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脳梗塞(こうそく)からの復帰を目指し、リハビリテーション中のアテネ五輪野球日本代表の長嶋茂雄監督(68)が五輪期間中も日本にとどまり、直接指揮を執らないことが三十一日までに決定的となった。 三月に脳梗塞で倒れた長嶋監督はリハビリが順調に進み、右半身のまひなどは残るものの、つえを使わずに歩行することも可能になっている。病気再発の可能性は極めて低いが、同監督に近い関係者によると、アテネまでの長時間の飛行機移動や現地での猛暑などを考慮。既に医師は現地入りを許可できないことを本人サイドに伝えており、指揮を断念するしかない状況になっている。 今後、正式に長嶋監督のアテネ行き中止が発表された場合でも、監督登録は変更せず、あくまで「長嶋ジャパン」で戦う方針。八月十五日から競技が始まる五輪本番では、中畑清ヘッドコーチ(50)が監督代行として指揮を執る見通し。
July 31, 2004
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この22日、今井君と高遠さんの講演会が開かれ、ようやく公の場で自分の気持ちを語れるまでに回復したように思われる。おそらくトラウマは残るだろうが、それでも元気で人々の前に顔をみせてくれた。私は、テレビのニュースでその様子を見た。思えば、今井君がここを訪ねてきてから、まだ1年半にも満たない。 実は、彼は、うちの子どもと同じ小学校、中学校の出身である。しかも、下の子どもが仲良くしている近所の子の兄の友だちだったというから、私には、覚えがなくても、その辺で遊んでいた男の子たちのうちの一人だったのだ。そんなことを、ここに来てすぐのころ、彼と話した記憶があり、私は、今井君をどうしても子どもたちが遊んでいた世界の延長線上で考えてしまう。しかし、実際は、今の彼の提示した道が、おそらく平和に遊んでいた子どもだった彼の延長線上にあったとは、にわかに信じられない。それほど、今の彼の世界が、かつての世界とは異質なものになってしまったのではないだろうか。 それが、私には奇異に感じられる。子どもが成長し、選んだ運命がその人を案内していく先に、広がる世界。それがかつて考えてもいなかった世界だったら、それは、あまりに大きな戸惑いとなるに違いない。おそらく、今井君だけでなく、ご家族にとっても、同じことが言えるのだろう。 しかし、今、今井君は、きちんと、現実をみつめて、今回の事件のことについて、語り、書いている。今井君の手記「ぼくがイラクへ行った理由」(コモンズ刊、7/20初版発行)もこのほど出版された。 彼は、実は、今回の事件で大きく成長する糧を貰っているのだ。「未来のジャーナリスト」としても、一人の人間としても・・・その糧が大きく膨らむまで、若い彼がどう過ごすのか、どう生きるのか。そして、何を得るのか。 手記の中の彼の言葉は、時に慎重だが、時折、持ち前のちゃめっ気も明るさもにじみ出ている。だから、すっかり元気な今井君に戻る日も近いはずだ。あるいは、もう心の中ではふっきれて、「未来」が戻ってきているかもしれない。 ふたたび、羽ばたいていこうとしている今井君に、限りない声援を贈りたい。(エコろじー編集人 稲田陽子)
July 28, 2004
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東京新聞 特報 http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040722/mng_____tokuho__000.shtml うだるような暑さが夜になってもおさまらない。東京都心では20日、40度近い観測史上最高の暑さを記録、「有史以来の暑さ」との指摘も。すでに本紙が紹介した東京湾岸に並ぶ高層ビル群が海風を遮る「トーキョー・ウオール」がヒートアイランド現象を悪化させているのか。酷暑を超えた“獄暑”のメカニズムを探ってみると。 (蒲 敏哉、中山洋子) 「関東大震災が起きた夏も暑かったけど、今年は生まれてこの方なかった暑さだね。まるでサウナ風呂だよ」。二十一日正午ごろ、JR新橋駅日比谷口のSL広場。宝くじ売り場ボックスの女性店員(87)はうんざりしながら汗をぬぐう。 駅の南側には、汐留のビル群が“壁”のようにそびえる。それを眺めながら「山ができたみたいだね。海風が本当に来なくなった。代わりに吹いてくるのは熱気ばかり」と顔をしかめる。 首都圏の気温は二十日、東京で一九二三年の観測始まって以来最高の三九・五度を記録。千葉県市原市では地域気象観測システム(アメダス)のデータで四〇・二度を記録した。二十一日も高気圧に覆われ、東京は未明も三〇度を超える蒸し暑さ。最高気温も三八・一度と高いままだ。 消費者金融の看板を前後に抱える“サンドイッチマン”氏(64)は「木陰を選んで立つんだが、靴底から熱がさかのぼり耐えられない。どう考えても異常な暑さだ。仲間内では天変地異でも起きるんじゃないかと話しているよ」と苦笑する。 JR品川駅高輪口のショッピングセンターでは、主婦(32)がベビーカーの前でうずくまっていた。 「ちょっと買い物に出ただけなんですが、日陰がなくてまいってます」と二歳五カ月の長男に清涼飲料水を与えていた。「熱気は大人の顔の高さより、子どもの方が影響が大きいと聞いてます。子どもの汗がすごいので、首の後ろにタオルを添えて対策をとっています」と疲れた表情だ。 記録的な熱波の一方で、日本海側の新潟、福井県は十三日から断続的な集中豪雨に見舞われ、少なくとも死者十八人、約二万七千軒が床上、床下浸水に見舞われた。 熱波と豪雨に因果関係はあるのか。 都心のヒートアイランド現象を気象的側面から研究する防衛大学校の小林文明助教授は「日本海側から発達した梅雨前線に沿って、新潟、福井に積乱雲が流れ込み、豪雨を降らせた。大雨が降った分だけ熱く乾いた空気ができ、今度は山を越えて太平洋側の首都圏に流れ込むフェーン現象が起きた」とメカニズムを説明する。その上で「すでに今夏、東京湾岸に壁のように林立するマンションやオフィスビルが、本来、海から吹き込むはずの涼しい風をふさぐなどしてヒートアイランド現象が発生している。二つの現象の相乗効果が今回の異常高温を生み出したのでは」と分析する。 都内では夏季、局地的集中豪雨が頻発し、ちょうど五年前の一九九九年七月二十一日、練馬区で一時間雨量一三一ミリを記録、男性一人が死亡した。 小林助教授はこう警告する。「二十日も豪雨にはならなかったが、積乱雲が発生した。都心に乱立する高層ビルは、これまでと全く異なる風の流れを起こす可能性がある。今後は、予測困難な集中豪雨が、都心のさまざまな場所で局地的に発生する恐れがある」 「有史以来の暑さ」と冗談交じりに断じるのは、気象予報士の森田正光氏だ。 「日本では平安時代から鎌倉時代にかけて一番暑かった。兼好法師が『家の造りは夏を旨とすべし』と書いたころだ。平均気温は一度くらい高かったとみられている」と説明する。 「最近の夏は、最低気温が高くて、平均を底上げしている。コンクリートやアスファルトが熱を蓄え、それで“熱帯夜”になる。過去にはなかったメカニズムによるものなので、“有史以来”というのもあながち冗談ではない」と話す。 さらに森田氏は「七〇年代の都内の最高気温は、七八年の三六・三度だった。八〇年代は三八・一度、九〇年代は三九・一度と、十年ごとに少しずつ極値が塗り替えられている。二〇〇〇年からの十年間では、もういつ四〇度になってもおかしくない」と指摘する。 「トミザワおじさんの天気のはなし」などの著作がある日本気象協会の富沢勝氏も「氷河期と間氷期の気温差は、平均で三度くらいと言われている」と前置きしながら、東京の気温上昇は「自然の現象というよりは、人間がかかわっていることが大きい」とみる。 「大正八(一九一九)年七月の都内の平均気温は二〇・七度、八月は二二度だった。一昨年は七月で二五・一度で、八月は二八・八度。今年はもっと高くなりそうだが、わずか八十五年間で平均気温が四、五度も高くなっている」 そして「東京は温帯、小笠原諸島は亜熱帯に属するが、感覚ではもはや都心は亜熱帯より暑い」と話す。 三十二年前に来日したギニア大使館顧問のオスマン・サンコン氏(55)も「日本に来て、こんなに暑いのは初めて。まいった」とこぼす。「アフリカでも夏は四五、六度になるが、サラッとしていて、いい風が吹く。最近の日本の夏はオーブンで焼かれているみたいだ。さすがアマテラスの国だ、太陽がずっと近い。国の家族や友人らにも『アフリカより暑い』と説明しているが、信じてもらえない」 実際、最近では、暑い地域の動植物を都内で見かけることは珍しくない。国立科学博物館附属自然教育園の萩原信介主任研究員は「九州や四国にしかいなかったナガサキアゲハはここ数年、都内でも生息している。外来種のインコなどもペットとして持ち込まれたものが繁殖し、中国南部が発祥のキウイフルーツも都内で野生化している」と説明しながら「亜熱帯クラスの動植物が生育できる環境になっている」と話した。 京都大の山元龍三郎名誉教授(気象学)は「最近では、年ごとの変化が激しくなっている」と指摘する。 分かりやすいのが「冷夏の次が猛暑」という現象だ。昨年は冷夏だったが、十年前にもコメ輸入が行われた九三年の大冷夏から一転、翌九四年は八月に観測史上最高の三九・一度を記録した猛暑となった。 山元教授は「暑さだけではなく、雨も少ない年があったり、集中豪雨になったりと、変動の幅が広くなっている。原因はまだ解明されていないが、温暖化の一つの側面である可能性が考えられる」と話した。 前出の富沢氏は「二酸化炭素による温室効果も、都心部で海からの風が遮断されているのも人間が作り出している環境だ」と繰り返しながら警告する。 「東京の暑さを回避するには、クーラーに頼らない環境づくりが必要だ。公園面積を広げ、土や樹木を多くし、道路の舗装も透水性の高い素材にする。東京湾も埋め立てる一方ではなく、水を残すことなどが解決につながる。そしてCO2排出量削減目標を定めた京都議定書を守ることだ。議定書を否定し続ける国にシッポを振っている限り、百年後には、四〇度は当たり前になる」
July 23, 2004
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東京、甲府などで39度台の記録的猛暑となった20日、関東地方を中心に熱中症の被害が相次ぎ、21都府県で計189人が病院に運ばれた。 共同通信の午後11時現在のまとめによると、都県別の内訳は東京36人、埼玉28人、千葉25人、静岡19人、神奈川16人、茨城14人、京都8人、群馬7人、栃木6人、山梨5人、岐阜、愛知、滋賀各4人、三重3人、岡山、広島、福岡各2人、長野、大阪、兵庫、徳島各1人。 列島最高の40・2度を記録した千葉県では、千葉市中央区で女性(68)が路上で意識を失い入院。山梨県塩山市では90歳の女性が脱水症状で倒れているのをホームヘルパーが発見、救急車で運ばれた。 茨城県では、牛久市などのゴルフ場3カ所で、プレー中の計3人が倒れた。
July 20, 2004
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朝日新聞 社説http://www.asahi.com/paper/editorial.html 実は、参院選は自民党の勝利だった。もし選挙の結果を知らずに昨日の小泉首相の記者会見を聞いたら、そう思ってしまった人もいただろう。 自信を込めた目標の51議席を下回り、公明党を加えた与党の合計でも改選議席の過半数は得られず、第1党の座を民主党に奪われた。その現実を認めまいとするように、首相は言った。「自民党と公明党を合わせると、すべての委員会で過半数を確保できた」 2大争点だった年金と自衛隊のイラク派遣問題。世論調査で年金法に7割以上の人が、多国籍軍への参加には約6割が反対していたことを紹介してから続けた。「逆風のなかで、よく安定多数を与えてくれた。やはり全体を見てくれているんだなあ」 よく平気でこんなことを言えたものだ。安定多数を維持できたのは、自民が圧勝した3年前の選挙で当選した議員がそっくり残っているからではないか。こんどの選挙結果の意味は別である。 首相の言葉は、選挙に表れた有権者の政権批判が誤りなのだと言わんばかりだ。手法の強引さや国民への説明不足、「人生いろいろ」発言の独りよがりが手痛いしっぺ返しを受けたというのに、自戒の念などさっぱり感じられない。 「野党の意見にも耳を傾けて改革を促進しろという声だと受け止めて、しっかり進めたい」と言いつつ、どう耳を傾けるかは語らない。選挙結果は反省の材料ではなく激励だということだろう。 もちろん、表向きの強がりに違いない。世論を支えにしてきた政権が、初めて厳しい審判を受けた。衝撃の深さは、歯切れのいい言辞が影を潜め、疲れが目立つ首相の表情からもうかがわれた。 とはいえ、弱みを見せたり、誤りを認めたりすることを、首相は嫌う。郵政民営化は「決着済み」と強調し、9月末までに案をまとめると言い切った。目標を掲げて突き進むことが、求心力の回復につながると踏んでいるのだろう。 しかし、郵政民営化一つをとっても、本社の調査では、選挙区で当選した自民党議員のうち「賛成」が5人、「反対」は15人だ。参院が安定多数だから改革が進むという簡単な状況ではない。 青木幹雄参院幹事長は選挙中に「51議席を取れなくても、首相がやめる必要はない。しかし、参院で負けた首相は全くの死に体だ」と語っていた。 ただちに「死に体」になるとまでは言えまい。自民党内に、首相を引きずり降ろそうという動きもない。 だが、もともと党内に基盤がない首相には、世論の支持を引き戻す以外に政権を再び浮揚させる手はない。権力の維持を優先して自民党の古い体質と妥協すれば自殺行為だ。そこに矛盾がある。 首相は会見で「無党派層の共感」を得ることが大切な時代となったと力説したが、ひたすら公明頼みが現実だ。 こんな政権が、これから2年余りももつのだろうか。
July 17, 2004
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フィリピン政府は方針を急転回させ、イラクから「人道派遣部隊」を撤退させるとアルジャジーラに告げた。 フィリピンのトラック運転手アンジェロ・デ・ラ・クルスの処刑を思いとどまらせることを期待し、そして明らかにクリス氏を拘束する者の要求の主要部分に応じたものとして、フィリピン政府はイラクから自国軍隊を撤退させることを約束した。 フィリピン外務副大臣外相ラファエル・セキスが、拘束者に宛てた声明を読み上げた。「われわれは諸君の要請に応じて、可能なかぎり速やかに、イラクに派遣しているわが国の人道派遣部隊を撤収する」とセキスは言った。 それより先、ハリド・イブン・アル・ワリド旅団を名乗るイラク人グループは、マニラ(=フィリピン政府)が7月20日までに全部隊を撤退させるという彼らの要求を受け入れなければ、火曜日までにクルスの首を斬ると脅していた。 日曜日には、フィリピン大統領アロヨが彼らの脅しに屈することをぶっきらぼうに拒否した。「わが政府の立場は、国際社会に提供されたわれわれの委任を変えることはありえないというもので、変更はない」とバグダッドにいるフィリピン外交官が語った。
July 14, 2004
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朝日新聞 社説http://www.asahi.com/paper/editorial.html 「20代から見て、50~60代の人に投票するのは生物学的に抵抗がある。候補者がみんな同じおじさんに見える」 そう言ったのは公共政策を学ぶ女子学生だった。東京と横浜の大学で、参院選について学生たちと話し合った時のことである。候補者との間に、まるで別な生き物であるかのような隔たりを感じる。それが投票しない理由だというのだ。 3年前の参院選について、総務省が世代ごとの投票率を調べた。対象としたのは、全国約5万の投票区のうち投票率が標準的だった150区だ。それによると、150区全体の投票率は59%だったが、20歳から29歳までの投票率は34%。その差は25ポイントもある。一方、投票率が最も高かったのは65~69歳の層で、何と76%だ。20代の2倍以上である。 全国の20代の人口は1640万人だ。もし、この世代の投票率が全世代平均の投票率にまで上がったら、約400万票が新たに生まれる計算になる。前回参院選の比例区で自民党が集めた票の5分の1にあたり、民主党や公明党の得票の半分に近い。共産党とほぼ同じで、社民党を上回る。議席に反映すれば、与野党の力関係を大きく変えうる規模だ。 若者みんなが同じような投票をするわけではないだろう。しかし、若者たちの票はそれほどに政治への影響力を秘めている。 どうすれば投票に行きたくなるか。学生たちは色々な方策を考えてくれた。 「20代しか立候補できないような議席の枠を設けたら?」。地域ごとに代表を選ぶ仕組みがあるなら、世代の代表を国会に送る仕組みがあってもいい。自分たちの代表を選べるのなら投票に行く。そんなアイデアが出た。 「コンビニで投票できるようにしてほしい」「インターネットでもできればいい」という意見もあった。これには、あまり手軽に投票できるようにすると、テレビで顔を売ったような人ばかりに票が集まる、という反論が出た。 「私の国とちがって日本の学生は政治的な話をほとんどしない」「投票に行く文化を育てるには、信頼するに足る候補者が要る。難しいけど」。これらは米国から来ている留学生たちの感想だ。 世代別に見れば、日本の政党や政治家の目は年配の有権者の方に向いている。投票に行く若者が少ないから、政治家の方も若者を大事にしない。 経済が過去の成長の蓄えでもっているうちは、若者も富の分配にありつけたし、それほど困らなかった。だが、これからはそうではない。 政治に沈黙して損をするのは若者自身だ。若い世代の負担が増えて、将来の給付が下がる年金問題ひとつとってもわかる。自衛隊の活動や憲法問題だって、一番切実なのは若い世代のはずだ。 400万票の圧力で、政治の目を奪ってはどうだろう。
July 10, 2004
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湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾の被害に苦しむイラクの実態を知ろうと、県内七つの非政府組織(NGO)でつくる「県NGOネットワーク」は七月三日午後二時から、長崎市平野町の長崎原爆資料館ホールでイラク人医師を招いた講演会を開く。四日は、原爆による放射能障害の治療実績のある長崎大医学部で講義を受ける予定。 講演するのは、バグダッド中央教育病院のダーハム・ハッサン医師(30)=小児科=。長崎大での講義にはバスラ・サドル教育病院のアサド・アウドゥルーアミール・カラフ医師(34)=血液学=も加わる。二人は一月から半年間、名古屋大で小児がんや白血病治療を研修中。 イラクでは現在、一九九一年の湾岸戦争前に比べ、がんや白血病患者数が十倍以上に増加。治安悪化に伴い、薬や医療器具が不足し、十分な治療ができない状態という。 同ネットは、被爆地長崎からの支援の一つとして、長崎大医学部にイラク人医師の研修受け入れを働き掛けており、今回の講演会は研修への足掛かりを築く狙いがある。 同ネットの川端強さんは「がんや先天性異常が多発しているイラクは、広島、長崎の放射能障害治療に期待を寄せている」と話す。研修が実現した場合、同ネットが滞在費など負担する計画。
July 1, 2004
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