仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

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2008年01月24日
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 今日は私のセクションの新年会を予定しているのだが、他の部署がいろいろな問題があってピリピリしているので、場所を松山市で行うように私が段取り(飲み会の段取りは、一番仕事に余裕のあるリーダーがこの時期には行うのが普通なのだが・・・)したのだが、このところ松山の飲屋街も不況なのか良い店が開いていた。


 バブルの終盤の頃に松山にいたのだが、そのころは営業活動と言うことで毎週のように、夜遅くまで飲屋街に出かけていた。資金の方も今とは考えられないくらいふんだんにあったし、民と官と接待等も緩やかだったので、いろいろな人と飲み合っていたものだ。(酒の方も若かったので、今よりずっと強かった気がしている・
・・)


 そのころは酒というと通ぶって日本酒の冷酒をよく呑んでいたのだが、酒というものを神名式にいうと、酒彌豆男神(さかみずおのかみ)と、酒彌豆女神(さかみずめのかみ)というように神様の名前として出ているそうです。さすがに「神楽の時代から酒がなくては・・・」の国らしく、酒にも神様が宿っているようです。(
もっとも西洋でも有名なバッカスのような酒の神様はいますが・・・)


 この掛の神様の名前から酒宴をすることを「さかみずく」と言っていたそうですが、さらに名詞化したものが「さかみずき」といって、酒宴そのもののことを言うようになったそうです。私も酒宴自体は嫌いではないが、今は一人で立ち飲みの居酒屋で旨い日本酒を飲むのが良くなってきた。(2合位しか飲まないのだが・・・)

 立ち飲みの一杯飲み屋というと、江戸時代の酒の相場というと、1合8文位がちょうど良い居酒屋の値段だったというところだったそうなのだが、蕎麦が有名な二八の16文だったそうですから、酒との値段のバランスは今とそう変わらなかったということが、今日の新聞に載っていた立ち飲み居酒屋の記事に書いてあった。


 江戸時代の立ち飲み居酒屋では、片手に味噌を持って飲んだということのようですが、今と同じように長居は無用ということだったみたいだす。私も立ち飲みの居酒屋で最初に頼むアテは、しゃもじにそば味噌を塗りつけて、こんがりと焼いたものを頼むことにしている。(これはけっこう旨くて日本酒にはぴったりなのだ・・
・)



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最終更新日  2008年01月24日 13時01分00秒
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