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Vol.48「宴~学習塾人生二番目の喜び~」 冬期講習の目標達成率に応じて、今年度より会社が費用を持ってくれて、スタッフを交えた謝恩会、打ち上げをやっていいということになった。だいたいの教室は講師一人に対して、1000円~2000円の枠なのだが、富士吉田教室の場合、目標数値をかなり大幅に上回ったということで、一人につきナント3000円の支給!やったね!! こういうスタッフへの還元の仕方は本当に素晴らしい。我が会社に大感謝である。 さて、どこでどんな風に使うべきかっていうことを考た。富士吉田にも飲み屋はいくつかある。しかしやっぱりお店を使うならば3000円はすぐにいってしまう。そこで、もうひとつ考えたのは休塾日の日曜日に教室内で、宅配ものをとったり、買出ししまくったりして豪遊する(笑)っていう案。 講師達にミーティングで希望を訊くと、断然後者(教室で豪遊)であったので、この方向で決定した。いろんな宅配業者をあたり、確かに相当な量を注文できた。寿司・ピザ・中華バイキング盛り合わせ・パーティーセットなどなど・・・そして、当日。ビールやら飲み物やら更なるつまみを求めてみんなで買出しに。教室のパーテーションを全てとっぱらい、蛍光灯を消して間接照明にしてJAZZのBGMを流して・・・、絶対に生徒が入って来ないようにシャッターを閉めて(笑)裏口から出入りした。 我がスタッフは男手が少ないので、俺は男性講師の寺尾先生と二人で重たいもの、つまり酒類の買出しに出た。 寺尾先生が何やらマニアックな酒屋に連れていってくれて、九州出身の寺尾先生はそこにある薩摩焼酎の幻の逸品とかを俺にいろいろと説明してくれたり、でも基本的にはあまりビールも安くなく、「やっぱりもっと量販店にいきましょう」と寺尾先生が自己完結型意見(!?)により、他の店に行くことにした。俺は「別にそんな極端に値段は違わないし、ここでもいいんじゃない?」というと、「いやソフトドリンクが特に安い店があるんで」みたいなことで、「はぁ」と俺は承諾して、寺尾先生の車に乗った。 量販店に到着すると、もっと店の近くに駐車すればいいのに、微妙に遠いところに駐車した。「もっと出口のそばに停めたほうがいいんじゃない?」と俺が言うと、「そうなんですけどねぇ・・・」と寺尾先生。「え?けど、けどなんなんだよ」と内心思いながらも、俺は「ふ~ん」と言った。 ドリンク類をしこたま買い込み、そろそろ他の買出し隊のみんなも教室に戻ってるはずだなぁ、と思っていると、寺尾先生は「ホントすみません」とか言って誰かとメールしてたりする。いまいち今日の寺尾先生は挙動不審だ(笑)と思いつつ、教室に戻った。 俺が教室の裏口のドアを開けたその時だった。講師達が横一列に並んで一斉にクラッカーを鳴らして、「ありがとうございました!お疲れ様です!」と言ってくれた。その後、かかえきれない大きな花籠をもらったりして、一瞬何が起きているのかわからなかった。 今回のパーティーは講師に対する謝恩会で、俺が(会社が?)講師を労う会のはずだったんだが、いつのまにか4月に退職する俺のお別れサプライズパーティーとなっていた。 ビールを飲みながら種明かしとして、寺尾先生は無駄に遠回りして、とにかく他の講師全員が戻りクラッカーのスタンバイが完了するのを他の講師とメールでやりとりして時間調整をしてたんだとのこと。そういうことか、と俺は微妙に挙動不審だった寺尾先生の言動やら行動をみんなに言うと場内爆笑。巨大な花籠は講師達の大学がある都留のお店で購入し、大きすぎて目立つので教室の大家さんに一時的に預かってもらったことなども知る。 あんなにおいしいビールは久しぶりだった・・・。予測不能、想像を絶することを「してやられる」と人間ってのは間違いなく感動する。いかに「クレド」を、「ホスピタリティー精神」を、と講師達に植え付けようと考えていた俺は、なんだよ、うちの講師はこれらがとっくに身についてんだなぁ、って思った。宴が終わったあとも俺はしばらく喜びが消えなかった。 時は野球のWBCで日本が韓国に敗れた日(でも最終的には見事世界一になった)のことで、イチローはインタビューで「僕のこれまでの野球人生の中で最も屈辱的な日でした」と言った日だった。このフレーズを借りていうと、「俺の16年間(講師時代も含め)の塾人生の中で最も嬉しい日」になった。 ところが、この記録(?!)は数日後、あっという間に塗り替えられることになり、つまりこの日は俺にとって二番目に嬉しいことになった。(つづく)
October 28, 2006
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(つづきです。この前から先に読んでください。)最悪行動・・・無視する、または自分の仕事はこのディスプレー装飾なんだから、時間とられるわけにはいかない、という考えが働き、(本当は知ってるのに)「すみません、わかりません」という。悪行動・・・上のフロアにございますから上のフロアのスタッフにもう一度尋ねてみてください。やはり一番いい行動は、・・・「今の自分の持ち場を離れようが、お客様をその場所までお連れする」ということだということになる。なぜならデパート全体のクレドとして、「お客様主義に徹する」とある以上、お客様に関することが、全てにおいて優先されなければならないからだ。この行動に関して異を唱える人ももちろんいるだろうけど、クレドがそうなってる以上、このデパート内でのあるべき正しい行動は絶対にこうなる。こうじゃないんであれば、そこの会社のクレドは形骸化してるので、いますぐ廃止すべきなのだ。 あ、今最悪の行動を述べたけど、もうひとつの最悪パターンをここに挙げておく。最良の行動、つまり子供服売り場までお客様を案内するという行動をとったスタッフに対して、そこのディスプレー係の上司が、わけも一切訊かず、持ち場を離れたことに対してどなる、いや懇々と叱るでもいいんだが、これが最悪のもうひとつ。クレドというものはそれほどまでに全ての上にあるものであり、部長だろうが専務だろうが、社長だろうが、全てこの下にくるものなのだ。 俺の室長生活末期、最後に入ってきた講師、つまり最も新人の講師に、成瀬先生という大学生の女性講師がいた。この先生には新人講師研修(トレーニーワークショップ)よりも前に、いきなり授業をしてもらうことになった。必要に迫られ、猫の手も借りたいほどの講師不足の事態という背景もあった。そんな右も左も何もわからない成瀬先生の初回授業がやってきた。こういう状況であれば当然、授業前にたっぷり時間をとっていろんな説明もしなければならないんだが、この時俺も保護者会最終決戦真っ最中ということもあり、あまりにも限られた短時間で説明しなくてはいけない事態になった。 生徒それぞれには学習プログラム表(以下プロ表)というものがあって、何月何日はどのテキストの何ページまでやって、宿題はここで、みたいなものを書き記しておく、言ってみれば生徒のカルテなのだが、だいたい講師たちはこのプロ表に従って授業を進めることになる。 特に新人講師たちにとってはありがたいというか、こういうものがあるからこれをベースにしてとりかかれるというメリットもある。 俺は成瀬先生にこのプロ表の見方などをまず簡単に伝え、俺が一件の保護者会をしている間、本日これから授業してもらう生徒のプロ表を渡して見ておいてもらい、よくわからないところはツーットップの講師に訊くように言っておいた。 そして、次の保護者会までの空き時間は5分くらいだった。初めて授業する不安にさいなまれている講師への説明が5分・・・、トレーニーワークショップでは4時間くらいかけているところを5分・・・、まったくもって成瀬先生に失礼な話なんだが・・・。 俺はこの5分で次のような話だけをした。「プロ表の見方はだいたいわかりましたか?基本的にはまずそれをベースにしていいんですが、こんなプロ表なんかよりももっと優先するものは生徒の成績が上がるかどうかということなので、プロ表に書いてあることを鵜呑みにせず、授業を進めるうちに、この子のレベルならもっと出来る、とか、こんなに進んではダメだ、とかを判断し、自己修正するほうが大事です。例えば、宿題にしてもこれまで出してきた分量を考慮して、とかではなく、今日の内容を本当に定着させるにはこれぐらいがいい、という分量を出してほしいです。いろんなマニュアルやツールがこの教室には数多くありますが、あまり細かいことを考えず、自分が担当したこの生徒が成績を上げるには何をすればいいか、ってことを念頭に頑張って考えて行動してください。プロ表は場合によっちゃ無視したって全然いいんですよ。」というようなことだけを伝え、俺は次の保護者会に入り、成瀬先生は初授業に臨んだ。 ほどなく保護者会の合間に、授業現場に目をやると、成瀬先生が担当してる生徒から「そんなに宿題多く出来ないよぉ!」とかのブーイングが聞こえてきた。俺は「よしよし、成瀬先生その調子!」と思った。 そして、俺が保護者会を終え、授業も終わろうとしてる時、成瀬先生が「○○くんは明日、数学のテストがあるっていうんで、本当は英語の時間ですけど、数学をやっちゃったんですけどよかったでしょうか」と言ってきて、もう授業が終わる寸前だったので、ダメって言っても遅いんだが(笑)、当然許可した。 このケース、新人講師にはなかなか難しいシチュエーションである。まず生徒が「数学をやりたい」と言ってきて、室長は面談中のため相談が出来ない。ここで自己判断に迫られるわけだが、おそらく「でも今は英語の授業だから英語をやるよ。これからは普段からしっかりやってないとダメだよ、間際に慌てないようにね」なんて言ってる先生も絶対いるはずだ。あるいは、「室長が今、面談中だから、面談終わって許可が出るまでは英語をやるよ」っていう先生。これは多いはずだ。 しかし、俺が成瀬先生に最初に言ったことは「自分が担当した生徒が成績を上げるためには何をすればいいかってことを念頭に」と言うこと。当然、成瀬先生のとった行動が正解。俺の面談が終わるまで「とりあえず英語」をやるんではなく、「とりあえず数学」をやること。俺には事後承諾で全然かまわない。これでクレームがきたら俺の責任である。プロ表は英語で準備していて、科目チェンジなんかした日にゃもう新人講師にしてみりゃ大パニックのはずである。準備もしてないだけに当然上手い授業にはならなかったはずである。しかし、それでもここは数学をやることが正解。 まさにマニュアルやツールなんかよりも遥かに重要な根本命題、クレド。「生徒の成績をあげる」ということをクレドとした場合、成瀬先生は新人ながらちゃんとクレドを実践してくれたことになる。 教室内にていよいよクレドを浸透させようという時がきた。 結局俺が考えた末に、自分のところの講師達に伝えたことは・・・「誰がどう見ても、どう考えても正しいと思うこと、これを王道、と呼びたいんだが、この王道は他人の目や許可など全く関係なく、どんどんやっていくようにしよう。例えば15日になったら、タイムカードを裏返すのはみんなもう知ってると思うけど、いつもあれを生徒も含めた全員分裏返してるのは俺じゃなくて、綿貫先生なんだよ。俺は一度もそれを頼んだことはないし、綿貫先生の仕事だとも思ってない。でもこれをやることは誰がどう見ても間違ってるわけはなく、これをした綿貫先生を俺が怒るわけがない。だからみんなにタイムカードを率先して引っくり返せっていうんじゃなくて(笑)、だれがどう見ても正しいことは堂々と、誰の許可もなくやっていいっていうこと、教室という場が、職場っていう考えじゃなく「自分の部屋」っていうイメージまでしてくれたなら、隅っこのほうにゴミが落ちてることに気付いて、でもこのまま放っておいても誰も気付かないようなゴミだとしても、やっぱりここは拾っとくっていうのが王道だと思う。この王道をみんなが実践したあとで、万一それがクレームの対象になったり、深刻な問題へと発展した場合、その全責任は俺がとる。ただ、「王道」の解釈を履き違えている恐れもあるかもしれないので、その時はゆっくり話し合おう。」こんな感じで、他の教室はクレドカードなるもの本部から配られ、それに対して話しあうみたいなことが行われている中、うちの教室はクレドの中身に行く前に「王道」という指針を打ち立てるところからスタートした。かくして、クレドを掲げ、講師たちにはホスピタリティーを追求してもらうべく、俺自身も最後が近い今、取り組んでいきたいと思っていたわけだが、思うに俺は自分の教室の講師達っていうものをちょっと過小評価しすぎてたのかもしれない。 俺のほうこそ見習わないといけないホスピタリティー精神が講師たちには既に備わっていることを、退職の日が近づくにつれ、まざまざと見せ付けられていくことになるのである。(つづく)
October 26, 2006
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Vol.47 「クレド」 俺が会社にいる末期に、クレドミーティングというものを各教室でやっていこう、ということになった。クレドとは、訳すと「信条」ということになるのだろうか、古くはジョンソン&ジョンソン(バンドエイドの会社)が掲げ、ただこの言葉が大ブレイクしたのはなんと言ってもリッツカールトンホテルによるところが大きい。 現在のサービス業は単なるサービスの域では他社との差別化は出来なくなっていて、ホスピタリティーの精神というところまで昇華させる必要がある。そしてこのホスピタリティー精神がスタッフ全員に浸透しているのが、リッツカールトンホテルであり、ディズニーランドである。リッツカールトンホテルのホスピタリティー精神というのは、突き詰めていくとその根底にはこの「クレド」というものがある。 とまぁこんなことは昨今のサービス業の指南書やらビジネス本で全国大席巻中であるため、そっちに譲るとして、我が社でもこれを取り入れ、毎日ホスピタリティー精神を高めていこう、という動きになった。 俺自身、このクレドという概念は素晴らしい!と思っていて、これを日々突き詰めていこうとスタッフ全体が考え、行動すると、そりゃすごいことになるなぁ、と心底思った。 ただし、この「クレド」という概念を本当の意味で根本的に理解できて初めて生きてくることだと思う。教室長たちの中ではある程度浸透した感はあった。しかし、教室にいる講師達に本当の意味でこれが伝わっているかというのは実に疑問であった。リッツカールトン本家のクレドとうちの会社のクレドが酷似している、という点はまぁいいとして、そっくりこれを落とし込むとなると、ちょっと違うんじゃないかなぁというのが俺の考えだった。 根本の部分で理解してもらえなければ、それは単に形だけのもので、話し合ったり深め合ったりしてるフリで終わってしまっていることになる。 しかし繰り返しになるが、俺自身この「クレド」という考えに大いに賛同している。だから、なんとかして根本的に講師のみんなには理解してほしかったし、どうすれば伝わるのか、真剣に悩んだ。本日からクレドミーティングを各教室で実施してください、という本部からの通達があって、俺はここだけの話、今だから言うが、それから一週間位はまだ自分の教室では実施してなかった。自分の中でシックリきてないものをやるわけにはいかない、いや自分の中ではシックリきてるんだが、講師達にシックリこさせるための意思伝達方法にまだ自信がなかったということで、どうしてもまだ始動出来ずにいた。 先に述べたリッツカールトンホテルが何故うまく機能しているのか、他のいろんな企業でも多く取り入れられているにも関わらず、末端のスタッフに至るまでホスピタリティー精神が行き届いてるのは何故なのか、更に自分なりにリッツカールトンホテルのことをいろいろ調べてみた。 マイアミのリッツカールトンホテルで起きた有名なエピソードがある。夕方になり、ビーチにあるイスを片付けていたスタッフのところに、一人の男性が近づいてきて言った。「今夜私はここのビーチで愛する人にプロポーズをしようと思うので、もしもよろしかったらイスを1脚だけ残しておいてくれないだろうか」スタッフは喜んで「はいかしこまりました」と言った。 そしてプロポーズの時間がやってきた。男性は愛する人をビーチまで連れてくると、そこにはなんともまぁ驚きビックリのアイテムが勢揃いしていた。 さっきのスタッフは作業着からタキシードに変わっていて、チェア1脚どころか、クロスがかけられたテーブルの上にはシャンパンが冷えていて、男性がひざまずいてプロポーズする際に膝が濡れないように布が敷かれていて・・・。とまぁ、そこまでやるかの徹底的なサービス。でも勿論その男性は大感動することになる。 ここで忘れずに踏まえなきゃいけないことは、当然タキシード代、シャンパン代など、費用がかかっていることである。リッツカールトンホテル内ではこのような事態(!?)に備えて、上の承諾も受けずに自己采配によって、費用の決裁権まである、という信じられない権利まで与えられている。ということも当然踏まえなくてはいけないことだとは思う。 「だからリッツカールトンは出来るんだよ、うちの会社ではそんな権限ないからね、」と言ってしまうことは簡単である。しかし、俺が着目すべきはなんてったってこの時のこのスタッフの心理状態である。こんなことは本人に訊いてみないとわかんないことだが、絶対にウキウキ、ワクワク楽しみながらやっていたんだろうと思う。「ここは領収書さえ切っておけば費用も出るし、お客様のためにいいなって思ったことを実践するわけだから、文句は言われないばかりか、俺の評価も上がるだろうから、時間外でめんどくさいけど、いっちょやったるか」なんてことは絶対に思っていなかったはずである。何よりも自分自身が「こんな仕掛けをしたら、あのお客さん、ビックリするぜぇ!」と一人ほくそ笑み、ウキウキ、ワクワク状態で仕込み(?)に入っていたはずなのだ。この「相手が喜ぶことを自分自身がワクワクしながら、楽しみながらやる」という精神、これがホスピタリティーを実践する際に重要なことだと思う。 それから他のほとんどの会社がそうであるように、うちの会社も一社員に費用の決裁権なんかあるわけはないんだが、少なくともお客様が喜ぶために何かのアクションを、喜びワクワクしながら起こせるようにする空気を作り上げることが重要なんだと思う。 これらいろいろ踏まえて整理すると、こんな感じになる・・・舞台はとあるデパートとしよう。そのデパートのクレドの中に「お客様主義に徹する」とあったとする。そのデパートのウィンドウディスプレーの飾り付けのスタッフがいるとする。そのスタッフに、ある人が「子供服売り場は何処ですか?」と尋ねられたとする。その子供服売り場っていうのは上のフロアにあるんだけど、なんとも説明が難しい場所にあるとする。 さて、この場合どういう行動をとるのが正解なのか、(またも一万字超えそうなので、ここでカットしてすぐに続きます)
October 26, 2006
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Vol.46「引継ぎ」 だんだんと退職公約の3月も迫ってきた2月に役員面接なるものがあった。うちの会社は2月と8月になると半期の総括的な意味を込めて役員、つまり社長、専務との三者面談をすることになっている。専務とは結構頻繁に接触はあるものの、社長と実際にしっかり話し合うみたいな時間は、半年に一度のこのときだけである。 専務から「赤澤さんに関しては一点だけです。来期もやってくれるのかどうかということだけです。」という、いきなり単刀直入で直球で来たので、俺も「今期をもって退職する気持ちに変わりはありません。ただ、引継ぎが今難航しているのもわかってますので、3月いっぱいでというよりはもう少し柔軟性をもって退職日等は部長とも相談の上決めさせていただきたいと思います。」と言った。間で板ばさみとなっている部長や甲府のエリアマネージャーは、これで引きとめる労はなくなったというか、とにかく経営陣トップの二名に直接言うことによってダラダラ引き延びることもなく何にせよ退職は認められた。 富士吉田の次期室長は完全な新人ではなく、大月教室も統括する山梨郡内のエリアマネージャーである必要があるらしいので、比較的すぐに決定した。甲府里吉教室というところの室長で、俺もこの人なら安心っていう人だった。しかし問題はその甲府里吉教室の空いた穴を埋める室長がいないということで、とにかくバンバン求人をかけ、面接もしていた。俺自身も甲府に行ってよく社員面接をした。こうなると困ると思って一年前から辞意表明してんのに・・・という気持ちはグッと押し込み、なんとか甲府里吉の室長が決定したことにより、俺は退職日のすり合わせを部長とした。富士吉田の新教室長は海藤さんという女性で、それまで不振にあえいでいた甲府里吉教室を昨年比150%超の生徒数増加を成し遂げた優秀な女性社員である。 海藤さんには、俺は個人的な恩も感じていて、この夏初めて行った本格的な富士吉田教室のレクリェーションイベント(バーベキュー大会!?)の時に、完全に友情参加してくれて、何十個ものおにぎりを作って来てくれたり、景品争奪のイントロ当てクイズの際にCDラジカセの具合が悪くなり、どうしようもなくなり、苦肉の策として、海藤さんの車の周りに生徒達を集めて、カーステレオから爆音でかける、ということで難を逃れたわけだが、あの時車の中からCDを流しつづけた海藤さん、うるさくてしょうがなかったはずである(笑)。 こういった個人的な恩もそうだが、海藤さんはとにかくひたすら真面目な人なので、後を濁す形で去ることだけはしたくなかった。室長が変わるということで少なからず不協和音も生じることは必至だったとは思うが、講師の綿貫先生じゃないけど、生徒から目をそむけず、ひたすら誠意と愛情を持って接すれば時間の問題で不協和音は消えるはずだということはわかっていたから、海藤さんには安心して後を託すことが出来た。 以前この場で、俺個人の考えとして、仕事の出来る人の二大原則は「真面目であること」と「自分のためにやっていること」と述べたことがあったかと思うが、海藤さんの場合、「真面目である」のは完璧として、「自分のために・・・」というのは少し気になるところで、いや、おそらく既に自分の生きがいとしてやっている域には入っていると思うのだが、これも以前ここで述べたように、真面目・熱血・素直ゆえに会社からの教えを一点の曇りもなく励行するタイプであった。 でもまぁ本人が既に心底これでいいと思っているはずなので、こっちが異を唱える筋合いもないし、とにかくまぁわけのわかんない不誠実な人間が来なかったことがまず嬉しいし、実際これは本音だが、山梨の全教室長の中では一番海藤さんに来てもらいたかった。残された生徒や講師のために。 引継ぎをやってるといろいろな弊害も出てきたが、甲府里吉の引継ぎほどではないのは確かである。甲府里吉の新人室長は本当に新卒のピカピカの新人ということもあり、わからないことだらけである。頻繁に富士吉田に電話がかかってきて、海藤さんに質問やアドバイスを仰いでいた。 一方俺が海藤さんにしたアドバイスといえば、以前俺が内藤さんに言われた最高の一言、「富士吉田教室をよくするためなら何をやってもいいんだ」ということを、本気で本心から伝えた。そして3月は(意外にも)比較的暇であり、例えばこういうときに頑張って何か仕事を見つけて常に全力投球するのもいいけど、抜くときは抜いてどうしたって五月あたりから死ぬほど忙しくなるんだから、自分自身の力を蓄えることや、生徒や講師とどうでもいい話をたくさんしてコミュニケーションを深めたりしたほうがいいよ、みたいな、なんだか手を抜くことばっかりアドバイスしてたような気がする(笑)が、あくまでもこれは相手が超真面目人の海藤さんだったからである。 海藤さんも今までの自分のやり方との違いに面食らったことも多かったはずである。もちろん海藤さんのやり方のほうが会社で推奨している理想的なやり方なのであるのは言うまでもない(笑)。 例えば授業前後に行う講師とのミーティング、これが海藤さんからしてみれば恐ろしく短い時間、いやほとんど「それやってるうちに入んないんじゃん?」っていうレベルだったし、授業中に室長が教室内を巡回する「机間巡視」というものがあるのだが、これに関しては俺のポリシーとして、実はあまりやらないようにしていた。「机間巡視」という意味の中には講師の授業が正しく行われているか、っていうこともあり、それもわかるんだが、実際俺自身が講師だった時代に当時の室長がやはり巡視しにきて、ただ巡視するだけならまだしも、会話に参加してきたりして正直ウザイ(笑)って思ったものだし、巡視されることで講師がのびのびと個性を発揮できなくなったらその教室は暗くなる。それが一番良くないことだと思った。教室内で一番明るく輝いているのは講師であるべきだと思っているし、もちろんカッチリ管理するメリットだってあるとは思うが、いろいろ差し引きしたら、結局は伸び伸びとやってもらったほうがいい、というのが俺なりの結論だった。 でもこの俺の考えを海藤さんに植え付けたら、その時点で海藤さんに「好き勝手やっていい」といったことと矛盾するわけだし、自分のやり方はこうだ、とは言わなかった。 ただし、講師はおそらく面食らうことが今後出てくるだろうから、予め講師達には海藤さんがまだ来る前から、海藤さん就任後はだいたいこんな感じになるっていうことを伝え、いろいろと細かいことも言われるかもしれないけど、真面目で誠実な人なことは俺が保証するから、最初はいろいろと違和感あるかもしれないけど、みんなで協力しあってほしい、ということだけは伝えた。 結局退職の日付は4月15日付となった。4年4ヶ月、無遅刻無欠勤で有休消化ゼロだったので、4月いっぱい扱いでも全然ありだったとは思うが、まぁいろいろなこと含めて良しとしたい。会社には感謝しているのは事実だ。いよいよ富士吉田を離れ、横浜に引っ越したのが5月末だったので、離れる直前に最後にもう一度教室に遊びに行った。退職後一ヶ月が経過した教室に、生徒一人一人の顔がポラロイドカメラで写したものが貼ってあり、その写真の下にはそれぞれの誕生日が書いてあった。そして生徒の誕生日には簡単なプレゼントをあげるのだという。これ凄いね!って俺が誉めると、「実はこうすることで生徒の顔を早く覚えられるっていう狙いがあるんです」と海藤さんは小声で俺に言った。この企画は会社のマニュアルや方針には一切なく、完全に海藤さん独自のアイディアである。俺は「よしよし、この教室はこれで安泰だ」と確信した。 退社以降もお盆の連休に差し掛かった頃ということで、軽井沢から「祝バケーション!」っていう軽~いタッチのメールを海藤さんにしたら、物凄い丁寧な、生徒の近況だとか問題点とか、嬉しかったこととかが克明に書かれてあり、「まだまだいっぱいお話したいことがたくさんあります」とあった。確かにこの仕事っていうのは同僚というものがいないというか、室長以外は現場にいるのは講師なわけで、やはり立場的に孤独であり、他教室長とたまに電話や会議の帰りなどで話す共通の話題で、気分を発散することも少なくなく、しかし同じ教室で、生徒や講師の状況に加え保護者のキャラまで委細承知してるっていうのは今の俺と海藤さんみたいなシチュエーションしかありえないので、海藤さんがいろいろ話したいという気持ちはよーくわかる。 店の開店の前に、しかも教室が殺人的に忙しくなる11月になる前に、ぜひ一度、フラッと遊びにいきたいとは思っている。(つづく)
October 19, 2006
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Vol.45~コラム(最終号)「この教室にものび太はいる!」~ コラムが最終回なのであって、本編はもうちょっとだけ(あとチョットだけど)続きます。引き続きご愛読のほど宜しくお願いします。(最終号)・・・「この教室にも、のび太はいる」 毎月お送りしてきましたこの文章ですが、このようなコラム調(!?)の形式では、今回が最終回となります。 次号より、形態も書式もリニューアルしたものになりますので、お楽しみに。 さて、今回は「最終回」ということにあやかって(?)、ドラえもんの最終回の話で締めくくりたいと思います。 まずは読んでみてください。私はこれを読んだとき、鳥肌が立ちました。しばらく動けませんでした。 熱い思いと信念を貫き、その果てにとんでもないことをやってのける、そんな「のび太」が、この教室にもいるはずです、きっと・・・。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ドラえもんの最終回・・・。のび太とドラえもんに別れの時がおとずれます。その日ものび太は、宿題をせずに学校で叱られたり、はたまたガキ大将のジャイアンにいじめられたり、スネ夫の自慢話を聴かされたり、といった、いつもと同じような一日が始まるはずでした。青い空には白い雲が浮かんでいました。 ところが、そんないつもの風景の中で事件は起こりました。 なんと突然ドラえもんが動かなくなってしまったのです! のび太には何がなんだかわかりません。喋りかけたり、叩いたり蹴ったり、しっぽを引っ張ってみたりもしました。何の反応も示さないドラえもんを見て、のび太はだんだん不安になってしまいます。付き合いも長く、そして固い友情で結ばれている彼ら。しばらくしてのび太は、動かなくなったドラえもんがどういう状態にあるのか、小学生ながらに理解するのでした。 無駄とわかりつつ、のび太はいろんなことをしました。思いつく限りの、出来うることを全てやってみました。それでも何の反応も示さないドラえもん・・・。その晩、のび太は眠りにつくことが出来ませんでした。 やがて、のび太は彼の机の引き出し、そう、「タイムマシン」の存在に気がつくのでした。「なんで今まで気がつかなかったんだろう。」のび太はパジャマのまま、二十二世紀へとタイムマシンに乗り込みました。 「これで全てが解決するはずだ!」のび太は、なんとかドラミちゃん(ドラえもんの妹)に連絡を取り付けました。のび太は嬉しくてたまりません。「ドラえもんが治る!」 のび太は、ドラミちゃんと一緒に、とにもかくにも二十世紀へ戻りました。 しかし、のび太はドラミちゃんでもどうにもならない事が起こっていることに、この時は気付いていませんでした。いえ、ドラミちゃんでさえも思いもしなかったことでしょう。 動かないお兄ちゃんを見て、ドラミちゃんにはすぐに故障の原因がわかりました。 正確には、故障ではなく電池切れでした。そして電池を交換しようとしたその瞬間、ドラミちゃんは大変なことに気がつきました。 「予備電源がない・・・。」のび太には何の事かわかりません。早く早くとせがむのび太に、ドラミちゃんは静かに告げました。 「のび太さん、お兄ちゃんとの思い出が消えちゃってもいい?」 のび太にはまだ理解できません。実は旧式ネコ型ロボットには、その耳に予備電源が内蔵されていたのです。電池交換時には、それまでのデータを保持しておく役割があったのです。 ところが、ドラえもんには耳がない! ドラミちゃんは色々説明をしました。難しく、のび太は理解に苦しみましたが、大筋の理解は出来ました。 電池を交換することで、ドラえもんの中に記憶されているのび太との思い出が消えてしまうこと、今のままで置いておけばデータは消えないこと、そして何故か、ドラえもんの設計者は、設計者の意向で明かされていない(超重要極秘事項とのこと)ので、連絡して助けてもらうことは出来ないようだということ。ただ、修理や改造は自由にしてよいとのこと。 のび太の心に、ドラえもんとの思い出が次々と蘇ってきました。初めてドラえもんに会った日のこと。数々の未来道具、過去へ行ったり、未来へ行ったり、恐竜を育てたり、海底で遊んだり、宇宙で戦争したこと。鏡の世界へも行きました。どれも映画になりそうなくらいの思い出ばかりです。 混乱と失意の中で、のび太は決断を迫られました。のび太はドラミちゃんにお礼を言い、そして「ドラえもんはこのままでいい」、と一言告げるのでした。ドラミちゃんは後ろ髪をひかれる思いでしたが、何も言わずにタイムマシンに乗り、去っていきました。のび太、小学6年生の秋でした。 あれから数年後・・・。小学生の頃、成績が悪かったのび太ですが、彼なりに必死に勉強しました。そして中学、高校、大学と進学し、確実に力をつけていきました。外国留学から帰国したのび太は、最先端の技術を持つ企業に就職し、ある程度の成功もしました。しずかちゃんはそんなのび太と自然に恋に落ち、めでたく結婚しました。そしてとても暖かな家庭を築いていました。 のび太はドラミちゃんが去ってから、「ドラえもんは未来に帰ったんだ」とみんなに告げていました。いつしか誰もドラえもんのことは口にしなくなっていました。 しかし、のび太の家の押入れには、ドラえもんが眠っていたのです。あの時のまま・・・。 そして今、のび太は技術者として「ドラえもん」の前にいるのです!そうです、「ドラえもんを治したい!」、その一心でした。人間には、その人の一生を変える出来事があるといいます。のび太にとっては「ドラえもんの電池切れ」がまさにそれでした。「修理が可能であるならば、僕の手で・・・。」それが小学6年生の、のび太の原動力となったようです。しずかちゃんが自宅の研究室に呼ばれました。誰も絶対に入ることを禁じていた研究室でした。中に入ると夫であるのび太は微笑んでいました。「ドラちゃんなの・・・?」「しずか、こっちに来てごらん。今、ドラえもんのスイッチを入れるから。」 頬をつたう一筋の涙。しずかちゃんは黙ってのび太の顔を見ています。この瞬間のため、まさにこの為にのび太は技術者になったのでした。何故だか失敗の不安はありませんでした。こんなに落ち着いているのが変だと思うくらい、のび太は静かに静かに、そして丁寧に、何かを確認するようにスイッチを入れました。 ほんの少しの静寂の後、長い永い時がつながりました。「のび太くん、宿題はすんだのかい?」 ドラえもんの設計者が謎であった理由が、明らかになった瞬間でもありました。(つづく)
October 8, 2006
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Vol.44~コラム・・・「ファイト!」~下記の詩は俺の教室にいる受験生向けに用意したわけだが、これを詠むと単に俺自身が元気になるってだけのものばかり集めたのかも・・・世の「頑張れソング」の大半は好きじゃないんだけど、例えば中島みゅきの「ファイト!」なんてのは、世界一の頑張れソングだとつくづく思う。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 受験直前の生徒、終了した生徒、合格した生徒、残念ながら第一志望に入ることが出来なかった生徒、またこれから新しい環境に挑戦していくであろう全ての学年の生徒に、いくつかの詩を贈ります。ファイト!「一歩を」花を咲かせるにも種をまかねば駄目なのだ土がどうの 場所がどうのと考えてばかりいてもその時期は過ぎていくばかりだから小さくてもいい思い切って一歩を踏み出すことだスタートがなければゴールだってないのだから「生きがい」どの道を選んだかによってよりもそこでどれほど精魂を傾けるかに人生の生きがいがある左に行くのが得なのか右に行くのが楽なのかそんなことだけに生きている喜びがほんとうにあるのだろうか「七転び八起き」倒れたとて弱いのではない倒れないから強いのでもない倒れるまではみな同じ真の強さは倒れた時に見えるもの真の力は倒れた時に湧き出ずるもの「飛翔」たとえ不満足な結果しか得られずとも力を尽くせたことに満足したいたとえ小さな結果しか得られずともそれは素晴らしい一つの収穫でありステップへ、ジャンプへとつづく確実なホップであることを自覚したい「ファイト!」戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう冷たい水の中を震えながらのぼって行けファイト!(つづく)
October 4, 2006
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