間が目から得る情報は頭に入ってくる情報の 75 %と大部分を占めるそうなのだが、そのような意味でも見るということはコミュニケーションの基本でとても大切なものなのだとされている。 しかし残念ながらこの見る行為ですら、私たちの多くはしっかりできていないのが実情で、「みる技術」の「みる」を漢字で書いてみると代表的なものは 5 つあるというのだ。視界に入れる「見る」からはじまって、注意してみる「視る」や観察する・時間的変化もみる「観る」に、医者が症状・状態を診察する「診る」だけでなく、不調者をケアする「看る」の 5 つだというのだ。人はいずれの「みる」もできていることが必要なのだが、平常時を対象とした3項目の「みる」ならば「すべて自分はできていると」言う方も多いというのだ。
あるカウンセラーの経験によるとコミュニケーションの上手な人は 5 つの「みる」という行為を全部やっているわけではなく、その場その場で必要な「みる」を意識せずとも自然とできている人が多いというのだ。人は意識を向けたものしか実際に自覚を持って見られないからだと専門家はいうのだ。「みる技術」を持っているからではなく「みる技術」を使いこなす「マインド」を持っているからだと考えられているが、クレームを挙げない人が持っているのは「みる技術」で、「みる技術」を持っている人はすぐにクレームをつけたり同僚に怒りつけたりしないそうなのだ。逆にこの「みる技術」術がない人ばかりの部署では、えてしてメンタルヘルス不調者が続出するという傾向があるというのだ。
クレームに関する報道を目にする機会が増えてきているが、勤務中にうどん屋に立ち寄った消防隊員が通報されたり、電車の運転士がクレームを恐れて水分補給もできず熱中症・脱水症状に至ったり、他人の目を多少気にすることが必要な場合もあるのだが、それが高じて身体の危険をもたらしてしまうことは度が過ぎていると言えるというのだ。もちろん世間の全ての人がこのようなクレームを挙げているわけではなく、ある調査では前述の消防隊員たちに対し約 9 割が「勤務中でも正当な理由があれば消防車で食事に行くことは許容すべき」と答えているし、同じ事象に対し怒りやわだかまりやクレームなどを投稿する人としない人では、その違いはどこにあるのかということが問題だというのだ。
これまで 1 万人以上を面談してきた産業医の話では、会社組織内でも同じようなことが日常的に起きており、社内の派閥ができて対立していたり、逆にコミュニケーションが円滑で良好だったりする組織にも通ずる事象だとされている。昔から「人は見たいものしか見ていない」と言われているのだが、人は自分の視界に入っていても注意をしなければ見ておらず、意識にすら上がってこないことが多いというのだ。またあることを意識してみて見るとほかのことが見えなくなってしまうというそのような生き物なのだというのだ。その場その場で必要な「みる」を意識せずとも自然とできている人たちでも、やはり全部の「みる」を同時にはできていないが、あることを「みる」ことは同時に他のことは「みる」ことができていないということを知っているそうなのだ。
つまり自分は全てのことが見えていないということを自覚しているということで、いくら注意して見ていても「自分には見えていない部分がある」ということを知っているということは、つまり見えていないことという「知らないことがある」ということを知っているというのだ。自分のことはわかっても他人のことであればわからないことがあって当然なのだが、この「他人については知らないことがある」ということを知っているというのが、「みる技術」を持っている人に共通しているマインドだというのだ。例えば真面目に仕事をしていない相手に対して「サボっているに違いない」などと決めつけるのではなく、「体調が悪いのかもしれない」という、「かもしれない」発想を持てるということが「見るという技術」だというのだ。
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