジョンがいい曲だと言ったポール作曲の「THINGS WE SAID TODAY」。ジョンはタイトル曲のハーモニーをポールが歌った唯一の理由を、僕には高音が出せなかったからだと言ったそうです。
2007年07月10日
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1969年の7月7日にアビー・ロードのスタジオで録音され、翌8日、16日、8月6,11,15,19日にオーヴァーダビングされたジョージ作曲の「HERE COMES THE SUN」は初日はジョン不参加。この曲についてジョージは「アップルが毎日行かなきゃならない学校みたいになって、僕らがビジネスマンみたいに、あっちの書類、こっちの鑑定書にサインばっかりしていた頃(その年の初め)に書いたものなんだ。とにかくイギリスの冬が永遠に続くような感じで、春が待ちどうしくてならなかった。だからある日、僕は決めたのさ。アップルはサボッちゃおうってね。そして僕はエリックの家に行き、庭を散歩した。会社へ行って間の抜けた経理の連中の顔を見なくていいというだけで、ほんと気が休まったよ。僕はエリックのアコースティック・ギターを持って庭を歩き回り、そしてこの曲を書いたんだ」と言ったそうです。
2007年07月08日
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ビート・グループを専門に扱う新聞「マージー・ビート」が1961年に創刊され、ジョンはその創刊号でただひとつのユーモラスな記事を提供した。内容は、ビートルズの過去をジョンらしいユーモアを交えて書いたものだったそうです。画像はリンゴ・スターより前のドラマーだったピート・ベストです。
2007年07月06日
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(THE BEATLES)の「OB-LA-DI OB-LA-DA」をポールはLPのリリースにあわせてシングル・リリースしたがったが、ジョンとジョージはその曲が陳腐と思っていたのでそろって反対したそうです。しかし一方で、この覚えやすいメロディはヒット間違いなしと見る向きも多かった。 実際に『マーマレード』と『ベッドロックス』という二つのグループがこの曲をイギリスのチャートに載せたそうです。 1969年にフィル・スペクターはこの曲をヒット・ソングと呼んだ。いいテンポとメロディでうまく組み立てられているこの曲は、10年前でも成功しただろう、と彼は述べたそうです。ポリスのドラマーで作曲者のスチュアート・コープランドは「・・・・この歌詞にははっきりとした韻律があるし、それがおそらくは最終的にスカのビートで演奏した理由になっているんじゃないかな。事実、これはホワイト・レゲエの先駆的な作品だからね」と言ったそうです。ジョンが嫌っていたと言われるこの曲のタイトルはレゲエ・バンドの名称*ジミー・スコットと彼のオブラディ・オブラダ・バンド*から取られたものだったそうです。
2007年07月05日
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懐かしいものを見つけました。ご覧下さい。
2007年07月04日
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今から39年前の7月3日はポール作曲の「OB-LA-DI OB-LA-DA」の録音がアビー・ロードのスタジオで行われたそうです。オーヴァー・ダビングが4,5日。リメイクが8日、再度のリメイク9日(未使用)、さらに11日、15日にオーヴァーダビング。この曲に散々忙殺されたため、他のビートルズのメンバーはうんざりしていたそうです。セカンド・エンジニアのリチャード・ラッシュは「(OB-LA-DI OB-LA-DA)を4,5晩やった後で、ジョンがまるっきりぼうっとした状態でセッションにやってきた。何か薬をやっていたんだろう、『オーライ、(OB-LA-DI OB-LA-DA)をやろうぜ』と言うと、まっすぐピアノに向かい、これ以上出ないってくらいの音で、それも今までやってたより2倍の速さで、キーをたたいたんだ。『これでいいだろ!ええ!?』って。彼は本当にイラついていた。でもそれが結局使うことになったヴァージョンだったのさ」と言ったそうです。
2007年07月03日
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1969年7月2日、ポールはいつものように、メンバーの中で最初にアビー・ロードのスタジオに現れ、他のメンバーが来る前に23秒の曲「ハー・マジェスティ」を素早く、3テイクだけで録音してしまった。この曲は、当初LPの「ミーン・ミスター・マスタード」と「ポリシーン・パン」の間に入れる予定だったが、7月31日に下編集が行われた際、ポールが考えを変えた。セカンド・エンジニアのジョン・クーランダーによると、「私たちは曲をオーヴァーラップさせるためのリミックスやクロスフェイドをすべて終えていた。ポールもそこにいて初めて通しでテープを聴いた。そのとき彼が言ったんだ。『ハー・マジェスティはよくないなあ。捨ててくれよ』とね。そこで私がカットしたんだが、なぜだか最後の音が残ってしまった。でも彼は『いいよ、下編集だから、どうってことない』と言ってくれた。つまり、ラフ・ミックスにすぎないんだから、きちんと編集する必要はないってね・・・・・。私は何のテープでも捨ててしまうなと言われていたから、彼がいなくなった後でそれを床から拾い上げ、頭に20秒の赤いリーダーテープをつけて編集テープのお尻にくっつけた。で、次の日に、アップルでマルコム・デイヴィズがプレイバック用のラッカー盤をカットしていたんだが、私が箱の上に「ハー・マジェスティ」は不要と書いていたのに、彼もやっぱり『うーん、何であろうと捨てるなと言われているし、最後にくっつけておこう』ということになったのさ。私が思うに、ポールもそれを聞いて、最後にくっついた「ハー・マジェスティ」が気に入ったんだろう。・・・・・結局、「ハー・マジェスティ」をリミックスすることはなかった。あのミックスが、そのまま完成したLPにも収録されたんだ。そんなわけで「ハー・マジェスティ」には曲の終わりのギター・コードがない。つまりそのコードは、レコードでは聞こえないけれど「ポリシーン・パン」の前に入っていて、また「ハー・マジェスティ」の直前に入っている耳障りなエレクトリック・ギターのコードは、もともと「ミーン・ミスター・マスタード」の最後の音なんだよ」だそうです。「ハー・マジェスティ」のタイトルは当初LPのジャケットに記載されていなかったそうです。
2007年07月02日
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ジョージ・ハリスンのコメント。「ひとつのメロディーにヴァースがふたつ、しかもサビでは全然違う曲になる。つまりは、すごくメロディックな曲だってこと」だそうです。そのポール作曲の「YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY」は38年前の5月6日、オリンピック・サウンド・スタジオで録音され7月1,11,15,30,31日、そして8月5日にアビー・ロードのスタジオにてオーヴァーダビングされたそうです。この曲は、ポールとビートルズ、アップルがずっと絶えず繰り返していたお金にまつわる議論をきっかけに生まれたことは明白である。アップルはいい加減な企画や社員のあからさまな使い込みによって経営が傾いており、ジョンとポールは曲の著作権を獲得すべく苦しい闘いを続けていたそうです。
2007年07月01日
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