仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.07.25
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カテゴリ: 仙台
仙台藩の財政を調べようと思っている。現在どこの自治体も財政改革と騒いでいるが、太平の藩政時代に、わが伊達藩も苦しかったはずで、吉村の藩政改革で息を吹き返したとの言い方もあるが、米相場の影響で一時的に赤字が解消したのだろう。全国第三の大藩を標榜しながら苦しい台所だったはずで、何が原因で、改革が進まないのはなぜだったか。


できれば Odazuma Journal が継続的に取り組む一大テーマとして、考究していきたい(企画倒れの予感有り)。

今回は、ちょっと変わった角度から入る。すなわち藩札発行について調べた。藩財政の歴史を赤字対策の面から観る。有価証券の勉強にもなるという思わぬ副収入もありそう。
(主に伊東信雄『仙台郷土史の研究』1979年、宝文堂出版)

1 貞享の金札
 我が国で紙幣が多く使用されるのは江戸時代。幕府自体は発行しないが、各藩が領内の紙幣を発行。寛文元年の越前福井藩の銀札が最初とされるが、仙台藩では、ハコモノ好みで借金を抱えた4代綱村の時代、若老の古内造酒之祐が発案して、貞享元年(1684年)に初めて金1分札を発行。
 そもそも紙幣とは正貨との交換が保証されて初めて流通するのだが、藩政の窮乏を救う目的だから正貨の準備などなく、むしろ藩札を流通させるために藩内の正貨通用を禁じて、正金を藩に引き揚げようとした。結果として札は信用を得ず、使用に制限のない銭の相場が高くなる。物価高騰を来して社会を混乱させた。
 こうなると結局、藩札を回収し正金通用に戻すことになるが、藩札回収のための資金を調達せねばならない。正金を得るためには、江戸、京、大坂の商人からはすでに借財し尽くしたから、江戸回り米の代金しかない。そこで、貞享3~4年度は借金の返済を中断して、返済に回す予定の米代金を、藩札回収に振り向けて、元禄2年(1689年)まで4年かけて藩札を回収した。


 貞享の失敗に懲りず、綱村が幕府の許可を得て、元禄16年(1703年)に再び発行。物価高騰と経済停滞で、早々に打ち切ることとしたが、発行済みの藩札を正金と引き替えるにも正金が準備できない。本当は「札潰し」にしてしまいたいが、大藩の面目が許さない。そこで、宝永2年(1705年)度の藩士の禄の半分を召し上げる大胆な措置に出た。今で言う公務員給料カットだろうか。
 ところが同年は干ばつで減収が激しく、結局2カ年に分けて召し上げた。そして、宝永3年にやっと金札の禁止、正金使用が命ぜられた。もっそも、現実にはどの程度まで正金引き換えができたか怪しいようだ。

3 天明の銀札
 元禄の金札の後、しばらくは藩札は使用されなかった。藩財政の悪化につれ発行論は唱えられたが、濫発の弊害をおそれたのと、幕府の金銀札禁止令による。
 しかし天明3年(1783年)の冷害が大凶作を招き、56万石の減収となり藩財政も危機をきたし、幕府の老中田沼に賄賂を使って、救民のためを強調して藩札発行に踏み切った。発行には、藩主重村も関心を持って参画し、説明文を自ら起草している。
 これが天明4年(1784年)の銀札である。関西と異なり銀貨がほとんど使われない仙台藩で、なぜ銀札かというと、金札に厳しく銀札に緩やかな幕府の意向によると考えられる。
 これにより正貨である金貨使用は禁令となり、柳町三浦屋惣右衛門方の両替所で銀札と引き換えて使うこととなった。藩では4月10日に藩士の登城を命じ、全奉行列席の上、4月14日から銀札を一定割合で家中に貸付け、返済は年賦にするから、各自生計を新たにし、質素倹約して奉公せよ、と申し渡している。12日には御触れとして一般に周知。藩士には貸付だが、一般で困窮の者には無償で与えた。
 今回も札は不人気で円滑に通用せず、他方で従来通り使用できた銭は払底してしまい、物を売買する手段が喪失。裕福な商人以外は物を買うに困る事態を招いた。銀札の相場は急落し紙くず同然、物価の高騰が起きるから、銀札を懐に行き倒れる餓死者が続出したという。
 これを放置できず銀札を回収する必要があったが、かといって正金と引き換えるのは藩財政が許さない。そこで、正貨の通用を解禁し、公の支払には正貨を用いるべきとしながら、銀札は時価での通用を継続した。この間、わずか5ヶ月で、仙台藩の藩札で最も短命。
 正貨を銀札に引き換えるものが少なく、藩のもくろんだ民間の正貨引き揚げは結局進まなかった。むしろ、銀札回収のため、献納者には苗字のほか、扶持の特権を与えたことで、これが更に藩財政の負担にもなった。日野屋などの大商人たちは、銀札の正貨引き換えの約束を藩が実行しなかったため損失を受けた。

4 寛政の米札

 米札は、米の代金を支払う形式の金銀の引換券である。仙台藩の場合、買米と呼ばれる米の専売制度があり、自家用米と年貢米以外は藩が買い上げて、米価の高い江戸に送出して藩の収入としていた。しかし藩に米を買い上げる資金が無かったので、米札を発行して、買米を江戸で売った代金で金貨に引き換える、という方式を考えた。
 仙台藩は、寛政6年(1796年)にこの米札を発行。しかし、天明の銀札の失敗の記憶もある時代、百姓一揆も懸念され、これも成功しなかった。

5 升屋平右衛門預かり手形
 失敗のオンパレードの仙台藩藩札だが、これだけは信用を得て流通した紙幣である。寛政年間から仙台藩蔵元となった大坂の豪商の升屋平右衛門が、文化6年(1809年)に発行した預かり手形。
 預かり手形とは、形式上は金銀の預かり証文で、幕府の金銀札禁止令に反しない点では米札と同様である。具体的には、升屋平右衛門から為替組あてに発行した手形である。1枚1枚筆で書かれ、裏面には番号を記している。升屋は引き換え準備金を十分に用意したので次第に信用が出て、円滑に藩内に流通するようになった。幕末まで流通し、仙台藩では藩札を単に手形とも呼んだ。

 なお、偽札も登場したため、文政2年(1819年)からは京都西陣特注の小さな布片を貼り付け、仙台領内の模造を防いだという。
 この藩札は、25年間継続して発行され、天保の凶作後の財政に関する意見対立から、天保5年(1834年)升屋が仙台藩の蔵元を断られるに至って、発行を終了した。もっとも、既に出回った手形は流通を続け、天保8年以降の両替所預かり手形とともに使用された。そして、両替所預かり手形の乱発で相場が下落すると、升屋手形も信用を落とすこととなる。
 現在残る升屋手形が他の藩札に比べ汚れの多いのは、長年の流通を物語る。

6 両替所預かり手形
 天保7年の冷害大凶作は飢饉を招き、仙台藩は92万石の大減収となった。年貢米はもちろん、百姓の飯米も足りず、当然ながら買米はできないから藩収入も皆無。他領から高価な救援米を買い入れたが、領外には正貨を支払わねばならず、30万両以上の正貨を失って藩財政は危機に瀕した。天保5年に縁の切れた升屋に借りることもできず、天保8年、藩では升屋手形にならって藩が新たに預かり手形を発行した。これが両替所預かり手形である。両替所とは南町の藩引換所をさす。
 しかし、正貨の準備などなく、ただ升屋手形の信用に便乗したこの札は、領内の使用には役だっても、他領への支払には使えない。たちまち藩札が下落し、天明の銀札の際ほど著しくはなかったものの、物価高騰となって領民を苦しめた。

7 改正手形
 安政3年(1856年)に藩の蔵元となった大町の商人、中井新三郎が両替所名義で発行。一般に改正手形と呼ばれる。中井は近江商人で平素は近江国日野に在住。元文5年(1740年)に仙台大町に古着店を出して巨利を博し、幕末の仙台城中では、佐助(佐藤助五郎)と並ぶ豪商。藩の御財用方御用達の筆頭となり、安政3年には遂に藩の蔵元となったものだ。
 中井は、改正手形を条件に望んで蔵元を引き受けたようである。中井の計画は、手形が額面の4分の1に下落したのは引換準備金が足りないためだ、準備金を上方借金で調達する(実際には自分のカネを藩に貸す)、その際に藩の名義では信用がないから、中井自身の名義で借金して藩札を発行する、その代わりに買米は仲居に任せよ、という条件であった。
 時あたかも黒船直後で仙台藩も蝦夷地警備、大砲鋳造など巨額の軍事支出を強いられ、さらに、13代藩主慶邦と八代姫の結婚費用もかさみ、窮乏の時であった。藩は上方からの借金を模索したが、従来の貸金20万両のカタをつけなければ融資はしないと強硬に断られた。そこに、仙台藩の財政支配権を上方から奪取しようとしたのが、中井である。
 藩内では主席奉行の芝多民部が、中井の献策を採用し、蔵元に任じた。
 この手形は国分町の引換所で、徐々に旧札と引き換えることとされた。しかし、発行高が増すにつれて準備金が枯渇。芝多民部は巨額の支出を工面するため、準備金にお構いなく手形を増発し、紙幣インフレが生じた。





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最終更新日  2006.07.25 05:17:40
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