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学校を通して、募集をかけたせいか、現在90名ほどの参加申し込み。それってすこいじゃんっPTAの委員会事業並みじゃないの。想定していた部屋では、ちょっと小さいかな?ということで、明日急遽、主要なメンバーで再協議することになりました。ありがたいけど、ちょっと困っちゃったかな?<おまけ>司会はどうやら免除してもらえそうです。
2005年11月29日
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うちの三女はしっかり&ちゃっかりな娘です。ちょっと前に学校で「落花生まつり」がありました。これは2年生が落花生をつくり、その収穫祭として落花生でクッキーなどをつくり、1年生を招きイベントをするというものです。2年生は、昨年のお返しをしようと?すごく気合いが入ります。クラスの中でもいろんな役割を与えられます。うちの娘は「アクセ係」になったので、ビーズでブレスレットをつくったりしました。「みんながビーズをあまりもってこないから私がたくさんもっていった」とか文句をいいながら、実はうれしそうでした。また、男の子たちは段ボールでトンネルや遊具を作ったりして、がんばっていました。また、かわいい招待状を1年生の子につくって渡したようです。偶然、お話の会の会員の娘さんが、うちの娘から手紙をもらったようです。前に書いた月例会の時に、「すごく**ちゃんって字も絵もしっかりしているよね、4年のおねちぇちゃんかと思っちゃった」とお褒めをいただきました。本番も大変うまくいったみたいです。お話の会の会員さんから、「ビーズのブレスレットって、おりべさんちのおじょうさんが作ったんだったね」とも言われ、ちょっと私も有頂天?でした。そして昨日のこと。最近は次女と「お店屋さんごっこ」がマイブームのようで、いつも遊んでいます。その中で彼女は電卓をもって、「えーっとシュークリーム1個150円で4個だから600円」と計算しながら、商品一覧表をつくっていました。なかには現実離れした値段をつけたものもありました。でも、こうしたかたちでお金を計算するってことは、実社会になってもあり得ることで大変いいことではないかな~と思いました。お店屋さんごっこ、侮れません~。 そうだな、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月28日
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槇原敬之/Listen To The Music 2このアルバムに野に咲く花のようにという曲が入っています。そういえば、この曲「山下清」のTV番組(フジテレビ系「裸の大将」)の主題歌でした。曲は覚えていたのですが、歌詞までは覚えていませんでした。今回、このCDを聞いていたところ、三女が「クラスで歌ったよ」とこの歌をすらすら歌ったので、驚きとともに、どうしてこの曲を小2に歌わせるのかと、不思議に思い歌詞カードをみました。すると、なるほど~野に咲く花のように 人をさわやかにして野に咲く花のように 人を和(なご)やかにしてなんですよね。また、ひとつ子どもを通して、教えられました。また三女の担任の先生、ありがとうございました。この曲の詩のような、「野に咲く花」でありたいな。同感っ、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月27日
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黒一点というのは、どうも居心地が・・(苦笑)今日は、お話の会の月例&忘年会が、校区内の料理屋でありました。お食事&お飲物(私はビール)をとりながら、これまでのこと、これからのこと、そしていろんな話に花が咲きました。最初に、10~11月にかけて、隣の市であった「読み聞かせ講習会」に行った、数人の方の報告がありました。いか(け)なかった人のために、プリントに要点を書いて頂き、ありがたいな、と思いました。そして、来週土曜日に行われる「らくごの会」の準備についての依頼。私は黒一点なので、午前に用具の準備、午後は司会(これは態度保留にしておきました)を依頼されました。うーむ。あまり私は目立ちたくないのですが~ >まとめ役の昨年度役員さんでも、とにかく楽しい2時間強でした。私って、ひょっとして女性の間に入っていても、違和感がないのかしらん?そりゃ、しゃべりますけど~(苦笑)楽しそうだな、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月25日
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昨日午前、無事にミャンマーから帰ってきました。追って、その日程にあわせて日記を書きます。まずは、帰国の報告まで。
2005年11月24日
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あなたは何曜日生まれかな?ここで調べられます。さて、あと半日は観光です。まずはアウンサンマーケットへ。かなり大きいマーケットで迷路のようになっており、なかなか個人行動がしずらいところでした。おみやげをみなさん買っておられました。私たちはフリマ用(収益はもちろんミャンマーの事業に使います)グッズの購入に走りました。かわいいバックやヒスイのついた携帯ストラップ、トートバックなど数点を10~200個買い込みました。商売人が多いメンバーですので、当然値切り倒します。後でその値切った額がたったん十円だったとしったとしても(苦笑)。私も娘たちのおみやげとして、バックやヒスイのブレスレットなどを購入。全てあわせても2000円くらいでした。一昨年行った、タイよりむちゃくちゃ安いです、なんでも。ものによっては1/5位かな?2時間弱の買い物(それでも時間が足りなかった~)の後、いよいよシュエンダゴン・パコダへ!パコダの入り口で靴と靴下を脱ぎ素足になり、外国人用?エレベーターで上がります。最初はでっかい菩提樹の説明をうけますが、すでにこころはあの金色にかかやくパコダへ。おお、おおっきい~地上100メートル、金箔にまとわれたパコダの姿にただただ圧倒されます。あらかじめ調べておいた(「地球の歩き方」にも載っています)自分の生まれた曜日別の仏像に年齢+1の水をかけると、願いことがかなうそうなので、私もやってみました。ちなみに私は「土曜日=ドラゴン」でした。ポー族が頭に巻いているタオルはなんでも、ドラゴンを意味しているんだとか。「あなたはポー族にご縁があるんだ、前世か後世に必ずいいことがあると思います」と、現地の添乗員さんに言われて、上機嫌でした。あ、現世にもいいことがあって欲しいんですけど~。また、ミャンマー人の信仰の深さにも驚かされました。タイ以上です、ホント。ポー族の村でも一番立派な建物は僧院でしたから。さらに現地の添乗員さんがしらない!ということが。ある狭いところをくぐって進んで、その先にある仏像を拝むといいことがおこるというのです。ほぼ全員がその狭いところをくぐると・・びっくり。お坊さんが狭いところで、たってお経をあげていらっしゃいました。こりゃ信憑性は高いかも・・と私もまた真剣に拝みました。そんなパコダを後にして、ヤンゴン空港に向かいました。空港では、ヤンゴンのスタッフや、現地の添乗員さんの見送りを受けて、私たちはミャンマーを後にしました。あとはバンコクを経由して、あっという間に翌23日、セントレアに帰ってきてました。最後に電車に乗るときに握手を交わした、参加者のお父さんのKさん、私もあのときはうるうるしちゃいましたよ、ホント。今回のツアーは、参加者のひとりひとりのこころがまえと行動で、すばらしく、しかも楽しい、ミャンマーとなりました。今回のツアーのいいだしっぺである、むちゃくちゃ明るいM会長を始めとして、本当に楽しい人たちばかりで、私にとってもとてもいい経験をさせていただきました。ミャンマーの人たち、そして、参加者の人たち、ただ、ただ感謝です。そして、今回のツアーの間、私の代わりに家庭を守ってくれた妻、そして3人の娘たち、父と母にもただただ感謝です。ありがとう。長いこと読んでいただきまして、ありがとうございました。これでミャンマー紀行(珍道中?)を終わらせて頂きます。<おまけ>現地の添乗員さんはオウン・マーさんという妙齢の美しい!女性でした。日本にも1度いらしたことがあるらしく(ものすごくVISAをとるのに時間がかかったらしい)、すごく日本語が上手でした。なによりよかったのは、彼女がとても聡明で動きが早い。だけど、大変おしゃべりで、かつ明るいということ。2次会(いや、その次の日も話していたぞ)では彼女の恋の話なんかもあけっぴろげに話をしたくれたり。彼女のおかげもあって、楽しい珍道中のようなスタディツアーになったと思います。ありがとう。*ちなみに彼女は日本人と結婚したいらしいです。 長かったな~と思われてもポチッと押してくださいね。
2005年11月22日
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4時55分、起床。実は昨晩?同室の方とおしゃべり(時に議論にもなり)しすぎて、2時間半しか寝てない(涙)。それでも、日の出の風景ははずせない。というわけで、バルコニーから日の出を・・と思ったが、パッキングしているうちに昇りはじめちゃいました、太陽さん。雲もちょっと多く残念。だけどそのかわり、朝ぼらけの絵はがきみたいな写真をとることができました。(最下部に画像有)6時前には、バゲッジを部屋の前に出して、食堂いやレストランへ。バゲッジを担ぐ、ポーター君たちがさすがに眠そうに働いてました。「ミンガラバー」と笑って挨拶をし私、さぞかし嫌みだったかな?さて、朝食はアメリカンスタイル。でも、トーストをなぜか炭で焼いているのには笑えました。(ちなみにおいしかったです、そのトースト。)その後、すぐにヘーホー空港に向けてバスで出発。と思ったのですが、ここで親子参加の内の1人の男の子が腹痛を訴えてました。昨日から下痢気味らしいんです。正露丸をもらって、飲んで、横になって行くことにしました。大丈夫かな~。予定通り空港へ。ついた頃には腹痛の男の子も顔に赤味がさしてきました。ホッ。ところが天候が・・どよーんとした雲とすごい霧全員の頭の中に、行きの悪夢(遅れ)がよみがえりました。現地添乗員さんも「どうなるかきいてきまーす」と空港へ。私たちはバスで待機。待機中はまたもモンキーバナナとポテトチップス。さらに日本から来た添乗員さんは、屋台でハチミツ(なぜかウイスキーの瓶に入っている)をご購入。ちょっと離れたところでは結婚式をしていたらしく、そこに飛び入り、祝儀を出して、いろんなものをごちそうになったりするメンバーもいました。しばらくすると、霧は去っていきました。予定通りか少しだけの遅れで飛びそうです。で、空港へ行こうと思ったのですが、まだ時間があるので、カフェみたいなところで、しばしお茶タイム。私は、ミャンマービール、朝から飲んじゃいました~。そうそう、ミャンマーでジュースというとフレッシュはすいか・パパイヤ・ライム・バナナであり、なぜかオレンジはありません。オレンジジュースはサンキストの炭酸入りとなってしまいます。子どもたちの多くはフレッシュを飲んでいましたが、3年の男の子だけはオレンジをいつも飲んでました。やっぱり、甘いのがいいのかな?ヤンゴン行きの飛行機は自由席だったので、勢い込む欧米人たちに遅れをとり、私たちはバラバラ(でも、2人づつ)に座って、機上の人となったのでした。短いフライトの後、ヤンゴンにつき、行きと同じホテルをデイユースするので、ちょっと休憩しました。昼ご飯(とても贅沢なおいしい中華料理でした)をいただきました。あと、ミャンマーも半日でお別れです。 うーん、と思ったらポチッと押してくださいね。<画像は朝ぼらけのインレー湖です、美しかった~>
2005年11月22日
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村から3時間、ニャウンシュエのまちに到着。マーケットをぶらぶらとした後、5人乗りの細長いボートでホテルまで40分ほどのインレー湖のクルーズ。(ここに参考になる旅行記あり)風を受けながら、進んでいくボート。残念ながら時間の関係で、水上パコダなどをみる周遊というわけにいきませんでした。しかし、ちょうど日が沈む前でちょっと雲がかかってはいたものの、美しい景色を眺めることができました。いやぁ~実に気持ちいい。この旅での、それも、さっきまでの24時間あまりでの村での、いろいろなことが、走馬燈のように頭の中をかけめぐっています。村の家族たち、そして学校の子どもたちの顔が次々と浮かんできます。そんな想いにふけっていると、あっという間にホテル到着。今日はルホテル(水上コテージ)に宿泊。まるで、夢のような世界。コテージにはバルコニーもついており、ここから眺めるインレー湖はこれまた美しい。美しい景色をみながら、また「私たちはなんとめぐまれているんだろう」とひとり物思いにふける私。あっという間に夕食と発表会。そう、あくまでスタデイツアーですから、夕食後にはミーティングと感想を発表するのでした。今日の夕食は中華。添乗員の方が「日本人にあいそうなメニューにしておきました」とのこと。正直うれしくもあり、悲しくもあり。一度はミャンマーらしい油まみれ?の料理も食べてみたいな。でも、子どもたちと一緒のツアー。今回は無理はいけないのは、至極当然のことですよね。おいしい中華をいただきました。(豆腐がちょっと「腐りかけ」だったけど・・ま、いいっか)その後、親子で参加された5組の発表。私は子どもたちの発言よりも、なぜか保護者のみなさんの発言が心に残りました。それはほとんどのみなさんが「子どもに教えられた」ということ、そして「子どもは意外としっかりしているものなんだ」ということの2点を言っていらっしゃいました。私も今回参加した5人の子どもたちには、いろいろ学ぶところがありました。明日の朝はフライトの関係で早く起きなきゃならないので、早めの解散となりました。とはいえ、親子参加でない4人と、なぜか現地添乗員の女性の5人で、2次会とあいなりました。ホテルの従業員たちがじーっと待機している、そんな環境で、ミャンマーウイスキーとミャンマービール多数があいてしまいました。さて、明日はヤンゴンに戻り観光です。まだ続くのかと思われても、ポチッと押してくださるとうれしいな。<画像はホテル、このコテージに宿泊しました>
2005年11月21日
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いよいよ、学校での交流会です。ところが、州政府?からのお達しで、学校を使うのはダメだといわれました。結局僧院前の広場と、僧院にある、付属の集会所みたいなところを使わせて頂くことになりました。こういうところは、やはり軍事政権なんでしょうね。食文化交流として、私たちは今回「おもち料理」を準備しました。そうです。あのヘビーな(笑)スーツケースには大量のおもちやあんや砂糖などがが入っていたのでした。おたまなどの道具の一部も、日本から持って行きました。火をおこすことや、その他の機材については、現地にお任せしました。メニューは3つ・焼き餅(のり付・但し甘くするため砂糖醤油で味付け)・かき餅(これはお菓子メーカーに協力いただき、揚げるだけのものを持ち込み塩で味付け)・ぜんざい(あんを20キロ程度?持込、できるだけ甘い味付けに)焼き餅をしようとしたところアミがありません(涙)最初は大きな中華鍋のようなもので焼いていたのですが、どうもいまいち。現地の人に頼み、若干荒いアミをうまく切って、釜の大きさにあわせて作ってもらいました。さすが、なんでもつくっちゃいます。あっという間にアミは完成。おいしい焼き餅がたくさんできました。今回私はサポーターなので、あまり前にですぎないように気を配りました。で、焼き餅を砂糖醤油につけ、のりを巻き、配布する補助をしました。当初はおそるおそる、手にとり・・・ああ、のりをめくって、食べちゃだめ~(苦笑)みんなめくって食べてます(涙)。すぐに現地通訳さんに現地のことばではがさず食べても大丈夫だと説明して頂きました。一度食べられるものだとわかると、すると、まー、次から次から出てくる手・手・手。小さな子どもも大人も区別がありません。みんなおいしそうに食べてくれてます、よかったなぁ~なのに、若い女性たちだけは、遠目で見ているようでした。そんな時、私の印象に残ったできごとがありました。焼き餅もかなりの個数をさばき、もうそろそろ終わりかな~と思う頃です。先ほどの若い女性たちのうちの数人が遠慮がちに私たちの方に近づいてきました。私が彼女たちの顔を見ると、彼女たちは笑顔でこたえました。私の勝手な想像ですが、やっと自分たちがもらってもいい案配になったと判断したんでしょう。その時にはまだ10数個の餅が手元にありました。しかしながら、まだ周りにはおじいさんたちも少し残っています。彼女たちはお互いを前に押して、「あなたからもらって」って感じになっていました。私ともう一人の女性で、おじいさんたち-彼女たち-おじいさんたち-彼女たちと繰り返し配っていました。すると、あと一人、たった一人の女性の前で餅は終わってしまったのです。あー、なんてことをしてしまったんだ、と私は思いました。で、空になってしまったトレイを彼女に見せました。彼女の落胆する顔を私は見る覚悟でした。しかし、それは私の杞憂でした。彼女は微笑んで、私の前で合掌をし、感謝の意を表して、その場から仲間の元へ戻っていったのです。なんて、さわやかなんだろう。普通はおこるか、そうでなくても、悲しい顔はするものなのに・・。私は彼女の背中に向けて、心の中で「ありがとう」とつぶやいたのはいうまでもありません。さて、現場(焼き場)では、かき餅がふるまわれていました。私も試食したのですが、塩がきいていて、かつできたてなので、実においしい。東南アジアでは一般的には「甘いものがいい」と思われるんです。(タイ・ラオスなどで経験したメンバー談)でも、実はシャン州の人たちは塩っぽいものを普段からよく取っているのです。で、このかき餅にははまったようです。おじいさんたちも、がばーっがばーっと10数個単位で持って行きます。あらら、と思ううちになくなってしまいます。これではいけない、メインの小学生が来る前に終わってしまう。で、ぜんざいは小学生にまず最初に配ってからね地元の大人・未就学の子どもに配ることにしました。小学校にスタッフに言ってもらい、予定の時間を繰り上げて、小学生たちにも僧院の広場に来てもらうことにしたようです。今回、ぜんざいは餅料理の中でも一番「得たいのしれない食べ物」だと思います。そこで、私たちはあんをしぼりきった残りの袋を持ち歩きました。そして、「これは甘い豆。舐めてみて」と促し、舐めてもらいました。すると「豆」「豆」とポー語でいいながら、周りに伝えてました。で、「この豆があの鍋に入って、それを餅と一緒に食べるんだよ」とゼスチャーすると「ほー」という感じで鍋を見ています。そうこうするうちに、小学生たち登場。先導する校長先生は上下ジャージ姿でまるで、日本の校長先生のよう。2人の女性の先生たちはいかにも「かしこそう」で、シンプルな格好をしていらっしゃいました。あー、ミャンマーも日本もこのあたりは一緒だな、と思いました。ちょうどぜんざいもうまくできあがりました。小学生たちに分けて、食べてもらいました。「おいしい?」と聞くと、「おいしい」と返事が返ってきました。私がお世話になった家の子どもたちにも、ちょうど会えたので、また話をすることができました。小学生たちが食べ終わると、また村の人たちに振る舞われました。中にはフルコースで食べている人もいました(苦笑)。私たちも少しいただきました。思ったより甘くしなくても、現地の人も食べてくれたようです。比較的日本の甘さに近かったかな?さて、お腹が一杯になったところで、本当は昨日行うはずの文化交流会を僧院の集会所ですることになりました。最初はクエルー小学校の子どもたちの踊り。民族の踊りなどを見せて頂きました。かわいい踊りや、民族を感じる踊りなどいろいろと見せて頂きました。中には恥ずかしげに踊る子、すごく上手に手や足を使って表現する子、いろいろいました。さて、我が日本ですが・・・参加者のひとりであるKさんのギターの弾き語りこれは女性の先生たちがうっとり聞いていらしゃっしゃいました(ホント)。やっばりギターの弾き語りはこういう時はポイント高いんですよね。・参加者全員によるロックソーラン本当は事前研修で練習するはずでしたが、ミーティングが長引き、時間不足のため、ぶっつけ本番に。前述のO君のお子さん(5年)と参加者の女性(私と同年代)が踊ることができるので、2方向にその2人を前にして、あとのメンバーは後ろについて踊りました。1回目は、みんなほとんどついていけず、しかもももが痛い~。2回目は、現地の若い男の子数人も混ざって、一緒に踊って、大爆笑でした。そんな楽しい交流会も終わり、なんと24時間も経ってないのに、もう村を離れることになりました。バスが出るときは、村の人たちみんなが手を振ってくれて、うれしかったなぁ~。村から、ホテルへ行くボート乗り場までの数時間はガタガタ道なのに、みなさん爆睡されてました。私は・・ただただ感傷にひたっていました。 続きがまだあるの~と思っても、ポチッと押してくださいね。
2005年11月21日
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クエルー村の朝は、夜明け前に訪れます。まだ、真夜中、2時半。時差の関係か、目が醒めてしまい、ちょっと寒いので、トイレに行くことにしました。トイレは・・当然外?にあります。懐中電灯を片手に、寝ぼけたまま、階段を下りようとすると、あっと思った時には踏み外していました。なんとか、手すりにつかまって、転倒&落下は避けることができました。外にでると・・月がとてもきれいだし、満点の星たちが私を迎えてくれました。おもわず目がはっきりとさめました。こんなに美しい空をいつ以来みたことでしょうか。しばらく、その場でたたずんでしまったのは、言うまでもありません。(その後、ちゃんと手動水洗!のトイレにはいきましたが)いえに入って、うとうとしたと思った4時半です。まだ日が昇る前なのに、いろりの方向でコトコトと音がします。「あ、おかあさんはもうおきているんだ」と把握しながら、まだ他の家族は起きないので、そのままもう30分ほどうとうとしました。5時頃にはお父さんもおばあさんも起きたので、私も同じように起きました。窓を開けて、外をみると、モヤがかかっており、なんともいえない幻想的な風景です。水墨画のような感じ、と表現したら、わかっていただけるでしょうか。その景色も日が昇るにつれて、あっという間に、朝がやってきました。私は近所を散歩。参加者O君親子がお世話になっている、我が家の斜め前のお宅の前で、世帯主ではない20代の若者たちとしばしお話をしました。O君を介して、なかなかおもしろい話ができました。そんな中、家畜の牛たちを、娘さんやおかあさんが家から出し、山の方へ連れて行きます。(後で聞いたら山の方に、牛を管理する人がいるようです)そんな風景をみながら、家に戻りました。顔を洗おうと思ったところ・・んん?そういえば、いえの中に水回りがないではないか?私がうろうろしていると、おとうさんが大きなホウロウのマグを持ってきました。中には水がたっぷりとそそがれています。私は歯磨き用の水だと思い、ゼスチャーで伝えました。あれ?どうも違うようです。彼のゼスチャーは顔を洗う、といっているようです。ええ?いったいどこに水を?棚の横に、大きな窓がありました。つまり、大きな窓から顔を出して、マグを左もしくは右手に持ち、残った手で顔を洗うということのようです。びっくりしました、がすぐにそれをしてみました。水は約3メートルしたの土に落ちていきます。なんだか、笑っちゃいました~その後の朝ご飯。昨日と同じようにごはん(いつも炊きたてでおいしい)塩味のスープ・米粉?でできたせんべい・インスタントラーメンをそのまま割ったもの・そして昨日と同じ豆、でした。ありがたく、残さずいただいたら、お腹一杯になってしまいました。再度外に出ると、子どもたちが学校へ向かっていきます。大体日本のこどもたちと同じ7時~8時頃に学校に行くようです。その時に通学路で参加者(独身)のM君は、ゴムでとばす模型飛行機で子どもたちと遊んでいました。すると、なんと、その飛行機が、村で唯一と言ってもいいような、電線にひっかかってしまったのです。すわ、日本人のせいで、停電か?と勝手な想像をしましたが、すぐに近所の若い男性が長い竹でつついて落としてくれました。ほっとしました。ほっとしていたところ、おとうさんが「そろそろ学校へ行くか?」と(多分)言ったので、家に戻ってパッキングをしました。パッキングが終わったところに、おかあさんが来て、なにやらおみやげをくださいました。それはピーナッツとにんにくでした。そういえば、昨晩私は、中国(ジャスミン)茶を飲みながら、ピーナッツばかりつまんでましたっけ。それを見ていたんだろうなぁ、おかあさん。そして、にんにくは、この一家の生計の柱でもあるもの。その後のことは考えず、とにかく感謝感謝で家を後にしました。学校へ行く道すがら「10時から始まる交流会とお食事会には、家族全員来るよね。」とおとうさんに尋ねると、「OK,OK」「そう、そう、そう」とこたえてくれました。あちゃ~、私の口癖である「そう、そう」は「YES」の意味だとしっかり把握して使われてるんだ~。おとうさんと私は大笑いしながら、学校へと歩を進めました。 おもわず笑っちゃったら、ポチッと押してくださいね。
2005年11月21日
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ヘーホー空港には予定より1時間半遅れて到着しました。空港はまるで日本の地方のJRの駅のようなところ。当然降りるのはタラップ、建物までは徒歩です。バゲッジも大きなリヤカーに積まれて、のんびりと運ばれています。空港を出ると、すごいのんびりムード。このページに掲載されているO氏が迎えに来てくれていました。乗っていくバスはマイクロバス。このバス、なぜかスタッドレスを履いています。しばし休憩後、タウンジーを経由して目的地のシャン州クエルー村(少数民族のポー族が住んでいます)へと出発です。タウンジーへ向かう車中でO氏からレクチャーを受けました。ミャンマーの国のこと、そして私たちが関係している村のこと、などなど。その中でものすごく印象に残ったのはミャンマーでは小学校は地域が作り、それを政府が公認し、教員を派遣するということです。つまり地域の人たちの力によって、学校が作られているということ。そして地域の人たちは、家庭に子どもがいる、いないは関係なく、みんなでお金と労力をだしあって、学校建築をしている、ということなのです。しかも、このポー族の村では、それに対して文句をいうひとは誰一人として、いないそうです。私たちの国、日本のように「上から降ってくるものを受けとめる」ということではないらしいのです。いや、知ってはいましたが、また話を聞いて驚きました。私たちのちいさな団体は、この村民立の校舎建設の一部の費用をもっているにすぎないのですが、それにしても、あまりに違いすぎるこの現状。「最貧国」に数えられるこの国なのに、「貧しい」と思われるのは表面上の数字なんだな~、と重ねて実感した次第です。途中ではこれらのプロジェクトの現場をいくつか車窓から眺めながら現地に向かいました。また、そのうちの一つの高校の寮については、見学もさせていただきました。このあたりは高地なので、結構涼しく感じました。さて、目的地に向かう道ですが・・。これがすごい道路で、舗装はしてあるものの、表面はガタガタ。私は最後部から2席目に座ったのですが、途中からはまるでロデオの如く、おしりが何度も弾んで、シートに打ち付けられるありさまでした。でも、こんなことも楽しんでしまえばいいんです。また、空港で買ってもらったモンキーバナナやポテトチップス。これらもすごくおいしくて、予定が未定のこの国では、すごく助かりました。余談はさておき・・。16:30ちょっと前、やっと現地に到着しました。もう周りは薄暗くなり始めています。支援をしている小学校の建築の進捗状況をすぐに視察し、今日お世話になるホームステイの家族との対面式となりました。子どもたちはなんだか不安そう・・。私は「ティン・オン」さんというお宅にお世話になることとなりました。おばあちゃん・ご主人・奥さん・女の子(9)・男の子(7)の5人家族です。ティン・オンさんは、私の決して軽くはないスーツケースを肩に担いで(底面のローラーは未舗装路のためつかいものにならず)、さっそく自宅にまねかれました。高床式の住宅になっており、1Fは牛、2Fは人という棲み分けになっていました。私のお世話になった家には電気もランプもありませんでした。明かりはろうそくといろりの炎だけです。もう時間がおしているので、早速夕食です。シャン州の人たちは米とスープと豆を主に食べるようです。ボウルにいっぱいのご飯と野菜と豆が入った塩味のスープ、そして大豆とピーナッツというのがこの日の夕食でした。私も現地の方々にならい、右手を使ってご飯を口に運ぼうとしますが、なかなかうまく入りません。ポロポロこぼしながら、それでもなんとか食べることができました。(この時、世界うるるん滞在記のテーマ曲が頭をよぎりました~)ほんの少し、お酒(甘かったのでラムっぽいもの?)もいただき、夕食は楽しいうちに終わりました。食事が終わると、いろりの周りに家族5人が集まり、そこに私も加わり、話の輪ができました。日本からもっていった「指さしミャンマー語」という本を使おうと思ったのですが・・。実はこの村、少数民族なのでポー語というのが別にあったのでした!幸いにもティンオンさんはミャンマー語と英語(YES/NO/OK/NO GOODの4つだけ)がわかるので、日本語→ミャンマー語→ポー語という形でみなさんとお話をしました。うちの家族の写真を持って行ったので、それを話のタネにしながら、いろいろな話をしました。最初は子どもたちと、そして子どもたちは8時には寝にいったので、その後はおばあちゃん中心に、そしておばあちゃんも9時前には床に向かわれたので、最後はご夫婦と私の話になりました。子どもたちはあまり話をしてくれませんでしたが、おばあちゃんが慣れてくるといろいろと質問をしてくれました。おばあちゃんが寝てしまうと、今度は奥さんから、いろんな質問がありました。なかでも、「娘さんばかり3人ってどう?」と聞かれましたので、私はゼスチャーで涙をぬぐう所作をしました。すると、これがバカ受け。(笑)奥さんはお腹をかかえて、笑い転げてました。そんな話をしながら、しばらくすると、奥さんが仏間にある主に子どもたちの写真が入れてある額を持ってきて、裏面の金具をはずそうとするのです。「何するんですか、写真なら表から見えますから」とご主人につたえると、「いや、いいんだ、このままで」とおっしゃいました。裏面の金具を有る程度はずし、隙間を作りました。「どうするのかな」とまたまた私が聞きますと、「いいんだ」とだけ、ご主人の返事。すると、おもむろにたった奥さんが棚からなにやら取り出しました。それは私の家族の写真3枚だったのです。それを金具の隙間から額に入れ、「うまくはいったでしょ?」という感じの笑顔で私にみせてくれたんです。そして、額全体をまーるくさした後、「家族」と奥さんが言ったのです。いや、本当にうれしかった、こんなつたない文章では伝わらないかもしれませんが、私は涙を抑えることができませんでした。なにかを教えられた、そんな気持ちにもなりました。で、9時30分。いつも何時に寝るか聞いたところだいたいこのあたりらしいので、3人も寝る準備をしました。私の部屋は仏間で、仏壇のあるすぐそばに、薄い敷き布団と毛布3枚を用意してくれていました。私はトレーナーにトレーニングパンツというスタイルで、寒いかなと思ったのですが、不思議にそれほど寒くはなく、30分もしないうちに寝たような気がします。で、寝る前に思ったんです。「家族5人が顔をそろえて食事をとりながらいろいろ話し、次はおばあちゃんが息子にいろいろ話し、最後は奥さんが旦那さんにいろいろ話す」そんなことって実はすごーく大切ではないかと。また「家族ってすごいんだなぁ~」と改めて実感もしました。家族、そして地域のきずな。支援している私たちは、逆に多くのことをこの日学んだような気がします。 家族がいとおしい、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月20日
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2時間半の時差(なぜ30分?)のせいか、3時に一度目が醒める。そして、もう一度寝ても6時には目が醒めてしまう。朝ごはんはホテルのバッフェスタイル。私はおかゆと麺を中心にたくさんいただく。予定の時間にヤンゴン空港へ向かう。ところが・・飛行機が遅れるとの知らせ。ま、よくあることだが、1時間以上遅れるらしい。急遽、TAXIを2台チャーターし、近くのパコダとマーケットを視察することになった。パコダはなんと2000年に現政権の肝いりでできたものらしく、まだ新しかった。メインの仏像が大理石をくりぬいてできたものすごく大きな仏様でびっくりはしましたが、感動というまでにはいたらず。つづいて行ったのが、庶民がいくような市場街。はっきり言って未舗装だし、いろんなにおいがまじっているような空間。入り口付近は水やお菓子、おもちゃなどを売っているので、それほど苦にならかったが、奥に行くと、野菜・果物・肉・魚(当然川魚)が渾然一体となって、売られている。野良犬・猫も多く、庶民の台所って感じを受けた。そこで、子どもたちにとっては、いや私たちも「見たくない」風景を目にせざるを得なくなるとは・・。このマーケットは外国人が来るようなところではない(現地の添乗員のお話)らしい。私たちが外国人とわかるやいなや、まずは子どもの「物乞い」が数人、私たちの団体のおしりにくっついてきた。そして時々「お金をくれ~」と私たちの間に入り込み、手を差し出すのである足は裸足、着ている物も薄汚い。彼ら・彼女らはマーケットの店の人たちからも、「どこかへいきな!」みたいなことを言われている。そして物乞いは子どもにとどまらず、大人も数名私たちについてきた。同行した子どもたちにとっては、いやだろうなぁ、と思いつつ、そのままマーケットをぐるっと一周した。最後にTAXIに乗るとき、私たちのグループのあるお父さんがお菓子(だったと思う)を物乞いの子どもの一人に渡した。もらった時の子どもの目は・・残念ながら輝きを感じなかった。感謝の姿勢もなく、すーっと私たちの前から消えていったあの少年。今日、そして今(このとき)はどうしているのだろう。その後空港へ戻り、1時間30分遅れで、12:15分頃、プロペラの飛行機はヘーホーに向けてヤンゴンを飛び立った。機内はほとんどが欧米人。このシーズンは観光には最適らしく、機内は満席。ちなみに私のお隣はスロバキアのお母さん(推定50代)だった。私たちの一番の目的地は、ヘーホー空港からさらに車で3時間半かかるという、クエルーという村である。まてよ、このままだと、日が落ちるまでに現地に付けないかもしれないんじゃ?不安一杯になりながらの、機上のわが団体であった。さらに、昼ご飯を本来は、ヘーホー空港近辺で取るはずだった。が、それはまちがいなくキャンセル。機内でいただく軽食が昼ご飯となる。きた軽食は食パン2枚分のサンドウィッチ~絶対たりないよ、こりゃ。で、自分たちの分を食べ終わり、子どもが残したものも、大人で少しわけあったのだ。まるで極貧ツアーの様相になってきた。(苦笑)すると、わが団体の長が「ハングリーだなぁ、ひょっとして残りがないか、聞いてもらえないかな」とミヤンマーのガイドさんに打診。「あまっていたら、いただけませんか~」とそのガイドさんが聞いてくれたところ・・でました~、4セット分のサンドウィッチをゲット!ベジタリアン用にあったとみられる、レタスとトマトのサンドウィッチとチーズのサンドウィッチが2セットづつ。ありがたく、大人でわけていただきましたとさ。そんな大騒ぎをしているうちに、飛行機はヘーホー空港に着陸しました。これから「いばらの道」がさらにつづくとも知らずに。<まだまだつづく> 続きをよみたいっ、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月20日
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私は早朝に、妻に送ってもらい、近くのICから、高速バスでセントレアへ。はじめての高速バスだったが、なかなか快適だった。集合場所に着くと、誰もメンバーがいない。そりゃそうだ、集合時間の30分も前。15分位前から、メンバーが三々五々集まってくる。集合時間にやや遅れた女性のメンバー。今回はいろいろとしかけ(あとでお話します)があるので、メンバーの持ってきた荷物の中にものすごい重いスーツケースが2つある。彼女はその1つをなんと自宅から電車で運ぼうとしたのだが、あまりにも重く、乗車予定の電車に乗れずに遅れたとのこと。試しにそのスーツケースを持ってみると、むちゃくちゃ重い(汗)35キロはゆうにありそうだ。もう1つの重そうなスーツケースはさらにその上を言っているみたい。大丈夫なのか~。荷物のチェックインカウンターで・・「この2つのケースには、なにが入っていますか?」と係員。「主に**と**です。」と今回の代表のメンバーがこたえました。係員の顔色があきらかにかわったのが、私には見て取れた。すると「とりあえず、ウエイトオーバーなので、大型手荷物のカウンターへ持って行ってください」とのこと。出発カウンターの一番隅にある、その大型手荷物のカウンターへ2個を持ち込む。そこの係員も同じ質問を繰り返す。同じようにまたメンバーが言った。「とりあえずケースをのせてください」いわれるがまま、X線装置にのせる。通り過ぎるとき、係員は苦笑いをしていた(ようにみえた)。「はい、結構です」15人*20=300キロ、どうやらなんとかグロスで制限はクリアしたらしい。(笑)フライトはタイ航空で、セントレア→バンコク→ヤンゴンとほぼ予定通りであった。セントレア→バンコクはB777だったが、機材が新しく、2-3-2配列で、シートがなかなかよかった。(ちなみに機中の映画は「チャーリーとチョコレート工場」)バンコク→ヤンゴンはA300で、元は日本-タイ線に飛んでいた機材で、ディスプレイはタイ語と日本語が映し出されていた。ヤンゴン国際空港につくと、まるで日本の地方空港、いやそれ以下だった。構内バスは日本の20年くらい前の路線バスが走っていた、ホント。なにせ「つぎ、とまります」の押すランプがあったくらいだから。(えー、うちのツアーの参加者がそのボタンを押したのはいうまでもありません・・)入国審査も比較的スムースに行われた。空港では、お出迎えにきていただいた現地の関係者の方々と少しお話をしました。一歩そとに出ると・・そこは40年位前の日本(あくまでも想像)でした。日本車、それも20年くらい前のカローラやライトエースなどが主流を占めてました。私たちは近くのホテルへ日産キャラバン(12.3年前のモデル)に乗せられて行き、その後、夕食(中華)を食べました。セントレアであったことが、このあとの爆笑珍道中の始まりになるとは、このときは夢にも思わなかった私でした。(つづく) この先が楽しみ、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月19日
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ミャンマーを何回繰り返し言えますか?(from「学校へ行こう」)循環型共生農業を目指す(焼畑農業で作物は外のエリアへ→畑を作って食物は地産地消、自給自足して持続可能)村に対する支援活動の一環としてです。私が入っている小さな国際協力団体が、その一環として、ミャンマーのシャン州というところで、小学校の改築の支援をしています。とても少額ではずかしいんですけど。(バザーや現地の民芸品を売った収益などでまかなっています。)で、その村を訪ねて、進捗状況をみながら(基本的に現地の人のペースにまかせてあるので、遅いんですが・・)、交流(民泊含)も行ってこようというツアーです。小学校高学年と中学生の親子が4組+大人5人という小さなスタディツアーです。ちなみに私は一人で参加で、全体のサポート係です。はっきり言って雑用係ですが・・この時期のミャンマーはベストシーズンらしいです。アジアでまだ行ったことがない国なので、とても楽しみです。では、行ってきます。<追伸>そういう訳なので、23日までブログの更新をお休みさせていただきます。また、遊びに来てください。>いつも来ていただくみなさま 「いってらっしゃーい」と思っていただいたら、ポチッと押してください。
2005年11月18日
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あー、今日も学校へ行ってしまいました。この日記をお読みの方は「元職」がなんでそんなに学校に足を運ぶの?と疑問に思われるでしょう。今日・明日と、次女・三女の通っている小学校では学校公開日。それにあわせたように、今日の2時間目・3時間目は縦割りのクラス、低学年・高学年別の歌声交流会が催されました。交流会は全体合唱・1~3年(4~6年)の順でクラス合唱という流れで行われます。我が家としては、次女・三女とも合唱の指揮をする!ということで、妻が三女の、私が次女の、それを交代で見学に行きました。妻が行った2時間目は、普段の公開からは想像もできない、すごい数の保護者がきていらっしゃったようです。駐車場(体育館の裏や交通公園←舗装している)は満杯だったそうな。私が行った3時間目も、それに近い状態。しかし、予定の教室に入ると、最初はガラーンとしてて、保護者5.6人。昨年の広報委員長の奥さまとお話しながら、開始を待ちました。ところが開始の時間には、保護者はすでに30人ほどにふくれあがりました。児童数が3学年で100名ほど、平日昼間という条件を考えると、すごい率できていらっしゃいます。さあ、交流会の開始です。全体合唱が終わると、次は次女のクラスの合唱。次女が指揮を始めました~。あー、この歌は。そう、生で2度、ビデオもいれると3度聞いたことになる、音楽祭で歌った、その曲でした。そりゃ無理もないよね。次女の指揮はスムースでソフト。普段のギシギシした感じが見受けられず、なかなかよかったと思いました。続いて5.6年の合唱。6年の合唱も開始前のリハをみちゃったから、ま、ここで失礼しました。続いて、三女の教室へ。算数・九九の勉強中でした。うちの三女は公文へ言っているので、計算だけ(うっ)はお手のもの。余裕で九九をそらでよみ上げていました。低学年の算数は少人数ではなく、補助の先生が入る形になっています。補助の先生は、あちこちとサポートにまわっています。ふと、時計を見ると、仕事の段取り的にそろそろ厳しい時間。後ろ髪をひかれながら学校を後にしました。帰り際、受付の名簿を見ると・・用紙があるだけ全て埋まっていました!ざっとみて120人はくだらないでしょう。いつもの学校公開ウイークより、抜群の集客(この書き方変ですが)。教頭先生あたりか、教務主任あたり、ニコニコじゃないかな~。何はともあれ、多くの保護者や地域の方に学校に足を運んで頂くことはいいなぁ、と思いましたよ、ホント。子どもが好き、学校も好き、と思われましたらポチッと押してくださいね。
2005年11月17日
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権利を振りかざす前に、義務はきちんと遂行しませんか? ↑ こんなことを私が会長の時、2度お話させていただきました。 でも、その時聞いてくれているような人って、ちゃーんと義務は果たしているわけで・・(汗)この日の日記のその後について報告です。先日、長女がわざわざ封筒入の地区での話し合いの報告書をもらってきました。すごい文章量!(私が編集して、去年だしていた「つうしん」よりも文字数が多い!)最後までみんな読んでくださるのかな~多分まとめきれなかったんでしょうね。私の時も、アンケートの回答でまとめきれないことがしばしばありましたから。内容はここには詳しくかけません。が、「これをきっかけにもっと意識を持って頂きたい。」「この問題を地域の力で解決する時である。」というむすびにはちょっと驚きました。んんん、ではどういうかたちにもっていくのかまだまだこの問題、時間が必要なようです。あまり「小泉チック」にひっぱり過ぎるのもどうかな、と思うのですが。>本部&学校私が「役員ならこうする、したい」「保護者ならこういいたい」という話がありましたら、是非お聞かせください。(とはいえ、肝心な部分は伏せちゃってますが・・すみません) これは大変っ、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月16日
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「エル・クンバンチェロ」って、ご存じですか?聞けば「あー、その曲ね」とわかるけど、タイトルが私はわかりませんでした。(^_^;)この日の日記で私がリハーサルをみた市内小中学校音楽祭がこの日、市北部のホール(ちなみに13日の日記と同じところ)で行われました。平日の昼間、それもうちからは車で15分かかる会場、ということで私は行くのをあきらめ、妻が見に行ってきました。市内のほとんどの学校は4年が出場。5.6年生は秋の行事が目白押しだから、4年生が出てくるところがおおいんじゃないかな?リハーサルの日に微熱を出していた次女も無事参加。とても元気に合唱・器楽をこなしたようです。器楽では舞台センター、それも指揮の先生の真ん前というポジション。(偶然にも長女と同じようなポジション)妻がうつしてくれた(撮影禁止ではないけど、遠慮がちに2階の隅で撮ったらしい)ビデオにはとてもいい次女の顔が写っていました。おじいちゃん、おばあちゃんにも夕飯の時にみてもらいました。写っている間本人は知らん顔、でしたが。すごい気合いが入って、のりのりでリハーサルより数段よかったです。「エル・クンバンチェロ」がちょっとはしっちゃったけどね。でもね、うちの次女は今回の音楽祭は、ちょっと不満らしい。なぜなら、「創作オペレッタ」ができなかったから。昨年、1昨年は地元の言い伝えや民話をモチーフにした、オペレッタを上演してきて、市内でも高い評価を得ていた。また3年前(長女の学年)は次女と同じ組み立てながら「あひるのお世話」をモチーフに劇仕立ての合唱・器楽だった。いずれも圏域版では地元の新聞の取材を受けたりしていた。実は、次女はそういう出し物の主役級をねらっていたのだ。しかしながら、今年は残念なことにそれはおこなわれなかった。考えられる理由は2つある。1.研究のことで学校も先生もいっぱいいっぱい2.学年主任がどちらかといえば「チーム感」を大切にする先生 個々の目立つ、めだたないの差が大きいオペレッタを避けたま、毎年、それぞれの先生の考えはあるし、狙いもあるのだから、しょうがないんでしょうね。うーん、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月15日
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今日は5年生への読み聞かせ。以前6年生に使ったパターンで「いのちのまつり」→「童神」という流れにするつもりで学校へ。記録ノートを見ると・・がーん、7月に「いのちのまつり」が「葉っぱのフレディ」と共に読まれてたぁ~。ちゃんとノートに「命をテーマにして読んでみました」とか書いてあるし。私とかぶりまくりじゃないの・・トホホ。というわけで、あわあわあわ、急遽変更(涙)。ひよっとしてと思い持ってきたのが上の本。(正確には上の本ではなく、いろいろ集めた本だが・・)なかでも私のお気に入りは「あい」という詩。(谷川俊太郎 あい で検索かけるとでてきますが、私は著作権について臆病なので、ここには書きません。)で、「童神」の歌と詩の再読。さらにと小学校5年生の女の子が書いた詩を2編よみました。テーマは「家族愛」ってところでしょうか。それぞれの受け止め方でいいと思ったので、あまり内容はつっこまないようにしましたが。このクラスは担任が若い先生ですが、なかなかきちんとしています。児童も落ち着きがある子が多いです。(おはなしの会の世話役のお母さんの一番上の娘さんもいます・・)全体的な雰囲気は、うーん、まずまずというところだったかな。ちょっと私自身は付け刃で反省・・。 本が好きだなぁ、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月14日
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音楽はいいですよ、する側でも、聞く側でも。市民音楽祭(合唱・邦楽・吹奏楽の部)が市のホールでありました。長女が吹奏楽部(フルート)で参加です。中学から一般まで一緒の舞台なので、音楽祭自体は12時30分~17時30分までという長時間。前半部分は合唱なので、吹奏楽が始まる15時30分頃会場に着くように、家族で見にいきました。妻は夏のコンクールの時に、一度見にいっています。だけど、私と、次女、三女は見るのが初めて。なんだか、どきどきします。前の出演者が無事終了し、照明が落ちました。この音楽祭の設営のお手伝いは、前にも書きました、毎年優秀な成績を収めている市内の高校の吹奏楽部の部員たち、90余名。うちの娘の中学のセッティングももちろん、彼ら、彼女らがしてくれました。さて、ライトがつきました。おお、うちの娘は舞台のセンター、それも一番客席寄りじゃないですか!3年生が先月で引退したので20人くらいの小編成。フルートは2年生が退部したので、なんと1年生が2名で演奏。1曲目を演奏し始めました。この曲はあまりフルートの音がめだたない曲でした。2曲目はBENNIE Kの曲。おお、なかなかみんな乗っています。いい感じ。客席からは手拍子も出てました。この曲はフルートの音もよく聞こえました。たった半年強で、これだけ音がでるようになったのか、と思えるほどの2人のフルートの音の響きでした。やはり、日頃の厳しい練習(部活の先生の指導や、クラブの日のボランティアの指導のたまものともいう)のおかげでしょう。2曲、わずか7分でしたが、少人数を感じさせない立派なステージです。いや、ホント、お父さんはうれしいよ>わが娘長女の中学の後は、いろんな吹奏楽のグループ・学校の発表でした。最後の2つは社会人のグループと、やはりトリはいつもの高校でした。(残念なのはこの高校の演奏した曲目が、私が9月、子どもたちが10月に聞いたものと同じだったことかな)この2つは単独で定期演奏会をするレベルだけあって、さすがに上手です。この高校の生徒さんたちは実にきちんとして、裏方もこなし、そして自分たちも演奏する、と一人二役以上の活躍をしていました。彼ら・彼女らにも感謝しなきゃいけません。ちなみにその高校が演奏する時のサポートはうちの中学ともう1つの中学の生徒がしていました。これをみて、私は中学生が大人(一人前)扱いされているんだなぁと初めて感じたのです。いや、久しぶりに気持ちのいい日曜日でした。 音楽がお好きなら、ポチッと押してくださいね。
2005年11月13日
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年に1度、地元の弘法堂を中心に行われる「お薬師の日」。本来は弘法様を拝んで、そばにある薪火にあたると風邪をひかない、といういいつたえで続いているものです。でも、子どもたちにとっては違います。校区の真ん中にある幅の狭いメインストリートの100メートルほどにに露店がたち並び、しかも夜間に、そこを友達同士で歩き、物を買ったり、食べたりするそんな時間をすごすのです。今の子どもたちは半分「なんだぁ、そんなもの」という感じもあるでしょう。でも、うちの子どもたちはそれなりに楽しいようです。長女も次女もお友達と繰り出していきました。三女はまだ2年なので、私と一緒に行きました。それぞれ楽しい時を過ごしたようです。この「お薬師」。私たちが子どものころは本当に楽しみにしていました。なにせ、田舎なので、たいした娯楽はなかったですから。今年は輪投げをしてみよう、今年はあれを食べてみよう、なんて。このときだけは、おばあちゃんがよく別途でお小遣いをくれたったけな。普段からはちょっと無理してもらったそのお金を、結構しょーもないおもちゃを買ってみたり、輪投げで散財したりした、そんな記憶が私にもあったりします。でも、あの「わくわく感」は今も忘れられないものがあります。さて、今回のお薬師。3人にはそれぞれ決まったお金の中で好きなことをしていいよ、と言っておきました。3人3様のお金の使い方にも思わず笑っちゃいました。でも、「こんなお金の使い方もあり?」という経験を、こんな時にすることは決して悪いことではないんじゃないか、と思いました。子どもの頃からなんでも「かんじがらめで失敗がない」というのも、どんなものかと・・ふとそんなことを思った今日でした。 うーん、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月12日
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会長が決まると、ホッとしますよねぇ~12月度の運営委員会で無事承認されそうです。今年もすんなりと選考された模様です。何度も書いていますが、我が校のPTA会長の決め方は独特です。-----(すでにご存じの方は読み飛ばしてください)-----校区の中学(1小学校=1中学校)の学年ごとの同窓会組織。こんなものがありまして、その同窓会組織の中で「厄年記念行事の会長」「消防の役(部長以上)」←隔年なのであたらない年齢も有「PTA(小学校)会長」「PTA(中学校)会長」をふりわけていくのです。重要度としては上からの順番かな?だいたいの場合、5.6人がこれらの役を受けます。兼任はしないということになっています。で、40歳前後にこれらを全て振り分けるのです。でも、今は人数も少ないし、Pについてはその時々で様子がかわるんです。こういうことですが、とりあえず選考委員も委員会もあります。でも、名ばかりなのは自明の理ですね。「***さんを次期会長としたいと思います」「意義無しっ」こんな感じでしょうか。----------ここまで-------------------さて、来年度の会長はここ3年、委員をしていただいている方。私と同業なので、性格も知っています。どちらかといえば、「人のいうことをじっくり聞き、それを自分なりにかんで動く」タイプ。また「イヤな顔をしてうごかない」タイプでもあります。話はあまり上手ではありませんが、私から見ると、会長としてはうってつけの人物だと思っています。さて、いよいよ私、顧問の出番となりそうです。来年度は組織改革、役員選考方法の変更についての3年計画の3年目。1年目は会員の意識改革を「体操服変更」「意見箱設置」などで図ってきました。2年目の今年は、残念ですがまだ各種行事を「こなし」ているのが精一杯のようです。(なんとか3学期には、ひとつくらいその手のことをしてほしいな)3年目はX年後に迫った「役員選出破綻」にそなえての準備第一歩ということになりそうです。私、現会長、次期会長で大筋をつけ、会員や実行委員会にはかることとなりそうです。年明けにも3者懇談?をする予定。研究公表会で行った「地域→学校」の絡みをもっと増やすこと。そんなことも話をしてみようと思います。 へー、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月11日
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私の市では小学生による音楽祭がもうすぐ行われます。多くの学校が4年生を代表として、オペレッタあり、器楽あり、合唱有り、といろんな音楽を奏でます。今年はうちの次女がこの4年生。器楽やピアノはオーデイションを行い、器楽の通過者は練習も夏休みから行ってきました。うちの娘はアコーディオンのオーディションに受かりました。(長女の鼓笛と同じ)器楽では結構活躍するパートです。本番は平日昼間ということで、全校児童へのお披露目とリハーサルをかねて、一般の保護者にも告知し、今日の朝合唱の時間に、行われました。我が家は私と妻で行きました。なかにはおじいさんやおばあさんが来ていらっしゃった家庭もあったようです。おとうさんは・・たった4人。うち3人は元会長の私、私の前年度の副会長(息子さんがピアノ伴奏)、私の前々年度の副会長(器楽でドラム担当)でした。子ごもたちのはつらつとした姿にはホントいつも心うたれるものですね。本番まであと数日。みんな元気で出てほしいですね。■追伸そんなこと書いていたら、肝心の次女が発熱。ちょっと出場が危ないかな~ 子どもたちのいきいきとした姿をみるのず好きな方は、ポチッと押してくださるとうれしいな。
2005年11月10日
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研究公表会で、今年度会長と同席したので、この日の日記に書いた、小学校PTA役員の行動についてきいてみた。会長曰く、「終わってから、そんな話を聞きました」。ん?ん?これは副会長の連絡はなかったということだ。そしてそのセフティバルブであるはずの女性役員さんも誰もきづいていなかったということだ。うーむ。会長にも、昨年の行動表が渡してあり、この行事については「できるだけ会長も参加」と備考欄に書いたつもりだった。3つの「押さえ」がどれも有効に効かなかったということらしい。会長もしきりに反省していました。うーん、残念なことです。と同時に、「伝えることの難しさ」と「正式なお願い(この行事は各学校には案内は行くが、PTAに関しては出向者経由で伝達)の大切さ」を学んだ気がします。 動員がかかった経験をお持ちの役員のみなさま、教員のみなさま、ポチッと押してください。
2005年11月09日
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研究ってなんのため、だれのため?小学校長のお仕事『学校の「研究」って…ちょっと変?』にトラックバックします。平成16年度、17年度、県指定を受けて行われていた我が校の研究公表会がこの日行われました。16年度は研究に協力したという私の立場だったので、「研究協力者」というプレートをいただき参加しました。(以前お話した「ひょっとして、発表したりして~」という話は青少年育成団体の代表の方になりました、ホッ)◎実践課題<一人一人の児童が安心して生活できる安心・安全な学校づくり>実にぼんやりとした?またとらえ方次第では、膨大な範囲を含むのではないか、と思われるような課題です。◎実践概要■生徒指導が機能した学校生活の充実→子ども同士が「自己肯定感」を持つことのできる授業・行事づくりをしています。 工夫した学級遊び・体育の授業など、随所にそれを感じることができます。 (公開授業でもそんな「しかけ」がありました。)■安全意識を高める指導の充実→安心・安全の指導はかなり他校より多い時間を割いてます。 児童会もがんばっています。■家庭・地域・関係機関との連携の充実→「ついでパトロール」やプレート・タグの活用・こども110番の活用など★3番目の研究に関して、研究協力者会議などを通して、私もかかわったわけです。◎課題(上の■とリンクしています)■「自己肯定感」も大切だが、ともすれば「自己満足」とか「自己過大評価」につながるのではないか■いろんな安全・安心に関する指導も大切だが、「なぜ」をもう少し考えさせ、自分自身で「安心・安全」をどうとらえるかということも必要ではないか。■地域との協働はもう「学校だけでは全てを抱えきれない」ことを教員同士・学校が理解し、学校から地域という形でなく、学校と地域がひとつになっていろんな物事にあたっていかなきゃいけないのではないか。3つ目はかなり、地域も学校もクリアしていると思いますが、ひとつ言えるのは、先生による温度差かな?プレゼンでは、研究主任(当小学校ob・私より2学年下)がかんばりました。また児童委員会代表は前年度広報委員長さんの長女、地域代表は青少年育成団体の会長さん。おふたりとも、実に上手に発表して頂きました。なかなか有意義な時間でした。あとはこの課題を考えながらこの研究?を継続していくかということ、それとこれで全て「終了」とはしないということです。ひとつ残念なのは、質疑応答がなかったことかな。(盛り上がりは感じられませんでした、どうして?)間のときには異動していった先生が何人もいらっしゃったので、ひとことずつお話させていただきました。また、この研究を申請した?前校長先生ともお話させていただきました。その中で前校長先生が「昨年の広報誌がすばらしいできだと聞いたので、つい最近3部ともみせてもらったけど、すごいできですよね、感心しました。」と言っていただきました。最後に校長先生が「地味な研究で・・」とおっしゃっいました。けど、こういう研究こそ、子どもに大人に地域に、ダイレクトに反映されるものだから、大事だと思うんですけど。英語教育の先進だとか、授業のテクニックの研究だとか、それよりももっと根っこの話ではないのかな?うーん、先生方と私たち地域の大人の感覚の違いなのかな~今日の話はどこの学校か特定できちゃうような・・。ま、いいですけど。追伸:ひよっとして、わかってしまった方は・・ コメントでなくメッセージでよろしくお願いします。 ★研究の経験がある学校の方も、ない学校の方も、ポチッと押してくださるとうれしいな。
2005年11月08日
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かいちょーさんの日記にトラックバックします。かなり遅れましたが、この本読みました。前の2冊を読んだかいちょーさんや私にはややダブリの部分が多く感じられるのは、いたしかたないのかなぁ。あれだけがんばってるかいちょーさんの日記にすら、『あんなこと、こんなこと、いろんなことで「それは難しいだろ」「そんなん無理や」と自分からブレーキかけてるような気もします』と書かせる、秋津コミュニティのすごさ。是非、一度読んでみてください。レモンさんの本とこの本を読めば、なんだか「やる気」が出てくるんだよね。読んでみよう!と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月07日
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花が咲いた姿を想像するだけで、なんだかうれしくなりませんか?今日は校区の秋の花作業。主管は青少年育成団体。他に倫理研究会・老人会・小中PTAの協力で毎年春と秋に行われています。朝8時、私が指定の場所に行くと、もうすでにみなさん集まって説明を受けていらっしゃいました。しかも、花壇の半分くらいはもう土起こしがしてありました。主管の団体の担当と老人会の方々が早くから準備をされていたようです。で、私もその主管団体の一員なので、サポート隊のように、苗運び、抜いたベゴニアをゴミ袋に詰める作業などをしました。動きながら、ふと周りをみると、そこは中学校Pの役員さんがたくさん集まって、作業をされていました。「おはようございます」と役員さんたち(私より全て年上ばかり)に声をかけると、気持ちのいい返事が返ってきました。今日は合唱祭(参観)もあって午後一に駐車場の整理もあるのに、大変です。でも、とても気持ちよく作業をされていて感心してしまいました。話を聞くと、「春は生徒も多くいたので、よかったけど、今回は学校があるので、役員はできるだけ多く参加するように声をかけた」とのこと。すごいなぁ、私が会長だったら、そこまではできないなぁ。そこで、えーっと小学校Pは・・。あっ、先生が3名(教頭・生活指導主任・園芸委員会の先生)と園芸委員の児童が数名・・。あれっ?Pの出向委員(男女各1名)がいない。先生たちが来ているってことはちゃんと伝わっているということだけどな~。全部で7名。しかも主任はいつものように、ミニ耕運機で土起こし担当。いや、これはちょっとまずいんでないかい?担当の副会長が忘れても、女性役員がフォローするはずではないのかな。会長は毎年、来たり、来なかったりだから、多分会長には伝わってないんだな~。別に「誰が来た、誰が来なかった」という話がでるわけではないんだけど。「ボランティアだから、来られる人が来ればいい」のだけど。まさか、小学校の運営委員会か何かで「花植作業、これもPTAの役目なの?」なんて話はでてないだろうなぁ~。なんだかちょっと残念な日曜日の朝なのでありました。みなさん、どう思われますか?ちなみに私個人は「動員」は嫌いですが、与えられた「役割」は最低レベルでも「こなす(このいい方もひっかかるけど)」べきだと思っています。 思うところがございましたら、ポチッと押してくださいね。
2005年11月06日
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やはり自分の子どもや孫はかわいいんでしょう。我が家も例外ではありません。長女の自画像、三女の硬筆が選出された(次女は選出されずなのでおかんむりモード)ので、市美術展(児童・生徒の部)に行ってきました。会場は市内北部の多目的ホール。広い多目的なホールいっぱいの作品。土曜日だというのに、そこそこの人たちがみていました。おじいちゃん・おばぁちゃんも一緒の家庭もありました。我が家も子どもの作品以外にもいろいろと見てきました。タイムリーに?保育園・幼稚園ではモリゾー・キッコロの絵があったりしました。また、粘土作品の造形のすばらしさ、新鮮なつくり方にもびっくりしました。長女の自画像ですが、これは丁寧に書いてありました。他の同級生の女の子のほとんどが、(失礼だけど)だいぶいい方にデフォルメされているのが多かったです。中にはちょっとマンガちっくなものもありました。(それはそれですばらしいけど)対して、男の子たちは、実物の方がいいじゃんって感じかな。中1という年頃、男女の精神年齢の違いがかいま見えておもしろかった。三女の硬筆。これまた丁寧には書いてありました。2年生らしい、という感じの字体でした。長女と三女は傾向が似ています。今回出品されなかった次女は、二人に比べて、オリジナリティやバイタリティにはあふれています。最後に思ったこと。このくらいPTAの行事や学校行事に主体的に参加していただけたら、いうことないなぁ~。それにはその「てだて」も必要なんでしょうが。うーん。 うーん、と思ったらポチッと押してくださいね。
2005年11月05日
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生徒たちと先生、その空間に1人でいることに、あなたは耐えられますか?この日の日記にあるように、今週は中学校が学校公開ウイークなのです。私は日曜日のファミリー参観(合唱祭)に行くことができないので、音楽の授業におじゃましました。駐車場に車を止めて・・あらら、先生の車ばかりじゃないの?体育館の前にスリッパが、そしてその横の机の上に教室・授業の一覧。来校者を書き込む用紙が1枚、寂しそうにポツンとおいてありました。11月4日という文字が目に飛び込みました。何番目の来場だろう。少なくとも10人くらいは・・あっ!うそだろ~3番目でした。今日は3年生は非公開(実力テストなので)だからといえ、4時間目に行って3番目ですよ。思わずその場に突っ伏して泣いてやろうかとおもいましたよ、いやマジで。で、1.2番目を見ると1.私の同級生の女性/小学校P元母親委員長2.私の同級生の奥様/青少年育成団体本部役員#ちなみに、両方とも2年生の保護者です。おいおい・・またまたヘコんでしまいました。3番目に私の名前を書いてから、音楽室に向かいました。当然、音楽室には保護者は0。ちょっとだけ?勇気を振り絞って、ドアをガラガラっ、開けました。その時は先生に向かって、生徒がUの字に並んでいたのです。で、その斜め後ろに立ってみる・・はずでした。ところが先生が「さーて本番モードでいきましょ~」と全員を立たせたのです。全員が起立し、本番のように2段組の段に全員が乗り、私と先生に向かって、声をだす、そんな構図になったのです。ひえーーっ。おまけに、先生に「どうぞ、座ってご覧ください」とすすめていただき、いすにすわることに。練習がはじまりました。まず、2曲をとりあえず、通しで。1曲目、指揮をするのはサッカーが得意な*君、伴奏は*さん。2曲目、指揮をするのは勉強ばりばりな*さん、伴奏は*さん。狭い音楽室だからかもしれませんが、なかなか声がでています。特に男子はムラがあるけど、パワーは感じます。で、それぞれの曲に先生が指揮をして、ポイントを伝えながら、歌っていきます。ぐんぐんよくなるのが、素人の私にもわかります。あえていえば、男子がもう少しソフトな部分はソフトに歌ってほしいくらいかな。時間の途中で私は退席させていただくことにしました。が、ここでも先生は「ありがとうございました~」と私に声をだして挨拶されるのです。いや、なんか恥ずかしい~。でも、なんかうれしい~。本番の合唱祭楽しみです。って私はいけないんだった。(泣)あー、なんでこんなに楽しい公開ウイーク。晴れ姿の合唱祭でなくて、裏の過程をみようとしないのかな~。学校の努力したポスター風のプリント(下部画像)が北風にピューって飛んでいくような情景(なぜかさくらももこの絵で・・)が思わず脳裏に浮かびましたとさ。■追記先ほど夕飯を食べながら長女と話しをしました。合唱のこと(「男子が声がでていていい」とか・・)クラスのこと、いろんな話をしました。その中で、長女はクラスの女の子に「**ちゃんはいいよね。お父さんが仕事の都合をつけてもあーやって見にきてくれるんだから。それだけ子どものことを思っているってことだよ。」と言われたそうです。照れくさいやら、うれしいやら。正直、長女には迷惑だったかな、という思いもどこかであっただけにこのことばはうれしかった~。 共感をもっていただけたら、ポチッと押してくださいね。
2005年11月04日
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シリーズものになってしまいましたが、もう少しおつきあいくださいませ。学力の新しいルール その4■保護者向け1.実社会はいい人ばかりではない。 山あり、谷あり、学校もいつもいい先生にあたるとは限らない。 さまざまな先生習うことをよしとする。→教員が「聖人君主」化されたのは昔の話。 また昔でも「問題行動」をする先生もいたことは事実。 保護者が、教員の少しの失敗を一方的にせめて、大問題に発展させたりして、教員を追い込むようなマネはしてほしくないものです。 我が家でも同様。 そんなに「当たりの先生ばかり」がくるわけもない。 できる限り、その先生のいいところをみるようにしたいものです。 また、トラブル時には、素直に事実は認めてもらい、ではどうしたらいいのか、を保護者・教員・学校が一体となって考えることが、結局子どものためになることを、自分から周りにも発信することが大切だと思います。 ブログでは書いてませんが、一昨年に次女のクラスでケガをする事故が相次ぎました。 詳しくかけないのが、悔しいですが、その時に、このことを学んだ気がします。2.学校に求める前に、まず家庭で何ができているかを考える。→うーん、そこまで考えている保護者・家庭がどれくらいあるのか。 目の前の「暮らし」におわれる家庭(我が家とて例外ではありません)。 この日記をいつも読んでくださる方々はそうでもないんでしょうが。 権利だけふりかざしも、義務をおこたる保護者たち。 実際、ここまで考えられたら、「未納」問題なんて起きるはずもありません。 ■教員に1.子どもと保護者への窓口はつねに開けておく。→本当にこうであってほしいと思います。 閉じた教員にかぎって「割鍋にとじ蓋」状態であったりもしますが。 幸い、私の子どもが通う、小学校も中学校も学校は「開く」姿勢が見えます。 ただひとりひとりの教員に関して言えば、そうでないひと(上の1.につながりますが)もいるのも、これまた事実です。2.トラブルに正面から向き合う。 逃げたときにトラブルはもっと大きくなる。→保護者向けの1.に書きましたように、私はトラブルになぜか2度、当事者ではないのに、対応する立場になりました。 いずれも、事実は事実として認め、謝罪するべき所は謝罪し(残念ながら一人の教員はみんなの前では謝罪してはくれませんでしたが)、その後は、トラブルに至らずに済んでいます。 先生たちも完璧な人間ではありません。 若い先生などは、逆に私たち保護者の方が人生経験豊富なわけです。 だから 「あー、まだ若いから、こういう失敗もあるかもね~」 と時に冷静に見ることも必要です。 教員ひとりことりを、切り捨てることをいったり、勝手に決めつけたりするのは危険です。 保護者と共に教員も育っていくのです。3.お山の大将にならない。 柔軟に、何ものからも学ぶ姿勢を持ちつつづける。→これは是非お願いします。本当にお願いします。>先生方あー、書いてて苦しくなってきました~。 そうでもないんじゃない、と思われてもポチッと押してくださるとうれしいです。
2005年11月03日
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期待されるってのも、時につらいものがあったりしませんか?この日の日記に書いた合唱祭がいよいよ今週末に迫ってきました。我が長女、合唱委員なので、いろいろとやることが多いみたい。マジメに取り組むのが、彼女の一番いいところ。だから、家ではついその反動がでちゃうのか、イライラしたと思えば、からっとケラケラしたりしていて、お父さんとしては、もうよくわかんないって感じで。で、そんな中、来週の半ばに1年のボランティア活動として、特養ホームへの慰問というのが、これまた迫っていて・・。長女のクラスは歌を披露するらしい。合唱祭では「伴奏はもっと上手な子たちがいるから~」と伴奏は避けた長女。ところが突然今日担任から「ホームでの歌の『ふるさと』の伴奏、**さんお願いね」と言われたみたい。帰ってきて「楽譜もないのに」「なぜ私が~」とかぶつぶついってたらしい。でも、偶然、今日はピアノの練習日。練習中に、そのことを話をしたら、先生にささっと楽譜を書いてもらえたようで。帰ってきたら、すごく機嫌がよかった。しかも、その楽譜は練習日も少ないだろうからといって、比較的簡単でなおかつ、子どもっぽくないような工夫がされていた。さすが、プロ。で、さっそく夕飯を食べたら練習。ささっと弾いてみたのだが、悪くない。妻といろいろと話をしながらニコニコ練習している。合唱祭は先にかいた日記のとおり行くことができない私。もちろん、ボランティアも見学はできない。あさって、音楽の授業で合唱祭のリハするらしいから、見に行ってこようかな。しかし、うちの長女、よくなんでも受けて消化するものだと感心。彼女が決めてる「自分の限界」を打ち破らせちゃう、担任の先生にも感謝。こんなオヤジもいいなぁ、と思っていただいたらポチッと押してください。
2005年11月02日
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「笑う」ってこころにも、かわだにも、いいことですよね。さて、読み聞かせ、いやお話の会の朝読書。今回はなぜか、先回よりあっという間に当番が回ってきました。今回はえーっと三女のクラスだ。このクラス、実に「お話の会」の会員の保護者の多いクラス。しかも、みなさん熱心な方ばかり。で、いつものマジメパターンではおもしろくないかな?ということで、今回は「たじゃれ絵本」を持ってきました。この話は確か「学習」の付録にあった本です。子どもたちがパッとびつくような感じかな?と選びました。挨拶をして、いきなり本を読まずに「みんなお笑いはすきですか~」とボーダフォンのCMの岡田君のように私は叫びました。「みんなひくかな~」と思ったのです・・「すき~」おお、すばらしい反応じゃんっ。で、レーザーラモンHGやレギュラーや陣内智則の話がでてきました。しかし、陣内は渋い選択。(←お話の会代表の息子さんです)「あーいう笑わせ方もいいけど、もっと昔からある笑いの話をしようと思います~」とこの本を読みだすと、教室は爆笑の渦。(無論、笑ってない子もいましたが・・残念っ)しょーもないだじゃれを大連発する話なのですが、「さむぅ~」「わはは」「それ、しっとるぅ~」と反応ビンビン。あ、7分で読み終わってしまった・・。「よーしダジャレ大会しよう!動物でダジャレできる人~」。男子の多くがガンガン手をあげて、あててくれっと私に迫ります。「トラ」「ねずみ」「ネコ」あたりをとりあげてみました。しかしひとつの「お題」で10個くらいだじゃれを言うのにはおどろき。あっという間に時間が来てしまいました。「じゃあ、今日は笑って元気よく1日をすごしましょ~」と最後に笑って教室を後にしました。子どもたちのダジャレを考えている時の、ちょっと真剣な顔。そして発表するときの、発散しきったような、ちょっと自慢げな顔。どの子も素敵な顔をしていました。次回も楽しみだなぁ、笑っていただきますってね。あ、次回は5年か。もう少し考えるネタにするかな~。でも、あまり重いのもなぁ~。■追記 (22:00)三女が学校から帰ってきてから話を聞きました。なんでも、一日中教室では「だじゃれ」が飛び交っていたそう。でも、あまりにも飛び交いすぎだったので、担任の先生が切れて怒ったらしい~。すみませんでした、やりすぎだったのかも。思わず笑ってしまったら、ポチッとクリックお願いします
2005年11月01日
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