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第一と第三水曜日にある集まりがチャーチである。日本人ママたちが1歳前から2歳半ぐらいまでの子供をつれてきてお歌を歌ったり工作をしたり本を読み聞かせたりで、おやつをたべてお歌をうたっておわり。という、1時間だけの楽しい集まり。なんか、保育園とかに行く前のブートキャンプみたいな感じ。ナナミは先日の水曜日、二回目だったんだけど一回目から大分開いていたにもかかわらず、かなりリラックスしていた。人の子と遊ばせたりすると、自分の子がよく見えてくる。ナナミはほんとに、泣かない子だなぁ。と実感。一人の女の子は、ナナミより一月上なんだけどこの子が泣く泣く。。。ママがほかの赤ちゃん(7ヶ月)を抱っこしただけで、悲しみ絶頂に号泣しはじめた。このAちゃんは、やさしくておとなしい。かわいらしいベイビーの人形をもってきていたんだけどナナミがこれを気に入ってしまってAちゃんから取り上げて抱きしめていた。Aちゃんはだまって、人形をナナミにとられて顔はみるみるうちに泣き顔に。。。悲しみいっぱいに、泣き出した。ナナミがAちゃんだったら、絶対に、人形は離さない。そして、離れそうになったら、「ギィヤァアアア!!」と泣きではなく、威嚇する。そのあとも、Aちゃんとナナミのおもちゃの取り合い(というか、ナナミが奪うばかりだけど)は続いた。かわいそうに、Aちゃんは泣きっぱなしだった。母は、ナナミが外の社会に出てほかの子供たちと遊んだりするようなったとき意地悪をされたり、いじめられたりしませんように。。。って、おっぱいをあげながら祈っていたこともあったけど。。。水曜日は思った。母ではない誰かも、ナナミにたっぷりと教えてやってください。社会のルールを。と。強く思った。人様のおもちゃをほしがるのは、時期的なものもあるんだろうけどちょっとぐらい泣いてもええんちゃうん?女の子なんやから。
2010年05月21日
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ナナミは本日、1歳6ヶ月になりました!成長は順調で、日本人カップル、日本人とアメリカ人のハーフの子達に比べたら少々大きめかな?と思うぐらいで実際のアメリカで使われている、成長チャートでは真ん中ぐらいのところにいると思われます。音楽をかけると、ぐるぐる回ったり足踏みをしたりして、おどったりします。毎日朝食のあと、エレクトーンでむすんでひらいてとか、手をたたきましょうとかチョウチョ、森の熊さんなどの童謡をひいて音楽を楽しんでいます。公園や、日本人会のイベントや、友達伝いでたくさんの日本人ママ友ができました。公園でのプレイデートに行って、日本人ママと子供達の交流を楽しんでいます。先日、ナナミがどのくらい単語をしっているのかババと数えたところ38ぐらい知っているようでした。そして、今日は雨が降っていて、「レイン」「レインだよ。」と雨の中を歩いて教えると、すぐに「レイン」と繰り返し1時間後ぐらいにまた、雨の中外にでたら「レイン、レイン!」と言いました。夕方、手羽のにものを作って「チキン」「チキン食べる?」と聞くと「チキン」といい一口あげたあと、「More!More!チキン!」といいました。この二つを足したので、40。ナナミは私の日本語と、他の人が話す英語を理解しているようです。私が日本語で、「このオムツをゴミ箱にポイしてくれる?」とババのキッチンに一緒に歩いていきながらババに英語で、「オムツを捨てようねって、言ったんだよ。」と通訳。するとババがネーティブの英語で、「オムツを捨てられるの!えらいねぇ!」とこんな感じで、私はナナミにはほぼ、日本語のみで話しかけるようにしています。そしてナナミは、面白いように言葉を吸収しています。ごちゃごちゃ、むにゃむにゃと、毎日何か言っているようですが何語を話しているのかは分かりません。いつになったら、はっきりと英語か日本語を話すようになるのかものすごく楽しみです。仕事は順調で、新しいシッターも雇いました。ジジの介護士、オマーの彼女の娘、キンバリー。21歳の学生で、金曜日に朝はハウスクリーニングをしてその仕事が終わったら、うちにきてシッターをしてくれることになりました。信頼できる子で、ナナミも彼女のことが大好きらしく前までは、ババ、ババと言っては泣いていたナナミがキンバリーがやってきて、ババがうちをのぞいて帰ろうとしても前なら泣きながら、「いかないで~!ババ~!!」ってなっていたのが初日から「ババ、ばいばい~。」と、ババを追う事もないくらいキンバリーをエンジョイしたようでした。明日は9時から11時の二時間、緊急で人がいるらしくボス直々に電話があったので、ナナミをババに任せてちょっとだけ、仕事に行ってきます。
2010年04月21日
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なんか、心が荒れている。どいつも、こいつも!っていう感じにムカつくのでここで毒吐きしとこ。まず、ババ。しゃべりすぎ!人が昼ごはんたべて、ナナミにも食べさしてる忙しいときになんで家に上がりこんできて、イースターホリデーの歴史を延々と話さなければいけないのか?しかも、だれも聞いてないっつうの!全然、興味ないですからオーラなんて気がつかない。いつものことだけど。いつ終わるのかとまっても、延々と続いておわらなかった。もう、限界がきたので、ナナミ、食べてる途中だったけれどむりやりハイチェアーからおろして「昼寝の時間だから、おやすみー。」とベッドルームに避難。ババが帰ってから、昼食続行。これはおそらく、風邪でダウンしていたのがかなりよくなり話さずにはいられなかったぐらい、昨日は気分がよかったのだろうと思われる。ババがよくなったということで、よかったことはよかったけどこのあと、姪っ子たちに電話して、ババに電話してほしいとお願いした。風邪がよくなったから、元気有り余っているらしくしゃべりが止まらないから、おばさんを助けてと。昨日の夜、姪っ子たちから電話があって、孫全員と話したとババが言ってた。姪っ子に感謝のテキストを入れておいた。友人、Mちゃん。用事のテキストきたら返すのが常識やろ?Mちゃんは出産後からいろいろ、困ったときには力になってきた。先週は土曜日のシッターのことで、みんな風邪をひいてうつしたら困るから今週は申し訳ないけどやめとくというテキストを送った。遅くなったらMちゃんにも迷惑がかかると思い日曜、火曜日にテキスト。そして、水曜日に留守電。すべて返事がないから、届いてなかったら困ると思って木曜日にテキストした。今週、テキスト2回、留守電1回残したけど届いてる?そしたら返事が来た。今朝、電話したよ?携帯にも、自電にも、着信記録がなかったので。記録が無いけど?テキストと留守電は届いてたの?と送ったら、また帰ってきた。え?今朝電話したよ?またかよ!っていうか、今朝電話したかどうかなんて、どうでもいいんだよ。テキストと留守電が届いたかが知りたいの!携帯がおかしいかもしれへんやん?今後もこういうことが頻繁にあるんだったら、連絡手段考えないといけないやん?と送ればよかったんだけど。。。テキストと留守電は届いてるの?それが知りたいんだけど。って送った。多分、彼女にしてみたら、返事しなかったことを責められているみたいに思ったのだろう。すると、テキスト、今見ました。9時から6時半まで、携帯もってないからみれません。ときた。23日のテキストと、24日の留守電は、あんた、休みの日やんか。仕事の日でも、6時半以降、電話でもテキストでもできるんやん?そんなん、言い訳にもならへんやろ!といいたいところを、もうええわと思いじゃぁ、仕方が無いね。と送った。これは私も悪いけどな。ちゃんと、どうして欲しいのかを言わなかったから。届いたのかどうか、返事をちゃんとしろよ!と伝えるべきだった。その後、気持ち悪かったので電話して土曜日のことを伝わったのかどうか聞いたのだけれどなんか後ろで赤ちゃん泣いてるし忙しかったらしく後で電話するといって切られて4日が過ぎている。こういうルーズなところが嫌になって別のMちゃんはこのMちゃんの子供をシッターするのを嫌だといって辞めた。返事をすぐにしない。シッターする日の前の確認とかが一切なく「明日、何時から来てほしいの?」とこちらから聞くまで絶対連絡とかがない。返事を返さないくせにシッターが見つからないときとか自分たちがすぐ返事がほしいときには返事がくるまで何度もテキストが送られてきたりする。そんなことを言っていた。はっきりいって、もう辞めてやろうかと思うんだけれどまだそこまでするのは辞めといた。金曜日にテキストを入れた。4月10日と24日の土曜日、シッターできます。用事が入ったり、病人がでて出来なくなったら水曜日までに連絡入れます。そっちからも、遅くても前日までに確認の連絡を入れて欲しい。今、xx(夫)のビジネスのマネッジメントですごく忙しくて確認なかったら忘れます。よろしく。と。自分できめてやってるのだから、文句をいうなと自分でも思うんだけど自分の中では、Sちゃんが1歳半になったとき、辞めようと思っている。あと3ヶ月。もしかしたら、それまでに、Mちゃんが私にたのまなくなる可能性もなきにしもあらずだけれど。それから、今日、高速で車線変更させてくれなかったアフリカン・アメリカンの男!ウインカー出したとたん、スピードあげやがって!おかげで降り口逃したやないか!こういうしょーもない男はせせこましいL.A.エリアから来たんやろう、どうせ。S.B.エリアに住む人間は、絶対譲るからな。ほんまに、せっこい男やで。L.A.エリアのみなさん、ごめんなさい。と一応、あやまっとこう。悪いのはこの、アフリカン・アメリカンの器のちっこい男やから。というわけで、毒吐き終わり。
2010年03月30日
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今年もまたまた、やってまいりました!義弟家族の襲来!18歳長男を筆頭に、下は8番目の6歳。そして、今回は義弟嫁の姉の子供20歳もきたので計11人の襲来。まぁ、みんなもう小さい子じゃないから手伝いしてくれるしナナミも見てもらえるから助かることは助かるんだけどでも、11人も人が増えるとなると家はすごいことになる。特に台所と冷蔵庫。週1、2回の食器洗浄機がもう毎日起動でもたらないくらいだから彼らが来るときは、紙皿を使うことが多い。そしたら、ゴミの量がはんぱじゃなくなる。。。エコじゃないよ~。人が増えることって。冬、雪と吹雪と氷で閉ざされるようなところに住んでいるのでカリフォルニアは天国のような気候で彼らはビーチにいったり、ハイキングにいったり、ダウンタウンに行ったりこのすばらしい気候を満喫している。私はいつものように、食事とか用意してる。今日は焼きそばと冷凍のワンタンとか餃子をほりこんだスープ。みんなおいしいおいしいと、喜んで食べてくれたからうれしかった。義弟夫婦は毎日、こんな暮らしをしているんだよなぁ。それを思ったら、滞在中の1週間ぐらい義弟嫁を休ませてあげたいと思う。夕食作って、こんなに喜んでもらえるならお安い御用だ一週間ぐらい。昨日ぐらいからナナミの調子が悪くて喉ががらがらでタンがからんでいるらしく昨夜はタンがからみすぎて吐いた。咳を出して、たんを切るということがまだうまく出来ないらしい。かわいそうだけど、どうしようもないから今日は水分たっぷりのませてゆっくりした。みかんとか、ビタミンCをたくさん与えた。一日、熱っぽかったけど元気に従姉たちと遊んでた。でも、夜になったらなんかだんだん、しんどくなってきたみたいで熱もあがってきて、ぐずぐず言い出したから夕食の支度が大変だった。。。。タイラノールのませて、ぬるめのお風呂にいれて一緒に横になってたら、ぐずりながらやっと寝てくれたけど。。。今夜もタンがからんで起きるんだろうなぁ。なんか、ゴロゴロ言いながら寝てるから。。。はやいところ風呂にはいって寝ましょう。今夜も寝れるかわからないからね。
2010年03月17日
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土曜日、Mちゃんのお母さんがうちにやってきた。Mちゃんのお母さん、2週間ぐらい前に癌で亡くなったのでこられたのは、魂というかお化けさんというか。。。。土曜日は、昼の3時ぐらいからMちゃんが仕事を終えてかえってくるまでMちゃんの娘Sちゃんを子守する日。金曜日仕事で、日曜日も仕事。だからちょっときついことはきついんだけどMちゃん、土曜日はどうしてもSちゃんを見てくれる友達がいないらしくちょっとしんどいなぁ、とは思ったんだけどすることにした。Sちゃんも13ヵ月になったし、ナナミと遊ぶようになったからナナミのためにも、友達と遊ぶことはいいことだし。で、6時ごろ、夕食作れないからタイフードをオーダーした。夫がレストランにとりに出かけた。子供二人はリビングでなんかしていて私は台所で用事をしていた。そしたら「S」と、Sちゃんの名前を呼ぶ声が聞こえた。多分、え?と思ったのはほんとに一瞬のことですぐに感じた。「Mちゃんのお母さんがこられてる。」そしたらあっというまに、体中に鳥肌がたった。ほんとにぞわぞわぞわ~と寒気みたいなゾクゾク感が走り始めた。それから、涙があふれてきた。全然、怖くはなかった。そして、涙も悲しいのかうれしいのかわからないなんともいえない感情で、そして頭のなかでふと思った。「Sちゃんを抱きしめないと!抱きしめてあげよう。Mちゃんのお母さんが、きっとそうしたいんだ。」そして、Sちゃんのところに行ってぎゅーっと抱きしめた。涙がもっともっと出てきて泣きながらSちゃんを抱きしめた。しばらくすると、Sちゃんはうれしそうに私から離れて少し離れたところを、私から目を離さずにニコニコしながら行ったりきたりした。そして、私を指差して 「ババ。」と言った。あぁ、やっぱり、こられてるな。そう確信したので、すぐにMちゃんの仕事場に電話をしてお母さんがこられてるよ。と伝えた。Mちゃんはそれから1時間半ぐらいで帰ってきた。そのあともSちゃんは私を指差して、ニコニコしながら「ババ」と何度も何度も、Mちゃんに教えるように言っていたから多分、おられたんだと思う。Mちゃんの分も、晩御飯を用意してあげたんだけどMちゃんが私が作った大根のお味噌汁を食べながら教えてくれた。Mちゃんのお母さんが生きていたときSちゃんを連れて日本に里帰りした。そのときに、離乳食をはじめた。Sちゃんが始めた食べた食べ物が、大根のお味噌汁だったらしくそれはそれは、おいしそうにたくさん食べたらしい。Mちゃんのお母さんは、ほとんど毎日Sちゃんのために大根のお味噌汁を作っていたらしい。大根のお味噌汁を作ったのは昨日で大根を買ったのは3日目だからお母さんは3日前から私のところに来てたんじゃない。と、そんなことを言った。ご飯を食べた後、Mちゃんと一緒に帰ってくださいねとMちゃんにお母さんを連れて帰ってもらった。11月から調子が思わしくなかったお母さんと最後の時間を過ごすために、行ったり来たりで2回も日本に帰ったけどMちゃんは結局、お母さんの最後を看取ることができなかった。お葬式のための帰国は、MちゃんはSちゃんをここにおいて一人で行ったので、Mちゃんのお母さんは孫のSちゃんとお別れできなかった。そして、心配もしてるんだろうと思う。だから、「大丈夫ですよ。」と声をかけておいた。私もできるだけのこと、しますから。と。Mちゃんにそういうと、Mちゃんは多分、それもあるけど、お母さんはナデシコにお礼が言いたいんだと思う。とそういってくれた。帝王切開の傷が化膿したり、母乳で苦労したときに私がいつもMちゃんSちゃんのそばにいたことをMちゃんはお母さんに全部話していたからだからありがとうって言いにきたんだ。と。Mちゃんはそういう感覚が本当に鈍いから自分のところに来て欲しいんだけど、全然わからないって言ってた。お父さんとか、弟のところにはいっぱいサインがあって自分のところにはきてくれないって。いや、お母さんはずっとMちゃんのところにも来てはったんやと思うよ。でも、Mちゃんが全然きがついてくれへんもんやからしびれ切らせて私のところにきたんとちゃうかな?だって、Sちゃんが「ババだよ。ババがいるよ。」って教えるみたいに「ババ。ババ。」ってあんだけ何回も言ってたでしょ?そんなことをMちゃんに話した。あぁ、そうだ。この場を借りて、お母さんにも挨拶しておこう。Mちゃんのお母さん、どうか安らかに旅立ってくださいね。わざわざ来てくださって、ありがとうございました。そして、Sちゃんとナナミの成長をいつまでも見守っていてください。敬具
2010年02月23日
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本日、二本目。最近、食欲がすごかった。食べても食べても、足りない。原因は、早食い。噛まない。1歳児抱えてたら、仕方が無いよ。噛んでる時間なんて、ないもん。否応なしに太りだして、産後やっとはけたジーンズがまたはけなくなりつつあるから、これはなんとかしないとと噛むダイエットを始めた。一口に100回はムリだから、せめて50回。できたら60回。噛む。これをしたら、食べる量が減った。仕事のときも、実行しているのだけれどランチブレイクは30分しかないから、先週は食べ切れなかった。でも、お腹は満足しているから残した。運動は一時、水泳とパワーウォークでほぼ毎日やっていたけど2月にはいってから、水泳一回しか行ってない。続かんなぁ。。。寒いとどうも、動かないんだなぁ。。。昨日ぐらいから、ぽかぽか陽気が続いているのでそろそろ、パワーウォークしようか!と気持ちが乗ってきたから噛むダイエットと平行して行う予定。もうひとつ、新しく始めたこと。オリーブオイル・頭皮マッサージ。お風呂に入る前に、オリーブオイルを頭皮にすり込んでマッサージしている。ハリウッド女優のインタビューか何かを読んだことがあった。髪がつやつやになって、健康になるらしい。髪は頭皮の延長だから、メイクセンスすると思い、始めてみた。10分ぐらいおいたらいいらしいけど、私は5分ぐらい。そのままシャンプーして、リンスして、体洗って。。。で、シャンプー後もなんとなく、オイルが残ってしなやかになる。顔とか、体にもオイルが残るからか、潤う。カリフォルニアの水はとにかく、ミネラルがいっぱいで硬いから皮膚にも髪にも、全然やさしくない。髪なんてもう、パリパリでかなりやばかった。オリーブオイルはじめてから、バレットで巻き上げた毛先がしんなりとしなだれてくれるようになった。前はもう、針金みたいにビーンビヨ~ンって、いろんなとこにいってたのに。噛むダイエットと、オリーブオイル。最近始めたこの二つは、なかなか長く続きそうなかんじがする。
2010年02月14日
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最近また、おそらく偶然ではないだろうと思われるちょっとした出来事があった。13ヶ月のときに、自分のオムツバッグからオムツをとって私のところにテクテクやってきて手渡してくれたことがある。ウ○子したから、替えて。と、そんなタイミングでもってきたことがある。この子は早く、トイレトレーニングできるのじゃないかな?とナナミの遊び方をみて言われたこともあった。それから、先週も。ナナミのトイレトレーニングを始めようと思ったきっかけなんだけど。先週、39度5分ぐらいの熱をだした。次の日もちょっとしんどそうにしていて熱があり湿疹とか嘔吐とか下痢とか食欲不振とか他の症状はまったくなく、熱はひいた。そして、熱がひいた次の日、結構食べたのにウ○子をしないなぁと思っていたら昼過ぎに大量にした。それもかなりゆるいやつ。ナナミのお気に入りの本がある。姉がくれた、日本語の絵本。くまちゃんの赤ちゃん絵本。5シリーズある。はみがきおへんじはーいおたんじょうびおともだちうんちななみは全部、気に入っていて読んで欲しいともってくる本はいつもこのどれか。で、その日私がオフィスで用事をしていたらナナミがいつもよりも、はげしく本を私に向かってふりまわし「あ~!あ~!あ~!」と読んでくれという。読んでくれにしては、なんか切羽詰ってるな?と思いきやにおいですぐにわかった。大量だったらしく、おむつのおしりのところからモリモリモリ~!!!!とあふれ出しているところだった。ナナミの手から本をとりあげた。うんち の本だった。えぇ~?!うんちを知らせようとしてたのか?と思い、とにかくモリモリあふれ出てくるうんちを紙でとって風呂場につれていき、そのままシャワーを浴びさせた。いや、これは贔屓目にみなくても偶然じゃないと思うな。と、みんなに言っているんだけど。そろそろ、トイレトレはじめてみることにした。朝ごはんの後と、お風呂の前にオムツをとってすぐに、便座にすわらせたらちょろちょろちょろ~とおしっこをしてくれた。今日はウ○子をしたので、オムツを取り替えようとしたら暴れるからそのままトイレにつれていき、オムツをとってトイレに座らせたらのこりのウ○子をトイレでしてた。今日、オマルを買ってきて、結構長いこと座らせたんだけどなかなかしないから、オマルからはずして立たせたとたん床にシャーとしてしまった。多分、このオマルがピンクでかわいらしいから新しいおもちゃか何かかと思ってるんだと思う。おしっこなんてかけたくないんだと思う。もっとかわいらしくない、「トイレ」みたいな真っ白なやつ買えばよかったかな?
2010年02月14日
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ナナミがババのところから離れたがらなかったり私よりもババのことがいいと意思表示したりすることを心傷ついて、ババへの嫉妬の炎を必死で隠したりなんでなのか?と自分の学びとしていろいろ考えてみたり結局、ナナミにとっては最高に幸せなことなんだと納得し自分なりののびのび子育てをしようと新年を迎えた。そして、オーダーしたしまじろうぷちファーストが届いた。思ったよりも高くつきそうだったから1月から3月のぷちファーストをキャンセルし4月からのぷちでやろうとおもっていたのだけれど手違いで1月号ぷちファーストが届いた。あっちの手違いだから、返品しなくてもいいといわれた。処分するかご活用ください。と。もちろん、ご活用。で、このしまじろうがすごい!子供の心をわしづかみ!!ナナミの心もわしづかみされたようで私がしまじろうになってお話したりすると大喜びする。毎日、しまじろうをもって私のところにきてお話しろとせがむ。ナナミの成長もあるのだろうけど私がママだということをもっともっと分かってきたみたいで今ではババよりも私を選ぶようになった。ババはもちろん、ものすごく残念がっているが仕方が無い。私は母親だからな。預けたら、もどってきたがらないのがつらくてかたくなに、よっぽどのことがないかぎりは預けないようにナナミとずーっといたりしたけれど最近では1時間ほど預けて泳いだり、ちょっと買い物にいったりちょっとケンジと走りに行ったり、いろいろするようになった。今まで、金曜日と日曜に働いていたシフトを減らして2月中旬から日曜日は隔週で働くことにした。日曜日はババが教会に行く日で、ナナミも一緒に行っている。日曜日はフリーの午前中を利用して久しぶりにサーフィンでもやろうかと思う。ナナミが一緒にサーフィンに行けるようになる日は来るからそれまでにちゃんと練習して「ママ、すごいね~!」って言ってもらえるように練習しとこう。子育ては体力勝負!
2010年01月28日
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先日、TV小僧で日本の番組を見ていた。世界仰天ニュースという番組で「天国からの手紙」というタイトルが目に付いたので見ていたら、なんとも悲しいストーリーだった。5歳で亡くなった女の子、エレナの話。悪性の脳腫瘍で余命4ヵ月半と申告され9ヵ月半後になくなるまでのドラマが流された。エレナが亡くなってから、家族はエレナが生前に書いて家中に隠したと思われる家族宛の手紙を次々と発見していった。「I love you mom, I love you dad, I love you Grace(妹)。」エレナが亡くなった2年後の今でも、手紙はみつかっているという話。子供が失うという辛さ。夜中、頭痛がするまで号泣した。ナナミを授かる前には、決して感じることはなかった感情。何の問題もなく、健やかに育つナナミに心から感謝した。そして、絶対にあってはならないことだけれど万が一、ナナミが親の私たちよりも先に逝くようなことがあったとき私はこの子が寂しくないように、ちゃんと天国(あるのかわからないけれど)やいいところに迷わずに行けるようにするためならどんなことでもしたい。とそう思った。だから、洗礼(バプタイズ)することにした。バプタイズの意味を私はあまりしらないけれど子供が亡くなったときに、天国へのスピリッチャルなガイダンスがつくとかつかないとか。。。ババはもちろん、大喜びしている。一石二鳥だと思い、3月、義弟家族がくるときにあわせてナナミのバプタイズを計画する。義妹も厳格なクリスチャンなので、大喜びするだろう。一石三鳥だな。
2010年01月04日
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本日、元旦。初仕事でした。2010年あけましておめでとうございます。お正月を感じるものが何もないのでほんとに普段どおりなカリフォルニア。お正月にクリスマスのデコレーションとかツリーを片付ける。今日はデビーが病棟のクリスマスデコレーションを片付けてたな。そういえば。うちもミニツリーと、ババの家のでっかいツリーと外の電球を片付ける。それにしても、12時間離れていたというのにナナミは私のことを見向きもしない。疲れて帰ってきて、「ママ~!!」ってしてほしいけどはっきりいって、こんなこと一度もされたことがないんだな。寂しいわ。帰ってきて、ババにだっこされてるナナミを12時間離れていた私が抱っこしようとしたら嫌がる。こっちに来ない。まぁ、ナナミにとってはママがいなくてもぜんぜん寂しくもなく楽しく過ごせるということがどんなにいいことか。とわかっているんだけれど、疲れも吹っ飛ばない。ナナミが喜んできてくれないから。今日もいつものごとく、帰ってきて、ようやくナナミをババから引き剥がし帰っていくババの背中を見て、泣き叫ぶナナミを抱きながらこっちが泣きたくなったわ。自分よりも、ババのほうがいいのか?と真剣に母としての自信をなくしている今日この頃。なんか、たぶん、自分に与えられた課題というかなにか考えることなんかな?とは思っているんだけれど。私よりもババのほうがいいと、ナナミが意思表示することがあまりにも多すぎるから、常にババを意識して自分でもいやになるときがある。のびのび子育てしたいのに、ぜんぜんできてない。ナナミもそれを感じているのかもしれないな。のびのび子育て。それが今年の課題。自分のエゴを捨てて、ナナミにとって一番いいことを手放しで喜べるようになりたい。そんな新年の仕事あけでした。
2010年01月02日
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クリスマスは、お望みどおり仕事にいかなくてもよくなった。スタンバイ(自宅待機)ではあったけれど緊急の入院患者などもなく、電話はかかってくることはなかった。スタンバイは電話がかかってきたら、すぐに出勤しなければならない。どこにもいけなかったけど、まぁ、クリスマスでどこも開いてないからゆっくりできてよかった。明日はクリスマス明けの日曜日。仕事なんだけど患者数が激減で、6人らしい。だから、ナースはチャージが一人とあと二人。計三人。こういうパターン、嫌い。なんでかというと、こんなホリデーに入院してる人ってだいたい病状も重い。緊急のときにも、3人しかナースがいないからそれがいちばん怖い。さっき電話がかかってきた。ナデシコは、抗がん剤の投薬はもうできたっけ?という確認の電話だった。ナースが3人しか働かないから抗がん剤投薬できないナースは明日はキャンセルになるらしい。残念なことに、10月にオリエンテーションを受けて11月からはスーパーバイズなしで抗がん剤を投薬できるようになったので明日はは確実に、仕事。6人の患者と3人のナース。こんなシフトは初めてなので、ちょっとナーバスだけどいいシフトになることを祈って寝ることにする。
2009年12月27日
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いろんな単語を言い始めた。私が話す言葉なんかも、注意深く聞いたり口元を見たりしてまねしようとしたりする。日本語を話してほしいので、しまじろうを始めることにした。オンラインで海外受講の登録をした。1月から、こどもチャレンジの教材が届く。1年分の受講費をまとめて払うけど夫が一日2本飲もうとしていたグリーンジュース二か月分よりちょっと高いぐらいだから思い切って申し込んだ。これでちょっとだけ、夫の馬鹿さにむかついてた気持ちが晴れた。
2009年12月23日
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夫は便秘がひどくて、だから毎日エッセンシャル・グリーンという高い野菜汁を一本飲んでいる。青汁みたいな感じかな。一本3.50ドル(約350円)。いろんな野菜2パウンド分(約900グラム)から絞ったジュースなんだけどなんか今日、仕事終わってカエルコールでしゃべってたときに「健康のためにグリーンを一日2本飲むことにするよ。」とか、いきなり言い腐るからあんた、馬鹿か?とちょっと切れてしまった私をお許しください。なんで一日2キロ近くの野菜からとった汁を毎日毎日のまなあかんのか?あんたは馬か?聞くと、便秘も特に問題なくただ、健康のために。そう思ったらしい。大体、毎日7ドル、一月210ドル(2万以上)も野菜汁のために金を使うという考えが私には理解できない。あれだけ、経費でおとせない買い物はビジネスのアカウントからするなと私に言うくせに。だから、経費でおとせないものは私の収入から買うくせに。月二万払うんやったら、それで自分の医療保険払ってくれるか。わけがわからんねん。あんたの医療保険だけで、それよりも額は多いけど毎月私の給料から引き落とされてるねんで。野菜汁のんだら、もう医療保険はいらんかもな。健康になるんやからな。あんたの医療保険キャンセルしょうか?それにしても、どんだけ、健康になりたいん?100歳まで生きたいんか?一日野菜汁2本飲んだからって、もっともっと健康になると思ってるんか?そういう考えが浅はかやっていうねん。何事も、ほどほどに程度っていうものがあるんやで?1本飲もうが2本飲もうが、同じやねん。病気になるときにはなるし、死ぬときには死によるわ。ほんま、あんたのそういう浅はかさというかわけのわからんところ、どうしたらいいのかもわからんわ。年間25万も、野菜汁に使っていったいほんまに、いくつまで生きたいわけ?わけがわからん。絶対に、却下。却下、却下、却下!!却下出すまで散々いってもた。夕食のとき、言ってもなかなかサラダに手をつけないので「グリーンがほしいんやろ?ほら。野菜やん。グリーンやん。食べろよ。」って言ったらやっと食べよった。ほんまに、何考えてるんだろうか。たぶん、何も考えずいくらかかるとかも考えずにいったんだろうとは思うけど。まったく、困ったオヤジ。
2009年12月23日
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ナナミが歩くようになってから抱っこばっかりではなくなってきたので外出が楽になってきた。公園とか、ビーチとか、手をつないで歩くだけで幸せいっぱいな気持ちになれる。でも、手を振りほどいて反対方向に行きたがったり湿った砂浜に座り込んで、どろどろになったりそれでも、ま、ええか。とやりたいようにやらせて帰るときには顔中砂だらけで、口にも砂が入って車の中もカーシートも砂だらけでそれでも幸せいっぱいか?と問われはい。幸せです。と答える。そんな生活を送っている。仕事のペースは変わりなく、週20時間。夫の仕事が安定して忙しいから、今の私が勤める目的は収入ではなく家族の医療保険のために働いている。仕事もなんやかんやいいながら月1回11月はサンクスギビングのホリデーがあったので月2回キャンセルになり、だから実質出勤日数は月6・7日でおちついている。今月も月の初めに一日スタンバイになり明日は休むことにした。くしゃみ、鼻水、セキ、鼻声、涙目。こんなんで仕事に行ったら、みんなに嫌がられるし患者さんにもよくないから休むと今、電話を入れた。で、来週の金曜日はクリスマス。出勤することになっている。給料が普段の1.5倍になるから、みんな働きたがる。でも、患者数は減るので、結局はオーバースタッフになってキャンセルされる人がでてくる。だから、キャンセルしてもらってもいいよ。と買って出る。働かなくてもいい上に、みんなから感謝される。よく言われる。仕事に行っている間、子供からのブレークができていいでしょ?いやいや、そんなものいりませんから。ナナミは私からのブレークがほしいかもしれないけれど私はそんなものいらない。四六時中、一緒にいたくていたくて仕方がない。子供なんて、かわいいとおもったことあまりないし自分がこんなにも子供をかわいいと思う人だったとはほんとに驚き。ナナミだけじゃたりなくて、友人の子供もみてあげるよーといつも声かけてる。で、土曜日はMちゃんの赤ちゃん、11ヶ月を夕方から8時ごろまで4・5時間、面倒みているんだけどこれも楽しくて楽しくて、仕方がない。でも、二人目は今のところ考えてないっていうかたぶん無理だろうな。って思ってる。あぁ、そうか。だから余計、かわいくてしかたがないのかもしれないな。
2009年12月18日
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ナナミがいちど、トイレにはいっていって便器の水でぱしゃぱしゃやっていたことがあった。お風呂に入れた後、ドアがちゃんと閉まっていなかったわたしの責任。うちはチャイルドプルーフちゃんとしてあるけれどできるだけいろんなものを触って、見て、感性を育ててほしいから危険なものをとっぱらって、オープンエリアでほとんどフェンスなしでナナミはリビングもベッドルームも台所も自由に行き来できるようにしている。キャビネットはすべて、ロックして安全なキャビネットはナナミが届く段までは引っ張り出しても安全なものばかりを収納し「だめ!だめ!だめ!」をできるだけいわなくてもいいようにやっている。それでも、ダメ!ってかなり前からナナミまねするから結構言ってるんだと思うけど。。。ナナミが便器の水で遊んだあの日から私はものすごく注意してトイレのドアを閉めるようになった。でも夫が、まだたまにあけたままにしてナナミがこっそり(一人では入ってはいけないことを知っているから)私が見ていないのを見計らって、トイレに入ろうとする。今朝も、ナナミがドアが開いているのを見つける前に私があいているのを発見した。夫はすでに、バスルームの中にいてシャワーを浴びようとしていた。「ドアーを閉めてよ!」って、きつく言ったら、ナナミがまねするようになるとかまた言い腐った。たしかに、いろいろ言い方はあるけど。やさしく言ったって、治らんやろ?で、夫が仕事にでかけたあとトイレに行ったらまた、ドアが開いていた。切れた。でも、夫はもういないのでどうしたもんか?と思い電話して怒鳴ってやろうかとおもったけどやめることにした。黒の超極太マジックで一文字直径4cmぐらいの大きさでトイレのドア裏表に書いた。「GARY, SHUT THE DOOR.」ドアーは押し開けるようになっていてトイレの中の鏡にドアーがうつるのでミラーイメージで、鏡に映っても読めるように逆さ文字でも書いてみた。素敵。かなりすっきりした。これで絶対、ドアーの閉め忘れはなくなると思うとかなりすがすがしい気持ちになった。でも、これでも閉め忘れたらどうしたらいいんだろう?そのときにはまた、新たな策を考えないとな。。。
2009年11月17日
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ナナミが寝ている間に、必死でやっていた日記やらいろんな記録をやめてほかのことをするようになったので日々の生活にゆとりがでてきた。しばらくの間やめていた化粧もはじめた。朝の準備にもう少し時間をかけて夜もしっかり洗顔してお肌のケアーとかも楽しくやりはじめた。ナナミは私の朝の準備のとき一緒にバスルームにいて鏡をみながら歯磨きをするのが日課。歯ブラシをかじってるだけなので後で手直し磨きをしてあげる。昼寝は一日1回になったのだけどその間にぱぱぱ~っと夕食の下ごしらえとかもやってしまうのでいままでバタバタ忙しかった夕方から寝るまでの時間がすこし穏やかになった。家の整理整頓も相変わらずやっているけど今のところ、模様替えやら変えたい場所が思い当たらないから、なんか落ち着いている。だからたぶん夕食に手間をかける余裕が出てきたのかもしれない。しょっちゅう、しょっちゅう、模様替えをしていたのもなにか心理的においつめられたものがあったからかもしれない。と、そんな風に思うんだけれど。ナナミ、はやくおきてくれないかなぁ。用事がおわって母さんは暇だよ。って今日はそのくらい穏やかです。
2009年11月13日
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豚の角煮を作った。豚バラ肉ではなく、肩ロースを使ったんだけど圧力鍋で調理したらそれなりにおいしくできた。ジジババに夕食の感想を聞いたら「おいしいビーフだったわ!」って、牛肉と思ったみたい。お箸で切れるぐらいにやわらかくはならなかったけれどそれなりに、たべやすいくらいにやわらかくはなった。肩ロースでも、時間をかけて調理したらやわらかくなるのかな?昨日使った分は、6等分した大量買いのひとつだからあと5つあるんだよなー。たぶん、おいしかったから次も煮物にするかな。
2009年11月12日
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今まで続けていた日記やら記録をやめてから気持ちに余裕が出てきた。以前は、時間はいくらでもあるはずなのに常に追い詰められているような気分で時間があるときでも「今しかやっておく時間がない!」と、ばたばたと掃除したり整理したり結局は別に今できなくても大して支障はないようなことなのに必死でやっていた。そんな自分がなくなった。やっぱり、毎日ジャーナルに追い詰められていたんだな。やらなきゃいけない!って。やめると決めた夜は、ものすごいストレスになっていて自分はもしかしたらOCD(Obsessive Compulsive Disorder)強迫性障害じゃないかとだから辞めないと!とほんとに思った。夫に泣きながら訴えた。なんでこんなわけのわからないジャーナルばっかりやってるんやろ!もう、全部やめる!もう無理!私、頭おかしくなりそう!!ちょっと残念だったけれど、結構簡単にやめられたのでそういう精神的な障害はなかったのだろう。でも、続けていたらほんとにおかしくなっていたかも。要は、加減がわからなくなってきてたんだろう。別にやらない日があってもいいのに絶対に、一日でもあけたらいけない!ってジャーナルに気持ちと生活を支配されてしまってたんだと思う。辞めてからの毎日は、なんだか穏やかというか毎日「今日はナナミとどこに行こうか?」とプランをたてて2-3時間は必ず外出するようにしている。あまり気にならなくなったので、掃除の回数が減った。食事のジャーナルもやめたので手抜き料理になりなかなか楽をさせてもらっているし。ジジババの食事も作っていることは作っているけれど子育てに集中したいのでしばらくは食事は手抜きするから。と、先週ババに伝えた。そしたらジジババは、ランチを重く食べ始めたみたいで夕食はほんとに軽く、スープとかサラダだけとかそんな感じでいいよといってくれたので楽になった。毎日、朝起きてから気構えるような精神状況はなくなりジャーナルをやめてほんとによかったなと思う。夫のビジネスのサポートは以前もやっていたけれど常に気構えた余裕のない精神状態だったのでルーズな夫に対する辛抱の許容はほぼなくいつも爆発寸前というか、爆発していたし。それがなくなったことは最高のメリットになった。ジャーナル3つに費やしていた時間とエネルギーは相当のものだったからそれが全部、夫のビジネスに費やされ夫も喜んでいる。毎日の領収書やらレシート類の整理、支払い5人のヘルパーの労働時間も毎日記録できている。私も無理してやっているわけじゃないので夫に対して怒ることもあまりなくなった。ナナミが生まれる前、ほんとに時間をもてあましていた。時間がありすぎるから、なんとか自分を忙しくしようといろんなジャーナルとか記録することを始めたけど今はそれよりも、もっともっと大事なことがあってもう、以前のような感覚で時間と接することはできないんだと実感した。1年もかかってようやく気がつくなんて時間かかりすぎ。。。ほんと、フレキシブルじゃないな。自分。
2009年11月09日
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ナナミが生まれる前から続けているいろんなジャーナル(いろんな日々の記録)をすっぱりとやめた。だんだんと時間がなくなってきて、きつくなってきたから。自分自身、ジャーナルを記録しない日があればそれが罪悪感になりプレッシャーとストレスになってきたから。自分はめっちゃ忙しい、忙しい、と思っていたけれどジャーナルを辞めたらなんか時間と気持ちにちょっと余裕が出てきた。つけていたジャーナルは自分の10年日記。5年前から毎日、つけていた日記。1ページに10のコラムを作ってそれに日々ミニ日記をつけていた。2年前の今日とか3年前の今日をみてあぁ、あれは3年まえだったんだね。とかそういうのが楽しくてやっていたけどそれ以外に、どうしてもつけなければならない理由はあまりないと感じたのできっぱりと辞めた。特別なイベントとか、出来事があったときだけつけるようにした。夕食日記。毎日の夕食をつけていた。これはジジババの夕食ジャーナルも兼ねている。この家の相続をするときに、私たち夫婦がしているサポートはすべて換金されて兄弟たちへの支払いとなるからつけておいても害はないと思いやっていたけれどこの仕事は私がジジババにしている労働としてすでに毎月換算されて支払いとして記録されているから夕食ジャーナルまでしなくてもよしと判断。やめることにした。ナナミのジャーナル。結構細かくつけていたけれど初めてママと言ったとか、立ったとか、歩いたとかあと注射とか、病気になったとかそういうのをちょこっと、気がつけば書き込む程度に変えた。ジャーナルをどうしても辞めなければならない理由はもう一つ。夫の仕事がめちゃくちゃ忙しくなってきて今までのヘルパーに加えて、もう二人、ヘルパーを雇ったから。今、5人のヘルパーを使っているんだけれどこの人たちのタイムカードとかそんなものはなくだからといって、夫が彼らの労働時間を把握しているわけでもなく全部、自己申告で給料を払っていた。そんなん、ありえへんやん。と、夫に言ったけれど夫はやることがあまりにもありすぎて時間の記録なんてほぼ絶対ムリだといった。私も夫にはムリだろうなと思ったので裏のマネージメントをすると申し出た。毎日、5人のヘルパーが私に電話をしてきて今日、どこで何時間働いたのかを連絡してくる。それを記録するようにした。仕事別に請求書とか領収書をファイル。支払いの小切手が届けば、それを記録して請求書を支払い済みにファイル。小切手の入金。そして、夫のお尻を叩く。イライラせずにやさしく協力的に。請求書は作ったのか?今日の領収書は?目を通して欲しい書類、確認して。だから、自分のジャーナルをやめた。最初はなんか、寂しいというか複雑な気持ちになったけれど今はなんか、変なプレッシャーから開放されて楽。こっちの日記も更新できるようになったし。ちょっとしたこだわりとか捨てて、フレキシブルにいけば時間って出てくるもんなんだと実感した。
2009年11月04日
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ナナミがバスルームに入りたがって困ってた。アメリカのバスルームは、シャワータブとトイレ、洗面台が一つの部屋になっている。朝の準備、化粧とか歯磨きとかしているときにナナミが扉をバンバン叩いて「入れろ」と泣き叫ぶのでバスルームをナナミが入っても大丈夫なようにきれいにした。まず、床においておいたトイレ掃除のものをタンクの上においてゴミ箱をシンクのカウンタートップに移動。そしたらカウンターが狭くなったので化粧品なんかを入れていた、海賊の宝箱みたいなフタツキ箱をのけて窓のサンに棚をおいてそこに化粧品をおくことにした。で、いろいろいじって、物がなくなり、なんか感じが変わった。ナナミも私が朝の準備をしている間バスルームの床で鏡で遊んだり、一緒に歯磨きを真似したり楽しく遊ぶようになり、私のストレスが一つ減った。何か変えると、夫が物をみつけられなくなるのは分かってる。で、案の定、今朝、ゴミ箱がなくなった、また動かしてどこにやったのか?と夫がトイレで騒ぐのでちょっとイラッとしてしまった。っていうか、ゴミ箱が見つけられなくなるとは思わなかった。だって、ゴミ箱、目の前に移動したんだもん。もう手元から20cmぐらいのところにあるから前よりか分かりやすいところにあるのに。「だからぁ~、なんで見ないの?ほんまに見たんか?なんでゴミ箱が見えないのかが私にはわからん。トイレの中のもの、数えるほどしかないやん。ひとつひとつのアイテムを見ていったら見つけられんか?見つける気なんて、ないやろ?なんでもかんでも、妻あてにするからその根性がみつけられへんねん。どこにあるかは教えん。自分でいっこいっこ、アイテムみて探してくれ。」5秒で見つけた。夫はこういう私の返答を批判する。大きくなったらナナミにもそんなふうに辛抱なく対応するようになるというけれどほんとにそうなるのか私もわからないけれどでも、多分ならないと思う。だって、ナナミは私の子供、分身だから、辛抱強くサポートする。でもあんたは私の子供じゃないから、その辛抱はない。そして、ナナミにはゴミ箱を探す努力もせずに見つけてもらおうと考えるようなそんな自立心のない大人に育てるつもりもないし。ババは夫をすばらしい人に育て上げたことは認めるけれどゴミ箱に限らず、こういう甘ったれに育てたのはちょっとミスったんじゃないかな。と反面教師としてメモっておこうとおもう。
2009年11月04日
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ナナミはまだ、一人で歩けません。家の中で、車を押して歩き回ることはありますが一人で歩くのはいつごろになるんでしょう。。。まだまだ抱っこが大好きで、ババがたくさんたくさん甘やかせたせいで、あまり歩きたがらないし抱っこばっかりせがみます。今日はナナミの押して歩くおもちゃをもってビーチの公園に行くことにしました。最悪、歩きたがらないかもしれないと思ったけれどナイキの靴をはかせて、初めて公園お散歩デビュー!ナナミはうれしそうに200メートルぐらいは歩いたと思います。車を押して、障害物にぶつかったら自分でバックして方向転換をするようになりました。歩く楽しさを知ったようです。ちょっとゆっくりめの一人歩きですね。明日からしばらく、ビーチのお散歩を日課にしようと思います。
2009年11月04日
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土曜日はナナミのお誕生会をしました。ゲストは25人ぐらい。今回はジジババの友人は遠慮してもらい私と夫の友人のみでさせてもらいました。いつもと同じメニューでトライティップバーベキューチキンバーベキュービーンメキシカンライストルティアワカモレ(アボカドディップ)ハモス(ミドロイースタンフード。豆のディップ)ホットドッグソーセージサラダ2種にケーキと果物。100人超のパーティーをこなしてきただけあって25人ぐらいは余裕でした。。。というのはうそで今日はもうくたくたで疲れがどどど~!!!っと出てました。パーティーは土曜日で、その週は買い物やら掃除やら準備に追われてとても忙しく金曜日は仕事。残業になって帰宅したのが9時前。パーティーのポテトサラダやゲームルームの掃除を寝る前にするはずだったのに、頭が割れるようにいたくてもう寝るしかなくて、痛み止め飲んで寝ました。あぁ。。。何も用意できてない。。って、ほんとに泣きながら寝ました。そして次の日。頭痛は治っていたので、あわてて起きてパーティーの準備。12時からと言ってあるからバーベキューのための火を10時半にはおこさないといけないし掃除はまだできてないし食べ物は用意できてないし。。。それなのに夫は仕事があって10時までに帰ってくるからとでかけてしまったのでした。ナナミは抱っこしろとうるさいし、料理・掃除を同時進行しないといけないし。。。で、もうほんと、やばいと思ったところでババ参上。ナナミを見てくれるというからそこから全力投球開始。夫が10時に帰ってくるならそれから火はおこせばいいとおもっていたけれど10時45分になっても帰ってこない。大き目の丸太と小さめの枝とダンボール紙をバーベキューグリルにつめて着火してゲストみんなに12時からではなく、1時からに遅らせると連絡。料理の続きをしているところで夫帰宅。夫の友人がテーブルと椅子のセッティングを手伝ってくれそしてなんとかかんとか料理もそろいパーティーは無事、1時すぎからスタートしたのでした。。。1歳の誕生日会、無事終了!!で、次の日日曜日も仕事。。。疲れました~。ナナミも疲れたみたいで、今日は朝9時ぐらいまで寝ていました。思い出しただけで、また疲れたので今日は早く寝たいと思います。
2009年10月27日
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あと10日で、0歳児のママではなくなるのでこのテーマは使わなくなる。早いなぁ。1歳を目前にして、ナナミは昨日突然私や夫の言葉を真似するようになった。ナナミは本が好きで、自分でおもちゃ箱から本を引っ張り出し、ぶつぶつ言いながらページをめくっていたりする。私が動物の写真を指差して名前を言うとナナミが真似をした。フィッシュ 「シュッ」ドッグ「ドゥッ」ケンジ「ジッ」ダック「ダッ」こんなかんじ。アイラブユ~っていってみたら「アュヤュ~」みたいな音を発したので、真似をしているのだろう。すご!子供って。と思った。手押し車とか、乳母車とか、私の足につかまっていっしょにテクテク歩くようになったのもほんとにいきなりのことだったので、驚いた。最近では、手放しで立つ練習を一人黙々としている。ふかふかの羊毛カーペットか、ベッドの上でしかしない。板の間では絶対にやらないところが多分、夫よりも私に似ているように思う。夫はとにかく、転んだり怪我したりすることをおそれない子供だったからか、8ヶ月半で歩いた。そして、怪我が耐えなかった。私は全くの正反対で、怪我するのがこわくて跳び箱とかマット運動とか大嫌いだった。歩いたのは12ヶ月ぐらいだったかな?だんだんとでかくなってきて、寝相もはげしく動き出したけれど寝不足になっても夜いっしょに寝たい。あとどのくらい、一緒に寝られるのかなぁ。
2009年10月12日
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昨日の仕事、初めて抗癌剤を投薬した。デビーの監督のもと、2種類の抗癌剤を投薬。すごい緊張した。これでもう、母乳おわり。断乳。さみしいけれど、仕方が無い。ナナミは、ケロッとしてぐずることもなくおいしい食べ物をムシャムシャ食べてくれている。抗癌剤を投薬できるようになったので2月からまた、昇給歩合がアップするからそれで納得することにした。
2009年10月11日
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ナナミは今月20日で1歳を迎える。ほんとにやりやすい子供だと思っていたけれどだんだんと自我が目覚めてきたのか泣いたりぐずったり、オムツとか着替えとかお風呂とか日々の生活で意味なく反抗したり嫌がることが増えてきた。8ヶ月ぐらいまではほんとに楽な赤ちゃんでこのままティーンエージまで何の問題もなく育ってくれるかと思うくらいだった。そんなはずは絶対にないけどな。最近、オムツ換えがものすごく大変になってきた。ナナミは6ヶ月前から離乳食をはじめたので今では大人と同じもの(薄味)をむしゃむしゃたべる。量も小さい子供ぐらい食べる。で、出る量もすごい。しかも、ウ○子のにおいも半端じゃなくくさい。それなのに、もういっぱいいっぱいになったオムツのお腹のテープを外したとたんに暴れようとする。あぁ~!!!ウ○子がぁ~!!こらぁー!じっとしなさいぃぃぃぃ~!!!って、そんなことが多々あり。たまに、じっとしてることもあるんだけれど。。。今日、新しいオムツをオンラインでオーダーした。お腹をテープでとめるやつじゃなくてパンツタイプのやつにしようかと一瞬おもったけれどやっぱりまだ、はやそうだったのでやめた。パンツタイプのやつは、いつごろからはじめたらいいのかな?テープのやつよりも、やりやすいんだろうか?自我の目覚めは大変うれしい成長なんだけどオムツ換えのときにそれを発揮しなくてもいいのに。。。
2009年10月07日
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9月終わりにはじめたぬか床がだんだんとおいしくなってきた。最初はショッパイだけだった漬物がだんだんとぬか漬けになってきた。最初、大根はしょっぱくて辛いだけだったけれど今日は2日つけた大根が、ぬかの酸味を上手に含んでまだ少し、しょっぱいのだけれどでも最高においしかった。たかのつめを入れたので、きゅうりがかすかにピリッとした。カリフォルニアの気温は、ぬか床には最適なんじゃないかと思う。日本の夏のように暑くなりすぎず、冬も昼間はある程度気温が上がるから菌も安定するのじゃないかと父が言っていた。日本は夏場はすごくすっぱくなるから。と言っていた。今日上げた大根ときゅうり、今日中に食べてしまった。大根ときゅうりを今日の朝つけたのであしたの朝あげて、夜に切って食べる。ぬかづけがなんだか、毎日の楽しみみたいになってきた。明日はセロリをつけてみようかな?
2009年10月06日
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昨日の夜、仕事のあとご飯を食べに行った。夫がナナミをつれて仕事場まできてくれたのでそのまま食べにいった。同僚二人もさそって。デビーとデボラ。二人は同僚というにはおこがましいぐらい大ベテランで大先輩なんだけれど、デビーはナナミのへその緒を切った人で自分をナナミの伯母さんと呼ぶくらいよくしてくれているから私もデビーのことは家族のように感じている。デボラは「おくりびと」と見て、心を動かされ日本の文化を高く評価したという。あれいらい、デボラは患者さんの誕生日には鶴をおってほしいとかそういうのを私にたのんでくるようになり私も苦手なドクターの話をして、アドバイスをもらったりとかちょっと距離が近くなった。夕食が終わって帰宅したら、義兄がきていた。少し話をしたんだけど夫が義兄とはなしているのを聞いて思った。夫の声のトーンが低い。顔の表情も微妙に違う。やっぱり、義兄のことはあまり好きじゃないんだと思った。義兄は私たち夫婦がジジババを利用していると思っていた。今も思っているのだろう。恐らく。以前、義兄の息子二人をサーフィンに連れて行きビーチから帰ってきて夫がボードをかたしたりしているときに義兄は夫に、息子二人のゴッドファーザーなのにギフトとかお金を全然よこさないとか、そういうことを言った。夫は、今サーフィンから帰ってきたばっかりじゃないか。と義兄にはっきりと言っていたけれど、その話をババにちゃんとした。みなであきれた。義兄は私たちがなにをしても、決して感謝なんてしないよと。感謝してもらうためにやっているわけじゃないけれどあまりにもひどいから、だからもう、何もしないと私は夫に言った。私たちが行くつもりがないのなら、わざわざ子供達のためにサーフィンも連れて行くつもりもないし。わざわざ夕食だってムリして作らないし。と。今回もいつものごとく、久しぶりの滞在。夫は声のトーンは低く、なんだか義兄の一言一言にかなりかまえるように、ぴりぴりしている空気を感じる。夫は今日は朝から仕事にでかけた。昨日きて今日帰る。何時に帰るのか一応聞いて夕食を食べて帰るのか聞いた。カレーを作ろうか?といったら、カレーは興味ないというので別のものを作ろうと思っていたけれどババが昨日のランチ、メキシカンの残りがあるからそれでいいというのでじゃぁ何もしないことにした。今日は今から、ナナミのプレイメイトのカレラちゃんの1歳の誕生日パーティーがある。4時からでかけるから、彼らの夕食時には家にいないかもしれない。ムリに自分の予定を変えて、家にいる必要もなさそうだし。今の私は昔の私とはかなり違う。仕事場でいろいろもまれてきたし何か言われて黙っていることはしない。そんなやっかいな強さもついたし。だから、義兄がなにかいらぬことを言ったらどうなるかわからない。今日の夕食はやはり、いないほうがいいのかもしれない。
2009年09月26日
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昨日から、ぬか漬け始めました。塩を入れすぎたみたいで、とてもしょっぱいのですがはやくいろいろとつけておいしいぬかになってほしいものです。昨日と今日、にんじんときゅうりを食べました。気温が高いからか、5時間ほどでとてもおいしく漬かります。一晩つけると、かなりしょっぱくなりそうな感じなのでしばらくは、朝つけて夕方あげるぐらいで漬けていきます。今日は、大根とカブをゲットしてつけてみよと思っています。もう一つ始めたことは、ロッククライミング。昨日久しぶりに挑戦しました。いつも行く、ジムにクライミングトレーニング用の壁があります。壁がキャタピラのようになっていて、登れば下がるようになっています。便利な器具です。ナナミをストローラーにのせて遊ばせて、そばにおいておけるので一緒に連れて行けます。プールで泳ぎたいときは、人にみてもらわなければならないのでクライミングを始めてみたのですがナナミがおとなしくストローラーに座ってくれているようならばこの運動、しばらく続けたいと思います。壁を登る筋肉というのは、日ごろなかなか使う筋肉ではありません。でも、大腿筋、膝なんかはナナミを抱いて床から立ち上がるときに使う筋肉とにたような感覚だなぁ、と感じました。これから、もっともっと重く大きくなるナナミといろんな遊びをしていきたいので、年には負けてられません。クライミングは肩・上腕から指先までフルに筋肉を使いますからしばらくはこの運動、がんばってやってみようと思っています。
2009年09月24日
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先日、白血病で亡くなった患者さん、Jさんの最後を聞いて、また思い出した。祖母が亡くなって4年が過ぎた。診断:末期大腸がん、肝臓転移。祖母自身はそのことを知らなかった。娘である母と伯母が言わないでおこうと決めたから。日に日に弱り、死期が近づいていることを悟っていたのかもしれないけれど祖母は「元気になったら、みんなをご飯につれていくから。」とかそんなことをいつも言っていた。今の仕事について、多くの患者さんを看取って思う。祖母が昏睡から息を引き取るまでの時間は長すぎた。久しぶりに仕事にいったら、Jさんの名前がボードから消えていた。同僚から、Jさんの最後はやすらかだったと聞いた。Jさんがなくなるのは時間の問題だった。治療中も病室で寝泊りして、かいがいしく世話をしていた奥さんはコンフォートケアーに入ってからも頻繁にナースコールを使っていた。息が乱れている。顔の色がおかしい。喉がかわいているだろうから、水を飲ませたい。血圧をはかってほしい。なんとかしてほしい。Jさんは虫の息で、いつ亡くなってもおかしくない状態で数日過ごされた。最後の夜、Jさんの奥さんはJさんのベッドサイドにすわり静かにJさんに話しかけたのだそうな。いろんな話をした。化学療法と輸血を定期的に受けていたJさんは人生の最後を有意義に使いたいと治療の合間にクルーズに行ったり旅行に行ったり大変几帳面に予定表を作り、奥さんと充実した時間を過ごされた。奥さんはそんな思い出話をし、そしてJさんにお礼を言った。私のことは大丈夫だから、心配しないでください。と。奥さんはJさんが自分の心のなかにすっと入ってきたのを感じたという。そのあと数分で、Jさんは最後の呼気を終えられた。仕事柄、死については日常茶飯事考える。自分がもし、今日、明日死ぬのだとしたら。。。ナナミのことを考える。夫がナナミを一人で育てられるだろうか?ジジババはどうなるのだろう?そして、もし万が一、そうなったのなら最後に話をする時間があるのなら「大丈夫。僕らのことは何も心配しなくてもいいから安心して逝ってください。」うそでもいいから、そんな風に言ってもらいたいと思う。祖母のことに関しては、後悔はしていない。祖母は私に7年間の空白の時間を埋める以上の貴重な経験を与えてくれたから、あれが祖母の最後だったと確信している。後悔とかそういう感情ではなく考えることがある。もしあのとき、祖母に彼女自身の死期を告げ私たち家族が彼女の心配やら思いを聞き出し思い出話をしそして「私たちのことは何も心配しなくてもいいよ。安心して逝って。」そういってあげられたなら祖母の昏睡の時間は短かったのだろう。多分、もっと早く祖母は逝ったに違いないと私のなかで確信に近い思いがあるのだけれど。どうなのだろう。
2009年09月12日
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ナナミは20日で10ヶ月になります。歯は、6本。食事は一日3回。それと午後のスナック。大人が食べる食事の塩分をうすめたものを与えています。栄養よりも、精神的な安心の母乳という感じなので昨日からは食事とミルクをもっとしっかり与えつつ母乳の回数をますます減らし始めました。昨日と今朝は早朝起きがけの母乳をとりそのあと果物やらオートミールの朝食をたっぷりとってウ○子をぶりぶりしたあとコテンと眠りについてくれたのでした。さっき、昼寝から目覚めたので、粉ミルクをちょっとだけ与えました。左の胸が右よりも小さくなってきてほとんど張らなくなってきたので多分、もうすぐ枯れるのだと思います。うれしいようなさみしいような。。。どんな乳離れになるかと思っていましたがこの調子なら多分、ナナミを無理やりおっぱいから引き離したり張りまくって痛い思いをする離乳はなさそうな感じです。今週の金曜日の仕事は、もう休憩時に夫にナナミをつれてきてもらわなくてもよくなるのかもしれません。離乳のきっかけは、仕事中のプレッシャーが大きかったことでしょうか。。。過去3週間の仕事内容はかなりいそがしく夫がナナミをつれて仕事場にきてくれてもすぐに休憩をとることができないような状態が続きました。それでも、同僚は「はやく母乳あげにいきなよ!」とサポートをしてくれたのですが多くの仕事を後回しにしてなかなか落ち着いて母乳をあげることもできず精神的にかなりプレッシャーになっていました。先週の金曜日には、ナナミは仕事場に来る前に食べ過ぎていたようで母乳はお義理ていどにくわえただけで全く飲まなかったのでした。この調子なら、もう仕事場での授乳はいらないな、と思いそれならばそろそろ、離乳するか。。。とそんな感じで決めました。思ったとおり、私が言わなければナナミはパイパイがあることさえ忘れているような感じです。おいしいご飯をたくさん与えて「母乳なんてもういらないよ~。」とナナミが思ってくれるようにそして、パイパイなしでもナナミがコテンと寝付いてくれるように今日もビーチや買い物やら、ナナミとアクティブに動き回りたいと思います。
2009年08月18日
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先日、ダディーが突然姿を消した。マムが血相変えてうちに飛んできてダディーを知らないかときいたけれど私は全然しらないと言ったのであわててダディーを探しに車を出した。ダディーは杖も持たず、家のすぐ近くを散歩していた。徘徊といえるのかどうかはわからない。多分、ダディーは帰ってくる道はわかっているはずだから。でも、杖も持たずに一人ででかけることがものすごく危険だということを理解できなくなっている。転んで怪我などしなかったことはほんとにラッキーだった。マムはダディーを車に乗せて帰ってきた。マムは怒りながら、泣いていた。どうしてそんなことばかりするのかとダディーに怒っていたけれど、ダディーはわかっていないようだった。対策をたてなければならない。一人で徘徊する老人への対策。玄関とか、門とか、外に出るルートにアラームをつけて通れば音が鳴るようにする。もうすでに、家の外のドライブウェイには2つほどアラームがついている。車のドアをロックしなくても安全だったので実際、夜でもロックしたことはなかった。そして、車両荒らしにあったのでもうここらへんも安全ではなくなったなぁ。と夫がアラームを設置した。ケンジでも郵便やでも庭師でも人が通るたびにアラームが鳴るからうっとおしいことはうっとおしい。昼間、庭師が仕事しているときは、私はうざいので切ってしまう。だからアラームよりも他の方法がいいと考えてみた。GPS。位置探知機。160ドルでオンラインでみつけた。子供用だけれど、キーチェーンみたいなのを子供が持つ。探知機で子供がどこにいるのか一目瞭然。みたいなやつ。200メートルまで探知してくれるから、家の敷地内ならば余裕。しかもこの探知機、キーチェーンみたいなロケーターが4つもついてくる。子供4人までいけるという優れもの。これからは、このキーチェーンをダディーに持たせてマムが探知機を持っているようにする。わすれっぽくなったマムが毎日ダディーにキーチェーンをもたせるようにしないといけない。これが結構なチャレンジになるような気がする。
2009年08月12日
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仕事が終わって、泣きながら運転して帰ってきた。今日は8時間シフトの日で、3時半にあがりだったんだけれどちょうど3時半にある患者さんの家族から電話があった。こういう電話は、あがりであってもそれまで看たナースがとるのが状況的に的確だと思うからとったのだけれどもう帰るからって言って、次のナースにつないでもらえばよかったよ。と、心から後悔した。この患者さんDさんは昨日、ガンがいろんなところに転移してしかも肺に転移したガンの進行がものすごく早くて余命が予測していたよりももっと短くなるだろうという診断が昨日でたばっかりだった。Dさん本人は、それを理解できているかどうかも分からないぐらい病状はよくない。Dさんの姉と名乗る人から電話があった。この人は、Dさんの病状に関するインフォメーションを与えてもよいとDさん自身が承諾をした人の一人であった。チャートにその書類があった。ドクターがたまたま、フロアーにいたのでDさんはドクターと話をして、その内容を聞きそしてDさんの娘に話をした。よくあるパターンは、患者の家族・親戚などが遠方に住んでいてそのうちの誰かがドクターから、しかも電話でかなり短い余命の申告をされたり、手の施しようがないといわれたりする。そして、他の家族にそれを電話で伝える。それを聞いた家族がパニックになって、また電話をしてきてドクターと話がしたいという。仕方が無いことなのだけれど、そういうときの彼らはかなり感情的で抑えきれないネガティブな感情をそうとうダイレクトに私たちにぶつけてくる。パニックになって電話をしてきたのはDさんの義理の息子と名乗る人だった。ドクターはもうフロアーにはいなかったので、義理の息子は私から情報をひっぱりだそうと必死だった。日本はどうかしらないけれどアメリカではプライバシーの問題はものすごくシビアでむやみやたらと患者の医療に関する情報を与えることはできない。患者が「この人には何も言ってはいけない」というのであればたとえそれが娘や親であってもそれは絶対に守らなければならない。それを破れば、病院は即刻、スタッフを解雇することができる。そして、多分、罰金と刑務所行き。だったと思う。だからナースは、家族と名乗る人からの病状に関する情報の引き出しをものすごく慎重に扱う。ときにそれは、家族の神経を逆撫でて、怒らせることも少なくない。神経を逆撫でするつもりも、怒らせるつもりもないのだけれどDさんのようなケースはそれはそれはお互いにものすごいフラストレーションになる。で、結局義理の息子のそばにDさんの娘がいたので(なんで最初から娘が電話をくれないのか。。。)その人と話をしてなんとかつながったのだけれどこの義理の息子の荒いこと荒いこと。。。けんか腰、暴力的、なんというかほんとに勘弁してほしかった。シフトの最後、ドドドドッド~~~!!!と来た。こういう攻撃的な電話の展開はよくあることだったけれど子供を産んでから打たれ弱くなってしまったのかはたまた、長らく仕事を離れたからなのかなんなのかは知らないけれど、かなり精神的にこたえた。いつもなら泣くほどのことではないのだけれど運転しながらなんだか、さっきまで空腹だったお腹が何にも食べたくなくなった。胸もつかえてきて、胃が気持ち悪くなってきた。夫を思い出した。私が暴力的に言葉で夫を攻撃したあと、いつもいう「胸が苦しい。」を私は笑ってバカにしていたけれど心から反省した。あぁ、私はDさんの義理の息子と同じように夫のことを言葉の暴力で苦しめてたんだなぁ。仕事でこんなに辛い思いをしたあとあぁ、帰ってリラックスしたい。癒されたい。包まれたい。そんなふうに願う場所で癒してもらうはずの妻からそんな攻撃的なことばかりいわれたら夫もさぞかし辛かっただろうに。。。今帰って、夫が暴力的だったらもう耐えられん。。。そしたらもう、夫に申し訳なくて反省の涙があふれてきた。というわけ。結局、「今から帰る」と夫に電話してからすでに1時間以上経っていたので夫から電話がかかってきた。運転中だったにもかかわらず、遅くなった理由を話していたら涙が出てきて、泣きながら謝りながらだったので夫が電話のムコウでものすごく心配してくれた。泣かなくてもいいから、事故にあわない様に早く帰ってきなさい。It's OK. I love you. 夫はそういってくれた。家に帰って、話をしながら夫に泣いて謝ったら、「君はそれほどに、ひどくないよ。」と、笑いながら言ったけれどこれからは家族を一番、大切にしする努力をしようと心に誓った出来事だった。
2009年08月10日
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最近、私の中でブームになっているもの。バーベキュー近所のドラッグストアーで、バーベキューのグリルを購入した。ミニプロパンガスと炭のタイプで炭に火をおこすときに、プロパンで着火できる優れもの。24ドルだった。BBQのグリルは前から欲しかったので、探していた。家に夫が作った、BBQのグリルがあるけれどあれは網も大きいし、グリル自体も大きい。100人ゲストが来るパーティーでは特大のトライティップが焼けて便利だけれど、日本の焼肉スタイルのBBQをするタイプではない。だから、小さくてコンパクトで手軽なグリルが欲しかった。夫は家にあるのになんで買わないといけないのか?といつも賛成してくれなかったのでものすごーく安いやつを探し続けていた。$24だったら、「もったいない」と文句を言われないだろうと思い切って買った。3週間前に買ったけれどすでに7回もバーベキューを楽しんだ。一回目は、小さく切ったステーキをたれにつけて焼きながら食べた。手羽塩が最高においしかったので2回した。モモ肉を小さく切り、竹串に刺して焼き鳥を2回。スナギモが手にはいったので、2回目の焼き鳥のときにこれも竹串に刺して塩焼きにした。お母さん友達を呼んで、昼間に2回したときは10ヶ月のCちゃんと、6ヶ月のSちゃんとナナミが遊んでくれるのでなんだかとても楽だった。Sちゃんのお母さん、MOちゃんが柚子胡椒をもってきてくれて焼き鳥やらずりにつけて食べたら、最高においしかった。子供が増えたら用意やらで大変だと思っていたけれど私一人で全部を用意しなければならないわけじゃなく友達もサラダ類、炭水化物類、デザートなんかをもってきてくれる。それに子供が集まれば集まったで、自分たちだけで遊んでくれたりもするから安全かどうかだけに目をやっていれば、母たちはそれなりにおいしいものを食べたり、おしゃべりに花を咲かせたりもできる。この夏は思う存分、BBQを楽しもうと思う。
2009年08月09日
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昨日は仕事だったんだけどナナミの調子が悪くて、一日中ぐずっていた。らしい。昼過ぎに、夫が授乳しにナナミをつれてきたときもいつもは同僚みんなに抱っこされるのだけれど昨日はことごとく嫌がって、口をへの字にして私のところに来たがった。そして、体が熱っぽくてあつかった。夕方の授乳はもう、かわいそうだから来なくていいと夫に言って、乳児用のタイラノール(多分バファリンと同じ成分?)を与えるよう伝えた。昨日は夜中すぎまで、ぐずぐずいって一晩中、おっぱいにしがみついていたナナミ。今日は一日、寝たり起きたり。熱っぽくてしんどそうで、ぐずってばっかり。タイラノールを二回ほど与えた。薬がきいているときは、笑って遊んで調子いいのだけれど数時間後にはまた熱くなって、しんどそうにぐったりとしてほんとにかわいそうだった。ご飯をしっかり食べて、おっぱいとお水を飲み下痢も嘔吐もなくすごしているのでおそらく歯だと思う。かわいそうだけれど、どうしようもない。冷たく冷やした桃をおいしそうに食べていた。腫れた歯茎に気持ちがいいのかもしれない。明日も8時間、仕事なんだけれど日曜なので患者数が減って、オーバースタッフになるはず。そう思って、今日のうちに電話でキャンセルのリクエストを入れておいた。キャンセルだったら、有給をつかわなくてもいいが自分の用事やら病欠で休むと有給を使わなくてはいけない。明日の朝、キャンセルにならなくてナナミの調子が同じように悪かったら有給を使って休もうと思う。
2009年08月02日
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ナナミに読み聞かせ絵本のCDをかけて日本の昔話を聞かせたりしている。日本の代表的な昔話をいろいろと聞きながらへぇ~。こういう話しやったんやな。と、感心したり思い出したりしている。で、どうしても腑に落ちないというかお話の教えが理解できないのが浦島太郎亀を助けて竜宮城にいって3年も楽しい日々を過ごして帰ってきた。絶対にあけてはいけませんよといわれてもらった玉手箱。あけてはいけませんよって、誰が開けないでか。帰ってきたら、太郎の漁村はすっかり変わり果てて300年もの月日が流れていた。そして、箱を開けた浦島太郎は煙をかぶっておじいさんになってしまったとさ。う~ん。こじつけもできないくらいこの話の教えがわからん!浦島太郎はなにを悪いことをしたのか?竜宮城が楽しいから、知らないうちに3年になってしまっただけやん。なんか、3年も楽しんだことがそんなに悪いことだったのか?亀、助けたやん?あぁ、わからんわ~。教えはなによ?ご存知の方、教えてください。夜も眠れません。
2009年07月25日
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ケンジを獣医に連れていったのが先週。それから毎日、ウォーキング・ジョギングは続いています。ただ、一日二回はやはり時間的に厳しいので朝のみ。いけるときだけ、夕方も。そんな感じでやっています。朝も早めに起きて出かけ、そのままスーパーで食料品の買い物をして帰ってくるようにしています。そのほかの用事があれば、その足で済ませてしまう。買い物だけなら、9時半には帰宅できるので一日にも余裕が出てきました。昨日はナナミに朝ごはんを食べさせ、寝かせました。朝のうちから夕食の下準備を始めました。味噌汁を作って、米をといでおきました。夕方に、メインと副菜とサラダを作ってかなり楽でした。今日も午前中、ナナミが寝ているうちに、夕食の準備です。野菜たくさんのスープを作りました。夕方にはねぎとキャベツだけの、ミニお好み焼きと鶏肉と野菜たっぷりの炒め物を作りました。朝、ウォーキング・ジョギングをしながら今日の晩御飯を何にしようか考えます。何を作るか決めて、運動のあと必要な食材を買って帰宅できるので朝のこの日課はかなりのメリットになっています。水泳をしていたときもほぼ毎日出ていたことはでていたのですがジムの場所が家の近所(山の中)で、スーパーまで足を伸ばすことはなく買い物まで済ませることはなかなか出来ませんでした。水泳からウォーキング・ジョギングへの変更はケンジのためにしたことです。それをケンジは知っているとは思いませんが最近では昼間もジジババのところに入り浸ることはあまりなく私たち親子がいるこっちの家で一緒に過ごすことが多くなってきました。ジョギングに替えてから、ついでの買い物ができる以外に買い物がしやすくなったもう一つの要因としてナナミがショッピングカートに座れるようになったこと。カーシートを車から外して、ショッピングカートに乗っける作業がもう、重くて面倒くさくて、ほんとに嫌だったのでナナミだけを抱っこして、カートに乗っけられるようになって買い物するのが全く苦にならなくなりました。ナナミもショッピングカートが大好きで、いつもうれしそうに買い物につきあってくれます。ナナミは7月20日で9ヶ月になったのでそろそろ自分で食べる練習をと思いミニお好み焼きをちぎって、ハイチェアーのトレイにおいてあげました。ナナミはお好み焼きをわしづかみにして5cmぐらいのを3つも(かなりこぼしていたけれど)ムシャムシャ食べました。ランチのときに、小さく切ったアプリコットをトレイにおいてあげました。人差し指と親指でつかむことがまだできないようでこれはまだ、自分ではなかなか食べられず私がトレイから一つつまむと、大きな口をあけて食べさせてもらうことを要求していました。あ、それから、昨日の朝夫が仕事に行くときに「バイバイ、ダディー」と私が言うのを、ナナミがまねをしました。ケンジを見ると「ジッ!ジッ!」といって笑います。そのほかにも、いろいろとまねをするようになってきました。こわいわぁ~。ほんと、気をつけないと。。。。以上、近況はこんな感じです。
2009年07月23日
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6月から、毎月マムに支払うお金が「家賃」ではなく全額「支払い」として計算されることになった。そして、ダディーへの介護・手伝いなども賃金計算して、今後の支払いとして足されることになった。私ができることは、ババがいないときのジジのシッターとジジババへの夕食。毎月介護として換金する額が決められているのでやらないわけにはいかないから、夕食つくりは義務となった。ジジのシッターはしばらくしていない。ババがフランスに行っていたときにきてくれていた介護士オマーが週3回、一日4時間きてくれるので、ババは自分の時間がもてるようになった。週4・5回はジジババの夕食をつくっているのだけれどこれが意外としんどい。二人分作るのと、四人分作るのでははっきりいって全然違う。しかも、ナナミが離乳食を食べ始めたので毎日午後4時ごろからナナミと大人たちの夕食の準備にとりかかる。5時過ぎにナナミに食べさせて、そのあとジジババに用意して届けてそれから夫と私の夕食を食べて、片付けて、ナナミを風呂に入れて。。。それこそ寝る時間までゆっくりする暇もなく走り回っているような状況。まぁ、仕事だから仕方が無い。私たち夫婦は義兄弟たちにできないサービスを提供することでこの家の相続が実現する。フリーライドはない。日記も手付かずのまま、ねたはいろいろあるけれど、アップできずにいた。7月12日は私の誕生日で、夫にジョギング用のストローラーを買ってもらった。その日から、ジョギングを始めた。ジョギングと言っても、足腰のショックがあまりよくないと聞くのでパワーウォーキングのちょっと早いぐらいのペースで歩き走りしている。昨日、ババがケンジを病院に連れて行きたいと言った。ケンジがベッドに飛び乗るのを躊躇したという理由だった。どこか調子が悪いかもしれないから。とババ。痛がるところもなにもないし、食事も便通も問題ない。体重が増えて太ったことだけは私は思い当たったので体が重くなって、もしかしたらそれが原因で腰とか痛いところがあるのかもしれないねととりあえず連れて行った。15パウンドがベスト体重のケンジが17パウンドになっていた。妊娠中、ケンジをつれてビーチを走ったりできなくなり出産後もいそがしくて、ケンジの運動がおろそかになりその上、私とベイビーを避けるように昼間はババのところに入り浸りこちらで2回の食事をちゃんと取った上に、ババたちからおこぼれをいただいていたようでドクターは私の予測と同じようなことを言った。ケンジの2パウンドはだいたい私たちの10キロぐらいに値する。そりゃあ重かろう。妊娠8ヶ月ぐらいのときの感じだな。きっついはそれは。。。というわけで、昨日からケンジのダイエットがはじまった。プラス、14ヶ月前にケンジは事故にあったのでその事故の傷もあるから体重には気をつけてあげなければならない。ドクターから、関節を強くするサプリメントを処方してもらった。そして、昨日と今日はがんばってケンジを二回、ビーチに連れて行って歩いた。朝か夜にプールに行って500mを12分で泳ぐエクササイズを週3回ぐらいやっていたのだけれどケンジの運動が要るから、しばらくはケンジとナナミをつれて午前と午後に1時間~1時間半、パワーウォーキングに時間を費やすのが目標。ジョギング用のストローラーも買ってもらったから、フルに使える。夕方日がゆるくなってから歩くので、5時半ごろに家を出て7時前に帰ってくる。今日は昼のうちに夕食の準備をしておいたけれどそれでもバッタバタだった。まぁ要領つかんだら、なれるだろうとは思うけど。基本はシンプル・ライフ。これで乗り切るしかないな。
2009年07月17日
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ババがフランスから無事帰国。普段の生活にもどった。ババがフランスで、真っ白なドレスを親戚からもらってきた。七海にいただいたおみやげ。バプタイズするときにきせればいいかしら。とか言った。バプタイズは、クリスチャンになるために受ける洗礼みたいな儀式で、夫も赤ちゃんのときにやった。でも、現在の夫は神様を信じてないし、私もほぼ無宗教でどちらかといえば仏教?みたいなかんじ。七海をバプタイズするとか言ったけれど私はそれについてはノーコメントにした。今日、そのドレスをもってきて私に見せた。そして、またバプタイズと言ったけれど、ノーコメントにした。着せる前に、洗濯しようかといったらババはバプタイズ用にとっておくとか言って持っていこうとしたのでこの年齢の洋服は、とっておいたらあっという間に大きくなって一度も袖を通さないまま終わるよ。着れるときに着せないと。とババから奪い取って洗濯籠に入れた。だから、この服は多分、来週ぐらいに着せる。ババがやりたいのならやってもらってもかまわないけれど多分、招待状からドレスとかゴッドマザー・ゴッドファーザーそのあとのお礼とかも多分しないといけないだろうしとにかく結構うざいし、面倒くさいイベントになるだろうと思う。私は一切、計画・段取り、支払い、何もしなくてもいいのなら勝手にやってもらってもいい。ババがしつこく、バプタイズ・バプタイズと言ってもそうやって言うだけならノーコメントを続ける。じゃぁしましょか?なんて言った日には最初から最後まで、私一人でやらなきゃならないのは目に見えているからな。この家族のことだから。ほんとうにやりたければ自分たちで日程を決めて段取りも全部、ババが決めてやればいい。本当に、七海のためにベストなんだと私が心から信じるのならそれならばやってもかまわないと思うけれど所詮、ババをハッピーにさせるためのバプタイズは私はしない。
2009年07月05日
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マムがフランスに出発して一日目。昨夜はオマーは二時間おきにダディーをチェックしてくれました。ダディーも何事もなくマムなしで一夜をすごせたようです。オマーはダディーをつれてスイミングエクササイズに行きました。今日もダディーをアクティブに動かして、疲れさせてよるぐっすり眠れるようにしてあげてとお願いしておきました。ナナミが午前のナップをとっているうちに晩御飯のイエローカレーを作りました。あとはバスマテライスを炊いて、サラダをつくるだけ。このイエローカレーは明日のランチにもなります。11時からナナミをチャイルドケアーにあずけて15分泳ぎます。今日はオマーは12時15分に次の家に行かなければならないのでそのあと3時過ぎまでジジのシッターをします。明日は9時過ぎから6時まで、Mちゃんのベイビーを預かります。明日は多分、一日中なんにもできないだろうから今日のうちにその仕事もしておかないといけません。そろそろプールの準備をして、いってきます。
2009年06月24日
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マムが本日、出発しました。介護士オマーが今日からダディーの面倒をみてくれます。マムを空港まで送り、郵便局にいきマムのたのまれ物を発送。12時過ぎに帰宅してあわててランチを食べました。オマーは1時から3時の2時間は別の仕事があるので12時半にはこの家を出なければなりません。そして、3時過ぎまでいないのでその間は私がダディーのシッターをすることになります。オマーが1時からの仕事にいくときにダディーをこっちの家に連れてきてもらいました。ナナミにランチを食べさせて、家の掃除をちょっとして洗濯をして。。。その間ダディーはソファーに座ってテレビを見ていました。2時から、パーキンソン病のミーティングがあったのでその場所までダディーを連れて行き、帰りに銀行とマーケットに行きかえって来ました。ミーティングは3時に終わるので、オマーがダディーをつれて帰ってきました。七海はいつものごとく、聞き分けのよいすばらしい赤子でした。私が何かしなければならないとき、偶然なのでしょうけれど七海はすべてを把握しているかのようにおとなしくなります。過去2回の山火事のときもそうでした。避難するために荷物をまとめているとき夫が屋根にスプリンクラーをとりつけるのに私が手伝わなければならなかったとき大量のサーフボードブランクの木材を避難させるために何度も何度も、ガレージからトラックに木材を運び入れ猫の手も借りたいぐらい大変だったのであまり役に立たない私も借り出されて運んだり。そういうときにナナミはぐっすり眠っていました。2週間前にマムが病気になり、朝のダディーのシャワーから着替え歯磨きから朝食までやらなければならなかったときも寝ていました。その日の夜も、ダディーの寝る準備、オムツとカテーテルの準備歯磨きとか、夜のお薬とかしなきゃならない時間いつもならキャーキャーと笑ったり遊んだりしている時間なのになぜかこてんと寝付いてくれてダディーのことが全部終わった後に、やーやーと起きたのでした。「あんたは娘が生まれたら、そのこはあんたの利き腕となる。」22歳ぐらいのときに行った、占い師のおばさんのことばをいつもいつも思い出します。マムとダディーの送迎と、そのついでにした用事や買い物で今日は一日つぶれてしまいましたが、なかなか充実の一日でした。合間に洗濯もできたし。七海と遊んでいたら、じーっとハイチェアーを見つめるので座らせて、背もたれを倒したら、あっという間にねてしまいました。この子はほんとに、なんてやりやすいんだろうか。。。いつまでもこんなやりやすい子でいて欲しいなぁ。というわけで、私も七海といっしょにちょっと昼寝しましょう。
2009年06月24日
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明日から10日間、マムがフランスに行くことになりました。マムの遠い親戚がフランスにいるそうです。家系図のリサーチが趣味なマムは自分とダディーの祖先がどこの誰かをここ数年、趣味でリサーチしているのです。フランスにいるのは、マムの父方の祖先らしくその人たちとの交流が始まったのは去年ぐらいです。メールで写真を送りあったり、電話で話したりとうとう今年、あちらさんがこっちに遊びにきたいといわれました。夏にこられるらしいですが、その前にマムがあちらに行くことになりました。当然ながら、ダディーは行けないし10日も私たち夫婦はダディーの世話ができない。それさえ解決すれば、マムはフランスでもどこでも行けます。そしてとうとう、プライベートの介護士、オマーを雇いました。10日間、ほぼ24時間ダディーの世話をしてくれます。昼1時から3時は、別のお仕事があるのでいません。その間は私がシッターをします。マムはこれまで、人を雇うことを渋ってきました。フランスの話がでてから、私たち夫婦は「大丈夫!マム、私たち任せていっておいでよ!」などとはとてもじゃないけれど言える状況ではないので夜間と朝だけでも、誰か雇ってくれれば昼間は私がなんとかするとマムに言いました。義弟嫁は、フランスに行くべきとマムを後押ししていました。長男ジェームス(17歳)次女メラ(14歳)その従姉(19歳)を10日間、ダディーのヘルパーとして送るからとそんなことも言っていたらしくマムはほんとに、孫のヘルプと私たち夫婦のヘルプでフランスに行こうと思い始めていました。そうなったら多分、一番動かなければならなくなるのは私だろうな。。。とその話が出てからも、夜間と朝のヘルパーは絶対いるとマムに言い続けました。孫たちが、ダディーの下の世話ができるか?ナナミがもう少し大きければなんとか大丈夫だけれど今の状態では孫3人では役不足。ダディーのお風呂、着替え、夜のオムツ孫たちでできるのか?私は毎日はできない。と。そして、マムはオマーを雇いました。オマーは1時間18ドルから20ドルかかります。夜間はオマーにも寝てもらわなければならないので時間給はちょっとさげてもらったとしても10日で4000ドルは下りません。ダディーの介護にこれだけのお金がかかるということを皆が理解したことはよかったと思います。おかげで、私たち夫婦が提供する介護に値段をつけることがもっとスムーズで自然な流れになったのでした。今月から、私は彼らの夕食の世話とジジのシッターを週4時間ほど夫は朝のダディーのフルーツとコーヒーの用意服を着せたりするのを手伝う仕事をオマーと同じレートで賃金計算しその仕事は家の支払いとして加算されることになりました。マムは明日出発です。空港まで送ってきます。なんとかなると思います。マムはとにかく、整理整頓が出来ない人なので出発前日になって、パニクッています。
2009年06月22日
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七海は毎日元気です。母乳も減ることなく、仕事の日も夫が七海をつれてきて休憩時間に授乳します。職場の同僚たちも、快く授乳にあわせてブレイクをくれ大変恵まれた環境で子育てをエンジョイしています。七海はいろんな食べ物を経験しています。上の前歯もでっかいのが一本でてきているので赤ちゃんせんべいなんかをさくさくと噛み切ってその感触がたのしいらしく、何度も噛み付いていました。母乳タイムの恐怖も倍増です。先日は納豆を食べました。熱湯でしっかり洗って粘りと臭みをとったのをおかゆにのっけて食べさせたら納豆の味がきつすぎて、「おえっ」とえづきました。野菜と豆腐をカツオだしスープに入れて片栗でとろみをつけてその中に納豆を入れおかゆと食べさせたらもぐもぐとしっかり食べてくれました。今日は久しぶりに気温が上がり暑いぐらいでしかもお天気も最高によかったのでナナミをプールに連れて行きました。いつもなら、昼ごはんを食べさせる時間でしたが食べさせるとプールで吐いてしまうのでおっぱいだけをちょっとあげて出かけました。よく、プールで子供がゲロって掃除のために予告なくクローズされることがあるんです。七海が生まれる前はほぼ毎日、夫は泳いでいたのでよくクローズに遭遇して、怒っていました。「なんでおやつや食事させてからスイミングのレッスンにつれてくるかな?バカな親だな。ほんとに。」自分の子供が吐いて、皆さんに迷惑がかかったら申し訳ないですから七海のウンチと食事と、プールの時間とお天気と。。。いろんなタイミングを見計らってなかなか大変なんです。4回目のプールですが、七海は今日も潜水を4回ほどしたり、水の中でダンスして足をバタバタしたり私の首にしがみついて浦島太郎ごっこをしたりほんの10分ほど遊んで帰ってきました。水の中はほんの少しなんだけれど準備と上がってからのお着替えなんかで時間の大半が使われるのです。帰ってきてからも、おっぱいをちょっと飲んだだけでランチも食べずに爆睡中です。晩御飯をがっつり食べるだろうと思います。最近また、よく寝るようになったのできっと成長しているんだろうと思います。
2009年06月19日
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私たち夫婦がこの家を相続することになる前夫が義弟に話をした。今のジジババの経済状況今後予測その他もろもろジジババが現在必要なものジジの介護と現金。そして、この家のメインテナンス。現在、この家の価格が2億4千万であっても家の一部を切り取って、現金に換えて食べていくことはできない。現金がいるのならすべてを売り払って換金しなければならない。だから、私たちが現金を支払いできる限りのジジのケアーをする。そうすることで、ジジババがこの家にすむことができる。私たち夫婦もこの家にすむことができる。義兄弟たちも、サンタバーバラに来たときには滞在する場所がある。将来、ジジババが死んだとき私たちがすべてもらえるわけじゃない。義兄弟に相当する相続を現金で支払わなければならない。2億4千万の3分の2を私たち夫婦が支払うことは考えただけでかなりのプレッシャーになっていた。だから夫は、以前、義弟に話をした。義兄に関しては、ババは相続の権利からはずしその権利は義兄の子供たちにいくように話をすすめている。義兄に権利がいったら、義兄に何かあった場合に子供に遺産が行かないことをジジババが懸念してのことらしい。夫が義弟に話した内容はジジババになにかあったとき、この家を二人で相続して義兄には2億4千万の3分の1を夫と義弟の二人で払う。というものだった。今、ジジババに経済的サポートをしなければ誰にも何も残らないと夫は説明した。相続の権利はタダではついてこない。と。義兄はジジババに支払うなんて、そんな考えはまったくないだろうから義弟と夫でジジババに義兄相続分の3分の1を支払いそれをジジババが生きているうちに使ってしまえば義兄には何も残らないけれど、残ればそれが義兄のもの。義弟は嫁と話をするといって電話をきった。数日後の義弟の返事。義弟の嫁はババの近くに住みたくないのでその問題がどうなるのか気がかりだといっていた。夫は、ババは100まで生きるかもしれない。と義弟に言っていた。私もババは長生きするだろうと思う。下手したら、夫の方が先に他界しかねない。そうこうしているうちに、義弟嫁からババ宛によく電話がかかってくるようになった。7番目の息子に、発達障害が明らかになった。特別な学校に入れるから、学費が年間600万円かかるかもしれない。でも、250万円で入れるところがあって、そこの面接をしたから受かるように祈っててほしいとか子供のために、家にプールを建築することにした。1000万円ぐらいかかる。とかとにかく、これから彼らがどれだけ出費していくのかのお知らせの電話が頻繁にかかってくるようになった。義弟が相続の条件を聞いて権利を放棄したんだと、夫も私も理解した。ババもそう思ったようなので、今の話に至る。私としては、義弟と夫で相続してくれても全然問題なかった。ほんとはそのほうがいいと思っていた。義弟夫婦が老後、ここに一緒に住んで一緒に老後を送って子供たちみんながいつも集まって七海もいとこたちに囲まれて、いい感じなるんじゃないかとそんな夢みたいなことを考えていたけれど実際はそんなに甘くはなかった。そして、義弟嫁は、ジジの介護を換金して家の支払いとすることを夫が言ったとき私たちにはタダのチャイルドケアーがあると言った。ババと一緒に住めもしないくせに、よくいうわ。悔しかったらこっちにきて、一緒に住めばよかったやん?昨日、弁護士とのミーティングの後、皆で食事をしながら話をした。今後の介護を家の支払いとして換金することになった。そして、義弟の嫁から、私たちがタダで七海を見てもらっていると電話で言われたから、それも換金して考慮に入れると私と夫が言ったらババは怪訝な顔で言った。「七海は私の孫なのに、なんでお金をもらわなきゃならないの?そんなこと、いやだわ。冗談じゃないわよ。こんなかわいい孫を見るのに、お金になんてかえられないわよ。」ババはこういうだろうと私は思っていた。ババはやっぱり、私が思っていたババだった。うれしかった。
2009年06月12日
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同居をはじめて早4年半。私ら夫婦が最終的にはこのジジババの家を相続することになるように正式にジジババの遺言状の書き換えをはじめた。先月に会った弁護士は、なんだかやたらと難しい言葉とか専門用語ばっかり並べ立てて司法試験を受かった夫でさえ、何言ってるのかわからなくてそのくせ一時間450ドル、アシスタントみたいな女性に250ドルすべての書類作成・遺言書き換えに全部で10000ドル(100万円)ぐらいかかるみたいなことをいわれたので断った。今日、違う弁護士に会ったけれど、すごい分かりやすくて話もスムーズで、しかも安い!最初の弁護士の3分の1ぐらいの値段でやってくれるといっていた。夫は先月の弁護士は、一体何がしたいのかもしかしたら、年とってちょっと回らなくなってきてるのか?と、そんなことも言っていたけれどとにかく、いい弁護士にめぐり合ってこの家を相続する手続きが始まった。まずは、夫の兄であるクリスが横から理不尽な茶々を入れないよう書類と遺言にはっきりそれを明記すること。これから私ら夫婦が提供する介護を支払いとして換金すること。ジジババもこの家に生涯住むので、私らが購入する金額からジジババが生涯住んだ家賃を差し引いて計算されること。そのほか、後々兄弟同士で争わないように可能な限りこの書類にインプットする。そして、二人の兄弟にその書類を送る。先日、夫がシャーロット(義弟の嫁)に「親父の介護は今後の家の支払いとして換金する」と電話で話した。すると彼女は、私たちはタダで子供を見てもらってる。と言った。私はババにナナミを預けることはあるけれどそれはババがナナミと遊びたいだろうと思うから預けていただけで別にそれなら見てもらわなくて結構だよ。と思った。プールに泳ぎにいくとき、1時間ほど預けていってたけれどジムに幼稚園も保育園もあり、一時預かりもしてくれる90分5ドルで子供をみてくれるから先日はそこでナナミを見てもらった。おもちゃがいっぱいあって、ナナミは30分泣くこともなく一人でおもちゃを満喫していた。タダの託児所があっていいじゃない。というシャーロットの言い分。どうしても用事があって、見てもらわないといけないときにババがいてくれたことは何度かあった。だから、それはもっともだという気持ちと舅の世話(下の世話含む)と実の孫の世話を一緒にされちゃ困るという怒りが入り混じって複雑な気持ちになった。そして、一番大好きだった義弟の嫁がそんなことを言うなんてなんだか見損なったよ!という思いと所詮彼女も人なんだ。私らがこの家を相続することを何も出来ずに遠く離れたところでほんとうはやきもきやきもき、してるんだろうな、と納得もした。でも、これは考慮されなければいけないことがらだろうからナナミのチャイルドケアーの時間給を出してみた。一時間あたり、3.5ドルから5ドルと出た。ジジのケアは巷で一時間あたり18ドルから20ドル。このくらいで計算していこうと思っている。今日は弁護士との最初のミーティングが終わった。ミーティングのまとめと、今後の書類作成のために今日は食事をしながら、家族全員で介護の換金とナナミの世話の換金をする。それから、夫の強い強い要望でカウンセリングのセッションが始まった。どちらかというと、カウンセリングが必要なのは夫のほうでだから私よりも夫が、メインに話をしていた。来週、2回目のセッションがある。私が大きなプレッシャーとして抱えていたこの家の相続と義兄弟への多額の支払いについてその話が進み始め、また、カウンセリングも同時スタート。マムは両方の弁護士とのミーティングで言っていた。「G(夫)とJ(義弟)は昔から馬が合うから大丈夫。もめないでちゃんとやってくれるはず。」と。両方の弁護士が、同じようにいっていた。「いくら仲良くても、遺産相続はもうほんとになにが起こるかわかりませんから。ちゃんとしておかないと、ほんとにとんでもないことになりますから。」遺産相続はほんとに、ドロドロになりますよ。と。。。どんなサプライズがあるかわからないけれどとりあえずは進行方向に向かい始めたかんじ。どうなることやら。。。
2009年06月11日
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七海、7ヶ月半。仕事復帰からほぼ一月。夫もババもペースと自信をつかんできた。仕事への不安も七海から離れる不安も、だんだんと減った。それと同時に、気疲れも減少。日曜日の8時間シフトには一回金曜日の12時間シフトには二回夫が七海を仕事場につれてきてくれるので母乳の減少もとくにない。七海がハイハイの練習をはじめた。座って遊ばせても、すぐうつむきになりたがりそして貞子のように両手で這い蹲って腹で滑りながら動く。そして、ハイハイを飛び越して伝い立ちをしそうな感じ。夫が座って遊ぶ七海の横で横になってテレビを見ていたら七海が夫のムナグラをつかんでアグラ状態からひょこっと立ち上がった。えぇ~!ハイハイまだなのに。夫の体の横幅の厚みとか、七海の足の位置とかそういう物理的要素がぴったりと一致して最小の力加減で立ち上がれた様子。その後、二回目の成功はないけれどもなんとなく、要領を覚えたらしくもう一度立ちたくて仕方がないらしく日々ひそかに訓練を続けている七海。。。怖いわ。「今も大変やけど、歩き出したらもっと大変になるわ。」と、七海がまだ小さい赤子のときに皆が言っていた。夫は8ヵ月半で歩いた。母乳は7ヶ月で終わり、そのあと哺乳瓶は使わずコップから飲みだした。かなりのアドバンスで成長した乳児期だけれど幼児期には1年生を留年した。立ったり歩いたり、うれしいことはうれしいんだけどやっぱりそんなに早く成長しなくてもいいよ。。。チャイルドプルーフしないとな。
2009年06月03日
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夫が仕事のドキュメントなんかを作るときいつも私に頼んでくる。それは、ワードで作成する手紙とか見積もりとか請求書とか。ものによってはエクセルを使ったりもする。夫には絶対にムリな領域。時には仕事している現場の写真を添付ファイルとしてオーナーに送ったりそういう高度な(夫にとっては)ことをしてほしいといってくるときもある。先日は珍しいことに、自分でワードでなにかドキュメントを作ろうとしていた。自分のコンピューターをもったことで自立心が芽生えたのだろう。たぶん。ワードでドキュメントを作りたいのだけれどワードはどこにあるのか?と聞いてきたので、コンピューターの中。と答えたら、怒り出した。教えてくれてもいいだろ!と。っていうか、そんなこともほんまに分からんの?マジで??考えたらわかるやん?といったら分からんもんは分からんのやから、しょうがない!君が車のことでわからんことがあったときに僕が「そんなこともわからんの?ばかちゃう?」ってそんなこと言ったことないだろ?といった。夫は根本から社長気質というか、自分が面倒くさいことは誰かにお金をはらってやってもらえばいい。というような考え方なので自分で考えたり学ぶまえに、人にやってもらえばいいと思っている。こういうコンピューターのこととかでも、自分がわからないことを私にやらせるけれど、私は夫に学んでもらおうと思って手取り足取り教えながら作業をしたりもした。そこから学んで次は自分で。。。という考えがないので夫はほんとに毎回、同じことをなんども聞いてくる。非常に腹が立つ。覚える気があったら、一回で覚えられることだから。そして私は常に、しょうもない夫の用事を言いつけられてこんなしょうも無いことで大事な時間をとられて私の時間を無駄にしているということさえこれっぽっちも考えない社長気質の夫にとても不愉快になる。こういうところも含めてここの家族(ジジババ含む)は学ばない人間が集まっている。
2009年05月28日
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夫はほんとに、コンピューターのことを知らない。そのくせに、私がデスクトップばかりを使っていたときノートを自分のものだといってきかなかった。ノートブックは、ナーシングの4大のプログラムをやっていたとき必要になったので私が買った。だから、私が使いやすいようにプログラムしてある。ノートもデスクトップも、あんたのものじゃない。両方、私のものであんたは使わせてもらっているだけや。と私が言っても、いや、ノートは自分のもの。といってきかなかった。まぁべつにええけどさ。どっちのもんでも。両方、日本語システムを入れてあるので夫が使っているときに、突然日本語変換になる。それは、いきなりなっているのではなく、夫が偶然に変換のキーを押すからに決まっている。それなのに、「なんだよ!またクソ日本語がでてきやがった!」と騒ぐ。私はシラーっとしながら無視。夫は日本語から英語へ、英語から日本語への変換もできない。ナントカしてくれ!この日本語!!といつもおこるけれど自分のノートやったら自分ですれば~。そんなんもできんとって、自分のノートか言うなよな。そういって、ALTと~のキーを同時に押すんやで。と教えてやる。そして、同時に押すのがまた下手で、なかなか変換しない。そして怒り出す。ALTと~を、ほんとに同時に押さないといけないと思っているらしく~のほうが微妙に先にパンチされて、操作が有効にならない。ほぉ。おかしいな。などといいながら、しばらく見守る。もういっかいやってみろ?と。もうこの操作に関しては、10回以上教えてきた。でも、覚えるつもりがないから恐らく一生、夫は覚えないだろうと思う。何回かして、できるときもあるけれどもうなぜか、どつぼにはまって絶対に変換できないときにはALTを先におして、それから~のキーをおしてもいいと別に、両方、きっかり同時にパンチしなくてもいいんだと教える。そんな夫が、自分だけのノートブックを友人から安くで売ってもらった。私には関係ないノートブックだから、さわったこともないしシステムがXPなだけということしか知らない。ウイルスソフトとか、多分入ってないと思われる。先週、このノートが、ウイルスにやられたらしい。いきなり立ち上がらなくなった。私に助けを求めてきたけれど、どうにもできないといって断った。そのノートは、買った友人のところでなんかしてもらっている。そのあいだ、夫はまた私のノートブックに乱入してきた。そして、昨日のよるまたクソッ!日本語になりやがった!!と、また変換方法を聞いてきた。ALTと~を同時に押すんだよ。と教えるとまた6回ぐらいかかってやっと変換できたようだった。コンピューターと夫 2 は、またあした。。。
2009年05月28日
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アメリカのメディア、かなりうざい。11月の山火事のときもそうだったけれど市民を脅す。今回の火事は11月のときよりも遠くて切羽詰るような事態はなかった。強制避難勧告はでたけれど、どこにも行かずに家にいた。その後も天気予報では毎日、強風が吹くという予報が出て11月の火事も今回の火事も、この強風のせいで手がつけられないようなとんでもない規模に広がってしまったからみんな固唾を呑んで見守るしかなかった。風は結局、吹くことは無かった。ニュースのお天気兄さんみたいな人が火事のエリアはまた、大きく燃え広がる恐れがあります!と、出火後5日過ぎてもほんとに大げさなぐらい脅しているのでなんかムカついた。そして、豚インフルエンザ。AMCというチャンネルの映画を見ていた。「アウト・ブレイク」をやっていた。アフリカからの猿をアメリカに密輸しようとしたけれどその猿は売れずに、カリフォルニアのどっかの山に放した若い兄さん。この兄さん、猿を買わないと断ったペットショップの店長それから、兄さんが実家に帰るためにのった飛行機の乗員から帰宅したあとの彼女。次から次へと内臓が水みたいにぐちゃぐちゃになって目から鼻から口から、出血する恐ろしいウイルスにかかって死んでいく。24時間以内に発病し、すごいスピードで死に至る。そのウイルスは空気感染できる遺伝子に進化しつぎつぎと人々を襲う。豚インフルでみなが震え上がっているときに選ぶ映画ではないやろ。大統領選挙中は、アメリカンプレジデント系の映画やし。イラク戦争でさわいでいたときは、それ系の戦争映画。まったく。。。。豚インフルは近くまで来ているけれど、手洗いしたら大丈夫やし普通のインフルとそんなに変わりはないんやし。ほんとにどういう意図があって、こういう映画をチョイスするかな?メディアは、社会を騒がせて、揺らがせてなんぼやぐらいに思ってるのがみえみえで、ほんとにうざい。不謹慎というか、なんかほんと、安いなぁ。と思う。
2009年05月19日
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金曜日、初めての12時間のシフトでした。昼と夕方に2回、夫とババがそれぞれ授乳のためにナナミをつれて病院にきてくれたので搾乳せずにすみました。山火事で一週間仕事にいけず、前回の仕事は5月3日日曜日の8時間シフト。このときも昼に夫が一度ナナミをつれて仕事場にきてくれたので搾乳せずにすみました。ゴールは9ヶ月まで授乳です。ストレスで母乳はだんだんと出なくなるよ。と、出産を経験した同僚は言いますがあと2ヶ月、なんとか母乳がでてくれたらなぁ。。。ナナミは12時間ママがいなくても特に泣くこともなく一日ハッピーに過ごしたということです。早いうちから毎日ジジババの家にいきババに朝と寝る前の二回、必ずナナミを預けたのがよかったようです。ナナミはババの顔をみるとものすごくうれしそうにしてはしゃぎます。ババは他人ではないということを分かっているようです。ママが恋しくて泣きわめけば、それはそれで胸が痛く私も涙があふれるのだろうと思います。でも、こんなにもケロリとママがいなくても大丈夫なのもなんだか寂しい気持ちがします。ただ、私がいないからか、あまり食べたがらなかったようで一日に食べた量が極端に少なく、しかも昼寝もほとんどせずでした。その日の夜はかなり眠そうで疲れているようでした。寝つきはよかったのだけれど、お腹が空いていたのかママが恋しかったのか、多分、両方か一晩中何度も何度もヤーヤーとおきては騒ぐのでなんだか一晩中、おっぱいに吸い付いていたような感じでした。今日は私もナナミも疲れていて、朝9時ごろまでぐっすり眠れました。明日、日曜日は8時間シフトで次は金曜日までお休み。朝の準備やらも要領がつかめてきたし夫もいろいろと勝手がわかってきたようです。今は何がしんどいってやっぱり、仕事のストレスとかよりもナナミが大丈夫か、夫やババがちゃんと世話できているかそんな心配や気苦労でくたくたになってる感じです。はやく安心できるようになりたいなぁ。
2009年05月17日
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マムは自分やダディーのご先祖のリサーチを趣味でしている。センサスやら昔の新聞の死亡欄なんかを集めたり何年の船で、ヨーロッパから渡米してきたのかいろんな方面から祖先がどこのだれだったのかを調べて楽しむ。マムの遠い親戚がフランスにいることが分かった。最近になって、その親戚とメールや手紙でやり取りをしている。そして、その親戚がサンタバーバラに遊びにきたいと手紙をよこした。今年中に一週間ぐらい来るかもしれないといわれた。部屋は空いているのだし、別居だから私らの生活を乱されることもないから全然問題ない。と思っていたら、昨日突然話が変わった。あちらがくるよりも、私一人でフランスに行こうかと思ってる。と。ジジをおいていく。1週間、セントルイスから長男ジェームスと長女・次女、そしてその従姉がきてジジの世話を手伝ってくれると。それはいい考えだね。行ってきたら?と、流した。私も手伝うけど、出来ることまでしかするつもりはないからあとは人を雇えばいい。姪っ子・甥っ子たちは下の世話はできないだろうと思う。そうなったら、私か人を雇うしかない。夫は当てにならないから。私は最小限のことしかするつもりはない。仕事が休みのときは食事の世話をして毎日、夜寝る前のおねしょ対策をして寝かせる。夜中に背中が痛いだの、寝返りをうちたいだのと何度も起きるらしいけれど、一緒に寝るわけにはいかないから夜間は10時ごろから次の日朝9時ごろまで人を雇えばいい。朝のシャワーやら準備をしてから、帰ってもらう。昼間のお守りを甥っ子・姪っ子にやってもらえばいい。これが私の案。夫にその案を話したら、マムのフランス行きは多分実現しないだろう。という。不可能だと。多分、言うだけで終わるんだろうな。と、私も思っているけれどあれやこれや考えるのも楽しいものだからいや、無理やって!絶対ムリ!って押しつぶしてしまわず出来る方向でいろいろ話してあげようと思う。あの能天気で楽観な夫がどんなにめんどくさいことも、後先考えずにあぁ、出来るできる~。って、やってみて初めて壁にぶつかってヒーヒーいうあの夫が、「ムリやろう。」って最初から言うぐらいだからマムにはかわいそうだけれど多分、実現しないんだろうな。と思う。
2009年05月12日
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