仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

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2008年09月19日
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 今日は正岡子規の命日で「糸瓜忌」と言うのだが、これは辞世の句が糸瓜に関する句であったのでこう呼ばれているのだ。もっとも、9月19日は当然秋であるのだが、俳句では単に植物の糸瓜は夏の季語になるのだが、「糸瓜忌」とすると秋の季語になるそうだ。(1902年没だから20世紀になってすぐだ・・・)

 もっとも俳句をたしなむ人は、雅号の一つから「獺祭(だっさい)忌」ともよんでいるいるそうだが、こちらの方は生まれ故郷の松山市でも、「獺祭忌」等言う人など聞いたことはないくらいだ。。「獺祭」という號はただのカワウソという意味ではないらしく、病臥の枕元に資料を多く置いて、獺のようだといったそうだ。

 私たちに俳句を教えている人が、子規の本を出したようで新刊紹介欄に載っていた。子規の俳句のなかから1日1句を1年で365句を選び出して、作者の短いエッセイを添えたコラム集とのことだった。その本を私はまだ読んでいないのだが、来月にその先生に会うので本を書いた経緯などを聞いてみたいものだ。

その本によると「子規は34年の短い生涯で、多様な句をこしらえていたのかと改めて驚かされる」と書いてあったが(これは書籍紹介の作者の言葉で・・・)、この先生私も何度も話しているのだが、女の人の割には大物で、いい意味での大陸的な考え方が出来る人である。

 子規は、擬態語・擬音語の天才的使い手でもあると書いてあるそうだが、これもその先生から直接聞いた話では、江戸時代の俳人である小林一茶もこの擬態語・擬音語を使って句を創るのが旨かったそうで、その小林一茶の手法を大変よく勉強して、自由に使いこなせるようになったらしいのだ。

 子規自体は健康的には恵まれておらず、血を吐いた自身をホトトギスになぞらえて、「子規」と号したことに象徴されるように、子規の文学はその病と切っても切り離せないものであったのだ。子規が日中戦争中に発病したように言われているが、最初に喀血したのは明治21年の鎌倉旅行の最中だったらしい。

 私は松山市のボランティア・ガイドをしているのだが、さすがに生まれ故郷の松山市には、子規ゆかりの場所は数々あるのだ。この書籍紹介を書いた人は、「ええとこじゃけん。いってお見」と奨めたいのは松山の「子規堂」としていたが、たしかに子規が17歳まで過ごした住居は一見の価値がある。

 現在は子規の髪の毛を祭ったお墓のあるお寺の境内に、当時の状態で復元した文学資料館であるが、資料としては個人で所蔵しているものしかなく、それほど多いとは言えない。それでも、この部屋にはいると、それこそ等身大の子規がそこにいるような気になるものだ。


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最終更新日  2008年09月19日 19時38分46秒
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