仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.11.24
XML
カテゴリ: 仙台
仙台でのエスカレーターの右立ち左立ちの混乱などについて何度か記した。JR仙台駅構内などでは東京同様の左立ち(右あけ)、地下鉄駅などでは大阪や国際標準の右立ちが主流というのだ。その理由は、諸説あるもいまだ確定せず、理由は不明だ。

仙台のエスカレータ 右立ちか左立ちか (2014年6月14日)
歩行者は左右どちらを通行するか 仙台のエスカレータ再論 (2010年12月21日)
仙台のエスカレーター作法を考える (10年4月9日)

以前も触れた点ではあるが、日本の鉄道駅構内では左側歩行が原則とされていた。このことが、実は大きく影響しているということはないだろうか。

そもそも、日本は人も車も左側通行だった。明治33年(1900)の道路取締規則による。これには、武士同士が刀のぶつかり合いを避けて左側通行をしていた習慣が背景にあると、一応説明されている。



人が右側を歩くというのは、わが国において、実はまだ60数年たらずの歴史であって、それまでは左側がルールだったのである。

鉄道構内も同様で、ずっと左側通行であった。線路配置や信号標識類も左側通行が原則だが、駅の構内も人が左側を通行する原則で設計されていた。

電車を降りてホームや階段を乗客が移動する際に、左側通行を念頭に誘導路を構成しており、特に大都市部の混雑する駅などでは、どうしても変更がきかなかったのだろう。このため、GHQの提唱によって道路の歩行者が右側に改められたが、駅構内は引き続き左側通行が原則となったのである。

今は無いかも知れないが、しばらく前までは、東京でも駅構内の随所に「構内左側通行」と書いてあったような気がする。

さて、このことと仙台の左右混乱(併存とも)との関係を仮説として考えてみる。

戦後一般に人は右側通行になったが、鉄道構内は左のまま。仙台市内のデパートに登場したエスカレーターには、(最初は並んで立ったと思われるが、急ぐ人が出現したりして)一般道路と同様に右に立つようになり、仙台駅では国鉄利用者が当然左立ちになった。

その意味では仙台がむしろ当たり前。東京は電車通勤者が圧倒的に多いので、街場も左立ちが浸透。仙台はデパートに行く人は、市内の市電やバス利用者あるいはマイカーが主で、国鉄利用者はむしろ少数だったから。なお、地下鉄開業時には(市交通局自体は指導を否定しているので)市内派とJR派の一種の自然衝突状態だったが、乗り継ぎ族よりも市内派が優勢だったのだろう。なお、大阪では万博で国際標準を指導したとされることが(諸説あり)、東京との違いを生んだ。

こんな仮説だが、どうだろうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015.11.24 06:08:23
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

コメント新着

ななし@ Re:北のキリシタン聖地-旧大津保村を中心に(その3 大籠地域)(09/10) 『1917年(元和3)年頃の統計では、佐竹藩…
おだずまジャーナル @ Re[3]:水の森公園の叢塚と供養塔(08/03) 風小僧さんへ 規模の大きい囲いがあった…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: