2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全3件 (3件中 1-3件目)
1
後書きにかえて 退職してからすぐに横浜に引っ越したわけではなく、一ヶ月ほどまだ富士吉田にいることにした。なるべく家賃が安いほうに長くいるほうがいいということで。つかの間の自由人ということになるが、こういう状況の時っていうのは極力身体を動かすほうがいい、と思っていたので、ジョギングをはじめた。いろんなことを考えるにしても、走ったり歩いたり、とにかく動きながら考えるようにつとめていた。それに富士吉田の風景の細かいところまで、目と身体に記憶させたかったというのもある。ジョギングしていると、おびただしい数のたんぽぽが、そこら中に咲きまくっていた。気付いたらいろんなところにあるんもんなんだぁ、きっと今までもずっと、俺が気付かなかっただけで、毎年毎年、たんぽぽは勝手に咲いていたんだろうし、これからも勝手に咲くんだろうなぁ、あたりまえだけど、誰に見られるなんてこととか本当に全く考えてなくて、今までもこれからもコイツらは勝手にただ咲くんだなぁ、って思った。自分をたんぽぽに重ねあわせて、なんてのはおこがましい限りである。今は単に強烈な憧れ、畏敬の念、現在の目標スタンス(!?)である。アップテンポで爆音系のこの曲を思いっっっきり大声で歌うと実にスッキリする。だから「後書き」はもうこれで、「たんぽぽ」でいきます。 ご愛読ありがとうございました。たんぽぽ~実録・サラリーマン時代主題歌(嘘)~風吹いたから飛び 風やんだから降りた花にはありえない コンクリートに咲いたいかなるところでもやっていける とかじゃなくてそうこう言う前に 勝手に咲いていたんだ駐輪場 工場の空き地や 水飲み場にも咲き線路脇 砂利道 もしくは普通の花畑咲く場所を見つけたんじゃなくとにかく舞い降りたオレ たんぽぽ飛んでみようか 飛ぼうかななんて思う前に飛んでいたオレたんぽぽここで一花咲かせようなんて思う前に まず咲いていたんだ綺麗とか 苦しそうとか 道行く人は言ってる賞賛も憐れみも 関係なく ただ咲いたのに強い意志も 勇気も あるわけでもなく まずは飛んだあれこれ考えず 勝手にただ咲いたんだマンホールの隙間 中央分離帯 庭先排水溝 ドブ川 もしくは菜の花と並んで咲く場所を選ぶこともなく 気付けばそこにいたオレ たんぽぽ飛んでみようか 飛ぼうかななんて思う前に飛んでいたオレ たんぽぽここで一花咲かせようなんて思う前に まず咲いていたんだオレ たんぽぽ前ぶれなく踏まれたり また何処かで種を蒔き散らしオレ たんぽぽ木枯らしじゃあるまいし春の心地よい風にのせられてオレ たんぽぽ飛ばされた 飛んでいた飛んできた また風が吹けば飛ぶオレ たんぽぽここで一花咲かせろよ言われなくても 勝手に咲いてやるオレ たんぽぽ・・・作詞・曲 おじゃ丸 編曲 コブラツイスト&シャウト
November 15, 2006
コメント(76)
Vol.50(最終号)「講師たちに宛てた手紙」 このブログもとうとう終了である。まだまだここには書ききれないこともたくさん残っている。特に現大月教室長や甲府エリアマネージャー(現課長)のことなどは、俺のサラリーマン時代を語るには、やはり必須の2名であるが、話が広がりすぎる気もして、やむなく割愛した次第である。 はじめに述べたことと繰り返しになるけど、「仕事」っていうものは、本当に「壮大なドラマ」である。 今、このタイミングでこれを書き、そして終えることが出来てよかった。身辺整理完了。大変に清々しい気分である。 さて、最終回の今回は、これまでは保護者や生徒向けに発信してたコラム調のものを、我が教室の講師のみんなに対して、号外版として、書き記したものをそのまま貼り付けて(笑)締めくくろうと思うが、やたらとガチガチにビジネスの観点で書いてあって、もうちょっと人間味溢れるお礼の仕方があるだろう(笑)、って思うが、「サラリーマン時代」というテーマを総括、収束させるにはちょうどいいかな、と思ったりしたもんで。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 講師の皆さんへ今までどうもありがとう。私にとって富士吉田教室がこんなにも居心地が良かったのは、一重に講師に恵まれていたからなんだと本気で思う。ここの講師がいかに優れものかということを、「仕事(ビジネス)」という観点から述べてみたいと思う。いつもの「コラム調タッチ」で・・・。 ここの講師のいいところを一言で表すなら、「インチキをしない」、「人として誠実」である、というところだろうと、自分の中では結論が出ている。 山梨の人がそうなのかなぁ、と思いきや実はここの講師たちは基本的に「多国籍軍」だし、よくもまぁ揃ってくれたなぁとつくづく思う。 さて、教室運営をしていく上で自分自身のポリシーとしていることは、結構ビジネスライクにものを考えていて、「運営するからには存続・継続しなければならず、つまりは利益をあげていなければならない」という、まぁ会社であればごくあたりまえのことだとは思うが、私はこのことをより強く意識しているほうだと思う。そうでないと、そこで働くスタッフ(特に生活のかかった人など)にとってもロクなことはないし、更に生徒にとっても保護者にとっても、チョロチョロと中途半端にだけ勉強をして、成績も上がらず、結局塾をやめていき、よからぬ噂が広まる、みたいな負のスパイラル状態が続けば、そこの場所はやがて無くなってしまうしかないわけで、利益を上げるということは、教室長としての必須使命であるという考えは今も変わらない。利益を上げるということに関してはどこの世界でもそうだが、客数を上げるか、客単価を上げるかの2種類しかなく、塾も同じである。つまり、生徒数を上げることと、生徒の週回数や講習などの授業コマ数を増やす、ということ。私の場合、考えとしては断然後者のほう、つまり単価を上げる主義である。週一回の生徒が100人いるよりも、週二回の生徒が50人いるほうが、目も行き届くし、講師にとってもやりやすいだろうし、生徒にとっても塾に帰属意識が芽生えるし、いいに決まってる。 入会面談での週回数を決める時や、保護者会で講習のコマを決める時は、いわば「戦い」の場である。各家庭での家計の中にしめる教育費を最大限に出してもらえるよう、保護者とは相対する。「戦い」と今言ったが、実際に一番大切なことは「熱意と愛情と執念」の三つ。この三つをもって接した上でなら、どういう結果になろうとこちらも悔いはない。しっかり伝えた上で、それでもどうしても家庭の事情や経済的な面で,どうしても絶対無理、という場合、もちろん無理なわけで、こちらもそれ以上踏み込むつもりもない。でも他の何か(旅行や娯楽など)を削って、教育費に充当してもらうよう努力するのがこちらの務めだし、少しでも多くのコマをとってもらうべく、常に真剣勝負をしてきたつもりである。 私は入会面談や保護者会にかける時間は他の教室長の倍はかける。そしておそらくエネルギーも倍は使っているという自負がある。 でもその代わり、授業中の生徒への関心、講師の授業内容への意識は三分の一以下であるとも思う。これはいけないことで、それはわかっているんだが、言い訳っぽく言うならば、生徒にとって室長っていうのはそんなに大そうな存在ではない、っていうことと、授業がいいものになるかどうかというのは講師が自然体で明るく楽しく伸び伸びとやっているかどうかにかかっている、というのが、講師時代から(自分がいるからこの塾はやっていけてるんだ、という位のかなり傲慢な気持ちをもった講師でした)思っていたことだったし、自分が生徒の立場だったら、っていうことを考えてもやはり、大事なのは担当の先生なのであって、そこの塾の室長ではないのは確かだと思うので、授業中は基本的にはナリを潜めていよう、っていうのがあった。ガチガチに管理するトルシエジャパンよりも、「試合が始まってしまえば監督が出来ることなんて何もないんだよ」というジーコのほうが正しい気がする。いや、正しいっていうより、楽しい空気が充満することは子供には重要なことだと思う。 しかし、こんな感じで全部講師任せにしてしまうことにはもちろん危険も伴う。よっぽど信頼がおけないと無理な話なのである。 ここの講師には十二分に信頼をおいている。先に述べた「インチキをしない」気風みたいなものが流れているし、全ての講師に面接または初回授業の時に必ず言ってきたこと、つまり「主導権は講師が握ること」、「明るく楽しく自然体でやること」を実践した授業にするためには、室長は裏方にまわり、とことん任せたほうが得策なのである、と私は考える。 室長は、入会面談や保護者会、そして講師には初回の研修(トレーニーワークショップ)には全身全霊を込めて、その後は基本的には講師に委ねる。という分業体制が一番いいような気がする。 さて、ようやく話が戻ってきた。そんなわけで、ここの講師には信頼をおいてはいるのだが、更にこちらの期待(たくさんの授業数の確保に成功はしたものの、それを今度は実りある、充実した内容のものをやってくれるかどうか)にしっかり応えてくれているところが素晴らしく、また感謝するところである。 何やら、感謝状にしては随分と堅苦しい文面になりつつあるが(笑)、このような「ビジネスパートナー」としても、しっかりとこの教室を支えてくれた(「あの」富士吉田教室が山梨はおろか北関東で一番の売上げを上げるようになったというのは、講師のみんなこそが誇りに思っていいことですよ。)ことへの感謝をどこかで言っておきたかったが、こんな話、定例講師会議でなんか出来ないし、最後でここでさせていただきました。 本当にありがとう。引き続き、この教室をヨロシク!(完)
November 13, 2006
コメント(1)

Vol.49「感無量」 退職の日が刻々と迫ってきた。保護者からもいろんな贈り物をもらい、生徒は授業中に、いらなくなったコピー用紙の裏に手紙を書いてくれたり(授業サボんなよ!)、だんだんとお別れの時が近づいているんだなぁ、という感覚が生まれてきた。 最後の会議では、山梨の室長達みんなが色紙にメッセージを書いてくれて、やはり花をたくさんもらった。甲府のエリアマネージャーはわざわざ東京の本部にいったとき、全グループリーダーからやはり色紙にメッセージをもらってきてくれて、俺にくれた。 そして退職の二日前の金曜日(講師数が最も多い曜日)だったと思う。高梨先生(以前このブログの講師編でも紹介した、いろんな場所で写真を撮り、ポエムにもしてる人)をはじめとした、その日の講師達が集まってきて、「これ、よかったらどうぞ」と言って、あるモノを俺にくれた。 それは赤い装丁の冊子だった。色紙ではない、それは紛れも無い「本」だった。それは高梨先生の手作りによるものだった。中を開けてみると、講師全員のメッセージのみならず、今は沼津にいる元副室長の茂木さんからのメッセージや、もう辞めて今はいない講師からのメッセージもあった。 これまた秘密裏のうちに回覧版のように講師達の間でまわり、着々と作成されていたものらしい。一行や二行ではない、一人につき一ページニページと割かれ、こってりたっぷりとしたメッセージがそこには敷き詰められていた。 ごくごく自然に涙が出た。やべ!っと思ってすかさず裏口に避難した。こうして塾人生最大の喜びが、先日の宴から数週間後に早くも塗り替えられてしまった。俺はなんて幸せ者なんだろうって思った。五年前、悔しくて情けなくて惨めで俺は自然に涙を流したことがある。方向を見失った俺は何よりまず働くか!と思い、職について4年とちょっと。辞めぎわに今度は嬉しくて、ありがたくて、自然に涙を流した。この違いが全てであろう。いろんなことがあったが、俺のサラリーマン生活は最高にハッピーだった!(つづく)次号、ついに最終回です。
November 3, 2006
コメント(1)
全3件 (3件中 1-3件目)
1