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未来。年齢的に「未来」と呼べるほどの歳月がどれだけあるかはわからないけれど。自分の「在りたい」「望ましい」姿を具体的に描いた時に、目標(到達点)と、そのための課題・条件等を具体的に創出することができる。いまさら大きな「在りたい」を想うことはないけれど、小さいなりに、日々の状況に合わせながら、行き着きたいところの道筋も変化していく。夕飯の後、ついウトウト・ダラダラと時を過ごしてしまいがちだが、まずは机の前に座る。一日30分、いや15分でもいいから、明日、もう少し先の明日を想い、歩を進めていくようにしなくちゃ、です。一日を過ごすこと。自分や自分の大切な人の「なにか」を創るために、生産と消費を重ねていけるといいな。
2022.08.18
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たとえば、「毋望之禍(むぼうのわざわい)」「禍福倚伏」(かふくいふく)」「塞翁失馬(さいおうしつば)」とか。もちろん、分からないので調べたんですが。毎日、「何でもない一日は、特別な一日」「やわらかく、ていねい、速やかに、穏やかに」と思いながら暮らしていても、時に、ふいに、↓な時間が降りかかってきたりする。降りかかる、のではなく、不注意・不用意からの出来事ではあるのですが。いやいや、いろいろありますね、毎日、周囲(誰かや自宅環境外)に向けて身を動かしたり、発信したりするだけで。生きて、外に向かって歩を進めようとする限り、この繰り返しなんでしょうな。がんばりまっしょい。
2022.08.17
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外は雨。なにかの拍子に、棚の整理を始めてしまった。出てくるなぁ、以前に整理したつもりで、なんとなく突っ込んでおく…かたちになってしまった、古い物と古い物の数々。かといって、みんながみんなただ「古い」だけではなく、古い物や情報の整理は、いまの新しい物や、いまの考え方、感じ方との組み合わせによる「編集作業」でもある。と思う。しばらくいじらなくなった場所で、固まってしまった、古いモノ・コト × 古いモノ・コト。古いモノ・コト × 新しいモノ・コト。で、時には、自分の中での「ワクっ」な期待感を得られることもあったりして。「古く、凝り固まってしまった場所」を意識的にいじることって、案外たいせつかもしれない。なんだけど、日常的には、なんかの勢いがないと動かないんだなぁ。
2022.08.13
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LINEなどのSNSの普及による、旧知の声による再会。故郷の学生時代の友人たちや、ずっと以前に勤めていた会社の先輩など。お互いに歳を重ねて交わす話の内容も、昔と変わらずのおばかプラス、カラダと気持ちの話、家族の話、それぞれがそれぞれのタイミングで出合った、出合ってしまった、起きてしまった、あれこれ凸凹の人生のおハナシ。みんな、ハードル乗り越えるというか、ぶった押しながらも、なんとか前へと歩を進めての、お互いの年齢在り、という感じだ。そんななかで、時に、相手が胸を開いて発する声には、ずしんと重いたいものもある。自身や家族の大きな病、生命に直に関わる話。しかたがないことではあるが、この類の話題に接する機会が多くなったということだ。デジタルツールの普及は、他者の直面する問題を通して、自分にも、もしかしたら明日にでも起きるかもしれないということを考える時間を確実に増やしもしている。これまでにも少し、よく考えて、でも考え過ぎないで、お尻を決めて動かないとまずいから、それなりに速やかに動く。動いてみる。動きながら、「あ、軌道修正しなくちゃ」は、現在進行形でやってきてはいる。今後、良いことよりは、そうでないことに向き合っていく時間が増えていくのかも、いくのだろうと思っている。まだ、カラダもココロも、相応に自由に動くうちに、「考える」「考えたら動く」機会を増やすことは悪いことではないだろう。周囲からも、こちらからも、歳をとり、年齢なりの発受信を交わすIngすることで、生きて在る時間を、少しでもより良い方に自ら導いていけたら。年齢を重ねた、お互いのSNSでの声のやりとりには、そんな効能もあるのだろう。「なんでもない一日は、特別な一日」できるなら、一日をやわらかく、ていねいに、穏やかにいたいものだ。
2022.08.11
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空を見ている。歩きながら、よく空を見ている。この空は、故郷につながっている。空を見ては、想う。夏の空と秋の空。違うけれど、どちらも好き。夏の空に、なにかを想い、空きの空にも、なにかを感じている。雲の本がどこかにあったな。探し出して、眺めてみようかな。
2022.08.07
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