全4件 (4件中 1-4件目)
1

今週、誕生日をむかえる。 生まれてから半世紀めの、日。 ずいぶんいっぱい生きたなあ。 自分から自分への誕生日祝いとして、英文の翻訳の勉強の機会(「あおむし」)を贈った。 50周年だから、奮発して……。 はじめてみると、勉強の時間———と言っても、宿題の翻訳をするというだけだが———は、そこにもここにもあるのだった。電車のなか。ひとを待つあいだ。何かが煮えるあいだ。早朝の15分間。 とんでもない時間に、ある1節とにらめっこしていることもある。 それでも。 わからないとなると、まったくわからない。どうやら、訳すことだけに気持ちが向き、そうなると、わたしは相手(英文)を組み伏せようとするようなのだ。 組み伏せた相手などはもはや英文ではなく、鬼である。 主語も動詞も、時制も、構文も成句も見えないほど暗い迷路のなかで、鬼に組みつくわたし。 旅先の夫に、メールをした。 翻訳塾の宿題(せんせいが添削してくださる)は、 さんざんでした。 ほんとうに、さんざん。 だけど、めげてないよ。 相手をまっすぐ見てないところがいけないんだなあ、と、わかったの。 さんざんなのに、愉しいの。 返信。 翻訳、さんざんな方が、 自分の長短、凹凸がよくわかっていいと思う。 ぜひ、その調子で自分の輪郭を翻訳してください。 「自分の輪郭を翻訳する」 そりゃいったい、何のことだ……? わかりそうでいまはわからない。届きそうでいまは届かない。 けれども、わかりたいコトバ。届きたい場所。 これを、つぎの誕生日にむかって出発するいまの、礎にしよう。 英文一語一語と向き合うことで、わかりたいコトバを持つことで、届きたい場所をめざすことで、わたしは少しずつ変わっていくだろう。わたしの仕事、家の仕事に対する取り組み方も。そして、人とのかかわり方も。 そういう、心持ちになっている。 半世紀めの、いま。 子どもの頃、中学生の頃読んだ本が、気がつけば、こんなありさま。なおしてもなおしても……。貼りつけたセロファンテープが茶色く日に焼けています。歳月を感じます。
2008/11/25
コメント(30)

くたびれていて、眠かった。 けれども、ちょっとも休む間がなかった。 考えなければならないこと、片をつけなければならないことが、目の前にどん、と積まれていた。 ———やる、か。やってしまって、きょうは、さっさと寝るとしよう。 自分を励まし励まし、最寄り駅まで歩く、わざと大股で。ふと見ると、数歩先のベンチに、老婦人が腰掛けていた。ひと休みといった佇まいだ。ふわりと肩にかけた濃い緑色のショールが、白い髪に映えている。ゆったりとして、いい感じ。まるで……。 まるで、絵本のなかの風景みたいだ。 ———わたしにも、あんなふうにベンチに腰掛けてほほえむ、そんな余裕がつくれるかな。つくりたいな。 老婦人の前にさしかかろうとしたとき、また別の笑顔と目が合った。可憐な表情が静かに、わたしを見上げている。大股で歩いていたので、すぐには立ち止まることかなわず、わたしは、笑顔の前を、いきおいよく通過してしまった。 そして、老婦人の前で止まった。止まるやいなや、きびすを返す。 老婦人はその穏やかな笑顔に、かすかに怪訝なものを加え、しかし面白そうにこちらを見ていた。ちょっと恥ずかしかった。けれど、それにも増して、今し方目が合った笑顔をたしかめたかった。 笑顔のあったそこまで戻って身をかがめ、それを拾う。 笑顔の主は、落ち葉だった。 虫食いだろうか、自然にできた穴ぼこが、笑った目をつくり、鼻をつくり、笑った口をつくっていたのだ。 うれしいなあ。 わたしは、くたびれているとか、眠いとか、文句を言っていたというのに、こんな褒美のような笑顔をもらって、なんという果報者だろうか。 「宿り」は、そこらじゅうに、ある。 ほら、ね。家に連れ帰って、写しました。
2008/11/18
コメント(17)

目の前に、本が積まれる。 子どものランドセルのなかから、たのしい装画の本が、3冊も出てきたのだ。学校の図書室で、借りたのだそうだ。———へえ、いいんだあ。 夫の机の上に、あたらしい本。———なんだろう、なんだろう。 本という存在が気になってしかたがない。 自分の机の上にだって、読まれることを待っている本が何冊か積んである。仕事上、しぶしぶ読まなくてはならないものもあるけれど(最初はしぶしぶでも、読んでみたら、ああいい出合いだったと思わせられる本も少なくはない)、読みたい本も、わくわくっと重なっている。 それなのに、ひとの本にまでちょっかいを出そうとするなんてね。 気がつくと、末娘に向かって、矢継ぎ早にたずねていた。「これ、どんなお話? また、魔法のお話なの? なぜ、これを選んだの?」 「図書室でね、前に読んだ本をホンヤクしたひとの名前をみつけたの。このひとのホンヤクした本は、みーんなおもしろかったから、また、借りたの。魔法つかいの物語だよ。読む?」 ほお。小学生にして、翻訳者で本を選ぶのかい、あなたは。と、おどろいたが、そういわれてみると、覚えがある。大好きな本の背表紙には、同じ翻訳者名が連なっていた。当時のわたしは、偶然だと思っていたけれど。「大塚勇三」、「林容吉」、「山室静」、「尾崎義」、そして「井伏鱒二」。(「村岡花子」とは、この時代のもう少し先で、出会った)。 このお名前を見て、『小さなスプーンおばさん』、『小さい魔女』の書名が、メアリー・ポピンズ、ムーミン、ドリトル先生といった主人公たちの姿が、トーベ・ヤンソン、リンドグレーンなどといった作家の作品群が浮かぶあなたとわたしは、共通の読書の道を歩いてきたお互いだ。 そこにわたしは、幼なじみというのと、ほとんど同じといってもいいほどの縁(えにし)を感じる。 縁と言えば———。 あらゆる本には、縁が宿っている。だから、本に出合うと———ひとの机の上の本、鞄のなかの本までも———神妙な気持ちになる。 ここに何が宿っているのだろう。 その宿りは、わたしに何をもたらすのだろう。 もちろん、「宿り」は、本だけではない。 思いがけない事事(ことごと)に、メッセージは、宿る。それに気づき、それを受けとめるとき、思想のとびらが静かに開く。 さて。 子どもが借りてきたものなのに、なかば横取りするようにして読んだ本にも、さまざまの宿りを見た。わけても、登場する内気な少女が、他人(ひと)がしたことのせいで罰を受ける場面からは、メッセージを受けとった。少女の、いつかはそれも解決するでしょう、という明るい見通しが、なんとも心地よかった。彼女の胸はあたたかく、頭は冷静なのだった。 〈来週につづく〉 20世紀のもっとも偉大な発明だと思います、貼りつけることのできる(はがすこともできる)「付箋」。常に持ち歩いています。ものを読んでいるとき、付箋を持っていないと、落ち着きません。「ああ、ここ」というところに、どんどん貼ります。本や雑誌には付箋が貼れますが……。このつづきは、次回。
2008/11/11
コメント(16)

10月になると、ああ、そろそろ、と思う。きょう、やってしまおうか。まだ、ちょっと早いだろうか。と、思案する。 そのうち、どんどん空は、高くなる。雲も夏のころよりずっと身軽になって、何か言いたげに流れていく。 とうとう10月も、最後の週になっていた。 きょうだ、と思った。 2階の居間網戸を全部はずして階下におろす。網戸を置き去りにして、自分だけまた階段をかけあがる。 わたしは、おもむろに———と言っても、ひとからは、そうは見えないかもしれない。ただ、自分にしてはめずらしく、おちつこうとする気持ちがはたらいている———窓ガラスを磨く。 空を拭っているような気持ち。 雲と遊ぶかたち。 これだけで、わたしは、とてつもないものを手に入れる。 ほんとうだ。 だって、毎年のことだ。 毎年、毎年、決まり事のように想うのだ。こんな些細なことが、これほどのことだったとは……と。 そうして、窓からちょっと離れて、坐る。 * 居間の窓はどこも、生成りのロールカーテンがついているばかりで、つまり、レースのカーテンがない。日中は、裸のガラス越しに、空を、外を、小さなベランダを、眺めている。 夏のあいだは、どうしても窓を開け放すことも多くなるし、その上、蚊やら虫やらが飛んでくるので、網戸をはめる。 網戸というもののありがたみを、じゅうぶんに知りながら、わたしは、ときどき、網戸を邪魔にする。もっとまっすぐに(ストレートというんだろうか)、空を、外を、ベランダの草木の顔色を見せておくれ、とばかりに。 それだから、10月になると。 居間の網戸をはずして、ガラス戸だけにするというわけだ。ガラスの窓を開け放したときの、あけっぴろげな感じがたまらない。 空が、たずねてきている。 やあ。 じつは、この時期の蚊は、夏のそれとは比べものにならぬほど、しぶとい。刺されたときのかゆさにも、圧倒される。家の者たちには、秋の蚊のしぶとさなどは告げず、「もう、朝晩の気温も下がってきたことだから、そろそろ網戸をはずすよ」とだけ宣言する。 そういうわけで、この家では、秋も相当に深まり、ほとんど、ひとが冬だと思うころまで、蚊遣りをたく。開け放した窓から招き入れておきながら、煙に巻くという仕打ちは、この季節の蚊の運命としては、無慈悲に過ぎるかもしれないにしても。 空を眺める。 雲と遊ぶ。 陽光とたわむれる。 この絵は、まんなかの子どもが、小学校の低学年のころに、描いたものです。「あ、白いさつまいも!」と言ったら、怒りましたねえ。わかっていますとも、青空に浮かんだ雲です。当時の仕事部屋の、窓のない北側の壁に貼り、毎日毎日眺めました。 皆さんの11月のこころにも、空を。
2008/11/04
コメント(16)
全4件 (4件中 1-4件目)
1

![]()
