あいうえお道場/職業訓練編
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齢44にもなって、なんで人生、こんなに苦労しなきゃならないんだろう。辞めましたよ、例の極悪施設は。勤務実態のない人をカウントしなきゃならない勤務表がけっきょくできなくて、3月4月5月と勤務表が結局できていないのだ。そんなことってあるかい。勤務表って前の月の25日頃にはできるものでしょ、じゃないと、スタッフだって翌月の予定も組めないでしょ。そもそも非常勤スタッフの雇用契約がはっきりしていなくて、誰がどういった(たとえば週2日とか、火曜と金曜かとか)内容で働くことになっているのか、管理者である私にリストがないのだよ。むちゃくちゃだよ。奥さん連中は「あたしは水曜日はだめよ」とかばらばらにいってくる。そんなこといちいち頭に入れてられないし、そんな皆さんの意向を踏まえていていて、勤務表ができるかいな。でも、結局、そんなつぎはぎだらけの中途半端な勤務表をつくるのが精一杯だった。4月10日で4月の勤務表ができなくてブチぎれてやめた前任者は、理事長の婆に5回も勤務表案をつっかえされたという。それで切れたという。だから私は、切れたくいないので、とりあえずの勤務表案をつくって疑問点とか質問をポストイットに箇条書きして、理事長婆に渡したのだ。そんな理路整然とした方法が婆はまた気に食わないらしい。ばばあは、理詰めで向かってもダメ。5分でいっていることが180度変わってしまうのだ。前任者は大喧嘩をしたというが、私にはあんなキティと喧嘩ができるメンタリティーというのもまたよくわからない。たとえば、クルマの送迎をする人員がいないとする。そんな日が数日もある。それを婆にいうと「他の部署のスタッフにお願いしろ」という。あなたよりずっと詳しいですよと。その10分後には「他の会社(一応厳密には別会社だ)から人を借りてくることがあるかしら」と平気でいう。でたらめなことを平気で言える人なのだ。その婆さんのいうことをいちいち傾聴して「はい、そうですね、おっしゃるとおりです。」とやっているとストレスがどんどん溜りどうにもならなくなってくる。私が入社する前に正職員が何人も辞めたとのことだが、残った非常勤者はみな無責任なやつらばかりで、「あんた、やりなさいよ」と平気で人を使う。で、責任者はこの私であるから、私がやるはめになる。5月12日に理事長婆に夕方5時から3時間ほど無理難題で支離滅裂ヒステリーに付き合わされて私はほとほと精根尽きた。実はその日に退職についていおうと思っていたのだが、軟禁されたような妙な環境下にいると「辞める」という選択肢がアタマのどかにいってしまうのだな。そんなマインドコントロールのような心理状況を救ってくれたのは親父だった。『とにかく辞める話をしないのか』と。5月13日早朝に私の気持ちははっきりと固まり、辞表を書いて8時過ぎにいつものように出勤した。タイムカードは押さなかったな。それで唯一の優秀な非常勤のおじさんに事情を話して辞めることにしたといった。おじさんは私の意を汲んでくれて「ゆっくり休んでください」といってくれた。で、人事の人の机に辞表を置いて帰ってしまうのであった。(人事の人、公休日だったんだよな)私の辞表は昼ごろには理事長婆にも知るところとなって事務所は騒然となったらしい。あとで人から聞いたが。だが、ババアも決してじぶんから私にアポイントをとってくるようなことはしない婆なのだ。それを私は知っているから心置きなく辞表を出した。辞表を出して8時半。みんなが出勤してくる駐車場を逆に歩いて私はクルマを走らせた。行く先は千葉県庁である。保険指導課にアポなしで訪問した。それで、勤務実態のない勤務表のことや人員のことなどを副主幹の人に告発した。県で事情をいうのはこれで3回目、3人目。記録をとってくれていた。ということで私の復讐劇はこれからなのだ。まだ、監査に入ったという話は聞かないので、しばらくしたらまた県に電話して様子を聞いてみようと思う。あんな施設は一度解体するべきなのだ。
2009年05月22日
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