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30日に発売となったノラ・ジョーンズの新譜。心行くままに堪能したいところであるが、我が心にはやや興奮ありて、せっかくアマゾンより届いたノラの声よりもソニック・ユースの騒音といってよいノイズサウンドに耳を傾けてしまう。フィリピンパブで思い切りシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」をホステスとデュエットし、JINROのアルコールが手のひらまで回りきった後に拾ったタクシーの中で、今日一日を振り返れば、穏やかな湖に石を投げた後の波紋のような心境になれるのかもしれぬ。せっかく就職先が決まったのになあ。本日、あっけなくあるカイシャの正社員としての仕事が内定され、採用通知が発行された。16時に面接をして、18時には、よろしくお願いしますと職員に頭を下げていたという早いスピード。しかも、その施設の理念、企業規模、社風、給食があること等、私の心とドンピシャと合っていたのである。こちらも向こうも断る理由がなかった。お金については、うん、これでいいや。つまらぬことに我慢する必要がない分、安くてもしようがない。これまでより悪くなったわけでないし、ほんの少し上がっている。このほんの少しを大事に思いたいものだ。施設はこの7~8年で大きな成長を遂げて、しかもクオリティーも高い複合体の様子である。ケアマネージャーとしては仕事がしやすいし、ポストができれば役職が回ってくる機会もあろう。施設長をめざす私は目先の金と役職よりも確かな企業の将来的な成長性を選んだ。施設長とは10分で打ち解けた。10年経ってもダメであることもあるのに。私の上司となる女性も、にんげんとしてできた大人だった。なんか通じ合えた。施設のある街に家を建てなくなる気分なのだ。いい女がいれば結婚したいし。まだ2時間しかいなかったのに、それも施設内の見学もしていないのに、この決断は正しかったと思う私がいる。オレサマの人生はこれから始まるのかもしれんぞ。Not too late.※帰宅するとおとといの阿弥陀くじは『はずれ』と書いてあった。はっはっはっ。じつは、施設長と阿弥陀様の悪い評判を話してきたばっかりだ。
2007年01月31日
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※今回の日記は、かつての勤め先を訪問した際に、その人のその時分の人間関係の良し悪しが瞬時にわかるということを書いている。現在AM1:00なり。9時頃に疲れてnorahを聴きながら横になったらいつもように眠りに入り、妙な夢で目が覚めた。こんなとき、いつも身体がジンジン震えている。じっさい、ぶるぶるとしながら起き上がることになる。不安感もあり。医学的になんというのかわからないので説明できぬが、うつ病による症状であることは間違いない。サカキが夢に出ていたが内容はあっというまに忘れてしまった。サカキは20歳のピチピチした女の子だった。老人ホーム裏手の駐車場を見ていると、サカキのお父さんが付き添いで来ていて、駐車の練習をしていたものだ。お父さんが駐車位置を確認しながら、よし、いいぞ!みたいに声をかけているという父と娘の微笑ましい光景であった。私は施設内の窓からニヤニヤしながら見ていたものだ。あれから月日は13年くらい経って、サカキはその施設の介護の指導者となっている。今日の夕方、施設の事務所へ見たサカキは、しっかりとした顔つきで隙がなく、だが、慈愛にも満ちた、介護のプロフェッショナルとして理想的な表情をしていた。私は、ケアマネのK子さんに会いにいった。K子さんは今日も忙しく利用者宅を訪問していた。私はK子さんとサカキの間のひとつ空いた机に着席して、彼らが一日の記録やその他、仕事をしている中で、たわいもないおしゃべりをしていた。3人の空間には笑いが絶えなかった。笑わせているのは私であり、なんというかいつものおぎーのワールドを展開させると、彼女たちはそれに応じてくれる。昔、いっしょの釜の飯を食べた仲間は月日を経てもその関係は変わらない。彼らとのリレーションシップがよかったからこういう流れとなる。この施設を訪問する前には、これまで勤めていた職場も訪問した。歓迎してくれる。だいたいは。だが、私の姿を見て“ギクリ”とする職員もいるわけである。それは関係が悪かった相手だ。私は彼女ら(ふたりとも品のいい奥さんだが)の直属の上司だったからである。私と同年代の、掛け値なく美人であるこの2名には嫌われていたな。上司という存在は、いきなり登場するとギクリとするものだ。先輩という存在は、「わぁ~(はーと)」と思うものらしい。ぼんやりしていた脳内がようやく覚醒してきた。ようするに、いきなり以前の職場の人が登場して、好意を持つ相手の場合は「わぁ~(はーと)、え~!どうしたんですかぁ?」となり、嫌いだった相手の場合は「ギクリ!」となる。このリアクションは人間たるもの決して取り繕うことができないことで、相手である私は瞬時に察する。その後「やあ、ひさしぶりですね」なんてにこやかに声をかけても2,3おざなりな会話をするだけである。それでも8割方の相手は、「その後、お加減は大丈夫ですか?」なんて声をかけてくれるから、基本として私はいい人と判定してよさそうである。この手の日記は、日記帳に書くべきものだな。
2007年01月30日
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しとしとと雨が降っていた。就職面接の会場は、住所がある浄土真宗の境内となっている。ようするにお寺にカイシャがあるわけなのだな。クルマで出かけた私はもっとも遠くにある参拝者用駐車場に止めて、寺の中心へと向かった。お寺は住宅地の中にあって、どこが入り口なのかわかりにくい。早く着いたので、とりあえず参拝をしようと思ったのであるが、参道が見当たらぬ。よくやく阿弥陀堂に行き着いたのだが、扉は閉まっており、どうやってお参りしたらいいのかわからなかった。じつをいうと、阿弥陀様は初めてだった。めんどうになって、インターホンで社務所を尋ねた。あまり愛想のない男が応対し、私はカイシャ内に招かれた。彼はスリッパを履いていたが客人にスリッパはなかった。通された場所は本堂のようで伽藍の向こうに阿弥陀如来の像が見えた。14時にアポで、私は10分ほど前に到着したのであるが、着席するとすぐにその男より1枚の紙を渡された。「有料老人ホームの施設長として、あなたならばどんな施設経営をするか?」というような設問があり、200字以内で、と書いてある。さっぱり考えていないので、ちょっと困った。まあいいや、とさらさらさらとサインペンで作文を書く。10分ほどで書き終えると、4人の男が登場した。私は文字数をきっちり数える。オーバー分はうまくトルツメをした。さて面接開始である。私の正面には住職であり理事長と呼ばれる経営者が座り、位の高い順に3人が座っていった。3人は緊張した面持ちである。「いきなり施設長といってもねえ。」「はじめは、うんたらかんたら…」私が有料老人ホーム未経験であることをまずジャブとして突いてきた住職。穏やかな物腰だが、なかなかのやり手である。私から見て右隣の総務課長といった風情の担当者がそれに追随する。その右の係長が右に追随し…(ry)。私は出入り口近くの末席に座ったのであるが、相手の力関係がすぐにわかってやりやすかった。だが、私の表情は強張っていたようである。鬱だからそれが出たのだろう。総務課長の男に第一印象が固い旨を指摘された。私はニヤリと笑うしかなかったが、ま、しょうがない、これでいいだろう。特養出身の私に、有料老人ホームの実情を知れといわれても無理な話だ。だから、ジャブに対してはグローブを差し出して受けるしかなかった。ただ、もしも、この求人が「施設長」ではなく、ケアワーカーだのと別の職種をはっきり提示してきたら、すぐにリングを降りるつもりでいた。職安にチクっちゃうぞ。そのあたりの攻防が、互いに非常に回りくどく行われ、私は施設長以外であるなら、こちらから願い下げであることを察してもらうべく振舞った。住職は途中退出。安くてよい労働力が獲得できればそれでよしという按配。素直でまっとうな経営者である。住職退出後、総務課長は、話を具体的に、また、できれば獲得したいそぶりをほんの少しみせた。ディフェンス能力に優れた人事担当者である。介護業界はディフェンスが命である。彼の振る舞いをみて、これで落とされるなら、まあいいや、と感じた。縁がなかったということだ。私の側からいうと彼の私を見る目がなかったというか、小心が出たということだろう。最後に質問はないかと訊かれて、「私の給料はおいくらほどいただけますか?」とダイレクトに尋ねた。それは3人で協議して電話で連絡するとのことだった。住職の直感によりこいつは便利だと思われれば、採用となり、3人は具体的な詰めへと入るだろう。縁があるかないか、それは阿弥陀様のみご存知の阿弥陀くじ。くじに当たったとぬか喜びし、待遇面で損のないように心得よう。それでは皆様、南無阿弥陀仏。
2007年01月29日
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いいか、みんな。これまで生きてきて一番感動した音楽を、クラス全員に発表するんだ。教壇にミニコンポを置く。CD、MD、MP3、カセットテープ、と媒体はなんでもいいぞ。音楽機器を何も持ってなかったら、こっそりオレに相談しに来い。中学3年といえば、一番、音楽に影響されやすい年齢だ。センセイは15歳でジョン・レノンに出会ったばっかりに、勉強しなくなって、こうして君たちに勉強を教えるしかできない落第生になってしまったモンだ。ジャンルは問わない。歌謡曲、クラシック、民謡、ロック、ジャズとなんでもいい。楽器が演奏できる者はじぶんでやってもいいな。それもまたオツなものだ。重要なのはその音楽によって君たちの魂がゆさぶられたことなんだ。その事実を披露することだ。音楽は、嫌い?いい質問だ。なかには音楽が大嫌いな者がいるだろう。そういう人はもっとも嫌いな音楽を流してもいいし、そんなことをすると気分が悪くなるなら、話をするだけでいい。あらかじめ、模造紙に説明を書いてきてもいいし、メモを用意して読み上げてもいい。PCを使いたい者がいたらパワポを貸してやるが、そんなものはいらんよな。己の感動をいかに聞き手に伝えるかが大事だ。時間はどうしようか。曲によって長さはさまざまだしな。制限は原則なしとするが、クラシックの場合は1章のみとする。こんなもんでいいかな。センセイは何かって?それをオレも思い出していたところだ。中学3年だろ。クィーンの『ボヘミアン・ラプソディ』かな。まあ、聴いてくれ。(時間の経過)それで、この曲を聴いてどんな気持ちになったのか、これを君たちに説明するのが実は難しい。鳥肌が立ったような気がした。勇気を与えてくれたことも確かだ。ひとりで家にいるときに大音量でこれをかけて大声で歌うんだ。音程が高すぎて声が出ないが声変わりする前はだいたい出たんだよ。それを今でもよく覚えている。自分でやってみて、この授業がけっこう難しいことがよくわかった。感動を他人に説明することの難しさ。それを君たちに金曜日のこのホームルームでやっていただきたい。「総合的な学習の時間」?いや、これはホームルームでやればいい。グループで話し合って模造紙に書いてどうする。その音楽家の歴史を調べる?こういうことは改まって勉強するようなことじゃないんだよ。これはみんなの前でいうことじゃないが、「総合的な学習の時間」なんていらないんだ。君たちに大切なのは国語・算数・理科・社会。そして体育で体力をつけて給食で牛乳を残さずに食べて、掃除をして帰る、これでいい。もうな、「総合的な学習の時間」のおかげで教育現場は大混乱。父兄のみなさんも大変だよ。オレがこれからみんなとやろうとする「感動した音楽を紹介しあうこと」は特に改まった授業ではないが、それでも大事な教育の一端になるのではないかと思っている。ただ、1コマの授業にすることのほどでもないんだ。どうだ、やってくれるか?金曜日は少々、帰りの時間が遅くなるが、けっこう楽しくいけるんじゃないか。
2007年01月28日
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本日は穏やかな小春日和ナリ。ひきこもってばかりいては、よくないから車椅子状態のオフクロを連れて外出することにした。アウトレット店が並ぶショッピングセンターだ。ガーデンウォークというところ、知っている人は知っている。暖冬につき、アパレル業界は大打撃を受けているものと思われるが、郊外の勝ち組の人たちの財布の紐はいがいにゆるそうで、売り場はやや残骸の印象もあり、バーゲンは終盤を迎えている様子であった。オフクロはどんな服がほしいのかといえば、特にとりたてて寒さに困っているわけではなく、足りない服があるわけでもなく、目に付いたものがほしいだけなのであった。買い物することに意味があるのだな。母が興味を持ちそうな店へ車椅子を押し、品定めに付き合い、合間に自分の品物も物色した。オフクロはバーゲンの残りカスのような品を何品か買い、それでも久方ぶりの買い物だったので、うれしそうだった。私はハーフコートの代用となりうる分厚いウールのカーディガンを買った。(ワールドのなんとかという名前)この冬、いかにも売れなそうなアイテムで、すごくあったかく、おしゃれで、私はいい買い物をしたと思っている。(我が親子のバーゲン哲学は来年以降の季節を想定しての買い物なのだ。)私は、就職面接時に腕時計がないとかっこわるいと思って、シチズン直営のアウトレット店舗に母を連れて行った。どうしても奇抜なアイテムに目が行く私であるが、母は、もういいかげん年を考えろという。FURLAと書いてあるアンティークな時計がちょいといいいと目に留まった。女性店員はやや控えめな印象で、雛顔で、かわいい顔をした女で、「人気の品です」というようなことをいった。母を連れての買い物は1時間が限界で、あわただしくポンポン購入していくわけだが、ポンと買ったFURLAという時計はレディースモノであった。女性店員よ、なぜそれを言ってくれぬ!帰宅して『furla』とググってすぐにわかった。平気な顔してオレサマに女性モノを売りやがったと思いつつ、「また返品にいかねばならなかったジャマイカ。」店員は(へ?何がいけなかったのかしら?)と、いい年をした男性に女性モノ時計を売ってしまった過失について認識がない様子であった。(天然ボケかしら)「女性が男性の時計をつけるのは、オシャレとしてありだよ」とオフクロもいっていた。でも、逆は…。とっとと返品させながら、顔をよくみれば22歳くらいと思っていたルックスは実は三十路を超えていて、私はなんというか、その点でも撹乱されていたことをちょっぴり恥じた。それでも「また来ます」なんて微笑して去っていくオレはなんだったのだろう。要するに精神的に女日照りというわけだな。
2007年01月27日
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またいってきました、2ちゃんねるの「熟女板」。スレに載っている人たちの氏名をただ列挙するだけで、人間の魑魅魍魎が浮かび上がってくるような気がしたりして。私にとってはけっこう根気のいる作業だが、現在ビール1缶摂取でやや上機嫌なり藤吉久美子/片平なぎさ/日向ゆみ&小池絵美子/田辺由香里/高橋佳代子/夏川由衣/高木美保/飯島愛/美熟女指揮者・西本智美/遥洋子/石川さゆり/望月加奈/アパホテル社長・本谷芙美子/鏡麗子/畠山鈴香/岡江久美子/愛原純/国谷裕子/今いくよ/相川かおり/常盤貴子/紫綾乃/原田知代/鶴田真由/石原真理子/荒井美恵子/鈴木京香/小俣雅子/浅野ゆう子/マライア・キャリー/村上里佳子/膳場貴子/岩下志麻/松田美由紀/有働由美子/高瀬春菜/BSエアロビックの浅山美樹/河原美代子/伊藤裕子/山本モナー/室井祐月/真梨邑ケイ/清水ミチコ/今村恵子/羽田美智子/料理研究家塩田ノア/安部昭恵/雅子さま/飯星恵子/長山洋子/南原香織/浜四津敏子/森口瑤子/萬田久子/大黒摩季/川原亜矢子/普通の主婦/神保美喜/浅香唯/伊藤蘭/野際陽子/あかひげ薬局・沢地優佳/高田美和と中島ゆたか/BS美人キャスター・栗本法子/エコナ・清原亜希/田丸美寿々/島津冴子/楠真由美/友崎亜希/鈴木重子/高岡早紀/藤原紀香/青山愛/河田麗子/西川峰子/大島さと子/有賀さつき/原日出子/落合敏/江見真理子/三瀬真理子/中森明菜/チョン・ダヨン/噂の東京マガジンのアシスタント・吉瀬美智子/麻木久仁子/中田有紀/竹下景子/小柳ルミ子/朝丘雪路/壇れい/友近/一色彩子/関根恵子/水野美紀/水野さくら/黒木瞳/デビ夫人/石田ゆり子/小谷真生子/岡元あつこ/篠原涼子/青井マリ/安達裕実の母親/黒田福美/草野満代/磯野貴理子/浅倉未稀/森高千里/南美希子/浅田美代子/池上希実子/高市早苗/真行寺君枝/芦川よしみ/木の実ナナ/カイヤ/安藤和津/池波志乃/ジュディ・オング/YOU/西川史子/NHK・伊藤敏江/あべ静江/麻丘めぐみ/辻元清美/藤あや子/宮沢りえ/真矢みき/渡辺美奈代/キム・ヒョンヒ/笛吹雅子/桜田淳子/久本雅美/山本リンダ/吉行和子/浅香光代/オセロの中島/川島なお美/松居一代/酒井ゆきえ/熟女ラムちゃん・平野あや/八代亜紀/三橋歌織/阿部知子/宮崎美子/高橋佳代子/落合信子/風吹ジュン/五月みどり/東ちづる/倉田真由美./ハイヒール・モモコ/壇ふみ/カールスモーキー石井の妹/山田美保子/林葉直子/のび太のママ/ここで電話が入り中断。列記する意欲をなくす。まだまだ、半分もいってないや。でもこれを読むとなぜか自信が出てくるもんでしょ、奥さん。
2007年01月26日
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このネタはお蔵入りにするつもりだったのだが。ときどきアクセス数に色気が出るのだ。管理画面の棒グラフを上げたくなっちゃう。ということで今回もまた、個室ビデオネタです。最近は、すっかりDVDが普及して、私の地元の個室ビデオ屋ではVHSデッキは置いてない。ところが、個室ビデオの聖地である秋葉原昭和通沿いでは趣のある店が数店存在する。店のほとんどがVHSのビデオで埋め尽くされた店が存在した。すぐに退出したために今回は紹介できないが、お宝の山の気配が濃厚である。天皇皇后両陛下が両国国技館へ向かわれる2時間ほど前に、私はヨドバシカメラに入っているおにぎり屋で玄米おにぎりとお茶を購入し、とある個室ビデオ屋へ入店していた。準備万端だ。店員がおにぎりの匂いを感じて、一瞬、ぎょっとした。そう、私は、入れ替わり立ち代り、紙おしぼり、コンドーム、ジョークグッズ(オナホール)でマスターベーションが行われる密室で昼食を楽しむつもりであったのである。エロビデオを鑑賞しながら。ここまでくれば個室ビデオ黒帯といってよかろう。私は店の奥まったVHSの並ぶひっそりとしたコーナーで、お宝ビデオを物色した。そして発見したのが、『読経女犯駆け込み寺』であった。このシリーズができたのはいつのことであったか。80年代の匂いがプンプンするのだ。パッケージはプリント写真とワープロ文字の切り張りでできている。さて、再生するか。「若妻」とコピーにあった女(どうみても45歳を超えた熟女)が悩みを抱えて寺の和尚に相談にいく。「主人がギャンプルばかりして…」とアドリブあんど棒読みでセリフをいえば、60歳を過ぎた三遊亭円歌似の和尚が、悩みを聞きつつ女に聖杯を飲ませる。尿かと思ったが、酒の様子で、女は催眠術のごとく意識を失ってしまう。「ナンマイダー、ハーリャーター、ホートーテー…」とデタラメなお経を唱えながら、インチキ和尚が女の体に触り、服を脱がせて、縄を巻き猿轡をかませる。さて、本格的なSMかと思いきや、とくに折檻もなく、いまひとつ意味不明。和尚の読経は続く。最後はバックよりセックスという図なのだが、カタチのみ。和尚はおそらく勃起していないだろう。エンディングはすべては女の夢であったというベタなオチ。和尚役のおっさんが己の妄想をビデオにしたのだろう。女は奥さんかもしれぬ。メイクが古いなあ。
2007年01月25日
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先週だったか、41歳の男が歩道橋の上から3歳の子供を放り投げる事件が起きた。可愛い盛りの男の子は重症で、父親は当然のように、過去に6回も逮捕歴があり、子供を連れまわす事件を起こしていた犯人を、自由の身にしていることを批判した。犯人に対する憎しみももちろんだが、そんな男を放置している社会の仕組みに対して怒りがあったのだと思う。マスコミは、はじめはこの犯人を匿名としていたが、次第に実名報道へと変わった。彼の知的障害の程度が軽いと考えたのであろう。いや。というよりは社会の反響が大きく、読者や視聴者が実名報道を求めていることに応えたのかもしれない。取材を受ける福祉作業所の所長は、彼の処遇に対して、かねてより扱いかねていた様子だった。前回の事件で、かつて居住していた福祉施設は退所させられることになり、行政の調整で、その作業所で働かせてあげてほしいと頼まれたようだ。行政は一応の仕事をしていると思った。人情派「おやっさん」のような作業所の責任者は、彼のこれまでの問題行動は子供を連れまわすことで、それ以上凶悪な行為に及んだことはなく、想定外の出来事であったといったといった。これもよくわかる。彼は半年に1回くらいの頻度で子供へ近寄ってしまうようであったらしい。歩道橋の上でクッキーを販売していた彼が、突然、子供に駆け寄り下へ投げてしまうなど、予想できることではなかった。メディアは当然、責任の所在を求めたが、結局、コメンテーターも識者もすっきりとした意見をいえる人はいなかった。あるテレビ報道で彼の母親にインタビューしていた。彼の母は何度心中を考えたかわからない、といった。その言葉は意外と淡々とし、余計な感情の起伏をのせることすら面倒なように母にとって日常的なことであった。さて、この事件の問題の所在をどこへ求めればよいのか。どうすればこのような事件はなくなるのか。その答えは、紹介するこの本に隠されている。犯罪しか生活の手段のない人たちが少なからず日本にいる。彼らは罪を犯して刑務所にいる。また罪を犯している認識を感じることもなくなぜじぶんが刑務所にいるのかわからぬままに刑務所人生を送っている者もいる。所内での矯正教育は我々の考えるところではない。そんな実情を、元民主党議員、山本譲司が書いた。日本の福祉の現状についてのハードパンチである。福祉に携わるすべての人に読んでほしい一冊である。『累犯障害者』、A君にもT田にもオダギリチガさんにも是非、読んでほしい。後輩Sは…、まあいいか。授乳に専念したまえ。
2007年01月24日
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「公園は住所にあたらず」大阪の野宿男性に逆転判決大阪市で、公園に住むホームレスのおっさんが、「ここがオレサマの住所だ!」と地方裁判所に提訴したら認められてしまったのである。これに大阪市が控訴する形で行われた高裁において、「公園は住所に当たらず」と逆転の判決が出た。争点としては、公園でテントを張ってそこにいる場所を住所と認められるかどうかということだ。「簡易な構造で容易に撤去でき、土地に定着しているとみることができず、テントの所在地に住所を有するとは言えない」と高裁は指摘した。ただ、行政のホームレス対策も不十分であると指摘している。私の感想は、ほっとしているところだ。この案件が地裁のとおりに決まってしまうと日本はたいへんなことになるぞ。公園や河川敷など行政が管理する土地に人間が侵入し、ブルーテントを立てて縄張りをすれば、その人の住所となって居住が認められてしまうのである。これは法治国家がやることではないでしょ。これを西部劇にたとえた法学者がいた。公園の水道やトイレを完全に私有化して、一般の利用者が入りづらい状態が適切な公共の姿であるとはいえないでしょ。私は弱者を排斥せよ、といっているのではない。そのあたりの誤解を招かれると困るわけだが、どんな極悪人も、やくざも、財布が空っぽでサラ金より逃げている人も、すべからく住所地をきちんと定めねばならぬ。そして、それは当人個人の福祉というよりもまず先に公共の福祉が優先されるということだ。公園はみんなのもの。裁判をしたおっさんは、速やかにお役所に行って自立支援のプログラムを利用し、アパートに住まい、住所を獲得せねばならぬのだ。なぜかといえば住所が国民の背番号であるからだ。住所がないと利用者台帳にも登録できない。一切の福祉の利用が受けられないからだ。「きっこの日記」にあったが、河川敷に住んでいるおじさんがいて、ケータイを持つそのおじさんは宅配ビザを配達することもあったそうだ。郵便受けがあったら。郵便物が届きかねない状況だと思った。公園不法占拠を支援する運動家の人たちの自由ってなんだろう。これをわがままといわずして何というか。(追記)原告の山内さんを支援する人のブログをみたら、なんとその公園宛に郵便物をおくるとちゃんと本人に届くのだそうです。山内さんに励ましのお便りを出そう野宿者・山内さんの主張(なかなか興味深いところもある。)でも彼らの活動は社会福祉の基本から間違っている。反対意見のある方はどうぞ、コメントをくださいな。
2007年01月23日
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ラモーンズにハマっている。先月までピンクフロイドばかり聴いていた私はどこに行ってしまったのだろう。アモキサンというこう鬱剤は、アッパー系らしい。あっというまに1st~4thまでをなんらかの形で収集し、くりかえし聴いている。始まりはP2Pであった。Cabosでramonesと検索したのがマイブームの始まりだ。(皆さん、著作権についてはくれぐれも注意してくださいね)1976年のパンクの始まりの音が私のハートをノックアウトし、TUTAYAへと走らせた。『ラモーンズの激情』をレンタルし、CDにまで焼く。その後、セカンドをアマゾンに注文。ほどなくしてサード、と4枚目が一緒になったアルバムをeブックオフにて購入した。音質はセカンドがよい。というか1999年以降に発売のアルバムはリマスターされていて音がよい。買うならリマスターですぞ。ラモーンズについてはリアルタイムで知ってはいた。1曲2分弱でずんずん進むスタイル。3コード。チープトリックに夢中になっていた中学生の私に、ラモーンズはシンプルすぎて逆に難解だった。どの曲も同じに聴こえてしまったのだ。いや、それは現在でも似たようなもんだが。お経を聴きながら心が癒されているのに近い心地よさなのだ。メロディアスでほんのりせつない。A,D,Eという3つのコードで際限なくいい曲はできるのだということを、身をもって証明してくれたジョーイ・ラモーン。30年経って、ちっとも古くならずに現在でもティーンに聴かれ続けられている。Tシャツもフジロックに行くと必ずみるぞ。それにしても現在、メンバーのうちドラムを除いて3名とも鬼籍に入ってしまっているという事実は、パンクな人生である。騙されたと思って聴いてみてください。
2007年01月23日
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ちょっと、いいと思ったらまたちょっと悪くなる、うつ病の容態ナリ。ようするに、ウダウダの原因には生活習慣によるところが多く、対人関係がほとんどないことや、家族関係の複雑さが二次的な要因としてあげられる。三次的な要因としては女かな。マリエルとの関係ですよ、奥さん。電話をいくらしても出ないわけです。それでひょこっと会いたいと電話が来る。「焼肉が食べたい」と。クリスマス、誕生日、お年玉、なんにももらってないという。クレクレ女ですよ。彼女の子供たちに絵本を買ってやりたいとは思う。だからいっしょに青山のクレヨンハウスあたりに行かないかと思う。青山を知らないんですが。アイツのことを考えるだけで心を消耗するオレサマがいるわけです。ならばなぜ別れないのかと。これはもう喪失感を味わうのが嫌だというだけなのです。じつは、昨年末に『教えてgoo』で教えてもらったんですよ。マリエルとのことを。世間の皆様は適切なコメントをしてくれました。そこまでしているのに、切ることができない。これもうつ病ならではの行動かもしれぬ。仕事ができて収入があって、飲み屋のお姉ちゃんのいる店に飲みに行けば、女はコイツのほかにもいくらでもいるわ、と思うでありましょう。マリエルは私にとってやっかいな女です。
2007年01月22日
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本日も晴天なり。秋葉原へクルマで受診に行く。よい経過報告をすることができ、先生も満面の微笑み。よかった、よかった。さて帰り道。我がシトロエン号はガゾリンがほとんどなくてすぐにも給油が必要。靖国通りにでると、なんだか警官やパトカー、白バイが多い。さてはテロの情報による警戒か、要人の来日か。左車線には、三角のポールがずっと立てられていて、それが警官によりあわただしく取り除かれていく。両国橋手前のJOMOにすべりこんだ。「あの、お客さん、5分ほど出られないんですが、いいですか?」『へ?』「天皇が通るんですよ。」とスタンドの店員は陛下様もつけずにいった。『天皇が通るの。それはたいへんだね。そうか。』と私も陛下様もつけずにいった。そんな話をしている間にも交通規制がきれいに完成して行き、クルマの通行が完全にシャットアウトされていく。「お客さんもみていかれますか?」『そうするか。』ということで天皇陛下が通過すのを見ることにした。天皇皇后両陛下が、国技館への相撲観戦にいかれるところに遭遇したわけである。私はガススタンドの店員とニヤニヤしながら通りをぼんやりと眺めて天皇の通過を待った。年配の店員が「旗、振らなくていいのかなあ」なんてノンキなことをいう。「32分に通過だって。」『32分って凄いですね』「信号が全部、青になるから凄いなあ」『私が天皇を追い越してしまったら、たいへんなことになるね。』なんて会話をするうちにライト上向き点灯の先導する白バイの姿が見えた。その後ろにセンチュリーが3台。(おいおい、これ、日記のいいネタじゃん。カメラ、カメラ)とクルマにカメラを取りに行くと若い店員が「写真を撮ると怒られますよ」といった。その言葉に少々ドキリとしているうちにセンチュリーはサーッと走り去ってしまった。結局、目視できず、おしまい。「今日は、速かったな。いつもはもっとゆっくりなんですがねえ。」この間3分くらい。交通規制は解除されていつも通りのクルマの量にすぐに戻った。『それにしても鮮やかだなあ。』と私がつぶやくと、店員はまんざらでもない顔で両国付近の住民として、こんなことにはすっかり慣れっこですよというような表情を見せた。とはいっても、店員も私もいささか興奮気味であったことは確かである。センチュリーの後部の窓は3分の1ほど開いていた。それが印象に残る。それにしても、警視庁の機動力はあなどれませんよ。この鮮やかさでテロ対策にもあたってほしいと国民の一人として思った。おまわりさん、ご苦労様でした。
2007年01月19日
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ノラ・ジョーンズの新譜が1780円って、予約販売ならではのプライスだったのか、しまった。アマゾンの話です。今日みたら2500円になっていた。悔しいが、これは買うなという神様からのお告げかもしれない。そごうで流れていた新曲はよかったな。これはiTuneのストアで買いなさいというお告げかな。これなら1500円。いずれにしてもアマゾンの予約販売がいちばんよかったのは確かだ。アマゾンからはメールも着ていてUS盤が1月30日に発売なのでどうですか、と。これも2500円。ジャケットをみて「えっ」日本盤と違うじゃん。ノラファンの私としては、本来のジャケットで購入しなさいというお告げだったのか。※(追記)幻泉館ご主人より、コメントをいただしたのでもう一回メールをみてきました。Amazon.co.jpのお客様へ、Amazon.co.jpで、以前に『Come Away with Me』をチェックされたお客様に、『Not Too Late』のご案内をお送りしています。『Not Too Late』、近日発売予定です。 ご予約は以下をクリック。 Not Too Late 価格: ¥ 2,580 発売日: 2007年1月30日 でもアマゾンのノラ・ジョーンズの売れてる順をみると2位にあのジャケットで1780円となっている。ということは2種類あるのかしら?※(追記2)このジャケットはDVDが入っているバージョンでございました。ノラ・ジョーンズのお告げをぜんぜん理解していないおぎーのでございました。
2007年01月18日
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(なんかかんちがいしていた、読めるのね、リンク先)楽天ブログの管理場面が変わった。評判悪し。日記リンクサイトのタイトルと書き出しが読めないとずいぶん不便だ。これは、おそらく私の日記をリンクされている皆さんも感じていらっしゃるであろう。私の日記に書き出しの情報は重要なのである。『モザイク曼荼羅』と管理場面に出ていれば、今回の日記の内容の概要をおおよそ察することができる。私の日記は社会福祉の崇高な理念を語ることもあれば、公序良俗に反するお下劣日記の回のときもある。これは私自身が気分で好きなことを書いていてブログに決まった方向性をつけないためであり、『モザイク曼荼羅』を目にして眉をひそめられるご婦人にあっては、書き出しで判断していただいて回避するほかないのである。かつての管理場面のこの機能で、エロ日記を書くこのオヤジは少々の贖罪の気持ちを抱いていたのだ。それがこの管理場面にあっては一望できない。今回の改訂の中身を見るに、楽天はこの楽天広場をYouTubeのようなコミュニティーサイトにしたいと目論んでいるのではないかと感じた。動画の公開とかアルバムとか。SNSを作ったときにも、しばらくして楽天は招待なしで、デフォルトで公開にしてしまい顰蹙を買った。担当者は、日本人の奥ゆかしさについての認識が甘いのだと思う。日本人はアメリカ人のように本名でブログを書いたり自画像を公開したりしないのである。なぜなら世間体があるからである。社会福祉について熱く語る男が、一方で『モザイク曼荼羅』を書いていることが世間にわかると生きにくいのだ。私はもちろん動くモザイク曼荼羅さえ妄想してしまうのである。機能の充実も考え物なのだ。
2007年01月18日
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インターネットはさまざまなモノサシを変えてきたが、日本におけるポルノの基準を大きく変えてしまったのも事実であろう。あくまでも違法なのだが。私が高校生の頃に、裏ビデオのハシリとして『洗濯屋ケンちゃん』という作品があって、ベータの孫テープをオオバ君の家でこっそりみたものである。局部のアップはダビングの劣化で赤く滲んでいて、なんだかよくわからなかったが、それでも興奮は5つ星であった。私が大学生くらいになるとレンタルビデオ屋にて、エロビデオがレンタルされるようになり、その頃の高校生をうらやましく思った。エロはまずエロ本からスタートすべきだと私の倫理はかってに判断していたし、それも20代半ばのトウのたったおねえさんが無理やりセーラー服を着ているところからはじめるもんだとアタマから決めていたのである。深夜に雑木林の近くにある光ったエロ本販売機。600円ナリ。オオバ君は500円を投入したところで「コラッ!」という声を聞いてすっとんで逃げたくらいなのである。後から来た親父はたぶん100円で手に入れたのだろう。そんな昔の出来事を懐かしんでどうなることでもないが、そぞろ歩きをしながら、また、ふと個室ビデオ屋の扉を開けてみたのである。個室ビデオもクセになるな。パチンコ屋と同様で、世間のしがらみのいっさいより開放される空間であるのだ、あの狭いスペースは。背広姿のおじさんたちが夕闇にまぎれてやってくる。スーパー用の買い物籠を小さくしたようなプラスティックの籠を手にして本日の5本のエロDVDは何にしようかなと、お惣菜のチョイスに悩む奥さんのごとく悩んでいる。まさにオカズだ。私はヤマザキデイリーストアで買った菓子パンを片方に持ち、もう片方の手でシーメールのビデオを手にした。それはいまどき珍しいVHSで、アメリカ直輸入らしくパッケージがカラーコピーのごとくザラついている。そんなアングラなテイストに惹かれるのである。もしや、これはモザイクなんて面倒なものはなかったりして。アングラのネット基準がフツウになってしまった私の脳内は、そんな楽観的な気分でその、シーメールモノ(ようするにおちんちんがついたままのニューハーフ)を手に取った。シーメール好きなのである私は。はっはっはっ。再生して5分もしたら、モザイクの世界に吸い込まれてしまった。いったいこれはどういうことだ。難しいテトリスをやっているのか。それとも、曼荼羅を唱えながら凝視し続ければ、アナザーワールドへ誘われるのか。『洗濯屋ケンちゃん』のときにフル稼働した、右脳の後ろの奥のほうの回路をいきなり使うことになって、私のCPUは100パーセント、使いきってしまった。弘法大師様、ごめんなさい。※モニター画像をデジカメで撮りました。この写真でいったい3人がどんな按配なのか、わかった人は凄い
2007年01月17日
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『男の顔は履歴書だ。』というけれど、履歴書を書いている男の顔はあまりカッコのいいもんじゃない。なんで、こんなことをいまさら書かなくてはならないのだ、と毎回思う。いやいや、学生のときは思わなかったか。職歴がついてからかな。その職歴というものが厄介な代物で、社会人たる者は履歴書のほかに職務経歴書なるものを書かねばならぬ。これこそがその人の、いやその男の生き様の証なのだ。学校を出てからどのように世の中を渡ってきたのか、A4一枚で表現されているのである。私の場合はどうしても一枚で足りなくなり二枚になったが、世間様よ許してほしい。私という人物を職務経歴書から察するに、飽きっぽく、忍耐の足りない人物であることが推察される。まず、新卒では岐阜にあるアパレルメーカーに就職している。そこで何をしていたかといえば出荷作業だ。修行という名のていのいい奴隷であった。なので商品の企画をすることもなく、わずか10ヶ月で逃げ出すように退職している。じつは、ほんとうは広告の仕事がやりたかった。やらずに後に後悔するより、やって砕け散ったほうがよい。そう思って、いわゆるギョウカイな現場へ行き、3~4年で砕け散った。今思えば、よく会社に入れたと思う。あそこの会社、なかなか入れないのだよな。入ったはよいが、才能の限界はすぐそこに見えており、後に入った年下にあっさり追い越されていった。美術の才能がない者にデザインをさせないでほしいなあ。それでも私は、広告業界でなんとか飯が食えないかとフラフラしていたが、母が脳梗塞で倒れたのをきっかけに足を洗うことになった。これでよかった。おかあさん、ありがとう。そう思いたい。一人息子の私は、毎日、リハビリ病院に行き、母と二人三脚で母の社会復帰に努めた。その甲斐あってか、母は左半身麻痺というハンデを持ちながらも、ほぼ、日常生活を送れるようになった。そんな社会とはちょっと離れた毎日をおくるうちに、ソーシャルワーカーという職業を知り、それになってみるかという気持ちになった。そして私は広告から福祉の仕事へのチェンジしたのである。経歴書をみると突然、福祉施設に在籍している経過のみ記されてあるが、背景にはそのようなバックストーリーがあるのである。介護業界は肉体的にもきつく、社会的地位も低い。仕事は楽しかったが、それこそ修行のつもりでやっているのであり、生涯一介護人のつもりは毛頭なかった。だから介護保険制度とともにケアマネージャーの世界へ転職することは自然の理であった。その介護保険制度というお役所が作った理想郷はちっとも理想的な福祉ではなくて、新しい民間の業種に意気込んでいったものたちは、次々に討ち死にしていった。福祉で働くものには死なない程度しか、お国は報酬をやりたくないようなのである。土建屋さんがうらやましかった。私は介護保険の混乱や矛盾とともに流転し、ポチャン!と川に落っこちた。現在の姿である。そんな姿が職務経歴書の行間に隠れ見えするのである。そろそろ、時間だ。面接に行くとするか。
2007年01月17日
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2日続けて、点滴ドーピングを受けに行った。私が、ひょいと求人票の電話をかけて、面接のアポイントをとってしまったがためのドーピングである。なぜ、その求人票に反応したか、それは以前、在籍していた職場の目と鼻の先で、ここだとしょっちゅう、前の職場の連中に会うことになるぞと思ったからである。通常は逆の心理が働くものかな。どうも、私は、会社を辞めたくはなかった様子なのである。病気なので辞めなければならなくなった。人間関係でもうつ病になるほど、嫌なことがあった。それでも、皆に年中、会える環境に身をおこうとする心理はどういうことか。その求人先は、民家を改造したデイサービスだ。そこに一人ケアマネージャーを求めている。待遇がいいはずがない。「もう、悪い環境で働くのはやめよう」そう思ったはずである。これまで職安で検索して探してきた仕事はこんなのではなくて、施設長とか事務長とかであったはずだ。だから、第三者の意見が知りたかった。ジーン・ハックマンこと、私の職安の担当相談員である。彼は私が職安を通さずに電話をしたことに対して不快感をちょっぴりみせた。ハローワークの求人には推薦状をうやうやしく発行してもらう必要があるのだ。条件が悪い会社、そこへアポをとった私。「悪いよな」とハックマンはつぶやいた。だから、とりあえずいってみて様子を探ってみればよいと思った。面接しながらも、好条件の求人を検索して、ジーンに相談をするつもりなのである。私の病気の原因がとても低い給料というものがあり、あまり低いと病が治らない。それは私の担当医も心配し、「無理しないで」といってくれた。同じことの繰り返しを無理してしなくてもいいよ、ということだ。そうはいっても人間は働くのが本能だからなあ。※シガー・ロスを聴きながらつい眠ってしまって、起きて、オシッコして、PCに向かってキーを打ち出したら、こんな日記を書いていた。本当は、別のネタを書くつもりだったのに。タワーパーキングの話、書きたかった。明日にするか。
2007年01月16日
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不二家が大変なことになっているな。じつは、昔、不二家の求人広告を作ったことがあったので、私にしてみれば、ありがたきクライアントさんなのである。当時、私は新しい印刷会社へ入社したばかりで、コピーライター職としてどのくらいの力量なのかを社内においても示す必要があった。だから不二家というビッグネームの依頼があったときには力が入ったものだ。その会社は本社が大阪にある印刷業中心のコテコテなカラーの会社で(今は違うと思う)「ウチにもクリエイティブの部門がぜひ必要だ」という意味で設けられていた制作部門。なので、グラフィックデナイナーといっても、いわゆるコンセプトワークを理解する人はいなかった。コンセプトという言葉は、それを理解していない人ほど口にする傾向があり、私は閉口したわけだが、彼らがつくった作品を私が一刀両断(ちょっとおおげさ)に切り捨ててしまうものだから、当然、すぐ上の人から嫌われた。でもしょうがないんだよな、よくないものをよいとはいえん。入社早々、一番若い社員がコピーライターということで、一番きつい批判をしていたので、ならばお前はどんな凄いものが作れるんだというモードになっていた。「いや、私はたいしたものは作れませんよ、ただ、そのポスターは広告としてまったくアカンのです。」というわけにもいかなかった。制作のボスは大阪の人だが、そんな新風が暴れていることを(私としては穏便に済ませたい)会社にいいと思っていたようだ。その会社の人たちは糸井さんのような有名なコピーライターはその名前で仕事が通ると本気で考えていた。そのくらい広告制作の基本を知らずにいた。「立っているキャッチ」とか「コピーとビジュアルの結婚」といってもピンとこないのだ。それでもカレンダーのデザインをすればきれいな色のイイモンを作るデザイナーさんであった。色校には厳しかった。そんなわけで、東京組の私より2つ年上の先輩がディレクターで、同じく東京組で最近入社したキムラ君が営業を担当し、私がコピー担当で、デザインはディレクターが懇意にしている人にお願いした。モノはA4版24ページの入社案内であった。この仕事はコンペだった。相手は博報堂系のプロダクションで、そのときの入社案内はそこが制作していた。不二家らしいかわいらしいパンフレットであった。とにかくコンペは勝たねばならん。東京組は燃えました。だって、ほかの制作スタッフは決して応援してませんから。コケロ!くらいに思っていただろう、私と喧嘩したデザイナーは。企画書つくりの1週間は遅くまで大変だったが、楽しくもあった。パンフレットの基本的な作りは私が考えました。24pのページネーションを考えて、それぞれのページのキャッチとリードコピー、ビジュアルのサムネイルを書いて、デザイナーともからませた。このデザイナーさんがまた、私が新人なのと、コピーライターが音頭をとるスタイルに慣れていなくて、ちょっと私も困った。エディトリアルのデザイナーさんだったので。もうキャッチコピーなど仕事の中身はすっかり忘れてしまったが、「オレのキャッチの意味、どのくらいわかってくれているかな」と不安に思った記憶がある。こんな仕事ぶりだと普通の会社では生意気だと叩かれてつぶされてしまうものなのでしょうか。R社出身の私はそのへんの按配がよくわからなかった。ただ、KO大学出身のディレクターが私を盛り上げてくれて見方になってくれた。東京組はひそかに応援してくれていたようだ。そして、いよいよ不二家本社の会議室においてコンペのプレゼンテーション。我らはヤツラの後だった。結果は勝ち。相手さんの企画がどんなものだったのか知らないのでなんともいえませんが、どうやら最後は営業的な側面で(お金がこちらのほうが安いということで)仕事がもらえたようだった。めでたし、めでたし。資料が少ない仕事だったと記憶している。本社の玄関を入るとまず創業者のブロンズ像がドン!と置いてあった。コピーライターたるものは、そこでその会社がどういう会社なのかピンとこなければいけないのである。思い出してきたぞ。私は不二家の創業からの伝統をデーンと出す、やや重厚なテーマにしたのだ。入社案内なのだが、読めば、不二家が日本における洋菓子カルチャーの先駆者であることがわかるようにした。博報堂のポップな作りと差別化を図った。それでどんなパンフレットができたのか、完成品を実は私はみていない。静岡の工場に撮影に行く直前に私は退職してしまったのだ。お袋の介護のことも一要因だった。というわけで、どんなパンフになったのか、知りたいな。私が作ったパンフレットを高校や専門学校で見て、志望し。現在でも不二家で働く人がきっといるのだろう。今回の不祥事を象徴するのは、玄関にあるブロンズ像だった。会社を改革する係りの人は、まずあれを撤去するところから始めるべきだろうが、無理だろうな。
2007年01月15日
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知らない人は知らないが、知る人の間では大騒ぎとなっている2ちゃんねる閉鎖騒動。その詳細については面倒なので知らない人は調べてください。2ちゃんねるがなくなることは、私には残念なことだが、どうも壮大な「釣り」のような気がしてならない。ドメイン(2ch.net)の差し押さえってどういうことだ。電話番号の差し押さえみたいなことだよな。「お客様の都合により、現在通話ができない…」ということなのかな、電話にたとえると。悪いのは管理人・ひろゆき氏が裁判所欠席による罰金を延滞しているため。交通違反の反則切符を払わないことをうそぶいていたひろゆきらしい反社会的行為によるものだ。彼の権力・因習に対するアンチは半端なものではない。2ちゃんねるは好きだが、彼に同情の余地はないな。ZAKZAKの報道によれば再来週にもストップされるとのこと。サーバーの移転には少なくとも2週間はかかるという。さあ、2ちゃんねるは止まるか、釣りか。ドメインという自分の所有物でもないものが差し押さえの対象になりえるのかどうかは法律の解釈として興味がある。金曜日から「ニュース速報+」は祭り状態。皆さんは、この騒ぎ、および2ちゃんねるをどう思いますか。
2007年01月14日
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いいCDが安く置いてないかと中古店を訪ねることがある。先日、GAOへいった。ピンクフロイドを探しても、そんなときにはないのだよな。近所のブックオフはこれなら新品で買ったほうがいいというくらいに高いし。ブラブラと店内を眺めて、マライア・キャリーの相場が180円であることを知った。クリマスソングスのCDだけは2500円する。私はあてもなく棚を眺めていてアート・オブ・ノイズのCDが580円で売られているのを見つけた。最近の(といっても99年)ZTTレーベルで一世を風靡していた80年代のものとは違う。私はP2Pで「motions in love」を聴いて大好きになりあの頃のサウンドをほかにも聴いてみたいと思ったのだ。で、「ドビュッシーの誘惑」というクラシックのサンプリング企画モノを手にしてまあ、いいかと思い、購入したが、聴いてみてイマイチ。ドビュッシーそのものをほとんど知らない私がいけない。で、アマゾンでAONのアルバムをいろいろ見ていて、それで驚いた。580円で買った「ドビュッシーの誘惑」はアマゾンにおいてはマーケットプレイス市場において、6800円で売られていたのである。コレクターズアイテムなのか、こいつは。私が5000円で出したらすぐに売れるだろうな。※どうやら私が買った盤は、ジャケットがレアなだけらしい。ドビュッシーの誘惑
2007年01月13日
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眠れなくて困っている。現在AM4:00.いつもなら眠れなければ起きていればそれでよかった。日中、寝ているだけだった。だが、昨日は職安の認定日で仕方なく出向き、失業手当受給の工作のために、コンピュータで検索をした。すると、以前、勤めていた職場の近所に小規模デイサービスができるようで、ケアマネージャーを募集していたのだ。私は就職活動工作もかねて、職安の窓口も通さずに電話をかけてみた。「正式にハローワークを通して連絡すると思いますが…」なんていいながら。向こうは事業所を立ち上げ中の零細企業。ケータイの番号を教えてたら、なんどか電話のやり取りがあって、結局、明日の(本日の午後3時)にアポイントをとってしまったのである。それでもって、まだ、履歴書を書いていないのである。心の準備ができていないのである。その件は先方にも伝えた。本来なら来週の水曜日に面接するはずであった。責任者の耳に私の情報が入って、こんなセッカチな行動を向こうがとってきたのである。私が避けたいおばちゃんなのだろうきっと。これからも私の人生にはおばちゃんがつきまとうのか。それを想像するとめまいがするのだ。女って、手続きが踏めないんだよな。職安からの紹介状なしに動くのは本当はマズいのだ。とにかく、昨日の今日でジンセイの進路がいきなり取り舵いっぱいなのである。眠れないのも致し方なかろう。昨日の朝の段階では、鬱に鞭打ってハローワークに9時に行く(それもクルマで)ことだけが私の目標だったのに。スピードが早い。悪い予感がする。ええい、どうにでもなれ。
2007年01月11日
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ゴメン、安藤美姫が好きなんだ。いま、深夜テレビ(テレ朝系列)で村主さんといっしょに出ているが、やっぱ、ミキティっすよ。エロいよ。オレ、生まれて初めてキャバクラに行きたくなりました。彼女、まだ18歳ですよねえ。指名したくなるなあ、あの口、髪型からくる色香。在日の方だそうですが、頬骨が張ったコリアン型の顔がタイプなのかしら、ボクって。ボクも朝鮮系の顔らしい。ミキちゃんは本人は知らずともフェロモンを放出しまくりで、誘蛾灯に蛾が集まるようにこうしてオヤジが集まってくるのだ。マオちゃんは、かわいい。これに異論はない。素材として一枚上だと思う。妖精だと思う。でも、マオちゃんはイイコ、イイコしておしまいだ。おそらく18歳のマオちゃんもそんなに変わりはないだろう。村主さんですが、苦手なタイプっす。泣かれたらにげるっす。業が深そうです。いい人なんだけどなあ。なんというか、ひとたび手を出したらもう逃げられないというか。朝礼でこちらを指さして、嗚咽をあげて、私の会社ジンセイおしまいよ、みたいな。話が突然飛びますが、現在、最も注目するタレントは、やはりリア・ディゾンですね。たまんないっす。
2007年01月11日
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ブルーマンデイ・ヒューチャーリング・マツケンサンバという妙な動画をみつけました。不思議なミスマッチ感覚。後半はもっとヘン。ドラムの人のバスドラが心もちモタついているような気がするのは私だけでしょうか。マシーンに合わせるとあんなものなのかしら。ココ
2007年01月11日
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1回、ブログを更新して200アクセス。たったこれだけの閲覧数であるが、ブログをはじめて丸5年が経とうとしている。我ながらよく続いていると思う。継続の理由は、なんといっても「面白い」といってくれる人がいるからだ。それだけだ。停滞するジンセイにおいて我が日記のみがひとつ、小さな輝きを放っている。ちょっとおおげさかな。じぶんでいうのもヘンだが、私の日記はその他大勢の日記よりもアタマひとつ分面白い。凄く面白いわけでもないが、私だから書けるというか、私でなければ書けない切り口があって、それがなにかの拍子にミューズが降りてきて、佳作が生まれることがある。私の日記を読んでくれる方には、心に少し傷がある人が多い。それは私自身がそうであるからで、ブログとは不思議なことに類は友を呼ぶものなのである。だから、私の精神状態や生活態度が変化すれば、読み手も次第に変わっていく。これも致し方なく、エロスに関心を持っていた5年前は、エッチな読者が多かった。もう何年も、こちらからブログを探して、訪問し、自己紹介をすることはほとんどなくなってしまった。面倒くさくて。偶然、私の日記に行き着いて、波長があった方がひっかかってくればお友達になるという消極的な交流法である。そうそう、面白いことに、しばらく日記の更新がないのにアクセス数が伸びることがあるのである。更新してさらにアクセスが上がるわけでもなくほぼ変わらない。それから、私の鬱の症状がよくなるにつれて離れていった方もよくいらした。鬱が悪化するとアクセスが伸びるのである。ここに世間様の真意を見る思いがするのである。メンタルヘルス系の日記の皮肉だな、これは。最後に自画自賛すれば、私の日記は、狂人日記以外においても面白いはずなのである。それは、私の文章のテクニックと私自身のキャラクターの面白さから来るもので、その他大勢のメンヘラーの皆さんには、なかなかマネのできないことであーる。こんな自慢を平気な顔して記述できるのも、アクセス数200のおかげである。
2007年01月09日
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引きこもりの年末年始は、完全に引きこもり、一歩も外出せず。明日が仕事始めだ。仕事というのは精神科への通院のこと。2~3時間寝ては起きて、2チャンネルを見てしばらくして横になりたくなって、自室のベッドに横たわり、ピンクフロイドを流して再び夢うつつに…の繰り返し。ほんと、開放病棟の患者さんのほうがずっとアクティブである。今も、PCに向かう周期なので、こうしてキーを打っているのだが、特に内容を考えていない。歯科バラバラ妹事件についてはまだ、コメントができないなあ。難しすぎて。犯罪心理学の専門家のコメントを読んでも、まだまだ事件の真相をつかんでいない様子。二男の猟奇的解体の理由と心理についてはペンディングにして、インチキ臨床心理分析官・おぎーのの分析によれば、殺された長女は、空気の読めない、性格の悪い、だが、どうして嫌われるのかじぶんではわからない自己愛の非常に強い人物ではないかということだ。一言で言えば「勘違い女」「感謝知らずの女」。殺されてしまった被害者に対してひどいことを言ってしまった。新聞やテレビではそこまでの報道はない。が、木曜日になれば週刊文春と週刊新潮が細かく武藤家の事情についてレポートしてくれるであろう。長女は、この一家の掟をやぶっていたのだな、きっと。劇団での奔放な生活、誇大な夢、それは武藤家のカラーには合わないものであった。3浪してまで歯学部をめざす二男の行動は、家訓に沿ったものであるな。「夢がない」なんて末の妹がほざけば、二男だけではなく家族全体に緊張が走るのである。なぜかって、歯科医院の毎日は、激しいルーチンワークの繰り返し。厳しい教育と経験を必要とし、近所の歯医者さんとしての地域のコミュニティー能力を必要とし、あるていど一目置かれるポジションにいる必要がある。毎朝、9時になれば診療が始まるのだ。レセプトの処理も大変な仕事で、事務員をしっかり管理しなければならぬ。歯科医院の日常に夢見がちな面などないのだ。技術の追求あるのみ。結局、あてずっぽでいろいろと書いてしまった。二男の心の中についてはさっぱりわかりませんがね。近親相姦的な愛情があったのかどうかとか、オレサマにはさっぱりわからない。一人っ子なもので。ただ多浪のプレッシャーの大きさについては経験上、よくわかっている。家族全員がこの件に関しては重たい気分になるのがあたりまえだ、普通の家庭であれば。二男に歯学部以外の学部を受けさせるべきかどうかは両親、長男も交えての家族会議で決定する手はずだったであろう。何しろ二男の夢は歯科医になることなのであるから。
2007年01月08日
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ついに、ピクシーズを超えてフランク・ブラックのソロ盤にも手を出してしまった。ああ。たった4枚しかないフルのオリジナルアルバムだから、ピクシーズについてはケチッテケチッテ購入していたのだ。『ボサノバ』の購入は半年以上前だったと思う。ラストアルバムの『世界を騙せ』を薦めてくるアマゾン。毎度、そのジャケットを眺めながら、やり過ごす。そして買うのはピンク・フロイドの初期の頃のアルバム。「エコーズ」が鬱の心に染み渡る。フロイドがうつ病を癒すことについては日を改めて語ることにするが、そうやってピクシーズ購入を避けてきた。しかしついにこの日がやってきたのだ。ピクシーズとフランク・ブラックのソロひとつと2枚も買ってしまった。91年発表の『世界を騙せ』は『ボサノバ』風味のオサレなパンクがソニック・ユースのごとくに暴走しているようだ。ギターのジョーイ・サンチアゴとベースのキム・ディールの風味は最小限に抑えられて、ブラック・フランシス一人がテレキャスでキーンとした硬質なギターを弾き殴っている。この頃、バンドは空中分解寸前であったそうだ。半分くらいはチャールズ(フランク・ブラック)のソロみたい。このアルバムに満足だったのは彼だけだろう。我々、聴く側にとっては、いい作品なのでイイと思うだけだが。91年といえばニルヴァーナの『ネバーマインド』が出た年だ。グランジロックという言葉がブームでロックの状況が大きく変わってきた頃。オルタナティブの先駆的なポジションを築き、フォロワーがたくさん出てきた頃にピクシーズ自身は役目を終えた。あとはデブの「一人、ロックの細道」をとぼとぼとついていく、私のようなバカがいるくらいである。
2007年01月08日
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話が昨日の続きになってしまうのですが。翻訳ソフトって凄いですね。インフォシークの翻訳では、ほかにもドイツ語、オランダ語、スペイン語、ハングルと何ヶ国語にも対応しています。これまで私は、翻訳ソフトってどこかマヌケな翻訳をしやがるなあと思っていましたが、この英文を読む限り、たいしたもんではありませんか。私の英語の勉強になります。自分の書いた日記を英訳して改めて読み、そのニュアンスの違いを味わったり、あえて英語で作文を書いてみてデタラメな文法による私の英語がどんな日本語に訳されるか試してみるのも面白い。昨日の出会い系の話ではアダルトに限っての話でしたが、元々この会社はフレンドファインダーというサイトをやっていまして、一般的な文通友達を世界中から見つけることもできるのです。想像するだけで世界が広がるなあ。英文ブログに私の日記をエントリーすることができるわけだ。それに誰かが英語でレスをくれる、と。アメリカ人のブログはたいがい本名で顔写真も載せているそう。そういう正統派(何が正当なブログなのか、まだ定義があるわけでなく英国では匿名がほとんどだそうです)のブログに参加できるかもしれない。音楽についてならば語れそうですね。今年の抱負にブログの世界進出を考えようか知らん。◎例文(凄い出会い系サイトをみつけましたよ。いや、以前から知ってはいましたが。私の意志に関係なくポップアップされてくる類の迷惑サイトなので当然のように記憶していなかっただけでした。『ADULT FRIEND FINDER』というサイトをご覧になった方はいませんかね。)I found a terrible Internet dating site. No, I knew it from the past. I did not memorize it to be natural because it was an annoying site of the kind that had been done popup of regardless of my will. Is not there the one that looked at a site of "ADULT FRIEND FINDER?"J'ai trouvé un Internet terrible site rendez-vous. Non, je le savais du passé. Je ne l'ai pas mémorisé pour ecirc;tre naturel parce que c' eacute;tait un site ennuyeux du genre qui avait ; fait popup de sans se soucier de ma volont eacute;. Est-ce qu'il n'y a pas celui qui a regard eacute; un site de "INVENTEUR de l'AMI ADULTE?"
2007年01月07日
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凄い出会い系サイトをみつけましたよ。いや、以前から知ってはいましたが。私の意志に関係なくポップアップされてくる類の迷惑サイトなので当然のように記憶していなかっただけでした。『ADULT FRIEND FINDER』というサイトをご覧になった方はいませんかね。ワールドワイドなんですよ。言語も英語だけでなく、スペイン語フランス語オランダ語…、と7つくらいある。拠点となる国は世界中ざっとみて50くらいはあったでしょうか。無料でメンバーになれば世界中の人とセフレやスワピングの出会いができるのです。私は当然のようにソマリアあたりをクリックするのです。マラソンのロバ選手のような女の子がいるのかなと思いまして。なぜか白人が多かったです。やはり遊牧民の皆さんにはパソコンもインターネットも行きわたっていない様で。ガボンとかハンガリーとか南アフリカといった国を覗きましたが、世界中どこにいってもアングロサクソンの連中はいまして、(ハンガリーともなればさすがにスラブ系でした)19世紀欧米の帝国主義、植民地支配の残滓はいまだにこのような形で残っているわけです。探す形式も(男を捜す男、性転換者が女を捜す)といったあらゆるバリエーションがカテゴライズされておりました。同性愛者にとっては心強いサイトではないでしょうか。自己紹介のサイトだけでなく、ブログあり、ウェブカメラでのチャットありメッセンジャーシステムありで、またこれもグループセックス用だの中高年専用だのとかゆいところに手が届く細やかさ。インターネットの社会になって、こんなサイトを発見した時にかならず思うのは、じぶんは英語ができないことです。これはまことに悔しい限り。9.11テロの夜、私はAOLチャットのアメリカへ行って、「ニューヨークアタック」という部屋に行きましたが、顰蹙をかいました。「ハンニンハosamaカ?」との書き込みに対して、「犯人は王様なの?」なんで書き込んでいたのです。(あの事件以前、日本でラディンはそれほど有名でなかった)王様じゃなくてウサマ・ビン・ラディンが正解でございました。「語学ができないものが軽率に書き込むのはいけない(たぶん、そんなかんじだと思う)」とコメントされて退散しました。こういったインターナショナルなやりとりを馬鹿女マリエルにはなんでもなくできるという事実。これは悔しい。ウェブカメラのチャットをやったら若い男の子にモテて困った、と自慢しておりました。高卒でも世界を相手にできるフィリピーナ。大卒でもガイジンがやってくると及び腰になるジャパニーズ。日本の教育はどこかがおかしい、と教育に文句をつけて筆をおきましょう。
2007年01月05日
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『3日で運がよくなるそうじ力』って…。そうじをすれば運勢が上がる。これはなんというかアタリマエのことだなあ。現在の自分を棚に上げて、老人ホームで働いていた頃、朝のオムツ交換のあとの室内、廊下、トイレの清掃は、精神的にも気持ちがよかった。トイレの便器をきれいにすることはけっこういい気持ちになる。ゴム手袋をはめてね。なにせ老人ホームであるから、汚物と格闘することも多い。認知症の人が尿パッドをトイレに詰まらせて、汚水があふれることもよくあった。あのつまった便器に手を突っ込む。肘まで浸かる。そんな毎日は、ルーチンワーク。職員同士のチェックもけっこう厳しかった。汚れの残りがあると、陰口をたたかれたものだ。あの頃の私はそうとうに開運な行為をしていたことになる。いやまて。自分のウチではまったくやらぬ。どこかの荒れた高校の教頭が、便所掃除をきっかけに学校を立て直した。そんなエピソードもそうじブームを後押しする。よいことなのは確かだ。確かだけど、ここでもニセ科学の匂いがほのかに漂ってくるのだ。「水からの伝言」に村主史枝のごとく耳を傾けている人とそうじ力で運勢を上げている人はけっこうダブっているような気がする。道徳が嫌なかんじで介在しているのだな、いずれも。そうじとスピリチュアルの融合。その切り口はなかなかのものだ。掃除をするな!とはいえないだけにコイツは手ごわいぞ。
2007年01月04日
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水にやさしい言葉をかけてやるといいんだって?水のみのオレサマは毎日2リットルほどのミネラルウォーターを飲んでいるのだが、飲みながら「水さん、今日もアリガトネ(はーと)」と声をかければ開運になるのか。なんかムチャクチャな本がヒットしてはいないか。本屋で手に取ったときは、「へぇー」と思ってぱらぱらとページをめくって美しい水の結晶の写真を見ましたよ。雪の結晶にしてもそうだが、結晶っていろいろな形があって、形の出来具合が偶然性の高い産物なので、またそれを必然とする考えが生じるのだろう。ビンの中に水を入れて『ありがとう』とラベルと張ったものと『バカヤロウ』とラベルを貼ったものの結晶を比較すると、『バカヤロウ』の結晶は汚いのだそうだ。だから、日常生活において、きれいな言葉をみんなが使えば、世の中はすばらしくなりますという道徳的なオチをつけて、それに傾倒する教育関係者もいるらしい。私はそんな人物にバカヤロウと結晶を破壊するくらいに怒りたい気分だ。こういうのをニセ科学というのでしょ。子供に道徳を教育するに当たって、怪しげな科学を用いることの是非が議論されている。賛成する人は、水の結晶について科学的に正しいかどうかというよりも、このようなエピソードから子供がよい行いをするようになれば、それでいいのではないかという。私は嫌いなニンジンを食べると頭がよくなるよ、と怪しげに言って強要する幼少時代のオフクロの姿を思い出した。あれはスッキリしない気分だった。水はバッハが好きでヘヴィメタルは嫌いだそうだが、私の心が病んでしまったのもロックの聴きすぎだという仮説が成り立つよな、まったくもう。私はアニミズムが好きで、聖水とか大木とかお天道様といった万物のすべてに神が宿るという教えは好きだ。だが、妙な科学的根拠をくっつけられると一気に萎える。NHKの『視点・論点』でニセ科学を糾弾している先生がいらしてYouTubeにアップされていたので見つけたら、リンクしましょう。視点・論点「まん延するニセ科学」
2007年01月03日
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数年前の出来事である。私はある夢を見た。福祉施設職員の仲間がクルマで事故った夢だ。25歳の彼は身体の心配よりも15万円で手にし、カスタマイズして可愛がっていた愛車の損壊を悲しんだ。その様子が哀れでかつ彼らしい愛嬌があった。そんな夢を見た。「だから○○さん、事故らないでくださいよ!」と彼に翌日、忠告した。『ボクは、事故はしませんよ(笑)』と余裕の表情であった彼であったが、しばらくして本当に事故を起こしたのである。これを予知夢というのか。私は、「ほら、だからいわんこっちゃない」とは言わなかった。「おぎーのさんがそんなことを口走るから、本当になっちゃったじゃないですか。」と彼は笑いながら言った。言霊とでもいうのだろうか。そろそろ私の予知能力について興味を見せる読者が出てくる頃ではないだろうか。じっさい、この経緯をはたで見ていた女性職員が興味を見せた。若くエロカワイイ女の子が、「私もおぎーのさんの話を聞いてみようかしら」と言い出した。そんな状況にあって私の心にはある変化が生じてきたのである。じぶんには予知能力があるのではないか、という思いが…。「△△ちゃんの夢を見たら教えてあげるね!」と私は気安く返答していた。当時、彼女は結婚を前提に付き合っていた彼氏がいたが、彼氏とこのまま付き合って結婚していいものだか、悩んでいたのである。私は自然とエロカワ女の子の相談役となっていた。そのときの私の顔つきを、今ふりかえって想像してみれば、江原何某にそっくりであったろう。あのニヤニヤ笑っている具合が。そうです、私は予知能力なんてものを持っているわけないのです。クルマの事故の夢はただの偶然。そもそも彼はクルマの運転が好きだったが、若さゆえの乱暴さもあって、ほかにも事故を起こしていたのだ。私の夢はそんな彼の履歴を元に構築されたものであったと思う。ゆゆしきことはその一件を霊的なものとみなして心を開いて近づいてきた女性がいたことである。私の顔が『オーラの泉』みたいなニヤニヤ笑いになるのも致し方ない。許してほしい。私は調子にのってあてずっぽうな予言をのたまいだしたのだ。ここに若いスピリチュアリストの誕生の瞬間があった。私は自分で気づかずともコールドリーディングの技法を用いだしたのであった。コールドリーディングの意味がわからない方はぜひともググっていただきたい。私が説明するよりもいいだろうから。江原何某はインチキであるというがために、こんなエピソードを書いた。私の推察に間違いはないであろう。ただ、『オーラの泉』においてゲストは大きな満足を得ている様子なので、それはそれでいいのだろうと思う。私は毎週、『アイチテル』が始まるまでのつなぎに観ているが、江原はともかく、美輪さんに対して悪い感情はない、というか好きだ。唯物史観の人生はつまらないとも思う。私は最近になって心霊写真の中にはホンモノもあると思うようになったくらいであるから。
2007年01月02日
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あけましておめでとうございます。皆さん、今年もよろしく。毎年、年末年始は体調が悪くなる。これはうつ病が悪くなる前からそうで、福祉施設職員の時には、あえて正月には勤務を入れていた。老人ホームのお正月は振り返ると楽しかった。もうあの頃には戻れないなあ。新春の最初に印象に残ったことは、『朝生』の終わりごろに評論家の宮崎哲弥が共産党の穀田さんに対してブチ切れたこと。詳細は不明だが、宮崎の怒鳴り声が非常に大きく激しく、進行がちょっと中断するほど。人は必要なときにはブチ切れなければならないことの大切さを知った。新春のテレビはつまらない限りだが、今年のキーは「マグロ」ですね。マグロ漁のドキュメントは一定の視聴率が取れるらしい。かつて、3年間マグロがひとつも取れなくてひもじく情けない思いをしてきた山本さんが、再度、テレ朝に登場する様子だ。私は山本さんについては他人ではない親近感を持ってしまっている。マグロ漁という過激なギャンブルは、先行き不透明な時代に合うのだろう。12月は日記を書く気がしなくてほとんど書かなかった。今年はどうだろうか。自分でもさっぱりわからない。※幸運にも初日の出の写真が撮れた。めずらしく画像をアップ。
2007年01月01日
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