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2025.10.28
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カテゴリ: 坐禅
「禅談」沢木興道述(沢木興道全集第2巻)

回光返照 その9

 あの指鬘(しまん)外道、すなわち央掘摩羅(おうくつまら)が、99人殺して、百人目に弁当を持ってきた母親を殺そうと思った。そこを仏さんが後ろから呼びかけた。央掘摩羅は仏さんに斬りつけようとした。すると仏さんは影の形にそうがごとく、央掘摩羅が進むだけ退いては説法をした、一足いっては説法を聞き、一足進んでは説法を聞いていたが、とうとう刀を投げ出して仏さんが「善来比丘」とおっしゃっると、「髪地に落ち、衣身に掛かる」というのだから、髪の毛が落ちて坊さんになり、着物が変わってお袈裟になったというのである。
 そうして央掘摩羅は、その翌日、はじめて托鉢にでた。すると途中で、非常に難産で苦しんでいる婦人にあった。当時インドには、いまだかつて嘘をいうたことのない人に呪文を唱えてもらうと災難を逃れるとか、安産するとかいう信仰があった。ところが人もあろうに、昨日まで人殺しをやっていた央掘摩羅が「どうぞ安産しますように呪文を唱えてくれ」と頼まれたのである。
 びっくりした央掘摩羅は、自分には何にもわからぬ。さっそく仏さんのところにもどってきて、「こういう注文を受けましたが、わたしいかがいたしましょうか」とたずねると、仏さんのいわれるには「かしこにいたりてわれ無始よりこのかた未だかつて生命を害せずといえ」ということであった。それからすぐもどってきて、教えられた通り「我れ無始よりこのかた未だかつて生命を害せず」と唱えると、赤ん坊はやすやすと生まれたというのである。これはそもそも何のことだろう。
 なるほど昨日までは人殺しをしておった。しかし立派に回光返照して、いまの自分という者は一切生命を害しない、本当に業障のない境涯になったのである。過去、現在、未来、一切の業障というものがつきはてたのである。その業障のつきはてた央掘摩羅が唱えるのであるから安産したというわけになる。要するに仏教では、一切の善も悪も、功徳も罪も、ことごとく自己に見るのである。遠方にはない。(『禅談』p.143-144)





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最終更新日  2025.10.28 12:40:04
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