昭和の松武館・日本道観会員の同窓会

昭和の松武館・日本道観会員の同窓会

2006.03.11
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[241] それはよかったですね ♪ 投稿者:合気拳 投稿日:2006/03/08(Wed) 16:33

これが同窓会の効用でしょうか。(笑)

おそらく、いま動功術として稽古しているものは、ほとんどが形ばかりのものをやっているのでしょう。
「力を抜いてください」と指導するのはいいのですが、それは力を入れて持たれたら技を掛けられないからです。(笑)
力を入れて持たれても、それを力を使わない技で示せるものが「力を抜いてください」というなら説得力はありますけど、
ほとんどの指導員がそれを出来ないから、相手に「合わせて」という所作で繋がっているとかいないとか、ママゴトの
ような稽古になっているはずです。
それでも健康法にはなりますが、「気」の入った「護身術」には程遠いものです。

普段、気=力の抜けた(腑抜け)の技しか出きないものが、実施の場で役に立つはずがありません。


昔は稽古の途中で早島先生の講習みたいなものがあって、いろいろコツの指導をやったものです。
例えば、また一ヶ条の初手を例にすれば、皆さん、いまはただ両手を掴まれたものを上に揚げて外しています。
あたりまえのようにできると思って稽古してませんでしたか。
力一杯握られたら中々簡単に外せないですよ。
そういう状況をさせて、早島先生の指導はこんなです。
「相手が自分の手を力一杯握ってきたものを、こちらも力で外そう、あげようとしても出来るものではない。それはカと
力の勝負になるからだ。つまり、掴まれた手を(グーに)握っていたのでは、力と力の世界で対等になってしまう。
相手の握ってきた相手の手は武術的には死んでいる・使えないのだ。ところが、こちらの手は活きているのだ。
但し、自らの手を活かすには五指をしっかり開いて指に気を込めて力を出す、つまり気(力)を出すとは力を棄てることだ。
相手の手が力の世界にあるのに対して、力を棄てた自分の手は自由、活きている手だから自在に楽に動かすことが出来る。
だから簡単に外せる。力で握られたのを外せないのは、力を棄てていない、肩に力が入っている証拠だ。」


合気術や合気道では、よく自己と相手とが一体になるとか、対立をなくす、というようなことをいいます。
そういう哲学を技や体を通して表現・理解していくこと、、、
確かにその通りでしょう。
しかし、出来ない人間が指導していたり、さも物知り顔で後輩を指導の名の下に講釈しているのは滑稽です。

一瞬に相手と一体化、対立のない力を棄てた世界を体現しているならば、力で来たものを捌けるはずで、それが出来ないものを


まあ、拡大路線の中ではそれも致し方ないことだったのでしょう。
普段は所作の稽古でも良いですが、そうした早島先生のワンポイントレッスンがない、また、そうした教えを受けていない
世代の人達を見ると、知らぬが仏だなあ、と思います。








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Last updated  2006.03.14 12:55:12


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