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2025.03.29
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カテゴリ: 報徳の歌
「報徳の歌ー二宮尊徳道歌から学ぶー」小関栄著 
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7 推譲の歌 (111頁)

餌(え)を運ぶ親のなさけの羽音には 目をあかぬ子も口をあくなり

この歌は愛情を詠んだもので「慈悲」という題名がついています。

この歌のポイントは「親のなさけ」です。
親子の愛は仏の慈悲とも感じられ、これをこの歌の題をしているのです。


餌(え)を運ぶ 親のなさけの 羽音には 
目をあかぬ子も 口を開くなり


これは親の慈悲の歌である。

尊徳先生は、父利右右衛門35、母よし21のときの長男である。
4歳のとき、弟友吉が生まれ、13歳のとき、末弟の富次郎が生まれた。
家は小田原栢山地区の中堅の農家だったが、先生5歳のとき8月5日の暴風雨により酒匂(さかわ)川が決壊し、田畑は一面に石や泥だらけになった。

金次郎は父にかわって川の堤防工事に出たり、わらじを作ってはそれを売ったわずかな金で病に伏せっていた父に酒を買ってきて喜ばれた。
親の喜びは自分の喜びであるということを身をもって体験されたのである。
もはや父の病の薬代さえ払えず、父は残った田を売り払い、医者への謝礼とした。しかし医者は受けずようやく半金だけ受け取らせて残り半金を生計のたしにできると喜んで帰ってきた。
金次郎は父を気遣って家の門口で父の帰りを待っていた。
父が医者の慈愛のある言葉を喜んで、顔に笑みを浮かべて舞うように喜んで帰ってくる。
「お父さん、どういうわけでそんなにも喜んでおられるのですか」と問うた。
父は、医者の慈愛のこもった言葉はこのようであったと話した。
「私はおまえたちをこれで養育することができる。喜びにたえない」
後年、尊徳先生は門弟たちに夜話されるとき、親の慈愛を思って涙を流されて語られたのであった。

金次郎が10歳、友吉が7歳の頃である。
母の実家の曾我別所の川久保家で法事があり、供養に招かれた。
父が病気のため伏せっていた。
母は貧乏のため、ボロの着物しかなかったが、二人の子どもを連れて出かけた。
「今日はほとけ様(亡き父親)の正客なのですよ」
お坊さんが来て読経をして、縁者が皆来合わせて焼香をした。
法事も終わって、本膳となり懇談することとなる。
ところが、他の者は当主太兵衛(よしの兄)の挨拶にしたがって、それぞれ膳についた。
しかし、母にはなんの言葉もなく、台所で普段使っている薄汚れた膳で食事をさせたのであった。母は悔しさと恥ずかしさで胸がはりさけんばかりであった。
母は食事を終え、墓参りをすますと、挨拶もそこそこにいとまごいして帰路についた。
「いくら貧乏でまともな着物でないからいって、実家の仕打ちはあんまりだ」不機嫌になって顔色も悪かった。
金次郎はそんな母をきづかって、母に問うた。
「母さん、おかげんがわるうございますか。」
「お前は何事にも父さんや母さんのことをよく心配してくれるねえ。喜ばしい。 何も悪いところはないよ。心配しなくて大丈夫だよ。」
「それでも母さんのお顔の色が悪いですよ。
 母さん、今日、わたしにはわからないことがございます。
 母さんは曾我へまいるときは、仏さまにとって正客だとおっしゃったのに、ほかのお客様は和尚さま同様に本膳でお座敷でした。
 母さんは台所で普段使っているお膳でしたが、どういうわけでしょうか。」
 母は胸も張り裂けそうな思いから、顔を横にそむけ、涙を流して、しばらく言葉もなかった。
 しばらくしてから「お前は子どもなんだからそんなことは聞かなくてもいいよ」
「わたしにはわかりませんからお教えください」
「あれは私の身勝手で、父さんは病気だし、友吉は小さい。早く帰りたい。でも皆さんとご一緒だとうちへ帰るのが遅くなるからだよ。」
「母さん、そうではありますまい。皆さんとずいぶん違いました。私は曾我が悪いと思います。」
 母は返答に困って涙を流すばかり。
金次郎はこれを見て謝った。
すると母が「病気のお父さんのお耳に入れてはいけないよ」と念押しした上で金次郎と友吉こう言い聞かせたのであった。
二人ともよく聞いておくれ。
 父さんの病気がちはもとはといえば、酒匂川の堤が破れて田地が流されてのこと。
 不幸が重なり、何の貯えもなく、貧乏して親類の世話になり、何事も心にかなわず、馬鹿にされている。
 これは親類が悪いのではない。こちらが悪い。人を恵むものなど世間にはまれだ。
 母さんが生まれた里でも肩身がせまくて残念だけれども、これも不運でしかたがない。
 何もしらないお前たちにまでこんなことを聞かせ、苦労させるのは親の恥だけれども、こういう困窮の家で親子となるのもなにかの因縁だ。親の未熟とあきらめておくれ。
 」

 涙ながらの母の言葉に、金次郎も胸いっぱいになり、やや久しくしてきっと唇に決意をこめてこう言った。
母さん、よく分かりました。父さん、母さんきっと長生きしてください。
 わたしが成人したらよく精出して働いて父さん母さんをきっと楽にして安心させます。
 」
 母はこの言葉に機嫌を直し、
「まだ、年もいかないのによくそう言ってくれた。」
と二人の子どもの手をしっかり握り締めてから、三人手をとって、楽しくうれしく父が待っている家へ帰ったのであった。

これが、おそらく二宮金次郎の願の原点である。
この父、母の慈愛あればこそである。





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最終更新日  2025.03.29 07:00:14


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