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スティーブン・スピルバーグ監督「初めの頃は(ビートルズが)気に入らなかった。自分で見つけた音楽じゃなかったから・・・ホワイト・アルバムを聴くまではビートルズのファンじゃなかったけど、聴いた瞬間、改宗したね」イギリス式ならLPだけどタイトルが「THE BEATLES」で2枚組の白いレコードだから誰が名づけたのかホワイト・アルバムがしっくりあいます。あのスピルバーグも認めたレコードですから記録的な売り上げになったのも当然だと思います。このレコードの録音が1968年の5月30日から開始され10月中旬まで続きました。初日は曲作りにヨーコも加わったジョンの「REVOLUTION」です。1968年はベトナム戦争の最中でパリでは5月革命が勃発したりで「革命」はジョンの最重要テーマだったのかもしれません。それは「REVOLUTION」「REVOLUTION1」「REVOLUTION9」と3つの作品を残していることが証明していると思います。しかし8分もある「REVOLUTION9」を他のメンバーやジョージ・マーティンはアルバムからはずそうとしたそうです。特にポールが好ましく思ってなかったようです。今までレコーディングに自分の彼女など他のメンバーは連れて来たことはなかったそうですがジョンはその意味でも、おそらく長いレコーディングになることも予想していたであろうから「これは革命なんだ。自分の彼女を連れて来てもいいだろう」という意味も込めてこの曲を最初にもってきたんじゃないかと思うのです。
2009年05月30日
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ちょうど40年前の1969年5月28日、彼らもきっと最後の自分たちのオリジナル・レコードになるだろうと録音し、8月に発売されるはずだった「GET BACK」の編集が録音技師のグリン・ジョンズにより完了したそうです。ちゃんとレコードのジャケット用の写真まで撮影されていたのですが、映画「LET IT BE」の封切りに合わせるため延期されました。後にタイトルは「LET IT BE」となりジャケットも変更になりました。発売されるはずだったもともとの録音が海賊版で出回っているようです。CDになっておりタイトルが「GET BACK-THE GLYN JOHNS FINAL COMPILATION~VIGOTONE INDUSTRY」でアビー・ロード・スタジオのエンジニア、ジョン・バレットの音源テープでマスターテープと変わらない位素晴らしい音質だそうです。編集はグリン・ジョンズ。ディスクが2種類あり初版にはポールの「TEDDY BOY」が収録されているそうです。
2009年05月28日
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1966年5月27日、LP「REVOLVER」を録音中のビートルズはヨーロッパツアーでロンドンに着いたばかりのボブ・ディランと交流を深めました。キース・リチャーズとブライアン・ジョーンズに付き添われたポールと二ール・アスピナールはジャーマイン・ストリートにあるドリーズ・クラブへ出かけディランと会ったそうです。彼らはメイ・フェアホテルのディランの部屋へ行き彼の最新のセッションの最新版を聴いたそうです。その夜、ジョンとジョージはロイヤル・アルバート・ホールでの彼のコンサートを観たそうです。コンサートの2部でザ・バンドにバックアップされた彼がフォーク・ギターからエレキ・ギターに持ち替えたのでしょうか。ロックン・ロールを演奏しようとしたら観客はヤジやブーイングを飛ばしたそうです。ビートルズのファンだったボブ・ディランもまた彼らのようにエレキギターを演奏してみたかったんじゃないでしょうか。この話を知り僕は昔、よしだたくろうが「結婚しようよ」のヒットの後だったでしょうか。たしかどこかの会場で観客に「帰れ」と言われたという話があったということを聞いたのを思い出しました。5月28、29日とビートルズの4人は彼のホテルの部屋で一緒にすごしたそうです。
2009年05月27日
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生きている限りは疑問はなくならないわけですが、この楽天ブログもわかりません。日記を公開せずに「下書き」というシステムがありますけど、いろいろな理由で「下書き」のまま何ヶ月もそのままにしている記事があります。後で「編集」で書き直したら1ヶ月しか書き直せませんと出ました。それならどうして「編集」ボタンがついているのでしょう
2009年05月27日
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ビートルズの曲に女性の声が入っていたのを初めて聞いたとき、僕はそれがヨーコだとは知りませんでした。その曲が入っている「ザ・ビートルズ」を発表したのは1968年。まもなく彼らは自分ひとりの世界への道へ入り込もうとしていたのです。その年の5月22日はニューヨークからロサンジェルスへ行く予定だったようですが、キャンセルしてロンドンに戻ったようです。そしてジョンとヨーコ、ジョージは2件目のアップル・ブティックのオープンでロンドン、キングスロードで開かれたパーティと記者会見に出席。ジョンとヨーコが公の場に初めて二人揃って登場したそうです。
2009年05月22日
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ちょうどビートルズが活躍していた頃はラジオからテレビ、白黒からカラー、モノラルからステレオへの変貌期だったので彼らの作品の数の多さは驚異的なのです。きょう5月20日1966年に彼らはロンドンのチズイックハウスの庭園でBBCの「TOP OF THE POPS」用にシングル盤「PAPERBACK WRITER」(B面が「RAIN」)のプロモーション・フィルムをマイケル・リンゼイ・ホッグの監督でカラー版の35mmのフィルムを使い撮影したそうです。前日はアビー・ロードのスタジオで3つのヴァージョンが撮影されたようです。4人ともサングラスをかけているヴァージョンとジョンだけがサングラスをかけているバージョンがあります。この撮影の直前、ポールはバイクで転倒し前歯を折ったそうです。前に僕は4人で写っている写真で、まるでポールとは思えないような人がサングラスをかけて写っていたのを見つけました。きっとその写真もそのときに写したんだと思います。プロモーション・フィルムのポールを見てわかりました。まるで婚約者だったジェーンと一緒に写真に写っていたポールのように感じました。まだその頃のポールの心情とかまだ僕はよくわかっていません。わかるかどうかもわかりません。だから僕の「ビートルズ・ストーリー」は多分まだまだ続くと思います。それに加えて主にポールが作った「PAPERBACK WRITER」の歌詞は小説家になりたいというようなものでした。わずか7歳頃から自分の本を書き始め出版をしたジョンは優越感があったのでしょうか、とても得意げに演奏しているように見えます。歌詞に関してはポールは自信がなかったのです。だから彼の名曲「ヘイ・ジュード」のデモ・テープをジョンとヨーコに聴かせたのです。でもジョンはその曲の歌詞を褒めたそうです。きょうテレビに長崎の福山雅治君が出てきたようなので恐れ多くもビートルズと同じタイトルの曲を出した彼にきょうのブログを捧げます。
2009年05月20日
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きょうの毎日新聞を読み僕は自分の無知が恥ずかしかった。新聞には「いさはや かわら版」というチラシが入っていた。ときどき入っているんです。それにはバドミントン大会のことも書いてあり自分が知っている人と同じ名前が書いてあったけどたぶんその人だと思います。高速道路の話題では、1000円になったその差額は税金で道路公団に支払われると書いてありました。ということは結局は、実質的には料金は下がっていない?ということになるのではないかという気がしてきました。新聞の1面には民主党の代表になられた鳩山党首のあいさつが載っていました。しかしその党首というのは1954年になられた鳩山一郎総裁のことでした。やっぱり今の時代にこんなことを言う人はいないのかなあと少しさびしい気がしないでもないです。「他人の人格の尊厳を尊重し、相互に友愛の念を抱くようにならなければ民主政治が繁栄するはずはない」
2009年05月17日
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きょう早く目が覚めたのはどうしてなんだろうおとといも早かったんです。T子の誕生日だからかもうT子が県外に行ってしまってから16年も経つんです。前に井上陽水が歌を作るときに辞書を見て歌詞を作ったとか言っていました。僕は英和辞典を引かなくちゃならなかったので引いたらまた新しい意味を覚えることに成功しました。「main」という意味はなんと「大海」という意味でもあったのです。あるパチンコ店では『大海物語』のイベントなのか『限海』とか書いてあった。それで『限界集落』を思い出すんですね。村から若い人が都会に出て行って村はお年寄りばかりになってしまうという。だから僕は何が言いたいのかというとつまりバランスが悪いのではと言いたいわけです。何年も経つと人は変わる浦島太郎の物語はそれを言いたかったんじゃないのかとほとんどの事に限界があるのじゃないのかと
2009年05月12日
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