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小生は愛媛県の法善寺という小さな日蓮宗寺院の住職ですが、写真撮影が趣味で、かねてから、ふるさと北条風早の夕日は高知の宿毛や日本海にも勝ると思っておりました。いよいよ冬到来、北条風早でも「だるま夕日」の季節になりました。 小生撮影の写真第1弾、瀬戸内海に沈むだるま夕日「サンセットメモリー」の作品を添付します。これは一応有名な緑川洋一さん審査員による平成3年第4回瀬戸内海圏写真コンクールで入選した第1号の作品です。 私が日蓮宗の僧侶というわけではありませんが、何故か?太陽と蓮華の写真が好きで、毎年冬は地元立岩川の河口にて12月~2月の間だけ見えるダルマ夕日を撮るために、いつも自家用車にカメラは一台は積んでおき夕方の暇な時等には必ず通って撮影しています。この時は、日曜日でたまたま法橋海岸の浜辺にいたアベックをシルエットに落日を撮影していた処、沈む夕日の中に、走る漁帆船が偶然横切ったので、思わず夢中でシャッターを押したものです。「サンセットメモリー」1981年 (036-8543-8) 歌 : 杉村尚美 詞 : 竜真知子 曲 : 木森敏之 友人の池之内澄英さんも3年前からの膨大な夕日の貴重なデータ(だるま夕日情報日時&撮影ポイント)を今年の1月23日のNHK総合テレビの放映日からHPで一般公開されていますので、素晴らしいデジカメ写真と共にぜひご覧下さい。だるま夕日撮影顛末記地元道の駅風和里HPにて、第1・2回の作品をご参照の上、次回の『第3回風早だるま夕日フォトコンテスト』にぜひご参加トライして下さい。多くの皆さん方の色々な素晴らしい傑作を期待してます。11月30日立岩モンチッチ海岸ではもう少しでダルマ夕日になりそうでしたが、雲や船が邪魔をして完全なだるまにはなりませんでした。残念!立岩川河口では明日から1月14日までが期待できそうです。
2006年11月30日
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松山観光港HP28日松山観光港に海王丸のライトアップを撮影に行った帰りパルティフジ姫原店第2駐車場の近所一角全ての家々でクリスマスのイルミネーションが美しかったのでパチリ!あちこちイルミネーションが目立ち始めだんだんクリスマスムードに、これからいろんな光の競演が楽しみですね。σ(・_・)me
2006年11月29日
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海王丸、松山に初寄港。 世界最大級の練習帆船『海王丸』(2.556トン)が26日から29日朝までの予定で松山観光港に初寄港、高浜地区開港百年記念イベントの一環。「海の貴婦人」と称されている『海王丸』は全長110メートル、メーンマストは海面から高さ50メートル。日没と同時に393個のイルミネーションが一斉に点灯、美しい光が海面に映り幻想的な雰囲気を演出して、沢山の見物客で大いに賑わっていました。 海王丸HP【海王丸に乾杯】偶々ワイングラスで海王丸を撮影されていた初対面のカメラマン武田さん、声を掛けましたらご好意で小生もトライ出来ました。小さなグラスの中に大きな海王丸が見事に入って驚きました。
2006年11月28日
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【四天王像壁画】今年の秋、大島住職の友人画家が作画して奉納された。庫裡より本堂に至る回廊の壁面全体に描かれていました。左より、北方毘沙門天王・西方廣目天王 ・南方増長天王・東方持国天王像 将来必ず法然寺さんの名物・寺宝になるようなとても迫力のある素晴らしい画像でありました。
2006年11月27日
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法然寺東山門本弘山 清涼院 法然寺(浄土宗鎮西派) 本尊、阿弥陀佛 ・ 脇佛、勢至菩薩 ・ 観音菩薩[沿革]慶長年間(1596~1615)伯耆の国(鳥取県)の僧宗哲和尚が四国行脚の途中、当地本弘の郷(御鉾・現在の栄町)に庵を結んだのが始まりという。この地名を取り本弘山と称した。その後火災に遭い新町に再建したが再度の火災により文化4年(1807)現在地に移った。今年が丁度開創400年という。 本堂南に 「 春もやや 景色ととのふ 月と梅 」 芭蕉の句碑明治4年に建てられたものである。【風早第32号より】転載
2006年11月26日
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11月24日(金)午後4時より、北条寺院総代会(旧北条市内の15ヶ寺住職&総代)の定期総会が、浄土宗法然寺(大島浩揮住職)において開催された。本堂にて各寺住職と各総代2名の参加者45名にて法味言上、 法要の後、大島住職よりの記念法話が約30分間行われた。 先ず最初に開創400年になる法然寺の縁起から仏教の基本である『四苦八苦』のお話があった。生・老・病・死、四苦の他に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を合わせてこの八苦が我々人生を生まれた時から支配していますが、こういう歌がありますね。『誰よりも君を愛す』 吉田 正 作曲 ・ 松尾和子&和田弘とマヒナスターズ 唄♪ 「 愛した時から 苦しみがはじまる 愛された時から 別れが待っている あゝそれでもなお 生命かけて 誰よりも 誰よりも 君を愛す 」 ♪ 川内康範 作詞 これは愛別離苦の歌ですよ。この歌の良い所は あゝそれでもなお苦しいから止めたと言うのではなく、それでもなお頑張って行こう!誰よりも なお自分の仕事や人生に生命かけて 人生は苦であると諦める。そこからスタートするのが仏教のお悟りの一つであります・・ 法話の後庫裡に会場移動して18年度北条寺院総代会総会が清水隆弘会長(蓮生寺総代)座長のもとに開催され、平成17年度の事業報告や8日共催された仏教文化講演会の報告と、会計・監査報告に続いて来年度研修旅行の候補地として比叡山(一泊)の計画や次期総会会場として(黄檗宗雲門寺)が決定された。最後に寺院総代会副会長渡部平八郎氏(法善寺筆頭総代)挨拶で閉会,懇親となった。
2006年11月25日
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第2回北条商工文化祭、平成18年11月23日10:30より勤労感謝の日、松山市に合併して今年で二回目の松山文化協会・北条ブロック芸能発表会が北条市民会館大ホールで開催された。三味線・風早会「 思い出、三題 」越智典佳先生他、長女の高校二年生村口三佳子(左端)が参加北条コーラス愛好会「 地上の星 & マイウェイ 」北条おかあさん クラボウ&ゴールデンコーラス(三原先生指揮)発表家内の母・高松満野(中央)さんも参加 ラストステージは民謡風早会による「日本の民謡」のメドレーで伊予民謡研究会鹿島等大勢の皆さん踊りに加わり会場全体で競演越智典佳先生他、長女の三佳子(2列目中央三味線の左端) 生憎の風雨でしたが、大勢の市民の皆さんが14ステージにわたり参加、盛大裡に無事終了後15時よりはお楽しみ大抽選会も有り、一日中色々な出店も賑わって産業文化祭を大いに楽しんでました。
2006年11月24日
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21日の夕方、今治城の撮影をしていましたら、以前に我が法善寺本堂&清正公堂修復工事をして戴いた世良仏壇店さんの吹上店が今治城の東正面にオープンされていたのを偶然初めて知りました。 懐かしくて店に入って買い物をしていると、世良美和社長さんより当日偶々入荷したばかりの浅井亮然先生作の「お地蔵さん」の絵画額を頂戴しました。有難うございました。合掌。世良仏壇店さんのHP浅井 亮然 先生 プロフィール本名 浅井 亮吉 (昭和11年5月生まれ)東京都豊島区で生まれて、現在は九州福岡県大牟田市にて呉服商を営みながら、趣味で始めた「お地蔵さん」の絵画を描いておられます。曹洞宗僧侶の得度を受け、僧籍名は亮然とも言われるそうです。又、絵画でお布施をするという意味で「絵布施 亮」や猫などの絵には「駄洒落や」という雅号も使っておられます。とても優しいお顔の素晴らしいお地蔵さんですね。
2006年11月23日
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21日夕方素晴らしい天気でしたので法徳寺さんの帰りに久しぶりに今治城(いまばりじょう)別名『吹上城』に寄りました。 1602年(慶長7)藤堂高虎によって築城開始され1604年(慶長9)に完成した。普請奉行として渡辺勘兵衛の名が知られる。今治城完成以前の今治の支配拠点は唐子山山頂にあった国府城であったが、より能率的な都市経営を目指すため築城された。構造は三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。日本三大水城の一つに数えられています。
2006年11月22日
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2日目の21日は午前中に西条市妙昌寺と本妙寺を参詣されて朝倉のタオル美術館を見学&中華点心で昼食後に今治市法徳寺へ小生も記念写真を持参して、大太鼓を叩いて法味言上のお手伝い。法要後檀信徒丹精のお茶を頂きながら住職太田智健上人の法話、身延山大学時代秋葉上人に行学寮寮監として大変お世話になったご縁から今回団参が実現した有り難い不思議な経緯とお題目を共に広める大切さを優しく懸命に説かれた。一同手を振ってのお見送り。5ケ寺目の巡拝後は今治国際ホテルに宿泊、22日は朝9時半より同市法華寺(住職讃岐大玄上人)を最後にお参りしてしまなみ海道の島々を巡り多々良公園・平山郁夫美術館や瀬戸田すいぐん丸等を観光、広島空港から羽田空港を経て22時樹林寺様に帰山の予定。
2006年11月21日
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20日東京大田区久が原の長照山樹林寺(住職秋葉真敬上人)一行31名の皆さんが当法善寺を午後2時頃ご参拝をされました。今回は四国愛媛県寺院6ヶ寺の団参で早朝羽田空港から松山空港へ午前中は先ず松山の妙清寺さんへ参詣をされ、全日空ホテルで洋食バイキングで昼食後、当山を訪問されました。秋葉上人は身延山学園の大先輩でしかも小生が昭和52年布教研修所では何故かご縁が有って同期で半年間お世話になった恩人です。又同行の小川光治上人は今年の6月25日からの日蓮宗第11次訪中団参でご一緒して戴いた方で本堂で法味言上の際に熱心な檀信徒の皆さん方と共に今回表装し新たにお祀り出来た素晴らしい鳩摩羅什三蔵法師の拓本画像を初めて拝んで頂きました。羅什様のお顔が心なしか微笑んでおられました。約20分間、羅什さんと光定のお話をさせて頂いた後に当山安置の辻説法日蓮聖人銅像の前で参加者一同と四国への訪問の記念写真となりました。明日下記の如くリス文字を入れ焼増し皆さんに早速お届けします。当山参詣後は新装なった松山城を観光され道後温泉椿館に宿泊。翌2日目の21日は午前中に西条市妙昌寺と本妙寺を参詣されて朝倉のタオル美術館を見学&中華点心で昼食後に今治市法徳寺へ3ケ寺の巡拝の予定だそうで、ご一行の道中安全と2泊3日の間どうか良いお天気が続きますよう心より祈り上げました。
2006年11月20日
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2006年11月19日
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2006年11月18日
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2006年11月17日
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9月26日西安草堂寺で戴いた『鳩摩羅什三蔵法師像拓本』の表装がお会式前日に出来上がって来ましたので本堂にお祀りしました。
2006年11月16日
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【宗祖日蓮大聖人御入滅涅槃図】弘安五(1285)年10月13日遷化、聖壽61歳
2006年11月16日
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2006年11月13日
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【臨 滅 度 時 の 鐘】 建長五(1253)年4月28日初めてお題目をお唱えになってから流罪・死罪にもおよぶ大難四ケ度、更には無数の小難を受けながらも私達にお題目の信仰を示され獅子奮迅のご活躍をなさったお祖師様日蓮聖人は今から725年の昔、弘安5(1282)年10月13日辰の刻午前8時頃、東京の池上宗仲邸の一室で弟子や信者に見守られながら安らかに御入滅なされました。御歳61歳であられました。 その時伝えによれば、13日の朝、にわかに大地が震動、高弟の日昭上人は、この大地の震動をもってご臨終の迫れることを感じ小鐘を打ち鳴らして全山の大衆に御入滅を告げたといわれます。 翌14日はご葬儀、15日に池上で荼毘(火葬)の式をあげ、「墓は身延に立てよ」というご遺命によって、身延山のご聖骨をお納めお弟子が輪番によってお護りしてきたわけです。それ以来、毎年日蓮聖人のご命日には弟子信者たちが法要を営み、報恩の儀式をあげてきましたが、ご命日やその前後つまりお逮夜の法要儀式を現在ではもっぱら「お会式」(おえしき)と呼んでいます。 ご正当の日には、東京池上本門寺で、最も盛大にお会式が営まれますが、全国各地の日蓮宗寺院においても、この10月12日を中心として、近隣の寺院教会と差し合わぬように日を定めて行われます。当山では、月遅れの11月12日午後3時より、このご報恩お会式法要を厳修いたします。 【さ く ら の 意 義 】 お会式といえば、まずご宝前の桜の造花が目にうつります。このさくらでありますが、古来「会式さくら」と呼ばれております。これは日蓮聖人の臨終の時、秋だというのに時ならずも桜の花がおごそかに香り開いたという言い伝えによるもので、当山でも吉野紙でさくらの造花を作ってお飾りし、ご参詣の皆様方にもお配りしているのは、このような由緒があったわけです。 なお日蓮聖人ご誕生の砌には寒い2月16日、庭の池泉に蓮華が咲き乱れた為、蓮華に生れ桜に送られたご生涯を「蓮生桜滅」(れんしょうおうめつ)とも申し上げます。さてこの桜は「花のいのちは短くて」をそのまま示す。散り去る限りある人生をよく象徴するものであります。日蓮聖人は現実浄化(蓮)の願いに生き、しかも限りある人生(桜)をはっきりと教示せられたのであります。人間は限り有る人生を、使命を果すべく生きている。いや生かされているのであるということを忘れてはならないのです。日本人の魂のシンボルとして、清く正しく美しく、しかも淡々といさぎよく散る桜の花。実に桜の教えるものは今日現実を全力をあげて、世のため人のために尽して生きる法華経の精神を余すところなく示しているのではないでしょうか。いうまでもなく、日蓮聖人は私達を導く大導師であられます。何はさておいても、報恩感謝の心を捧げるお題目を唱えて、日蓮聖人「お会式」をお迎え致しましょう。どうぞお誘い合わせご参詣下さい。 合 掌
2006年11月12日
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ご 案 内 合 掌、本年のお会式(えしき)は宗祖日蓮大聖人ご入滅第七百二十五遠忌、第725回目のご法事です。 今は亡きご先祖の方々も、大聖人のもとにおられます。その大地があってこそ、私達の人生が、開花しているのであります。 したがって、大聖人へのおつとめ、ご報恩給仕の誠を忘れては、私たちの先祖の冥福もなければ、子孫の繁栄も家運の長久もありません。平成15年から下記の通り二部に分けお会式を営なむようになりましたのでご多忙中殊に農繁期等の折り乍ら、誠に恐れ入りますが万障お繰り合わせの上、何卒ご参詣お焼香を賜わりますようご案内を申し上げます。 再 拝 ───── 下 記 ─────来る11月12日(日)午後3時より(昼の部) ◎宗 祖 日 蓮 大 聖 人 ご 報 恩 お 会 式 法 要一、式中、法善寺檀信徒により 日蓮大聖人ご一代法華和讃の奉詠一、法要後のお会式法話、愛媛県新専任布教師『 生活の心 』午後7時より(夜の部) 万 灯&和 讃 &銅 像 供 養 ◎新 佛 様(昨年お会式以降に亡くなった方々)の諷 誦 回 向一、併せて、檀信徒中 各家先祖代々霊位のご回向の後に、 平成14年建立した宗祖日蓮大聖人鎌倉説法御尊像(一丈)台座 の中に新仏様の白木位牌とお題目写経の追加奉納をいたします。法善寺檀信徒各位殿 本妙山 法善寺
2006年11月11日
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一昨日は北条ふるさと館での光定和尚の顕彰法要&講演会が無事終了後、道後温泉KKRゆづきにて即真大僧正と松山の天台宗のご寺院と北条仏教会会員との夕食懇親会で、今回の有り難い光定さんとご縁で楽しい語らいの後森岡会長と宿泊。 翌朝食後、松山城二之丸庭園と秋山好古・眞之兄弟の生家へ即真先生をご案内してから子規記念博物館までお送りした。 9日12時からは松山地区保護司会北条分区の一日研修旅行愛媛県松山市に本社を持つビージョイグループと秋田のわらび座が共同出資し地域拠点型劇場「坊っちゃん劇場」(東温市)へマイクロバスで25名と刑務所の視察を兼ねて旅行しました。 この「坊っちゃん劇場」は東温市見奈良(みなら)のレスパスシティ内に建設され、2006年4月22日にオープンしました。レスパスシティは約40店舗が入るショッピングセンター、利楽温泉、ケアハウス、パークゴルフ場などが立ち並ぶ複合商業巨大施設。 その一角に建てられた「坊っちゃん劇場」は鉄筋一部4階建で、ステージは幅14.5m、奥行き11m。客席は450席で、観客との一体感を大事にした本格的なミュージカル上演劇場です。年間300回のロングラン公演。わらび座にとっては、秋田県のわらび劇場と共に、今年は夏目漱石の小説「坊っちゃん」が誕生して100周年。それを記念しまして西の拠点劇場を持つことになりました。先ず第1作目としてミュージカル「坊っちゃん!」をジェームス三木氏脚本・演出で上演していました。以前から一度訪れたかった所でしたが、想像以上に建物が立派で2時から90分間の公演を堪能した。「面白かった」「微笑ましく笑えたよ」ってのが感想です。マドンナさんの♪なぜ?私 ここにいるの… 皆さんで最後に歌う♪これが人生ってメロディーが耳に残った素晴らしい好演でした。来年4月7日からは第2弾作品「我が輩は狸である」が上演予定。坊っちゃん劇場オフィシャルHP
2006年11月10日
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『 忘 己 利 他 』(ぼうこりた) きのう北条仏教会主催「仏教講演会」が、好天にも恵まれ「ふるさと館」に於いて盛会無事終了しました。聴衆300名。演題は「忘己利他」己を忘れて他を利する 。講師は比叡山延暦寺薬樹院住職、即真大僧正様。どうもお疲れ様でした。 舞台中央には別当大師座像の祭壇が設けられ、修復なったわが寺の座像が出開帳とあいなりました。講演に先立って大僧正が「別当大師光定顕彰法要」の導師をお勤めになりました。 聴衆全員の般若心経の唱和、唱え奉る「讃仰の御和讃」、次第に講演に対し期待が高まる、とても素晴らしい法要でした。 偉大なるふるさとの先人は、たくさんおられますが、古人に思いを馳せ英知をいただくことは大切です。思うから思われ、生かすから生かされ、余得としてお蔭をいただけることになります。愛媛県も松山市も、自分たちの歴史に対して正直でなければならない。夏目漱石の「坊ちゃん」も結構、司馬遼太郎の「坂の上の雲」もよしとするが、郷里の偉人「別当大師」の果たした貢献は、はかり知れなく大きかったことを知らねばなりません。平安の世に日本の国作り、日本人の「心」を開発し高める「礎」でありました。 愛媛県人特有の謙虚さが、縁の下の力持ちに終始させ、今日にいたっていますが、これからは大師の責任ではありません。我々に本物を見極める力が授かれば、大師の身旨を仰ぐことが可能です。( 2006年11月09日記)医座寺ご住職ブログへ 医座寺熊澤芳祐上人の光定和尚に対する熱意と即真大僧正を始めとする天台宗ご寺院の皆様のご厚意により、別当大師の顕彰の端緒である大事な法要をお勤めし、又当日定員300人丁度の大勢の北条以外からも沢山の皆さん方のご参集をいただき、盛会裡に法要&講演会を無事円成することが出来ました。色々とご配慮を賜り、誠に有り難うございました。合掌 2008年8月10日には光定和尚の1150御遠忌だそうで今回の法要がゴールではなく、色々な形で更に光定さんを顕彰してゆきたいと願っております。将来NHK「その時歴史が動いた」で是非採り上げて頂ければ光定さんのご遺徳を愛媛松山北条の皆さんだけに止まらず、多くの日本人にも紹介され『傳述一心戒文』の「我が為に仏を作るなかれ。我が為に経を写すことなかれ。我が志を述べよ。」との文の如く、釈尊・伝教大師・光定和尚のお志を少しでも述べ伝え弘めて参りたいものです。 北条仏教会事務局長 法善寺小住 村口泰則 再拝
2006年11月09日
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平成18年度 北条仏教文化講演会式次第 1、開 会 司 会 2、別当大師光定和尚 顕彰法要 大導師、即真大僧正、脇導師 熊澤上人・森岡会長 ( 開経偈・般若心経・讃迎和讃・回向 ) 3、贈 呈 式 援護施設 北 条 育 成 園 4、主催者挨拶 北条仏教会々長 森岡 文雄 5、講師紹介 々 副会長 藤田 俊幸 6、講 演 講師 天台宗総本山延暦寺福聚会総本部主査 比叡山「薬樹院」住職 即 真 大僧正 演 題 『 忘 己 利 他(ぼうこりた)』 7、謝 辞 北条寺院総代会長 清水 隆弘 8、閉 会 以 上北条仏教講演会(花へんろ第一番札所鎌大師HPから)この8日に北条・ふるさと館に於きまして、恒例の仏教講演会が開かれました。今回は、北条出身の偉大な高僧・別当大師光定和尚さまの顕彰法要も兼ねまして、比叡山・薬樹院ご住職・つくまそんのう大僧正さまに、『亡己利他(ぼうこりた)』と題しまして、ご講演を賜りました。 顕彰法要に際しましては、中央につくま大僧正さま、向こう側には、医座寺ご住職・熊沢和尚さま、手前側には、蓮生寺ご住職・森岡和尚(北条仏教会会長)さまにより執り行われました。 講演に際しましては、はじめ別当大師・光定和尚に関するご紹介、生い立ち等を詳細にご説明いただき、その後、自分を忘れ、他人に尽くせ!という『亡己利他』のご説明がありました。 私を始めとして、最近の方々は、『亡己利他』ではなく、『亡他利己』となっている!という戒めの様なお言葉があり、再度自分達の行いを反省するものでありました。花へんろ第一番札所鎌大師HPから
2006年11月08日
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別当大師光定讃仰御和讃 比叡山延暦寺の即真大僧正から、「別当大師光定讃仰のご和讃」(愚僧が5年前作詞)の作曲テープが完成贈られてきました。幽玄の世界に誘われる緩やかな調べは、法灯連綿1200年歴史豊かな延暦寺、「別当大師」の偉大さが偲ばれます。讃仰和讃の完成は喜ばしい限りです。より多くの「縁」ある人々に、「別当大師」を思い出して頂きたいものです。 「別当大師」は1200年の昔平安の世にあって、最澄のもと天台宗の基礎を確立した偉大な法師でした。「四国・愛媛・松山市」出身ですが、産土の故郷の人々はまだこのことを思い出さずにおります。 来る11月8日(水)ふるさと館(北条)において、仏教講演会が開催されます。このことは15日にもふれましたが、延暦寺から講師が見えます。このとき「別当大師光定顕彰法要」が執り行われます。完成した曲に合わせて「讃仰の和讃」も唱えられます。作曲が間に合い「光定」の故郷風早での発表が、本邦初公開となることに意義を感じます。日本古来の宗教音楽「声明(しょうみょう)」に端を発する詠歌や和讃には、心を洗い癒す術が込められています。 (2006年10月30日の記事)より医座寺ご住職の独り言ブログ【別当大師光定讃仰のご和讃】一、四国は伊予の風早(かざはや)に 夢のお告げの白蓮華 悲恩の慈母(はは)のご懐妊 法師光定産の声二、幼き頃に二親の 無常に遭うは哀しけれ 山岳修験苦行卒(お)え 大徳尋ね奈良・京都三、北嶺仰げば法(のり)の山 瑠璃光招く霊山(りょうぜん)ぞ 不惜心命(ふしゃくしんみょう)誓うれば 拈華微笑(ねんげみしょう)の祖師最澄(おそしさま)四、顕・密極める弟子となり 論(ろん)・湿(しつ)・寒(かん)・貧(ぴん) 鷲の峰 嵯峨天皇の御代なるぞ 眼下に拡がる琵琶の湖(うみ)五、弘仁十有三年の春 病躯を押しておん祖師は 大乗戒壇建立の 大願成就を命ぜらる 六、桓武天皇国忌(こっき)の日 祖師の悲願を胸に秘め 命を捨つる覚悟持て 天皇(みかど)に請い希(ねがい)いける七、おん祖師入定(にゅうじょう)七日後に 勅許の報(しらせ)せ 馳せ来る 慟哭(どうこく)の叡山(やま)に光り差し 天台宗(たいもん)の基礎定まれり八、一切皆成仏の為 浄仏国土の建設を 己を忘れ他を利する 菩薩の僧侶(そう)を養成す九、上奏「伝述一心戒文(いっしんかいもん)」は 法灯護持の 香気満つ 嵯峨天皇に賜りし 乞食袋ご戒牒(かいちょう)十、天皇(みかど)の寵愛揺るぎなく 止観の聖僧(ひじり)と 持て成され 傘寿(さんじゅ)を祝して朝廷の 重き恩賞に感涙(なみだ)する十一、巡るは邂逅(であい)知遇の日々(ひ) 勇猛(ゆうみょう)精進 五十年 名声比叡山(やま)に留まらず 別当大師と讃えらる十二、根本中堂(ちゅうどう)近き八部院 別離(わかれ)の雲の 立ち籠めて 祖師最澄(おんそし)御座(おわす)す都卒天 南無や別当大師光定(べっとうだいし)さま 平成14年4月 釈迦誕生の佳日 作詞 医座寺 芳裕 11月8日法要に上記讃迎和讃の内(一・八・十一)が奉納されます。
2006年11月06日
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別当大師光定(779~858)我が里山に戦国時代の城跡がある。その昔「医座山城」と呼ばれたそうだ。あまり高くはないが、眼下に北条や鹿島が見下ろせて、気分をリフレッシュさせるには格好のスポットになっている。 北条は2005年1月松山市と合併した。まことに古い話だが、平安の世にここは風早郡(かざはやごおり)と呼ばれていた。風早出身の「光定(こうじょう)」は比叡山延暦寺を開創した最澄に仕え、真言宗の開祖空海にも学んだ。時の帝であった嵯峨天皇には寵(ちょう)を得て、京の都において縦横無尽の活躍をした。 後々には、長年の功労をたたえられて「別当大師」と親しまれた。歴史に名を連ねる円仁や円珍はおとうと弟子にあたる。光定は彼らを中国に留学させた。現在の価値で数千万円の仕送りを続けた。遣唐使船で運んだ貴重な金子を大陸で持ち逃げされたこともあった。光定の残した文書の中に、最澄の言葉として「怨みを以て怨みに報ゆれば怨み止まず、徳を以て怨みに報ゆれば怨みたちまち尽く」が挙げられる。千二百年の時を経て考えさせられる言葉であることと、愛媛県史随一に掲げねばならない「光定」の偉大な活躍が産土(うぶすな)の古里北条から忘れ去られていることを悲しく思う県民の一人である。没後千百五十年が近い。 医座寺 住職 熊澤 芳裕 合掌仏教講演会 来る11月8日(水)午後、ふるさと館(北条)で、北条仏教会恒例の仏教講演会が開催されます。講師は、天台宗比叡山延暦寺、薬樹院住職、即真(つくま)大僧正です。「演題は忘己利他(ぼうこりた)」 忘己利他とは、自分のことは二の次にしての意ですが、おおむね「別当大師光定」(べっとうだいしこうじょう)のお話に終始するはずです。 「光定」は、古くは「風早郡」(かざはやごおり)の出身。平安時代の仏教史に輝く足跡を残し、愛媛県史最大の偉人でありますが、故郷である北条ではあまりにも知られていないのが現状であります。 「光定は比叡山延暦寺を開いた最澄の弟子となり真言宗の空海にも学び、時の帝であられた嵯峨天皇に寵を得て、天台宗比叡山延暦寺の磐石を築き、「別当大師」と称えられ、鎌倉時代の祖師方誕生にも大きな影響を与えました。 1200年を経た現在、郷土の偉人に再度光をあて、多くを学びたいと願うのです。このままでは誠に申し訳がない。その思いが通じて、この度の講演会となりました。北条において、天台宗比叡山延暦寺の住職が講演するのは初めてのケースです。北条仏教会会長蓮生寺住職森岡文雄師、事務局長の法善寺住職村口泰則師の尽力がありました。 昨年3月天台宗四国教区寺院檀信徒が協力して浄財を募り延暦寺に等身大「別当大師光定尊像」(木彫座像 厨子付)を奉安させて頂き、続いて、天台四国仏青が、越智通敏氏(故人)著「法師光定」の再版なり「光定」の名が全国に知られはじめたことは、関係者のひとりとして、とても喜ばしいことと思っております。 来る平成20年「別当大師光定」は、没後1,150年を迎えますので、尚更講演会の盛会を期待したいと思います。 (2006年10月15日の記事)医座寺ご住職の独り言ブログより
2006年11月05日
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別当大師光定(べっとうだいしこうじょう)~愛媛出身の偉大な天台僧~ 別当大師光定和尚(779-858)は,奈良時代の終わりのころ、伊予国風早郡(現在の愛媛県北条市、松山市北部の地域)に誕生されました。 平安時代の初期、比叡山の伝教大師最澄(766-822)の弟子となり、「大乗戒壇」の公認と建立に努力され活躍された方です。漢文を書けば非常にすぐれていて、嵯峨天皇より寵愛も受けました。 宗祖ご入滅の後は、36年間にわたり、天台座主不在の18年間を含め慈覚大師円仁の中国修学を助け、日本天台宗の経営と維持に生涯を尽くされた高僧で、天台宗の歴史上、忘れてはならない方です。比叡山延暦寺の総別当に任命されたので、別当大師という「おくりな(諡)」があります。比叡山の大黒さんとしても信仰され、『伝述一心戒文』という重要な書物を残されました。 光定さんは当時としては非常に珍しく、80歳の高齢で入寂されました。お墓は、尊敬して止まなかった伝教大師のご廟所(比叡山浄土院)の隣に、寄り添うようにして現在もあります。 〔四国天台仏青光定HP記事へ〕
2006年11月04日
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【別当大師光定】京都を歩くコラム8月23日号 延暦寺東塔の大講堂は法華大会など延暦寺の重要な儀式や法要が執り行われる道場です。その堂内には日本仏教の祖ともいえる聖徳太子、最澄のスポンサー的存在であった桓武天皇、そのほか天台宗の高僧や比叡山で学んだ各宗派の開祖たちの彫像がまつられています。順を追って見ていくことで日本の仏教史をひとめで見渡すことができます。 最近、これらの肖像に光定というお坊さんの木像が加わりました。まだ新しくて木の香りが匂ってくるような木像です。この光定という人は最澄の右腕的存在でした。最澄は生前、大乗戒壇院を比叡山に設けることを生涯の目標に掲げていました。戒壇院とは僧侶に戒律を与える場所のことで、当時は戒律を受けてはじめて国家公認の僧侶として認められる仕組みになっていました。すでに日本には戒壇院が3カ所あったのですが、これに加えて比叡山にも戒壇院を設けることは奈良を中心とする既存の仏教に対して最澄率いる天台宗が独立することを意味しています。最澄はいろいろと朝廷に働きかけていたようですが、ついに認められることなくこの世を去りました。最澄の遺志を引き継いだ光定が奔走することによって、ようやく戒壇院の設置が認められました。最澄の死からわずか一週間後のことだったと言います。 また光定は延暦寺と天台宗の経営に力をそそぎ、また教団内の逸材であった円仁の中国留学に尽力しました。最澄亡き後の延暦寺を支え続け80歳の高齢でこの世を去りました。彼は延暦寺の総別当の地位についたものの天台宗の最高位である天台座主にはなりませんでした。死後別当大師とおくりなされました。自らの栄達を求めるよりも他者のためにあった生涯といえるでしょう。天台宗に「忘己利他」という教えがありますが、“おのれを忘れて他を利する”という言葉どうり実践したのが光定の人生でした。 彼のお墓は今も最澄の廟所である浄土院から少し離れた山中にあります。観光客がとうてい訪れるとは思えない辺鄙な場所にありますが、真新しいサカキが備えられていたのが印象的でした。浄土院に比べると小さく質素な建物ですが、木造の建物が廟所に建てられているのは比叡山内では他に伝教大師最澄、慈恵大師良源ぐらいのものです。そのことからも比叡山の僧侶たちの別当大師光定へ寄せる思いがなみなみならぬものであったことがうかがわれます。朝日放送京都BB(8月23日号)よりの引用
2006年11月03日
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比叡山横川定光院日蓮聖人銅像前にて法善寺参拝団一同2006年4月25日 平成18年4月比叡山横川の定光院に団参、昨年10月19日に落慶した真新しい本堂にて法味言上、その後今年開宗1200年を迎えた延暦寺へ、日蓮聖人始め各宗の宗祖が祀られている大講堂に昨年愛媛から奉納された別当大師光定師の木像を訪れました。 この別当大師光定和尚(779ー858)は奈良時代の終わりの頃、伊予国風早郡(愛媛県松山市)に誕生されました。平安時代の初期伝教大師最澄の弟子となり「大乗戒壇」の公認と建立に努力され活躍された方です。最澄入滅の後36年間にわたり、天台座主不在の18年間を含め、慈覚大師円仁の中国修学を助け、日本天台宗の経営と維持に生涯を尽くされた高僧で、比叡山延暦寺の総別当に任命されたので別当大師という(おくりな)や大黒さんと呼ばれ信仰され、もしこの方がおられなかったら天台宗はなく鎌倉新仏教も存在しません。『伝述一心戒文』も残されましたが、日蓮大聖人は比叡山12年にもわたる籠山行中「我が為に仏を作るなかれ。我が為に経を写すことなかれ。我が志を述べよ。」との文に出会われ、立教開宗の契機とされました。我々も釈尊・伝教大師・宗祖の志を述べ伝えて参りましょう。日蓮宗愛媛県布教師会長 村口 泰則(法善寺住職)※日蓮宗新聞7月10日号1P「一口説法」より
2006年11月02日
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