今月十九日夜、仙台市青葉区一番町にある中華料理店「仙台飯店」の座敷に、宮城県中華料理環境衛生同業組合(千葉北男理事長)の役員八人が顔をそろえた。話し合いのテーマは「仙台で生まれた冷やし中華をどうPRしていくか」。組合は県内の中華料理店が集まって、昭和四十一年に発足した。数年前から「冷やし中華をもっと全国に売り込もう」という機運が高まり、PRの戦略を練るため時々役員が集まっている。
「ポスターを作るのはいいが、それだけじゃだめだ。『これぞ仙台の冷やし中華』というものを作ったらどうだろう」と浅野安弘専務理事。PR活動を強く推進している人だ。「喜多方ラーメンのようにブームを起こすためには、各店統一された”仙台の冷やし中華の味”が必要になる」と説く。
仙台で生まれ育った人でも「冷やし中華は仙台が発祥」と聞くと「えっ、うそでしょ」という反応を示すことが多い。「中にはラーメンと同じで、中国から来たんじゃないの」という人もいる。が、冷やし中華はまだ五十一歳。昭和十四年仙台生まれなのである。
仙台市青葉区錦町の「龍亭」。この店の先代四倉義雄さん=昭和五十年死去=が今の組合の前身である「仙台支那料理同業組合」の創立者。その四倉さんのところに組合員がやって来て「夏は暑くてしなそばが売れない。ざるそばのように冷やしちゃ食えねえものかね」と話をもちかけた。昭和十四年の夏のことだ。
「タレをおいしくすれば冷やして食べられるかもしれない」。四倉さんはピーンときて、毎日タレ作りに励んだ。夜中に店を終えた組合員が「龍亭」に集まり「そばつゆがいいか、酢を甘くしようか」と試行錯誤を繰り返した。「龍亭」の現在の店長である四倉蝶(ちょう) 子さんは「三カ月ぐらい毎日研究して、今のような味の冷やし中華ができたようです」と語る。
浅野さんが経営する仙台市青葉区一番町の「味一番」では夏の真っ盛りの八月で、一日に注文される冷やし中華は五十人前ぐらいと昔より減っている。「クーラーの普及で、暑いから冷やし中華を食べるという人は減ってきた。これからは、おいしいから冬でも食べると言わせたいもんだね」と意気込む。
仙台市若林区連坊小路の「志のぶ」(佐藤健吉店長)では冬でも冷やし中華を出している。どうして、とたずねると「食べたいというお客さんがいるからですよ」と、分かりやすい、商売人らしい答えが返ってきた。
写真/冷やし中華を作る技は今でも受け継がれている
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