今年が生誕200年で英国の聖トーマス病院の壁にメッセージが映し出された近代看護の基礎を築き、「ランプを持った貴婦人」とか「クリミアの天使」と称されたフローレンス・ナイチンゲールなのだが、力を入れていた医療現場でのデーター活用や衛生管理は現在の新型コロナウイルス感染症対策にも生かされているという。ナイチンゲールは看護だけでなく統計学にも貢献したとされているが、新型コロナウイルスの感染症をめぐり英国では当初介護施設など病院以外で死亡した人が含まれておらず疑問の声が上がっていたのだが、ナイチンゲールにちなんだ劇の脚本家は「彼女が今生きていたら、端末に並べられたデーターを基に、死者数をめぐって政府と議論していただろう」と期したそうなのだ。
「近代看護教育の生みの親」とも呼ばれるイギリスの看護師フローレンス・ナイチンゲールなのだが、その実態は気性激しく自分のやりたいことを実現するためなら、どんな障害もなぎ倒すような人でだったという。統計とも深い関わりがあることは日本ではあまり知られていないそうで、女性にふさわしくないと考えられていた文章術と数学を父親から学ぶと、 20 歳のときナイチンゲールは数学をもっと突き詰めてやりたいと言い出し「近代統計学の父」ベルギー人のアドルフ・ケトレーを信奉し、数学や統計に強い興味を持って優秀な家庭教師について勉強したと言われているそうなのだ。欧州各地へ旅行に連れていかれたナイチンゲールは訪れる国々の統計データーを集めていてそこに並ぶ数字へのあこがれがあったというのだ。
そして 1853 年に看護の世界に飛び込みロンドンの病院の監督として、バリバリと辣腕を振るい、当時は未亡人やクビになったメイドが最後に行き着くところと思われていた看護師という職業に誇りとプライドを与えたというのだ。さらに翌年ついにクリミア戦争が勃発すると友人で戦時大臣だったシドニー・ハーバードの頼みで精鋭看護師とともに現在のトルコにあったスクタリ陸軍病院に向かい、ここでナイチンゲールは不合理な男達の社会を体験したというのだ。本国と前線で二重化した命令体系は「医療品が足りない」ことを現地の担当官に伝えるだけでもわざわざ本国の司令官から現地の司令官というルートをたどる必要があるほど非効率なものだったことから、在庫品の入った箱を壊して包帯や消毒液を持って行ったというのだ。
病院内の衛生状況を改善することで傷病兵の死亡率を劇的に引き下げたのは有名な話で、彼女は統計に関する知識を存分に使ってイギリス軍の戦死者・傷病者に関する膨大なデーターを分析し、彼らの多くが戦闘で受けた傷そのものではなく傷を負った後の治療や病院の衛生状態が十分でないことが原因で死亡したことを明らかにしたというのだ。彼女が取りまとめた報告は統計になじみのうすい国会議員や役人にも分かりやすいように当時としては珍しかったグラフを用いて視覚に訴えるプレゼンテーションを工夫したそうで、今も「鶏のとさか」と呼ばれる円グラフの一種はこの過程で彼女によって考え出されたものだったというのだ。このような活躍が認められナイチンゲールは女性として初めて王立統計協会の女性会員に選ばれている。
過労のため断続的にナイチンゲールは床に臥せるようになつのだが、「誰もが健康な生活を送れるようになる」ための社会改革への情熱は冷めやらずベッドの上からでも精力的に働き続けていたという。世界各地に自分の夢を継いだ看護師たちを送り込んでいたナイチンゲールというと、日本では新5千円札の肖像になっている津田塾大の創設者である津田梅子と面会しているのだが、イギリスに招かねてより切望していたナイチンゲールとの面会を果たしたという。ナイチンゲールはこの時齢 80 歳で病床での面会であったとされているが、この時の面会は津田梅子にとって強い感銘を受けたようで、特に活躍の限られた日本人女性に同情した点に感銘を受け、日記にも衝撃の強さをうかがい知る記述が残されているという。
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