全21件 (21件中 1-21件目)
1
最近夜になるとギーギーうるさいです。こんなものがありました。ご覧ください。読書へのきっかけとなる天然木のかみしばい 『ありときりぎりす』
2007年08月30日
コメント(0)
![]()
1967年8月29日ブライアン・エプスタインの弟、クライヴ・エプスタインが新しいNEMSエンタープライズの社長に就任。ビートルズは直ちに自分たちの手でビジネス面の問題を管理することを決めたそうです。
2007年08月29日
コメント(0)
![]()
ちょうどこのように見えました。
2007年08月28日
コメント(0)
![]()
1965年の8月27日、エルビス・プレスリーが自宅にビートルズを招待したそうです。そのときのジョンが他のメンバーがびっくりするような発言だったかをしたそうですが・・・・・。それから2年後の同じ日にはマネージャーのブライアン・エプスタインが死亡したそうです。画像はプレスリーの娘さんみたいです。なにやら下腹が出てるようですけどくれぐれもお父さんみたいに太らないでほしいです。ところで彼女もドーナッツが好きなんでしょうか
2007年08月27日
コメント(0)
熊本の田の原温泉で「男はつらいよ」のロケが昔あったようです。
2007年08月26日
コメント(0)
![]()
2007年08月24日
コメント(0)
![]()
今から44年前のきょう、ビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」が発売。この4枚目のシングルは、発売5日後に2位でポップ・チャートに初登場し、9月4日にはナンバー1となって4週間その座をキープした。7週間後の11月20日には返り咲いて再びナンバー1となり、さらに2週間トップを続けた。その年の終わりまでに、このシングルはイギリスで130万枚を売り上げ、その年のトップ・セラーとなった。1978年にポールとウィングスの『Mull Of Kintyre』日本名『夢の旅人』が記録を破るまで、これはイギリスで最も売れたシングルだったそうです。B面はジョンがハーモニカを吹いている「アイル・ゲット・ユー」。ポールのコメント「僕がやったりかかわったりしてきたことは、そのほとんど全部が何かしら否定的な評価を受けた。例えばビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」みたいな曲なら、好意的な反響ばかりだったと思うかもしれないけど、そうじゃないんだ。あの曲が出た最初の週には、ビートルズが作った中で最悪の曲だと思われていた」ジョン「ふたりで書いた曲だ・・・・・あれは、ポールのアイデアだったと思う。普通に”I Love You”と歌うかわりに、三人称を取り入れたのは」
2007年08月23日
コメント(0)
1964年の8月19日、ビートルズはアメリカとカナダを回る5週間の演奏旅行に出発。9月21日まで続けられた、彼ら2度目のアメリカ公演。8月23日のロサンジェルス・ハリウッド・ボウルでの演奏がライブ・レコーディングされたそうです。
2007年08月19日
コメント(0)
![]()
1965年の8月15日ニューヨーク、シェア・スタジアムで公演。観客は5万6千人、30万4千ドルという膨大な売り上げがあったそうです。
2007年08月15日
コメント(0)
![]()
今から43年前の8月14日、ビートルズはアビー・ロードのスタジオで4作目のLP「BEATLES FOR SALE」に収録されるジョン作曲の「I’m A Loser」の録音。ジョンは自身でもこの曲を初期の傑作のひとつにあげているそうでシングルの候補曲にもあげられていたそうです。もう1曲ジョンがリード・ヴォーカルでロイ・リー・ジョンソン作曲の「Mr.Moonlight」もその日録音されたけれど10月18日にリメイクされたそうです。
2007年08月14日
コメント(0)
![]()
1968年の8月13日、ジョンがインドで作曲した「YER BLUES」の録音がアビー・ロードのスタジオで行われた。オーヴァーダビングは14日、編集部分(イントロのカウント)が20日に加えられた。12月11日に撮影されたローリング・ストーンズの伝説的なフィルム、『ROCK’N ROLL CIRCUS』の中ではこの曲の9分間に及ぶヴァージョンが収録されており、ジョン、ヨーコ、エリック・クラプトン、キース・リチャーズ、ミッチ・ミッチェル(ジミ・ヘンドリックス・エクスぺリエンスのドラマー)などが演奏しているそうです。ジョンはあまり深刻に受け取られるのを嫌い、ポールのアドヴァイスに反して、タイトルを「YOUR」ではなく軽い「YER」を選んだ。この曲は1969年の9月のコンサート「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル」で、ジョンが演奏した唯一のビートルズ・ナンバーだそうです。
2007年08月13日
コメント(0)
![]()
これは目玉おやじなのでしょうか
2007年08月12日
コメント(0)
![]()
帰りに酒屋兼米屋によって米を買おうとしていたときにポール・マッカートニーの「C・ムーン」が流れていた。あんまりかからない曲なので少し得したような気分になった。今から41年前のきょうビートルズは四度目のアメリカ公演に出発。この公演旅行の直前、ジョンの『ビートルズはキリストよりも人気がある。』という(ロンドン・イヴニング・スタンダード)のモーリス・クリーヴに対する発言が問題になり、アメリカ各地でビートルズ排斥運動が起こったが、12日のシカゴで幕を開け、29日にサンフランシスコで幕を閉じたコンサートの観客動員にはまったく影響が出なかった。また、このサンフランシスコでのコンサートが、ビートルズ最後のライヴ・パフォーマンスとなった。公演旅行に同行したのは、ザ・サークル。ジョンは公演旅行が始まる前のシカゴのホテルで自分の真意を説明するための記者会見を行ったそうです。
2007年08月11日
コメント(0)
![]()
今から35年前の8月10日は、ジョンとヨーコがニューヨーク市長のジョン・リンゼイと共に、One-To-One Dayの詳細を説明するための記者会見をニューヨーク・シティ・ホールで開いたそうです。
2007年08月10日
コメント(0)
![]()
今から39年前の8月9日は(THE BEATLES)の「MOTHER NATURE’S SON」の録音をビートルズがインド滞在中にこの曲を作曲したポールが行った。楽器演奏部分のオーヴァーダビングは20日。テクニカル・エンジニアとエンジニアのアラン・ブラウンとケン・スコットはこういったそうです。「ポールは(ボンゴに似たサウンドを得るため)ドラムにオープン・エフェクトを欲しがっていたので、僕らは結局スタジオを出て廊下にドラムを据え、マイクをずっと遠くにセットした。そのころはカーペットを敷いていなかったから、面白いスタッカート効果が出たよ」「ポールはジョージ(マーティン)や管楽器奏者と一緒に階下でアレンジをやってた。すべて順調で、みんな生き生きしていた。ほんとにいい感じだったんだ。それが突然、ジョンとリンゴが入ってきて、雰囲気はまるでナイフで切り裂かれたみたいになった。がらっと変わったよ。10分くらいかな、それから彼らが出てった後すぐにまたいい感じになった。えらく奇妙だったね」ジョンがこの曲のことをこういっています。「ポール(が作曲)。あれはマハリシが自然について話していたときの法話から来ていて、僕も〈I’m Just A Child Of Nature〉というタイトルの曲を作っていた。それが数年後に〈Jealous Guy〉になったんだ。ふたりともマハリシの同じ法話からインスピレーションを受けたのさ」
2007年08月09日
コメント(0)
![]()
41年前のきょうはアメリカでビートルズのシングル盤「イエロー・サブマリン」の発売。チャートの2位まで上昇したそうです。1位は誰だったのでしょうB面は「エリナー・リグビー」。
2007年08月08日
コメント(0)
![]()
今から42年前のきょうは、おもに1965年の2月15日から19日までと、6月14日から17日までの2回に分けて録音されたビートルズの「HELP!」が発売されチャートには8月11日、ナンバー1で登場した。2月18日、ビートルズがまだスタジオにいるあいだに、ビートルズの曲の出版会社ノーザン・ソングスが株式を公開した。税金対策のためにとられた措置だったが、おかげでジョンとポールは、後に自分たちが作った曲の管理ができなくなったそうです。
2007年08月06日
コメント(0)
![]()
1966年の8月5日に発売されたこのレコードは1位でチャートに初登場し、7週連続首位の座を独占。ピート・ショットンは、スリーヴ・デザインはケンウッドのジョンの家で進められたと語っている。「ある日の晩、ジョンとポールと僕でビートルズの写真が載った新聞や雑誌の山をひっくり返して中からいいのを選び出した。そして顔を切り抜いて、一緒にくっつけてみたのさ。後でクラウス・ヴォーマンが描いたイラストを付け加えたんだ」ヴォーマンはビートルズのメンバーとはハンブルク時代からの友人であり、後にメンバーのソロ・アルバムに参加してベースを弾いている。カヴァーに載った多くのポーズの中で、ジョンは、大きく描かれた自分の顔の耳の上に甲冑姿で写っている。この’Sidney’という名前の甲冑は彼が購入した私物であり、自宅のホールに飾られていたそうです。
2007年08月05日
コメント(0)
![]()
27年前のきょう、ジョン・レノンは5年間に渡る沈黙を破り、ヨーコとともにニューヨークのヒット・ファクトリー・スタジオでレコーディング・セッションを開始する。セッションに参加したのはデヴィッド・ボウイのバンドのギタリストだったアール・スリックをはじめ、ベースにトニー・レヴィン、パーカッションにラルフ・マクドナルド、ギターにヒュー・マクラッケン、ドラムスにアンディ・ニューマークといったそうそうたる顔ぶれで、チープ・トリックの3人のメンバーも加わっていた。ジョンとヨーコとともにプロデュースを担当したのはジャック・ダグラスだったそうです。
2007年08月04日
コメント(0)
![]()
朝から網戸の枠辺りにどうしたんでしょうか。2匹の甲虫がほとんど動かずにくっついています。ビートルズストーリー、8月3日は1963年彼らの故郷リヴァプールのキャヴァーン・クラブでの最終公演があったそうです。
2007年08月03日
コメント(0)
1969年の8月1日ビートルズはアビー・ロードのスタジオでジョン作曲の「ビコーズ」の録音をした。4,5日にオーヴァーダビング。5日にビートルズ・ナンバーで初めてムーグ・シンセサイザーがオーヴァー・ダビングされた。複雑なハーモニーは録音が始まる前に入念なリハーサルがおこなわれた。ジョンの言葉「自宅のソファに寝そべって、ヨーコがベート-ベンのピアノ・ソナタ〈月光〉を弾くのを聞いていたとき、突然ひらめいて僕はヨーコに言った。『そのコードを後ろから弾いてくれないか?』彼女はその通りに弾いてくれた。それをヒントに〈ビコーズ〉を書いたんだ。だから曲の雰囲気も〈月光〉みたいだろ。詞は単純明快で、まやかしでも、思うところがあったわけでもなく、もちろん何かにあてつけたわけでもない」ジョージ・マーティンは「バックの録音を終えて、ジョンとポールとジョージがハーモニーを歌った。私たちはそれをさらに2度重ね、9パートのハーモニーに仕立てたんだ。3声部を3度録ったことになる」ジョージ・ハリスンは、このハーモニーはビートルズがやった中で最高のものだといっている。この曲のメロディがはじめて聞かれたのは、ジョンとヨーコの〈WEDDING ALBUM〉だったそうです。ジョージ・ハリスン「〈IF I NEEDED SOMEONE〉のような感じ。わかるかい、基本のリフが続くのは大体同じだけれど、でもこれは実にシンプルなメロディなんだ。ジョンとポールと僕で3パートのハーモニーをやっている・・・・・アルバムの中でも一番気に入っているけど、それは多分すごくシンプルな曲だからじゃないかな。歌詞も単純だけど、ハーモニーはかなり厄介だったね。真剣に練習しなけりゃならなかったし。でもこれは人の心に強く残るメロディのひとつだと思うよ」
2007年08月01日
コメント(0)
全21件 (21件中 1-21件目)
1


