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最近、私の中でブームになっているもの。バーベキュー近所のドラッグストアーで、バーベキューのグリルを購入した。ミニプロパンガスと炭のタイプで炭に火をおこすときに、プロパンで着火できる優れもの。24ドルだった。BBQのグリルは前から欲しかったので、探していた。家に夫が作った、BBQのグリルがあるけれどあれは網も大きいし、グリル自体も大きい。100人ゲストが来るパーティーでは特大のトライティップが焼けて便利だけれど、日本の焼肉スタイルのBBQをするタイプではない。だから、小さくてコンパクトで手軽なグリルが欲しかった。夫は家にあるのになんで買わないといけないのか?といつも賛成してくれなかったのでものすごーく安いやつを探し続けていた。$24だったら、「もったいない」と文句を言われないだろうと思い切って買った。3週間前に買ったけれどすでに7回もバーベキューを楽しんだ。一回目は、小さく切ったステーキをたれにつけて焼きながら食べた。手羽塩が最高においしかったので2回した。モモ肉を小さく切り、竹串に刺して焼き鳥を2回。スナギモが手にはいったので、2回目の焼き鳥のときにこれも竹串に刺して塩焼きにした。お母さん友達を呼んで、昼間に2回したときは10ヶ月のCちゃんと、6ヶ月のSちゃんとナナミが遊んでくれるのでなんだかとても楽だった。Sちゃんのお母さん、MOちゃんが柚子胡椒をもってきてくれて焼き鳥やらずりにつけて食べたら、最高においしかった。子供が増えたら用意やらで大変だと思っていたけれど私一人で全部を用意しなければならないわけじゃなく友達もサラダ類、炭水化物類、デザートなんかをもってきてくれる。それに子供が集まれば集まったで、自分たちだけで遊んでくれたりもするから安全かどうかだけに目をやっていれば、母たちはそれなりにおいしいものを食べたり、おしゃべりに花を咲かせたりもできる。この夏は思う存分、BBQを楽しもうと思う。
2009年08月09日
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ケンジを獣医に連れていったのが先週。それから毎日、ウォーキング・ジョギングは続いています。ただ、一日二回はやはり時間的に厳しいので朝のみ。いけるときだけ、夕方も。そんな感じでやっています。朝も早めに起きて出かけ、そのままスーパーで食料品の買い物をして帰ってくるようにしています。そのほかの用事があれば、その足で済ませてしまう。買い物だけなら、9時半には帰宅できるので一日にも余裕が出てきました。昨日はナナミに朝ごはんを食べさせ、寝かせました。朝のうちから夕食の下準備を始めました。味噌汁を作って、米をといでおきました。夕方に、メインと副菜とサラダを作ってかなり楽でした。今日も午前中、ナナミが寝ているうちに、夕食の準備です。野菜たくさんのスープを作りました。夕方にはねぎとキャベツだけの、ミニお好み焼きと鶏肉と野菜たっぷりの炒め物を作りました。朝、ウォーキング・ジョギングをしながら今日の晩御飯を何にしようか考えます。何を作るか決めて、運動のあと必要な食材を買って帰宅できるので朝のこの日課はかなりのメリットになっています。水泳をしていたときもほぼ毎日出ていたことはでていたのですがジムの場所が家の近所(山の中)で、スーパーまで足を伸ばすことはなく買い物まで済ませることはなかなか出来ませんでした。水泳からウォーキング・ジョギングへの変更はケンジのためにしたことです。それをケンジは知っているとは思いませんが最近では昼間もジジババのところに入り浸ることはあまりなく私たち親子がいるこっちの家で一緒に過ごすことが多くなってきました。ジョギングに替えてから、ついでの買い物ができる以外に買い物がしやすくなったもう一つの要因としてナナミがショッピングカートに座れるようになったこと。カーシートを車から外して、ショッピングカートに乗っける作業がもう、重くて面倒くさくて、ほんとに嫌だったのでナナミだけを抱っこして、カートに乗っけられるようになって買い物するのが全く苦にならなくなりました。ナナミもショッピングカートが大好きで、いつもうれしそうに買い物につきあってくれます。ナナミは7月20日で9ヶ月になったのでそろそろ自分で食べる練習をと思いミニお好み焼きをちぎって、ハイチェアーのトレイにおいてあげました。ナナミはお好み焼きをわしづかみにして5cmぐらいのを3つも(かなりこぼしていたけれど)ムシャムシャ食べました。ランチのときに、小さく切ったアプリコットをトレイにおいてあげました。人差し指と親指でつかむことがまだできないようでこれはまだ、自分ではなかなか食べられず私がトレイから一つつまむと、大きな口をあけて食べさせてもらうことを要求していました。あ、それから、昨日の朝夫が仕事に行くときに「バイバイ、ダディー」と私が言うのを、ナナミがまねをしました。ケンジを見ると「ジッ!ジッ!」といって笑います。そのほかにも、いろいろとまねをするようになってきました。こわいわぁ~。ほんと、気をつけないと。。。。以上、近況はこんな感じです。
2009年07月23日
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今日は仕事復帰2日目だったけれど鎮火していないので休んだ。仕事中に火の手が広がって、こっちまで来ることはおそらく可能性としてはそんなにないのだけれど心配しながら仕事するのも嫌だったし。5時に起きてニュースをチェックしたら昨日よりもまた、こちらに火の手が来ていた。そして、昨日からの風はまだ止んでいなかった。6時に仕事場に電話をして休む連絡を入れた。7時半ごろ、下界から山の様子をみようと夫と出かけて火の手はまだ遠いな、などと言っているところにマムから夫の携帯に電話がかかってきた。リバース911で避難勧告の電話がかってきた。と。リバース911は、警察からの電話で避難勧告地域の住民にテープで「今すぐ避難してください」と電話がかかってくる。すぐに家に向かって帰ったのだけれど私たちが通過したあとすぐ、道が閉鎖された。下界から隔離された。避難をしてここを離れたら、避難解除になるまで通らせてもらえないから帰ってこられなくなる。火の手も遠いところにあるし一刻をあらそう状況ではないから、今は避難しない。荷物のパッキングはできているから、ここで様子を見る。それにしても、仕事休んでよかった!ナナミが病気になったりしたときに有給をとっておきたかったから休むかどうか最後の最後まで悩んだんだけれど休んでよかった。。。仕事にいってたら、帰ってこれなくなるところだった。。。
2009年05月08日
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火曜日午後1時半、サンタバーバラのとある地区(山エリア)で出火。出火原因不明。多分、自然発火?小さく始まったので、小さく終わるとおもっていたがなんのなんの、広がってます。昨日の午後に強風が吹きまして、ぶわっ!と広がりまして現在44時間経過ですが、まだ燃えています。日本までニュースにならないだろうと思っていたけれどこの調子ならCNNで流れて、下手したら日本の家族の耳に入るとおもい昨日の夜に姉にさくっとメールしておいた。燃えてるけど、いまのところうちは大丈夫だから。と。去年11月の山火事はここから直線距離で800mぐらいのところで出火。間一髪で避難。風向きが劇的に変わり火の手は家から反対の方向へどんどんと燃え広がりこのエリアは助かった。かなり広大なエリアが燃えた。今回のは直線距離で20キロぐらい離れている。こっちに向かって北東風が吹いても、すでに燃えたエリアにはもう燃えるものが何も残っていないからここにはこないのだけれど前回燃えなかったエリアを山手へ山手へ、火の手は向かっている。そして今日の午後からまた、風が強くなるという予報。山手から、南西風がふいて燃え広がり西に火が降りてきたらうちもヤバイ。45年前の山火事と全く同じルートを通ってきたらヤバイ。45年前、マムが1歳の夫、3歳の義兄をつれて非難した山火事でガレージを一つ全焼した。家はダディーが水をかけ続けて守った。距離的には遠いのだけれど、リビングの大窓から見渡せる山のムコウで煙もくもく、そしてときには真っ赤な炎が混じった煙が見えているのにぐっすり眠れるわけもなく、昨日は不安で眠れた気もしなかった。大事なものとナナミのものを箱につめて避難に備えているところ。今朝になったら山の煙と火はすっかりなくなり昨日の夕方には雪のように舞い降りていた灰と煙も今日はすっかり晴れてにおいさえしていない。でも、火の手はこの山の向こうで燃えているらしい。。。最高に晴天ですがすがしい夏日、一見平和な一日もちょっと不気味な感じがして不安がつのる。その不安の原因はメディアにもある。とにかく、どのニュースを見ても怖がらせてなんぼかというぐらい大げさにニュースを流し、天気予報のおっさんも私らが震え上がるような注意予報を流す。これしか情報を得る手段がないのに、ほんとやめてほしい。そして、多分、多くの人が一番知りたいと思われる今現在、どこが燃えているの?という情報がほんとにあいまいで、しかもなかなかでてこない。どこが避難勧告がでていて、どこの道路が閉鎖かという情報はある。今どこが燃えてるのかを市民が知ることができたらもっとスムーズに無駄な心配を削減できるのに。そんなだから、夫みたいな人たちがたくさんどこあたりが燃えているのか見に行って火事近郊の交通を混乱させるのじゃないか。今日はナナミをプールに連れて行こうと思っていたけれどそれどころじゃないな。。。ナナミが寝ている今のうちに、私も寝とく。
2009年05月07日
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17時間遅れで。。。新年 あけましておめでとうございます~本年もどうぞよろしくお願いします。大晦日の昨日は、家族みんなで(ジジババ含む)日本レストランに夕食をたべにいってきました。クリスマスも誕生日もジジババには何もギフトを買っていないのでそのギフトもかねてのディナーでした。物を必要以上に持ちすぎている私たちには物のギフトは不要です。先月の山火事騒動で、物は所詮物でしかなく燃えてしまえばそれまで。はかないものなのだと実感したのです。そして今日は新年。新年の抱負は先日すでに発表しましたが忘れないようにもう一度。。。いつも感謝の気持ちをわすれずいつも心穏やかに前向きにハッピーに。。。マムやダディーにやさしく思いやりの気持ちを忘れずに家族を大切にする。昨年は5月に夫が司法試験に合格し妊娠、プチ別居、そして出産。ホルモンがワイルドになり情緒が不安定になりベイビーの前で夫と口論ばっかりしていた産後。その後、山火事ですべて灰になるかもしれない危機を逃れ今があることのありがたみをしみじみと実感した日は夫の誕生日でした。新年の今日は御節もお雑煮もなく夫も友人のリモデルの仕事にでかけていますが今朝は早朝から起きてベイビーとケンジをつれてジジババに新年の挨拶をしてきました。夫は午後一には帰ってくるそうなので波があれば夫は恒例のニューイヤーサーフィン。私はナナミとケンジとビーチでまったりしたいと思います。みなさん、よい新年をお迎えください。
2009年01月01日
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本日2つ目の日記です。今日、ナナミの出生証明と私たち夫婦の婚姻証明をとりに役所にいってきました。出生証明はナナミの医療保険とパスポート申請のためです。できたら今年中に気候がいいときに日本に帰省したいなぁ、と思っているのです。で、パスポートオフィスとかにいって申請しなくちゃならないと思っていたのですがサンタバーバラの役所でその場で申請できたのでした!ラッキー!!写真はナナミを赤ちゃんのマットに白いタオルのを敷いてその上に仰向けに寝かせて撮影。3・4週間でナナミのアメリカのパスポートが届く予定です!ナナミが20歳になるまでは、日本とアメリカ両方のパスポートを所有できて20歳でどちらの国籍を取るのか決めればいいのですが。。。私は結婚したときに、日本の領事館に結婚したことを届け出なかったので日本の国籍はまだ独身のままで、両親の戸籍から外されていません。だから、ナナミは日本の戸籍がないので、戸籍抄本がとれない。戸籍抄本がなければ、日本のパスポートは作れない。と、L.A.の領事館の人に言われました。5年前の婚姻届を出して同時にナナミの出生届けを出してナナミの日本の戸籍を作ることができるのかやってみたいと思います。ナナミが20歳になったとき、「日本人として生きる。」と、日本国籍を選ぶことは恐らくないであろうとは思いますがオプションがあるということは悪いことではないのでちょっときいてみたいと思います。
2008年11月26日
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避難勧告は解除。通行止めもまだ一部ではされているものの、このエリアは解除になりました。今日はナナミのおむつやら、食材の買い物に行けます。まだヘリコプターが上空を飛びまわっていますが、ほぼ日常にもどりつつあります。荷解きはまだ少し不安なので、あと数日は衣装ケースやら旅行バッグに入れたままでおいておこうと思っています。この災害の間、私、マム、夫の携帯がひっきりなしに鳴っていました。私の安否を気遣う友人、親戚、同僚からでした。できることがあったら、なんでも言ってほしい。あなたたちの安全を祈ってるから。そういってもらえるだけで十分なサポートでした。有難かった。。。伯母さん(マムの姉)は私たち家族を快く受け入れてくれました。自分たちのベッドルームをマムたちに使わせ、私とベイビーをゲストルームに。。。伯母さんが喘息もちなので、煙が出ているからどこかのホテルに行くといっていたのですが、結局家に残り、自分たちはリビングのフロアーにマットレスを敷いて寝ていました。煙がベイビーの肺によくないからと、空気清浄機をゲストルームに出してくれたり。。。伯母さんのこと、昔昔にダディーのお父さんの遺産をめぐっていろいろあった話を聞いて、あまりよく思っていなかったけれど、今回のことでそんな風に思うのをやめようと思いました。これが落ち着いたら、彼らを夕食に招待してあげようと思っています。Uちゃんは避難当日から、伯母さんの家まできてくれて、ケンジとオリクルをつれて帰ってくれたし、翌日も私と一緒にホテルに滞在してくれて、ナナミで手一杯の私と、ダディーで手一杯のマムの、第二の手足となっていろいろとやってくれたのでした。。。ホテルから帰宅した昨日も、うちに来てくれて、ご飯を炊いたり洗い物をしたり、ナナミを見てくれたり、ほんとに助かりました。彼女のことは、私はほんとに家族みたいにおもっているし、彼女も私たち家族のことをSBの家族みたいに思ってくれています。今年のサンクスギビングも(こちらでは日本のお正月ぐらいに大きなホリデー)ディナーに招待するつもりだったけれど、私が招待する前から彼女は他の友人のパーティーを断り、その日はここに来るつもりをしていたと言っていました。ありがとう、Uちゃん。病院からも電話が入っていました。何かサポートできることがあったら、電話くださいとソーシャルワーカーからメッセージが入っていました。一人避難することなく、火事の間中、家を守るために残った夫にもいろんな人から電話がひっきりなしにかかっていました。夫もありがたいことだといっていました。銀行が3泊まで避難勧告がでている人や、家が焼けた人へのサポートとして多くの人に無料のホテルを提供していました。一時的にサラを引き取れる人が見つからなくて、困っているところにAnimal Hotline の番号をテレビとインターネットで見かけて、マムがつれていったらすぐに引き取ってくれました。怒っていたけれど、おおきなケージで快適そうだったとマムは言っていました。ケンジは相変わらずの人気で、Uちゃんが引き取ってくれた後で、クリーニングレディーのティナとMちゃんからのオファーをいただきました。有難かったです。甘やかしてはいますが、こうやっていろんな人がすぐ引き取ってくれるようなやりやすいワンコに育てることができてほんとによかったです。こうやって、帰ってくる家があることのありがたみを心から感じることができる経験ができたことに感謝し、家族みんなに不平不満ばっかり感じていた自分を心から反省し、これからは家族を(特に夫)をもっと大事にしてあげようと思いました。いい加減で何でもすぐ忘れるし、私ばっかりあてにしておんぶに抱っこのどうしようもない夫だと思っていたけれど、夫は火の手が迫っているとき、ものすごく機敏に持ち出すものを箱につめてあっという間にトラックに積んでいました。その後2日間の、家を守るための夫の活躍は尊敬に値するものでした。夫が何も考えてないバカみたいに、いつもイライラしてやることなすことに怒ってばかりいた自分をまた反省しました。山火事から家を守るためにするべきことを知っているひとなんて、滅多にいないのではないでしょうか。夫のことを改めて尊敬することができて、これまた感謝の気持ちでいっぱいです。当たり前に思っていたことに感謝の心が生まれたことに、心から感謝したいと思います。安否を気遣ってくださった多くの方々にも、感謝します。ありがとう。
2008年11月16日
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山火事は広大なエリアを焼き尽くしました。100軒の家屋・建築物を焼き、けが人は13人。死者は0。私たちのホームは救われました。11月13日午後6時過ぎ:ここから直線距離で1マイルも離れていないエリアで出火。出火の原因は捜索中。私たちのエリアは風向きによって救われました。これが東風だったら15分以内に火の手が届いていただろうと夫は言います。この日はマムのお姉さん宅で滞在しました。夫は残って、家やその周りに水をまきつづけていました。この日、火の手は広がり広大なエリアを焼き尽くしました。私たちの家から遠ざかるように、どんどんと反対方向に火事は広がっていきました。お姉さん宅のデッキから、サンタバーバラの山脈が大きく見渡せます。炎が広大なエリアを覆い、まるでマグマが山脈を流れ下っているようにも見えました。お姉さんの家からの眺めが絶景なのを知っているご近所の人が次々とやってきました。ワインを飲みながら、みなが山火事を眺めていました。独立記念日にバーベキューをしてビールを飲みながら花火を眺めるようなそんな雰囲気が漂っていました。お姉さんは動物アレルギーと喘息を持っているので、オリクル(老猫)とケンジをUちゃんに預け、サラ(若い猫:問題児)は一晩はケージにいれて、次の日に近所の保健所が犬猫を一時的に預かってくれているということで、そこに預けに行きました。馬を飼っている人もいるエリアです。馬を預かってくれる場所もインフォメーションがでていました。さすがアメリカです。11月14日:前日夜中に風がとまりました。それでも火は燃え続け、鎮火作業は続いていました。火の手は完全に、家から反対のエリアに広がっていきました。どちらかというと、ダウンタウンに向かって火の手は山を下っていきました。強制避難勧告は引き続きでていましたので、そのエリアへの侵入道路は警察がバリケードを張っていました。その日の午前中、勧告がでているエリアに住む住民を通行許可していたようで、マムとダディーは昼前にお姉さんの家をでて一度家に帰ってきました。私はそれを聞いて、昼過ぎにお姉さんの家をでて家に向かったのですが、そのときにはもう一時通行許可が解除され、避難勧告エリアとバリケードされる道路が新たに加えられたところでした。ベイビーのオムツもない。まだ3週間のベイビーなのに。義両親と夫が家にいるのに。。。と、半泣きで警察官にお願いしましたが、若い警察官はそれでも申し訳なさそうに通れないと私に言いました。ナナミを車に乗せ、家に帰れなくて途方にくれて夫に電話をしました。警察官がブロックしていた交差点の一角は、マムが毎週日曜にお祈りにくる教会だったので、マムがそのバリケードよりも数十メートル上までやってきて、車を駐車。私は反対側の道路から、チャーチの駐車場に車を止めて、マムとそこで落ち合いました。チャーチの建物の中をとおってマムの車に荷物だけを運び、私の車はそこに残して帰宅することができました。この日、日暮れからまた強風が吹く予報がでていました。まだ火は燃えており、風向きによっては私たちの家もまだまだ安全とはいえない状態でしたので、夫は木の枝を切ったり、屋根にスプリンクラーを設置したりしていました。夫の友人が二人作業を手伝いにきてくれました。私は日が暮れるまでに荷物を作り直し、書類やら衣類をつめなおし、洗濯やら家中の生理整頓をしました。ゴミ箱のごみを集めながら、「掃除したって、焼けるかもしれないのにな。」なんて思いながらも、せずにはいられませんでした。ナナミの衣類、夫の衣類を洗濯し、荷物を再度パッキングしたころ日が暮れ始めました。この日の避難先はホテルでした。私たちが預金している銀行が、山火事の被害を受けた顧客にホテルを3日間無料で提供してくれるという情報をマムの友人から聞き、早速銀行に行ってバウチャーをもらいました。二部屋いただいたのですが、夫は家に残ることになるだろうと思い、Uちゃんを呼びました。幸い、このホテルはペットフレンドリーだったのでケンジも滞在することができました。昨夜から離れ離れになっていたケンジは、私たちとの再会に喜びで体を震わせて、高い声をあげて鳴きました。私は前日にお姉さんの家では、インターネットで一晩中、母乳をあげたりオムツをかえながら、風向きとか火事状況のアップデートを逐一夫に電話したりしていて、ほとんど寝ていませんでした。そして、昼間も掃除やらパッキングをしていたのでこの日の夜はほんとにくったくたに疲れていました。夜中の授乳のときには白目をむいて寝そうになりながらおっぱいをあげていました。授乳しながら半分ねてしまい、ナナミも寝付いたころに、Uちゃんがナナミをそっと私から抱き上げ、4時ごろまでじっくり寝付かせてくれたので、私はゆっくり休むことができました。一晩中、懸念されていた強風など全くなく、とても静かな夜を過ごしました。夫の友人も夜中前には下山し、夫もゆっくりと眠ったそうです。11月15日:昨夜から、南のL.A.エリアで大きな火事が発生。こちらの山火事はほぼ鎮火されたということで、消防隊、ヘリが新たな火事のエリアに借り出され、テレビ局のプレスもみな新しい山火事に行ってしまったようでした。ニュースもインターネットも新たな火事ばかりでこっちの火事の情報がなかなかアップデートされなくなっていました。懸念されるのは風向きだったので、天気予報で風速と風向きのアップデートを逐一チェックすることにしました。交通網はまだブロックはされていましたが、昨日よりも簡単に通らせてくれるということで、昼過ぎにはまた帰宅しました。Uちゃんの家から、オリクルを引き取り、マムもサラを保健所から引き取り、家族全員が再会を果たしました。ケンジは再び、家に帰ってきた喜びを体いっぱいで表現していました。いつもはクールな猫たちも、明らかに、家に帰ってこれた喜びを体いっぱいで表現していました。荷解きはまだしていませんが、今夜も強風の注意予報がでていたので、ホテルの予約はキープして、万が一強風が吹き始めたときにはまた避難するつもりで、今夜は家に泊まることにしました。今のところ、風速は0です。先ほど、避難勧告が解除になりましたので、もうこのエリアはほぼ安全ということをニュースで聞きました。恐らく後日、風向きによっては膨大な灰の被害が出てくることは明らかですが、今のところはこのエリアは空気もきれいで煙もなく、そのための避難もする必要はなさそうです。明日は多分、荷解きができることでしょう。今回、かなりのエリアが燃えたので、しばらくは山火事の危険はないはずですが、それでも災害時のパッキングリストを作成し、次の災害に備えたいと思います。このエリアは私たちのようなラッキーな労働者クラスの人はあまりいません。ほんとに半端じゃなくリッチな大富豪が住むようなエリアです。不動産もここだけは世界が別のようで、経済が落ち目になってもあまり影響されないだろうといわれています。住居ではない建築物も入れて100軒焼けたらしいです。20億、30億する豪邸も多く焼けたはずです。保険会社がいくつか破産して潰れるだろうとUちゃんが言っていました。生後3週間(には見えないぐらい大きくてしっかりしている)のナナミ、犬一匹、猫二匹、パーキンソン病のダディー。今考えたらすごいハンデを抱えて、マムも私もほんとによくがんばりました。夫も家を守るためにがんばりました。そして、家が焼けなくてほんとによかった。。。。焼けてたら今頃どうなってただろうか。。。ケンジもオリクルもサラも、もしかしたら一緒に暮らすことができなくなってたかもしれません。パーキンソン病のダディーと生後3週間ちょっとのナナミを抱えて、家をなくして、私たち、どうなってたんだろうか。。。ほんとに考えただけで胸が締め付けられます。そして、誰も命を失うことがなかったこと、家が救われたこと、ほんとに感謝したいです。小さなことでイガイガと目くじらをたてて、文句ばっかり言っていたこと、ほんとに無駄な時間をすごしてしまったと反省しました。なんだかとても疲れました。今回の経験でいろんなことを考えさせられました。どんなに高価な家具も、お気に入りの洋服も、いろんなデータが記録されたコンピューターも、所詮、物でしかない。この何億かの価値があるマムたちの家だって同じ。今は言葉で言い表すことができないのだけれど、ほんとに大事なことを心で学んだ気がします。そして、その学んだことをゆっくりとかみ締めて考えながら、決して忘れることがないように今後に生かしていきたいと思いました。この出来事はナナミが大きくなったときに、私なりのメッセージをナナミに伝えながら話してあげたいと思います。
2008年11月16日
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避難勧告がでて、今マムのお姉さん宅に非難中です。近所で山火事が発生。今日はサンタアナ・ウィンド(生暖かい、サンタアナからの強風)が吹き、火の手が猛スピードで広がっています。かなり近くまで燃えていたのだけれど、風向きが家とは反対方向に吹いていたので、煙のにおいもなにもしなく、しかも見ていたチャンネルがトラベルチャンネルだったので、近所で山火事が起こっていることなんて気がつかず。。。夫が帰宅後、寿司でも食べにいってくると出かけてすぐ、すぐ近くの空が真っ赤になっているのを見てあわてて帰ってきて、すぐに荷物をまとめて非難するように言われたのが6時前。その直後に消防署から電話があり、避難勧告が出ました。荷物まとめるったって、どの程度まとめるのか、とにかくパニックになりながらも、現金とか、書類とか、ナナのものとか犬とか猫とか、とにかくできる限りパックして家を後にしました。今のところ、風が止み小康状態(別のエリアに激しく火の手が上がってはいますが)で、風向きがこちらに向かって激しく吹くことさえなければ、家は助かりそうな感じですが、家が、何もかもが燃えるかもしれない。そんな状態で何をパックしていいものか、ほんとにパニックになりました。パニックになりながらも、できるだけ大事なものを可能な限り持ち出すことには成功したと思います。普段から書類のファイリングだけはコンパクトにしっかりやっていたので、バインダーを箱につめてすべて持ち出すことができました。隠し現金もすべてつめたし、小切手も、保険も、コンピューターのバックアップファイル(メモリースティック)と、写真(メモリースティック)ももちました。ノートパソコンももってきたし、それから、犬のキャリアに犬のえさ、猫のえさ、ケンジのジャーキーとロープまでつめて、猫二匹をキャリアにいれ、ケンジを車に掘り込み、自分の着るもの少々、携帯とチャージャー。懐中電灯とバッテリー。それから、ナナの洋服とかオムツとか毛布とか。。。彼女のバッグが一番でっかかったのには自分でも母テスト合格点をあげたいです。夫の衣類や物品は残念ながら、最後でした。夫が仕事用のトラックに大事なものを荷詰めしたあと、夫に「あんたの衣類とか、全然パックできてない!ごめん!」と言って、夫は自分で衣類とかをパックしていました。それから、夫以外は全員、マムのお姉さん宅へ非難。夫は家に残り、家をできるだけ守るために家やら周りに水をまきつづけていました。1964年にも大規模な山火事が家の庭まで差し迫りました。そのとき、夫は1歳。クリス3歳。マムは二人の子供をつれて非難しました。ダディーは一人家にのこり、水をまき続けたそうですが、火の手は庭まで及び、家は焼けることはなかったけれど、ガレージが一つ全焼したのだそうです。当時は水道の勢いがなくなって、十分な水がでなかったそうで。。。今回、夫は水の勢いがなくなるか、煙や熱風が襲うまではがんばって家に残ると言いました。一度、かなり濃い煙で覆われたときに、「もうそろそろ非難する」と夫から電話がありましたが、そのあと風は収まり、煙がなくなったのでまだもう少し残ると夫から再び電話がありました。風は現在もほとんどない状態で、夫は家に残っています。水まきはちょっと休憩して、家でニュースをみているところだそうです。一度、エリアを離れてしまったら、交通規制で戻ることはできないから、夫は非難はしないで多分家に残るだろうと思います。もう火の手が回ってこないだろうことが確認されて、避難勧告が解除になればすぐ帰るつもりはしていますが、ただ、煙と灰の被害が多くあるようならばナナミをつれて市外のモーテルにでもしばらく宿泊しなければならないかもしれません。まだまだ安心できる状況ではありませんが、とりあえずは皆生きていることに感謝して、家が守られることを祈りたいと思います。
2008年11月14日
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アップデートしなくちゃならない事項ありました。まず、ロッタリーは当然のごとく両方ともジャックポットならず。メガナンバー(頭番号:日本の宝くじで言うなら、組番号でしょうか。)も当たらずで、5組の番号のうち、二つを両方当てたのみでした。賞金はありませんが5つあるうちの2つが当たるのは簡単ではないので、私も夫も「二つもあたってすごいやん!」とちょっとまんざらでもなく、このロッタリー、これからもときどき購入するかもしれません。義兄は金曜日の夜遅くに到着する予定が、昨日(土曜日)朝起きてみたら来ていませんでした。私たちが用事で外出しているときにマムから電話があり、昼前に到着すると電話があったことを聞きました。私たちが帰宅後、義兄は来ていましたが子供たちはおりませんでした。二人とも、病気だといっていました。来てすぐの義兄はおとなしく、これといった爆弾発言はありませんでしたが、午後からだんだんとおかしなこと(嫉妬にあふれた怒り、夫に対する文句など)を言い出して、夫もマムも彼が帰った後はほっとした感じでした。同居していたときは、そういうことが嫌でも耳に入り私の腹は怒りで煮え繰り返っていたのが常ですが、義兄の子供たちがジジババに会えなくなるようなことをしてはいけないという思いから、何事もないように義兄と子供たちを歓迎し、食事の用意をし、子供たちをサーフィンに連れて行き、彼の発言には無視をしていました。今回、妊娠中の私に変なストレスを与えないようにと、夫はビジネスでお世話になっている友人夫婦と夕食をする予定をわざわざ入れてくれたのだと思います。そうすれば、義兄と夕食を食べなくても済むし、夕食の用意もマムにはさせられないし、こっちだけ勝手に作って食べるわけにはいかないな、とは私も思っていたので、結局は私が用意するのだろうと夫も見込んでいたのだと思います。夕食から帰ってきたら、義兄はもういませんでした。この二日のアップデートはこんな感じです。昨日はサンタバーバラは久しぶりに雨でした。気温がすっかり下がり、先週の猛暑は嘘のようです。昨夜は夫は、電気毛布のスイッチをオンにしたそうです。私は夫よりも寒がりなんですが、妊娠中は体温が上がるのか、電気毛布が必要なほど寒くはありませんでした。昨日は敷地内のアスファルトの塗り替えをする予定だったのですが、雨が降ったので中止となり、今日も地面がまだぬれているので中止。夫は昨日と今日、ゆっくりと休んでいます。リモデルを6月に開始してから、休みなしで働いていたので、夫婦でこんなにゆっくりしているのはほんとに久しぶりのことです。ケンジもパパママが二人そろって大変うれしそうにしています。予定日まであと2週間とすこし。ナナミはまだ出てくるつもりはないような感じです。
2008年10月05日
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ダディーの友人、フロイドおじさんはもうすぐ80歳。ダディーをみていたら、若いなぁ。と思う。ダディーは今年71歳だけれど見た目とかほんと85より若く見えることはまずない。フロイドおじさんの若さの秘訣は、おそらくギャンブルと見ている。フロイドおじさん、生涯独身。子供なし。責任なし。弟のフランクの家に住み、家賃も光熱費も入れず長年暮らしている。フランクの奥さんは4・5年前に癌で他界したけれど、奥さん健在のときもフランクさん夫婦、子供3人と一緒に暮らしていた。夫がまだ小学生ぐらいだったときには、一時期、毎日のように夕食時にやってきて一緒に夕食を食べていたそうな。このフランクさん、先日久しぶりにうちに来た。ダディーをつれてランチを食べに出かけたのだけれど、最近はダディーがよくふらついて転んだり、血圧の問題もあり、マムも一緒に出かけた。そのランチでの会話のなかで、フロイドさんが言っていたことをマムから聞いた。フロイドさんがギャンブルをしているとき、いつも神様に祈っているのだそうな。勝たせてください。勝ったお金はすべて、困っている人々、子供たちのために寄付します。どうか、勝たせてください。と。私は「冗談で言ってたの?」とマムに聞いたけれど、いやいや、ギャンブルしているとき本気でそう祈っているらしい。わけ分からん。もう二度と、この親父にランチを振舞うことはないだろうと思ったらほっとした。マムは言っていた。そんなこと、神様がかなえるわけないじゃないの。かなえるんだったら直接、困った人たちにお金が回るわよ。ばかじゃないかしら。私いわく。ギャンブルしてそんな祈りをするんだったら、そのお金を困った人たちに直接寄付すればいいんじゃない。小額でも、大事なのは気持ちなのにね。マムに言わせると、フロイドおじさんはそこまで賢い人間ではないらしい。まぁ、そんなことを平気で真剣に、恥かしげもなく言い腐るぐらいだから、賢くはないわな。フロイドおじさんはいつも真剣に話をするけれど、言っていることがほんとにちんぷんかんぷんというか、「冗談で言ってるんだよね?」って思うようなことばっかりでかなりおかしい。夫やマムは、「一人でさみしいから。」とこの親父を広い心で受け入れるけれど、私は一人さみしい老後の人生をこの親父が生きているのは、彼の責任。自分が選んできた道なんじゃないかと思うので、同情はあまりない。ダディーの友達だから、ダディーの話し相手をするのに(ランチ目当てもあるけれど)うちに来るのは夫はものすごくありがたいと思っているから、くるなとは言わないし、来たいだけ来て、うちで過ごせばいいと、別居をした今では思っている。もうこの親父にランチを食べさせなくてもいい、ストレスからの開放もかなり大きいと気がついた。
2008年09月30日
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パーティーが無事に終わり、しばらくは買い物に行かなくても食べ物に困ることがない生活が送れそうです。食べ物、飲み物、デザート、すべて大勝利でした。ゲストは100人、しっかりいらっしゃいました。そして、皆さんほんとに喜んで帰っていかれました。ギフトも、パーティーの出費を取り戻す以上いただきました。夫の友人でドクターのスティーブさん、相変わらず気前がよくて、この人は結婚式のときも最高額の小切手をくださったのですが、今回も誰も買わないだろうけど。。。と思いながらレジストしたクリブを購入してくださったのでした。そのほか、これは絶対にいるなぁ、と思いレジストした品物をみなさん購入してくださったので、ほんとにほんとに助かりました。昨日はボウタイパスタと、レタスのサラダ、チリビーン、サルサなどを仕事場の休憩室に届けてみんなに食べてもらいました。まだまだ食べ物が残っているので、明日はイエローカレーを届けに行こうかと思っています。このパーティーが終わって、ほんとに肩の荷が下りました。。。ほっとしています。これでフルタイムの仕事もなんとか10月4日まで余裕で続けられそうな感じです。昨日と今日でお寿司の具、スパイシーツナの残りを食べきりました。カニカマサラダがめちゃくちゃ残っているので、明日はこれで「おにぎらず」を作りたいと思います。明日のリモデルの作業は、夫が玄関外のパティオのフェンスを作るので、ヘルパーさんとか職人さんが数人来るらしく、この人たちのランチでパーティーの食べ物がちょっとははけることでしょう。それにしても、ほんとに忙しくて写真を撮ることができませんでした!残念~。職場の同僚がいろいろ写真をとっていたので、彼女にメールしてもらお~。今回は食べ物はほんとに何種類も用意したのですが、なかなか加減が難しく、それぞれを作りすぎたようでした。みんな、どのくらい食べ物たべたのかな?と、材料から計算してみましたが、やはり、一番食べたのは去年と同じく、トライティップステーキ。一人当たり0.5パウンド(200グラム以上)は食べたような感じです。チキンはオーダーした分の3分の1しかはけませんでした。シニアのくせに、さすがアメリカ人。肉すきやなぁ。。。
2008年09月02日
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2006年2月、オカマほられて廃車になった。事故直後、警察を呼んだけれど45分たっても来てくれず、夫が事故後すぐ現場に来てくれて相手との情報交換も済ませたので、警察はキャンセルして帰ろうといい、帰宅。これが大失敗だった。その日、警察はダウンタウンでギャングの問題があり、総出していたので私の事故に対応できなかったらしい。2時間でも待っていればよかった。。。。この事故、私が一時停止ラインで停止しているところを後ろから思い切りぶつけられたから、相手の100%の過失になるはずなのに。なぜか20%私の過失になっていた。その理由。相手がうその証言を自分の保険会社にしたから。警察が関与しなかったことを逆手にとりやがった。私は一時停止で停止していたのではなく、そのラインを超えて右折した10m先ぐらいの道の真ん中で「駐車」していたと保険会社に言った。私のヘッドライトは消えていて、携帯で話をしていた。仕事帰りで疲労していたことも指摘された。なんで仕事帰りの暗がりで、一時停止を超えて右折したあとに道の真ん中で「駐車」して携帯で話をしなくちゃならない理由があるのか?ちなみにオカマした相手は同じ病院で働いているナース(名前:マリー)だった。トラベラーだから正規の社員ではなく、期間がきたらまた別の土地へ行く余所者だった。ちなみに彼女はもう、サンタバーバラにはいない。私が携帯を使い、ヘッドライトを付け忘れていたことは事実。でも相手は前からぶつけてきたのではなく、ブレーキライトが点灯している後ろから衝突してきた。事故当時は気がつかなかったけれど、彼女もヘッドライトを点灯し忘れていたのだ。あんなに大きなSUVが後ろからつけてきていたら、そのヘッドライトは私の前方までも、まぶしいくらいにしっかり照らしてくれるはずなのだ。後日、暗くなってから、夫と車2台で現場にもどったとき、私の後ろを夫のバンが後ろにつけていたときにそれに気がついた。衝突したとき、私は後ろに車がいることさえ、気がつかないくらいの真っ暗闇にいた。彼女のヘッドライトが点灯していたらありえない状況だった。彼女は衝突後、ヘッドライトを点灯し、自分がヘッドライトを付け忘れていたことを隠した。次の日、保険会社に電話してマリーがうその証言をしたことがわかった。保険会社は私の言い分を聞かず、マリーの言い分から8:2でいくといった。変更はもうないと言った。そして、保険会社は私に、廃車した車の80%のみを支払っただけだった。その後、一週間後ぐらいから首がひどく痛くなり、仕事を2回休んだり、病院に行ったり、カイロプラクターに行った。そのお金は一切、支払われなかった。事故から2年間の間は、訴訟を起こすことができる。来年2月が来る前に動かなければならない。夫が国家試験に合格したので、ようやく私の事故の支払いの申し出をする手紙を書いたり、手伝ってくれるようになった。夫はオフィシャルに弁護士ではないけれど、弁護士としての器量と知識は十二分にある。マリーの保険会社に支払わせるにはもう、訴訟しかない。だから訴訟を起こすことにした。私はお金はどうでもいい。このマリーがナースとして働き、自分が犯したあやまちを認めることなくうその証言をしたことは絶対に許せないでいる。ナースは正直でなければならない。同じナースとして自分が犯した過ちから逃れようとする、彼女の行為は私には許しがたいものだから、彼女はその制裁をうけるに値すると思うから、訴訟をする。勝訴したお金に固執するつもりはないから、それは全部夫にあげると言ってある。仕事用のトラックでも自分の乗用車でも買いなさいと言ってある。スモール・クレーム裁判を起こすことができる。弁護士はいらない。最大7500ドル(約75万円)の請求ができる。医療費と仕事を休んで使った有給だけならばたいした額ではない。最大7500ドルを請求するために、精神的・肉体的苦痛を含んだ。訴訟を起こす前に、相手にその額を払うのかどうか意思を確認しなければならない。先週、手紙を書いてファックスした。手紙の内容は、7500ドルを請求する訴訟を起こすまえに、相手が支払う意思があるのかどうかを確認しなければならないことを相手に伝え、こちらが請求する7500ドルの振り分け・詳細を明記した。翌日、電話があり、医療費のコピーを送るように言ってきたのでそれを送った。先日、保険会社から手紙が届いた。$2000-ちょっとを支払うことで示談するという内容だった。そのほかにも、保険会社は私の事故証明は1週間後に作られたもので、しかもマリーはその証明に関与していないので、無効だ。みたいなことが書いてあった。保険会社が8:2と言ってきてすぐに、私は警察に行って1週間後に事故証明を作ってもらった。後日でも証明は作れると警察が教えてくれたから。なんであのとき、事故のすぐあとに警察をキャンセルしたのか?と夫をうらんだ。疲れてパニクッて、素直に夫を聞いた自分も恨んだ。日本だったら絶対、警察が来るまで待ち続けていただろう。警察に任せるのが常識だから。ここはアメリカだから、夫はわかってる、夫がどうにかしてくれる。そう思っていた。1週間後に作った事故証明にははっきりと、マリーに電話を2回、郵送で手紙を1回、送ったけれど何も返事はなかった。と明記されている。そして、事故は一時停止していた私の車にマリーが衝突したと明記されている。2000ドルなんてハシタ金は要らない。せめて8:2の割合を変えないというのなら、7500ドルの80%の額を支払わない限り、こちらは訴訟を起こすつもりでいる。相手は、マリーと警察がなにも話しをしていないと言うけれど、警察は3度、彼女にコンタクトをとった。警察からの連絡を無視して、証言に異議をもうしたてなかったマリーは、この書類に同意したことになる。彼女の行為がこの公式なレコードを無効にできるという言い分はおかしいことを夫は次の手紙で指摘している。それから、マリーが保険会社に報告した事故状況は、サンタバーバラに住み、そのエリアを知るものならば(裁判官も含む)どう考えても理にかなわないし、完全無理があると思われることも指摘した。そのことをマリーは理解していて、警察からの連絡を無視したのではないかということも夫は含めた。裁判になれば、マリーの言い分はまず聞き入れられることはなく、訴訟の額どころか、8:2の割合についてまで双方が問われることになりうる、と夫は明記した。このファックス、今から保険会社に送るところ。夫は結構、このやりとりを楽しんでいる。
2008年06月22日
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サンタバーバラは常夏気候で一年を通して過ごしやすい。というのは誰もが抱くイメージなのだけれど。。。地球は確実に、温暖化に向かって走り続けていると、実感した過去3日。35度を超えるか超えないかぐらいの最高気温なんてサンタバーバラではまずありえなかった。98年に渡米して5年ぐらい前までは、真夏でも朝夕は長袖が放せなかった、そんな気候だった。夏場でも、毛布を着て寝ていた。2年前まで乗っていたシビックは、冷房がなかったけれど、不憫に思うことはなかった。オカマされて全壊して買い換える前ぐらいには、「次は冷房が効く車が要るな。」と思いはじめた。気候が異常に変わり始めたころだった。サンタバーバラの一般家庭で冷房を設置しているところはものすごく少ない。熱帯の気候に適応するように作られた家もすくない。熱帯といっても、湿度がないのは救いだけれど、気温が体温ぐらいまで上がれば湿気がなくてもつらい。うちの屋根はこういう暑い夏に適応する屋根じゃないらしく、マムたちの部屋がサウナのように熱くなる。アパートのリモデルをするついでに、マムたちの部屋の屋根も全部、防熱のものに換えることになった。病院もすごい忙しく、病棟は空きベッドがない。病院全部が空きベッドがない。この気候のせいで病気の人も増えているのだ。きっと。昨日、仕事だったんだけれど今日(土曜日)働かないかと聞かれた。夫に車を貸すから足がないので、これないと断った。マネージャーとチャージナースに、2回聞かれて断った。それなのに今日の6時半に電話がかかってきて、メッセージが入っていた。働けないか?と。昨日は熱帯夜でぜんぜん眠れなくて、体温ぐらいのもやもやする空気のなかで苦しみながら、シーツの冷たい部分を求めて寝返りを打ち続けていた。だから電話をとる元気もなくて、そのあと3回、病院から電話がかかってきたけれど電話をとらなかった。ほんとにスタッフがいなくて困ってたんだな。あぁー、あつい。今日も暑い。仕事に行ったら涼しいところで一日過ごせるから、車があったら昼ごろから数時間、働いてもよかった。家の中、どこに行っても暑いんだから。サンタバーバラでここまで暑いんだから、夏が厳しい地方・国の夏はこれから一体どうなるんだろうと、心配してしまった。避暑地として観光客が集まる地域なのに、こんなんじゃ避暑地どころか、ここから逃げ出さないといけないぐらいだよ。ほんとに。今日は冷たいそばか冷麺でも作ろう。それから、スパイシー豆腐(中華風冷奴)。妊婦にこのヒートアタックは厳しすぎる。妊婦帯、寝るときもつけろと姉からいわれてるけど、こんな暑かったらちょっとむり。。。今日は妊婦帯オフでごろごろした。
2008年06月22日
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今日、サンタバーバラに帰ります。帰る前に、IHOP(朝食の店)で半熟ハムエッグとハッシュドブラウンの朝食を食うぞぉ~!!!毎日毎日、日本食材のスーパーで買った寿司パックと刺身ばっかり食べ続けて、もう魚は見たくない。。。オエッ!今日からしばらくは野菜中心、そして明日ぐらいにステーキを焼く!LAマラソンを避けて帰らねば。。。
2008年03月02日
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試験二日目。夫は3時ごろ、部屋にもどってきました。自分のベストを出せたようで、すがすがしい顔をしていました。今日はお昼ごはんを食べた後、ケンジと散歩に行きました。朝と昼にロープ遊びをします。投げたロープを拾ってきて、おやつをもらうゲームです。ロープで遊んだあと、今日2回目のウンウンをしてから部屋に帰ってきました。ロープを自分で運ぶといって聞かず、私の手からジャンプして奪い取るくせに、10メートルごとに落としたまま歩き去るので、何度も私が拾って行こうとすると、またジャンプして私の手から奪い取るのです。落とすたびに拾わせて、なんとか部屋まで自分で運んで帰ってきました。自立心が芽生え始めた2-3歳児のような、今日のケンジでした。
2008年02月28日
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試験2日目です。夫の朝食を用意して、ランチをクーラーにつめて、送り出しました。今日の夫のランチ:カジキマグロのたたき中トロお買い得豪華チラシきゅうりとプチトマト私のランチ:カジキマグロ中トロおかかおにぎり白菜キムチチリメンじゃこ納豆昨日とった写真をアップしたいと思います。行くところが全然ありません。空港周りは交通がややこしい上にかなりの量もあるので、運転はできるだけ避けたいので、ホテルの周りをケンジとうろうろする程度です。引きこもってオンラインで映画をダウンロードして見たり、テレビ見たり、本を読んだり。私にあわせて、ケンジもグータラと寝てばかりいます。右手に見えますのがラディソンホテルです。バスがまいります。ほえすぎて、リーシュにつながれてしまいました。お天気がとてもいいので、ちょっと外出してきたいと思います。
2008年02月27日
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夫の国家試験のとき、いつもクイーンのツインで予約します。ケンジは夜中の物音で唸ったり鳴いたりするので、ドアから離れた窓側のベッドで私と寝るように決まっています。夫は睡眠をしっかりとらなければならないので、ケンジが絶対にほえないように、私はケンジをリーシュでつなぎ、ちょっとでも唸り始めたらケンジを布団の中に押し込めて黙らせます。夫は昨夜、大変よく眠れたといっていました。夫のこれまでにないくらいの大きないびきを聞きながら、「うるさい!」ということもできず、夜中30分ぐらいボーっとしていたことなど、夫は全然知らないようです。夫はいびきをかきますが、ほんとに今まで聞いた事ないぐらい、大きないびきで、のどとか鼻腔とか、血が出てるんじゃないかと思うような痛そうな音だったのですが、これはきっと枕が違うからなんだろうと思います。いつもは夫、マイ枕を持って出かけるんですが、今回忘れてしまったんです。枕って大事だなぁと思いました。
2008年02月26日
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頭髪の量がすごい。ロゲインに使われるようなエキスが私の頭皮にはフンダンに生まれているに違いない。今、一番長い髪はもうすぐパンツのゴムに届きそう。頭皮から生えている、一本一本の毛がここまで長かったならそれはそれは毎日、大変な水とシャンプーとコンディショナーが必要になってくる。スキバサミがなかったときは、そんな状態だった。とにかく、長いし多いしうねってるし。。。サーフィン行くから痛んでるし。。。アップにして、クリップで留めるなんて不可能だった。ゴムでなければ、この髪はまとめられなかった。ポニーテールしたら、職場の同僚から「こんなにぶっといポニーテールみたことない!うらやましぃ!!わけて!!」と、こんなう○こみたいな髪をうらやましがられたり。そしてようやく、オンラインでスキバサミを購入。数ヶ月前に、自分でスキまくり、とても軽くなった。ほんとに頭二つ分ぐらいの髪をすいた。先日、また、同じ同僚にポニーテールを掴まれた。「これこそ、ホンマもんのポニーテールやな!!」またぶっとくなってきたのかな?昨夜また、すいた。なんだか、一番ながい髪がどんどん、どんどん少なくなってきて、変な感じだ。頭一つ分ぐらい、減った。これまで絶対、出来なかったひねりあげてクリップでアップにするヘアースタイルが出来るようになって感動している。ゴムでくくってばっかりだから、変な癖がついてしまっている。職場の同僚の多くは、クリップを使っている。ゴムだと、くくった型がつき始めるからだそうだ。私もクリップでまとめたいのだけれど12時間継続する自信がないので仕事場でこれをする勇気はないが髪が少ないと、頭もなんだか軽い気がする。
2007年11月26日
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午後一でまた波チェックしにいったけど、波はなかった。だから、ビーチを30分ほど散歩して帰宅。今日は2回もビーチを散歩した。ケンジもご機嫌。だから、よしとしよう。サンクスギビングホリデーの最終日のためフリーウェイは込み始めている。今年のサンクスギビングは、恒例のサーフィンはなかったなぁ。ちょっと残念だけれど、波が立てばいつでも来られるんだしすぐそこに波が立つビーチや山があることのありがたみを今日はかみしめることにしよう。。。
2007年11月26日
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朝起きてすぐ、PCを立ち上げてインターネットで波チェックをした。すごくいい感じで、スエルがヒットしていたのですぐに用意してビーチに行った。潮が高いことは知っていたけれど、淡い期待は裏切られ波は割れていなかった。午後一で、またもどってくるか~。波がないから、じゃぁ、午前中はなにしようかな。。。留学生のUちゃんが言っていたことを思い出した。Uちゃんの留学生友達は、みんな相当退屈しているらしい。サンタバーバラでは、何もすることがない。かなり退屈な街らしい。確かに、老人ばかりがいる静かな町でエキサイトメントもあまりないかもしれない。世界各国からのツーリストが訪れるこの町でこの町の美しさをありがたく感じることが出来るのはやはり、ここに住んでいないツーリストなのだろう。私が働く病院に入院してくる患者さんの多くは金持ち。ホームレスなどもたまに入院してくるがそんなときに、普段の患者さんの質のよさというかわきまえることをちゃんと分かっている気品やプライドがある患者さんたちが多いことに感謝する。ここからそんなに離れていない救急病院に就職した友人が患者の質とその怪我の性質に嫌気が差して最近、私が働く病院の救急病院に転職してきた。貧しくて、ギャング事件が耐えない地域だったのでナイフでの刺し傷や、殴り合いの傷銃で撃たれた傷や、ホームレスや精神を病んでいる患者ばかりが毎日、毎日、ノンストップでやってきてことごとく嫌になったのだそうだ。その病院ではポリシーなんかも全然守られていないようだしドクターも全然たよりなく、ナースにまかせっきりでいい加減。このままでは、自分のライセンスが危ういと感じ友人は1年勤めてから、すぐに退職した。私は多分、そんな荒い環境の中で仕事することは出来ないだろう。多分、患者さんが荒いのなら、働くナース達もタフだろう。今いる町の、今働いている仕事場が自分に最適の場所だと心から感じる。でも、波がなかった今日サーフィンをやらない退屈している留学生に少しだけ同情した。
2007年11月25日
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仕事上、腕時計は絶対必需品。看護学校のときに、学校が秒針付のアナログ時計を使えと指示していたので買う腕時計は全部、シンプルで見やすいアナログばかりだった。2年ちょっと前に買った、セイコーの電池が切れてバックアップのRoxyの時計を使っていたけれどしばらくすると、それも電池が切れた。そして、長い間電池を換えていなかったリップカールのアナログ。計3つの腕時計の電池交換をした。リップカールのアナログは、復活しなかった。これらの腕時計の電池交換をする時間がなかったとき2日ほど時計なしで仕事をしたけれど、とても不便だった。時計代わりに携帯電話を持ち歩いていたけれど何度か、何もついていない手首をおもむろに目の前にやり時間を確認しようとした。アナログにこだわっていたけれど、デジタルを使ってみることにした。夫と一緒にあれだこれだいいながらBaby-Gを購入。こんなやつ先日届いて使い始めたけれどかなり気に入っている。タイマーのファンクションがとてもいい。ランチは30分あるが、この30分は自己申告。自分がランチを始めた時間を忘れるからいつもだいたい、5分ぐらい早く仕事に戻っているように思う。ランチの始まりにスタートボタンを押すだけで休憩の終わりをアラームが知らせてくれる。しかも、ミリタリータイムの設定(24時間)にしてあるのでいちいち5時ー17時、7時ー19時。。。とか、考える必要がない。そんなこんなで数日後、夫も真似するようにG-shockを購入していた。何個も時計があるのに。まぁ、何個も甥っ子にあげているからいいんだけど。このG-shockもしばらくしたら、甥っ子へのギフトになるのだろう。
2007年11月25日
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夫の友人が、ビデオ録画した映像をPCに落とす方法を教えてくれた。Windows Movie Maker とファイヤーケーブルを使っていとも簡単に6分30秒のサーフィンビデオが作成できた。バックミュージックはQueenのアルバムから2曲選曲。映画の最後にクレジットまで入れた。私はExecutive producer夫と甥っ子が出演者スペシャル・サンクスにサーフポイントを入れて3枚CDを焼いた。1枚は甥っ子に発送し1枚はマムにあげた。1枚は私用、永久保存版。過去に録画した画像を、編集してCDに焼くしばらくはこれが私のメインプロジェクトになるだろう。
2007年11月14日
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Stand by MeWhen the night has comeand rain is stoppedand the moon is the only light we will seeNo I won't be afraidOh I won't be afraidJust alone, as you standStand by me...反抗成長 そして自立へのユラギ。。。Stand by Me in Santa BarbaraComing soon....
2007年11月03日
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突然に、怖い話とか、恐怖の百物語とかあっちの世界がみたくなった。YouTubeなどというものを最近知り呪いのビデオをVol.1から22まで楽しんだ。ヤラセか本物か。。。そんなことはどうでもいい。とにかく、怖かったらいい。なんだか取り付かれたように、見入った。怖かったけれど、ほんとっぽくてでも、かなり笑えたのがあった。二人の若者が廃墟ビルか何かを探検している。「あ。ここ、結構広い。」「荒れてるねぇ~。」「。。。あれ?お前、ドア閉めた?」(閉まっているドア)「いえ、閉めてませんよ。」一人の青年がビデオをとっている。ビデオをとられている青年は、ニコニコ笑ってたっている。撮られている青年の横の暗闇に、白く浮かぶものがあり撮影している青年が、そちらにカメラを向けるとそれは真っ白の人の顔が半分。すごい速さで撮影している青年のカメラに飛んでくる。「わぁあ!!ナンカいる!!ナンカいる!!!ナンカいる!!!!~~~」を連発しながら、パニックになって逃げていく若者の声と撮影どころじゃなく逃げていくその様子を映し出すカメラ。なぜかかなり笑ってしまった、呪いのビデオだった。
2007年10月27日
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ビーチでタール(原油の塊)を踏んだケンジを洗って夕食をとってから何をしようかと考えてそうだ、BSN の教材の整理をしようとファイルやら課題やらジャーナルアーティクルのコピーやらすごい量の紙を処分して、整理した。たったの8週間だけれどプリンターのインクを2回は換えた。すごい量をプリントアウトした。片方だけしかプリントしていない紙は裏もまた使うのでとっておいた。7cmぐらいの紙の束。しばらくあるだろうなこの紙。なんだか部屋が面白いように片付いていく。バインダーがどんどん空になり棚が空いていく。来学期からのスペイン語のクラスにこのバインダーは使うことにしよう。リサイクルのペーパーもスペイン語のクラスを取り始めたらすぐに必要になるだろう。これが終わったら、次はクローゼットだな。
2007年10月19日
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6連休2日目。充実した一日でした。昨日も今日も、一日家にいなかった。8週間分、仕事と勉強に明け暮れてできなかったことを必死でこなしてるような感じね。忙しいといっても、楽しいことばかり。自分のことばかりだからべつにいいんだ。ビーチの散歩とか、サーフィンとか。波チェック、今日は2回もしたけど結局いい波なくて、サーフィンはなし。大好きな文房具やめぐりも今日はしたし。(文房具フェチ)今日はケンジがビーチでタール(石油の塊)を踏んでくさいし取れないしで、帰ってきてから即シャンプー。夕食を作るつもりだったけれどそれより先にシャンプーしてたら夫が勝手に昨日の残りを温めて、夕食食べてた。成長したな。おぬしも。ケンジがタール踏んでもしまだ、BSNやってたらどうなってたやろうな?って、思わず考えた。多分、パニックなってたやろうな。あたし。「時間ないのに!」ってね。「夕食つくられへんかったわ~!!勉強せなあかんからぁ~!!!」って、怒りながら夫に泣いてたわ。きっと。夕食食べて、パスタが少なかったから全然足りなかったのでチップとサルサ食べてます。まだ7時半。今からなにしようかな。こんな生活、ほんといいなぁ。うれしいよ。
2007年10月19日
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サーフィン、行って来ました!あぁ、疲れた。5時に家をでて、暗くなるまでサーフィン満喫!7時過ぎにクラスに行き講師VとK両方に話をして辞めることに関して、やはり間違いではないように思うから辞めることを伝えた。クラスメートにエールを送り教室を後にした。オフィシャルです。ディスタンスエデュケーションの大学の管理者からメールで連絡がいくからその指示に従って中退の手続きをすればいい。その後、夫と二人で外食し帰宅して、この日記を更新しているところだけれど9時過ぎ。もうすぐクラスが終わる時間。5時過ぎにサーフィンに行って、くたくたになるほどパドルして夕食食べて、ゆっくりして。。。まだ授業やってる時間。毎週こんなに長時間、授業受けてたんだねぇ。しみじみと実感してしまった。さてと、明日も朝から早速波チェック。あればサーフィン。両手のしびれは治っていた。
2007年10月18日
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3連勤明け、6連休第一日目。そして、今日は5時半から授業がある水曜日。授業にはちょこっとだけ、顔を出して辞めることをみなに告げにいく。7時の休憩時間か、9時過ぎの授業の終わりかどちらに行こうか考え中。3連勤が始まる直前の休みの週末、講師にメールを送った。3連勤1日目、講師二人からメールが帰ってきた。セメスターの最初にはよくあること。自分自身に時間をあげてなれるまでもう少しがんばってみては?続けることを促す意見が濃いメールだった講師V。講師Vと同じく、セメスターの最初はそんなものといいでも、私がどちらの決断をするにしてもそれはきっとあなたにとっては正しいだろうから尊重する。そういうメールだった講師K。仕事の一日目はなんだかボーっとしていたけれど最近このプログラムを卒業した同僚Vに辞めることを言った。「なんで?!!」と、とても驚いていたけれど子供がほしいから。もう35だしストレスやチャンレンジよりもなんだか、人生を楽しみたくなった。納得していた。彼女は2歳の子供がいる。仕事の2日目には、別の同僚Hに辞めることを言った。同じように、「なんで?!」と聞かれたのでおなじことをまた言った。気持ちがますます、辞めることに納得していった。Hはシングルマザーで、小学生の子供が二人いる。自分の両親と一緒に住んでいるのでHは父親のような感じなのかもしれない。エクストラのシフトをいつも引き受けて働いている。「ナデシコは美人だし、だんなさんはハンサムだから絶対ゴージャスな子供になるわよ!」Hが言った。たまに、日本人女性と白人男性カップルでもお世辞にもかわいいとはいえないような子供が生まれることはたくさんある。でも、健康に生まれてくれることのほうが今の私にはかわいいことよりも大切に思える。3連勤はきつい。そして、辞めることを決断したばかりの精神状態は安定しているとは言えず仕事中もなんだかいろんなことを考えるしやらないといけないことがスコーンと抜けて忘れるし集中することにものすごいエネルギーが要った。ちょこちょこと、しょーもないミスをしてしまった。3連勤の2日目から、変な症状がでてきた。手がしびれる。そして、時折めまいがした。今日も両手がしびれている。めまいはない。だらだらしているから。自律神経失調症の兆し?たぶんサーフィンしたら治るだろう。今日は波がよくなかったけれど、明日スエルが入ってくる。明日があるって、素晴らしい!今日は洗濯したり、夫のフィジカルセラピーに一緒に行ったり銀行行ったり、模様替えしたり。。。課題の心配せずにやりたいことができる生活。あぁ、ありがたい。。。心から思った。複雑な心境のまま3連勤をこなしたからその疲れが出ているのかもしれない。そして、たった今、夫が風が止まったからサーフィンに行こうと言っているので行ってくる。続きはあとで。。。
2007年10月18日
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今日は日曜日。朝起きたら、のどがちょっとイガっぽく鼻がつまっている。休みなので、サーフィンに行こうと思っていたけれど来週のスケジュールは仕事以外にもクラスやミーティングがあり休みなしで厳しいことになっているから今日は無理しないで、勉強をぼちぼちすることにした。家にいてもあれだし、だらだらするからコーヒー屋に来ている。私からの携帯へのメッセージを聞いたらしくUちゃんもしばらくするとコーヒー屋にやってきた。Uちゃんはサーフィンに行くのかと思っていたけれど海を見に行ったら波がなかったと言っていた。今勉強中。2週間後に提出期限のジャーナルのアウトラインを仕上げた。今日の目標達成!というわけで、今日の夕食はスパイシーツナの手巻きとえびの手巻きをすることにした。お気楽天使、まだまだ健在の模様。
2007年10月08日
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お気楽天使はまだおられるみたい。できるのなら、このままずーっと棲みついてちょうだい。今日はもう二つ、来週のCultural Presentation の準備完了。それから、Child Abuse に関するデータ・イシューなんでもいいからクラスに一つ、トピックもってくるようにの課題のリサーチも完了。夕方から、小学校6年生のときの担任とメッセンジャーでビデオ電話をした。夫の顔を始めてみた先生は「やさしそうな人やないか。」「二人、仲よさそうで、幸せそうやないか。」と言った。っていうか、ウェブカムを通してでは本当の姿は見れませんよ、先生。と、冗談っぽくでもほぼ本音で言ってみた。まじめな声色で「そうか?」と先生。いや、そうかっていうか、笑ってよ。先生。先生は今年、5年生を担任しているらしい。今の時代、小学生も英会話を学校で習うんですね。先生が教えている学校は、国際色豊かでオーストラリアなどの外国との交流なんかもあって交換留学など、外国からの小学生を受け入れたりもするらしい。で、近々、先生のクラスの生徒達とビデオ会議しようかという話になった。ビデオ会議の趣旨は?と聞くと「先生はめっちゃかっこいい!」にする。という。そんなんあきませんよ先生。「先生は、20数年前はかっこよかった。」にしましょう。まぁ趣旨は、「外国とのビデオ会議を子供にみせることで充分」と先生が言うので、それでいこうということになった。今、先生のクラスでは「英語でインタビューしよう!」という英会話をやっているらしくごくごく簡単な英語、例えば「好きな色は何ですか?」「好きな食べ物は何ですか?」「好きなスポーツは何ですか?」そのような質問を相手にして答えるそんな会話の練習をしているそうでじゃぁ、ぜひともそれをビデオ会議でしましょう。ということになった。もちろん、夫に登場してもらう。マムにも登場してもらおう。ここが外国だということを子供達に見てもらえるものも登場させよう。そしてもちろん、ケンジも登場させる。人気者になること間違いなし!日にちは後日決めることになった。とってもとっても、楽しみ!!
2007年10月06日
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今日はちょっと短めに。愚痴っぽく吼えさせてください。なんでチクワも買えないのさっ!!使えねぇスーパーだよっ!!!だって、カリフォルニアだもの。おでんが作りたいのに。。。P.S.チクワだけではありません。こんにゃくも、はんぺんもありません。カリフォルニアだから。15マイル先の日本食材の店に行かないとあかんのか。めんどくせい。。。しかも、おでんごときにめちゃ高くつく。カリフォルニアだから。後でまともな更新します。
2007年09月27日
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オフ会しました。オフ会の定義: オンライン上で知り合った人と実際に会う。最近、コメントいただいたOrbit154さんはSanta Barbaraと検索をかけたら偶然このブログにたどり着いたのだそうです。ひねもすさんやまるさん、その他多くの楽天仲間のみなさんがオフ会されているのをみて、私はとてもうらやましく思っていました。2日前、Orbitさんとコーヒーショップで会い一時間ほどおしゃべりをしました。もちろん、夫も一緒に行きたがったので連れて行きました。私がとても失礼だと思った夫のコメントは私の取り越し苦労でおわり会ったその日にOrbitさんにお詫びのメールを入れたけれど謝罪した私に、とてもとても恐縮してくれたのでした。今日、Orbitさんのお仕事が終わった後にまたお会いしました。今日はOrbitさんのご自宅に招待していただきました。とても若々しい素敵なご主人と、フレンドリーで賢い黒のラブラドールが私とケンジを暖かく迎えてくれました。Orbitさん、今日はどうもありがとう。とても楽しかったです。今度はぜひ、手巻きパーティーしましょうね!!
2007年08月19日
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以前、ここで留学していたMから、久しぶりに電話がかかってきた。5年前の最初の留学で24歳ぐらいだったはずだから、今はもう三十路前かそのあたりだな。もう自立してもいいおっさんじゃないか。はっきりいって、人生をなめているのかと思われるMからの電話は、きっと何かのお願いだろうととは分かっていた。この電話の数日前に、メールも届いていて、以前の滞在ではいろいろ迷惑をかけてすみませんでしたとか、ありがとうとか書いていたけれど、返事を送らなかった。2年前のことだったし、もうそのお礼もお詫びも当の昔にもらったし。で、今回のこの電話。なんか今月の末から始まるセメスターで、また留学復帰することを決めたと言っていた。3度目の留学。ハウジングのヘルプがどうのこうのと、ごにょごにょ言っていたので、探して欲しいのかここに住まわせてほしいのか、よくわからなかったけれどどちらも丁重に断った。まず、彼のハウジングを探している暇はないし、ここに一時滞在してもらうつもりもない。ここは私の家ではないし、私達もレンタルしている身分。これまでの彼を知る限り、彼は家賃を払わずにタダで滞在するつもりだろうと予測するし、家が見つかるまで。。。といいながら、何ヶ月もズルズル居座ることは目に見えているので、かなり厳しく突き放した。「あんたのハウジングを探してる暇はないわ。ごめんな。」と。そして説教した。「今回は2週間でも3週間でも早めに、セメスターが始まるまえにこっちに来て、家探しとかしたほうがええんちゃうん?それで、その間はホテル住まいになるぐらいの出費はちゃんと準備してから来るべきやと思うで。それと、今はどこも不動産はすごい高いから、部屋探しもそれなりに高いで。シェアールームとかがイヤヤっていうんやったら、月700ドルは最低でも出る覚悟で探さんと、ないで。」前回の彼はもう見ていてあきれるほど甘かった。なめきっていると思った。でも、なんかわけのわからない肺炎みたいになっていたので、それがよくなるまでちょっとだけ助けた。栄養のある食事や、水や、寝袋とかマットレスとか、なんか友人からタダで滞在させてもらっているといっていた、倉庫みたいなところに夫ともって行った。病気がよくなり、彼は学校に行きだした。でも、ハウジング探しは難航した。なぜなら、彼の予算と希望が完全にかけ離れていたから。月350ドル以内で抑えて、自分ひとりの部屋がほしいとほざいていた。そんな部屋はここにはまずないだろう。彼が滞在していた、倉庫みたいなこの部屋は友人の住居でもあったので、Mは居候。Mに寝るところを提供したAは賢かったと思う。Mに鍵をわたさなかった。だからMは、Aが仕事に出かける朝7時には一緒に出なければならず、帰宅する夜10時を過ぎるまで、Mは家に入ることは出来なかった。Mは学校が終わればダウンタウンにあるAの家具屋にいき、そこでAの仕事が終わるまで待った。Mの部屋探しは難航し続けた。Mの病気は治り、「病気が治ったのだから、そろそろ出て行ってくれないか。」とAに言われた。それからMはしばらく友人宅を流れ、そのセメスターが終わったらすぐに、日本に帰っていった。友人宅を流れていたMに「こんな状態で勉強なんかできひんやろ?一回日本に帰ったほうがええんとちゃう?半年でも一年でももういっかいちゃんと準備してから戻ってきたほうがええんとちゃうん?そんなホームレスみたいな生活、どう考えても無理やん?」そんなアドバイスをしたのは一年半ぐらい前だった。Mは今回、どこまでの準備をしてくるのだろうか。ハウジング探しのツテを一つ失ったMは、どんなバックアッププランをもっているのだろうか?到着したら連絡してな~と、電話の終わりに軽く言っておいた。
2007年08月17日
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キックスクーター改造プロジェクト無事に終了しました。5つもの違ったサイズ、素材、形のバスケットからいちばんコンパクトで、見栄えもよくなおかつ、ケンジが安全に心地よく乗れるものを完成させることができました!仕事中にも、余裕があればこのことばかり考えていました。新しいキックスクーターの名前は「けんじくん」です。一番最初のものと、最終のものをお見せしたいと思います。初代キックスクーター「けんじくん」カゴがとても大きいです。ケンジもライドを楽しんでいましたがしっくりいかない点がいくつかありました。カゴが邪魔で、ハンドルが折りたためない。だから、トランクに入らない。その都度、カゴを取りつけ外ししなければならない。ケンジが乗っていればかわいいけれど乗っていなかったらまるで、ホームレスのカゴみたいに見える。もう少し小さいほうが、足の置き場が広く乗りやすい。以上の点で、いろいろと改造し3つのバスケットを経て最終的に完成したけんじくんこちらです。おっと!失礼。こちらです。これでぐっすり眠れます。
2007年07月05日
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1年間の語学留学を終えた、Uちゃんの友達のKちゃんは本日、アメリカをひきあげて日本に帰っていきました。Kちゃんには、日本に結婚を約束していた彼氏がいました。そして、こちらでアメリカ留学をしているうちにもアメリカ人の彼氏が出来ました。日本の彼氏はもちろん、そんなことは知りません。Kちゃんはアメリカをひきあげる前に日本の彼氏がこちらに遊びに来ました。アメリカ国内を、ちょっと旅行してから帰りました。UちゃんはKちゃんの日本の彼氏もアメリカの彼氏も両方会いました。日本の彼氏がアメリカに到着した日、一緒に遊んだそうです。「ありゃぁ、別れるね。」と、Uちゃんは言っていました。Kちゃんは彼氏に、とても冷たかったそうです。そして、Kちゃんは「日本の彼に会いたくな~い!」「気持ち悪~い!」「もう、どうしよ~う!」と、ここを発つ前日に言っていました。今日、Kちゃんは飛行機に乗る前にUちゃんの携帯にメールしてきたそうです。「やっぱり別れることにした。」そしてKちゃんは、日本に帰っていきました。Uちゃんいわく、Kちゃんは2年以内にアメリカに帰ってくるだろうとのことです。また会える日が、楽しみです。
2007年07月05日
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前回の夢の話1の続きは、気が変ったので書くのをやめます。理由の一つに、やはり読む方のことを考えるとあまり気持ちのよい話ではないこと二つ目に、私的にウ○子がらみの夢は金運アップの啓示だと信じ実際にこの夢の次の日の夢もかなりげげ~!な夢でその次の日から、なんやかしと小金が入ってくる状況が続いていること三つ目に、いい夢は黙っていろのモットー。以上の三つの理由から、夢の内容を公表することは差し控えることにしました。この小金の中でも、一番の大物は2月にオカマされた相手の保険屋からの賠償金。たった2万円そこらの医療費の80%と私が2日休んだ給与のロスの80%の請求をなんやかしとケチつけてなかなか払おうとしなかった相手の保険屋に、かなり強気にでて「準備はもうできてるからな!」ぐらいの勢いで、証拠の書類などもビッチリと添付し郵送したところ、請求した金額よりももっと多額を提示しこれで示談しましょう。と、手紙が入っていたのでそれを蹴って、訴訟の最高額を提示して再び手紙を書いて送ることにしました。最高額はもらえないとは思いますが今の提示額よりも多くもらえることは法を知らない私から見てもかなり確実なのでそれがもらえたら、プラズマテレビ買うことにします。はっはっはっはっは!ウ○子の夢 万歳!!おわり
2007年07月04日
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来月、35歳になります。そこで、一足早くバースデープレゼントを購入しました。なぜか昨日、無性に欲しくなり前から欲しかったこともあってとうとう買ってしまいました。今年の誕生日プレゼントはこちら35歳のおばさんが、子供じゃあるまいしと、冷たい目でみられても仕方がありません。私自身こんなもの、マジでほしがってどうなんよ?と思いながらもほしくて仕方がない気持ちはおさえられなかったんです。今回、キック・スクーターを探したときに私が一番考慮したポイントはデッキが大きいことケンジが一緒に乗れることが第一の条件でした。ケンジはスケボーをします。スケボーに一緒にのって、クルーズします。ケンジが大きくなってきたのでケンジとスケボーに乗ると私の足の置き場がなくなってしまい重心を変えてターンするのが難しくなってきたのでハンドル操縦できるスクーターに変更しようかと考えていたのです。昨日オーダーしたのでこの休み中には遊べませんが火曜日からの3連勤しているあいだにきっと届くことでしょう。とても楽しみです!
2007年06月25日
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先輩ナースHは、アフガニスタンからの移民。確か年齢は私と同じで、二人の子供がいる。アフガンはモスラムかイスラムかはしらないけれどとっても男尊女卑的な文化なはず。女は顔を出さず、あっついのに肌をベールでかくさなければならないところどこだったっけか?Hはとても美しく、彼女の化粧はいつも私が気合を入れてした化粧の何倍もの気合が入っている。髪型も気合が入っている。そして、とてもエキゾチック。昨日はそんなHと一緒のシフトだった。彼女は長期のお休みをもらっていたようで休みの間はノースのほうに行っていたそうな。彼女のライフはちょっとダウン気味だったらしくなんか知り合いの紹介で、サイキック占いに行ったらしい。そこで、タロットとサイキックでみてもらったらしくそのサイキックが言ったことがほんとに怖かったらしく彼女はマジで、悩んでいた。サイキックは彼女の未来が見えないと言った。カードから、あなたの未来が見えない。と小さな人二人(子供)があなたのラブライフを邪魔している。誰かがウィッチ:魔女にお金を払ってあなたにのろいをかけた。とてもパワフルなのろい。そして、その呪いの解くのに6000ドル払えばお払いをしてあげる。このお払いを今すぐしなければあなたはここから離れた地点でその呪いによりお払いすることを強力にさまたげられることになる。6000ドルが払わなければ私から教会にお願いすれば教会が支払ってくれるから大丈夫。もちろん、お払いは受けなかったけれどそのサイキックはこれらのことをHに告げながら体は震え、恐怖におののいていたらしい。彼女自身もとても怖かったらしい。そのほか、サイキックが言っていたのは一日のうち、HがH自身である時間はたったの20分だけなのだそうな。それが続けて20分か、5分、3分と切れ切れにトータル20分なのかはわからないけれどHは他にもいろんなことを言われたらしい。職場のみんなに、Hは話していたけれどみんなあまり真剣に聞いてなかった。アメリカ人って、そういうの買わないみたい。私はちょっと、こわかった。スピリチュアルなことが好きだし。。。で一応、江原さんは本物で、細○数○は偽者と分類。Hに何も悪いことが起こらないようにとお祈りした。私はHは、そこいらの女性よりも数倍は強いと思っている。第二子を妊娠中、夫の暴力に限界を感じ離婚し子育てをしながらナーシングプログラムを乗り越えRNとして働いている。彼女はとてもミステリアスでなんだか魔女っぽい。「もしほんとに誰かがあなたに呪いをかけたとしてもあなたは強いから、ぜったい跳ね返せると思うよ。」と、そんなちんぷんかんぷんなことしか言えなかったけどそんな占い師、うそもんやで。心配せんとき!と言っていたアメリカ人の同僚の言葉はHの期待していた言葉ではなかったような感じだったので。。。とりあえず、霊感商法は日本だけではないようです。
2007年06月22日
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土曜日、夫の友人のウエディングがあった。ダディーのズボンはどれもこれも腹がですぎて合わなくなりマムは新しいズボンを買ってお直しに出した。お直ししてもらってすぐに、はかなかった。ウエディングが始まるのが5時半。ダディーはパーキンソン症候群という病気なので用意するのに時間がかかる。4時前にダディーの着替えを始めたところズボンがお直しされていないことが判明。仕方なく、マムはお直しを始めた。私は4時過ぎには自分の用意ができたのでダディーのズボンのお直しをしてあげるからマムは自分の準備をすぐ始めるように促した。マムはカンカンに怒っていた。お金を払って、お直しせずにズボンが戻ってきてそのことに1時間半前まで気がつかずこんなにバタバタと準備をして10分遅れて会場に到着した。今日、マムは私がお直ししたズボンとか領収証とかもってお直しのお店にお金を返してもらいに行った。さっき、マムの携帯から電話があった。お直しのお店の店員が、返金を拒否しているらしい。なんで?マネージャーらしきアナという女性に店員が電話をかけて事情を説明したところアナは「返金できない」と言ったらしく女性の店員はマムに返金を断った。マムはもう、カンカンに怒っているようでマムは夫に電話をするのに「私の弁護士に電話をしますから!」と、お店から電話をかけてきていた。夫は返金をしない店員にもマネージャーにもあきれ返っていた。わずか15ドルかそこらの返金。しかもしてない仕事に金とって、ここまでのトラブルを科したことを支払えと言っているのではない。してない仕事に15ドル払わせた、その返金を断るか?話しても拉致があかないからその状況を書面に書いて、店員にサインさせて帰っておいでと夫はマムに話していた。*********************たった今、マムから電話がかかってきてお金を返してもらったと言っていた。店員は、明日また来いといったらしいけどマムは、「今すぐに返金しないと、出るところにでるわよ!!」とすごーく怒ったらしい。そして、次なる目的地コスコに向かっているということです。以上、サンタバーバラのナデシコ彦でした。
2007年06月12日
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日本人と白人の髪は違う。日本人でもさらさらで、柔らかな髪の人はいるけれど基本的に剛毛でしっかりしている。だから、日本人はこちらで美容院に行ったら危険。パーマあててくださいといってなんか黒人のちりちりの剛毛につかうぐらいの液体を使われて髪がぼろぼろになってしまうといううわさを耳にした。だから絶対、こっちではパーマをかけまいと思った。カットでさえ、したことはない。自分か、友人か、日本に一時帰国したときしか髪をいじらないものだからなんの芸もない、ストレートロングがいちばん簡単。だいたい、ヘアースタイリストに国家試験などないと聞く。なにか代わりの試験とか学校に言ったのだろうか?仕事場の同僚・先輩ナースはこちらではユニークと言える私のポニーテールをひっぱる。髪が多いので、重い。つやつやして、金髪で、私の髪の束の半分以下ぐらいのポニーテールのクリスティーはあうたびに私の束を握る。「多くていいなぁ!私もこのくらいの量がほしい!!」こんな真っ黒で、う○こみたいな量の髪がほしいのぉ?えぇ”~!!!いらないよぉ~。こんなにいっぱい。私はあなたの量と色と質がうらやましいのに!!人はないものねだりなのだろう。隣の芝はみな青いともいう。
2007年06月10日
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渡米して9年。最初の頃はいろいろと感心したり戸惑ったりいわゆる、カルチャーショックを日常に感じていたけれど最近ではなんだかいろんなことが当たり前になってしまった。その当たり前のことを一つ書こう。女性のコスメティック関係について。薬局などのコスメのセクションで戸惑う。ファンデーションの色。そのセレクションの多さ。白人だから、真っ白にうっすらピンクが入っているようなおしろいのような色からコーヒーカカオ豆みたいなダークな茶色までピンきり。日本ではせいぜい、5つぐらいのトーンしかなくて真ん中のを選べばちょうどいいぐらいだったのに。あまりのセレクションの多さに自分の肌色がどれかわからず適当に買ってみたりしたけれど結局、白すぎも黒すぎも両方持っている。日差しが強いから、夏場かなり色黒になるのでそのときにダークなのを使うようにしたりして使い分けをしていた。ファンデーションは一つのメーカーのある色が年中ぴったりなのを見つけたので長年それ以外は使っていない。よかった。それから、眉毛。金髪の人は眉毛も金髪の場合がほとんどでマムなんて、ほんとにシルバー白髪だから朝起きたときの顔はのっぺらぼうのように白い。眉毛かかずには一日は始まらないらしい。そんなマムが昨日、フェイシャルに行ってきた。今日は夫の友人の結婚式があるから。そして、眉毛を染めてもらったとはしゃいでいた。2週間は寝起きでも眉毛があるのよ!ととても喜んでいた。そういえば、仕事場のデビーも金髪らしい。赤みがかったとてもきれいなストロベリーブロンドに染めている。そして、眉毛も同じ色に染めていると言っていた。日本ではまず聞いたことはない。眉毛染め。いつも黒くて、描く必要がない私の眉毛をうらやましく思っている人は結構いるらしい。
2007年06月10日
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6月10日に結婚式があるんですよ。ドレスとかバッグとか、アクセサリーとか靴とか。。。また買い物にいかないとイケナイ。。。めんどくさい~!!いつもぎりぎりまでほっておいて、直前にとても困ったことになるので今回は早めに動こうと思い、ダウンタウンに出かけた。靴と、バッグと、アクセサリーを見に出かけた。もちろん、ケンジをつれて。今日は何も買うつもりはなかった。黒のドレス、明日の午後4時に終わるオークションで無事競り落とせたら、それに合ったものを買い揃えていかなければならないから、今日は下見。黒のドレスで、靴とバッグは黒かシルバー、アクセサリーはダイヤかシルバー系でそろえるつもり。今日も夏日だった。アクセサリー屋でケンジを抱いて品物を見ていたら、アジア人店員のお姉さんがケンジを見てかわいいかわいいと騒いだ。このアクセサリー店の店員さんは韓国人が多いから、韓国人と思っていた。Uちゃんも一緒だったので、Uちゃんと日本語で言葉を交わしたら、そのお姉さんも日本語でしゃべってきた。どうやら日本人らしかった。「ヤバイですよ!ほんと、ヤバイです!」彼女は連発した。ケンジがヤバイぐらいかわいいと連発した。帰宅してから、この話を夫にした。ヤバイ を訳すのに、デンジャラスという単語しか浮かんでこなかった。デンジャラスとは違うねん。ヤバイって、日本語ではスラングやからな~。なんて言ったらいいんやろう。。。とにかく、なんか危険なほどかわいいっていうことやと思う。そんなことを話していたら、夫がもう一度、ヤバイの発音を聞いてきた。「ヤ・バ・イ」おぉ。そうか。息子の名前として、ヤバイ・フラーも候補にあげよう。危険な男に育つように祈りをこめて。。。ちなみに、一番の候補はカミカゼ・フラー女の子だったらツナミ・フラーらしい。。。
2007年05月09日
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義理兄の嫁は相当なビッチーで、義理兄を完全に洗脳してしまった。彼女の名はクリスティー。義理兄はクリス。同じような名前。クリスティーはクリスの友達を片っ端から切ってしまったので、クリスにはもう友達がいないらしい。彼のバディー(友達)は二人の息子。10歳と7歳。彼らが大きくなったときには、クリスはどうなるのかしら、と、マムは心配している。クリスティーは友達だけでなく、クリスの家族をも片っ端から切ろうとした。クリスティーは私の結婚式で初めて会い、それから3兄弟の共通の友人が大きなパーティーをしたときに会った。それだけだ。クリスティーはこの家には絶対に来ないし、マムたちが遊びにいくことももうない。一度か二度、マムとダディーが遊びに行った時、マムたちは物置みたいな部屋で、とても寝心地の悪いマットレスで寝かされたらしい。ちゃんとしたゲストルームがあるのだけれど、そこはどうやら、クリスティーが買い物した物品の物置状態で人が寝られる状態ではなかったらしい。クリスティーは買い物中毒なのだ。ある日クリスは昼間、あるサーモンを使った料理のレシピを教えて欲しいとマムに電話をかけてきた。機嫌はよかった。そしてその夜10時ごろ、ダディーに変わって欲しいと電話が再び鳴った。そして、クリスはダディーがどんなに腐った親父であったかということを、電話の向こうで半分叫ぶように怒鳴りちらしていたそうだ。マムは受話器からもれてくるその大声と、ダディーの悲しげな苦笑いを見て、受話器をダディーから奪い取った。そして、クリスと大喧嘩した。クリス:「もうあなた達とは今後一切、何の関係もないから!!」マム:「ええ、結構です!あんたにはビタ一文、相続権はないからね!!」そして電話を切った。これが2年ぐらい前の話。この電話の向こうですべてを操っているのはクリスティー。クリスティーはクリスを長年にかけて洗脳し、彼を別人に変えてしまった。クリスは私の夫のように、メローで優しくてこだわりのない人だったそうだが、私がクリスと初めてあったときにはもう、その面影はなかった。ナーバスで神経症な、ちょっとすればイライラとしがちな、幸せいっぱいとは程遠い妻を恐れる中年の男性にしか映らなかった。これが夫の実兄で、マムの息子であることが信じられなかった。クリスティー、恐るべし。そして、クリスはクリスティーを愛しているからこそ、そんな風に変わってしまったのかもしれないとも思う。夫はどうだろう。夫は昔のままの、やさしくてメローで、穏やかで、こだわらない人だろうか?「あの人、結婚してから、変わったよね~。」なんて、みんなから言われていないだろうか?今日はそんなことを考えて、ちょっと不安になった。
2007年05月07日
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せっかく気合入れて、ケンジとショッピングにでかけたのに。ケンジの食器とかキャンドルスタンドとかショッピングカーとに入れて、キャッシャーで並んで自分の番になって財布出そうとしたらかばんに財布がなかった。あせって家に電話して、マムに部屋をみてもらったら「あるよ、ここに!」と言ったのでほっとした。でも、何も買えず。くやしい~!ダッシュボードに入れてある小銭かきあつめて、カールスジュニアでバーガー買ってビーチで食べようとおもったら、すごい強風でそれどころじゃないし。仕方が無いから路肩に駐車した。強風がやしの木を激しく揺らしたり、ビーチが砂嵐みたいになって激しく砂が巻き上がっているのを眺めながら車のなかでバーガーを食べて帰宅した。ケンジはPC遊びしてる私のそばで、またコピー犬になってだらだらしてるし。。。夕方風が止んでくれたら、もいっかいビーチに行くか。
2007年05月05日
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2月ごろ、楽天仲間数人に「xx送りますよ~。住所教えてくださいね。」と、私書箱メールに住所を送ってもらった。(心当たりありますか?そうです、あなたですよ。)そして、その品物を未だに送らずにいる。品物はすでに買ってあって、パッキングされるのを待っているのだけれど、なんだか後回しにしてばかりで、「あぁ、これ送らないとな。」といつもいつも思いながら後回し。早く梱包して送ってしまえば、きっとすっきりするのに。住所を教えてくださったみなさん、教えてもらった住所で悪戯とかしようとしてるのではないので、どうか安心してくださいね。もう少しだけ、待っていてください。と、こんなお知らせしたらまた、後回しにしてしまうじゃないか。。。PS ひねもすさんへ夫がインフルエンザにかかったときに、喉が局部麻酔を打たれたみたいに感覚がなくなるというか、しびれるのど飴の箱を開けて夫に与えたので、箱が空いていますがお許しを。。。アメの一つ一つがパックされていますので、きれいです。もうすぐ送ります!皆さん、まっていてくださいね~!!!
2007年04月20日
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渡米留学を決めた当時は、ナースになることなど考えたこともなかった。アメリカのテレビドラマや洋画が大好きだったのだけれど、ERだけは全然興味がなく、見たいとも思わなかった。多分、一度や二度、NHK衛星で放映していたとき副音声(英語だけ)で見ようとしたけれど、医療専門用語が難しくて全然分からないからやめた覚えがある。ERに対して興味がわかない気持ちは、病院で働き始めた最近でも同じだった。夫が国家試験を受けるために、サクラメントに行ってきた。国家試験の同伴の際、私はいつもラップトップを持ってPC遊びとかブログ遊びとかに明け暮れていたのだけれど、昨年からデスクトップを使うようになったので、旅先ではコンピューターを持ち歩くことがなくなった。ケンジが一緒だから、ケンジと戯れるほうがよほど癒されるし。3日間に及ぶ国家試験。コンピューターがないからホテルでケンジとベッドに並んでテレビを見た。朝起きて、夫を試験会場に送り出し、ホテルに帰ってきてから、テレビでCharm(魔女の3姉妹が、巷に出現するデーモンと戦うシリーズ物のテレビドラマ)とERを見てから、夫の試験会場にランチを持っていくという生活パターンを3日間過ごした。数年前に、英語が全然分からなくて見たいと思わなかったERの出演者の台詞が、スラスラと耳に入ってきて感動した。「ドクターはそんなことせえへんで。それはナースの仕事やろ?ナースはどこや?」「そんな変なオーダー、あかんやん!」「そこ!今手を洗わないでどうするの!」と、突っ込みも入れられるほどになっていた。ERとはまた違うセッティングだけれど、医療関係の仕事を始めて、自分がどれだけ英語のボキャブラリーを学んだのかを実感して、感動した。普通のドラマを見るよりも、理解できた。この感動は、毎週木曜日、NBCを夜10時にみればいいのだけれど、夜10時はもう寝ている時間なので、これはDVDを買おうか?と思い、インターネットでアマゾンに行ってみた。6シーズン全部を買うと、196ドルぐらい。定価で279ドルだった。SEX and The City のシリーズは、全巻6シーズン、138ドルだった。買おうかな。。。で、日本のアマゾンをクリックしてみた。桁が分からなくなって、え?と思いながら、3回目に数えてショックを受けた。いちまんごせんななひゃく。。。と思ったら、定価157,500円だった。販売価格、7万円以上。誰か買うのか?下手したら、飛行機運賃とDVD代出るよ?ちょっとぐらい高くつくだろうけど、定価で買ったと思えばね。どうでしょう?6月で病棟で働き始めて1周年になる。サインナップボーナスの、残りの半分がもらえるから、やっぱり買うことにしよう。
2007年03月29日
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