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今日の名古屋 二日間降りました猛烈な雨も止み気持ちよい 太陽の光線を浴びております温度も高く 春の到来かと錯覚しそうです東京を代表する 浅草寺をアップいたします雷門天慶5年(942年)平公雅によって創建された当初は駒形付近にありましたが 鎌倉時代に現在地に移転しました 戦災で焼失し昭和35年(1960年)松下幸之助氏の寄進で再建された仁王風神像 慶応の大火で頭部を残して焼失明治7年(1874年)に補刻され 昭和35年(1960年)修補彩色された仲見店昭和20年3月10日の戦災で焼失して 再建された現在商店街の店舗 108店舗 偶然煩悩と同じですね本堂推古天皇36年(628年)3月18日の早朝隅田川で漁労中に一体の観音様を拝し聖観世音菩薩として帰依し出家して 自宅を寺としました開基は大化元年(645年)勝海上人が観音堂を建立して秘仏としました中興開山 慈覚大師円仁(794~864年)年間3000万人が参拝 境内は 49140坪本堂は昭和20年(1945年)3月10日戦災で焼失した 昭和33年(1958年)10月に鉄筋コンクリート本瓦葺で再建された五重塔天慶5年(942年)平公雅が本堂と共に建立その後数度の倒壊・炎上に遭ったが都度再建されました夕方遅く参拝しましたので 画像は暗くなっていますでも参拝客は さすがに多い 日本の総人口の1/4が毎年参拝する 凄いですね昨日までアップしました 食肉ついて さらに追加市場長 検査場長 二人とも 牛・豚・馬・鳥を含めて絶対に 生肉(刺身)で食べないようにしてください何度も注意がありました 熱を通してください生肉には 虫が多く人間の体内で成長しますからとよろしくお願します 生肉は絶対に どんな有名店でも同じです
2009.01.31
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今日の名古屋 朝から重い雲 垂れています 今にも降りそうです 逆に温かい体感です予報ではかなり雨が 降ると出ています昨日は夜 久し振りに会社OBで 飲み会 楽しみました今日は 食の安全をテーマに 名古屋卸売市場最終回をアップいたします刃物熱湯処理牛・豚の解体現場では 一頭処理するごとに この熱湯に刃物を入れまして 消毒をしていますこの装置は一人の作業員毎に 設置されています勿論検査員も一頭検査する毎に この消毒作業をしています食肉処理場検査光景解体され セリで落とされた枝肉は そのまま運びだして処理される場合もあります 大手の業者(スーパー・JA)はこの市場の中で施設を借りて レーンを設置して 部位別に捌いて 出荷しています衛生検査員が 抜き打ち的に検査をしているいます牛白血病の肝臓肝臓検査で疑義ある時は 分析されますムラサキ色部位が腫瘍でおかされている部分です凄いですね この場合は部位破棄か 全頭破棄かを検討されます豚回虫このように回虫がいる場合が あります戦後の衛生状態の悪い時 人間にも回虫がいましたねこのときは野菜に人糞を肥料として活用したのが遠因でしたが 豚には飼料で調整はされていますが 存在するときが ありますベネデン条虫これは 牛・豚の小腸にいる条虫です 一匹の長さが相当長いと聞きました 人に移るかはわかりませんが ぷっつり節で切れますと 成虫に成る力が あるようです牛肉質等級セリにかかる前に 等級検査が公益法人によってなされます一頭の検査は安い値段ですが 格付けは厳格ですこれによりセリに 付されてセリ落とされて市場に出るのです一頭のセリ時間は10数秒の時もあります 1分はかかりません去勢牛 和牛 乳牛などでも 値段が数倍以上差がでます入札はテレビスイッチのようなもので 遠隔操作で行われていました3回にわたりまして 見学し ビデオを視 所長 場長から説明を受けて 市場全体で 食の安全 ここからは危険な肉を絶対出荷させない 強い意志を感じましたこのような施設を見学する機会がありましたら 進んで参加して 理解をし 近隣 知人に 知らせましょう長く付き合って頂き 感謝します
2009.01.30
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今日の名古屋快晴で 冷たさは 少し感じる程度日中はかなり 温度が上昇すると 思われます昨日午後に歩きましたら ジャンバーを抜いてしまいました それでも暑く感じ 夕方はやはり冷たく感じました今週は美術館めぐり 多いのかな 昨日は愛知県美術館で開催されています アンドリュー・ワイエス展を鑑賞してきました 閉館1時間前でしたので ユックリ回れました火うち石ワイエス氏は1917年生まれで 9歳から水彩画を習い1937年に個展をNWで開催しています日本では1974年に初の個展を開催し その後展覧会はタビタビ 開かれています 91歳で先日逝去されましたこの展覧会開催時は御存命で ビデオには元気な姿が映し出されていましたそよ風氏はアメリカで夏 冬で住居を移動しておりペンシルヴェニア州の時 描かれた裸婦像です今回は習作と並行して展示されており 部位の見方構成 などを 観賞出来ました松ポックリここに描かれています鉄カブトは 近所の友人が戦争で功績あげて 退役しまして 鉄カブトには凄く魂が入っておりましたが 奥様はそのような事に無頓着で 単なる入れ物 松ポックリが象徴として 描かれています 男女の思いの違いを表現したのでは と想像しました三日月厳冬の住居の近くの作業小屋を描いた作品入念に籠 小屋を描き ポツリと書かれた三日月 ここがポイント とんかつでは理解出来ない 世界でしたワイエス氏は一生限定された地域での活動でした住居のメイン州とペンシルヴェニア州のみでした17時半で入場終了の案内放送を聞きまして退館しました 夜の講座があります会場 3kmをさらに歩きました 心豊かな気分 良いですね
2009.01.29
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今日の名古屋晴天で 気持ちの良い朝を迎えました天気予報も一日晴れマーク 北陸地方は雪マーク車で3時間かからない 距離で凄い違いですね今日は時折アップしております ホーロー看板をアップしますナショナル電球電球と言いますと 懐かしい響きがありますね 蛍光灯に代わりましてからも 50年近い年月ですから戦後間もなく 定額灯と言う契約がありました四八の部屋(八畳間が四部屋)の家庭が標準でその中に一個の裸電球 お勝手が澄むと 居間に さらに座敷に 持って 釣り下げる 家の中に一個のみ それでも楽しい 明るい 団結した家庭が存在しました電球と言いますと そんな友人の家庭を 思い出しますシルク号自転車この自転車は現在東証一部上場の 片倉工業さんが戦後経営多角化の一環として製作された自転車ノーパンク自転車 個々の80代後半の古老が まだ使用して方 見ましたよ と凄いですね 50年近く使用してるトンカツも子供用自転車はもちろんない時代 三角乗り御存知でしょうか サドルからは足が届きませんからフレームの中に足を傾斜してして 運転をしました安定性はありませんが 周り全員が 上手くバランスをとって 駆け巡りましたゴメンなさい 懐かしいことを 思い出して アップしまして今の子供さん 幸せですね 困る位の贅沢な遊び道具 でも懐かしみながら 孫に買ってしまう とんかつ家爺 婆 でした
2009.01.28
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今日の名古屋は晴れています 寒さもきつくないです外の散歩にはマダマダ 冷たいですね 高齢者の早朝は脳関係の病気にかかりやすいですから 温かくなって散歩される方 多くなりました今日は昨日に 続きまして 畜殺についてアップします全部破棄頭数昨年度のこの市場内で 全部破棄しました頭数です牛も結構いますね 豚は毎日1000頭近く畜殺されていますから 当然牛よりは多くなります牛は最大日に 100頭の処理能力です部分の統計は見せて 貰えませんでした豚は全頭検査ではなく 群管理となっておりますト畜場の細菌検査数南部市場での検査数です 拭きとりがほとんどです牛ですと Oー157 も居るのですね合格印色々な検査を受けて OKが出ますと 合格印を枝肉に捺印して 表示されますこれで セリに出されて スーパー 小売屋に出回り一般消費者に わたるのです尚背骨部分は検査されておりません 解体の時に捨てられます 検査光景これは下の解体現場の検査員から 不審に思われた部位が対象で二階検査室に持ち込まれますこれを検査室員が 真剣に色々な方法で 要因を検査して原因を突き止めて 部位破棄 全頭破棄かを 決定されますこの光景を見ていますと 研究室のようですね検査員も 病気が移るといけませんので 現状な防御をしています 見学者は部屋には 入れませんでした顕微鏡細菌検査では 必需品ですね 倍率はどの位かは説明ありませんでした このように厳格に 見落としがないように 検査員が真剣に従事してもらっており 食の安全が維持されているのですね
2009.01.27
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今日の名古屋は晴天で 朝方寒いかと思いましたが外にでましたら 平年ではないかなと 思いましたでも今が一番寒い時期 これから寒波が遠慮なく押し寄せてくると 思われますインフルエンザもそろそろ 魔の手を伸ばしてくる時期ですね 体調管理して自己防衛してください講座受けている一つに 食の安全 がありまして今回名古屋中央卸売市場 南部市場を 見学する機会が有りましたので 分割して アップします玄関口名古屋市中央卸売市場 南部市場です名古屋市は三市場経営しています 今まで 本部市場(魚中心) 北部市場(野菜中心)をアップしてきました 今回は南部 つまり牛・豚の畜殺と入札しての販売をしています名古屋市は高畑市場を移設しまして 埋立地に開設しました陥没埋立地ですから開設二年目で このようにかなりの陥没が至る場所で散見されました 年間10cm位で均一には 発生しないのですこの場所は玄関口ですから タクシーを降りまして直ぐ この建物倒壊しないかなと 思ってしまいました建物は岩盤まで杭が打ち込まれているので安全と説明を受けました ヤレヤレですね 市民税の塊がすぐに機能麻痺ではと思う トンカツでした頭部検査この建物は全国的にも珍しい 見学者用通路が完備されて 窓越しではありますが 畜殺光景が1m位先で 見ることができますですから遠来からの見学者も多いと聞きました法律に基づいて牛は全頭検査 豚は群管理体制ですこの画像は見学者用ビデオからアップしておりますBSE検査では 頭部に結構あるとのことで 徹底して獣医による検査がなされています延髄検査BSEで一番危険部位になります これは全部除去しています 吸引で除去し さらに肉眼で見て 細かく丁寧に除去していますこの市場には獣医が24名配置され 牛に5名 豚に5名が常に 監視し ラインについています回腸も除去されています(盲腸から2mまで)牛の枝肉検査一頭毎に目視検査がなされており 合格 不合格を決めています 望診 触診 官能で行われています官能とは匂いによる検査です内臓検査一頭毎にこのようにして 厳しく検査され 肝炎 腸炎骨折 出血 などを見つけるのです これが 発見されると一部破棄となります これらの検査で異常が重大ですと二階にあります検査場に持ち込まれて 精密検査をしますその間その牛の全部を保管して 結果によりましては全部破棄となります 今回は牛について アップしましたが 国内の牛はこのように厳重に 全頭検査され 出荷されるのです良き勉強になりました
2009.01.26
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今日の名古屋 晴天ですが 冷たい感じです昨日は今冬初めての あられ が降り冷たいと実感しました 今ごろから2月中旬までが 寒さを一番感じる 季節です 全国では異なるでしょうがホーロー看板の続きを アップします真珠漬伊勢神宮のお土産として 盛んに売り出されていました真珠産業は 三重県鳥羽湾を中心にして 御木本真珠で養殖真珠を成功した地域です その時の採取した真珠貝(アコヤ貝)の貝柱を、絹ごしの酒粕でじっくりと寝かせて 製品にしておりますトンカツの小学生の卒業旅行で初めて知りました今でも通信販売 店売りもなされています幼少を思いだす ホーロー看板です三重県方面では 時折見かける 看板ですライオン香取線香金鳥と並んで 二大メーカーでしたね衛生状態の良くない ドブ川 沼 水溜りが至る所にありました 夏になりますと遠慮なく襲ってきます 蚊 生きるため 子孫を残すため生き血を吸うのは 致し方ないですが 吸われる身になってくれない 跡が痒いのはたまらなかったでも血を十分吸わせて 飛んで逃げることが出来ない蚊を 両手で ピシャリ 快感を子供ながらに 味わいました 今は冬でも 部屋の中で見かける蚊 懐かしく思いながら アップしました
2009.01.25
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今日の名古屋 日中猛烈に冷えました12時頃から 真っ白い あられ が降りだし ビックリしました 路面ではコロコロと 落ちては転がる光景久しぶりに 見ました喫茶店の窓から 見ておりますと 傘をさしたり 無しで悠然と歩く人 小走りの人 人それぞれですね今日は大阪城をアップします隅櫓元和6年(1620年)創建された 構造は二重二階本瓦葺大阪城は明応5年(1496年)本願寺8世法主蓮如が山科本願寺として建立 元亀元年(1570年)から天正8年(1580年)まで 信長と戦った天正11年(1588年)秀吉は石山本願寺跡に大阪城を築城慶長20年(1615年)大阪夏の陣で落城した桜門豊臣時代本丸の正門を桜門と呼んだ落城とともに焼失 寛永3年(1626年)に築かれたが明治維新の城中大火で(1868年)焼失し 明治20年(1887年)に再築されました旧大阪市立博物館1929年2月 昭和天皇即位の記念事業で大阪市民の寄付金150万円で建築 現在金額5~6百億円ロマネスク様式で左右対称 2001年閉館された金明水井戸屋形当初秀吉によって作られたと言われていましたが 調査の結果寛永元年(1624年)に掘られたと判明 水面まで33mの深さで 井戸枠は一個のくりぬき石であります天守閣鉄骨鉄筋コンクリート造り天正13年(1585年)に建立され 慶長20年(1615年)に落城 焼失 31年間寛永3年(1626年)き再築され 寛文5年(1656年)落雷で焼失 40年その後266年天守閣なしのまま 据え置かれた昭和6年(1931年)に再建され 現在に至る 太平洋戦争の空襲に耐え 天守閣実在記録更新中関西の商都として 江戸時代隆盛するも 天守閣なし とは凄いことですね
2009.01.24
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今日の名古屋 小雨が降ったり 薄曇りになったり安定しない天気です 予報では最高温度 25度となっており 4月の温度と予定 でも今は寒さを感じています昨日は名古屋の南部市場を 見学してきました牛 豚専門の 畜殺場です 後日アップします長女が生まれ 育った 懐かしい神社 橿原神宮をアップします大鳥居明治22年(1890年)神武天皇の皇居 橿原宮跡に社殿造営が発願ご 創建されました境内は54万平米と 広大です南神門参道を100m位進みますと 重厚な 立派な神門が迎えてくれますこの門をくぐりますと 参拝の気分が盛り上がってきますやはり神域ですね絵馬この神宮のシンボルにもなっています 大きな絵馬丑年でも 絵馬というのですね大きさは公表されていません拝殿両脇を長い回廊をつ連べた壮大な 入母屋造りです昭和14年に完成しております深田池39500平米(12500坪)の広い池ですこの池には我が家の成長記録の 1ページを飾っています この市内で 長女が生まれ 育ち 時折長男と一緒に遊びに来まして ボート遊びをした池池畔に立ちまして 走馬灯のように 思い出して一人 立っていました このようにまだ整備されてはいませんでしたノンビリと深田池で 渡り鳥(?)が 早春を楽しむように 泳いでいました 世相では派遣切りとか言われ 人間世界を意識せずに 泳いでる 鳥類 羨ましくなりました喫茶店に入り 懐かしい街並みを思い出し 生きて再度参拝出来るのか 不安心理で コーヒーを飲みました
2009.01.23
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今日の名古屋 薄曇りです 夕方から雨の予報です昨日は三講座ありましたので 朝9時に家を出まして帰宅が21時30分 しっかり頭の洗脳を受けました中国古代史 産業探訪 ITからの情報 でしたそれぞれが異なり 楽しみました でも会場が離れており 移るのが40分以上かかり 参りました待ち時間もあり 写真展 買い物 他で潰しながら今日は大阪天満宮をアップします天神橋筋商店街南北2.6km 約600店舗が参加しており日本一長い商店街です1丁目から10丁目まであります これは大きな道毎に 区切られて 丁目です大阪天満宮山門菅原道真公が延喜元年(901年)に藤原時平の策略により 昌泰4年九州大宰府の太宰権師に左遷され2年後に59歳で生涯をとじ その後文武の神様として 祭られ全国に天神さんとして 慕われています本殿幾多の焼失を重ねて この本殿は弘化2年(1845年)に再建された 権現造りです夏の風物詩 天神祭は大阪の元気の源ですね笹に御神籤は神社に参拝しますと 貰い受けますね大吉で喜び 大凶で悲しみ それを持ち帰らずに神社の小枝に結びつけるのが風習ですね後処理を考えて 笹に 凄い発想ですね さすが 大阪と思いました牛天満宮と牛は 一対のような感じですね道真公が生まれた日 承和12年(845年)6月25日が乙丑の日 死去の日も丑の日更に道真公が 牛に任せて行こう との精神これから 来てるとも言われています角帽この帽子がおかれていました 50年前は大学生のシンボル的存在でした 今では着帽する人もいませんが大学に合格しますように との願いでしょうかでも50年前とは 異なった環境学校数の増加 生徒数の減少 学校改革もあり 国立と言われても 経営が危険になる時代 私学の1/3が赤字 破産 廃校 系列下の状態もありますこの帽子の裏には ぜひ我校を 受検してくださいと書かれているかも
2009.01.21
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今日の名古屋 曇っておりますが 昨日よりは冷えております 老齢になりますと体が温度に敏感に反応しますね 起きだしてトイレでの異変尿の量が異なります 80%位は当たりますね暖房も25度にしても中々温かくならない状態まだ時期は早いですが孫が4月から小学校に入学注文しておりましたランドセルが届き 封を切る前に 自慢顔で見せにきましたランドセルが歩く開封して直ぐに背中に背負った姿です全くランドセルと背中 どちらが大きいかなと思える状態でした この孫が選んだ真っ赤な色合いこれを6年間 卒業するまでに使用するのですこれから色々と経験するのでしょう このランドセルと一緒になって 入学記念に希望者は市から貰えるのですが孫は購入する方を選択したのですポーズやはり やんちゃな孫 背負って間もなくポーズを作って 嬉しさを体で 表現していましたこれもその一齣ですトンカツのパソ室で見せてくれました 目を細めてパチリ パチリ と心の中から嬉しく思う爺もう娘の時の様子は脳裏の片隅にもありませんね自分の子供の時は必至でしたから 当然かもしれませんこのランドセルとともに 登下校何事危険なことが起きなく 成長を願う 爺でした
2009.01.20
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今日の名古屋は 濃霧に包まれて 前が非常に見難い状態です 時間の経過とともに晴れつつありますが 交通事故が心配です温度は何時もより 高めです 家内が洗濯物を干していても 冷たさを感じなかったと言ってる日中は4月上旬との予報も出されています昨日 「新春三曲演奏会」を鑑賞してきましたプログラムもう26回目を迎えました 名古屋周辺部の色々な流派の師匠クラスが 集まり広碁の練習の成果を発表するのです 創造センターでした 会場の9割近く埋まり 盛況でした今日だけで11曲 演奏されました 25日も開演されます五段砧筝曲は五段から始まり 六段へ 最後に五段に戻ると言われています優しくて 難しい 奥があるのですねトンカツには判りませんが着物姿で琴をたしなむ 大和撫子ですね 何時もの家庭から解放されて演奏に打ち込む姿 夫が見ましたら感激し 妻を見直すのではないでしょうかEMOTION琴の世界に英字が入る イメージがコロット変わりますね流れるリズム 情熱のメロディーが流れ 異なった感覚を音色も違います昭和30年代ごろから 流行り出しました 琴なんですがダンスでも出来そうでした 服装も洋装で さらに台も机を利用して 椅子にかけて 伝統ある筝曲の世界の変化してる のですね この曲は1992年作曲です初鶯宮城道雄作曲です 歌詞を三部分に分けて 間に合いの手をと手事を挟んで 構成されています今日の演奏は流派を超えて 三社中の合同でした 尺八も流派異なっていました でも宮城先生は尺八の 音階も指定されており違和感はありませんでした観客は無料でしたが 会場費 パンフレット 宣伝 その他結構費用がかかり 一曲につき 5~6万円徴収され それを出場者が負担する形式 女性が主体ですから 着物 頭セット 他がいるとも 説明がありました更に最近は弟子も少なくなり 社中の授業料は知れており パートに出て 経費を捻出してるともありました特に古曲は着物姿が原則ですから 費用がかかりますね日曜日の午後 心 豊かに過ごしました
2009.01.19
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今日の名古屋 朝起きましたら 太陽が出ていましたが今は曇ってきています 薄日が漏れている状態午後からは 傘マークが予報になっていますこの温度では 雪にはならないと 思います昨日名古屋大学ジャズバンドの演奏会がありました入場料金 五〇〇円 パンフ代位しかなりませんが その内容をアップしますプログラム楽団の名称は 名古屋大学エーデルレーテジャズオーケストチョット長いですね 第43回の定期演奏会です年に一回ですから もう43年続いているのです部員は63名と言っていました 年次では20名前後ですねこの演奏会を最後に 3年生は退部して就職活動に専念するのです この厳しくなった経済界 大きな試練の荒波を学生に遠慮なく 浴びせることでしょう曲目は14曲でした全体光景オープニングは3年生が主体で始まりましたやはり緊張感が漂っていました 会場は当初1階のみを予定していましたが 大勢集まり 2階席も急遽開放していました 満員でした18時丁度から スタートしました2曲目は1・2年生のみの演奏でした やはり1年の差は大きいですね 音を出すのが精一杯で とても音楽にはなっていませんでした青春をぶつけてソロで吹きました 3年間の青春を練習に打ち込み この演奏会が最後に 舞台に立つ事が出来ません観客も聞き惚れてくれたと 思います拍手も凄かった ブラボーも飛びました思い残すことは ありません といった 表情でした盛りたてましたやはりジャズの華やかな一面は ドラムに影響されます叩きまくりました 最後と思いますと 腕が 指が 動きにくいでも心は踊り やりました これで後輩にバトンタッチが出来ますアルバイトの時間を削って 練習しました この感激は忘れ無く 社会にでて苦しい時に 思い出して 頑張りますこのように トンカツの心に 伝わってきました頑張りましたソロで重い楽器を肩から 吊りまして 奏でる旋律演奏していましても よいました 観客の顔を見てる余裕は有りませんでした 短い時間ですが 必死でした最後にバンドマスターの挨拶 一年間の活動を振り返り良き仲間と一緒 各演奏会の方々へのお礼 観客にも彼には凄い 大きな青春を過ごして事が 走馬灯のように脳に飛来したと 思います最後は涙声に 観客から万雷の拍手 最後の曲が流れました終わり アンコールの拍手 二曲先輩を送るように 演奏者が舞台に集まり 立錐の余地が無い状態で 始まりました 若さを貰いましたありがとう
2009.01.18
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今日の名古屋は 冷たく感じ エアコンの温度少し上げないと 温かさを感じない状況です明日から雨の予報 掃除 洗濯 にはねじ鉢巻で頑張るのかな 主婦は昨日は大阪の豊国神社をアップしましたが名古屋リランさんから 名古屋にもあります と書き込み 先日初詣に行きましたからアップします御手洗所この神社は中村公園として整備されており 地下鉄を出ましたところに 真っ赤な 大きな鳥居がありますこれはこの地域が昭和4年(1929年)に編入された時を記念して 設置されました 前回アップしましたので省略します水出し口普通は龍などが多いのですが この神社は瓢箪になっています 秀吉が戦場で瓢箪を愛用した事に起因してるのか 製作者の遊び心かわかりませんこの神社は境内を囲っている物はありません拝殿周辺だけで 参道も歩道があるのみです凄く開放的です 拝殿明治18年(1885年)創建豊臣秀吉公を御祭神として 出世 開運 茶道建設にご利益があると言われています毎年5月18日の太閤祭前の日曜日に出世稚児行列が 子供の成長を願って盛大に繰り広げられています秀吉像中村の農家に生まれて 大出世 でも本人は出世してからこの地には2度ほどしか 寄ってないといわれています勿論百姓ですから 木下姓もなかったと思います最後には藤原姓をどこからか仕入れていたようですがこの像 やはり痩せて独特の顔に表現されていますガラスがはめられていますから 周りの景色が写り見難いですね
2009.01.17
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今日の名古屋 穏やかに太陽光線を 受けています昨日の夕方は北風が吹き 寒かったのですが昨日は朝の8時から 自転車で屋根神探索 中村区中川区を 思い切り漕いで 走りまわりました右のふくらはぎ 関節が猛烈に痛く 今日の朝から整骨院で 揉んでもらいましたもう若くない 自重が必要ですね大阪 豊国神社をアップします豊国神社 鳥居と拝殿この神社は 名古屋出身の 豊臣秀吉公 秀頼公 秀長卿を奉祀する神社です明治元年に明治天皇が大阪を行幸の時に 奉祀するように仰せだれました明治6年に京都阿弥院峯墓前に社殿を造営され 大阪では中之島に別格官幣豊国神社を明治12年に創立されたのです茅の輪くぐり毎年年末近くに作成され 開運の茅の輪としてご利益があります 健康で一年が過ごせるようにとの意味合いもあります 全国でも結構 多いですね拝殿別格官幣大社として 造営が中之島でしたが 大阪市庁舎の拡張が必要となり 昭和10年ごろ移転の話が持ち上がり戦争に突入により延期となっていました 昭和31年に再度話が持ち上がり 昭和36年に現在地に奉遷されました大阪では 出世開運の神様として 崇められています
2009.01.16
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今日の名古屋 晴れており 冷たい気候です昨日はショックが重なり 猛烈に反省しています外にはよく出ていますが パソと戯れていますと ツイツイ大好きな 菓子の袋が とんかつを欺くように ニコニコと招くのです 成敗のつもりで 腹の中に入れてします状況ジムで測りました体重 キケンラインはクリアしており アーーと言葉が 演奏会に行く予定があり 地下鉄を止めて 徒歩に1時間半歩きました 微々たる事も 積れば・・・・・ホーロー看板をアップしますオロナミン大村混さんのこの キャラクター 懐かしいですねしかし幾多の時代を超えて 商品寿命の長さに ビックリしますね 不思議に一本飲みますと 元気がもらえると思い 現役時代 疲れると上司の差し入れ でグイグイと飲んで サー残りの仕事 仕上げるぞ と頑張った?記憶があります もうこの看板も見なくなってきましたニッカ懐かしい響きを心に与えてくれますね 学生時代にお金は持っていません スナックのない時代(50年前)トリスバーか ニッカバー に通いました 一度飲みに入りまして 500円 これが大金でした一日アルバイトして 700円くらいでしたから高校でての初任給が 7000円位だったと思います丁寧に飲みましたね 一杯でかなりの時間粘って男性でしたら 色々な思いがあると思います
2009.01.15
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三日間小降りですが 雪がちらついた名古屋 雪国に突入かと思いましたが 今日は太陽が顔を出して寒いですが 穏やかになりました昨日も大阪の豊国神社を参拝しましたので 名古屋の豊国神社も参拝してきました 大阪本家ですから 大きいですね 名古屋の場合は一帯が公園となっていますから境内ではないですが 全体としては広く感じます今日は国史跡 湯島聖堂を アップします門最近漆で塗られた関係で 黒く輝いておりました徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため 元禄3年(1690年)湯島の地に聖堂を創建しました上野忍岡の林家私邸にあった霊廟と林家の家塾を移した100年経て寛政9年(1997年)幕府直轄校として「昌平坂学問所}としました大成殿孔子像が安置されています 土・日・祝日が公開されています大正11年(1922年)に国の史跡に指定されました翌年12年(1923年)関東大震災でほとんど消失した昭和10年(1935年)鉄筋コンクリートで再建されました孔子像紀元前551年‐紀元前479年)は、春秋時代の中国の思想家儒家の始祖 世界三聖に数えられる詳しい説明は省略します椅子金ぴかの椅子 誰が座られたのか説明文はありません孔子のイメージには 合いませんね衝立立派な彫りと貝細工が施されています伝統ある家具ですね 大成殿の額大成殿内部の天井近くに 飾ってありました額良く似た額が 数枚飾ってありました孔子の高弟なのか 政治家なのかはわかりません屋根飾り見物を終えて 大成殿を見上げましたら 立派な独特の 屋根飾り 日本では鬼瓦に当たるのでしょうか立派に建物の守護であると 訴えているようでした歴史的建物 内部をを見まして 心豊かになりましたこのような史跡が財団法人で守られています何時までも構成に伝えたい 史跡です
2009.01.14
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今日の名古屋 起きだしましたら 牡丹雪が空からウーーーン 積るぞと 期待しましたが 直ぐに止んでしまいました でも名古屋にも雪の景色が 見える時期になってきました 積れ と言いたいのですが 経済がストップしますので 老人の心の中で 小さく叫びます先日東京初詣の時 泉岳寺を50年ぶりに訪れましたその状況を アップします泉岳寺山門慶長17年(1612年)江戸幕府が外桜田の地に創立しましたが 寛永18年(1641年)の大火で消失した五大名の尽力で高輪に移転 このとき浅野家と縁が出来る曹洞宗の寺院です本堂慶長17年に建立されましたが 寛永の大火で焼失し天保年間に再建されました 昭和20年(1945年)の大空襲で焼失しました 昭和28年(1953年)再建落慶され いくたの災難にあっております寺院の周りは高層マンションで囲まれて 正面からは移り斜めとなりました浅野内匠守の墓元禄14年(1701年)殿中殺傷事件で 吉良氏に傷を負わせたことで 切腹を命ぜられ はてましたその時に建立されましたこの事件は 忠臣蔵として 映画 テレビ 歌舞伎 語りに 毎年年末になりますと 華やかになりますねでも事件は元禄15年12月14日ですが新暦に換算しますと1703年1月30日ですから 年末とは相当開きがありますね首洗い井戸吉良邸に討ち入りしした義士47士が 主君の仇を討ち苦労して吉良氏の首を 持ち帰りこの井戸で洗ったのですどのような 気分だったのでしょう 達成感充実か 虚脱感だったのか 想像も出来ません義士の墓大石氏以下10名は松平家御預け 細川家17人 毛利家10人 水野家9人 寺坂氏は不詳です全員が切腹して ここにまつられたのですどのような気分で主君の元に行ったのでしょうか大石内蔵助墓家老として主君の切腹する 無念さを さらに無血で城の明け渡し 離婚 仇討の計画 実行 さらに吉良家の間者 に仇討を悟られずに 江戸終結 準備 挙行成功 素晴らしい監督者ですねでも地元から一言 何でも吉良氏は悪者扱いですが 地元吉良では善政な施政で 今でも市民から親しまれ 尊敬されています浅野氏に仕来りを 厳しく教えた事が 遠因と思います
2009.01.12
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今日の名古屋 白い粉が 舞い降りてきています今冬初です 地面が白くなるまでは 行ってませんが何か心が ワクワクする気持ちです雪国の方は毎日 更に戦いになるのでしょうが 名古屋では 非常に珍しいので ついつい表現が子供のようになってしまいます 昼ごろから出掛けますので 車になりますね 昨日名古屋音楽大学の 3つ目のホールが完成して記念コンサートが開催されました6枚往復はがきを出しまして 2枚が当選したのです家族と親類の名前も 拝借しましたのですがホールコンサートは撮影禁止ですから このホールの画像は大学発行のパンフからコピーしました5階建てで 4~5階を使用してのホールです席数は294席となっております 前席2列は可動式となって ステージを広げることが可能ですこの大学にとりまして 3つ目のホールで 大 中 小と揃い 学生さんの練習 舞台度胸 マナーの習得に力を発揮すると思いますプログラム今回は二部制で一部は 能の笛の演奏と語りでしたトンカツ夫婦は第二部の「宮廷音楽の華 チャンバロ」でした チェンバロは初めての経験で 楽器の形 音色も知らない状態で 聴いていました演奏は 中野振一郎氏 曲目はフランス宮廷音楽でした永年の演奏活動で 90年に大阪文化祭金賞 91年仏国にヴェルサイユ古楽フェスウテバルに日本代表で参加レコードアカデミー賞 2004年度文化庁芸術祭大賞他の経歴を有しています この音大の客員教授でもあります初めての経験 楽器はグランドピアノに似た形ですピアノは叩くのですが チェンバロは馬の毛で弾くのだと説明がありました でもちょっと手元が見えなくて 実感がわかない のが正直でした音色は大正琴のように 思えました寂しい 厳かな 音色 宮廷貴族が愛したのでしょうピアノとは全然異なる仕組みで 音域も限られているような感じでした初めての楽器 また聴いてみたい 音色 感動してホールを後にしました
2009.01.11
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今日の名古屋 快晴で穏やかな太陽が微笑んでいますでも冷たさは強いですね 今日から三連休の方も 多いと思います 正月休み後で体が急に動きにくい時であり ヤレヤレと思って見える方も多いと思いますトンカツは毎日休日ですが それなりに飛び回り三連休も家内と 舞踊 バレー コンサート と続いて予定しています東京での初詣 今回は 名前が知られていない 乃木神社をアップいたします鳥居原宿から地下鉄で二区 乃木坂駅一番出口から30秒です明治45年(1912年)7月30日明治天皇が崩御され御大葬の大正元年9月13日御霊轜が宮城を出発する号砲が打たれた時 乃木大将ち妻静子さんが先帝に殉じて自刃を遂げられました大正8年(1919年)乃木神社創立の許可がくだり大正12年(1923年)11月1日鎮座祭が斉行された神社の創立です鳥居の正面に酒樽が積まれていますが 一社 大関のみでした 赤城王子稲荷神社当神社は乃木将軍ご夫婦更に両親が崇敬特に篤く月詣りせられた 北区王子に鎮座の王子稲荷神社を乃木神社戦災復興竣成を機に勧請された拝殿第二鳥居から拝殿を写しました 国旗が掲示され 印象に残りました 境内は約3000坪で世界大戦の空襲で焼失したため 現在は鉄筋コンクリート造りとなっています乃木大将は日露戦争での 203高地での激戦があり 陥落させて 旅順を占拠し 戦勝したのですでもこのときの戦死者は 1万人を超えてしまいました露軍の機関銃攻撃の中 単純な突撃命令で犠牲者を多数にした戦略 歴史家は疑問視してる方 多くなってきていますねこの戦略が後刻まで陸軍に引き継がれ 太平洋戦争での悲惨な突撃を繰り返した遠因となって しまったのです御神籤やはり神社詣でをしますと 御神籤が気になりますね大吉が出ますと 喜びもありますが 気を引き締めてと思い 大凶を引きますと 悲しみ これ以上の事は起きないと 次を期待したり しますね普通は樹に結んだり 縄に結んだりしますが この神社このような 玉状の作りになって 結ばれていました結構拝殿の前 似合いました神社と言いますと古い歴史があるように思いますが靖国神社 明治神宮 乃木神社 共明治以降の創立ですが 参拝者は多いですね
2009.01.10
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今日の名古屋 昨晩から降り出しました雨今も続けて降っています 予報では寒くなるとなっておりますから 雪がちらつくのかなでも朝の一番冷えるときが 雨ですから無理かなとも思っていますトンカツの初詣行脚 今日は明治神宮をアップしたいと 思います明治天皇御製この歌の意味の解説は出来ませんが 生かされている間シッカリした目標を持って 日常を送りたいですね明治神宮は明治45年7月30日 明治天皇が続いて大正3年4月11日昭憲皇太后が崩御されて 御神霊をおまつりしたいとの国民の熱誠により大正9年11月1日にこの代々木の地に御鎮座となり明治神宮が創建されました7時前ですのにJR山手線 原宿を降りて橋を渡りましたら この様な集団を何組も出会いました 鳥居の前で明治神宮は開門 6時40分で この日は仕事始めの日としてる会社が多いのですが この時間に従業員が参集して 隊列を組んで集団で初詣祈願をされるのです日本の会社の伝統行事 若い方も多かったのですが遠方から集まっていることと 想像しました 素晴らしい年の幕開け光景を見ることが出来ました大鳥居厳かに 凛とした 姿で建って 参拝客を迎えています 鳥居 会釈してくぐりました何時も不思議に思いますのは この二本足で基礎石に乗ってるだけの構造 風雨 台風 地震に耐えている凄いですね 清酒菰樽明治天皇は御座中様々な産業を奨励され 技術の振興に大御心を注がれて日本の興隆と近代化を成し遂げられました 江戸の鎖国政策から 一挙に西洋化でした菰樽も永年奉納されている全国の酒造家かななされております何時までも我が国の伝統文化として 益々栄えてほしいとの神宮が祈念されて 設置されました神門拝殿周りに 東西南北の神門が設置されています 明治神宮は南豊島御料地で荒れていました 100年後の自然を考慮して 椎・樫などの照葉樹を植えられ 更に参道に玉砂利で参拝客が森に入らない設計されました参道への落ち葉は全部森に返しており 立派な森林に育っています 現在 246種 17万本の木々になっています拝殿 明治の森に囲まれ 4か所の神門を取って到達します幽閉な環境で 心も穏やかな気持ちで参拝出来ます初詣客は 日本一を保っておりますこの拝殿は昭和20年4月14日 空襲で焼失し 戦後創建されました落ち着いた気持ちで 参拝出来 トンカツの心 満足感一杯で 再度大鳥居をくぐり ました
2009.01.09
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今日の名古屋 穏やかな天候です正月気分も抜けきって 仕事 仕事 の動きになってきましたね 老人トンカツは初詣行脚の旅昨日で終わり 参拝しました 神社 仏閣を任意にアップした参ります 参拝した気分になって頂けましたら 至福です常に政治家と海外との関係で話題になります靖国神社から参ります大鳥居(第一鳥居)大正10年(1921年)日本一の大鳥居として建築あれましたが 損傷が激しく昭和18年(1943年)に撤去されました 現在の鳥居は昭和49年(1974年)に再建されたのです靖国神社は明治2年(1869年)6月29日明治天皇の思し召しによって東京招魂社に始まり明治12年に現在の靖国神社に改称されました木村益次郎銅像近代日本陸軍の創始者で靖国神社の創立に尽力された明治26年(1893年)日本最初の西洋式銅像略歴は省略します神門より拝殿神門は昭和9年(1934年)に建てられたものです正面に二枚の扉があり紋章があります開門は午前6時からです平成6年(1994年)屋根の吹き替えが行われました菊花の紋章神門の扉に 二枚取り付けられています直径1.5mの大きさがあります 立派でこの神社の経緯を 物語っております拝殿明治34年(1901年)に建てられました 通常はこの前で参拝致します 平成元年(1998年)に屋根の吹き替えが行われましたこの奥に正殿があります 申込をすれば 御祈祷が受けることができますこの靖国神社には 幕末の嘉永6年(1853年)以降の明治維新 戊辰の役 西南の役 日清戦争 日露戦争 満州事変 支那事変 大東亜戦争 等の国難に際して 国民を守るために尊い生命を掲げられた246万6千余柱の方々の御霊が 身分 勲功 男女 の別なく祖国に殉ぜられた尊い神霊(靖国の大神)として斎しくお祀りされていますトンカツ過去にも数度参拝させてもらいましたこの純粋に英霊の眠っておられる神社を 政治の駆け引きに使われる 更に海外から批判を受けるのは 心から悲しい事に 思っています やはり日本国に尽くされ 命を落とされた貴重な方々が 安らかに眠られる環境になってほしいのです
2009.01.08
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今日の名古屋 晴天で 気持ちよい朝を迎えました新年に入りまして 4日目 明日からは企業が動きかけホトンドの方が 初出勤となると思います以前は初出勤日は 顔を合わせて 近くの神社に初詣食事をして解散 その後マージャンのコースが多かったのですが 現在はそのような 悠著ではなく ふる仕事ですね 景気の落ち込み谷が 深くなって行くので厳しい 訓示が待っていますねトンカツの趣味の一つであります 古いホーロー看板の画像を撮るのです 今後機会がありましたら アップしていく予定です金鳥今でも夏になりますと宣伝が 華やかに行われていますので安心しています 古い看板ですと メーカーが絶えてしまったり 商品が作られていなくなってのが多いです下水道がなかった時代ですから 蚊 虫の天国 人間は襲われて 血を吸われて 被害にあっても文句言えない香取線香 アースは懐かしいですね蚊帳を吊って 暑い夏の風物詩 でも蚊は遠慮なく入って来まして 吸ってくれましたね東芝テレビ真空管の時代 テレビ本体が非常にデッカク 重量もありましたね 我が家に入ったのは今の天皇のご結婚式まじか 目を食い入るようにして 馬車を視ていたこと思い出します でも1地割も家庭に浸透しおらず 近所の方々が視にきて 賑やかでしたねチョット古くなりますと ゴーストが 手で叩くと直るチョット センチなっている トンカツがキーボードを叩いています 今夜から趣味の青春18切符を使いまして 東京へあちこちの神社 仏閣に初参りをしてきます3日ほど留守にしますから アップ出来ませんのでよろしく お願いいたします趣味の七福神詣でも してくる予定です
2009.01.04
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今日の名古屋 快晴で 寒さも少し緩んだからと思えます 外に出ましても歩いてる人は結構少ないですね ソロソロ里帰り組の方々も帰って見える時期ですね昨日は久しぶりに孫と 戯れました 大人社会に一人天真爛漫が入りますと クルット変化しますね今年から自宅が 近くになりましたから 泊まってくれませんが 今日も午後から 一緒に遊ぶ予定爺を完全なる 支配者の感覚ですね 負けず嫌いです岐阜県のファミレスに入りましたら この様な置物が目につきましたとても気に入り パチリと この店は2度目でしたが前回はカメラを持たずして 今回パチリでアップしました「いらいらするな」 これって案外難しいですね食道で15分待たされますと この状態になりますねそう言えば 20分以上待たされましたが この教訓のおかげか ニッコリ待っていました 店の戦略なのかな加齢に伴って 気が長くなる人 逆な人見えますね「くよくよするな」老いてきますと 死んでから 息子 娘 大丈夫なのかな大らかに残された 生かされる期間送りたいですね「ぎすぎすするな」この世は一人で生きられない 頼り 頼られて生きる一期一会の精神で その瞬間を大切に 接したいですね年賀状の減らないトンカツ 楽しく友情を温めていきたいです 毎年10枚位新しい賀状が届く努力したいです「おおらかにおおらかに」人を信じて 生活をして ストレスを貯めずに 挨拶のある明るい生活をしたいですね 多少のニュースでも 嘆かずに余裕を持って 判断して 自分の解釈をして 進んでいきたい新しい年を迎えて トンカツの心を代弁し このように日常を送りなさいと 教えてらった 気分です 感謝 感謝 です
2009.01.03
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今日の名古屋 朝から冷えています でも天候は晴天で 気持ちが良いですね散策はサボってしまいました 自分に優しさを痛感しています でも スポーツジムで 汗を流してサウナに浸かって 英気を養い 福井から帰ってくる孫を迎え 遅くまで 楽しみます案内垂れ幕毎年我が家の恒例になっております 熱田神宮の初参り 午前中が多いのですが 今年は夕食を兼ねて 遅くから出掛け 17時半に到着しました凄く少ないですね 毎年ですと ここから拝殿まで2時間はかかりますのが このようにガランとして歩くのも街中の歩道のようです臨時手洗い太い孟宗竹の筒を抜いて 50m位にわたり 臨時に毎年設置されています 下向きに穴が開けられており清水が 滴れております 70人位一度に利用できます一瞬ですが利用客は おりませんでしたお札販売数か所で初参り用の お札 破魔矢 その他売り出されていました 購入される方多いですね不況時の 神頼みなんでしょうか拝殿前例年ですと ここまで 2時間は最低かかっていますが夕方遅くですから 5分位 拝殿前で10m位混雑が有った程度 ご利益はどうでしょうか元旦で何十万万の方の願い事 さすがの神様のお疲れでではないかと おもいましたドーンと1万円もお賽銭をすれば お乱してもらえるかな でも我財布はダメと拒絶しています ごめんななさい 来年には小遣い貯めてドーーンと張り込みますから奉納樽凄く高く積まれている樽 写してビックリ 清酒と思っていましたら 漬物屋さんの樽でした多いのですね 名古屋にもメーカーさんが多いのですね今年は夕食に キシメン と思って出ましたが 17時で終わっていました 大晦日を徹夜営業ですから諦めて レストランで 食事して 帰りました今年は遠征して 初参りをする予定です 何処に現れるやら と思いつつ・・・
2009.01.02
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明けまして おめでとう ございます旧年中は大変お世話になりました今年もよろしく お願い申し上げます孫も来ない 大人社会での紅白歌合戦をコタツ番をしながら 静かな大晦日を送りました終りと同時に 煩悩の多い トンカツ 檀家寺参りと 除夜の鐘を突きました その後氏神初参拝本堂内檀家寺の本堂内です 毎年ここにお参りし 住職に挨拶をしました お賽銭を奮発して 先祖からの昨年一年のお礼と 新年一年の加護をお願いしました参詣の無い堂内で静かに お経を口ずさみ 敬謙な気持になりました除夜の鐘もう60年近く続けています 途中数年は スキーに年末から出掛けて つけない時もありましたがやはりかなり並んでいました 和尚さんが一人づつ合掌されて 新年の言葉をかけていました煩悩多いトンカツ 一人全部突きましても 不足ですねこのお寺は一応 108を突きますが その後はフリーで希望者が 終わるまで 突けるのです並んで星神社と言いまして 天の川伝説を伝える古い神社です普段の日でも名古屋市内の方々が 尋ねて参拝されていますこのようにかなりの並ぶのです フラッシュが届きませんから手ぶれを 起こしていますが 約30分はかかります2時くらいまでこのような状態ですどんどこよ威勢良く燃やされています 昨年新築された学区内の方々からの木です 古木は燃やしません 威勢良く燃やします 云われはわかりませんが 暖をとる厄介を取る その他あるかと思います神社総代の方々を中心に 守をされていますトンカツも 神酒を飲みながら 談笑しました接待毎年厄年になる方々が 災難を受けてもらうために接待があります 神酒とみかん・スルメが毎年の恒例です学区の今年満41歳になる 男性が担当しますトンカツの時は大字でしたので 少なく 接待 寺院神社寄付 国府宮 一族披露を入れますと 100万近くかかる 風習でしたこれで初参りは終わりです 午後から終わりの守護人熱田神宮に参拝に 行くのですこのようにトンカツの 新年がスタートしました今年もブログを通じまして 色々とご指導 御鞭撻よろしく お願い申し上げます
2009.01.01
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