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後期高齢者医療限度額・標準負担額減額認定書なるものが送りつけられてきた。4月1日から発効するとされている。「後期高齢者」とは、なんと失礼というか、無礼というか‥。そりゃぁ、確かに高齢者ではあるけれど、「後期」とは、「これ以上長生きするな」と言わんばかりに聞こえる。「年寄りの僻み根性」だと言われるかもしれないが、いかにもお役所的な、この表現に腹が立つ。後期高齢者だから、医療はタダにいたしますと言うならいいが、雀の涙にも及ばない国民年金から、保健料金を天引きしながら、その上に「後期高齢者医療限度額認定」などと、増えるのか減るのかさえも分からぬ認定書なるものを送りつけてくるとは‥もう我慢ができない!無差別殺人、家族殺し、親殺し、子殺しなど、物騒な世の中に生きながらえていくのは、並大抵なことじゃない。お役所仕事に、いちいち怒っていても仕方がない。残り少ない余生を精一杯生きていくよりない。「後期」なんていわれれば、余計に「初心」に立ち戻って、新しいことに挑戦してやろう。かつての色男も、色褪せてしまった‥。自慢じゃないが、金も力もない後期高齢者の意地を見せてやるゾー。
2008年03月29日
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「荒れる春場所」と、前々から言われてきたが、今場所もいろいろと予想外のことがあって、今日、明日と千秋楽も近くなってきた。平幕の二敗も昨日で消えて、朝青龍の優勝かと思っていたら、千代大海が朝青龍に土をつけるということになり、これで横綱の同士の「同星決戦」ということになるようだ。二人ともモンゴル出身である。横綱ばかりではない。次から次へと出てくるのはみな、モンゴル出身の力士が多い。それというのも、彼らは貧乏ななかから「一旗挙げてやろう」という、いわゆるハングリー精神が旺盛なのだ。なんとか、ここで日本人力士の奮発に期待したい。相撲協会の改革も、進む様子はない。国技という「冠」もはずす必要があるのではなかろうか。優勝の賜杯も、「賜杯」というのではなく、「トヨタ賞」とか、「サンヨー賞」とか、民間企業からのものにしたら、どうなんだろう。土俵入り、塩を撒く、手刀をきる、ちょんまげなど、神道の様式から「新しい形」を生み出すほどの大改革をして、インターナショナル・スモーにして、「モンゴル場所」「ロシア場所」「アメリカ場所」など、世界各地で開催してはどうだろうか。
2008年03月22日
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正直なところ、私は迂闊にも、チベットとモンゴルの地理的な位置を間違えていた。チベットがヒマラヤに接し、モンゴルがロシアと接しているということに気づき、自分の考えが、いかに国際的でなかったかを思い知らされた。それにしても、北京オリンピック目前のタイミングで起きたチベット暴動。早々と不参加を表明している国も出てきた。ただでさえ、北京オリンピックを前にして、毒入り餃子事件があったりして、オリンピック見物を控えているというニュースが流れているのに、今度のことは、オリンピック開催を危ぶむきっかけになったと言えよう。世界一の人口を誇る中国だから、日本のような単一民族の国では考えられないことがあっても、不思議ではない。タイワンと中国との関係も、時限爆弾のようなものである。しかも、中国は、このところ、急速に経済的発展を遂げている。社会主義国家との矛盾も生まれてきている。チベットの騒ぎで、犠牲になるのは無辜の民である。なんとかならないものかと思う。
2008年03月19日
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「ああそれなのに」という歌は、昭和11年、古賀政男作曲である。私が幼稚園で、机の上に立って、みなを集めてこの歌を唄って、大目玉を食らい、親が幼稚園に呼び出されて厳重注意を受けたという思い出がある。むろん、幼稚園児の唄うような歌ではない。オマセというか、意味も理解できないのに、大人の歌を覚えて唄うという、小生意気なワルガキだった。ある雑誌に、この「ああそれなのに」の歌詞が出ていたので懐かしさのあまり、それを見ながら唄ってみた。もう70年も前のことなのにちゃんと唄えたのには、自分でも驚いた。空にゃ今日もアドバルーン さぞかし会社で今頃はおいそがしいと思うたに あゝそれなのに それなのにねえ おこるのは おこるのは あたりまえでしょうどこで何しているのやら 何か悲しい日暮どき想うはあなたのことばかり あゝそれなのに それなのにねえ おこるのは おこるのは あたりまえでしょうひとり出ているお月様 窓で見ているこのわたしとぎれとぎれの針仕事 あゝそれなのに それなのにねえ おこるのは おこるのは あたりまえでしょう夜更けに聞える 足の音 耳をすませば 胸が鳴る帰って来たかと 立ち上る あゝそれなのに それなのにねえ おこるのは おこるのは あたりまえでしょうそりゃ、この歌を舌も回りきらない幼児が唄ったのだから、幼稚園のセンセに叱られるのは当然のことだ。忌まわしい、あの戦争が始まる前の平和な?日本だった。
2008年03月12日
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今日は二十四節気の一つ、啓蟄(けいちつ)である。寒い冬を地中で過ごしていた虫が地上に現れるという日である。たしかに東京でも梅の花が薫り高く咲いているし、先月初めのころの寒さは和らぎ、春近しという感はするが、まだまだ虫たちも顔を出すほどの温かさではない。先日、旧友と語り合ったとき、彼の孫娘が高校を卒業して、大学へ進学するという話を聞いた。われわれのころにはなかった話だが、高校卒業の記念?に「卒業旅行」をするという。しかも男女のグループで韓国両校を企てているとか。彼は孫娘の親(すなわち、彼の娘)に注意をしたという。これから大学に入ろうとする子に「虫でもついたら、どうするのだ」と。「お父さん、昔と今は違うのよ。女子高校生の6割は性体験者なのよ。」と言われて、驚いたと語るわが旧友は、雑誌などで読む現代社会は、まるっきりウソだと思っていたら、現実はわれわれが考えているような社会とは違うのだと、愕然としたと言う。昔は「虫がついた」と、確かに言っていた。それほど「処女」が尊ばれていた。しかし、そのような価値観は、今の世には通じない。啓蟄の話から、とんだところへ話題が移ったが、やがて春うららの季節が来る。漱石は「春は、猫が鼠を捕ることを忘れ、人間は借金のあることを忘れる」と記している。いい季節が、もうそこまでやって来ている。
2008年03月05日
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「東京人」という雑誌を購入しました。「特集」として「男の品格と心意気 江戸のダンディズム」というキャッチコピーに惹かれて衝動的に買いました。表紙には、十二代目 市川團十郎、「助六」を語るという文字も見て、理屈ぬきで買ってしまいました。さて、内容を読んでみると、なかなか読み応えがあります。27歳の後藤隆基さんが書いておられるコラム「知らざァ言って聞かせやしょう」が面白かった。江戸の「イキ」、上方の「スイ」を比較して堂々の一文を書いておられるのは、なかなかの読み物でした。久しぶりにオモシロク、一気に読んだ雑誌でした。助六に代表される「江戸のダンディズム」という餌に引っかかりたいお方には、一読をお勧めします。
2008年03月04日
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3月は、弥生(やよい)という。草木が、だんだんと生い茂る月の意味である。そのほかの名称は、建辰月:けんしげつ 花月:かげつ 嘉月:かげつ 桜月:さくらづき 称月:しょうげつ 禊月:けんげつ 蚕月:さんげつ 桃月:とうげつ 宿月:しゅくげつ 病月:びょうげつ 花見月:はなみづき 春惜月:はるおしみづき 花津月:はなつづき 夢見月:ゆめみづき 早花月:さはなづき 早花咲月:さはなさづき 姑洗:こせん 暮春:ぼしゅん 晩春:ばんしゅん etc.である。奈良のお水取りも、今が最中。これが終わると、関西には春が来る、と信じられている。春というと、桃色(ピンク)がイメージされる。灰色の雪景色から、草木が萌える気配‥色でいうなら、桃色である。明日は「桃の節句」である。桃の節句といえば、「うれしいひな祭り」の歌である。昭和11年(1936)、山野三郎 作詞 河村光陽 作曲の歌である。 1.あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花 五人ばやしの 笛太鼓 今日はたのしい ひな祭り 3.金のびょうぶに うつる灯を かすかにゆする 春の風 すこし白酒 めされたか あかいお顔の 右大臣 2.お内裏様と おひな様 二人ならんで すまし顔 お嫁にいらした 姉様に よく似た官女の 白い顔 4.着物をきかえて 帯しめて 今日はわたしも はれ姿 春のやよいの このよき日 なによりうれしい ひな祭り 昔の子どもたちはみな、純情だった。男の子も、この日は「お呼ばれ」をして、甘酒などを飲んだものだった。
2008年03月02日
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