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2025.03.29
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カテゴリ: 坐禅
青山俊董老師「今、ここから始めよう」(2013年12月)207-212頁
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インドに立ち、釈尊の声を聞く

近代の聖人たちが差別撤廃に努力した地で

13日間にわたる仏跡巡拝の最後、パトナより空路、西インド・デカン高原の北、ムンバイ(ボンベイ)を訪ねた。

この町でガンジーが、人種差別法令の撤廃に努力し、無抵抗、非服従によるインド独立運動に生涯をかけ、凶漢に殺され、人々はマハトマとその徳を慕ったことを。同じくこの町の不可触民出身のアンペドカル博士のことを。

アンペドカル博士
インドの不可触民解放運動の指導者。不可触民(ダリト)の分離選挙を主張してガンディーと対立した。ヒンドゥー教を差別の根源にあるとして捨てて、仏教に改宗した。インド独立後、1950年に制定されたインド憲法を起草した。

ビームラーオ=アンベードカル(Bhimrao Ramji Ambedkar 1891~1956)はインド中・西部のマハールという不可触民のコミュニティに生まれ、刻苦勉励して、コロンビア大学とロンドン大学の博士号を及び弁護士資格を取得した。幼いときからヒンドゥー教徒からの差別を感じて育った。1920年代後半から不可触民に対する差別に反対する運動が政治問題化したが、アンベードカルはその指導者となり、ガンディーなどのヒンドゥー教徒カースト内の人々の運動である国民会議派に対しても批判的な活動を続けた。インド独立後は法相となり、インド共和国憲法起草委員会委員長としてインド憲法の原案作成に当たった。彼が起草したインド憲法は、1950年に制定された。彼は不可触民差別の根源はヒンドゥー教にあるとして、1956年に数十万の不可触民(マハール)とともに仏教に改宗した。
 インドのインドの反英闘争(20世紀)では、日本ではガンディーの名はあまりにも大きく、ある面では偶像化されているが、不可触民の解放という点ではガンディーと鋭く対立しながら、それに劣らない重要な活動をしたのがアンベードカルであった。





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最終更新日  2025.03.29 07:00:15
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