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画像容量を超えてしまったので、画像は後で入れ替える。一日経ったので画像登録もOK。画像入れ替え成功。お誕生日おめでとう!!誕生日の花束が届いた。ひまわりの明るい笑顔とバースデーガールの笑顔で夏も吹き飛ぶ。エネルギー一杯、一ダースの夏の太陽ひまわりと緑、添えてあるのは、セイタカアワダチソウか・・・。元気いっぱいの素敵な花束。八重の🌻。昨日7月7日は、友達とNYでバースデーパーティー。夜遅く帰ってきた。そして、今日はバースデー🍰ケーキで家族でささやかなお祝い。カズ姫の大好きな B&W Bakeryのバースデーケーキ!!涼しそうなシンプルな🍰バースデーケーキ。ナイフを入れるバースデーガール。中はチョコレートケーキと苺の二層。甘過ぎず、あっさり感のある美味しい🍰。二人で舌鼓。その後、NJサイドハドソン川沿いの友達夫婦のアパートに、プール兼夕食のお招きに出かけて行った。バースデーケーキの半分を持参で。カズ姫も一度招かれたことが有るが素敵なロケーションの良いアパートだ。今日も誘われたけど、写真差し替えのブログの更新もあるし、若者は若者同士で楽しんできて!!と送り出した。🌻🌻🌻🍰🍰🍰以下の写真は、弟達と行ったハドソンヤードのエッジの展望台での写真。もうすぐ誕生日!!と言う娘。ハドソン川河口をバックに。グラウンドゼロに近い、フリーダムタワーが左側に、右側に小さな長細い島が二つ見えるが、奥の方が自由の女神。同じバックで、お得意開脚ポーズ。エッジのエッジで縦の開脚ポーズ。バックは、良く晴れた清々しい空とイーストリバー方面。母も一緒に。クリスティーンさん。はーい。出席を取られて、元気のいいお返事!!伸び伸びと・・・100階から突き出た展望台の床の一部が透明なガラスになっている。初めは怖くて一歩踏み出せなかった。子どもたちはハイハイ。そんなところで、余裕の自撮りの娘ちゃん。恐れも知らず・・・すくすくと育ってくれて有難う。Happy Birthday!!お誕生日おめでとう。これからも、更なる発展のある日々を送ってね。全てに感謝。世界中で一番いい友達になってくれて有難う。言葉にはならない思いを込めて。💕
2024.07.07
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9月7日娘が行っているBrainStationと言うコンピュータースクールの卒業発表会が有った。そこは、昔カズ姫が住んでいたソーホーにあるので、久し振りに懐かしい地域に足を踏み入れた。古いビルを改装した素敵な空間。レジストレーションを済ませ、名札をもらい、手首に招待客である証拠の黄色いテープを巻いてもらって入り口で一枚パチリ。この写真の後ろの方はダイニングのようになっていて、まず好きな飲み物をもらって・・・奥に進む。まず最初のユーザー・エクスピアリアンス・デザインの部屋。ここに入ったら、展覧会に来てくれた人がいたので、先ずその人の所に行った。テキスタイル・ウエイストが環境にどのくらい悪い影響を及ぼすか、そして、どんな風にすれば環境汚染を最小に抑えられるかコンピューターを使ってその実例を挙げ、環境保護の一端を訴えていた。カズ姫もとても興味ある分野だったので、興味深く楽しく説明を聞く事が出来た。もう一人展覧会に来てくれた人もいて、その人は、若者のスポーツのけがについてどのように予防し、ゲームを楽しめるかなどについてのプログラムを開発していた。展覧会に来てくれた人たちには、カズ姫お手製の平和の羽ばたく鳩を差し上げて、喜ばれた。次の部屋は、大きな部屋に二つのセクションが展示されていた。ソフトウェア・エンジニーリングとダタ・サイエンス先ず、ソフトウエア・エンジニーリングのセクションに行くと、初めに娘のテーブルが目についた。その隣にいる人も展覧会に来てくれた人で、コンピューターゲームについてのプログラム Boundless・Dream を開発していた。先ず鹿さんのHappy FITと言うプロジェクトの説明を聞いた。個人のフィットネスで正しいフォームをリアルタイム・フィードバック・カメラを使って、自分で姿勢やポーズを矯正する事が出来ると言う、とてもユニークで面白いプログラミングだった。右がわのモニターに自分の姿勢が写り、正しい姿勢が線画でその上に重なり自分が正しい姿勢が取れているかわかると言うもの。このプロジェクトは、とても人気が有って、いつも誰かが説明を受けていた。先生方も、みんなみに来てくれて褒めてくれたとか。最後に、お馬さん鹿さん、そして、N君でポーズ。右側の人は展覧会に来てくれたロシア人の女性。その日も、新しいフレーズをブラッシュアップして行って、ロシア語で挨拶( ^ω^)・・・。彼女のプロジェクトは、ゆめをかなえるDreamify自分の夢をクリックすると、様々な資料が出てきて、夢を実現させるツールが現れる興味深いもの。左側にいる男性のプロジェクトはDingと言うプロジェクト。言ってみれば、デイチング・アップの様なもの。真ん中の男性のプロジェクトはFoogle.自分が買いたいものをインプットすると、eBay、Facebook 、Craigslist等から一番自分に合ったものが選べると言うシステム。これもリサイクルにとても役立つ面白いプロジェクトだ。彼は、前の職業は医師だとか。まあ、娘がバレリーナだったり、色々なプロフェッションから新たな分野を求めての若者達のキャリアチェンジの熱気で満ちている。最後は、この部屋でパーティー。希望に満ちた若者たちの歓談、情報交換など、様々な声をちょうどいまカメラがある場所の近くに座って聞いていると、あたかも音楽の様だ。遠くの声大声笑い声誓の声ワイワイガヤガヤエネルギー一杯詰めて飛び交い吸収し合い成長し合う様は本当に素晴らしい。まるでエネルギーに満ちた交響曲を聞いているようで、飽きることなく最高の気分ににしたっていた。そんなカズ姫の元へ、娘は色々な友達を連れてきてくれ紹介してくれた。日本で7年ビジネスをしていて、日本語がペラペラの人・・・。日本語勉強させてとか言いながら( ^ω^)・・・もう日本にはいかないともう、日本ちょっとやばいかも!!長いこと友達だと言う別のロシア人の友達。ほぼ忘れかけているロシア語の埃を払うきっかけを作ってくれたり。色々な友達を連れてきてくれたのでまた楽しめた。3時半頃から9時頃までエネルギーに満ちた楽しい時間を過ごす事が出来た。若返った気がした。娘ちゃん、皆さんありがとう。
2023.09.16
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お池の散歩道の始まりまたは終わりの柊の木まで来た。駐車場の向こう側の丘にこれから上る所だ。柊の木の所を真っ直ぐに駐車場を横切る。さあ、これからタイムトンネルに入るので、心の準備をお願いしたい。フェンス横の灌木がぼやぼやしているとこらへん・・・イチ・二・サン・・・・・・ジャーン!! 落ち葉がこんなにあるから10月の終わりごろだろうか・・・。娘は3~4カ月?。母は‥‥ハハハハ~?この辺にそうだその頃は、古い木で出来た遊具や、ロケット型のジャングルジムが有ったっけ。他にも高い昔の滑り台や・・・。娘の着ているチョッキはかぎ針編み、母の手作り。丁度、娘が生まれた頃・・・。何と、こんなに素敵な総合遊具が出来たのだった。時は、そろそろ一年が経って、つかまり立ちをするようになっていた。良く見ると、この赤ちゃん足が細くて、長すぎ?赤ちゃんてズングリしていなければやはり変だ。それにつま先立ちもしているのでなおさら変だ。この遊具は、歩く所は全て木で出来ていて、色々な所に子供がしたくなるようなものが設えてある。今つま先立ちで立っている本物のつり橋、お気に入りだった。左側にある坂道。これも良かった。雲梯もあれば車のハンドルもある。後ろには乳幼児用のゴム製ブランコ。今までさびれた公園で人がいるのも見たことが無かったが、この遊具が出来てから、大いに賑わうようになったものだった。所で、母娘の横で微笑んでいるあの素敵なお姉さんは?大学の同級生の長女さん。その時、お友達はこの長女、次女、小学6年生の長男さん達とと我が家に滞在してくれたのだった。カズ姫の長女は一歳にもならない、片や友達の娘さんは大学生。我が道だけしか歩けない偏屈なカズ姫。日本ではこういう人は嫌われる。嫌われても構わないが・・・。住みにくい。だから、20代後半、スーツケース一つを下げ、ホームレスになってもと言う覚悟で、片道切符を持って渡米。勇気ある、良い決心だった。それから母になる用意が出来たと思ったころ、めでたくも妊娠。日本人には高齢出産で大変ですねとか言われながら・・・。え、高齢って誰が?私が?そ、そうなんですか???人生50年、越天の時に比ぶれば~~カズ姫の楚祖母は93歳、祖母は99歳、母は‥当時はまだ若かったが何年か前91歳で他界。身近な所で考えても・・・信長の時代じゃあるまいし、40歳なんてヒヨコだ。アメリカでは普通のことで、若い体力のある母と、若くはないが経験を積んで賢くなった母とでは子供の為にはどっちが良い?等と言う議論が盛んに行われていたが、経験を積んだ母に軍配は上がりそうになりながら人それぞれとと言事で落ち着いたと言う経緯もある。如何にもアメリカ的。議論はするが結論は個人に任せる。何かを変えるには、現実を自分の目でしっかり見据えて、勇気がなければ決断は出来ない。覚悟がなければ行動には移せない。最近、懐かしいと言う感情は脳の働きにとってとてもプラスだと言う記事を読んだ。昔を思い出して懐かしく思うのは、老人の特権だ。それが、脳の働きも良いと言うならなおさら嬉しい。大歓迎だ。でも、楽しいからとあまりにものめり込んでこちら側に帰れなくなったら大変。さあ、くりちゃん、そろそろ帰ろうか・・・。このトンネルを抜けたら・・・雪国??いやいや現実でないと困る。イチ・二・サン@@@@@@◎◎・・・?? ( ^ω^)・・・・・あ、戻れた。あのお気に入りの遊具はもうない。八重桜の散り積もったブランコでお姉さんたちが遊んでいた。ホッ!!!昔は、芝生だけで乳母車は通りにくかったが、今は、こんな遊歩道が出来ている。その向こうには新しい遊具が。あれ以来、こんな木の遊具は子供には優しいが、直ぐに壊れる遊具は。こんな所にも、経済と効率が優先する社会。彼方此方に分散されているが、カズ姫は、右側赤い滑り台の横にある、黄色い螺旋階段だけは気に入っていた。螺旋に足を入れて、チョコチョコと足を動かしていくと、見える景色が変わり、知らない間に高さも変わっているのだ。初めての経験に感激したものだった。螺旋と言う無理のない変化は宇宙でも社会でも良い変わり方と言う事に気が付いた。リュウの様なものがのたうっていたリ・・・。尻尾の後ろにある古い小屋は残してあり、下にはピクニックテーブルが置いてある。この歩道を車道に出て、そのまま真っ直ぐ上行き、右に曲がると、カズ姫が以前住んでいた家が有る。その次の通りを真っ直ぐ下りてくると、パーキングにそのまま入るようになる。でも、その通りの名前を忘れたので地図を見たら、な何と、あの池は、インデアン・ポンドと言う名前だと言う事を初めて知った。小学生になってからは遊具で遊ぶより、この大きな岩によじ登ったりして遊ぶことが多くなった。広々とした芝生は様々な遊びを生む。でも、何処にでも不届き者は居るものだ。この石の道路に面した方に、この公園の名前を彫り込んだ素敵な銅板が埋めてあったが・・・。ある日、銅板は盗まれて石の凹みしかなくなっていた。悲しい思い出だ。その石に面したように芝生の中に、こんなものがる。これは、あの黄色い棒から水が出て、幼児たちの水遊びの場になる。町営のプールも幾つかあるが、こう言う噴水は溺れす心配もなく、水遊びが出来るので、幼児たちにはこれは手軽で人気が有った。この水を出したり止めたりする役目が、高校生のコミュニティー・サービスの中にも有った。面白そうじゃん、それやったら?と娘言いうと、そんなの早く取られてしまって、もう残っていないよ。良く見ないと分からないが、丁度水遊びのコンクリートの奥辺りに、ある建物の方にこれから行ってみよう。
2022.06.20
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お池一周も終盤戦だ。向こう岸左側から始まって、カメさんぽちゃんを聞きながら林の中を歩き、カモの家族の散泳にほのぼのとして・・・。自然のままのトレールの辺からは、お池の絶景そ見て・・・。西側の葦の生い茂った道で釣り人に出会ったり・・・。この写真の後ろ側は・・・。ゆったりと流れる川。ここに来ると何時も、「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」鴨長明の方上記の一節が心に浮かぶ。また、今通ってきた、或は遠くの葦の原見ては、パスカルの「人間は考える葦・・・。」の言葉が去来する。人間は一本の葦であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。しかしそれは考える葦である。人間とは孤独で弱い生き物だが、考えることができることは偉大であり尊厳がある。また、人間についてすべての人間は幸福を求めている。これには例外がない。その手段がいかに異なっていようともみなこの目的に向かっている。意志はこの目的に向かってでなければ一歩も前へ進まない。これはあらゆる人間の、みずから首をくくろうとする人に到るまでの、あらゆる行為の動機である。のんびりとした自然の中で、あぶくの様のように浮かび、そして、去っていく思考。コンクリートに固められた道路では、事故に気を付けなくちゃ位しか浮かばない。さっきのスイカzスラに似た花だが、何とも優しいピンク。また、人間は美しさを愛でるこっころも持っている。あ、胸にも模様が付いているこの雀!雀の種類はあまりに多すぎて、直ぐには名前が出てこなかった。帰ってから検索すると、模様からはサバンナ・スパローかソング・スパローだが・・・。それらの名前は思い出したが、さて、どっちか。泣き声の動画を見て、さらに、細かい模様迄見えて、ソング・スパローだと分かった。カヤック初体験の時は、いい声で鳴いていたので、直ぐにソング・スパローと分かって写真を撮ったが、この時は鳴いていなかったので分からなかった。そして、人間は、あれは何だろうと考え、知識を増やす事も出来る。少し行くと、ベンチが置いてあり、その前からは川に出られるようになっている。たぶん、カヌーか何かに乗りたい人が勝手に作ったのだろうか・・・。お池では、ゴムボートを浮かべたぷかぷか遊んでいた人や、ボートを漕いでいた人を見たことが有る。この川でも、カヌーを漕いでいる人が写真一枚とる間しかなく、一瞬にして流れ去ったのを見たこともある。そういえば、ごみを捨てるなとか、ボート厳禁とか釣りはするなとか、禁止のサインというものを見たことがない。さあ、お池一周も、もうすぐ終わりだ。この辺には、ヨモギの群生。素敵にカーブしている遊歩道が消える所辺りが・・・そう。一周してテミスコートに出た。今まで思ったこともなかったが、確かに森の中のテニスコーとと言った風情かも。行く時は、テニスコートの南側の柵をそのまま真っ直ぐ進んでお池に出た。これは、テニスコートの始まる辺に植えてあった、大きなヒーラギの木の花だ。クリスマスの頃には、真っ赤なヒーラギの実をつけてクリスマスを彩ってくれる。お池の思い出は、娘にとって遊んだと言うだけではない。 8年生の時のサイエンスフェアの自由研究では、お池の環境と池の水について調べて、3位を撮った事が有る。事の始まりは、幼少の頃は毎日遊びに来ていたが、中学ともなるとバレエや学業も忙しくなり、そうそうお池に遊びにもこれなくなった。でもある日散歩に来たら、「お母さん、何か変な臭いしない?」「そういえば、臭いね。」そんな会話が切っ掛けで、水の濁り具合や水質検査をしたりして、研究にまとめた。7年生の時自由研究は橋の強度についての研究で、これも3位入賞。また、お池の自由研究からコミュニティテー・サービスの単位をもらう事にもなった。アメリカでは、がり勉タイプは評価されない。高校卒業の時、賞が与えられるが、1.学業 2.リーダーシップ(特技) 3.コミュニティテー・サービス 4.人格この四分野において優っている事が条件だ。お池の辺たりの管理をしているオフィスに電話して、高校生でも出来る奉仕活動をもらう。うちの娘は、時々見回りをして、木が倒れていたリ危険が無いかをオフィスに知らせるのが役目だった。勿論それだけでは足りないから、町営の老人ホウムで奉仕活動をしたこともあり、4分野をクリアして、賞をもらったものだ。ついでに、もう一つ。アメリカでは、多くの場合クラスは能力別になっている。日本なら、普通クラスが有って、勉強が出来ない子のために下のクラスを作り生徒を救うと言う発想だ。アメリカでは、普通クラスが有って、その上に Honor クラス、さらに上にAPクラスと言うのが有る。どれを選ぶかは生徒に任されている。日本人なら、まあ、普通クラスを取っていい成績をもらうと言うのを選択するが、アメリカの生徒は、例え、少し成績は落ちでも難しいクラスでしっかり勉強した方が良いと言う発想だ。具体的には、普通クラスならAだが、APクラスではCでも、APクラスのCに価値を置く。生徒も、社会も。そういうアメリカのシステムを知らない日本では、日本の学校では、2か3し取れないのに、アメリカではA。アメリカの学校ってレベルが低いと判断するらしい。教育者なら、帰国した国の教育システム位調べて置け!!だ。アメリカのシステムが完ぺきと言う訳ではないが、少なくとも、児童生徒の能力を重んじ、自信喪失につながるようなことははるかに少ない。もともと詰め込み主義で思考力は育たなかったが、知識力はあったのにゆとり教育と言うバカげたことをして、知識力もがた落ち。実施した文科省にも全く意味の分買っていない、無責任な改革だった。言い始めたらきりがない。日本の教育、本当に大変なことになっているのに。山本太郎氏の感じる危機感が重しの様に伝わって来る。日本が、そこに住む人々が幸せを感じる、健全な発展が出来るように、近い参院選を有意義に使って、そこに住む人々が確りした決断を下してほしい。
2022.06.14
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💃娘よ、お誕生日おめでとう🐰🎂🌈💓。7月7日。今日は、娘の誕生日。今はフロリダにいるから昨日1時間半も電話でお喋り。今朝早く、以下の3枚の写真を添えて、Happy Birthday のメッセージを送った。生まれたてほやほや。生まれるとすぐブランケットに包まれて母親のもとへ。暫く親子の絆を確かめ合ってから、産湯に浸かって、体重測定。その時は、大きな元気いい声で泣いていたっけ。4歳ごろ、プリK(キンダーの前の年)の写真からデッサン。そして、現在。小さいころから跳ねるの大好き。ウサギ年。お祖母ちゃんも、曾祖母ちゃんもそろってウサギ。そろって皆すごいエネルギーの持ち主だった。🌻今年は、春先、いつまでも寒く、また、強い風が毎日吹いたので月下美人の葉は黄土色に枯れてしまった。ビニール袋一杯枯れ葉を切り落とした。一番古い株は、葉のほとんどが枯れてしまい、もう、葉はあまりない。この株は、もう40年以上我が家で同居していて、長年花を楽しませてくれていたのに・・・。世代交代の時期か・・・。毎年、6月の終わりから咲き始める我が家の月下美人・・・。今年は、花芽の様なのが一つ見えたが・・・。いつの間にかなくなっていた。今年は咲かないかなと思っていると、ある日、え~~。隠れたところで一輪こんなに大きくなっていた。発見は、7月3日。毎日見ていても気が付かないことがよくある。だから、よく見ていたのにこんなに大きくなるまで気が付かなかった。始めに見つけたは小さな花芽に気を取られていたことと、今年は咲かないかも知れないと言う思い込みが目隠しになっていた。日常生活でも、何かに気を取られていたり、勝手な思い込みで失敗することはよくあることだ。次の日、7月4日は、もうこんなに伸びていた。他にはないかと、奥の方や葉の陰などをよく見たが、この一つの蕾しか見えない。そして、7月7日。もうこんなに伸びた。これから、つぼみの部分が、ぐっと上を向き、サックスのような形になると咲くのはまじかだ。でも、やっと上を向くために曲がり始めたばかりだ。さあ、いつ咲いてくれるのやら。やっぱり毎日は、わくわくドキドキ。感謝。
2020.07.07
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19.ここはニューヨークの内臓だ RCAビルをエレベーターで降りながら、Aさんは、「それからニューヨークでは、地下鉄ですね。」と言って、空から一気に地下鉄乗り場に案内して下さった。そこでも私は、「ワーッ!」と思わず叫ぶところだった。随分長いこと見たこともない裸電球なんかが侘しそうに光っていて、暗くてじめじめした感じで、とにかく汚かった。それに地下鉄通路と地下鉄構内の境にある鉄格子は、飾り気も無く何だか牢獄のような印象さえ受けた。 落書きだらけの壁、新聞紙、タバコの吸殻、空き缶、空き瓶、染みだらけの剥き出しのコンクリートの床。あの、空からの眺めと余りに対照的だった。戸惑いを隠せないでいる私に、Aさんは一言。「これがニューヨークですよ。」と。 あの、空からの人工と自然とが無機的に調和した、完璧ともいえる人工的風景の内臓なのだ、ここは!! 今、あのパワーとエネルギーを作り出している、汚さも美しさも、富も貧しさも、古いものも新しいものも、みんな一緒くたになって、取っ組み合い、絡まり合いしながら蠢いているニューヨークの内臓にいるのだ。私自身がなるのだ。なろうとしているのだ。 空からの眺めにジャスパー・ジョーンズを感じ、今、この地下鉄でラウシェンバーグを感じ、そして、それらが一つの生きものであると言うこと、それこそ、ニューヨークの力なのだ。人間的ってこう言う事かも知れないなどと思っていると、これまた猛烈な音を立てて地下鉄がホームに入って来た。「ワーッ!」凄い落書き。これがあの有名なニューヨークの落書き。さすがニューヨーク、落書きまでも世界一。鮮やかな色彩と確実な構成。圧倒されそうなもの。めちゃくななものから美しいものまで一堂に会して自己主張している。 この地球上にもこんな文化があったんだ!小っちゃい紙にこちょこちょと描いて、AですとかBです、Cじゃ駄目じゃないですか、何て言われて縮こまっている子供たちに、一度こんなでっかい落書きを自由自在にさせてあげたいものだ!! 私がニューヨークに滞在した丸々三日間、青空と輝く太陽と清々しい空気の中で、私は、親切な人々のお陰で、心細い思いもせず、怖い目にも会うこともなく、一人では決して見られなかったような所も見物し、体験しこの街に負けないほど活動的に過ごすことが出来た。 Aさんのソーホーのロフトも見せて頂いた。シーズン・オフで開いている画廊は少なかったが、幾つかのソーホーの画廊も回った。凄い絵が、まるで当たり前のように掛けてある美術館も、広々とした、自然の地形をそのまま巧く取り入れたセントラル・パークも、駆け足だったけれどニューヨーカー然と散歩した。 そして、月曜日の夕方にはSさんともお会いでき、その日の夕食は、彼のガール・フレンドも交えてチャイナタウンでご馳走になった。その後地下鉄でブルックリンと言う所にも行き、Sさんの引っ越したばかりのロフトも見せて頂いた。帰りは、二人で車でマンハッタンまで送って下さり、次の日に乗るエアポート・バスターミナルにも行き、ラ・ガーディア行きのバス乗り場まで詳しく教えて下さった。そして、もう夜も遅いのにホテルの前まで送って頂いた。 火曜日の朝、バファローに向かう飛行機の中から、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズから受けた印象と寸分違わぬ自由でエネルギッシュな、汚くて美しい、冷たくて温かいニューヨークの街に別れを告げた。シー・ユー・アゲイン、ニューヨーク!!今から40年前のニューヨーク。今は、地下鉄はずっと小奇麗になっている。落書きも余り見かけなくなった。当時、25セントだったトークンは、今は、メトロカードになって、一回2ドル50セントだ。でも、街から受ける印象は、全く変らない。不思議な街だ。魅力的な街だ。
2011.07.10
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18.上からのニューヨーク展望台に着いた。風が強く、髪を押さえながら、私は思わず、「ワーッ!!」と感嘆の声を上げてしまった。そして、暫くただ呆然と眺めていた。抜けるような青空の下に広がる、ニューヨーク! 目の前に一際高く聳えるエンパイヤー・ステート・ビル。 私は、展望台をぐるりと一回りし四方を舐める様に眺めた。「これこそ、人間の作った最高の都会だ! 人工もここまで完璧なら、やはり自然なんだなー。」とその美しい佇まいに我を忘れた。 北を見ると、直線と、直角と、鋭角の作るビルの群れ。碁盤の目のように整然と東西南北に走る道路の作る無数の区画の真ん中に、これもまた、長方形にくっきりと区切られた大きな深い緑のセントラル・パーク。自然さえも完全に人工の中に組み込まれて、しかし、それでいて自然は自然の姿のまま生き生きとしている。実によく調和している。大自然のそれと同じ程のパワーとエネルギーを感じて、吸い込まれるように眺めていると、「西洋の都市計画って凄いですね。と、Aさん。 私は、ここが私の第二の住処になるであろう事を予感した。 このちっぽけな私が、この大都会にどんな風に根を下ろして行くのか、全く想像さえ出来なかったが、それは、なぜか確かなことだった。「ここでも、人々が生活しているのだから。」と。グレーの景色の中で、黄色いタクシーが一際鮮やかに、小さく、天道虫のように連なって、のろのろと動いている。これらのビルの一部屋一部屋で展開されている様々な生活、人生模様。その中の一点に私がなるのだと言う漠然とした思いは、夢のようであり、また、ひどく現実的だった。 東を見てはまた南に回り、また、西に行き北に惹かれ、私は、何回も何回もこの美しい、私の心を完全に捉えてしまったニューヨークと言う街の佇まいを眺めて、飽きることを知らなかった。「随分気に入ったようですね。」と言うAさんの声に我に返った。 Aさんは、私の後を黙って付いて回って下さっていたようだった。「エンパイヤーを入れて、一枚写真を撮って上げましょう。」Aさんにカメラを渡した。黄色いノースリーブのサマーセーターに黄色いミニスカート、黄色いサンダル、茶色い皮の小さなショルダーバック。私のニューヨークでの感激の一こまは、エンパイヤーをバックに、パチリとカメラに納められた。それから、私は、Aさんに質問開始。Aさんは、一々詳しく説明して下さった。「あれが、イースト・リバー。その向こうがクイーンズ。南に行くとブルックリン。マンハッタンのずっと下の方に建てかけの二本のビルがあるでしょう。あれは、ワールド・トレードセンター・ビルと言って、完成したら目の前のエンパイヤーを抜いて世界一の高さになると言うことです。-ああ、思えば、無残にも今は無きツインタワーのアンダー・コンストラクション・ビューを心に焼き付けた瞬間だった-その向こうに、ほら、小さく自由の女神も見えるでしょう。西の方は、ニュージャージー州、手前の広い河が、ハドソン・リバー・・・・・。」 私は、説明を聞きながら手持ちの地図に書き入れ、沢山の写真を撮った。カメラをホテルに置いて来なくて良かったと思いながら。そして、一人だったら、こんなにいろいろなことが分からなかったと、急の電話に快く案内役をひきうけてくださったAさんに感謝しながら。snowyさん、度々のコメント本当に有難う御座います。今日、米国東部時間で7月2日、補習校の一学期最後の日でした。来週から6週間の夏休み。子どもたちは、本当にいつも素敵です。この子達が真直ぐに伸び、幸せになってほしいという思いで一杯です。あなたが、埃を被り忘れ去られていた「☆子どもの目が輝くとき」の埃を払って下さったお陰で、私の中で、眠っていた書き続ける情熱が目覚めました。フリーページの書き方も忘れていました。いつも、文字のサイズや色を調節するために、日記で下書き保存してから、それを、フリーページにコピーしていたのを思い出しました。そんな訳で、夕べは少し時間がかかりましたが、フリーページ掲載成功しました。一人でも多くの方の目に留まるよう、下書きしておいた日記も公開しますね。ああ、それから、絵は上手下手はないのです。その子が、その人が、その時描いたものは世界に一枚、最高のアートです。いつもそう子どもたちに言っています。子どもたちは、そして、大人たちもいつも評価されているから、上手下手、良い悪いに拘りますが、それが、人間をどんなに惨めにしているか!! いいじゃあないですか、描きたいのなら、思うまま思い切り描いてみたら!!私も、いつも音楽は苦手意識がありました。でも、今では、自己流で毎日ピアノを弾いて楽しんでいます。まさに馬鹿の一つ覚え、同じ曲を毎日*0@。
2011.07.03
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昨日 snowyさんから、こんなコメントを頂いて、感激している。感謝している。Re:1387.開設6周年-平和祈願/||水彩画の花束(06/21) snowy0427さんブログ開設6周年、おめでとうございます。昨夜はご訪問いただき、ありがとうございました。今日にかけて、ページを開きっぱなしにして、フリーページに入っている教育に関するエッセイをすべて拝読しました。私が常々考えていることと同じで、時に鳥肌が立ちました。教育者ばかりでなく、人間ひとりひとりが皆、純粋な心の目で他者を見ることができて、その人の中に潜む善を感じ取ることができたなら、悪い道に進む人はいなくなるのではないかと思います。カズ姫さんのような教育者ばかりだと、子供たちも夢を持って伸びていけるのではないかと思いました。どのエッセイも心を打つ素晴らしいもので、面白かったです。それだけでなく、ご丁寧に、snowyさんのページで、全文をご紹介頂いた。糖腎食実践中です!-28日の日記 snowyさん本当に有難う御座いました。無実の死刑囚、冤罪被害者を救う会なども応援されている、心優しい方です。ぜひ、ご訪問頂きたい。ちょっと、じゃなくて、かなり、みーはーなカズ姫、「そういえば、あの文は、途中だったな~! 続きを書こうかな~。」なんて気分になっちゃって~!o!当初の予定では、「子どもの目が輝くとき」 を終わらせて、アメリカでの教育体験も書こうという遠大な計画であったのに・・・・。覚えている方は、いらっしゃらないと思うけど・・・。今も補習校で教えているが、子どもって本当に素敵だ!!なのに、なぜ、大人は子どもを追い詰めるのか。自分自身を追い詰めるのか。おっと、と、と・・・・・あまり熱くならない、ならない!!今年も月下美人が咲いた♪♪今年は、こんな趣向で・・・・ (C)kazuhime揺れて・・・・(C)kazuhime静めて・・・・(C)kazuhime己が姿に見惚れ(C)kazuhimeうっとり・・・・(C)kazuhime香りをお届け出来ないのが残念ね・・・・ああ、本当に残念ながら、現実はかなり厳しいようだ。現実をしっかり見極めない限り・・・・。同じ間違いを繰り返す。でも、きっとこれが許された最後!!!もう間違いは許されない。チェルノブイリ「フクシマ」への教訓〈1〉"終わりなき事故の後始末" 1~4http://www.youtube.com/watch?v=oSa-DtD8gy0&feature=related1/2【原発事故】10年後の日本 2021年(1)http://www.youtube.com/watch?v=bEbKoA_32FA&feature=related2/2【原発事故】 10年後の日本 2021年(2) http://www.youtube.com/watch?v=hX_x7jWDYG8&feature=relate
2011.06.29
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emi 6 posted by (C)kazuhimeemi 10 posted by (C)kazuhimeemi 25 posted by (C)kazuhimeemi 14 posted by (C)kazuhimeemi 15 posted by (C)kazuhimeemi 8 posted by (C)kazuhime母:○ちゃん、日本のバレエ団受けてみる?○:やだ。日本じゃあ、出来ないと怒られるんだよ。子どものころ、一時帰国の際に通った地元のバレエスクールのことが焼きついているらしい。日本のバレエ団の公演を始めてみた時、見ていて少しも楽しくなかった・・・。成る程、子どもの頃から、怒られて、訓練されてきたんだからねー。怒られるごとに、技術は磨かれ、踊る楽しさが剥奪されていくとしたら・・・。芸術不毛。萎縮していく子供の姿が浮き彫りだ。カズ姫も日本人、当たり障りのないことをという日本人との付き合い方は、心得ているつもりだったが・・・。幼児虐待 posted by (C)kazuhime最近の目に余る、児童虐待の記事に、当たり障りのないことを言っていられなくなった。虐待される幼児の恐怖と苦しみを思うと居た堪れない。大声を上げてどうにかしなければと思ってしまう。虐待する親の追い込まれた境地も哀れだ。閉塞した社会の中で、みんなが、ストレスをため込んで、困ったものですね。でも、あたしはしてません。その程度の反応しか出来ない社会にうんざり。いい始めたらきりがない。抑えて抑えているが・・・。虹色もどぶ色に変る前に閉めるから・・・。あと少しのご辛抱を。臭い物には蓋。こんな諺もあったっけ。蓋をしないで、さらけ出せる社会を!心の解放を!!
2010.04.20
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Amaryllis C posted by (C)kazuhime五年前、そう、この虹色のパレットが生まれ、虹色に輝いていた頃・・・。アマリリスのC子さんの花から出来た種を蒔いた。寒くなり始めた10月中ごろ、そろそろ、鉢物を室内に入れよとして、ひょろひょろと何本かの芽が出ているのに気が付いた。”これに花が咲くなんて信じられない。何十年かかるのだろうか・・・”と思いながら、ひたすら水をやり続けていた。種を蒔いてから、五年。その間、C子さんは毎年割き続けて、只今、C子さん親子は、素敵なデュエットをご披露中。次世代を育てると言う、生物にとって最も重要な使命・・・。多くの種が、絶滅の危機に瀕しているが・・・。その危機を引き起こしている種、人類。むしろ、人類そのものが、絶滅の危機に瀕している、筆頭種ではないか・・・。次世代を育てる使命さえも忘れ果ててしまったのでは・・・。と思われるようなニュース。年間、自殺、3万人以上。児童虐待、4万件以上。苛めの類は、日常茶飯事。思ったことを、すぐに言葉にしてしまうカズ姫にとって、不気味な沈黙が漂う社会は苦手だ。失語症寸前。祖国愛に支えられ、辛うじて続けているが・・・。欝の気も出始めた。郷に入ったら郷に従えだそうだが、○十年前、大きなリスクを犯して、郷から這い出した身。郷に従う必要はない。祖国愛なんて、余計なお世話だ。大体、祖国などと言う概念さえないだろうし、リスクってなに?だろう。自分の心のささやきをしっかり聞いて、虹色のパレットもいつでも店仕舞いする覚悟でいる。昨日に引き続き、コメントのご紹介をさせて頂く。Re:1357.能天気な自画像 - 鉛筆画(04/12) ありんこ109さん素敵なママに育てられた娘さんはやっぱり素敵に育ってみえますね☆子育ては難しいです。カズ姫さんの日記を拝見させていただきいつも子育てのヒントをもらっています。ありがとうございます。Re:1357.能天気な自画像 - 鉛筆画(04/12) ひさぎ こみちさんこんにちは!母親は能天気なくらいが一番って聞いたことがありますが、その通り実践されると、ちゃんと結果もついてくるんですね。私の周囲も子供の頃から、今もなお、世代をこえて、「誰のお陰で飯食えるんや!」「誰のために母さんこんな思いしてると思ってるの!」と子供に怒鳴るのを目にするんですが。。。特に気になるのは、母親が子供に言う言葉が乱暴な言葉遣いなことです。子供は小さい間は特に親の言い方には敏感ですから、これでは自発的に恩を感じていても帳消しな感じもしますね。どやすばかりでなく、教えられる、諭されること、気づくきっかけがバランス良くそろってないと、一時問題視された言われたことしかやらない新社会人を通り越して、自分が何をしていったらいいか分からなくなって、ニートになったりする若者が増えていっているようにも感じています。モンスターペアレントの問題だけでなく、親によるドリームキラーも問題になっていますね。うちの甥っ子も新学年、クラス替えがあって遊びに来る友達も変わり、家の中で言われていることと、外の環境とのギャップを繊細に感じ取って、どうやら戸惑っているようです。周りには、色々な家庭で育っている子供もいますから、無理に家の考え方を押しつけても、小学生ではどうしたらいいのかわからなくなってきているようです。私も、手術へ向けての手続きや、年度替わりの手続き類などが一段落してきたので、今の平均的な日本の親の目には、変わり者にしか写らない伯父さんがちょっとだけお節介を焼きに行っています(^^)手術で体さえ良くなれば、昔、友達のお父さんがしてくっださったように、子ども達の中にたまに入っていって、色々話を聞いてみて、子供の目線に合わせて話をしてみたいと思いますね(^^)そのためにも、早く回復したいです。(2010.04.15 23:55:46)貴重なコメントありがとう御座いました。
2010.04.16
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ippon no ki 22 posted by (C)kazuhime○○ちゃんすてきなお手紙ありがとう。おべんきょうは楽しいね。お姉ちゃんがおべんきょうすきだから弟さんや妹さんもきっとおべんきょう早くしたいんだね。とてもいいお手紙もらって、先生は、ドキドキしてしまいました。じゃあ、土曜日に会いましょう。楽しみですね。カズ姫先生より子供たちよありがとう。君たちがいるから、先生は生き生きするの♪完
2010.02.17
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ippon no ki0018 s posted by (C)kazuhime「文集 一本の木」は、「ぼく(わたし)は一本の木」 - 自分が一本の木になったつもりで「一本の木」 - 一本の木の絵を描きに行ったときのこと「二年生で楽しかったこと」 - それぞれに好きな題で自由にの一人3つの文と、絵が載せてある。いわゆる大人が見て上手な文とか絵とかは、カズ姫先生にとっては興味ない。子供の自由な発想を重視する。「これから、何をするか。今、何をしているか」目的意識が自然に育つようにして、子供達に今の目標をしっかり把握させるが、「どう書くか。どう描くか。」内容は、子供たちの自由にする。書き終わったら、自分で読ませ、自分で直させる。間違いがないと思ったら出してもらう。先生は、字の間違い、文法的間違いのみを直す。時には、清書させ、原稿用紙の使い方を指導する。AとかBとか点は付けない。長い文を書く為には、主語、述語を理解して、主語、述語のある短い文を書く必要がある。その練習は、一年を通して充分にしている。絵は絶対に直さない。いつ何処にいても、何をしても、全員が100点満点。満点からの出発。ippon no ki 6 50 posted by (C)kazuhimeippon no ki 7 50 posted by (C)kazuhimeippon no ki 8 50 posted by (C)kazuhimeippon no ki 9 50 posted by (C)kazuhime教育力は国力子供賛歌は家庭賛歌、社会賛歌、国家賛歌それが出来て初めて世界賛歌平和賛歌が声高らかに歌える。それぞれのレベルで、子供は賛歌されているだろうか。人間賛歌
2010.02.15
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ippon no ki0017 s posted by (C)kazuhimeippon no ki 11 s posted by (C)kazuhimeippon no ki 12 s posted by (C)kazuhimeカズ姫先生は、普段余り怒らない。大声を上げたりしない。でも、必要とあらば、悪がきどもの目が点になるほどの雷を落とす。「もし怒鳴られたいのなら、一日中でも怒鳴ってられるよ。先生は、みんなの何百倍もエネルギーあるんだから!!」「しーん・・・」一人一人の個性を大切にしながら・・・もう、毎日体当たり。悩んだり。喜んだり。考えたり。反省したり。笑いあったり。胸をときめかせたり。怒鳴ったり。お互いの目の中に信頼を読み取ったり。遊んだり。でも、なぜか全然疲れない。子供たちの純粋さは、宇宙のエネルギーに直結。わたし達は、ひとつ。宇宙の循環の中で愛し合っているから♪今日は、予報通り吹雪。yuki 7 posted by (C)kazuhime野原の地蔵さんらも寒かんべぇ。yuki 5 posted by (C)kazuhime
2010.02.10
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ippon no ki0021 s posted by (C)kazuhime教科書で、木の書き方という説明文があった。そこで木の描き方を勉強してから、「外に出て本当の木の絵を描いてみよう。」と言うと、盛り上がってしまった。そのときから、「いつ行くの? いつ行くの?」「今日は、凄く寒いからね~。どうする?」「寒くないよ。ジャケット着て行くもん。」「それは、そうだけど、風も強いし寒いよー!!」「だいじょぶ、だいじょぶ。」で、寒い日に外に木を描きに行った。今日から、なんかいかに分けて、そのときの絵と、文集の作品を紹介していく。ippon no ki0016 s posted by (C)kazuhime寒さもなんのその!!冬の木のエネルギー。素直で力強い。圧倒されてしまう。絶妙な色彩感覚。この子は、お父さんがアメリカ人。見た目はとても優しそうな男の子だ。「ぼくね、家にこんな本がるんだよ。」とか、「家で、こんなことがあったんだよ。」とか、すっとよってきて、自信なさそうな日本語で、ぼそぼそと話してくれる。そんなのを心を込めて聞いてあげる。でも、負けん気も強く、男の子と格闘して遊ぶ。工夫して物を作ったり絵を描いたりすることが大好き。いつも個性的な絵を描いている。そして、その日の様子を後で作文に書いた。カズ姫のクラスの子供は、作文を書くことを嫌がらない。それにはそれなりの理由もあるが、とにかく、絵でも文でも、自由にかいてもらう。ちょっとくらいテーマから外れていても、漢字がかけなくても、字が下手でも気にしない。ippon no ki0014 s posted by (C)kazuhimeippon no ki0015 s posted by (C)kazuhimeこの子は、明るく元気な女の子だ。文を書くのが大好き。その好きという部分を大切にして、少しぐらいつじつまが合わなくても、どんどん書いてもらう。直しは、文法的なこと、字の間違いが主で、内容や、表現は直さない。子供には、子供の表現がある。そこを大切にして、充分に書かせてから、つぎのステップがある。
2010.02.08
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ippon no ki 1 50 posted by (C)kazuhime子供たちの詩や作文を集めて文集を作った。教科書に「一本の木」と言う教材がのっている。子供たちは、みんな木が大好きだった。子供たちが、大いに盛り上がったので、発展学習をした。補習校の子供たちは、週一回土曜日一日で、日本の国語と算数の教育課程を終了しなければならない。週日は、現地校に通っている。英語での勉強や宿題も大変だ。子供も、親も、教師も必死だ。アメリカ生まれ、アメリカ育ちの子。片親は日本人ではない子。育ってきた環境は、それぞれ違う。親の教育に対する熱意もピンきり。スキーに行くから、誕生パーディーがあるから休みます。そんなのは普通だ。日本とは一概に比べられない、大変さでの中での教育だ。子供も、親も、教師も、みんな頑張っている。ippon no ki 2 50 posted by (C)kazuhimeippon no ki 3 50 posted by (C)kazuhime木の一生。素敵なバラード。今、カズ姫は、どんな詩人の詩より、心を揺さぶられている。この子は、はみ出し型、個性派。問題児と見る人もいるかもしれない。でも、奥にきらりとした素敵なものを持っている。カズ姫は、そこが大好きだ。・・・・一般的な日本の教育の中では、そこが潰されてしまうのでは・・・。この木のように、伸び伸びと育ってほしい!!ippon no ki 4 50 posted by (C)kazuhimeippon no ki 5 50 posted by (C)kazuhimeすっかり自分が木になって、木になっていることを楽しんでいる。自分が役立っていることを誇りに思っている。二年生でこんな発想ができるなんて。素敵。この子は、明るく元気で屈託がない。子供らしい元気さに溢れている。意欲的で、勉強も楽しんでする。目に見える学力だけで評価されないで、心の優しさを軸に伸びていって欲しい。そうすれば、その学力が、彼が望んでいるように人の役に立つ素敵なものになる。子供は、どの子も本当に素晴らしい。素敵な個性で溢れている。悪い子なんて何処にもいない。一人もいない。素敵な子ども達ばかりだ♪♪
2010.02.07
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(C)kazuhime(C)kazuhime文は、後ほど。伸びる力を伸ばすために、それでは、行ってきます。
2009.05.07
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皆さん、昨日は、ウエブ展覧会Kazumi NagakuraVサインで、ご来場、ご投票、お楽しみ下さって有り難う御座いました。^V^。その間、カズ姫はリラックスしていたのかと言うと・・・。実は、一年間で最も緊張した時間を過ごしていたのだ。今年は、2年生の担任で、先週出合ったばかりの新しいクラスの子ども達と、今日は、心を通じ合わせることが出来るか・・・と。昨日は、朝から、夜遅くまで、教材研究をしていた。更新の時間も余り取れないけれど、でも皆さんにも何か新しいことを楽しんで頂きたいと、このようなことを思いついた次第だ。それで、今日の出発は、上場。虹色の笑顔の出発だった!!子ども達と、心は磁石のように引き合った。帰るとき、「今日は、楽しかった?」「すご~く、楽しかった!」有り難う、子ども達。お互い、笑顔を心から心へと循環して、楽しく、実りある年にして行こうね!!先週、保護者皆さんには、2年○組 学級通信 No.1 平成21年4月4日 虹色の笑顔^o^今年度、初等部2年○組の担任をさせて頂きます、カズ姫です。どうぞ、よろしくお願い致します。「先生、分かると勉強って楽しいね!」と言うのが、子ども達の声です。どのお子さんも、また、どのような状況に置かれたお子さんでも、そのお子さんに合った指導がなされ、学習がなされると、生き生きと目を輝かせ、伸びて行くものです。そこで、今年度の初めに当たりまして、ご父母の皆様にお願いしたい事は、お子さんを他と比較するのではなく、「お子さんを一人の人格として認めてあげ、ありのままの姿を温かく受け止めてあげて欲しい。」と言う事です。それが、教育の出発点であり、そこからお子さんは、個性として持って生まれた力を発揮して行きます。家族、友達、教師、ひいては社会からあるがままの自分を受け入れられ、信頼されていると言うことに勝る喜びはありません。真の発展は、喜びが原動力なのです。異文化の中で、母国語を学び、日本文化を理解継承し、日米バイリンガルを習得していくのは、お子さんにとりましても、ご家庭にとりましても生易しい事ではないと思いますが、視点を変えると、とてもチャレンジングで楽しい事だと思います。そこで、特に意識して「話す・聞く」「読む」「書く」を三本の柱として、学習を進めて行きたいと思います。・・・・・後略「お子さんを一人の人格として認めてあげ、ありのままの姿を温かく受け止めてあげて欲しい。」これが出来れば、教育は成功ですとまで言って、このように始まっている学級通信をお配りした。保護者の皆さんとも心が通じるか・・・。ダブル緊張!でも、こちらも上場のようだった。今日のお便り欄には、「早速、息子に先週の授業の感想を聞いたところ、「楽しい!」のひと言。・・・・・・・幾つかの宿題に対するやり方の質問・・・。カズ姫先生ご指導の下、親子一丸となってどうか宜しくお願い申し上げます。」「・・・・。先生のお手紙を読み、改めて、子どもは誰とも比べることはできないと思いました。私も、それは常に意識しています。なかなか、そうは言っても・・・、でも、気をつけているつもりです。休みは、日曜日一日だけのスケジュールの中、本当に良くがんばっている娘です。わたしも、子どもに負けないようにしたいと思います。ゆとりを持って、怒らない母を目指します。」この様に書いて下さった、お母さんもいらっしゃった。うれしいではないか!!有り難うお母さん方。大きいところで、理解し合っていれば、大丈夫!!緊張して、いろいろ準備した甲斐があった。頭は軽く心は温かく。今日、ランチの後、カフェテリアから教室に帰える時、昨年教えた子ども達と出合った。お互い、顔を輝かせて、手を振ってすれ違った。軽い頭のカズ姫、階段を上り始めた。「先生、どうして二階に行くの?」「わー。間違えた。ごめんなさーい。」「ぼく、どうして先生が二階にいったか知ってるよ。去年は、4年のぼくのお姉ちゃん教えていたからだよ。」「そうだね^-^:」階段から降りたところで、去年お隣、今年もお隣の先生に出会った。「どうしたの?」「間違って、4年生に行きそうになったのー。」「笑える話。でも、先生とあそこで出会わなかったら、私も二階に行くところだったー^0^」このようなこともあったとさー、あったとさー♪!!そして、不思議な出会いもあった。今年も素敵な一年が始まった。神さまに感謝。アマリリスのC子さんが咲いた。とても控えめな美しさに、ただただうっとり眺めた。P4110478 posted by (C)kazuhimeP4110490 posted by (C)kazuhimeP4110494 posted by (C)kazuhimeP4110499 posted by (C)kazuhimeP4110510 posted by (C)kazuhimeP4110508 posted by (C)kazuhimeその優しさに、深く癒され、活力が満ちていくのを感じた。頂いて、差し上げて、また、頂いてエネルギーは循環するとき輝く。それで、とても気になったいる事、いつも気にしている事は・・・。頂いたコメントにレスしてないと言うこと。コメント欄占閉鎖しようかと考えたこともあるが、それでは、全くの一方通行。更新して、コメント頂いて、また更新する・・・そういう循環の中で続けることにした。直接、コメントにお返事はしないが、更新の中で・・・。何か読み取って頂ければ・・・・と。また、皆様へのご訪問も、駆け足ながら、ほぼ毎日させて頂いている。コメントは、心の中でしている。時々、書かせて頂いてはいるが・・・。キーボードに手がのびるが、書いてたら、朝になってしまう・・・と。とても素晴らしいサイトばかりなので、癒されたり、学ばせて頂いたり、楽しませて頂いたり、心から、感謝している。いつか言わなければと思っていた事だが・・・。草の根の交流こそ、世界を変えられると信じているカズ姫。最近は、一時50%台に下がった、更新率も、70%以上になった。心を込めて更新させて頂いている。今後とも宜しくお願い致します。ウェブ展覧会しばらく載せておく。A Singuar Creation Art and Photography Gallery3rd Annual CompetitionKazumi Nagakuraここをクリックすると、15点のカズ姫の「人物、肖像画」が展示されている。絵をクリックすると拡大される。絵の下の☆をクリックして投票することも出来る。☆一つなら一番左の☆、☆5つなら一番右の☆をいう風に、左から数えて投票したい数の☆をクリックすると投票出来る。☆三つにしたいからと、左から順々に3個押していくと、最初押したのだけがカウントされ、☆一つで投票と言うことになる。これはあくまでも楽しみであって、これによってどうなるとかは関係無い。絵を見ながら、遊べる様になっている。左上のHomeをクリックすると、いろいろなGalleryが見られる。ここでも、好きな絵があったら投票できる。Home下から二番目の2nd Annual Competitionにも違う作品を出しているので、お時間がおありなら、お寄り頂けると嬉しい。
2009.04.11
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hanataba posted by (C)kazuhime今日は、学年最後の日だった。笑顔と感謝の日だった。<・・・・。わたしは、先生が「できないと思ったらできないよ。」と言ったことをぜったいにわすれません。雪がふったとき、クラスのみんながまどの外を見たから、「みんなが雪を見ていたら、雪がはずかしがってやんじゃうよ。」と言ったことを絶対に忘れません。わたしは、こういう先生のじょうひんなひょうげんを出すところが大好きです。>そうだったねー。そんなことがあったね。先生は、すっかり忘れてたけど、今はっきり思い出しました。先生の言葉を、これほどまでに心に留めてくれて、本当にありがとう。じょうひんなひょうげんなんて言ってくれて、すっごく嬉しいです。<・・・。先生がぼくの知らないことをたくさん教えてくれたので、とても楽しかったです。・・・・・・・・いつも、いっぱい ほめてくれて ありがとうございました。うれしかったです。ぼくは、ほ習校大好きです。>初めての日本語の学校。ひらがなしか読めないで入ってきたのに、たくさんのことを学んでくれて、本当にありがとう。君が、良い子でとてもがんばっていたから、先生は、感激してほめたんだよ。<カズ姫先生の絵はとてもうまいです。だから、ぼくももっと絵がうまくなりたいです。この一年間がとてもはやくかんじました。それは、4年生が楽しかったからだと思います。・・・・・・ぼくは、4年生ですごく成長したと思います。>君の絵も、なかなかだよ。文集のカットに君の絵使わせてもらったの分かったかな・・・。楽しい時って、ほんと早く過ぎるね。先生も、あっという間に過ぎちゃったような気がします。君ががんばったから、成長したんだよ!!><金曜日に、夜おそくまで勉強して、いやなときも合ったけど、その次の日、先生がいつも笑顔で来るから、ぼくは、元気になりました。五年生もがんばります。>みんな大変なんだよね。いやだなって言う気持ちよく分かるよ。そう?先生の笑顔で元気になったくれたの?それは、最高にうれしい!!ありがとう。五年生もがんばってね!<アイススケートやげんち校でいそがしかったけれど、なんとかほ習校の勉強ができました。ほ習校でつかれていても、先生が元気を出してくれましたので、クラスの勉強が良くできました。休み時間が少なくなっても、最後まで教えてくれてありがとうございました。勉強が一番大切です。>土曜日の朝、アイススケートのレッスンをしてから、ほ習校、大変だったね。それでも、先生から元気をもらってくれて、本当にしっかり勉強してくれて、うれしいです。つかれていると分かっていても、みんながたくさんのことを学んでほしかったから、その問題が終わるまで、休み時間に食い込んじゃっても、いやな顔しないで勉強してくれてありがとう。先生の気持ちが、分かってもらえて、うれしいです。<わたしは、先生がいつも問題が分からない人がいたら、ちゃんとその人に教えている所が、いいなと思いました。三年生の時、漢字が大きらいだったけど、先生が、いろいろな方法で覚えられる事を教えてくれたので、漢字も使うようにしました。算数も、分からなかったら、何回も教えるのを見てると、すっごくやさしいなと思いました。いつまでも、そのやさしさを忘れないでください!>分からなかったら、分からないと言える人って、素晴らしいですね。だから、先生はうれしくて、その子に分かってもらいたいと思うからいっしょうけんめいになってしまいます。分からないといってくれた子にありがとうと言いたいです。漢字も、文ちゃん人形で、みんながしっかり文を作れるようになったから、楽しくなったんだと思います。いつまでもやさしさ忘れないよ。ありがとう。<ぼくは、とても先生からならいました。日本へ帰っても先生をおぼえていたいと思います。ぼくは日本でがんばります。先生もアメリカでがんばってください。いっしょにがんばりましょう。先生のクラスは、えがおがあり、とても明るい人ばかりでした。それは、先生が子どもたちを明るくしたのです。ぼくは、この四年生はさいこうでした。>たくさんのことを習ってくれてありがとう。一番先に虹色を大好きになったのは君だったね。クラスのみんなも虹色大好き。笑顔がいっぱいだったね。でも、君の明るさには、かなわないよ。今日、友達が、○○がいないと何だかさびしいなんて言っていたよ。○○がいると、10人分くらい楽しかったって言ってたよ。先生も君の事忘れないよ。うん、いっしょにがんばろう!!ありがとう!!子供たちがくれた、お手紙の抜粋に、お返事した形を取ってみた。窓の外見ないで、黒板見なさいなんて言わないで、「みんなが雪を見ていたら、雪がはずかしがってやんじゃうよ。」なんて、本当に、じょうひんなひょうげん!!みんなそれぞれに、カズ姫の思いはしっかり受け止めてくれていた事が、手紙で分かり、とてもうれしい。教育は「頭は軽く、心は温かく。」でやるのが一番!!そうでなきゃ、あんなじょうひんなひょうげんは生まれない。もっともっと頭を軽くして、心を温かくしたい!!今頃、神話を暗唱してどうなるの?!!笑顔は、やっぱり良い。子供たちが先生の笑顔から元気をもらっていたなんて!子供達の笑顔から、先生も元気をもらって。お互いに。そこにエネルギーの循環がある。子供たちは、お父さん、お母さんへも、感謝の手紙を書いて、参観にこられていた両親に読んで手渡した。何故、勉強するのか。カズ姫は、いつも子供たちに言っている。「自分の気持ちを相手に伝える事が出来、相手の気持ちが分かるために勉強しているんだよ。そして、気持ちの中で一番大事な気持ちは、感謝の気持ちだよ。」と。真剣に、父母への感謝の手紙を書いて、読んで、両親は、頷きながら聞いていた。先生にも、感謝の手紙を書いてくれた。帰ってから読んで、感激し、あの、じょうひんなひょうげんに心動かされて、今日の記事が生まれた。先生は、希望を捨てない!!きみたちといっしょに、素敵な世界を築いていこう!!きみたち、ありがとう。
2009.03.21
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Amaryllis 4 posted by (C)kazuhimeAmaryllis No.4-6/24/03 9:00pm(Pencil on paper, 9"x12")夜の9時だと言うのに、咲ききる前の美しさ、力強さに引かれて、スケッチを始めたのだった。17.何でもトライしてみるものだ!目が覚めて、カーテンを開けると、真っ青い透き通った空がビルの上に四角く広がっていた。日の光は眩しく、空気は爽やか。まだ覚めきっていなかった目も、パッチリと覚めた。昨日のあの蒸し暑さ、いかにも夏と言ったよどんだ空気と打って変わって、まるで秋を思わせる清々しさだった。「ついてるなー。」と思うと、うきうきした気分になり、鼻歌交じりに急いで身支度を整えた。旅行者然としないように、小さなショルダーバッグ一つにまとめ、その中に地図を忍ばせて颯爽と部屋を出た。 エレベータを降りると、「さあ、どうぞお電話を!」と言わんばかりに、目の前にズラリと公衆電話が並んでいた。それを見ると、何だかもう一回電話してみたくなった。別に期待もしていなかったが、「急ぐ旅でもないし、こんなに沢山さん電話があるんだかたら・・・。」と単純なな理由で、まず、Aさんという方の電話番号を回してみた。あの、夕べ聞き飽きた呼び出音がきこえる。「どうせ、また、誰も出ないだろうな・・・。」と思っていると、突然受話器が上がる音がした。「ハロー。」私はドキッとしたが、英語で話されたら困ると思いその人の次の言葉を待たず、「もしもし、私は、日本のKさんという方からAさんのことをご紹介して頂きました、これこれこういうものですが・・・。」と、とにかく自分の言いたいことを先に言ってしまった。「ああ、Kさんの友達。どうですか、彼は元気ですか。」と、日本語が返ってきて、私は、ほっとして答えた。「はい、K先生もお元気で、Aさんと連絡が取れたらくれぐれも宜しくとおっしゃっていました。」「そうですか、懐かしいなー。K君も、2~3年前に来ましてね・・・。ところで、あなたは、何時ニューヨークに来たんですか。」「私は、昨日の夕方着いたばかりなんですけど・・・。」「ああ、それじゃあ、こちらの様子も全然分からないんですね。ぼく、今夏で仕事も暇でゆっくりしてるんですよ。よろしかったらご案内しますよ。」と言うことになり、私は、突然、このニューヨークで一人ぼっちではなくなったのだった。「分からないものだなー。何でもトライしてみるものだなー。」とすっかり感心して、言われたようにホテルのロビーで、行きかう人々を眺めながら待っていた。 20~30分もすると、一人の日本人男性がロビーに入って来て、私は、それがAさんだと言うことがすぐ分かった。向こうも、すぐに私に気が付いたようだった。「Aさんですか。○○と申しますが、初めまして。」私は、ぺこぺこお辞儀をしながら挨拶した。お互いに、自己紹介など終わって、それでは行きましょうかと言う段になって、Aさんが、私を見て、「あんた、珍しい日本人ですね。」と言うので、変なものでも付いているのかと、自分の服なんかを見回しながら聞き返した。「えっ。どうしてですか?」「日本人は、みんなカメラ持ってるんですが、持ってない人を見たのは初めてですよ。」真面目な顔で言った。「ああ、カメラねー。・・あのぉ、ニューヨークでカメラなんかぶら下げて、キョロキョロしていると危ないって、散々言われたものですから、置いて来たんですが・・・。」「置いて来たって、フロントに預けて来たんでしょうね。」「いいえ、ホテルの部屋のテーブルの上に置いて来たんです・・・。」「冗談じゃないですよ。ニューヨークでは、ホテルの部屋なんて通りと同じですよ。せっかく来たんだから、写真ぐらい撮りなさい。大丈夫ですから、カメラ、持ってきなさい。」と言って下さった。 どっちにしても、ニューヨークって怖いところなんだなーと思いながら、急いでカメラを取りに部屋に戻った。メイドさんは、もう綺麗に部屋のお掃除を済ませたようだった。カメラは元の所に置いてあった。 カメラを肩にかけて戻って来た私に、Aさんが言った。「まず、上からニューヨークと言う街全体を見てみましょうか。普通は、皆、エンパイヤーに上りたがるんですが。でも、エンパイヤーに上ったら、NYのシンボルエンパイヤーが見えないでしょ。だから僕は、いつもロックフェラーセンターのRCAビルに案内してるんですよ。エンパイヤーほど高くは無いんですがね。」 そこまで、このホテルから余り遠くは無いというので、街をみながら歩いて行く事になった。 なんという周到な案内役に出会ったものか。あの電話の群れのおかげだ。すっかり安心しきって、きょろきょろしながら、Aさんの後について歩いている信じられない状況にいる自分・・・。 目指すビルについた。展望台行きのエレベーターに乗った。自然を、日本の美しさを忘れかけた我々に、優しく語りかけるみきちゃんの俳句日記「奥の細道」風雪に耐える冬芽天を突き。青空に桜冬芽の枝ひろげ。手作りの飾羽子板藤娘。初田打ちかすかに土の音を聞く。by みきちゃん自然と共に、自然の懐に抱かれて生きるとき、人間は本当に平安に幸せに生きられるんですね。みきちゃんの俳句日記覗いて見て頂けたら嬉しいです。ありがとう御座います。
2009.01.08
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Amaryllis 3 posted by (C)kazuhimeAmaryllis No.3-6/24/03 3:00pm(Pencil on paper, 9"x12")昨日の絵から、まる一日がたったアマリリス。16.開かれたニューヨークへの道 ロス滞在も、半分以上過ぎた頃、「もうそろそろ、ニューヨーク行きの事を考えなければ。」と思っていると、初めの計画には無かったが、この団体が「グランド・キャニオン、ラスベガスツアー」と「ワシントン、ニューヨーク東部への旅」と言う二つのオプショナルツアーを企画中ということを耳にした。 それは全く、願っても無いことだった。私はツアーには加わらなかったが、個人で、「ロス=ワシントン=ニューヨーク=バファロー=デトロイト=サンフランシスコ=ロス」のラウンド・ツリップのチケットを切ってもらった。そして、第一日目のワシントン観光とニューヨークのホテルまでをツアーグループと行動を共にする事ができた。 ワシントンでは、国立美術館でレンブラントの絵を見たことが今でも忘れられない。そして、いよいよ待望のニューヨーク、ラガーディア空港。空港からNY市内に向かうバスの中で、案内の人が、前方を指差しながら言った。「エンパイヤーステートビルが見えてきました。」バスの中にはざわめきが起こり、みんな、指差された方角に目をやった。絵や写真でお馴染みのあのエンパイヤー・ステート・ビルが遠くに小さく、スモッグに霞む夕暮れの空をバックにぼんやり見えた。「遂に、ニューヨークにきたんだ!!」と言う実感に心が躍った。 ホテルに着くと、グループの人たちはもう部屋も取ってあり、それぞれすぐに部屋割りがされていたけれど、私は、ここから単独行動。フロントに行き、シングルの部屋を取った。 部屋に入って、早速、K先生から紹介していただいたSさんと言う画家を、その職場に訪ねてみる事にした。地図で見ると、幸いホテルからそう遠くは無いようだった。行く途中すたすた歩きながら、ふと見上げると、さっきのエンパイヤー・ステート・ビルが足元から空に向かって伸びているではないか! 空に吸い込まれるようなその建物を見上げながら、自分が蟻になったような感じがした。でも、後でゆっくり見ればいいと、足は止めなかった。迷ったら、オペレーターを呼べと言われていたので、迷ってはいなかったが、電話ボックスがあったので、電話でオペレーターを呼び出した。そこまでは良かったが・・・。その後がどうしても通じない。オペレーターが言った。「あなた、何語話すの?」私は答えた。「日本語です。」とオペレーターは、「え、スペイン語ですか?」と聞き返したので、これじゃあ、英語はとてもだめだと思い、「有り難う。」と言って電話を切った。 足を頼りに、とにかくSさんの職場を見つけた。でも、運悪く、その日は金曜日でもう帰られたと言うことだった。月曜日で無ければ来ないし、最近引っ越したばかりだから電話番号も分からない、と言われてがっかりした。 それでもと、他に何人か聞いていた人たちの名前も出して見たが、「ああ、この人も最近引っ越したばかりで、電話の引いていないんじゃないかな。この人とこの人、今日本に帰っていてニューヨークにはいません。」と言う感じで、結局、誰にも連絡は取れそうにも無かった。 「まいったなー。」と思いながら、もう暗くなりかけた、それに、雨もぱらつき始めたフィフス・アヴェニューを駆けるようにしてホテルに向かった。「ニューヨークって怖いよー。日が暮れてから街中をうろうろしていたら酷い目に会うよーっ!!」なんて、みんなから散々脅かされていたので、哀れにも、もう、怖くて走らなければいられなかったのだ。 ホテルのカフェテリアで軽い夕食を済ませて部屋に戻った。何だか、急に疲れが出たような気がして、しばらくベッドにごろりと横になった。それから、「いや、こうしてはいられない。」と思って、何か手がかりが掴めるかも知れないと、分厚い電話帳をめくってみた。幾つかの電話番号は、私の手帳に書いているのと同じだった。「もしかしたら・・・」と言う期待を持ってダイヤルを回してみた。でも、どの番号も何回回しても、むなしくダイアルトーンが聞こえるだけで、誰も出なった。 「いよいよ、一人だ。」と言うことが分かると、急に元気と勇気が湧いてきたようだった。空元気だったかもしれないが・・・・。とにかく、NY市内観光地図を広げて、モダンアート、メトロポリタン、グッゲンハイム、ウィットニ-など、大きな美術館をまるで囲んで、道順を確かめ、明日のために早々とベッドに潜り込んだ。やはり、疲れていたのだろう、すぐに眠りに落ちて、朝までぐっすり眠ったようだった。自然を、日本の美しさを忘れかけた我々に、優しく語りかけるみきちゃんの俳句日記「奥の細道」風雪に耐える冬芽天を突き。青空に桜冬芽の枝ひろげ。手作りの飾羽子板藤娘。初田打ちかすかに土の音を聞く。by みきちゃん自然と共に、自然の懐に抱かれて生きるとき、人間は本当に平安に幸せに生きられるんですね。みきちゃんの俳句日記覗いて見て頂けたら嬉しいです。ありがとう御座います。
2009.01.07
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紫の花 posted by (C)kazuhime花びらの柔らかさとパールの様な輝き、なんと言う花だろうか・・・?15.外国の土 1971年の夏。私は、初めて外国の土を踏んだ。 まず、ハワイで入国を済ませたが、その時は、夜だったので何も見えず、周りには日本人が多かったし、外国という実感も余り湧いてはこなかった。 でも、「もうすぐサンフランシスコ空港です。」という機内アナウンスがあり、海と空と雲ばかりだった視界に遠く遥かにアメリカ大陸が見えてきたときは、さすがにに興奮を抑えきれなかった。太平洋の向こうにある筈のアメリカ大陸が、今、目の前にゆったりと横たわっている。ジェット機が高度を下げ始め、空港がぐんぐん近づいて来た。建物が、家々が、そして、車や人々が小さく小さく動いている。アメリカの大地が、今、眼下に迫り、そこにも、人々が平然と仕事をし生活をしている。「ガタン!」と言う軽い衝撃が伝わって、私は、アメリカの大地に降り立ったのだ。それは、感動の一瞬だった。 サンフランシスコからロスアンゼルスまで国内線で一時間くらい。そこから、手配されていたチャーターバスで、4~50分もすると、ウエストウッドと言う静かな街に着いた。宿舎は、UCLAのキャンバスに近い、ラ・マンチャと言うUCLAの学生寮だった。当時の日本の大学の寮とは比べ物にならないほど、豪華に見え、さすが、アメリカと感動したものだった。 英会話のクラスは、素人まがいのアメリカ人教師が気のなさそうに教えるだけで、たいしたことはなかった。むしろ、みんな、UCLAの学生たちとの交流やショッピング、サンタ・モニカビーチなどでカリフォルニアの夏を楽しんでいたようだった。私も、英会話のクラスが初めから目的ではなかったので、むしろ、そのほうが気楽でよかった。 はじめは、ラ・マンチャの生活やその周辺の探索でさえも、すべてが珍しく新鮮で面白かった。そのうちに、ディズニー・ランドやナッツ・ベリー・ファーム、ハリーウッドなどのオプショナルツアーやホーム・ステイなどもあり結構楽しく過ごしていた。 新しい土地にも、文化にもだんだん慣れて来るに従って、私も、K先生から伺っていた、ラ・シェナガという画廊街に足を運んだり、ダウンタウンに行ったり探索の範囲を広げていった。しかし、なんと言っても、ロスは車なしではお手上げだ。そこは、幅広いフリーウエーが縦横に走っている車天国。砂漠の中まで広く広く広がっただだっ広い街だった。自然を、日本の美しさを忘れかけた我々に、優しく語りかけるみきちゃんの俳句日記「奥の細道」寒肥を与え収穫やくそくし。木の葉掻き有機栽培本格に。挨拶に手を振り合いて初仕事。初仕事祝うがごとき陽の光。by みきちゃん自然と共に、自然の懐に抱かれて生きるとき、人間は本当に平安に幸せに生きられるんですね。みきちゃんの俳句日記覗いて見て頂けたら嬉しいです。ありがとう御座います。
2009.01.04
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カンナ posted by (C)kazuhime南国の日の光をそのまま形と色にしたようなカンナ「子どもの目が輝くとき」シリーズは、フリーページに随時掲載中。前後の関係の分からない方は、フリーページへどうぞ。 教育は、まず技術ではなく、教師のあり方だと言う考えの元に、教育とかかわっている私にとって、自分のあり方を明確に示すことは大切なことだと思う。一見、教育とは、直接関係無いように思われる部分もあるが、常に成長している子ども相手、そうした子どもたちと一緒に成長していくとき、真の教育、教え合い、育て合う、は実現する。14.行動開始 その年の暮れ、私は、夢から覚めたように、行動を開始した。ちょうど、絵を描き始めたときにスケッチブックと鉛筆を買ったように、アメリカに行くのなら、まず、英会話と言う単純さで、またも行動は開始された。 英会話の雑誌やラジオテキストなどを買った。そして、もう、すっかり使うこともなくなっていた英語の誇りを払ってみた。別に、どうやってアメリカに行くのかとか、そんな手立ては皆目ない出発だった。 昔、中学や高校で英語を習ったとき、外国は、まさに夢の彼方にあり、外国映画を見ても外国文学を読み漁っても、イギリスとかアメリカは遠い夢の国だった。でも、当時は、それが夢の国であればあるほど、英語と言う外国語に惹かれて一生懸命に勉強したものだった。そんな、大好きだった夢の国の「英語」と言う勉強も、現実のアメリカと言う国の言葉として向かい合ったとき、私は、なんだか恐れのようなものを感じてしまった。 不安を感じながら、パラパラとページをめくった雑誌の片隅に、「アメリカ短期留学生募集」と言う広告を見つけた。期日は、小学校の夏休みとほぼ一致していた。費用も、6週間の滞在費と往復の旅費が含まれていて、個人で行くより格安だった。滞在場所は、ロスアンゼルスだったが、とにかくそこはアメリカだ。アメリカに行きさえしたら、そこからニューヨークへの道は開かれるだろう。 私は、下宿の近くに見つけた英会話のクラスに出たり、アメリカの作家の絵について知識を得たりそんなことに時間を費やしながら、突然、日本国内の旅をしたくなった。 春休みに、私は、宿の予約も何もしないでふらりと一週間の旅に出た。その時、私は、新しい世界への模索を始めたとは言え、教師として失格しようとしていたのだから、気分的にもかなり参っていた。 ある朝、京都行きの新幹線に飛び乗った。持ってきた国鉄の時刻表を睨みながら何処へ行こうかと考えた。京都見物という気分ではなかった。京都は素通りして、京都から舞鶴に行き、そこから山陰の旅をすることにした。 私は、何時も慎重で計画的だった。初めから物事がはっきり分かっていないと嫌だった。不安だった。どうなるか分からない未来をきっちりとした計画で先取りして、安心したかった。 でも、それは幻想だと言うことに気付き始めていた。計画を立てて未来に期待することは少しも悪いことでないし、「備えあれば憂いなし。」むしろ大切だけれど・・・。どんなに計画して期待しても、未来を先取りすることは誰にも決して出来ない事なのだと実感し始めていた。 私は、始めてこんな気侭な旅をした。出会う人々は、おおらかで親切だった。きっと私も、おおらかな気持ちになっていたのだろう。 反対方向に山陰を回ってる男の子達と出会うと、「え、今夜は城崎に泊まるの? 宿の予約は大丈夫ですか? 夕べ、俺たち、宿が取れなくて、終列車でここまで来てやっと見つけたんだよ。予約無しで、女性の一人旅、いい度胸だね。」なんて言われながらすれ違う。不思議に、宿が取れないかもしれないと言う不安は何処にもなかった。そんなことを聞きながら、初めて飛び込んだ旅館に何時も宿が取れた。気に入った所にでは、二泊する事もあった。景色に見とれて宿に夕方遅く帰ったりすると、宿の人がみんな心配してくれていた。女の子の一人旅と言うことで、随分気を使ってくれていたようだった。とても、感激し、感謝した。 見知らぬ人と出会い、しばしの時を分かち合い、そして、別れ、それぞれにお互いの旅を、生活を続ける。人生ってこんなものかも知れない。違いがあるとしたら、旅には帰るところがある。でも、人生は帰るところが無い旅。だからこそ、何時訪れるか分からない自分の死と向かい合った時、「しっかり旅してきた。これで良かった。」と思いたい。 「だから私は、思い切り、力いっぱい。自分の人生を生きてみたい。」と言う思いを強くしていた。自然を、日本の美しさを忘れかけた我々に、優しく語りかけるみきちゃんの俳句日記「奥の細道」挨拶に手を振り合いて初仕事。初仕事祝うがごとき陽の光。初御空かすめて行けり二羽の鳥。老いてなを生きる幸せ今朝の春。真向かいに冨士の高嶺や初茜。初詣で遠光院の坂のぼる。by みきちゃん日本時間元旦の朝電話したが、中々出なかった。やっと出たと思ったら、「今、○○(孫娘)に着物着せてるところだから。」と言って、切られてしまった。元気のいい声だったので、安心した。今年の春には、孫娘、秋には、孫息子の結婚式がある。華やいだ、おめでたい年の始まりだ!!自然と共に、自然の懐に抱かれて生きるとき、人間は本当に平安に幸せに生きられるんですね。みきちゃんの俳句日記覗いて見て頂けたら嬉しいです。ありがとう御座います。
2009.01.03
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ベゴニア posted by (C)kazuhimeサンタバーバラのレストランの出窓を飾っていた愛らしいベゴニア。13.夢から現実へ それからしばらくたった、初夏の暑い土曜日の午後。K先生と私は、銀座行きのバスに乗っていた。日比谷公園の辺りまで来ると、地下鉄工事かなんかで、道路には厚い鉄板が敷き詰められていて、バスは、ガタガタ煩い音を立ててノロノロ進んでいた。むっとするような熱さが、開け放されたバスの窓から容赦なく入ってくる。 バスのドアから見える景色は、夏の始まりの太陽でなんだか白っぽく、ひどい騒音が、ますます暑さを募らせていた。鉄板のはねる音、アクセルをふかす音、引っ切り無しに鳴り続けるイライラした警笛の音。 バスの中は、太陽と、騒音と、ノロノロのスピードが作り出す熱を溜め込んで、凄い暑さだった。人々は影になったように黙って座っていた。バスの中の熱気にあらゆる音が食い尽くされてしまったような不思議な静けさに、ふっと、私は非現実の隙間に落ちていくような感じがした。 すると、突然、熱に浮かされたような、ちょっと気違いじみた声が響いた。「ニューヨークに行こう。」次の瞬間、「そう、私は、ニューヨークに行くんだ。」と言う答えが、頭の中を鉄板がはじける鋭い音と共に駆け抜けて行った。正気の私まで、「もう、決まった。」と思っていた。 やっと銀座に着いてからも、私は、何だかポーッとしていた。 それからしばらくも、得体の知れない、ポーッとした日々が過ぎていった。時折、騒音と静けさを伴って、「ニューヨークにいこう。」「そう、私は、ニューヨークに行くんだ。」と言う声が頭の中でガンガン響いた。電光掲示板のようにチカチカ現れては消え、消えては現れた。非現実的で、ばかばかしいと思いながら、どうしてか、やはり、「それは、確かなことだ。もう決まりだ。」と思っている自分にぶつかるのだった。 夏の暑さは、私を益々現実と非現実の世界の境に追いやって、わたしは、混乱したぼんやりした夏を過ごしていた。現実的であろうとする私を、非現実の世界に誘い、ああ、ここは非現実の世界だと私が思うと、現実の世界に誘う。こんな悪戯をするのは、一体何者なのか・・・。 それは、答えのない国からの使者だった。 彼、または彼女は、それまで、必ず答えのある世界で、答えを追い、答え道理に生きてきた私を、とことん混乱に追いやった。 でも、好奇心につられて、迷いながらも、混乱しながらも、謎と混乱に満ちた世界に足を踏み入れたようだった。 秋になり、色づいた葉も落ち始め、秋も深まる頃には、それまで、単純な数式によって、すっかり答えを出していた人生が、実は、誰にとっても未知でむしろ謎に包まれているのが当たり前じゃないかと思うようになっていた。 「実際、人生は冒険以外の何ものでもないんだ!」と言う声が幅を利かせ始めてきた。すると、ニューヨークに行こうという思いだって、夢である筈がない。自然を、日本の美しさを忘れかけた我々に、優しく語りかけるみきちゃんの俳句日記「奥の細道」初御空かすめて行けり二羽の鳥。老いてなを生きる幸せ今朝の春。真向かいに冨士の高嶺や初茜。初詣で遠光院の坂のぼる。晴着きる孫の背何時か大人びて陽だまりの寒水仙の花ひそか。by みきちゃん日本時間元旦の朝電話したが、中々出なかった。やっと出たと思ったら、「今、○○(孫娘)に着物着せてるところだから。」と言って、切られてしまった。元気のいい声だったので、安心した。今年の春には、孫娘、秋には、孫息子の結婚式がある。華やいだ、おめでたい年の始まりだ!!自然と共に、自然の懐に抱かれて生きるとき、人間は本当に平安に幸せに生きられるんですね。みきちゃんの俳句日記覗いて見て頂けたら嬉しいです。ありがとう御座います。
2009.01.02
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夕暮れ時うっすらと月が見えてきた昨日の月より細い?今日の月1 posted by (C)kazuhime月2 posted by (C)kazuhimeああ昨日の月のほうがこんなに細かった今日の月2 posted by (C)kazuhime暗さを増して月が輝きだすとこんなにはっきりそれが分かった月と金星 posted by (C)kazuhime今夜は月と金星がだいぶ近づいてきた三者会談をして楽しませてくれた木星は今頃何処を彷徨っているのか・・・子どもの目が輝くとき12.出会いと出合い それが、K先生との出会いだった。K先生は、図工の専科の先生であると同時に、日本の若手前衛芸術家としても活躍なさっておられると言う事だった。入学式が終わってしばらくすると、銀座の画廊でK先生の個展のオープニングが開かれ、私も他の先生方と一緒に押し掛けた。 それが、私とコンテンポラリー・アートとの出合いだった。私は、始めてこんな世界のあることを知った。自由で、斬新で、人の心の中に無限に広がる宇宙を垣間見たような気がした。 出会いって、不思議だ。そして、偶然に見えるが、多分それは必然であったのだろう。スケッチブックと上野の美術館から、私は、一挙に前衛芸術の世界に惹かれていたったのだった。 それからというもの、私は、K先生にくっついて、土曜日の午後は、銀座や新宿の前衛的な作品を展示している画廊をくまなく見て歩いた。K先生と私は、黙ってスタスタ、スタスタよく歩いた。疲れると、ちょっと一杯やりながら、芸術談義に花を咲かせた。 そんなある日、私は、自分の人生にとって決定的な、ある物たちと出合った。 それは、K先生と日本や外国の前衛的な作品を見て歩くようになってから、一年くらい経った頃のことだっただろうか・・・。 何時ものように、土曜日の午後、K先生と私は竹橋の近代美術館に足を運んだ。そこでは、「アメリカ近代美術展」というようなかなり大掛かりな展覧会が開催されていた。 それまでにも、幾つかアメリカの作家の作品にも触れてはいたが、これだけの作家と作品を見るのは初めてだった。会場に入ると、お互い口はほとんどきかないで、一つ一つの作品を熱心に見て回った。 色彩、形、空間の取り方から、世界への関わり方、作品の発散するエネルギーの質、そんなものまでが、ひどく目新しく新鮮に見えた。「アメリカと日本て、違う世界だなー。」とつくづく思った。 そんな風に思いながら、次々に作品を見ていき、一つの作品の前に来た。私は突然、頭から心に向かうような、凄い一撃を受けた。それは、他のどんな作品とも違った、未知の世界のような気がした。どう説明していいか・・・。深い静かなグリーンで、荒い下地の上にかすかな凸凹を持ってアメリカの国旗が、キャンバスに塗り込められているように描かれているのだ。それは、物であり概念であり理性であり情熱であり、静かで激しく、普段対立しているのもが、平然と同居しているような、不思議な世界だった。 あまりの驚きに、堪らなくなって、そんな世界から逃れるように後ろを向くと、今度は、心から頭に向かう強い一撃で、度肝を抜かれた。一瞬、親しみがあるが初めてのような、エネルギーが渦巻いているのにひどく平然としているような、不思議な世界に墜落したかと思った。それは、チューブから絞りたての鮮やかな絵の具と、何かで引っかいたような激しいタッチのキャンバスの真ん中に、使い古した当たり前の箒が一本引っ掛かっている、そんな作品だった。 それが、ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズと言う二人の巨匠の作品との出合いだった。 その後しばらく、二つの作品のイメージが頭から離れなかった。それに、K先生は、世界旅行もされていて、ニューヨークの話も度々伺っていたが、そのときから、「どんなにエネルギーの充満した活気あふれる、自由な街だろう!!」とニューヨークは憧れの街となった。
2008.12.30
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欲や、不満や、不安や、恐怖や、心配や、絶望や・・・そんなものたちを一掃すると、心は澄み渡り、ほら、心の声が、叫びが響いてくるよ。闇の中に勇気や、希望や、愛や、生きる力の星々が輝き始めるよ。一番星みーつけた~♪夜の帳 posted by (C)kazuhime子どもの目が輝くとき11.心の声 私は、自分の中で動き始めた美術への関心に、スポットライトを当てた。 とはいえ、中学校の図工の時間以来絵も描いたことがない私が、そして、絵を書いている人も知らず、絵を描いている友達もなく、一体どうやって、何処から何を、どのように始めたらいいのか、皆目見当もつかなかったが・・・。 そうしている間にも、私の、理想の風船玉には引っ切り無しに穴が開けられ、うっかりしていると、修理するのも間に合わないくらいだったので、ぐずぐずしてはいられなかった。身近な、出来ることからやってみることにした。 私は、まず、スケッチブックと2B と4Bの鉛筆を買った。それらを眺めて何日も過ごした。それから、身近にある物の姿を写し始めた。それは思ったより難しく、ものは形だけを現して少しも姿を現してくれなかった。 「難しいものだな。」と思いながら、本郷の下宿からすぐの、上野の美術館に時折足を運んだりしていた。 そこで、これといった強烈な印象を受けた訳ではなかったが、私は、素晴らしい何かがあるかも知れない「明日」を待たずに、先の事など何も見えない、頼りない出発だったが、「今」、私は、自分に出来ることから一歩を踏み出したのだ。 こうして、私は勇敢にも出発したのだが・・・。しかし、とにかく出発さえすれば、恐れずに角を曲がりさえすれば、そこは、未知の世界だ。 全く予期しない何かが起こり、偶然でさえ新しい出会いを用意してくれる。 次の年、私は、一年生の担任になった。 その年から、私たちの小学校にも、図工の専科の先生が新たに赴任してこられることになっていた。 そこで、この新しい図工の先生に一年生の教室の黒板に、一年生を迎える絵を描いていただくことになった。入学式の前日、その先生は五色のチョークを使って、色鮮やかな抽象画を描かれた。 そんな絵は、誰も予想もしていなかったようだった。一年生の女の子と男の子が桜の花の散る運動場で仲良く手を繋いでいるところとか、可愛い花や動物など、いかにも一年生らしいと思われている絵を期待していたようだった。「K先生。まあ、さすがは、図工の専門の先生ですね。素晴らしいですね。」と、その先生の前ではそう言いながら、その先生がいらっしゃらないところでは、「いくらなんでも、一年生を迎える絵に、ああいうのはねー。もっと、こう、可愛い絵を描いてくださると思っていたのに・・・。」と言うのが先生方の一般的な意見のようだった。 私は、その抽象画は、凄く綺麗だと思った。フレッシュで、生き生きしていて、一年生を迎えるのにとてもよい絵だと思っていた。子供達も、「わー、きれい。」と、感嘆の声を上げていた。 その先生も、一年生を迎える絵として、どんなのが期待されているか知っていらしたと思うけど、このような抽象画を描かれたのだろうと思った。私は、モダンアートの何であるかなど全然知らなかったが、この先生とは、気が合うかもしれないなと思い、一縷の希望の光が見えたような気がした。御礼1000000アクセス1000001 2008-12-30 09:48:24 ***.charter.com1000000 2008-12-30 09:48:15 ***.wideopenwest.com999999 2008-12-30 09:48:14 ***.comcast.net 「虹色のパレット」が1000000アクセスを突破!! あなたのホームページのアクセスカウンターが、 1000000アクセスを超えました。 つぎはアクセスを超えたときにお知らせします。ン? 今後とも引き続き楽天ブログでお楽しみください。 総アクセス数:1000008 アクセス(平均 776 アクセス/日)開設日数:1288日(開設日:2005/06/21)日記記入率:68.6%有り難うございました。今後とも宜しくお願いいたします。
2008.12.29
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燃える夕焼け5 posted by (C)kazuhime二年間中断していた「子どもの目が輝くとき」今日から再開。教育にご興味がおありの新たにご来場の方は、フリーページ「子どもの目が輝くとき」を是非初めから読んで頂きたいと思います。フリーページ2006年12月更新の「10.たった一度の人生だから」の続き。今、自分が何かしなければ何も変わらない。「今・ここで・新しく」自分が行動しなければ、何も変わらない。発展していかない。 遅すぎるという事はあるのだろうか。人生においてある決断を下すのに、一番良い時期とはいったい何時なのだろうか。昨日では早過ぎたのだろう。だから、私は、諦めたのだろう。そして、明日では、もっと遅くなるだけだ。「ああ、あの時こうすれば良かった。」と思ったときのやり場のない、行き場のない不安。焦燥。後悔の念。「動いて良かった。」「やって良かった。」と思った時の、晴れやかな今を満たす喜び。 今、ここで、新しく発見した自分を育てて行くために、今、ここで、新しく行動していく。悔いの無い人生を自発的に生きる為には、こうする事より他に方法があるだろうか。 私は、過去のある時に引き返すのでも、昔、自分がしたいと思ったけど出来なかったことをやろうとしているのでもなく、今、私がやりたい、やってみたいと思うことを、今、ここで、新しく始めるのだ。 そして、何時だって、決心するのは簡単だ。今日、決心して、そして、明日から始めればよいことだ。しかし、私は、もうそんな回転木馬に乗って、決して来ない明日を待ち続けたりはしなかった。「たった一度の人生だから、力いっぱい、自分の思うとおりに生きてみよう。」私は、そのときすでに出発していた。(12・28・08更新)自然を、日本の美しさを忘れかけた我々に、優しく語りかけるみきちゃんの俳句日記「奥の細道」一時を猫と過ごして日向ぼこ。日向ぼこ語り尽きない戦中派。残り葉をすべて飛ばして空つ風。廃校の砂巻き上げる八つ颪。by みきちゃん自然と共に、自然の懐に抱かれて生きるとき、人間は本当に平安に幸せに生きられるんですね。みきちゃんの俳句日記覗いて見て頂けたら嬉しいです。ありがとう御座います。
2008.12.28
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金曜日の夜は、トゥリップルでとてもうれしいことがあった。夕方、お友達が運転してくれて、雨の中を、マンハッタンで今開催中のグループ展会場に行った。今日は、グループ展のオープニング・レセプション。うれしい第一弾。レセプション風景ごった返す会場で、まだ、様子も分からずきょろきょろしていると、「先生」と声をかけられた。見ると、その子が6才からこの6月まで10年間日本語を教えた子とお母さんだった。今日のレセプションに来て下さるとはおっしゃっていたが・・・。お貸ししていたのを私もすっかり忘れていた、教材やら本やらを持って来て下さった。私も、プレゼントと10年間の簡単な証書をあげた。そして、素敵な胡蝶蘭の鉢植えとカードを展覧会のお祝いに下さった。胡蝶蘭の手入れの仕方何方か教えて下さいますか?蘭は初めてです。そして、何よりうれしかったのは、このお手紙だった。こういうのを貰うと、本当に教師冥利に尽きる。ありがとう。ありがとう。うれしい第二弾!六歳で始めた時、お母さんは、「幼稚園に行くまでは、家では日本語だったんですが、幼稚園に行き始めてから、すっかり英語になってしまい、あわてているんです。それに、10分も座って勉強できないのに、一時間も大丈夫でしょうか。」と、おっしゃられた。が、初めての授業一時間は楽しく過ぎて行った。「わー、さすがプロですね!!」お母さんは、感激していた。それから、途中現地校のことで忙しくて、ちょっと休んだりしたこともあったが、夏休みはお休みで、とにかく週1時間、年間10か月、10年弱続けた。日本の教科書は使ったが、学年にはとらわれず、その子の理解度に合わせて進めた。続けさせてくれたご両親、続けたその子に、心より拍手。そして、感謝。お友達の大学院に行っている息子さんも来てくれ、ジャズライブバンド付き、作品の人気投票などもあったエキサイティングなオープニングも終わり、お友達は、教材やお花なども積んで、また、運転して家まで送り届けて下さった。息子さんのためにサンドイッチを作って来るほどの優しいお母さん。でも、息子さんは、食べ物は充分だからと食べなかったから、車の中で、二人で食べようと半分にして、サンドイッチを頬張った。結構ボリュームのあるサンドイッチで、もう、二人とも夕食はこれで充分という気分に。最後に、私がお礼をいうと、そのお友達は、沢山お話もできて、とても楽しかったと言って下さった。うれしい第三弾!!このお友達のお陰で、「神との対話」に出会い、1巻と2巻が手に入った。そのうちに、3巻もみつけてあげるわよと言ってくれている。今では、座右の書になっている。いや、うれしい第四弾だ!!素晴らしい夜をありがとう!!
2008.09.12
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昨日、所用があってNYCのハーレムを歩いていると、小さな女の子が泣きながら目の前を駆けていった。そのすぐ後から母親らしい女の人が追いかけて行き、ブラウンストーンの家の階段のところで、女の子に追いついた。すごい剣幕でお尻を叩き始めた。女の子は、さらに大声で泣き始めた。体当たりで子育てしているお母さん、されている子ども。こんな姿、長いことお目にかかったことがない。何だか感動さえ覚えて・・・。その泣き声を聞きながら、たんこぶをつくった雲の子どもの泣き顔を思い出した。何だかとても清々しい気分がした。その痛さを、悔しさを、悲しさをこうして思いっきり泣いて発露する。そして、感情は発露することによって練れて行く。ここに七転び八起きの精神が培われる。発露のない感情、抑圧された感情は、いつまで経っても成長しない。今では、転ばぬ先の杖を、それも高級なブランド品の杖を子どもに与える。子どもは子どもらしく、喜んでちゃんばらなど始めるものだ。すると、「一生懸命働いて買ってやった、この高い杖をそんな事に使うとはけしからん。転ばぬ先の杖は、こうして突くものだ!!お前の将来の為だ!」と、転ばぬ先の杖の付き方を教える。転ばなければ、起き方がわからない。責任の取り方がわからない。ちょっとした躓きで、極端に走り、とことんまで行ってしまう。しかし、人生には躓きや転びは付き物。七転び八起きしながら、自分を相手を家族を社会を世界を知っていく。そして、責任の取れる強く優しい大人に育っていく。そのための肉体を与えられての生。勇気も自信もない不安の塊の大人が、不安解消という幻想のために与える転ばぬ先の杖。気を使い合って、物分りがよそそうな親子関係。表面だけが穏やかな人間関係。深い心の傷。七転び八起きを見守る、勇気と自信と愛のある大人の、愛のむちは何処へ・・・。頭にはたんこぶ。膝小僧には擦りむき傷。赤チンの三重丸は、心の三重丸。幸は胸のひと隅冷奴。我が一世起伏あれこれ冷奴。by みきちゃん冷奴に寄せるみきちゃんの体当たり人生。起き上がりこぼし人生。だからこそ詠める、清々しい俳句の数々。今夜は、冷奴にしようかなー♪沢山の気付きに感謝自然を、日本の美しさを忘れかけた我々に、優しく語りかけるみきちゃんの俳句日記「奥の細道」幸は胸のひと隅冷奴。友偲ぶフランス香水洋箪笥炎昼や佛舎利塔の影わずか。葉隠れに姫水蓮の彩を見るby みきちゃん自然と共に、自然の懐に抱かれて生きるとき、人間は本当に平安に幸せに生きられるんですね。みきちゃんの俳句日記覗いて見て頂けたら嬉しいです。ありがとう御座います。
2008.08.13
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この美しさに心震えてありがとう。今日も力いっぱい子ども達もカズ姫も虹色の笑顔やってきた。褒められて、受け入れられて、抱き締められて、悪くなる子はいない。素晴らしい子ども達よ。ありがとう。第二回目の句会では沢山の感動と学びがあった。 ありがとう。ああ今日のこの”春風は銀河の彼方で生まれけり”そんなはるかな命を感ずる春風。本物の春風。ありがとう。
2008.04.20
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虹色の笑顔^o^わがクラスのシンボルマーク!!今日から、補習校が始まった。教育の全力投球は、気分がいい。全ては、子どもに還るから。自然を、日本の美しさを忘れかけた我々に、優しく語りかけるみきちゃんの俳句日記「奥の細道」菜の花を摘みて朝餉の膳に添え。うつむきて咲く菜の花や雨のなか。あけび咲きはや実る日の夢を見し。by みきちゃん自然と共に、自然の懐に抱かれて生きるとき、人間は本当に平安に幸せに生きられるんですね。みきちゃんの俳句日記覗いて見て頂けたら嬉しいです。ありがとう御座います。
2008.04.12
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347.頑張れ若者達♪- 己の信ずる道を!でご紹介した若者達。確実に成長している。まず、バイオリンのアラーター君。昨年オフ会のあった12月にお宅に泊めて頂いた時、演奏を聞かせて頂いた。音に深みが出て、流れるように暖かい。心に染み入る音色。ご自身が作曲した曲もあり、それもとても良かった。素晴らしいリズム感。一昨年より、はるかに成長しているのを感じた。CDを頂いたので、もう一枚はD子さんにと買わせて頂いた。その後、D子さん宅にお伺いした時、残念ながら、今回は、お会いして生演奏を聞かせていただけなかったが、ピアノをしているD子さんのお嬢さんの演奏会のCDを頂いた。甲府に帰って、両CDを聞かせて頂き、WOW!!どちらも素晴らしい!!「この人たちうまいよ。ここまで来るには大変だっただろうに。才能がないと出来ない事だ!」と、みきちゃんも感動しながら聞いていた。NJに帰ってから、娘と聞いた。娘も、いたく感動していた。そして、二歳からバレエをしている娘。古巣に帰って、以前通っていたNYのスタジオの先生方も、ずいぶん良くなったと褒めて下さったと言う。とても親しくして頂いた、NYのバレエスクールの先生は、私にも電話してくれ、良くなったと喜んで下さった。私も、一回見に行った。プロとしての第一歩を踏み出した事を感じながら、長い年月を思い返していた。それぞれに、目標に向かって精進している若者達に声援を送るのは気持がいい。心ゆくまで、思いっきり、燃え続けてね!!そして、自分自身へも声援!!燃え続けるぞー!!夕べ、まだ四葉とかあるのかなとクローバーが生えてる鉢を見て驚き。もう一本、三つ葉、四葉、五つ葉のクローバーが見つかった。今朝、娘がカリフォルニアに帰る前に、「見て、見て!また、こんなの見つけたけど・・・。」「へー。珍しいね。これって、そういうのが出る株じゃない?」そうかもしれない・・・。一本は私が、もう一本は娘がもって行くことにした。モンシロチョウも来てくれる、こんな不思議なクローバーが出る草も生えてくれる。さっき見たら、四葉はまだ二つあった。
2008.01.22
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緊急のバトンです。横浜市の12歳の男の子が行方不明だそうです。!みなさんの力をお貸し下さい! 〓『◆捜索願いです◆』〓12歳の男の子が、12月6日(木)から行方不明です…このお子さんは、1月8日に無事保護されました。本当に良かったですね。有難う御座いました。
2007.12.25
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人生、好きと ついでに、セント・バーソロミュー教会での聖歌隊の写真の前のページを見ると、ドンキホーテの公演写真。この写真は、公演の後、先生と一緒にポーズしたものだが。まだ10才、ポイントシューズもはいていない。この先生は、元ボリショイ・バレー、NYCバレーのプリンシパル。バジル役は彼。キトリは、元妻の同じく元ボリショイ・バレー、NYCバレーのプリンシパル。流石、息も合い、ピシッと決まってかっこ良かったが。それと教師としての質は全く違うけどね・・・。聖歌隊のパフォーマンスが6月1日。ドンキホーテは5月31日。そうだった。公演日が重ならなかったのはラッキーだったが、リハーサルのスケジュールは度々重なり、分刻み秒刻みの生活だった。お友達の楽しい誕生日パーティーと重なっても、「○ちゃんは、バレエ休まないけど、その後で、ちょっとだけでもパーティー行けるかな。」彼女の中で、バレエ大好き、最優先。「色々やらせてるのね。」なんてよく言われたが。親がやらせてたわけじゃない。何でも本人が好きでやっていたのだ。我ら親子のの喧嘩。母:「もういい加減で、どれかやめたら!!」娘:「やだ。やる。」涙ぽろぽろ。楽しく充実していたが、今思うと、よくやったなー!!。親も子も。もう子育てはしたくない。本音。笑顔と ドンキホーテの後、メークはまだ落としてないが、レオタードに着替えて。カメラを向けると、すかさず舞台スマイル。子ども達にとって舞台でのスマイルは本当に難しいようだ。我が子は、如何した訳か、いつでもどこでも、このスマイルが出る。そして、次の瞬間。何を思ったのか・・・。これです。・・・・・ったくー。お笑いで おかめひょっとひとり二役、立派にこなして。口をちょっと曲げれば、もう言う事なし!!ひょっとこ顔負け。ひょっとこ天使~♪人生は余興。気楽にいこう。あくびかみ殺し、笑いこらえて真面目ぶっても始まらない。そうそう、簡単なことだ。退屈だったらあくびよし、いねむりよし。おかしかったらお笑いよし。いねむり姫の館も模様替え。益々いねむりが出そう?!心のお洗濯 - 眩い夕陽とともし火自然を、日本の美しさを忘れかけた我々に、優しく語りかけるみきちゃんの俳句日記「奥の細道」草原の風は色無く赤蜻蛉。立ち話し帽子に止まる鬼やんま。大根蒔き終り夕映え薄れゆき。by みきちゃん 喜びを持って蒔かれし秋大根 秋の日を受けて青々大根葉Photo アンド 下手な俳句 by カズ姫カズ姫の大根は、つまみな大根といって、いつでも蒔けて葉っぱを食べるもの。大根がとれるわけではない。自然と共に、自然の懐に抱かれて生きるとき、人間は本当に平安に幸せに生きられるんですね。みきちゃんの俳句日記覗いて見て頂けたら嬉しいです。ありがとう御座います。
2007.09.20
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飛(と)べ!光の中をたとえ黒い雲に遮(さえぎ)られても日は何時(いつ)も輝(かがや)いている世界は希望(きぼう)の光に満(み)ちている この世は光と闇(やみ)の鬩(せめ)ぎ合い輝け!闇を通(とお)して照(て)らせ!世界をバラ色に全世界の子ども達の健やかな成長と幸せを願って自然を、日本の美しさを忘れかけた我々に、優しく語りかけるみきちゃんの俳句日記「奥の細道」検診も事無く済みて梅雨晴れ間。草刈の音の遠近朝の月。迷い来て葉陰に消えし梅雨の蝶。by みきちゃん 明け方に ふわりと優し 夏の月 by カズ姫 (;-_-) 自然と共に、自然の懐に抱かれて生きるとき、人間は本当に平安に幸せに生きられるんですね。みきちゃんの俳句日記覗いて見て頂けたら嬉しいです。ありがとう御座います。
2007.07.07
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12月19日の早朝(午前4時ごろ)娘が帰って来ました。以来、ダンスのレッスン、アルバイト、高校の友達、バレエ友達とデートの梯子に忙しい日々。ゆっくりする暇もありませんでした。昨日クリスマス。午前4時起きして、人をエアポートまで送って行きました。疲れも溜まっているだろうと、自分で起きるまで寝かせておきました。12時過ぎてからお目覚めでした。「サンタさん来たみたいだよ。」と母。小さなクリスマスツリーの下には、なにやらプレゼントが・・・。母には何と、SONYのフラットスクリーンモニターが!!娘サンタからでした。「お母さんコンピューターで何時も字が良く読めないって言ってたから。」私のパソコンはいつもお下がり、普通のモニターで字はぼんやりした感じで、小さい字は読めませんでした。この間も、字もう少し大きくならないの?なんて言ったばかりでした。壊れてもいないものを交換するという発想は慎ましい主婦にはありませんでした。すぐに新しいモニターに換えてくれました。何と、ばっちり。全てが良く見えます。母が喜んでいる様子を見て、「お母さんのプレゼントって難しいんだよね。喜んでもらえて、ほんと良かった!!!」と娘サンタ。(プロフィールの欲しい物という所を読んでいただければ、娘の苦悩も頷ける筈。)「高かったんじゃない?」ちょっと、躊躇してから、「これは、インターネットで募集し、ほんとは$2~300するんだけど、$50で買えた。」慎ましい母は、輪をかけてお喜びです。「お母さんに内緒でこれをするのは難しかった。」私が、喜んでパチパチやっている間に、娘はまた眠むってしまったようです。「ええ、ええ、そうでしょう。ゆっくりしてね。」母は、いそいそとマッフィンを焼いたり、夕食の支度したり。程よい頃に起きてきました。暗くなり始めています。「ローソクに灯つけて。」と最近ローソクにはまっている私。 シャンペンを抜いて、お祈りをして、乾杯。口当たりのいい美味しいシャンペン、ターキーステーキとスタッフィング、等など。ここまでも良かったんですが、食事を終えてから、まだ、シャンペンも残っていて、二人で空けながら話が始まりました。この話しが最高だったんです。2歳からバレエママの私には。バレエママ、音楽ママ、等など○○ママは、学業との両立、友人関係等どれを取ってみても手探り状態で本当に迷いの連続なのです。この夜、娘は、「お母さん、私はバレエだけじゃなくていろいろな事がとてもよく出来るよ。友達もすぐ出来るし、沢山いるし、お金藻、一番少なく貰ってるんだけど一番お金があるんだよ。人からも、30歳位くらいの経験と能力があるって言われるんだよ。いろいろしてくれてありがとう。」「そうだったのー☆^0^。」シャンペンでポーっとなった頭には、なにやら心地よく、お互い口も軽くなり、駈け抜けてきた日々のそれぞれの思いを語り合いました。「お金がいくらあるかってことより、どうマネッジするか、それが大事。」「そうそう、いろいろ教えてくれてありがとう。」「子育って難しいかったよ。迷いの連続。だって、こうすれば良いっていうことは、その時は全く分からないんだから・・・。でも、こんな風に、全てを真っ直ぐに受け取ってもらえて本当に嬉しい。ありがとう。」揺れるローソクに時に目をやり・・・。「このローソク綺麗に燃えてるね。」(写真手前左の、娘サンタからのプレゼントの小さいローソクを見ながら)「ローソクって、意外と垂れたり、真ん中だけしか燃えなかったり、こんなに綺麗に燃えるのってないよね。」「こんな風に、自分の人生も燃やしたいね。」明日はどうなるか分からないバレエ界、でも、「たとえ、それが自分にとって今悪いことのように見えても、全ては、自分にとって、一番良くなるために起こっている事、今を一生懸命生きていればいいんじゃない。それしかできないものね。」「そうだよ、今までのこと、みんなそうだったもの。」そろそろ、お話しも下火になった頃、下にお皿を敷いたのは、こんなに細いローソクだから垂れて下が汚れると思ったからでしたが、一滴も垂れず、一滴も残さず、綺麗に燃焼しつくしました。「無駄なく、周りを汚さず、静かに光を放って、周りを照らし・・・、ほんとこんな生き方したいね。」お互い、悩み多く、困難な道を歩んでいるけれど、蝋燭に寄せて、無言の内にお互いの思いを了解し合いました。「最高のクリスマスだったね。」「うん、最高。本当によかった。」お互い何回、ありがとうを言い合ったことか。はるかに母を超えている我が子よ、ありがとうをありがとう。この夜の会話、かけ抜けてきた子育て、いつか一冊の本にしたい
2006.12.26
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464.紙縒りの様な千羽鶴 - PEACE PROJECT 1465.なかよし - PEACE PROJECT 2466.平和のはと - PEACE PROJECT 34,5,6年生の平和の願いメッセージ 広島、長崎について子ども達は勿論、大人にも余り知られていないようです。興味も持たれていません。私は押し付けにならないようにチャンスがあると原爆が命にとってどんなに破壊的な武器であるかさらりと話すようにしています。ある国から来た大学生は広島って日本にあったの?と驚いていました。潔く散る。水に流す。喉もと過ぎれば・・・。日本国内でさえ、非核三原則がぐらついて来たと聞いています。一体誰が、核の恐怖を、残虐さを、その被害の持続性を伝えていくのでしょう!!!それぞれの国がエゴ丸出し。6カ国協議は難航しているし・・・核保有国は増える一方 5,6年生有志が書いてくれた、ポスターです。子どもの字って、本当にいい字ですね。何処まで伝わったか・・・それは分かりません。それを考えたら、何も出来ません。したくなくなります。自然は無数の種を飛ばし、無数の卵を産卵しますが大地に根付くのは、孵化して成長するのは、ほんの少し。自然界の厳しさを計算に入れているのでしょう。でも、根付いた一本が、また沢山の種を飛ばして・・・・成長した生き物がまた卵を産み・・・・芽を出さなかった種でさえ、生存できなかった卵でさえ、きっとどこかで自然の役に立っているのでしょう。平和の種の多くが芽を出さないからと、諦めたら平和は死滅するでしょう。教育は希望です。希望がなかったら教育は不毛です。教育改革、それは、一人一人が希望を持つ事から始まる
2006.12.23
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464.紙縒りの様な千羽鶴 - PEACE PROJECT 1465.なかよし - PEACE PROJECT 2三年生は平和のはと「平和」子ども達は難なくこの異国の言葉を受け入れて白いはとが虹色に変えられて子ども達は平和をはとに託す 大人はこの願いを真摯に受け取って平和な世界を創らなければ・・・でも・・・ときどき虚しくなる大きい世界の中で小さい自分がしている事が・・・そしていつも思い出す一粒の砂一滴の水そして一人の人それが世界のエレメントだってこと自分を信じて
2006.12.22
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464.紙縒りの様な千羽鶴 - PEACE PROJECT 1なかよし - 子どもたちの健全な日常子ども達はみんな元気だ入れ物に収まりきらないエネルギーに溢れている雨だれのように絶え間なく飛び跳ね小鳥のさえずりよりやかましく喋り捲る嵐のような激情に駆られて叫び走り回りときに激しい喧嘩次の瞬間何事もなかったようにからりと晴れ渡るそしてなかよし 一、二年生のテーマは「なかよし」平和はここから出発奴さんがはかまに変身みんなの目はまん丸Cool!!ざわめきときめききらきらきらめく瞳瞳白い奴さんは自分に変身みんななかよしGOOD FRIEND (なかよし)広島、長崎資料”Sadako and Thousand Paper Cranes”ブログ仲間のzaiyasu82さんから、HIROSIMA PEACE SITE (広島平和サイト)をご紹介して頂きました。英語サイトもありとてもよい資料になりました。それから、みくまの筍医者さんからは、ご自分で撮られた平和公園の写真を頂きました。本当にありがとう御座いました。小さな力が寄り集まって
2006.12.20
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アフター・スクール・プログラム の子ども達と千羽鶴を折っている。ブルーカラー地域の学校。親は仕事で忙しく、子どもは原石のように元気。時に元気すぎるほどの子ども達。大声で喋る。時所構わず走る。人の話など聞かない。注意すると、あの子が悪い自分のことは棚に上げる。私に、教育の重要性を教えてくれた子ども達。私は、簡単な日本語と折り紙を教えている。初めての日本語、初めての折り紙。次の日、すれ違い際に「ミス・カズ姫、コンニチワ。」「ありがとう。」こんな言葉がとび出して、私を喜ばせてくれた。ある日私のグループの一人が、”Sadako and Thousand Paper Cranes"という本を持って来た。「この本大好きだけど、最後は”She never woke up"って書いてあるんだよ。悲しいお話。サダコは死んじゃうんだよ。涙が出て来ちゃった。」「この本借りていい。」「いいよ。」次の日、「読んじゃった?」「ええ。読んだよ。」「最後、泣いた?」「うん・・・。」「悲しいよね。」「本当に悲しい。ねえ、千羽鶴折ろうか。」「折りたいけど、折り方知らない。」「教えてあげるよ。ちょっと難しいところも有るけど、やってみる?」「イエーイ!!。」子ども達に広島長崎の悲劇を伝えた。「戦いは嫌だね。世界の平和を願って、折ろうね。」9月下旬に子ども達の自発的な発想から”PEAGE PROJECT"は始まった。正規のクラスでは、簡単なものから教えている。それでも、自分では中々出来ない。まだ折り鶴は難しいかなと思ったけど、有志に宿題が終わった後のちょっとした時間とかに折り方を教えた。不器用な、慣れない手つきで。ぶくぶく、くちゃくちゃ。でも、願いが込められているから失敗しても捨てない。もう一度開いて皺を伸ばしてやり直し。使い捨てが日常の子ども達に、物を大切にすることも教える。最近は、「折紙ちょうだい。」と、紙を貰いに来て自分で折る子も増えた。今日、プログラムの”ショウ・ケース”(展示発表会)。471羽を展示した。今日、も+12羽。本日最終、483羽。来年の広島平和式典に送るつもりだ。子ども達は、目を輝かせている。 参加意識を高めるために、書きたい子には名前も書いてもらっている。小さな願いも、集まって大きな力に!!
2006.12.19
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たとえそれが過酷なものでも、変えられないのなら静かに待とう。あるがままを受け入れて。感謝さえして。でも、変えられるものならとことん変えよう。勇気を持って!!★フリーページ、 「子どもの目が輝くとき」1.新米先生(記入完了) 2.ぼく、本当は良い子なんだよ(記入完了) 3.みどり亀(記入完了) 4.教育と言うこと(記入完了) 5.けいこちゃん(記入完了) 6.あこちゃん(記入完了)7. 先生失格(記入完了)8. 見栄え教育(記入完了)9.決め付け教育(記入完了) 10.たった一度の人生だから(12.10.06更新) 今、教育の危機です。国としてこの危機を救う政策が必要な事はいうまでもありませんが、私たち一人一人が真剣に考え、出来ることを行動に移すときです。暗い世を嘆くだけでなく、一人一人が希望を持って将来を担う子ども達と”教教育育”していきましょう。一人一人が自覚し立ち上がらなかったら、未来はないです。世界を創っているのは一人一人だからです。何かのきっかけにでもなればとゆっくりですが更新を再開しました。宜しくお願致します。コメントがありましたら、その日の日記のコメント欄にお願い致します。国に教育の危機を救う気も良識も誠意も無いんですね・・・。教育基本法改定についての一連のニュースには、唖然、がっかり、信じられない、諸々。ここは平和憲法を守っていかないと、歴史を繰り返すことになりますね・・・。過去も未来も今にのみ生きるけ、剣道まで、ま、負けたんですか?!!お家芸という域を出て、いよいよ剣道も、日本の独壇場から、世界の剣道に。と言えばかっこいいですが、一抹の寂しさを禁じえませんね。
2006.12.10
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ちょごりさんからの書き込みを昨日の日記に追加させて頂きました。ご自分のいじめ克服体験記です。ぜひお読みになって下さい。そのため文字オーバーになってしまったので、カズ姫が書いた部分は削除しました。間に書き入れた部分は全く削除してしまいましたが、初めの部分はコピーが残っていたので、それをここに転載しておきます。カズ姫は、今できる事、心から教育の大切さを痛感し、与えられた教育の機会はどれも大切にして、感謝して、未熟ながら教育に情熱を注いでいます。それは、アメリカのアフタースクール・プログラムで直接アメリカの子ども達と関わりを持ったとき、日本人とかアメリカ人とかそういう国や人種を越えて、子どもって凄いなーと感動を新たにしたことから始まりました。でも、いい教育がなされなかったら、子ども達は破壊されてしまうという事も、同時に痛感したのでした。そして、今日は、補習校で中学3年生の数学と公民というのを教える羽目になり、中学生に初めての授業をしてきました。真っ赤にさびた頭の錆を一生懸命に落とし、そして、教えるのですから少しは磨きもかけ、どうにか体裁は整えてきましたが・・・。公民はテストでしたからどうという事は無かったんですが、アメリカ生まれの子どもたちが半数以上を占めている集団には、かなり難しそうでした。英語で書いてもいい?と何人も聞いてきました。そして、立てば見上げるような子ども達ばかり。林の中に一人たたずむ感じでした。でも子ども達は、言ってみれば図体は大きくても可愛いく、そして、ここでもまだまだ教育が必要な年頃である事を痛感しました。そして、今日、文部科学大臣から、いじめに関して一面に家庭、もう一面に生徒向けのいじめはいけないという文書が全校生徒に配られました。奇麗事の文章がなんだか空しく思えました。後は、プライベートでアメリカ人の高校生に電話とネットを使って日本語を教えています。高校でほぼ毎日、日本語クラスがあるんだそうです。テストの時などは往復3時間の道のりを運転し、直接指導したりしてます。素直でとても熱心に学習しています。漢字もかなり読めます。もう一組は、これから日本に仕事で行くというアメリカ人のビジネスマンだったり、家族だったり、どのような場でも、心を込めて教育に当たっています。教育って心を込める事から始まるんですね。また、昨日も貴重なコメントを頂いていますので、そちらもぜひお読みになって下さい。バーソロミューさんのところで見つけました。
2006.12.03
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忙しくて更新もご訪問もコメントも余り出来ないでいる間に、皆様から教育に関して素晴らしいコメントを沢山頂いていました。感謝です。全てをご紹介したいのですが、特に、本日 colle:自由な時間(Leika21)さんからこのような膨大なコメントを頂いたので、ご紹介させて頂きます。今!「親」は何ができているのだろう? scolle:自由な時間(Leika21)さん 今日は漠然と昨今の日本中を取り巻く話題『教育!といじめ』についてこの場を借りて述べさせて頂く事をお許し下さい。・「教育再生会議」の結論に不安が・・・ この会議のメンバーには殆どと言っていいほど 今の学校の本当の現場が見えていない。 健全な学校時代を過ごした優等生の方々に 現在の『教育』の本質を欠いた 進学優先の「予備校」と化した学校においては、 先生にも子供達にも「いじめ」を通して何かを学び育むとか、 「いじめられっ子」と「いじめっ子」の心の中にある本当のSOSの叫びを感じ取ってやるなんていう時間も心の余裕すらないことを。授業が終わると子供達は塾へ・予備校へ飛んで行かねばなりません。授業が終わると先生方には会議がレポートが沢山の雑用が待っています。昔のような『真の教育』に触れるためには、昔のような『真の心触れ合う場』を求めるものは、フリースクールへ・専修学校へ・自宅待機と。自分を守るために普通校から出て行かねばなりません。そこには以外にも普通校と異なり『真の教育の心と時間』が存在します。しかし、その代わりに世間からは「落ちこぼれ」とか「負け犬」と表されてしまいます。「教育再生会議」の中で唯一氏家先生に皆の期待が集まります。しかし、氏家先生がアレだけの活躍ができ、子供達を変えられたのは一つには氏家先生がおられた学校が普通校ではなく、時間をかけて時間をかけて子供達と面と向かって向き合えるだけの時間と生活がある学校だったことも大きな要因です。「真の教育」には時間と心の余裕が必要です。今の学校現場にはそれが無い中で、先生方と子供達にまた理不尽な負担がかかりそうな案と感じてしまいました。追記 1 (11/28) scolle:自由な時間(Leika21)さん ・子供達のSOSの象徴である「いじめ」を単純に『犯罪』と一括りにして表していいのでしょうか?「いじめっ子」と「いじめられっ子」を単純に「加害者」と「被害者」と表していいのでしょうか・・・「教育の現場」で。・今!親は何ができているのでしょうか 「いじめっ子」と「いじめられっ子」の間に毅然とした教師達と親達が存在し、その両者で「いじめ」を通して子供を育んでいけたら、『いじめ』は人間が大きく成長するための大切な糧とも成り得るのですが、今!親達は何をしているのでしょうか。学校の責任を追及するばかりでいいのでしょうか。政治の批判をするばかりでいいのでしょうか。大きく間違ったマスコミ報道に流され、誘導されていていいのでしょうか。35人の子供を見る先生の目よりも一人の我が子を見る親に目の方が、実は確かでなくてはいけないのではないでしょうか。我が子の変化に気づき、先生にその異変を伝えるのは親の責任と役目ではないのでしょうか。35人の生徒を統括する先生に「なんで内の子を死なせたんじゃ!」と自殺した子の親が叫ぶ事は本当に道理なんでしょうか・・・つい感情的に流されてしまいそうですが。その前に「あなたは親として気づいてかなかったんですか、日々子供が苦しんでいた事に」と叫びたいのは私だけなのでしょうか。ご冥福をお祈りする事とこの事はまた異なる気がしまてなりません。(不謹慎をお許し下さい)今朝、学校に行く時の我が子の目は大丈夫だったか夕方、学校から帰宅した時の我が子の目に何か語られてはいなかったか・・・SOSが。追記 2 (11/28) scolle:自由な時間(Leika21)さん 低学年のようにそんなに多くを語らず、家庭から外の社会へ出て行こうとする自立しかけの思春期には特に、そんな風に一瞬一瞬!子供の態度を通して我が子の「語り」を掴もうと必死だった気がする。先生にも何度出勤前に電話をかけ、休憩中にも電話をいれ、我が子の変化を伝えただろう。(勤めていれば尚だった)大人の理由により家庭が崩壊した子供の叫びがいじめに。成績が悪い事を親に責められたストレスからいじめに。単に友達をつくることが苦手な子供がいじめに。一人でいる強さのない子供が皆でつるんでいじめに愛情に飢えた子供達がいじめに。その段階で親にも先生にも気づかれず、救われない子供は、その内野放しとなり、親にも見離され、自暴自棄になり愛情に上、犯罪へと向かう。「いじめ」には色々なパターンと段階がある。それを「いじめ」と一括りにして刑罰に値する「いじめ」と刑罰として片付けてはいけない「いじめ」。あるのではないだとうか?我々大人はそれらを単純に「いじめ」というタイトルで一定の定義なしで、其々が想像する「いじめ」を基本として論じていていいものだろうか。子供達の叫びやまだまだ幼い心を論外にして・・・ お詫び (11/28) scolle:自由な時間(Leika21)さん ”「教育再生会議」のメンバーには殆どと言っていいほど今の学校の本当の現場が見えていない”今日やっと落ち着いてニュースを観、「教育再生会議」の中にも氏家先生・渡辺美樹氏・陰山英男氏等、現場を正しく知る方々からの発言があり、会議は様々な意見が交わされたとの事。先ずはその方々から、現在の異常な学校現場が報告され、多くの方々の耳に入った事に少し安心をしました。(欲を言えば、アウトサイダーで子供と触れながら活躍をするルポライターの藤井氏、いじめを経験された評論家の宮崎氏等も参加されると更に広い視野で議論がなされる事でしょう)(不勉強で、失礼な発言をお詫び致します)*コメンテーターの江川さんが大切な発言をして下さいました(「教育再生会議」の案について)”上からの管理体制がまた強く・細かく規制され現場が何も変わらぬまま、現場での教師達の苦闘が懸念される”というようなご意見でした。現在の日本のマスコミは哲学とポリシーを失い、以前のように政治や社会にイイ影響を与え、世直しの一反を担うという組織では無く、正に庶民感情そのものとなってしまいました。「教育」も宗教や芸術と一緒で”1+1=2というような単純なものではない”という一番大切な部分が忘れ去られた今日のマスコミ報道を私達は日々、”リアリティーの瞳”をもって見届ける必要があると強く感じます。*カズ姫さんに”皆で声をあげましょう!”とのコメントを戴き、私が今できる一つとして各マスコミを通じ、氏家先生等(教育に真の信念をお持ちの方)へ意見を届けて頂きました。「教育再生会議」のメンバーの方々を通じ、我々の意見を代弁して頂いて、少しでも現場の状況が世の中に正しく伝えられる事を願います。 (私が今!できる小さな事・・・まず一歩でした)そして、先日はまやちーさんからもこんな書き込みを頂いています。身近な問題 まやちーさん 忙しいこともあって更新できずにいたのですが・・その間、いじめの問題、学校の問題、親の問題と身近なところ、そう自分の娘の学校でも起きていることが分かりショックを受けました。正確には学校・教師の隠ぺい体質のすごさにかもしれません。いじめ等、うちの学校にもあるとは分かっていましたが・・・教師・学校・国がこんなにも逃げ腰であるのか!と憤りを感じています。娘はいじめの被害者ではありませんが娘のクラスはとんでもないクラスだったのです。「先生はいいことばかりしか言わない。だから先生の言うことを全部信じないで!」娘のこの言葉にも衝撃を受けました。また、日記に載せようと思っていますがまずはカズ姫さんに聞いてもらいたくてカキコさせて頂きました。ちょごりさんからもこのような書き込みを頂きました。ありがとう御座いました。ちょっと長くなります。 ちょごり1122さん
2006.12.02
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雨の日には雨の日の輝きがある 沈んだ日には沈んだ日の輝き見つけよう遅ればせながら・・・・。これは、夏中黄色い花を咲かせていた、バターカップという花の種と紅葉した葉です。もしも、教師の目が輝いていなかったら・・・きっと子どもの目も輝きを失うのだろう。 心理劇と出会い、今を体験し、尊重される事から育ち始めた自発性が、自発性の芽が、今、再び摘み取られようとしている。 心理劇と出会う前の私なら、「仕方が無い、皆そうなんだから。」と初めから諦めて、じっと耐え、自分を殺し、従順で真面目な先生として結構旨くやっていけたかもしれない。そして、内部では相変わらず、不安や焦燥、自己嫌悪や劣等感を深めながら、私は満たされない日々を送っていたに違いない。勿論、そんな私であれば、子ども達とも、瞳と瞳が輝き合うこんなに発展的な、生き生きとした関わりを持つ事は出来なかっただろう。 しかし、いったん芽生えた自発性の芽は、どんな力を持ってしても誰も摘み取る事は出来なかった。何故なら、地球を持ち上げる程の自発性から溢れる喜び、それがどんなに素晴らしいことであるか知ってしまった、私から、ある体験のあの瞬間を消す事は出来ないから! 私が、「これでいのかな。」と微かに先生でいることに不安を感じ始めたのは、緊張した心待ちで、朝礼台の上から新任の挨拶をしたその年、すっきりとした青空が、コンクリートの運動場の上にも広がり始め、学校中が運動会の準備で忙しく活発に動き回っている頃だった。 私が膨らめていた理想の風船玉に現実という鋭い爪があけた小さな穴から、空気が漏れるシューシューという音を聞き始めたのだ。「現実って、こんなものよ。」と経験豊かな先輩の先生方が差し出して下さる現実風船に切り替える時期だったのかも知れない。私のちっぽけな理想の風船玉から漏る空気をそのまま、差し出された現実という風船に入れ替えていきさえすれば良かったのだ。そして、もし私にそうする事が出来たら、それは、それなりに悪い事ではなかったかも知れない。 ところが、私はそうしなかった。私にはそう出来なかった。 私は、空気が漏る穴を見つけては、不器用な手つきで修理を始めたのだ。瞬く間に私の風船玉は継ぎ接ぎだらけのみっともない姿になってしまった。でも、どんなにみっともない姿になっても、私は、私の理想という空気を逃がしはしなかったのだから、私は苦しくても、いやな事があってもいつも満たされていた。修理するまでの間に失った空気は、子ども達との関わりによって生まれる発展的な空気が補ってくれた。 でも、いつまでもこうして継ぎを当て続けてもいられないだろう。こんなに私の理想という風船玉が引き裂かれ、穴だらけにされるという事はどう言う事なのだろう。私は考えてみた。自分の人生について、それまでに一度も無かったほど真剣に考えてみた。これは私にとって本当に理想の風船なのだろうか・・・。どこかに何かを置き忘れてはこなかっただろうか・・・と。 つづく自分に正直に
2006.11.28
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恥ずかしくない大人にならなくっちゃあねぇ。この目が何時までも透き通る湖でいられるような世の中を作らないとね。この目が輝きを失い、悲しみに満ち、憎しみに濁らないようにしないとね!子どもの目は、目に映るものを正確に、正確すぎるほどに写して成長するから・・・。思いやりのある優しい世の中を映して、何時までもこの優しさをたたえていて欲しい・・・。そのための勇気ある一歩を!★フリーページ、 「子どもの目が輝くとき」1.新米先生(記入完了) 2.ぼく、本当は良い子なんだよ(記入完了) 3.みどり亀(記入完了) 4.教育と言うこと(記入完了) 5.けいこちゃん(記入完了) 6.あこちゃん(記入完了)7. 先生失格(記入完了)8. 見栄え教育{記入完了)9.決め付け教育 (記入完了) 今、教育の危機です。国としてこの危機を救う政策が必要な事はいうまでもありませんが、私たち一人一人が真剣に考え、出来ることを行動に移すときです。暗い世を嘆くだけでなく、一人一人が希望を持って将来を担う子ども達と”教教育育”していきましょう。一人一人が自覚し立ち上がらなかったら、未来はないです。世界を創っているのは一人一人だからです。何かのきっかけにでもなればとゆっくりですが更新を再開しました。宜しくお願致します。コメントがありましたら、その日の日記のコメント欄にお願い致します。国に教育の危機を救う気も良識も誠意も無いんですね・・・。教育基本法改定についての一連のニュースには、唖然、がっかり、信じられない、諸々。ここは平和憲法を守っていかないと、歴史を繰り返すことになりますね・・・。
2006.11.18
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多くの散ってしまった若い命に君達のの祖国は一粒の涙さえ流してくれない言葉や文字のお遊びをしているそれも卑劣なやり方で権力に物を言わせて強引に押し通していくそんな祖国を愛せっていうの?愛さなければいられないような祖国になってよ!君たちを取り巻く社会は散ってしまった君達のために一粒でもいいから涙を流してくれてるの保身のための見て見ぬふりあるいは濁った囚われた欲深な自分しか見えない空っぽの心にはきっと君たちの真摯な叫びは届かないんだ郷土愛って言うけど隣人も愛せない集団が作る郷土なんてどうして愛せるの?愛があったらぼく達はわたし達は散らなくってすんだんだ生きたかったんだよ命を全うしたかったんだよ沢山のサインを出していたのにあるいは繊細さの欠けた社会にもうサインを出す事さえも諦めてこの悔しさをただ小さな胸に溜め込んでこらえ切れなくなって死ぬより他に生きていけなかったんだ言葉は要らないただ愛してよ感じてよ人の痛みを抱き締めてよふっと 今思った・・・本当はいじめた奴らも犠牲者なのかもしれない・・・愛を知らずに育ったんだ隣人を愛す事さえも教えてもらわずに育てられたんだ彼らも不幸なんだ大きな愛に育まれて育ったらみんなと仲良く幸せな愛に満ちた毎日が送れたのに家庭や学校や社会や国家って何のためにあるの何も知らないで生まれてきた子どもをぼくをわたしを守ってくれるところじゃないの導いてくれるところじゃないのそれなのにただ点数を追い人を蹴落とす事しか教えてくれないんだ共に伸びる真の競争の仕方さえも教えられないんだ言う事は沢山あるけど・・・誰も聞いてくれないよね・・・何も無かった振りして・・・何時もと変わらない様子で・・・し・・・・ちょっと待って!!!わたし聞きたいよ君たちの叫びを。一緒に悲しみたいよ。考えたいよ。地球の将来は君たちにかかってるんだよ。その持てる力を発揮できる場所を方法を一緒に探そうよ!!君たちの目の輝き、取り戻そうよ。君たちの目の輝きが地球の輝きになるんだ。今からでも決して遅くない。絶望しないで。ちっぽけなわたしだけど自分に出来ること全力を尽くすよ。約束するよ。信じられない!って言うざわめきが聞こえてくるけどでも、きっと信じてくれる時、確信して!★フリーページ、 「子どもの目が輝くとき」1.新米先生(記入完了) 2.ぼく、本当は良い子なんだよ(記入完了) 3.みどり亀(記入完了) 4.教育と言うこと(記入完了) 5.けいこちゃん(記入完了) 6.あこちゃん(記入完了)7. 先生失格(記入完了)8. 見栄え教育{記入完了)9.決め付け教育 (11・15・06更新) 今、教育の危機です。国としてこの危機を救う政策が必要な事はいうまでもありませんが、私たち一人一人が真剣に考え、出来ることを行動に移すときです。暗い世を嘆くだけでなく、一人一人が希望を持って将来を担う子ども達と”教教育育”していきましょう。一人一人が自覚し立ち上がらなかったら、未来はないです。世界を創っているのは一人一人だからです。何かのきっかけにでもなればとゆっくりですが更新を再開しました。宜しくお願致します。コメントがありましたら、その日の日記のコメント欄にお願い致します。
2006.11.15
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NY在住、私の長年の友 船戸牧子女史が最近出版された本です。 アメリカは理想社会ではありません。でも、いいえ、だから問題が起こると直ぐに理想に向かおうとする市民の博愛、正義感、行動力に心を打たれ、学ぶことが多いのです。教育界においても然り。我が子の子育てにおいてしっかり体験して来た過程においても、学校側の常に筋の通ったポジティブな発展的な態度、対応、教育に対する責任感など、安心して子供を預ける事が出来ました。と言っても、ぼんやり預けていた訳ではありません。常に今の状況が我が子に合っているか、特に小さい頃は先生は適切か、などを観察し、問題ありと感じた時は学校を変えたりすぐに対処してきた事はいうまでもありません。これらの体験についての詳しい事はまた追々書いていこうと思いますが、今日、この本をご紹介するに当たって、ここに書かれている事は、アメリカの日常である事をお知らせします。人が集団でが生活していれば問題は付き物です。大事な事は、問題が無い事ではなく、問題を見極めそれに対処していくエネルギーと行動力です。これらの実例ををそのまま日本にと言うのではなく、日本市民一人一人が自分たちの中で眠っているこのポジティブなエネルギーを感じ目覚めさせて欲しいのです。考え行動して欲しいのです。政府をも動かす力になって欲しいのです。教育の改革=教育基本法改定という胆略な、お粗末な、悲しくなるような案を持って最も教育的でない方法でお茶を濁そうとしている政府にストップをかけるのは国民です。この「学校が生きてる」という本、忙しいし、読書力も衰えて来たし・・・、と始めはゆっくり読んでいましたが、読み進むにつれてぐいぐい引き込まれ、ときに感動の涙を流し、今の日本の状況に最も必要な本ではないかという思いに駆られ、一気に読み干してしまいました。読書力が衰えていたのではありませんでした。怠け癖がついていたのか・・・、感動する本に出会わなかったのか・・・。船戸氏が言っていました。「日本じゃあ教育の本て最も売れないのよね・・・。でもいいの、私はどうしてもこれを出版したかったんだから、出版できただけで嬉しいの。」私は言いました。「それは全く残念な現象ね。今、教育の本こそ読んでほしいのにね! 読んでもないものは紹介できないから、何時になるか分からないけど私が読んだら、ブログで紹介するね。」「そう、そうして頂けるとありがたいわ。」一週間前の話しです。読んでいる内に日本の今の状況と照らし合わせても、一時も早く紹介したいと言う思いが強まり、早い時期に実現出来ました。子ども達のため、日本の将来のため、と言うより人間として自分が生きるために読んで頂けたら嬉しいです。私たちには今こんな教育が、世界が必要なのです、と言える、実現できる教師を、親を、大人を目指して!!ただ、私は体験してきた事、当たり前な事、でも、日本の方が読んでどのような感想を持たれるかとても興味があります。日本じゃあねー、こう言う事はねー・・・。ああ、そんな考えもあるんだ! 凄い!とか、とか・・・。改革の推進者は国民一人一人PSさっき自殺予告の手紙、全文読みました。言葉もありません。彼が言ってたような、誰も責任取らない社会で・・・。自分も人も死ぬ事だけが責任を取ることと、そこまで追い詰められた小さい魂が余りに哀れで・・・。責任を取るって解決する事なのに・・・。誰も真面目に解決しようとしない社会で・・・。心が痛んで痛んでたまりません。この本の、6章「社会と関わる教育」読んで欲しいです。明日からもっと心して教育に当たろうと思います。 ★フリーページ、 「子どもの目が輝くとき」1.新米先生(記入完了) 2.ぼく、本当は良い子なんだよ(記入完了) 3.みどり亀(記入完了) 4.教育と言うこと(記入完了) 5.けいこちゃん(記入完了) 6.あこちゃん(記入完了)7. 先生失格(記入完了)8. 見栄え教育{記入完了)今、教育の危機です。国としてこの危機を救う政策が必要な事はいうまでもありませんが、私たち一人一人が真剣に考え、出来ることを行動に移すときです。暗い世を嘆くだけでなく、一人一人が希望を持って将来を担う子ども達と”教教育育”していきましょう。一人一人が自覚し立ち上がらなかったら、未来はないです。世界を創っているのは一人一人だからです。何かのきっかけにでもなればとゆっくりですが更新を再開しました。宜しくお願致します。コメントがありましたら、その日の日記のコメント欄にお願い致します。heliotrope8543さんの所から転載させて頂いたものです。一人でも多くの方が声を上げるときですよね。国会議員やマスコミ各社などに、簡単、安全、一気に、楽しく、教育基本法改悪反対の要請メールを送ることができるメールフォームを、兵庫高教組のホームページ上に公開しました。http://www.hyogo-kokyoso.com から入れます。特徴は●教育基本法特別委員会の委員、文部科学省、各政党、マスコミ、教職員組合など、83(10月22日現在)の送り先に、一気にメールが送れます。メールは同報メールではなく、各送り先に個別に送られます。●「与党議員のみ」とか、「与党と民主党」など、送り先を自由に決めることができます。●自分のメールアドレスから送ることも、また、自分のメールアドレスを相手に秘匿することもでき、送る相手によって、相手に伝える自分の個人情報を管理できます。●送られたメッセージは、ホームページ上に登録され、お互いに交流できます。教育基本法を守り、活かした教育を進めることを願う、私たち国民の声を、嵐のように国会やマスコミに届けましょう!このお知らせは、転載歓迎です!
2006.11.07
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例えば、職員会議がある。 区の健康教育研究協力校という様なのに指定されて、先生方は張りきっておられる。会議は、体育の研究授業にはどんな教材を選ぶかと言うようなテーマで進んで行く。司会が、「校長先生は、如何ですか?」なんて言うと、コックリ、コックリやっていた校長先生は、びっくりしたように目をしょぼしょぼさせて、「ええ、いいでしょう。先生方がいいようにして下さいよ。」なんて仰ってまた黙る。「やっぱり、子ども達が一番動くのは、ボール運動ですよ。」「確かに、難しい教材かもしれませんが、子どもは生き生きとしますね。」「それだけ遣り甲斐が有るっていうもんじゃないでしょうか。」会議はまともに進んで行く。私は、「やっぱり、先生なんだな。色々有っても、子ども達の事考えているんだな。」と思って、私も生き生きしてくる。 そんなふうに、何回か話し合いが持たれ、それでは、いよいよ今日は決定して、本格的な準備に取り掛かろうと言う日の会議。「大体、ご意見も出尽くしたようです。校長先生、今までの経過でお分かりの事と思いますが、先生方の意向としては、研究授業の教材は、ボール運動という事なんですが、校長先生は、如何でしょう。」という事になる。私は、「校長先生は、話し合いの随分先のほうで、先生方のいいようにと仰こだから、これで決まりだな。でも、やっぱり、上の人に最終決定をして頂くのが、道筋であり礼儀なんだろうな。」と思いながら、校長先生の決定を待っていた。「まあ、皆さん、毎日遅くまでご苦労様です。えー、ずっと聞いてたんですがねぇ・・・、皆さん色々ご意見もお有りのようですが・・・。どうでしょうね、ボール運動というのは、難しいんじゃあないですか?」鼻眼鏡の上目遣いで、みんなを見渡す。私は一瞬、「えっ?どういう事?」とびっくりして、自分の耳を疑った。「困りますよう、ボール運動でさぁ、子どもが興奮してしまとまりがつかなくなったりしてさぁ・・・。それに、ボール運動って難しい割には見栄えがしないんですよぉ。せっかく先生方が、苦労して指導しても、子どもが蜘蛛の子を散らしたように勝手に動かれたんじゃ、研究授業としてどうでしょうね。」私は、「何を今頃校長先生は仰ってるんですか。」と今にも言いそうになる。でも、今まで中心になって話を勧めてこられて先生や、他のベテランの先生も誰も何も言わないとい。とにかく、校長先生の意向を最後まで聞こうという訳なのかな、と思いながらカッカする心を抑えて黙って聞いていた。 それでも、校長先生も流石に言い難いという様子を隠しきれないで、言い淀みながら続けられた。「まあ・・・、色々やってみるのもいいんですが・・・・。ボール運動に比べたら機械運動は見栄えがしますよ。こう、子どもがさ、真っ白い体育着に、赤白帽を被って先生の笛の合図で、ピッ、ピッっと動く様子は、見ていても気持がいいですよ。先生方の指導の効果も一目瞭然ですよ。」例の老眼鏡の鼻眼鏡越しに上目遣いに先生方の同意を求めるように一同を見回しながら、下る最終決定のお言葉・・・・。もう誰もが、予想していた。「どうだい、機械運動ということにしようや。どうですか、そういうことで。」「だって、校長先生、今までずうっとみんなボール運動って言う事で話し合ってきたんですよ。先生方は皆さん、そのおつもりで、時間を掛けて話し合ってきたんですよ。」私は、あまりのめちゃくちゃに、もう自分を抑えることは出来なくなって、司会の進行も待たずに思わず言ってしまった。そして、「先生方、そうじゃなかったんですか?」と、先生方を見回した。すると司会の先生は、そんな事は無視して、「えー、色々ご意見もあるかと思いますが、校長先生のご意向は、機械運動と言う事ですが、皆さん如何ですか?」「結構です。」「校長先生がそう仰るんでしたら異議有りません。」「賛成多数のようですから、研究授業の教材は、機械運動ということに決まりました。」 私は、余りの事に、ただ呆然とするだけだった。「ああ、こういう絵に描いたような、めちゃくちゃな、強引な、不合理な事が起こるんだな・・・。これが現実と言うものなのか・・・。」私は自分が腑抜けになった様な気がした。「ご無理ごもっとも。」ああ、この国際化を目指しているはずのの日本社会にこの伝統はしっかりと根を張っているんだ。 「先生、何時までもこだわっていても仕方が無いわよ。校長先生がそう仰るんだから、それに逆らったら損よ。それに、あの先生は、機械運動が得意だから、やはりご自分の得意なものだと遣り易いんじゃない。本当に、ボール運動は校長先生の仰るように難しいわよ。」 「長い物には巻かれろ。」手のひらを返したような変身術。保身術。淀んだ、しかし、ときに小ずるく光る目。私には到底習得できない術だ。 余りの事に、私は、なんだか伸しイカみたいにぺしゃんこになって、もう、怒る事も膨らむ事も出来ないで、暗くなりかけた道をバス停に向かった。 教室では、子ども達に、「言いたい事ははっきり言いなさい。それに対して反対の人もいれば、賛成の人もいるでしょうけど、そこから話し合いって始まるでしょ。」 とか、「先生が言った事でも、もし変だな可笑しいなということがあったら、例え、そてが先生であってもはっきり言って下さい。先生も気がつかないで、皆さんに言ってもらって、これは先生が間違ってましたね、とか、いいえそんなこと言ってません、先生の言っている事はこう言う事ですとか言えるでしょう。」なんて言いながら、盛んに言われていた民主的学級運営を子ども達とすすめていながら、自分たちの会議では、平然として、このような不合理が通ってしまう。「子どもの世界と大人の世界場また別よ。現実は、そう理想通りには行かないわよ。いろいろ思うように行かない事だって有るものよ。そういう事が分かるには経験を積むより他無いわね。」 裏表のある文化。建前と本音の文化。理想と現実が切断されている、繋がっていない文化。哲学の無い文化。その時の状況でコロコロ変わる文化。「そうかなー。」と言う憤りにも似た強い反発と、「そうかも知れ無い。」というぼんやりした不安と、「これでいいのかなー。」という疑問と。 混乱を深めながら、しかし、教室に行って子ども達との関わりが始まると、「先生にとって一番大事なのは子どもなんだから、頑張らなくては!」という気持ちが盛り返してくる。 先生になって一年もしないうちから、「理想と現実」の間で、先生でいることに不安を感じ始めていた。しかし、それは自分の経験の無さ、社会人としての未熟さから来るのかもしれない。もっと現実を踏まえた強い先生にならなければと思い頑張る。そういう私の思いは、子ども達によって支えられていた事は言うまでも無い。いくら理想に燃えていても、先生を辞めてしまえば何にもならない。もう子ども達と発展し合っていく事も出来なくなってしまう。そんな思いで、四年弱私は頑張った。 しかし、そう思えば思うほど、頑張れば頑張るほど、私は引き裂かれ、どうにもならない深みにぐんぐん落ち込んでいくばかりだった。これは小、中、高、そして、大学の前半まで私を苦しめていた状況と同じだった。しっかり遣ろうと思えば思うほど、頑張らなければと焦れば焦るほど、自分がしようと思うこと、したいことが出来なくなっていく。そう言う出口の無いジレンマ。★「前例が無い。」怠惰な事なかれ主義の蔓延。毎日が前例の無い新しい日なのに!!★「出る杭は打たれる。」井の中の蛙の足の引っ張り合い。画一教育。★「見た目に美しい、見栄えがする。」中身はどうあれの上げ底、過剰包装文化。 目の前であからさまに起こった教育委員会の目のみを気にした見栄え教育。 保身、保身。自分さえよければ。小さく固まった、小ずるい保身術。 日本文化の素晴らしいところを失いながら、ネガティブなところだけが、どろどろと陰湿にしぶとく生息している一見豊かに見える物に溢れた社会。見栄えの上げ底、過剰包装社会。素晴らしいもの、事、文化を保存して行くには、どんなにかポジティブなエネルギーが必要な事か。でも悪いことは何もしなくてもはびこる。むしろ、日々新たな毎日、変わらない、何もしないというとがすでに問題なのだ。 私の経験は、日本ではもう古臭い事になっていると思っていたら、問題の種は成長して、今、もっとひどい事になっているようなので、心が痛む。今、教育の危機を共に考えていきたいとアメリカ流率直さで、書き足したた部分もあるが、こういうのって、日本では嫌われるかなと思いながら、やっぱり書かずにはいられない。何もしないことは自分も共犯者。教師の目が光を失った時、子どもの目は輝くだろうか!! 保身のための見栄え教育は、その時、未熟では有るが、真面目で希望に燃える若い教師の芽を摘み取り、目の輝きを奪ばおうとしていたのだ。そうして、その後もずっとそうしてきたから、今、日本の教育界は停滞し、むしろ、どうしていいか分からない程の大混乱の中で方向さえ失っているのだ。スイミーみたいに、うんと考えなくちゃあ。スイミーみたいに、行動しなくっちゃあ。スイミーみたいに、みんなもことを考えなくっちゃあ。★フリーページ、 「子どもの目が輝くとき」1.新米先生(記入完了) 2.ぼく、本当は良い子なんだよ(記入完了) 3.みどり亀(記入完了) 4.教育と言うこと(記入完了) 5.けいこちゃん(記入完了) 6.あこちゃん(記入完了)7. 先生失格(記入完了)今、教育の危機です。国としてこの危機を救う政策が必要な事はいうまでもありませんが、私たち一人一人が真剣に考え、出来ることを行動に移すときです。暗い世を嘆くだけでなく、一人一人が希望を持って将来を担う子ども達と”教教育育”していきましょう。一人一人が自覚し立ち上がらなかったら、未来はないです。世界を創っているのは一人一人だからです。何かのきっかけにでもなればとゆっくりですが更新を再開しました。宜しくお願致します。コメントがありましたら、その日の日記のコメント欄にお願い致します。
2006.11.01
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あい・合い・会い・逢い・相・愛 誰の上にも惜しみなく降り注ぐ宇宙のあい素直に受けて伸びていく★フリーページ、 「子どもの目が輝くとき」更新お知らせ1.新米先生(記入完了) 2.ぼく、本当は良い子なんだよ(記入完了) 3.みどり亀(記入完了) 4.教育と言うこと(記入完了) 5.けいこちゃん(記入完了) 6.あこちゃん(記入完了) 今、教育の危機です。国としてこの危機を救う政策が必要な事はいうまでもありませんが、私たち一人一人が真剣に考え、出来ることを行動に移すときです。暗い世を嘆くだけでなく、一人一人が希望を持って将来を担う子ども達と”教教育育”していきましょう。一人一人が自覚し立ち上がらなかったら、未来はないです。世界を創っているのは一人一人だからです。何かのきっかけにでもなればとゆっくりですが更新を再開しました。宜しくお願致します。コメントがありましたら、その日の日記のコメント欄にお願い致します。子どもは宝
2006.10.23
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そうなんです。私は引っ込み思案というレッテルを貼られて、一枚貼られるごとに、どんどん引っ込み思案になって行ったのです。想像力が欠如している人は、すぐにレッテルを貼ります。一度レッテルを貼ってしまえば、それで安心して、今目の前で起こっている事実を見ようとしなくなります。実はそれは自分の世界を狭めているに過ぎないのですけど・・・。何枚も何枚も分厚く貼られたレッテルは自分で剥がそうとすればするほど、自分の手には負えなくなり、苦しい日々を過ごしていました。無口。消極的。引っ込み思案。内向的。隙間もないくらいに貼られたこれらのレッテル。思った事ははっきり言いなさい。積極的になりなさい。活発に行動しなさい。明るく外向的になりなさい。そういわれるたびに、駄目な自分を強調され、ますます自信をなくし、自己嫌悪に陥り、自己否定の悶々とした日々。意地悪。おしゃべり。冷たい。自分勝手。駄目な子。いやな子。・・・・。・・・・。無数の様々なレッテルが多くの子の、人の人生をがんじがらめにして人生を社会を暗くしています。どうせ貼るなら、ポジティブなレッテルを貼ったらいいのに!!いい子だね。優しいね。思いやりがあるね。深く考えるね。我が子は、幼児期は人見知りもせず活発だったのに、小学生の頃から少し無口になりました。何か聞かれてもすぐに返事をしなかったりすると、「引っ込み思案ね。」と周りは言います。でも私は、そん度に、いちいち「この子は、引っ込み事案じゃないんですよ。良く考えてるからすぐに返事が出て来ないだけなんです。」と子どもの前ではっきり言葉で我が子を擁護しました。周りに同調して、「そうなんですよね。困ったものです。」なんて間違っても言いませんでした。無口は悪いことなんかじゃ少しもありません。無口だと言われてそれを悪い事と思い込み、自信をなくしていった自分と重なりました。私のこんながんじがらめの人生から、どうやって、方向転換が出来たのかと不思議に思われるでしょう。出会いがあったのです。大学時代の先生です。ありのままの私を尊重してくれたのです。そこから出発したのです。こうでは駄目だよと注意される。そんなことじゃあ生きていけないよと批判される。こうしなくてはいけないよと変化を強要される。そんなネガティブな言動からは何も発展していきません。それでいいだよ。そのままで、そこから出発すればいいんだよということを体験的に知らせて下さったのです。そこから、猛烈な自己変革への道を歩み始めました。出発して変わり、少し変わって歩み、歩みながらまた出会い、何十年とかけて、あるとき自己変革は完了したのです。そして、今、自己実現への道をゆっくり歩いているのです。日々は厳しいけれど、学びと感謝の日々です。実は、今日はこんなこと書く予定ではなく、前ののコメントをぜひ読んで下さいというのが目的だったのです。とてもポジティブです。具体的な方法から、思い出、社会分析、さまざまな角度からのコメントに、ただただ感激。何回も読み返しています。こうして一歩一歩、微々たる歩みでも、教育についてのポジティブなエネルギーが結集し、拡大し、交流し、拡散していったらいいなーと強く思います。虹色のコメントからは学ぶ事が多いですよ!!ぜひお読みになって下さい。エリムエコーさんの日記”牧師雑感”よりの転載です。子どもについでの深い洞察と今私たちがなさなければならないことだと思いましたので、許可を得てコピーを載せさせて頂きました。マタイの福音書 18:1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」 18:2 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、 18:3 言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。 18:4 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。 18:5 また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。 18:6 しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。 18:7 つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。 18:8 もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。 18:9 また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちに入るほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。 18:10 あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。 18:11 〔人の子は、失われている者を救うために来たのです。〕 18:12 あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。 18:13 そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。 18:14 このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。私は、特定の宗教には属していませんが、いろいろな宗教の経典から、多くのことを、学ばせて頂いています。エリムエコーさん、何時もありがとう御座います。これからも宜しくお願い致します。心は年輪ですよね。子どもの心とすり替えにおとなの心を持つたんじゃないですよね。少し深く自分を感じれば誰でも自分の子どもだった心に触れられるのに。と言うようなコメントを何時も感動を頂いているとても素晴らしいルカの街並さんのブログに書きましたところ、物凄く深いコメントだと心に染み入りました。「心は年齢」そして「子どもの心とすり替えにおとなの心を持つたんじゃない」すごくすごく、この言葉に感動しました。と嬉しいレス頂きました。ルカさんありがとう御座いました。心が通じるって最高ですね。みんな子どもの時からの心を奥に秘めているのです。ただ、自分の心の表面しか見ないから、子供の心が分からなくなるのです。自分の年輪の中の子どもの心で子どもと接し、自分の年輪を子ども達に伝える事が教育ではないでしょうか。心は年輪
2006.10.19
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あこちゃんは、綺麗におかっぱの髪を揃えた日本人形みたいに、何時も静かに座っている。でも、目が会うと、嬉しそうにニコニコと微笑んでくれる。だから、私はそれ以上なにも強制するようなことはしなかった。 一年生の初めての授業参観の後のことだった。あこちゃんのお母さんが心配そうに私のところにやってきた。「先生、うちの子の様子見てたんですけどねぇ・・・。何も言わないで黙って座っているだけなんですね。仲良しのAちゃんとかKさんとか、みんな凄く活発でしょ。どんどん手を挙げるし・・・。それに比べるとうちの子は何であんななんでしょうね・・・。」私は、「それなんですよね、私が苦しめられたのは!」と自分の子どもの頃の事を思い出していた。「先生やうちの人に良くそう言われたっけな。その度に、今度こそ手を挙げよう。今度こそ思ったことをはっきり言おう。今度こそ活発な大きな声で、発言しようと何度思って、何度失望したことか。ただただ自信をなくし、自己嫌悪、自己否定にまでエスカレートしていってどんなに苦しい思いをしたことか。」私は、あこちゃんのお母さんに言った。「お母さん、お子さんによってみんな違うんですよね。活発に発言するような子もいれば、あこちゃんみたいに聞くことが得意な子もいるんですよね。どちらがいいっていうことではないんです。活発で喋らなければいられない子に、黙りなさいと言っても中々そう訳には行かないし、静かに人の話をよく聞いている子に、喋りなさいと言っても、それもまた本人にとっては辛いことです。それぞれ、個性もありますし発達段階も違いますし・・・。誰に比べて活発じゃないから駄目だと決め付けてしまわないで、もう少し様子を見てあげましょうよ。」「そうですね。先生の仰る通りかも知れませんね。別に悪いことしてるわけじゃないし、人様にご迷惑かけているわけでもないし・・・。そういわれてみると、私もあんなだったかもしれませんね・・・・。」「実は、何故私がこんなこと言うかって言いますとね、私、子どもの頃、本当にあこちゃんみたいに何も言えなかったんですよ。凄く引っ込み思案だったんですよ。その度に、手を挙げなさい。○○さんはずいぶん良く手を挙げるのに、どうしてお前は・・・。駄目だね。今度から、大きな声で活発に発言しなさいなんて言われて、ずいぶん自信をなくしたものです。」「ええっ、先生がですか? とても信じられませんけど、本当ですか?」「そんなことを話すと皆さんそう仰ってびっくりなさるんですけど、人生どこかで出会いがあったり、出来事があったり、自分自身の内から何かが盛り上がってきたり、いろいろな事が関わり合うって、人は変わり成長していくんじゃないですか。私自身まだまだ未熟ですぐに失敗したり行き詰ったりしてしまうんですが、いつの間にか、自分の言いたいことが言えるようになってきました。」「本当にそうですね。先の事は分からないのに、焦ったり、勝手に親が決め付けたりして、ああしなさいこうしなさいって言ったって、子どもには子どものやり方っていうか、生き方っていうかそういうものが有るんですよね・・・・。先生、良く分かりました。他の子と比べるんじゃなくって、ます、この子をこの子として見守ってあげる事が大切なんですね。お忙しいところをありがとう御座いました。」「時々学校での様子もお母さんにお知らせします。私は、お母さんがあこちゃん全体の姿をお知りになった方がいいのではと思ってお知らせするだけですよ。先生がこう仰ってたけど、そんなことじゃあ駄目じゃない!とか子どもを叱る材料にしないで下さいね。もしそうなら、お母さんと私の間にそう言う共通理解が成り立っていなければ、寧ろ、お知らせしない方がいいですけど・・・。」「先生のお考えは良く分かりました。先生がこう仰ったからこうだって言うんじゃなくて、学校ではそんなんだな、そう言う事があったんだなと思いながら、私の立場でこの子を見ていくようにします。」つづく
2006.10.16
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