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近頃、神田で呑むことがめっきり減っています。いやそれは神田に限った話ではなく、新橋や浜松町、新宿や渋谷とか池袋もあまり行っていないなあ。とにかく人混みがうっとおしくて今挙げた町にはできることならあまり近寄りたくない。こんなことを書くと、じゃあ繁華街に住むじゃないよと身近な人にはよく言われるし、ブログを書いてることを知る知人は都内を代表するこれらの繁華街を避けて呑み屋巡りのブログなど書いていて満足なのかなどと、人の趣味をどういう権利を行使してか揶揄したりする輩もいたりするのです。そんな個人的な愚痴はとりあえず捨ておくとして、いずれの町も近頃足が遠のいているとはいえ、結構な軒数を経巡りしてきました。でもそれでもやはり見落としがあるようで、それも近いうちに行っておくべき宿題としてしっかりメモしていたにも関わらず、身に余るほどの宿題の渦に呑み込まれて、つい先ごろまでその存在を失念していたお店があるのでした。メモというものは、億劫がらずに翻って繙いてこそ価値が生まれるものであって、冷蔵庫に貼りっぱなしにしたり、データとして保存しておくだけでは一時の自己満足と安心感しかもたらさぬのです。 さて、メモには「巴家」という店名が記されていました。JRの神田駅からも地下鉄の小川町駅からも5分程度と交通網の過密な都心部だけあってさほど不便でもないのにこれまで来ていなかったのは、怠慢だと謗られても反論の余地がありません。それでも無くなる前に来れたのだから自分的には満足です。かつて御茶ノ水に勤務していた頃に訪れていれば何もこんなに慌てふためいて来る必要もなかったとどこまでもいじけた発言をしてしまうのです。やって来たのは昼下がりで、昼食時を大いに経過していました。この時間帯だと空いていて店を独り占めしているようで、気分が良いに違いありません。ぶっ通しの営業であることを調べてはいましたが、やはり店の前に来るまで不安でした。オフィス街の食堂なのでサラリーマンのいない土日や祝日にはやっていないのもこの店を訪れる機会を減ずるには十分な理由であります。ともあれ、外観からして神田界隈らしい風情溢れるもので、期待はグンと高まります。いそいそと引き戸を開けると想像以上に開店当時の面影を留めたー実際には開店した頃のことなど知る由もないのですがー店内の景色にまず見惚れてしまいます。本当ならじっくりと品書も見定めたいところですがそれどころではありません。清酒とランチセットを手早く注文すると、すぐに運ばれて来た菊正宗のガラスのお銚子にさえ嬉しくなりながら、ゆるゆると盃を口に運びます。店の方も暖簾の奥にチラホラ姿が見え隠れしますが、基本的に静謐な自分だけの時間を堪能します。こんなに優雅なひと時などそうそうありはしません。名物らしき焼売の付いた半ちゃんラーメンも届きました。焼売は普通に美味しい、大体焼売というのは100円ローソンのものだってそれなりに食べられるものだから良くできた食品なのであります。ラーメンは彩りのナルトやホウレン草が鎮座なさらぬのは、ちょっと寂しい気もしますが他の2品でバランスが取れていると見做しましょう。この麺が独特な食感で楽しいのです。プニっとした噛み心地の後には、唐突の歯切れの良さが待ち受けていてプニっ…プツンを繰り返すともう止まらない。焼売も炒飯も放り出してひたすらラーメンに突進です。辛めのそば出汁みたいに素っ気ない汁もコショーを大量に投下すると瞬く間に懐かしの中華そばに変貌します。常々、町の中華屋さんには特にコショーでお世話になっています。一転して炒飯は濃い目の味付です。どうでもない感じですが、でもまあ家じゃこの味出せないんだろうなあ。酒を挟みながらもほとんど一心不乱に一気食いしてしまいました。やはり前々から来ておけばよかったとシミジミと後悔するのでした。
2017/01/31
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狛江って都心からそう遠くないのにまず来る機会がありません。今こうして書いていても位置関係どころか、小田急小田原線で良かったんだよなというところで悩んでしまうくらいに縁がありません。多分登戸よりは新宿よりだったよなという程度の疎い地域です。別に嫌いとかそんなんじゃないのです。単にそこら辺まで出向くには運賃が馬鹿ならないものです。住宅費が高いからとわざわざ郊外に居を構え、その癖週末や休日にはホイホイと都心に遊びに出掛ける知人も多く、それが年老いた両親の世話を見るためとか子供の教育にとって都合がいいとかそれなりの理由があるなら仕方ないとも思うのですが、大方目先の家賃とか住宅ローンにばかり頓着するのはどうしたものだろう。そんいう短絡的な思考をする人とは親しくなりたくない。話が狛江から遠ざかっていますが、千葉の郊外に住む人が正反対の神奈川とかに行くのは難儀なことであろうに、結構彼らは身軽に遠出をするんですよね。ぼくなんかはフットワークは割りかし軽い方だと思うのだけれど、先立つものがなければどうにもならぬのです。 さて、狛江の駅を出るとすぐにお馴染みーと言いながら実際には十数店程度しかなかったはずー「COFFEE HOUSE POEM 狛江南口店」がありましたが、この店舗は標準的なこの系列のお店でしかありませんでた。それが別に悪いというわけではないし、本題はそこにはないからまあ置いておくことにします。言いたいのはこのコーヒーショップを中心にささやかに広がる呑み屋街が今晩目指すべき酒場です。いずれも酒場放浪記の登場店です。 この報告を書こうと、メモに残された「ミートステーション」という店名を見てすぐには思い出せないのです。狛江に行ったのって年は越してしまったけれどそれほど前のことじゃないはずなのに、己の記憶力は大丈夫かと不安になりました。ネットで調べて店の構えを見てようやく記憶が蘇ったんですが、それもまあしょうがないかも。焼肉のファミレスっぽい店名のくせして、その実は駅前酒場そのものなのだから嬉しい誤算です。奥の方にテーブルが1卓程置かれていたかもしれませんが基本的に窮屈な横長の造りのカウンター席ばかりです。結構混み合っていて、時間を間違うと入れぬところでした。そうなればなったで、もう一軒に先にお邪魔しておけば良いだけのことと考えてもいたのですが、結果的に入ることができて助かる事になるのですが、それは後のお話。お客さんの中心はオッチャンたちですが、中には若い女性客も混じっており、見てくれは濃密なキッツいオヤジ臭が漂うようなお店ですが、案外敷居の低い使いやすいお店として地元の方には認知されているのかもしれません。そんな緩い感じとてもいい。いや、グルメ的にどうかとか面倒な判断基準は抜きにしてみると、この酒場はそこで呑むのが楽しいと感じられるという条件を満たしているようです。と昨夜は何やら混乱した文章を書いていますが、とにかく酒場たる要件をが揃っているというようなことを語りたかったようです。そう、昨夜の文章には記されていませんが、店主らしいご老体がまだ年若いバイト君に手ほどきし、中堅のお兄さんは客ともコミュニケーションを交わしつつテキパキと仕事をこなす様子など見ていて爽快なほどであります。最寄り駅にこんな駅前酒場があればステキだなあ。 続いては「もも亭」です。路地の裏手も散漫ながらも呑み屋街をなしていて、その一軒がこのお店でした。端正な構えの格式すら感じさせるお店で、失礼ながら先のお店とは対照的です。普段なら躊躇うところですが、狛江に来る機会もそうそうないので、どんな店だろうと入る決意はできていました。しかし出来ていたのは心構えだけで、カウンターの一席に通され品書きにさっと目を通すと途端に財布の中身が気になり出します。そして案の定というべきかほとんど札は残っていないのでした。先の店を出るときに確認しておくべきでした。ここで詫びて席を立たぬ自分もどうかしている。ぼくのささやかなこだわりに、肴は一品ーお通しもそれに含まれるーでも酒は二杯というのがあって、こだわりというよりむしろ酒場で一杯呑むだけで席を立つのは気持ちが落ち着かないのです。いや、まあごく稀に相当に不愉快な酒場だとそんなこともなきにしもあらずなのが不徹底で恐縮なのですが。さて、夫婦連れやカップル客が多いことからもこちらのお店、特に女性客が好むような上質な肴を出してもらえるようで、見ていると確かに主人の調理の手さばきはさり気なくも堂々としていて、見ようによってはカッコつけ過ぎな感じもある。少なくともぼくには気取ってるなあと思われます。まあ財布との折り合いを付けて注文の算段がようやく立ち、ようやく余裕ができてからの観察なので多分に歪んだ主観が混じっているはずです。確かに旨い、旨いけど雰囲気がどうもなあ。ここは本当に居酒屋なのか。大体居酒屋の定義など持ち合わせておらぬから、印象論になるのですが、ここはぼくの思う居酒屋とは違っているようです。
2017/01/30
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前橋では不調なままに終始してしまいましたが、その後、高崎から東京に近づくに連れていくらか手応えも出始めました。次に下車したのは深谷でした。深谷は駅舎の立派さと町並みの一見した退屈さでどうも以前来たままで、打ち捨ててしまっていたのでした。その後、素晴らしい大衆食堂を知って、そこは実際素晴らしかったわけですが、併せて深谷にも昔日の街道的な町並みもいくらか残されていることも知ることができました。それで性懲りもせずまたもや足を運ぶことにしたのです。 駅からそう歩かずに古い商店街の成れの果てのような一角があってそこに「レストパーラー 高原」というのがあるはずですが、しばらく右往左往してみたのですがそれらしき痕跡がありません。先日新潟を訪れた際にも高原という喫茶店がありましたが、そこもそうでしたがここ深谷もどこにも高原らしき地形は混じられません。なのに敢えてそういう店名とするにはそれなりの覚悟を持ってなされたことでしょうから、やはりそれは気になります。加茂の店舗は那須とか軽井沢の高原にあっても不思議はない別荘のようななかなか素敵な洋館で、内装も外観以上にシックで落ち着いていました。今回はそれは確認できませんでしたが、深谷の高原はどんなところなのでしょうか。それ以外にも良さそうな店がありますが、今は喫茶営業はしていないのでしょうか。 そこからは結構な距離を歩かされますが、それは真夏の酷暑のせいだったからでしょう。今この時点は寒さの底にあるので、今なら楽々歩けてしまう距離であったはずです。細い自動車道路の脇道に逸れた路地に「ホーリィ」はありました。ひっそりと静まり返っており、店内も薄暗い。80年代のアメリカンのテイストを幾分散りばめながらも、それなりに日本的な喫茶の定番的な造りも併せ持っています。でもその定番というのは何かもたらしているのか、多少散らかったところや、あれこれと貼り紙されているところかもしれない、昼寝して涼む常連からも感じられる店と客の距離感がもたらすものかもしれない、そういうすべてが交わっているのでしょうが、特別どうという店ではなくともここは他に変わることのないお店であることがお客さんたちの振る舞いが示しています。 前の店と比較すると「軽食・喫茶 プチ」は、グッと場末らしい趣のある忘れ去られ地元でも利用する数少ない方以外の視界には収まらないような印象のお店でした。いくらかスナック風の風情があるのもそれはそれらしくてそそられるのです。店内はスナックというにはこざっぱりと、余計なものはほとんどない。もちろんそれは洗練されているとか、店主の美的感性の発露とかいうものとは縁のない話であるようです。るしろ初老のママさんは自分にとって居心地よく清潔感の保たれた店造りに専心されてきたところに、経年の劣化を無理なく受け入れてきたことがもたらしたシミジミと心地よいお店なのでした。内装や家具などもこだわりなどという過剰さよりも機能性とか耐久性とかを重視されたようです。でもそうしたものを大切に扱う精神がこの店の基調となっていて毎日通いたくなるのでしょう。幾人かの常連さんの幸福そうな姿を見るとそう思わないわけにはいかぬのてす。
2017/01/29
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神保町には、実は秘めたる宿題としている酒場が何軒かあります。弁えているんであればとっとと行ったらいいではないかってな準備も万端なのですが、それは場所や営業時間といったただで得られる情報ばかり。先立つものがなければ実行には移せぬのです。だったら一日二日位、酒を抜いてまっすぐ帰宅するとかどうしても呑みたきゃ外呑みをやめて家呑みで堪えればいいだけの事ではないかとの指摘は折角ですが御免被りたい。それとこれーそれと言うのは予算オーバーの分布相当な店に行くこと、これというのは毎晩安酒場に甘んじることーとは話は別なのです。帰宅前に独り呑む酒は格別なのです。家呑みも悪くないけど、どうしてもピッチが早くなったり、食べ過ぎてすぐにグロッキーとなり一日のお終いを迎えるには物足りないのです。だから外で呑む、帰ってからも呑むけれどそれはまた別物なのです。 なのでチェーン店というのはどこか家呑みに近いところがあるような気がします。それの類似点を挙げることは面倒なので省略しますが、そもそもが的外れかもしれぬ。でもこうして書いていてフト思ったので、きっとそういう一面があるのでしょう。「大衆酒場 神保町トンちゃん」は、チェーン店がどうか実は知らない。でも「大衆酒場トンちゃん」で済ましたほうが良さそうなところをあえて神保町の地名を挟み込んでいるからには、まあ九分九厘系列店があると思って良さそうです。でも近頃はかつての居酒屋ブームとはまた違ったレトロ感をあざとく演出した、それが逆に画一されたイメージに支配されることすら戦略化したような不快なお店が増加していて、ぼくのような静かに怒れる男にすらこうした怒りを表面化させるほどなのです。それはともかくとしてこちらのお店は大衆酒場らしさとは徹底して無縁なところが爽快なほどであります。大体もつ焼屋なのに巨大で高級感漂うビルヂングのテナントとなるなんて異様なことなんじゃないか。好ましいのは、レトロと称されたりもする愚の符牒はもちろん見当たらぬのです。壁はもつ焼を主力商品に据えているくせに真っ白と思い切ったものです。そうか、ここはチェーン系居酒屋というよりファミレスに近いのかもしれません。焼き場からの排煙はどうなっているのだろう。入ってすぐに気付くのが少しも煙たさを感じないこと。鰻と比べるのは酷ですけれど、もつから滴る脂が炭に落ちて発する煙が、われわれ呑兵衛に浴びせる攻撃的なまでの芳香攻撃にはかなり強烈な効果を認めない訳にはいかぬはずです。それをハナから捨て去るのだから、もはやもつ焼を食べる必要はありません。と長々書きますが、都心の居酒屋はこれからこんな風になるのだろうと考えると暗澹たる気分となるのは避けられません。 だからといってもつ焼は好物だし、ちょっとは食べたい。「新橋やきとん 神田神保町店」に移動です。ところがここも少しも臭わないのですね。新橋でやきとんなんてまさに大衆酒場の代表格のような店名ですが、これでいいのだろうか。でも少なくともこちらのお店は先の店よりお手頃だし、結構旨いからまあいいか。従業員のお兄さんが素人くさいのもにこやかさを絶やさない点を考慮すると好ましいのではなかろうか。この界隈ではお手頃な店ですが混み過ぎず空き過ぎず適度に混んでるのもちょうどいい。なんだか褒めまくっている気もしますがくれぐれも誤解されたくないのは、町がこればっかりになるのだけは勘弁してほしいということなのです。あと細かいことをもう一つ。こちらのスツールは座りにくいなあ。ぼくは175cmというほどほどの体格ですが、これは酔っ払うと転げ落ちちゃいそうです。
2017/01/28
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クリスマスでもクリスマスイブでもどちらでも構わない。いやそのどちらでもないのだからそれこそどうでもいい。長年通う護国寺のビストロでディナーすることになりました。護国寺駅を出て首都高の入口やらでごちゃついた道を越えてやがて日本女子大に到達する坂をえっちらおっちら登っていくと、目指す店はあります。初めて来た頃はぼくもまだ若かった。というか最初にその店を見掛けた時には、そこに食べに行ったわけじゃなく、そのお隣にある四ッ谷だか高田馬場にあったそこそこ手頃で知られていたビストロの系列に行ったその帰りでした。盛況だった系列店やらには、文句を言うほどではないけれどあまり満足できなかったことを覚えています。その帰りしなに横切ったのがこれから向かう店の前進であります。本場フランスでは、食事処のランクがレストラン、ビストロ、ブラッスリーの順に格が下がるというかカジュアルになると聞きましたが、その真偽はともかくかつてのそのお店の雰囲気はブラッスリーに近い印象でした。真っ赤な看板はアメリカンダイナーもしくはインドレストランといった印象であり、まあとにかくあまりビストロっぽくなかったわけです。暗い店内には米兵ーに見えたーしき二人の不良外国人が、表に向かって暗くて好戦的な視線を投げ掛けながらーいや、これはあくまでも当時の主観的な印象ですーワインをガブリと呑むのを眺めて、これは一体どういう店なのだろう、ぜひ今度来たいものだと思い、その翌週には訪れていたのでした。その当時の店名がどうしても思い出せぬまクリスマスメニューの出るというイブイブの夜にお邪魔したのでした。 「マルカッサン」は、休みの前の夜に訪れてゆっくり時間を掛けて呑みたいと思う数少ないお店です。普段のメニューだとデゼールー気取ってフランス語風に書いてみたーにチーズの盛合せをオーダーできるので、これでだらだらとワインをやるのがとてもいいのだ。しかしこの夜はクリスマスなのでデゼールにはブッシュ・ド・ノエルをいただくことにします。普段はケチって頼まぬ食前酒、キールも甘くて美味しい。毎晩は呑みたくないけれど、年に一度位だと大変に有り難みが増して贅沢な気分にしてくれます。一皿目、二皿目と一品一品ご説明差し上げても良いのだけれど、そんなもの下手くそながらも写真の一枚一枚のほうがよほど説得力があるはずなので割愛します。この特別なディナーのお楽しみは、普段なら単品となるところをいろんな種類が盛り付けされているのでいつも以上にのんびりと色んな味わい、食感、香りで楽しめ、しかも目にも楽しいのがこの上なく祝祭的で楽しいのです。日頃もこういう盛り合わせをやってくれると嬉しいのですが、それはまあプレフィックスとすることで単価を下げるのだろうから致し方ありません。いつもならここでチーズとなることはもう書きましたが、この夜は折角なのでブッシュ・ド・ノエルを頂きます。そしてそれが大正解。ピスタチオのクリームがこれでもかとビッシリと包まれていて興奮の旨さ。思わずお土産にできないかとお尋ねしたけど人数分しかないとのこと、クリームに随分お金をかけたと仰っていました。そうこのマルカッサンという単語は猪を意味するのですが、店には猪の飾り物があちこちに飾られています。ふーん、よほどイノシシが好きなんだなあと全く想像力も働かせることなく思い込んでいましたが、シェフの生まれが亥年だったとは、あまりにも分かりやすいのに気付かずにいたとはとっぽいことよ。そうそう前の店名もようやく忘れずに伺えたのでした、「ル·モガドー」でした。これはどういう意味なんだろうなあ。と、調べりゃいいのに調べないのです。
2017/01/27
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久し振りに石岡までやって来ました。前回来たのはこの町の素晴らしい喫茶店を訪ねてのことであり、その前はその喫茶店に振られるために来ていたのでした。だから駅前に良さそうな食堂が2軒、隣り合うようにあるのは知っていたけれど、本命を仕留めぬうちは、次に進めぬという不自由な一面がぼくにはあるのです。いつもは町は一度歩いた切りては分からぬなどと悟ったように語っていますが、ひとえにこの不自由な意固地さがさせるものなのだと分かっているのです。しかもかなり打算的な性格なので、欲張りすぎて失敗することもしばしなのです。人の身体はそれほど思い通りに働いてはくれないものです。また脱線しました。この日も欲張った一日を過ごして、その帰り道に石岡に寄ろうということなので、過去の過ちに少しも懲りていないのです。 でもここに寄るだけの気力は残っていました。「福々食堂」は、石岡駅前の大衆食堂。まさに絵に描いたような模範的な駅前食堂の風貌は、古い喫茶店や酒場に劣らず好物のぼくの視界にずっと収まっていました。ここがやってなくてももう一軒はやってると思っていたから気持ちは軽い。でもそんな杞憂などどこ吹く風、当たり前のように開いていました。大衆食堂の暖かさは、酒場の赤を貴重とした照明より疲労した身体や心を慰めてくれるようです。ぼくにとって喫茶店はやはり日中に行く場所で夜の喫茶店はどこか冷ややかで安らぎには結び付かないようです。ホッパーの『ナイトホークス』のような孤独が身に沁みるのです。無論、ホッパーの絵の中に見を置きたいような感情に晒されることも少なくないのですが、旅に疲れた身には食堂のぶっきらぼうなのっぺりした照明が心地よいのです。ところがこちらのお店、思ったよりずっと喫茶店よりの内装だったのです。可愛い細部と食堂の簡素が不思議な加減で交わっていて、何とも言えぬ感情を喚起するのです。嬉しくもどことなく落ち着けない所在のなさで、しかし寒さから清酒をお関してもらいます。他には誰一人いない店内でぼんやりと疲労した体に染み渡る酒を感じながら、ぼくはこの上なく幸福でした。冷えた焼豚さえ暖かく感じられるー旨いー。このまま呑み明かしたい気持ちになりますがそれは許されぬのだろうなあ。 次の上り電車までまだしばしの時間があるようです。ここでもう一軒の食堂に行っておけばいいのにそうせぬのがぼくの偏屈なところです。駅のほぼ真正面に焼鳥屋らしき店があります。前来たときはなかったかもなあ。店名の「鳥ひつじ」が気になりますが、凡そ察しがつくというものです。そしてその推測は間違っていませんでした。店のお兄さんに聴いておきながらその答えを遮るように、自慢げに答える己の態度が見苦しい。やはりジンギスカンのお店をやっていたようです。これを読んでいただいている殆どの方が容易に推測されたのではないでしょうか。実直そうな青年に次の列車の発車時刻まで呑ませて欲しいと告げると、嫌そうな顔もせずに応じてくれたのははずはありがたい。時間もないのに一応焼鳥を頼んじゃう辺りが、我ながら鷹揚なことです。それでもしっかりと火を通して出してくれるのはありがたい。時折、慌ててる素振りなどすしてみせると、火も通っていない品を出すような店があって、それは職業倫理にもとる行為であるのですが往々として経験することなので注意が必要です。他にお客さんがいれば手身近に引き上げるのもさして気まずくもありませんが、独りだと事前に己の状況や行動計画を嫌味にならぬよう、さり気なく伝えておくのが互いのためです。でもこんな店に入っちゃったから久し振りにジンギスカンが食べたくなったなあ。近頃都内でも食べられる店が増えてきたけど、まだまだ少数だからなあ。と書いてるうちにも行きたくなってくるのでした。今晩行こうかな。
2017/01/26
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西武新宿線の上石神井駅は、特に目立ったところのない、でもちょっとした駅前商店街のあるような典型的な西武新宿線沿線の駅前風景をなしています。沿線の各駅にはそらなりに下車して歩いてはいるのですが、正直どこも違っているようでいながらやはり似通っているところも多く、駅前通りの写真を見せられても言い当てられるのは半分の駅にも満たぬであろうと思われるのです。でも同じ西武鉄道の主力路線でも池袋線が高架化も進み、ようやく都心化してきたのに対して新宿線はまだまだという感じで、地方都市とかとはまったく異なる、かと言って浅草などの下町ともまた異なる新下町とでも呼ぶのが適当な町並みを留めていてたまに訪れるとなんだか心が浮き立つのを感じることができます。この町にも酒場放浪記にて放映された居酒屋があって、以前も訪れていますが見事に空振ってしまっています。何度も言っていますが、一つの町をそれなりに知るには一度ではとても足りず、最低二度は訪れないとその一端すら分からないし、できれば隣町から歩いて点と点を線で結んでみるのが良いようです。食べログなどで総ざらいされた感じの都内の飲食店情報ですが、駅間にはまだネットに漏洩していない店なんかもあったりするから歩いてみて損はないはずです。 なんてことを書きながらやって来たのは上石神井駅から目と鼻の先にある「いろは」でした。今回は無事に入れそうです。いや人気のお店だから満席と断れる心配もしないとなりませんが、おそらく大丈夫そうです。どういうわけだか扉越しで店内が見えるわけじゃないのに、何かしら気配のようなもので店の繁盛ぶりは分かってしまうものです。それが店の歴史の積み重ねがもたらすオーラなのか、それとも一夜限りの客たちが撒き散らすものなのか判別は困難ですが、恐らくは前者なんじゃないか。空いてる店は空いてるし、混んでる店は繁盛していることが手に取るように感じられるのです。ごく稀に想像を絶する境遇に巡り合わさぬでもないのですけど、その心配はほとんど念頭に置かなくて良いでしょう。この店の気配は、ほとほどの入りという予感は的中しました。難なくカウンターの一席を確保できました。店はそれなりに枯れた雰囲気ですが、店の方は総じてお若いようです。将来は安泰ということなのでしょう。でも店の人は若いけれど、店の雰囲気やメニューなどにはあまり若々しさが感じられません。それはそれで構わぬし大体において古酒場が好きと常日頃語って憚らぬのだから、これから語る言葉は矛盾かもしれません。だけれどこういう典型的なありふれた居酒屋の場合は、代替わりした以上はーしてなかったりしてー、何かしらの変革が欲しいものです。いや、まあ以前の営業がどうだったか知りもしないくせにこんな発言は乱暴だけれど何となく面白みがないのです。どこをどう取っても当たり前のごく普通の居酒屋さんというのが偽らざる感想なのでした。なんかもったいないなあ、よくなる余地は幾らもありそうなのに。
2017/01/25
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JRの御殿場線は都心からも比較的足を運びやすいし、実際何度かは乗り通したことはあるのですが、下車することはないままにオッサンになってしまいました。でもオッサンになったからこそその良さを知るというものもあるのですよね。なんて言い訳を挟みつつ御殿場線の乗客になるのでした。このためだけに御殿場線に乗車するのではないところがぼくのセコさの表明のようで、後ろめたさよりも己の恥部を晒すようでなんだか切ないのですが、これも己の真実の姿なのだからあえてここに顕にすることを厭わぬのです。さて、下曽我についてでありますが、多くの方がそれは一体どこなのだと問うてみたくなるはずです。実はここは住みたい町だったり、とにかく評判がよろしくて、その自負もあるのか鼻持ちならぬ印象のある神奈川県なのであります。東海道線の国府津駅からわずか一駅ーだったかなーというのに、到着した下曽我駅前は、ここが神奈川県かと目を疑いたくなるほどに田舎びています。いや、神奈川県でも内陸部はこんな風景が紛れているとは思いますが、かつて東海道を走る国鉄の幹線として活躍した路線の町としては、いかにも鄙びています。町を歩いてみても何軒かの和菓子屋とか酒屋、生花店がある程度です。居酒屋さんも数軒ありますがやってるんだかどうなのか。そういえば沿線では何度か「松ちゃん」という焼鳥店を見かけましたがこの町にもありました。駅前には「グリーンハウス」なる喫茶店店舗もありますがこちらも営業してるのか。駅の向こうには住宅があるばかりで、不気味なミイラのような女性の像が飾られていますが、夜中だとおっかないだろうなあ。 さて、向かうのは「平野屋」でした。思わず見惚れるほどの見事な木造家屋です。かつての宿場町の風情を留める観光名所はあちこちにあって、それなりに訪ねてはいますが、その多くが必要以上の改修をされているためか、家屋自体がどうぞ皆さん歴史があってもなお美しい私の姿を見てくださいと誇らしげにあるのがどうも違う気がする。経年劣化しつつも個人ができる限りの補修を重ねてなんとか人様に晒せる程度を保ってきた、そして実用にも供してきた、そんな健気さすら感じさせるこの木造店舗をひと目で好きになりました。片やハリウッド女優だとすればこちらはピンク映画、いやブルーフィルムの名もない女優さんたちのようなものでしょうか。さて、店内も素晴らしい造作なので、家具が新しいものだとしても視線を逸らし視界に入れなければ気になりません。南京豆でビールを呑みながらのんびりとカツ丼の到着を待ちます。開花丼というのも気になるし、ラーメンも食べてみたい。唯一、いかにも酒の肴のもつ煮込みも注文の言葉も出かかりましたがグッと飲み込みました。うっかり頼みすぎても食べ切れやしない。お客さんは初めは近所のご高齢の夫婦だけでしたが、続いて工事関係者らしき二人組、続いて背広を着たサラリーマンがばらばらに2名来られてにわかに店は大繁盛となります。便所をお借りしてみたいところでしたが、ご迷惑と思い遠慮しました。店は古くとも今でも町の数少ない食堂としてなくてはならぬ存在のようです。
2017/01/24
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王子には2軒の名酒場があるのだからそれでもう満足すべきではないか。それ以上望んでしまってはこの2軒に申し訳ないというもの。いや、何だかちょっと違う感じもしますけど、言いたいのは王子駅からちょっとやそっと歩いた程度ではここぞという酒場に巡り合うのは諦めるべきと、この夜までは悟り済ましたように構えていたのです。そして当たり前のように一目散に名酒場の一軒を目指しひた歩き、今年初めてのそこを存分に堪能し当然のように変わらぬ姿に性懲りもなく大興奮した余波に乗っかり、駅に背を向けて歩きだしたのでした。頭を冷やしたかったのでしょうか。などとまだそこまでは酔ってないのに雰囲気に逆上せた頭を冷気に晒したかったのだと理解しておくことにします。ともかく何を言いたいかというとその次に入った酒場もこの二店に並ぶとは言わぬまでも相当な優良店として、ぼくの脳裏に刻み込まれるのでありますが、その店のことはもう少しお待ち頂きたいのです。 駆け込むように店に入ったのは、ご存知「山田屋(山田屋酒場)」で、ここの素晴らしさはぼくなどのような凡筆な書き手には身に余ることです。だけど何も書かぬのは愛想がないというもの。このお店にもいくつかのこの店ならではの流儀があるから、それを書くことにしようか。いや、そんなものネット上からいくらでも拾ってこれるはず。ぼくのような漫然たる観察者では認知できぬような細部まで、隈なくフォローしていることだろう。客や店の方の触れ合いなどといった人情系小咄のようなことを書いてみせるほどには創作センスはないし、ましてやその意欲すらない。品書をもとに店のお勧めを宣伝するのも気が引ける。ぼくにできることなどただこの酒場で呑むことのこの上ない開放感とか、肴選びの難儀さとか楽しさだったり、おからサラダを自宅で再現しようと辿りを考えたりする位がせいぜいなのです。そしてそれが堪らなく自由で楽しいのです。ここては誰も画自宅で晩酌するように、または客を招いてパーティするような気軽さで各々が、最も楽しい態度で酒を酌み交わすのです。ある人はゲームをやってるし、ある人は読書に励む、こちらの方は見知らぬ方同士で会話を楽しんでいる。そしてぼくはそんな彼らを眺めている。そんな自由なムードがここにはある。どこにでもありそうですが、そうはない。あっ、そう言えば半熟玉子を頼むのを忘れてしまいました。またお邪魔するのもそう遠くないことでしょう。 と、いつもの事ですが、じんわりする位の満足を得てぼくは町に再び飛び出したのでありますが、無論このまま帰れるはずもない。少し気分をクールダウンさせねばならぬ。取り敢えずは北に向かって歩いてみることにします。そこに「松しま」の店舗を見かけた時は、ぼくのような貧乏系酔客には部が違う店と思ったものです。だけれど気の迷いか店の前に置かれた品書きを目にして驚愕するのでした。なんとなんとーこれだけもったいぶっても罪ではなかろうー、清酒二合が400円とあるではないか。これはかなり驚いて良いことではないか。まるで立ち呑み価格であります。そして何より店内の風景がいい!予想を上回るオオバコで、テーブル席が多いけれど、カウンター席もゆったりしています。おばちゃんたちもとても感じが良くて大変気分がよろしい。お通し代250円も不満にはならぬのであります。肴も無論お手頃です。時々酒は安いけど肴が高い、その逆なんてことがありますが、ここはそんなインチキはありません。おおいに呑んでおおいに食える良店です。第三の店に出会えました。そして王子の潜在力を信じたくなりました、いや確信しました。王子はきっとまた多くの知られざる酒場があるものと確信しました。
2017/01/23
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8月のうだるような暑い朝、一度目が覚めてしまうともう寝てなんていられない。前夜は良い加減に呑んで、落ちるように眠りについていたらしくこのところ感じたことのないくらいに快適な目覚めなのでした。ただ、このまま起きてしまっても特にこれといって予定もない。だからといってこのまま微睡みを続けては一日を棒に振ってしまいかねません。なので、余っていた18きっぷで前橋や高崎の何度かトライしてなお入れずにいる何軒かの喫茶店を訪れておくことにしました。これはかねてよりプランを立てていたので慌てて調べものする手間も不要です。いつもこれ位に準備万端整えておいて、突然の旅心に対応できるようにしておきたいものです。 さて、仔細についてはすっかり失念してしまったのですが、とにかくも前橋駅に到着。今回はレンタサイクルを有効に活用しようという算段です。いいぞいいぞと、貸出先の前橋プラザ元気21を目指し、一目散に向かいます。ところが、ビル自体が空いていないではないか。やむなく急ぎ足で町を駆け巡ることにしたのでした。ところが「喫茶 メネシス」はやっておらず、目当ての「喫茶 あおき」は開店時間を過ぎても一向に店を開ける気配がしない。レンタサイクルがあれば「ひかり」というお店にも行っておきたかったのですが、歩きにはちょっとばかり遠すぎる。 朝まだ早い時間に早くも都内方面に引き返すのは虚しいのですが、とりあえず高崎駅を目指すことにします。でも悪いことばかりではありませんでした。久し振りに見る上越線の車窓は何だかとても新選に感じられたのです。これをキッカケに長岡方面への日帰り旅行を計画し、実行できたのだからまあ良しとしよう。 さて、高崎でもレンタサイクルをフルに利用しようと駅西口自転車駐車場に向かいます。こちらはやってます。ホッとして駐輪場の係に話しかけると、なんと祭りがあるとかで貸出はできないとのこと。事情は納得するしかないのですが、己のツメの甘さに落胆します。やはりあまりに計画に縛られるとこういう事態への対応力が低下するようです。祭り前ということもあり、数多くの屋台が設置され、町の様子はこれまてに見た事もないくらいに賑わっていますが、機動力を奪われたぼくにとっては通行の妨げになるばかりです。駅前通りをひた歩きし高崎川を渡ってもなお直進します。ここらまで来ると人通りも少なくて、しかももうやってはいないようですが、古い店舗跡なども見受けられ、まあそう退屈しません。しかし戻りも基本的に似たような経路を辿るしかないのは憂鬱なのですが。やがて、大きめの郊外型の喫茶店が数軒見えてきました。いずれもやっているようです。 いずれもやっているということは、考えるまでもないことですが、手前の喫茶店を見やりつつもう一軒に向かったということです。寝起きにコップ一杯の水だけで過ごしたのに、一軒スルーできるということはまだ余裕があるということです。高崎大仏に繋がる緩やかな坂道を上がっていくと「コーヒー&スナック 蛮珈梦(ばんかむ)」があります。店名からもっと夜型の店を予感していましたが、意外にもスナックらしさの希薄な真っ当なコーヒーショップでした。駅からは随分と距離もあるのに随分と気合の籠もった立派な店を造ったものだとさひとしきり感心します。ウッディでシックではあるものの、とりわけ面白みがあるわけじゃなくて今ではすでに印象も朧気になりつつありますが、飽きさせることなく通いたくなるのはこういう店なのです。 実はそのそばの「珈琲館 並木」も似たような印象のお店でした。だから書くべき事はあまりありません。でも店名の印象からは、前者が狭そうな印象ですが、実際には後者がむしろこぢんまりとして好みの差が出るのではないでしょうか。そして、店名通り緑も多くてそれは確かに心地よさにつながっていて、好ましい印象です。だからその日目覚めた気分次第で使い分けることができそうで、それはそれで誠に羨ましい状況なのです。ぼくの暮らす町などは選択肢どこらか通いたくなるような喫茶店の一軒もないので、その迷えるという状況だけでもこよなく贅沢なことだというのに高崎の人達は自覚的なのだろうか。いずれも常連さんが2名程いるだけなのです。行かなくてもやがては店を閉めることになるとは思いますが、行かないでままでいてはそれを加速させるばかりなのに。 すぐそばにこんなお店もありました。もう一軒は廃墟のみ。 次に倉賀野駅に下車してみました。「テルミニ」という喫茶店があるらしいのですが、探せど見つからず、これといって見るところもないので町を一巡りしたらさっさと高崎線に乗り込んだのでした。 続いては新町駅にて下車します。ここも初めて下車する駅です。駅前通りはのっぺりしていて散歩するにもあまり気乗りしない雰囲気です。「カフェテラス 杜」という閉業喫茶店の廃墟ビルがあります。この退屈な通りをしばらく歩くとその突き当りに「トムソン」がありました。看板が見えた瞬間にここはいいと確信を持てるタイプの店です。このタイプは奇抜さや衝撃というような暴力的で狂喜に満たされた空間とは正対する正当的な内装であることが多いようです。しかし前者が単に店主が独特な美観の持ち主であったりするばかりで格別ヘンテコリンなことをやっているという意識が希薄なのに対して、正統派の店造りをする方は内なる情熱は圧倒的にした上回っているんじゃないでしょうか。無論、情熱の発露の仕方というのは人それぞれ店それぞれだから特に内装という点だけに着目すると身落としてしまう細部もあるはずですが、現在のぼくの喫茶趣味は一面的ななものに留まるのもやむ無しと思っています。とまあ取り留めのないことを書いていますが、このさり気ない一軒の喫茶店の存在は、寂れたこの町の価値を間違いなく高めているはずです。
2017/01/22
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鶴見という町は、鉄道趣味のあった頃には、機会を見つけては通り過ぎていたものですが、単に乗り回すことに満足できなくなった今では、随分もったいないことをしたなあ、もっとあちこちを途中下車家ておけばよかったなあとも思ったりするけれど、興味の対象なんてものはほんのちょっとしたきっかけで変わったりするものだからそれはそれで良かったのかとも思うことにします。だから鶴見の町を初めて自分の足で歩いたのはつい10年ほど前が初めてだったのですが、随分ごちゃごちゃした町並みだなあ、そして相当いかがわしくて猥雑であるなあと興奮し、そして最初は足早に二度目はじっくりと徘徊したのでした。そう、もしかするとぼくの徘徊癖は鶴見散策が起因となっているのかもしれないと、もっともらしいことを語っていますが、まあ満更嘘でもないはずです。小汚い酒場もそこら中にあって、そのどれかしらはきっとぼくの気に入るに違いないはずでしたが、いかにも数が多い。ぼく一人の身ではとても回り切れたものではない。毎晩通い詰めれば、ひと月も掛からずに回りきれるはずですが、自宅からは近くはない。そんな風に思い始めていたら酒場放浪記で何度目かの鶴見酒場が放映されたようです。じゃあ、まあ眉唾で行ってみることにしようかな。 訪れたのは「源氏」です。まあ外観は煤けて古びていて、悪くないけれどまあ映画のロケにでも使われそうな、典型的にベタな雰囲気の店でありました。引き戸を開けるとテーブルが間近にあり、随分窮屈な配置になっているからには繁盛しているということなのでしょうか。まだ時間が早いのでお客さんはカウンターにお一人。チューハイだかを頼んで改めて店内を見渡してみると、うん、これはなかなかいいや。入ったときには窮屈そうだったテーブル配置も収まるべき席に収まってしまうとしっくりとくるし、奥の小上がりも寛げそうで下手すると住み着いてしまいそうな雰囲気すらあります。店はオヤジさんとその娘さん夫婦なのかしら。若い女性が一見すると上品で楚々とした印象なのに実際にはハキハキと元気が良くて店のムードメーカーになっているように思われます。後を継ぐかどうかは分かりませんが、少なくとも当分は安心して良さそうです。お通しのお新香が正月疲れした胃腸に優しいけれど、焼物はいっておかねば。こちらはまあそこそこのお味ですね。砂肝ニンニクという品は焼物より食べやすいというのはどういうことなのか。バターだかマーガリンで炒めているらしいので、こちらの方が油分が多いはずなのに。炭の香りはバターより重いのかしら。ところでこの品、値段の割にアレレと思う位にちょっぴりしかないので、そこら辺は覚悟の上お求めください。悪くない、だけれどぼくの夢想する鶴見の酒場はどうもこことは違っているようです。鶴見の酒場を虱潰しにしたいようなことを始めに書きましたが、ここで呑んでいて気持ちが変わってきました。鶴見の酒場は仕事帰りに軽くしんみりと一杯引っ掛けるのが似合いそうです。焦らずじわじわと通うのがいい。だからハシゴはよその町にしようと次の町に歩きだしたのでした。
2017/01/21
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少人数の会合をすることになりました。店選びという大変楽しい役割のみの幹事という儲けものの枠割を引き受けることになりました。会合とはいえかねてから知る酒場を選ばぬのが、ぼくの身勝手な幹事っぷりの証左であります。しかし、さすがに店選びの根拠に何某かの後ろ盾が必要であります。そんな時、人からの紹介というのはあまり説得力を持たぬようです。むしろその情報の正確性に疑義の残るとはいえ、現在は食べログの評価っていうのが、信用されるようです。口づての依怙贔屓より、多少なりとも客観性を担保されるネットのデータのほうが信じるに足るということなのでしょうか。ということで早速食べログを検索しました。もう一つ条件があります。焼鳥は避けるというものです。これはなかなかに難題であります。なので思い付いたのが蕎麦屋呑みです。そう言えばここの所、そば屋で呑む機会が増えているような気がします。以前は蕎麦屋呑みは大人な呑み方という印象で憧れたものですが、財布と釣り合わぬことにすぐに辿り着いたのです。それも過去のこと、近頃はお手頃でかつ肴も充実したお店が増えていて今後が期待されるところですが、ともかく蕎麦屋と決めると案外簡単に店はを絞り込むことができました。 その一軒で飛び抜けて評価の高かった一軒を提案してみたところ、皆さん大いに乗り気になってくれました。ネックとなるのが予約を5名からしか受け付けぬとあること。この夜の参加者は4名の予定です。ところがそんな懸念も電話してみて吹き飛びました。あっさり予約できたのだから後は会合当日を指折り待つまでです。「吟八亭 やざ和」は、亀有駅の東側を5分ほども歩いた商店街の切れ目、というかはみ出したような一角にあります。しかも何とも目立たぬ造りの入口で地図なしでは見逃していたかもしれません。暗い玄関から伸びる階段を上がると和風ではあるけれど、どうも蕎麦屋らしからぬ手作り感の濃いモダン和風の内装が目に入ります。これはどうなんだと口にしそうになりますが、幹事たるもの余計な発言は慎まねばならぬ。奥の小上がりに通され、席に着くとまあそれなりに落ち着けます。他に客はなく予約せずとも入れたかな、その後も何組かの客が来店しましたが満席には程遠いのですが、予めお客さんを絞っているのかもしれません。ご夫婦二人でやってらっしゃるようですし。早速蕎麦屋の定番の肴をオーダーです。出汁巻きに板わさ、天ぷらなどなどの定番は、確かに旨いけど絶品というまでのものではありません。値段はそこそこなのでこれは改良よりも価格面で工夫してもらうのが良さそうです。カモ焼きはちょっと脂が皿に溜まっていたのが鼻に付きました。これでは居酒屋の盛り付けです、旨いからまあいいんですけど。さて肝心なそばですが、なかなか良かったのですが、いわゆるそばの香りは軽めで、上品な仕上がりの印象。まあぼくなどのような田舎モンには田舎そばのゴツゴツした味わいが楽しいのでこれは好みの差という事なのかもしれません。 いつまでも蕎麦屋呑みは、お金がいくらあっても足りぬ。なので駅に引き返しがてらの「さけみ」に入ることにしました。こみらはモダンな洋風の造りのその実は単なる居酒屋さん。焼鳥が駄目な方がいるのにいつの間にやら焼鳥がオーダーされています。皆さん、なかなかの健啖ぶりですねえ。ぼくが最年少というのに情けないことです。ここはまあ安からず高からず、特に美味からず不味からず、良くも悪くも特徴に乏しいお店というのが唯一の感想です。もう少し店の個性を打ち出して貰いたい。なんて日頃は酒場などというのは当たり前が一番だなんて言ってるのと矛盾するようですが、新しい店だからあえてそう言わせてもらいます。
2017/01/20
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今回は沿線の方でなければまず聞き覚えのないであろう六会日大前駅に行ってきました。六会という地名とオオバコ大学の日大があるから組み合わせちゃおうという安直かつガッカリなネーミングの駅名です。小田急江ノ島線の藤沢からすぐの駅ではありますが、日大の他にこれといった施設もないのでわざわざ訪ねるようなこともそうはないだろうし、ぼくもこの食堂の存在を知るまではそう思ってました。駅を出てみてもいかにも冴えない郊外の感さんとした駅前風景が広がるばかりで、商店街と呼ぶには躊躇いを覚えるような殺伐とした眺めです。時は昼下がりのピーカン陽気ということもあって、侘しいながらも不思議に脳天気な雰囲気ですが、これは町並みよりも天候が勝ることがもたらす錯覚なのだと思われます。そんな単調な駅前を抜けるとここだけは列をなすラーメン店がありましたが、そこは横目で見やるに留めます。行列をなすラーメン店には食指が伸びません。そこからは真っ直ぐに整備された単調な住宅街が続き、ウンザリとした気分で歩き進みます。こんな町外れに大衆食堂が本当にあるのか、若干の不安を抱えてなおも歩みを進めるしかありません。 やがて古いけれど住宅にしては大きすぎるトタン張りの建物が見えてきます。どうやら「高砂食堂」の裏手に出てしまったようです。表に回り込むとそこにはネットで見ていたとおりの田舎のドライブインのような質素で飾り気のない大きな建物の全容が顕になります。そうそう、子供時分に地方の各地を転々としていた頃に、よく連れて行かれたのはこういうお店です。いそいそと店内に入ると食事時は過ぎているのに結構な人数のお客さんがおります。学生も多少いるみたいですが、駅から遠いこのお店にわざわざ来るとも思われずどこか日大以外の学校に通う学生なのかもしれません。混んでいるといってもたくさんあるテーブルに一人で陣取る客も多く、相席するまでではありません。大概はいかつい表情の現場作業員風の身なりの方たちで彼らこそこうした大衆食堂の主役であります。ぼくのような通りすがりの者は、店の隅っこに大人しく控えるのが正しい振る舞いとなるはずです。とか言いながらテレビの見やすい上席を確保するあたりが我ながらしっかりしている。残念ながら撮影のテクニックには無念を禁じ得ないもののフォトジェニックな構図の確保可能な席取りにはそれなりの自負があります。元来横着者なので、写真を撮るなどという作業は本当に憂鬱なのです。でもいつか遠くない将来に日本中の居酒屋が殲滅されたとして、その時にこうして撮り溜めた写真を眺めながら呑む時が来るなんてことを考えたりもするのです。さて、そんな暗い話はさておくこととして、ハイサワーを注文しつつ、食べるのはラーメンとカレーのセットとは相変わらずの保守的なものとならざるを得ないのが、ぼくの限界であります。でもまあ好きなんだから仕方ないね。こういうのすっごい旨いわけじゃないし、量が飛び抜けて多いわけでもない、でも好きなものはいくら炭水化物が被ろうとも食べたいのだ。そして、結局腹一杯になり、己はこれ程に食が弱かったのだと思い知らされ、ションボリして店を出るのでした。
2017/01/19
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またやってしまいました。そば屋でそばをいただかないとはいかなる了見かと、非難される向きもあろうことは百も承知しているのですが、腹が一杯になってしまってもう食えんということになったのだからやむを得ないでしょう。だったら2軒目にそば屋を選択するというのは間違いだったのではというご指摘もあって当然ですが、入ってしまったんだから仕方がないと開き直ることしかないのです。ともあれ、田端駅を出て馴染み深い陸橋を渡り、さらに直進を続けるとしょぼくれた活気の無い商店街があります。やがてサンドイッチが旨いらしい「テラス」という喫茶店に辿り着きますが、今晩は素通りです。ここは呑む気で通り掛かるといつもやってるのに、なぜかコーヒーを飲みに来ると休みだったりする、どうも巡り合わせの悪いお店のようです。明治通りを渡った先にそのそば屋はあるのですが、実は未知なる酒場を求めてしばらく迷いに迷った後に結局収穫なくここまで引き返すことになったのですね。 そして入ったのが「居酒屋 向日葵」でありました。本当のところはお隣の中国人店主のやっていた日本式酒場を目指したのですが、いつの間にやらインド料理店に変貌しています。中華料理店同様にインド料理店も凄まじい勢いで勢力範囲を拡大しており、やがてはこうしたインド酒場をも視野に入れなくてはならないなと思うと嘆かわしい気持ちになるのですが、純和式酒場がある限りは極力避けるようにしたいものです。なんて言いながら南インド料理は贔屓にしてるのね。さて、こちらは外観から受けた印象を裏切らぬ典型的な小料理屋風の酒場であります。カウンター席は8席ほどでほぼ埋まっています。真ん中の席というのは一見にはちょっとキツイのですが、選択の余地はありません。左には仲良し常連トリオ、右には定食を食べるもう若くはない女性がお二人おられます。女将さんはチャキチャキとした喋りの小気味よい賑やかな方です。初めこそ皆さん警戒の視線を隠そうともせずこちらもそんなことには慣れっこだから、知らんぷりを決め込みます。そしてやがてふとしたキッカケから声を掛けてくるのです。これもいつもの事ですが、そういう気さくさは愉快なものです。そうそう甘い赤飯もご馳走になりました。皆さん口に合わなかったようですが、ぼくはどこかで食べたことがあったのでー栃木辺りだったかなあー、違和感なく美味しく頂けました。難点は愉快な気分になってひっきりないお喋りがいつまでも止まぬので席を立つきっかけをうしなうことです。 ちょっとしんみり呑みたい気分になったので、普段なら見向きもしないであろう小奇麗なそば屋「滝乃家」にお邪魔することにしました。店の雰囲気には特に語ることはない、強いて語るとすれば一人でも遣いやすいような客席の設定がなされていることだろうか。ここなら独りでも気兼ねすることなく呑めそうです。ただしそれは他にもそれなりにお客さんがいる場合に限られる。この夜は他にお一人様がいるだけなので、嫌が負うにもーとあえて感じで変換してみるが果たして正しいのかー店の方の視線が集まるのを意識せざるを得ない。呑みの客のゼットも充実しており、悩みに悩んで、焼酎と奴、春巻きのセットを選択するのです。小振りで細身の春巻きだからカリポリとして実に食べやすい。ポテト明太とチーズの二種森がチーズなしだったのは残念だったけれどポテト明太がウマかったから問題なし。しかし、そばを手繰る余裕はもはやない。家に帰り着いたら空腹で気分が悪くなるというのになんとも非合理的であります。それにしても止むなぬ選んだここの奴は旨かったなあ。ヴァリエーションの多いこの店のセットならきっとまた豆腐を選択しちゃうんだろうなあ。
2017/01/18
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長いこと敬遠していた大井町に近頃ちょくちょく行っています。便利そうで案外行きにくいという愚痴は先だってひとしきりボヤいたばかりなので繰り返すことはしません。高校生の頃、夜行に揺られて友人と遊びに来た際に宿泊したのがこの町だったこともすでに書いたような気がします。邦画ー時に外国映画も上映していましたけどーの珍作、怪作を漁るように見たのもこの町です。何にせよぼくにとっての青春がこの町には充満していて、時として息苦しくなるのです。雑然としたこの町を人混みを避けるように足早に駆けずり回っていた暗い時代のことは、遠いか異なった今でもオリのように堆積し、暗澹たる思い出として今でも脳裏に蘇るのです。そんな極暗色で彩られた町で酒を呑み、したたかに酔ってみようものなら必ずやバッドトリップすること請け合いです。さて、今回は体調イマイチ、でもせっかく大井町に来てしまったので軽く立ち呑みをハシゴしようという目論見です。 最初に来たのは、大井町が誇る呑み屋街の東小路、平和小路の入口にあるその名もズバリの「立ち飲み処」です。でも来てみたはいいけれど、間違いなくここにあった立ち呑み屋に以前来てるんだよな。居抜きされたのか単に店名を変えたのか判然としないけれど、まあそんな事は大した問題ではありません。今ここにある酒場が良いか悪いかのその点こそのみ注視、いや注呑すればいいだけなのです。まず狭い店舗ではあるけれど人でぎっしり埋まっていることからだけでも支持されていることは明らかです。しかしそれはここ大井町では必ずしも高評価であることの指標とはならぬのかもしれません。酒場好きにはよく知られるお肉屋の立ち呑みは当然としても、他の何軒かにも多くの客が詰め掛けているのを目撃することができるはずです。大井町の呑み客らはこの町の安酒場が好きに違いなさそうなのだから、ことさらこの立ち呑み屋を贔屓にしているわけではないかもしれぬので、簡単に決め付けることはできません。それにしても混んでいる。ポジションをフィックスすることさえままなりません。テレビも設置されていたはずですがこれだとおちおちテレビなど眺められる立ち位置など見当たらなさそうです。で、感想としては可もなく不可もないごく普通の立ち呑みという穏当なものになりそうです。ただし店名が想起させるような模範的な店とも思われず、実は隣に立った若い男が店の人とも懇意にしているらしいのですが、とにかく無作法であり、それを注意すらしないというのはどんなものだろう。ぼくの良く通う立ち呑みでは、主人こそが店の規律だけでなくムードさえ演出したというから立派であります。そうした怖くて寛大な主人が求められているのかもしれませんが、果たして大井町にそれは期待していいのでしょうか。 続いては評判の中華立ち呑み店「臚雷亭」に行ってみることにしました。それこそこちらはすし詰め状態の大盛況っぷりです。店の中国人の女性スタッフの助けもあり、掻き分け掻き分けしてようやく店のど真ん中に立ち位置を確保します。さて、ここで早々に結論を申し上げます。こちらのお店、評判に違わず早い安い旨いの立ち呑みの三原則に準じていて大変結構なのですが、そんなことよりもっと大事なことがあります。スタッフの彼女たちは笑顔こそ少ないけれどとても親切で丁寧であります。そして何より良いのが客のことは大事にしながらも愚かな客に対しては毅然とした態度で叱咤し、繰り返しの注意に応じぬ者には躊躇なく退場を命じるのであって、それを目にして思わず喝采を上げたくなりました。規律を守ることは指摘された当人にとってはバツの悪いものです。しかしそうする事が店全体の雰囲気を良くすることを彼女たちは身を持って知っているようです。中国人のマナーの悪さを日本人は事あるごとに話題としますが、日本人だって酷い奴は幾らもいるのです。彼女たちはきっと同胞に対しても態度を変えることはしないはずです。大井町の酒場は、彼女達を範とすることを是非ともに推奨したいのであります。
2017/01/17
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西武新宿線の酒場とは、どうも相性が悪いらしい。というか酒場放浪記を情報源に訪れた酒場には、大抵の場合、一度や二度は空振りさせられる羽目になります。番組を見て酒場を巡るなんて、邪道だなんて言われても仕方ないなと思う気持ちがある一方で、まったくの徒手空拳でわざわざ電車を乗り継ぐ者などまずいないはずだとぼくは思っています。どのブログやらのことを語っているかはここでは控えておきますが、ぼくの場合は初めて訪れる町、それも交通費を払ってまで呑みに行くのだからなるべく効率よく、良いと言われる酒場を巡りたいと思っています。それが呑兵衛道にもとるとは少しも思っていません。酒呑みなどという人種は、もとより卑しくてさもしいものであり、十円でも安く呑めるなら平気で1キロくらいは歩いてしまうものなんじゃないでしょうか。時は金成りと多少駅から離れた酒場にタクシーで向かう人達を見ると、セコいぼくなどは驚愕と同時に羨望の眼差しをついしてしまいそうになるのですが、そこは貧乏なりにプライドもあるのでグッと堪えるのでした。 さて、わざわざ安くもない運賃払って2度目だか3度目の訪問をしているのだから、その元を取らずには帰れまいと、勢い込んで訪れたのが「居酒屋 縄のれん」でした。駅からも近いとは言えぬ立地であるし、正直門前払いを食わされるのはもう懲り懲りと、それでも営業していないことを前提に歩を進めるのです。そんな具合なので店の明かりが灯っているのを見たときは、興奮しちゃうのです。そんな機会は無いに等しいぼくですが、素敵な女の子に振られ続けてようやくデートを取り付けたような気分です。しかしここで気を抜くわけにはいかぬ。急用が入ってドタキャンされるのと似た感じに、満席で門前払いとなることも残念系男子のぼくは想定しておくに越したことはないのであります。そこだけは勢い良く引き戸を開け放つと嬉しや一人の客もおらぬのです。多くの酒場好きは空いてる酒場を忌避する傾向があるようですが、ぼくはむしろ酒場なんて不健康な施設は空いているのが当たり前だと思う傾向があります。だから、ここに他の誰も客がおらず、しかも個性的な店主との濃密な時間を過ごすことができます。最初は変わった人だなとなんとはなしに聞き流していましたが、その話題は多岐に及び単なる会話が議論へと転化するのにそうは時間を要しないで済むことでしょう。特に政治的な話が好物のようでして、ぼくのようなノンポリであれば笑って済ませる意見もゴリゴリの活動家であるのなら右左関係なしに深入りせぬのが無難と思われます。彼にとっての現在の関心の中心はここら辺にモノレールを開通させようというもので、パウチされた宣伝ビラまで託されました。ところでこの好ましくも癖のあるオヤジには諸々のご意見がありそうですが、酒場としては実に実用的なのです。つまりは安くて早くて旨いのです。店の雰囲気も外観そのままにごちゃごちゃして窮屈でそこがまた好きな人には堪らない心地よい空間なのです。また行きたいなあ。
2017/01/16
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正直、今度の東武電鉄の喫茶巡り、2回に分けず一度に報告してしまうつもりだったのですが、下今市の次に向かった幸手駅が埼玉にある駅というただそれだけ、カテゴリー違いは面白くないなあというのだけが理由で分割することにしました。悪しからずご了解いただければと思うのです。さて、ところで幸手の喫茶店については、今更ぼくなどが語らずとも多くのブログで紹介されているようですし、ぼくも何度か見た事があるのでした。なのでそうした先達のあと追いでしかないので、これを書き残すことの意味はぼく自身の備忘録というか日記そのものに過ぎません。 言い訳はここまでにして、初めての幸手に気分は高揚します。ネットに流布されるその店の写真からきっと町並みも古い商店がたくさん残っているのだろうなと、期待は嫌がおうにも高まるのですが、駅の東側に降り立ったぼくを待ち受けていたのは、期待に反する味気のないこれと言って特徴のないものでした。特に一軒目の喫茶店を目指して南下するにつれ、その退屈さは加速するようです。かつてしゆくばのあつた町というのにこれではいかにも寂しい。と思ううちにも最初のお店が見えてきました。 表から見ると山小屋風の「コーヒー&ケーキ シャモニー」は、店内に入ってみるとその印象は一転して正統派のシックさに覆われている事が確認できます。照明を抑えた薄暗いお店に日中訪れた時には、極力窓よりの席を選ぶことにしています。外から差し込む日差しのニュアンスが内観の良さを際立てることが多いからです。時には眩しすぎて実際の印象とはかけ離れた、見当外れの見立てとなることもあるので注意が必要です。落ち着きのある茶と黒を基調とした内装はぼくの好みです。比較的平板になりがちなこのタイプの喫茶ですが、要所要所に装飾を加えることで飽きさせない工夫も凝らされていて、なかなかに手が込んでいる。こんした郊外型の喫茶の常で地元のオヤジたちが他の客がいる事などお構い無しで、赤裸々に仕事のことやらを大声で語りだしたりするのですが、それを無視する術はすでには身に着けたのでぼくは大丈夫です。 目指すもう一軒はお馴染みの「モンテ・ヤマザキ 幸手中央店」です。大通りをひたすら北上しても構わないのですが、お楽しみは帰りの道中に取っておくこととし、裏通りのくねった細い道をひたすら歩きました。途中いくつかの立派な寺社を見受けましたが、それほど愉快なものでもない。やがてその先に浅間神社があるらしく、浅間通りという通りにぶつかりました。ここから目抜き通りに出ると憧れのお店があるはずです。おっ、明かりも付いています。ホッとしたのも束の間、入り口の自動ドアが固く閉ざされているのです。これは一体全体どういうことか。店内には確かにお客さんらしき姿も見えるというのに。常連さんのみ許された特権なのだろうか。すると店主が急いで近付いてくるのです。どうやら手動にしていたようです。ひとまず安心です。手前の雑然とした販売スペースを過ぎると、ネットで何度も目にした光景が現れます。ユニークな形状と柄のソファには前々からぜひとも腰掛けてみたかったのです。まあ実際にはそれほどの座り心地でもないのですが、満足感に存分に浸らせてもらいました。酒と肴も充実していて呑み屋としても利用されるようですが、ぼくでさえここでは酒を呑む気分にならないなあ。ここに相応しいのはクリームソーダとかのパーラーメニューでしょうが、カロリーを気にしてせいぜいココア止まりにしてしまう冒険心の欠如した己が歯痒い。店を出るときも親切な店主は慌ててカウンターを飛び出てドアを開けてくださいました。さて、通りに出るという揃って暗い視線を投げ掛けるマネキンで満たされた洋装店以外これといった見物もなく、十分目的も達したと足早に帰路を急ぐのでした。
2017/01/15
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大師前が続くと退屈と思い、本当はよその事を書こうと思ったけれどそんな工夫が面倒に思われる年明けのひと時なのであります。書き溜めたと思った記事ものんべんだらりんと正月を過ごす程度でしかなくて、正月ボケの解消もままならぬ内に書き始めてみるとちょっと書くとうつらうつらとなってしまい、振り返りつつ書くことになりますが、それがまあ何を言いたいのかよく分からなかったりするのです。辛うじて理解できそうな部分は残しつつ、もともと出来損ないなところに厚化粧しているようで、甚だ読み難くかつ解りにくいところも多々あるかと思われますが、調子が戻るまで懲りずにお付き合い頂ければと。さて、長い言い訳でお茶を濁しておいて、昨日の続きですね。そう、まだ時間があったので長いこと入る機会を逸していた西新井名物の甘味処に行ってみることにしました。何年ぶりの訪問かは思い起こしたくもない。 「伊勢末酒店」と並び称されるボロ建築、ただしボロいけれどともに丁寧に手入れされているのだか、古くて錆などの経年劣化を見事に店の歴史として受け止めて、美的とも思わせるだけの枯れ具合を誇る「かどや」にお邪魔したのでした。店内もかつてと少しも変わらぬ辺りが店に対する揺るぎない愛情を注がれているようで、嬉しくもご苦労が忍ばれ感動的ですらあります。まあ、そうは言っても造りは土産物店併設の食堂風でこれといって代わり映えするわけじゃないんですけどね。その辺のありきたりな所で楽しめちゃうのが喫茶店との違いですね。焼そばをもらいます。次がメインなので無論小サイズにしておきます。ここのは本当に控えめな量なのです。味も控えめなので、腹だけでなく舌にも負担が少ない。控えめ過ぎるからコショーを追加投下します。 さあ、やって来ました。「焼肉 だるまや」です。うっかりする間に開店時間を過ぎてしまったようです。でもまあ小上がりは埋まっていますが、カウンター席にはお一人様だけ。焼き台も個々にあるので一人焼肉にも良い塩梅です。何品か肉を注文し早速いただくことにしましょう。箸休めにカクテキをオーダーしたのですが、これが普通に美味しくて量がゴツいのでこれだけでも腹一杯になりそうです。実際、肉が来る頃にはそれなりに満足してしまってるのだから何をしに来たものやら。まあ、肉なんていうものは各種二、三枚も食べればそれなりに満足できてしまうものだし、何種か食べてみればこの店の実力も知れるというものです。で、結論を申し上げますとまずまず美味しかったです。噂で聞くほどにとびきり旨いなんてことは少しもありませんでした。でも普通に美味しくてそれで十分じゃないでしょうか。不思議なのがここに通っているというのに絶賛しまくる人がいるということ。お気に入りの店を褒めたいと思う気持ちは分からぬではないですが、ホントに好きなら内緒にしておきたいとか秘密にしておこうとか思うのが、人情ではないでしょうか。ぼくもなかなか足を運べぬ場所にある店のことは書くことで少しでもお客さんに足を運んでもらえるよう期待することがありますが、日頃から頻繁に通っていてそれなりに客の多い店のことはまず書きません。いい店なのに誤解から悪く言われていたり、あまりお客さんの入っていない店のことは書いたりもしますが、需給が落ち着いて安定していたら触れずにいた方が良いと考えるのです。ともあれ、この古びたお店は宴会客にはあまり使ってもらいたくない気がします。一人客や家族連れが寛いで食べて呑めるようなお店であってほしいと思いました。
2017/01/14
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東武の大師前駅は、近頃ちょくちょく登場しているのでこの辺りの地理やら交通やら名所については、特に触れることはしません。と最初に宣言してしまうと途端に文章が書けなくなってしまうのだから、敢えてそんな事は言わないでおけばいいのに、消去するのも面倒だし、もったいない気もするので極力発言に背かぬよう続けたいと思います。さて、別に年を越したからといって、近くの大師様をお参りしに来たのではありません。大体これはまだ昨年の出来事なのだから初詣のはずもありません。以前から気に掛かっていた古い焼肉店がこの界隈で評判の安くて旨い店のようで、開店前には列をなすという噂なのでちょっと早めに来てみたのでした。実際にはちょっとではなくかなり早く到着したので呑める酒場を探すことにします。 まあ、ここなら確実に呑めるけれど混んでるのはどうも気乗りしないなあと、「伊勢末酒店」の前を一度横目で素通りしてみたら、どうやら空いてるみたいです。だったら入らぬ法はない。いそいそ店内に入ると相当お齢を召したお婆さんが女将さんを相手に茶飲みならぬ酒呑み話の真っ最中であります。ビールの大瓶をゆっくりじっくりと舐めるようにして呑まれています。こういう余裕のある呑み方をいずれ身に着けたいとは思いますが、今のぼくにはまだまだ過ぎたる贅沢です。ここの写真はとにかく画になる。あまりにも素晴らしい佇まい、それも映画のセットみたいにわざわざ誂えたんじゃないかと思いたくなるほどに出来過ぎているので、どうも観賞用の店で実用的ではないような印象を受けるのです。ぽっちゃりとした女将さんの孫らしき坊主も、あまりにもハマりすぎていて演技をしているんじゃないかと思うほどです。そんな作り物めいた、演出の一部に巻き込まれたかのような己を振り切るために渋々と出してくれたサンマの煮付けを突きながら、ハイボールやらを呑むのです。ここでは呑んでいた方が現実を繋ぎ止めることになるような可笑しな気分になります。 そのそばにある立ち食いそば屋ー実際には椅子があるーの「こだわりの立喰いそば たからんちょ 大師店」でも呑むことができそうです。というかむしろ積極的に呑ませるための肴の品揃えがあります。この後、焼肉屋に行くので肴は控えめにしておくことにします。立ち食いそばの定番のおつまみ、かき揚げなんかを頼んではみるけれど摘むというよりは箸でつついてぐちゃぐちゃにするのを楽しんでしまうのです。八つ当たりみたいなものですけど、日本の酒場というか日本人の酒呑みはどうも酒には肴が付き物と思う風潮が強過ぎるようです。酒だけ呑んでいる人はアル中と決め付けるような節がある。ちなみにこれはこの店のことではなくて、むしろごく一部の居酒屋が最低一品おつまみを注文してくださいと強いることがあるという事実に対して異議を申し立てているまでです。でもまあこういう本来的に店のあり方がそば屋と分かっていて入って、蕎麦を必ず頼んでもらいたいと言われるなら断り切るだけの理屈はぼくにはないから唯々諾々と受け入れねばなりませんが、幸いにもそうした要求はありませんでした。そう、思い出しましたが、立ち食いそばマニアらしい若い人が来店してものすごい量の写真を撮っている現場に行き会うことになったのですが、お笑い好きのマスターとやけに意気投合してましたね。ここの名物らしき辛いそばを猛烈な勢いで掻き込んだせいか、汗をダラダラ垂らしながら応じているのが愉快でした。
2017/01/13
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近頃、綾瀬にはとんとご無沙汰していました。いや、振り返ってみたとすればそれなりに呑みに行っているような気もしなくはないのですが、腰を据えて呑んだ気がしません。今回訪れたのは、先日東武の大師前駅で入ったお店の系列店が綾瀬にあることを知り、それでは一度行っておこうと思ったからなのでした。その酒場は書いたとおり、店の雰囲気がとても渋くてことその点に関しては好意的な感想を持ったので、果たして綾瀬はどのような店になっているのか確認したかったのです。突如思い立ったので、場所はしかと確認していませんがまあ駅のそばであることは分かっているので程なく見つかることでしょう。 すっかり様変わりして、店舗も入れ替わってしまったガード下の酒場をつい痛ましさを込めた視線で眺めやりながらしばらく散策し、周辺もついでにぶらついていると、見覚えのないもつ焼店がありました。しかし、その店の構えはどこをどう見てももつ焼店のそれとは異なり、比較的オープンな雰囲気のスナックという感じでした。洋風のドアを開けて入ってみてもそのカウンターの様子はカラオケそのものです。壁に貼られた品書はもつ焼の店そのものなのに何だか変です。「もつ焼き てるちゃん」という屋号もそれらしいのに。動線も今ひとつで、ボールを頼むと若い店主はカウンター越しに身を乗り出して、外側にある冷蔵庫から炭酸水を取り出さないといけない。先客はお一人で、若い店主も寡黙そうで、しばらく沈黙に満たされ機づまりになるのですが、何がきっかけになったのか急にぼくを含めた会話が始まり、その話題も綾瀬の酒場談義なのだから酒呑みの性癖はよく分からない。店主は見事ぼくが言い当てたとおりに「大松」の出身で、独立したばかりであるとのこと。休みに呑みに行くのも綾瀬を出ることはないと語っていました。常連さんも似たりよったりで、こんなに安く呑める町は他にないからねと、実におおらかに地元賛美を続けられます。このお店、やはり以前はスナックだったらしく、ビルのオーナーが自分が通いたいがためにあえてココだけをスナック用に設けたそうな。ところでこちらのもつ焼はどうだったかと言うと、かなり良いのでありました。ぼくの好みで申し上げると、修行先の有名店を遥かに凌駕していると申し上げればそのレベルの高さを伝えていることになるでしょうか。旨いもつ焼を食べたくなったらここだと手軽で来やすいし、いい拾い物をしました。 駅に引き返し気味に歩いていくと「もつ焼き専門店 綾瀬酒場」がありました。場末の呑み屋横丁そのものの一角、つい先だってまで女将さん一人でやっていた静かな酒場を居抜きしたみたいです。以前は店内も見えずかなり敷居の高い酒場で、一度だけ思い切ってみたことがありますが、今はガラス張りでかつての怪しさは失せていますが、カップル一組しか居ないのが丸見えで、別種の緊張感に満ちています。おばさん一人でやっていて、近くの「かあさん」だったか「かあちゃん」と同様に営業時間が変則的、というか恐ろしく長いので、交代制になっているはずです。先の店とは違いこちらては会話ひとつなく静かな時間が過ぎ去っていくので、何か嫌なことがあって他人と喋りたくもないという気分なら過ごしやすいかもしれません。雰囲気はかつての面影は少しもなく、もつ焼屋らしい佇まいとなっていてなかなかの演出力です。長年やっていると言われたら納得してしまいそうです。惜しいかな、値段と味が綾瀬の平均値をかなり下回っているように思われます。これから勢力範囲をますます広げそうなこの系列ですが、このままでこの激戦地で生き残れるかは、これからに掛かっていそうです。
2017/01/12
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田端駅の北口改札を抜けるといつもなら迷うこともなくいつもの酒場に直行するのですが、この夜はちょっと歩いてみたい気分でした。とは言えせいぜい日暮里舎人ライナーの赤土小学校前位までにしておこうかな。歩き出して貨物線の踏切を超えたところで何だか違和感を感じたのです。周囲を観察してみるにどうやら真新しいビルの一階の店舗に変化が生じているようです。なぜそういう疑念を浮かべることができたのか、分かりきったことですが以前の店舗に来たことがあるからなのです。でも入ってみるまでは確信は持てずにいました。 店に入ってネットで調べるとこちらのお店、かつては「たま膳」という店名だったようです。そう言われればそんな店名だったような気がしなくもないのですが、ほとんど印象に残らぬくらいに薄い個性のお店だったのです。なら今度のお店にどうして入ったのか。それは店先の看板にハッピーアワー限定ではありますが、サワーを50円で提供するという記載があったからです。精算時に外税であることが判明しますが、それでもここまで安いのは驚いて良いのではないか。「ごはん処 千五九家」という食堂風の店名になっていますが、さらなる驚きが潜んでいました。何たることか、ここのメインの料理はカニ料理らしいのであります。確かに他のお客たちは大量のカニの殻が積み上げられています。ただ目先の50円サワーに釣られたぼくには、カニ料理は完全に予算オーバーであります。いや、実はカニはもとより眼中になかったのでハッキリと値段を確認しなかったのですね。値段もあるけど何より酒を呑むのにカニってどうなのかって疑問が常々ありました。けして嫌いってわけじゃないけれど、むしろカニ味噌舐めながら呑むほうがずっと好きです。何より面倒がないから。金沢行ってもカニ面を食わぬ男だけど、正直あれは一度食べてみたい、値段はさておき味噌も入ってるみたいだし、殻を剥く手間もいらないから。ともあれカニ以外にもこちらは200円くらいからの肴がそれなりに揃っているから、それで十分。うっかりスペアリブと串カツという豚肉をぶつけてしまったけど、どちらも大振りで味もまあ悪くないからこれにサワーな千ペロも十分可能です。以前の店もそうだったのですが、なぜか外国人のお客さんが混じっています。それも西洋人からアジア系まで多彩な顔ぶれが利用していました。日本語学校でもあるんですかね。
2017/01/11
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とある土曜の午後、北千住駅を降り出しに足立区の取りこぼし喫茶を訪ね歩こうと思い立ちました。初冬とは思われぬポカポカと陽気の良い日でした。北千住駅の西口を出るとすぐさま日光街道に向けて歩き出します。まずは腹ごしらえと北千住ではよく知られる安価さで庶民の味方と定評のある中華料理店を目指します。 日光街道に面した「りんりん」です。ラーメン、餃子、焼そば、カレーライスとメニューはこれだけという潔さ。ビールくらいあっても良さそうですが、これはこれで店のスタイルなのだからぼくがとやかく言えるものでもない。たったこれだけの種類だというのに悩んでしまう優柔不断さは、何とかならぬものか。かと言って2品頼むのにはどうも抵抗がある。餃子であればラーメン餃子など定番だし、カレーライスに餃子をトッピングするのもありですーこれに否定する意見は却下なのですー。でもギョーザカレーは、またのお楽しみにして、今回は看板商品のラーメンにしておきます。このラーメンが正統派でシンプルでとにかく好ましいのです。ペロリと食べれてしまう。これならカレーとセットもありだなあ。 そうそう渋くていつも見かける度に立ち寄りたいと思う「銀座 藪蕎麦 千住支店」を通り過ぎたから言う訳ではないけれど、グルメな人たちー特にあえてB級グルメを標榜する人たちーは、ラーメンに関してはゴテゴテしていたり、ドカ盛りだったり変化球を好んで語る傾向があるのに、こと蕎麦に関しては老舗の定番名店について饒舌となるのはどうしたものだろう。これについては思うところもあるのだけれど、長くなるので割愛することにします。大して面白い議論にはなりそうもないし。 さて、何だかんだ言いながら先の店で軽めにしたのは間違いでなかったけれど、ラーメンにしたのは間違いでした。ド級の変化球の店としして知られる「菊や」を見過ごすわけには行かなかったのです。先程までラーメンは正統派こそ良しとせよ何て発言をしていた者とも思われぬ身勝手な行動であります。カウンター席わずか5、6しかない狭い店内に店主はいません。表にいたオヤジさんがそうなのかしら。案の定すぐに引き返してこれました。それにしても堤防のある町外れの住宅街に潜む中華店は実に味がある。こういう店、都内でも何軒かあることを知っていて訪れてもいますが、その風情だけで立ち寄る価値を認めてしまいます。さて、ここには瓶ビールがあるようですが、ハタと考えを巡らしてやめておく事にしました。餃子にビールもありですが、ここに来て変わり種のラーメンを食べぬわけにはいかぬ。いや、有名店ということもありテレビなんかでも見たことがあるから、あえて食べぬという選択肢もなくはない。などと悩んでいたら次のお客さんが餃子を頼んだらないとの事なので、それなら安心して紫ラーメンを食べることにしましょう。オヤジさん、こちらが頼んでさえいないのに、ここで写真撮っておくかいなどとしがしてくれるので、それに応じぬのも大人げないと面倒ながらグルメブログのように撮りまくるのでした。ラーメンとしては、やはり正統派がいあとの結論を再確認するのでありますが、雰囲気が良かったからそれでいいのてす。 墨堤通りにある「ミルクホール モカ」は相変わらず営業を続けているようで、久し振りに立ち寄りたかったのですが、まだ先は遠いので外観のみパチリと撮影すると、西新井橋を渡り「シャルマン」を目指しますがやはりやっていない、閉店しているんでしょうね、目指した興野の「ライト」には、またもや肩透かし、お隣の「喫茶 アゼリヤ」も当分休業だそうです。 なので、北千住に戻ってどうしたか。東口の東京電機大学裏手の「中華 味一」に行ってしまったのですね。一日掛けて、結局、北千住の中華料理店三軒に入るだけで終えてしまうことになるなて、何とも不甲斐ないことです。ここはどうってことのない古びた中華料理店で、念願と言えなくもない餃子も味はいいけどお世辞にもキレイではない。だけれどそんなことはどうでもいい。ちゃんとやっていてくれて、ゆっくりと落ち着いてビールの一杯も呑ませてくれるなら、そここそがぼくにとっては一番素敵な店なのでした。そんなことを今更に気付かせてくれる小さな旅になったのでした。
2017/01/10
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下今市では、いつものことですが酒場と呼ぶのを幾分か躊躇する大衆食堂にて過ごすことができたので、記録に留めておくことにします。その前に歩ける範囲で2軒の酒蔵に立ち寄ることができたのでその訪問から始めます。いずれも酒造りの行程を案内してもらうことができるようですが、ちょうど忙しい時期だとお聞きしたので、またの機会にお預けです。なので酒蔵建築の外観と販売所のみに立ち寄るだけになりますが、それなりに気分を味わうことができました。 最初に立ち寄ったのが「片山酒造」でした。丁寧な女将さんがオススメの4種を試飲させてくださいました。あまりに親切で優しい方だったので、思わずかつて食べてかなりの酒臭さに驚かされたことのある酒ケーキがあったので購入しました。正月にでも酒の肴にしようかな。 続いては「渡邊佐平商店」です。先の酒蔵より一回り大きなコチラは、思わず手に取りたくなるような酒器を数種扱っており、思わず手を伸ばしそうになりますが結局出番のないままに食器棚の肥やしとなりそうなので泣く泣く諦めることにしました。 町の外れにあるスナック街の更にその奥の舗装されぬ小道の先に「居酒屋 甚兵衛」があり、これがなかなかの佇まいです。ここには是非とも呑みに来たいものだなあ。良さそうな居酒屋が何軒かありましたが、それ以上に目立つのが大衆食堂の多さです。下今市駅から上今市駅に繋がる通りにはそれこそ数え上げるのが面倒になるくらいに食堂があって、このどれかにお邪魔して昼メシ兼喫茶店の「アラジン」の開店までを時間潰しすることにしました。なので、今回お邪魔した食堂はいずれも「アラジン」のそばになります。 まずは「佐藤食堂」に伺いました。この通りの中ではかなり穏当な雰囲気の初心者向けの食堂に思われます。一見したところは蕎麦屋のような構えです。戸を開けて入るとどこか雑然とした印象を受けます。カウンター席のスナック風のスツールに無愛想な広いテーブル席が違っているのがそうした印象に繋がったのかもしれません。年末で胃腸がへばっているのでまずは寒いけれどビール程度にしておきます。食事はラーメンと丼ものが中心ですが、一品料理も多くそれで一杯やる客もいるようです。というかぼくと入れ違いに出て行かれた方は、一杯どころか二、三杯は召し上がっていたようです。チャーシューメンを注文しました。チャーシューを肴に呑むつもりです。ぼくはラーメンの麺が伸びるの、ちっとも気にならずむしろ違った食感が楽しめるとすら思っています。でもサービスでスモークタンを付けてくれたので、だったら普通のラーメンでも良かったかな。そのラーメンですが、誠に優等生の王道ラーメンでこのあっさりすっきり味が復権することを願うのです。 続いては「ワタナベ食堂」にお邪魔します。こちらは宇都宮焼そばを食べさせるお店のようです。その古びた外観から必ず立ち寄ろうと思っていた店なので先の店でラーメンなど食べて麺続きになるのは愚かしいとお思いでしょうが、へたにボリュームのある一品料理は逆に胃腸に負担が掛かるし、ましてや丼ものなど食べてから焼そばはぼくのキャパシティーを完全に超過してしまいます。ここでも肉なし、卵なしのシンプルにキャベツだけの焼そばをオーダー、温っためた黄桜といきたいところですが、お忙しそうなので常温のままでお願いしました。そしたらばあちゃんがコップと受け皿をテーブルにドンと置き、黄桜をドボドボと豪快に注ぐのですが、この酒器が素晴らしい。これほどに分厚い立派なのは見た記憶がありません。そしたらばあちゃんが、以前いくらでも出すから何とか譲ってほしいと言ってきた人がいたよと、熱意にほだされて譲ってしまったけど、もうここにあるのだけだからねと語ります。さすがに譲ってもらうのは無理そうです。焼そばはモソモソとちょっと旨いんだかそうでもないんだか判断しづらいもので、でもこれが案外癖になるのかもしれませんね。味付けはソースをぶっかけただけのようで実にシンプル、ぼくはコショーをドバドバ掛けて食べましたが、これにはギャバンのブラックペッパーではなくエスビーのテーブルコショーが合いそうです。それにしてもこの辺のばあちゃんや客のおばちゃんたちの気さくなことといったら、皆が皆、見知らぬぼくにも語り掛けてきて、店の跡取り息子さんも一人旅はこうした人との触れ合いが良いんだよねと、二人旅の客には話し掛けづらいからなどとおっしゃいますが、ここまで賑やかな一人旅もそうはないと思うのでした。
2017/01/09
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東武電鉄は関東の国電ーだったかなーとか呼ばれたりもしたほどに、関東一園の広範に路線網を張り巡らしており、それなりに乗り潰し甲斐のある鉄道マニアならぬぼくにとっても魅力的な鉄道会社なのであります。しかし、そのあまりの広範さが弊害となることもあります。一日乗り放題のようなオトクな切符を販売すると採算が合わないと考えているのでしょうか。でも東急電鉄や京王電鉄のように土日に使える一日乗車券を扱っている鉄道事業者もあるのだから、ぜひとも取扱を前向きに検討して頂きたいものです。とまあそれはそれで置いておくこととして、株主優待券を貰っちゃったんですね。ありがたいことです。この切符、金券ショップでもよく見かけますが、東武の鉄道網であれば途中下車さえしなければどこまででも行けてしまうという仕組みになっていて、都内に在住しているなら日光とか鬼怒川温泉に行くのに利用する方が多いのではないでしょうか。ぼくもこれまで何度か使っていますが、くれるだけあって使用期限がいつも迫っており、急いで使ってしまわぬと無駄にしてしまいかねぬので綿密な計画を立てる暇なく、慌てて目先の目的地に費やしてしまっていました。今回もまた期限まで2週間を切っているので、迷っている猶予はありません。喫茶指南役のこのお方の後押しもあって、食べログで掲載保留となり続けている鬼怒川温泉の喫茶店を求めて4時過ぎには起床して起点となる北千住を目指したのでした。 8時37分には鬼怒川温泉駅に到着しました。ホームに滑り込むーという表現をよく目にしますが、これって適当な言い回しなのだろうか、ホームには乗り上げるとならぬのかー寸前にこれから向かう喫茶店が視界を過るのを認めますが、やってるかどうかまで判断できるほどの動体視力はあいにく持ち合わせておらぬのです。判別できてまし閉まってたら鬼怒川温泉には下車せず、引き返すか乗り進めるかしたにちがいありません。改札を抜けると随分と久し振りの駅前の眺めを確認することすらじれったく思われ、駆け出すように店に向かうのでした。粉雪も舞っていますが気に掛けるゆとりすらないとは無粋にすぎるでしょうか。しかし「マロニエ」は、こちらの焦燥などどこ吹く風といった恐らくは普段通りの何気ない表情を晒して、飄々と営業を続けていたのです。グッと抑え目の照明のもとに広がる空間はしかしカーテン越しの最高が抜群の精度で制御されており、これ以上ない居心地の良さを演出します。レトロでありながらサイケなムードも併せ持つ美的なセンスからは店主のただならぬ情熱を感じ取れますが、それを尋ねたところでお馴染みの古いだけだよの一言が返ってきそうです。いやいや古いだけでなく手塩にかけて育ててきたからこその空間なのは見まごうはずはないのであって、だからぼくはこういう素敵な店では、押し黙ってしまうのです。満たされた気分で店を出ると「和風れすとらん こだか」なんかもありましたが、痺れた頭を冷やすため町を一巡りするだけで立ち去ったのでした。 鬼怒川温泉行きを決めてでもそれだけで引き上げるのはいかにももったいないと慌てて思い付いたのが下今市でした。よく知られた「純喫茶 アラジン」を訪れるのを思い付くのは、調べ始めてしばらくしてからの事とは喫茶好きの風上にもおけぬ。余りにも情報が過多となって、とてもすべてを覚え切れぬのです。しかし正午からの開店という情報には助けられました。これを知らなければ3度程様子見に行ってもシャッターが開かぬのに痺れを切らしていたところです。それにしても「三興社印刷所」の金属を加工して作られた立体的な看板をはじめとする商業建築の楽しさときたら、「アラジン」に入らずともきっとかなり満足できたはずです。昼になって店に向かうと時間通りに開店していました。看板の店名は大部分が剥落して無残なことになっていますが、『ハクション大魔王』のような仮名アラビア文字の名残をくっきりと見て取ることができます。店内には置看板が放置され、一部店主の書斎というか趣味の空間と化した感のあるのが残念ではありますが、のんびりさせて頂きました。下今市駅のそばには「コーヒーショップ 街」があって、つい足を踏み入れてしまいましたが、これは食堂というのが正しいようです。 今市の町はぼくにはとても楽しくて、今度はできることなら夜の町を散策したいと思いますが、夜には都内に戻らねばならないので株主優待券の二枚目を使い次の町を目指したのでした。
2017/01/08
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よみうりランドという巨大な遊園地があることは当然知っていましたし、実際に足を運ぶことはなくても映画やらテレビ番組で目にすることは度々あります。しかしこれまでのけして短いとは言えぬわが人生において、この施設とは無縁のままに過ごしてきました。もとより遊園地という施設に縁がなくて、未だ東京ディズニーシーのみならずディズニーランドすらその周辺施設をやむを得ずに利用したことがある程度なのだから、それよりはマイナーな印象のあるよみうりランドに行っていなくてもそう不思議なことではないのかもしれません。それだけでなく読売という組織に対してよかぬイメージを抱いていて、それを詳らかにするのはここでの話題として適当とは思えぬので語らぬこととします。ししか、アド街で特集された際に聖地公園という、奇妙な施設があることを知り、一度は訪れたいと思うようになったのですが、まあそれが叶うのは当分先のことになりそうです。ところで、話は一転するのですが、果たしてよみうりランドの所在地はどこになるのか。東京都稲城市もしくは神奈川県川崎市多摩区のいずれかであろうと当たりはついていましたが、気になったのでウイキペディアで調べてみると、基本的には後者が敷地の大部を占めるようです。まあこんな事実走ってしまえばすぐ様にどうでも良いことに思えるのです。さて、この施設には京王相模原線の京王よみうりランド駅がいくらか便利なようですが、今回向かったのは小田急小田原線の読売ランド前駅です。この駅の遊園地とは逆側に目指す酒場はあります。それにしても両駅の駅名の紛らわしさはどうにかならないものかね。 ともかくとして、読売ランド前駅の駅前はどこかの地方都市のような寂れたムードでそこがちょっと好みです。この裏手に娯楽の殿堂があるとはとても思えぬ地方感です。こぢんまりとした商店街が幾筋か伸びているのですが、そのうち線路沿いを歩いていくとチラホラと呑み屋さんがあって、それぞれそれなりの風情があります。でも「忠ちゃん」の渋さは他を圧しています。誘導のための看板が店の手前にも設置されているから、かなりの人気店であるようです。急に気ぜわしい気持ちになり、店の前に立つと外観を眺める暇さえなく、慌てて店内へと歩を進めます。入ってみると店内は閑散としていて、今さっきまで気ぜわしく不安な気分は何だったのかと急激に脱力し、へたり込むようにカウンター席に着くのでした。ごく普通のちょっと古いお店という以外にはこれといった感想も浮かんできません。酒と肴の注文を終えるとひとしきりの目的は果たせたというのは、酒呑みとして如何なものか。年末の宴会シーズンにこの客の少なさはやはり店の方も気に掛かるらしく、常連の方とうちのような有名店は混んでると思って避けられる傾向にあるんだよねと、店の暖簾を鼻にかけたかのような変な自信が気になります。いや、気になるというよりこの店の年季を頼っているだけにしか思えぬ自負こそが客足を遠ざけさせていると想像するのは無理からぬことだと思うのです。もつ焼や煮込を中心とした肴は悪くないものの特筆するものではないように思われるし、大体常連以外は各々新聞を読んだり、職場の同僚同士が仕事の話をするばかりで、なんだか白けたムードが漂っています。ただ一人だけあれもこれもと大胆に注文をする方がいてこの方の楽しみっぷりは見ていて好ましいものでした。恐らくぼくと同様に酒場放浪記でここを知って訪れているのでしょうが、彼のように満喫できればどれだけ愉快なことだろうと羨ましい気持ちになるのです。
2017/01/07
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気取って隠れ家と書いてしまいましたが、いずれも酒場放浪記の登場店です。でもこの二軒が隠れ家っぽいことにそれ程の意義を呈される方もいないかと思います。そしてその隠れ家っぽさというのがどちらも質を異にしているのもまた面白い体験となりました。隠れ家っていうからには他の酒場と差別化できる何某かがあるからでありますが、それを綿密に分析するだけの準備も能力も気概も欠けている。それでもいくつかの要因は指摘しておかねば、いかにもいい加減との誹りを免れぬので思いつきを書き留めておくことにします。一つには路地裏などの目立たぬ場所にあること。二つ目にそこが入りにくいムードを漂わせていること。三つ目に客の多くが常連であることなどが挙げられるでしょうか。また、この先思いつくことがあれば随時書き連ねることにして、まずは一軒目に向かうことにします。 まずは荻窪駅の南口にある「つば磯」です。路地裏にあって店内の気配なり様子が感知できず戸を開けるのに不安を伴う辺りは取り敢えず三要素の二つを満たしていると言えると思います。店内はカウンター席のみで女将さんと会話を交わす客は明らかに常連です。あまり入りはよくありませんがさほど気づまりではありません。店名のつば磯というのは、ブリの富山での出世名であるらしいのですが、今ひとつ確信がありません。女将さんは陽気で溌溂としていて気分の良い方で、昭和45年に開店したことなどをあれこれお話頂けましたが、どうも近頃とみに酒の席の会話が覚えられません。肴は当然、富山の名産がメインですがそんなに種類は揃っていません。まあ酒の肴など酒場では必要最低限がありさえすれば構わぬので、いかの黒造りがあれば贅沢この上ありません。そう、隠れ家酒場の四つ目の要素がありました。これは三つ目とも関わるのでそのヴァリエーションのようなものですが隠れ家に巣食う面々と酒を酌み交わせばすぐ様にその一員となることができるのです。だからこんな隠れ家酒場では席を立つのに難渋することになります。 次なる酒場はある意味で目立たぬといっても良いか躊躇われます。この界隈ではもっとも枯れた酒場の一軒であるから、そらに見慣れた者にとってはあからさまに姿を晒しています。しかし、チェーン店や小洒落た店を好む人の視界からは予め排除されるのではないでしょうか。「味平」はそんなお店なので、ぼくの視界はすぐに捉えましたが、入りにくい雰囲気は、先の店を凌駕します。さして、そういう心理的な入りにくさに加えて、カウンター席はほぼ埋まっていて、空いているのは奥のホントに狭い小上がりだけで、そこに潜り込むにはクセの有りそうな常連たちの背後を通り抜けねばなりませんでした。そこにはコタツが置かれていて、一度席に着くと身代りを見つけるまでは席を立てぬのではなかろうかという不穏な想像をしてしまいそうになります。実際かなり窮屈なので一度座ると立ち上がるのも一苦労です。これでは仲間入りするというより拘束されたんじゃなかろか。でもまあ何年ぶりかに入るコタツは気持ちを和ませてくれます。しかもカウンター席の連中を見渡せる特等席だから言うことはない。肴も揃っていてオヤジさんがテキパキと用意してくれるのでまるで従順な嫁さんのいる自宅で呑んでいるかのように錯覚しそうでありますが、従順な嫁というのが幻想でしかないのだから、ここもまたファンタジックなお店なのかもしれません。
2017/01/06
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地元の方や酒場放浪記のコアなファンの方なら周知の事実なのかも知れず、今更驚いてみせるのはひたすらみっともないことかもしれませんが青物横丁から数分の場所にある一軒の酒場は、以前一度訪れていますがその時の印象は、ポツンと一軒家の外観だけ見る限りは好印象でした。でも店内に入るとまるっきりスナックだなという消極的な印象になり、その時は今日は休みよというママさんの一言にスゴスゴと退散するしかなかったのです。その印象が鮮明であったため、その後なかなか足を運ぼうという気にはなれなかったのです。いや、それは自分に都合の良い言い訳かもしれません。未知なる酒場への好奇心がぼくを突き動かすのであって、一度見てしまった以上はそこは未知なる物の輝きを急速に衰えさせてしまうのです。 そんなことを呟きながらもー一応お断りしますが、実際に呟きはしませんー、「居酒屋 葉月」にやって来てしまいました。前回の印象から推し量ると店内には客は疎らでわびしい沈鬱なムードが充満しているのでは、という失礼極まりない予想は心地よく覆されるのでした。店内は一望するに定員オーバーと見紛うばかりの人で溢れかえっているのでした。これほどまでに盛況となる理由は注文せんと品書きを一瞥した瞬間に白日のもとに曝け出されるのでした。今回はなんだか大仰な言い回しを乱発しているけれど、実際にそうなのです。だから店の雰囲気と異なり若い客やサラリーマンやOLのグループも大変に多い。薄暗いのはスナックめいていますが、その暗さと人混みがスナック風に見せるスツールやらを視界から遠ざけてくれるのに寄与しています。本当に好きかと問われると若干の留保を余儀なくされますが、便利でお手軽な店であることは間違いありません。通勤圏内にあったら定期的に訪れることは間違いなさそうです。場末めいた店なのに繁盛しているというこのギャップに馴染んてしまえさえすれば良いのです。都内にはまだまだ変わった酒場があるのだなと感心させられる経験となりました。
2017/01/05
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埼玉県民ですら恐らくはすべての市町村を諳んじる事のできる者は少ないのではないのでしょうか。近頃オリンピック問題でやけに報道番組に顔を覗かせていますが、そんな基本的な知識すら身に着けずにいるんじゃないだろうか。もしかしたら埼玉県民は小学生の頃、市町村名を暗唱させられるという無意味で不幸な体験を強いられたのではなかろうかと想像すると、不憫さとともに滑稽を伴う哀れみを感じられて、そういうどうでもいいことを考えるのが孤独な酒呑みなんですね。ところで話を戻して吉川のことですが、JRの武蔵野線に吉川駅がありまして、初めてここで下車して呑み歩いてみようというのが今回の趣向であります。一応、食べログなど眺めて見はしましたが、どうもはかばかしくない。面倒なので、こういう時はいきあたりばったりを決め込むしかない。ただし今回は、武蔵野線沿線呑みの定番同伴者、お馴染みの獣医さんが一緒なので、あまりむやみに歩かせて迷ってはいられないのです。何と言っても彼は酒場探訪の同伴者であり、スポンサーでもあるからです。 なので、不満はあるにはあるのだけれど、ひとまずガード下にある「居酒屋 いこい」に入ることにしました。以前は初めての町に降り立ち、第一歩を記す縁とするのが賑やかな看板のある方向を目印とするという安直な手法でありましたが、近頃はとりあえずはガード沿いを一巡りすることにしています。ただしこの手法は都市圏の駅にのみ有効で、この吉川駅のような郊外のベッドタウンの町ではあまりアテにならないことは、鈍いぼくでもなんとか分かって来てはいますが、賑やかな看板すらないのだから早々と万策は尽きた以上致し方ないことなのです。さて、外観はきれいで面白みに欠ける嫌いがあり、店内もまたカウンター席だけのようですが、これまた淡白すぎるほどにシンプルなのでした。いやまあそれはそれでいいのだけれど、近頃の居酒屋店主に総じて言いたいのが、酒や肴に力を入れるのもいいけれど、もう少し内装で客を楽しませることに情熱の一滴でも注いでいただきたいということであります。案外酒呑みは雰囲気だけでも酒を呑んでるはずである、きっと多分。酒はまあこんなものかというものでありますが、肴は少しもゴージャスとか言うことはないけれど、ちょっとだけ変わった品もあって、たまに天麩羅屋で見かけるー実食経験なし、テレビで見ただけー卵の天ぷらなどはチビチビ摘むに最適だなあ。とある酒場のお姉さんの受け売りでありますが、お裾分けしてくれたゆで卵をぼくに差し出すと、醤油かけてご覧なさい、これが良い肴になるのよの言葉に半信半疑ながら試してみると確かにこれが思いがけず摘みになるのです。この天ぷらも同じようにいただくのが正解のようです。お客さんは少ないけれどここの繁盛するのはもう少し後のことなのでしょうか。 一軒目を出てしばらく町をほっつき歩きますがここぞという店どころか、ほとんど飲食店が見つからぬ始末。駅の南側に移ると「居酒屋 やっちゃば 吉川店」がありました。先日も三郷だったかで行ったばかりですが、この系列なら間違いなかろうとあっさりお邪魔することに決めたのでした。越谷にも店舗があったはずです。さっきの店と違ってこちらはファミレス並みに広い店が大盛況です。たまたまうまく滑り込めたからいいようなものの、下手をすると表で待つ羽目になりかねませんでした。こちらも客たちに負けず劣らずの混雑を呈する無数の品書きが貼りめぐはされていて壮観です。本日のオススメメニューだけでも50品ほどはあるのではなかろうか。多過ぎるのも迷ってしまって困るものです。しかしこちらは品数の多さが人件費の増大に繋がらず、安価をキープしているのが立派です。とまあ、さして面白みはないのですがーファミレスだからねー、近くにあれば月一位は通ってしまいそうです。しかし、食べログの評価を見て系列の他2店については評価するが、この店舗には憤りを隠せなという書き込みあり。とにかく店長とチーフのフロア係さんを許せぬらしいのだ。この夜はぼくには相方がいたので、大して気ににならなかったのですが、もし独りならもしかするとそういう気分になったのかもなあ。
2017/01/04
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日暮里で呑みたいから頻繁に訪れている訳ではありません。新宿、渋谷、池袋のような巨大ターミナルやサラリーマンの町、新橋や神田で呑むのは何だか億劫です。理由は簡単なことです。人でごった返したこれらの町は、喧騒にのしかかられるような窮屈な気分になって憂鬱になるのです。実際には行ってしまっていざ店に入りさえすれば、愉快な酒場も少なくないのですが、疲れた夜に向かうなら日暮里のような退屈なくらいな町のほうが塩梅が良いのです。実際この町は店もそんなになくて行きたい店が少ないのは道理であります。だから新しいお店ができたらひとまず入ってみることになります。 しかし、「笑元」という西日暮里に向かう途中にある酒場はぼくを少しも癒やしてはくれないのでした。いきなり文句をつけるのも新年早々、どうかと思うのですが、この店はいかにも独り客を蔑ろにしていると思うのです。どこがどう蔑ろにしてるかというと、端的にはカウンター席のあまりにもおざなりな造りに惨めな気分になるのです。その狭さは同時に肴を2品頼むと厄介になりそうです。ぼくはまあそれを理由に呑みに徹することができるので、その点は良しとしようか。でも背後すぐにテーブルがあって楽しげな彼らの視線を背中は敏感に察知するしかないのです。僅かに余ったスペースに孤独な客を無理やり陳列して、さらし者にしているように思えてならないのです。いや、これが自意識過剰と思うなら思っていただいても結構です。でもぼく自身似たようなシチュエーションでそのように思ったこともあるし、大体において猫背気味の日本人がカウンター席で呑むと非常にわびしい見た目になるのだし、それが様になるのなんてせいぜい松田優作なんかの映画スターくらいではないか。そして一瞬にして忘れ去られるのでおるけれど、その一瞬感にテーブル席連中は間違いなくください哀れみと蔑みの視線を浴びせるに違いないのであります。だからいくらここが案外お手頃で肴も悪くないとしてもひとりで再訪することはもはやあるまい。まあ、誰かと一緒に来て孤独な客を暖かな視線で眺め倒すことはあるかもしれぬけれど。 だから独りならやはり最初からここにしておけばよかったじゃないか。でも随分とご無沙汰してしまったなあ。「いづみや」は初めて日暮里で呑んだ酒場です。当時は大宮の典型的な大衆酒場と縁のある酒場であるなんてことちっとも知らなかったし、当時の呑み方ではここの真価のひとつ、すなわちは安さに気付かなかったかもしれない。とにかくリーズナブルであることを至上なのだと信じていた愚かなる時代には、食い気を優先して呑みはそれに随伴すると思い込んでいました。バタリと食欲が衰えて初めて酒場は肴を摘むためにあるわけでも人との会話を楽しむためにあるわけでないことに気づいた時、そんな境地に至ってようやく見えてくる酒場の真髄、そしてコチラをはじめとする店の良さに首肯することになるのです。安さのことはもはやどうでもいい、梅割をハムサラダなんかの腹にたまらぬ品でくいくいと空けていくとそのうちに両脇のおっさんたちの拡幅争いなど超越した境地に立てるのであります。店のオバチャンたちの稀に出会う優しい言葉など無礼にならぬ程度に受け流せばいい。昔話など聞き出したところでモノの役にも立たぬ。ひたすら己の酒呑み道を邁進すれば、そう遠くなく浮世のことなど遠い過去の出来事に思えてくるはずです。そしてその更に先に踏み込めば翌朝は、あえて目を覚ます義務からさえ開放されるのだから行かぬ手はないのであります。とまあまたもや脱線しましたが、こちらのお店、やはりいいなあ。また近いうちにきっと訪れること必至です。
2017/01/03
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米原駅からは、東海道本線大垣行、豊橋行に乗り継ぎ、途中共和駅にて悲願の喫茶店への入店も叶いました。そして安心したら無性に腹が減ってきました。まだ昼下がりと時間も早いので蒲郡駅で下車してみることにしました。良さそうな食堂があるとメモしてあったのですが、しばらく探してみたものの一向に見つからぬ。なので再開発の波にさらわれた南口側は諦めて北側に移動しました。あまり飲食店もなくこれは駄目かと諦め気味に歩いていると、唐突に古い食堂に行き着くことができました。 「みつわ屋」というお店です。まずはビールで喉を潤します。カウンター席にいる独り客もビールを呑んでいるのですが、すでに4、5本は大瓶が空いています。60代にはなっていそうなのに見上げた呑みっぷりであります。ホントにこの世代の人たちというのはよくビールを呑むなあ。ぼくの知人にも大のビール好きがいました。この人は大瓶を1ダースはペロリと呑んでしまい、その間、肴はほとんど口にしないばかりか何より不思議なのがまずトイレに立つことがなかったのです。過去形で書いたのはさすがにそんな無理が祟ったのか数年前にピタリと酒を断ってしまったのです。ぼくはそんなに呑めなくていいから、永く死ぬまで親しく付き合いたいと思うのです。さて、夏とは思えぬ暗い店内は涼しくて快適ですが、これから我々が食べるのは味噌煮込みうどんなのでした。これ食べるとつい最後の一滴まで汁を啜ってしまって、もうにっちもさっちも行かぬほどに満腹となってしまうので、極力避けているのですが、すごく安くてつい頼んでしまいました。この先はできるだけ距離を稼ぐつもりで列車に乗り詰めになるからまあ苦しいとうめきながらうたた寝するのも悪くありません。 列車はようやくのことで沼津に到着しました。沼津駅から都内まではまだ2時間以上ありますが、ここまで来ると家までもうすぐだなと思えてしまうのだからこの夏は18きっぷの使い過ぎで、時間感覚が狂ってしまっているようです。この年になって気付くのもどうかと思いますが、ちょろりちょろりと休憩がてらに途中下車するのは身体への負担も少ないし、何より普段下車せぬ何でもない駅に立ち寄れて楽しいのです。だから何度となく歩いている沼津にわざわざ下車したのは単に接続が悪かったからに過ぎないのです。ならば折角なので一度行ってみたいと思っていた沼津でも古参の酒場の一軒「かわむら酒蔵」にお邪魔してみることにしましょうか。そう言えば事前に綿密に計画していたこの旅ではありますが、随分思いつきで行動していることがこうして文章にして振り返ってみると、案外自在に対応していることが良くわかります。予定を立てるのは、立ち寄り先をリストアップし、それが列車の運行時間とピタリとハマったりすると甘美な体験となりますが、休みとぶつかっていたり営業時間とすれ違ったりと諸々の事情を勘案しつつ払い落とす作業は苦行でしかない。この苦しみら下さすら無意にしてしまう実行者の自分は過去の自分になんと言って詫びればよいのか。ともかくこの沼津の酒場は営業開始時間が早いので、早目に帰宅したいこの旅の締めくくりには塩梅が良いのであります。目抜き通りに面するこの酒場のことを最初素通りしてしまいました。凡そ老舗という風格は感じさせないのです。でも地元民にはよく知られているようで、グループ客が大いに賑わう一方で、カウンター席には老人が静かにゆったりとこの時を慈しむようにゆるりとした動作で呑んでいます。肴はショーケースを覗いて店の人にあれやこれやとリクエストするのが基本のスタイル。サワーもコップ焼酎にハイサワー瓶と氷を自分で割って作るという流儀でなかなか楽しいのです。こういう食堂的なしかし圧倒的に酒場な店がもっとあるといいのに。旅の締めくくりにはお勧めです。家に着くまでが旅とか言う人もいますが、ぼくにはもう旅は終わったのです。実際、列車に乗り込むとぐっすりと眠り込んでしまいました。
2017/01/02
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計算上はこの報告が新年第一回目となるのですが、相変わらず前年の夏の記録をポツポツと綴っているなんてどうかとも思うし、その内容も改めて回想してみるだけのものかどうかと問われてみると回答に窮してしまうことになりかねません。まあ愚直な律儀さこそがぼくの本領とするところなので、本年もよろしくお願いします。これを書いているのが前年のクリスマス明けでなのだから、年賀状と同様の白々しさは否めぬのですが、年賀状書きだってましてやブログ書きを正月早々したくなんてありませんから、例年になくマメに書き溜めしているということです。無料だから文句は言えませんが、ぼくの今使っている楽天ブログってのが、痒いところに手の届かぬシステムで予約投稿がずっとできなかったのですね。なので、旅先では下書きに保存していたのをコピペで貼り付けて投稿という回りくどい事をしていて、下書きから投稿すると下書きを保存した日付のまんま投稿されるという事態になり、難儀したものですが、最近突然予約投稿の機能が追加されたのは助かります。あとは写真の貼付けがもうちょい使い勝手良くなればいいのだけどと、リクエストしておきますがこの声は届かないんだろうなあ。 おっと、今年最初の投稿からいきなり脱線してしまいました。酒場篇は前回、三宮をようやく脱出し、その足で大津へと向かったのでしたっけ。でも三宮の名酒場で気持ちよく酔った後、駅に向かうとちょっといい雰囲気の喫茶店に遭遇したので酔冷ましを兼ねて立ち寄ることにしたのでした。全くノーマークであった「茶房 ジャヴァ」は、後で調べてみると昭和28年からやっている老舗のジャズ喫茶らしいのでした。店内は確かにジャズ喫茶らしい適度な暗さで、うっかり酔っ払って入った心地良い睡魔に抗うことは難しかったかもしれません。数多の著名人にも愛されたらしく、4人掛けのテーブル席で構成された店の奥は大人数でも会合ができるような広い段差のあるスペースがあります。ここではジャズが主役ということか、内装はごく控えめでありますが、それが悪からず感じられるのは店の歴史ががもたらす何某かがフィルターとなって店内に艶を与えているのかもしれません。ぼくはジャズ喫茶を不得意とする者でありますが、ここなら一人でも寛げそうです。そう言えば日活の二谷英明だったかが主演した映画の舞台ともなったらしくポスターが貼られていましたが、それはなんという映画だったか、すっかり忘れてしまったなあ。 最終日の日曜日は、ひたすら東京までダラダラと途中下車を愉しみながら帰ります。大津駅から琵琶湖線米原行に乗車し、あっという間に米原駅に到着します。米原駅では乗り換え時間がたっぷりとあるので、当然駅前を散策するのですが、やはり記憶の通りに殺風景な歩き甲斐のなさであります。それでもせめて数分歩いたところにある「喫茶 エイト」が営業していてくれたらそれなりに満足できたのであろうけれど、やってないんじゃやはり退屈な町だったと言わざるを得ないのです。確信があるわけではないのですが、きっとこの町の中心は駅から離れてあるんだろうなと考えるのが地元の方の失礼に当たらないかな。 この夏、四日市を目指した旅の際にまんまと空振りしてしまった共和駅の喫茶店に性懲りも無く、足を伸ばしたのでした。ぼくは自分の性格を案外淡白だとおもつているのですが、意外と粘着質で執念深い方なのかもしれません。向かったのは「クロンボ」です。半月も立たぬうちに来ているのだから当たり前ですが、さして見どころのない道程を辿るのは虚しいものであります。これでもし今度も空振りなんて羽目になればこの店どころか共和という町にも二度と来てやるもんかとさえ、あらかじめ心の準備をする辺り己の心の弱さを思い知ってしまうのですが、良かった、無事営業していました。これで共和とこのお店を嫌いにならずに済みそうです。今では付けることのできそうにもない店名のお店ですが、行ける範囲で行っておきたいと常々思っています。どんな可愛いマスコットが待ち受けているか、楽しみでならないからです。こちらでも目立たぬながらちゃっちゃなマスコットキャラクターが潜んでいるので、お出かけになったら探してみてください。内装は至ってシンプルですがそれでいいのだ。
2017/01/01
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