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2025.10.31
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カテゴリ: 坐禅
「禅談」沢木興道述(沢木興道全集第2巻)

坐禅の本領  その1

 坐禅というと、十把ひとからげに、みな同じように思う人があるが、坐禅にもいろいろある。つまりいうと、坐禅を売り物にしている商売禅もあれば、講釈ばかりしている講釈禅もある。見世物にしている見世物禅もあれば、野狐禅というものもある。そうすると、わたしたちが一口に坐禅といっても、その坐禅の中には、仏の坐禅から地獄の坐禅まである。馬勝(めしょう)比丘という人は、坐禅しながら地獄へおちた。なぜかというと独断できめたからだ。つまり四禅天の悟りを開いておきながら、大羅漢の悟りを開いていると、そう独断で思った。四禅天とは色界の四天のことで初禅天、第二禅天、第三禅天、第四禅天のことをいい、つまりこの世における悟りである。本当の悟りではなかった。ところが臨終になってみると、あら!四禅天の悟りじゃ。大羅漢というものは、二度と罪の世には生れぬものであるのにー。ところが罪の世に生れてきた。逆とんぼに地獄へ堕ちた。
 坐禅の形はひとつである。けれども坐禅さえすればよいというのではない。坐禅さえすればよいといってわたくしのところへ来ているある人は座蒲団を二つも買うて、そりゃ和尚がきたからというので坐禅をやる。そういうきざな、おっちょこちょいなやり方があるものではない。そういうのは偽坐禅で、そいつをきざ禅という、また鼻の先のぶらさげ禅がある。和尚押え禅というやつじゃ。それ以下の和尚がそれに押さえられるから、まことに気の毒なものである。
 そうすると禅というものにいろいろの禅があるわけである。永平寺の二代目懐奘(えじょう)禅師の『光明蔵三昧』という書物の中には、餓鬼道禅がある。物が欲しさに坐禅をする。ちょうど犬が尾をふるように、食べ物を得るために奥さんの膝下で尾をふる。餌を得るために尾をふりながら坐禅する。悟りが欲しさに坐禅する。そうするとこれは未到走作の病といってやはり病人である。この未到走作の病にもうひとつある。なにくそ!と友達と競争でやるやつだ。
 わたしもなかなか若い時にはそいつがあって、たいがいな人に負けない、たいていの和尚を感心させたものである。わたしはいまだかつて競争は負けたことがない。喧嘩でありうと飯の食い合いであろうと、結局戦のいって命のやりとりまでやって勝ってきた。結局人間には勝ったけれども自分には負けた。そういうものは未到走作の病で、自分がなっておらんものであるから向こうの物が欲しい、それであるから、餓鬼道禅というのである。また友達同士競争で、お互いに血相を変えて、歯を食いしばってやっている。これ修羅道禅である。また坐禅して、牛のように首をぶらさげて寝ているやつがある。これは畜生善である。(『禅談』p.208-209)





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最終更新日  2025.10.31 08:40:04


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