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森の声

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2026.08.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
音楽的表現は無限にあり自由ですが、でも、「芸術としての音楽」に限って言えば、それらの音楽は「音のルール」「心のルール」に従っています。
自由ではあるのですが、あくまでも「ルールの中での自由」なんです。そしてそこが大切なところです。
そしてそのルールは「社会のルール」の影響も受けてはいますが、基本的なところは、時代や、地域や、文化が変わっても変化していません。
なぜならそのルールを生み出しているのは「命のルール」「からだのルール」自然のルール」「心のルール」といった、社会のルールよりももっと深いところに存在するものだからです。

まただから、明治維新の時、遠く離れた欧米の人でも、日本の美術に感動することが出来たのです。日本人もまた欧米の音楽を聴いて感動したのです。
現代人でも、古代の人が洞窟の中に描いた絵を見て感動できるということは、「古代の人も現代人と共通したルールを持っていた」という証でもあるのです。

絵を描く場合、絵描きは「色のルール」「明暗のルール」「形のルール」「人の心のルール」「物語のルール」「空間のルール」などに従っています。私たちが知っているような「何が描いてあるか分かる絵」は、風景や人物や静物がそれらのルールに従って描かれています。
ミロやクレーのような、何が描いてあるのか意味不明な抽象画の場合は、その「ルールそのもの」で絵を描いています。だから、一見「子どもの絵」と似ていても、それらのルール無視して描く「子どもの絵」とは異なるのです。

そもそも、具象画と抽象画とでは「ルールの使い方」が違います。だからその「新しいルール」に不慣れな人には何が描いてあるのか分かりません。
それは同じ「ボール」を使っていてもバスケットとテニスが全く違うゲームのように見えるのと同じです。

柔道もボクシングも、それがなければ「スポーツ」ではなく「殺し合い」になってしまいます。

何をどのように描くのかは全く自由ですが、観る人の心に働きかけるように描くためには「絵画のルール」に従う必要があるのです。
まただから、そのルールに従った歌や絵画や踊りなどは、時代、文化を超えて人の心に響くのです。

そして、この理屈に従うのなら「子育て」や「教育」も「芸術」たり得るのではないでしょうか。実際、シュタイナー教育は「教育芸術」を自称しています。これは、芸術のことを教える「芸術教育」という意味ではありません。「芸術としての教育」という意味です。それは「ただ美しく」ということでもありません。
シュタイナー幼稚園が美しいものを大切にするのは「結果」であって「目的」ではありません。
ただし、私はただの「シュタイナー教育愛好家」であって、シュタイナー教育の専門家ではではないので、私の言うことは「私の理解では・・・」ということに過ぎません。そこの所はご理解下さい。

命のルール、自然のルール、心とからだのルールに従って表現されたものが「芸術」と呼ばれるのなら、同じように命のルール、自然のルール、心とからだのルールに従った子育てや教育も「芸術」になり得るのではないでしょうか。

それは、「子どもの成長に寄り添う子育てや教育」のことです。絵を描いたり、踊ったりしなくても芸術なんです。





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Last updated  2026.08.07 08:54:25
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