わたしも自分の居場所がなくなっていく寂しさを感じていく年代になってきているが、 50 代ともなると会社や仕事場での役割は一歩引いたものになり、子育てがひと段落ついた家庭でもその存在感は少しずつ薄れていくものだという。そのような人間がゆっくりとくつろげる店選びと店の使い方のコツが IT で紹介されていた。それは「年下の店主」・「時間とカネの上限設定」・「家族にオープン」だというのだが、まずは「店主が自分より若いこと」ということでは、いままで通っていた店がなくなっていく理由は店主が自分より年上だったからということなのだが、確かに昔通っていた飲み屋へ行かなくなった理由は使える金が少なくなったのと、代替わりをしているか廃業してしまっている店が多くなってきているからだと納得したのだ。
そして「時間とカネの上限設定」を決めることでは、時間と使うお金をあらかじめ決めておくとその方がかえって店での居心地もいいというのだ。たしかに長い時間居座って深酒すればするほど気分転換につながるというものではなく、実際近頃仕事場で飲みに行く店は全体的に回転が速くダラダラ飲む客は少ないのだ。飲み会絵お段取りしている若い衆も「さすがに毎回定時・定額じゃないですが」というが時間と金額に制約のある店が多くなっているのだ。さらに幾つかの店は家族とも行くことも自分だけの店を持つのには良いみたいで、 IT の記事でも「隠れ家じゃなくてオープンにしておくとよい。『あの店に行った』と言えば、かえって嫁さんから納得されやすいし」と書かれてあったのだ。
50代のなかには子供がまだ 10 代と言う人もいるが、ソフトドリンクで食事ができるような店もあって同じような家族連れの客も週末には多いそうだ。おでん屋とか焼鳥屋は「子供が成人してからの楽しみに取っておこうか」と書かれてあった。そして「会社に近すぎない」のももちろんだということなのだが、それもたしかに納得できるのだ。会社と自宅の間にこうした空間があることは本当に大事なことなのだと改めて思ったしだいなのだが、会社にいる時間は相当長くて平日の家は「寝るだけ」という人も多いし、私のように子どもが大きくなると一緒に外食することも減っていくものなのだ。毎日が職場と家庭の往復でたまの飲食はつき合いばかりで、行きつけの店まで減っていくと日々の生活の中で「一息つける」場のようなものがなくなってしまうのだ。
これはちょっともったいないように思われており、 40 代から 50 代の「大人の時間」の魅力や必要性はメディアではよく語られるものの、実際には失われ続けているのかもしれないというのだ。サードプレイスという言葉があってスターバックスのコンセプトとしても知られ、職場と家庭以外の「 3 つ目の場所」ということのようなのだ。こうした居場所を見つけておくことはミドル世代にとって結構重要になってきているといわれているが、日本人の知恵ではそういった居場所を昔からちゃんと持っていたというのだ。私の趣味の一つである落語の世界でも床屋の喧騒を描いた「浮世床」という噺があって江戸時代の作なのだがサードプレイスといった新しい言葉を耳にするずっと以前からこのようない場所にたむろしていたというのだ。
私ももうすぐ定年退職なのだが仮に再就職をして 65 歳まで働くとしても、多くの人は少しずつ第一線を退くようになり仕事に費やす時間は減っていくことになっていくだろう。自宅の近くで過ごす時間がコンビニと図書館だけというのではちょっと寂しいし、「帰りに一杯」というのはいかにも昭和の風習のようにみられてちょっと旗色が悪い。しかし寄り道先であって一息つくことができる「第三の場所」は今も昔もとても貴重な空間だとおもっている。私には江戸時代の庭園を管理している NPO に参加しているのだが、たった17坪の庭で煎茶を飲むことだけでも歴史と風情を感じているのだ。これからは会社中心の生活を段々と変えていくための準備はそろそろ始めてもいいはずだと思っているのだ。
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