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寒波が来ていて朝からかなりの降り。昨日お誘いしたお客様からも、実施するのかどうかとお電話がある。福田さんからも朝早くに電話があった。中止することなど考えていなかったので予定通りとお伝えする。ただ子どもが嫌がるようなら無理をさせないで欲しいと。事務所のある赤倉地区と森のある池の平地区とでは、雪の降り方が随分違っていて心配するほどではなかった。確かに積雪は昨日から50センチ以上あり、先頭を行く大人はラッセルが大変かもしれない。森へのハイキングが2度目の子どもが一人。それ以外は初めてだった。かかとの上がるスキーにシールをつけて後ろに滑らないようにした。坂の登りもこれで楽々と歩ける。お兄ちゃんについてきた5歳の子も、最初のうちはスキーの先端が雪の中に突き刺さって往生していたが、バックしてスキーを引き抜くことを覚え、転んでも自分で立ち上がる。片道1時間15分くらいの歩きだったが、泣きの入った子は一人もいなかった。今日はいつもより人数が多く、集団の力の大きさを感じた。甘えたりわがままを言うのが憚れる雰囲気がきっとあるのだろう。それを感じる以前に、楽しさの方が勝っているのかもしれない。ウサギの足跡があった。それもたった今行ったばかりの奴。先頭を行った福田さんはウサギの姿を見たと言っていたが、他の人が見ることはできなかった。なにせウサギは時速30キロで走るらしいから。茅葺の小屋はまたしても雪で埋まっていた。まず雪下ろし。子どもも手伝う。焚き火用の杉の枝も運ぶ。雪を下ろした屋根の上に、テーブルと椅子を雪で作ってもらいお昼にした。屋根の下では火を起こしている。煙がもくもくと上がっている。食べ終わった頃にいい火になり、暖を取る。子供達は雪遊びに飛び出す。そりを持ってきたが皆スキ-を履き、小山からどんどん滑り降りる。いつの間にこんなにうまくなったのかと目を見張るほどだ。坂の途中にこぶを作り、そこでジャンプをすることにした。みな競い合う。5歳のケイ君が最も飛距離があった。すごく自慢げだ。ケイ君は小さいから皆の足を引っ張るんじゃないか、親はそれを気にして参加を躊躇っていたのだが何の事はない一番元気だった。もし足を引っ張ったとしても、それはそれでいい。他の子どもがペースを合わせてくれるだろうし、くたくたに疲れるほど遊ぶことは大事だと思う。結局ケイ君が泣いたのはもう帰るというときだった。「もっと遊びたい。もっとここにいたい。」と泣き叫んだ。同じ5歳のゴン君が「じゃあ、あと9回ジャンプしたら」と提案すると「9回じゃ足りない」といってまた泣く。全体が歩き出したら泣き止み、2年生の女の子のあとを歩きたいといってずんずん進んでいった。帰りは行きのトレースを辿っていったので若干短時間ですんだ。歩く、登る、滑る(今日はジャンプも)が一つの道具でできるテレマークスキーは本当に素晴らしいと思う。子どもに履かせてみると、その価値がより鮮明になる。かかとが上がるのでしっかりと重心に乗っていないとスキーの操作は難しい。けれど、一度それを身につければしっかりとしたすべりができるようになる。そして子どもはすぐに身につけてしまうのだ。朝初めて履いた子どもが1時間で歩くコツを覚え、午後には小山から滑ってジャンプをするほどになるのだから。わが町の小学生はアルペンスキーとノルディックスキーを買い揃えるよう学校からいわれるらしいが、テレマークスキーなら両方の機能を兼ね備えているのでお買い得だ。スキーの技術、どんどん子供達に追い抜かれていく。まぁそれもいい。
Jan 30, 2005
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夏に一度いらっしゃったお客様が、朝事務所を訪ねてくださった。今回はご家族揃ってスキーを楽しまれるとのこと。子供達は皆ヘルメットを被り、装備は完璧。一番下の男の子が開口一番「ラムちゃんは?」。ラムは犬で、夏の一日子供達と一緒に森へ連れて行ったのだ。ちょうどこの週末は子ども教室がある。土曜日はゲレンデレッスン、日曜日は森までハイキング。そのことをご案内すると、1年生のお兄ちゃんが「ぼく森へ行きたい!!」と言う。弟くんが「木にあとがついていたんだよね」(熊の爪痕のことだ)と夏の森で見たことを話し出す。「へび、またいるかな」とお兄ちゃん。お父さんに「今は冬眠しているよ」と教えられる。たった一日の森遊びだったのに、色々なことが心に残っていたんだなぁと私は感激する。夏遊んだ森が雪に覆われ、しかも2mもの積雪である状態を見せたいな。こんどは何を見つけるんだろう、この5歳の子どもは。子供達は私たちに預け、久しぶりにご夫婦でスキーを楽しまれるのはいかがだろう。
Jan 29, 2005
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県内小学校の冬の自然教室2泊3日が終了。行政主導のあるプロジェクトの一貫として、企画と当日の現場監督として関わる。もともと学校としてはスキー場でのアルペンスキー受講を計画していたのだが、1日目に歩くスキーと自然観察等のプログラムを入れさせてもらい、なおかつ学校の望む「一人でリフトに乗って滑って降りてこられるように」という条件を満たすように組む。結果は、まるで初めての児童が半数以上いたが全員目標達成した。しかもそれはアルペン受講1日目で達成。学校の掲げる目標は1日でクリアするということがわかった。しかし、それには有能な指導者であることが条件としてある。ただマニュアルどおりの指導ではなく、児童の心理状態と技量を見極められ、身体に無理のない指導ができること。また今回1日目に歩くスキーでスキーが体の一部と感じられるくらいに慣れた事も、上達の大きな要因ではないかと考えている。私は一日ゲレンデにいて定点観測をしていた。ちょうどその日はスキー修学旅行のピークで、スキー学校が多く開催されていた。現場には約120人程の指導者がいた。その指導方法などを観察したわけだが、なかなか興味深かった。(ピンキリあるなとか、色々)今回お願いした横田さんたちは別格で指導がうまい。就学前の子供達に教える経験が長いので、ことばかけや手助けをするか・しないかの見極めなど参考になることが多かった。引率してきた教員や保護者からも絶賛されていた。横田さんの長男(23歳)が1日目始まって10分で子どもの心を捉え、しかも3日間甘えさせず子ども達のヒーローとして憧れを抱かせつつ指導していた力には感心した。彼に秘訣を問うと「自分が楽しむことが一番である」という答えだった。(横田プロスキースクールは家族4人が核となっている学校。)最終日にびっくりすることがあった。引率できていた保護者の一人が中学時代の先輩であった。声をかけられて初めてわかった。30年振りである。水泳部のトレーニングで長距離走が毎日あったのだが、入部したての1年生にはなかなか辛いものがあった。そういう下級生と一緒に走り励ましてくれた先輩だった。2歳年上なので1年間の付き合いだったが、印象が強く旧姓を聞きすぐに下の名前が出る、そんな先輩である。中学時代は先輩の方が背が高かったのに、今は私のほうがでかかった。
Jan 28, 2005
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旧暦師走十一日大寒。天気予報も大雪のおそれと伝えている。昼過ぎから細かい雪が降り始めた。冷えている。どうやら風邪をひいたようだ。2、3日前から喉が痛く咳き込み、からだの節々が痛い。普段からクスリをのまないのだが、寝込んでいられないので呪いのつもりで葛根湯入りの内服液を買う。風邪は久しぶりだ。ある大学の先生から講義の依頼がきた。彼が担当している住民組織論という講義の中で、外部の人を招いて話してもらい学生と議論する時間をとっている。昨年は同僚と二人でうかがい、主に同僚が経験を話した。今年は女性の話者でということで私へ依頼がきたのだ。講義を受けている学生達が社会に出て組織に属したり、自ら組織作りをする時に参考になる話しをして欲しいということなのだ。特に性別役割分業、ジェンダーバイアスの問題やパワーハラスメント、組織内外に派生するコンフリクトの処理、組織運営と教育訓練を重点的にということである。医療系の大学で学生は女性の比率がやや高く、卒業すると専門職につく。一昨日依頼があってから、寝る前はこの講義について考える時間にしている。思い起こしてみれば様々な組織に属していた。目的の明確なもの、緩やかなつながりのもの、女性だけのもの、様々な利害が交錯するもの、任命されて属したもの、自ら作ったもの。目的を達成して解散した組織もあれば、途中崩壊したものもある。苦い経験もあった。しかしだ。最近思うのは一人で成し得る事には限界があるが、人と組むことによって実現が可能になることがいかに多いか。それぞれの得意とするものを持ち寄って生かしたり、異なる個性がぶつかって新たなものが生じたりする。それがとても面白い。その面白さがどうやって生まれるのか、構成する人に何か共通項があるのか。まずはその辺りを考えていこうと思っている。それから最近興味をもっているのは、利害の異なる人の集団でひとつの漠然としたものに向かう時の組織運営の仕方だ。目指す方向すら見えていない時、何から始め、どのように進めたらいいのか。強いリーダーシップで引っ張っていく方法ではだめなのではないかと、何となくであるが感じている。ちょっとそのような役目のオファーがあり、まだ引き受けてはいないが気になってはいる。
Jan 20, 2005
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先日、長岡より若い経営者の方がお二人いらっしゃった。「自己の内なる基準値を高め、次世代のリーダーとして高い志を持った子どもの育成を目指し、夢を持つことの素晴らしさを伝える研修会を開催したい。」というご依頼である。継続的に子ども達の育成を手助けする活動をすることが、大人の責務であると立ち上がったそうだ。また子どもだけでなく、大人も共に学び考え行動する活動を展開していきたいと考えられているという。また中越地震の時に感じられたこともお話された。ライフラインが止まり、家が壊れた。何もないところからのスタート。その時に人のもつ可能性、特にこれからを生きる子ども達に道を切り拓く力をつけることが、大切であると実感されたそうだ。道が険しいか平坦であるかは自分で歩いてみて初めて判るのであって、自分で歩きもしないで判るものではない。本当の知は行と一体なのだ。この知行同一を心に落とし込み行動していきたいと。熱く語られるお二人に共感する所多く、これは単にひとつの研修会を請け負ってやるだけの関わりではだめだろうと思った。まだ漠然としているが、これから何度かお会いして理念を形にする作業を繰り返していく。そうやって伝えるものを明確にしていき、伝える方法を一緒に考えていく。一人の大人である私にとっても、大事な作業に思われた。持ってこられた団体の理念の中に、長岡人である私にはよく目にしていた文言が多くあり、少し懐かしいような気持ちで拝読した。「国が興るのも、ほろぶるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。という米百俵の精神」「以和為貴 わをもってとうとしとなす」ここしばらく中越地震の復興の長期支援について、個人的に考えつづけていたのだが、お二人と話していて見えてくるものがあった。
Jan 19, 2005
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ビジターセンターから雪の土手を登って林を抜け、一度道路を渡ってから小さな川を渡りました。春はミズバショウのさく辺りを歩き、雑木林、モミの林をどんどん歩きます。朝から雪が降ったため、動物の足跡はひとつもありません。オレンジ色のウサギのマーキングだけ見つけました。1時間半ほどで到着。約1ヶ月ぶりのリブランの森は、まるで様子が違っていました。いつもの遊び場所に着く前に、どれだけ雪があるだろうかと想像しながら行ったのです。三つ又の櫓の一番下の棒まであるかな、とか、炭焼きの穴は見えるかな、とか。三つ又櫓はほとんど雪の中に埋もれていました。てっぺんの見張り台とその次の棒まで。てっぺんから飛び降りるのも、雪があるから出来る遊びです。足から飛び降りると、ももまで埋まりました。私は背中から何度も雪の中にジャンプしました。炭焼きの穴どころか、屋根に登って遊んだ小屋は、雪の重さに耐えられず潰れてしまい、その上にたくさんの雪が積もっていました。あの小屋の中に、スコップや餅焼き網など仕舞ってあったのに、春になるまで取り出せません。 【茅葺屋根の上に立つAちゃん7歳】茅葺の小屋は丈夫でした。でも屋根の雪を下ろさないと危険なので、福田さんが一生懸命おろしてくれました。村田さんは濡れた薪で火をおこしてくれ、小屋の中で湯を沸かし、餅を焼きぜんざいを頂きました。そして何より、からだを暖めてくれた火のありがたさが身にしみました。
Jan 16, 2005
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届いた便りで、知っている人がそれぞれの場所で活躍していることを知るのは、大きな励みになります。短い近況報告の中に静かな熱を感じ、それがこちらにまで伝わってくるのです。森を無償で貸して頂いているリブランさん。その社長の鈴木さんは30代で、雪の森で一番はしゃいでいた大人の一人です。「それ面白いね、やってみようよ」と、じっと目を見て話す人です。その方の便りで「緑のカーテン」が、板橋の小学校でさらに広がっていくと知りました。緑のカーテンとは、つる性の植物(朝顔、きゅうり、ゴーヤ、ヘチマなど)を学校の壁際に植え、屋上まで伸ばしていき、太陽光線を遮断して涼しい風を送る「エアコンの要らない学校つくり」の取り組みです。マンション供給のプロが自社のマンションで提供しているノウハウを生かし、小学生と一緒に総合学習の時間に活動していったのです。協力企業はリブランさんの他に、以前「雨のみちをデザインする」でご紹介したタニタハウジングウェアさんも得意分野の知恵や製品を提供しています。その効果は大きく、緑のカーテンの外と内の温度差は6度もあったそうです。それ以外にもきゅうりを味わったり、目で涼しさを感じたりと多くのことを子供たちに与えました。板橋第七小学校の小林さんがその効果について作文を書いていますので是非読んでみてください。(この作文は『地球に優しい作文・活動報告コンテスト』で総理大臣賞を受賞しています。http://www.livlan.com/shinbun.html )猛烈に暑かった昨年の夏、この学校には涼しい風が吹いたのでしょう。今年はその風がもっと広範囲に吹くのです。鈴木さんが持っている妙高の森へ、板橋の子供たちが駆け回ることも実現しそうです。誰かが動くと必ずそれは伝わります。板橋で吹いた風は妙高にも届いてきています。「妙高の活動に負けないように、頑張ります」と締めくくられた便り。こちらも頑張りますよ、鈴木さん。○株式会社リブランは http://www.livlan.com/ポップアップででてくる鈴木社長のメッセージを是非読んでください。緑のカーテンまでの軌跡を知ることができます。○雨のみちをデザインする 株式会社タニタハウジングウェアさんは http://www.tanita-hw.co.jp/indextop.htm
Jan 13, 2005
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昨日注文していた名入りヘルメット等を取りにホームセンターへ行った。温度計が目に止まったのでひとつ購入。早速自宅で使ってみる。昨晩、火を入れない部屋は零度であった。今朝は室温5度。外は静かである。案の定、外は膝上までの積雪。エンジンをかけ車内を暖め始める。30分後。フロントとリアウインドの氷は融けたが、道をつけたはずの跡はなくなり、車はまた真っ白になっていた。公道の除雪は間に合っていないのだろう。自宅前は深い雪が積もっていて、駐車場から出すまでの数メートルで4回もエンストをする。どの道にも除雪車はいない。できるだけ車の通りが多い道を選んで行く。対向車にわかるよう、ライトをつけて。きょうも「高密度」な降り方でよほど近づかないと対向車を認識できない。きのうチラッと見たニュース番組で、日本の大雪とカリフォルニア州の大雨とが同じ気象条件のもとに起こっていると気象予報士が説明をしていた。太平洋上に大きく円を描いたような雲の形状が、低気圧を作っているとか。この大雪は中越地方も同様で、被災した家屋の屋根の雪下ろしをしている映像もニュースで流れていた。同じ雪でも中越地方の雪と妙高のでは全く違う。中越地方の雪は、水分が多くて重量がある。これは除雪をした身体が覚えている。すぐに腰に来る。妙高の積雪も尋常ではないが、雪が軽い為同じ積雪であれば格段に作業は楽に感じる。正月、長岡で降ってくる雪の大きさにあらためて驚いた。妙高ではけして見ない大きさだ。大きな雪がぼたぼたと降ってくるのが中越地方。細かい雪がひっきりなしに降ってくるのが妙高など山沿いの地方だ。道路の中央から地下水を出す「消雪パイプ」は長岡が発祥の地だ。地盤沈下や排水が滞る問題もあるが、雪の降り始めから水を流すことでかなりの威力を発揮している。これが妙高にはない。かつてはあったらしいが、除雪車による除雪にとってかわった。そして低温であるため、撥ね上がった消雪パイプからの水が車ボディの下で凍りつき、ハンドルがきれない場合もあったという。事務所につくと新聞がきていたが、だいぶ濡れている。この雪でポストの中にも雪が入ったか。ストーブの前で乾かしていると、挟み込まれた一枚の紙に気がつく。それには「お詫び」とある。「本日、北陸自動車道において新聞輸送車が横転し新聞が汚れる事態がございました。日本経済新聞、他関係紙が大変汚れていて皆様にはご迷惑をお掛け致します。明日、新たに本日付けの新聞を添付いたしますので、何卒御理解の程宜しくお願い致します。」絶句である。日本の新聞配達システムの勤勉さに。横転した車の運転手は大丈夫だったのか。濡れた新聞は乾き、読むのに何の支障もない。この文章を書き始めてから5センチの積雪。
Jan 12, 2005
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これはホワイトアウトとは違うのだ。霧など出ていない。けれどもかろうじてわかるのは前方約10mまで。とにかく、真っ白、真っ白、真っ白の世界。あえて表現するならば「高密度の降雪」か。連休の中日9日と、本日11日の降りは「闇夜周りの大雪」に相応しい降り方でした。パウダー欲しい方、たくさんあります。
Jan 11, 2005
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連休に合わせたように降った雪。朝にはやんで、午後からは青空ものぞいています。お客様も三が日の時より幾分多いようです。国道は渋滞でした。(信号はやはり縦並びでした)たっぷりの雪と好天。ラッキーですね。地元にいると天気に合わせて出かけることができますから、日焼け対策さえ怠らなければ快適なスキーを楽しむことが出来ます。休日が決まっていて、遠方からいらっしゃるお客様のことを考えると、週末はいつも晴れて欲しいと思います。スキーのように自然の中で遊ぶものは天候に左右されます。無理をすると、危険なこともあります。せっかく遠くから来たのに、荒天で中止せざるを得ないというのは、残念ですが仕方がないことと思います。悪天候は何日も続くということは稀ですから、もう少しお休みが取れてゆったりしたスケジュールで出かけれるようだといいですよね。吹雪のときは薪ストーブの燃える暖かい部屋で寛いだり、温水プールで泳ぐ。ペンションでやっているミニコンサートを聞きに行く。温泉めぐりをする。天気が回復したら雪原やゲレンデへ出かける。こども達は自然学校に預けて、大人たちだけのツアーに行ってみたりする。長逗留をして冬のリゾートライフを堪能。いかがでしょう。
Jan 8, 2005
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最初にスキーを履いたのは保育園の頃で、エッジのない長靴をはいたまま歩けるスキーで庭先を歩いていた。小学校では強制的にスキーを購入させられた。体育の授業であるからだ。各担任がクラスの生徒に教えた。場所は信濃川の土手。土手であるから斜度は急であった。勿論リフトなどないから滑っては登りを繰り返す。私は両親がスキーをしないので、学校で初めて習う形だった。当時の担任は体育の専門ではなく、ご自分であまりスキーを楽しまれるタイプではなかったのだと思う。ほとんど何も教わらなかったといっていい。「はい、ここから滑って降りて」担任がそれだけ言うだけでよかったのは、子供たちが遊びの中でスキーに親しんでいて技術が自然に身についていたからだと思う。しかし、私は違った。歩くことはできるが、坂から滑ることはしたことがなかった。でも行けと言うので、級友たちが皆滑り降りてしまった後仕方なくこわごわと滑った。そして転んだ。捻挫した。小学1年だった。たった1回のことで痛い思いをしたので、それ以来スキー嫌いになった。授業以外でスキーをすることはなかった。寒くて痛くて怖いもの。それが小学生の時に持っていたスキーのイメージだった。きちんと技術を習ったのは中学に入ってから。体育の教員から能力別の班で教わった。それでようやく楽しさを知る。高校になって級友にとても上手な人がいた。土日には日帰りでスキー場に行くようになった。彼女の後ろについて滑るだけだったが、上達したし楽しかった。彼女はのちにスキーのデモンストレーターになった。随分大人になってからクロスカントリースキーに誘われ、林の中を初めて歩いた。途中でコーヒーを淹れたり、巨木を見たりした。スキー場以外の場所にスキーで行くのは初めてで、こんな楽しいことがあるのかと思った。車にクロスカントリースキーをいつもいれておいて、適当な場所で散歩を楽しんだ。近くの低山を犬と一緒に行ったとき、このスキーで下ることは不安定でとても怖いと思った。整地された所を歩くにはいいのだが、ふかふかの雪の上や斜面になるとだめなのだ。そこで出会ったのがテレマークスキーという道具だった。クロスカントリーのようにかかとが上がるので歩きやすく、アルペンのように幅が広いので滑って降りるのも安定していて恐怖ではない。技術は学校で習ってきたアルペンの技術でいい。山にでかけるようになったら、それに応じた技術を積み上げていく。行動範囲が広がった。行動する時期も長くなった。ゲレンデが終了しても山には雪がある。雪があれば行くことが出来る。何しろ楽しい。スキーの上達。それは楽しさを知ること。それに尽きる。+「闇夜周り」ガンガン降ってます。本日ゲレンデにて雷がなり、カーボンのストックだった為ぞっとしました。おちてこなくてよかった。+今ではスキーで通勤することもある筆者。
Jan 7, 2005
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朝からお隣長野県の某スキーメーカーへ注文したスキー板を取りに行く。斑尾高原を抜け千曲川沿いを走る。好天だったので斑尾高原から見る野沢温泉方向の景色が素晴らしかった。千曲川の河川敷も一面雪。春は一面菜の花だった。用件が済んで雑談の折に、営業の方から初心者の子供のスキー導入に最適だと言う、独自開発の製品sブレードを見せてもらう。70センチほどの幅広めのスキー板で、靴はスノーボード用のを使う。そのためスキーを脱いだ後も、その靴のまま雪遊びが出来るという。確かにアルペンの足が曲がらない硬い靴では何も出来ない。また、板が短いので転んでもスキーがからんで起き上がれないということがない。そのため怪我が少ないという。実際に某関東地方のある都市が、この製品を導入し全市の小学生が冬の自然体験で利用しているという。7年の実績。けが人ゼロ。 とてもよさそうなので1セット購入する。まずは自分が試してみる。金具を取り付けてもらう間、倉庫の中で待っていたのだがとても寒かった。長野は新潟より格段に冷える。帰り着き、さっそく試乗。短いのでトップがぶれる。そして太ももにくる。ボーゲンはおさえが難しく筋力がいる。ほとんど人のいないバーンを、パラレルで滑る。太ももの限界を感じ、リフト3本で試乗終了。悪くはないが、長距離を歩くツアー向きではない。やはりかかと固定は不自由だ。ほんとにスキーや雪国が初めての人にはいいと思う。スノーシューより楽しい。スキー入門用かな。明日、学校の担当者が下見にいらっしゃる。スキー場で待ち合わせなのだが、今日購入したsブレードで私は行ってみようかな。同僚はテレマークスキーだし、Iさんはアルペンスキー。色々なスキーがあることをまずは知っていただこう。
Jan 6, 2005
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愛車の片目。(どうしてもこの時期、雪に関する日記が多くなってしまいますのでご了承ください)昨日夕方から勢いよく降り始め、会議を終えて帰宅しようとした頃には30センチは積もっていた。夕方から降り始めると除雪車が朝まで出ないので、道が通れるうちに帰り着かないといけないのだ。県道クラスだと車の往来もあるので轍に沿っていけば楽なのだが、それ以下だと自分が道をつけるような形になる。車高が高くないので、ハラをすっているのがわかる。前進の度に雪煙がまいあがり、フロントガラスが真っ白になって前が見えなくなる。とにかく滑らないように、止まらないように運転して帰り着いた。が、駐車場にいれられない。車のスペースだけ雪をかいて突っ込む。翌朝。予想していたので驚きはしない。車と公道の間だけ雪をスノーダンプでかき、フロントの雪をどけて広いところまで出す。そして車を覆っている雪を落とす。車を出せるか、と心配して電話をしてくれた人がいた。ありがたい。けれど、さすがにふた冬過ごすと慣れてくる。あと5日で新月。つまり闇夜周り。降りましたね。+時間が空いたからと師匠から声をかけられ、スキー研修を1時間半ほどやっていただいた。生徒は私と福田さん。まず頭で理解しなさいと、何故スキーは滑るのか、何故まわるのかを非常にわかりやすく解説していただく。師匠はあれこれたくさんのことを言わない。いたってシンプル。ポイント3つをおさえて練習を積むようにとの事。今日が初滑りであった。冷え切ったので温泉であたたまり、また仕事に戻る。+ここでふた冬が過ぎ、また旧暦を意識して1年を過ごしてみると、真冬で厳しいのは1月10日あたりから2月10日くらいまでとわかる。旧暦での新年は2月9日。2月4日の立春を過ぎ、寒さも緩んで春を感じるのがこの頃。まさに初春。あとひと月ほどの辛抱だ。冬が厳しいから春の訪れが待ち遠しく、そして何よりも嬉しい。
Jan 5, 2005
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年賀状配達はチェーンを巻いたバイクにて星と月が空にぶら下がっているような夜。冷え切った事務所で届いた年賀状に目を通した。ある年賀状で愕然とする。それは映画祭の仕事を一緒にしていた仲間からのもので、デザイン事務所をやっている彼ららしく、毎年ひねりの効いた合成写真の上に夫婦二人を思い思いの格好で配置したものを作って送ってくる。今年は砂利の混じった更地に、子どもが人形遊びで使う原色のおもちゃの家が置かれている。庭付き3階建ての黄色い煙突のある家だ。そのプラスチックの家の2階にある、小さな赤いソファにそれぞれが腰掛けている合成写真だった。おもちゃの家の中にいる二人は、とても小さくて表情が見えない。例年ならば二人の笑顔がはっきりとわかるのに、今年はどうしたのだろうと少しシュールな写真を見て考えた。葉書上部の小さな文字に気がついた。「小千谷市稲荷町 中越地震で全壊してしまった妻・○○の実家跡にて」そして葉書下部には、ことさら大きなポイントの文字で「さあ、ここから始めよう」+彼女の実家が小千谷であることは以前聞いたことがあったと思うが、これを見るまですっかり忘れていた。地震の後に彼らとメールのやり取りがあったと思うのだが、被害については何も言わなかった。こちらも聞かなかった。この冬、実家に帰ってみて住める家があることの有り難さを実感した。行政から家屋損壊の調査もきていて、程度によって見舞金も配分されるという。そのことがまた、新たな住民間のトラブルを引き起こしていることも耳にした。仮設住宅の不便さも聞く。そういった現在のこと、これからのことに思いを馳せる事を一時中断させるものをこの年賀状から私は感じた。少なからぬショックと共に。生まれ育った家が壊れてしまったこと、その事実の重さは計り知れない。柱につけたキズや夜中に見た天井の染み、かくれんぼで入った押入れ、廊下のきしむ音。家族の日々を見つめ守ってきた家であっただろう。思い出と一言で括りきれないものがあるはずだ。単なるシェルターではない家というもの。その喪失感たるや、私の想像では及ばない。+この合成写真の乾いた明るさはなんだろう。アンバランスとも思える文字のポイント。手書きで「お元気ですか?」と元気な文字で書いてある。前に進む為に、相当に無理をして頭を上げているのではないか。けれども、多分彼らにはそれが唯一の方法で、その覚悟がとても重い。さあ、ここから始めよう。
Jan 2, 2005
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。2005年の幕開けを私は長岡市で迎えました。零時にドンという音が響き、思わず外へ飛び出してしまいました。花火でした。有志の人たちで開催された「がんばろうて 長岡」という復興祈願のイベントで花火が打ち上げられたのです。尺玉20発とスターマインです。あいにくの雨でしたが、近所の人や二年参りの人たちが立ちどまって夜空を見上げていました。夏に2日間ある長岡の大花火大会も、戦争で焼野原になった地で希望をもって復興をしようという思いで始まったものでした。年始の挨拶ではどこに行っても地震の話になりました。あの時、どこでどんな風にしていたか、何を思ったか。避難所の生活のこと、壊れた家のこと。そして希望。そんなことを皆が語り合った元旦でした。
Jan 1, 2005
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