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今日は、先週土曜日の運動会予備日で給食なし。だから昼は学校でお弁当。そして夜は塾弁。作るこっちも面倒だけど、温かいものも生ものも食べられない子どももあわれ。だから今日の塾弁は、目先を変えて「ソバ」をのびないようにギリギリに届けてやる。(手抜きとの見方もあると思いますけど・・・)デザートも奮発しようかな。
2005.05.31
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荻原規子の「薄紅天女」は、ずいぶん長い間書店YAコーナーで平積みになっていました。また昨年末に刊行された「西の善き魔女」も平積みで、荻原規子の人気の高さがうかがわれました。しかし、このところのファンタジーブームに便乗しているように思われ、手の出ない本でした。ところが、図書館の児童書棚で「これは王国のかぎ」という10年前の作品を見つけ、便乗ではなくて前から図書館で評価される類の本だったのねと見る目を改めました。でも何となく読む気になれなくて息子に読ませたところ、とても好評。それで自分用に借りたのが「空色勾玉」でした。図書館のものは1988年福武からの刊行、今は徳間に版元を変えて出ています。徳間からの一連の作品が、1700円から2500円というのはYAとしてはいささか高い気がしますが、それだけの価値はあります。15歳の少女を主人公にし、古事記をベースにしたお話。日本の神話は、なぜか外国のものに比べ禍々しさがなくて、心のいやしさもたくさんあって、なのに妙に敬う対象として書かれている感じがして好きではなかったように思います。でも、空色勾玉は少女狭也(さや)を登場させることでとても昔話とは思えない距離感になっています。この年頃の子が異性を好きになるってこんな感じだったかな、何だかわからないけど気になるとか、かばいたくなるとか・・・。そんな心の動きが神の対立や戦いとリンクして描かれていて、とってもいい感じです。そうそう、「まがまがしい」とか「もんどりうつ」なんて言葉は、翻訳モノではお目にかからないと思いますし、現代の日本を舞台にした作品でもほとんど使われないのではないでしょうか。こういう和語を、はじめはよくわからないけど何となく文脈で理解する、そんな経験も大事だと思います。こういう本がYAに読まれているというのは、とてもうれしいです。彼らは、ちゃんと見る目をもっているなぁと思うからです。そして、こんな本を読める今の子をとても羨ましいと思います。自分の子どものころって、きっと「ナルニア」ぐらいしかなかったと思う。日本人による、日本の歴史ファンタジーがあるなんて、ステキなことです。
2005.05.31
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BOMBOM、算数は点がとれてないけど、それはできる問題ができてなかったから。(ケアレスミスとか、自分の字を読み間違えるとかいうくだらないレベルのミスオンパレード)算数対策というより、性格とか態度の問題。そう思っていた。しかし先々週ふとしたことから「わかる」→「できる」にならないという到達レベルに落ちていることに気づいた。さらに先週は「授業が理解できていない」ことが判明。で、急遽先生に面談を申し込んだ。板書写しを徹底させてほしいという、5年生になって今さらというようなレベルの低いことをお願い。先生からすれば「子どもが子どもなら親も親」と映ったに違いない。しかし、夏までに算数の底上げしておかないと全体がズルズルだめになりそうな気がするのだ。授業態度を改めるここから始めなければ!先週分が充分理解できていないことの不安については、積み残しの解消は時間に余裕のある土日にできれば、でよいとのこと。どこが問題か把握していれば総合回の復習時もあるから、だって。確かに、積み残しに時間をとられて今のところもコケたら悲惨だわ。あぁ、少し安心。
2005.05.30
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今日の読み聞かせは「ねずみのとうさんアナトール」(イブ・タイタス文 ポール・ガルドン絵/童話館)以前小学5年か6年の国語の教科書に掲載されていたらしいが、やはり教科書ではテキストはそのままでも、絵を全部は載せられないので絵本で味わってほしい本。パリに住むとうさんネズミアナトールが主人公。色は赤と青のみ、それがとても美しいのだけれど、それは同時にフランス国旗の色でもある。去年の5年生は気づいたけど、今年はどうだったかな、声にはあがらなかったけど・・・。でも、タイトルページの前に配された白のページや国旗のページにはきちんと反応していたなぁ。終わり方がおんなじなこともちゃんと気がついてた。まだ少し早いけど「父の日」を意識しつつの選書だけど、内容はそれだけにとどまらない。ネズミの自尊心とか、ネズミの人生とか、考えようによっては深い・・・。今日は、小さい絵を食い入るように見ていました。読み終わっての第一声は「それ、本当の話ですか?」いいツッコミです。
2005.05.30
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この夏、近所の子どもたちを対象に科学遊びをやります。在住のネイティブの方の英語教室のスペシャルイベントです。2つのプログラムがあります。ひとつはドライアイスを使った遊び、もうひとつは水を使った遊びです。ドライアイスを使った遊びはロケットやシャーベットなどけっこうおなじみですが、何度やっても面白いです。2つめの「水遊び」、実はこれ、光と色(とレンズ)、さらに水溶液のことまであれこれ遊びで体感します。小学高学年の理科の内容です。学校や塾でもこうやって遊んでほしいなぁ。息子は4年時学校で、「対流」を理解するためビーカーで味噌汁を温める、というのをやったと言っていました。確かに家庭では、透明かつ横から見るというのは難しく、こうした実験のあと、汁椀の中をのぞけば対流は実感しやすくなりますね。物理も化学も本当に身近です。わざわざキットを購入しなくても(それもまた楽しいのですが)生活の中にネタはいっぱいあります。お子さんの「どうして?」に答えてあげるときのちょっとした工夫や一言で、科学の芽を大きく育ててあげてください
2005.05.27
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もともと自分は、中学生のころから「問題」を解くのが好きでした。特に数学の図形や証明は大好き!でした。ですから、ハイレベル校(中学ですが)の入試問題(過去問)などはウキウキしちゃうんです。で、先日本屋の棚で、数学検定本をみつけてしまった。実は漢検にちょっと興味があって、英検・漢検本のコーナーに行ったんです。漢検1級チャレンジのつもりで過去問みたら、「あぁ、だめだわ」と2問目で敗北感・・・。そのとき私の目に飛び込んできたのが数学検定だったんです。数学検定の資格なんて、いったい何のため?という気もしますが、何だか惹かれます。(いえ、本当は級によって、生活のどの能力に対応するかというのが考え方としてはあるんです。統計と品質管理とか・・・)数学が得意なお母さん、何だかかっこいい。やってみようかな
2005.05.26
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BOMBOMから、宿題をやってこないで先生から注意されているお子さんがいることは聞いていました。しかし、自分の息子が宿題やってこないワースト3だったとは!!おまえ、自分のこと棚にあげて何言ってんだよー
2005.05.25
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BOMBOM、先週の週例では散々な結果でした。(1)まず、本人がテストの段階で「わからない」にショック(2)試験後の塾での解説にショック(3)うちで解きなおし、母に罵倒されショックと1日でなかり痛めつけられるのですがそれでもどこか現実味のない痛みです。(4)それが火曜日には、塾で得点・偏差値が発表され、点数の低さ、クラス内での順位の低さと二重のショック。忘れかけていた痛みが再びぶり返します。今回はショックの度合いが高いようで、今週分の勉強に身が入りません。(5)さらに金曜日には週報を受け取り、頭で理解している「悪い」事実を目の当たりにすることになります。今週は、翌日が運動会なので週例を前日に繰り上げて受験します。さて、悪い循環に陥らねばいいのですが、「悪いとわかっていても見てしまう答案と週報」・・・ああ、憂鬱だわ
2005.05.24
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先週の週例の算数の最後の問題、難しかったー。試験後、先生が解説してくれるらしいが、BOMBOMは板書を写してこない。(板書を写さないのは授業でもそう。説明聞いてるとわかったと思うので、書かなくてもいいと思うみたい。わかるとできるが違うのは問題解かせてみるとすぐ露見するので、いつもハラがたつのだ・・・)で、こういう難しい問題を見ると血が騒ぐたちなので、息子そっちのけでやってみる。いやー、方程式も平方根も使わないでやるの?10分以上考えました。あぁ、視点の転換が必要なのね、なるほど。うん、これはBOMBOMには無理。できなくてよし。こんなのできる子いるんだぁ。で、今日麻布の社会の過去問をたまたま目にしました。(四進パーフェクトスクールのブログ「四進コラム」です) 江戸時代のなかばから、人びとの暮らしにゆとりが生まれ、江戸や大坂(今の大阪)などの大都市だけでなく、全国の城下町や農村で多くの人びとが俳句や小説を楽しむようになりました。多くの人びとが、これらの文化を楽しめるようになった理由を2つ書きなさい。ひぇー。すみません・・・って感じです。算数といい、社会といい、レベルが高い学校だとか、差をつけるための問題だとかそういう事情もあるでしょうが、私には、こんな問題できません。ギブします。息子はもちろん、母も敵いません。すごい世界があるものです。すごい人達・子どもたちがいるものです。まったく驚きました(私が無知・無教養であるという恥をさらしているだけとも思いますが・・・)
2005.05.23
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昨日日記に書いた寺田寅彦、息子の反応が知りたくて我慢できず、日記を書いたあと読み聞かせしちゃいました。12時近い(もちろん夜です)というのに何やってんだか・・・。読んだのは「ミノムシとクモ」。やはり、期待とは違う方向の予想どおりの反応。でも読み終わったら私から聞いたわけではない(感想聞くのはご法度。自分の感想を聞かせるのもノーグッド)。でも自分から速攻、「感想言っていい?」と言った。彼が面白いと感じたかどうかは別にして、刺激があったことは確か。探究心とかいうことを考えてはくれないのだけど、それはそれでいいや。自分から読むことはないカテゴリーの本だもの。でも、自分から感想言いたくなるほどインパクトのある本だったということだ。もしかしたらこの手の本を自分から手にするようになるかもしれない。午前中は、親子で畑に行きましたが土の中から出てくる幼虫やいろいろな虫、そして地面から顔を出している春植えのじゃがいもに母子で興奮。午後のテストは、それこそ史上最悪のできで、家の中は超きまずい雰囲気でしたがBOMBOMが今週ヘトヘト、頭もろくに働かない状態だったことは理解している。だからこそ、午前中は勉強もさせず外に連れ出し気分転換を図ったのだ。(何点満点?と聞きたくなるよなすごい点数。普段の私なら罵倒し、グチグチ言うのは間違いない)自己採点のあとは、気まずさを打ち消したいとみな思ったのでしょう、ベランダでさつまいもを植えたり、冬に埋めて育ってきたどんぐりの植え替えなどしました。今日は天気がよかったので、外は気持ちいいけど体力消耗。今宵はみなでドロのように眠るに違いありません。運動会が終わったら、しっかり体制立て直そうね。なんて先送りしちゃまずいかしら。
2005.05.21
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おそらく小学生高学年から中学生ぐらい向けの本だと思う。国土社の「科学入門名著全集」8茶わんの湯(寺田寅彦著)。寺田寅彦といえば漱石の弟子の科学者、学生の時国語の教科書で何か読んだはずだが・・・。漱石・寅彦・梶井基次郎のつながりとか科学者の文学みたいなことを習った気はするが、作品は全く記憶に残っていなかった(基次郎の「檸檬」がかろうじて記憶の隅にあるが、面白いと思った記憶はない・・・。)板倉聖宣氏のあとがきによると、寺田寅彦は科学随筆なるジャンルを確立した人という位置づけらしい。本のタイトルにもなっている「茶わんの湯」は、何と「赤い鳥」に掲載されたものとのこと。湯気から雲の話、湯から対流、気象の話と身近かなところから科学とのつながりを説く。読者をやや小さい子に想定しているぶん、文章の内容が散漫な感じはしますが、「おお」「へぇ」というのは小学生でもok。でも、私が気に入ったのは「電車とふろ」「トンボ」「ミノムシとクモ」、そして「我が中学時代の勉強法」。前の3つは話の内容の面白さもさることながらエッセイとしての文章構成がけだし優れている。うーん、うまいとうなってしまう。身近な話から一気に話題を転じたり飛躍させたのち、意見や感想など自分の心持ちを短く最後に添える。最高!長文読解の教材としてもいいなぁ。そんな文章テクニックは別にしても、ミノムシを50近くも広げてみるなんてわくわくする。こんな好奇心、今の子どもたちにもってほしいなぁ。息子に読ませ、反応を見てみたい本である。余談ですが、科学読み物あるいは科学者の書いた読み物の中では、中谷宇吉郎の「たまごのたつ話」などのエッセイ(?)も好き。「雪は天からの贈り物」なんて、科学者の文学者ぶりとかピュアな感じを端的に表している言葉だと思います。
2005.05.20
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BOMBOMは、塾が週2回から週3回(土曜のテストも入れると4回)に、そして弁当持ちになるに従い太ってきたみたい。背は低いし、メガネだし運動はだめなおデブちゃんじゃあいいとこなしだわ。夕食後の菓子類などは食べないようにしていていたのですが、最近では塾から帰ったら家族そろってティータイムしてたりして、BOMBOMだけじゃなく、夫も私もヤバくなってきたということもあります。これまで塾弁は、持ち運びがラクで手軽に食べられること、楽しく食べられる(好んで食べないものは入れない)、作る手間がかからないこと(最後が一番重要だったりして)などを優先してきたけど、今日から母は心を入れ替えることにしました。私がBOMBOMにしてやるべきことは、勉強を教えてやることとか、ハッパをかけることより健康管理を重視するというか、そっちに一生懸命になるべきじゃないかと。そんなわけで今日のお弁当は野菜がたっぷりにしてみました。本当は、ジャー式で温かいものを食べられるといいけど、でかくて重い弁当を持たせるのも忍びない。かといってギリギリの時間に届ける気はさすがにない。(一念発起してその程度というのも情けないですが、やる気の問題だけじゃなくて、そんなことできないって)今までの弁当より軽めだから、団欒のスイーツはOKにしよう。心がささくれ立つのはイヤだから。あっ、でもそれじゃ私はヤセないのね・・・
2005.05.20
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音読が、いろいろな面で効果があることは理解しているつもりなのですが。問題集の長文の音読、あれってどうなんですか?ところどころ虫食い状態ですが、あれをあのまま音読するんですか?それとも、補いながら音読するんですか?あるいは、設問とき終わってから?設問解く前に読むことを求められているんだと思うんですけど、虫食い状態の文章を読む、ってことは、言葉や文章のリズムを云々というのはほとんど重要ではなくて、これから取り組むのは、どんなものなの?読んでみましょう、どうせ読むなら黙読よりは音読のほうがしっかり読めますね、ってことなんでしょうか。(音読の価値はあまり重視していないってこと?)塾ではどう指導されているのでしょうか?みなさんはどうなさっているのでしょうか
2005.05.19
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BOMBOM(息子)は、1回目の組分けでBでした。今回の詳細はまだ知らないの。ネット会員になればもう見られるのかしら。ウェブ情報を使いこなす余裕と経済的な余裕の両方からメンバーになってないのですが。一応、Cらしいのですが、偏差値から考えると下のほうでしょう。今回は実力以上の点が取れてる気配で、あとは落ちるしかないんですが。これまで週例でBグループでそこそこだったのが、Cだとそうは行かなくなる。いっそBのまま気持ちよくやれるほうが、Cでアップアップするよりいいんじゃないかしら。(鶏頭となるも・・・ってやつですね)クラスが変わるかどうかは未定ですが、クラスが変わるとほかの習い事(?遊びです。適当な名称が浮かばないので習い事とします)の曜日も動かさなきゃいけない。また、2ヶ月後には変わるのかと思うと、それもねぇでも、本当はCでの上位を目指してほしいわけですが、BOMBOMはそんな前向き志向のやつじゃない。願わくば、クラスの雰囲気に触発されて自覚してほしいのだが・・・。って親があれこれ考えても仕方ないんですが。今学校は月末の運動会に向けた日課に変わり、毎日ヘロヘロ。また塾で居眠りしてるんだろうな・・・戻ってからガンプラで遊ぶくらいなら、質の高い睡眠をとってくれ!
2005.05.19
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週例もそうなんだけど、組分けの結果を見るとやはり息子は文系だと思う。国語と社会、算数と理科。夫はコテコテの文系だし私も文系だ。親の嗜好が家庭生活に反映される。ニュースを肴に話すことは多い。息子から新聞記事の解説を求められることもある。親子で本を薦めあうこともある。読みの浅さに驚くことはしばしばあるが、読まないよりずっといい(と自分に言い聞かせる。)勉強だけではない。やはり社会行動みたいなものも子どもは親の影響を受けていると思う。自分勝手・自己中は大嫌い。「誰も知らなくても神さまは見てる」とよく言う。というとかっこいいけど、そうじゃなくて「誰かがやらなきゃいけないけどやり手がいないこと」は引き受ける。自分が我慢すれば丸く収まるなら我慢する。息子が、ここぞの一言が言えないのは、そんな姿を見ているからかな、と思う。いろんな意味でだめなところは、私と似てる。だから彼には申し訳なく思うことも多いし、ふがいない行動も自分を振りかえればよくわかる。息子はスーパーマンにはなれない。だってうちの子だから。でもそれってトンビがタカを生まないのではなくて、トンビはタカを育てられないのほうが合ってるかも。それでも、強くあってほしい。いろんな意味で高いところを目指す姿勢は大事にしてほしい。少なくても「勉強」の理解とかテクの習得は親のせいではない。
2005.05.18
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今の児童文学・YHで「いじめ」と「単親」ははずせない感じだ。単親は、それこそ古典名作の世界にもよくあったけど、ああいう逆境でがんばる健気な子という成長物語ではなくて、もっとふつーの感じ。選んで読んでいるわけでもないのに「単親」モノに出くわす。重松清の「小さき者へ」に収められている「フイッチのイッチ」は、親が離婚して母にひきとられたムスメは、姓が変わり転校先ではキャラも変えようとするが・・・。そんな女の子の様子と同じく単親の男の子が、親のことをあれこれ考え行動する。悲しくないけど、心にチクリとくるものがある。あさのあつこの「The Manzai」、Hanaeの「小学生日記」いずれも単親だ。そういえば、「ほたるの星」(宗田理)もそうだ。(シャレじゃないです)一方いじめを扱ったものはここ20年ぐらいか。タイトルを失念したが学校に行くことができず亡くなった妹のことを綴ったお話、「飛べないホタル」。結末は違っても、いじめを悪とするのは同じだ。しかし魚住直子の「オレンジソース」、重松清の「小さき者へ」(後者はいじめではなく、ひきこもりですが、その原因にいじめがあります)は、高いところから偉そうにいうんじゃなくて、だからこそ胸が締め付けられるものがある。痛みを共有できるっていうか、「わかる」という感覚、そこから一歩踏み出すことは難しくても、そばにいるから、それだけでってまるで恋愛モノの歌詞みたいですけど、それでいいんだ と思います。
2005.05.17
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今日は5年生の読み聞かせ。今年2回目読んだのは「かしこいカメのおはなし -アフリカのむかしばなし-」(フランチェスカ・マーティン作・ポプラ社刊)。ストーリーは、動物たちの憩いの場となっている湖で、我が物顔で他の動物を困らせているゾウとカバを、小さいけれどかしこいカメが知恵を使ってやりこめ、再び平和が訪れる、というシンプルなもの。細かく書かれた絵が美しい。今年の5年生は、何だか大人しい。去年も5年生にこの本を読んだけど、もっと声があがっていたような・・・。と思いながら読み進んでいましたが、やっぱりハイライトではみんな思い思いに声をあげていました。ホッで、残った時間で「クマは『クマッ』となく?! おもしろ動物生態学」(熊谷さとし著・偕成社)のゾウの部分を紹介しました。ゾウの鼻はなぜ長い、なら聞いたことあるけど、ゾウの首はなぜ短い、だよ。(最後に鼻のこともちゃんと出てくる。)こんな面白い話が44編。動物モノといえばあべ弘さんのものが人気ですが、この本も負けず劣らず面白い。かしこいカメのお話で「静かに見る」ことから開放された子どもたちは、こちらの本にもいい反応してました。
2005.05.16
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今日は組み分けテスト。息子にとって3回目の外部会場テストです。試験会場までの電車、同じホームに来る電車の行き先が何種類かあり、目的地までのルートが変わる。乗り換えパターンもいくつかあるので、1回目は同行したものの、2回目は友だちといっしょに行くと約束してきて、おまけにそのお母さんが心配だからこっそりついて行くとおっっしゃったのでお任せした。3日目の今日は、行きは同行。でも待っているのはイヤなので、帰りの切符を持たせ、先に帰ってきた。(いっしょに行ったのは、私が試験会場最寄り駅前の本屋に行きたかったからに過ぎない)ところが、ちょうど試験が終わったころの落雷の影響で電車は一部区間不通に。息子は、私が教えたとおりの電車に乗ったつもりで、違った電車に乗ったらしい。あわてて次の駅で降りてもう一度戻ろうと乗った電車が、不通の影響で目的の駅までは行かなかった。息子は、私が持たせた切符以外何も持っていなかった。お金も、携帯電話も、テレカも・・・。あとで聞いたら、つれはなく、一人だったという。想定外のアクシデントに見舞われ、途方にくれたに違いない。こっちもニュースで運休を知ったが、どうにもできない。息子は、全く知らない駅で電車を下ろされ、おそらく半ばパニックになりながら人に聞き、振り替え切符をもらい、乗ったことのない他社線に乗り・・・。他社線は、駅も別なのでいったん外に出て歩かねばならなかった。もちろん、初めての、全く知らないところだ。雨も降っていた(カサはなかった)・・・それでも息子は、何とかいつもの路線の駅までたどりつき、予定より約1時間遅れで戻ってきた。帰ってきて開口一番のセリフが、「今日は人生最悪の日」。こっちも、よくぞ何とか帰ってきたものだとの思いがあるから、テストのことはお互い話さなかった。でも、試験会場の最寄駅で「帰りの電車用」に買ってやった文庫本は、半分以上読み終えたそうだ。アクシデント前の乗車中だけでなく、アクシデント後の車内でも読んだらしい。全くおまえってやつは、大したやつだね。今日は結構、おまえのこと見直したよ。
2005.05.15
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今、息子の頭の中は「失われたカード」のことでいっぱい。昨夜は12時すぎまで夫と諭したが、やはりムリだった。「問題を解いていてもふとカードのことを考えてしまう」と言う。君は今「ひとふさの葡萄」よりも「走れメロス」よりも「こころ」よりもリアルな世界で悩んでいるのだ。母もそんな君を見るのがつらい・・・。泣きながら「なくなったカードは、もともとなかったと思うことにする」と涙声で言って家を飛び出した君。今日の漢字テストは居残り確定だね・・・。本題です。昨日は公民館で小学生を対象にしたお話会のボランティア。お話会では、手遊びや体を使うわらべ歌などを導入に行います。昨日は通称「弁慶」という手遊び。一番:弁慶が五条の橋を渡ったら・・・二番:義経が五条の橋を渡ったら・・・二番の歌詞で、5年生の男の子が「五条の橋を渡ったときは、まだ牛若丸だったー。」とつっこみを入れます。おお、言われてみればそうだった。歌にあわせた振りでは後の義経がちゃんと横笛を吹きます。こんな手遊びうたがかつてはメジャーだった、とは思いませんが、それでもどこかで遊ばれてきたんですね。義経&弁慶がヒーローだった時代があったんですね・・・。「ソーダー村の村長さんが、ソーダー飲んで・・・」という韻を踏む(?)言葉遊びはご存知の方も多いと思いますが、なんでソーダ飲んで死ぬの?と思ったことはありませんか?あのソーダは、サイダー類の炭酸飲料ではなくて劇毒物のカセイソーダなんだそうだ。カセイソーダというのは・・・ってちょっと化学のうんちくがつくと、他愛ない子どもの遊びの世界にも、一般教養的な要素があったようで、案外あなどれないものもあるんですね。
2005.05.13
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ちょっとばかりテーマから遠いかもしれないのだが、息子の通う塾の先生は、国語学習に関連して、「親が日常生活の中で正しい日本語を使うこと、子どもとの会話に慣用句を使ったり、そんなちょっとしたことが大事です。」「『晩はん』というのは正しくないですね。」「夕飯、晩ごはんですね」とおっしゃった。なるほどねぇ、と思った。一方、小学校(市立です、もちろん)の先生は、クラブ活動ボランティアとして学校に出向いたときでもいつでも、父兄に対しては「ごくろうさまです」とおっしゃる。若い先生ばかりではない。(おいおい、ごくろうさまはないだろ)と思う。読み聞かせのボランティアに行っている学校の玄関には「来客用下足箱」と「業者用下足箱」がある。ぎょ、ぎょうしゃ?業者は客じゃない? 子どもたちの教材を届けてくれたり、学校の補修をしてくれたりする人は、大事な客じゃないんだ!こういう方々に、敬語だとか習うのかと思うとぞっとします。人を敬う、ということの根本的なことを理解していないのではないかと思います。こういうちょっとしたことが、学校への信頼につながるんですよ、先生。教科書のお勉強ばかりを問題にしているのではないですよ、親は。
2005.05.12
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昨日書いた、大金を使う男の子の話だが、息子(当時3年生)はその子の荷物もちをしてお金をもらったことがあった。「お金は要らない」と言っても押し付けられたという。本当に断ったかどうか、断ったとしても毅然とした態度ではなかったのだろう。結局お金を受け取っているのだから・・・。私は、その子のお母さんに会い、事情を話した。1万円札を持ち、友だちをひきつれゲームをおごる、カードを買い与える。あるいは、箱ごとカードを買い、好きなカードをくれてやる、という・・・。何日もそんな様子なのでさすがにお店の人も「ぼく、お金どうしてるの?」と聞いたらしく、それからその店には出入りしていないらしい・・・。ということまでは詳らかにしなかったが、自分の息子が妙にカードをたくさん持っているので尋ねたら、お宅の息子さんがくれたという。荷物運びを手伝った御礼といってお金をくれたらしいと言って、百円玉数枚を渡した。2月のことだった。翌年度は、クラスが別れ、その子とは疎遠になった。そして12月、その子の自宅でのクリスマスパーティに息子が招待された。パーティといっても、子どもの企画・主催だ。最初誘われたとき、息子は心底喜んでいた。招待状を心待ちにしていた。招待状をもらうときに、500円以上のプレゼント持参と言われたという。息子は、その日は塾の試験があり、パーティの時間帯はバッティング・・・。私は500円以上にひっかかった。親子ともども困った・・・結局息子は500円のプレゼントを用意し、パーティ前に友だちに渡した。試験が終わってから行くと。そして、試験から戻った息子が行くと、もうパーティは終わってしまっていて、息子の分の交換プレゼントをあずかった彼は、自分の分と中身を比べて決めると言って両方あけて、結局どちらも自分のものにした、と参加した他の子が教えてくれた。(招待状はずいぶん配ったらしいが、参加したのは女子2人で、男の子は一人もいなかったらしい・・・)その子とのつきあいは、それで終わった。息子もかわいそうだったが、その男の子も何ともかわいそうな、さびしい子だと思った。まるでフィクションのような苦々しい思い出だ。
2005.05.11
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息子は今、カードに夢中。よく知らないが、今はデュエマスらしい。小学校にあがったときからカードの種類が変わって、何度か流行のヤマがあるらしい。で、先日我が家に遊び仲間が集まった。せまくてきたない部屋にこもって4人で遊んでいた。友だち3人のうち二人が帰ったあと、息子含め残った二人のお宝カードが数枚ないという。二人は「盗られた」と言う。(そうかもしれない。でも・・・)息子は、明日学校で確認してみると言った。私は息子に、・間違えて持っていったのかもしれない。・もし、悪気があったとしても、「盗んだ」と聞かれて「はい」なんて誰も言わない。君だって、悪いことをして、お母さんに言われたら、素直にやったと白状できなくなるだろう。問い詰めるのではなく、逃げ道を残してあげないとだめだよと言い聞かせた。遊び仲間を疑わないといけない、というのはイヤなものだ。もう一人、カードを失った子は、うちの子の、学校の違う友だちで、先に帰った二人とは、初対面・接点がない。うちにきたばっかりに被害者になったのだとしたら・・・カードが出てくるといいなぁ・・・。しかし、翌日学校から戻ると息子は、開口一番「もぅっ、あいつらシレっとしてなかったっていうんだ。絶対うそだ」と語気を強めて言う。あぁ。盗んだと目されている子は、この春越してきた子で、まだ連絡網が配られていないので、私は電話番号もわからないし、親が電話するのもどうかと思うし。でも、被害者の母は電話して確認したいようだ。どうしよう。これは、以前の別な子の話。親のお金を持ち出して買った高価なおもちゃを、さすがにうちに持ち帰れず、息子が預かったことがある。息子は、黙っていることができず、夫に話した。息子は、その時点で、そのお金の調達方法は知らない。ただ、いっしょに買い物に行き、高額なことだけはわかっていた。そのときは、うちが買い取った形で、子どもにお金を返した。「うちの人には言わないから、そっとお金戻しなさい。そして、もうやめなさい」とその子をたしなめた。しかし、結局その子の素行は直らなかった。夏に、高価はヘラクレスオオカブトを買い、やはりうちに持ち帰れないので、公園に隠したそうだが、翌日にはなくなっていたそうだ。その後も友だちにモノを買い与えたり、「○○してくれたら△△円やる」などしていたらしい。誰だって、出来心はある。魔が差すことはあると思う。しかし、今回のカードはどうしたものか。どうするのが正しい対応なんだろう・・・。
2005.05.10
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子どもが小さい頃(小学生前)、・子どもにとって親は絶対で、言葉も行動も未熟な子どもは、叱られても為すすべがない・一方叱っている親のほうは、叱っているうちにどんどんエスカレートしてしまう。そして自らを反省して「お母さんが言いすぎた。ごめんね」と誤る。・叱っても直らないし、そうやってあやまるくらいなら叱るなというような話を読んだことがある。厳密には叱るのと怒るのとは違うんだけど、子どもに対しては叱るより怒ってるほうが多くて、大人の一時的な発散行為に過ぎない。子どもに対して効果がないばかりか当の大人にもメリットはない。それはわかる。でも情けないことに怒っちゃうのだ。同じ過ちを繰り返すのは子どもも大人も同じだ。しかし、さすがに昨日の事件はこたえた。もっと、子どもを一人の人間としてつきあってやらねば、悪いのは子どもではなくて自分だ、と夜「だっこして」とすりよってきた息子に心の中で詫びた。そして久しぶりに原点に返るつもりでコーチングの本を読みました。指導するとか、導くではなく、ありのままの相手を受け入れてあげる接し方をしなければ、と思い・・・。(読んだのは「おかあさまのためのコーチング」(あべまさい著)改めて、心に刻まねば、と思ったことを引用。話を聞いてくれと言うとあなたは忠告を始める私はそんなことは望んでいない話を聞いてくれと言うとそんなふうに考えるものじゃないとあなたは言うあなたは私の心を踏みにじる話を聞いてくれと言うと私の代わりに問題を解決してくれようとする私が求めているのはそんなことではない聞いて下さい!私が求めているのはそれだけだ何も言わなくていい、何もしてくれなくていいただ私の話を聞くだけでいい(作者不詳『豊かな人間関係を築く47のステップ』グレン・ヴァン・エカレン著より)(*孫引きになってしまいました)そう、無理やり問い詰めて追いつめて、口を開かせて、挙句に高いところから説教する。だからイヤだったんだ、もう二度と話すもんか。私だってそう思うよ。キミのセリフを受け止めて、そのまま繰り返してやる、それだけで、キミは一歩踏み出せるんだよね。キミが安心して自分をさらけだせる「お母さん」にならなきゃね。
2005.05.09
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今日は6年生の2回目。5/2は振り替えで6連休&ひとつとんで2連休、学校はいよいよ月末の運動会に向けた日課に切り替わる。というわけでやや落ち着かない雰囲気で始まりました。今日の読み聞かせは「ぼくのいぬがまいごです」(キーツ作・徳間書店)。でもその前に、連休中に袖ヶ浦沖に現れたコククジラに触れ、「コククジラの旅」(水口博也作・福音館たくさんのふしぎ傑作集)を紹介。「今日は2冊だ」と子どもたちから声があがり、「1冊は紹介だけね」と先にクジラの話。テレビでも報じていましたが、背中にフジツボなどが寄生しているのが模様のように見えるのだというと、驚いていました。時間が押すので少しざわついているかな、と思いながら今日の本題の「ぼくのいぬがまいごです」を掲げる。表紙タイトルではまだざわめきが残っていましたが、中のタイトルページを読むといきなりシーン。(うーん、さすが)と内心関心しながらお話ページに進みます。本のつくりは、赤・黒の2色印刷。冒頭のクロだけで、余白の多いページを開くと、前方から「さみしいー」と声があがる。(うん、キミはいつも絵を読むのがうまいんだよね)プエリトリコから2日前に来たばかりの主人公ホワニートは、英語も話せないのに自分の犬をさがしに町へ。そして中国人街・イタリア人街など転々としながらゼスチャーで犬の特長を語り合い、いっしょに犬を探します。読む前に、アメリカはニューヨークの事情を説明しようか迷いましたが、説明なしで読みました。子どもたちには、そうした背景を事前にインプットしなくても、本の中の子どもたちのコミュニケーションぶりに笑ったり、「なんでいっしょに探すの?」とそのつながりに注目したり・・・。ストーリー自体は、いたってシンプルですがホワニートの飼い犬ぺピートのおかしなさまがとっても効果的で、ほのぼのとしたお話。子どもたちもおおげさすぎない幕切れだからこそ、絵と言葉を楽しめたようでした。だからでしょう、裏表紙をめくると「ミー ペーロ セ ア ペルディード!」と何人かが大きな声で読み上げてくれました。
2005.05.09
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母の日のプレゼントは、週例テストで算数の課題(計算ミスしない)クリア!を注文していましたが、ダメでした。おまけに、昼過ぎ私の逆鱗にふれることをしでかしてくれ、(恥ずかしくて書けない)最悪の「母の日」でした。最後は、夫がホテルのディナー(といってもブュッフェですけど、一応ビールつけてくれた)をごちそうしてくれ、何とか恰好がつきました・・・。息子もデザート食べ放題!は、ちと許せない気もするが、仕方ない。私が気分をリセットするしかないよね。明日の朝は久しぶりの読み聞かせだぁ。早起きするぞぉ。
2005.05.08
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今日は週例テスト。算数の底上げが当面の課題、だから連休中は地道にエレベーター足し算をやって落ち着いて計算することを練習してきた。前にも書いたけど、週例の問い1(2)・問い3(2)はいつも間違ってる。だから、今日はこの2つは間違わないように、つまり1ページ目はミスしないようにしようね、と誓った。ああ、それなのに・・・。やっぱり1(2)を間違えた。「でも3の(2)はあってたよ!」と本人は言うけれど・・・。夕方二人で答え合わせをしながら、「ここも間違えてる」「えー、うそっ」、「バカじゃないの」と大笑い・・・。これだけ間違うと笑うしかない。でも、おまえが笑うなよなぁとは思うけど。まぁ、確かに彼の言うとおりだわ。一応目標の半分はクリアしたわ。だめだったことは私以上に本人が自覚してる。(それが勉強とか態度に結びつかないところが問題だけど)。今から、週例ぐらいで、ゴムがのびきった状態になっちゃぁたまんない。本気になって集中したときの実力を知りたい気はするけれど、お楽しみにしておこう。本気になるきっかけは、親にはつくれない(ような気がする)。おーい、そのうち目覚めてくれよー。何だか、自分に言い聞かせてる本日の日記でありました。
2005.05.07
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5/1から5/5まで、夫の実家に一家で帰省。5/4の法事のための帰省で、当日以外は準備や後片付け。当然子どもは、遊びに連れていってもらうこともできず、暇をもてあましていた。年齢の近い親戚は、実家の近所にいないし、5・6年と歳の近いいとこのうちは、手伝いにも来なかったし、法事にも顔を出さなかった。夫は、連休だから絶対来るって言ったのに。のびのび遊べるわけでもなく、言うまでもなく勉強するわけでもない。文庫本(芥川龍之介)を何度か読み返していたみたいだけど、持っていったテキストは全然読まなかったようだ。(自分が同じ立場でもそうだろうとは思う。面白いものなら読むけど、塾のテキストは読みたくない。)義妹に、来週上京する甥を3日泊めてほしいと頼まれた。来週末は組み分けテストだからいつもよりは勉強させたいのに。入社試験のための上京だが、はっきり言って我が家は都心から遠い。甥は、空港まで迎えに来てほしいという。情けないことに、うちの息子は、放っておいて自分一人で勉強する奴ではない。なんだかなぁ。グチっぽく、いや愚痴っちゃいました。ごめんなさい。
2005.05.06
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夫の実家から帰京する飛行機の中で「ほたるの星」(宗田理)を読む。「ぼくらの七日間戦争」をはじめとする七日間シリーズ、聞いたことはあるが、何となく軽い感じがして読んだことがなかった。山口県の小学校に着任した新米先生と、4年1組の子どもたちが、ふとしたことから蛍の飼育に取り組むお話。うーん、やっぱり瀬戸内か・・・(厳密には違うけど)親がすぐ感化され、ほだされるのは気にいらないけど「お母さん」について書いた作文はよかったなぁ。夏に上映されるらしい。本が映画化されると、たいてい原作がよかったと思うのですが、これは原作と映画、両方とも楽しめそうです。(余談ですが、ナルニアがディズニーで映画化されますね。何だかなぁ。映画化されなければ知らないまま大人になる、それは惜しいのですが、ファンダジーは作者の筆の力と読み手の想像力によって作られる世界。映像化は監督・脚本家のフィルターを通してしまい、見るものに想像力を求めない。できれば子どもには既に読んでから、自分の読み方・感じ方と比べてほしいですね)学園ものは、主人公がたくさんいる。映画ではその感じが伝わらないかもしれないけど、決して母を亡くした「比加里」(←この、女の子の名前がいかにもっぽいのだが・・・)と元(先生)のお話ではない。小学生高学年の朝読には手ごろな本だと思います。
2005.05.05
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図書館で借りて延滞になってた「エイジ」(重松清)を帰省先(といっても夫の実家ですが)に持ち込みました。重松氏の作品は、中学入試でよく取り上げられるそうですが、「中年ゴジラ」の印象強く、本当に小学生が理解できるの?と思っていました。中学生の「言葉に表現できない」ような気持ち・考えを、第三者が客観的に書くのでなく、当事者の立場で書かれていて、なかなか面白かった。早く先を読みたく、ページをくるのももどかしいと思ったのは久しぶり。通り魔は、ピンときにくい、と思うことがもう、子どもをなめてるのかもしれませんが、やっぱり子どもに読んでほしいというよりは、中学生を子に持つ親が想定読者の感じですかねー。あとは、中坊か・・・。キレルというのは、我慢の限界を超えたというんじゃなくて、自分とその周りのつながりみたいなのが切れてしまうのをいうんじないか、というようなことを主人公が考えるのはなかなか鋭い、と思いました。中学生に「うちの親は団欒したがってる」って読まれてて、気ぃ使われてること、そういえば自分が子どもの頃もそうだったなぁ、とか自分の息子もそうかな、という感じでしょうか。といいつつ、自分が子どもの頃の読書を考えると、背伸びして、よくわかんないけど読んでた、というのもあるので、早熟な都会の子ども(でも中学生だと思う。)なら案外読めるかも。もしかしてしっくりくるかも。「にんじん」(ルナール)が、小学4年生におすすめ、とされていることを考えると、今の子って、私が考えてる以上に「成長と葛藤」みたいなことは環境的に求められてて、受け入れやすいのかもしれません。(国語の教科書みてるとあまりそう思えないのですが、大人のほうが子どもをわかっていないのでしょうかねぇ)
2005.05.04
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法事のために夫の実家に帰省しているが、私としては何かと息苦しい。しかし、田舎っていいなぁ、とマジで思うことがある。それはやはり自然が身近かなこと。我が家は都会というほどではないけれど、計画的な埋立地だから舗装されていないところ・原っぱは「企業庁」保有の有刺鉄線で囲われた土地とか、マンション内や道路の緑地。2年ぐらい前までセミもいなかった。(夏、セミの声を初めて聞いたときは、本当に地下生活が長いのねぇと妙に納得したものでした)ところが田舎は自分のうちに庭はあるし、近所もそこら中草ぼうぼうだったり、雑木林の一歩手前みたいな茂みがそこここにある。実家の縁側に座って庭に目をやると、数種類の蝶が舞い、すぐそこの低木には蓑虫が何匹もぶらさがっている。根元から枝までカタツムリが張っている木もある。カタツムリを見上げて探すなんて初めての体験だ。木の根元を掘ると、セミの幼虫が何匹が出てきた。庭のキャベツには、モンシロチョウのタマゴがいくつもあり、幼虫も面白いくらいたくさんいる。そういえば、夏にはセミのぬけがらを発見して喜ぶ息子をけげんそうに義父母は見てるっけ。2年ぐらい前、息子たちの学年で蝶を幼虫から育てていたが、一人1匹確保するのに先生はずいぶん苦労なさったようだった。(先生の家のミカンの木からアゲハの幼虫を子どものために持ってきてくださった。蝶は、種類によって食べる葉が決まってるからエサの確保も大変だったようだ)そんなこと、田舎じゃ考えられないように思う。わざわざ飼育しなくても、子どもたちは小さいころからの経験でその変化の様子、食性などの知識を身につけそうだ。こんなところに住んでいたら、理科で学習する季節の植物や小さな生き物なんて、わざわざ教室で教えてもらわなくてもよさそうだ。私も、ここでは、うちの中で息がつまると、庭に出て小さな命の発見を楽しんでいる。
2005.05.03
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