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2025.07.24
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カテゴリ: 鈴木藤三郎

家庭学校 加藤校長先生の話。

「児童自立支援施設というのは、児童福祉法によって国や都道府県が設置することが定められていて、以前は教護院、あるいは感化院といっていたものです。

ほとんど国立公立ですが、この家庭学校と横浜家庭学校の2つだけが社会福祉法人、つまり私立です。

この学校の子どもたちの多くは、児童相談所から送られてきます。

いわゆる非行少年だけでなく、最近は親の虐待などで居場所のなくなった子どもたちも増えています。」

家庭学校は北海道の原野を開墾してつくられた。本館を中心に、各種寮、図書館、礼拝堂、牛舎、バター製造舎、園芸・木工教室、畑・グラウンドなどがある。

「寮には6~9人ずつ分かれて住んでいます。小中学校は午前中は、普通の義務教育を受け、午後は酪農や畑仕事、山仕事をします。

高校生は、昼はアルバイトして、夜は定時制に通います。

この家庭学校の一番の特徴は、子どもたちはそれぞれの寮で、寮長先生の家族と同じように暮らしていることです。ここに来て初めて、家庭の温かみを感じる子どもたちも少なくないのですよ」

これは留岡幸助の「家庭にして学校、学校にして家庭たるべき境遇」を目指してつくったのであった。

校長先生はこう述べた。

「ここの子どもたちを教育するということは、何よりも簡単にあきらめないという忍耐が必要なのです。

一度や二度裏切られたぐらいで子どもを見放すような人は、ここの寮長先生は務まりません」

志ネットワークの上甲晃氏は よくこの 家庭学校の話が感動をもって 描かれる。

●手

窓という窓からは、黄色く染まった木々と、はらはらと散る葉っぱが鮮やかに見える。
黒い詰襟の制服を着た子供達が、少しばかり背中を丸めながら、校長先生の話に耳を傾ける。校長先生の話がいささか理屈に走り、お説教調になると、子供達の背中は、たちまちのうちにさらに丸くなり、目を閉じる。校長先生の話が身近に感じられると、途端に、背筋が伸びて、視線が校長先生に向かう。
 校長先生は、「手」の話を始めた。
 「この間、みんなで、研修旅行に行きましたね。その時、サーカスを見ました。
サーカスの人達とみんなが握手をしましたね。
私もまた、若い女性と握手しました。
きっと柔らかい、優しい手だと思って、手を出しました。
ところが、それは大変たくましく、ごつごつとした手でした。
サーカスの厳しい訓練に耐えた手は、優しくなかった。
その時に、人間の生き方は、手に表れるとしみじみと感じました」。
子供達は、校長先生と一緒にサーカスに行ったから、思わず話に身を乗り出す。

「諸君、君達の生き方は手に表れるのです。
私はかつて大阪に住んでいました。
友達が大阪に来るので、大阪駅まで迎えに行ったことがあります。
友達を待っている間に、見知らぬ人が来て、私の手を見せろと言う。
私は手を見せました。
そして、職業は何かと聞きました。
私は、教師ですと答えました。
ところがその人は、嘘を付けと言う。
教師がこんなごつごつとした手をするはずがないと言うのです。
確かに、当時の私は、ある施設で、手にタコができるほど、激しい労働をしていました。
それを見抜かれたのです。
手に、自分の本当の姿が現れます。
私が在職した施設に、スリの名人と言われる子がいました。
その子の手は、か細く、すんなりとしていました」。

校長先生がそんな話をすると、子供達は、そっと自分の手を見ているではないか。

私には、校長先生の話を聞きつつ、自らの手を見つめている子供達の姿が、忘れられなかった。そして、改めて、じっとわが手を見つめた。

2005年10月17日 上甲晃

  「子供はね、いつも言うのです。これは、みんなが持っていると。

それでは、いったい、誰が持っているのかと聞きたださすと、答えられない。

ところが、親は、この言葉に一番弱いのです。

みんなが持っているのに、自分の子供だけが持っていない、それはかわいそうだからと、子供のねだるものを買ってしまう。

一番良くないケースです。

大事なことは、わが家の方針を持つことです。

他人のことはいい、我が家の方針はこうだから、だめなものはだめと言える。

それが、子供達の精神を作るのです

そんな話を聞かせてくれたのは、北海道家庭学校の校長である小田島好信先生。

 この日、私達は、北海道家庭学校の日曜礼拝に出席するために、朝の七時に宿泊していた津別町の「でてこいらんど」を出発した。

みごとな紅葉に心をしばし奪われながら、北海道家庭学校に着いた。

厳しい寒さの冬を直前にして、校内は秋の雰囲気を深めつつあった。

礼拝堂の周りは、落ち葉が敷き詰められていた。

それだけではない。落ち葉が、風が一吹きするたびに舞い落ちて、秋を伝えてくれる。

まるで雪が降るように、落ち葉が音を立てて舞う。


 礼拝の後、弁当を食べながら、小田島校長先生と懇談した。

「親として、心すべきことは何ですか?」と、私は聞いた。

その時の答えが、「わが家の方針を持つこと」であった。

「うちの家はこうだ。誰が何と言おうが、譲れない。

そんな強い信念がないと、子供たちは正しく育ちません。

とりわけ父親にそのことが求められます。

父親が、頑として譲れない基本の生き方を持っている、それが家庭教育の原点です

小田島校長の言葉は、まことに明快そのものであった。

 それに続く、小田島先生の話が良かった。

「家庭の厳格な方針を貫くためには、家庭に一つの文化が必要です。

家庭の文化がないところで、どんなに一つの方針を貫こうとしても、子供達は見破ります。

家庭の文化、それは家庭の中でこだわり続けてきたものと言えるでしょう。

とりわけ大切なものは、家庭の食生活です。

舌が感じる味は、一生のものです。

何を食べるかは、一生忘れられない家庭の文化の基礎です。

コンビ二の味では、わが家の味は出ません。

デパートのお惣菜売り場で買うおかずは、家庭の文化ではありません。

家庭の文化がないところでは、家庭の基本方針は貫けません」






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最終更新日  2025.07.24 18:20:21


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